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クワガタも雨宿り網戸がカサカサいっている。観ると立派なクワガタだ。雨からの逃れてきたのか。それとも普段の草むらの生活からのしばしの逃避行か。雨だと本ぐらいしか読むことがない僕を慰問してくれたのか。なかなか立派な角をもっている。手で背中を捕まえようとすると、ひっくり返って腹を出して抵抗している。雨宿りしているのにちょっかい出すなと怒っているのか。せっかく来てあげたのに何をするのだと抗議しているのか。写真を撮って網戸に戻してあげた。
2009年07月11日
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『インストール』これが本当に17歳の高校生が書いたものなんだろうか。やはり才能ってあるんだなぁ。以前、友人で小説家を目指していたのがいた。行李いっぱい習作がなければ一人前になれないと口癖のように言って暇さえあれば書いていた。だがいつしかその夢も潰えたようで商社マンになっていた。何度か習作を読ませてもらったが大げさな表現や難しい語彙が散りばめられ読み切るのがきつかった。感想を聞かれるのが何よりもつらかった。『インストール』(綿矢りさ)は、もっと若い人が書いた作品だというのにスーと小説の世界に入っていけた。題材もありえそうで面白いし、タイトルも意味深長でいい。コンピューターにソフトを導入するというよりも、学校をさぼり一月の間、見知らぬバーチャルな世界をコンピューターを介して体験していく、それがソフトを組み込んでいくような体験だったと言いたかったのだろう。高校生の主人公と小学生が出てくるが、それぞれの親の描き方もあっさりと淡白で好い。「17歳、最年少の文藝賞を受賞した」という紹介がなく、本屋や図書館の棚から偶然取りだして読んだら普通に楽しめる小説だ。この本とは、そんな出会いがしたかった。
2009年07月08日
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たくさんの生き物たちの餌場麦刈をしていたらピョコンと跳ねるものが。 ちょうど半分刈った麦「ん?!」 蛙だ。田圃から散歩してきたのか、それとも陸に棲む蛙なのか。写真に撮って見たらどれがカエルなのか、枯れ葉と紛らわしくて分からない。保護色なんだねぇ。 中央が蛙 手もとの本 『田んぼの生き物指標 あなたのまなざしを待っている世界』(農と自然の研究所編)によると日本カエルのようだ。これまでもカエルが4種類、イモリ、ヘビが3種類、トカゲ2種類、多数の昆虫、蝶、蜘蛛、ミミズを見つけた。無農薬でミミズやたくさんの生き物が増え、それを食べに鳥や猪や獣がやってくる。結局のところ生き物たちの餌場を提供しているようなものだなぁ。
2009年07月06日
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『愛を読むひと』ハンナという21歳年上の女性と知り合った15歳のマイケルは、彼女と毎日ベッドを共にするというひと夏を送る。ハンナはマイケルにさまざまな本を朗読をさせる。ある日突然ハンナは姿を消してしまう。互いに何の連絡も取らないまま8年の時が過ぎ、数年後、法学生となったマイケルはナチス戦犯の裁判で被告席に座るハンナを見つける。彼女は300人のユダヤ人を死なせた罪に問われていた。 何故かハンナは愛の行為の前に本を読ませる。この朗読という伏線が後半の裁判の行方、そして無期懲役で収監された彼女への朗読テープの差し入れへとつながっていく。彼女が重罪を科されようとも守り抜きたいと願った尊厳が朗読の行為に秘められている。ときどき映画の日本でのタイトルの付け方に疑問を思う。そのままの方がいい時が多いが、この『愛を読むひと』もそうだ。これよりも元々の『朗読者』の方が合っているように思う。この映画は、ユダヤ人のホロコーストを取り上げた映画としては直截的に残虐な表現していないが、それがむしろ一層悲しみを伝えてくれている。前半の甘い愛欲のシーンには戸惑ったが、それがハンナの物思いに沈み、陰りのある憂いをおびた表情を際立たせている。映画の進行とともに、その暗さの背後に戦争の傷跡があったのかもしれないと気づかされる。そして戦争が貧しい善良な女性を戦争に巻き込み、知らないうちに加害者に仕立てる恐さを伝えてくれる。それにしてもハンナ役のケイト・ウィンスレットが、あの『タイタニック』のローズとは驚きだ。綺麗で演技力のある女優さんだったが、どっしりとした名女優に変貌した。昨年のアカデミー賞で主演女優賞というのもうなづける。邦画:洋画が7:3だったが、こういう映画を観ると5:5でもいいな。
2009年07月02日
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煎ったエゴマをユカリに混ぜて小梅は漬けたが大きな梅もそろそろぷっくらしてきた。まずは梅ジュースや梅酒を作ろう。その前に瓶を確保しなくちゃぁ。昨年の梅干しに使った赤紫蘇を瓶にとっておいた瓶を空にしてと。この赤紫蘇をどうしようとネットを検索するとユカリがあった。天然の塩を使ったのでミネラルも豊富だ。晴れた日が続いたので干して乾かしておいた。磨ってみて一味、うーんかなり塩辛い。ユカリだけでは味気ないので昨年とれたエゴマを煎って入れることにした。紫蘇の香りの合間にほのかにエゴマの香りがして塩味も緩和されてなかなかよろしい。 今年はエゴマを播くのが遅かったが、苗箱をビニールハウスに入れておいたら4日目に芽が出てきた。今は4~5センチに伸びてきた。これなら大丈夫そうだ。 名前はいかめしく怖そうだが花は可愛らしい。「シブキ」の方がピッタシだ。でもやっぱりヤエは臭いを嗅いでパスした。馬にいいのだからヤギも同じだと思うが、ヤエは今のところ健康で「十薬」は不要なのかもしれないな。
2009年07月01日
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善意だけでいいのか誕生日会に招かれた。知的障害のあるS君の二十歳を祝うパーティーだ。とても素直なS君。これまでの生育歴は知る由もないが、今はある農家に住み込んでいる。どういう雇用契約になっているの分からない。そして今後どういう見通しを持っているのかもわかない。先日も鉈で指に手術を受ける大けがをした。管理や指導・教育はどうなっているのだろう。心配だが部外者が口をはさむわけにもいかない。善意だけで済まされない。実践とともに、きちっとした障害者教育や障害者福祉の知識や方法論が必要だと思う。そんな心配をよそにとても明るく元気なS君だ。ただ見守っているしかないのだろうか。庭に咲いていた花
2009年06月30日
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甘くて美味しいサクランボ昨日は町の健診。土曜日を選んだのが良くなかったようです。朝8時からというので7時に出かけたのにいただいた番号札は87番。皆さん 早い!順番を待っていると携帯に集落の人から「サクランボを摘みにおいで」と連絡が入りました。気もそぞろに健診を終えてそそくさと保健センターを後にしました。大きな木が10本ほどありました。鈴なりのサクランボ。食べたら甘~い。4,5年で実がつくと聞いて、直ぐにその気になってしまう自分があさましい。いろいろ聞いているうちにもろくも夢はついえ去りました。消毒をして、剪定をして、受粉作業をして、鳥害防止のネットで覆い、さらに実がついた時期だけ雨にさらさぬようにビニールをかけるそうです。お隣にはプラムと桃の木が植えられています。青い実が沢山なっていました。こちらはビニールもネットも掛けていません。剪定と摘花と摘果の作業があるものの意外と手をかけないで済みそうです。しかも3年で実がつくと聞いて、サクランボでしぼんだ夢はプラムと桃に熱い視線を注いで一挙に膨らみ返しました。来年は、きっと畑に4,5本のプラムと桃の苗木が植えられていることでしょう。
2009年06月27日
