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心機一転楽天ブログを開設して早いもので6年が過ぎようとしています。昨年の3月11日の原発事故以来、ブログを書き続けることがとても負担になりました。しかもブログに写真を載せようとすると容量を越え載せることがままならず、開設当初からの記事を削除せざるをえなくなり、書くのがますます億劫になってしまいました。今回、光通信の関係からプロバイダーを変更することになりました。これを機会に、ブログもプロバイダーが運営しているブログに移ることにしました。ブログ名も自然庵 "" に変えることにいたしました。。長い間ブログを読んでいただいた皆様ありがとうございました。心からお礼申し上げます。よろしければ新しいブログ(http://67966616.at.webry.info/)にお越しいただければ幸いです。
2012年10月18日
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ホールボディカウンター(内部被ばく検査)の結果家を6時半に出て集合場所の保健センターに着くと6時40分、既に2台のバスが先行して出発していた。行先は茨城県東海村にあるにある(独)日本原子力研究開発機構の日本原子力科学研究所。車で往復6時間ほどかかる。今日は一日がかりで内部被ばくの検査を受けた。身体の外から受ける外部被ばくは、線量計で1時間当たりの空間線量を測って24時間(1日)を掛けて、365(日)を掛ければ年間の線量が簡単に出てくる。自宅の中は0.3μSv/時、外は平均して0.65μSv/時だから、家の中で21時間過ごすとして2300μSv/年、外に3時間いるとして712μSv/年で合わせて3012μSv/年、およそ3ミリシーベルト。ところが空気に含まれた放射性物質を吸ったり、放射性物質に汚染された食べ物を食べて体内に取り込み一部排泄され体内に残留した放射性物質がどれくらいあるかはホールボディカウンターという特殊な検査機器を使わないと分からない。この検査機器は福島県下にもあるが汚染された場所ではバックグランドの放射線量が高いので遮断する鉛の壁を厚くしたり条件を整えないと精確な検査をが難しいという。茨城県くんだりまで出かけたのはそういう事情からだ。さて検査結果だがセシウム137は460ベクレル(検出限界330ベクレルに対して)だった。セシウム134は検出限界値260ベクレル以下で検出されずだったがセシウム137の検出量から考えると限界すれすれの260ベクレル程度は有ると考えた方が無難かもしれない。合わせて720ベクレルが今、体の中にあるセシウム量ということになる。この720ベクレルという放射性物質は身体にどれだけの影響があるのだろう。成人への影響をもとに計算するとセシウム134の260ベクレルは15マイクロシーベルト、セシウム137の460ベクレルは17マイクロシーベルト、合わせて32マイクロシーベルトだ。この数値なら、これまでの食生活をしていてなんら心配はない。口からの摂取には相当に気をつけていたつもりだった。いつの間に入り込んだんだろう。考えられるのは原発が水素爆発して放射性物質が降り注いでいる、正にその期間、1日1時間ほど犬の散歩をしたり出歩いて空気中に漂う放射性物質を吸い込んでいたのだと思う。だが何が幸いするか分からないものだ。この時期、花粉症でたまたまマスクをしていたので吸引量が少なくて済んだのだと思う。もう一つ経口から考えられるのは水や食べ物だ。水は検査結果で検出されていない。残るは自家製の野菜や果物ということになる。自給自足の野菜(ジャガイモ、トマト、キュウリ、ピーマン、ズッキーニ)はハウス内で栽培したし、そのハウスも5月まで屋根も腰回りも閉めたままなので中は直接汚染はされていないはずだ。実際に空間線量は家の中並みだった。ただ周囲から雨で流れ込むことは予想されるから注意は怠らないに越したことはない。路地で育てたブルーベリーはカリウムを施肥したのが功を奏したようで検査結果は22ベクレル/Kgでジャムにして安心して食べた。干し柿(生柿は検査結果は28ベクレル/Kg)も3倍に濃縮するとして100ベクレル/Kg以下だったので、これもけっこう味わった。露地物では表面を10センチほど削って除染した畑(空間線量0.3~0.4マイクロシーベルト/時)で栽培したトウモロコシ(未検査)も少し心配しながら食べたが、上の内部被ばく量からすると結果オーライだったようだ。自分なりに判断したことは、これまではらった注意をしていれば食べ物については心配するほどのことはないと言うことだ。町では食べ物の検査態勢が整備されつつある。自分で作ったものは必ず検査してもらい検出限界値(100ベクレル/Kg)以下であれば安心して食べることにする。むしろ野菜不足、果物不足による健康への影響の方が心配だ。そして何よりも気をつけなければならないのは外部被ばくの方だ。ここで住むには先ずは部屋の中での線量が0.1マイクロシーベルト/時(年間1ミリシーベルト)以下になるように除染することが急務だ。最後に今回の検査をした日本原子力研究開発機構のスタッフはとても親切だった。とことん疑問に応えようと時間を惜しまず真摯に向き合ってくれた。椅子型ボディカウンターへの精度に対しても不信感があったが本音を含め懇切丁寧に説明してくれ疑問が氷解した。
2012年04月16日
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気持ち新たに 安全な自然を取り戻すためにあと一月で一年。地震と津波の被災地の復旧は少しずつ進んできたようで嬉しい限りだ。それに比べ原発事故の福島県下の各地は一向に好転する兆しは見えない。我が町でいえば一部指定されている計画的避難地域は国が直接除染をするようだが、私の所のように避難指定はされていないが、年間5ミリシーベルト/毎時を優に超える地域は、国が費用を出すが町が除染計画を作り実施することになっている。しかし、すっかり汚染された山林に二重、三重に囲まれた地で何処からどのように除染すればいいか良い知恵は浮かばないようで計画作りは遅々として進んでいないようだ。こうした状況の中で自分の中で被爆への危機意識を持続することは段々難しくなってきた。相手は見えない、臭わないから余計にそうだ。慣れと言うよりも諦めに近い。このまま此処に居ていいのか、東京に戻るか、汚染されてない他の県に移って再び自給自足を目指すか、いずれにしてもこのままではいけないと思い始めた矢先、部落の行政区長に選出されてしまった。人間関係も、年間の行事も、集落の歴史も知らず、何よりも方言がまだ十分に解らずコミュニケーションがままならず固辞したが輪番だし、みんなが協力するからと言い寄られて断りきれなくなった。これを機会に、もう一度、自分の中に安全、安心意識を取り戻そうと思う。この一年は、きっと除染開始のスタートラインに立つ除染元年になるだろう。これだけ汚され病んでしまった土地を元に戻すのは容易でないし何年かかるか予想もつかない。任期の一年間、できる限り元の自然を取り戻すために役場と住民との間の潤滑油として、また代弁者としての役割を果たせるよう、身を粉にしてやってみようと気持ちを新たにした。ちょうど選出された翌日に山形の熊野神社に参拝した。背丈をゆうに超える雪中にもかかわらず多くの参詣者でごった返していた。霊験あらたかな神のご加護をいただきながら集落の皆さんの協力を得て、責任を果たすことができるようにと祈念した。
2012年02月12日
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さすがに神様は避難しなかった先週、部落にある『山の神様』の御講があった。この社の本社は隣の飯舘村にあるが、原発事故により村の全村民が避難させられている。例年だと御講に合わせて祭があって境内までの沿道は屋台が出て賑わう。今年は祭はなく、宮司さんが12日だけ本社に来て祈祷をあげてくれた御神礼をいただいた。さすが神様は放射能があろうとドッシリ腰を据えていたようだが、宮司さんは、そうはいかなかったようだ。当番の私も直接出向いて奉ることをしないで電話で済ます体たらくで、これだと御利益はいかばかりかと少々後ろめたい気がしないでもない。訳ありの御講ではあったが欠かさないのが凄い。一時、今年は中止しようかという話がん持ち上がったが春が実施できなかったので、今回は何とかやろうと、この日にこぎつけた。忘年会も兼ねての寄り合いだったので鍋あり、酒ありでほっこりとした一時となった。どうしてか男衆だけで女性は参加しない。順番で長男が若衆として準備にあたってくれる。昔で言う家督で村にデビューするきっかけになったのであろう。今回も若衆3人が参加してくれた。5年前に比べると参加者の数も大分減ってきた。私が此処に来てから6人の方々が亡くなられた。過疎化が進む。
2011年12月03日
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リーダーに恵まれて昨年だったか、北海道で中高年の登山ツアーの参加者が遭難したニュースが報道されたことがあった。ツアーを催した会社の無理な企画が原因の一つだったように記憶している。それに比べると昨日参加した町の自治会主催の蔵王の山登りは、私にとって20数年振りの登山だったが、安心して、しかも午前中は素晴らしい眺望を満喫できて、午後はミゾレまじりの寒風の厳しさも体験できて、久々に山に登ったなぁと昔を思い出した。安心して楽しめたのはリーダーの用意周到の事前準備があってのことだ。この時期の気象や登山道を確かめるために、この日の本番を控えて少し前に2度踏査してくれていた。しかも当日の朝の気象情報から、当初予定していた曇っている山形県側からでなく快晴の宮城県側のバスで上れるギリギリまで行き、山形県側のロープウェイで下りてくるコースに変更し、歩く時間としては4時間ほどの行程に短縮する判断を下すなど、昔に比べ体力が落ちてきている僕にも、ほど良く楽しめるコースだった。山頂近くの避難小屋で小休止した時に、この先からは日本海側から湿った冷たいガスが吹き付けるから少し厚着をするように指示をしてくれ、また途中からミゾレまじりの雨が降り出すと雨具を着るように指示が出る。寒かったら遠慮なく言ってくださいとと声を掛けてれる。濡れた手袋を取り替えていると「暖かそうですね」とねぎらってくれた。お陰で誰一人として脱落することなく、もちろん事故もなく無事に下山できた。深謝!! 山形県側の麓でゆっくり温泉に入り、冷え切った疲れた体をゆったりと湯船に浸けた時、えも言われぬ温みをしみじみと味わうことができた。車でパッと出かけて入った温泉もいいが、これとは一味もふた味も違う。帰りの車中では、二度三度とうたた寝をした。これもすこぶる心地好いものだった。不思議な偶然の出会い避難小屋で小休止をとっていた時に 「おお! ○○さんだよ!」と声がした。同じ集落の知り合いと偶然出会ったのだ。僕も山登りで二度、こうしためったにない体験をしたことがある。一度は尾瀬で学生時代の友人に出くわした。確率でいえば天文学的だろう。ほんとに不思議なことがあるものだ。もう一つ、もっと奇妙な体験をした。高田馬場が通勤のターミナル駅で地下鉄東西線に乗り換える。このJRのガード下には安くて旨い店がけっこうある。そのひとつにカウンター席だけで6人くらい座ると一杯の小さな焼き肉屋があった。やわらかい肉でタレが独特の味がして酒もいける。ある日、カウンターの目の前に何処かで見かけた山小屋の前で何人かのスナップ写真があった。先週の日曜日に友人たちと登った秩父と山梨、長野の県境にある金峰山の山小屋の感じだ。あの時はひどかった。混雑していて上向きでなく足と頭を交互に身体を横にしないと眠れないくらいすし詰め状態だった。こちらのグループと他所のグループとの境に寝たのが僕でおしくらまんじゅうでしのぎを削っていた。そんな体験をママに話していたら 「それって私たちよ!」 思わず笑ってしまった。話が盛り上がった。勿論お銚子1本のサービスが出た。 【原発・放射線情報】テレビ番組でも給食の放射線物質のことが漸く取り上げられるようになった。線量計を当てるだけの検査が給食センターに導入されたようだ。専門家は精確な測定とはほど遠いと言っている。テレビ番組は注意して見なければならないと思う。このことを指摘している野尻さんは子持ちの女性理論物理学者(素粒子論)でEK教授。宇宙について解りやくす解説してくれている。原発放射線についても情報を発信し続けてくれているが信頼できる専門家の一人だと僕は思っている。http://nojirimiho.exblog.jp/i0/
