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「ミサ曲が歌いたいんです。オーケストラやソリストと一緒に。」クリスチャンの合唱団でもなく、平均年齢も高く、横文字も満足に扱えず、読譜力や、その他の技術が特に高いわけでもない女声合唱団から、先の様に「ミサ曲を歌わせて、、。」と懇願されます。何度か「無理だから、止めましょう。」と突っぱねてはいたのです。色々と説得し色んな他の曲を歌って貰って、納得して貰えた、、。と思っても、何年かすると「先生。ミサ曲が、、。」という風に再度懇願されます。この「ミサ曲」、、って何でしょう、、?それは、ここでは触れずに、さて置いて、、。そこで、音楽の内容は歌う人達に相応しいもので、演奏形態は皆が望む「ミサ曲」と同じものを、、という事でこのような演奏を組み立ててみました。共演にはいつもピアノを弾いて貰っている金子さん、またバッハのカンタータの演奏で楽しい思い出をいただいたそのときのコンサートミストレスである溝川さんを再度トップにお願いしてこの演奏が実現しました。川の流れのように(7.2mb mp3)合唱:学文女声合唱団ヴァイオリン:溝川合歓、山口涼子、山之内悠子、鈴木瞳ヴィオラ:若松芳 チェロ:岡尾有紀 コントラバス:長谷川順子ピアノ:金子浩三編曲:田淵宏幸●音源●2000年6月の学文女声合唱団の第7回リサイタルでの演奏です アンコールの時の録音ですからお客さんも一緒に歌っています●写真●2002年の西宮市民音楽祭のときのものです追記 Nさんへある年の忘年会の席で、Mさんが、お隣のお友達のNさんの事を、私に向かってこういってました。「帰りしなにみんなでお茶飲みに行ったとき、 この人去年亡くなりはった、ご主人の事を話すんですよ。 そのとき、涙流して泣きながら話すんですよ。」この曲「川の流れのように」を練習しているとき、その歌詞の二番「愛する人、傍に連れて、夢探しながら、、」この箇所に来ると、実はいつもその事を思い出しながら、Nさんこそこの歌にぴったりだな、と少し胸一杯になりながら、皆の前で指揮をしていました。その後、第7回リサイタルを終えてしばらくしたある日、一本の電話がありました。「Nさんが亡くなりました、、。」この前練習でお会いしたときは、とても元気で、全くそんな気配もなく歌っておられたのに、、。誰かがいっていました。「ご主人が連れて行きはったんやねぇ、、。」この歌声の中にはNさんの声も入っています。このときは皆と一緒に声を出して歌いました。今は、あちらで手をつないで歩いているんでしょうね、、。こちらもどうぞ
February 29, 2004
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西洋音楽を歌う上で、西洋の言葉の中の子音と母音の扱いを私は今までに多くの(一人二人ではないという意味でしかありません)内外の歌手、音楽家に教えを受けました。日本人としては、西洋言語という異文化の研究とそのための訓練は西洋音楽の表現に於いてとても重要な要素である。との教えは多くの学ぶ機会で自分の中に積み重なり、西洋音楽は異文化であるとの実感が深まりこそすれ、軽くなることはありませんでした。ベートーベンなどの器楽曲なども母国語であるドイツ語からこそ生まれたという記述も日本語に訳され名著として日本で出版されている音楽書にもはっきりと書かれています。 さて、今までこの日記に書いてきた様に(といってもそんなにまだ数多く書いていませんが)日本語は、子音と母音の発音方法は文字によらず、一般的には原始的とさえも思われる場合もある「口承」という文化に頼っている、ということが少しはお分かりいただけましたでしょうか?「日本でも、戦前からカナモジ会やローマ字主義の運動もあった。コンピューターではいやおうなしに使われている。だが、国家的な規模で改革が行われてはいない。ベトナムはすでにローマ字化したし、中国もその方向にある。朝鮮半島はハングル化が実現したとなると、東アジアの経済先進国日本だけが、ひとりとり残されることになる。」 さて、昨年(2003年)学習研究社から「小泉文夫著作選集」という全5巻の本が出版されました。上の文は、その中の第4巻からの引用です。日本は西洋音楽を自分たちの公的音楽と認定し、義務教育にも取り入れながら、その音楽を産み出した言語と日本語との対峙が産み出す様々な数多くの問題については個人の任意の研究と努力に委せたまま、というのが先進国日本の姿だといえる状態なのです。また、この問題に正面からまじめに取り組もうとすればする程、その日本の声楽家は他国では国家が取り組んだ大事業に個人で立ち向かって居るのだともいえます。そんな国が今の日本なのです。 日本人のハングルの訛り、中国語を発音できない、、という人の傾向を見ていてもこのことが原因の一つであることは言えると思います。 日本が明治維新以降、自らの伝統的な俗謡を廃止する方向を決め公的に西洋音楽を導入しました。その状態は今も基本的には全く変わりません。専門家と豊かな才能に磨きをかけた一部のアマチュアの技術は年々めざましい飛躍を続けています。しかし、一方お年寄りや特には音楽に興味のない人、ごく一般の人達と西洋音楽の距離は益々広がっている、という実感は拭えません。 また小泉文夫は、普遍的な音楽に洋の東西は無い、とし、社会の壁が民族を超えるように音楽も超えることを望み、世界の音楽の交流をはっきりと肯定した後こう書いています。