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読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 19
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
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小野智美編「女川一中生の句 あの日から」(はとり文庫) どこで知ったのかよく覚えていませんが、注文して届いた本をその場で広げて、読み始めて,絶句しました。落ち着いて読めば、2時間もあれば読み終えることができる内容ですが、なかなかそうはいきませんでした。小野智美編集「女川一中生の句 あの日から」(はとり文庫)です。 2012年、東北の震災の翌年だされた本です。ページを開くと目次の次のページにこんな言葉が載っています。 東日本大震災の後、女川町の女川第一中学校の全生徒約200人が俳句を作った。2011年5月と11月に行われた2回の授業。津波で家族を、家を、故郷の景色を失った生徒たちが、季語にこだわらず、五七五に心の内を織り込んだ。時と共に深まる思いをたどる。 小野智美という女性記者が、俳句を作った中学生一人一人と会って取材し、朝日新聞の宮城版に連載された記事を書籍化した本です。 ページを繰ると俳句のページがはじまります。○○○○さん(3年生)グランドに 光り輝く 笑顔と絆(5月) 3年生の友里さんが津波から2カ月後の5月の授業で詠んだ。被災の現実を感じさせない。学校ではソフトボール部の主将だ。「中総体に向けて燃えていた時なので」と笑いながら言った。 大会を終えた11月、こう書いた。空の上 見てくれたかな 中総体 あの日、友里さんは、山の上の中学校にいた。地震の後、高校から下校途中の姉が中学校に来た。やがて母も駆けつけてくれた。「お姉ちゃんと一緒にいなさいよ」。母は、山の下の自宅へ祖母を迎えに行った。それが最後の言葉ととなった。 あの日に限って朝、『行ってきます』を言わなかった。7月、葬儀を行った。父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。母と祖母に今ひと言だけ伝えられるなら、何を? そう問うと、笑顔をつくりながら、声にならない声で答えてくれた。その言葉は、11月に書いた句の中にある。今伝える 今まで本当に ありがとう(11月) いかがでしょうか、ボクが絶句したのは、例えばこの記事だと、父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。 というあたりです。7月になっても、友里さんのおかあさんとおばあちゃんは見つからなかったんですね。葬儀の場で声をあげて泣いている少女の姿が浮かびます。 そこから、ありがとうまでを思うと、ページを繰る手は止まってしまうのでした。 まあ、こういう俳句と、それを紹介する記事をまとめた本です。出版されて10年たって、ようやく読み終えましたが、ここに出てくる、この中学生たちはどうしているのだろう?、そんな気持ちになる本でした。乞う、ご一読ですね(笑)。 参考までに目次と著者のプロフィールを貼っておきます。[目次]はしがき003(生徒たち22名の句の紹介)*当サイトではお名前をふせています俳句で鍛え上げられた言葉083佐藤敏郎教諭「十五の心 国語科つぶやき通信」089大内俊吾校長の式辞093阿部航児さんの答辞103付記世界を駆けめぐった108最後の教材「レモン哀歌」116父と娘の15カ月1222度目の春 共振共鳴した日々を刻む135すべては五七五の中に 佐藤敏郎149編者あとがき小野智美(オノサトミ)朝日新聞記者。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から仙台総局。宮城県女川町などを担当
2023.11.12
