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教育とは「やったぁ!」という喜びと感動を味あわせること 教育とは、今できないことをできるようにすることです。自らの力で「できた!」「わかった!」という喜びと感動を味あわせることがなによりも大切なのです。教えすぎてはいけません。「教」が、「育」を越えてはいけないのです。できないことにもぶつかっていく挑戦意欲を育てることが大切なのです。 どんな人間でも、原理的に「世界一になれる能力」があります。誰一人として同じ顔がないということがそれを証明しています。 子供は、大人を越えて、時代を進化させるために生まれてくるのです。子供は、大人に反抗しながら、自分の考えに目覚めていきます。「最近の若い者は…」と言う言葉は、進化した子供の考え方を理解できない大人の言葉です。知識教育や画一化された教育よりも、反抗しながら欲求の開発をしているのです。子供の反抗は、成長していることの証。反抗を恐れず、「そんな風に考えるようになったのか」と成長を認めて、受け止めること。自分で考え、苦しみの中で、「できた!」「やったぁ!」という喜びと感動が人間性を進化させるのです。感性論哲学・教育論「年代別教育論」講演録ですので、大変読みやすく出来ています。5時間の講演を1冊にまとめました。
2006年11月30日
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「したいことがわからない」ときは、今与えられている仕事を真剣に取り組むときです。「したいことがわからない」「もっと自分に向いていることがあるはずだ・・・」と思うときは、今自分に与えられていることに真剣に取り組むとき。今、自分に与えられている職業や人間関係は、偶然でなく、いろいろな縁が重なって与えられたものです。自分に与えられている仕事を放っておいて、「もっと自分に合っている仕事がどこか他にあるのでは・・・」と、別の道を探しても出会えません。まず、今やっていることに真剣に関わること。今やっていることの意味や価値・すばらしさを感じることができたとき、命は燃えて、輝きはじめるのです。そこから、新しい別の道が開けることがある。必死になって取り組んだとき、そこから新しい人間関係や縁や運が開けてくるのです。必死になってやりきったとき、今の仕事以外のところに新しい道が開けることもあります。
2006年11月29日
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愛とは、「どうしたらいいのだろう」と、より良い方法を探しながら、悩む心、考える心のこと。その揺れ動く心に愛がある。愛は、結論ではなく、心遣いです。「どうしたらよいのだろう」と問うのが感性であり、問い続けることが愛なのです。「こうしたらいい!」と答えるのは、理性。答えを持つことは大切。でもその答えに縛られないこと。縛られると対立する。理性に縛られると違いを受け入れられない。成長も止まる。「こうしたら喜んでもらえる」と思った瞬間、押し付けになる。受け入れられなかった時「こんなにしているのに…」となってしまう。どうしたら相手に喜んでもらえるか、努力している姿にこそ愛があるのです。人間を愛するということは、短所を含めて、不完全な存在を愛することです。愛は、結論ではありません。理性に縛られず、理性を手段能力として、「問い」続け、努力し続けること。相手のことを思い続ける心に「愛」があるのです。
2006年11月28日
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成長は、価値観や考え方・意見の違う人とつきあうことから、生まれるものです。同じ考え方・同じ意見・同じ価値観の人しか受け入れられない、仕事ができないのは、本当の愛ではありません。どんなに自分の意見や考え方が正しいと思っても、相手に押し付けたり、説得しようとしては、いけません。対立・戦争は、そこから始まります。人間は不完全だから、どんな意見や考え方も完全なものはありません。矛盾があって当然、矛盾があることが大切なのです。真理は、時代と共に変化します。真理はひとつではないのです。自分の意見・価値観・考え方を持つことは、大切なこと。それに縛られないことは、もっと大切なことなのです。意見の違う相手から学ぼうとすること。もっといい考え方・意見はないかと模索することから、成長が始まるのです。・・・・・・・・・・・・日本人には、日本人しか出来ない役割がある。世界の平和の盟主となること。日本には、世界の食卓がある。文化がある。音楽がある。宗教がある。違いを理由に戦うのではなく、受け入れ、更にそれを発展させる力を日本人は持っている。年末には、お寺で除夜の鐘、お正月には、神社に初詣、家には、神棚と仏壇、クリスマスにはクリスマスパーティ・・・世界中の宗教を受け入れ、融合する。節操がないのではない。目に見えないものを大切にするから。インドで始まった仏教は、中国で発展し、日本で集大成された。日本人には、異なったものを排除するのではなく、受け入れ、日本の風土に合うように融合・統合・発展させるの能力がある。違いを理由に殺しあう時代は終わった。違いを探すと争いになる。正しい・間違いで判断できない事もある。同じところを探すこと。まさにこれからは、日本の時代である
2006年11月27日
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どんなにいい考え方や意見でも、すべて受け入れる必要はありません。気に入った所・自分に合った所だけ取り入れ、成長すればいいんだよ。個性の時代。自分の考えは、個性として守ること。考え方も性格も欠点も変えなくてもいい。人間は不完全だから、考え方も性格も不完全だと知ること。違う考え方を否定するのではなく、その中の良いところを学び、自分の考え方に活かす。相手の考えをすべて受け入れるのではなく、ちょっとだけ学ぶ。すべてを受け入れると、自分がなくなってしまう。今、自分に必要なものだけ、納得できるものだけを、相手から学べばいいのです。それは、「変わる」のではなく、「成長する」ということ。相手から学ぼうとすることが、「愛」なのです。相手から学ぼうとすることが、「良い人間関係作り」の第1歩なのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・考え方・価値観の同じ人としか一緒に仕事が出来ない一緒に暮らせないという人が多い。全く同じという事はない。どこか違うところがあって当たり前。言葉がちがうから、生活様式が違うから、宗教が違うから、価値観が違うから・・・と違いを理由に排除しようとしたら、世界中から戦争はなくならない。性格の不一致なんて、あたりまえ。全く一致する事なんてない。どれだけ相手のことを尊敬できるか。相手からどれだけ学ぼうと努力するか。価値観の違う相手から、考え方の違う相手からいいところを学ぶことで、自分の考え方・価値観を成長させる。そのためには、まず「芯」となる自分の考え・価値観をしっかり持つことが大切。芯がなければ、ただのつぎはぎだらけのいいとこどりで、まとまりがなくなる。個性の時代といっても、人の役に立たないこと、人の迷惑になることは、自分勝手なただのわがままになる。思風先生は、感性論哲学についても同じだと話されています。「感性論哲学」も完璧ではありません。すべてを学ぶ必要はありません。いいなと思うところ、使えるところだけでいいのです。すべてを学ぼうとしたら、私と一緒になります。あなた自身の個性がなくなる。自分の芯をしっかりともって、感性論哲学の気に入ったところだけを取り入れたらいいんです」実践しなければ、勉強しても意味がありません。
