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映画 『禅 ZEN』 を観て五木寛之の『蓮如』を読んだ。蓮如上人の浄土真宗は念仏(南無阿弥陀仏)を称えることで、阿弥陀如来の慈悲で浄土へ往生して成仏するという教えだ。一方、映画で観た道元禅師は禅宗で、当時隆盛を誇った臨済宗に出家したが失望して中国にわたり天童山で如浄禅師と出会い、坐禅をする無限の修行こそが成仏であり、「只管打坐(しかんたざ)」ただひたすらに坐るという教えをひろめた。同じ仏教でありながらあまた宗派がある。その本は釈尊でありながら、こうまで悟る方法や教義が違うのはなぜなのだろう。他にもキリスト教ありイスラム教あり、それぞれにカソリック、プロテスタント 他、シーア派、スンニ派 他とまた別れる。人々は生まれ育った場所で流布している宗教とその宗派に知らぬ間に染まり信仰して生涯を終える。こうなるとほとんど宗教との出会いは偶然というほかない。さてさて私はこれまでどんな宗教に出合っただろう。どれが身に合った教えだっただろうか。そんなことをふと考えてしまった。映画の中で道元が言う 「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて すずしかりけり」 邪心なく目の前の自然をあるがままを捉える。それはただただ座禅をすることで体現できるのだと。今、縁あって自然の中に生活している。西行法師が「此の歌すなわち是れ如来の真の形体なり。されば一首読みいでては一体の仏像を造る思いをなし、一句を思いて続けては秘密の真言を唱うるに同じ」 と好きな和歌に仏道を見出したように、この地にあっては念仏を唱えるよりも有閑に座を組んで自然をあるがままに捉えてみたい、そんな気にさせられた。
2009年03月15日
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はじめ良くても 後から溜め息本『発酵利用の自然養鶏』(笹村出 農文協)によると南側の少し斜めの地が良いというので物置の横に建てることにした。平らにして20センチ位掘り下げて藁やチップを入れておくと鶏にとってよい床土になるという。もう少し広いと鶏には快適なんだろうが、180センチ×160センチ×180センチの寸法だ。 机上の空論とはよく言ったもので、本や頭の中では簡単そうな小屋作りも地面を平らにすることからしてなかなか大変だ。そこを50センチほど掘って先っちょを火で焦がした柱を植えこむ。錘をつけた糸を使って垂直に立てたつもりが7本立ててみると、どうも2本偏ってしまった。垂直であると同時に横一列の3本が揃うというのは素人には並大抵のことでではない。伐り出した丸太は真っ直ぐだったが、太いものが足らないので軒下に残してあったものを使うことにした(余談だが農家というのは不思議といろんなモノを残してある。これについてはまた後日の機会に紹介したい)。これが少し曲がっていたが、この程度なら大丈夫だろうと高をくくっていたのが間違いのもとで大分狂ってしまった。それと梁に使った角材が栗材のため硬く、しかも慣れない金槌が重たいから真っすぐ打ち込んだつもりが釘もとで微妙にずれてしまうようだ。ようやくまん中まで打ちこんだのに途中からあっけなく曲がってしまう(汗)。それを釘抜きで抜いては新しい釘を打ち直す。こんな繰り返しでようやっと仕上がった骨組だが、やっぱり構想とは大分かけ離れたものになってしまった(溜息)。まぁ小屋の輪郭がみえてきたので、これで良しとしよう。次は屋根にトタンを張るのだが、これも四苦八苦。
2009年03月13日
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近場の材料この春から鶏5羽を平飼いしようと思っている。その小屋作りに挑戦しいている。材料は畑の隅に防風林用に植えてあったヒバがしっかり伸びたのが陽の遮光になっているので6~7本間引きして使うことにした。とはいえ大工の才は一かけらもなく、3年前に作ったクウの犬小屋も惨憺たるものでクウにはきっと住み心地が悪い思いをさせているに違いない。私も連れ合いもどんな鶏小屋ができるか露ほども期待していないが、何事も挑戦と思い無謀な計画を立てた次第だ。これから何回かに分けて逐条報告していくことにする。その一回目、先ずは伐った樹の皮むきだが、これが意外と簡単に剥けたのには拍子抜けした。これは伐ってから放置しておいたのが降った雪に埋もれて居たのが幸いしたようだ。道具はきっと専門の皮むき器があるに違いないが、日ごろ使っている鎌を代用した。先っちょを皮に挿しこんで引っ張ると何なくひょいと剥けた。この皮は後で鶏小屋の床に藁と一緒に敷いて使うことにする。次に片面の屋根にするために傾斜をどうするかで柱の寸法を決まるが、傾斜に関しての一定のルールというか考え方だあるのか悩んだ。調べてみると分度器で角度を出して決めるのではなくて、横10尺に対して縦を何尺にするかでみていくという。普通10尺で3尺が普通で1尺だと緩やかで落ち着いた風格だあるという。雪国ではもう少し急こう配も多いという。悩んだ末に10対2程度にすることにした。
2009年03月06日
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蕗のとう未だ山側には雪が少し残っている。陽が当たる畔ののり面にもしかしたら蕗のとうでも出てるかな。覗いてみるとあった、あった! さっそくに夜に天麩羅にして酒のつまみに、残りは味噌と和えておくことにする。春の山菜の二番手は、さてコシアブラあたりかな… 予告編でその気になって最近、死を扱った小説や映画が多いような気がする。『その日のまえに』もそうだが、予告編があまりに気をそそるものだったのでついつい観てしまった。でも二つ気になっていた。一つは主演がお笑いの南原清隆ということ。もう一つは、何度も裏切られた監督が大林宣彦だということ。結果、シリアスな内容に最初違和感があった南原の演技も途中から気にならなくなった。監督の演出はやはり気にいらなかった。脚本がそうなのか分らないが、ストーリーの展開と宮沢賢治の仮構の世界が入り組み過ぎていた。40代の夫婦と子どもたちを軸とした物語にもっと没入させてほしかった。原作(重松清の同名小説)はどうだったんだろう。小説を読んで口直しをしてみたい。
2009年03月01日
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農閑期は充電期間昨年の晩秋から大分農業関係の交流会や勉強会に参加してきた。自然農の関係が岩手と東京であり、有機農業の会合が福島の二本松と福島大で開催され、つい先週は有機稲作の研究会、公開シンポジウムが栃木であって参加してきた。農閑期の過ごし方として出稼ぎして現金収入をえるのもあるのだろうが、交流を兼ねて色々な人の体験や知識を吸収し充電するのも、この時期に欠かせないことだ。今回の有機稲作の会はとても参考になったし勉強になった。畑の野菜作りは本を参考にして下手なりに何とかやってきたが、水稲は素人の僕には分らないことだらけだ。農薬を使わないから雑草が所構わず生えてくるし、有機肥料だけなので速効性もなく、棚田で水の管理も難しくやることすべてが五里霧中だ。今回、そんな中でベテランの農家の皆さんでさえ毎年試行錯誤されながら、悩み苦労して取り組んでおられることを知って勇気づけられた。また今回は試しに冬季湛水をして田植え前の代かきを省くつもりだが、実際にこの方法でやっておられる人に直に話を伺うことができ細部にわたってどうやればよいかアドバイスをいただくことが理解できた。また同じようにサラリーマンから始めた同年輩の仲間からは、似たような失敗をされていたりして、苦労を分かち合うことができすごく励まされた。公開シンポジウムでは、農学部の先生たちからは専門の最新情報と理論を、先輩の農家の方々からは匠の技と野太い生き方を学ばせてもらった。どなたかが言っていた「有機農業が正しく優れた農業のあり方だと主張するだけ」からは「地域に広がる有機農業」とはなっていかない。もっと「誰もが入っていける有機農業」が展開していかなければならなしし、自然の中にあって自給的な暮らしをしていく、新しい時代の生き方も有機農業の広がりの一つだという意見には共感した。
2009年02月26日
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『誰も守ってくれない』加害者の人権が重んじられると同様に被害者の立場も尊重されるべきだという当然の要求がようやく認められてきた。だが相変わらず加害者の家族へのマスコミをはじめ世間の節度を越えた報道や糾弾の声は凄まじく、それを苦に、あるいは責任を感じて自殺をしたり立ち上がれない家族も少なくないという。特に未成年の犯罪者の場合、家庭教育の責任、背景にある養育の問題から両親への風当たりは強い。この映画は、そんな未成年の子どもが犯した殺人事件から家族がマスコミに晒され、インターネットによる興味本位な誹謗中傷という暴力から「誰も守ってくれない」被害者に陥っていく様子を描いている。 昨日までどこにでも見られる穏やかそうな一家の生活が、高校3年生の息子の殺人事件から突然に壊れ、家族が引き裂かれる。母親は追い込まれ自殺をし、15歳の妹の沙織(志田未来)は証人として警察に保護され刑事の勝浦(佐藤浩市)と身を隠すが、行く先々でネット社会の環視の渦に飲み込まれていく。だが執拗なマスコミや野次馬の関心も、やがて新しい別の事件が起こると、まるで引き潮のように他所に移っていく。そして傷ついた家族だけが残される。ラストシーンで勝浦が自分に言い聞かせるように沙織に言う。「これからは君が家族を守るんだ」「守るというのはその人の痛みを理解するということなんだ」それは、この広い社会を家族と見立てて、映画を見ている一人ひとりに伝えたいことなんだろう。涙でスクリーンが霞んでしまった。
2009年02月20日
