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少しの期間お休み致します3月25日に、横断歩道で交通事故にあって、昨日まで入院していました。ようやく退院は出来ましたが、しばらく動けません。
2006年03月31日
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真実の愛とは、短所を許し補い、長所と関わる力です。短所を許すことから、人間の愛が始まる。愛とは、許すこと。短所を許さなければ、人間は絶対に愛せません。人間を愛するとは、不完全な存在を愛すること。どんな人間にも長所が半分あり、短所も必ず半分はあります。自分にも短所はあるのです。人間を愛するということは、その人間の長所・短所すべてを愛するということ。お互い半分ずつ嫌な所を持っている。だからこそ、お互い許しあって、生きていかなければいけないのです。相手のために努力できるということが、「愛している」ということ。相手のために努力し続けることが、「愛がある」ということです。短所があることを認めて許すこと。その上でお互いの長所を見つける努力をし、ほめあうことで成長していく。愛とは、人間と人間を結びつける力。愛の目的は素晴らしい人間関係をたくさん作っていくことです。・・・・・・・・・・・・・・「愛」とは努力すること。結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。結婚するまでは、見えなかったこともある。こんな人だと勝手に考えていたこともある。そのギャップに気づいただけのこと。「恋」している時には、あばたがえくぼに見える。結婚すると、あばたはあばたとして見えてくる。長く一緒にいると長所が見えなくなって、短所や欠点がクローズアップされてしまう。自分の欠点や短所は見えづらい。自分にも短所欠点があると自覚しなければ、他人の欠点短所が許せない。だから「愛」とは許すことからはじまる。そして、お互いに自分の長所で、補い合うこと。短所を指摘しない。助ける時は、だまって助けてあげる。
2006年03月24日
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短所や欠点は、なくさなくてもいいんだよ!「臆病」ということは、「慎重・堅実」でもあるのです。人間は、不完全です。どんな人間でも長所半分・短所半分なのです。欠点・短所は、なくなりません。長所ばかりの人、短所ばかりの人はいません。『私は気が弱い』・・・いつもどんな時でもそうですか?自分では、短所と思っていることでも、相手や場所・状況や見方によっては、長所になることだってあるのです。光には影、表と裏、善と悪・・・どんなものもバランスです。短所はなくならないし、なくす努力をしてはいけません。する必要はありません。短所があって当然。短所があるから謙虚になれるのです。長所をとことん伸ばせば、短所は愛嬌になり、人間味にもなるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「自分の長所はどんなところですか?」就職の面接などでは、必ず聞かれる質問。面接の時以外は、あまり考えないことも多いのでは・・・。あるセミナーの講師が話していたことを思い出した。「私は、自分のいいところも妻のいいところも200言えます」ノートに書き出してみた。自分の長所は、20。それもちょっと「?」がつくところも入れて。妻の長所は、30。(時間が相当かかったけど・・・)とても200までは・・・・それだけ、人の長所を見つける目がないのか。悪いところは、すぐに出てくる。それだけ自分も含めて、人の短所は気がつきやすいもの。気がつきやすいから、なくしたいと思う。自分を変えたいと思う。欠点ばかりだと思うと、今の自分がイヤになる。嫌いになる。ちょっと見方を変えてみること。その欠点は、いつもそうか?どんな状況でもそうか?誰といる時でもそうか?それと違う行動したことなかったか?と考えると、意外にも「自分で思い込んでいること」も多い。短所があることを自覚することで、謙虚になれる。
2006年03月23日
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命の痛みを伴った苦しみ・悩みの体験は、自らの命を成長させ、磨き上げ、人間として本物の強さが生まれる。問題から逃げていると、場所や状況や登場人物を変えて同じような問題が次々と起こってきます。今あるものを壊さなければ、そこに新しいものは作れません。持っている物を手放すことは辛くて苦しいことです。しかし手放さなければ、新しいものは、持てません。命の痛みから逃げないこと。苦しみから逃げないこと。逃げずに立ち向かっていけば、必ず乗り越えられる。10年前何を悩んでいたか、どんな問題があったか。今でも同じ問題で悩んでいるか。問題が人間を成長させてくれるのです。命の痛みの経験が、本物の人間として成長させてくれるものです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・退職理由の70%以上が人間関係の問題だといわれる。人間関係がいやでやめると、次の職場でも人を変えて同じ状況がやってくる。いつもいつも右肩上がりでの成長はない。スパイラルアップ。らせん状に登っていく。人生は、1冊の問題集かもしれない。毎日毎日大小いろいろな問題が出てくる。前に進んでないようでも確実に進んでいる。あきらめて、逃げるとチャンスをつかみ損ねる。立ち向かって、倒れても、立ち上げるチャンスは、必ずある。こけ方もうまくなる。立ち上がり方もわかってくる。柔道の基本は、受身。殴られた経験のない人に殴られた痛みはわからない。だから平気で人を殴れる。力加減もわからない。病気になったことのない人には、病気の人の本当の気持ちはわからない。わかったとしても想像だけだ。失敗も病気も辛い出来事も本物になるためのステップ。逃げたいと思ったとき、怠け心が出てきたとき、「あっ、ここだな!」と考える。「これでいいのか」と自分に問いかけ続ける。
