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花粉症の予防対策花粉症ってある年に突然起こる。前年までは他人事のように思って 「身体の鍛錬が足らん!」 なんてうそぶいていたら、次の年に鼻水がたら~り、しかも鼻詰まり、目が痒く、クシャミの十連発!鼻詰まりは寝る間際に起こり、苦しくて眠れないのではないかと恐怖に苛まれるくらいに酷いものだ。家の周りを見渡すと杉の大木が庭にあり、近くの山々には杉木立が林立している。ここに来て初めて煙のように杉花粉が飛ぶ様子も見た。今年は3倍~10倍と、とんでもない予報が出ている。確かに道端の杉をみると、しっかりと雄花がぷっくり膨らんでいる。これが開花したら相当な量だろう。 雄花予防対策やマスク、ゴーグル、はては鼻栓といった対処グッズが紹介されている。先ずは花粉に被ばくする前に予防的に花粉アレルギー用の薬を飲むことにした。それとアレルギー症状にポリフェノールが効果があるというので、多く含んでいる菊芋、古代米、黒大豆、大豆、ブルーベリー、いちご(いずれも自家栽培)を意識してきちんと摂ることにする。最も苦しかったのは鼻づまりだったので花粉が飛散したら鼻栓も試してみようと思う。今年こそは花粉症の苦しみから解放されたいなぁ。
2011年02月23日
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村上春樹 『1Q84』を読み終えてこの人の小説はいつも不思議な時空へ僕を誘う。1984年であって、そうでない1Q84年。読み進めながら??…疑問符が湧き、不可解で気持ちがざわついてくる。そのおぼつかなさは不愉快でない。だから先へ先へと読むことを急き立てる。読了すると心は、その不思議な世界に置いてきぼりにされてしまう。暫く余韻に浸ってからうつつに戻ると、彼の不思議な世界の不可解さだけが僕の記憶の中に、もう一つ重なって残される。
2011年02月18日
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例年通り やってきた どか雪雨は降ると音がするし気配もするが、雪はそれがない。結果として積もっている。今朝起きたらふっくらとした雪が屋根を、庭を、山を覆っていた。数日前に降ったから今週は2回も雪かきの羽目に。少々どころか相当にうんざりする。今の時期に降る雪は水分が多くてベタつくし重い。日本海側の例年の倍以上という降雪量に比べたら、たかだか30~40センチだ。先日、テレビニュースで山形のお年寄りが家の前を雪かきしていた。1メートルを超える雪が屋根にのると家がミシミシいうという。一晩で家の出入り口が雪で塞がれる。どんなに心細いことだろう。高校生のボランティアが一人暮らしの高齢者の雪かきをしていた。顔をくしゃくしゃにして感謝していた。1月まではせいぜい5センチ程度だが、2月に入ると途端にどかっと降ってくる。毎年のことと言え、今年は降り忘れたのかしらと期待していた矢先のどか雪続きだ。先ずは玄関の前から犬小屋まで雪かきをして、となりの家との境界までとやるとうっすらと汗が出てきた。次はアプローチ(導入路)の下までだ。人が通る幅だけあれば良しとしよう。車幅までやったら身体がもたない。手抜きだ。途中までヨッコラショ ポイ! ヨッコラショ ポイ!とやっていると、ザク ザッ! ザク ザッ!という音が上の方からする。何だろうと行って見ると、隣のお兄ちゃんが黙々と僕の雪かきの幅を拡張してくれている。…… 僕は顔がくしゃくしゃになった。
2011年02月15日
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縁がない筈のチョコ去年は連れ合いがバレンタインに合わせて買って来てくれたが、娘が試験中とかで今年は東京。巷じゃ本命は1%、後は義理チョコ、友チョコが殆だとか、かまびすしい。「ふん バレンタインなんて関係ないワイ!」とひがんでいたら、お隣の奥さんから昼過ぎに「主人と息子に買ったので」と、チョコレートを持ってきてくれた。一人話題から取り残されていたのに遠くの家族より近くの他人の心遣い、なんとまぁ、ありがたい、嬉しいもんだ。グランフールハッピーショコラだ(ルンルン♪) 昨日は寒晒し蕎麦一昨日の夜に蜜蜂の I さんから寒晒し蕎麦があるから行かないかとお誘いがあった。奥さんが急に用ができて行けなくなったので購入した券があるとの由。寒晒し蕎麦?初めて聞いた。彼も以前に自家用に蕎麦を栽培し、自分で打っていたというから詳しい。本格的に鉢や包丁もあるという。寒ざらし蕎麦は寒の時期に蕎麦の実を雪や冷たい水に晒してから粉に引くとあくが取れ、そば自体の甘みが強くなって絶妙な味になるという。この時期に、町の蕎麦研究会のメンバーが、この日のために寒晒しして、干して、粉にして、打って、皆に食べてもらうという。こういう催しがあるとは知らなかった。会場は待っている人がいっぱいで、我々158番と、159番。かれこれ小一時間待った。天ぷらには蕗の薹もついていた。二八蕎麦なのか、そばの香りがしっかり鼻をくすぐり、シコシコとして蕎麦本来の味がした。地域の人のありがたさを身にしみた二日間だった。ごちそうさん。
2011年02月14日
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侘しい おかずラジオ放送「鎌田實 いのちの対話」で食べ物を取り上げていた。リスナーや公開放送の参加者から食にまつわるエピソードが寄せられていた。どれもが胸にキューンと響くものばかりだった。 散歩は携帯ラジオ、竹細工しながらはこっちのコンポそのなかに弁当の話題があった。弁当と言えば僕にも忘れられない想い出がある。中学生の昼時間だった。昭和37年、この頃はどんな時代だったのだろう。そんなに豊かな時代じゃなかったように思う。弁当に入っている肉といえば鯨の南蛮漬けの焼いたもので豚肉や牛肉はお目に掛かったことがなかった。多くは魚でカジキマグロが焼いてあったり煮魚がはいっていた。時々油で炒めた赤いウインナー(これも魚肉だったろう)にカレー粉で味付けしたやつ、そしていつも欠かさずに卵焼きが入っていた。それに海苔の2段重ねの飯が僕の弁当の定番だったように思う。男子どもはパッと食って廊下に飛び出す。僕も口に放り込んでほとんど噛まずに飛び出す方だった。女子生徒はだいたい何人かがグループでお喋りしながら食べていた。その日、いつもは前の扉から出ていくのに、たまたま後ろの扉から出た。一人だけ一番後ろの席にいた子が包んできた新聞で囲うようにして隠して食べていた。かえって逆にそれが目立った。僕が後ろを通ったときに彼女は食べてかけていた弁当箱の蓋を閉めた。だが背中越しに一瞬、見てしまった。弁当は一面が紅かった。外に何もおかずはなかった。ピンクのでんぷでなく紅い紅生姜のようだった。僕は知らんぷりして何も見なかったように扉を飛び出した。彼女の家はレンズ磨きのコウバをやっていた。家内工業だった。ほどなくして知ったことだが、その頃、コウバが倒産したという。
2011年02月11日
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出過ぎた杭は打たれないでもないかもなぁ。諺に『出る杭は打たれる』というのがあるが、もうひとつ面白いのがある。昔、知り合いの友人が新しくボランティア活動を始めた。活動を通して気がついたことを、良かれと思って意見を述べたところ、はじめ先輩たちから差し出がましいと煙たがれ無視された。ならばと、めげずに一層機会あるごとに繰り返し意見を言うようにして不承不承話を聞いてもらえるようになったという。彼女の口癖が『出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない』というもの。これは気に入っている。機会あるごとに人に薦めたし、自分でも実践してきた。ただ何事もTPOを考えなくちゃぁいけないんだよねぇ。彼女の置かれた状況は、打つ側がボランティアという共通の価値観と志を持った仲間たちだ。そうした仲間故に出過ぎた杭を打ったらへっこむ前に曲がってしまう危険もあるという判断が生まれたのだろう。だが、どういう場合でも打つ側にこうした判断する力が備わっていて働いてくれるとは限らない。むしろ無いことの方が多い。彼女の場合は、この見極めをした上での出過ぎた杭を演じたのかもしれない。先日、集落の定例会があり行政区長さんから、よんどころない事情で休むので、代わりに進行をしてくれと依頼された。気軽に承諾したのだが、どうやら差し出がましかったようだ。場の雰囲気がいつもと違う。『あれ!? おかしいなぁ…』 何となくよそよそしくシラーとした雰囲気が漂う。まだ、こちらに来て6年目の新住民だ。こういう時は、『新人ですし他に経験豊かな方がいらっしゃるでしょうから』と断るべきところだった。何しろここで生まれ育ってきた人からすれば50年、60年の単位だ。5年なんて、物の数じゃぁない。まだまだ人間関係は熟しちゃいなかったんだ、と思い知らされた。これは鈍感な僕にとっての最初にぶち当たった地域という壁の洗礼だ。本当は、これまでも地域の方々にもっといろいろなことで不愉快な想いをさせていたのかもしれない。人間関係がもう少し熟成されるまで出過ぎた杭はもちろん出る杭であってもイカンのだなぁ。予約しておいた村上春樹の『 1Q84 Book l 』を読み始めた。本の世界は余分な軋轢がなくて居心地がいい。
2011年02月07日
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名前の由来クウの散歩にはラジオも一緒だ。冬場は雪道の氷が溶ける10時頃に家を出る。ラジオではラジオビタミンをやっている。今日のゲストは加藤登紀子の次女の歌手のYaeだった。それで思い出した。ヤエは実は”Yae”だったのだ。Yaeを飼っていた前の持ち主はパーマネントカルチャーに関心を持って若くして帰農したが、志半ばにして癌に倒れた。その1年ほど前に産まれたばかりの山羊が貰われてきた。その頃、村でYaeの小さなライブが催された。彼女の澄み切った心あらわれるような歌声に魅了されて、名前のついてない子ヤギにYaeと名前をつけたという。Yaeの父親である藤本敏夫は有機農業の普及に心血を注いだ人だ。Yae自身も半農半歌手で千葉で農的暮らしをしている。そんなことにも共感したのかもしれない。つい最近までYaeをヤエとずーと思っていたので、随分とクラシカルな名前と思っていたが、Yaeとなると、また雰囲気が違ってくるから面白い。youtubeにあった-Yaeの『My Dear 』です。http://www.youtube.com/watch?v=rs6a7tFdB7o&feature=player_detailpage