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吉野実「『廃炉』という幻想」」(光文社新書) ひさしぶりに「1F」、東京電力福島第一原子力発電所の現状をルポしている新書を読みました。吉野実「『廃炉』という幻想」」(光文社新書)です。図書館の新刊の棚で見つけました。誤解を恐れずに言えば、ただただ、「うんざりする」気持ちをなだめるのが難しい読書でした。 著者の吉野実さんは、事故以来「F1」を密着取材してきたテレビ関係の取材記者のようです。自らの立場ついて「はじめに」でこんなふうに述べておられます。 10年間、一貫して1F事故の終息を見て来た事実と同様に、強調しておきたいことがもう一つある。それは、筆者が原発の推進側にも、反対の立場の人びとにも、決して与しないということだ。 たしかに地球温暖化は加速していて、2050年のカーボンニュートラル=温室効果ガス排出ゼロを実現するには、化石燃料から脱却しなければならない。しかし、今はまだ安定電源とは言い難い再生可能エネルギーだけでは我が国の電力は賄いきれず、よほどの革新的イノベーションでも起きない限り、一定数の原発は維持せざるを得ないと筆者は考えている。 だが、一朝、苛酷事故=シビアアクシデントとなれば事態は深刻である。1F事故を見ても、地域が丸ごと住めなくなり、住民の避難は長期に及ぶ。この事故でも、多くの方が避難の途中、あるいは避難先で亡くなった。長期避難による身体的・精神的ストレスとの因果関係が指摘されている。収束のために使われる費用も巨額である。しかも万が一、1Fで次の事故が起きた場合、被害はさらに大きくならないとは誰にも保証できない。 1F事故を教訓として作られた新規制基準は厳格だ。しかし、原子力規制委員会自身が認めているように「事故はいつも想定外」である。どんな対策をしたとしても、事故が起きるリスクは決して「ゼロ」にはならない。 以上のことを踏まえると、十分な情報開示と、冷静な議論が必要なことは誰にでもわかる。しかし、筆者には、原発の「推進」派と「反対」派の双方が、冷静な議論を行っているようにはどうしても見えない。政治スローガン化され、お互いに批判を繰り返している例も少なくない。筆者自身、原発の「推進」と「反対」を天秤にかけ、どちらが国民の利益、最大多数の最大幸福につながるか、確信は持てずにいる。10年取材しても結論は出ていない。(P6~P7) ここまで読んで、つづきを読むことにしました。ぼく自身は1Fの事故以前から原発には「反対」でしたし、今も、その考えは変わりません。思えば、1970年、高校1年生のときに、但馬の香住あたりに原発建設の話があって、文化祭のクラス展示の準備で地元の人の話を聞いて以来、なんとなく「原発はやばいな」と感じたのが始まりでした。苛酷事故があったら?地震や津波が来たら?放射能が漏れたら? 当時、香住の地元の人が口にしていた不安が、福島のF1ではすべて起こったわけです。事故発生当時、あれこれの報告レポートを読みましたが、「想定外」という決まり文句だけが記憶に残り、ぼくのような遠くの人間にはなにがないやらわからないまま10年以上たちました。 「はじめに」で自らの立ち位置を正直に述べておられる吉野実という人のこのレポートは「デブリ処理の可能性」、「汚染水の海洋投棄の内情」、「地元の人たちに対する広報の実情」などについて、以下の目次に従って述べられています。第1章 廃炉の「現実」第2章 先送りされた「処理水」問題第3章 廃炉30~40年は「イメージ戦略」第4章 1Fは「新たな地震・津波」に耐えられるか第5章 致命的な「核物質セキュリティ違反」第6章 破綻した「賠償スキーム」第7章 指定廃棄物という「落とし子」終章 「真実の開示」と議論が必要だ 読み終えたぼくなりにまとめれば「F1廃炉計画の不可能性」が、まず実情であること。「汚染水の海洋投棄」は汚染を広げる恐れは少ないにしても、汚染水の洗浄によって発生する新たな汚染ゴミの処理問題は先送りされていること。何よりも経産省を通じて莫大な額の税金が投入されていることが、東京電力という看板によって、あたかも目隠しされているのが現状であるのではないかということが衝撃的でした。 事故の責任主体は「東京電力」ではなく、「何億円単位」ではなく「何兆円単位」の税金がすでに投入されており、今後も投入され続けざるをえないという現状においては「一人一人の国民」だということですが、その事実について、金を払っている国民には気づかせないためのイメージ操作がなされているのではないかということを感じました。 本書は、原発事故に関わる新しい用語の解説や、現場の経緯がかなりたくさんの図版、表によって丁寧に報告されているのも特徴です。 読んでいて「うんざり」する事実の連続ですが、ぼくのような素人が、今現在の「F!」、「原発事故」を考え始めるための基本文献だと思いました。 最終章で被災地の人たちの復興の努力を紹介しながら、「情報」の正直な「開示」をうったえておられることに胸打たれました。報道の客観性の大切さと、それを支えるのが取材記者自身やメディアのモラルであることを気づかせてくれる本でした。好著だと思いました。