2006年03月22日
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「誰も私のことをわかってくれない」「愛してくれない」って、思っていませんか。でもそれは、「自分が思っているのと同じようには・・・」ということじゃないかな。人間の本質は理性ではなく、心です。どんな人間でも自分の心を満たしてくれるものを求めています。人は、誰もがみんな「認めてもらいたい」「わかってもらいたい」「ほめてもらいたい」「愛されたい」と思っています。「心が欲しい」のです。誰もが皆、満たされない、孤独な気持ちを持っているのです。自分だけが辛いのではありません。誰も「自分が思っているようには」認めてくれないし、わかってくれないし、愛してくれません。よく見たれたい、ほめられたいと、いつも人からの評価を気にしていませんか?人の評価ではなく自分自身が、まず自分を認めることから、すべては始まります。自分にも短所はあるのだから、人にも短所があって当たり前。そう思えたとき「長所も短所も含めて、人を受け入れることができる」ものです。人を受け入れることができたとき、他人も自分を受け入れてくれるものです。どれだけ相手のことを認め、愛し、肯定し、許すことができるか。人は、自分のことを、自分の心をわかってくれたと思えたとき、素晴らしい人間関係が作られていきます。・・・・・・・・・・・・・『人には優しく・・・』このあとに続くのは、大抵『自分に厳しく』。友人の歌の歌詞の中にこんなフレーズがある。『人にはやさしく、自分にはもっとやさしく』初めて聞いた時、涙がでた。自分には、厳しくだと思ってやってきていた。自分に厳しくしていると、同じように人にも厳しい自分になっている。子供に対してもそうだった。じゃぁ、「自分にやさしく」ってどうすること・・・?一応自分なりの答えは持っています。でも人それぞれ違うし、自分の答えがすべての人にっとって正解になるとは思わない。3分間で、自分の長所と短所をどれだけ書き出せるか?短所はいっぱいでてくる。では、長所は?
2006年03月21日
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命の痛みを伴った苦しみ・悩みの体験は、自らの命を成長させ、磨き上げ、人間として本物の強さが生まれる。問題から逃げていると、場所や状況や登場人物を変えて同じような問題が次々と起こってきます。今あるものを壊さなければ、そこに新しいものは作れません。持っている物を手放すことは辛くて苦しいことです。しかし手放さなければ、新しいものは、持てません。命の痛みから逃げないこと。苦しみから逃げないこと。逃げずに立ち向かっていけば、必ず乗り越えられる。10年前何を悩んでいたか、どんな問題があったか。今でも同じ問題で悩んでいるか。問題が人間を成長させてくれるのです。命の痛みの経験が、本物の人間として成長させてくれるものです。・・・・・・・・・・・・・・『人生の扉は、観音開きの手動ドア。両手で、手前に開けなければいけない。自動ドアではないから、いつまで待っていても開かない。自分で開けなければ、開かない。内側にしか問ってはついていない。外からは開けることが出来ない。両手に荷物を持っていると、扉は開けない。扉を開けるためには、まず両手に持ったものを捨てなければいけない。捨てるためには、勇気もいるし、痛みも伴う。持っていたものを捨てた時、人生の扉が開く。扉を開くと、人生のステージが変わる。ステージが変わると、出会いが変わる。それまでの出会いが悪いということではなく、それまでの世界と違った世界の人たちとの出会う。
2006年03月20日
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繰り返し、繰り返し、繰り返してやってみる。成功者とは、結果がでるまであきらめない人のこと。繰り返し、繰り返し、繰り返して、「万策尽きた」「これ以上できることはない」というところまでやる。それでもあきらめず結果が出るまで挑戦する。失敗は、その問題を乗り越える必要な能力とは何かということを教えてくれる。理性で考えると「これ以上やってもムダ」となる。万策尽きたと思ったときでも、「なにくそ!」と思えるかどうか。理屈ではない。何度失敗しても、あきらめずにトライし続けたとき、潜在能力がめざめて、自分流のやり方を見つけられるのです。個性は、この時自然と作られていくのです。真剣に取り組めば取り組むほど、現実への異和感が生まれてくる。問題が出てくる。異和感とは、自分の持っている能力が、今あるものより優れていることを表している。簡単に結果がでることが、いつも良いことではありません。・・・・・・成功するまであきらめないこと。七転八起ではなく、七転八倒の心構えで、8回目も立ち上がるぞあきらめなければ、夢は必ず叶う。失敗しても、失敗しても、失敗しても「なにくそ!」って思えるかどうか。まだまだこれから!
