全321件 (321件中 101-150件目)
麗らかな春 10万番目に偶然にアクセス家の水仙が一斉に開き始めました。連休に合わせたように昨日から晴れ間がのぞき春らしい陽気がつづいています。そんな時に嬉しい知らせが。こういう事もあるんですねぇ。ブログのお付き合いをさせていただいている方の記念すべき10万番目のアクセスに何とこの私がヒットしたんですよ。自分のアクセス数は気にしていなかったんですが、改めて見たらまだ3万ちょっと。その三倍のアクセスと言うのはスゴ~イ数です。一区切りの記念すべき数字でしょう。この方のブログはとても読みやすく綺麗な写真も魅力です。日々の暮らしのできごとや、心の機微が気負いなくサラリと書かれていています。読んでいて気持ちが和みますし、書かれていることをとっかかりに、そこから自分の想い出を振り返ったり、身辺のことを思い返したりするきっかけをいただいています。書き続けるというのは大変なことですね。私なんか何度中断したことか。そんな時に、優しく気遣ってメッセージを寄せていただけるお一人です。そういうわけで感謝すべきは私の方なのですが、何と記念品まで送っていただきました。地元の品々です。酒のグランプリ金賞受賞の「太平山」もあります。もっちんママさん、ごちそうさまでした。
2010年04月30日
コメント(10)
あれー うーん コナギ?草花や花の名前が咄嗟に出てきません。種籾を蒔きながら、連れ合いと漫才をやってました。「コナギでなくて あれ、あれだよ」「コナギでしょう こ・な・ぎ!」「いやー なんか 感じが違うんだよな」「こ こ こ… う~ん なんだっけ」「うーん? う う… ウコギ だよ」「そうそう もう一つ コ がつくのあったわよね あのグルッと丸く廻っているの」「ゼンマイ見たいなやつね あれねぇ なんだっけ コがついたよね」「コ ねぇ 」 「………」 30分後 突如「コゴミ!!!!」そうだ そうだ スッキリしました。みんな コ がつくんですよ。どんな草だと思いますか?コナギは田んぼに生えるにっくき雑草。ウコギは東北地方で春に出た柔らかい新芽を炊きたてのご飯に軽く塩茹でして刻んだものを混ぜて食べたり、天ぷらやおひたしにして食べます。コゴミは春の山菜でもアクが強くないので、おひたしにしてサラダ感覚で食べると超旨い!先ずは ウコギがお目見えです。
2010年04月28日
コメント(14)
無名な駒桜車で15分くらいのところにある駒桜。地元県の天気予報の桜の開花情報でも紹介されないくらいの無名の桜だ。でも密かに、この花なら番付でいったら幕の内に入っているに違いないと思っている。先日、稲の苗作りに助っ人に来た連れ合いを迎えにいったついでに立ち寄った。 昨日、無事に稲の播種が終わった。桜の満開の時期も終わった。今日、連れ合いも帰京する。またノンビリと自然と戯れ、現を抜かす日々が続く。
2010年04月27日
コメント(16)
浸水から催芽して播種前回紹介した通り、種籾を山からの水を流しっぱなしにした中に浸水しておいた。水温が低く4℃から6℃で、雪が降ると2℃くらいまで下がり漸く積温100℃を超えた。種籾はぷっくらと膨らんでいた。どうやら十分に水を含んでくれているようだ。次は芽出しを促す催芽で25℃の湯に一晩(15時間ほど)浸す。手で種を撒くのでけっこう時間がかかる。三回に分けて先ずは古代米と鳴子のコメを、次いで餅米、最後にコシヒカリとヒトメボレをする。 浸水で水を十分に含んだ古代米 古代米は見るからにたくましそうなので風呂の湯を少し冷まして浸しておく。鳴子のコメと餅米は繊細そうなのでサーモスタットのヒーターに25℃をセットして、空気を送る中で一晩浸しておいた。 催芽後の鳩胸状態の餅米手植え用のポット苗箱に播種育苗の苗箱は今は機械植え用しか見当たらない。この連結したポット様式の苗箱はもうほとんど見かけない。これだと一つひとつのポットの容量が大きくて(1.7センチ)、5.5葉の成苗まで育てるのにも育苗土が十分だし、田植えの時に引き抜くと一つずつまとまって取り出せ、根もしっかりと土と固まって崩れずないので手植えがしやすい。この苗箱に育苗土(有機元肥に山土を混ぜたもの)を平らにい入れ、1ポットずつ指で鎮圧する。もう使われていない苗箱なので今は無いが、以前はポットの凹に合わせた凸の鎮圧版があって、これを育苗箱に被せて足で乗って鎮圧していた。鎮圧してへっこんだ所に種を一つずつ入れて土を被せる。 土をかぶせたら十分に水をかける。稲は酸性土壌を好むので元肥にはピートモスも混じっていて一度の散水では十分に水を含んでくれない。時間差で二度、三度と散水する。これを育苗プール(プールと言っても芽が出るまでは水は入っていない)に置いて乾燥しないように新聞紙をかけて防寒用のシートとビニールシートで覆って保温して芽出しをする。 播種した古代米と鳴子のコメの苗箱思わぬ春の二度目の雪でビニールハウスの中の作業は寒くて途中で切り上げた。二日がかりで古代米5枚、鳴子のコメ2枚。餅米8枚を終える。残るは餅米2枚とうるち米の15枚。次回の苗作りの紹介は、田植え直前の成苗までの経過を報告する。
2010年04月23日
コメント(12)
役割も また楽しこの4月から仰せつかったのが行政区の農振会のお世話役。まだ始まってわずかだが2件の役割があった。一つは新政権の目玉の一つ農家の『戸別所得保障モデル対策』のためのお知らせの配布と『水稲生産実施計画及び戸別所得補償モデル対策等営農計画書』の記入依頼と回収だ。自給の米作りは対象外なので、この行政区では恩恵の対象となる農家は少ないが農家は全戸提出することになる。こちらは個人情報なので戸別訪問。町の仕事の手伝いだ。もう一件はJAからの図書販売の注文取りだ。こちらは『畑の達人』(麻生健著)、『農の庭 おもしろ百科 暮らしの中の自然を楽しむ』(中山草司、金田初代著)、『食と農 季節を倒楽しむ保存食』(飯沢寛子、金田初代著)だが、上・中・下の各連絡員にお願いして回覧して注文を記入してもらう。JA(農協)のお手伝いで年間を通じて種の注文やら農器具、鶏の雛の注文などがある。大して面倒なものではないが、注文やら個人情報の扱いなので神経を使う。物忘れがひどくなったてきたので重なってくると忘れてしまうのではないかと心配だ。念のために防備録用に『農振会ノート』を作った。何より良かったのは、否応なしに集落の人と顔を合わせ言葉を交わす機会が増えたことだ。「あがらっしゃい」声を掛けられお茶を1杯いただき四方山話に花が咲く。「畑にキャベツがあっからもってけ」と我が畑にない作物を頂戴する。ただ書類を回収して帰るだけなら数十分で済むところだが1時間半もたっぷり交流できるのは、「独り身」には楽しい一時だ。自家製のどぶろくまで頂戴した(ありがたやー)。 坊さんの托鉢みたいないただきもの
2010年04月18日
コメント(18)
4月の SNOW は やっぱすノー(さぶい!)深夜からの雪が今も降っています。こう寒くなると心配なのが先日植えたジャガイモやトックリイモ。連日、野菜の高騰が報道されているが、この分だと他の作物への影響もあるだろう。4月の雪は農家泣かせだし、消費者泣かせだよねぇ。今年は、この後どんな天候が待っているんだろう。稲や野菜、果物が順調に育ってくれるといいが。 秋に植えた2本の梨の苗も突然の雪に戸惑っていることだろう。軽自動車たちも雪帽子をかぶっている。
2010年04月17日
コメント(14)
やっぱし 水芭蕉この里山の春の訪れを告げる最初の花が梅。今、桃とスイセンが花を咲かせている。池の脇には恒例の水芭蕉の白い仏炎包が開き始めた。中の黄色い花が見えてくるのは2,3日後だろうか。色々な花が一斉に咲き始めるが、僕にとっての春の花は何といっても水芭蕉だ。尾瀬ヶ原に何度行っただろう。せっかく福島に住んだのだから最後に檜枝岐から尾瀬に入ってみたいものだ。檜枝岐には良質の温泉もあると聞くし、何よりも尾瀬で食べた檜枝岐村の蕎麦の味が忘れられない。 ソーラーライトの案内人水芭蕉の脇から玄関までの登りのアプローチに3~4メートおきに置いたソーラーライトが赤や黄色に光っている。 手前が黄色いキノコ型 次が河童くん 3月末に降った雪に埋もれた時の河童君 上から4番目のフクロウくん
2010年04月14日
コメント(12)
伐木から仮伏せまでキノコ栽培は一昨年の春のシイタケづくりが始まりだ。去年の春にはナメコとヒラタケもやってみた。昨年の秋に結構な量のシイタケが発生したが、2、3日見ないでいると、あっという間に10センチくらいの大きさに化けてしまう。しかも冬近くなると獣の格好の餌場になってしまい、見に行かないとすっかり食われて跡形もない始末だ。今年の秋は、このシイタケに加えて上手くいけばヒラタケナメコが収穫できる予定だ。今年も3月と4月の始めにかけてシイタケ、ヒラタケ、ナメコのほだ木づくりをした。今年は少し多めにした。一度接種して菌が蔓延したホダ木は、うまくいけば3~4年は取れるというから結構長期間楽しめそうだ。伐採 昨年の12月に畑の採光の邪魔になっている伐り倒して原木を準備しておいた。それを3月になって1メートル程の長さに切って家まで運んだ。きのこの種類によって原木の木も違う。今回はコナラ、ブナの木、クヌギだ。 種駒の打ち込み今回の種駒はホームセンターから買ったのものではない。昨年11月に開催された「森林所有者のためのきのこ再チャレンジ支援事業」の『福島県キノコ振興センター』が開発したもの。500駒入って1500円。プラスチックの円筒の容器に菌が白く蔓延したオガクズの中にびっしり詰まっていた。見るからに菌がウヨウヨいそうな感じがする。 ドリルで穴をあける。原木直径の2倍の種駒を目安というが少し多めにする。穴をあけた所に駒種を打ち込む。500駒というと結構の量だ。シイタケ、ヒラタケ、ナメコそれぞれ原木を30本くらい必要とした。 仮伏せ打ち終わったホダ木を積み上げ、乾燥を防ぎ、シイタケ菌を活着させるため竹枝を上から覆っておいた。今月いっぱい仮伏せしておいて、来月には伏せ込みをする。