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『剣岳 点の記』雨との予報で映画を観に出かけたら、午前中だけ少し降っただけだった。でも種を播いた落花生やニンジン、黒豆には恵みの雨だったに違いない。久しぶりに大きなスクリーンいっぱいに迫力のある映像を見せてもらった。映画はこうでないといけない。日本地図というと伊能忠敬を思い出すが、幕府による国家事業であったし江戸時代を通じて国家機密だった。防衛を考えれば当然だが、それは明治政府以後も同じだった。当初は内務省が所管だったが、その後、軍の参謀本部測量局が担い日本全土の正確な地図作りを始めた。そして国内地図上の唯一の空白地点が前人未到の険しくそびえる剣岳であった。その参謀本部の命令によって文官測量士が剣岳頂上への三角点設置と周辺の三角点網の整備を行う物語だ。しかも当時、ヨーロッパの登山技術と装備を備えた山岳会が初登頂に挑もうとしていた。軍の威光から山岳会に後れをとるわけにはいかなかった。命からがらの登頂に成功する。だが…これから観る人に悪いから顛末は書かないことにする。でも頂上に上り詰めた寸前に、現地の案内人が一歩退き先頭を譲る場面には泣けた。測量師は頑として前に立たない。「あなたなくしては、この困難な踏破は実現しなかった。あなたは仲間だ」 麓の村の案内人(左)と測量士山岳文学の巨匠、新田次郎の原作だ。
2009年06月24日
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電気柵の中昨年、思い切って電気柵で囲った畑は何事もなく穏やかだ。ジャガイモも大きくなって花が咲いている。収穫も間もなくだ。ここには猪が大好きなイモ類(ジャガイモの他にサツマイモ、トックリイモ、キクイモ)やゴボウも安心してそだっている。豆類(黒豆、アオバタ、枝豆用黒豆)も播いた。写真は落花生を播いた場所。4粒ずつ播いた。1畝15にして10畝だから結構な数だ。今回は面倒だったが、その一つひとつ播いた処に竹杭をさしておいた。防鳥の透明糸も1メートル間隔に張っておいた。 去年とれた落花生は鹿児島の友人から頂いたもので、ここで育って3年目になる。寒いこの地にも大分慣れてきてくれたと思うが、どれだけ発芽するのか見ておきたい。それと、このまましばらく放置しておくので草もだいぶ生える。昨年、草を刈るときに、その中に隠れてしまった落花生まで一緒に刈ってしまった。これなら大丈夫だろう。
2009年06月23日
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怒り心頭に発するクウの散歩に行くと棚田の一番下がトラクターでもかけたように荒らされていた。やられた!猪が掘り返した後だ。畑の一つを電柵で囲ったので代わりにこちらにちん入してきたようだ。この田は、昨年、自然農法で作ったので水捌けを良くして畑のようにしてあった。畦の草を入れて土も肥えてミミズが沢山いた。どうやら、このミミズを食べに来たようだ。遠くから見るときれいに耕しているようだが、近くに行くと思いっきり掘り返えしたのだろう深いところで40センチほどえぐられデコボコだ。これでは稲作りは無理なのでトラクターで均して畑として使うことにした。二日がかりで草を刈り大豆を播き刈った草をマルチに敷いておいた。芽が出たところを鳥に食べられないよう用意周到に防鳥糸を張り巡らせておいた。 ところが十日ほどして散歩で通ると今度は反対側を掘り返えされていた。獣害は山里の宿命なのだろうか。昨年、リンゴや桃の栽培農家も猪や猿の被害を受けたという。みんな戦々恐々としている。
2009年06月22日
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父の日のプレゼント父の日に大好きな芋焼酎が送られてきた。子どもはそこまで気が回らないのを承知している東京の連れ合いが代わって送ってくれた。母の日に比べて父の日は付け足しのような感じがしないでもない。母の日にプレゼントしたが、親父には一度もプレゼントを贈ったことがない。真面目を絵にかいたような親爺だった。高校生の時に取っ組み合いの喧嘩をしたことがあった。振り払ったらあまりにあっけなく倒れてしまった。あの時以来親爺は叱らなくなった。
2009年06月22日
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重力ピエロ連れ合いを福島駅に送りがてら映画を観た。『スラムドッグ$ミリオネア』を観たときの予告編でやっていた一つで、タイトルが妙に気になった。「重力」と「ピエロ」がどう結びつくんだろう。こういう言い方ってないよな。そう思いながら観終わった。最後の最後に空中ブランコを飛ぶピエロを観ている親子の回想シーンがある。タイトルはどうやらここからきたようだ。 空中ブランコを観る家族 【ストーリー】遺伝子を専攻して大学院に通う兄の泉水と芸術的な才能を持つ弟の春は、血のつながり は半分だが仲の良い兄弟だ。父と三人で平穏に暮らしている様に思えた家族だが、実は春の出生に関わるあまりにも重たい忌まわしい事件があった。それは、心の奥深く重たく沈んでいるだけだった。事件の加害者の出現と時を同じくして起こる連続放火。その現場には謎めいたグラフィックアートと文字が残されていた。 このタイトルは、画面での台詞の通り「血のつながりなんか何でもないし、遺伝子なんて関係ない、自分たちは最強の家族だ」 「愛と絆で忌まわしい重力なんてはねのける」と言いたかったのだろうか。そうも言いたかったのだろうが、こうもいいたかったのではないだろうか。ピエロがまるで重力がないかのように空中ブランコを飛び振舞っているが、最後には逆らえずに落下する。自分たちは固い絆で結ばれた最強の家族だと言い聞かせ、重たい過去を忘れたように振舞い生きてきた家族も、結局は最後に引きずってきた重さに耐えきれない。そういうこともあると言いたかったのかもしれない。ちょっとネガティブすぎるかなぁ。もうちょっとポジティブに考えないといかんかなぁ。タイトルの重力ピエロはなかなか意味深だ。そう思うとなかなかいいタイトルに思えてくる。伊坂幸太郎の同名の原作を読みたくなった。
2009年06月19日
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梅の恩返し昨年まで寄生木の蔦に絡まれて窮屈そうにしていたのを切ってあげたら、その恩返しか今年はたくさんの梅の実をつけてくれた。これで三分の一ほどだが残りは高いところだったりで手が届かず諦めた。小梅は梅干にしか使っていないし、梅干にしては小さすぎて頼りない感じがする。7月に入ると大きいほうの梅ができる。こちらは梅ジュースや梅酒にも使っている。 梅の近くに咲いていた。面白い形をしていた。
2009年06月17日
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水中歩行 いい運動だった 田圃の除草をやった。冬期湛水の田は除草をしないで様子を見る。自然農の田圃は大きい雑草だけ手で一つ一つを抜く。今回の除草は普通の代掻きをやって田植えした田圃だが、5日ほど遅かったようだ。大分コナギも成長しているものもあった。昔ながらの除草機を転がそうと思ったら手植えした稲の間隔が狭くて幅がぎりぎり。仕方なく周りだけ除草機を使って稲の間は歩いて回った。 水中から浮き上がったコナギ泥の中というのは砂浜を歩く以上に負荷がかかって難儀した。午前中いっぱいで半分終えてダウン。午後からはハーブ湯に浸かりに出かけた。貴重な梅雨の晴れ間に湯に浸かりに行く暇人はいないようだ。駐車場も風呂の中も誰もいなかった。 相当に疲れたのか、昨夜は9時に寝て今しがた5時過ぎに目が覚めた。久々の熟睡。いい運動になったんだ。桑の実ジャム1回目は少量だけ作ったが、これが軸を取るのが大変だった。濾せばいいのかなぁ。2回目はちと工夫が必要だなぁ。一昨日の雷雨で実もだいぶ落ちてしまったかもしれない。
2009年06月16日
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今年は桑の実がたくさん昨年、一昨年とどういうわけか桑の実が紫に熟さず、緑から白く乾燥したようになってしまった。来たばかりの年はたくさん実がなって指を紫に染めながらジャムを作ったものだった。今年はまたダメかと半ば諦めかけていたら、しっかりと赤から紫へと熟してくれた。今年もジャムを作ることにした。それと例年通り桑の葉も新芽と若葉を摘んで干しておいた。桑の中のデオキシノジリマイシンとかいうのが、炭水化物(糖質)の吸収を抑制したり食後の血糖の上昇をおだやかに抑えるというし、多く含んでいるカリウムが高血圧の原因とされている塩分(ナトリウム)の排泄に効果があるので境界型の糖尿病で高血圧気味の僕にはとっておきの健康茶だ。 こぼれ種で得した気分庭先に毎年春と秋に蕎麦の花が咲く。昨年も秋口に咲いた。今日も白い花を見つけた。ここで脱穀したときのこぼれ種だろう。なんだか得した気持ちだ。この種も夏に秋の種と一緒に播くことにしよう。もう一つミントの葉の間に押されぎみに葉を広げているのがジャガイモ。ジャガイモといえば今回、落花生を播く予定の畑の草刈りをしたら、あっちこっちに葉を広げていた。昨年、そこでジャガイモを作ったときにイノシシに荒らされ取り忘れたものだ。邪魔になるので引き抜きたいが、今年植えたものよりも大きく育っていて、そのまま置いておけば結構大きなジャガイモが育つかと思うと惜しくて抜けない。