2022.03.17
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小森はるか「二重のまち 交代地のうたを編む」元町映画館 小森はるかという監督が瀬尾夏美というアーティストと、それから4人の若い旅人たちと、一緒に作った「二重のまち 交代地のうたを編む」という、どう紹介していいのかわからない映画を観ました。 映画の感想を書きたいと考えこんでいると、チッチキ夫人が「この人でしょ?」といって差し出してくれたのが「あわいゆくころ」(晶文社)という、瀬尾夏美の表現集でした。 瀬尾夏美が2011年から2018年までの7年間、陸前高田という「まち」を歩いた記録です。日々の出会いが「歩行録」と題されて綴られていますが、この本の最初に収められているのが、映画の中で4人の旅人たちが朗読する「詩」、「みぎわの箱庭」でした。 「みぎわの箱庭」それは、春になる前の寒い日のこと午後の仕事が落ち着いて、ちょうどひと息入れようかというころにね大きく大きく、地面が揺れた遠くの海がたちまちふくれ、そのままぱちんとはじけてしまって、まちに覆いかぶさった雪降りの夜が明けて、浮かびあがってきた風景にみなが立ち尽くしていたときにね男の人たち、壊れたまちまで降りて、生き残った人を探したんだよ毎日毎日探してね助けられた人もいたと思うが、ほとんどは死んだ人だったきれいに並べたその身体に、まちの人らは別れを告げたやがて海は戻っていって、暮らしは落ち着いたんだけどねある男だけは、人を探しつづけていたんだってあまりに毎日探すから、誰かに会えたかと問う人がいてね男はね、会えなかったけどたくさん話を聞いたと答えて、つづけて何かをしゃべろうとしたみたいだけどねそのままぴたっと声が出なくなってしまったんだってつぎの日、いつものように出かける男を見た人がいたそうだけどねとうとう戻ってこなかったんだって荒野に草が伸びたころ、波に置いていかれた種が、山際にたくさんの花を咲かせたんだよその花畑には、生きている人も死んだ人もその場所にいない人も、みな一緒にいることができた死んだ人は、この花畑は永遠だと言ったが、生きている人は、そんなことはないと言ったね二年くらいそんな時間があったみたいだけどねある朝ふと見あげると、あたらしい地面がぽっかりと浮かんでいたんだってそれで、生きている人は、さっそく上がってみようと言ったんだけどね死んだ人は、ここに残ると言ってうごかなかった最初のころは行き来もあったみたいだが、しばらくすると、上にもまちが出来てね生きている人は、すっかりそちらで暮らすようになった生きている人は、下のまちを忘れていくと言って泣いたが、その場所にいない人は、何もかも忘れないと言って笑っていた死んだ人はもうあまり喋らなかったが、時おり歌をうたっていたね海風と山風がちょうどぶつかるから、上のまちはいつも大風なんだよでもね、ある昼下がりにほんのすこしだけ風が止むことがあったんだってすると、足元から声が聞こえてね女が地面に耳をつけると、なにやら歌のようだってその歌をよく聞きたかった女が、地面を掘って掘って進んでいくと、目の前がぱっと開けてねそよそよと揺れる広い草はらに着いたんだってあたりにはぽつぽつと人がいたそうだが、うたっていたのは、壊れた塀に腰かけた初老の男だった女はね、その人に頼んで、歌を教えてもらったんだって初めて聞く歌なんだけど、なんだか懐かしいような感じで、すぐに覚えられたんだってしばらくふたりでうたっていると、はるか天上から娘の泣き声が聞こえてね女は帰ることにしたそれから何日か経ったある日、女が娘と、地底で聞いた歌をうたっていたら、歌を教えてくれたあの男がとても親しい人だとわかったみたいなんだけどねどうしても名前が思い出せなかったんだってその歌がね、いま子どもたちがうたっている歌だよ女が掘った穴がこのまちのどこかにあって、下のまちにつながる階段になっているんだってごらんこのまちの風景は、そうやって出来たんだって 映画の感想は、うまく形になりません。映画をダシにして自分の思いを綴ることに対して、「それはちょっとできないなあ」というふうな気持ちになっているのですが、なにはともあれ、「みぎわの箱庭」という、この詩?、いや物語?を誰かに読んでほしいと思い、ここに引用しました。 