2010年04月10日
コメント(18)
白石へのぶらり旅連れ合いを迎えに行ったついで東北本線に乗り込んで白石まで足を延ばしてみた。駅前の交番も白石城に合わせておしゃれだ。腹ごしらえにJR大人倶楽部の吉永小百合が食べているポスターに惹かれてうーめん(温麺)を食べることにした。駅前に元祖うーめんの店というのがあったので入ってみた。「牡蠣うーめん」と「かき揚げうーめんセット」を注文。かき揚げは随分と大きな器だ。ところが箸を入れると2センチちょっとの厚さで昔ながらの上げ底かと気落ちさせられる。だが待てども温麺がやってこない。ん?!待てよ、もしや… そうでした。かき揚げ丼の下が温麺というからくり。温麺は素麺を短くした感じだが素麺のように、つなぎに油が入っておらず塩だけで作っている。鰹節の出汁をいかした香りを大切にした塩味で喉越しがよく、さっぱりして旨かった。 満開には人出が出るのだろう。桜祭りの準備も整っているが肝心の桜はまだ2分咲き程度だ。見物人もわれわれの他数人とまばらだった。
2010年04月09日
コメント(8)
その1 塩水選品種は、うるち米がコシヒカリとヒトメボレ、もち米はこがねもち、それに今回初めてお隣から頂いた鳴子の米(山間の寒冷地に向いた新しいコメ「東北181号」)、それと古代米(紫黒米)。鳴子の米は今回試しに苗箱1枚だけ作り、美味かったら種籾にして増やしていく予定。最近では普通の農家でも苗をJAから購入するところが増えているというが、有機農法では種籾の段階から無農薬のものを使うので、どうしても自分の手で育苗することになる。昨年収穫したものの中で比較的立派に育ち、大粒なものを別の袋にとっておいて、これを塩水(比重1.17 生卵が8部程度浮く状態)に入れ沈んだものだけを種籾にする。古代米は軽いので水選にした。 東北18号の塩水選塩水選したものを水で洗い、60度の湯に6分間浸して熱消毒する。直ぐに水で冷まして、積温100度を目安に水に漬けておく。普通はポンプで空気を送り酸素を水に含まさせるが、ここでは山からの水を垂れ流して酸素が水中にん混じり込む中に浸しておく(低温長期浸種) 。測ると5度なので20日漬けておくと積温が100度になる按配だが、暖かくなると水温も6~7度位まで上がるので、もう少し短くても大丈夫だろう。 山からの水をかけ流して浸種この後、25度の湯(風呂に湯船を利用)に一晩(約15時間)漬けて籾が鳩胸の状態に催芽させてから種を撒く(次回4月10日過ぎ辺りに紹介)。 その2 山の土の採取山の土は酸性で稲の苗土に適しているという。特に松の生えている下の土は酸性で良質と教えられたので裏の松山から採取して来て2ミリのフルイにかける。 これに有機農業用の元肥を7対3の割合で加えてかき混ぜておく。カビが生えるので種蒔きをする直前がいいという(次回4月10日過ぎ辺りに紹介)。
2010年04月04日
コメント(14)
皆さん上手♪のど自慢の予選会があるというので誘われて行ってきた。勿論観客としてですよ。のど自慢の本番は4000人を超える観客の申し込みで敢え無く落選。その前日に出場者を決める予選会があり、こちらは先着順で観ることができるという。23名くらいの出場者に250名を超える参加希望者。12時半から始まって、一人の持ち時間が40秒で5時半までかかるという。とても最後までお付き合いできなかったが100人分は聞かせていただいた。知り合い二人が申し込んでいて、なかなかの腕前(のど自慢)だ。一人は地元のカラオケサークルに入り大分力をつけている。もう一人は坊さんの修行の経験もあり読経で声を鍛えてきた。でも、結果はダメだったようだ。それにしても皆さん上手い!声も良い!その中でも学生服を着た高校生の歌と初老の二人組の「あずさ2号」が印象に残った。彼らは出場枠の中に入っただろうか。明日観ないと分からないが、楽しみだ。人も大分集まったようで、出店もあり、簡易トイレも整備されて、この町にとってはちょっとしたイベントがやってきたようなにぎやかさだ。
2010年03月20日
コメント(14)
気前がいい! 地方都市 30分無料福島駅前の駐車場が30分間無料で使える。ちょっとした買い物や駅での送迎に重宝している。 しかも、その駐車場の敷地内に交番があるので防犯上も安心。今回、連れ合いが2週間ぶりに帰ってきたので迎えに行って利用した。待っている間、ドトールでコーヒーも飲めた。ここ以外にも土日祝日は県庁の駐車場も無料で解放されている。駅から12分ほど歩くのが面倒だが、休日に小旅行する時などに便利だ。なんて住みやすい所なんだ。ビバ 福島 !!
2010年03月18日
コメント(12)
難しい本の読後感本の紹介をブログに書くと、他の人に読後感を押しつけているようで気が引ける。そのつもりは全くないが、たいして興味がない本について読まされる立場は苦痛ではないだろうか。初めっから、そういう時はコメントしない手もあるが、それも寂しいものだ。だがお付き合いいただける人には申し訳ないと思う。そこで、本だけでなく、別の話題も入れるようにしたり、違った類のものを二冊読んで紹介するのはどうだろうと思い立った。そうすればどちらかにコメントをしていただけるのではないかと思う。前回でいえば、図書館と美術館の話題も入れたように。『動人物 動物のなかにいる人間』(日高敏隆 福村出版)さて、この本のタイトルがふるっている。人と人以外の動物の関係を書いているが、人も勿論のこと動物だ。「動物はどこまで動物か」とかタイトルをいろいろ悩んだという。このタイトルのヒントをくれたのが京都の梁山泊主人の橋本憲一さんだと、あとがきに書いてあった。吟味された天然魚介と、旬の京野菜など、素材の持ち味を生かした割烹料理のご主人だが、美術品のコレクターであり、自らも陶芸をやり、エッセイや書くという芸に秀でた人の提案というのはうなずける。この本の中でさまざまな人間と他の動物との共通点を紹介してくれている。動物と学習の関係も興味深い。たとえば鳥のさえずりについて、かつては「本能的」なものと考えられていた。けれども孵化させ完全に隔離飼育したところ、まともにさえずることができなかったという。本能的、生得的と思われていた行動も実は学習経験を要するというのだ。ではすべての鳥がそうかというと、例外もある。鶏だ。孵化後耳を聞こえなくした鶏は、殆ど正常と変わりがなかったという。さて人間はどうなんだろう。多分に育つ環境に左右されているように思うが果たして...こうした興味につきない話題が次々と展開される。面白い本だ。『 多元化する「能力」と日本社会 -ハイパー・メリトクラシー化のなかでー 』うーん これは何じゃい と思いながらも読み始めた。というのは、前回紹介した『シニアー世代の学びと社会』の中で参考文献として引用されている個所が興味深かったから、先日返しに行ったついでに借りてきた。難しいタイトルのわりに調査結果を分析して具体的で分かり易かった。何よりも説得力のある論理の展開が魅力的だ。ハイパー・メリトクラシーとは「むき出しの」メリトクラシーの意味で、著者(本田由紀 教育社会学)の造語だという。メリトクラシーも馴染みがないが、「能力」ある人々による統治と支配が成立している社会を意味するという。ちょっと前までのメリトクラシーな社会では、勉強を一生懸命すれば、まずは成績や学歴などを手にすることができ、学校を出た後の社会的地位もかなり確実に予測することができた。人々のたどるべき道筋が整えられており、人生における原因(努力)と結果(地位達成)の結びつきが明白だった。ところが今求められている能力は、ちょっと違ってきたようだ。確かに経済界が求める人材像には、これまでの努力とはなじまない、主体性や独創性、プレゼンテーションやコミュニケーションの能力、論理的思考力などの能力がよく言われている。このような、一人ひとりの人格や個性の中に踏み込み、「むき出しに」にするような能力がハイパー・メリトクラシーの社会だという。そこでは個々人の何もかもをむき出しにしようとする視線が社会に充満し一挙手一足投、微細な表情や気持ちの揺らぎまでが注目の対象となっている。ある面、個人の尊厳まで土足で入り込んでくる。しかも、そうした能力は個々人の幼児からの日常的な生活環境、家庭(たとえばコミュニケーションのゆとりのある家庭とそうでない家庭)に大きく左右されるものだという。めぐまれた環境条件で、それを身につけることができた者は、力強くこの社会を泳ぎ渡ることができ、不十分な者は途方に暮れざるをえない。社会的不平等という問題もはらんでいる。確かにそうだ。知らぬ間に、自分でも職場でそういう人材を求めていた。やれるかやれないかを斟酌せずに、ロジカルシンキングを当然と要求し、事業の随所でPLAN(計画) - DO(実行) - SEEあるいはCHECK(検討)をやってきた。これって、人によって当たり前でも、人によってまた随分と無理強いになっていたことだろう。最近思うのだが、この歳になると、ある事柄や出来事、時には言葉にぶつかると、そこから過去の事柄や出来事を思い出すことが多くなるが、そのほとんどは良い思い出よりも、反省的なことが多いような気がする。僕の性格によるのだろうが、また脳の記憶というのは、そういうものなのかもしれないと慰めている。