2011年02月03日
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元気かぁ!いつもの散歩道をクウに連れ添って歩いていると、下から来た車が横で止まった。ん? と見ると、こちらに来てできた数少ない気心知れた友人の一人 Iさんだ。月に一度、二月に一度と訪ねてくれたり、電話をして来てくれる。11月には自慢の白菜と大根を山のようにくれた。「元気だったか」「電話しても出ないんで どうしたかと思って」嬉しいもんだ。別れ際に 「旨いから舐めてみて!」 と自慢の自家製の蜂蜜をくれた。たしかに濃厚な味だ!普段食べている西洋蜜蜂と違う日本ミツバチの独特の味だ。 昨年、畑や梅の木の下に巣箱を置かしてくれと頼まれた。時々、僕の安否確認を兼ねて巣箱の様子を見に来た。結局、この巣箱には蜂は入ってくれなかった。彼の畑に置いた巣箱の蜂蜜だ。もう一人昨年、林檎を届けてくれた Iターン仲間のMさんも季節ごとにプラッと訪ねてきてくれる。無縁社会が取り沙汰されているが自分とて例外じゃない。今は、東京の連れ合いから毎日定時に電話が来るからいいが、これから先、歳を重ねると、いつ何時倒れて孤独死ってことも十分にありえる。くわばらくわばら。
2011年01月27日
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ツルッ とで 全治2ヶ月雪や氷は恐いですねぇ。車の運転中のスリップや散歩時のツルっとヒャァ!は、しょっちゅうのことですが、滑らないかと注意をしているので意外と大事には至りません。ところが、そんな筈がない、大丈夫と思っているときのツルッ!は注意を怠っていますから大怪我をしてしまいがちです。知り合いが梯子を屋根にかけて昇ったときがそれです。よもやと思っていたので何の心配もしなかったそうです。突然、梯子の足元がツルっと滑って2メートルの所から落下。背中を強打して骨折してしまいました。運動神経の良い彼ですから普段ならヒラリッと難なく着地していたのに、やっぱし油断大敵ですねぇ。早速に見舞いに伺いましたが、元気なので安心しました。でも全治2ヶ月の大怪我です。このところ慣れで注意を怠ってスタスタと雪道を散歩していました。他人事ではないですねぇ。帰路の雪道は必要以上に神経を使いました。ご本人の了解を得て後ろから携帯電話でカシャッとさせてもらいました。早く良くなってくださいよ。
2011年01月26日
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性が合わない本もある作者の町田康はパンクロック出身だという。パンクロックを初めて聞いたときに違和感をおぼえ、リズムが邪魔して詩も理解するまで伝わって来なかった。パンクロック出身の人はどんな小説を書くのだろうと関心を持って読んだ。ダメだ。読み進められない。最初読み始めた『宿屋めぐり』は数ページで諦めた。その五分の一ほどの厚さの『きれぎれ』も途中何度投げだそうかと思った。バックに音楽がない分、言葉や文章でリズムを作っているようだが、それを弄するあまり文意が僕にとっては如何とも不自然で、突如として変わる文脈や流れについていくことに疲れてしまう。小説を読んで難行苦行させられるのは、めったにない体験だ。それでいて悟りはなく、一向に新しい文章表現に親しみを覚えず、ただただあぐねるばかりで、わしの頭もついに硬直しちゃったんだなぁと自分を見下げてしまう。あ~ぁ読まなきゃ良かったと後悔しきりだが、やはり気になるのは芥川賞を受賞したという事実だ。この時の選考委員は何を理由に賞に値すると考えたのか知りたくなった。知って安心した。当時の選者の意見は割れていた。「読み初めてから読み終わるまで、ただただ不快感だけがせりあがってきて、途中で投げ捨てたくなる衝動と戦わなければならなかった。」(宮本輝)「『きれぎれ』には、nothing 以外にはモチーフがない。『きれぎれ』の文体は、作者の「ちょっとした工夫」「ちょっとした思いつき」のレベルにとどまっている。そういったレベルの文体のアレンジは文脈の揺らぎを生むことがない。」(村上龍)「文章のスタイルとか語り口に特徴があると見られている人のようである。しかし、次のような文章に見える特色は、スタイルや語り口以前のものである。<......木崎の住まい、谷志保1244。いままで行ったことのない地域。チーキ。><......意外なほど深く切れていた。血がだらだら流れていた。まるで鎌のような草だ。鎌草。鎌草少将。少将くらいな気持ちで行かないと駄目だ。こんな指が切れたくらいのことは少将にとっては些事だ。俺は自分にそう言い聞かせ、指をくわえた。>--駄じゃれとしても、低調の部類だろう。泰然と構えて、言葉の機能の奥深さを知り、洗練されねばならないのに、作者はこれまでの特色にひたすら勤勉であって、痛ましい気がする。文章とは、いわば人間の顔色のようなもので、全身体の状態が正直にそこに現われる。両作品は、ともにネガティブな様相を書こうとしている。そういう作品が力強い、鮮烈な作品になり得るためには、作者はポジティブなものを扱う以上に、溌剌とした創造力に満ち溢れておらねばならず、文章の問題も所詮はそこに繋がる。なお、個性と趣味・嗜好との混同は禁物で、後者に執着していては作家は衰弱するということを又しても付記しておく」(河野多惠子)強く推していたのは石原慎太郎。なーるほど。そういえば『太陽の季節』も好きになれなかったもんなぁ。さてさて 分厚い『宿屋めぐり』 読もうかなァ 読むのを止そうかなぁ~♪
2011年01月16日
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6000歩の散歩道ここで気に入っているものの一つは起伏の多い散歩道だ。先日まではクウのために散歩していたが、歩くのは健康に良いと言われて、その気になって往復3千歩の散歩の距離を延長することにした。自分のためでもあるとなると現金なもので、距離を延長しても苦にならず午前と午後の2本、合計6000歩を歩いている。途中、山の神社への迂回路を加えて落ち葉の中を歩き、帰りは舗装した道を歩く。往路は下る一方で、復路は上るだけ。ゆっくり歩幅を取って歩いているが家に着くと、うっすらと汗ばむほどだ。 危険な箇所が一箇所ある。山の陰で一度雪が降るとそこだけはなかなか解けずにアイスバーン状態になっている。車で上るときも四駆にするのを忘れてい行くと尻が振れて思わぬ回転をして冷やっとしたことが何度かある。歩いていても真上から踏み付けるようにしないと滑ってしまう。以前、隣り町に講演に来た養老孟司によると街のアスファルトでなく起伏があり凸凹して、しかも滑るなどの難攻の路は脳の刺激にもなってボケ防止に良いという。自分の最近の物忘れの酷さからすると、どれほどの効果があるか疑問であるが悪い気はしない。本の散歩の冬篭り野山を歩くだけでなく読書の散歩も冬篭りにはもってこいだ。昼のテレビに出演していた町田康の経歴が面白いので図書館から借りてきた。先ずは分厚い『宿屋めぐり』を読み始めたが話の展開についていけない。ならばと気を取り直して芥川賞をとった『きれぎれ』を読むことにした。これは何とかついていけそうだ。厚いのは最後にまわそう。
2011年01月13日
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去年まで使えたのに『カラリオ年賀'99』のソフトがバージョンアップしないと使えない。面倒なのでギリギリまで書かないでおいた。年賀状を見るとお年玉ハガキの抽選が1月23日とある。せめてその前に出さないと申しわけない。ということで重い腰を上げた。先ずはダウンロードして、立ち上げてみたらはじめの画面が全く違うし、白黒で素っけない。これでいいのかと心配にさえなる。「宛名面」「賀状面」をクリックしてみると、やはり白黒の窓が続くが、新規作成をクリックしてみると画面は違うが機能は変わらないようだ。さて、何を… 。あーでもない、こーでもないと考えあぐねて、無難なところでクウ、チュウ、ヤエの動物達と花と山菜やキノコ等の自然のめぐみを載せて完成した。 宛名も賀状面も印刷。去年は宛名書きはしたのに歳を重ねるごとに手抜きをするようになってきた。これだけじゃぁ味け無いので一言、二言添え書きをした。三が日過ぎてもポツポツ来る。最近は年が明けてから書く ともがら も多くなったようだ。50枚買っておいたのが最終的に1枚残った。来るはずの人からこないと心配になる。80過ぎの人も多い。来年も元気でいてほしい。筆無精の僕が2枚だけ、来てない人にも書いておいた。
2011年01月11日
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手作りの ククリ罠昨年は春の雪に驚かされ、夏の猛暑に脅されて、秋の猪に涙した何とも異変多き歳時の年でした。今年は大雪の前触れがしておりますが、さてさてどんな一年になることでしょう。仕事初めは地区の猟友仲間とククリ罠作りからスタートです。この罠は見てくれはチャチですが最も捕獲率の高い罠で、買うと結構な値段がします。しかも一度猪がかかると止め金やワイヤー、スプリングなどの一部は交換しなければなりませんから、最初から部品・材料を購入して手作りする狩猟者が多いようです。市販のものよりも三分の一以下で作れます。一人ではとても作れそうもありませんが、手伝ってもらい見よう見真似で私も三つ完成しました。といっても手のかかる主だった部品は、既に仲間のひとりが作っておいてくれたので、それを組み立てただけなのですが。それにしても大したフットワークとネットワークです。溶接が必要な箇所があると、知り合いに連絡して協力してもらって作ってしまう。鋼材を切るカッターの器械が持ち込まれ、グラインダー、回転する磨石、ガスバーナーなどのいろいろな工具も揃っています。材料以外はすべて手作りです。必要なものは殆ど自分で作ってしまう人たちです。 完成品塩ビの管の中には1メート50センチくらいのバネが押し込まれいます。この罠をを猪の通路に仕掛けておくのです。ワイヤーの片方を樹に括り付け、木の部分を上にして塩ビの管を地中に埋め、木の上にワイヤーの先端を15センチくらいの輪にして置いて木の葉や土で覆っておきます。猪が木を踏むと止め金が外れスプリングが開いて、足に引っ掛かったワイヤーを締めつける構造になっています。私も自分の家の近くに二つ仕掛けることにしました。ワイヤーが錆びて光らなくなった頃に捕獲できるとのことです。問題は猪の通路の発見です。雪が降ると足跡が判かるといいますから明日あたりが仕掛けのいい機会でしょう。 ”取らぬ猪の肉算用!♪” してます(笑)皆様 今年もよろしくお付き合いください。