2006年11月26日
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たすけてもらうことは、たすけることと同じくらい価値がある。短所は、他人の長所を活かし、輝かせる活人力になるのだよ。 短所の自覚が、人間らしい謙虚な心を作ります。短所をさらけだして「たすけてもらう」ことは、長所を活かして、「たすけてあげる」ことと同じくらい価値のあることなのです。 それは、人を輝かせる力・活人力なのです。助けてもらうときは、自分の短所を声に出す、さらけ出すことが必要です。「たすけてあげたい」と思われる人間になること。たすけてあげるときは、だまってたすけてあげること。たすけてあげる力をつけることも大切。誰とつき合うかで長所や短所は変わります。相手が気に入るところが長所であり、気に入らないところが短所。 長所も短所も固定されたものではありません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・短所を活かせば、活人力になる。こんなことは考えたこともなかった。短所や欠点は、隠すべきもの、なくさなければいけないものと思っていた。助けてあげたいと思われるような人間になること。助けてあげると時は、黙って助ける。恩に着せない。これもまた難しいかも知れないけど、心がけたい。
2006年11月25日
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真実の愛とは、短所を許し補い、長所と関わる力です。短所を許すことから、人間の愛が始まる。愛とは、許すこと。短所を許さなければ、人間は絶対に愛せません。人間を愛するとは、不完全な存在を愛すること。どんな人間にも長所が半分あり、短所も必ず半分はあります。自分にも短所はあるのです。人間を愛するということは、その人間の長所・短所すべてを愛するということ。お互い半分ずつ嫌な所を持っている。だからこそ、お互い許しあって、生きていかなければいけないのです。相手のために努力できるということが、「愛している」ということ。相手のために努力し続けることが、「愛がある」ということです。短所があることを認めて許すこと。その上でお互いの長所を見つける努力をし、ほめあうことで成長していく。愛とは、人間と人間を結びつける力。愛の目的は素晴らしい人間関係をたくさん作っていくことです。・・・・・・・・・・・・・・言葉が少し変わりました。以前は、「短所を許し、・・・」だったのですが、最近先生は「短所を許し補い、・・・」と話されています。許すだけでは、不十分、自分の長所で黙って補い、助けてあげること。短所は、他人を輝かせる力になる。「愛」とは努力すること。結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。相手も変わっているかもしれないが、自分も変わっている。結婚するまでは、見えなかったこともある。こんな人だと勝手に考えていたこともある。そのギャップに気づいただけのこと。「恋」している時には、あばたがえくぼに見える。結婚すると、あばたはあばたとして見えてくる。長く一緒にいると長所が見えなくなって、短所や欠点がクローズアップされてしまう。結婚は、恋の墓場で、愛の始まり。自分の欠点や短所は見えづらい。自分にも短所欠点があると自覚しなければ、他人の欠点短所が許せない。人間は不完全である。だから「愛」とは許すことからはじまる。そして、お互いに自分の長所で、補い合うこと。短所を指摘しない。助ける時は、だまって助けてあげる。他でも紹介したかもしれませんが、「先生には、短所があるんですか?」と質問したところ思風先生は、こう答えられました。「1週間一緒に住んでみればわかりますよ」11月25日(土)14:00~思風塾全国大会広島東急インにて開催されます。どなたでも参加いただけます!岡部明美先生は、ご都合により急遽ご参加できなくなりました。
2006年11月24日
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短所や欠点は、なくさなくてもいいんだよ!「臆病」ということは、「慎重・堅実」でもあるのです。人間は、不完全です。どんな人間でも長所半分・短所半分なのです。欠点・短所は、なくなりません。長所ばかりの人、短所ばかりの人はいません。『私は気が弱い』・・・いつもどんな時でもそうですか?自分では、短所と思っていることでも、相手や場所・状況や見方によっては、長所になることだってあるのです。光には影、表と裏、善と悪・・・どんなものもバランスです。短所はなくならないし、なくす努力をしてはいけません。する必要はありません。短所があって当然。短所があるから謙虚になれるのです。長所をとことん伸ばせば、短所は愛嬌になり、人間味にもなるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「自分の長所はどんなところですか?」就職の面接などでは、必ず聞かれる質問。面接の時以外は、あまり考えないことも多いのでは・・・。あるセミナーの講師が話していたことを思い出した。「私は、自分のいいところも妻のいいところも200言えます」ノートに書き出してみた。自分の長所は、20。それもちょっと「?」がつくところも入れて。妻の長所は、30。(時間が相当かかった・・・)とても200までは・・・・それだけ、人の長所を見つける目がないのか。悪いところは、すぐに出てくる。それだけ自分も含めて、人の短所は気がつきやすいもの。気がつきやすいから、なくしたいと思う。自分を変えたいと思う。欠点ばかりだと思うと、今の自分がイヤになる。嫌いになる。ちょっと見方を変えてみること。その欠点は、いつもそうか?どんな状況でもそうか?誰といる時でもそうか?それと違う行動したことなかったか?と考えると、意外にも「自分で思い込んでいること」も多い。短所があることを自覚することで、謙虚になれる。「人間は不完全」ということを自覚すること。「短所があってはいけない」と思うことは、人間に完全を求めている。短所が無くなれば、人間ではなくなる。神さまになってしまう。「人間らしさ」は、短所が作る。短所が謙虚な人間らしい心を作る。11月25日(土)14:00~思風塾全国大会広島東急インにて開催されます。どなたでも参加いただけます!
