2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全6件 (6件中 1-6件目)
1

日本語概説この本には現代に話されている日本語の一般について書かれています。「声楽」、つまりクラシックの歌を学び始める初学者は、最初にイタリア語で歌うことになります。そこから、ドイツ語、ラテン語、フランス語、英語、スペイン語、、と、何を目指すかによって個々、発展して行くことになるわけです。その中でも専門家を目指す場合は何らかの「フィールドワーク」を積み重ねて行く事によって日本の日常一般から離れた外国語の音声の発音、発声を習得して行きます。留学は「フィールドワーク」の最も重要で有効なあり方です。僕自身、留学という「フィールドワーク」を行っていない分、日本に留まりながらどうやったらそれに匹敵する「フィールドワーク」が行えるか?不可能を承知はしていましたが、その事を試行錯誤してきました。その過程で何度か、ある視点の重要性を教えられました。自分の現在地点をまず客観的に把握する必要があるということ。特に日本に居ながらにして異国の音楽に取り組んで来た「専門家」を謳う以上はこれをしていない限りは進んで行く方向を割り出せない。という事です。さて、日常的にも一般的にもこの国で「音楽」と呼ばれるものが西洋音楽を基本とするもの、と広く一般的に認識されているのが現状です。しかし、「日本の一般」と「西洋音楽の一般」は古今東西のどの「一般的」な感覚や努力、教養、技術、、でも決して融合出来る様な性質のものではありません。それを果たすには「専門家」としてやって行くしかありません。おそらく一生分の時間と労力をそこにかけたとしても、「果たせる」ものでは無いかもしれません。アイルランドに行って、アイルランドの人たちと会い、一緒に歌って、その土地や歴史や文化、そして言語こそが、かれらの歌うため、踊るため、音楽するための楽器である事を実際に見て知りました。彼らの一般の中にこそアイルランド音楽の楽器がありました。ボリビアの子供たちと一緒に音楽を共有し、彼らの土地や歴史や文化、そして言語の中に、彼らの一般の中にこそ、スペインの伝統的な音楽を継承し、フォルクローレを育んできた楽器がそこにある事を知りました。また、ボリビアとアイルランドから日本を顧みて、歴史の経緯や経済的豊かさがそれらの楽器を使いこなすための技術を担い、育む為の糧であるということも教えられました。また、ボリビアでは日系一世の人たちが大切にしてきた二世や三世の人たちが忘れつつあるもの、日本の伝統、ここで言う「楽器」の存在を逆に教えてもらいました。また、日本の声楽家としての使命もこの南米で気付かされ、課せられた、と考えています。この過程で民族音楽研究の第一人者Dr.Olsenさんと行動を共に出来た事は大きな幸運でしたし、その事により具体的で客観的な材料を多く示して貰えました。そして、日本では何があるのか?を、それらの体験の前後に模索する、というフィールドワークも一応程度に行ってきました。で、、話を戻しますと、言語は歌にとっても音楽にとっても、最も重要な楽器です。その我々日本が持つ最も一般的な楽器「日本語」。イタリア語やドイツ語の発音記号は知っていても、自国の言語の発音の種類や方法を知らない。。最も使っている音声にも関わらず、自分が何処にいるのか知らない。。それで果たして専門家なのか?それでは素人ではないのか?という自問自答を繰り返し、今日に至っています。どの国の人でも一般の人たちは知らないですし、知らなくてもちゃんと歌は歌えます。でも、洋の東西をテーマに掲げる「専門家」ならば是非とも先ずは自分の立ち位置を正確に把握する事につとめたいです。。道に迷えば、現在地点をそこにある木の年輪から方位を読む様に、、。『日本語概説』は専門家ならば素通り出来ない本です。残念ながら絶版になっていますが、「日本の古本屋」、または「Amazon.co.jp」で古書が購入可能です。
January 25, 2010
コメント(2)