2011年01月06日
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耳寄りな話先日の寄り合いで隣に座った先輩が、「耳寄りな話だよ」と断って教えてくれた。「冬にも蕗の薹があるから探してごらん」半信半疑であっちこっち探しまわったら、あった、ありました! といってもちょこっとでしたが。今晩、早速に天麩羅にして、これを肴にいっぱいやります。
2010年12月24日
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臭いよりも 硬いのに閉口日曜日に地域の人達と忘年会をやった。メーン‐ディッシュはもちろん猪肉の牡丹鍋と焼き肉。ところが猪の肉の硬いことかたいこと。昔、秩父の山を登った帰りに立ち寄った店で食ったのは、こんなに硬くなかった気がする。調理方法なのか、それとも若くて歯も頑丈だったからだろうか。 今日は東、明日は西と 餌のありそうな野山を駆け巡るイノシシだもの、当然のこと筋肉は隆々。その分、肉が硬いのも当たり前。歯の弱ってきた者にはかなりきつい。言われるほどに臭みはなく、味は豚に似ているが、より深みがある。思っていたよりも淡白だ。数カ月前に頂いた猪肉はシャブシャブにどうぞと言われた位にスライスしたもので、焼いてもほど良い硬さだった。きっと肉の部位や切り方、調理の仕方にも関係しているのだろう。この猪肉は、猟友会の仲間が、この地域で捕獲したものをさばいたもの。僕は生憎と出かけていたので今回は手出しをしていない。前のような血生臭さはなく、何の抵抗もなくスンナリと口に入った。こちらはお隣さんの引っ越し先を見学した帰りに寄った米沢牛のお店の牛肉料理。同じ肉料理でも牛だからか柔らかかった。米沢牛だからかなぁ。若くて頑丈な歯だったら断然ワイルドな猪料理に軍配を上げる。 僕は下の安い方をいただいた。はしたないけど、それでも2000円。上は3700円。どちらにしても味の割には高いなぁ。
2010年12月21日
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『妻を看取る日』 を観た随分前から予告をしていたドラマだ。連れ合いがいるときに、「ちょっと観ておきたいね」と言ったら、「そうねぇ あなたの方が長生きしそうだものね」と軽口をたたいていた。ガンで妻を失った医師の実話だ。昨日までいた人が居なくなったら、その喪失感はいかばかりだろう。今はとても考えられない。想像を絶するものだろう。知り合いの医師で同じような体験をした人がいる。彼は学会先で妻の突然の死を知らされた。奥さんが亡くなって数年経ってから仕事関係で知り合った人だ。家に何度かおじゃまする機会があった。家の中は手をつけることができず、奥さんの生前のままの状態であるという。何かに触れると思い出が甦り、不安になり、とどめなく涙がでてきてしまうので手をつけられないと言っていた。ドラマの原作は国立がんセンター名誉総長・垣添忠生の『妻を看取る日』(新潮社刊)だ。まだ読んでいないが読んでみたい。お迎えはどっちが先か分からないが、いつなんどき死が突然やってくるか分からない。僕が残されたら、その時、絶望の淵から這い上がることができるだろうか。
2010年12月17日
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地域通貨のグループ国道や県道をそれて町道や林道に入ると杉木立に囲まれた暗い坂道が急に険しくなり、さらに奥へと進むと突然、そこだけ青空が広がって、数軒の家々が寄り添う小さな集落が現れ、道は行き止まりとなる。この町は、そんな集落が、あっちこっちに点在している山里だ。集落には小さな棚田が前に広がり、わずかな平地はもとより斜面も畑として切開かれ耕作している。その周りには柳や葦が生え、手を抜くと田畑に覆いかぶさり際限なく生活の場に押し寄せてくる。昔は、こうした木々や草木の刈り取りは集落の人が総出でやっていたという。水道や農業用水が整備されるまでは田んぼの用水路が掘られ、集落の人が共同して草刈や落ち葉をすくい上げ、雨に流され崩れた土砂を掘り上げ水路を確保していた。こうした過酷な条件の集落はもとより、農業機械が入る以前の農家では多かれ少なかれ集落の住民同士の協働作業が「結」という形で残っていた。今はもう葬式の手伝いくらいで「結」はほとんど見られなくなった。新しく住み着いた人たちは地縁や血縁が無いだけに人間関係も希薄で、ご近所に気軽に声かけして何かを頼むということはままならない。この消えかけた人と人の協働の輪を「通貨」を媒介にして新しく甦らせようと活動している地域通貨のグループがある。メンバーのほとんどはIターンで、この地に住むようになった人たちだ。「助け合いの輪 ありがとうのこころ」に賛同して、グループに属する会員は、"やってあげられるボランティアの項目"と"やってもらいたいボランティアの項目"を登録する。会員同士は必要な時に、それを見て個別に連絡し合い、ボランティアを終えたら事前に合意した金額を通帳上でやり取りしてサインする。ちなみに僕はバックフォーを2回貸し出して通帳には10000△△(通貨単位)の残高がある。来年は、この貯まった地域通貨を使って薪作りをお願いしようと思っている。日曜日に、この地域通貨のグループの忘年会が、奥まった集落の一戸で行われた。餅がつかれ、お互いに自慢の手料理の一品と飲み物を持ち寄った。にぎやかだが、僕には寂しい会であった。と言うのもグループの代表の送別会も兼ねていたからだ。久し振りに酔い潰れてしまった。 フラダンスの手ほどきを受け興じる面々代表の彼は僕よりも一回りも若いのに物静かで、誠実な人柄で、しっかりした人物だ。農業のことはもちろん色々と物知りで、随分と沢山のことを教えていただいた。隣同士なので、時々お互いの家に行き来して遅くまで酒を酌み交わした。話さずとも、目の前にいるだけで気持ちよく時間を過ごす事ができた。秋に彼の兄さんが来たので一緒に三人で飲んだ。その時に初めて山形へ引っ越すという話を聞いた。青天の霹靂だった。悲しかった。昨日、彼の転居先の山形に案内してもらった。月山の近くで、冬は3~4メートルの積雪があるという豪雪地帯だ。大きな山に抱かれ、最上川が滔々と流れる、そんな寂寥とした、落ち着いた佇まいに惹かれ、気に入ったという。かれは、そういう男である。帰りに高速を降りて赤湯温泉でひと風呂浴びた。硫黄なのに塩辛かった。
2010年12月15日
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福島も初雪 ハウスの中はポカポカ一昨日、初雪が降ったと福島気象台が言ってました。でも我が里山は2度目。それも、うっすらと白くなっただけで午前中には消えてしまいました。本格的な降雪は下旬から1月、2月にかけてですが、この冬はたくさん降りそうです。ハウスが雪で潰れないように少し早めですが竹の支柱を立て掛けました。しっかりと立てたつもりが地面が乾燥すると緩んで竹竿が倒れてビニールを破いてしまいます。昨年は2箇所、その被害にあいました。それで今年は一工夫。竹竿で支える天上のパイプの部分にパイプをジョイントする部品を留めておいて竹の穴の開いた先端を差し込むようにしたのです。といっても、これは私の独創でなはなくて集落の農家の人から教えていただいもの。トマトを10間のビニールハウスで8棟も作ってらっしゃる本格農家ですから、そのつっかえる部品も特注物。私の小さなハウスではとても特注は無理なので有り合わせのジョイントで代用しました。寒い外も、ハウスの中に一歩入ると曇り空でもメガネがくもるほどの暖かさです。ブロッコリーが出てきて、キャベツが巻き始めました。まだ小さいので自家製ボカシの追肥をして太らせます。隅っこに定植したカキ菜もしっかりと育ち始めています。同じものを路地にも定植しましたが、外は朝晩は零度近くのため、じっと春が来るのを待っているようです。
2010年12月10日
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ヤエと半分こ 落ちたり、少し傷ついた林檎を大小ダンボールに2箱頂戴した。例年、集落の林檎農家からいただくが、これは隣り町の友人がご近所から戴いたと届けてくれたもの。山羊のヤエにあげて呉れと持ってきてくれたが、口にしてみると、これが蜜が入っていて、すこぶる甘い。ヤエには悪いが半分こして私もいただくことにした。夏には桃、冬には林檎のいただきもの、ここは果物が豊富な所だ。これに自分のところのブルーベリー、イチジク、キウイ、柿があって、新たに3年前に林檎、去年は梨、今年もカリン、梨、葡萄が加わった。今年できたメロンやスイカの種もしっかり採っておいた。前に紹介した「ビックリ苺」、そのまんまハウスに放っておいたら沢山のランナーが伸びていた。母から子ども、そして子から孫へ、孫からひ孫へ、さらにはやしゃごへ、。母強し。ポットに植え替えたら60株ほどになった。上手くいけば春に苺がワンサカ生るだろう。これで一年中、何がしかの果物が確保できそうだ。 下の三つがマザー苺
2010年12月08日
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初めての 猪解体猟友会の人からの連絡で箱罠に掛かったイノシシを捌くので見に来いと言う。昔、鶏を2羽解体した体験がある。一羽目は頚動脈を切るときにためらって深く刃を入れられなかった。2度目は躊躇なく切ることができた。だが食べる段になってまったく食欲が湧かなかった。ところが渋々口に入れてみると案外に旨く、その後は少し抵抗はあったものの食べることができた。今回、罠に掛かったのはまだ子どの猪だった。それでも20キロは優にある。これを殺すのかと思うと気持ちが騒いだ。「自分の田畑の猪にやられた作物を思い出せば殺れるだろう」「…… 」鶏の解体の比ではない。肉屋で売られた豚肉や牛肉も、誰かが屠殺しているのは頭では理解できていても、いざ自分で手を下すのはつらいものだ。罠から逃げ出そうと鉄柵に思い切りぶつかり鼻から血を出していた。前後の足をくくって動かなくなったところを首の頚動脈をナイフで切った。実際に殺すところは生臭く気持ちがいいものではない。腹を割り内臓を切り離す。他の内臓に比べ胃が異常に大きかった。次に吊るして皮を剥ぐ。途中からナイフを渡された。死んでいるとはいえ不気味だった。毛はゴワゴワしていた。引っ張りながらナイフを当てると白い皮が簡単に切れた。 罠の狩猟資格を取るというのは、ここまでやることなんだ。捕まえて後は他人任せを決め付けていたが、これはきつい。食うか食われるかまでの必死さが足りない。すごく大きなことを突きつけられた。でも、鶏の解体と同じようにいつかは慣れてしまうのだろうか。それが恐ろしい。