2006年03月19日
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「仕事」は、人に喜んでもらえるような「能力と人間性」を作るためにあるのです。人間は、本業を通してしか成長することができない。座禅・瞑想は、仕事や問題を乗り越える精神力を成長させてくれる。本物の人間となるためには、本業を通して、経験・体験を積み重ね成長していくしかない。人間が本物になるためには、善も悪も体験しなければいけません。人間とはこんなに恐ろしいものなのか、こんなに醜いのか、そしてこんなに素晴らしいものなのかと肌で感じること。そこから人に喜んでもらえるような能力と人間性が磨かれるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・「悪」の体験とは、「失敗」のこと。失敗も体験・経験として受け取る。失敗した人にしかわからない心情もある。体験した人にしか語れないこともある。人に喜んでもらえるかどうかも大きなポイントになる。自分だけよければいいというのでは、人間性は磨かれない。物事には、すべて表と裏がある。表だけしか知らない、失敗した事のない人には失敗した人の気持ちはわからない。どんな有能な人でも「成功」ばかり続くこともない。転んだとき、何をつかんで立ち上がるか。
2006年03月18日
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意志の強さとは、理性の力ではなく、欲求・欲望・興味・関心・好奇心の強さです。命から湧いてくる欲求が強ければ強いほど、理性が働き、実現の方向へと進んでいきます。理性だけでは、意志の強さは生まれません。食事も忘れ、寝るのも忘れるほど打ち込むことは、理性で考えてもできません。「感受性」よりも「求感性」。求めなければ入ってきません。受身ではないのです。求感性とは、自分が生きるために必要な情報を積極的に求めて感じ取ろうとする力です。命から湧いてくる欲望・欲求・興味・関心・好奇心のことです。欲求・欲望こそが生きる力になります。欲を捨てる必要はありませんし、なくなりません。与えられたもの、持っているものに感謝する。その上で、理性を手段にして、物欲を人間的な品格のあるものにする。理性を使わず、欲望のままに動くのは野獣。理性を手段能力として、使うことが大切です。興味も関心も好奇心も欲求も欲望も、みんな命の底から湧いてくるもの。意志の強さは、理屈を超えたところから生まれてくる。強い意志があれば、自分が納得できる人生を歩むことができるのです。・・・・・・・・・・・・意志の強さは、何事もやり遂げる理性の力だと思っていた。やり遂げるためには、心の底から湧いてくるものが必要。ワクワク・ドキドキがなければ楽しくない。この言葉を聞いて納得した。●「人生は、意志と愛のドラマ。意志なき愛は、人間を堕落させる。愛なき意志は、人を傷つけずにはその目的を達成することが出来ない」意志だけでもだめ、愛の力だけでもだめ。●「求感性」という言葉は、芳村思風先生の造語です。「感受性」は、受け取る能力。受身。「求感性」は、自分から求めて感じ取る能力。「何かおかしい」「どこか変」という異和感から「問い」を発する能力。「異和感」も同じく芳村思風先生の造語。「違」は、否定になる。正解・間違いになる。「異」・・・異なるだけで、間違いではない。辞書では、「違和感」。
2006年03月17日
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やってみて好きかどうか。やってみて興味関心が湧いてくるかどうか。やってみて得手得意と思えるかどうか。やってみて他人よりうまくできるかどうか。真剣にやってみたら、問題意識が持てるかどうか。自分自身の才能・天分は、理性で考えてもわかりません。好きだからこそ、寝食を忘れて取り組める。興味関心が湧いてくるから、失敗してもあきらめない。得意と思えるからおもしろい。他人よりうまくできるから自信がもてる。真剣に取り組むから、いろいろな工夫もわいてくる。自分を活かすための天分を見つける方法は、肉体を使うこと。天分のツボにはまった人生ほど楽しいことはありません。5項目すべてが当てはまる必要はありません。当てはまる項目が多ければ多いほど、天分のツボにはまっているということです・・・・・・・・天分かどうかは、頭で考えてもわからない。理性で考えると、「損か得か」「楽か辛いか」の基準が入ってくる。心の底から湧いてくるものであること。湧いてきたことを肉体を使ってやってみること。感性と肉体を使う。そのうえで、理性を使って工夫改善し、自分なりのものを作り出すことができるか。好きだけでは趣味の域をでない。人の役に立てるかどうかもポイントになる。
