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***************************************************************先日5人の歌い手とワークショップの打ち合わせを行いました。それを終えて、企画書的なものの叩き台の中から、掲載しても良いかな、と思われるものを少し載せて行きます。*************************************************●主旨(あくまでも叩き台です) 明治の近代化以降、日本で音楽といえば西洋音楽を指し、公教育も含めオフィシャルな場合の音楽はクラシック音楽を指すようになりました。それに伴い専門家のみならず一般的な人々の間における歌の基本と考えられるテクニックも西洋音楽、中でもクラシック音楽が模範的、とされるようになりました。 音楽の規範とされている感すらある西洋音楽の一つであるクラシック音楽。その音楽をどれだけの人が実際に他の音楽と比較しながら生で体験しその「普遍性」を確かめる機会を持っているでしょうか。それ以外の日本の音楽やアジアの音楽は本当に特殊な偏った音楽なのでしょうか。そのあたりをどれだけの人が多くの実体験出来ているのでしょうか。 明治の人が初めて西洋のクラシックのソプラノ歌手の歌声を聴いたとき、日本の聴衆から笑いが起こったという記録は一体何を意味するのでしょうか。 心の問題においても、個人の問題と思われがちな事が実は洋の東西の文化の衝突に起因する事柄も多い、と心理学の世界でもいわれるようです。音楽は日本に暮らす人のその心の問題にもどれほど関わっているのでしょうか。 日本語で話し、読み、書くという中で暮らす私たちの毎日の環境。世界的にも希な音節文字であるカタカナ・ひらがな。建築、食事、衣服、、様々な文化や文明は変化しても、万葉の頃からの流れを汲む伝統の文字を使い続けています。そして、その言葉と声の中で生活しているという事実があります。その声の響き、抑揚やリズムで暮らしながら、一方では西洋言語で西洋音楽の歌を専門家以外の愛好家も歌っています。日本のオフィシャルな音楽、西洋音楽の名曲を歌っています。 その日本の中で昔ながらの様々な日本の伝統の歌を歌う。日本以外のアジアの歌を歌う。オフィシャルではないクラシック音楽以外の西洋音楽を歌う。これらは一体それぞれどういう行為なのでしょうか。 今回これらの疑問は大事にしながらも、それらの結論を性急に求めることはしないで置こうと考えています。5人の異なるジャンルの声を操る演者が作り出す声と歌、そしてその音楽のワークショップに一般の参加者も演者も加わっていただきます。回を追う毎に果たしていくつかの答えは見いだせるのだろうか、新たな発見はあるのだろうか、、という探求を目的とした企画です。 5人の演者、参加者、それぞれの交流を通じて互いの間で何が起こるのか、互いに何が体験できるのか。何をどう感じられるのか。それぞれに異なる声・ことば・歌、そして音楽を通じての試みを六回シリーズで行います。また、会場も阪神間の街の中でそれぞれの声に相応しい機能と様式をそなえた空間を選ぶように心がけました。
January 29, 2004
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1月25日今日はスコットランドの詩人、ロバート・バーンズの誕生日です。以前に開催したコンサートでベートーヴェン編曲の「蛍の光」を演奏したことがありますので、その解説文章を転載します。さあ、ハギスを食べて、ビールを、そしてスコッチを飲んでお祝いしましょう!ついでに、筆者もこの日が誕生日です。********************************************************************「過ぎ去りし懐かしき日々」 明治16年発刊「小学唱歌集」は日本最初の教科書でした。これに載った1曲が「螢」、後の「螢の光」です。一般的にはスコットランド民謡として紹介されたわけですが、この曲の旋律はウィリアム・シールドというイングランドの作曲家が書いたバラッド・オペラ「ロジーナ」に出て来ます。このオペラは大ヒットし、その中のこの旋律も有名になります。ロバート・バーンズの作品の"Auld lang syne"にはもともと別の旋律がついていたのですが、いつの間にかこの旋律にすり変わってしまいます。シールドが拝借したもとの旋律はスコットランドのものではないようです。バーンズの詩も一部はフィールドワークによるものですが、あとは彼の創作で書かれたものです。この"Auld lang syne"を始めバーンズの多くの作品はスコットランドではナショナル・ソングとして親しまれ、歌い継がれています。
January 25, 2004