2010年12月03日
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干し柿柿は隔年に実る量が違うが、毎年とっている木と、とらなかった木とでは翌年の数や大きさが違うような気がする。とった翌年のほうが大きいし数も多い。これって、もぐ時に細い枝先をポキポキと折るからだろうか。柿を取るのは長い竹竿の先端を割って細い竹枝を挿して1センチほど開いた先っちょに柿の付いた枝を挟み込んで捻って折る。折った実のついた枝を挟んだまま落ちないようにして下ろして取り込む。そうすると長いと30~40センチも枝先ごとに折ることになる。一つの木で多いもので200~300個とるとして、それだけの小枝を折ることになるのだが、もしかしたら、それが剪定を兼ねていて柿の木にとって具合がいいのかもしれない。今年も柿のカーテンができた。
2010年12月01日
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山津見神社の 山御講集落にある「山の神様」の本社が隣り村にある虎捕山 山津見神社で、今年は11月20~22日に行われた「山御講」でいただいて来たお神礼をお供えして講が行われた。お札は当番で集落から二人が代表して山御講に受けに行き、それを持ち帰って集落の若衆に渡し、後は若衆が世話役になって取り仕切ってくれる。酒を酌み交わし、雑談をしながら若い人達と村の人が交流をはかり親睦を深める貴重な機会だ。最後に皆で謡を朗唱する。昔、長老のところに出かていって歌唱法を習ったというベテランたちが先導してくれるが、上げたり下げたり、延ばしたりが難しい。他の行政区ではあまり見られない習慣だというが、大切に守り遺されてきた。 左側にも出店があって賑わっていたこの山津見神社は、永承6年(1051年)創立の古社で、この山御講の3日間は大勢の参拝者で賑わい、山上の御本社において、年一度の「御扉開き」がなされ、満月の灯りをたよりに鉄鎖にすがり夜を徹してお山参りに来る方々の御祈祷が執り行われる。祭りにつきものの出店が参道の両側に開かれ、植木市もあり、何が置いてあるか見るのも楽しみだ。昨年は柚子と補植用のブルベリーの苗木を買った。安いだけでなく品物も良い。何よりも値引きの掛け合いが楽しみだ。今回は春に植えた葡萄が根切り虫にやられたのでブドウの苗木を購入した。巨峰とキャンベル二本でなんと1500円。しっかりしとして太い。春に植えた苗は果樹専門店で購入したもので、1本で、この2倍の値段だった。山津見神社は山仕事の守護および農業の守護、産業守護、それと神社の建立された経緯から盗賊除けの力があると信じられている。ご加護で立派に苗が育ち、イノシシにやられることもきっとないだろう。 境内で虎捕太鼓が打たれていた
2010年11月27日
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アンダンテ 稲の旋律隣の町の文化センターで映画会が催された。映画館の上映もいいが、こうしたホールでの上映会もいいもんだ。JAが後援していて、ここの組合員さんは半額で見られるとあってか会場は満員である。周りの席はほとんどがご婦人方で、ご近所同士といった雰囲気で始まる前から和気あいあいとしているのも映画館と一味違う雰囲気だ。この映画は、原作者の旭爪あかねが自らの対人恐怖の苦しみや、ひきこもり生活の体験を元にした小説を山田耕大が脚本化し金田啓が監督したもの。映画の主人公「千華」は、対人恐怖症でひきこもりの30歳の女性。幼い頃から母親の押し付け的な期待で音楽の道を歩むが、やがて自分自身を見失い大学を中退してしまう。中退後、アルバイト生活に入るが長続きせず、仕事を転々とする生活を繰り返し、ついには家に閉じこもりがちになり、日毎、両親とのいざこざが絶えなくなってしまう。たまたま外出した折りに、途方に暮れて乗った電車がいつしかのどかな田園地帯を走っている。揺れる夏の緑の稲に誘われるように、とある片田舎の駅に降り立ち、田んぼに「誰か私を助けてください」と書いた紙切れをペットボトルに詰めて置いてくる。暫くして、ペットボトルを拾った米農家の「晋平」から手紙が届く。こうして二人の交流が始まる。無駄の多い効率性とは相容れない農作業の体験を通して、人それぞれに合った速度でゆっくり歩めばよいことを知り、新たな立ち直りの道を見出していく。 2時間の映画の中に家族関係、農業問題、女性の自立などの問題が盛りだくさんにあって、いろいろと考えさせられた。何よりも、野良仕事の大変さや忙しさにかまけて、このところ映像に映し撮られた作物の美しさを見失っていたように思う。こんなにも素敵な稲や野菜を育てていたんだと気付かされた。原作を読みたくなった。もともとはNHKラジオで原作者の話を聞いたのが観るきっかけだったので、ぜひ原作は読みたいと思っていた。図書館に予約しておいたら、『稲の旋律』 は一ヶ月後だそうで、その前に続編に当たる 『風車の見える丘』 と完結編の 『月光浴』 が先に届いてしまった。続編、完結編を読んでから最初に戻るのもいいかもしれない。
2010年11月22日
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籾殻くん炭づくり農家は使わなくなったものを処分せずに何かに使うまで取っておく究極のエコロジストだ。不思議なものでガラクタがいつの間にか別の用途に使われることになる。この大きな缶は以前に米や麦の貯蔵に使っていたもの。最近は保冷庫を使っているところが多い。これまで涼しかったし、缶に入れ替えるのが厄介なので脱穀した籾の状態でハーべスターの袋に入れたままにしておいた。今年の異常気温と湿気で米虫が発生するわ、猫のチュウがいないのをいいことに鼠には袋を食い破られ散々な目にあった。仕方なく保冷庫を購入することにした。 7俵貯蔵できる納屋の保冷庫この要らなくなった缶で籾を摺った殻を焼いてクン炭を作った。田畑で作ったモノは田畑に返す、この点でもエコロジストとしての面目躍如たるところだ。ちょっと工夫して返すと、より一層効果があるという。手作りの有機肥料だけで化学肥料をやらないので育つ野菜も栄養失調気味で痩せていて今一。ここ1~2年をかけて土作りを基本からやり直そうと思う。その第一段が、籾殻くん炭を入れて土壌を豊かにすることだ。低温で焼いて炭にした籾殻くん炭は、保水性・通気性の確保に役立ち、微生物の棲みかとなって、土の微生物相を豊かにするという。それに珪酸分やミネラルが豊富で作物の耐病性を高める効果もあるといわれている。苗作りの段階で腐葉土に混ぜると元気な苗が育ってくれるともいう。 缶の底に煙突の根元(広がった部分)が被さる程度の紙と枝木を入れて燃やす。火がついたところで煙突を被せる。煙突の周りに缶の上まで籾殻を入れると、籾が空気を程よく遮断して燃えすぎず酸欠状態でもない良い加減で下から徐々に炭化にしてくれる。上まで炭化した段階でジョウロで表面に水をかけビニールで密閉して空気を遮断する。 二袋半の籾殻がクン炭化して一袋半に。
2010年11月17日
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猪も残していった南瓜自分で苗から育てたカボチャは玉がソフトボールの大きさの子どもときにジャガイモと一緒にイノシシに尽くやられてしまい、かろうじて残った3つの内1つを食べてみた。水っぽく甘さも今ひとつといった感じだ。猪は臭いを嗅いで味というか旨さが判るのだろうか。ここいらの猪は「メークイン」は好物でないらしい。農家はじゃがいも畑の外回りにこれを植えて「男爵」や「北のあかり」は、その内側に植えるという。真しやかに言っているが、最近の猪の端かから片っ端に食べ尽くし掘り返す行状を見ると、どうも眉つばものだ。先日来、惨状を知った集落の人から旨そうな立派な南瓜と、ちょっと変わった大きな白南瓜、きゅうりのような形をした「すくな南瓜」を頂いた。どれもベテラン農家の自信作だ。白カボチャは大きいのにホクホクして甘くておいしかった。どのカボチャも食べたら種をとって来年は猪にお裾分け(といっても罠のなかに)できるくらいタップリ作ってあげよう。サツマイモは根が着いた頃に猪に一度掘り返されたが、急いで植え直し電柵が守ってくれたお陰で半分ほどは元気に成長してくれ、ほどほどに収穫できた。
2010年11月15日
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半天然もの 紫シメジ 春に椎茸、ヒラタケ、ナメコを原木に植え付け、初夏に県のキノコセンターから購入した紫シメジの菌床が届き自分の森林の中に置いた。この紫シメジは一度置くと4年間くらいは1~2メートル間隔で円を広げるように出てくるという。木株に生えるキノコはホダ木に植えるが、地上に出てくるキノコは、この菌床を使う。手入れとしては、一年目は、菌床の上に落ち葉をかき集めて置き、菌が広がるのに合わせて翌年は一回り外側に落ち葉を掛けていく。落葉が重なって朽ちた腐葉土と落ち葉を利用した半ば自然なキノコの栽培方法だ。来年から出てくるのかなと思ったら、この秋にもう出てきた。ところが5カ所に置いたのに2箇所しか出てこない。しかも、その出ない3箇所の近くには足跡が... そういえば先日、野良仕事をしていると知らない人が山に入るのを見た。地元の人なら声をかけてくるが車を停めて、そのまま山に入っていく。ムラサキシメジを仕掛けた処に近い方向だ。猪も厄介だが、それ以上に知恵が働く頭の黒い猪も困りもんだ。戻ってきたときにはビニール袋を下げていた。最近、山でキノコ栽培している人が増えてきた。大規模にやっている人は"キノコ栽培につき入山禁止"の立て札を立てる。ところがキノコ栽培と明示すると、かえって盗っていく不届き者が跡を絶たないという。ならばと何も建て看せずに植えると、今度は自然なものと勘違いされてしまう。先日、見学した所では、鉄条網を丸めて植えた菌床の周りに置いていた。だが栽培しているモノだと判るようにしていても被害に遭うという。ほだ木の栽培ものほだ木のモノは一昨年、種駒を打ち込んでおいた椎茸が春と秋に生えてくれた。それと去年のヒラタケも少しだがようやっと出てきて。だが同じ時期に植えておいたナメコはまだだ。 今年の春に植えた椎茸、ヒラタケ、ナメコのほだ木はジッとしていて変化がない。来年はきっとゴッソリ生えてくれることだろう。こちらのホダ木たちは家の裏の土蔵の横に置いてあるので入ってきて持っていく人はいない。せいぜい野良猫か野鼠がたまーに齧っていく程度だ。