映画は「人が人と出会うこと」、「おもいを伝えること」、「おもいを聞き取ること」、それぞれの可能性と不可能性を、真摯に問い続ける4人の若者の姿を映し続けています。見ているぼくにも、その、一つ一つの「問い」が沁み込んでていくような、静かで誠実な作品でした。 見終えて、めったにしないことなのですが、パンフレットを買いました。 「瀬尾さんの本、そこの古本屋さんにも置いてますよ。」 その時、笑いかけて、紹介してくれたカウンターのおねえさんの言葉がうれしかったのですが、買わなくてよかったですね。家にありました。(笑)監督 小森はるか 瀬尾夏美撮影 小森はるか 福原悠介編集 小森はるか 福原悠介録音 福原悠介作中テキスト 瀬尾夏美ワークショップ企画・制作 瀬尾夏美 小森はるかスチール 森田具海キャスト古田春花米川幸リオン坂井遥香三浦碧至2019年・79分・G・日本配給 東風2021・07・12‐no64元町映画館no81
2021.07.20
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小森はるか「空に聞く」元町映画館 元町映画館の前を通りがかると、映画を観るわけでもないのにカウンターにいるオネーさんやオニーさんに一声をかけたくなるのですが、再現するとこうなりますかね。「客チャウデー、シネ・リーブル一いっとってん。あれ、おもろいで。今やってる台湾のやつ。みた?」 そういうふうにいうのがうれしくて、入ってくるいつもの老人。「よその映画館の映画のネタ報告してどうすんねん、ここで見なさい!」 そんなふうに返事をしたいのを、客商売のつらいところ、「ぐっ」と、こらえて笑顔で応対してしまうものだから、結局またやってくる。 たまには宣伝してやろうと、ちょっと反撃してみる。「これ、見ました?『阿賀に生きる』の時に出てた監督ですが。」「アッ、あの人か?ふーん。」 小森監督が「アートハウス」の企画の解説役で出ていたことを覚えていたらしく、翌日さっそく現れて、いつものように上機嫌をふりまいている。「今日は客やで。あんたがいうてくれたから、今日は泣きにきたんや。」「泣けるとかいうてないし」 とは思ったが、もちろん口には出さない。何はともあれ、客が来るのはいいことだ。 まあ、そういう顛末で(半分以上作り話です)徘徊老人シマクマ君は「空に聞く」を見たのでした。 東北の震災で町全体が流された陸前高田で暮らす阿部裕美という女性に焦点を当て、震災から6年9ヵ月の時間を描いた作品でした。 阿部裕美さんは、震災の年から「陸前高田災害FM」というラジオ局のパーソナリティーを3年半にわたって務めたかたですが、もとは和食料理屋さんの女将さんだった方のようです。 映画は彼女の、パーソナリティーとしての仕事、復活されたお店の女将さんとしての仕事、それぞれのお仕事や、生活の現場に黙って付き添う様子で「人と人の出会い」、「復興してゆく町」、そして、今生きている人たちの「祈りの姿」を映し出してゆきます。 カメラが阿部裕美さんを映し、カットが変わって、窓の外や街の様子、ほかの人の表情を映し出し始めると、カメラそのものが阿部さんの視線そのものに変わったように感じました。 その結果でしょうか、この映画の映像には、シーンとして映し出される人や風景が、見ている人の「やわらかさ」を感じさせる、独特の雰囲気を漂わせています。その「やわらかさ」が、ボンヤリ画面を見ているぼくの中に広がっていく、ある種、至福ともいうべき体験を初めて経験した作品でした。 映画館を出て街を歩きながら、ふと、思いました。『空に聞く』という題やけど、空って映っとったかな? 空を見上げるシーンは連凧というのでしょうか、小さな凧が連なって龍のような姿で空に舞い上がっていくのを見上げているシーンしかなかった気がします。 震災後に作られた映画の定番のようになっている巨大な防潮堤とその外に広がる海のシーンは、確か、一度もありませんでした。 「未来」や「永遠」を印象付ける「空」や「水平線」のイメージが、穏やかに拒絶されていて、「向こうの見えない坂道」や「草生した墓地」、「窓の外に降る雪」のシーンが浮かんできます。 和やかに会話する老人の笑顔にうなづく「顔つき」、ラジオ放送用のマイクに向かって「黙禱」を呼びかける「声のひびき」、食事用のテーブルを丁寧に拭く「手の動き」、カメラは、客観的な目として見える、阿部裕美さんの人柄を余すところなく映し出しながら、一方で、「彼女が見ている」と思わせる、様々な、しかし、暮らしや仕事の場所から見える、何気ないシーンによって、彼女の、そして陸前高田に生きる人たちの「こころ」を、見事に映し出した傑作だったと思い至ったのでした。 十年近くもの歳月をかけて、この映画を撮りきった小森はるかさんに拍手! 元町映画館のカウンターで、この映画を勧めてくれたオネーさんに、お礼の拍手! やっぱり、涙のあふれてしまう映画でしたが、いいものを見せていただきました。ありがとう!監督 小森はるかエグゼクティブプロデューサー 越後谷卓司撮影 小森はるか 福原悠介録音 福原悠介編集 小森はるか 福原悠介特別協力 瀬尾夏美キャスト阿部裕美2018年・73分・G・日本配給:東風2021・07・06-no62元町映画館no80