2009年06月13日
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ボカシの材料は米ぬかと山里の微生物山里の微生物といっても何のことはない落ち葉に付着した菌のこと。一時期、EM菌という有用な微生物群を使ったことがある。でも考えてみれば山の落ち葉も微生物によって朽ちて土にかえるわけだ。ならば、わざわざEM菌を購入しなくても、この山里に生息している微生物を使って発酵肥料を作った方が、この地で育つ作物には優しく自然ではないかと思い直して落ち葉を使うことにしている。米糠は炭素と窒素の比率(C/N比といっている)が10~25なので、発酵肥料の有機資材にかなっているといわれている。完熟した堆肥よりも発酵途中のボカシの方が即効性があるので少量(1苗に指でつまむ程度)使えば済むから一回に作る量もそれほど多くなく手作りで十分だ。以前は土の上で作っていたが、土と混じってしまい発酵の調整や加減が難しいので今はプラスチックの衣装ケース箱を使っている。堆肥は完熟させるし量も使うので、これまで通り土の上に積んで作っている。 水を加えかき混ぜた米糠と落ち葉衣装ケースに七分目くらい米ぬかと落ち葉を一つかみ入れて混ぜる。それに水を加減しながら加えてかき混ぜ、手で握って形が崩れない程度にする。それを毛布等で覆っておく。二日目くらいで発酵が始まり発熱する。高温になりすぎるとせっかくの窒素がアンモニ化してしまうので混ぜて温度調整する。発酵すると甘ったるい匂いがし始めるが、この状態からしばらくすると味噌や醤油の匂いがしたらボカシのできあがり。この加減が難しくてなんどやっても判りにくい。5回に一度くらいしか満足のいくボカシができない。 発酵熱で45度まで上昇 インク草(ムラサキツユクサ)青いインクの色に似ていたからついた名前なんだろうか。東北南部も梅雨入りが宣言された。正式名の通り梅雨に合わせたようにきれいに咲き始めた。
2009年06月11日
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手作りの「もんどり」を仕掛ける去年の3月に田圃で泥鰌を捕まえ、それをビオトープ用の三角池に放流した。(http://plaza.rakuten.co.jp/sizengaippai/diary/200803220000/)それが今年の田植えをしている時に足元で見つけた。随分と立派になっていた。これは久しぶりの泥鰌鍋だわい(ニンマリ)。さてどう捕まえようか。前回は田圃の溝の浅瀬に固まって群れをなしていたので駕籠ですくったが、今回は広い田圃と三角池の何処にいるかわからない。そこで思い付いたのが、いつだった小さいときに映画で見た泥鰌を捕りの仕掛けだ。インターネットで調べたら「もんどり」というそうだ。昔は竹だか藁で編んであったように記憶するが、今はなんと空のペットボトルを利用して作っているのを見つけた。【もんどりの作り方】(1)2リットルの大きいペットボトルを口の方から三分の一程度に切断する(三分の一の 方をA、残りの三分の2をB)。(2)Aの先端の注ぎ口のプラスチックを切り離す。(3)Bの底、側面を錐で孔をあける(池の中から出し入れするときに、その孔から水が出 入りできるように)。(4)Aの尖った方からBの切り口にはめ込む(簡単にはまり、取り外しができる)。(5)Bの上とBとAの重なった部分にビニール紐を通す孔をあけ紐を通しとめる(池の底に 沈ませたたのを引っ張り上げるためと、その時にAとBが離れないようにするため)。 このもんどりの中に米ぬかと田圃の土を混ぜた団子を入れて池に沈ませた。2時間後に引き上げてみるともんどりの中で泥鰌がうごめいていた\(^o^)/泥を吐かして明日は泥鰌鍋をつっつきながら一杯だね。
2009年06月09日
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三つのイモ昨年はイノシシに収穫寸前のジャガイモをやられてしまい涙した。それでイノシシ対策に電気柵を取り付けた。今年もお隣が種イモを植えた段階でイノシシの襲撃を受けたと聞いて耕すと同時に敷設した。ジャガイモはキタアカリ5畝とダンシャクを1畝半植えてみた。1回目の草刈りを兼ねた土寄せも終わった。 白い線が電柵 手前が男爵 ネギを挟んでキタカリ今回はサツマイモは、苗は踏み込み温床で作ったものと買ってきた苗を半々植えてみた。昨年は雑草に埋もれてしまったので今年は黒マルチをして植えてみたが、しばらくすると葉が萎びてきたので、マルチのせいかと心配したが、今は新しい葉が出てきている。 長イモは地中深く成長し掘るのが大変なので、今年はずんぐりしたトックリイモを植えることにした。溝に溜まり堆肥化した落ち葉と牛フンを畝の脇に埋めておいた。早くも芽が出て蔓が伸びてきたので昨年使った支柱の竹を挿しておいた。 手前の蔓は50センチも伸びた
2009年06月07日
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自然農法の田植えも終わった昨日、残っていた自然農法による田植えも終わって、これにて今年の田植えはすべて完了した。自然農法の稲作りは不起耕で代掻きをしない。化学肥料はもちろん有機肥料も入れずに田圃や畦に生えた草を刈って敷いて草マルチとして利用しながら緑肥にする。草マルチだけで農薬を使わないので途中けっこう草も生えてくるが、生えてきた草は刈ってまた土に返してあげる。 この則面も含めての畦の草刈りが大変な棚田 ただ草を刈り集めて田圃に敷く作業と水がいきわたり排水しやすいように予め掘っておく溝切り作業が結構な重労働できつい。苗の手植えも代掻きしていない固めの土に小さな穴をあけて埋め込んでいくので普通の田植えよりも10倍以上の手間と時間がかかった。 左下が畑苗代 刈った草を半分ほど敷いた 既に苗代の段階で5~6に分結したものもある 敷いた草をかき分け穴をあけて埋込んだ 1本植えの苗これではスローライフとは言えあまりに効率が悪すぎる。冬期湛水は水が温かく土もトロトロで手植えしやすく最高だった。稲の成長も今のところ順調のようだ。心配はコナギの発生だが、これは今のところ分からない。 田植え10日後の冬期湛水の苗 順調に分結が始まる 来年は同じ不耕起ながら代掻きをやめて手間をかけずに冬期湛水にして、苗は畑苗代で分結するまで丈夫な苗に成長させてから手植えする折衷稲作を試みてみようかと思う。 雨でどこにも出かけられず、前足で目隠ししながら寝入っているチュウ。
2009年06月06日
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『スラムドッグ$ミリオネア』田植えの合間に映画で中休みした。日本でもみのもんたが司会をした同様のクイズ番組がある。何度か見たことがあるが、現在は特集番組になったようだ。映画はインド版の「クイズ$ミリオネア」がストーリーの軸となって展開されていく。インドといえばバンガロールがアメリカのシリコンバレーを凌駕するほどのIT産業が盛んで21世紀の世界経済をリードするとさえいわれている。映画の舞台となったムンバイもインド最大の商都であるが、一方で貧困を象徴するスラム街を擁している。主人公は、そのムンバイのスラム街出身の無学の若者。「クイズ$ミリオネア」に出演した彼は、あと少しで史上最高額の賞金を獲得するというところで、不正を疑われて逮捕される。学歴ゼロの彼がなぜ次々と正解できたのか。警察での尋問、少年時代からの壮絶な体験と純粋な恋愛の経過をクイズ番組の問題と交錯させながら進み、最終問題の回答に向き合う。そして劇的な恋人との再会のラストシーンにつながっていく。 映画はとても臨場感にあふれていた。これは迫力あるカメラワークもさることながら、映画がこのスラム街で実際に撮影され、現地の子どもたちが出演したことによるのだろう。つい最近、このスラム街が打ちこわしされる様子がニュースで報道された。出演した子どもたちの家が無残に壊され行き場を失った子どもたちの姿が映画と重なって痛々しかった。 恋人の役の子役 ルビナ・アリ
2009年06月04日