2010年11月10日
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予告編は優れもの久々に映画館の暗闇で映画を観て感動した。『おかんの嫁入り』 (監督・脚本 呉美保 原作 咲乃月音「さくら色~オカンの嫁入り 宝島社文庫」 ) だ。 何といっても、この二人の女優さんはうまい。初の共演だという。ある場面でじわッと涙が出てきた。息苦しくなった。はじめ娘の生活感のなさが気になったが、それも意味があることが進行とともに解ってくる。テレビでの映画の紹介コーナーで予告編を観て、好評を聞いて、こりゃぁ観なきゃぁと思ったのだが、どうも解説の部分が余計だったようで感動を幾分妨げてしまったのが、返す返すも惜しかった。観る前には映画評論家の解説は聞かないほうがいいかもしれない。その点映画館での予告編は、良くできているものが実に多い。削ぎ取って削ぎとって余分なものを入れないで、見たい気持ちをけしかける。だから、この映画の感想もこの程度にして、これから見るかもしれない人のために粗筋は伏せておくことにしよう。サラで見てほしい。そうそう、今度 『アンダンテ ~稲の旋律~』 という映画が福島でも上映されるという。これは先日、NHKラジオで原作者の旭爪あかねさんの話を聞いて観たくなったもの。こういう原作者の話から観るパターンはどんな観賞後感想になるのだろう。
2010年11月04日
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母への最初のプレゼント靴下は長靴で作業をしているとけっこう早く穴が開いてしまう。そんな時、連れ合いが東京に行って居ないときには自分で繕いものをする。老眼の目には針に糸を通すのがなかなか上手くいかない。細い小さめの針だといっそう通り難い。そうそう、小学生のころに母が針に糸を通すのに苦労していた。側で遊んでいると 「○○○ ちょっと糸を通してね」 とよく頼まれるようになった。5人兄姉の末っ子で母が30半ばに産まれた子どもだったので、その頃には老眼になっていたのだろう。ある時、縁日にいくと屋台で簡単に糸を通す道具を売っていた。チェスの駒のような形をした金具を針の頭に被せて大きめに開いた穴に糸を差し込むと簡単に通すことができるというもの。30円だったか50円くらいだったと思う。その時は金が足らず次の縁日のときまで金を貯めて買って母に上げた。母は大切に裁縫箱に入れて嬉しそうに使ってくれた。これが生まれて初めて母にあげたプレゼントだった。 薔薇と小菊が好きだった母 一度もこの庭の花を見てもらえなかった
2010年11月02日
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薪の準備 終わる薪ストーブの中で燃える炎を見ながら、薪のはぜる音を聞いていると気持ちが和んで、落ち着くような感じがする。でも、その準備はけっこう大変だ。最初の年は一冬にどれだけの薪をストーブで使うのか予想がつかず、結果として全く不足してしまった。足らない分は、納屋を解体した時に出た柱や角材等の廃材を切って使ったが呆気ないほどに燃えが速い。仕方なく冬のまっただ中に裏山に行って持ちの良い倒木や山道に落ちている太めの木を運んできて補充しながら暖を取った。ストックを気にしながらの何とも侘しい冬越えだった。2年目、3年目も同じように不足気味で落ち着かなかった。ノコギリを中心に木を伐っていたので能率はよくないし、太い樹は2,3本位しか伐れず、中太や細い木と納屋の廃材が中心だったので気兼ねなく燃やせる量とはとても言えなかった。今年の薪作りは順調だ。何せ一昨年の冬に田んぼの横の斜面の木を10本ほど伐っておいたので余裕綽々だ。それに今年の春のキノコの原木用に倒した太い樹の残りも結構あった。 目の高さまで2列に積んだメインの薪棚 <廊下側と窓側の軒下に積んだ薪>それと裁断するための道具は新たに購入したチェンソーと最近買った丸のこがすこぶる切れ味がよく戦力になってくれた。このチェンソーを使って昨年末に既に太い樹を8本ほど伐っておいた。これを丸太に裁断して1年後の薪用に乾燥しておこうと思う。それと新たなキノコのホダ木づくりのための太い樹も伐採しておかなければ。それに田んぼの横の斜面の中小の木も暇を見つけて少しずつで切っておきたい。これらの木々が田んぼの遮光となって日当たりを悪くしてしているのだ。邪魔な木を整備して、しかも5年分くらいの薪が確保できる、一挙両得だ。それと毎年作るキノコのホダ木が4、5年後には薪として使えることもありがたい。とは言え、体力を使う薪作りもいずれはできなくなるだろう。でも薪ストーブから石油ストーブには戻りたくないなぁ。その頃はどんな冬を過ごしていることだろう。
2010年10月31日
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6本の柿木中学生の頃まで父の仕事の関係で社宅住まいだった。庭は都会にしては珍しく広かったが果物の木はイチジクとビワしかなかった。僕には友人の家の秋に赤く色づいた実がいっぱいなる柿木が羨ましくてならなかった。中学生の頃に父が停年して建てた家にはさほど大きくはないが庭が付いていた。僕は柿を植えることを提案した。それから数年して柿木の実がなる頃には僕は見向きもしなくなっていた。それから40年近く経って、縁があってこの里山の家を購入するときに、真っ先に目についたの大きな柿の木だった。秋にはアンポ柿が実って干し柿にできると教えられると気持ちが大きく動いた。購入を決める前に柿木の実がなる頃にもう一度訪れた。柿木にいっぱいの実がなっていた。ここにしようと決めた。去年は幾分少なかったが、今年は大きな実が沢山なった。3本がアンポ柿で干し柿にする。2本が渋柿で焼酎抜きにした。そして1本が甘柿でそのままいただいている。手の届く所に柿の実がある。小さいときの願いが叶った。
2010年10月30日
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電柵をもう一つ だがまてよ今年は何しろイノシシが頻繁にやってくる。一晩荒らしていくだけでなく三晩も連日やって来て食い散らしていく。この間に食べごろの枝豆をオジャンにし、実がなった小豆を食い散らし、間引きしようかと思っていた大根が根こそぎやられ、ついでに横の人参を掘り起こし、大葉が広がりそろそろ巻き始める白菜を掘り返した。初夏にやられ再度植え直し葉が大きくなって収穫直前の里芋を根こそぎやられ、蕎麦も蹴散らし、これまでは見向きもしなかったブルーベリーまで3本を掘り返しダメにした。何よりも頭に来たのは稲刈り前の田に入って食い散らし、泥浴びする厚かましさ。 根元から掘り返されたブルーベリー里山で自然に囲まれてのんびり、ゆったりと自給自足を夢見ていたが5年目にして夢を大きく砕かれた感じがする。集落の人と顔を合わせると、どの農家も似たような被害を受けていて、年金暮らしの私以上に大変なようだ。電気柵をしていた所は、7月に草を刈らずにいて放電したために一度だけ入られジャガイモを5分の一をやられたが、その後は被害を受けていない。ならばと田んぼと、家の前の畑にも電柵を設けることにした。だが考えてみると守るだけでは限界がある。ここは入らないで他所の田畑へ行ってくれというのも自分だけが好ければという感じで気が退ける。捕らなければ増える一方でエサがなければ田畑の作物に目を向けるのは当然のことだ。聞くところによると猟をする人が高齢化して少なくなり当県での猪は激増しているという。集落でイノシシ用の大きな箱罠を5台作り、私の所にも1台置いてくれた。ただ資格が必要だという。『簡単だから受けてみろ!』という励ましを受けて、記憶力が日増しに衰える身に鞭打って受けることにした。まぐれでなんとか罠狩猟免許をとることができた。必要最小限を電気柵で守りつつ、これからは近場だけだが狩猟に打って出て守りから攻めに転じようかと思う。猪よ、覚悟しておきなさい。でもさ、この辺りには出没しないでほしい。
2010年10月27日
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目の主は…キノコを取りに入った山林でのこと。オリミキを見つけ、これは幸先よいと気を良くしながら歩いているとパキッと小枝の折れる音がする。音のした方を見ると木と葉の陰から何かが見ているような。ン? 何だろう!見ていると、あちらもジーと見ている。1秒かそこら経ったんだろうか。いっこうに動く気配がない。最近は県内でもあっちこっちで熊が出没したというニュースを聞いていたので、その間の長かったこと。冷やっとした。何のことはない、人面のような模様のある樹だった。ウサギか何かが動いたのだろう。小心者だからちょっとした音や動く気配にびくついてしまう。自分のキノコの城を持つのもいいが、やはり独りじゃぁ山歩きは恐い。 家の前の秋桜
2010年10月24日
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オリミキが わんさナラタケのことをこちらの地域ではオリミキといっています。幹がポキっと簡単に折れるように柄の部分が折れることから、この名前がついたときいています。今年は雨と天気のバランスが良かったのか山に入るといろんなキノコが生えています。このオリミキも切り株や倒木、その付近の地面一面に生えていました。 でも食べられるものかどうか不明です。持って帰って食べることができないとなると結構な量ですから徒労に終わって馬鹿らしいのですが一応持ち帰ることにしました。先ずはパソコンで調べましたが似たようなモノがあって確信が持てません。村のキノコに詳しいお年寄りに判断してもらうことにしました。一目見て『こりゃぁ オリミキだぁ』 『食えるぅ』これで大丈夫でしょう。でも数日前に、ある道の駅で売られていたキノコが毒キノコだったとニュースで報道されていたので、念には念を入れることにしました。先ずは煮て欠片を食べて1時間ほど様子を見て、なんの症状も出ないことを確認してからいただくことにしました。これを出汁にした味噌汁はナメコのようにヌメリがあってなかなかの味です。地元の人はキノコを見つけると、その場所を自分の「城」と言って他言せずに秘密にしています。私も自分の城を一つ持ったことになります。