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『他力』と『大河の一滴』同じ作家のエッセイは書いた時期が離れていた方がいい。同じ時期の本は話題が重なって面白くない場合が少なくない。同じ時期、その人の興味や関心事が同じなのはいたしかたないが、やっぱし読者としては今一つだ。とはいえ同じ本の中で繰り返されたり、別の本でも何度も取り上げても、なんとしても伝えたいという書き手の思いがある場合は許せる。『他力』が1998年で、『大河の一滴』は1999年出版されている。『他力』を読み終える。少し前に読んだ『大河の一滴』と大分重なっていて途中で何度も止めようかと思ったくらいだ。ただ書き下ろしもあるというので続けて読んだが、これが私の悪いところだ。読む本が沢山あるのだから捨て読みも必要なのだが、これがなかなかできない性分なのだ。しかも読んでいるうちに繰り返されて出てくる話題への関心が深まってくる感じがしてくるからいけない。そのどちらにも書かれていたもので気になった話題が結構あったが、その中から一つだけ「面授」について紹介する。「面授」は仏教用語で大切な教えを文章でなく師から弟子へ直接伝授することをいうようだが、情報も同様で人を介して、人から人へ情がしっかりこもったものとして伝え受け取ることこそ確かな活きたものとなるというようなことが書いてあった。前にインターフェースについて関心を持っていたので引き込まれた。インターフェースは情報を仲介するモノだが、モノの世界なのでどんなに工夫しても、どうしても無味乾燥というか伝わりにくさが気になっていた。モノだけでなく、そこに人を介することで、どれだけ人は情報を得やすく、使いやすくなるかと思っていた。そういえば仏教だけでなくキリスト教も古代のギリシャの哲学者たちも、中国の老子、荘子の思想も面授だった。今は紙も豊富だし、コンピューターやプリンターも家庭の中まで闊歩している。便利な世の中になった反面、細やかな意思の伝達やコミュニケーション、真に伝えたいことは伝わっていないのかもしれない。
2009年02月18日
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やってみた e-Taxによる電子申告わざわざ福島市内まで出かけて確定申告するのも面倒なので、何事も挑戦と今年はインターネットでやってみることにした。手続きには、先ず最寄りの市町村へ行って住民基本台帳カード(ICカード)と電子証明書の発行を受ける。田舎町なのでこれが申請してから10日間ぐらいかかった。ちなみに手数料は1000円。これを読みとり書くことができるデバイス装置(リードライター)をヤマダ電機で2400円で購入した。これで後は国税庁のe-Taxのホームページへ行ってe-Taxソフトをダウンロードして初期登録を行う。これがよく解からない。昨年福島税務署で備え付けのパソコンを使って申告したので簡単とたかをくくっていたら送ってきたガイドブックとホームページの項目が不一致だたり、理解が不十分なためか初期登録のところでつまずいてしまった。仕方なく国税庁のe-Tax相談窓口へ電話すると、これが有料で3分ちょっとで10円。民間企業の問い合わせや相談は0120なのになぁ、時間がかかると大変だ。待つこと10分さらに係員の対応が一向に要領を得ない。20ふん、30分と時間だけが経過する。あ~ぁこりゃしょうがないあきらめよう。「もう結構です」「そうですか プツン」こちらが切るよりも早く回線が切れた。これでは埒が明かない。自分でやっるしかないかと、今度はe-Taxのホームページに入って、あーでもないこーでもないと繰り返してなんとか済んだような気がした。それではと、今度はようやくの事確定申告の画面に移った。ところが、どの確定申告の様式を使うのか、 何を添付するのかが説明だけだと皆目解からない。困った!といって、あの要領悪い相談に電話するのは御免こうむるし、1時間も電話代をかけるんだったら行ったやった方が安いしと悩んだ末に思いついたのが、地元の税務署。これが親切な男性で要領よく、先ずは初期登録から確認作業を教えてくれた。終わっていると思っていた初期登録が十分でなかった。スムーズに進み実際の確定申告の入力場面に入った。こちらの資料の不備があって収入蘭の数字の入力時間がかかりそうだと分かると、改めて電話しなおして名前を指名してくれれば電話口に出ますからと言ってくれる。地獄に仏とはこんな人との出会いを言うのだろうか。再度電話して呼び出すと、あの親切な温かな声。こちらの電話はしめて30分。これならさっきの電話料分と装置等の代金を差し引いても還付金におつりが出るぞ(ニンマリ)。こうして今年の確定申告は無事にすべて終わったのだった(フー)。
2009年02月16日
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行き帰り酒びたりの熊野詣この間の日曜日、町の長老に誘われて熊野大社に参拝した。バス2台に分れて山形県の南陽市まで雪の峠越えをした。バスが出発するや否やビールで乾杯し、お清めの酒を注がれるままに頂戴した。さらに途中立ち寄った高畑ワイナリーでは試飲ということもあり、はしたなくも1ボトル4800円という「まほろばの貴婦人」が旨いので、このコーナーを行きつ戻りつして重点的に痛飲して大分できあがった身での参拝となってしまった。周りはおじいちゃんとおばあちゃんばかりかと心配しての参加だったが、所属している長男会のメンバーや私よりもずーと若い人、同年輩の人がたくさんいて気兼ねのない、楽しい賑やかな熊野詣となった。 雪で寒そうな石仏 熊野大社 ほんとうは撮ってはいけない巫女の舞い 参拝のあとの昼食。お膳にはお神酒が1本。「鯉の甘煮」と「鯉のあらい」がお神酒によく合いました。飲まないおばあちゃんが「ほれっ!」とドバドバ注いでくれた。これが酒びたりの帰路の始まりだった。 身代わりに 雪にかぶれし 石仏 心して拝せよ 妹伊邪那美を 優麗の 巫女の舞に 叩かれし 心清らかに 心穏やかに
2009年02月14日
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二つの映画 『ベンジャミン・バトン -数奇な人生ー』 と 『恍惚の人』二日間、連続して映画を見てきた。前者は80歳の身体で誕生して徐々に若返り、赤ん坊の姿で死んでいく男の数奇な運命を描いている。80歳で生まれた男の子は黒人夫婦が営む老人施設の前に捨てられベンジャミンと名づけられて大切に育てられる。施設に入っている祖母を訪ねてきた少女エリザベスに淡い恋心を抱く。二人は成人して再開して 恋人となり娘が誕生するが、幼児にかえっていく将来の自分を考え、娘の成長と愛する人の負担を考えて立ち去る。時が過ぎ、路上で栄養失調で倒れ記憶を失った少年が保護され、もっていた日記から歳老いた妻と再会する。 若返っていくベンジャミン 年老いていくエリザベス後者は有吉佐和子の原作を豊田四郎が監督した認知症をテーマにした最初の映画。認知症という言葉が生まれる以前の徐々に世の中でボケ老人のことが取り上げられた時代の作品で、この小説から「恍惚の人」という言葉が流行ったと記憶している。小説もいいが老人役の森繁久弥、介護に疲れきる嫁役の高峰秀子が好演している映画は古さを感じさせない。『ベンジャミン・バトン』は奇想天外なラブストーリーとしても泣かせられたが、赤ちゃんに帰るに従って食事したことを忘れるなど記憶障害や見当障害の認知症がおきてくる赤ちゃんを抱く歳老いた恋人の姿はあまりにせつなく悲しい。だが還暦も考えてみれば同じなのだろうか。人の一生を考えた時に単に年齢だけでなくボケが始まったときが新しい短い人生の誕生と考えたら、この映画は奇妙だが何とも現実的に思えてくる。期せずして老いることを考えさせられる映画に巡り合えた。
2009年02月12日
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古文は苦手だったが『西行』はよい こういう本は古文が混じっているので読み始めると初めの数十ページは読みにくくてしょうがない。いつ投げ出そうかと思ってしまうが、それさえ超えればそれなりに味わい深く読み進めることができる。歌枕について語っているところが頷けて面白い。歌に詠まれているが時にはまったく架空の存在が、さも事実のように伝わり、不特定の場所がいつのまにか設定されて観光客が集まって喜んでいる現象を嘆いている。そんな中に自分もいたので面映ゆい。また西行の歌には、けっこう詞書があるのが特徴という。たしかに歌そのものを読んだだけでは分りにくいが、詞書があれば情景や状況、場面がくっきり浮かんで歌の意味が解しやすい。自分でも下手な歌や句をブログに時々載せてきたが、状況を説明するのは反則かなぁと気に病んでいたが、西行法師でさえ長々と詞書を添えるのだから開き直ることにした。西行法師は若くして出家して「平安時代の教養人なみに仏法を学び、熊野三山に入峯し、高野山で修業したあげく、神仏習合世界に開眼した。最後には風のままに生を楽しむ無碍の境に入る。」だけあって自然の中にあっちこっちに庵を結んで暮らしてきた。この山里の我が家も庵のような粗末なものだ。ここは前にも紹介したが下の集落からヘアスピンのように曲がりくねった林道を何度も登り上がったところにある。そのせいかしばしば谷を伝わって下から霧がのぼって来るし、上からも山肌を伝わってからガスが降りてきて霧中の木立の中に家が建っているあり様は自然そのもの。風のままに生を楽しむロケーションとしては十分ではあるが、隠遁しているというまでの心境にはほど遠く、般若心経を写経していても心ここにあらずで、人恋しくなってか都会での生活を懐かしむことがしばしある。九十九(つづら)折り 煙の先の 庵にて なぜに浮かぶか 喧騒の日々
2009年02月10日
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『包帯クラブ』この本も今回購入した箱に入っていた一つだ。天童荒太の作品はどれも心の内面を扱っていて面白い。どれもサスペンス調だったが、この『包帯クラブ』は違う。10代を読者として意識したのか軽いタッチで、他の作品のように読後に重たくやるせない感じがしない。でも扱っているのは心の問題であることには変わりはない。心に疼きを感じていた高校生が、偶然出会った変な男の子に自分の気持ちを見透かされたように傷ついた心象の一部に包帯を巻いてもらった。不思議と気持ちが癒されたことで悩んでいた親友にも試してみると同じように心が晴れたという。そこから友達を誘って「包帯クラブ」が結成され、同じように何かの原因で落ち込み悩んでいる人たちの原因となったモノに包帯を巻いて携帯で画像を送る活動が始まる。人は何らかの心の痛手、心に傷をもって生きている。その傷をつけたのは心ない人の言葉であったり行為なのだが、その傷を癒すのも人の優しさだと言っているのだろうか。二か所でホロリとさせられた。僕は本を読んだり映画を見ていて何よりも幸せを感じるのはこのホロリだ。いい映画、本に巡り合ったと実感するのは、このホロリとした時だ。この本は2007年に映画化されたという。一度見て観てみたい映画だ。
2009年02月06日