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「ん」の発音は一つじゃない【ひらがな・カタカナ】ひらがなやカタカナは表音文字です。でも、私たちの発音の細部を表音出来る文字ではありません。ですから、ひらがなやカタカナでは表しきれていない日本語独特の発音の約束事をわたしたちは口承によって持っています。この日本語独特の約束事こそ、正確な日本語の発音には欠かせないものであるのですが、同時に、外国語の歌を歌うときの大きな障壁になってしまうのです。それを書き表す最良の方法というのは今のところ発音記号しかありません。でも、発音記号は日常で一般的に扱われているものではありません。ですから、外国言語の専門家や声楽家などのように専門的に勉強をした人は別として、通常日本語と外国語の発音を正確に比較する方法は無い。という状況です。西洋語の歌が日本では一般的になることは絶対に無い、と思われる理由の一つがここにあります。【音節・音素】音声には子音と母音があります。子音と母音を音声の素材、「音素」といいます。これらが組み合わさって音声となり、音声の中の母音の数が「音節」(シラブル)になります。この音節は歌の場合、最小単位の音価となり、音符の基本的な数は音節で決まります。これは約束事、というより物理的な現象そのもの、といっても良いほどの事実です。さて、日本語発音の約束事ですが、古来から子音や母音といった音素は表記されないまま伝えられてきました。ですから、子音と母音の扱い方については全くの口承による伝統が今も継承され続けているわけです。もちろん、アルファベットという音素を用いている言語の中でも、西・英・独・仏などそれぞれ独自の発音の約束事は存在します。しかし、ひらがなやカタカナに比べれば西・英・独・仏などの言語の発音の約束事は音素単位で文字にちゃんと書き記されています。ひらがなやカタカナはアルファベットと同じく表音文字なのですが、アルファベットの様に母音や子音といった音素は表せていません。ひらがなやカタカナは音節しか表すことの出来ない音節文字なのです。こうした音節文字の文化は多くの文化の中でも少数派であり、特に西洋文化には全くないものだという認識は西洋の歌を歌う上でしっかりと覚悟していたほうが、覚悟が出来ていないよりも後がずいぶんと楽になります。音素文字を日常的に使っている外国人に日本語の発音を正確に教えるつもりになれば、普段使っている日本語の発音がより鮮明になってきます。ここでは英語圏の人に教えるつもりでヘボン式のローマ字を使います。尚、日本式とヘボン式のローマ字についての説明もここで述べると、文章があまりに沢山になってしまいますので省略します。とにかく、JRの駅の表示など、身近にある「あの」書き方が英語読みのローマ字、ヘボン式です。【「ん」の発音】「ん」の発音もヘボン式で書けば n, m, ng と大きく三つに分けることが出来ます。(「ん」に存在するこれ以上の細かい発音はどうすれば表記できるのかまだよくわかりませんが、、。)もっと詳細に分けることも出来るようですが、歌う際にはこの三つを区別出来れば、日本語と外国語の行き来はし易く、そして何よりもどちらの発音もより正確になります。んn m ngさんねん(三年)n sa-n-nen 舌先が上あご前方に付く「ん」さんまん(三万)m sa-m-man 唇を閉じる「ん」さんがつ(三月)ng sa-ng-atsu 舌の後方が上あご後方(軟口蓋)に付く「ん」と、後に続く子音によって「ん」の発音は変化しています。この発音の違いを表記する文字を日本語は持っていません。上記のようにアルファベットならばこの三つの違いは表記できます。全てのヨーロッパ語は各国語によってアルファベットの使い方が異なるものの、日常的にこの違いは表記できます。韓国のハングル文字も同様に表記できます。ですから、どれだけヨーロッパの普通の人が普通に楽しんで歌っている歌でも、日本語だけを母語とする日本人が同じように気軽に楽しく歌うことは出来ません。どんなに素朴な内容の民謡であっても、日常的以上の訓練が必要になります。あと、同様にひらがな(カタカナも発音に関しては全く同じなのでカタカナは省略)の発音をヘボン式で以下に書いてみます。*************************************さ し す せ そsa shi su se sos【前歯の子音】sa si su se sosh 【奥歯の子音】sha shi shu she sho******************************************た ち つ て とta chi tsu te tot【前歯(上)の歯茎の子音】ta ti tu te toch【奥歯の子音】cha chi chu che chots【前歯の子音】tsa tsi tsu tse tso********************************************は ひ ふ へ ほha hi hu he hoha (ch)i ()u he ho********************************************んn m ngさんねん(三年)nさんまん(三万)mさんがつ(三月)ngさん しん すん せん そん「しん」と「すん」の「ん」は他のん・nよりも舌が平べったく上あごに付きます。********************************************厳密に言えば「か き く け こ」もka ki ku ke koではなくka kyi ku ke koと発音しています。な に ぬ ね のは、さて、どうなるでしょう?やってみて下さい。ところで母音もヨーロッパ語の音声とは全く一緒ではありません。あ い う え おもa i u e oではありません。無理矢理ヘボンで書けばa yi u(w) e oと書けるかも知れませんが、、。このあたりは発音記号を勉強しながら、実際にあらゆる言葉のネイティヴの発音を実際に体験し聴いて回り検証する「フィールドワーク」をやるしかありません。イタリア人やドイツ人の前で彼らの母国語を歌った場合決まって指摘されるのが「う」です。他の母音を指摘される事もありますが、、。さて、他にもありますね、、。ざ じ ず ぜ ぞza jyi zu ze zoだ ぢ づ で どda jyi zu de doじゃ じ じゅ じぇ じょjya jyi jyu jye jyoつづきはどうぞ、ご自身の「フィールドワーク」で是非に、、。