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池の横の花々家の下の池には春になると真っ先に水仙が咲きはじめ、水芭蕉が花開き、アジサイを木にしたようなこの白い花(ヤブデマリ?)とシャクナゲが咲き、アヤメが咲く。そして最後に芙蓉の花が夏ごろに咲いて終わる。秋にも花がほしいのでコスモスの種を播いておこうと思う。 クウがアヤメのそばに寄ってきた。きれいな花を愛でるのは同じかと思いきや、アヤメの地面に気になる匂いか、クンクン嗅いでいる。花には興味がないらしい。 ビニールハウスの苗たち5月に建てたビニールハウスに早速に播いておいたキュウリやカボチャが芽を出した。踏み込み温床で芽をした苗ポットをビニールハウスに移動したナスやピーマン、トマト、スイカも少し大きくなったようだ。移植する先の畑も草だらけなので準備しておかなくては。
2009年06月01日
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意外と目がかわいいトカゲ草むらで這う音が!一瞬緊張が走ったが袋の上にひょいと現れたのはトカゲ。近づいても逃げないのでじっくり観察すると、蛇の目のような冷たさと違って意外とカエルのような可愛い目をしていた。カメラは気まぐれものだし撮影の腕が輪をかけて悪いのでアップして、その可愛らしい表情が写せず残念。 田植えの中休み、ハーブ湯に浸かりに行った花工房の薔薇は、色合いが見事だった。携帯電話のカメラで撮ったのだが、これまたピントがずれていた。 風呂上がりは何もしたくない。帰ってきて、畑から直行のスナックエンドウを茹でた。これが甘い! 何もつけずに枝豆感覚でこれをつまんで飲んだビールは旨い♪!寝転んでうたた寝した。
2009年05月29日
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ああ~ぁ 勘違い・計算違い昨年まで余分に作リ過ぎて捨てていたので、今年は思い切って減らしたら今度は田圃1枚分が不足してしまった。幸い知り合いのIターン仲間が残った苗箱を都合してくれたので何とか田圃半分だけの不足しただけで済んだ。でも植える処があるのに植えられないのは何とも寂しいというかやるせないものだ。 苗代と成苗そもそも計算違いしたのは株間40cmの疎植を半分の20cmに縮めた分を計算に入れてなかったこと。昨年の倍の苗が必要なのに、余った分をそっくり減らしてしまったのだ。こうした勘違いが最近、頓に多くなった。それと苗箱の中に生えた苗の間隔がおよそ1cnなので苗箱の大きさを単純に楯横20倍すると1枚当たりの植える田の面積が算出できるはずとにらんだまでは良かったが、田の大きさを目算しただけだったので大分誤差が生じてしまった。 白いのは抑草用に撒いた米糠とクズ大豆緻密さと大まかな所が以前のようにしっかり使い分けができなくなった。情けないといったらありゃしない。というわけで来年はしっかり測量して、再度計算し直して、しかも捨てるつもりで予備を何箱か用意しなければと反省した。とはいえ手のかかる分の田植えはやっと終わったのだ(ホッ)。あとは自然農の小さな田圃に古代米の苗の手植えを残すのみだ。この方法も畔の草を敷いて土を穿って植えるという変わったもの。また次回に報告。 ビオトープの菖蒲上の写真の田圃の奥にビオトープ用に作った池があり、その脇の菖蒲が咲き始めた。もうちょっとで満開になりそう。先日、ここでイモリを発見した。今日も、田んぼに泥鰌がニョロニョロ動いていた。
2009年05月28日
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初めての試み 冬期湛水心配していた苗も順調に伸びてきた。ただ苗作りをした苗箱数を計算違いをしてしまった。昨年は一本植えで、苗間40センチと余りに疎植だったので、2本植えにすることにして苗間も半分の20センチに縮めたのを計算に入れずに、去年の余った苗箱分を減らしてしまった。アリャーと思ったが後の祭り。来た当時から何かと相談にのってもらっているIターン仲間に余ったら苗をちょうだいとお願いしておいたら3箱余ったろ連絡があった。有難かった。この田圃は代掻きを省略し、雑草防止のために昨年の収穫後からずーと水を入れっぱなしの冬期湛水を試みたもの。水の中は温かく、代掻きした以上にトロトロした状態で手植えには申し分ない。問題は雑草が特に昨年悩まされたコナギが生えてこなければいいのだが。奥の方がいただいた苗を4本植えし、手前は自分の有機農法で作った苗を1~2本植えにしたもの。このあと、この田圃の上の一番広い田に自分で作ったもち米とうるち米の有機苗を手植えする。成苗といって苗が4.5葉以上に成長したものを使う。そのため1苗箱の種モミも50~60グラムと慣行農法の3分の一以下に少なめにして播き、その分栄養を十分に行きわたらせ大きくさせて1本から2本植えるようにする。、昨年は田植え機を使ったが大きく成長させたため機械に絡んで根を切ってしまい、もう一度手植えし直した苦い経験をした。葉の上を切って短くして田植機で植える方法もあるが、なんとなく可哀相だし、自信がないので手間はかかるが手植えすることにした。 庭先の菖蒲田圃のビオトープの菖蒲はまだ蕾だったが、庭先の菖蒲は一足先に咲いていた。 田植えに時間をとられ、バタン休の状態です。皆さんのブログへは田植え後にゆっくり訪問させてもらいます。
2009年05月23日
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ん? 突然の訪問者畑で雑草取りをしていると日焼けした顔がニュッと現れた。突然だったこともあって瞬時に記憶が思い出されない。悪いことに逆光で姿も顔も一層黒くシルエットになっていて、しかも会っている時はいつも背広姿で、見慣れない作業着を着ているのでトンと分らない。「どなたでしたっけ…」「○○です」「ん?」 この地域は○○という苗字が半数いるくらいに多いから姓でなく名で呼び合う。「この間言ってた山椒を見つけたんで持ってきたよ」 「岩男さん?!」漸く頭が回転した。花卉を栽培している人だ。ある会で知りあって顔を合わせたのは都合4回くらいだろうか、先日、たまたま出会った時に立ち話で「山椒の木ってどういうの?」って訊いたことから山で見つけたら持ってきてあげると言ってくれていた。律儀にもわざわざ持って来てくれたのだ。こういう点が都会と違って社交辞令でなく本音で優しく親切なのだ。それにしても昔と違って、すぐに顔と名前の記憶回路がつながらない。脳も随分と頼りなくなったもんだ。早速に料理中にもパッと葉を採りに行きやすい処に植えてあげた。 早く大きくな~れ!畑を見回るとスナックエンドウや赤エンドウはは小さな莢をつけ、親孝行インゲンもしっかりと芽を出し、定植したキャベツもしっかり活着した。キャベツの周りの草は刈った雑草をマルチにしたもの。イチジクも小さな実をつけ、夏にはきっと大きな甘い実となってくれるだろう。
2009年05月19日
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花がいっぱい朝から久々の雨ビニールハウスで作業でもするか30分かけて福島市内の映画に行こうかそれとも12分の手軽な隣市のハーブ湯に浸かろうかいや どうせ行くなら45分かけても温泉がいいだろうと思案しながら 結局 花を見がてらいつものハーブ湯に遊ぶのも手抜きになってきた
2009年05月17日
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Tくん と Tさん先日観た『グラン・トリノ』で主人公が、はじめ隣家のモン族の家庭を黄色の下劣なヤツらと蔑んでいた。その差別用語を聞いてふと昔のことがよみがえった。韓流ブームで沸いた韓国映画の日本への輸出も一時の8割減という。一時の流行だったのだろうか、それとも韓流ブームによって日本人の中にあった朝鮮人への差別は薄れたのだろうか。私の小学生時代の友達にT君とという在日朝鮮人がいた。両親は小さなラーメン屋を営んでいた。彼は秀才でいつもクラス一の成績だった。昼休みなど僕らがドッジボールに興じている時に校庭の隅で一人何かを読んでいた。あるとき読んでいたノートを見せてもらった。当時は高学年でローマ字を教わるが、それとは違うようで読めなかった。訊くと中学で習う英語だという。物静かなたち振る舞いで、正面からジッと目を見ながら静かにボソっと話しをする。ラーメン屋の2階が住まいで、家によく遊びに行って軍艦将棋で夕方まで遊んだ。そのT君とは同じ区内の中学に進学したが、クラスが分かれて新しい友達ができていつしか疎遠となった。中学時代は男子と女子が分れて2学級が合同して授業を受けるが、その時は久しぶりに隣のクラスのT君が一緒だった。ある日、口ごたえしたことがないTくんが静かに体育の先生に抗議をしていた。先生の顔が赤くなり「…のくせに」と言っていきなり体育用具室の鍵のついた厚い板の角で頭を殴った。彼はひるまず恐いくらいキッと睨んで立っていた。差別用語を聞いたのは、これが初めてであった。彼は都内のもっとも秀才が集まる高校へ進学していった。Tさんとは高校時代に知り合った。それは色白で一重の瞼をした綺麗な女の子だった。日本名でTと言っていた。ある日、僕の誕生日にプレゼントしてくれるというんので駅で待ち合わせをした。現れた彼女はチマチョゴリの民族衣装を着ていた。一緒にいて人の往来がとても気になった。差別意識なんて僕の中には露ほどもないと思っていた。中学時代のT君への教師の暴力に憤りを感じた自分なのに、何だろうこの気持ちの揺らぎは…。その時間は終始ぎこちなかった。ほどなくして彼女は僕から去って行った。僕は心の底にあった差別観を憎んだ。心から恥ずかしく思った。