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『大河の一滴』後書きに「一生に一度くらいは自分の本音を遠慮せずに口にしてみたい」とあるように、これまでの五木寛之のものと一味違う。最初から「おや!?」と思わせるものがあった。彼の作品の初期のものはよく読んだが、「青春の門 再起篇」以降、一時休筆した辺りだろうか遠ざかってしまった。その後、彼が龍谷大学に学んだと何かで読んだ。丁度、司馬遼太郎の『空海』を読んで仏教に関心をもったので、大学でわざわざ仏教を学び直したという五木寛之に興味がわいた。その後の本を読んでみたいと思っていた。今回はそのよい機会だった。最初の章に当たる「人はみな大河の一滴」が、この本の核心部分だろう。「地獄一定」すなわち今たしかに、ここにある現実は地獄だと言い放つ。随分と突き放した物言いをするように感じるのは、後書きの「本音を言う」という覚悟故なのだろう。僕はこれまで仏教でいう地獄も極楽もあの世のことと考えていた。「地獄一定」をこのように理解する、いやそう悟ることが仏への道なのかもしれない。五木は言う。人は多かれ少なかれ、死や病への不安をもち、差別する自己と差別される痛み、怒りと嫉妬、我慾に迷い、人や自然を傷つけ、嘘を重ね、執着を絶つことができず、その怪物のような妄執にさいなまれつつ生きる。それを地獄だという。地獄とは死後の世界でなく今現在の日々をいう。それと対極をなすのが時間空間を超えた浄土の世界だという。時に地獄にありながら、その苦しみから解き放され浄土を垣間見ることがある。それが極楽だという。しかし極楽の時間だけが長く続くことはほとんどない。極楽の感動は消え、ふたたび地獄の岩肌が立ち現れる。生きるとは、そのような地獄と極楽の二つの世界を絶えず往還(おうげん)しながら暮らすことだと。悪をなす存在である人は苦しみ、否応なしに老い、すべて病を得て最後は一人孤独なうちに死んで浄土へ往生する。それは生前どのような人であったとしても、すべての人は大河の一滴として大きな海に還り、ふたたび蒸発して空に向かうという大きな生命の物語を信じることに他ならない。なるほどと思う。だがこうした心境に、根っからの思い至ることができるのはいつのことだろうか。
2009年02月02日
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本との出会いブックオフに注文した本が届いた。1500円を超えると送料がただになる。2000円足らずで何と今回は10冊も購入できた。書店に行くと一番目につきやすいところに高く積んであるコーナーで帯を読んだり、後書きを読んで買えるが、年金生活には新刊本は高嶺の花だ。最近は少々時間が経過しているものだがインターネットで購入することがほとんどだ。だがネットだと手に取って中身を見るわけにはいかない。そこで僕は、他の人の書評や紹介を読んでだり観たりして、それを参考に買うことが多い。今回は「書物との対話」(河合隼雄)から白洲正子を知って『明恵上人』を読みたいと思ったが適当なものがなかったので『西行』にした。どちらかというと著者で気にいると、そこから手繰り寄せて読む方だ。『明恵上人』は法華宗と聞いていたので、前から気になっていた五木寛之の『蓮如』と『大河の一滴も』『他力』を一緒に購入した。また前から好きな評論家の佐高信の対談『日本企業の表と裏』を読んで相手の高杉良が気になったので企業小説を何冊か購入した。NHKの「週刊ブックレビュー」という番組も好きだ。毎回3人の小説家や評論家他が2冊の本を紹介して合評する。小説だけでなくさまざまなジャンルの本が紹介されるので関心が広がって思わぬ本を探し出すことがたびたびだ。決して新刊本ばかりでないので古本で探してあると幸せな気分なる。このところBSでやっている「私の一冊 日本の100冊」でも何冊か気になる本を見つけたので古本を探している。日本の年間の書籍の新刊数は7万点を超えているという。累積する過去のものまで加えると想像できない数だ。この中から読む本を選ぶのは至難の業だ。本との出会いは気紛れだし、ほんの一部しか読めないのだとしたら、その出会いは大切にしたい。老いさらばえるにしたがって一層そう思う。
2009年01月30日
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光ネットは早い、が…この山里にも漸く光ケーブルが年末に敷設された。今なら工事費がかからないしプロバイダーも別のにすれば全体の料金も変わらないというのでADSLから替えてみた。確かに早い。このブログの「高機能エディタ」も即時だし、ダウンロードも嘘みたいに早い。だがまてよ、スローライフの我が身に1分1秒の差が何なんだろう。そんな事を考えているうちに何とも新し物好きで、前後の見境なく物珍しさに踊らされる自分に呆れてしまった。 新しいルーター(普段はPCの後ろに設置)残念なのはこれまでのEメールアドレスが使えないこと。こっちの方の連絡が大変だ。ただ嬉しいことにいたずらメールはシャットアウトできそうだ。これを機会にホームページでも立ち上げたいな。
2009年01月29日
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どうやら急性胃炎かも夜中に吐き気がして目を覚ました。サラリーマン時代の飲み過ぎた時と違って嘔吐した後もすっきりしないし、寒気がして身体が小刻みに震えてくる。ん?潜伏期間もあるというし、映画館に行ったときにもらってきたインフルエンザだろうか。朝起きたら37度8分と熱があるし節々も痛い。でも胃は空っぽなのに相変らず何か未消化なものが残った感じがして気持ちが悪い。冷たい水だと吐いてしまいそうなので湯ざましを飲む。食欲もまったくない。原因はどうやら前の晩の消化の悪い落花生をつまみに飲みすぎて胃が弱っていたところに、ご近所からいただいた生牡蠣をペろっと3人前ほど食ったつけがまわってきたようだ。昔、風邪で熱を出すと母親がアスピリンを飲ましてくれて布団にくるまって汗を出したものだった。最近は解熱剤やら咳止めやら鼻づまりと症状によって薬が処方されるし売薬もあるが、どうも熱を出すと昔ながらの汗をしっかりかいて熱を下げるのが一番効き目が早いように思える。今回も、水だけを飲んでしっかり長袖、ズボン下の下着にパジャマを着て、靴下を履いて手袋という完全装備をして、首から枕までバスタオルを巻いて汗対策をしっかりして布団に潜り込んだ。汗が膚から噴き出てくるのが分かる。下着もビッショリ濡れてきた。汗を拭いて着替えると、さっぱりして何ともいえない爽快さだ。2度目は生姜を絞った湯に砂糖を入れて飲んで汗を出しきった。あとはゆっくり安静にして二日間横になっていた。不思議とたまげるほど寝ることができた。熱も嘘のように下がった。3日目に茶碗一杯のお粥を梅干で食べたが最高の味がした。 お見舞いいただきありがとうございました。皆様もインフルエンザ、食べ過ぎ飲みすぎにご注意ください。
2009年01月27日
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山の中なのでインフルエンザは無関係かと高を括っていましたら、昨夜から吐き気と関節痛でダウンです。幸い連れ合いが来ているので動かず寝ています。暫く体調が回復するまでブログは休止しますのでよろしく。
2009年01月21日
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パンダ豆を煮た初めて見た時は本当にパンダみたいで可愛らしく、思わず笑ってしまった。去年はネットをきちっと張ったからかパンダ豆(ブラックアイビーンズ)とモロッコは比較的良く取れた。同じ蔓性の豆でも難しかったのは花豆で今年播く程度しかならなかった。このパンダのような模様は煮るとどうなるかと興味をもった。結果、黒は薄れて茶色になりパンダのイメージが消えてなくなった。豆はぷっくら膨らんで味はうずら豆のようだった。 『東南角部屋二階の女』なんとも長ったらしくて奇妙なタイトルだろう。本はタイトルと帯で惹き付けられるし、テレビ番組も一時期変ったタイトルや長いタイトルが流行った時期があった。テレビは観てつまらなかったらチャンネルを変えればいい。本も途中で投げ出せばいいが映画館だと途中退席というわけにはいかず最後までお付き合いしてしまう。今回観た映画は、そんな映画だった。脚本も演出ももの足りなかった。ただタイトルだけが気になった。
2009年01月20日
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油断大敵山里一年目の冬はご難続きだった。暮れにトラクターで大けがをして、年を越してもうすぐ春だという時期に湯たんぽで大やけどをした。走行した直後のラジエタ―は気化した蒸気が膨張して危険だから冷めてから蓋を開けて水を補充するようにと車の免許を取るときに教えられた。昔は自動車免許を取るときに法令とともに構造という学科もあって車の仕組みを一通り学んで試験まであった。そういう時に教えられたことってなかなか忘れないものだ。このラジエタ―をヒントに湯たんぽの取り扱いには十分注意することにした。しかし湯たんぽは冷めてから栓をしても役立たないから、あらかじめ栓を緩めてストーブにのせておくことにした。こうすることでラジエターのように頑丈でないブリキの湯たんぽでも蒸気の膨張に十分耐えられるであろうと考えたのだ。何しろ冬の山の寒さは半端じゃない。ストーブで暖まって眠るモードになった身体も冷たい布団に入ると一気に覚めてしまう。もう一度自分の体のぬくもりで布団が温まり直すまで身体を丸めてじーと待つのは、荒行に耐えきれず行儀悪く悶絶する僧の心境だ。この荒行は一週間で終わった。電気毛布を使うことにしたのだ。その晩から手足を伸ばしてぐっすり眠ることができた。ところがエコライフを標榜する身としては電気に頼るのは潔しとしない。せっかくある薪ストーブなんだからと閃いたのがブリキの湯たんぽだった。2月は雪が一番降り、ことのほか寒い。この夜もストーブに薪をガンガン放り込んで湯たんぽを沸かしていた。このあとの事故を予告するかのように栓の隙間から蒸気が噴き出しピーピーと悲鳴をあげていた。いつもの通り栓を閉めようと蓋に手をかけた拍子に緩くしめていた栓が外れてしまい一気に沸騰した湯を顔面にかぶってしまった。余りの暑さに床を転げまわった。幸い眼鏡をかけていたので眼はだいじょうぶだった。急いで外に飛び脱し、降り積もる雪に顔をうずめて冷やした。気持ちよいというよりも雪の冷たさに顔が痛くなるほど息が続く限り顔を押し付けた。それを一時間ほど繰り返しただろうか。救急車を呼ぼうか、でも昨年の暮にトラクターの事故で騒がせたばかりだというのが引っ掛かった。鏡で顔を見たら赤くなっているだけで皮もむけずただれてもいなかった。だが冷えた肌が常温に戻ると火照ってきてヒリヒリと痛む。念のために腎臓結石の時にのんで残っていた抗生部質と痛み止めをのんでおいた。横になったが眠れそうにない。一晩中まんじりともしないで起きていたが、明け方になってやっと少し眠ったようだ。目が覚めて急いで鏡の間に立った。顔が全体に赤くなって膨れていた。一部瞼や目の周りの皮がむけていた。この日も医者に行こうか迷ったが、命に別条はなさそうだし幸いケロイド状にんもなっていない。来てまだ間がないのに二度も大けがをしたというのもみっともない。こういうことって狭い土地だからあっという間に伝わるに違いない。慌てん坊と笑われるのもいやだなぁ、そんなプライドが先に立って、まだ大分残っている抗生部質を飲んで様子を見ることにした。火傷は日が経つにつれて水膨れ状態になり、赤かった皮膚も黒ずんでまるでスキーに行った時の雪やけのようになってきた。ただ水膨れした肌から絶えず水滴が流れ落ちてくるのにはまいった。きれいなおろしたてのタオルを充てるがすぐに汚れてしまう。こんな状態がかれこれひと月は続いただろうか、水膨れの中の水がすっかりなくなり乾いてくると、顔全体の皮が一皮むけてその下から赤い新しい皮が現れてきた。雪で冷やして応急処置したこと、抗生部質を飲んで化膿しないですんだことが幸いしたのか二ヶ月後にはすっかり元の顔を取り戻したのだった。水膨れが消えかかった頃、東京から来た連れ合いが、日焼けして皮がむけたような顔をみて雪やけしたのかと訊かれた。心配かけるのでほとぼりが冷めるまで黙っておいた。