2006年11月23日
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問題が、起きてくるのは、向上心のバロメーターです。動けば動くほど、問題はでてきます。よりよく生きよう、成長したいという欲求の強い人ほど問題は次々とやってきます。乗り越えられないのは、「今までのやり方では・・・」「今の能力では・・・」ということ。問題に気がつくのは、現実への異和感を感じるから。異和感を感じるのは、そこに自分の能力を発揮する場所があるということ。「何も問題がない」というのは、問題を感じる感性が鈍っているか、行動していないかのどちらかです。問題がないのは、変化・成長がないということと同じです。「何か違う」「ちょっとおかしい」そう感じたときが、成長するチャンスなのです。問題があって当然。必ず乗り越えられる!・・・・・・・「欲求」は、なくす必要はない。欲求・欲望・欲は、なくしてはならない。欲求・欲望が、歴史を作り、科学を発展させてきた。より良い衣生活がしたい。より安全にするには・・・より人の役に立つには・・・その思いから、科学や技術は発展する。欲求は、命のそこから沸きあがってくるもの。押さえる必要はない。ただし、基準をお金や物におくと、際限がない。「もっともっと・・・」となってしまう。また、自分勝手な欲求も同じ。ポイントは、「人の役に立つかどうか」人の役に立たないのは、単なる身勝手。問題に突き当たるのは、もっと良くしたいという気持ちが強いから、問題に対するアンテナがはりめぐらされている状態。向上心の表れ。11月25日(土)14:00~思風塾全国大会広島東急インにて開催されます。どなたでも参加いただけます!
2006年11月22日
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「誰も私のことをわかってくれない」「愛してくれない」って、思っていませんか。でもそれは、「自分が思っているようには・・」ということじゃないかな。人間の本質は理性ではなく、心です。どんな人間でも自分の心を満たしてくれるものを求めています。人は、誰もがみんな「認めてもらいたい」「わかってもらいたい」「ほめてもらいたい」「愛されたい」と思っています。「心が欲しい」のです。誰もが皆、満たされない、孤独な気持ちを持っているのです。自分だけが辛いのではありません。誰も「自分が思っているようには」認めてくれないし、わかってくれないし、愛してくれません。よく見たれたい、ほめられたいと、いつも人からの評価を気にしていませんか?人の評価ではなく自分自身が、まず自分を認めることから、すべては始まります。自分にも短所はあるのだから、人にも短所があって当たり前。そう思えたとき「長所も短所も含めて、人を受け入れることができる」ものです。人を受け入れることができたとき、他人も自分を受け入れてくれるものです。どれだけ相手のことを認め、愛し、肯定し、許すことができるか。人は、自分のことを、自分の心をわかってくれたと思えたとき、素晴らしい人間関係が作られていきます。・・・・・・・・・・・・・『人には優しく・・・』このあとに続くのは、大抵『自分に厳しく』。友人の歌の歌詞の中にこんなフレーズがある。『人にはやさしく、自分にはもっとやさしく』初めて聞いた時、涙がでた。自分には、厳しくだと思ってやってきていた。自分に厳しくしていると、同じように人にも厳しい自分になっている。子供に対してもそうだった。じゃあ、「自分にやさしく」ってどうすること・・・?その答えは、人それぞれ違う。自分の答えが、すべての人にっとって正解になるとは限らない。自分の長所と短所をどれだけ書き出せるか?だれでも、短所はいっぱいでてくる。では、長所は?
2006年11月21日
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命の痛みを伴った苦しみ・悩みの体験は、自らの命を成長させ、磨き上げ、人間として本物の強さが生まれる。問題から逃げていると、場所や状況や登場人物を変えて同じような問題が次々と起こってきます。今あるものを壊さなければ、そこに新しいものは作れません。持っている物を手放すことは辛くて苦しいことです。しかし手放さなければ、新しいものは、持てません。命の痛みから逃げないこと。苦しみから逃げないこと。逃げずに立ち向かっていけば、必ず乗り越えられる。10年前何を悩んでいたか、どんな問題があったか。今でも同じ問題で悩んでいるか。問題が人間を成長させてくれるのです。命の痛みの経験が、本物の人間として成長させてくれるものです。・・・・・・・・・・・・・・『人生の扉は、観音開きの手動ドア。両手で、手前に開けなければいけない。』自動ドアではないから、いつまで待っていても開かない。自分で開けなければ、開かない。内側にしか取っ手(ノブ)はついていない。外からは開けることが出来ない。自分で開けなければ、他人は開けてくれない。両手に荷物を持っていると、扉は開けない。扉を開けるためには、まず両手に持ったものを捨てなければいけない。捨てるためには、勇気もいるし、痛みも伴う。持っていたものを捨てた時、新しい人生の扉が開く。扉を開くと、人生のステージが変わる。ステージが変わると、出会いが変わる。それまでの出会いが悪いということではなく、それまでの世界と違った世界の人たちとの出会うことができる。
2006年11月20日
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繰り返し、繰り返し、繰り返してやってみる。成功者とは、結果がでるまであきらめない人のこと。繰り返し、繰り返し、繰り返して、「万策尽きた」「これ以上できることはない」というところまでやる。それでもあきらめず結果が出るまで挑戦する。失敗は、その問題を乗り越える必要な能力とは何かということを教えてくれる。理性で考えると「これ以上やってもムダ」となる。万策尽きたと思ったときでも、「なにくそ!」と思えるかどうか。理屈ではない。何度失敗しても、あきらめずにトライし続けたとき、潜在能力がめざめて、自分流のやり方を見つけられるのです。個性は、この時自然と作られていくのです。真剣に取り組めば取り組むほど、現実への異和感が生まれてくる。問題が出てくる。異和感とは、自分の持っている能力が、今あるものより優れていることを表している。簡単に結果がでることが、いつも良いことではありません。・・・・・・成功するまであきらめないこと。七転八起ではなく、七転八倒の心構えで、8回目も立ち上がるぞというくらいの気持ちが必要である。あきらめなければ、夢は必ず叶う。失敗しても、失敗しても、失敗しても「なにくそ!」って思えるかどうか。「これでいいのか」と思えるかどうか。芳村思風先生は、そんな時自分自身に言うそうです。「逃げたらあかん!」たとえ、うまくいかなくてもそれが今のベストの結果。失敗はない、すべて経験。繰り返し、繰り返し、繰り返す。自転車もだんだん乗れるようになるのではなく、こけても、こけても、練習しているとある日いきなり乗れるようになる。まだまだこれから!今日から、芳村思風先生と岡部明美さんの「I WILL フォーラム」で、3日間、長野県の女神山。次回第3期は、平成19年 2月16日~18日・3月9日~11日
2006年11月19日
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「仕事」とは、人に喜んでもらえるような「能力と人間性」を作るためにあるのです。人間は、本業を通してしか成長することができない。座禅・瞑想は、仕事や問題を乗り越える精神力を成長させてくれる。本物の人間となるためには、本業を通して、経験・体験を積み重ね成長していくしかない。人間が本物になるためには、善も悪も体験しなければいけません。人間とはこんなに恐ろしいものなのか、こんなに醜いのか、そしてこんなに素晴らしいものなのかと肌で感じること。そこから人に喜んでもらえるような能力と人間性が磨かれるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・「悪」の体験とは、「失敗」のこと。失敗も体験・経験として受け取る。失敗した人にしかわからない心情もある。体験した人にしか語れないこともある。人に喜んでもらえるかどうかも大きなポイントになる。自分だけよければいいというのでは、人間性は磨かれない。物事には、すべて表と裏がある。表だけしか知らない、失敗した事のない人には失敗した人の気持ちはわからない。どんな有能な人でも「成功」ばかり続くこともない。転んだとき、何をつかんで立ち上がるか。人生に失敗は無い。すべて経験だから。11月25日(土)14:00~思風塾全国大会広島東急インにて開催されます。どなたでも参加いただけます!