2010年03月13日
コメント(10)
昨日やっておいてよかった 踏み込み温床いやー すごい雪。昨夕から降り出した雪がまだやまない。何センチ積もるつもりだろう。 2階のパソコン机に座って窓の外を写す心配でビニールハウスの雪おろしにいった。えっこらえっこら膝上の雪をラッセルしてハウスまでたどり着く。ビニールハウスは無事だった。 踏み込み温床毎年、苗を育てるために踏み込み温床を作っている。これは落ち葉と米ぬか、ヤエ(山羊)の糞尿の混じった敷きワラを何段かに重ねて水を撒いて踏み込むと、発酵して40~50度くらいにまだ発熱する。この熱が25度位に落ち着いたところで上に苗箱を置いて発芽を促し生育するというもの。エコで環境にやさしいだけでなく、ここで使った温床が2年くらい経つと、良い苗床土になる。一年目は、畳を使って小屋の中に作ったが太陽が当たらず、しかもネズミに荒らされ完敗した。2年目、3年目は外に作ったが最初はいいが、雨が降ったりすると温度が下がってしまい管理が難しかった。そこで今回はビニールハウスの中に作ることにした。食べるばっかりの山羊のヤエが役立つ時だ。 この黒っぽいワラがヤエの糞尿の産物 まず長方形に四つ角に杭を打ち込み、それを挟むように四方を竹で上下2段に組む。その挟んだ竹の中に昨年収穫した藁を差し込んでグルっと立てかけ壁にする。 米糠を入れたところその中に先ずは細かく裁断したワラを敷き、次に落ち葉を入れ、米糠とヤエの糞尿がたっぷりしみ込んだ敷きワラを入れ、また落ち葉。これを繰り返して、最後に水を撒いて踏み込む。あまり広くないビニールハウスなのでこの温床はけっこう場所をとる。来月には稲の苗作りのプールもこの反対側に作る。狭い中で食べごろのカキ菜(2度目の収穫)とホウレンソウの子どもが窮屈そうにしていた。 ホウレン草 カキ菜
2010年03月10日
コメント(12)
まだ返したくない うーん困った図書館の貸出期間は2週間。期間内に連絡すれば一度だけ2週間延長してくれるが、今回借りた5冊は既に延長していただいたもの。その内の4冊は読了したが、1冊が前回も借りた『図説 竹細工の実際』(富民社 佐藤庄五郎 昭和25年発行 430円)だ。こういう解説書はずーと手元に置いといて、分からなくなった時など必要に応じて紐解きたいものだ。 こちら返しに行った県立図書館 お隣の美術館竹細工はまだ竹割りと剥いでヒゴを作っている段階で、幅も厚みもまちまちだから編むまでの道のりは遠い。その幅や厚みは作る籠や笊によって違ってくるから、次の段階に移行するにも参考図書は身近に置いていつでも読めるようにしておきたい。いろいろと本を調べた中で、この本が最も詳しく、丁寧だ。だが如何せん昭和25年もので図書館にしかない代物だ。また来週も借りるか、コピーするか。著作権法では公表後50年まで保護されるというから、こちらの心配はない。自宅のプリンターでやってもよいが、これだけのページをコピーするとなるとインクが切れてしまうだろう。よっしゃぁ!! スキャンだ! さてどうしよう!と悩んでいる時、ピカーンと来たのがプリンターが複合機だったこと。こういう機能が付いているからこそ買ったはずなのに、すっかりスキャナー機能が付いていたことを忘れていた。情けないほど頭の回転が悪くなっている。よっしゃぁ! これでパソコンに取り込んでおけば、いつでも読めるし、必要ならプリントアウトもできるのだ。しかも画面に出てきたものをズームアップすれば、本で読むよりも遠視の目にはやさしい。単に忘れていただけなのに何だか得をした気分なのもおかしい。 今から20年前に家族旅行で福島に来たことがある。その時に観光バスで案内されたのが、この美術館だった。いまも綺麗だが、当時は開館されて7年くらいだから真新しかった。しかも特設だったか常設だったかミレーの『落ち穂拾い』が展示されていて感動したのを今でも憶えている。その美術館の隣が県立図書館で、右側の広いガラス張りの窓の側に閲覧机があって、陽だまりでのんびりと好きな本を読むのは冬場の最高の贅沢だ。図書館と美術館の間には連絡通路があって、その中間にレストランがあり腹ごしらえもできる。
2010年03月05日
コメント(11)
図書館もいいなぁ竹細工の本探しから図書館が今、マイブームになりつつある。サラリーマン時代は、読みたい本というよりも読まなきゃならない本が多数を占めていたが、最近は読みたい本が中心だ。もとより難解なものは敬遠してエッセイものとか小説ものがほとんどだ。大半はネットでブックオフから105円のモノを探し出して送ってもらっていた。だが、このところ県立図書館に行ったついでに開架式の本棚や新刊コーナーに立ち寄ることを覚えた。今更ながら図書館って、こんなにも豊富に本があったんだと実感した。ネット上ではタイトルでしか判断できないけど、図書館だと手にとって"はじめに"を読んだり目次を見て内容がある程度見分けられるのが嬉しい。もちろんタダなのが最高の魅力だ。お陰で読書のジャンルも広がった。 最近の2冊『知ってほしい アフガニスタン 戦禍はなぜ止まらない』(レシャード・カレッド 高文研) 著者は、アフガニスタン出身で日本に留学して医学を学び、静岡県島田市で病院や社会福祉施設を開設して運営しながら京都大学医学部の臨床教授でもある。同時にNGO「カレーズの会」を立ち上げ、アフガニスタンの復興支援活動も行っている。このところ以前に比べ報道の機会が少なくなったが、自衛隊の派遣の関係やNGOのスタッフの殺害ニュースなどで目にし、耳にするアフガニスタンやイラク。でもこの戦争がどうにも理解しにくかった。 読んでいて大国に翻弄され、大国に利用された複数部族・武族の対立が根にあることを知った。古今東西、戦争は弱者を犠牲者にしているが、ここでも6割以上が子どもと女性だという。復興を願って国連を通じて莫大な金が投じられているが、実態は武装集団の武装解除や社会復帰の検証がないまま、巨額な資金がどう使われ、どう役立ったかか不明のままだそうだ。最近は地方の治安が悪化し一般住民がまた犠牲になっているという。その原因の一つが国際社会から提供された援助金の不公平で効率の悪い分配と、それによる格差の拡大(一部の政府役人が豪邸を建て豊かな暮らしをし、一方で多くの一般市民が衣食住に事欠く生活を強いられている)からだという。報道からだけでは解らない内実がずいぶん歯に衣着せずに書かれているようだ。しかも長年続けてきた医療・教育のボランティア活動を通じて得た情報だから信憑性も高く納得させられた。今度報道ニュースを見たときに、少し見る目が変わるような気がする。もう一冊は『シニア世代の学びと社会』(牧野篤 勁草書房)。山里に籠り自給・自立・自律した生活を目指しながらも、今一つ心穏やかでないのはなぜだろう。同じシニアの皆さんはセカンドステージをどのように生きているのだろうかと関心を持ったのが読む動機だ。2001年と2007年に実施した調査をもとにシニア世代の価値観と生き方を分析してる。団塊の世代以前と、団塊の世代が加わった2007年の違いが興味深かった。自分の属する団塊の世代に一脈通じるものがあった。大まかに言うと2001年のシニアが「健康」「社会貢献・ボランティア」「趣味」「仕事」「家族」に深い関心を持って生きているが、意識は、自らを家族、友人・知人そして社会との関係の中において、自分がこれまで生きてこられ今ここにいることに感謝し、その感謝から恩返し・人様に迷惑をかけない生き方をしようとしている。これに対して団塊の世代が加わった2007年の特徴は、関心を持っていることは順序は若干異なるが「健康」「趣味」「家族」「ボランティア・社会貢献」「経済」「仕事」と変わらないが、「好奇心と自己中心性」が意識として根底にあるのが特徴という。自分を強く社会に押し出して社会の様々なことに強い好奇心をもって、しかも自分自身にも強い関心を持ち、積極的に前に前進しようとする強い自律性と自立志向を持っているという。なるほどと思う。確かに自分の中にも「好奇心と自己中心性」の意識が強い。だが新しいことに立ち向かっているときは良いが、これはどこまで持続するものなのだろう。息切れしないのだろうか。自己中心性のもとで心の穏やかさ、和やかさは保てるのだろうか。この本では残念ながらそこまでは触れていない。
2010年03月02日
コメント(16)
冬の会津から春のきざしの中通りへ先週、有機農業の会合があって猪苗代湖に行ってきた。一晩駐車しておいた車に30センチほどの雪が積もっていた。ここはまさに冬真っただ中だ。今回参加する気になったのは宿泊先のホテルの料理長の特別講演が企画されていたこと。地元の農家やホテルの畑で作った野菜を使った地産地消の料理のもてなしが、このホテルの売りだ。 それぞれの野菜の旨味を引き出すことをモットーにしているという。夜の宴に出た料理は、素材は自分の畑で作る野菜と変わりがないのにシェフの腕にかかるとご馳走になっていた。講演のレジュメに詳しくレシピが載っていたので帰ったら早速に、どれか一つでも真似て作ってみようと思う。 雪解けの合間から蕗の薹翌日の帰路の磐越道は横殴りの雪が降っていた。ところが郡山のジャンクションに近づくにつれ雪はやみ、中通りは晴れ間さえ覗いていた。翌日、田んぼの畦に行ってみると雪解けの草の中から蕗の薹が顔を出していた。地産地消の最たる山菜。さて、どうこの旨味を引き出そう。と思いながら結局は蕗味噌と天麩羅に終わりそうな感じがする。
2010年02月27日
コメント(13)