2009年01月17日
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何処に隠れた黒豆の鍋オヤジから「眼鏡みなかったか?」とよく訊かれた。老眼鏡を何処かに置き忘れたみたいだ。といっても三つくらい眼鏡ケースがあって、ちゃぶ台の上、電話台の上、台所などそれらしき処に置いてあったから、そのうちの一つくらい憶えているだろうにと不思議に思えたことがあった。ところが先日の朝、昨日煮ておいた黒豆を食べようと鍋を探したが何処にも見つからない。昨夜確かにストーブで煮たはずなのにおかしい。ストーブのある居間と台所を何度も行ったり来たりしたが無い。台所のレンジの上、棚、床、うーん…ストーブの周りかと考えられる限りの場所に目をやったが見あたらない。何分か前に置いたはずのハサミをどこに置いたか、すっかり忘れてしまうことも度々だから昨晩のこととなると当たり前だよなぁ。諦めが先に立つ。いやいや、ここで諦めたらますます記憶が衰えそうなきがするし、何よりもそんな自分が情けないし不安だ!昨日の夜の鍋をストーブから下ろしたところから想いかえそうとするが、そこから先がどんよりとしている。終いには焦ってくる。忘れっぽい、いやいや、ここまで健忘症気味な自分が癪にさわる。もう一度台所に入って一通り目を廻らしてみる。ふとテーブルのあたりに目をやると、その脇の椅子の座布団がこんもりとしている。ああっ!そうか!そうなんだ。昨日のテレビの料理番組でやっていたのを真似て、煮たてた後に保温しながら徐々に冷ますために座布団を二重にして、すっぽりと掛けて置いたのだ。普段やってないことをやると記憶からすっぽりと落ちやすいもんなんだなぁと変に感心しながらも、それにしても老化が確実に忍び寄ってきたと思い知らされた。
2009年01月15日
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煤とタールで詰まった煙突山深く雪の多いここでの生活で憧れていたのが薪ストーブの生活。だが都会生活の体験しかないから土台知識は乏しいし、あっても本からだから頼りないし生きた情報からはほど遠い。山があるから樹の心配はない思っていたが、伐って1年くらいは放置しておいて乾燥させないと使えないなんて知らなかった。最初の冬は、納屋を壊した柱など廃材を使ったり、夏に伐っておいた山の木を燃やした。ある日、煙突を伝わってタラ~リ、ズルーと黒いものが落ちてくるではないか。タールだった。それがストーブに触れると臭いわ、その刺激で目から泪が出るわで、とても炎に癒されるどころか落ち着いて暖まっていられない。といって外だけでなく火を焚かない部屋はマイナスだ。これまで体験したことのないような体の芯までがジーンと冷えてくる寒さは遠慮容赦ない。役立たない薪ストーブに代わって部屋の真ん中に陣取ったのは押入れから出てきた石油温風ストーブだった。デーンと大きな顔をして陣取ったのはいうまでもない。原因は何だろう。リフォームをしてもらった工務店を呼んだ。ストーブの大きさに合った排煙装置になっていなかったようだ。それに加えて生っぽい薪をくべたために煙突の出口がすすとタールで詰まっていた。煙突を直し薪ストーブの火が戻ったのは1週間後だった。しばらく石油ストーブは押し入れにしまわないことにした。 今年は順調な薪ストーブ
2009年01月11日
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『ブタがいた教室』上映期間が9日までというので急いで出かけたら「希望者が多いので12日まで延長します」とのこと。でも昨日からの雪で30センチ、今晩も降るというから、山里に閉じ籠るというよりも閉じ込められそうなので、昨日観ておいたのは正解だったようだ。この映画は実話だそうでドキュメンタリーものが他にあるというので調べたらあった。映画を観てから実録ものを観たが、映画の子どもたちがとても自然なのに驚いた。子どもたちの台本は白紙だったと知って納得がいった。 それにしても重たい映画だ。「生きるために」と大上段に構えずに、みんな当たり前に肉や魚を食らい穀物野菜を食べている。だが食べているものは自分で育てた作物ではない。自分で飼い命を絶った動物ではない。スーパーで売られているものは料理するだけになっているし、ファーストフード店ではただ口にいれるだけよい姿になっている。そこからは生きていたものを、命あるものを殺していただいているという意識は生まれない。豚を飼い、それを食べることで命について学ぼうという担任の先生と38人の子どもたちの900日にわたる記録が原案だ。私の子どもが通っていた小学校でも鶏と兎を飼っっていたが、それを食べることまではしなかった。それをやったら口角泡を飛ばすすごい議論になっていたことだろう。実際の小学校でも親も教師も巻き込んだ激論になったという。ここまでやるからこそ初めて分かる命の尊さ、人間が生きるってことの業の深さを知ることがあるのかもしれない。生き物を大切にする情操教育にもなるかもしれない。しかし一歩間違えば逆な影響も考えられる。教育現場でここまでの試行をしてよいのかも疑問もあわく。この実践のように、とことん皆で話し合う、適切な教師や親のフォローがあったからこそ「いのちの授業」と一定の評価もされたんだろう。私も鶏の解体実習を二度体験したことがある。鶏の首に包丁を入れ掻き切ったときの後味の悪さといったらなかった。だが食べることは命を絶つことなんだ、その命をいただくことなんだということを、これほどまでに実感したとはなかった。小学生の多感な時期でいいのか、どこの時点で体験するんのがいいのかは分らないが、きちっとした教育方針と方法のもとで一度は命を絶っていただく体験と向き合うことが必要だと思う。いまのように無差別に殺傷する事件が後を絶たない世の中にあって、命についての学校、家庭での教育の在り方を考えさせてくれた映画である。
2009年01月10日
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素敵な嬉しい年賀状サラリーマン時代は200枚を超える年賀をいただき出していたが、山里に引っ込んで3回目の年越しとなると淘汰というか義理状が激減して四分の一に、それなりに親しい人が残ってきた感じがする。多分このうちの三分の一近くがまた疎遠になるかもしれない。年賀をいただいて素敵だなぁと感心するのは、僕にはとっても真似できないが全て手書きであったり、芋はんなどの手作りのものだ。一番無味乾燥なのは一般的なあいさつ文を印刷しただけで一言もないもの。これは淋しい。儀礼ですよとわざわざことわられているようでいただけない。私もそうだが、ワープロが誕生して自分でカラー印刷ができるようになってから、色々工夫しながら先ずは定型の賀状を作り、一文を書き加えるというのが多い。私は、一昨年から山里の四季を写真にして一年間の様子を伝えて近況を簡単な文章にしたためている。それに、いただいた人宛ての一言を余白に書き添える。今年の賀状は四季の花々にした。このブログ上に載せた写真を再利用したもの。私が書くのは新年になって、いただいた賀状を見てからだ。元気にやっているなぁとか、懐かしい一言が添えられていて、そんなこともあったなぁと思いかえしたり、旧年中に大病されたと知って健康をいたわり回復を喜ぶ一言添えたりしている。去年は三が日に書いて出したが、今日やっと書き終えて投函した。段々おそくなってきた。まぁ、これもスローライフを地でいっているということで許していただこう。 素敵な手作りもの、添え書きにしびれた賀状ベスト6 拙いブログですが、今年もどうぞよろしくお願いたします。
2009年01月06日
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『地球が制止する日』 こちらも1951年の作品のリメイクもの。といっても洋画。最初の作品は観てないので比較はできないけれど、今のCG技術を駆使しているだけあってSFに相応しい作品になっている。たとえば地球が大量の未知な合金でできたウンカみたいなものに襲撃をうけるシーンは迫力がある。あっという間に鋼鉄の塊も大きな建造物が飲み込まれ崩れ去り消滅していく様は見事だ。すごいのは半世紀も前に人類が奢り高ぶって地上を支配することによって地球を瀕死の状態にしてきたということへの警鐘を鳴らす映画を作ったということだ。その当時の地球のどのような問題状況を見て、こういう映画を作る気になったんだろうか、とても興味が湧いた。51年というと世界大戦の6年後だからもしかしたら戦争だろうか。いずれにしても先見性のあるプロデューサーであるし監督だ。今回は未だ世界の何処かで繰り返し起こしている戦争や温暖化に象徴される地球規模に進む地球破壊への警告のためにリメイクしたのだろう。50年以上も経ってまたも宇宙からの使者が訪ねて来ざるを得ないのは悲しいことだ。でも「救うのは人類ではなく、地球だ」という使者の言葉は厳しい。観ての感想だけど、SF映画は娯楽ものでハラハラとするスペクタクルが売りでいいのかもしれないなぁ。真面目さを加えると、筋や展開に無理がでてしまう。≪ストーリー≫ある日、地球に彗星のような不明物体が衝突しそうになり緊急に各分野の科学者召集される。しかしそれは宇宙から地球を救うために人類に警告しにやってきた使者が乗る球体だった。クラトゥと名乗る使者は危険インベーダーと判断され拘束されそうになるが、科学者のヘレンに助けられる。行動を共にする中でヘレンの子どもへの無償の愛を見て、またヘレンの地球をこれ以上破壊しないという固い決意を聞き、人類への希望を見出したクラトゥは人類を破滅することを中止する。 科学者のヘレンと子ども みなさん 今年一年お付き合いいただきありがとうございました。 新しい年が素敵な年でありますように。 来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2008年12月31日