2006年11月18日
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意志の強さとは、理性の力ではなく、欲求・欲望・興味・関心・好奇心の強さです。命から湧いてくる欲求が強ければ強いほど、理性が働き、実現の方向へと進んでいきます。理性だけでは、意志の強さは生まれません。食事も忘れ、寝るのも忘れるほど打ち込むことは、理性で考えてもできません。「感受性」よりも「求感性」。求めなければ入ってきません。受身ではないのです。求感性とは、自分が生きるために必要な情報を積極的に求めて感じ取ろうとする力です。命から湧いてくる欲望・欲求・興味・関心・好奇心のことです。欲求・欲望こそが生きる力になります。欲を捨てる必要はありませんし、なくなりません。与えられたもの、持っているものに感謝する。その上で、理性を手段にして、物欲を人間的な品格のあるものにする。理性を使わず、欲望のままに動くのは野獣。理性を手段能力として、使うことが大切です。興味も関心も好奇心も欲求も欲望も、みんな命の底から湧いてくるもの。意志の強さは、理屈を超えたところから生まれてくる。強い意志があれば、自分が納得できる人生を歩むことができるのです。・・・・・・・・・・・・意志の強さは、何事もやり遂げる理性の力だと思っていた。やり遂げるためには、心の底から湧いてくるものが必要。ワクワク・ドキドキがなければ楽しくない。この言葉を聞いて納得した。意志の強さに関係して、おもしろい話を聞いた。リンリンたけちゃんのDVDの中でのお話。「自分との戦いではない。自分との約束。」戦えば勝った負けたになる。意志の強さとは、自分と戦うというより自分との約束を守れるかどうかではないだろうか。●意志と意思思っているだけではまだまだ。志にしなければならない。感性論哲学は、「意志」という字を使います。●「人生は、意志と愛のドラマ。意志なき愛は、人間を堕落させる。愛なき意志は、人を傷つけずにはその目的を達成することが出来ない」意志だけでもだめ、愛の力だけでもだめ。●「求感性」という言葉は、芳村思風先生の造語です。「感受性」は、受け取る能力。受身。「求感性」は、自分から求めて感じ取る能力。「何かおかしい」「どこか変」という異和感から「問い」を発する能力。「異和感」も同じく芳村思風先生の造語。「違」は、否定になる。正解・間違いになる。「異」・・・異なるだけで、間違いではない。辞書では、「違和感」。
2006年11月17日
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やってみて好きかどうか。やってみて興味関心が湧いてくるかどうか。やってみて得手得意と思えるかどうか。やってみて他人よりうまくできるかどうか。真剣にやってみたら、問題意識が持てるかどうか。自分自身の才能・天分は、理性で考えてもわかりません。好きだからこそ、寝食を忘れて取り組める。興味関心が湧いてくるから、失敗してもあきらめない。得意と思えるからおもしろい。他人よりうまくできるから自信がもてる。真剣に取り組むから、いろいろな工夫もわいてくる。自分を活かすための天分を見つける方法は、まず肉体を使うこと。天分のツボにはまった人生ほど楽しいことはありません。5項目すべてが当てはまる必要はありません。当てはまる項目が多ければ多いほど、天分のツボにはまっているということです・・・・・・・・天分かどうかは、頭で考えてもわからない。理性で考えると、「損か得か」「楽か辛いか」の基準が入ってくる。心の底から湧いてくるものであること。湧いてきたことを肉体を使ってやってみること。感性と肉体を使う。そのうえで、理性を使って工夫改善し、自分なりのものを作り出すことができるか。好きだけでは趣味の域をでない。人の役に立てるかどうかがポイントになる。その道に天分が無かったとしても、真剣にやっていると自然とそこから道が出来てくる。人や出来事との出会いができる。誰かが、キッカケを作ってくれたりする。感性論哲学は、実践哲学!哲学は、考えるだけの学問ではない。学んでも実践できなければ意味が無い。
2006年11月16日
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「正しいか間違いか」「損か得か」も大切だけど、「好きかどうか」「楽しいかどうか」の判断基準も大切です。理性で考えると、「正しいか間違いか」「損か得か」「儲かるか儲からないか」「善か悪か」で判断してしまう。理性的な判断基準ばかりでは、かたよりができる。理性ではなく、肉体と感性を使うこと。理性的な判断だけで物事を裁いてはいけません。「好きか嫌いか」「いい感じか悪いか感じか」「楽しいかどうか」などの感性の持つ判断基準・能力を使うことも大切なのです。その上で、創造力を使うこと。心地よくないものも受け入れて、心地よいものに変えていく力が創造力なのです。・・・・・・・・・・・・解っていてもできないこと損か得かで動いていることが多い。儲かるか儲からないかで決めている。利益は大切。それがなければ続かない。物やお金を追求していくと限りがない。「もっと、もっと」になってしまう。自分の好きなことをやりながら生きること。人生を楽しむこと。そんなことが簡単に出来るなら、誰も悩むことはない。何のために生まれてきたのか。お金も大事だけど、それよりも大切なこと。会社のためではなく、自分のために生きること。●11/25 思風塾全国大会塾広島大会 思風塾に参加されていない方も歓迎です。行徳哲男先生・岡部明美さんがゲスト。この機会にぜひ芳村思風先生のお話を一度聴いてみませんか。
2006年11月15日