2011年10月02日
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通学路の放射線量の測定行政区の小学生のお子さんが通う通学路を20メートルおきに14か所を側溝側と、反対の草むら側とを1メートル、50センチ、1センチの高さで5回ずつ測定して平均を出した。町を通して県の助成金で購入した線量計と自分で購入したRADEXと、知人から借りてきた前に紹介した3台で測定した。町が斡旋した線量計は値段が高い(13万台)割に不安定でバラツキがあり上下動が激しいため、急きょIInspector Alert を借りてきたもの。自分の所有のRADEXは3分を経過した後の数値がほぼInspector Alertと0.01~0.03μSv/時の差で安定していた。 やはり測定機器は注意して購入して、機器の癖を確認して測定しないと間違った数値で安心したり、逆に不安になったりする危険がある。さて測定結果だが、側溝側がアスファルトで低い所で0.373μSv/時(地表から50センチ)、高い所で0.826μSv/時(地表から1センチ)が1か所、おおよそが0.4~0.5μSv/時台だった。側溝と反対側の草むらは平均に高く、地表から1メートル、50センチの高さで0.6~0.7μSv/時、地表1センチでは1.0μSv/時台が多かった。特に1か所だけ地表1メートルで0.907μSv/時、50センチメートルで1.491μSv/時シーベルト、1センチで5.430μSv/時が出た。間違っているのかと私の線量計を見たが同じ高い数値が出ていた。やはりホットスポットがあるのだ。この測定結果を来月の集落の定例会で提供して対策を考えることになっている。先週の日曜日に皆で周辺の草刈りをした。また高圧洗浄機を試運転をしてみたが、こちらはすこぶる調子が良さそうだ。いよいよ来月から洗浄作業が始まる。【原発・放射線情報】(1)6月6日9時~8月4日9時の福島県の環境放射能測定(定時降下物)の測定結果に誤りがある旨、文部科学省に報告があったという。修正された数値はおよそ10倍以上も高いものだった。http://radioactivity.mext.go.jp/ja/monitoring_by_prefecture_fallout/2011/09/1060_110926.pdf何故低い数値を報告していたのか真相は分からない。毎日、ニュース時に出される県内の10数個所の数値も福島、郡山等全て各1か所のみの数値でいずれも低い。定点の測定には違いないだろうが、各地点とも実態とかけ離れた数値だ。低いから心配するなと言っているようでかえって気持ちが悪い。(2)前回紹介した給食まるごと検査アンケートの福島県民の部分の数値が出た。http://twitpic.com/6qytjc 全回答者6946人に対しておひざ元なのに291という数字は低過ぎる。インターネット上ということもあり、こういうアンケートがあることを知らなかったのだろうが、もっと関心が高くてもいいのに残念だ。上の報道数値ではないが大したことないという宣伝に麻痺されつつあるとしたら恐い。
2011年09月27日
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ワークショップ みんなで振り返り 語り・体験し合い そして...土、日と『福島(「ふくしま」「フクシマ」「Fukushima」)で "あの日" から今日までを振り返り "明日" について語り合うワークショップ』に参加してきた。飯坂温泉で、ゆったり、深~く という主催者のねらい通り、とてもリラックスできた二日間だった。福島県内だけでなく東京や神奈川、東北の宮城、岩手から40人ほどの人が参加した。大学生や若者もたくさん参加してくれた。NGOやNPOで活動されている方、学校の先生たちも多かった。初めて出会った人たちとグループを組み語り合った。自分の中にある自分と向き合った。グループの輪が拡がり、さまざま人が寄り添ってくれる中で、自分の中の自分と少しずつ会話ができるようになったように感じた。 みんな自分こととして願いを出し合った どれもが共感できる意見だった こんな意見が7枚の模造紙にいっぱい福島の外にいた若者たちが 「私は福島が恐かった。福島の人が放射能が恐いように、私も怖かった。でも福島は、決して福島だけの問題じゃないんだ思う」「僕は大学で理系です。放射能のことはよく解らないけれど、少しでも解るように説明できるかもしれない」 若い人たちが参加費を負担して、他人の痛みに、揺らぐ心に寄り添おうと必死になってくれていた。嬉しかった。一人の私の子どもの年齢のような娘が 「日本中のみんなが、We are all Hukushima なんだ」 と言ってくれた。そうなんだなぁ。僕は東京から来て6年目で、この集落でいつも部外者なんだと感じていた。まるで『異邦人』のような居心地の悪さを感じていた。でも自分の中にある垣根が、そうさせていたのかもしれない。たくさんの人と知り合うことができた。辛さは違うかもしれない、意見は違うかもしれない、でも、どこかで共感してもらえる、この心地好さは励ましよりも、どれだけ僕を勇気づけてくれたことだろう。今朝、玄関先のコスモスが昨年よりも大きな花を咲かせているのが目に入った。昨日まで薄汚れて見えた花が、ちょっと優しく語りかけているように感じられた。
2011年09月12日
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みんなで除染を やるっきゃない私の住む行政区はとても纏まりのある集落だ。毎月定例会が開催されるのも、数ある行政区や同じ自治会の中でも珍しい。先日、定例会で、町から担当者が来て居住区の除染の提案があった。県の助成事業で、除染に必要な線量計、圧力噴霧器等の道具の購入費を50万円出すから、住民の皆なの自発的なボランティアで除染してほしいというもの。 「除染の手引」と光っている左下が線量計これにはカンカンがくがくと意見が交わされた。事業当事者の東電や事業を推進してきた国がやるべきことを、被害者である住民が何故、汚染に曝されながら、しかも忙しい稲刈りのこの時期に肩代わりしてやらなければならないのか、どう考えても理不尽だ。こうした反対や疑問がみんなの声だった。しかし、では東電や国や県の町の除染はいつ行われるのかというと、その見通しは全く立ってないという。集落には小学校に通う子どもたちもいる。側溝で2.8μSv/時という高い線量の個所があるというし、通学路の途中の線量がどのくらいあるかも測定していない。先ずは測定して、子どもたちが安心して学校に通えるようにしよう! 何十年後かに後悔しないように、わしら大人がやるっきゃあるまい!という結論になった。深刻な土壌汚染 気が抜けないではどの位土壌は汚染されているのだろう。前に紹介した文科省の土壌汚染調査の結果が調査地点別に発表された。地名は緯度経度でのみ表示されていた。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/gijyutu/017/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2011/09/02/1310688_1.pdfたまたま我が家から30メートル近くの所が調査地点の一つになった。平方メートル当たりの数値だったのでキログラム当たりに換算し直すとセシウム134とセシウム137を合わせて 2725~2953ベクレル/Kg だった。稲の耕作が可能な数値が 5000ベクレル/Kgだから、その約6割でけっこう高い。だが、この数値を町の全調査地点の数字と比較すると上から27番目/37地点と低い方なのだ。福島市内の94地点で見ても66地点(62%)が、うちの畑の数値よりかなり高い。郡山や二本松、その周辺を見ても高いところがかなり見られる。小さな子どもたちへの影響はかなり深刻だ。これだけの汚染だと植物は根からどの位のセシウムを吸い上げるのだろう。これは植物によって大分違うが、それぞれに移行係数として表されている。http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/pdf/110527-01.pdf 例えば玉ねぎなんかは0.00043とかなり低いから、うちの畑で栽培しても 2953×0.00043で1.3ベクレル/Kgと食べてまったく問題ない。ところが、今、示されている移行経係数はデーター数が少なすぎるし、知りたい作物の移行係数がないものもある。そのため、どうしても直接、野菜や果物を検体に出して測定してもらうことになるが、1品当り3万円位するなど負担も大きい。今日、二つの測定結果が分かった。一つは蜂蜜で、友人が報せてくれた。セシウム134が59±7ベクレル/Kgセシウム137が56±6ベクレル/Kgで食品として問題ない数値との報告であったが低くはない。もう一つは自家製のブルーベリーでセシウム134が7.9~20.5ベクレル/Kg、セシウム137が3.35~12.23ベクレル/Kg、こちらは問題なかった。ブルーベリーは5月と7月の2回、硫酸カリウムを施肥したのが良かったのかもしれない。外部被ばくも心配だが、こうなると内部被ばくも十分に気をつける必要がある。特に子どもと、妊産婦、それに未婚の若い男女も。改めて、危機意識が風化しつつあった自分にねじを巻き直した。今は、まだ進行中なんだ!!