厄介な節ヒゴ作り3年というそうですが確かにそんな気がしてきました。連日の雪でクウの散歩とヤエノの餌をやるくらいしか外へ出ません。その分、家の中でオリンピックを見ながら(実際はテレビを聞きながら)ヒゴ作りに挑戦しています。新しく購入した新潟の鍛冶屋による手作りの竹割り鉈(両刃)。長く使うことを考えちょっと無理して買ってしまいました。、まずは1本を真ん中で2等分します。さらに半分に割っていきます。割った竹の先に6ミリ間隔に印をつけて、およそ偶数部分の半分当たりをさらに割っていきます。割るときに注意するのが木本竹末といって、竹は末(先のほう)から割ると上手く割れるといいますが、これがどうしてどうして初心者には難しいです。1本目の竹は素直で真っ直ぐに割れました。正に竹を割るようなスッと気持ちよく割れました。ところが 外観からは分からないのが竹の癖。見た目には良さそうな竹でも割ると節の所でグニャっと曲がってしまいます。竹は真っ直ぐに割れると思っていたので、これは意外でした。2本目の竹がそうでした。竹林から切りだすときの材料選びのコツがよくわかりません。曲がったものは初めから度外視してはいるのですが、まだほかにも条件がありそうです。 左側が癖のある竹、その隣は真っ直ぐに剥いだひご 次は割った竹を薄く剥ぐ作業です。これについては次回詳しく紹介します。 剥いだヒゴ。幅はこれから。
2010年02月19日
コメント(16)
本と研修から冬のこの時期は、毎年、充電期間でもある。本を読んだり、気になる研修会に参加できるのもこの時期だ。主催者側も雪が降って何もできない、この時期に開催してくれる。自然を満喫しているものの、冬の厳しさに対峙すると、その素晴らしさ以上に過酷さに滅入ってしまうこともある。そんな自分を励ますために改めて自然=森林について知ろうと思った。一つは『癒しの森で心身をリフレッシュ 森林療法のすすめ』(上原巌 コモンズ)の本だ。実践例が中心で理論的には物足りないが、その分読みやすい。いくつか紹介されている具体例の中で面白いと思ったのは、「里山を利用した知的障害者の療養」(4章)と「森林カウンセリングの可能性」(3章)だ。サナトリウムや健康保健施設は別にして、これまで福祉施設の里山の中での開設は往々にして人里離れた所に隔離するというように一般的に否定的に捉えらていたように思う。この実践例では野外活動を通して利用者の能力や個性を引き出したり総合的なリハビリテーションを試み、一定の成果を上げている。自然の中に閉じ込めるのではなく、反対に豊かな自然を積極的に活用するという発想の転換だ。「森林には言葉はない。しかしながら森林のなかに入るものそのままの姿を包み込み受容する。受容こそがカウンセリングの基本的な要素である。森林がカウンセリング空間ととして利用できる最大の理由は、ここにある。」 なるほどと思った。 丁度この本を読んでいたときに、昨年の秋に参加させていただいた「キノコ栽培の研修会」の関係機関から思いもよらない案内状が届いた。『林業普及指導員全体研修会・林業研究グループ等活動発表会』(主催:福島県、後援:福島県林業協会、福島県林研グループ連絡協議会)だ。そもそも林業普及員という言葉も初耳だし、林業研究グループという存在も知らなかった。一日かけて実践発表報告があるという。「子どもの森づくり」とか「子どもたちと森のいい関係作り」などの報告事例のタイトルが魅力的だった。午前中は林業普及指導員の実践例で、聞いたこともない林業の専門用語が頻繁に出てきて半分も理解できなかったが、午後は里山に住む人たちの地域実践で、どれもすばらしく関心をひくものばかりだった。とくに『森林資源活用による環境学習、交流事業の展開』(NPO法人 りょうぜんさとやま学校)には目を見張った。盛んだったシイタケ栽培の村が高齢化とともに廃れていく中で消費者と生産者との交流を通してオールシーズンの体験交流の場づくりに発展していった経過が報告された。なによりも「交流を通して、こんなことをやりたいという小さな声があがったら、それを大切にして村の中からできる人を捜して具体化する」という積極的な姿勢には、だからこそここまで発展させることができたんだなと納得させられた。 自分だけで、この可能性を秘めた豊かな空間を独り占めしてはいけないなぁと思う。ここに、これから僕がやらなければならない何かヒントがありそうな気がする。
2010年02月11日
コメント(12)
携帯にあった写真先日、パソコンが突然おかしくなって再セットアップをしました。ちょっと面倒でしたが、その結果不要なものを整理できたり、ちょっと動きがおかしかったソフトを再インストールしたりしてスムースに動くようになったり、けっこう好いこともありました。 この画像も、動かなかったau Music Portが不思議に動くようになったお陰です。携帯電話のmicro sdの中に入っていたんです。昨年の6月に何処かで写した写真です。それにしても、こんな綺麗な夕日を何処で見たんだろう?!思い出しません。困ったものです。今度連れ合いが帰ってきたら訊いてみます。
2010年02月09日
コメント(14)
少しやせっぽちな箒竹カゴや竹ザルづ作りは竹が乾かないとヒゴができないので暫し休まざるを得ない。その間にほうきづくりに挑戦してみた。雪国にはこんな便利な雪かきの道具(写真)がある。上のはスコップみたいに使い、下のは押し出すように使う。どちらも雪がある程度積もると本領を発揮するが、少量だとかえって負担がかかる。2~3センチくらい軽く積もった雪だったら踏みつける前に竹ぼうきでサッサと掃いた方が数段楽。このところの雪で、下の入口から玄関までのアプローチを数回掃いたら箒がイカレテしまった。まぁ、箒は買えば安く手に入るが身近に材料は山ほどある。竹の先の枝葉は冬場のヤエ(山羊)の貴重な青物。その葉を食べ終えた竹枝が箒をつくるのにピッたしなのだ。捨てて放置しておいたのでうまい具合に乾燥している。これを無駄にする手はないと、今使っている箒を参考にして作ってみることにした。柄にする竹先にまずは一周ぐるっと適当な寸法に切った竹枝を14本くらい巻いて針金で留める。その上から柄の手前に1周、竹枝を15本~16本位重ねて針金で留める。下と上の隙間に小枝を適当に刺し込んで針金で留める。最後に根元を針金で留めて完成。最初なのでちょっとスリムすぎたようだ。二、三度と作ればそのうち腕も上がるだろう。 下が自作の箒
2010年02月04日
コメント(20)
竹炭もいいが、その前に竹細工に挑戦家の傍らの竹は冬場はヤエ(山羊)の餌になるが、他に使い道がない。春に生えてくる乳児のタケノコはいただくが、必ず取り残しがある。気がつかないうちに幼児期を終え少年期にさしかかっていたり、青年から完全に成人してしまったものなどが20本ほど見つかる。少年期(勝手に2メートルくらいと思っている)くらいだと引っ張ったり、足蹴にして折るのも容易だが、青年やら大人の竹は足蹴にもできない。何よりも切った後の使い道があまりないのに困っていた。先端の細いほうは枝を払って野菜の支柱に使えるが太いほうは竹藪の横に積んでおくしかない。前から竹炭を焼こうと思っていたが窯作りが容易でない。竹炭にすれば畑にまいて土壌改良にもなるし、焼いた時の副産物の竹酢液も消臭や殺菌・防菌・防虫効果などがあり幅広く利用できそうだ。暇(毎日暇なんで取っ掛かりかな)を見つけてドラム缶窯を作ろうと思う。そのためのドラム缶も2本知り合いから頂いた。あとはその気になるだけだが、趣味の世界だから逼迫するものもなく、これがなかなか足元に火がつかない。そうこうしているうちに竹細工に興味を持った。先住者が遺していってくれたザルや籠がとても便利で重宝している。その籠の一部が壊れてきたのだ。自己流に修理しながら使っていたが使い勝手がいま一つだし見てくれも良くない。というわけで本を図書館から借りてきて読んでみた。これは一筋縄ではいきそうもない。奥が深そうだ。しかも実用的。体力もさほど使わなくてよさそうだ。それに加えて家の周りには遠慮容赦もなく竹が生え出てくる環境だ。というわけで軽佻浮薄な私は、またまた未知の新しい世界に迷い込むことになった。参考にした図書は『図説 竹細工の実際』(富民社 佐藤庄五郎 昭和25年発行 430円) 『竹細工入門』(日貿出版社 稲垣尚友 平成21年発行 3500円)で、どちらも県立図書館から借りた。後者は写真がついて、編み方もひごの色を変えて解りやすいが、籠の種類や編み方の種類が少なすぎて物足りない。入門とあるので仕方がないことかもしれない。反対に前者は戦後間もなくの出版でカラーはおろか写真はもなく図のみの解説だが、内容が豊かだ。ただ旧字で、長さも寸尺という世界なのは、戦後生まれには少々つらい。値段が時代を感じさせる。 1.竹を切る竹を切るには鋸か鉈を使う。家の竹林は密林状態で振り上げる余地がないので竹用の目の細かい鋸を使っている。年数は用途によるが縁用は若くてもいいというが、大体3年以上5年くらいのものがいいという。竹の種類も真竹は節間が長く籠作りに最適なようだが、ここには孟宗竹しかない。孟宗を使っている地域もあるので、無いものねだりはしないで自分のところにあるものを使う。 2.竹の油抜き竹の表皮には油がコーティングされていて、それゆえに雨にあたっても腐敗しないのだが、根元から切った場合はこのコーティングされた表皮だけが残って息をしていないので内部の水分だけが残って腐敗していくそうだ。竹のひごをつくるには、まずこのコーティングした油を取り除く作業が必要となる。その方法は3つ紹介されていた。一つは苛性ソーダーを入れた湯で煮る。二つ目は火であぶり溶け出したところを布で拭き取る。三つ目は木灰をつけたタワシでこすり洗い落す。ここでは後者の方法を使って油抜きをした。 右2本は油抜き前、次は油抜きの途中、左が抜き終わったもの。この油抜きした竹を日陰に1月くらい乾燥させておくと完成。その頃に、次回のひごを作る作業を紹介しよう。