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。答えを持つことは大切なことです。答えがなければ前に進めません。答えに縛られ、問いがないとき、成長は止まります。大切なことは、「問う力」「問い続ける力」です。「感性」が問い、「理性」で答える。答えに縛られると、違う答えを排除しようとする。対立が生まれる。説得しようとする。問いや問題は、与えられるものではありません。自らが感じ取れるものです。感性が問題を感じなければ、理性は働きません。常に答えを持ちながら、「これでいいのか?」と問い続けることが大切なのです。「人生の3つの問い」を問い続けること。「いかに在る(ある)べきか」「いかに為す(なす)べきか」「いかに成る(ある)べきか」人間として、男(女)として、父親(母親)として、経営者として・・・・・・・・・・・・・・・・・・一度答えを持つとなかなかそこから抜けられない。自分の考え方・答えが一番だと思ってしまう。自分に自信があればあるほど抜けられない。人の意見のいい所がわかっていても受け入れられないもことある。自分の芯・自分の考えをしっかりと持つこと。しかしそれも完璧ではないことを自覚すること。自分の芯・信念をしっかり持ったうえで、他人の考え・意見のいいところを取り込みながら自分の考えを固定せずに、進化発展させていく。会社の理念も「問い」の形にすると、固定されない。変化に対応する理念ができる。社長は答をもち、社員にそれを伝える。それに社員個人個人が立場に応じた自分の答を持つこと。状況にあわせて、答を進化発展させていく事が可能になる。「感性論哲学も完璧ではない。まだまだ進化発展の途中です」(芳村思風)
2006年11月14日
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人生は、「決断」と「体験」の積み重ね。「失敗」なんてありません。すべて「経験」なんだから。決断で大事なのは、選らばなかったもののすべての可能性を捨て去ることです。断ち切ることです。捨てる勇気を持つことです。「この道しかない」「この人しかいない」と信じること。自分のもてる能力・知識・経験をすべて使って選ぶ道を決める。そして、その「決断にかける」。他の道を断ち切ること。決断に失敗はない。最高の道を選んだ、最高の決断をしたと信じること。過去や今を否定しては、未来は語れません。どんな苦しいことも、辛いことも成長していくために必要なことだったのです。体験しなければ、真実は語れません。病気にならなければ、病気の人の本当の気持ちを理解することができません。離婚したことのない人に、離婚の苦しさはわかりません。病気や離婚は、しない方がいいが、もしそうなったとしても、それを経験・体験として、活かすことができる時が必ず来るのです。失敗ではありません、すべて体験です。だから人生に失敗の人生はありません。人生は、成長の連続なのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・決めても、断てないことが多い。あぁ~やっぱり間違いだったか・・・未来も過去も変えられる?未来は、もちろんそうだけれども、過去も?あんな事があったから・・・こっちの道を選んだから・・・と思っている時は、過去は、嫌な思い出でしかない。あんな事があったからこそ、今の自分があるんだ。あの時苦しんだからこそ・・・と思えたとき、過去は失敗でなく、経験になる。今を懸命に生きること。『あんなこともあったね』と笑って言える日がきっと来る!似たような歌詞が、中島みゆきの歌にも・・・
2006年11月13日
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人生は、どの道を選ぶかでは決まりません。選んだ道からでてくる問題を乗り越え続けられるかで決まります。多くの人は、問題がでてくると、「選んだ道が間違っていた」と考えてしまいます。これは、理性で考えているから。問題がない道が正しい道ではありません。人間は、不完全です。問題や悩みのない人生はありません。どの道を選んでも、問題は必ず起こってきます。大切なのは、必ず乗り越えられると信じて、でてきた問題から逃げないこと。問題がないことを願ってはいけません。決断からでてくる問題を乗り越える続ける努力をするかどうかできまります。問題がないのは、感じていないだけ。苦しみ・悩みは、人生を楽しませるためにでてくるのです。・・・・・・・・「決断」とは、道をきめることだけではない。選ばなかった道への未練を断ち切ること。やっぱりあっちの道を選べばよかった・・・と考えているのでは、決めたけど、断ち切れていない。問題や壁がやってくるとどうしても「選択を失敗した」と考えていまう。苦労して就職した会社でもしばらくすると「こんなはずじゃなかった」「思っていたのと違う・・・」「自分のやりたい仕事ではない」「こんな上司では仕事ができない」といろいろな問題や悩みが出てくる。そんなときどうしても、「あっちの会社の方がよかったのかも・・・」「別の仕事の方が自分にあってるのかも・・・」と考えて、仕事や会社を変わっても人と状況を変えて同じことがおこってくる。人生は、選択の繰り返し。選んだ道に間違いはない。失敗もない。経験として捉えられるかどうか。選んだ会社や仕事や人間は、「縁」があって自分のところにきたもの。一度決めたからには、必死になって取り組んでみる。そこから新しい道も生まれてくる。
2006年11月12日
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人生は「意志と愛」のドラマです。「意志」とは、「自己保存の欲求」であり、仕事において成功すること。「愛」とは、「種族保存の欲求」であり、人間と人間の係わり合い、人間と人間つなぐものすべてです。すばらしい人間関係をたくさん作ること。私たちは、時代を一歩進めるために生まれてきています。意志と愛のバランスで人生を作っていくのです。自分らしく生きるための努力をし、家族を守る努力をする。意志なき愛は、人間を堕落させる。愛なき意志は人を傷つけることなしには、その目的を達成することはできません。愛とは、他者中心的な心情であり、愛は人の役に立つことを喜びとする感情です。職業・仕事は、愛の実践なのです・・・・・・・ちょっとタイトルの言葉と違うけどこんな話を思い出した。「自分ののやりたいことがわからない」「今の仕事は、自分に合わない」「もっと自分に合う仕事があるはずだ・・・」そう思っているとき、自分の気持ちは外に向っている。「どうすれば今やっている仕事をやりたい仕事に変えられるのか」を先ず考えなさい。そう言われたのは、イエローハットの鍵山さんだった。「私は、ただ掃除をすれば、会社が発展するとは思っていません。掃除をしていたら、結果的に会社が発展していたのです。働いている人が気持ちよく働けるようにしたい。お客様が気持ちよく買い物をしていたらけるようにしたい。誰もが使うところで、一番きれいではないところ一番嫌がることを自分がやること。素手でやるのは、より問題に近づくため。真剣にやったら、いろいろ工夫できるようになった。トイレ掃除ではなく、トイレ磨きなんです。「心を磨く」とはなにか?心は、目に見えないもの。目に見えないものを磨くには、どうするか?目の前にある、人が一番嫌がるものを磨くこと。嫌がるものとは何か?トイレ。誰もが毎日必ず使うけど、誰もが嫌がること汚れたトイレ掃除。ここからトイレ掃除・トイレ磨きが始まったそうだ。社会が悪い、会社が悪い・・・と理由を他人のせいにしても自分自身は、何も変わらない。私一人ぐらいやっても、全体的には変わらないではなく、私一人だけでも・・・と思えるかどうか。今やっていることに真剣に取り組めばいろいろな事が見えくる