2009年05月15日
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実取りエンドウと赤エンドウ豆エンドウマメに花が咲きました。畑という感じがしないくらい草が生えていますが一応畑なんです。もうすぐ実がなります。隣にはスナックエンドウが同じように花を咲かせました。今回は、自然農の会で頂いた赤エンドウ豆を播いておいたら育ってくれました。赤いエンドウ豆は蜜豆の餡子の横に何粒か入っているというとピンと来ると思います。鉄分がほうれん草の2.5倍というのも意外と知られてないことです。塩茹ででビールのつまみにしようかと算段してます。 里芋の芽出し苗木市で里芋の種イモを買ってきました。結構の量があって1000円というところをまけさせて850円。市の良いところは値引き交渉の駆引きが楽しいのです。苗箱に浅く植えて軽く土をかけ藁を覆って水で湿らせて10日ほどで芽が出てきました。もう少しして葉が出てきたところで定植です。 犬小屋の横で見つけた花犬小屋の脇に見つけました。去年は見かけなかったような。あるいは咲いていて気がつかなかったのでしょうか。
2009年05月14日
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『グラン・トリノ』先日、久しぶりに映画を見た。『グランド・トリノ』だ。ベトナム戦争での体験が深い傷となった老人は、それゆえに気丈に振る舞い頑固一徹な生き方をするが、周りから疎ましく思われ孤独だ。ただ一人の理解者である妻に先立たれ、どう人生にピリオドを打つか迷っている。隣に住むラオスの戦禍から逃れて移民してきたのモン族の青年が不良仲間にそそのかされて老人の愛車「グラン・トリノ」を盗もうとしたことから、その家族との交流が始まる。暴漢から娘を助け、生活習慣の違いに戸惑いながらも家族との気持ちが通じ始める。仕事に就き前向きに生き始める青年を援け付きまとう不良グループに立ち向かうが、それが裏目に出て家族が襲撃をうけ娘が暴行を受けてしまう。 結末は辛いがすがすがしい。頑迷な老人をクリント・イーストウッドが渋く演じている。黄昏を迎えた高齢者は、誰もがこれまで生きてきた過去を振り返りながらどのように最後のピリオドを打とうか迷っている。自分とは違った終止符ではあるが、今まさに迷いながら自然の中での生活を選び、日々を過ごす自分に納得するものを感じた。
2009年05月12日
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鶏小屋とビニールハウスの完成この山里に来た時の夢は、できるだけ自給自足に近づくことだった。卵がとれれば動物性のタンパウク質は確保できる。しかも3年周期で鶏の肉やスープも頂ける。明日、4羽のメスと1羽のオスがここに入る。残すは山羊の乳と池の鯉とビオトープの泥鰌を増やし、大豆から納豆と豆腐を作るようになればググッーと自給自足が近づく。そうそうミツバチの蜂蜜も残っていた。もう一つは冬場の野菜だ。夏以降はそこそこに取れるが、冬から春先にかけてどうしても野菜不足となる。いつも塩漬けした野菜や山菜では飽きてしまう。新鮮な野菜が食べたいと思っていた。といってスーパーの野菜コーナーで買うのは何とも気が引けるし、知り合いの農家の農薬の話を聞くと二の足を踏んでしまう。義弟がこの連休に来てくれてビニールハウスを二日がかり作ってくれた。材料のパイプの骨は三年前に知り合いの農家の人の紹介で、ハウスをやめた農家の古いパイプをいただいておいたもの。上は錆びていないが地中に埋めてあった部分は腐食していたので、暇を見つけて腐った部分に新しいパイプを切ってつないでおいた。パイプの組み立てはほとんどは義弟がやってくれた。僕は手伝っただけであっという間に組み上がって行った。二日目は義弟の奥さんの応援も受けて、さらにピッチも上がり最後のビニールを手際よく被せてくれた。さっそく中に入ったら暑いくらいだった。三年越しの夢がかなった。これで冬場の野菜作りも雨の日の作業も可能となった。真冬は無理としても春の葉物を食べれそうだし、夏ものの野菜の苗作りも少し前倒しできそうだ。
2009年05月10日
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甘く柔らかいウド冬に枯れて茎が何本も倒れているのを目印にしておくと今の時期その下に10センチほどの山ウドが生えている。下の根の赤い所から白い部分までが甘くて柔らかくプーンと香りも高く旨い。青い部分は皮をむかなくても柔らかいので葉と一緒に天麩羅にして揚げるとこれまた香りがして美味い。生はそのままでもいいが酢味噌に合う。 野イチゴとイチゴの混在ゼンマイを採っていたら野イチゴを見つけた。普通のイチゴを植えておいたマルチの畝に2つ苗を移植した。根が活着したようだ。ランナーも伸び始めている。秋にはランナーがもっと伸びてくれるだろう。そしたら苗をポットに仮植して育てていこう。ここに畝を増やしてイチゴ畑にしていけたらいいなぁ。
2009年05月08日
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お好み焼きのおじさん小学生の低学年頃の想い出の一つ。毎月1のついた日に縁日があって商店街に百メートルくらい屋台が出た。僕はパン屋の前に出店されるお好み焼きの常連だった。といってもお客さんというよりも香ばしいソーズの臭いを嗅きながら焼かれるのをジーと見ていた。縁日の日は学校が終わると小遣いの5円玉を握って一目散に駆けつけた。改造したリヤカーに鉄板がのっていて前の棚は何段かになっていて小さな引き出しがついている。その中にパン粉や青のり、紅ショウガの容器、ひき肉のいためた容器、チリメンジャコ、卵などが入っている。白いコック帽をかぶった屋台のおじさんは、注文を受けると特性のシャモジで大きな容器から溶かした小麦粉をすくって熱い鉄板に載せてシャモジのそこで薄く丸く延ばす。その手際良い動作は見ていて飽きない。中学生や上級生たちの注文は、ほとんど10円、15円の値段の野菜入りお好み焼きで、5円の違いはチリメンジャコを入れるか入れないかの差だ。野菜を載せて、もう一度溶かした小麦粉を載せて、おもむろに前の引き出しを次々と開けてサッとパン粉を振り掛け、紅ショウガをのせてから青のりをかける。この一連の作業が魔法のようだった。大小の小手を両手でもって、鉄板の上のものをひっくり返してからギュッと押し、先の角っちょでサクサクと孔を軽く開けてハケでソースを付ける小手でクルッとひっくり返す。ジューという音とともに焼けたソースの臭いが僕の鼻を刺激する。1時間くらい見ていて十分臭いを嗅いでから、ぎゅーと握っていた汗ばんだ5円玉を渡しながらパンテンを注文する。これは食パンを溶かした小麦粉容器にチョコっと浸けて焼いて青海苔を掛けてソースをつけただけのもだが焼けたソースの香ばしいといったらなかった。小さな新聞紙にくるんでふーふーしながら食べる味は格別だった。この幼少の頃の体験以来、僕の大好物はお好み焼きだ。広島に出張した時に焼きそばと卵の入ったお好み焼きを鉄板の前に座って小手を使って食べた。ますますお好み焼き狂いとなった。 フジの中に紅いサツキ台所の窓を開けたら紫の花が咲いていた。裏に回ってみるとフジに雑じってサツキも咲いていた。花というと目線がどうしても下に行って地面ばかりを見てしまうが、意外な処に咲いているもんだ。
2009年05月07日