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『闇の子共たち』貧困にあえぐ家庭の犠牲になっているのがいつの時代でも子どもたちだ。かつて日本でも口減らしのために子どもが売られていたちうのを何かで読んだことがある。 この映画の舞台は今のバンコクだ。貧しい農村から売られてきた子どもたちが海外からの旅行客の一時の快楽の慰めものになっている。その子どもたちが生きたまま殺され臓器が売買されている。この弱いものへの残虐非道な行為を暴き報道する日本の新聞社の特派員。だが実は彼にも拭い切れない過去があった。それを物語の最後に知らされる。この終わりかたが何ともやるせない。移植用の臓器を取り上げた小説に帚木蓬生の『臓器農場』があるが、これはサスペンスものでハラハラドキドキはしたが、フィクションと分っているから安心して読んでいられた。ところが『闇の子供たち』は、悪評高い売買春とからめているのでノンフィクションかと思われるほどリアルだった。
2008年12月30日
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雪の日の列車事故に遭遇東京でも何年に一度まとまった雪が降ることがある。そん時は雪に慣れない都会は途端に交通はマヒして電車やバスは大幅に遅れてしまう。また必ず転倒して骨折した人が何人か出て、それがニュースになったりする。雪が降り積もりそうな夜には黒光りするレールのポイント付近にカンテラが焚かれることがある。白一色の中に赤黄色の火が揺らぎ浮かびあがっている光景はとても幻想的だ。そんなカンテラが焚かれていた大雪が降った日に停車中の電車に後続の電車がつっこんで衝突する事故が起こったことがある。私は衝突した側の電車に乗っていて事故に巻き込まれた。吊革を握っていたが、キーという音とともに4メールほど吹っ飛ばされた。その衝撃はすざまじかった。幸い倒れていいた人の上に覆いかぶさるように落ちたので、それがクッションになったようだ。下敷きになった人を助け起こしながら立ちあがたが痛みは大したことはない。落ちた拍子にメガネが何処かに飛んでいってしまっていた。周りには何人かが倒れていた。連結のドアの角に頭をぶつけたのか血を流してうずくまっている人もいた。日曜日だったので乗客は少なかった。誰が開いたのか片側のドアが開いていた。意外なほど降り口から地面までの距離がある。何人かの人を手助けしながらようやく下に降りることができた。雪で線路が埋もれた道をホームまで歩いた。駅は人でごった返していた。救急車がけたたましくサイレンを鳴らして何台も到着した。200名余の負傷者が出たという。私は軽い鞭うち症と診断された。事故は車輪とブレーキシューの間に雪が挟み込まれたのが原因とされた。事故は22年前の大雪の日に友人の母親の葬儀に出かける途中の出来事だった。福島のこの山里で三度目の冬を迎えた。一昨日から降り続ける雪はこんなに積もっている。この雪を見ていたら、あの日の東京の雪の大事故を思い出した。 ここでは列車事故はないが代わりに車のスリップ事故には用心が必要だ。
2008年12月27日
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『私は貝になりたい』この映画は3回映画化されたという。今回観たのは中居正広が主演した映画だが、ずーと以前、私がまだ小学生の頃にフランキー堺が主演したものを観た記憶がある。面白いことに遠い昔の『私が貝になりたい』の印象の方が今回を上回った。小さいながらに戦争って怖い、嫌だなぁ、自分が捕虜を殺せと命令されたらやっぱし殺しただろう、などと真剣に考えた記憶がある。映画館には小さな子どもを連れた親子連れもちらほらいたが、どんな印象をもったんだろう。映画は戦争責任が戦争を引き起こしたものだけでなく、戦争に巻き込まれた一般市民にまで及んだ事実をドラマ化したものだ。田舎町のしがない理髪師が徴兵され、上官の命令で捕虜の処刑に加担したことから戦後になって逮捕され、極東裁判で裁かれ絞首刑になる。絞首台に上りながら吐く 「・・・せめて生まれ変わることができるのなら、いいえ、お父さんは生まれ変わっても、もう、人間になんかなりたくありません・・・人間なんていやだ、牛か馬のほうがいい。・・・いや、牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。・・・どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ、深い海の底の貝にでも・・・そうだ貝がいい、貝だったら深い海の底の岩にへばりついているから何の心配もありません、兵隊にとられることもない、戦争もない。・・・どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい・・・」この言葉を聞いて当時の僕は泣いたんだろうか。涙よりもきっと恐くて震えていたんではなかっただろうか。A級戦犯の裁判とは別にB級さらには名もなく”ノー”と云えない絶対服従のC級の二等兵までもが逮捕され、数百名も処刑されたという。幼い心にも戦争の理不尽さがきっと沁み込んだに違いない。
2008年12月26日
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今年はびっしり生ったキウイフルーツ柿やキウイフルーツなどの果実は隔年にたくさん実ると聞く。そういえば昨年のキウイフルーツは大きいのが10個くらいしか生らなかった。キウイも素人の剪定に気を悪くしてしまったのかと反省していたら、今年は枝が怪獣のように伸び放題に伸びて、そこにビッシリと実が生ってくれた。木につけたまま完熟して柔らかくなるまで待っているのかと思っていたら、硬いうちにとってビニール袋に入れてリンゴと一緒に入れておくと柔らかくなると初めて知った(先日の有機農業の交流会でキウイフルーツの栽培農家から教えていただいた)。この辺りの農家は、皆さん野菜も果物もプロばかり。ところが、どういうわけかキウイはあまり見かけなない。よしよし、これならお裾わけしても喜ばれるかもしれないぞ。残りはジャムにして保存しておこうかな。ジャムといえば、今年はイチゴ、梅、スグリ、イチジク、花桃とずいぶんと作って楽しんだ。 里芋昨年に収穫した里芋を種イモにと、地中深く掘って上下左右に藁を囲いもみ殻を入れて保存したが、見事に腐って全滅してしまった。諦めていたところに、三宅の知り合いから里芋が届いた。これを種イモにしてみた。時期が遅かったのか、草の中にほったらかしにしたのが悪かったのか、あまり大きくならなかったが、掘り出すと、それなりに、それぞれに大きな里芋ができていた。自給用には十分だろう、まぁ良しとしよう。 草に埋もれた里芋(9月ごろ)
2008年11月21日
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あんぽ柿の樹晩秋の田舎の風景に似合うのは、葉がすっかり落ちて柿だけ残った樹だ。柿の樹は農家に何本か必ず植えられている。我が家にもあんぽ柿が3本と、甘ガキが1本、平べったい渋柿が1本植えられている。あんぽ柿以外は葉が落ちてしまった。葉が落ちた柿は、衣服をはぎとったようで寒そうだ。柿の実だけが、細い枝にぶら下がって揺れている。落ちた葉がからからと踊っている。もすぐ雪が舞いおちて来て、田畑をうっすらと白く塗るだろう。 ひらべったい渋柿と手前があんぽ柿 右のあんぽ柿と左側奥が甘柿 昔ながらの唐箕(とうみ)麦を播いた。この麦は夏前に収穫して脱穀したままにしておいたもの。籾に藁やゴミ、実の入っていない空籾が混じっていたのを、この唐箕で選別する。電気モーターによる動力型の唐箕もあるが、麦の量が少ないのでこっちの方を使うことにした。手加減がきいて便利だし、何よりもスローライフにピったしだ。
2008年11月17日
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これぞ有機農業 先輩たちの工夫二日間にわたる東北の有機農業の交流会が終わった。東北だけでなく関東からも総勢60名近い参加者があった。 会場となった「あだたら高原学園」初日にあった「福津農園」松沢政満さんの『小さい循環で有る物を活かす農』の講演は、脱サラ、中山間地というロケーション、小さな規模と共通するものがあり、共感を覚えながら聴けた。24年の百姓体験からくる自然に溶け込んだ生き方、自然の叡智に学ぶ感性、その考え方、農業方法には目を見張るものが多く、たくさんのことを学ぶことができた。特に三つの間(時間、空間、人間)を意識した百姓としての生き方には、日常に押し流されて置き忘れてきた自分を取り戻す思いがした。スピードを優先しすぎず、生命のリズムに合った時間感覚の大切さ。限られた広がりの圃場を立体的にとらえ、さまざまな作物が共存させる空間の活用。文化を共有して人とのつながりの中で生きていることを自覚して、経済性だけを追及せず社会的責任を自覚した農業を営む姿勢。どれもがうなずける。同じ有機農業を生業にする人でも、そこに辿り着くまでの経緯や考え、置かれた生活条件によって規模も方法も異なり、取り組む姿勢にも違いが少なくないように思った。 先輩有機農家の豊かな圃場二日目に見学した現地の有機農家の圃場は、前日の講師とは対照的に畑だけでも何町分という大規模なものだった。経験の違いが、こんなにも作物に反映するものなのかと驚かされた。何十年もの有機農業で培った技は圃場にも影響し、長年入れた堆肥で土は黒々としてフカフカしていた。作物は大きく太く丸々としていた。田も平地に広がっている。土地も余裕があって、2年間、稲を作ると次の2年間は大豆を栽培する輪作で窒素を固定して田が肥沃になり、次の2年間は肥料を入れないで稲作ができるという。 3畝あるだろうか、畑の一面がニンジン 黒マルチに大根がぎっしり、畝間には小松菜が 大豆と水稲の2年の輪作で土作り あるものに活かされる農業私の畑は狭く、田は棚田で小さい。ここに平地での広い農業を持ち込んでも土台無理だろう。森へ一歩踏み込めば、黒々と柔らかい腐養土が手をつけられずにあるではないか。この自然を、あるものを生かさぬ手はない。いや、私の山間地での有機農業は、この豊かな自然に活かされた、ここならではの方法がきっとあるに違いないと思う。有機農業は、やる人の数だけ方法と技があるのだろう。そんなことを実感できた二日間だった。
2008年11月10日