2006年11月11日
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人間は、不完全な存在。どんな人でも「長所半分、短所半分」どんな人間でも長所と短所が必ず半分ずつある不完全な存在です。短所がない人はいません。どんな人間でも長くつき合えば、必ず気に入らない所が半分でてきます。光には影・善には悪、表には裏・・・というように、どんなことでもふたつの側面があります。宇宙は、バランスでなりたっています。どんな人にも嫌な所や短所が必ずあります。自分にも短所・欠点があると認めることで、謙虚になれる。他人にも短所・欠点があるのを認めて、許すことが大切なのです。長所が突出すれば、短所は人間味・愛嬌になります。短所をなくそうとせず、長所を徹底的に伸ばすこと。そのうえで、相手の長所を見つける努力をすること。その長所をほめること。短所を責めない。短所を許すこと、お互いに許しあうこと。・・・・・・・・・・・思風先生と接していると、長所ばかりのように見える。まさに言行一致。知行合一。思風先生ほど、謙虚な人はいない。誰に対しても同じ態度で接する。毎日起こる出来事も同じ。問題があるから、乗り越えた時の喜びがある。問題がなければ、喜びもない。「先生には、長所ばかりで、短所はないのでは・・・」と聞いた。「1週間、一緒に暮らしてみたらわかりますよ」ちょっとと違うけど、薬師寺の大谷徹奘さんも同じことをおっしゃっていた。「人間って不完全なものです。50対50ではぶつかります。一緒に暮らすときは、お互い25%ずつで、残りのお互いの25%ずつのところで調整していくことでうまくいくんです。」人にはやさしく、自分にはもっとやさしく
2006年11月10日
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常識「で」考えるのではなく、常識「を」考えよう!理性の時代から、感性の時代に変わろうとしています。理性で考えると「真理はひとつ・真理は不変」になる。真理にとらわれると、常識の枠からでることができない。真理は時代と共に変化するもの。非常識なことが、大きな進化・発展につながることがある。常識で考えていたら、できないことでも、そこに異和感を感じた時、それが新しい時代を創るキッカケになる。常識を超え、命の底から湧いてくるものの中から、時代を進めるキーワードが見えてくる。明治維新の英雄も、江戸幕府の人間から見れば、体制に対する反逆者だった。何かおかしい・・・そんな異和感が時代を変える。「千古の教場を去るべきとき」が来ている。古い教え・常識は大切なもの。古いものから学びながらも、これを1歩でも越える勇気と冒険心を持ち、努力をしていくことが大切なのです。常識を考えることから、新しい時代が始まるのです。異和感・・・芳村思風先生の造語。 辞書では、違和感。 違うのではなく、異なっているだけ。 違いを理由に、相手を説得しようとする、戦いが起こる。 相手を否定しない。違いを認め、受け入れるため「異なる」 という字をつかう。
2006年11月09日
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この命、なんのために使うか。使命とは、この命の使いどころ。使命は、苦難と共にやってくる。苦しみ・悩み・苦難は、潜在能力を引き出すためにでてくる。使命がどこにあるかを教えてくれる。追いつめられた状況になっても、それでもなお必死に取り組んだとき、はじめて潜在能力が目をさます。使命とは、理性では考えることができないもの、人から教えられるものではない、命の底から湧いてくるもの。「このためになら死んでもいい」という想いで、どういう生き方をするか、何をするかということを自ら考えていくところに人間的な生き方の基本がある。理性で考えた目的・目標は、決して人間の命に真の喜びは与えません。理性で作った目的を実現しようとした瞬間からその目的や結果に囚われてしまう。自分の頭で作ったものに、自分が縛られ、支配されてしまいます。自分の内側からあふれてくる想いこそが真実の欲求・願いなのです.・・・・・・・・自分の使命とは何か?まだ「これだ」というものはつかめている人は少ない。私自身の使命とは何か。「感性論哲学と芳村思風先生」をひとりでも多くの人に知っていただくこと。自分が落ち込んで、迷っていたとき再び歩き出すキッカケをいただいた。同じように迷っている人苦しんでいる人ひとりでも私と同じ気持ちになっていただけるかも知れない。感性論哲学と芳村思風先生の事を私なりの方法で伝えていくこと。そのひとつが、日めくり。絵と言葉で、わかりやすい「感性論哲学の入門書」を作ること。「感性論哲学」や「哲学」という言葉を使わず、感性論哲学と芳村思風先生のことを伝えること。哲学に興味がない人哲学は難しいと思っている人哲学は、仕事や経営に関係ないと思っている人哲学なんて知らなくても日常生活に支障ないと思っている人先生の言葉から、「感性論哲学」を知っていただけたら・・・私自身が「哲学なんて、人生に関係ない」「哲学はむずしい」「仕事には関係ない」と思っていたから。今でもいろいろな問題があるし、不安いっぱいだし、迷うことばかり。そんなとき先生の言葉が浮かんでくる。まだまだこれから・・・。
2006年11月08日