2011年09月09日
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連れ合いだけは 何とか東京へ3月13日の夕方に電気が通じるようになって情報が一挙に増えた。とくにWebサイトからの情報が増えるに従って、どうやら原発事故は予断を許さない厳しい事態に陥っているらしいことが徐々に解ってきた。最初の頃の私の頭には、まだ水素爆発が起こったことと放射線物質が漏れ出したことが結びつかないでいた。大した量の放射線物質は出ていない、遠くにいくほど薄まって行くから人体への影響を与えることにはならないという政府の会見での説明を真に受けていた。怖いのは格納容器が爆発することにあると思い込んでいた。放射線が体に悪影響を及ぼすことは分かっていても、それはレントゲン撮影の時のように一瞬の被爆さえ気をつければ済むと思っていた。家のなかに居れば飛んで来る放射性物資を直接身体に触れずにやり過ごせて大丈夫だろうとタカをくくっていた。だが時間が経つごとに深刻な状況にあるらしいことが分かってきた。連れ合いだけは、ここから出られるようにしなければ。気はせくが列車は止まっていて、いつ再開するかまったく見通しが立っていない。バスが仙台から新潟、山形をへ行くのがあるらしい。新潟まで行けば新幹線が通っている。仙台までの往復は軽油を満タンにしておいたパジェロでなんとかなるだろう。だが肝心の席は何日先までも満席状態だ。キャンセルがでないか二日間にわたってキーボードを繰り返し打ち続けた。願いは通ずるものだ。随分と先の日付だが1席だけ空きが出ているのにぶつかった。私は昨年から集落の皆さんと J A や役場との農事に関する連絡係の役割を仰せつかっていた。輪番とは言え他から入ってきた新参者を信頼して選んでくれた手前、役割を放り出して逃げ出すわけにもいかない。ましてこれから作付や放射線に関する様々な情報を伝えなければならなくなることが予想された。地域が避難することになるまでは一緒に行動しなければならないだろうと覚悟を決めることにした。チケット代の口座からの引き落としの手続きもすっかり終えた。ホッとしてテレビを見ているとテロップに、福島駅から東京駅八重洲口までの臨時の高速バスが出るとことになったと流れた。こちらのほうが新潟経由よりも速いし、もしかしたら出発日も繰り上げられるかもしれない。電話をするが一向に通じない。殺到しているのだろう。今度は電話をかけ続けた。百回近く掛けただろうか、諦めかけた頃に受話器口に女性の声が聞こえた。運が良かった。明後日の空きがあるという。予約を終えた。6時過ぎの出発なので、念のため早朝の4時半に家を出る。まだ売り場の窓口は閉まっていた。待っていると、あっと言う間に100人ほどの列が出来ていた。電話で予約番号が知らされていたが、中には、予約せずに待っていた人がかなりいて係員と押し問答をして混乱した。すぐ後ろで待っていた女性は南相馬から来たという。数週間後に結婚式を控えて南相馬に来ていて地震に遭遇したという。婚約者も、そのご家族も無事だったそうだ。バスに乗り込む連れ合いを見送ることができて、心底ほっとした。連れ合いも、その女性も並んで座っていた。
2011年07月09日
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連絡のとれない不安東京の家から昨日、父の日に梅ワインの詰め合わせが届いた。地震と原発事故以来、連れ合いには一度だけ来てもらったが、それから、かれこれ2ヶ月ほど会っていない。その分、毎晩、欠かさずに小一時間ほど電話で会話を楽しんでいる。一緒にいる時は改まって話すことはなかったが、離れて暮らすと不思議なもんでメールにしろ電話口での会話にしろ結構話すから面白い。連れ合い曰く、私のボケ防止だそうだ。 梅ワインの『梅うふふ』 名前が素敵だ地震のあった日に、携帯ラジオでは東京でも相当に大きな地震であって何人かの死傷者が出たと伝えていた。また当日の新幹線が途中で立ち往生したというのもラジオで聞いた。携帯電話をいくらしても東京の娘とも東京に向かっていたはずの連れ合いとも連絡が取れない。ケガでもしてないか、新幹線が止まり進退きわまっているのではないか、連絡が取れないと余計に不安にかられてしまう。震災のあった翌日、意を決して連れ合いを探しに出かけることにした。町で災害時の仮設電話でも設置しているかと地元の役場に出かけたが、職員は浮き足立っていて肝心な情報は何もなく、まともな対応もしてくれない。隣接している市の分庁舎車を走らせると、発電機が稼動していた。公衆電話が使えると職員が親切に対応してくれた。だが、やはり東京の家の電話にも連れ合いや娘の携帯にも通じなかった。福島市に向かったが、隣の町も市も何処もかしこも停電だった。給水に列をなしていた。福島駅に行ってみたが、構内が地震で崩れていて危険なので入り口が閉まっていて入れない。AUの販売店に行けば携帯電話の上手い操作方法を教えてもらえるかもしれないと行ってみるが、特段上手い方法はなく、今は掛かりにくくなっているので繰り返し掛けるしかないと言う。途中の駅まで行けば情報がもらえるかもしれないと次の駅、また次の駅・金谷川と向かうが駅員がいても情報が入っていこないと、すげない返事しか返って来ない。途方に暮れる。腹が減ってきた。そういえば昨夜から飯らしい飯を食べていない。金谷川という駅は福島大の最寄駅で家からも20分ほどと近く駅前に無料の駐車場があり比較的多く利用している駅だ。広場の横に学生向けの食堂が開いていた。待っている間に所在なく携帯に電話を電話していると、な なんと!連れ合いの携帯に繋がった!!東京の娘は無事だという。連れ合いは怪我もなく避難所にいて炊き出しのにぎり飯や温かな味噌汁を頂いたという。夕方にでも新幹線が動くだろう、このまま待っているから心配しないで大丈夫だという。このときは、その程度で、すぐに復旧するとたかをくくっていた。あにはからんや、新幹線が開通したのはそれから一月も先のことだった。その時は、そんこととは思いも及ばず、ホッとして帰宅した。その日の夜のラジオのニュースで新幹線は当分は動かないと報じた。これは明日にでも郡山に迎えに行かなくては。翌早朝にディーゼル車で出発。これが正解だった。既にガソリンが不足し始めていたが軽油は若干売られていた。帰りに何ヶ所かのスタンドに立ち寄って10リットルずつ軽油を注入できた。既に高速の東北道は一般車は通行できないとニュースで伝えていた。国道四号線も途中で通行できない箇所があるかもしれない。裏道を通って三春の近くまで行って4号線に出よう!このときは原発事故のことは全く頭になく、結構高い放射線の値の所を通って行った。郡山駅についたが何処に避難所があるのか皆目分からない。駅構内の派出所に訊くと駅前のビルにもしかしたら避難しているかもしれないとのこと。入口の受付に名簿があった。けっこう沢山の人が避難しているようだ。名簿が何分冊にもなっている。一通り見てもいない。他の避難所なんだろうか。諦めかけていたら受付の人が居ましたよ!と見つけてくれた。避難所は大小何部屋にも別れていた。どの部屋の人もダンボールを下に敷いて横になったり、座っていた。みな憔悴しきっていた。4っつ目の部屋の奥で連れ合いは座って横の若い女子と談笑していた。鼻の奥がツーンとした。胸が高まった。嬉しかった。
2011年06月19日
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3月11日 運転中に地震に遭遇3.11から100日が経過した。原発の事故の収束がつかず放射線に怯える毎日で、未だ私の中では地震と原発事故は終わっていないが、ようやく気持ちの上で整理がつき始めた。東京に戻る連れ合いを福島市内へ送っていった帰り道、ラジオで緊急地震速報が流れた。車を止めると直ぐに揺れ始めた。はじめはゆっくりと、だが直ぐに激しく横揺れがして、次いで縦にドスンガタガタと激甚な揺れが続く。車が横転するのではないかと不安になるほどだ。街路地や街灯のポールがグラグラ烈しく揺れ、電線がブルンブルンと波打っている。停車しているのに知らず知らずのうちにブレーキを目一杯に踏んづけていることに気がつく。前に体験した震度3や4の地震と違って揺れる時間がすごく長い。ようやく揺れが収まり走り出す。しばらく行くと信号が点灯していない。地震で電気が停まったようだ。角のコンビニの店内も真っ暗だ。交差点でスピードを落とし譲り合いながら右折する。余震なのか時々揺れを感じるので直ぐに停車できるようにスピードを落とす。前の車も後の車も同じようにゆっくり進んでいる。いつもだと15分くらいで行ける道が30,40分ほどかかった。町に近づいた。途中のセブンイレブンやローソンはどこも真っ暗だ。6軒ほど集中している大型店舗も店内が暗くシャッターが降りていたり、臨時に休業している。トンネルが近づいた。不気味だ。中は真っ暗な黒い穴を開けている。以前、奥尻の地震でトンエルを走行中に地震で落盤して生き埋めになったニュースの場面が頭を過ぎる。灯りのないトンネルは底気味悪い。何事も無く通過できてホッとした。なんとか無事に我が家へ通づる林道にたどり着いた。だが、ここからが気掛かりだ。途中、土砂崩れがあるに違いない。暫く行くと案の定、土砂が堕ちている箇所に何度か出くわした。幸い、通れないほどの土砂崩れはなく大岩でも1メールほど、殆どは30~50センチほどの塊だ。ぬうようにして先に進む。さらに行くと5~20センチほどの幅の地割れが口を開けて4メートル程斜めに舗装道路を横断している。行くか引き返すか迷ったが、家が壊れていないか、動物たちは大丈夫なのか心配で突破する。家に着き、まずは下の駐車場の横のYaeの小屋を覗く。いつものように "腹を空かしたとヨ" とエサを催促している。犬小屋の前でクウガ飛び跳ね迎えてくれた。クウは地震が相当に怖かったのか犬小屋の脇のイチジクの小枝を数本折って、その先で前足の脇腹を傷をつけていた。幸い大したことはなさそうだ。家も崩壊せずに立っていた。家の中に入れておいたチュウはドアを開けるなり ニャオー と擦り寄って片時も離れようとしない。部屋のテレビや茶箪笥、冷蔵庫、パソコン等は固定しておいたので倒れず無事だった。ただ積んで置いた本棚の中の本がバサッと落ちていた。2階の押入れのドアが開いて、棚の上から予備の毛布の入った箱が毀れ落ちていた。どの部屋も大きな被害はほとんどなく済んだようだ。ずーと後に気がついたのだが土蔵の壁も2×3メートルほど崩れていた。その日から三日間、停電が続いたのはしんどかった。最初の夜は暗闇の中の余震が怖く家ノ中に居るのが恐く、車のなかに布団を敷いて過ごすことにした。中で横になっていると隣の家のお兄さんが一緒にいかがですかと声をかけてくださった。お陰で隣人の家族の4人と暖かい炬燵で夜を過ごせて安心した。余震がある度にローソクの灯を消して皆で一緒に飛び出した。余震におののきながらの一夜が明けた。電気が通じないから携帯ラジオが唯一の情報源だ。どうやら地震の規模も震度や津波の被害は相当なものらしい。数日後、電気が通じるようになってテレビの映像を見て、そのひどさに度肝を抜かれた。自分の想像をはるかに超えるものだった。