2006年03月16日
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「正しいか間違いか」「損か得か」も大切だけど、「好きかどうか」「楽しいかどうか」の判断基準も大切です。理性で考えると、「正しいか間違いか」「損か得か」「儲かるか儲からないか」「善か悪か」で判断してしまう。理性的な判断基準ばかりでは、かたよりができる。理性ではなく、肉体と感性を使うこと。理性的な判断だけで物事を裁いてはいけません。「好きか嫌いか」「いい感じか悪いか感じか」「楽しいかどうか」などの感性の持つ判断基準・能力を使うことも大切なのです。その上で、創造力を使うこと。心地よくないものも受け入れて、心地よいものに変えていく力が創造力なのです。・・・・・・・・・・・・解っていてもできないこと損か得かで動いていることが多い。儲かるか儲からないかで決めている。利益は大切。それがなければ続かない。自分の好きなことをやりながら生きること。人生を楽しむこと。お金も大事だけど、それよりも大切なこと。会社のためではなく、自分のために生きること。
2006年03月15日
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問いがあるから、答えが出てくる。大切なのは「問い」続けること。答えを持つことは大切なことです。答えがなければ前に進めません。答えに縛られ、問いがないとき、成長は止まります。大切なことは、「問う力」「問い続ける力」です。「感性」が問い、「理性」で答える。答えに縛られると、違う答えを排除しようとする。対立が生まれる。説得しようとする。問いや問題は、与えられるものではありません。自らが感じ取れるものです。感性が問題を感じなければ、理性は働きません。常に答えを持ちながら、「これでいいのか?」と問い続けることが大切なのです。「人生の3つの問い」を問い続けること。「いかに在る(ある)べきか」「いかに為す(なす)べきか」「いかに成る(ある)べきか」人間として、男(女)として、父親(母親)として、経営者として・・・・・・・・・・・・・・・・・・一度答えを持つとなかなかそこから抜けられない。自分の考え方・答えが一番だと思ってしまう。自分に自信があればあるほど抜けられない。人の意見のいい所がわかっていても受け入れられないもことある。自分の芯・自分の考えをしっかりと持つこと。しかしそれも完璧ではないことを自覚すること。自分の芯・信念をしっかり持ったうえで、他人の考え・意見のいいところを取り込みながら自分の考えを固定せずに、進化発展させていく。会社の理念も「問い」の形にすると、固定されない。変化に対応する理念ができる。社長は答をもち、社員にそれを伝える。それに社員個人個人が立場に応じた自分の答を持つこと。状況にあわせて、答を進化発展させていく事が可能になる。「感性論哲学も完璧ではない。まだまだ進化発展の途中です」(芳村思風)
2006年03月14日
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人生は、「決断」と「体験」の積み重ね。「失敗」なんてありません。すべて「経験」なんだから。決断で大事なのは、選らばなかったもののすべての可能性を捨て去ることです。断ち切ることです。捨てる勇気を持つことです。「この道しかない」「この人しかいない」と信じること。自分のもてる能力・知識・経験をすべて使って選ぶ道を決める。そして、その「決断にかける」。他の道を断ち切ること。決断に失敗はない。最高の道を選んだ、最高の決断をしたと信じること。過去や今を否定しては、未来は語れません。どんな苦しいことも、辛いことも成長していくために必要なことだったのです。体験しなければ、真実は語れません。病気にならなければ、病気の人の本当の気持ちを理解することができません。離婚したことのない人に、離婚の苦しさはわかりません。病気や離婚は、しない方がいいが、もしそうなったとしても、それを経験・体験として、活かすことができる時が必ず来るのです。失敗ではありません、すべて体験です。だから人生に失敗の人生はありません。人生は、成長の連続なのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・決めても、断てないことが多い。あぁ~やっぱり間違いだったか・・・未来も過去も変えられる?未来は、もちろんそうだけれども、過去も?あんな事があったから・・・こっちの道を選んだから・・・と思っている時は、過去は、嫌な思い出でしかない。あんな事があったからこそ、今の自分があるんだ。あの時苦しんだからこそ・・・と思えたとき、過去は失敗でなく、経験になる。今を懸命に生きること。『あんなこともあったね』と笑って言える日がきっと来る!似たような歌詞が、中島みゆきの歌にも・・・