2010年10月09日
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放浪の旅からのご帰還チュウが忽然と家をあとにしてから、かれこれ6ヶ月。な なんと、そのチュウが帰ってきた。クウの散歩を終えて帰ってくると黒い猫が玄関先に座っている。おお!チュウ?!おまえ チュウなのかい?「にゃぁん」 か細い声で返事をしながら走り寄ってきた。腰の辺りがペコんとへっこみ、やつれているが胸の白い三日月といい、目といい、声といい、チュウに間違いない。家の中に招き入れても警戒しているのか入ろうとしない。おいで お前の家だよ よく帰って来たなぁ どこに遠出していたんだい?忘れずに戻って来てくれたんだ。思わず涙が溢れてきた。好物の牛乳をやると安心したのか、自分の家を確かめるように臭いを嗅ぎなから漸く中に入ってきた。腹を空かしていたようで餌容器にしている中鉢にナミナミ注いだ牛乳を2杯んだ。落ち着いたのか座っていると膝の上に乗ってきて、落ちまいと爪を立ててしっかりとつかんでいる。以前は抱っこすると痛くないように爪を仕舞い込んでいたが、抱っこされるのを忘れてしまったんだろうか。何を食べて、どうやって生きてきたんだろう。そんなことを考えていると、歳をとったせいか、また感涙に咽んだ。 はじめ爪を立てていたが、そのうち安心して寝込んだチュウ 私もブログに戻ろう!気にかけてくださっている方がいらしたら、心配をかけているかもしれないなぁ。長らくお休みさせてもらいました。チュウの復帰を潮合いに、またボチボチと書かせてもらうことにいたします。宜しくおねがいいたします。
2010年10月04日
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花の障碍物下からのアプローチを上ってきて上りの最後の所に何処から飛んできたのか、種が花を咲かせた。丁度障碍物になって車で来た人は上手く運転しないと轢きつぶしてしまう。ここは歩いてほしい小路なので車の侵入はせいぜいのとこ郵便屋さんのバイクか、軽自動車程度であってほしいと思っていた。丁度、この花が通せんぼの役割になってくれた。運転に自信がない人で心優しい人は手前で停車して、そこから歩いて訪問してくれる。男女で言うと女性だから停車してくれるとは限らないし、意外だったのは高齢者が目がよくないのか平気のヘイで突進して踏みつぶした人が何人かいた。この花は踏まれても強く今だ元気に花を咲かせてくれている。もう少し下に広がっていくと完全に通せんぼになってしまう。それもちと困る。 縮むんだ!こちらにきて2度目の検診。若い頃に測った時には171.9センチあった身長が、なんと169.5センチに縮まっていた。こういうときは四捨五入でもして170センチとでもいってくれれば気分がいいのに、正直に書きこまれてしまった。何かで歳をとると縮むとは読んでいたが、実際に自分の身に起こると、これはかなりのショックだ。体重は、この数か月のスリム化の努力が実って68.6キロに減量成功。検査結果を見ないと何とも言えないが、今のところ困った自覚症状はない。あるのは身長短縮の心の後遺症だけかな。
2010年06月26日
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雨に野菜たちも元気この雨で畑の野菜たちも生き生きとしています。電柵の畑ではサツマイモが新しい葉をつけてくれました。どうやら活着してくれたようです。昨年は苗の一部を自分で育てましたが、今年は全てホームセンターから購入しました。二人の生産者の名前が書いてありましたが、一人の方の苗は23/50で半分以上が枯れてしまいました。もう一人の方の苗は全て元気に育ってくれました。こちらの写真は良い苗の方です。枯れた所には、元気な苗がもう少し大きく育ったら、その先端を切って移植します。蕎麦の花が咲き始めました。こちらも順調のようです。今年こそはそば粉にして自分で打ちたいものです。今日もコロッケならぬスナックエンドウこの雨で大根とカブが大分大きくなってきました。3粒ずつ播いたので間引きするのですがそれだけでも結構な量になります。これと時期が重なるのがスナックエンドウ。茹でて、そのままツマミになるので枝豆ができるまでの間重宝しています。 ですが、毎日というのも飽きるものです。小学生のころに流行った歌 ”今日もコロッケ、明日もコロッケ” のエンドウ豆版です。 こちらは実取りエンドウ、プックラと膨らんで色が薄黄緑に変わった頃が収穫です。 右側が実取りエンドウ籠にご注目!中ほどの色が新しい処は、自分で作ったヒゴで修繕したところです。古いものですが、こうして補修すると長く使えるのも竹かごの良さですね。今のところは、こうした修繕程度です。稲刈りの後には本格的な籠や笊作りをしたいなぁ。
2010年06月23日
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多田富雄の「わたしのリハビリ闘争」NHKの日曜日に放映されるアーカイブスで多田富雄を知った。世界的な免疫学者の権威であることも知らなかったが、新作能の作者であることも勿論知らなかった。放映されたのは「脳梗塞からの再生 免疫学者・多田富雄の闘い」(2005年制作) で、視聴者からの要望の高いものを再放送したものだった。多田富雄は2001年に脳梗塞を患い左半身麻痺と嚥下障害、発声障害を抱えながら執筆活動、後輩の研究者の指導にあたっていた。ところが突然降ってわいたように抜き打ちに行われた2006年のリハビリ診療報酬改定によって、リハビリ医療を受けている人々が180日を過ぎると治療が受けられなくなるという「医療の切り捨て」に直面することになり、多田もその渦中にあって、命を賭して立ち上がる。この生きる闘いを続けた多田富雄の映像記録だ。その多田富雄の人物と生きざまをもっと知りたくて図書館から借りてきたのが『わたしのリハビリ闘争』(青土社)と『寡黙なる巨人』(集英社)そして『独酌余滴』(朝日新聞社)だ。この間の雨で『わたしのリハビリ闘争』を読み終えた。その改正は病気や障害の多様性、患者の個別性を無視して一律にリハビリ医療の上限を180日するという内容で、最弱者である人々の生存権を脅かされることにつながる危険があるという。なぜならリハビリは回復だけでなく、回復できない障害を持った患者の機能を維持させ、それ以上機能低下を起こらないようにすることも、もう一つの大切なリハビリ医療なのだ。上限の日数が来たから止めるということは、この身体機能の維持的療法を取りやめることでありさまざまな機能の低下を、ひいては命を縮めることを是認することであるという。恥ずかしながら、このリハビリ治療の維持的療法という面を考えてなかった。そして、このリハビリ診療報酬改正の犠牲者の一人が、あの社会学者の鶴見和子さんだったということも初めて知った。その彼女が病床から詠んだ歌が紹介されていた。 ねたきりの予兆なるかなベッドより おきあがることのできずなりたり彼女はこうも書いている。長いが紹介したい。「戦争が起これば、老人は邪魔ものである。だからこれは、費用を倹約することが目的ではなく、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか」「そこで、わたしたち老人は、知恵を出し合って、どうしたらリハビリが続けられるか、そしてそれぞれの個人がいっそう努力して、リハビリを積み重ねることを考えなければならない。老いも若きも、天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。したがって生きぬくことが平和につながる。この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだとわたしは考えている」(「老人リハビリテーションの意味」『環』26号 藤原書店)ところで政権が代わって、この老人医療改定は是正されたのかなぁ。
2010年06月19日
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びっくり苺のランナーにビックリびっくりするくらいの甘さと大きさから「びっくり」と付いた苺。昨年暮れに買ってハウスの中に入れておいたら確かに大きな甘い実がなりました。ところがビックリこいたのは、それだけでなくランナーが延びること延びること!一つの苗から2本が出てきて、しかも牛若丸の八艘飛びのごとくピョーンピョンと新しい芽が出てきます。合計8つの新芽。先頭では今なお芽が出かかっています。頭の錆びついた電卓がピぴピ!すると、この一つが成長してまたランナーで8つの新芽!うわー!こりゃーネズミ算じゃぁ(ウヒョ!ー)。まぁ、そうは上手くはいかんでしょうが、ちょっと夢をもらったビックリ苺でした。 今年は不作?二度目もダメ?ここでは小豆は毎年、比較的に上手くいく作物。今年も楽勝と思ったら、どうもおかしな感じがします。パラパラとしか発芽しないのです。最初のは鳥にでも食われたのかと思い二度目に播いたときには防鳥ネットを張りました。ところが未だ出てきません。こっちの畑もモグラかなぁ。仕方ないので出てこなかった時のために補植用の苗を温床で作っています。こちらは1週間も遅く播いたのに、もう芽をしっかりと出してくれました。 緑は残念ながらほとんどが雑草(涙) こちらは50のポット全てが発芽
2010年06月15日