2011年06月19日
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花粉症の予防対策花粉症ってある年に突然起こる。前年までは他人事のように思って 「身体の鍛錬が足らん!」 なんてうそぶいていたら、次の年に鼻水がたら~り、しかも鼻詰まり、目が痒く、クシャミの十連発!鼻詰まりは寝る間際に起こり、苦しくて眠れないのではないかと恐怖に苛まれるくらいに酷いものだ。家の周りを見渡すと杉の大木が庭にあり、近くの山々には杉木立が林立している。ここに来て初めて煙のように杉花粉が飛ぶ様子も見た。今年は3倍~10倍と、とんでもない予報が出ている。確かに道端の杉をみると、しっかりと雄花がぷっくり膨らんでいる。これが開花したら相当な量だろう。 雄花予防対策やマスク、ゴーグル、はては鼻栓といった対処グッズが紹介されている。先ずは花粉に被ばくする前に予防的に花粉アレルギー用の薬を飲むことにした。それとアレルギー症状にポリフェノールが効果があるというので、多く含んでいる菊芋、古代米、黒大豆、大豆、ブルーベリー、いちご(いずれも自家栽培)を意識してきちんと摂ることにする。最も苦しかったのは鼻づまりだったので花粉が飛散したら鼻栓も試してみようと思う。今年こそは花粉症の苦しみから解放されたいなぁ。
2011年02月23日
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臭いよりも 硬いのに閉口日曜日に地域の人達と忘年会をやった。メーン‐ディッシュはもちろん猪肉の牡丹鍋と焼き肉。ところが猪の肉の硬いことかたいこと。昔、秩父の山を登った帰りに立ち寄った店で食ったのは、こんなに硬くなかった気がする。調理方法なのか、それとも若くて歯も頑丈だったからだろうか。 今日は東、明日は西と 餌のありそうな野山を駆け巡るイノシシだもの、当然のこと筋肉は隆々。その分、肉が硬いのも当たり前。歯の弱ってきた者にはかなりきつい。言われるほどに臭みはなく、味は豚に似ているが、より深みがある。思っていたよりも淡白だ。数カ月前に頂いた猪肉はシャブシャブにどうぞと言われた位にスライスしたもので、焼いてもほど良い硬さだった。きっと肉の部位や切り方、調理の仕方にも関係しているのだろう。この猪肉は、猟友会の仲間が、この地域で捕獲したものをさばいたもの。僕は生憎と出かけていたので今回は手出しをしていない。前のような血生臭さはなく、何の抵抗もなくスンナリと口に入った。こちらはお隣さんの引っ越し先を見学した帰りに寄った米沢牛のお店の牛肉料理。同じ肉料理でも牛だからか柔らかかった。米沢牛だからかなぁ。若くて頑丈な歯だったら断然ワイルドな猪料理に軍配を上げる。 僕は下の安い方をいただいた。はしたないけど、それでも2000円。上は3700円。どちらにしても味の割には高いなぁ。
2010年12月21日
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猪も残していった南瓜自分で苗から育てたカボチャは玉がソフトボールの大きさの子どもときにジャガイモと一緒にイノシシに尽くやられてしまい、かろうじて残った3つの内1つを食べてみた。水っぽく甘さも今ひとつといった感じだ。猪は臭いを嗅いで味というか旨さが判るのだろうか。ここいらの猪は「メークイン」は好物でないらしい。農家はじゃがいも畑の外回りにこれを植えて「男爵」や「北のあかり」は、その内側に植えるという。真しやかに言っているが、最近の猪の端かから片っ端に食べ尽くし掘り返す行状を見ると、どうも眉つばものだ。先日来、惨状を知った集落の人から旨そうな立派な南瓜と、ちょっと変わった大きな白南瓜、きゅうりのような形をした「すくな南瓜」を頂いた。どれもベテラン農家の自信作だ。白カボチャは大きいのにホクホクして甘くておいしかった。どのカボチャも食べたら種をとって来年は猪にお裾分け(といっても罠のなかに)できるくらいタップリ作ってあげよう。サツマイモは根が着いた頃に猪に一度掘り返されたが、急いで植え直し電柵が守ってくれたお陰で半分ほどは元気に成長してくれ、ほどほどに収穫できた。
2010年11月15日
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半天然もの 紫シメジ 春に椎茸、ヒラタケ、ナメコを原木に植え付け、初夏に県のキノコセンターから購入した紫シメジの菌床が届き自分の森林の中に置いた。この紫シメジは一度置くと4年間くらいは1~2メートル間隔で円を広げるように出てくるという。木株に生えるキノコはホダ木に植えるが、地上に出てくるキノコは、この菌床を使う。手入れとしては、一年目は、菌床の上に落ち葉をかき集めて置き、菌が広がるのに合わせて翌年は一回り外側に落ち葉を掛けていく。落葉が重なって朽ちた腐葉土と落ち葉を利用した半ば自然なキノコの栽培方法だ。来年から出てくるのかなと思ったら、この秋にもう出てきた。ところが5カ所に置いたのに2箇所しか出てこない。しかも、その出ない3箇所の近くには足跡が... そういえば先日、野良仕事をしていると知らない人が山に入るのを見た。地元の人なら声をかけてくるが車を停めて、そのまま山に入っていく。ムラサキシメジを仕掛けた処に近い方向だ。猪も厄介だが、それ以上に知恵が働く頭の黒い猪も困りもんだ。戻ってきたときにはビニール袋を下げていた。最近、山でキノコ栽培している人が増えてきた。大規模にやっている人は"キノコ栽培につき入山禁止"の立て札を立てる。ところがキノコ栽培と明示すると、かえって盗っていく不届き者が跡を絶たないという。ならばと何も建て看せずに植えると、今度は自然なものと勘違いされてしまう。先日、見学した所では、鉄条網を丸めて植えた菌床の周りに置いていた。だが栽培しているモノだと判るようにしていても被害に遭うという。ほだ木の栽培ものほだ木のモノは一昨年、種駒を打ち込んでおいた椎茸が春と秋に生えてくれた。それと去年のヒラタケも少しだがようやっと出てきて。だが同じ時期に植えておいたナメコはまだだ。 今年の春に植えた椎茸、ヒラタケ、ナメコのほだ木はジッとしていて変化がない。来年はきっとゴッソリ生えてくれることだろう。こちらのホダ木たちは家の裏の土蔵の横に置いてあるので入ってきて持っていく人はいない。せいぜい野良猫か野鼠がたまーに齧っていく程度だ。
2010年11月10日
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目の主は…キノコを取りに入った山林でのこと。オリミキを見つけ、これは幸先よいと気を良くしながら歩いているとパキッと小枝の折れる音がする。音のした方を見ると木と葉の陰から何かが見ているような。ン? 何だろう!見ていると、あちらもジーと見ている。1秒かそこら経ったんだろうか。いっこうに動く気配がない。最近は県内でもあっちこっちで熊が出没したというニュースを聞いていたので、その間の長かったこと。冷やっとした。何のことはない、人面のような模様のある樹だった。ウサギか何かが動いたのだろう。小心者だからちょっとした音や動く気配にびくついてしまう。自分のキノコの城を持つのもいいが、やはり独りじゃぁ山歩きは恐い。 家の前の秋桜
2010年10月24日
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花の障碍物下からのアプローチを上ってきて上りの最後の所に何処から飛んできたのか、種が花を咲かせた。丁度障碍物になって車で来た人は上手く運転しないと轢きつぶしてしまう。ここは歩いてほしい小路なので車の侵入はせいぜいのとこ郵便屋さんのバイクか、軽自動車程度であってほしいと思っていた。丁度、この花が通せんぼの役割になってくれた。運転に自信がない人で心優しい人は手前で停車して、そこから歩いて訪問してくれる。男女で言うと女性だから停車してくれるとは限らないし、意外だったのは高齢者が目がよくないのか平気のヘイで突進して踏みつぶした人が何人かいた。この花は踏まれても強く今だ元気に花を咲かせてくれている。もう少し下に広がっていくと完全に通せんぼになってしまう。それもちと困る。 縮むんだ!こちらにきて2度目の検診。若い頃に測った時には171.9センチあった身長が、なんと169.5センチに縮まっていた。こういうときは四捨五入でもして170センチとでもいってくれれば気分がいいのに、正直に書きこまれてしまった。何かで歳をとると縮むとは読んでいたが、実際に自分の身に起こると、これはかなりのショックだ。体重は、この数か月のスリム化の努力が実って68.6キロに減量成功。検査結果を見ないと何とも言えないが、今のところ困った自覚症状はない。あるのは身長短縮の心の後遺症だけかな。
2010年06月26日
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びっくり苺のランナーにビックリびっくりするくらいの甘さと大きさから「びっくり」と付いた苺。昨年暮れに買ってハウスの中に入れておいたら確かに大きな甘い実がなりました。ところがビックリこいたのは、それだけでなくランナーが延びること延びること!一つの苗から2本が出てきて、しかも牛若丸の八艘飛びのごとくピョーンピョンと新しい芽が出てきます。合計8つの新芽。先頭では今なお芽が出かかっています。頭の錆びついた電卓がピぴピ!すると、この一つが成長してまたランナーで8つの新芽!うわー!こりゃーネズミ算じゃぁ(ウヒョ!ー)。まぁ、そうは上手くはいかんでしょうが、ちょっと夢をもらったビックリ苺でした。 今年は不作?二度目もダメ?ここでは小豆は毎年、比較的に上手くいく作物。今年も楽勝と思ったら、どうもおかしな感じがします。パラパラとしか発芽しないのです。最初のは鳥にでも食われたのかと思い二度目に播いたときには防鳥ネットを張りました。ところが未だ出てきません。こっちの畑もモグラかなぁ。仕方ないので出てこなかった時のために補植用の苗を温床で作っています。こちらは1週間も遅く播いたのに、もう芽をしっかりと出してくれました。 緑は残念ながらほとんどが雑草(涙) こちらは50のポット全てが発芽