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わさび代わりに刻んで前に紹介したが綺麗な水が滲み出ている池の脇に水芭蕉が咲いている。そのオーバーフローした水が流れ出た先の乾燥小屋の裏側の日陰に葉わさびが育っている。葉わさびは、熱い湯をさっとかけてすぐにビニールに入れて水で冷やしながらもんで冷蔵庫に入れておくと鼻にツーンとくる凄いからさになる。これを密閉したビンに入れておくと1週間は十分に持つ。先日いただいたヤーコン麺を茹でて、ビンに入れておいた葉わさびと畑から抜いてきたネギを刻んで入れて食べたら最高だった。 初めて食べた筍の刺身池の脇には竹林がある。今年は温かいからか1週間早く筍が出た。足の先で竹の葉で覆われた土を踏んで出かかった筍を探す。微妙で見つけにくい。大概は2~3センチも地表に出たばかりだ。今回初めてもっこりして地表に出る寸前の筍を見つけた。表面の葉をかき湧けると頭の部分が出てきた。せっかくなので直ぐに持ち帰りそのまま生で刺し身にして食べてみた。柔らかく、えぐさが無く生の竹の香りがして旨かった。
2009年05月06日
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『心に残る人々』だれしもいろいろな出会いがあり、沢山の人とかかわるなかで記憶に残り、ときには色濃く影響をうけたり、楽しい思い出となる巡り逢いがあるに違いない。この本『心に残る人々』(文春文庫)は、小説家や思想家、俳優他の75人の、そんな人との出会いを「不思議な出会い」 「おもいでの家」 「学生時代」 「あこがれのスター」 「気になるあの人」 「おせわになったあの方へ」にわけて綴っている。そういえば僕にも、いろんな出会いがあったなぁというのが読後の感想だ。これを機会に、このブログで幼少の頃からの巡り逢いの中で記憶に残っている小さな出会いを紹介していくことにしよう。皆さんにとって、いろんな出会いを思い出していただく機会になれば嬉しいですね。 庭に咲く姫リンゴの花
2009年05月03日
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エンドウ豆など年末に播いたエンドウが大分伸びてきて、ようやくネットを張ってあげられた。ちょっと網目が粗過ぎたかなぁ。実取りエンドウとスナックエンドウと赤エンドウと有機農業の集いの種苗交換で頂いた豆の種。4か所に播いたので、それぞれに18メートルのネットを架けた。帯に短しタスキに長しで、どうも長さの感覚がいま一つ。でも短くて足りないよりもいいだろうなんて勝手に納得する。それよりもたくさん播き過ぎたなぁ。無農薬・無化学肥料の有機野菜として道の駅に産直で売りに出そうかな。 元気いっぱいなニンニクブロッコリーと生姜とニンジンの後の三か所の畝に分けて植えたらどれも大きくなってくれた。鍋もの炒め物、何でも放り込んでけっこう重宝した。昨年の春に残こしておいたものがすっかりスカスカになって皮だらけになっていた。農家の人に聞いたら醤油漬けすると保存できるというので三瓶も漬けておいたが、今年は残ったものも中身がしっかりとしている。 コゴミのアップとゴマ和えusagiさん!生えているところをアップしてみたよ。それにしても下手くそだなぁ。ブログ仲間のもっちんママさんのこごみ写真が鮮明なんで紹介するね。http://plaza.rakuten.co.jp/menkokanko/diary/200904300000/ついでにゴマ和えして食べたら旨かったので、それも載せておきました。
2009年05月01日
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コゴミ納屋の脇に生えていた。蕨と同様、太陽に当たるところを好むようだ。他の山菜に比べアクがない。茹でてマヨネーズやクルミ和えで食べても美味いし、天麩羅にして塩をかけてもさっぱりして旨い。 コシアブラとタラの芽前回載せたコシアブラの写真を載せたが分りにくかったので再掲する。こちらは林の中に生えていて大きな木だと一本でたくさんの採れるというが小さい木しか見かけない。3年前は3本しか見つからなかったが、今年は4か所で20本ほど見つかった。柔らかい木で太いのはコケシのざい材料にしているという。背丈以上高い木でも先端の方を鎌で捕まえて引っ張るとしなって採れる。香りが良いが苦味は感じない。天麩羅にして食べる。 タラの芽は幹にトゲがあって刺すと化膿するといわれているので厚手のゴム手袋で採るようにしている。芽の少し下を手でもいでもポロッと採れる。背丈の高いものは伸びる鋸で採る。これは山の中で太陽が当たるところに生えている。畑に10本ほど植えてあり山に入らなくても採れる。お隣の人も昨年、山の中に生えているタラの芽を根元から5センチ位に切って掘り出し、畑に20本ほど植えた。今年のお初のタラの芽の天麩羅はお隣でいただいた。これはアクと苦味があるが揚げたては最高だ。庭の花
2009年04月29日
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朝型人間の読書「あの銀行 昔の名前 なんだっけ」 シティバンクの一般公募の川柳の一つ。確かに昔、通勤途上に車窓から見た某銀行の支店の看板も何度変ったことだろう。職場が入っているビルの銀行名も数度変った。そのたびに大きくなり、その他の国内の銀行の合併が繰り返され、ついには4大メガバンクが誕生していった。その熾烈な銀行の合併劇の舞台裏を描いたのが『新金融腐蝕列島 混沌』(高杉良)だ。 それにしても、どうしてこんなにも銀行のみならず企業は合併され、巨大化しなければならないのだろうか。巨大化した資本は、さらなる増強のために世界中に投資されていく。その結果が地球規模のマネーゲームを生み出し、今日の世界的な不況、経済破綻をとなったというのに。その巨大化の波が農業にも押し寄せてきた。農地を集約化した大規模農業を進める農業政策が進められようとしている。大規模化すればモノカルチャー化せざるを得ない。単一品目に集約し生産化することで機械化が進み効率的な生産が可能となるからだ。それはさらにグローバル化している。その典型が一国の農業生産の7割近くが砂糖キビだったかつてのキューバだ。それがいかに大きなリスクをかかえたものであるかを教えてくれたのが『有機農業大国 キューバの風 生協の国際産直から見えてきたもの』 (首都圏コープ事業連合編 緑風出版)。モノカルチャーでは、ひとたびその作物が病害虫にやられたら壊滅的な被害を受けるため農薬が使われる。天候不良などにより壊滅的打撃を受けるリスクを負っている。豊作を目指して化学肥料が大量に使用され、時には豊作から価格暴落が起る。一方で大量の化学肥料の使用で土地はひ弱になり、さらに肥料を投入せざるえなくなる。弱った土壌には害虫が増え、農薬の投入が繰り返されるという負の連鎖にはまり込んでいく。この本を読んで、キューバのモノカルチャーから脱皮していく取り組みは、「本来の食べ物のあり方」「本来の暮らしのあり方」は何かを問う「新しい価値の創造」の過程でもあったのではないかと思う。
2009年04月29日
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待っている山菜たち雪解けの草の間からまず出てくるのが蕗のトウ、次いでで蕨。そしてウコギが新芽を出す。その頃コシアブラが緑の芽を固くしてもうすぐだよと言いたげに顔をのぞかせる。そしてタラの芽が赤紫の芽を空に向けて開く準備を始める。今回はウコギとコシアブラとタラの芽を採ってきた。 左がコシアブラ、右がタラの芽、下がウコギウコギの新鮮な新芽の部分が摘んで、サッと湯に通して塩をまぶして炊き立てのご飯に混ぜてもよし、カキ揚げにしても旨い。苦みが少なく香ばしく旨い。コシアブラは見つけにくいので、秋口から冬にかけて葉が大きくなった時に目星を付けて置いて春になってから芽が出てくるのを楽しみにして待つ。葉は5枚あって特徴がある。香りが高く最近はタラの芽よりも人気があるという。天麩羅にして食べる。タラの芽は赤紫の芽から少し開いた頃に採るが、木にトゲがあり鋭いのでゴム手袋で採っている。天然もので背丈が高いので長く柄が伸びるハサミ・鋸を持ち歩いている。天麩羅にするとコシアブラよりもボリューム感があり多少の癖が山菜らしく旨い。僕はコシアブラもいいがタラの芽のボリューム感の方が勝ると思う。どちらにしてもビールや酒によく合う肴だ。
2009年04月24日
