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東日本大震災 の後、 女川町 の 女川第一中学校 の全生徒約200人が俳句を作った。2011年5月と 11月 に行われた2回の授業。津波で家族を、家を、故郷の景色を失った生徒たちが、季語にこだわらず、五七五に心の内を織り込んだ。時と共に深まる思いをたどる。 小野智美 という女性記者が、俳句を作った中学生一人一人と会って取材し、 朝日新聞 の 宮城版 に連載された記事を書籍化した本です。
○○○○さん(3年生) いかがでしょうか、ボクが絶句したのは、例えばこの記事だと、
グランドに 光り輝く 笑顔と絆(5月)
3年生の友里さんが津波から2カ月後の5月の授業で詠んだ。被災の現実を感じさせない。学校ではソフトボール部の主将だ。「中総体に向けて燃えていた時なので」と笑いながら言った。
大会を終えた11月、こう書いた。
空の上 見てくれたかな 中総体
あの日、友里さんは、山の上の中学校にいた。地震の後、高校から下校途中の姉が中学校に来た。やがて母も駆けつけてくれた。
「お姉ちゃんと一緒にいなさいよ」 。母は、山の下の自宅へ祖母を迎えに行った。それが最後の言葉ととなった。
あの日に限って朝、『行ってきます』を言わなかった。
7月、葬儀を行った。父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。
母と祖母に今ひと言だけ伝えられるなら、何を?
そう問うと、笑顔をつくりながら、声にならない声で答えてくれた。その言葉は、11月に書いた句の中にある。
今伝える 今まで本当に ありがとう(11月)
父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。 というあたりです。 7月 になっても、 友里さん の おかあさん と おばあちゃん は見つからなかったんですね。葬儀の場で声をあげて泣いている少女の姿が浮かびます。
[目次]
はしがき003
(生徒たち22名の句の紹介)*当サイトではお名前をふせています
俳句で鍛え上げられた言葉083
佐藤敏郎教諭「十五の心 国語科つぶやき通信」089
大内俊吾校長の式辞093
阿部航児さんの答辞103
付記
世界を駆けめぐった108
最後の教材「レモン哀歌」116
父と娘の15カ月122
2度目の春 共振共鳴した日々を刻む135
すべては五七五の中に 佐藤敏郎149
編者あとがき
小野智美(オノサトミ)
朝日新聞記者。 1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から仙台総局。宮城県女川町などを担当
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