2010年06月15日
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雨が上がった合間に 草刈りを頼むよ野菜はそうでもないのに草はしっかり伸びてます。田の畦畔の草刈を半分ほど終えたら昨日からの雨で中断。傘をさしてのクウの朝の散歩。その足音を聞きつけてヤエが餌の催促をしています。といって雨の中、外にも出せず、どうしよう。とりあえず藁を上げておいたら、昼過ぎに雨が止みました。「さぁ しっかり草刈りをして頂戴な!」 庭の花クウの小屋の後ろにムスカリが咲いていました。昨年までは何という花か分からなかったのですが、ブログ仲間のお一人がたまたま紹介してくれていて知りました。こんな白い小さな花も咲いていました。何という花でしょうかねぇ。
2010年05月20日
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無名な駒桜車で15分くらいのところにある駒桜。地元県の天気予報の桜の開花情報でも紹介されないくらいの無名の桜だ。でも密かに、この花なら番付でいったら幕の内に入っているに違いないと思っている。先日、稲の苗作りに助っ人に来た連れ合いを迎えにいったついでに立ち寄った。 昨日、無事に稲の播種が終わった。桜の満開の時期も終わった。今日、連れ合いも帰京する。またノンビリと自然と戯れ、現を抜かす日々が続く。
2010年04月27日
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4月の SNOW は やっぱすノー(さぶい!)深夜からの雪が今も降っています。こう寒くなると心配なのが先日植えたジャガイモやトックリイモ。連日、野菜の高騰が報道されているが、この分だと他の作物への影響もあるだろう。4月の雪は農家泣かせだし、消費者泣かせだよねぇ。今年は、この後どんな天候が待っているんだろう。稲や野菜、果物が順調に育ってくれるといいが。 秋に植えた2本の梨の苗も突然の雪に戸惑っていることだろう。軽自動車たちも雪帽子をかぶっている。
2010年04月17日
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やっぱし 水芭蕉この里山の春の訪れを告げる最初の花が梅。今、桃とスイセンが花を咲かせている。池の脇には恒例の水芭蕉の白い仏炎包が開き始めた。中の黄色い花が見えてくるのは2,3日後だろうか。色々な花が一斉に咲き始めるが、僕にとっての春の花は何といっても水芭蕉だ。尾瀬ヶ原に何度行っただろう。せっかく福島に住んだのだから最後に檜枝岐から尾瀬に入ってみたいものだ。檜枝岐には良質の温泉もあると聞くし、何よりも尾瀬で食べた檜枝岐村の蕎麦の味が忘れられない。 ソーラーライトの案内人水芭蕉の脇から玄関までの登りのアプローチに3~4メートおきに置いたソーラーライトが赤や黄色に光っている。 手前が黄色いキノコ型 次が河童くん 3月末に降った雪に埋もれた時の河童君 上から4番目のフクロウくん
2010年04月14日
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白石へのぶらり旅連れ合いを迎えに行ったついで東北本線に乗り込んで白石まで足を延ばしてみた。駅前の交番も白石城に合わせておしゃれだ。腹ごしらえにJR大人倶楽部の吉永小百合が食べているポスターに惹かれてうーめん(温麺)を食べることにした。駅前に元祖うーめんの店というのがあったので入ってみた。「牡蠣うーめん」と「かき揚げうーめんセット」を注文。かき揚げは随分と大きな器だ。ところが箸を入れると2センチちょっとの厚さで昔ながらの上げ底かと気落ちさせられる。だが待てども温麺がやってこない。ん?!待てよ、もしや… そうでした。かき揚げ丼の下が温麺というからくり。温麺は素麺を短くした感じだが素麺のように、つなぎに油が入っておらず塩だけで作っている。鰹節の出汁をいかした香りを大切にした塩味で喉越しがよく、さっぱりして旨かった。 満開には人出が出るのだろう。桜祭りの準備も整っているが肝心の桜はまだ2分咲き程度だ。見物人もわれわれの他数人とまばらだった。
2010年04月09日
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昨日やっておいてよかった 踏み込み温床いやー すごい雪。昨夕から降り出した雪がまだやまない。何センチ積もるつもりだろう。 2階のパソコン机に座って窓の外を写す心配でビニールハウスの雪おろしにいった。えっこらえっこら膝上の雪をラッセルしてハウスまでたどり着く。ビニールハウスは無事だった。 踏み込み温床毎年、苗を育てるために踏み込み温床を作っている。これは落ち葉と米ぬか、ヤエ(山羊)の糞尿の混じった敷きワラを何段かに重ねて水を撒いて踏み込むと、発酵して40~50度くらいにまだ発熱する。この熱が25度位に落ち着いたところで上に苗箱を置いて発芽を促し生育するというもの。エコで環境にやさしいだけでなく、ここで使った温床が2年くらい経つと、良い苗床土になる。一年目は、畳を使って小屋の中に作ったが太陽が当たらず、しかもネズミに荒らされ完敗した。2年目、3年目は外に作ったが最初はいいが、雨が降ったりすると温度が下がってしまい管理が難しかった。そこで今回はビニールハウスの中に作ることにした。食べるばっかりの山羊のヤエが役立つ時だ。 この黒っぽいワラがヤエの糞尿の産物 まず長方形に四つ角に杭を打ち込み、それを挟むように四方を竹で上下2段に組む。その挟んだ竹の中に昨年収穫した藁を差し込んでグルっと立てかけ壁にする。 米糠を入れたところその中に先ずは細かく裁断したワラを敷き、次に落ち葉を入れ、米糠とヤエの糞尿がたっぷりしみ込んだ敷きワラを入れ、また落ち葉。これを繰り返して、最後に水を撒いて踏み込む。あまり広くないビニールハウスなのでこの温床はけっこう場所をとる。来月には稲の苗作りのプールもこの反対側に作る。狭い中で食べごろのカキ菜(2度目の収穫)とホウレンソウの子どもが窮屈そうにしていた。 ホウレン草 カキ菜
2010年03月10日
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まだ返したくない うーん困った図書館の貸出期間は2週間。期間内に連絡すれば一度だけ2週間延長してくれるが、今回借りた5冊は既に延長していただいたもの。その内の4冊は読了したが、1冊が前回も借りた『図説 竹細工の実際』(富民社 佐藤庄五郎 昭和25年発行 430円)だ。こういう解説書はずーと手元に置いといて、分からなくなった時など必要に応じて紐解きたいものだ。 こちら返しに行った県立図書館 お隣の美術館竹細工はまだ竹割りと剥いでヒゴを作っている段階で、幅も厚みもまちまちだから編むまでの道のりは遠い。その幅や厚みは作る籠や笊によって違ってくるから、次の段階に移行するにも参考図書は身近に置いていつでも読めるようにしておきたい。いろいろと本を調べた中で、この本が最も詳しく、丁寧だ。だが如何せん昭和25年もので図書館にしかない代物だ。また来週も借りるか、コピーするか。著作権法では公表後50年まで保護されるというから、こちらの心配はない。自宅のプリンターでやってもよいが、これだけのページをコピーするとなるとインクが切れてしまうだろう。よっしゃぁ!! スキャンだ! さてどうしよう!と悩んでいる時、ピカーンと来たのがプリンターが複合機だったこと。こういう機能が付いているからこそ買ったはずなのに、すっかりスキャナー機能が付いていたことを忘れていた。情けないほど頭の回転が悪くなっている。よっしゃぁ! これでパソコンに取り込んでおけば、いつでも読めるし、必要ならプリントアウトもできるのだ。しかも画面に出てきたものをズームアップすれば、本で読むよりも遠視の目にはやさしい。単に忘れていただけなのに何だか得をした気分なのもおかしい。 今から20年前に家族旅行で福島に来たことがある。その時に観光バスで案内されたのが、この美術館だった。いまも綺麗だが、当時は開館されて7年くらいだから真新しかった。しかも特設だったか常設だったかミレーの『落ち穂拾い』が展示されていて感動したのを今でも憶えている。その美術館の隣が県立図書館で、右側の広いガラス張りの窓の側に閲覧机があって、陽だまりでのんびりと好きな本を読むのは冬場の最高の贅沢だ。図書館と美術館の間には連絡通路があって、その中間にレストランがあり腹ごしらえもできる。
2010年03月05日
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冬の会津から春のきざしの中通りへ先週、有機農業の会合があって猪苗代湖に行ってきた。一晩駐車しておいた車に30センチほどの雪が積もっていた。ここはまさに冬真っただ中だ。今回参加する気になったのは宿泊先のホテルの料理長の特別講演が企画されていたこと。地元の農家やホテルの畑で作った野菜を使った地産地消の料理のもてなしが、このホテルの売りだ。 それぞれの野菜の旨味を引き出すことをモットーにしているという。夜の宴に出た料理は、素材は自分の畑で作る野菜と変わりがないのにシェフの腕にかかるとご馳走になっていた。講演のレジュメに詳しくレシピが載っていたので帰ったら早速に、どれか一つでも真似て作ってみようと思う。 雪解けの合間から蕗の薹翌日の帰路の磐越道は横殴りの雪が降っていた。ところが郡山のジャンクションに近づくにつれ雪はやみ、中通りは晴れ間さえ覗いていた。翌日、田んぼの畦に行ってみると雪解けの草の中から蕗の薹が顔を出していた。地産地消の最たる山菜。さて、どうこの旨味を引き出そう。と思いながら結局は蕗味噌と天麩羅に終わりそうな感じがする。
2010年02月27日