実は(とか、改まって言う様な話でもないけど、、。)ヘンデルのアポロとダフネに取り組んでいます。2月11日の本番です。アポロもこれが神さん?!っていうくらい好色な神様なんですよね。。というか、なっちゃうんですよね。。で、ギリシャ神話を見ていくと、、世界の始まりでは四人の原初神が生まれる訳です。その四人が、、カオス(空隙)、エロス(愛、性愛)、ガイヤ(大地)、タルタロス(奈落)、の四人の神々なんですよね。キリスト教の考え方で行くならば、カオスを打ち破り、神によって光がもたらされ、そこから土や火や空気が生まれ、獣が生まれ、人間が生まれ、人間が欲望に負けて過ちを犯し、死が生まれ、男と女によって命が継がれてゆく、、という宿命としての罰を受ける訳です。。でも、ギリシャの世界では、カオスもエロスも対等な存在なんですよね。。カタルシスは罪ではないのです。アリストテレス曰く。眼前で起こる事の中に引きずりこまれ魅了されること。恍惚・忘我奪魂、我を忘れ、無我の状態で、その事柄に引き込まれること。それがカタルシスな訳です。快感は自然美の一つだというのです。ギリシャの神話や哲学と、キリスト教的な考えはどこか矛盾している様に思えます。でも、確かに音楽への、歌への共感、、間違いなくカタルシスです。自然美を焦がれています。フレーズのエネルギーの源はカタルシスを目指すものです。ギリシャの神々に強く備わっていた欲望、嫉妬、嫌悪、怒り、、これは罪悪なのでしょうか?許し合い、受け入れ合う、、それだけが「愛」なんでしょうか?我、欲、羨望、妬み、、を拒む事、打ち消す事が「愛」でしょうか?確かに罪の面もある事は認められます。が、「美」「自然美」は果たして禁欲的なだけで成立するのでしょうか?ギリシャの神々は、キリスト教やイスラム教の世界では、間違いなく罪を犯した愚かな者たちですよね。。二枚の写真はどちらも「アポロとダフネ」。
January 23, 2010
コメント(0)
この国の人と文化にとって、西洋音楽はあくまでも異国のもの。この国で、この時代の私たちの歌と言葉で「普通」の人が「普通」に音楽を歌い楽しむ、それはCreole,Criolloあるいはチャンプルー。洋服を着ていても喋る言葉は日本語。普通に出る声はアジアの声の中の日本の声。今の時代は日本髪を結わなくても、今の時代でも私たちの声は邦楽器、和楽器。イタリアンでもフレンチでも無く、ルネサンスでもバロックでも無く、その体と言葉、文化と習慣で培われた素材、その形づくられた仕様は今の時代であったとしても紛れも無くジャパニーズ。声という楽器は買うことが出来ない。オリジナル楽器を採寸する事も出来ない。設計図を取り寄せる事も出来ない。材料を選ぶ事も出来ない。製作技術を研究し学ぶ行程の様に客観視出来ない。楽器の持ち替えなど当然出来ない。一切全てが不過視の世界での作業となる。製作家であり、技術者であって、初めて演奏家となれる。それが声楽家であり歌手。こうした考察自体も、異国の歌であっても日本語で考えてゆく。その土地に行かなければ得られないもの。しかし、それでピリオドをうってしまえば、この国で西洋音楽を歌う事は不可能。と、結論づける事になってしまう。異文化の中で異文化に取り組む。そこからがスタートであり、始まり。それが事実。ましてや古楽はAuthenticな取り組みをその礎にしているし、民謡などもTraditionこそがその源になる。日本の古来の伝統芸能を歌うにせよ、その歌が何処の何時のものにせよ、何にせよ、変わらぬ現状を理解し受け入れること。私の中にあるもの、外にあるもの。一つずつ理解し、試行錯誤し、租借し、、山道を一歩ずつ登る様に。そして僕の望みは、、頂きに登りつめる事ではなく。音楽への愛の中には、異文化への愛があることを少しでも伝えてゆきたい、、ということ。。「普通に」歌を歌いたい。。ただ、それだけです。そのために、、楽器の人を見て思う事は、楽器に依存するな!音符だけに頼るな!という事。歌の人を見て思う事は、気分と想いだけに任せるな!楽器を造る様に、楽器を扱う様に、、根拠を持って、自分の声を、言葉を、歌を一つずつ作り出せ!!という事。
January 23, 2010
コメント(2)
