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10年間、一貫して1F事故の終息を見て来た事実と同様に、強調しておきたいことがもう一つある。それは、筆者が原発の推進側にも、反対の立場の人びとにも、決して与しないということだ。 ここまで読んで、つづきを読むことにしました。ぼく自身は 1F の事故以前から原発には 「反対」 でしたし、今も、その考えは変わりません。思えば、 1970年 、高校1年生のときに、但馬の香住あたりに原発建設の話があって、文化祭のクラス展示の準備で地元の人の話を聞いて以来、なんとなく 「原発はやばいな」 と感じたのが始まりでした。
たしかに地球温暖化は加速していて、2050年のカーボンニュートラル=温室効果ガス排出ゼロを実現するには、化石燃料から脱却しなければならない。しかし、今はまだ安定電源とは言い難い再生可能エネルギーだけでは我が国の電力は賄いきれず、よほどの革新的イノベーションでも起きない限り、一定数の原発は維持せざるを得ないと筆者は考えている。
だが、一朝、苛酷事故=シビアアクシデントとなれば事態は深刻である。1F事故を見ても、地域が丸ごと住めなくなり、住民の避難は長期に及ぶ。この事故でも、多くの方が避難の途中、あるいは避難先で亡くなった。長期避難による身体的・精神的ストレスとの因果関係が指摘されている。収束のために使われる費用も巨額である。しかも万が一、1Fで次の事故が起きた場合、被害はさらに大きくならないとは誰にも保証できない。
1F事故を教訓として作られた新規制基準は厳格だ。しかし、原子力規制委員会自身が認めているように「事故はいつも想定外」である。どんな対策をしたとしても、事故が起きるリスクは決して「ゼロ」にはならない。
以上のことを踏まえると、十分な情報開示と、冷静な議論が必要なことは誰にでもわかる。しかし、筆者には、原発の「推進」派と「反対」派の双方が、冷静な議論を行っているようにはどうしても見えない。政治スローガン化され、お互いに批判を繰り返している例も少なくない。
筆者自身、原発の「推進」と「反対」を天秤にかけ、どちらが国民の利益、最大多数の最大幸福につながるか、確信は持てずにいる。10年取材しても結論は出ていない。(P6~P7)
苛酷事故があったら? 当時、香住の地元の人が口にしていた不安が、福島の F1 ではすべて起こったわけです。事故発生当時、あれこれの報告レポートを読みましたが、 「想定外」 という決まり文句だけが記憶に残り、ぼくのような遠くの人間にはなにがないやらわからないまま10年以上たちました。
地震や津波が来たら?
放射能が漏れたら?
第1章 廃炉の「現実」 読み終えたぼくなりにまとめれば 「F1廃炉計画の不可能性」 が、まず実情であること。 「汚染水の海洋投棄」 は汚染を広げる恐れは少ないにしても、汚染水の洗浄によって発生する新たな汚染ゴミの処理問題は先送りされていること。何よりも経産省を通じて莫大な額の税金が投入されていることが、東京電力という看板によって、あたかも目隠しされているのが現状であるのではないかということが衝撃的でした。
第2章 先送りされた「処理水」問題
第3章 廃炉30~40年は「イメージ戦略」
第4章 1Fは「新たな地震・津波」に耐えられるか
第5章 致命的な「核物質セキュリティ違反」
第6章 破綻した「賠償スキーム」
第7章 指定廃棄物という「落とし子」
終章 「真実の開示」と議論が必要だ
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