2010年02月01日
コメント(14)
鋸と皮剥ぎ鎌小屋の中を整理していると、これは何に使うのかと思う道具が出てきた。鋸には違いないが柄の形からすると普通の大工用と違って山の木を伐るのに使う鋸だろう。どういう用途によって、この大きさの違いが出てくるのだろう。皆目わからない。使いこなすのにも時間がかかりそうだ。今はチェンソーであっという間だが、昔の人はこんな鋸をとっかえ引返しながら大木に挑んでいたんだろうなぁ。想像するだけで楽しくなる。 もう一つはたぶん生木の皮を剥くのに使うのだろう。昨年鶏小屋を造るのにヒバの木を切りだしたが、皮をむくのに普通の鎌を使って苦労したのでピーンと来た。実際に使ってみると便利だ。ものの30分ほどで結構太い木の皮を剥くことができた(左側)。
2010年01月26日
コメント(18)
日々の生活と隣り合わせな貧困問題貧困問題が山谷(東京)や釜ヶ崎(大阪)、寿町(横浜)といった特定の地域に住む人たちだけのことではないということを教えてくれたのが公園で見かけたブルーシートや段ボールの路上生活者たちだった。それでも、それは特別の人たちのことと思っていたら、日比谷公園の年越し派遣村から始まって派遣切りやワーキングプア、ネットカフェ難民の報道が、貧困は決して特別の問題じゃない、日々の生活と隣り合わせのことなんだと気付かせてくれた。じゃぁ貧困ってどんな事なんだと関心を持って読んだのが 『反貧困の学校 貧困をどう伝えるか、どう学ぶか』、 『反貧困の学校2 いま、はたらくが危ない』(宇都宮健児、湯浅誠編 明石書店)と 『「使い捨てられる若者たち」は格差社会の象徴か』(原清治、山内乾史著 ミネルバ書房)の3冊。前者を読み終わっての感想は、この問題は一筋縄では解決しない根が深い問題だということ。景気や企業倫理の問題はもとより税制問題、教育問題、女性差別の問題、医療や保健・福祉の問題にまで広がりがあることを知った。とはいえ手をこまねいているだけでは、いけないほどことは深刻なようだ。何はともあれ「労働者派遣法」の改正が急務のように思える。派遣会社は「自分で時間を選べる」「いろんな職場や労働を体験できてスキルアップになる」「派遣労働は希望して自らが選択している」というが、どうも実態はそれほど安易でないし楽観できそうもない。一度沈みだすと前の首相が行っていた「再チャレンジすればいい」など到底不可能なくらい雇用関係は厳しい現状にある。「自由」という言葉を聞くと惹かれ、それだけで賛同したくなる気持ちが僕にはあるが、どうやら、ここ10年くらいの「新自由主義」といわれる政策に世の中全体がシテヤラレ、その弊害があっちこっちに社会のひずみととして生じている。セイフティーネットの社会福祉も必要なところに行きわたっていなし運用もシビアなようだ。そういえば7,8年前に生活保護基準が高すぎるって声高に批判されて弱者切り捨てがまかり通った。でも、ひずみの中から救済されずに悲惨な日々を送り、住まいを追われ路頭に迷う人たちがいるのも現実だ。知れば知るほど、この日本が成熟社会なんて誇っていられない気がしてくる。後者の本で触れていたのが新自由主義をバックボーンにした教育における不平等と格差の拡大の実態だ。例えば学校での「ゆとり教育」も、この時期の教育改革の一つだが、平成14年に授業時間が小学校で418時間、中学校で210時間削減された。その結果子どもの学力が大きく低下した。しかし塾や家庭教師などで補完できる学力上位組の子どもたちには低下は見られず、塾などに行かない(行けない)子どもに低下が見られたという。こうした下位組の子どもたちの延長に、不況のもとで厳しくなった就職競争から安易に降りてしまい、手じかなアルバイトにつき、結果として使い捨てられていく姿と重なるものがあるという。子どもたちに夢をもたせられない社会、国ってやはりおかしいと思う。久しぶりに農業関係や小説・エッセイ以外の本を読んだ。世捨てものみたいな気分で生きていても所詮は社会や他人との関係の中でしかで生きていけないのだから、こうした時事にも無関心であっていけないのかもしれない。このところ無関心を装っていた社会とのつながりを、ここらで少しだけ改めてみようかという気にさせられた本だった。貧困問題が少し見えてきた。その構造にも少し踏み込んで関心を持たねばならない思った。
2010年01月19日
コメント(15)
唯一の青物 かき菜外は雪が積もっていても日中のビニールハウスの中は別天地。この「かき菜」は露地では5センチほどしか育っていませんがハウスの中ではこのように食べごろです。葉を欠いて収穫するとしばらくするとまた出てきて春まで食べられます。おひたしにしていただいてます。この時期の生野菜はハウスの中のニンジンとネギがあるくらいで、収穫して土中に埋めておいた大根と新聞紙にくるんで家の中に保存しておいた白菜くらいです。春の移植を待つブルーベリーとイチゴこちらに来た翌年に植えたブルーベリーは80本のうち8本が枯れたり虫にやられてしまいました。このうち3本は補植しましたが、写真の2本(3年もの)は、年が明ける前に隣町の神社の冬祭りに行ったときに苗木市で安く手に入れたものです。このときに一緒にユズも買いました。これも一緒でいくらにしてくれる?と交渉したら予想外の値段で商談が成立しました。 イチゴはあるショップで秋のシーズンに目をつけておいた苗です。シーズンが終わるころに半額になったのを見計らって購入しました。移植するタイミングを外してしまったので大きめのビニールポットに入れ替えておきました。
2010年01月18日
コメント(8)
上手くいった 福神漬 上々な出来で味も良い。前回は二か月くらいでカビがはえたので今回は特に水分に気をつけた。先ずは塩出しした野菜を前回は手で搾ったが、今回は重石で一晩しっかり水をきった。さらに残留水分があるので煮たてて冷ましておいた醤油に予め漬けてから本漬けした。一か月したら用心して冷凍庫に保存しようと思う。これでしっかり漬かった福神漬が次回作るまで1年間、酒の友になってくれそうです。【材料】 野菜…塩漬けしておいたキュウリ10本、ナス10本、タケノコ二分の一、紫蘇の実1カップ、ぬか漬けした大根1本、塩で即席漬けした大根(赤カブ大根1本、普通の大根1本)とニンジン3本、レンコン中二分の一本(これだけは自家栽培してないので生協で購入)、発泡スチロールに保存しておいた生姜350グラム、冷凍庫に入れておいたミョウガ10個漬け汁…醤油1.5リットル(500ccは水分を減らすために事前に漬ける用に煮たててお く)、残りの醤油1リットルに酒500cc、みりん1カップ、ざらめ1キロを加え煮たてる
2010年01月11日
コメント(20)
ももしきや… 「し」と「ひ」小学生のころ、正月に恒例になっていたのが百人一首のかるた遊びだった。高校生や中学生の姉三人に混じって末っ子の僕はいつもビリッケツだった。でも必ず1枚だけはとることができた。それが ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 順徳院 小学生の僕は、これを勝手に軒端にかかったももひきを懐かしんだ歌と理解して、この下の句を目ざとく見つけてはそっと自分の近くに正面を向けて置いておく。読み手の母が目配せしてくれて「も」と読み出したらつかさず”ハイ”と得意げにとったものだった。今なら、さしずめ 山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば 源宗干朝臣 だろうか。僕が得意だったのは坊主めくりだ。着飾ったお姫様が大好きだった。正月を迎えると想い出す。 皆さま 今年もよろしくお願いいたします。
2010年01月06日
コメント(20)
最後は涙なみだの年の瀬今年最後の小説『悼む人』を読み、映画『半落ち 』を観た。最近は、涙が出るほどの感動を覚えるとワナワナと胸が震え嗚咽してしまう。読み終わり、観終わるのが惜しくて途中何度も本を読むのを中断し、DVDを止めたことだろう。 第140回直木賞受賞作『悼む人』は見も知らぬ人を悼んで全国を訪ね歩く青年 静人の話。どんな人でも何処かで誰かに愛され誰かを愛し、感謝し、感謝されて生きてきた。静人はその一片を心にしまい悼む。自殺者が年間に3万人を超えるようになって久しい。交通事故による死亡者も膨大な数に上る。こうした死だけでなく、さまざまな病死をはじめ日常茶飯事になった人の死に私たちは麻痺して無感覚になってきていないだろうか。一人の青年の悼むという行為を通して、人が生きるということ、生きてきたという確かさにしっかりと向き合うことが大切であることを知らされた。私もあまたの葬儀や通夜に参列したが、どれほどにその人を悼んで焼香しただろうかと振り返って恥ずかしい思いがする。 『半落ち』のシーン「半落ち」とは「一部を自供する」と言う意味の警察用語。警察学校の教職に就く梶聡一郎(寺尾聡)が、アルツハイマーの妻を殺害したとして自首してきた。しかし殺害し自首して来るまでの二日間の空白について頑なに自供をしない。この半落ちをめぐって被告と殺すことを請うた妻の秘密、事態を強引に収拾しようとする県警幹部、中央検察庁から左遷された検察官、全国紙の地方支局から本社復帰をねらう記者、アルツハイマーの父を抱える裁判官、それぞれの人間模様を通して人は何のために生きるのかを問う。それにしても寺尾聡は歳をとるにつれて父親(宇野重吉)に似てきた。二世俳優では他に三国連太郎の息子の佐藤浩一も好きだ。残念なのは伊藤雄之助を父にもつ伊藤高も上手いのに寺尾や佐藤ほど映画出演に恵まれていない。