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変わらなくてもいいんだよ、成長すればいいんだから。性格や短所・欠点は、なくならない。ムリに性格を変えなくてもいいし、変わらない。変わる必要はない。短所をなくさなくてもいいし、なくならない。自分にも短所があることを自覚し、短所があまりでてこないように努力をする。この努力が、相手に対する愛。変わらなくてもいい、変えなくてもいい、少しずつ成長していけばいい。「変わろう」という気持ちが強いとストレスになる。変わらなくてもいい、成長すればいいんだから。・・・・・・・・・・・・日めくり作成のキッカケとなった言葉です。「変わりたい」「こんな自分に成りたい」「変わらなきゃいけない」そういう思いでいっぱいでした。でもなかなか自分を変える事ができないでいました。この言葉を聞いた時、「あっ、そうなんだ。変わらなくてもいいんだ!」重荷が降りた感じがしました。「変わらなければいけない」という気持ちの裏には、「今の自分が嫌い」「今の自分ではダメ」・・・そんな気持ちがありました。自分自身を否定していた。認めていなかったのです。今の自分を認めることからすべて始まる。嫌なところもいっぱいある。でもいいところもいっぱいある。・・・はず人を愛するには、まず自分を好きになることから始まるのかもしれない・・・自分自身を好きになるには、自分の長所を知ること。自信を持つこと。短所も半分あるけど、長所も半分ある!どんな立派な人にも短所が半分ある。短所はなくならない。無くす努力はムダ!少しでも出さないようにする。長所をとことん伸ばせば、短所は愛嬌になる。
2006年11月07日
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命の痛みを伴うような出来事・経験は、そこに自分のやるべきこと、使命があるということを教えてくれています。自分に起こることは、すべて自分が成長するために、必要なことなのです。乗り越えられない問題はない。今ここを真剣に生きることで、未来だけでなく、過去も変わってしまう。「あんなことがあったから、こんな風になってしまった」ではなく、「あんなことがあったからこそ、今こうなれた」と思える日が必ず来る。子供のころの嫌な想い出、失敗、病気・・・その出来事・経験に感謝できるようになる。後になって、苦しかったことが、人生の転機になったと気づくことができるのです。今を真剣に生きれば、過去も未来も変えられるのです。自分が人生で経験した困難・苦難の体験こそ、その人にしかできない使命を教えてくれる現象です。それをトラウマとして捉えている限り、自分の人生の目的はわからないのです。・・・・・・・・・芳村思風先生と初対面の時、この言葉をいただいた。言葉を見た瞬間、涙があふれた。「使命とは、この命の使いどころ」人生の使命なんて、それまで考えることがなかった。壁にぶち当たっていた時だからこそ、この言葉が響いてきたのだと思う。苦労と思わないこと。「成功するためには、苦労しなければいけない」と思っていると苦労や問題がやってくる。自分が思っている通りになる。楽しむこと。そこに自分の天分素質があるなら、時間も忘れ、食事も忘れるほど、打ち込める。そんな時は、苦労とも、問題とも思っていないはず。一所懸命にやっているけど、必死にやっているか。必死にやったとき、道は開けてくるもの。未来だけでなく、過去も変えられるもの。
2006年11月06日
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逃げたらあかん!人生は、七転び八起きではなく、七転八倒の心構えでいこう!7回失敗して、8回目は、何とかなるかも・・・ではなく、8回目もぶっ倒れる覚悟ができているかどうか。何度ぶっ倒れても、あきらめない覚悟ができているかどうか。あきらめない限り失敗ではない。あきらめない限り失敗は、経験になる。「のた打ち回って生きていくことに人生の醍醐味がある」と、思えたときもうそれ以上落ちようがない。あとは這い上がっていくしかない。この覚悟ができたとき、眠っていた潜在能力が目覚める。潜在している天分を見つけ、引き出すためには、限界への挑戦をし続けること。そして自らの命の痛みを伴った体験・経験の積み重ねは、人間性の厚み・深さ・広さを作り、本物の人間を作るのです。ポイントは、「最高の道を選んだんだ。そこに出てくる問題は、どんな問題でも乗り越えられる」という信念を持つこと。「逃げたらあかん!」が、合言葉です。・・・・・・・・・・・・・・・・芳村思風先生は、大きな出来事があったとき、行き詰まったとき、迷ったとき自分に問い掛けるそうです。「逃げるのか?」「それでいいのか?」移動中の電車の中、夜一人のとき、何度も何度もそう問い掛けるのだそうです。とことんやってみて、それでもうまくいかない。必死でやってみて、それでもうまくいかない。中途半端なときは、何も湧いてこない。他人の立場に立って自分を見る。他人事としてみれば、「どうしてそんな事で悩むの?」と言える。やってもやってもうまくいかない、思うようにならない。「死んだ方が楽かも・・・」そんなことも、他人の目で見たら、「死ぬ気になれば、なんでもできるよ」と言える。でもなかなか出来る事ではない。苦しんで苦しんでもうどうにもならない、それでも何とかしたいと思い、行動したとき、「潜在能力」が目覚める。信じることが出来るかどうか。信じて、「逃げたらあかん!」と自分に言えるかどうか!経験のない人には、真実は語れない。真実のみが、人を感動させる。必死になってやっていると、気が付いたら、いつの間にか問題は解決の方向に進んでいることもある。この経験・体験が本物の人間を作っていく。
2006年11月05日
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問題は、あなたを苦しめるためではなく、あなたを成長 させるためにあるのです。どの道を選んでも、問題のない道はありません。問題が大きければ大きいほど、乗り越えたとき、大きな力となります。問題がないことが問題なのです。予想もできない、とんでもない大きな問題がでてきたときは、「天はオレを大人物にしようってか!」と考える。問題は、天から与えられるもの。問題から逃げないこと。問題がでてくることを嫌ってはいけません。問題がでてこないことを願ってはいけません。悩みや問題がないことが、幸せではありません。問題を乗り越えることが人生です。問題がないのは、成長がないということ。これでもか、これでもかとやって、万策尽きたと思ったとき、それでももう1回問題にぶつかっていった時、あなたの潜在能力が目を覚ますのです。その問題を乗り越えるキッカケや力がついてくるのです。・・・・・・・・・・・・大きな問題にぶつかり、何度も何度も繰り返し、繰り返し、繰り返しやってもうどうにもならない状況になったときさらにもう一回「なにくそっ!」とトライできるかどうかが潜在能力がでてくるかどうかの分かれ道。実際にそんな場面にならないとどうなるかわからないものだけども、頭でわかっているだけでも違ってくるもの。問題が出てきたから、選んだ道・決断が間違っていたのではない。別の道・他の方法を選択すればよかった・・・という思いが、問題へ立ち向かう気力を衰えさせる。自分が選んだ道が最高の選択だ!と自信を持つこと。大切なことは、選んだ道から出てくる問題を乗り越え続けること。