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発芽率9割を超えた理由昨年、落花生を播いた時に発芽率を確かめるために1本ずつ竹の棒を挿しておいた。今年はモグラ対策に2本ずつ挿すことにした。今回草刈りをしていて気が付いたが、土の表面があっちこっちみみず腫れのようにな膨れ上がり、歩くとズブッと埋め込むような感じがする。掘ってみると穴があいている。どうやらモグラのようだ。同じようなことがビニールハウスの中であった。こっちは全体に土が盛り上がっていた。最初は乾燥している処に水を撒いたからかと思っていたが、定植したマクワ瓜の根元がプックラと膨れ今にも苗が倒れそうになっている。押すと手の甲がグーと抵抗なく入っていく。そっと膨れた所をかき分けてみると、穴が横につながっている。結構表面に近いところで横穴通路を作っているようだ。去年よりも多く発生しているのか。それとも気がつかなかっただけなのか。落花生の発芽率が良かったのは、どうやら挿しておいた竹の棒が横穴を邪魔してくれていたからのようだ。落花生の種を撒くと指で押すとズブズブと穴の中に吸い込まれるように潜っていってしまう。ならば今回は2本の竹棒を種を挟むようにして挿し込むことにした。本当は四方を囲むと一番いいのだろうが、1列20×4本×15列だと大変な数だ。もしかしたらモグラは暗い地中の中を進むときに障害物があるかどうかを判断する特殊なセンサーが備わっているのかもしれないから1本で十分なのかもしれない。イノシシの次はモグラ、そして鳥にハクビシン。生き物との知恵比べはまだ当分続きそうだ。 合間に残っているのがジャガイモ 田圃のビオトープ用の三角池に菖蒲が咲き始めた
2010年06月12日
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嬉しさ半分お隣さんが「ジャガイモの豊作の年は米がとれんそうだ」と言う。電柵畑のジャガイモは除草をかえた二度の土寄せとボカシ肥の追肥で順調に育っているが、こういう話を聞くと嬉しさ半分だ。手前の2列半が男爵、その次の一列半がキタアカリ、最後の半列がアンデスレッド。アンデスレッドはネットで面白そうなので種イモを購入した。やはり葉が細く小さくて日本の品種と違う。去年はこの畑の反対側にジャガイモを作り、一昨年は真ん中あたりに作った。その収穫で地中に残ったものから同じように出てきた芽が大きくなってきた。大豆と落花生を播く所だが抜くのも忍びないので、そこだけ迂回して播くことにする。こちらはトックリ芋。長芋と自然薯の中間と言う、なかなかの味。昨年、はじめて植えて試し掘りして一本食べたら旨い!ところが次に本格的に掘ろうと楽しみに行ったところイノシシが食事した後。電柵の電池が草で放電して効かなくなっていた。今年は夕方に電源スイッチを入れ、朝にスイッチを切り節電。しかもいく度に電線に触りそうな草を手抜き除草をしているので防御は完ぺきなはず。電柵に守られてスクスクと育ってくれている。そろそろ杭を立てなくちゃぁ。 静の花と動の花花も色々で池の傍らに咲く花は自然に溶け込んでいるというか一体化しているが、こちらのホームセンターで購入した花は庭の中で賑やかに自己主張をしている感じがする。ホームセンターの中ではごく自然に咲いている感じがしたが、庭に植えると何か今一違和感を感じる。どうやらセンターではこの鉢が何十個もあって群生しているように見えたから良かったようだ。二鉢ではなんだか落ち着かない。花の苗を買うなんてめったにないので花選びもなかなか難しい。
2010年06月08日
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わずかな田圃でも手植えはシンドイ今日、ようやく手での田植えがすべて終わった。今年は3枚ともに昨年の冬場から水をはっておく冬期湛水(たんすい)にした。微生物の働きで発酵が起こりイトミミズが動き回り、ドジョウやフナも生息して、それを食べにカモやトンビも飛来し歩き回る。そのため田の中の土はとろとろ状態になるのでトラクターで荒掻き 、代掻きをしないで済んだ。ただ荒掻きをしない分、昨年の切り株が残っていて手植えに支障があるかと心配したが思いのほか柔らかくなっていて邪魔にならなかった。また温かくなると水面に青みどろの藻や小さな水草が発生しコナギなどの雑草はあまり発生しないというが、一番大きな田の浅い所には既に小さなコナギの幼葉が生えていた。同じ田で昨年のコナギの発生量に比べたら少ない。昨年、田の1枚だけを試した時には一度も草取りに入らなくて済んだが、今年はどうなるか今のところ未知数だ。 藻に覆われた古代米の田 もち米の田圃(反対側の上の電柵畑から写す) 間の黒いのが昨年の切り株うるち米の田。上に三角のビオトープ用の三角池と四角池。三角池に菖蒲が群生する。白い花 二つ 池の脇にコデマリが咲いている(訂正)。 反対側の山アジサイ(?)に蝶がとまった。でも写真が今一つでよく判らない。
2010年06月06日
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プールのプールいよいよ5月も終わりなのに寒いので苗は古代米を除きプールで待機させている。古代米は強そうなので一番小さな田んぼ1枚に植え終わった。田植え機だと成苗の5.5葉だと苗の上を切らないとツメにからまってしまう。昨年、これに懲りたので今回は全て手植えにすることにした。それに今年は冷夏が予想されるので苗はできるだけ大きく丈夫に育てたい。ところが、どうもプールが水漏れをしているようなのだ。昼間に貯めておくと一晩のうちに苗箱の下まで水位が下がっている。どうやら苗をプールに入れた時に長靴のままだったので薄いビニールに穴があいてしまったようだ。仕方なく朝に水を入れて溢れんばかりにしておいたが温度を測ると大分下がってしまう。急の温度差は稲の成長に悪い。若干、苗の先が黄色みかかっているものもある。そこで考えてプールの中にもう一つプールを置き、水をためて温めてから入れることにした。一挙に水を入れずに蛇口をギリギリに閉めて冷たい山の水を少しずつ温かなプールに注ぎ込んでオーバーフローしたものが流れ込むので20度以上の温度は確保できる。これが功を奏して稲も元気になった。これで連れ合いが来れば、いよいよ残る2枚の田圃のもち米とうるち米の田植えだ。準備OK。
2010年05月31日
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健忘の対策は もしかしたらこれか電柵畑のジャガイモの土寄せをすることにした。ところが軽トラックの荷台にあるはずの鍬が見当たらない。そういえば前回、追肥の溝掘りと除草を兼ねてジャガイモの横を耕して、そのまんま置き忘れてきてしまったんだろう。ところが行ってみても鍬が見当たらない。鍬で電柵の周りの草刈でもしたのかと一周してみたがやはり無い。この鍬は、昔の同僚から退職時に餞別にいただいた大切な鍬だ。しかも柄との角度が丁度良く使いやすいことこの上も無い。田んぼに使うはずはないけど、水の管理の時に持っていったんだろうか?畦の周りを探したがやはり見当たらない。この1週間で使いそうなことを思い返してみた。雨の後に筍を掘るのに使ったなぁ。上の竹藪、下の竹林と掘った後を歩きまわったがやはり無い。苗を植えたぞ!ズッキーニとキュウリとカボチャとヘチマとピーマンと…何処にも無い!俺の頭はどうなっているんだよ。おかしい!あと何をしたんだっけ。もう一度、1週間にしたこと思い返してみた。雨の日…農振会長の世話役で注文を取りまとめて提出したときに、JAで ”鷹の爪”を見つけて珍しいからと1苗買って帰ったんだ。そうだそうだ!あの苗は何処に植えたんだっけ。そうそう、ピーマンやシシトウから離して植えろといわれたなぁ。そうか白菜の後だ。だけどシャベルくらいしか使わないはずだし…そうだ食べきれなかった白菜が大きく伸びて花を咲かせていたのできっと鍬で耕したんだ!行ってみた。ポツンと草の中に立てかけてあった。だけどどうして置き忘れたんだろう。うーん 何でだろう。 横を見るとニンニクがある。そうだ!あの時も鷹の爪を植え終えて横を見たらニンニクがあったので様子を観ていたんだぁ。観終わって、いつもは定植するときはシャベルを使っているので鍬のことをすっかり忘れてシャベルだけと思い込んで持って帰ったんだ。1週間も放置していたので錆びかけていた。 ひどいもんだなぁ。これが歳をとるということなんだなぁ。そういえば、何かやるために出てきて、途中で他のものが目についてやり始めると、最初の目的をすっかり忘れてしまう。帰ってきてから、そうだ!あれをやろうと思っていたんだ!何やってんだ!なんてことがしょっちゅうだ。途中で浮気心を出さない!最初の目的を先ず終える。いつもと違うことをやるときは、そのことを意識化する! こう自分に言い聞かせた。それにしても情けないなぁ。庭先に菖蒲が咲いていた。この花言葉が 「 あなたを信じます」 「忍耐」 「あきらめ」 だそうだ。健忘気味の自分にあっても、なお忍耐強く自分を信じるか、それともあきらめるか。
2010年05月28日
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それぞれに頑張ってます雨が降る前に畑の草を刈ったり自家製の堆肥やボカシを施したからか、野菜たちはそれぞれに頑張ってくれているようです。畑は小さなのものが5つあります。主たる畑が家の前のものと田んぼの反対側の丘の上にある畑です。他に田んぼを畑にしたところ。家の上にある二つの畑で全部で2反に少し足りないくらいです。でも,そのうちの二つは耕作していません。一つは一番奥の急な心臓破りの坂の上にありここを毎日鍬を持って通う気持ちにはなりません。その坂の途中にある畑はトラクターで事故を起こした因縁の場所で,それ以来耕作を放棄しています。ただ,この畑のコーナーにキウイの棚があり収穫時にだけやってまいります。家の前の畑は小さいながらも一番広いので半分にブルーベリーを植え、残る半分には猪がさほど好物でないラッキョウ、小豆、根菜類、葉物等を回して順番に栽培しています。田の反対側の丘の上の、うちで二番目に広い畑は土がサラサラしているのでイモ類や豆類、カボチャ等を作っていますが、猪が好きなものばかりで電気柵を敷設して防御しています。田んぼを畑にしたところは一番狭いのですが,麦と大豆(枝豆)を作っています。ここは猪の通り道で敵さんに食べられる前に如何に収穫するかの凌ぎ合いの圃場です。目の前の畑の,昨年末に蒔いたエンドウ豆、種から苗を作って定植した玉ねぎとネギ、5月に蒔いた蕎麦とトウモロコシです。 スナックエンドウと反対側に実取りエンドウがあるのですがハッキリ見えません。花が咲きましたから、もう少しで収穫です。 玉ねぎはマルチしたものと、していないものがありますが、マルチした玉ねぎの方が数倍大きいです。6月下旬から7月に収穫でしょうか。ネギは先ず2センチ間隔で2畝半植えました。手前の大きい100本が購入した苗、奥の300本が種から育てた苗です。この後,3回ほど間隔を広げて植え替えていくうちに大きなものに育ってくれます。 蕎麦の手前に里芋を植えましたが芽はこれから 発芽したトウモロコシ どれが芽やら?