2006年03月13日
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人生は、どの道を選ぶかでは決まりません。選んだ道からでてくる問題を乗り越え続けられるかで決まります。多くの人は、問題がでてくると、「選んだ道が間違っていた」と考えてしまいます。これは、理性で考えているから。問題がない道が正しい道ではありません。人間は、不完全です。問題や悩みのない人生はありません。どの道を選んでも、問題は必ず起こってきます。大切なのは、必ず乗り越えられると信じて、でてきた問題から逃げないこと。問題がないことを願ってはいけません。決断からでてくる問題を乗り越える続ける努力をするかどうかできまります。問題がないのは、感じていないだけ。苦しみ・悩みは、人生を楽しませるためにでてくるのです。・・・・・・・・「決断」とは、道をきめることだけではない。選ばなかった道への未練を断ち切ること。やっぱりあっちの道を選べばよかった・・・と考えているのでは、決めたけど、断ち切れていない。問題や壁がやってくるとどうしても「失敗したな」と考えていまう。苦労して就職した会社でもしばらくすると「こんなはずじゃなかった」「思っていたのと違う・・・」「自分のやりたい仕事ではない」「こんな上司では仕事ができない」といろいろな問題や悩みが出てくる。そんなときどうしても、「あっちの会社の方がよかったのかも・・・」「別の仕事の方が自分にあってるのかも・・・」と考えて、仕事や会社を変わっても人と状況を変えて同じことがおこってくる。選んだ会社や仕事や人間は、「縁」があって自分のところにきたもの。一度決めたからには、必死になって取り組んでみる。そこから新しい道も生まれてくる。
2006年03月12日
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人生は「意志と愛」のドラマです。「意志」とは、「自己保存の欲求」であり、仕事において成功すること。「愛」とは、「種族保存の欲求」であり、人間と人間の係わり合い、人間と人間つなぐものすべてです。すばらしい人間関係をたくさん作ること。私たちは、時代を一歩進めるために生まれてきています。意志と愛のバランスで人生を作っていくのです。自分らしく生きるための努力をし、家族を守る努力をする。意志なき愛は、人間を堕落させる。愛なき意志は人を傷つけることなしには、その目的を達成することはできません。愛とは、他者中心的な心情であり、愛は人の役に立つことを喜びとする感情です。職業・仕事は、愛の実践なのです・・・・・・・ちょっとタイトルの言葉と違うけどこんな話を思い出した。「自分ののやりたいことがわからない」「今の仕事は、自分に合わない」「もっと自分に合う仕事があるはずだ・・・」そう思っていたときは、自分の気持ちは外に向っていた。「どうすれば今やっている仕事をやりたい仕事に変えられるのか」を先ず考えなさい。そう言われたのは、イエローハットの鍵山さんだった。「私は、ただ掃除をすれば、会社が発展するとは思っていません。掃除をしていたら、結果的に会社が発展していたのです。働いている人が気持ちよく働けるようにしたい。お客様が気持ちよく買い物をしていたらけるようにしたい。誰もが使うところで、一番きれいではないところ一番嫌がることを自分がやること。素手でやるのは、より問題に近づくため。真剣にやったら、いろいろ工夫できるようになった。トイレ掃除ではなく、トイレ磨きなんです。私一人ぐらいやっても、全体的には変わらないではなく、私一人だけでも・・・と思えるかどうか。今やっていることに真剣に取り組めばいろいろな事が見えてきますよ。」
2006年03月11日
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人間は、不完全な存在。どんな人でも「長所半分、短所半分」どんな人間でも長所と短所が必ず半分ずつある不完全な存在です。短所がない人はいません。どんな人間でも長くつき合えば、必ず気に入らない所が半分でてきます。光には影・善には悪、表には裏・・・というように、どんなことでもふたつの側面があります。宇宙は、バランスでなりたっています。どんな人にも嫌な所や短所が必ずあります。自分にも短所・欠点があると認めることで、謙虚になれる。他人にも短所・欠点があるのを認めて、許すことが大切なのです。長所が突出すれば、短所は人間味・愛嬌になります。短所をなくそうとせず、長所を徹底的に伸ばすこと。そのうえで、相手の長所を見つける努力をすること。その長所をほめること。短所を責めない。短所を許すこと、お互いに許しあうこと。・・・・・・・・・・・思風先生と接していると、長所ばかりのように見える。まさに言行一致。こんなに謙虚な人はいない。誰に対しても同じ態度で接する。「先生には、長所ばかりで、短所はないのでは・・・」と聞いた。「1週間、一緒に暮らしてみたらわかりますよ」ちょっとと違うけど、薬師寺の大谷徹奘さんも同じことをおっしゃっていた。「人間って不完全なものです。50対50ではぶつかります。一緒に暮らすときは、お互い25%ずつで、残りのお互いの25%ずつのところで調整していくことでうまくいくんです。」