2009年12月30日
コメント(10)
モーニングコーヒーを入れる旅の間、僕にも役割分担が一つあった。それはコーヒーを入れるというもの。玄米や茸や野菜は相伴にあずかったので、せめて皆が喜びそうなものはと考えコーヒーとドリッパーを持参した。毎朝、飯を作る横で、湯を沸かして入れる。”美味いですね 毎朝楽しみです” なんて気持ちのいい言葉だろう。年寄りに役割を持たせるというのは確かに生きがいにつながる。若いのによく気がきく。大したものだ。湯治場の雰囲気が残る大沢の自炊部今日はぐーと南下して宮沢賢治ゆかりの岩手花巻市の大沢温泉に泊まる。ここはもともとは自炊が中心だったが、今は隣にホテルの山水閣が立っている。だが何といっても魅力は湯治場の雰囲気を今も残す自炊部。 廊下に障子で仕切られた部屋が並び共同炊事場がある。炊事場には大きな流しとガスコンロが並んでいる。このガスコンロも10円を入れて取っ手を回すと何分間かガスを燃やすことができるという時代を感じさせる物。隣ではもう何泊か逗留しているというおばあさんが見事に魚をおろしていた。孫なのか若い娘さんが”ばあちゃん すごいよ”と褒めそやしている。湯治場での家族団欒もいい。いつかみんなで来てみたいと思う。風呂は露天風呂も含めて6つもある。山水閣の風呂は入れないとホームページにあったが、宿の人はご利用くださいと案内してくれた。食事の前に豊沢の湯に入り、寝る前に薬師の湯に、そして翌朝、出発の前に大沢の湯(露天風呂)に浸かり今回の旅の最後の温泉を満喫した。
2009年12月23日
コメント(17)
冬の作業雪の降り積もる前に終わらしておきたかった杣山(そまやま)の木を少しだが伐り倒すことができた。数日まえから上空に居座った寒波が例年ならまだ積もらない山里にも容赦なく雪を降らした。 例年は落ち葉が舞う頃に木を伐っていたが、今年は冬期湛水にするために田の溝を掘り、黒塗りの整備に手間取ったため遅れた。この時期は木の成長が緩慢となり水を吸い上げるのやめているので”切り旬”といわれている。伐った木の一部は来春のキノコを植える原木にしたり、そのまま一年間放置しておいて乾かしてストーブの薪にする。伐採には鋸切りとチェンソーが欠かせない。前の持ち主から山とともに譲ってもらったチェンソーと鋸切りを使った。ところが伐り出してしばらくするとエンジンの調子がおかしなり、とうとう動かなくなってしまった。修理に持って行くと型が古く直したとしても早晩また故障するかもしれないと言う。鋸切りは擦り減ってはいるが目立てさえすればまだ十分に役立つが、機械ものはそうはいかないようだ。潮時でもあり新しいチェンソーを購入した。前よりも排気量が大きいのにもかかわらず30パーセントほど軽量で楽に斜面を持ち運びできそうだ。何よりもキックバックで跳ねあがったときの事故防止のためにストッパーが付いているのがおっちょこちょいの僕にはありがたい。
2009年12月19日
コメント(14)
森のイスキア湯段の宿を出てほどなくすると「森のイスキア」があった。東北地方で放映されたNHK「おいしい東北」で紹介された佐藤初女さんんが主宰する憩いの場だ。映像の中の初女さんの柔和な顔が想い出された。番組では初女さんの心のこもった手作りの料理のもてなしに安らぎを求めて全国各地からが訪れる人を取り上げていた。しばらく佇んでいたが、冬場は閉じているらしく建物だけが静かに立っていて、もう人のいる気配はなかった。 紅葉もおわり閉じられたイスキア(森のイスキアの由来は、こちらのホームページに紹介http://www.geocities.jp/yuki_no_isukia/mori_.html) 遠目でご勘弁を木村さんの自然栽培のリンゴ園に行く途中、これまでの旅の無事を感謝して、またこれからの旅の安全を祈って岩木山神社に参拝した。 写真の右端のとうに40を終えた自称初老の男 木村さんの林檎畑とレストラン山崎温泉地を下っていくと道路の両側に林檎畑が続き、あの甘く酸っぱい香りがする。今が収穫の最盛期なのか収穫したリンゴを満載した軽トラックが行き交っていた。自然栽培の木村さんの林檎畑は他と違って銀色の反射シートが敷かれてなく草も長くはないが生えている。見ただけではその程度で、さほど違いが分からない。弘前大学と共同しているのか実証試験園の立て札が立っていた。間が悪いことに前日から福島に講演に出かけているとのことだった。NHK『プロフェッショナル』の放映以来、講演依頼が舞い込み全国を行脚しているときく。 見るだけでなく木村さんの林檎を味わってみようと、この日の昼飯は奇跡のリンゴを食材にしている『レストラン山崎』に予約を入れておいてくれた。奮発して3150円のランチを注文した。落ち着いたフランス料理の店の雰囲気が漂う店内にはもう4~5組の客がいた。食材の素晴らしさから生み出される料理の一品一品に暫し舌鼓。中でも木村さんの奇跡のリンゴを使った冷製スープは甘酸っぱく、まろやかで絶品な味。遠くまで来た甲斐があった。 連れ合いの土産に買った
2009年12月15日
コメント(19)
少ないが比較的大きいなキウイ一昨年は適当に選定したため殆ど実がならなかったキウイが、昨年は大量に取れて今年の春先まで楽しんだ。今年は懲りて剪定しなかったら昨年の半分くらいしかならなかった。でも実は比較的に大きい。今年も発泡スチロールの箱に保存しておくことにする。今年こそは朽ちた棚を整備して剪定してあげなければなぁ。いただきもののリンゴ同じ部落の人から少し傷がついているけれどと林檎をいただいた。この人が作ったリンゴはしっかり蜜が入っていてすごく甘い。今年は寒くなるのが遅かったので、その分収穫を遅らせたという。早速にいただくと濃厚な甘い果汁が口中に広がった。この林檎と一緒に柔らかくなるように食べる分だけキウイをに入れておいた。
2009年12月10日
コメント(20)
暗夜行路の峠越えから湯段温泉へ 12湖近くの日本のグランドキャニオンを遠目に見ながら28号線で弘前に向かいました。 車中から(ピントが合わないのは相変わらずです) 分かりやすい全景(こちらの写真は借り物)ところが此の道、始めは舗装道路で順調だったのですが上るに連れてすごい悪路に変身。しばらく行くと舗装道路となり悪路もここまでかと思いきや、また凸凹の道につながります。この繰り返しで3時間揺られているうちにあたりは真っ暗になりました。さらに3時間の暗夜行路が続きます。私ならばとっくに脱輪してもおかしくない路です。今回の2000キロ旅はすべてタケちゃんの車と腕に命預けてます。名ドライバーのタケちゃんも真剣そのもので声をかけるのもはばかる雰囲気です。民家の灯りが見えたときにはホッとしました。出迎えてくれた宿の主人は、もう来ないものと思っていたそうです。今宵の客は私たちだけ。炊事場を独占して始まった食事の準備には私も加わりました。刺身用のスルメ烏賊で塩辛と焼きイカ、カレーの魚の煮ものと自然栽培の石山さんからいただいた野菜をたっぷり使った鍋。タケちゃん自慢の越後の酒でかんぱーい。寝大仏の心意気この温泉は江戸時代から湯治場として利用されてきたという昔ながらの静かな温泉地でした。舐めると塩辛い泉質でした。早朝に入りに行くと男湯は掃除をした直後で湯がクルブシ位しか入っていません。裸になっていたのでエイヤー!ままよと、そのまま湯船に入ったものの11月の岩木山の麓はさすがに寒いのです。仕方なく湯船に這いつくように横になりました。身体全体がすっぽり湯に浸かるまで寝大仏よろしく横になっておりました。 宿を出て岩木山を仰ぎ見る
2009年12月07日
コメント(14)
秋田県大潟村の自然栽培の米作り今回の旅は陸奥の温泉巡りとともに”奇跡のリンゴ”で一躍有名になった木村さんの自然栽培によるリンゴと米栽培の見学も兼ねていました。二日目は乳頭温泉を発って一路、先ずは大潟村で自然栽培の米を作っている石山範夫さんの田に向かいました。大潟村は見渡す限り干拓された田園地帯です。見学先の石山さんの田も半端でない広大な田でした。迎えてくれた石山さんは大型のバックフォーで田圃の畦に新しく畑を整備しているところでした。畦といっても5m~6mも幅があり、田も20ha。里山での20a足らずの棚田にせいぜい1mほどの畦幅の私には突然、小人の国からガリバーの国に迷い込んだ心境です。こんな広い田で自然栽培の米を作る?合点がいったのは石山さん自慢の大型の除草機を見せていただいてからです。もともと除草剤を使わない有機農業を営んでいたので除草対策に力を力を注いで、除草機の試作と改良を重ねていらっしゃいました。 チェーンから回転式に改良した除草機(すべて手作りというのがすごい)。大きく頑丈な鉄パイプの倉庫の中はコンバインその他の機械が所狭しとありました農薬や化学肥料を使わない農法は有機栽培、自然農、自然栽培といろいろですが、その中でも自然農と自然栽培は基本的に有機肥料も使わないと聞いています。二つの違いは自然農はできるかぎり耕起をしないのに対して、石山さんの自然栽培の米作りは田起こしを積極的にしています。「栽培」と言う言葉をあえて使うのも自然の状態に人の手を加えていることを表明しておられるからです。もうひとつの栽培のポイントは苗づくりのようで、田に藁と糠を入れ一年がかりで床土を作っていることでした。日本の各地で、さまざまな条件の下で多様な価値観に基づく農法が編み出されていますが、ここの場合は、集約化された広大な圃場で有機肥料をも加えずに自然と対峙した中で生み出されたのが、大型の機械を使った田起こしと除草方法だったのでしょう。我が山里の小さな何段にも区切られた小さな棚田を思い返したときに、所によってはトラクターはもちろん耕運機ですらも入ることがままならない、こういう条件に合う農法は何なんだろうかと改めて考えさせられました。今年試みた冬期湛水もその一つなのかもしれません。 神秘的な青池今晩の宿は青森県の弘前。山越えをする前に12湖に寄りました。一番奥にある青池は、その名の通り青くどこまでも透き通っていて神秘的で吸い込まれてしまいそうです。