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セイタカアワダチソウ稲刈りを終えた畔にのっぽの雑草が黄色の花をびっしりつけている。セイタカアワダチソウだ。野菊も終わり、枯れはじめてきた。花が野山から姿を消しつつある晩秋には、この黄色の花序は見ごたえがある。山羊にも緑の葉と太めの茎、黄色の花のコンビネーションサラダが魅力的なようだ。 犬小屋の後ろから 顔を覗かせた椿犬を抱っこしていたら 普段は死角になって見えない小屋の後ろに 無垢な白い花びらに 赤い縁取りをした椿が咲いていた硬い蕾は てっぺんを赤く染めていた 映画の当たり外れ昨日、久々に映画館に行ってきた。この前は観たい映画が終わっていて、仕方なく観た映画がすごく良かった。今回は観たかった映画の上映時間を間違えて、到着したら既に始まっていた。もしかしたらと別の映画を観た。柳の下にドジョウは二匹いなかった。終わっていた映画は『百万円と苦虫女』、良かった映画は『容疑者Xの献身』、観たかったのは『まぼろしの邪馬台国』で、二匹目の泥鰌とならなかったのは『20世紀少年』。この間、家でDVDを借りてきてブログ仲間の紹介してくれた『アバウト・シュミット』『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を観た。どちらもとても良かったが、これを映画館で観たらなお数倍泣け、感動しただろう。
2008年11月06日
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毀れた草払い機我が家の草刈り機は肩に掛ける式と背負い式の2台があるが、こちらの背負い式の方が毀れたので肩掛けを買ってそのままにしておいた。先日、隣人の青年がそれを目ざとく見つけ、直せるかもしれないからと持って行って直してくれた。農機具やこういう器械の手入れはまことに弱く、故障すると専門店に出して修理してもらっていたが、修理代がバカにならない。かえって買った方がいい場合もあって放置しておくことも少なくない。驚きなのは、農家の人の中には、けっこうマメに点検したり、分解してさっさと直してしまう人が少なくない。そういう人をみると尊敬してしまう。今回の故障は、ダイヤフラムが硬化したためエンジンがかからなかったという。ここを分解してこの中にあるヤツを交換しておいたよと教えてもらったがチンプンカンプン。 みんな私の先生 薪作りに欠かせないチェンソー昨年の冬場に椎茸の原木用に伐っておいた樹の残りが、かれこれ一年たって乾燥したので薪にしている。その際に役立つのがチェンソーだ。足もとが危険な斜面の樹は鋸でギーコギーコと挽いて伐り出すが、運びやすい長さに切ったり、40センチ位に裁断するのには鋸では手間かかってしょうがないのでチェンソーや電動鋸が重宝する。ただチェンソーは1時間ほど切っていると歯がいかれてしまう。何から何まで使ったことのない農具や器械類なので知らないことばかりだ。この間もチェンソーの歯の研ぎ方を教えたもらった。気負わずに訊くと、みんな親切に教えてくれる。ここでは老人も若者もみんな私の先生だ。 ごめんよ サツマくん ほったらかしにしてジャガイモをイノシシにやられた時にサツマイモの畝も引っかき回されて、苗が地表に放り出されて枯れてしまっていた。そんなこともあって半分あきらめの気分で、残った苗も雑草が生えるままにしておいた。陽にあたってデンプンをたっぷりつくり蓄えるというサツマイモ。草の陰に追いやられ、さぞや不憫で不本意な成長だったことだろうなぁ。
2008年11月02日
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雨上がりの虹夕方、雨があがりの東の空に虹が架かっていた。虹を見ると思いだすのがポスター。あるボランティアイベントのポスターの公募をした時に、たまたま審査員の一人になった。公募作品で一番多かったのが虹とハートをあしらったものだった。どちらもあたたかなイメージをかもし出す。夕暮れの 空に架けたる 虹の橋 野良仕事終え 帰る家路に トウガラシの鮮やかな朱こちらは畑になていたトウガラシ。キノコの虫を駆除するために少し早かったが取ってきた。緑の中に、この色だけが孤高な彩りを放っている。鮮やか過ぎて、どんなに色を合成しても作れないような感じがする。 虫さえも 燃える熱さか 唐辛子 漆紅葉の案内人ここの紅葉ももうすぐだろう。一番先に色づくのが漆だ。まるで紅葉の案内人のようだ。漆の木に触れるとかぶれるので冬場に木を伐っておくが、けっこう強く、春先になるとどの木よりも先に直ぐにあの独特な葉を梢の先に開いているのを見つける。 まず先に 色立つ漆 紅葉かな
2008年11月01日
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抑えめな甘さ アケビ竹林と生垣の間にアケビが吊る下がっていた。頼りない甘さ、しかも種だらけで、あっけないくらいの量しかなく味わうほどではないが、ついつい季節を確かめるように口に含んでしまう。この種を播くと芽が出るんだろうなぁ。来年は生垣に沿って播いて、アケビの実をズラーと吊るしてみても面白い。 また一つ増えたよ 安全キノコ稲刈りをしていたら、下の地区の方が訪ねて来てくれた。稲刈りはとうに終わっていると思ったらしく、前からの約束をだったキノコ採りに誘いに来てくれたのだ。遅くなったついでで一日、二日遅くなっても稲穂にはさして支障もあるまいと、せっかく誘ってくれたキノコ採りを優先することにした。これまでのキノコは地上に出ていたが、この時期のキノコは樹木の根元、特に切株になっているという。あった!!朽ちたブナの木の根元の開いた穴にびっしりと生えている。こっちには切株の周りを囲うように出ている。けっこう急な斜面を滑り落ちないように足もとの落ち葉を踏み固めながら歩き回ること小一時間、けっこうな量のキノコが採れた。見つけて採った時はきれいだったが、袋に入れて動き回っているうちに欠けたり、泥にまみれてしまった。キノコは袋でなく、籠に入れるといいことを教わった。慣れない道なき山歩きはきつい。遅れないようについていくだけでやっとなところに、木の株を見つけ、根元を睨んでキノコを探す、かなりしんどい。下りた場所は登った所と反対側の道に出た。くっついて歩いているうちに、どのあたりを歩いているのがさっぱり方向音痴になって判らない。いやーもう疲れました!!いっけない!キノコの名前を聞いたのに忘れた!!これを唐辛子一片を入れて水に一晩うるかしておくと虫が出てくるという。昆布だしと醤油、みりんと砂糖で煮てご飯と混ぜても美味いし、味噌汁に入れても旨いという。※この日記は一度載せたものを操作間違えで消してしまい、楽天からの保存メールを元に再度載せたものです。でもとても残念なのことに、せっかく寄せていただいたコメントを戻すことはできませんでした。ご記入いただいた皆様、まことに申し訳ありませんでした。
2008年10月31日
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大失態!!あーぁ どうしよう!!自分のコメントを削除して新しいのにしようと操作したつもりが、前の日記を間違えて削除してしまいました(涙)。コメントを寄せていただいた皆様、大変失礼しました。申し訳ありません。回復方法はないものでしょうか。
2008年10月30日
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大きなミミズミミズが出る畑は土が肥えているといわれる。この畑も去年春に入手した。その時は草木が生えて手に負えない状況だった。秋に麦を播き、今年の春に蕎麦を播いた。蕎麦を刈ったときにあちこちから大きなミミズが出てきた。 栄養不足だったか上の畑こちらは上の圃場。同じように3年前は草木で覆われていたが、畑に復元してから1年目に豆類、2年目の去年はカボチャとサツマイモを、そして今年は春にジャガイモを植え、夏に蕎麦を播いた。ジャガイモまでは順調に育った。肥えてなくとも育つと聞いていた蕎麦だが、ほどほどの肥料は必要なのかもしれない。背丈が下の半分程度と低く茎も細い。実もお義理のようにチョコっとつけてくれた。雨の降る前に刈リ終えた。つかみ、握る手元がさびしかった。遠方より来て種をまいてくれた友にどう伝えようか、その思いが逡巡する。下の畑は徒長して倒れるものもあったくらいだったが、太くたくさんの実をつけていた。畑の状況で随分と違うものだ。ちなみに上の畑にはほとんどミミズは出てこなかった。 蕎麦播きて 汗したたりし 友の顔 刈り終えたいま 言葉返せず 炎天に 播き終えし蕎麦 晩秋に 刈り取り握る 手もとさびしや 遅くなった稲刈り3年目にして今年初めて苗作りからやった米作り。ようやく稲刈りだ。途中雨が続き、やきもきしたが、後半は何とか陽も戻ってくれた。まずまずと思っていたら、分結も少なく、成長も悪い。何だか虚心坦懐に作った1年目が一番良かったような気さえしてくる。 4枚のうちの一番上の田反省材料はたくさんあった。化学肥料を入れない有機農法だが、有機肥料が足りなかったこと。代掻きが十分でなかったこと。苗作りが遅すぎ田植えが遅かったこと。粗植を意識し過ぎて35センチ間隔に苗を1本植えにしたこと。農薬をまったく使わないで深水管理をしたが、水草のコナギの手押し除草の時期が遅く蔓延してしまい、それでなくともわずかな有機肥料をコナギに横取りされてしまったこと。1年に1回しかチャンスのない稲作り。あと何年やれるのかなぁ。いつになったら満足がいく米作りができるのやら。 溝切りし 刈るばかりの 稲穂田の 秋雨かぶり ぬかる地もどる 草生えて 趣味の世界と 揶揄されし 人為及ばぬ 自然の恵み 稲作り 五十四年の 亡義父(ちち)さえも 一年ごとの 学び欠かさぬ
2008年10月24日
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姪夫婦が立ち寄ってくれました去年は、突然に玄関に現れて「おじさん!」 ん!? 誰だっけと 見たことある顔だけど? ええとぉ…今年も都会の風を運んできてくれました。殺風景な年寄りの山の中の生活に短かな時間だったけど楽しいひと時をプレゼントしてくれました。いつも気が利く優しい姪です。酒とソーラー式の照明ランプをたくさん届けてくれました。昨年いただいた照明灯が猪や動物に効果があって重宝している話したら、こんなにもたくさん!!可愛らしい照明灯で、これをイノシシやハクビシンの出没する畑や田に置くことします。真っ暗な畑に色とりどりの明かりがポツンぽつん。想像するだけでおとぎ話の世界になりそうです。暗闇に メルヘンの世界 現れし 動物たちも しばし見とれん山肌に 紅き葉いろどり 人さびし 山あいの家 しばし華やぐ 色とりどりの菊立派な大輪の菊ではないけれど、畑にいく途中に素朴な野菊が咲いています。よくよく見ると黄色だけでなく、白や茶と黄の混じり合ったものなど色とりどりです。
2008年10月20日