2006年03月10日
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常識「で」考えるのではなく、常識「を」考えよう!理性の時代から、感性の時代に変わろうとしています。理性で考えると「真理はひとつ・真理は不変」になる。真理にとらわれると、常識の枠からでることができない。真理は時代と共に変化するもの。非常識なことが、大きな進化・発展につながることがある。常識で考えていたら、できないことでも、そこに違和感を感じた時、それが新しい時代を創るキッカケになる。常識を超え、命の底から湧いてくるものの中から、時代を進めるキーワードが見えてくる。明治維新の英雄も、江戸幕府の人間から見れば、体制に対する反逆者だった。何かおかしい・・・そんな違和感が時代を変える。「千古の教場を去るべきとき」が来ている。古い教え・常識は大切なもの。古いものから学びながらも、これを1歩でも越える勇気と冒険心を持ち、努力をしていくことが大切なのです。常識を考えることから、新しい時代が始まるのです。
2006年03月09日
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使命とは、この命をなんのために使うか。使命とは、この命の使いどころ。使命は、苦難と共にやってくる。苦しみ・悩み・苦難は、潜在能力を引き出すためにでてくる。使命がどこにあるかを教えてくれる。追いつめられた状況になっても、それでもなお必死に取り組んだとき、はじめて潜在能力が目をさます。使命とは、理性では考えることができないもの、人から教えられるものではない、命の底から湧いてくるもの。「このためになら死んでもいい」という想いで、どういう生き方をするか、何をするかということを自ら考えていくところに人間的な生き方の基本がある。理性で考えた目的・目標は、決して人間の命に真の喜びは与えません。理性で作った目的を実現しようとした瞬間からその目的や結果にとらわれてしまう。自分の頭で作ったものに、自分が縛られ、支配されてしまいます。自分の内側からあふれてくる想いこそが真実の欲求・願いなのです.・・・・・・・・自分の使命とは何か?まだこれだというものはつかめていない。自分のお役目のひとつは、「感性論哲学と芳村思風先生」をひとりでも多くの人に知っていただくこと。それは、先生ご本人にほれてしまったこともある。自分が落ち込んで、迷っていたとき再び歩き出すキッカケをいただいたことに対する感謝。もしかしたら、同じように迷っている方たちがひとりでも私と同じ気持ちになっていただけたらという気持ち。それを私なりの方法で伝えていくこと。そのひとつが、日めくりだった。絵と言葉で、わかりやすい「感性論哲学の入門書」を作ること。先生の言葉から、「感性論哲学」を知っていただけたら・・・私自身が「哲学なんて、人生に関係ない」「哲学はむずしい」「仕事には関係ない」と思っていたから。今でもいろいろな問題があるし、迷うことばかり。そんなとき先生の言葉が浮かんでくる。まだまだこれから・・・お金の面では、サラリーマンの時のほうがはるかによかった。でもようやく今、自分の人生を楽しめているような気がする。
2006年03月08日
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変わらなくてもいいんだよ、成長すればいいんだから。性格や短所・欠点は、なくならない。ムリに性格を変えなくてもいいし、変わらない。変わる必要はない。短所をなくさなくてもいいし、なくならない。自分にも短所があることを自覚し、短所があまりでてこないように努力をする。この努力が、相手に対する愛。変わらなくてもいい、変えなくてもいい、少しずつ成長していけばいい。「変わろう」という気持ちが強いとストレスになる。変わらなくてもいい、成長すればいいんだから。・・・・・・・・・・・・日めくり作成のキッカケとなった言葉です。「変わりたい。」「こんな自分に成りたい」そういう思いでいっぱいでした。でもなかなか自分を変える事ができないでいました。この言葉を聞いた時、「あっ、そうなんだ。変わらなくてもいいんだ!」重荷が降りた感じがしました。「変わらなければいけない」という気持ちの裏には、「今の自分が嫌」「今の自分ではダメ」・・・そんな気持ちがありました。自分自身を否定していた。認めていなかったのです。今の自分を認めることからすべて始まる。嫌のところもいっぱいある。でもいいところもいっぱいある。・・・はず人を愛するには、まず自分を好きになることから始まるのかもしれない・・・