2009年12月03日
コメント(11)
陸奥の湯 東北の旅体調がすぐれず暫らくブログを休ませていただきました。訪問してくださった皆さま、連絡もせず御心配をおかけしました。漸くブログを再開する気力が戻ってきたようです。この間、御近所に住む3人の若者が企画した東北3県の温泉地を巡る車の旅に便乗させてもらい元気を頂きました。また私の閑話にお付きいただければ幸いです。先ずは、つれずれを慰めてくれた東北温泉の旅から書き綴ることにします。その1 秋田の乳頭温泉この旅、そもそもはタケちゃん、ユキちゃんご夫妻とトモちゃんの3人が企画したもの。息子のような若者との三泊四日の自炊の旅は魅力的でしたが、一方、長い車中にあって果たして話題についていけるだろうか、気まずくなったりしないだろうかとチョッピリ不安な旅でもありました。しかしそんな心配は杞憂な楽しく元気をいただく旅となりました。最初の温泉の乳頭温泉はひなびた飾り気のない秘湯という言葉がぴったりな温泉でした。泉質は硫黄湯で宿の前に源泉があって、こんこんと湧き出ています。自炊館は茅葺の屋根で各部屋に囲炉裏が切られていて、鍋を囲みながら酌み交わした酒はこれまで味わったことのない無二なものでした。
2009年11月30日
コメント(18)
嬉しい日照りやっと梅干しを干すことができた。塩分をできるだけ少なめ(16%)に漬けているので、今年の長雨続きの天候でカビが心配だった。木になる実というのは梅にしろ、柿にしろ隔年にたくさん実るようだ。今年は少ない年だったが、それでも大梅20キロ、小梅5キロほど漬けることができた。干しざるが大中小三つしかないので、先ずは大梅から干すことにして小梅は後回しにする。 三日三晩干すとというが、天気予報が当てにならないので夜は縁側に戻し、朝早く外に出すことにした。
2009年08月14日
コメント(21)
これは毒キノコのようですが梅雨明け宣言はしたのかなぁ。今日は久々にお日様を拝めました。きのうまでの長雨と曇り空にいいかげん嫌気がさして、気持ちも暗くなりがちでした。太陽ってやっぱしいいなぁ。朝から草刈りをして汗をびっしょりかくことができました。憂鬱な気分もすっ飛びました。これだけ毎日ジメジメしたからでしょうか、ナスの下に真っ白なキノコがありました。これは柄の中がガランドウで抜くと直ぐに崩れてしまうので毒キノコでしょう。透き通るような美しさです。 調べたらシロタマゴテングダケかドクツルタケ、さもなくばタマシロオニタケあたりだろうか。綺麗な薔薇には棘があり、綺麗なキノコには毒がある。ああ! カンカン照りの夏を素通りしてキノコのシーズンがやってきたんだなぁ。今年もとるぞ!
2009年08月12日
コメント(20)
自分自身の言葉で語れ 自分自身で生きたまえ私には忘れられない先生がいる。哲学者のS先生だ。先生の本に埋もれた研究室にお邪魔するのが好きだった。ゼミで先生の著書の書評を提出したときに思いもかけず褒められことがある。その時、たまたま本棚から先生の著書を1冊取りだして、その本の背表紙にサッと書いてくれたのが、この言葉だ。そしてもう一冊、茶色く変色した厚手の岩波の文庫本(確かカントの『純粋理性批判』だった)を所望していただいた。その本には、先生のアンダーラインンが引かれ、欄外の余白に思い付かれた註書きがメモされていた。以前に本棚の掃除を頼まれたときに見つけ、研究者はこうして本を読むのかと、それ以降真似をして書きこんだものだった。この言葉は仕事を始めてからも座右の銘となり、何か文章でまとめるときにも自分自身に問いかけるようにした。今思うとで若気の至りで、○○主義というと、それにはまり込み、型にはまった考えをしがちで、信じ込みやすく一度信じると猪突猛進に突き進む、そんな僕の様子を見ていてハラハラしたに違いない。自分自身の言葉で語るとは、咀嚼するまで読みこなしてから自分の言葉にして書けということで、これはつらい作業だった。果たしてどこまで自分の言葉で書けてきたか、自分自身の生き方をしてきたか心もとないが、少なくともそのことを気にかけた書き方はしてこれたように思うし、そのことを意識した生き方をしてきたと思っている。 竹やぶ前の池の傍らに咲く芙蓉
2009年08月07日
コメント(10)
『吾れ老ゆ故に吾れ在り』を読み終えて 波多野完治といえば彼が訳した『15少年漂流記』を少年期に読んで楽しんだ。その後、学生時代に心理学で何冊かお世話になったが、仕事では生涯学習の関係図書をずいぶんと参考にさせてもらった。その彼の卒寿間際に書いた本がタイトルの『吾れ老ゆ故に吾れ在り 老いと性と人生と』だ。「私も九十に近く、いまさら隠し事をしてもいたしかたないから、自分の体験を基礎に置いて書く」というだけあって、けっこう赤裸々に書いている。九十一歳の長寿を保った渋沢栄一の葬式の時に、子どもの焼香の最後が五歳の男の子で、参列者は曾孫が順序を取り違えたのかと思ったというエピソードが紹介されているが、こうした壮挙は別にして、波多野は60半ばで「不覚をとった」というように、大分個人差があるようだ。しかもセックスにはいろいろな発現のしかたがあって一様ではないという。さすが老いても心理学者に変わりはない。フロイトのリピドーや心理的な代償行動に触れながら高齢者の『性』に対する「年甲斐もなく」とか「いい年をして」といった世間の批判や抑圧に抗する『性』のあり方を真摯に語っている。時には夏目漱石をはじめ岡本一平画伯、獅子文六、大岡昇平、円地文子、室生犀星、高見順などといった懐かしい文豪や、著名な方々の『性』を引き合いに出しているので面白い。この本なかで「発達を一方向的に構造の複雑化という面から見ていたのでは五十歳以降の『知的発達』は見えてこない。50歳以降、たぶん複雑化という意味での知的構造は停止するか退歩するのであろう。しかし、それは停止または自己限定することによって構造的に変化し、別の発達を開始するのである。...この方面の発達はたぶん、量的な退歩を自覚することによって行われるのではなかろうか。もうこれ以上増えない、という境界に立ったからこそ、このような深みへの転換が行われるものと思う」 と波多野は言う。量的に退歩する一方の自分にとって、この言葉は勇気づけられる。これは『性』の問題だけでなく広く知的、身体的、心理的な面にも言える。高齢者の『性』についていえば大げさなものだけでなく、もっと淡々とした静かな深みのあるものなのかもしれない。とはいえ抑圧されがちな高齢者の『性』や恋愛も、団塊の世代がこぞって高齢者に突入する5年後には、少しは変わり始めてほしいものだ。 葛の花この草は私にとっては雑草というか、やっかない草だ。最初は遠慮がちに木に寄り添うが、そのうちにしっかりと幹と枝に食い込んで一体化してしまう。昨年植えたリンゴの木にもしっかりとまとわり付いた。幹から切り離したが、葛の根は深い。新たな芽を伸ばし蔦は地を這って次なる主を探し始めるに違いない。
2009年08月04日
コメント(6)
他人事でない 災害このところの異常気象で各地で痛ましい土砂災害が起き、多くの犠牲者が出ている。この山里も長雨で田圃の見回りで畦を歩いていると端が崩れている箇所があり、いかに地盤が緩んでいるか分かる。このままこの天気が続くと裏山が崩れてこないかと心配になる。先月行政区の定例会に町の担当者が来て「ハザードマップ」の説明をしてくれた。町の中に土砂崩れの恐れのある危険個所がずいぶん沢山あった。他人事ではない。先日、借りてきたDVD『252/生存者あり』を観た。映画の舞台は東京の新橋。異常気象によるヒョウや高潮、さらには大型台風が近づき地下鉄の駅構内や地下道に大水が流れ込み、都市生活のもろさを露呈する。映画は、二次災害の危険もはらむ困難に立ち向かい、地下に生き埋めになった生存者の救出をするハイパーレスキュー隊の人間ドラマ。 タイトルの252は救助を求める音の合図というのを初めて知った。2回打ち、間をおいて5回打ち、さらに2回打つことで生存を伝える。閉じ込められた5人の中に元レスキュー隊員がいた。瀕死の重傷を抱えながら助けを求めて鉄棒で鉄筋の柱を叩き続ける252の合図。近づく超大型台風に一刻の猶予もない中での救出作戦が展開される。見逃した映画もDVDで十分に楽しませてくれることが分かった。それにしても迫力ある画面を映画館の大スクリーンで見れたら凄かっただろうなぁ。
2009年08月02日
コメント(12)