2010年05月26日
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俳優さんは やっぱしスゴイ雨の休みの時間つぶしは読書かパソコンの映画・ドラマが定番になっている。一昨年辺りからだがネットで無料の韓国ドラマを時々観るようになった。今、テレビで放映中の『善徳女王 』も、実はもう最後まで見終わっている。『The Great Queen Seondeok-』というタイトルで会話は韓国語で字幕は英語だったが、これが意外と解るのだ。といってもパソコンの前のシャープの電子辞書と首っ引きなのは当然のこと。ところが不思議なもので最初は繰り返し、くりかえし辞書を引いていたが見続けていると不思議と、それが三回に一度、5回に一度引く回数が減っていく。しかも意味も段々と理解できるようになってくる(と勝手に思い込んでいる)。これが病みつきになって、その後 『スプリング・ワルツ』『 華麗なる遺産』 『I love you ,Don't cry』 と現代ものも観るようになった。 これは英語力が上向きになったのかと思ったら、どうもそうではないようだ。ほとんどが俳優さんの演技の表情に助けられていたように思う。それが判ったのは今観ている 『Dong Yi』 だ。これは今韓国で同時放映されているものを2日後にもう観れるのだが、こっちは中国語の字幕スーパーだ。中国語の簡体字のため日本語の漢字と大分違い漢字からの理解は一割程度だろうか。ところがストーリーはおおよそ理解できるのだ。俳優さんの演技力って大したものです。
2010年05月24日
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おおお チュウか?先日お隣の飲み会にお呼ばれして、その時に取得したビッグニュース。下の知り合いの処にチュウに似た黒いオス猫が出没するという。しかも飼い主の猫に子どもを孕ませた不貞な輩と指弾されていた。「あの… 赤い首輪はついてる?」「首輪はないけど首輪がつけていた跡がのこっていたよ」スワッ! 「今度見かけたらチュウって呼んで 振り返るかどうか教えて!!」ということで数日後、袋に入れられて連れてこられた黒猫。年格好、大きさは同じだが目が違う。首輪の跡というのは痛々しく毛が抜けていて赤く肌が露出している。チュウの胸には月の輪熊のように三日月の白い模様がついているが、それもない。何よりもチュウと呼んでも、いつもの「ニャァオ~」と応えてくれない。せっかく連れて来てくれたのに 「違うみたいだから連れて帰って」とも言えない。これも何かの思し召しかということで飼うことにした。ところが部屋に入れても本箱の後ろに隠れて出てこようとしない。暗がりの中で夜光性の目だけが二つしっかりとこちらを視ている。リビングだけで他の部屋に行かないようにドアや障子をしめておいた。猫用のトイレットを置いたが習慣がないのかソファの脇にして臭いのなんの。あまりの臭さに昼間は窓を開けておくことにした。ところが三日目のこと、いつものように野良仕事から帰ってくると本箱の後ろに居ない!お隣に見つけたら教えてと頼んでおいたら下に戻ったようだという。おしっことウンチのニオイを置き土産に、あっけなく数日で里親体験は終わった。その代わりに新しい闖入シャが舞い込んで来た。
2010年05月23日
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雨が上がった合間に 草刈りを頼むよ野菜はそうでもないのに草はしっかり伸びてます。田の畦畔の草刈を半分ほど終えたら昨日からの雨で中断。傘をさしてのクウの朝の散歩。その足音を聞きつけてヤエが餌の催促をしています。といって雨の中、外にも出せず、どうしよう。とりあえず藁を上げておいたら、昼過ぎに雨が止みました。「さぁ しっかり草刈りをして頂戴な!」 庭の花クウの小屋の後ろにムスカリが咲いていました。昨年までは何という花か分からなかったのですが、ブログ仲間のお一人がたまたま紹介してくれていて知りました。こんな白い小さな花も咲いていました。何という花でしょうかねぇ。
2010年05月20日
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先ずはズッキーニから定植ようやく踏み込み温床の野菜たちの苗が大きくなってきた。昨日、午後から雨が降ると予報が出たのでズッキーニとヘチマを定植した。水をやるのが大変なので、最近は手抜きで雨が降る前に定植したり播種することにしている。だんだん天気との付き合いが巧くなってきた。去年、自家採種して育てたスイカが初めて大きく育ったので今年もそれから採ったものを蒔いてみた。乾燥が十分でなかったのか種に少しカビが生えていたので心配だったが、二年目で、ここの気候に合ったのか、カビもなんのその、しっかりと大きく育ってくれた。今年は、新しく種を購入した甘露マクワウリも蒔いてみた。それとご同じ行政区の農家からいただき美味しかったメロンも種をとり蒔いておいた。それと農家仲間の勉強会でいただいたアマランシャスもしっかりと芽を出してくれた。初めて挑戦するものが、どのように育つか楽しみだ。自家採種モノではカボチャ、丸ナス、長なす、ピーマンとキュウリ、それとミニトマト類が、あと少しで定植できそうだ。ただ強いと思っていた唐辛子が発芽しなかった。購入した種では、桃太郎、ニラがもう少しで仮植出来そうだ。普通のキュウリの後に栽培予定で時間差で蒔いた地這えキュウリが漸く発芽した。 中央の苗箱の植がアマランサス、手前が胡瓜 左植えの上が甘露マクワウリ、下がスイカ ピーマンとナスとトマトたち 中央左からヘチマ、メロン、ズッキーニこれだけ播くと、どの苗箱に何を蒔いたか3日経つとスッカリ忘れてしまう。最初、野菜ノートにしっかりと書いておいたので大丈夫と思っていたが、その苗箱を何処に置いたか、その苗箱の何処に蒔いたかをすっかり忘れて面食らった。それ以降は小さな竹に書いて苗箱の横に置いておくことにした。意識しないで何とはなしに蒔いておいたものなど最悪だ。見たこともない芽が出てから、また「うーん 何だっけ…」が始まった。幸い、双葉に蒔いた種がくっついていた。どこかで見たことのあるプックリした種だが思い出せない。久しぶりに戻ってきた連れ合いに訊いて「ひまわり」と判明、事なきを得た(汗)。
2010年05月12日
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高低差のあるプール 種籾を蒔いた育苗箱にビニールを覆ってから8日で一分が発芽したが、大部分はまだ芽が出て来ない。たっぷり撒いた水も乾いてきた。たまたま訪ねてきた村の人からもう水を入れても大丈夫と助言をいただき水を入れる。だが平らにしたつもりのプールの底が思っていた以上に高低差があり、出入り口に近い方が低いため、こちらの水位が調度良いと、反対側の奥の方には水が来ない。プールと言っても幅1.3メートル、奥行4メートルを深さ7~8センチほど掘った程度で、そこに厚手のビニールを張ったもの。高低差ができるだけ出ないように熱帯魚のエアポンプに使う細いビニールホースを使って水位を測って調整したつもりだったが誤差が大分出てしまった。その調整方法とはこうだ。バケツに水を入れ、その中に10メートルほどのホースを沈めておく。しばらくするとホース全体に水が入ってくる。そのホースの先端をバケツの外に持ち出して掘っておいた場所に当てがうと水位はバケツの水位と常に一致するので、その場所がどのくらい高いか低いかの様子が判るというもの。20箇所ほど水位をはかり高いところは削り、低いところは土を入れて調整する。上手く行ったつもりだったが、その最大差が約2センチほど生じてしまった。どうやら調整している間にホースの先から大分水がこぼれ出していたのを軽く観ていたのが誤差の原因のようだ。仕方が無いので低いところに木板を沈めて充てがうことにした。水を入れてから4日ほどすると、ほぼ全体が発芽した。朝に水を入れて温めておくと夜になっても保温効果があって苗は元気に育ってくれた。この分だと予定通り25日過ぎくらいには成猫(4.5葉から5.5葉)になるはずだ。 手前の少し茶色っぽいのが古代米、奥がうるち米と餅米
2010年05月09日
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猫の恋路を邪魔するものは…チュウが外出してから、かれこれ一月になりました。五年前の4月に生後一ヶ月で我が家に来た黒猫ですから満四歳の成猫で青春真っ盛りというところでしょうか。去年辺りから春になると頻繁に外出するようになりました。それでも外泊は長くて三日程度で、出入口の窓に現れては 「ニャオー」 窓を開けろと催促していました。ところが、先々月のことになりますが二週間しても帰ってきません。「おーーい チュー!」と朝晩、雪を被る山に向かって声をかけました。朝の五時頃でしたでしょうか、いつもよりも元気のない声で 「ニャォ」 と声がしました。全体にやせ細り、特に腰の辺りがペタンとへこんいます。それから十日ほどは一日中、食べては寝が続いたでしょうか、漸くもとの元気なチュウに戻ると、またに二泊三日の外泊が始まりました。ある日のこと、前の山を「ニャオ!」と言いながら帰ってきました。ちょうど犬の散歩を終えて帰ってきたところです。「ハーイ」と応えると「ニャーオ!」、「ハーイ」「ニャーオ!」 いつも「ハーイ」と応えると安心するように声に向かって駆け寄ってくるのです。ところが途中で 「ニャヒャァア!!」という別の猫の声がしました。お隣の前の家の持ち主が飼っていた三毛猫の声です。するとチュウが帰って来た道を引き返し始めました。「オーイ チュウ! チュー どうした オーイ」 声はすれども姿が見えない三毛猫の近くに行って追い払い 「チュー チュウ!」と声かけをしても、そのまま山の中に消えていってしまいました。二、三ヶ月前のこと、朝起きるといつも居るチュウがおらずリビングの窓があいたままでした。窓を中からは自分で開けられるので、ここまでは普通なのですが、ちょっと様子が変です。ものが散乱して争ったような様子で黒と茶色の毛が落ちています。無頼の三毛がチュウの部屋に押し入ったような形跡です。実は、その数日前に大きな柿の木の梢の先端にチュウが追い立てられ、その下の太い梢で悠然と三毛がふんぞり返っているのを見かけました。前は喧嘩しても負けなかったのに形勢が逆転しています。どうやら日毎、恋人との逢瀬に明け暮れて疲労困憊で帰ってきたところで三毛とやりあって負けたのでしょうか。それが高じてチュウのテリトリーの部屋にまでちん入してきたようなのです。そういうこともあって、もしかしたらテリトリーを奪われてしまったと思い、帰ってきた道をすごすごと戻って行ったのでしょうか。その姿が寂しそうで、哀れで、悲しそうでした。追いかけましたが素早くて、もう姿が見えませんでした。それから数日後のことです。下の町に買い物に出かけた時のことです。黒い猫が車の脇をよぎりました。もしやチュウでは?見るとトレードマークの赤い首輪がついています。「おお! チュウ! チュウ!」と声をかけました。立ち止まって、こちらを見ました。ところが、そのすぐ横に可愛らしい猫がいるではありませんか。雌猫のようです。雌猫と顔を突き合わせています。移動すると、それに合わせるように移動します。なーんだ恋人かぁ。人の恋路ならぬ猫の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて…じゃないが無粋なことはやめにして恋が成就すれば戻ってくるな、と思ったのが迂闊でした。かれこれ一月になりますが、まだ戻ってこないのです。チュウを見かけた処に行ってはチュウ!と声を掛けるのですが出てきません。村の人は「そのうちに帰ってくるよ」「見かけたら連絡すっから」と言ってくれるのですが、未だなしのつぶてです。車にひかれたのではないかといらぬ心配をしてしまいます。連れ合いは、「チュウはお利口さんだから大丈夫!後を追いかけてくる時も道端を歩いてくるし心配ないわよ」「もしかしたらネコ好きな優しい人が可愛がってくれて、居心地が良くてしばらく留まっているんじゃないの」と言ってくれますが、心配な日々が続きます。
2010年05月02日
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