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唯一の青物 かき菜外は雪が積もっていても日中のビニールハウスの中は別天地。この「かき菜」は露地では5センチほどしか育っていませんがハウスの中ではこのように食べごろです。葉を欠いて収穫するとしばらくするとまた出てきて春まで食べられます。おひたしにしていただいてます。この時期の生野菜はハウスの中のニンジンとネギがあるくらいで、収穫して土中に埋めておいた大根と新聞紙にくるんで家の中に保存しておいた白菜くらいです。春の移植を待つブルーベリーとイチゴこちらに来た翌年に植えたブルーベリーは80本のうち8本が枯れたり虫にやられてしまいました。このうち3本は補植しましたが、写真の2本(3年もの)は、年が明ける前に隣町の神社の冬祭りに行ったときに苗木市で安く手に入れたものです。このときに一緒にユズも買いました。これも一緒でいくらにしてくれる?と交渉したら予想外の値段で商談が成立しました。 イチゴはあるショップで秋のシーズンに目をつけておいた苗です。シーズンが終わるころに半額になったのを見計らって購入しました。移植するタイミングを外してしまったので大きめのビニールポットに入れ替えておきました。
2010年01月18日
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上手くいった 福神漬 上々な出来で味も良い。前回は二か月くらいでカビがはえたので今回は特に水分に気をつけた。先ずは塩出しした野菜を前回は手で搾ったが、今回は重石で一晩しっかり水をきった。さらに残留水分があるので煮たてて冷ましておいた醤油に予め漬けてから本漬けした。一か月したら用心して冷凍庫に保存しようと思う。これでしっかり漬かった福神漬が次回作るまで1年間、酒の友になってくれそうです。【材料】 野菜…塩漬けしておいたキュウリ10本、ナス10本、タケノコ二分の一、紫蘇の実1カップ、ぬか漬けした大根1本、塩で即席漬けした大根(赤カブ大根1本、普通の大根1本)とニンジン3本、レンコン中二分の一本(これだけは自家栽培してないので生協で購入)、発泡スチロールに保存しておいた生姜350グラム、冷凍庫に入れておいたミョウガ10個漬け汁…醤油1.5リットル(500ccは水分を減らすために事前に漬ける用に煮たててお く)、残りの醤油1リットルに酒500cc、みりん1カップ、ざらめ1キロを加え煮たてる
2010年01月11日
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モーニングコーヒーを入れる旅の間、僕にも役割分担が一つあった。それはコーヒーを入れるというもの。玄米や茸や野菜は相伴にあずかったので、せめて皆が喜びそうなものはと考えコーヒーとドリッパーを持参した。毎朝、飯を作る横で、湯を沸かして入れる。”美味いですね 毎朝楽しみです” なんて気持ちのいい言葉だろう。年寄りに役割を持たせるというのは確かに生きがいにつながる。若いのによく気がきく。大したものだ。湯治場の雰囲気が残る大沢の自炊部今日はぐーと南下して宮沢賢治ゆかりの岩手花巻市の大沢温泉に泊まる。ここはもともとは自炊が中心だったが、今は隣にホテルの山水閣が立っている。だが何といっても魅力は湯治場の雰囲気を今も残す自炊部。 廊下に障子で仕切られた部屋が並び共同炊事場がある。炊事場には大きな流しとガスコンロが並んでいる。このガスコンロも10円を入れて取っ手を回すと何分間かガスを燃やすことができるという時代を感じさせる物。隣ではもう何泊か逗留しているというおばあさんが見事に魚をおろしていた。孫なのか若い娘さんが”ばあちゃん すごいよ”と褒めそやしている。湯治場での家族団欒もいい。いつかみんなで来てみたいと思う。風呂は露天風呂も含めて6つもある。山水閣の風呂は入れないとホームページにあったが、宿の人はご利用くださいと案内してくれた。食事の前に豊沢の湯に入り、寝る前に薬師の湯に、そして翌朝、出発の前に大沢の湯(露天風呂)に浸かり今回の旅の最後の温泉を満喫した。
2009年12月23日
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冬の作業雪の降り積もる前に終わらしておきたかった杣山(そまやま)の木を少しだが伐り倒すことができた。数日まえから上空に居座った寒波が例年ならまだ積もらない山里にも容赦なく雪を降らした。 例年は落ち葉が舞う頃に木を伐っていたが、今年は冬期湛水にするために田の溝を掘り、黒塗りの整備に手間取ったため遅れた。この時期は木の成長が緩慢となり水を吸い上げるのやめているので”切り旬”といわれている。伐った木の一部は来春のキノコを植える原木にしたり、そのまま一年間放置しておいて乾かしてストーブの薪にする。伐採には鋸切りとチェンソーが欠かせない。前の持ち主から山とともに譲ってもらったチェンソーと鋸切りを使った。ところが伐り出してしばらくするとエンジンの調子がおかしなり、とうとう動かなくなってしまった。修理に持って行くと型が古く直したとしても早晩また故障するかもしれないと言う。鋸切りは擦り減ってはいるが目立てさえすればまだ十分に役立つが、機械ものはそうはいかないようだ。潮時でもあり新しいチェンソーを購入した。前よりも排気量が大きいのにもかかわらず30パーセントほど軽量で楽に斜面を持ち運びできそうだ。何よりもキックバックで跳ねあがったときの事故防止のためにストッパーが付いているのがおっちょこちょいの僕にはありがたい。
2009年12月19日
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森のイスキア湯段の宿を出てほどなくすると「森のイスキア」があった。東北地方で放映されたNHK「おいしい東北」で紹介された佐藤初女さんんが主宰する憩いの場だ。映像の中の初女さんの柔和な顔が想い出された。番組では初女さんの心のこもった手作りの料理のもてなしに安らぎを求めて全国各地からが訪れる人を取り上げていた。しばらく佇んでいたが、冬場は閉じているらしく建物だけが静かに立っていて、もう人のいる気配はなかった。 紅葉もおわり閉じられたイスキア(森のイスキアの由来は、こちらのホームページに紹介http://www.geocities.jp/yuki_no_isukia/mori_.html) 遠目でご勘弁を木村さんの自然栽培のリンゴ園に行く途中、これまでの旅の無事を感謝して、またこれからの旅の安全を祈って岩木山神社に参拝した。 写真の右端のとうに40を終えた自称初老の男 木村さんの林檎畑とレストラン山崎温泉地を下っていくと道路の両側に林檎畑が続き、あの甘く酸っぱい香りがする。今が収穫の最盛期なのか収穫したリンゴを満載した軽トラックが行き交っていた。自然栽培の木村さんの林檎畑は他と違って銀色の反射シートが敷かれてなく草も長くはないが生えている。見ただけではその程度で、さほど違いが分からない。弘前大学と共同しているのか実証試験園の立て札が立っていた。間が悪いことに前日から福島に講演に出かけているとのことだった。NHK『プロフェッショナル』の放映以来、講演依頼が舞い込み全国を行脚しているときく。 見るだけでなく木村さんの林檎を味わってみようと、この日の昼飯は奇跡のリンゴを食材にしている『レストラン山崎』に予約を入れておいてくれた。奮発して3150円のランチを注文した。落ち着いたフランス料理の店の雰囲気が漂う店内にはもう4~5組の客がいた。食材の素晴らしさから生み出される料理の一品一品に暫し舌鼓。中でも木村さんの奇跡のリンゴを使った冷製スープは甘酸っぱく、まろやかで絶品な味。遠くまで来た甲斐があった。 連れ合いの土産に買った
2009年12月15日
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少ないが比較的大きいなキウイ一昨年は適当に選定したため殆ど実がならなかったキウイが、昨年は大量に取れて今年の春先まで楽しんだ。今年は懲りて剪定しなかったら昨年の半分くらいしかならなかった。でも実は比較的に大きい。今年も発泡スチロールの箱に保存しておくことにする。今年こそは朽ちた棚を整備して剪定してあげなければなぁ。いただきもののリンゴ同じ部落の人から少し傷がついているけれどと林檎をいただいた。この人が作ったリンゴはしっかり蜜が入っていてすごく甘い。今年は寒くなるのが遅かったので、その分収穫を遅らせたという。早速にいただくと濃厚な甘い果汁が口中に広がった。この林檎と一緒に柔らかくなるように食べる分だけキウイをに入れておいた。
2009年12月10日
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暗夜行路の峠越えから湯段温泉へ 12湖近くの日本のグランドキャニオンを遠目に見ながら28号線で弘前に向かいました。 車中から(ピントが合わないのは相変わらずです) 分かりやすい全景(こちらの写真は借り物)ところが此の道、始めは舗装道路で順調だったのですが上るに連れてすごい悪路に変身。しばらく行くと舗装道路となり悪路もここまでかと思いきや、また凸凹の道につながります。この繰り返しで3時間揺られているうちにあたりは真っ暗になりました。さらに3時間の暗夜行路が続きます。私ならばとっくに脱輪してもおかしくない路です。今回の2000キロ旅はすべてタケちゃんの車と腕に命預けてます。名ドライバーのタケちゃんも真剣そのもので声をかけるのもはばかる雰囲気です。民家の灯りが見えたときにはホッとしました。出迎えてくれた宿の主人は、もう来ないものと思っていたそうです。今宵の客は私たちだけ。炊事場を独占して始まった食事の準備には私も加わりました。刺身用のスルメ烏賊で塩辛と焼きイカ、カレーの魚の煮ものと自然栽培の石山さんからいただいた野菜をたっぷり使った鍋。タケちゃん自慢の越後の酒でかんぱーい。寝大仏の心意気この温泉は江戸時代から湯治場として利用されてきたという昔ながらの静かな温泉地でした。舐めると塩辛い泉質でした。早朝に入りに行くと男湯は掃除をした直後で湯がクルブシ位しか入っていません。裸になっていたのでエイヤー!ままよと、そのまま湯船に入ったものの11月の岩木山の麓はさすがに寒いのです。仕方なく湯船に這いつくように横になりました。身体全体がすっぽり湯に浸かるまで寝大仏よろしく横になっておりました。 宿を出て岩木山を仰ぎ見る
2009年12月07日