175/180の落花生前に書いたように、今年はどのくらい発芽するか播いた箇所に竹棒を刺しておいた。落花生は膝から腰くらいまで伸びた草に覆われていた。竹棒は伸びすぎた草と落花生を間違えて抜かぬ標しにもなった。草を取ったらすっきりした。どうやら97%発芽してくれたようだ。発芽しなかった処を掘り返してみると落花生がなくなっていたから、鳥か野ネズミかモグラの餌になったようだ。ということは100%の発芽率と考えてもいいかもしれない。毎年、取れた落花生の中から鞘が大きく、中の豆も立派なものを選別して種用に残してきた。鹿児島の有機農家を見学に行ったときに戴いた落花生も4年目でどうやら、この地に根付いた種になったようだ。草に隠れていた落花生が、のびのびと光を浴びている。一部黄色い花を咲かせ始めている。これから一段と大きくなってくれるに違いない。 今年も順調な小豆こちらも自家採取したものを播いた小豆。今回は落花生と同様に、種を播くと同時に防鳥の透明糸を張っておいた。発芽して地上に出たところが鳥にとっては柔らかく旨いらしい。張った糸をくぐりぬけて、それでも鳥が食べたようで何箇所かもぬけの空だ。ここも場合によってはモグラか野ネズミの仕業かもしれない。草を刈り土寄せをして夏から秋にかけての台風の風に倒れないようにしておく。もう一度草がちいさく伸びたころに除草を兼ねて土寄せをする。小豆は重宝した。赤飯に入れたし、冬場には薪ストーブの上で何度も豆を煮て汁粉にした。甘く粒あんの汁粉にして冷凍庫にしまっておいて、春先以降に生クリームの代わりにヨーグルトの上にキウイやリンゴ、イチジク載せて食べると自家製のフルーツパフェになって旨い。結構食べたので今年は5割増しに種を播いておいた。
2009年07月30日
コメント(16)
山百合と無花果毎年感心するのが山百合とイチジクの大きさだ。山百合は細い茎に倒れんばかりの花をつける。その花の美しさもさることながら茎と花のアンバランスさに気持ちが向いてしまう。見ていると肩がこるようでお気の毒といった感じさえしてくる大きさだ。 こちらのイチジクもなるほどなぁと思うのは字の通り花をつけずに突然に実をつける。しかも最初に10ほどつける実はジャンボサイズだ。それがまず普通サイズに成長した後に百ほどの実を次々とつけ始める。後発の実が大きくなり始める頃には先発の実は、それはそれは驚くほどの大きさになる。普通サイズの3倍ほどで、しかも甘~い。まずはこっちの大きい方を完熟させてそのままいただく。十分堪能してから、普通サイズの方をジャムにする。
2009年07月29日
コメント(12)
一番の成長は冬期湛水の稲田植えをして約2カ月の田んぼ。どこも苗は一本植えだったが何倍にも分結してくれた。今のところ順調に成長してくれているようだ。中でも冬期湛水の田の苗の分結がすごいし、コナギなどの水草も生えては来たが気にならない程度なので一度も草刈りをしていないで済んでいる。 農薬を撒かないので普通に代掻きした田の水草の生え方は尋常でない。三度も草刈りをしたが、取れども取れどもオモダカとかコナギなどの雑草は減らないどころか成長した分確実に増えているように見える。雑草が栄養分を吸収してしまうので冬期湛水の田と比べると分結も少なめだし成長も大分見劣りする。 こちらは自然農の田。古代米の苗は同じように1本植えだが、半月ほど遅く田植えしたから分結もこれからのようだ。ここは一度だけ草刈りをしたが、コナギとかオモダカは少なく他の雑草がほとんどだった。
2009年07月27日
コメント(14)
口をあけて ピーピーと買い物に行ったら目の前を鳥が横切っていった。セキレイは地面すれすれにも飛ぶが、目の高さから上でしかも早い。飛んで行った先は商店の軒下。どうやらツバメだ。巣があって中で雛が ピーピー♪ 鳴いている。と、そこに親鳥が餌を捕まえて帰ってきた。パシャ!母親鳥か。一生懸命に子育てをしている姿は人間と変わらないなぁ。
2009年07月24日
コメント(12)
蛇の抜け殻からの想い出去年は薪置き場でヘビの抜け殻を見つけた。長いのでアオダイショウかと思う。今年は山羊のヤエのいる農機具小屋の藁置き場で見つけた。大きさ太さからするとマムシでないかと思う。藁は重宝でいろいろなものに使えるから脱穀をした後に田んぼに返す以外に残しておく。長い藁は稲刈りや麦刈をしたときに束ねる紐代わりになるし、作物の保温、保湿に役立つので根元に敷いてやったり、踏み込み温床の囲いやヤエの床に敷いてあげる。その藁山のビニールシートを開けたらでてきたのが写真の抜け殻。蛇で思い出すのは地下鉄での駅で見た蛇だ。勤務先の事務所に通う最寄駅の鍛冶橋で出口へ上っていくと前を行く女性が大きな悲鳴を上げた。驚いて見ると長くて太い蛇が階段を横切っているところだった。なすすべもなくただただ横切って下水の穴に消えていくのを呆然と見ているよりしょうがなかった。都心に蛇なんて予想だにしないことが突然目の前に起こると咄嗟で何もできなかった。それが、最近ではカサカサ音がすると姿見えずとも蛇じゃないかと用心する。草むらを歩いて行くときも、小屋に入って作業するときも長靴は常用だ。普通に歩く音だけでも蛇は逃げていく。出会いがしらに足で踏んづけたり、攻撃していると間違われると向かってくるという。村の人はマムシを見つけたら必ず殺せという。長年の生活の知恵なんだろうが、逃げてくれた方がホッとする。あの目は不気味だ。できるだけ会いたくない相手だ。ご用心!ご用心!
2009年07月22日
コメント(18)
自分のスイカを食べたい毎年、苗を買ってきて楽しみにしているが一度も大きくなったスイカを食べたことがない。昨年も、6株くらい買ってきて植えたが、ピンポン玉くらいから大きくならない。一昨年、ソフトボールくらいの大きさになったらカラスの餌食になっってしまった。今年は2株を買ってきて畑に、自分でもポットに播いておいて大きくなった6株の苗をビニールハウスの中に定植した。畑の苗は6月中は厚手のビニール袋で囲っておいて、親蔓は本葉8枚くらいのところで摘芯しておいた。子ヅルが伸び出してから苗キャップをはずした。その畑の方が何とかピンポン玉くらいの実をつけてくれた。エンドウ豆に使っていた不用になったネットを竹杭で浮かせて被せておいた。小鳥には効果がないだろうなぁ。ビニールハウスの中のスイカは暖かいからか子蔓も孫蔓も伸ばしてたくさん花をつけてくれた。薄い黄色が雌花で下にぷっくらとスイカの形をしている。一方濃い黄色が雄花だ。 ハウスの両側のビニールは垂らして開けてあるが昆虫は少ししか来ないので、この雄花を摘んで雌花に受粉させてあげる。昆虫も少ししか飛来してこないが、カラスや小鳥は閉ざされた空間は逃げ場がなく恐いからか入ってこない。もしかしたら、このまま順調にいけばお初の自家製スイカが食べられるかもしれない。
2009年07月20日
コメント(10)
順繰り野菜この間まで食べていたエンドウが終わり、カラカラに乾いた鞘が蔓に残っていた。良さそうなものを年末に播く種として確保した。 そうこうしているうちにインゲン「親孝行」がネットいっぱいにスクスクト育ってくれた。野菜も順繰りとバトンタッチしてくれる。当分、これとジャガイモ、キュウリとトマトが食卓にのぼる。葉物が今一つだなぁ。テントウムシダマシと青虫にやられてスダレ状態だ(涙)。
2009年07月19日
コメント(8)
初めて咲いた合歓木の花4年間居て初めて咲いたねむの木の花。ねむの木というと宮城まり子の「ねむの木学園」を思い出すが、実際の花を目の当たりにしたのは初めてだ。花は柔らかく優しい。障害者の施設に、この花の名をつけたのが分かるような気がする。 ねむの木の たわやかにして 寄せし愛君あらば 障るものなし ねむの花 ようやく咲いた紫陽花やっと梅雨らしく雨が降り始めた。庭先のアジサイも雨露に濡れていきいきとしている。紫陽花のこの七変化の色合いが好きだ。額アジサイも目立たぬように咲いているのに注意をひいてします。
2009年07月18日
コメント(12)
試しに梅酒漬け去年9月に植えておいたラッキョウができた。連作にしたところは小さめで、新しく植えたところは粒が大きい。少し多めに植えてしまったので、これで四分の一程度。 昨年漬けた米酢のラッキョウは少し大きめの瓶に詰めておいたがもう少しで食べ終わる。今回は大きめの瓶に普通の米酢と梅酢と米酢に赤シソで色をつけた3種類漬けようと思っている。ちょうど小梅の方の梅酢があがってきたので、試しに先ずは小さな瓶に梅酢で漬けてみることにした。 塩漬け中きれいに洗って薄皮を剥いてから、二日ほど塩漬けする。これを洗って、あらかじめ作っておいた梅酢+砂糖+水で煮たて冷ましたものに漬ける。 豆団子これがキノコの1種の豆団子。こちらの福島と山形にしか見られないという貴重なキノコだ。7月初めに見つけた。昨年まで”あそこに出るよ”とは聞いていたものの先客がいて後の祭り。今年は目星をつけておいたところに出かけてみると、なんと既に掘った後。ところが、念のために掘ってみたら二つだけ残っていたのがこれ。来年はもう少し早めに行こうと決意した次第。
2009年07月15日
コメント(8)
天日干し今回は条播きでなくバラ播きだったので雑草が多く、僅か3アールの麦を刈るのにかれこれ1週間もっかかってしまった。最初に刈って干したものは十分乾燥しているが、後からのはまだ噛んでもグニャっと柔らかい。といって全体でも少しなのでいっぺんに脱穀することにした。これでどのくらいの量の小麦粉ができるんだろう。自給用で手打ちウドンにしたり蕎麦のつなぎに入れる程度だから、これで十分なのだろうか分からない。それによって来年は麦畑を広げるか、このままの広さの麦畑だけにするか考えることにする。予定では、ここは夏に蕎麦を播き秋に収穫してから麦を播き初夏に収穫というローテーシ ョンにする。 この花 何の花ハーブ湯の庭でちょっと変った花を見つけた。ここ花工房は名前の通りいつ来ても花がいっぱい。
2009年07月13日
コメント(8)
全321件 (321件中 101-150件目)