January 8, 2004
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クリスマスはキャロル、そして合唱。先の年末の12月23日。下町風情の商店街を通り抜けたとき、どこもかしこもキャロルの洪水。純和風のお寿司屋さんも、、。「今日は天皇誕生日だよね?」そういう私もキャロルの仕事を終えて次の仕事に向かう途中でした、、。 そして、お正月。今度は邦楽の洪水。でも、深く考えないところで、このコントラストを素直に楽しんでいる私自身がいました。で、今年最初の日記は、邦楽について少しだけ、書きます。【メリハリ】「単調で何だかメリハリが無いね。」「もっとメリハリを利かせたデザインでお願いしますよ。」などなど、、「メリハリ」という言葉、誰でも普段、良く使う言葉だと思います。この「メリハリ」という言葉、元々音楽用語だった、という事は一般的にはご存じない方の方が多いと思います。「音楽用語」といっても西洋音楽の用語ではありません。ですから学校の音楽の試験や、音大のソルフェージュとは現在の段階では無縁なのですが、実はこの「メリハリ」、尺八の奏法の用語なのです。「なのです。」と偉そうに言ってみても、とあるお師匠さんからの受け売りなのですが、、。【「メリ」と「カリ」】尺八には同じ笛の仲間ではありますが、現代のモダンフルートの様なキー、というメカニズムがありません。ルネサンスやバロックのフルートの多くに見られる様に胴体に指穴がぽっこりいくつか空いているだけです。吹き方や楽器の構造でいえば南米のケーナと仲間の笛、ともいえると思います。その尺八の奏法に「メリ」と「カリ」があります。西洋音楽のスケールにはない単位の音が邦楽にはあります。半音よりも更に細かい微分音と音色を産み出すための奏法が「メリ」と「カリ」です。【メリ】さて、邦楽の場合、半音よりも更に細かい微分音が存在します。その細かい音程を作り出すために首を下に傾けあごを引く、これが「メリ」です。漢字では「滅」、または「乙」と書きます。「メリ」は名詞形、「める」が動詞で、漢字では「滅る」と書きます。尺八を吹くときの顎の形を見ても、正に「滅り込む」の「メリ」です。滅入る、下がる、落ちる、などなど、連想は尽きません。【カリ】逆に今度は、あごを上げます。すると音程の高い方へ音が動きます。これが「カリ」です。「カリ」は漢字では「上り」、または「甲」と書きます。「上る(かる)」が動詞です。この二つの言葉「メリ」と「カリ」、が「メリハリ」の語源、ということです。「メリ」と「カリ」、が上手く出来ない尺八の演奏。これこそ、音が単調で「減り張り」(現代はこういう漢字で書くようです。)が無い演奏、という事です。尺八の奏法の「メリカリ」は漢字では「乙甲」だそうです。是非、お手元の国語辞典を引いてみて下さい。面白いです。 こういった言葉を見ても、やはり、本来音楽の言葉というのは生活とその実感から生まれて、そこに根ざしたものでは無いか、と思うのです。これまで書いてきた西洋音楽での西洋語もそうです。英語の"Scale"も、ラテン語の"Dominant"も同じです。そして、邦楽と日本語の関係も同じようにとても豊かです。今日書いた「滅」と「上」も、そこから「乙」と「甲」、「下」と「上」、更に「陰」と「陽」、果ては「褻(け)」と「晴(はれ)」などなど、どんどんと発想も広がって行きます。 まだまだ日本語の中にわたしが知らずにいる音楽の言葉がある筈です。古来からの日本文化である日本語を母語として暮らしていること、喜ばしい事として受け止め、一つ一つ事実を見出し、その上で西洋音楽と向かい合って行く。身の回りのちょっとした事から少しでも変革していくことが出来れば、、、それは、とても大事で本当に楽しい事だと思っています。 日本と西洋、それぞれ何千年という歴史の流れを汲む文化を持っています。その西洋の産物を何千年という時間と比べれば「一瞬」ともいえる時間で急激に日本に導入せねばならない。明治時代の大先輩方の仕事はそのような現実の大きな狭間で成されました。それはどれだけ偉大な先達の仕事だとしても、洋の東西、何千年という文化を完全に消化しきったものではなくて当然だと思います。音楽の専門家と呼ばれる私たちが、日常を通じて出来る仕事、やらなければならない仕事は、まだまだ沢山あります。と、年頭に改めて思うに至りました。今年もよろしくお願いいたします。
January 3, 2004
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