2006年03月07日
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降りかかる苦難の中に使命あり。命の痛みを伴うような出来事・経験は、そこに自分のやるべきこと、使命があるということを教えてくれています。世の中に起こることは、すべて自分が成長するために、必要なことなのです。乗り越えられない問題はない。今ここを真剣に生きることで、未来だけでなく、過去も変わってしまう。「あんなことがあったから、こんな風になってしまった」ではなく、「あんなことがあったからこそ、今こうなれた」と思える日が必ず来る。子供のころの嫌な想い出、失敗、病気・・・その出来事・経験に感謝できるようになる。苦しかったことが、人生の転機になったと気づくことができるのです。今を真剣に生きれば、過去も未来も変えられるのです。自分が人生で経験した困難・苦難の体験こそ、その人にしかできない使命を教えてくれる現象です。それをトラウマとして捉えている限り、自分の人生の目的はわからないのです。・・・・・・・・・芳村思風先生と初対面の時、この言葉をいただいた。言葉を見た瞬間、涙があふれた。「使命とは、この命の使いどころ」人生の使命なんて、それまで考えることがなかった。壁にぶち当たっていた時だからこそ、この言葉が響いてきたのだと思う。
2006年03月06日
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逃げたらあかん!人生は、七転び八起きではなく、七転八倒の心構えでいこう!7回失敗して、8回目は、何とかなるかも・・・ではなく、8回目もぶっ倒れる覚悟ができているかどうか。何度ぶっ倒れても、あきらめない覚悟ができているかどうか。「のた打ち回って生きていくことに人生の醍醐味がある」と、思えたときもうそれ以上落ちようがない。あとは這い上がっていくしかない。この覚悟ができたとき、眠っていた潜在能力が目覚める。潜在している天分を見つけ、引き出すためには、限界への挑戦をし続けること。そして自らの命の痛みを伴った体験・経験の積み重ねは、人間性の厚み・深さ・広さを作り、本物の人間を作るのです。ポイントは、「どんな問題でも乗り越えられる」という信念を持つこと。「逃げたらあかん」が、合言葉です。
2006年03月05日
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問題は、あなたを苦しめるためではなく、あなたを成長 させるためにあるのです。どの道を選んでも、問題のない道はありません。問題が大きければ大きいほど、乗り越えたとき、大きな力となります。問題がないことが問題なのです。予想もできない、とんでもない大きな問題がでてきたときは、「天はオレを大人物にしようってか!」と考える。問題は、天から与えられるもの。問題から逃げないこと。問題がでてくることを嫌ってはいけません。問題がでてこないことを願ってはいけません。悩みや問題がないことが、幸せではありません。問題を乗り越えることが人生です。問題がないのは、成長がないということ。これでもか、これでもかとやって、万策尽きたと思ったとき、それでももう1回問題にぶつかっていった時、あなたの潜在能力が目を覚ますのです。その問題を乗り越えるキッカケや力がついてくるのです。・・・・・・・・・・・・大きな問題にぶつかり、何度も何度も繰り返し、繰り返し、繰り返しやってもうどうにもならない状況になったときさらにもう一回「なにくそっ!」とトライできるかどうかで潜在能力がでてくるかどうかの分かれ道。実際にそんな場面にならないとどうなるかわからないものだけども、頭でわかっているだけでも違ってくるもの
2006年03月04日