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我が家の水芭蕉今年も池の脇に咲いてくれました。水芭蕉というと、あの歌詞 「夏が来れば思い出す 静かな尾瀬 遠い空 水芭蕉の花が咲いている…」を連想します。よく口ずさみながら尾瀬の木道を歩いたものです。最初の尾瀬行きは仕事関係の友人に同行させてもらった時でした。夜行に乗って疲れた体で三平峠を超えて三平下から沼尻そして下田代十字路、さらに疲れたついでに三条ノ滝に足を伸ばした時にはクタクタで、急な険しい道にもう一歩も歩けない状態でした。でも忽然と現れた滝は水量が圧倒的で、そのみごとさにうっとりと見入ってしまいました。それからは連れ合いを誘って何度か夏の尾瀬に出かけていきました。水芭蕉は勿論のことニッコウキスゲの群生やアヤメに魅了されました。至仏山に登ってガスに合って戸惑いながら登ったこと、その晴れ間から尾瀬ヶ原を一望した時の感動は忘れられません。疲れた身体を引きずって辿り着いた鳩待峠の小屋でかじった林檎、清水に浮かべてあったリンゴは冷たく、それはそれは甘酸っぱいものでした。そんなことを思い出させてくれた水芭蕉です。
2009年04月21日
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温床の中で すくすくと種を播いて温床に入れておいたポットに芽がでてきた。キャベツ、ナス、ピーマン、ブロッコリーそして葱。狭い踏み込温床なので入りきれない。キャベツは陽のあたる縁側移し置いてビニールでトンネルにしておく。空いたスペースにトマト(桃太郎)を播いていれておいた。 苗箱の周りに生え出てきたペパーミントの強い香に圧倒されたかのように、か細い葱が心許なそうにしていた。 見飽きない いろんなスイセン最初に咲いた水仙が黄色一色だったけど、次々に咲き始めた水仙は可憐だったり、ちょっぴり澄まししてたり、着飾ったりしていて見飽きない。
2009年04月19日
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抱腹絶倒 ワハハのハ『吉里吉里人』(井上ひさし著 新潮社)をやっと読み終えた。かれこれ一月、イヤそれ以上かかったなぁ。併行して読み始めた何冊かの本の方が先に読み終わっていた。じゃぁ面白くなかったのか、読みずらかったのかというとそうではない。何せ厚くて面白くて楽しみながら読んでいたら遅くなった次第。東北の陸続きの小さな村が、ある日突然日本から独立する。奇想天外というか壮大なテーマでありながら、日本で焦眉の問題になっている農業問題や医療問題、防衛問題等が物語の中にサラッと織り交ぜ、エロチックな話がふんだんに語られながら、それを豊かな東北の言葉(吉里吉里語)で語るのでイヤらしさを感じさせず大らかに楽しめる。本でこんなに笑ったことがあっただろうか。これは退屈な時に時々ひもどきたい本だ。もう一つのお笑いのもとは、お隣が貸してくれた『綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第3集』だ。このCDは早速にパソコンに取り入れた。確かに可笑しく笑わずにはいられないのだが、不思議と聞いていると眠くなりお終いまで聞かずに寝入っているから面白い。 庭先の花春ですね。4月に入って降った雪が嘘のようです。
2009年04月16日
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おらたいの神様だっちゃぁ「今年は上の皆さん よろしく」4人が組になって山の神講の当番だ。その組に加わった。4年目にして初めての体験だ。前日の土曜日に麓近くと社に旗を立て、社の中と参道を清めておく。 日曜日は朝から社に座って集落の人が参拝に訪れるのを待つが、山なのでストーブを焚いているが結構寒い。お神酒や焼酎を用意して、自分たちで持ち寄った料理をつまみながら朝から無礼講で飲めるのも楽しい。当番の者たちが持ち寄った一人7合5勺のモチ米に小豆を入れたおふかしを参拝者に御札とともに渡す。ほとんどの集落の人が参拝してくれた。3時に片付けて5時からお花見と称してまたみんなで飲み食いした。「都会から来た人がこうやって おらたちの神様を大事にしてくれて嬉しいちゃぁ」「朝から手伝ってくれてぇ 寒いんでねーべぇか」「ほんなごとね~よ!」感謝されて、酒飲んであったかい。何とも楽しい山の神様講の一日だった。
2009年04月14日
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4年目の有機農法 2年目になる自然農法 稲作りも4年目になる。最初から無農薬・無化学肥料の有機農法なので雑草に悩まされた3年間だった。育苗は最初の2年間は苗を大先輩の有機農家に行って作るのを手伝いながら教えてもらった。最初は2枚の田だった。1枚はいもち病にやられ1枚はビギナーズラックで豊作だった。だがそれも1年だけで、2年目、3年目となるにつれて散々な収穫だった。2年目に3枚に増やし、3年目は4枚にし、そのうちの1枚を自然農法でやってみた。今年はそのうちの1枚は冬場も水を入れておく冬季湛水を試みた。1枚だった耕さずに草を敷きつめて栽培する自然農法を今年は1枚増やして2枚にすることにした。自然農法では古代米を栽培し、冬季湛水の田はもち米を、有機農法による田はコシヒカリとヒトメボレのうるち米にする。もち米とうるち米はこの後に苗箱で育苗する。種モミの管理種籾は去年取れたものを使った。これを塩水(卵の頭が浮かぶ程度)選して沈んだものを使う。これを一度水で洗い、60度の湯で6分消毒し水で冷やしたものを山の水(6度から7度)に積温100度になるまで浸けておいた。市販の種モミは殺菌剤で消毒してあるが、有機農法では湯の殺菌方法を使う。浸漬作業は、発芽抑制部質を洗い流しながら胚芽がふくらませるためで酸素が必要なので水を垂れ流し状態にできる山の水を使う。そして仕上げに28度した水に2日間浸けて芽出しをする。 弾けてぷっくらした芽出しの古代米芽出ししたものをゴザで乾かして播く。畑苗代去年使った乾いた田の一角を使う。畑苗代なので水に浸らないような場所を選んだ。先ず土の草の種や根を取り除くために5センチ位鍬で薄く表面を削り取る。ここに山砂(松の樹の下の砂が弱酸性で良いといわれている)を敷き板で固める。その上に種もみを1センチ間隔になるおうにバラ播く。その上から山砂を種モミが隠れるくらいに薄くかけて水をたっぷりかける。そこに切った藁で軽く覆ってから芽が出るまで透明のビニールシートを掛けておく。野ネズミやモグラのから守るために周りを15センチ位掘っておいた。 去年はイノシシに荒らされて半分がダメになってしまった。今年はそうならないようにただ祈るのみ。 先ずは水仙が開花鶏小屋の脇に水仙が咲いた。
2009年04月10日
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必要に迫られての都市有機農業『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』(吉田太郎 築地書館)を地域通貨で親しくなった友人が貸してくれた。アメリカの海上封鎖に続いてソビエト連邦の崩壊により食糧、石油や農薬や化学肥料が手に入らなくなったキューバが選んだのが有機農業の道だった。しかも移送費もかからないように消費者の身近な都市の空き地を利用した。堆肥づくりはミミズを使う徹底した環境と調和した農業だ。必要に迫られてのキューバの有機農業ではあったが、それをコアにしながらも地球環境問題をはじめ自然医療、自然エネルギーなどのさまざまな部門にわたって持続可能な社会づくりを目指して取り組んできた様子を全体にわたって紹介している。社会主義の国というイメージは隣国のように圧政の下、上から押し付けた政策や運動かと思っていたが、民間のNPOや諸外国のNGOと連携してワークショップやブレンストーミングなどにより地道に下から積み上げる中から作り上げていたのは意外だった。何よりもラテンという気候風土からか明るく大らかなのがいい。興味をもったのはハーブ・薬草だ。保健省が植物学者や医師等の科学者チームを組んで処方箋や技術マニュアルを編集して国内での分布や収集及び保存法、臨床上の効果特性、成分の化学構造、副作用、投薬方法、栽培方法を明らかにしている。その中でも目を引いたのはニンニクだ。風邪、高血圧、喘息、胃痛、循環系疾患、消化系疾患等に有効だという。ただ、いくつかの組み合わせなのか、単独で効用があるのかは、この本からだけでは判断できないのは残念だ。著者は、東京都庁の農業水産部に勤め都市農業の国際的動向に関心をもつ中で偶然にネット上から入った情報がきっかけで、この本を書くことになったという。現在は長野農業大学校勤務。他に『1000万人が反グローバリズムで自給・自足できるわけ(スローライフ大国キューバ・リポート)』、『世界がキューバの高学力に注目するわけ』、翻訳書『百姓仕事で世界は変わる』(いずれも築地書館)がある。 トロピカル・フルーツヨーグルトなんとなくトロピカルでしょう。昨年とれたキウイにブルーベリー、イチジクの甘露煮、スグリ、干し柿にヨーグルトをかけてみたもの。来客にも人気のある一品(「美味しい」って褒めてくれるのを真に受けてます)。