2021.07.08
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山形孝夫 「黒い海の記憶」(岩波書店) 東日本大震災2011・3・11。あれから8年の歳月がたちました。神戸に住むぼくの記憶の中には1995・1・17という、もう一の節目があります。あれからは24年の歳月がたちました。 阪神大震災の記憶は、不思議なことに古びません。いくつかの印象的な記憶の塊のようなものがあって、年月がたつこととは関係なく夢の中とか、ボンヤリとした物思いの中で浮かんできます。「恐ろしい」とか、「辛い」とか、ことばで説明できる記憶としてではありません。 大体、ぼく自身はそれほど切実な体験にさらされたわけではありませんし、長田区の真ん中にあった勤務先は「全壊立ち入り禁止」の黒いステッカーが貼りまくられた学校だったのですが、まったく想定外の現象に対して陽気な観察者のような気軽さで震災の日々を過ごしていたように感じます。 一ヶ月ほどの休校期間を過ぎて登校した生徒たちの表情もおおむね明るく、被害の「ものすごさ」を自慢しあうような被災者ハイぶりで、閉じ込められた高層マンションからの脱出術や、水くみや食料配達といった、避難所のボランティアの経験を語り合っていました。それを笑って聞くのが僕の仕事だったわけです。 しかし、数年後に転勤した郊外の学校での授業中、震度3程度の地震に4階の教室が揺れ始めた時に、震災当時小学生だったはずの高校生が泣き叫ぶのを前にして、ぼくの中で、いわばがふつふつと湧き上がるのに気づきました。以来、記憶の意味が変わりました。風化が止まったといってもいいのかもしれません。 あれから二十五年、ぼくは還暦を通り越し、あの時の高校生たちは不惑の年を迎えようとしています。 最近読んだ「黒い海の記憶」(岩波書店)の中で山形孝夫はこう書いています。 私たちは、3・11大震災まで、近代日本の合理的で安全な国民国家に住んでいると思っていた。そこでは、生活のあらゆる領域に合理性と安全性が行き渡り、それが政治・経済のシステムを法的に支え、政教分離や福祉・教育行政の専門技術化とあいまって、市場の透明性を支えている。その限り、過去における不合理な政治神話とシステムは一切排除され「国民」の等質性と「国家」の透明性が保障された安全で、平和な国土に暮らしていると思っていた。 3・11の黒い海がその真相を暴露した。近代国家は「国益」の名のもとに「国民」を教育し、動員し、それに反対する者を排除し、抑圧する装置として機能していた。 近代資本主義は、市場の自由化と透明性を旗印に、激烈な競争によって生じる富の分配の不公平を隠蔽し、正当化してきた。その矛盾がバブル崩壊以降、経済的格差として現れた。 この格差を、国家はこれも市場の透明性を理由に、正規職員と非正規職員に区分し、逆に支配の道具として使用してきた。要するにシステムの矛盾を犠牲者の自己責任に転嫁することによって、日本国家はシステムの強化と権力の正当性を維持し続けてきたのである。 原発安全神話が新興宗教の呪術的救済神話と似ているのは、決して偶然ではない。 それは、近代的な進歩史観や技術優先の効率主義のシステムの中で精巧かつ巧妙に構築された聖なる物語であり、貧困からの解放を告知する救済のシナリオであったのだ。安全神話が近代国家の象徴的な物語であるのは、その背後に、自作自演の「犠牲」の寓話を隠し持っているからである。 ここまでが、ぼくたちが日本はいい国だとかいっている近代社会の正体に対する分析です。 ここからが、おそらく本物の宗教学者である山形孝夫の真骨頂だと思います。 犠牲とは、本来供犠に通じる宗教人類学の用語であるが、もともとは神の祭壇に捧げる生贄をさす。個人もしくは共同体が、自らの所有物を犠牲にしたり、場合によっては自己自身を犠牲として祭壇に捧げ、そのことによって神の保護を獲得しようとする呪術的行為である。 