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考え方ではなく、感じ方が人間を決定する。意味や価値を感じてこそ人生、燃えてこそ人生、燃えるのは感性です。愛も幸福も生きがいも考えるものではなく、すべて感じるもの、理屈を超えたものです。どんな豪邸に住んで裕福な暮らしをしていても満足できないで、「私はなんて不幸なのだろう」と思っていると、幸福ではありません。六畳一間に家族四人で住んでいても「私はなんて幸せなのだろう」と思えれば、幸せです。愛・幸せ・生きがいのように、「価値あるもの」は、すべて考えるものではなく、感じるものです。感じ方にこそ、その人の個性が表れます。感じ方が人間を決めるのです。人が成長するというのは、その感じ方が成長するということです。・・・・・・・・・・・芳村思風先生と行徳哲男先生の出会いのキッカケとなった言葉です。「考える=理性」と「感じる=感性」は、人間のなかで、対等の価値をもつ全く違った能力。人間には、60兆個の細胞が一つの命として、統合されている。感性は、人間が生まれてから死ぬまで一時の休みもなく働き続けている存在です。精神と肉体を根源的に統一しているのは感性です。「私」の意識を根底から支えているのは感性しかない。「私」という理屈抜きの意識は、理屈抜きの存在である感性によって支えられている。感受性とは、外部からの刺激によって反応を誘発される受動的能力。受動的でなく、積極的に感じ取る力、自分が生きて行くために必要な情報を自ら感じ取ろうとするのが感性の働きが、「求感性」である。求感しなければ感受できないのです。求感性とは、自分の心を本当に納得させてくれるものを求める力です。本当に納得させてくれるものとは、「真実」であり、「感動」です、
2006年03月03日
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「このためにだったら死んでもいい」と思えるものに出会ったとき、命は最も活かされ、最も輝くものです。「このためなら死んでもいい」「この人のためなら、命をかけても守る」、「この仕事になら、命をかけて取り組める」と思えるものと出会ったとき、命は最も激しく燃え上がり、最高に輝くのです。「この人のためになら死んでもいい」と思うくらい人を愛さなければ、本当の意味での愛のすばらしさを味わえない。相手からも「この人のためになら死んでもいい」と思ってもらえるような人間になるための努力をし続けることも大切です。仕事でも、「この仕事のためになら死んでもいい」と思うくらいでなければ、本当の意味での仕事の醍醐味を味わっていない。理屈を越えたものであり、命のそこから湧き上がってくるものです。理性で考えるものではありません。命には、命より大切なものがあるのです。・・・・・・・・・・・初めてこの講義を聴いたときは、意味がわかりませんでした。「命より大事なものがある」というのがピンとこなかったのです。家族のためなら、火の中にであっても何も考えず飛び込んでいくだろう。仕事のためにそれができるだろうか・・・今与えられた仕事や人間関係は、仮に自分のやりたい事でなくてもいろいろな縁が重なって与えられたものである。上司が嫌だから・・・好きな仕事じゃないから・・・と別のところに道を求めると、同じような問題が人と場所を変えてやってくる。今与えられたところで、必死になって取り組んだとき、新しい道も開けてくる。一所懸命にやっているかもしれないけど、必死にやっているか。
2006年03月02日
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真実の愛とは、考え方の違う人間と共に生きていく力です経験も考え方も生き方も習慣も違う人と、共に生きていく力が、本物の愛の実力です。 違いを理由に対立したり、説得するのではなく、相手の考え方のいいところを見つけ、取り込んでいく。そして、自分の考え方を成長させていく。違うからお互い成長できる。 大切なものは、相手に勝つ能力よりも、融合・統合する能力。統合とは、協力・共生。協力し、共に成長し、共に生きていくことに力を発揮できる人が、本物の愛の実力を持った人です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・真実の愛とは、他者と共に生きる力であり短所を許し補い 長所と関わる力である考え方の違う人から学んで、お互いに成長することが愛である。気の合う人とだけ付き合う、会わない人とは付き合わないというのは、愛ではない。価値観の違う人、文化の違う人、考え方の違う人とどうしたら一緒にやっていけるかを理性を使って考えることから、真実の愛が生まれる。これからの社員研修は、「価値観の統一」ではダメ。社長と同じ考え方の人間を作ることは、社長が楽するためだけである。社長は、考え方の違う人間、価値観の違う人間のよいところを引き出し、タイプの違ういろいろな人間をまとめていく包容力が必要となる。
2006年03月01日
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