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秋田県大潟村の自然栽培の米作り今回の旅は陸奥の温泉巡りとともに”奇跡のリンゴ”で一躍有名になった木村さんの自然栽培によるリンゴと米栽培の見学も兼ねていました。二日目は乳頭温泉を発って一路、先ずは大潟村で自然栽培の米を作っている石山範夫さんの田に向かいました。大潟村は見渡す限り干拓された田園地帯です。見学先の石山さんの田も半端でない広大な田でした。迎えてくれた石山さんは大型のバックフォーで田圃の畦に新しく畑を整備しているところでした。畦といっても5m~6mも幅があり、田も20ha。里山での20a足らずの棚田にせいぜい1mほどの畦幅の私には突然、小人の国からガリバーの国に迷い込んだ心境です。こんな広い田で自然栽培の米を作る?合点がいったのは石山さん自慢の大型の除草機を見せていただいてからです。もともと除草剤を使わない有機農業を営んでいたので除草対策に力を力を注いで、除草機の試作と改良を重ねていらっしゃいました。 チェーンから回転式に改良した除草機(すべて手作りというのがすごい)。大きく頑丈な鉄パイプの倉庫の中はコンバインその他の機械が所狭しとありました農薬や化学肥料を使わない農法は有機栽培、自然農、自然栽培といろいろですが、その中でも自然農と自然栽培は基本的に有機肥料も使わないと聞いています。二つの違いは自然農はできるかぎり耕起をしないのに対して、石山さんの自然栽培の米作りは田起こしを積極的にしています。「栽培」と言う言葉をあえて使うのも自然の状態に人の手を加えていることを表明しておられるからです。もうひとつの栽培のポイントは苗づくりのようで、田に藁と糠を入れ一年がかりで床土を作っていることでした。日本の各地で、さまざまな条件の下で多様な価値観に基づく農法が編み出されていますが、ここの場合は、集約化された広大な圃場で有機肥料をも加えずに自然と対峙した中で生み出されたのが、大型の機械を使った田起こしと除草方法だったのでしょう。我が山里の小さな何段にも区切られた小さな棚田を思い返したときに、所によってはトラクターはもちろん耕運機ですらも入ることがままならない、こういう条件に合う農法は何なんだろうかと改めて考えさせられました。今年試みた冬期湛水もその一つなのかもしれません。 神秘的な青池今晩の宿は青森県の弘前。山越えをする前に12湖に寄りました。一番奥にある青池は、その名の通り青くどこまでも透き通っていて神秘的で吸い込まれてしまいそうです。
2009年12月03日
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陸奥の湯 東北の旅体調がすぐれず暫らくブログを休ませていただきました。訪問してくださった皆さま、連絡もせず御心配をおかけしました。漸くブログを再開する気力が戻ってきたようです。この間、御近所に住む3人の若者が企画した東北3県の温泉地を巡る車の旅に便乗させてもらい元気を頂きました。また私の閑話にお付きいただければ幸いです。先ずは、つれずれを慰めてくれた東北温泉の旅から書き綴ることにします。その1 秋田の乳頭温泉この旅、そもそもはタケちゃん、ユキちゃんご夫妻とトモちゃんの3人が企画したもの。息子のような若者との三泊四日の自炊の旅は魅力的でしたが、一方、長い車中にあって果たして話題についていけるだろうか、気まずくなったりしないだろうかとチョッピリ不安な旅でもありました。しかしそんな心配は杞憂な楽しく元気をいただく旅となりました。最初の温泉の乳頭温泉はひなびた飾り気のない秘湯という言葉がぴったりな温泉でした。泉質は硫黄湯で宿の前に源泉があって、こんこんと湧き出ています。自炊館は茅葺の屋根で各部屋に囲炉裏が切られていて、鍋を囲みながら酌み交わした酒はこれまで味わったことのない無二なものでした。
2009年11月30日
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初めて咲いた合歓木の花4年間居て初めて咲いたねむの木の花。ねむの木というと宮城まり子の「ねむの木学園」を思い出すが、実際の花を目の当たりにしたのは初めてだ。花は柔らかく優しい。障害者の施設に、この花の名をつけたのが分かるような気がする。 ねむの木の たわやかにして 寄せし愛君あらば 障るものなし ねむの花 ようやく咲いた紫陽花やっと梅雨らしく雨が降り始めた。庭先のアジサイも雨露に濡れていきいきとしている。紫陽花のこの七変化の色合いが好きだ。額アジサイも目立たぬように咲いているのに注意をひいてします。
2009年07月18日
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池の横の花々家の下の池には春になると真っ先に水仙が咲きはじめ、水芭蕉が花開き、アジサイを木にしたようなこの白い花(ヤブデマリ?)とシャクナゲが咲き、アヤメが咲く。そして最後に芙蓉の花が夏ごろに咲いて終わる。秋にも花がほしいのでコスモスの種を播いておこうと思う。 クウがアヤメのそばに寄ってきた。きれいな花を愛でるのは同じかと思いきや、アヤメの地面に気になる匂いか、クンクン嗅いでいる。花には興味がないらしい。 ビニールハウスの苗たち5月に建てたビニールハウスに早速に播いておいたキュウリやカボチャが芽を出した。踏み込み温床で芽をした苗ポットをビニールハウスに移動したナスやピーマン、トマト、スイカも少し大きくなったようだ。移植する先の畑も草だらけなので準備しておかなくては。
2009年06月01日
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花がいっぱい朝から久々の雨ビニールハウスで作業でもするか30分かけて福島市内の映画に行こうかそれとも12分の手軽な隣市のハーブ湯に浸かろうかいや どうせ行くなら45分かけても温泉がいいだろうと思案しながら 結局 花を見がてらいつものハーブ湯に遊ぶのも手抜きになってきた
2009年05月17日
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セイタカアワダチソウ稲刈りを終えた畔にのっぽの雑草が黄色の花をびっしりつけている。セイタカアワダチソウだ。野菊も終わり、枯れはじめてきた。花が野山から姿を消しつつある晩秋には、この黄色の花序は見ごたえがある。山羊にも緑の葉と太めの茎、黄色の花のコンビネーションサラダが魅力的なようだ。 犬小屋の後ろから 顔を覗かせた椿犬を抱っこしていたら 普段は死角になって見えない小屋の後ろに 無垢な白い花びらに 赤い縁取りをした椿が咲いていた硬い蕾は てっぺんを赤く染めていた 映画の当たり外れ昨日、久々に映画館に行ってきた。この前は観たい映画が終わっていて、仕方なく観た映画がすごく良かった。今回は観たかった映画の上映時間を間違えて、到着したら既に始まっていた。もしかしたらと別の映画を観た。柳の下にドジョウは二匹いなかった。終わっていた映画は『百万円と苦虫女』、良かった映画は『容疑者Xの献身』、観たかったのは『まぼろしの邪馬台国』で、二匹目の泥鰌とならなかったのは『20世紀少年』。この間、家でDVDを借りてきてブログ仲間の紹介してくれた『アバウト・シュミット』『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を観た。どちらもとても良かったが、これを映画館で観たらなお数倍泣け、感動しただろう。
2008年11月06日
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雨上がりの虹夕方、雨があがりの東の空に虹が架かっていた。虹を見ると思いだすのがポスター。あるボランティアイベントのポスターの公募をした時に、たまたま審査員の一人になった。公募作品で一番多かったのが虹とハートをあしらったものだった。どちらもあたたかなイメージをかもし出す。夕暮れの 空に架けたる 虹の橋 野良仕事終え 帰る家路に トウガラシの鮮やかな朱こちらは畑になていたトウガラシ。キノコの虫を駆除するために少し早かったが取ってきた。緑の中に、この色だけが孤高な彩りを放っている。鮮やか過ぎて、どんなに色を合成しても作れないような感じがする。 虫さえも 燃える熱さか 唐辛子 漆紅葉の案内人ここの紅葉ももうすぐだろう。一番先に色づくのが漆だ。まるで紅葉の案内人のようだ。漆の木に触れるとかぶれるので冬場に木を伐っておくが、けっこう強く、春先になるとどの木よりも先に直ぐにあの独特な葉を梢の先に開いているのを見つける。 まず先に 色立つ漆 紅葉かな
2008年11月01日
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山里は 今から 百日紅標高500メートルというと平地よりも温度差が5度以上はある。それが朝夕となればもっとあるだろうから一日に換算すれば相当の差になるし、それがまた1週間、10日となれば、その積温は大したものになる。サルスベリでいうと1ヶ月は違う。これだけ花々が咲く時期が遅くなるのだから作物が遅くなるのも納得できるというもんだ。だから種をまく時期がいま一つ判らない。種袋の播種時期を見て冷涼地(東北南部)を参考にするか、寒冷地(東北北部、北海道)となるのか迷う。きっとこの地に一番合う時期があるんだろうが、まだまだ経験不足で分らない。しかも、この異常気象だから、これまた去年のことが参考になるかも定かでない。 高地ゆえ 一月遅れの 百日紅 これがベストと いえず種まく も少し早く播くべきだったかなぁ キャベツ というわけで悩んだ末のキャベツだったが、ちょっと遅すぎた感のキャベツの苗。1週間間隔の時間差播きを4回くらいに分けてやる必要があったかなぁ。これから播く越冬のエンドウやネギは10日ずらして様子を見ることにしよう。来年は、春から時間差を意識して何段かに分けてやってみることにしよう。 コスモスも つぼみがたくさん これからです
2008年09月23日
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春に播いたコスモスコスモスの花って背が高くて、風が吹くと一斉に揺れる。花弁も葉もとてもシンプルだ。昨年の秋に路上に咲いていた種を採取して、今年の春に播いたら咲き始めた。色々なコスモスの種を一つのパックに入れておいた。どの種がどんな花を咲かせるの皆目わからない。最初に咲いたのが、このコスモスだった。 コスモスの種 最初に咲いたコスモス 秋風に コスモス揺れて 澄みわたる 青空の先 飛行機雲一つ 一片の コスモスの種 土に帰り 何よりもまず 君を咲かせた 来年はこの種を蒔こう これは菖蒲の種。田植えが終わる頃に、毎年、田圃のビオトープの横に咲くのは紫単色の菖蒲。今年は、家の池の脇に3輪だけちょっと違った菖蒲を見つけた。来年は、こっちの菖蒲も増やしてビオトープの両側に咲かせたい。待ち望んでいた種が、昨夜の雨で草むらに落ちていた。
2008年09月04日