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確信もって安全 アミタケやったぁ! 判別できる安全なキノコの二番手はアミタケです。松林に生えていました。特徴は傘の裏側が網状になっていること。小さい時は笠が丸いのですが、大きくなると平べったくなります。煮るとナメコのようにぬるぬるして、色が紫色に変色します。ムラサキシメジを探しに行って見つけました。といっても食べれるかどうかは不明なんで家へ持ち帰ってインターネットで調べました。キノコ図鑑は写真が載っていても、1~2枚程度ですが、インターネットはホームページよって、いろんな成長段階のものが、いろいろな角度から撮っているので図鑑以上に便利です。たぶん大丈夫だろう。そう思っても今一つ確信が持てません!何せキノコは危ない!の先入観もありますし、実際に中毒死の記事も見ます。だれかキノコの判断できる人がいてくれればと思っていたら、もとの田畑と山の持ち主のおじいちゃんが遊びに来てくれました。そしてアミタケとお墨付きをいただきました。 右下がアミタケついでに一緒に裏山に行ってキノコの場所も案内してくれました。86歳の高齢なのにもかかわらずスタコラ。普段街の歩道は杖を使って歩いているのに、山の中は木の枝や幹を使って難なく前を歩いて行きます。1時間ほど歩いたでしょうか、残念なことにほとんど収穫はありませんでした。温暖化のせいでしょうか。ここはシメジ、このあたりはナメコと教えてくれるんだけど、みな空振りです。せっかくお嫁さんが車に乗せて遊びに来てくれたのに、僕以上にガックリされ意気消沈しておられました。ブログ仲間のもっちんママさんが「アミコダケ」と紹介してました。たぶん同じキノコだと思います。 ムラサキシメジ 食べれない ケロウジこちらは一見食べれそうに見えて食べれないケロウジ。松林に生えていて、地面に積もった枯れ葉と同系色でベタッとへばりついています。傘の裏側が針状になっています。裏側が針状、網状、スポンジ状というのは食べれる物が少なくないと聞いていたので、もしかしたら食べれるかもとたくさん採ってきました。インターネット調べると似ているけれど、そうでもないような色形。毒というよりも苦みがあるとのことなので煮て一かけらを口にしてみると、確かに苦い!おじいさんに確認すると、にべもなくダメだ! 連日の収穫 イチジク夏ごろに紹介した大きなイチジクの第二弾。その同じ木に、100個以上の青い実がなっていたのが漸く食べごろになり、連日いただいています。
2008年10月15日
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結球しそうな 白菜3年目にしてようやく白菜が結球しそうです。虫に食われたものもあったけど、ほぼ元気に育っています。3日ほどの時間(日にち)差で種蒔きした甲斐がありました。 蕎麦の刈入れ下の畑の蕎麦を二日がかりで収穫しました。太いものは鎌で根元を切るよりも、引っこ抜いて根を切った方が刈りやすい。バラ播きしてトラクターでロータリーをかけたので均一に播けず、重なったところは細くて倒伏してしまっていた。倒伏したところは根元から鎌で切り取った。1束を10センチ位の束にして、その束をまた3つに束ねて3点確保して立てかけてしばらく干しておきます。このあと袋にいれて叩いて蕎麦を落とします。立てかけている時にも大分蕎麦がブルーシートの上に落ちていました。収穫した時も落ちたでしょうから、秋に播く麦と一緒にこぼれ種が来年の春には花を咲かせてくれることででしょう。この量だと5キロあるかないか程度でしょうか。 うす紫色の花窓辺に隠れるように咲いていた薄紫色した花を見つけました。雑草でしょうか。
2008年10月14日
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パンダ豆とモロッコ西村和雄さんの『スローでたのしい 有機農業 コツの科学』(七つ森書館)を読んで共感して、高畝ってどんな畑なんだろうと訪ねたのは4年前。事前の了解をいただいていたとはいえ、今から思うと随分とご迷惑な話だったろうに快く了解していただいた。美味しい野菜と奥さまの手料理の昼食まで御馳走になって、帰りしなにいただいたのがパンダ豆。黒と白でほんとうにパンダのように可愛らしかった。他にもいただいたが、この地にはパンダ豆が合っていたようだ。以来、大事にして育てている。今年でこの地での三代目になった。 こちらは隣の村の直売所で売っていたモロッコのこの地での2代目。豆で最初に失敗したのは、蔓性かそうでないのかが判らなかったため。そもそも蔓が伸びるのを実感できたのはエンドウが最初で、ジャックと豆の木から連想したもの。最初に豆を播いた時は、みんな大豆と同じと思っていたんだから素人は困ったもんだ。 小豆はすべて収穫 昨年の倍昨年は土寄せをしなかったので倒伏してしまったが、今年はしっかりやったし、台風も来なかったのですべて収穫できた。昨年が大きなペットボトル2本だったが、今年は3本はイケそう。ササゲも同じような色と大きさだが、小豆は括れた白いところが線になっている。それに対してササゲは丸い点になっている。
2008年10月08日
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判別第1号は ムラサキシメジ秋の山の幸といえばキノコ。ところが食べていいのと毒キノコの判別が難しい。先日、籠にいっぱい採ってきたキノコを地元の人に判別してもらったら、食べれるのはこ のムラサキシメジだけだった。 以来、林に入るとついつい足元もに目がいってしまう。どこだムラサキシメジは!写真のムラサキシメジはクウの散歩途中、松林の中へ寄り道して採ったもの。確実に安全の判別ができるキノコ第1号です。 こちらは地元の人の意見が分かれたキノコ。ウーン…口に入れると少し変な味がするような、しないような。結局中毒が恐いので食べないことにしました。最後のこれは、昨年、ご近所からいただいもの。10月以降に本格的に食べれるキノコが出るよと教えてくれました。さてさて忙しくなるぞ!判別第2号はどれになるかな(ワクワク)
2008年10月03日
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玉ねぎの定植の準備昨日は玉ねぎを定植する畑の雑草を刈り、堆肥とヤエ(山羊)の糞尿の肥料を撒いた。堆肥は、昨年の冬に山の落ち葉と藁に米糠とオカラを踏みこんでおいたもの。ヤエの糞尿は彼女が踏み固めたもので、敷いていた藁や食べ残した草とほどよくからまって乾燥して使いやすい。今年の収穫はさびしかった。自然農を参考にして耕さず草を敷いただけにした。しかも草も生え放題だった。結果は大きいのは例外で、ほとんどがピンポン玉程度。先日あった自然農の交流会に参加して農家を見学させていただいた。大きな玉ねぎがぶら下がっていた。質問したら、葱や玉ねぎは草に弱いから大きめの草は刈っているとのこと。また定植の数か月前にたっぷり米ぬかをまいているという。今年は、その反省の上に立ってしっかりと土づくりをすることにした。昨年に懲りたものの一か所だけは小さめの草マルチベッドを続けることにした。もう一か所の畝は背に腹は代えられないし、草刈も面倒なので使いたくない黒のビニールマルチを使うことにした。エコライフといいながら一貫していないなぁ… 妥協してしまう自分が情けないけど、これがまた今の等身大の自分なんだよねぇ。 豊かさに 反したとして 何ものぞ その志 また一つ萎む 抜け殻とはいえドキッ!冬に備えて薪作りを始めた。薪棚を整理して、大きさ別に置き換えていたら何と蛇の抜け殻を見つけた。けっこう大きい。伸ばすと1メートルを超えるだろう。こんなのが近くにいるんだと思うと気持ちが悪い。お隣家の話によると毒蛇でなくニシキヘビだろうという。土蔵にも大きめの主がいるはずだと聞いて、しばらく近寄らないことにした。おお恐い! 現れし 四尺ほどの 抜け殻の 生身のおまえに いつまた遭うか
2008年10月02日
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雨に感謝の 映画デー『おくりびと』を観た。主演の本木雅弘が青木新門 著『納棺夫日記』を読んで感銘を受け監督の滝田洋二郎に持ち込んで映画化が実現したという。昔、遠藤周作の晩年の作品「深い河」を読んだ時に、そのあとに『「深い河」を探る』という対談集も読んだ。その対談相手の一人が本木雅弘だった。最初読んだ時は、ん?俳優さんがなぜ?と思ったが、彼はすごい読書家で勉強家だということが後で知った。この「深い川」も死者を扱った小説だった。期待した通りの素敵な映画だった。 死は誰もが避けて通れないという言葉はよく聞くが、「死は誰もが通過する門のようなもの」という台詞は耳新しかった、この映画の主人公は死者を納棺するという生業だ。忌み嫌われる職業だろう。だからこそ死をどう捉えるかが大切になる。門の先があるから死に装束が必要であるし、それは貧しい人も裕福な人も、自ら死を選んだ人も、そうでない人も、苦しんで死んだひとも、穏やかに死を迎えた人も、生前の幸・不幸と関係なく、新しい世界へ入っていくための門を通過するときに、穏やかな顔立ちで、清らかな身支度をさせて通過してもらう儀式が大切なんだと映画は言っているようだ。死は重たいテーマだ。だから暗くなりがちなところを、あえて始めは観客の負担を軽くするようにユーモラスに笑いを誘いながら描いてくれる。そしていつしか深いテーマが目の前に繰り広げられて涙がとどめもなくこぼれてくる。そして観終わった後に穏やかな暖かいものが残っていた。 主演の本木もさることながら納棺業の雇い主の山崎努、清廉な妻役の広末涼子、「死は誰もが通過する門」と語る火葬場の職員の笹野高司は何ともいい演技をしている、巧い。第32回モントリオール世界映画祭グランプリを受賞した。そうだろうなぁ。 ≪ストーリー≫主人公は才能があまりないと自覚しているチェロ奏者。所属している楽団が解散して路頭に迷い、死んだ母の残した郷里の家に帰り職を探す。そして見つかったのが思いもよらぬ納棺師の仕事だった。本人もはじめはさげすんでいたが、さまざまな死者と、その遺族を前にして徐々に納棺師の役割、その意義を身をもって感じるようになっていく。頑なに納棺師の仕事をやめてほしいと懇願する妻も、親しい人(吉行和子)の死を前に粛然とその業を行う夫に目をみはる。そして主人公に幼少のころは母と自分を捨てて家を出た父親が死んだという知らせが届く。苦悩しながら父の亡骸と対面する。納棺師として父の旅支度をする。父親の冷たくなった手をみると、幼少のころ川原で拾い父にあげた石ころが大切に握られていた。涙をこぼしながら父親を愛おしそうに触れる夫を妻がやさしく見守る。
2008年09月26日
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香りただよう 菊の花庭に食用の菊の花が咲きだした。花摘みをして食べてみました。さっとお湯に通して酢と砂糖に漬けて一晩。ほどよく酢がいきわたり、香りがたって、シャキシャキとした歯ごたえ。秋の味です。酢に和えし 薄紫の 菊の花 秋の味覚に 冬の気配する