第4巻-p.33「それでもやはり、日本人に外国で発達した音楽が本当に根づくか?の疑問は残るのである。そう思わせる理由の一つは、日本人が未だに日本語を話していることである。祖先伝来の風土に生活していながら、音楽の面だけは伝統ときっぱりと絶縁できるか?」 CDやインターネット、コンサートといった「音楽を聴くこと」を主体にした音楽との関わり方がより多様に、より身近に手軽になればなるほど、一層そう感じます。一般の人達が心で思い描く理想の音楽と、演奏出来る音楽の差は広がっているようにすら感じます。文化の上で、特に音楽という文化の中で貧富の格差は広がっているのではありませんか? アイルランドの人達が歌うアイルランド民謡のように、沖縄の人達のように、歌を仕事にしない人達が、あれほど日常的で生活と普通に密着していながら、自分のためだけに歌っていても、世界のどんな人をも感動に包み込んでしまうような深く大きな表現をしているのです。一般の日本人は生活の喜怒哀楽と共に自分の言葉で何が歌えるでしょうか? 日本の古典音楽や日本民謡の源泉となった日本語の文字や言葉、そこから生まれるリズムやイントネーションと音楽の関係。そして、西洋音楽の源流とも言える西洋言語と日本語の矛盾に対しての対比研究と、一般の人達が直面する言語の対立からくる音楽的な問題、、。 古楽という西洋音楽の中でもオーセンティックといわれる音楽に関われば関わるほど、格差は大きく感じてしまいます。はっきりと断言しても構いません。日本人の一般的な日本の音楽環境と、西洋の古楽を演奏する、ということは全く対局にあり対峙しています。ネイティヴな日本人であれば、どれだけ古楽の優秀な奏者や研究者が集まっても、彼らの話す西洋語の声は日本語のものであり、しかも邦楽としての響きや抑揚を持っています。正に日本民謡としての要素を持っているのです。その中での共演者の西洋人の話し声は西洋音楽としての響きと抑揚を持っています。 日本に長く住むピアニスト、エルンスト・ザイラーさんに一度だけ教えを受けたことがあります。その時いただいた教えは日本語を話すドイツ人音楽家ならではのものだったかも知れません。(その後、残念なことに継続も出来ないままになってしまい、もうご本人の記憶には無いと思いますが、、)その時はドイツリートを教えていただいたのですが、ザイラーさんは「日本人がドイツ語の歌を歌うときは、ドイツ語をリエゾンが無い言葉だと思ってはいけない。」というものでした。それまでに教えを受けたドイツ語やその他の西洋語の歌い方を、その時に思い出しましたが、正にその通りでした。「ドイツ語にはリエゾンが無い!」という定義はドイツ語以外を母国語とする西洋人に当てはまるものであって、日本語を話し、書き、読んでいる一般の日本人が西洋の歌を歌う際には全く関係のないことなのです。(リエゾンがあるといっても厳密にはフランス語のリエゾンと別質のものであることは賢明な方はご理解頂けると思います。また当然、イタリア語の歌や、フランス語の歌など他の西洋語の歌の訓練を沢山積んだ一部の日本人にとってはドイツ語はリエゾンが無い、といえる場合もあります。) つまり、わたしたちは日本に住み日本語を話しているのです。西洋音楽を演奏する上で、全くの白紙で中立の世界で生活をしているわけでは無い、という事です。それにどれほど影響を受けているか、、という事も西洋音楽を自ら演奏する上でのとても大きな音楽的な環境だということです。
February 27, 2004
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*****************************************************声を巡るワークショップこんな感じで今のところ決まっています。会場探外回りもしんどいけれど、共演者とのディスカッションなどもその中でも出来て楽しい。また、会場のオーナーさんとの会話、何だかコンセプト固めに協力して貰っているような、、、得な気分にもなれるときがあります。色んな出会いもありますが、中でも共演者の緋田芳江さんに見せていただいた、分割鍵盤!百聞は一見にしかず、とはこの事。この後、ヘクサコードにはまってしまいました、、。******************************************************●開催日時と出演者および内容【第一回】5月13日(木)西宮市・甲東ホール 開演時間未定等々力政彦・とどりきまさひこ南シベリア、トゥバの喉歌「フーメイ」【第二回】6月17日(木)西宮市・草志舎 [日本建築] 開演時間未定児玉宝謹・こだまよしのり「日本民謡」【第三回】8月19日(木)西宮市・甲東ホール 開演時間未定今泉仁志・いまいずみひとし「音楽と言語・様々な声のモードを巡って」【第四回】9月25日(土)芦屋市・山村サロン [能舞台のサロン] 開演時間未定中井孝・なかいたかし「狂言の声」【第五回】10月開催予定 日時・場所未定(教会関係で検討中)緋田芳江・ひだよしえ「音律と歌声」【第六回・総集編】 11月開催予定 日時・場所未定等々力政彦、児玉宝謹、今泉仁志、中井孝、緋田芳江等々力政彦、児玉宝謹、今泉仁志、中井孝、緋田芳江は各回の全コンサート及びパネルディスカッションに出演致します。
February 5, 2004
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