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野菜や果物の保存方法はいろいろあるが、一番ポピュラーなのが塩漬け、そして乾燥。私がやっているのは他に焼酎漬け、砂糖漬けとジャム化、そして酢漬け。今回は酢漬け2品を紹介します。 ラッキョウの酢漬け先日取れたラッキョウを陰干しておきました。それを二日間くらい軽く塩漬けしておいたものを、洗って水を切っておきます。 あらかじめラッキョウ1キロにたいして酢200cc,水400cc,砂糖200グラム、赤唐辛子3本を煮たてて冷ましておきます。※米酢に、先日梅干しを作ったときにできた梅酢を大匙3杯隠し味に加えてみましたその中にキッチンペーパーで拭いたラッキョウを入れて漬けるだけ。 ミョウガの酢漬け裏の畑で取れたミョウガは洗って、軽く二日間、塩漬けにしておきました。これを洗って水切りしておきます。あらかじめ作っておいた酢に同量1:1の砂糖を溶かしておいたものをヒタヒタニなるぐらいに入れて漬けます。1年以上もって、しかもミョウガの香りが残って美味いですよ。これは町の飲み屋でお通しに出たものが旨いんで、お上さんから聞き出したもの。ミョウガは、このほか細く切って冷凍庫に保存して薬味として使っています。 1弾目のイチジク1弾目の7つのうちの2つがやっと食べごろになりました。二弾目の普通の大きさの1.5倍以上ありそうです。大きさが分かるように携帯電話をおいておきました。二弾目はずーと先の収穫です。1弾目の半分くらいの大きさで7~80個あるでしょうか。こちらは食べ残ったものを昨年はジャムにして保存しました。
2008年08月20日
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帰り路に見つけた花連れ合いを福島の駅まで送った帰り路に見つけました。60キロで走っていて、アッ!と思っているうちに20メートル。後続の車もあって暫く行ってから引き返して写したものです。 花びらは立ち葵や芙蓉のような感じですが、背丈はなく、スラーとしていません。せいぜい1メートルくらいの背丈でしょうか。 いただいたプラムお隣からプラムを頂きました。 そのまま食べるとすっぱいのでプラム酒にしようかな。今年はスグリ酒、梅酒、ブルーベリー酒ときて、プラム酒。そして最後は多分、キウイ酒。 梅味噌ドレッシングブログ仲間のusagiさんに教えていただいた梅、味噌、砂糖1:1:1を作ってみました。といってもすでに作っておいた梅シロップ(梅:砂糖=1:1)に味噌を加えたもの。実を言うと紹介された時は半信半疑(usagiさんごめんなさい)だったのです。ブログで紹介された後に、地元の町の長男会がありまして、そこである高齢者が持って来てくれた15年物の梅味噌ドレッシングが美味かったもんで作っちゃいました。味噌はんもちろん自家製ですよ。あらためてusagiさんありがとう!
2008年08月07日
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葉を乾燥させてティタイムザルの上で乾かしているのはペパーミント、桑、スギナ、そしてドクダミの葉です。これまでは単品では飲んでいたのですが、今回は四つをブレンドにして飲もうかなと思っています。ただ、ちょっと心配なのは、詳しく成分が分からないことと、場合によっては複数の成分がバッティングしてしまう可能性です。漢方薬にお世話になった経験でも調合はなかなか難しそうです。ガブガブ飲むわけではないので、あまり気にする必要もないのかなぁ。 大きくなってきたイチジクの実イチジクは2弾発射ロケットのように、最初大きな実がなって、その次に中くらいの実がつくんですよ(去年も同じことを紹介していました)。そういえばブロッコリーも最初大きいのができて、しばらくすると小さなのが出てきますね。キャベツも引き抜かないで、茎からバサッと切ると、その後にまた葉が出てきて結球までしてくれるんですね。それだけ植物の子孫を残そう!生き残るぞという生命力ってすごく力強いですね。 宮崎駿の 崖の上のポニョ地震に起こされて朝方まで眠れず寝不足なんで、思い切って福島市内に出て映画鑑賞をすることにしました。前回見た時に予告でやっていて観たいなぁと思っていたものです。宮崎駿の作品は出るたびに観ています。優しさと温かなぬくもりがあって大好きなんです。子どもが小さい時からのファンでした。「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」はビデオが切れるほど一緒に観たものです。今回の「崖の上のポニョ」は、優しさが画面いっぱいに広がり、どの登場人物も好感が持てほのぼのとさせてくれます。ただエコ問題を取り上げているんだけど、筋書きが少し弱い感じがしました。それともっとハラハラや ドキドキ、痛快さがあってもいいのかなぁ。 嬉しいのはこの映画館、6館が50メートル内に集中していて、好きな邦画、洋画の中から選べること。しかも一般料金1700円のところを、シニア料金があって高小中学生と同じ1000円なんですよ。これだと月に何度か足を運んでしまいそうです。
2008年07月24日
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水は美味いし 空気はきれいだ!母の法事で東京に戻っておりました。東京の家の蛇口を開けた途端、強烈な臭い!うーん 長~いこと、すごい水を飲んでいたんだなぁ。しかたなく近くのコンビニで飲料水を買ってコーヒーを沸かしたらやっと落ち着きました。 母が危篤だ知らせてきたのは、こちらに来て伸び放題の草木と格闘していた頃。落ち着いたら、里山でのんびりしてもらうつもりでした。ベットの母に声を掛けましたが反応がありません。連れ合いが 「○○が来ましたよ! ○○ですよ」 と大きな声で呼びかけながら足を撫でてくれていました。すると 「あなた 足がピクピクって… もう一度話しかけて!」 話しかけてみると、同じように足先がピクピク。話す力も、目も開ける力もなかったのですが、声をかける度に足で精いっぱい応えてくれていたのでした。せめて一度だけでも、美味い水を飲ませ綺麗な空気の中で過ごしてほしかったなぁ。東京から戻る度に、ほろ苦い気持ちが残ります。母は薔薇が大好きで、それほど広くない庭にいっぱい薔薇を咲かせていました。どこかに綺麗な薔薇が咲いていると、いただいてきて挿し木をして増やしていました。この里山に母の好きな薔薇や花をいっぱい咲かせたいな。これは野に咲いていた薔薇です。前回載せた花をアップしたものです。どなたか花の名前を教えてください。
2008年06月17日
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代かき終える三日前から順ぐりとやってきた3枚の棚田の代かきもようやく今日で終えた。明日からいよいよ代かきした順番に田植えだ。有機農法の課題は除草剤を使わないので、草対策を如何にするか。合鴨や鯉を使って除草したり、綿マルチで草を生やさなくしたりと、いろいろな方法で除草対策をしているが、私は深水にして稗や雑草対策をしている。また田植え直後に糠とクズ大豆の混合したものを播いてコナギや他の雑草の防止をしている。また今回は、一番小さな田1枚だけだが自然農法を試みることにした。これは耕さないで、田や畦の草を刈ったものを田に敷いて肥料代りにして、またマルチとして草防止を兼ねるもの。苗も田をほじくって植える。その分手間がかかるが、荒がきや代かきをしないし、また機械を使わない分、労力的には同じかもしれない。しかも環境に優しくエコロジカルな農法と言える。初めての挑戦なので何ともいえないが興味津津。 花めぐり雨の合間に美術館に出かけたり、花を見に出かけました。あいにく美術館はフランス絵画展の前日で、後日にあらためて来ることにしました。代わりに図書館の駐車場に咲いていた花を写しました。ミズキ科のヤマボウシというそうです。立ち寄った花工房の花々もみごとでした。忙しさにかまけて、ついつい忘れがちな里山でのスローライフな暮しを、花々は呼び返してくれます。 一休みした喫茶室のテーブルにも可愛らし花が挿してありました。
2008年06月07日
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額アジサイのような花 朝からの雨に 入口近くに額アジサイのようなは花がさいていました。梅雨と錯覚したのかな?何の花なんでしょうね。木々に雨宿りしている鳥が晴れ間を待ち望み鳴いているようです。春雨や 彼方こなたに 鳥の声アサツキ春先の青野菜が少ない時に、このアサツキの葉をみそ汁に入れて食べました。今の時期は葉は枯れて、根が大きくなって食べごろです。まるでエシャレットのようで、味噌をつけて食べるとツマミに最高!♪菖 蒲庭先にポツンポツンと咲いていました。田圃の一角に造ったビオトープの傍にある菖蒲は群生していますが、花をつけるのには未だ早いようです。
2008年05月28日
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おぼろ月夜明日は雨かな野菜には水僕には久々の休み雨(5/24) あまどころ( 甘野老 ) 畑の隅っこにさいていました何の花だろうほっそりしたスズランみたいスズランに似た花と調べたらアマドコロと見つけましたスナックエンドウわが里山の畑で口に入った今年初めての野菜冬を越して花をたくさんつけてくれましたさてこれは ふーん…何の花なんでしょう調べようがないなぁ
2008年05月25日
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味噌造り毎年、ゴールデンウィークのこの時期に地元で味噌造りの会が催される。地元産の大豆と米こうじを使い、塩も天然ものとこだわった味噌。 ポリタンクで運んできた名水に一晩浸けた大豆を大釜で煮ること2時間、指で押さえてつぶれぬ程度の固さのものを粉砕する。手回しの粉砕機は100回すと汗が噴き出し腕がだるくなる。皆で交代して回す。 それを冷まして、米麹と塩を合わせたものと混ぜ合わせる。 煮汁を加えて適度な柔らかさに仕上げる。なんと400キロもできあがった。それを5キロずつ袋に詰められ希望者に分けられた。 私も25キロを購入した。1年以上じっくり寝かせてからいただく。今食べているのは2年物だが、大豆と麹と天然塩に名水が溶け合って絶妙な旨みのハーモニーを醸し出した絶品の味だ。 こだわりの 食材だけの 味噌づくり 汗したたりて 旨味なお増す
2008年05月06日
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