2008年09月25日
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山里は 今から 百日紅標高500メートルというと平地よりも温度差が5度以上はある。それが朝夕となればもっとあるだろうから一日に換算すれば相当の差になるし、それがまた1週間、10日となれば、その積温は大したものになる。サルスベリでいうと1ヶ月は違う。これだけ花々が咲く時期が遅くなるのだから作物が遅くなるのも納得できるというもんだ。だから種をまく時期がいま一つ判らない。種袋の播種時期を見て冷涼地(東北南部)を参考にするか、寒冷地(東北北部、北海道)となるのか迷う。きっとこの地に一番合う時期があるんだろうが、まだまだ経験不足で分らない。しかも、この異常気象だから、これまた去年のことが参考になるかも定かでない。 高地ゆえ 一月遅れの 百日紅 これがベストと いえず種まく も少し早く播くべきだったかなぁ キャベツ というわけで悩んだ末のキャベツだったが、ちょっと遅すぎた感のキャベツの苗。1週間間隔の時間差播きを4回くらいに分けてやる必要があったかなぁ。これから播く越冬のエンドウやネギは10日ずらして様子を見ることにしよう。来年は、春から時間差を意識して何段かに分けてやってみることにしよう。 コスモスも つぼみがたくさん これからです
2008年09月23日
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マンデラの名もなき看守アパルトヘイト(人種隔離政策)の下の南アフリカ共和国では、一握りの白人が大多数の黒人を虐げ支配してきた。この映画は、この地に住むすべての人々が自由であり、平等であることを訴え、運動して獄中につながれた指導者 ネルソン・マンデラと名もなき看守の出会いと人間的な交流を映画化したもの。うだつの上がらない看守が、妻とともにマンデラが収監されている島の監獄に赴任する。マンデラを危険なテロリストと疑わず、幼少のころ覚えた黒人方言「コーサ語」を使って検閲官として会話を諜報して監視をする。はじめは居丈高に接していたが、いつしかマンデラの思想と人間性に関心を抱くようになる。ある事件から黒人寄りと同僚から白眼視され島での生活が重苦しいものとなり辞表を決意するが、「コーサ語」を話せることで重用され島外での任務に就くことになる。数年後、南アフリカ共和国のアパルトヘイト非難は国の内外に起こり、マンデラは別の刑務所に移動され、その刑務官にマンデラから唯一信頼されている彼が抜擢される。時代は大きく動き、もはやマンデラを捉えておくことができなくなり、マンデラは27年間の獄中生活から解放される。実際にあった話というのは説得力がある。この映画のテーマは「それでも人間は変わることができる」というマンデラの信念だという。確かに、人の心の底には、今そこには表れ出ていないとしても、非人間的な差別や暴力に抗する優しさ、正義心があり、何かのきっかけがあれば、この映画ではマンデラの人柄や思想、人間的な繋がりがあって、人の心は揺り動かされ、人として変わっていけるものなんだ。そう言いたかったのだろう。看守役のジョセフ・ファインは、人として誰もが持つ出世慾や名誉欲と暴力や差別、非正義との板挟みの中で苦悩する内面的な心の動きを上手く演じていた。 マンデラ役のデニス・ヘイスバートは重厚な演技で、指導者としての品格ある物腰、滲み出る優しさと強さが光っていた。 スクリーンに 画きだされた 強さ優しさ どこかに忘れ 置いてきたまま
2008年09月18日
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自家採取と買ったエンドウ豆の種エンドウ豆は比較的上手くいった野菜だ。来年の収穫に向けて10月下旬に種蒔きする。今年の種は、実取りエンドウ(グリンピース)は自家採取のものを使い、スナックエンドウは種屋さんから買ってきたものだ。買ってきたものは虫除けと病気よけに赤くコーティングをしている。できれば自家採取したものが一番いいのだが、種の分まで食べ尽くしてしまった。名前の通り、食べると止まらないスナック菓子のようで、ビールのつまみに最高だった。 可愛い ススキ一昨日の夜は、黒いシルエットの山あいから中秋の名月がきれいな姿をのぞかせた。十五夜にススキを飾り団子を盛ったのは、小学生ぐらいまでだっただろうか。都会ではススキもめっきり姿を消したが、この里山には大きな顔をしてはびこっている。そのススキが、頭をゴムか何かで結んだような格好をしているのを初めて見た。 すすき穂や 髪を束ねし 童子かな
2008年09月16日
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猪の難を逃れた 小豆明け方に用心棒のクウのけたたましい声で目を覚ます。畑に向かって吠えている。どうやら、また猪がやってきたようだ。急いで畑に行ったが、小豆の横の隣の畑に侵入しただけで被害はなかったみたいだ。猪は不思議と明日あたり収穫という、食べごろになるとやって来ては平然と食っていく。嗅覚なのか、莢の音に引かれてくるのか、まるで人がいない時に偵察でもしているかのように、程よい時期にやってきてわれわれ人間の鼻を明かして帰っていく。今回はビニールハウスの骨組みが残っていたのが邪魔になって幸いしたのだろうか、小豆の畑に入った形跡はなかった。またジャガイモや枝豆のように被害にあってはかなわないので、今日、早速に収穫することにした。莢が緑のものは残して、カラカラになったものを取り入れる。まだ6割位だろうか、一畝でこの黄色いバケツにいっぱいになる。これで安心、臭ってもかまわんよ、カサコソ音を立ててもいいからね。新しい豆は水にうるかさず(浸さず)に煮ても柔らかい。新しいもち米ができたらこれで赤飯にして食べよう。 猪の 鼻をあかして 刈り入れし 莢の音響け 小豆香れよ
2008年09月14日
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野口英世の生家猪苗代駅からバスで15分くらいのところにある。連れ合いは昔、学校の遠足で訪れたというが、私は初めて。 そういえば小学生のころだったか映画を見た記憶がある。内容はすっかり忘れてしまっていたが、残された囲炉裏と展示パネルを見ているうちに、火傷でおお泣きする赤ん坊の声、母親が慌てて駆け寄ってくるシーン、自分のくっついてしまった指を思い余って小刀で切ろうしている場面がよみがえってきた。婿養子にきた父親は飲んだくれていたようで、一家を支えていたのは母親だったようだ。こうした偉大な人を生み育てるのは、えてして愚鈍な父親でなく母親なんだよなぁ。忙しく帰ってこれない息子に、たどたどしく平仮名の文字で帰って来てほしいと切々と乞う母シカの手紙には思わず涙が出た。 辛きこと 人それぞれに 胸に秘め もだえた先に 何を残すか 遠く住む 我が子を思うて 帰り来よ ただひたすらに 願いふみする 次に咲いたコスモス猪苗代のハーブ園に2万本のコスモスが咲いているとニュースでやっていたが、時間がなく立ち寄れなかった。これは春に庭に播いた二番手、三番手に咲いたコスモス。
2008年09月11日
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小さな旅 喜多方・猪苗代へ野良仕事が一段落したんで、稲刈りで忙しくなる前に何処かへ小さな旅にでかけようと相談した。 遠すぎず、かといって近場過ぎず、それなりに旅をしたと実感できる所ということで、宮城の県南の温泉地が候補に挙がった。遠刈田という、ちょっぴり濁って「遠がった」という響きがが気に入った。ところが列車でのアクセスが悪い。何せ今回は娘からもらった青春18キップの二回分の残りを有効に使うことがきっかけなもんで、これじゃぁしょうがない。そこで連れ合いが出してきた次なる候補が会津。会津は職場旅行や友人のお付き合いで4度も行っており、白虎隊の踊りは見あきているし、ガイドの説明も聞きあきているので気乗りがしない。といってあんまり反対ばっかりしていて嫌気が差してもいけないので、”喜多方ラーメンってどんな味なんだろうねぇ”の一言に反応することにした。いま一つだった 元祖喜多方ラーメンしっとりとした蔵の町とガイドブックにあったが、駅の前は味もそっけもない通りがまっすぐ伸びているだけ。ウ~ン?早くも黄色の信号がともり始めた。似たような旅の一行の後ろをしばらく歩いていくと町の案内板があった。普通の家並みに交じってて蔵が点在している程度だったが、美味い水が出るらしく酒蔵が何軒かあって、その一つを訪ねた。酒造りの工程を説明していただき、ちょっぴり試飲をさせていただいた。どちらかというと説明はほどほどにして試飲を楽しみにしていたが、辛口の酒が6種、吟醸の高いものから、それなりのものまで順番に試すことができた。残念なことにお義理程度しかお猪口には注いでくれない。試飲だから仕方がないといえばそれまでだが、あまりにも少ない。実は酒蔵見学は趣味で、北は北海度の男山から南は熊本の美少年まで、けっこう歩いてきたが、これほど少ないのは初めて。信号が赤く点滅してきた。といって、説明を受け、しめらすまでもいかなかったとはいえ試飲させていただいたんだから、これは見学した折の毎度の礼儀だが酒を購入した。試飲の量と旨さの質に比例して時には半ダースの一升瓶を注文して送ってもらうのだが、今回は4合瓶を一本。和菓子屋さん紹介の ご近所の元祖喜多方ラーメン駅舎のなかの案内処でも、降り立った客がひっきりなしに“美味しい喜多方ラーメンはどこでしょう”と尋ねていた。係りの職員は”味はお好みですから”と一つの店に肩入れするわけにもいかず如才なく応えていたが、それでも旨い店があるに違いない。向こうから歩いてきた高校生に尋ねると、しばし宙を仰ぎ、思いあぐねて「来夢」と教えてくれた。若い元気な娘さんの紹介するラーメンって、コッテリだろうか、それとも太りたくないからアッサリだろうかと、こっちも思い悩んで、もう一人に聞いてみて同じだったらそこにしようということになった。そこで寄ったのが案内パンフレットに載っていた和菓子屋さん。「涼菓とうふ」をいただいた。夏限定で涼しそうな菓子だ。おさえた甘味がいい。ここの紹介する店なら間違いないだろうと教えていただいたのが、すぐ近くの元祖喜多方ラーメンの店。”元祖”という言葉に呪縛のように惹かれ、この和菓子を作る舌なら確かだろう勝手に思い込んだのが大きな間違いだった。町内のヨシミもあるだろうし、元祖よりも競争の中で勝ち上がってきた新興の店の方が、より味が洗練されている可能性もあった。たかがラーメン されどラーメンなのだ。ア… 涙のラーメン紀行でした。
2008年09月09日
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