ここで問題なのは、神聖化されるのは単に犠牲者だけでなく、犠牲を要求する主体も、ともに神聖化されるという点にある。渡すたちは近代国民国家と資本主義が、国益という名のもとに、こうした犠牲のシステムと一つに手を結んでいることに敏感でなければならない。 その中核に位置を占めるのが原発安全神話なのである。そうした神話の欺瞞を黒い海は暴露した。 ぼくはここで、二つのことに思い当たります。 一つは阪神大震災における多くの犠牲者や、今も存在し続けている犠牲はどうなったかということです。 二十年以上たつということが、出来事を歴史化してしまうということは、たしかにあるのです。その中で「忘れない」ということが、墓碑やモニュメントの前に頭を垂れることではすまされない、積極的な何かを生み出す契機になることは出来ないかということです。 もう一つは、ここ数年来ブーム化している、戦争下での特攻死の美化についてです。 兵士たちの犠牲的な死を美化することが、いつのまにか、戦争をした国家の美しい神話化へとすり替えられ、新しく育っている子供たちの意識を、ねつ造された歴史意識へと歪めはじめているとのではないかという現代的な状況についてです。 「黒い海」や「黒い街」は、ぼくたちの存在の根のようなところに、言葉にならない記憶として残ります。国家や資本主義のシステムは、それを美化することで欺瞞の神殿を作り上げようとしているかに見えます。本当の信仰は、その欺瞞を見破るところから始まるのです。山形孝夫の文章はそう語りかけているのではないでしょうか。 ぼくは宗教を信じるものではありませんが、山形孝夫の主張の論旨には共感します。現実の新しい経験を検証し続けるところに記憶は生き続けるのでしょう。「忘れない」ということは能動的な行為なのです。(S)追記2019・11・25 原子力発電所の建設や推進事業が、近代社会のが追い求め来た気「進歩」への夢の素朴な現実化など絵はなかったことが、少しづつ暴露されている。 関西電力の社長をはじめとする責任者だけではない、福井県の職員たちも、数十人(?)いや、百人を超えて(?)、原発還流資金と呼ばれる賄賂を手にしていたことが報道されている。「なぜ受け取ったか?」「怖かったから。」 このような関電の責任者の発言は「大人」のことばとは、到底思えないのだが、恐喝の被害者を装うことで、犯罪者としの告発から逃れたい言い訳としても、本当は成り立っていないのではないだろうか。まさに「近代国民国家と資本主義が、国益という名のもとに、こうした犠牲のシステムと一つに手を結ぶ」中で育ってきた「ヤクザの思想」が、ぼくたちの税金や電気料金を食い荒らしている。 事故が起きれば、想定外と開き直り、もう一度税金を投入することで、その場を収めるのだから、責任主体がどこにもいない「国家事業」として、先の戦争と、全く同じ構造と言って過言ではなさそうだ。 ぼくたちにできることは「神話の欺瞞」をまじめに考え始めることではないだろうか。追記2020・02・09 福島の除染土や汚染水は、結局処理に困って海や工事用の土砂としてバラまくのだそうで、「そうなんだ」とあきれていると、四国の原子力発電所では40分を超える電源喪失事故が報告もされていなかったという報道が聞こえてきた。そういえば、関電の重役がわいろを受け取っていたニュースもあった。実際に「想定外」と責任を逃れた人たちは、何の反省もしていないのだろうか。 ウンザリしている日々なのだが「チェルノブイリの祈り」の著者の「戦争は女の顔をしていない」がマンガ化されたのを見て、少しだけ気が晴れた。「チェルノブイリの祈り」も漫画にしてほしいものだ。追記2020・08・29先日見た「れいこいるか」という映画の登場人たちが、4階の教室で泣き叫んだ、あの時の高校生とダブって見えました。映画は、まあ、言ってしまえばへんてこな映画だったのですが、「こころ」のどこかに「ことば」にならない「悲しみ」や「不安」を抱えながら暮らすのが、普通の暮らしなのだということを強く感じました。 新長田の「鉄人28号」には、ヤッパリ、「ごくろうさん!」と声をかけたいものですね。「れいこいるか」の感想はこちらからどうぞ。ああ、それから「鉄人28号」はこれです。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.27
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