2009年04月08日
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昔話による脳の活性化前にも書いたが記憶力がとみに衰え、物忘れもかなりひどくなっている。先日も塩ビパイプのジョイントを購入したら、何と3年前に買ってあったものが二つもビニール袋に入って物置に置いてあった。こんな例は枚挙にいとまがない。そんな自信喪失気味な自分に耳寄りな情報があった。NHKのご近所の底時からの再放送をたまたま観たのだ。http://www.nhk.or.jp/gokinjo/backnumber/090405.html「回想法」という方法で、自分の昔話をご近所さん同士ですることで、脳がみるみる間に活性化するのが特殊な頭に取り付けた装置で見ることができた。「回想法の参加前後でのお年寄りの脳力を調べたところ、事実、記憶力や集中力のアップが確認されています」という、国立長寿医療センターのお墨付きだ。連れ合いには我慢してもらって昔話をもう少ししなきゃいかんなぁ。そうそう、お隣に自然農の研修に来ている若い人たちが共同生活をしているので、時々オヤツでも持参しながらお邪魔して昔話でも聞いてもらうことにしよう♪
2009年04月06日
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『金融腐食列島』と『エンデの遺言』前者『金融腐食列島』(高杉良 角川文庫)は護送船団方式と批判された大手銀行の内幕を鋭くえぐった小説で、ワンマン会長のモデルが某都銀の〇〇〇とあるし、複数の銀行の実態をモデルにしたというだけにリアルだし、総会屋=暴力団とのつながりも生々しい、さらに貸し渋りの実態や監督官庁との関係も驚かされる。この金に支配される社会にアンチテーゼを唱え「暴走するお金の正体を探る旅に立ち」、現代のお金の常識を破るさまざまな地域通貨の試みを紹介し、新たな貨幣システムはどうあるべきかを問うているのが後者『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』(河邑咲厚徳+グループ現代 NHK出版)だ。日本のバブル経済崩壊後の混沌とした金融システムの破綻が実態を超えた土地の投機だったという。今や世界的な規模に起こっている経済の破綻が一時期のオイルダラーをはじめとした狂信的な投機マネーの行き着いた先と考えると、どちらも生産などの実態を伴わないマネーゲームの結果だったというのはうなずける。本来、金は(1)交換の媒体(2)価値の尺度(3)価値の保存だったものが、(4)投機的利益の道具となりサービスや生産物の実態を伴わなくなってしまった。今や世界を動く外国為替の98%が投機の動機で動いているという。金が金を生み出すというのは、どうみても普通ではないし、それが現在の結果を生み出しているというのも考えてみれば至極当然なのかもしれない。成長を前提にし、成長を強制する性格をもつ現行金融システムが競争社会のさまざまなを歪を生み出す大きな要因の一つになっているというエンデの言葉を改めて考えさせられた。子どもに読んで聞かせた、あの時間泥棒の『モモ』の作者がミヒャエル・エンデだったと後で知った。投機目的な「嘘」のお金でなく、自然や人の営みや他人を思いやる心などを支える「実のお金」を求める人たちが、ささやかな数だが地域通貨を生み出し支えている。私も地元の小さなちいさな地域通貨に参加させてもらっている。
2009年04月04日
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田畑は一面の雪 温床の中はぬくい冬に春のようなポカポカの日が続いたと思ったら、今度は4月だというのに10センチもの雪が降った。人だけでなく植物も戸惑っているに違いない。蕾を膨らませた水仙も心なしか震えているみたいだった。 そんな中でも踏み込温床に播いたキャベツとナスは順調に芽を出し双葉が伸びてきた。今年初めてサツマイモの苗作りをやってみた。 踏み込温床の端を板で仕切って10センチ位腐葉土と砂を6:4に混ぜた床土に横腹が少し出る程度に埋めて土をかけ、もみ殻を掛けて、その上に藁をかけて水をたっぷりかけてあげた。温床の土は30度を維持しいている。一つの芋から20本以上の苗が取れるという。楽しみだ。月始めに植える予定だったジャガイモは雪が解けるまで待たなければ。こちらでは霜注意報というのを天気予報でやっている。生活に影響を及ぼすというよりも農家の作物の被害防止のためにやってくれている。気がつかなかっただけかもしれないが、なかなか便利である。昨晩の天気予報でも霜に注意と呼びかけていた。
2009年04月03日
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昨年は椎茸 今年はヒラタケとナメコ田畑の側に伸びた樹木を秋から冬にかけて伐り倒し、それを原木にして春にキノコの菌を植え付ける。残った樹は冬の薪になる。去年の春は椎茸菌を植えつけた。予定だと今年の秋には出てくる。クリタケとムラサキシメジ、アミタケは秋の山歩きの楽しみにとっておいて、身近にいつでも食べれるキノコとしてヒラタケとナメコを栽培することにした。 切った樹にドリルで穴を開ける そこに菌の付いた駒を打ちこむ(右の白いもの) 水を掛けて上にござを掛け仮伏せ週に2度くらい水を掛けて梅雨頃に地面に直接に本伏せする。上のナラ類の木に植えたのがヒラタケ、下の桜の木に植えたのがナメコ。菌によって好む樹が違う。このキノコが出るのは来年の秋。シイタケもこれらのキノコも3年ほど出てくるというから楽しみだ。
2009年03月31日
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もう少しで完成だ屋根をトタンで張って、周りを金網で囲った。屋根は丈夫で長持ちのトタンにした。金網は錆びないアルミ製のもので太めで頑丈なものにした。イタチや獣が掘って入り込まないように周囲を40~50センチほど掘って金網を埋め込んだ。 北側は風が吹き抜けるように上の方だけ金網にして後は木の板を張ることにした。その入口近くに外側から卵を取れるような産卵箱を付けることにする。この箱は、上を覆い、前をナイロンのカーテンをかけて出入りしやすくし、二羽が落ち着いて卵を産めるように半分に仕切る。産んだ卵を外側から取れるように外側に少し傾斜させて設置する。捕らぬ狸の皮算用にならなければいいが(笑)。残すは出入り側の部分と金網を張ったドアづくり。それと止まり木や餌箱づくり。完成も間近い。鶏小屋近くの桃の蕾がぷっくらしてきた。
2009年03月28日
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二度目の挑戦今日は朝から雨。午後からは晴れるという。こんな時は読書かブログか映画がいい。昨年はじめて作った踏み込み温床は貧弱だったが、今年は上出来だ。関東から以北では3月でもまだ地温が低く畑に野菜の種をまいても芽が出ない。そこで、昔からの農家の知恵で行われてきたのが自分のところで採れる藁や落ち葉や鶏の糞をつかった踏み込み温床だ。稲わらで囲った中に落ち葉や切り藁、家畜の糞や米ぬかを入れて踏み込んでのを水で湿らせ、その発酵する温度(50度くらいまで高まって30度くらいに落ち着く)で野菜の苗を育てる方法だ。今はビニールハウスの中にヒーター線を使っている農家がほとんどで、エコライフにこだわる有機農家くらいしか踏み込み温床は使われていないのではなかろうか。 木の杭と竹で作った枠組み 竹の枠のなかに藁束を挿しこんで囲う 上を切り揃えたところこの中に炭素分としての落ち葉と藁、窒素分としての糞や糠を入れる 秋に集めておいた落ち葉と地域通貨の仲間からいただいた牛フン、ヤエのウンチ炭素分と窒素分を交互に入れて踏み込み、藁の下から滲み出るくらいに水をかける。発酵し、温度が30度くらいに落ち着いたところで種を蒔いた苗箱をいれる。 ビニールをかけ完成した踏み込み温床
2009年03月17日
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