2006年11月04日
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考え方ではなく、感じ方が人間を決定する。意味や価値を感じてこそ人生、燃えてこそ人生、燃えるのは感性です。愛も幸福も生きがいも考えるものではなく、すべて感じるもの、理屈を超えたものです。どんな豪邸に住んで裕福な暮らしをしていても満足できないで、「私はなんて不幸なのだろう」と思っていると、幸福ではありません。六畳一間に家族四人で住んでいても「私はなんて幸せなのだろう」と思えれば、幸せです。愛・幸せ・生きがいのように、「価値あるもの」は、すべて考えるものではなく、感じるものです。感じ方にこそ、その人の個性が表れます。感じ方が人間を決めるのです。人が成長するというのは、その感じ方が成長するということです。・・・・・・・・・・・芳村思風先生と行徳哲男先生の出会いのキッカケとなった言葉です。「考える=理性」と「感じる=感性」は、人間のなかで、対等の価値をもつ全く違った能力。人間には、60兆個の細胞が一つの命として、感性が統合している。感性は、人間が生まれてから死ぬまで一時の休みもなく働き続けている存在です。精神と肉体を根源的に統一しているのは感性です。「私」の意識を根底から支えているのは感性しかない。「私」という理屈抜きの意識は、理屈抜きの存在である感性によって支えられている。感受性とは、外部からの刺激によって反応を誘発される受動的能力。受動的でなく、積極的に感じ取る力、自分が生きて行くために必要な情報を自ら感じ取ろうとするのが感性の働きが、「求感性」である。求感しなければ感受できないのです。求感性とは、自分の心を本当に納得させてくれるものを求める力です。本当に納得させてくれるものとは、「真実」であり、「感動」です、
2006年11月03日
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「このためにだったら死んでもいい」と思えるものに出会ったとき、命は最も活かされ、最も輝くものです。「このためなら死んでもいい」「この人のためなら、命をかけても守る」、「この仕事になら、命をかけて取り組める」と思えるものと出会ったとき、命は最も激しく燃え上がり、最高に輝くのです。「この人のためになら死んでもいい」と思うくらい人を愛さなければ、本当の意味での愛のすばらしさを味わえない。相手からも「この人のためになら死んでもいい」と思ってもらえるような人間になるための努力をし続けることも大切です。仕事でも、「この仕事のためになら死んでもいい」と思うくらいでなければ、本当の意味での仕事の醍醐味を味わっていない。理屈を越えたものであり、命のそこから湧き上がってくるものです。理性で考えるものではありません。命には、命より大切なものがあるのです。・・・・・・・・・・・初めてこの講義を聴いたときは、意味がわかりませんでした。「命より大事なものがある」というのがピンとこなかったのです。家族のためなら、火の中にであっても何も考えず飛び込んでいくだろう。それが命よりも大切なものだから。仕事のためにそれができるだろうか・・・今与えられた仕事や人間関係は、仮に自分のやりたい事でなくてもいろいろな縁が重なって与えられたものである。上司が嫌だから・・・好きな仕事じゃないから・・・と別のところに道を求めると、同じような問題が人と場所を変えてやってくる。今与えられたところで、必死になって取り組んだとき、新しい道も開けてくる。一所懸命にやっているかもしれないけど、必死にやっているか。必死にやったとき、新たな出会いがある。『このためになら死ねるという死にうるのもとの出会いこそ最高の出会いである』
2006年11月02日
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真実の愛とは、考え方の違う人間と共に生きていく力です経験も考え方も生き方も習慣も違う人と、共に生きていく力が、本物の愛の実力です。 違いを理由に対立したり、説得するのではなく、相手の考え方のいいところを見つけ、取り込んでいく。そして、自分の考え方を成長させていく。同じ意見や考え方の人としか仕事が出来ない同じ価値観の人としか暮らせないこれは、自分しか愛せない、自分勝手な愛。意見も価値観も考え方も違う人とどうしたら一緒にやっていけるかを考えるのが愛。違うからお互い成長できる。 大切なものは、相手に勝つ能力よりも、融合・統合する能力。統合とは、協力・共生。協力し、共に成長し、共に生きていくことに力を発揮できる人が、本物の愛の実力を持った人です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・真実の愛とは、他者と共に生きる力であり短所を許し補い 長所と関わる力である考え方の違う人から学んで、お互いに成長することが愛である。気の合う人とだけ付き合う、会わない人とは付き合わないというのは、愛ではない。価値観の違う人、文化の違う人、考え方の違う人とどうしたら一緒にやっていけるかを理性を使って考えることから、真実の愛が生まれる。これからの社員研修は、「価値観の統一」ではダメ。社長と同じ考え方の人間を作ることは、社長が楽したいからだけである。社長は、考え方の違う人間、価値観の違う人間のよいところを引き出し、タイプの違ういろいろな人間をまとめていく包容力が必要となる。
2006年11月01日
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