子供の頃、読んでいた漫画雑誌は、週刊少年マガジン、週刊少年サンデー、月刊ぼくら、月刊少年などなど、、表紙を飾っていたのは当時の男の子が夢中になっていた見ていたテレビ番組のヒーローたち、、ウルトラマンや鉄人28号、ジャイアントロボ、、、などなど、、そして、ヒーロー級のあこがれのスポーツ選手たち、王に長嶋、大鵬、ジャイアント馬場、、、などなど、、柴田や堀内も登場していた記憶があります。阪神の村山や田淵が表紙を飾る、、という事は全く無い訳では無いけれどそれよりも少なかった様に思います。グリコ、丸美屋、森永、明治、、、といったメジャーブランドにも一途に魅かれていた、という僕はアホな一般少年の一人でした。。よって、子供の頃はあんまり深く考えずに、なんとなく巨人ファンであった様に思います。が、そんな野球の「大人の世界」、いや、メジャーブランドの裏側の世界、を見せつけられたのが「江川事件」でした。小林繁が阪神のユニフォームを着る、、など、当時の1少年からは想像もできませんでした。(江川事件当時は少年以上、青年以下でしたが、、)金田や張本が巨人に入る、という事はあっても巨人のエースが阪神に行く!?はぁ!?当時の僕にとっては大きな驚きでした。西部劇を見ていたらジョン・ウェインが、頭に羽をつけたインディアンになってしまった!位のインパクトがありました。その後、江川のピッチングも応援しつつ、気がつけば阪神のエース小林繁の巨人戦をテレビの前で食い入る様に見てしまっている自分がいました。。「うわ。。火、、吹いてる。。」テレビの前でそう言葉を発してましたし、それが、小林の投球を見ながらの素直な感想でした。さらに気がつけば小林の阪神を応援してました。阪神には掛布が居て、更にバースもやってきました。そして、彼の引退から二年後、、85年、、、。紛れも無く、阪神ファンの私が居ました。震災から15周年の記念の日に小林繁さんが逝きました。すごい雲の上のヒーローでした。が、アマチュア時代は元町の神戸大丸の呉服売り場にいらしたんですね。。尊敬する偉大なヒーローがまた一人旅立たれました。同じ五十代、、いろいろと考えてしまいます。ご冥福をお祈り致します。
January 19, 2010
コメント(5)
震災から15年です。あの日から確実に時間は過ぎて行きます。年を追う毎に、ある記憶は遠ざかるのですが、その一方で、昨日の事の様に残っている記憶もあります。揺れの感触はやや薄らいで行った方かもしれません。その後、芦屋の市街に向け歩いて行く途中、肌で感じた、朝の冷たい空気。異様な静けさ。地震の発生直後は、街らしい音が一切しなかったのです。人のくらしの音が途切れてしまった時間が暫くの間ありました。足音さえ聞こえない道を歩く、目の前見える家々の屋根は、自分の目線と同じくらいの高さにある。音がする方に目をやれば、一階となった二回の窓から這い出して来る人の姿。思わず「大丈夫ですか?」と、声をかけていた。芦屋駅についた頃には漸く人がわらわらとあらわれ始める。日常とは違う音が聞こえ始める。家族の名前を呼ぶ声。瓦礫を取り除く音。指示を出し合う声。嗚咽。死んだご主人に呼びかけるまだ若い女性の声。安否を確かめるため名前を呼ぶ僕の声。そこへ多いかぶさって来るヘリの音。空気の匂いも覚えています。忘れては行けない日だと思います。大きな自然災害とその被害に合った私達の事。でも、大きな危機に遭遇し被害と対峙したとき、言葉は交わさずとも街中の人が仲間となった事も忘れるべきでは無いと思います。そして、人にその力があるのなら、日常と認識される今のこの日々にこそ、思いたいと思います。大きな災害とその苦しみと悲しみを仲間と共に乗り越えた経験を持つ者として、、今、誰にも気付かれる事無く、仲間を得る事も出来ず、負のスポットに嵌って苦痛の中で孤独に戦う人が何処かに必ず居る事を。。その全ての人の存在を私達は決して知り得ない事を。例外無く誰もが無知である事を。その苦しみと誰もが決して無関係では無い事を。。
January 17, 2010
コメント(4)
一週間、風邪を引いて仕事を休みました。この間、何を基準に活動を再開するか?また、これまでも何を基準に再開してきたか?ずいぶんと考えました。ここ二~三日は回復に向かい、体は充分に動くのです。熱もほとんど平熱。でも、仕事も練習も休みました。その判断基準はやはり声です。いや、厳密に言うと、気管支から気管、そして声帯、続いて鼻腔、口腔の粘膜の状態です。大雑把に言うと、「声の鳴る感じ」です。毎年毎年、何故か自分が「オフ」と認識する僅かな期間に風邪を引きます。そのオフを目の前にした時期が来ると、そのオフに向けてラストスパートをかけている自分を発見します。どうやら『年替わり』『年度替わり』にその「オフ」とやらのポイントがあるようです。僕の中では登山道の休憩ポイントに似た印象を持っています。毎年、耳鼻科や内科の先生に診て頂いていると、いつの間にか、初期症状から進行具合が推測出来るようになりました。自己診断とお医者さんとの診断ともほぼ一致します。自分も医者ではありませんが、声を扱う専門家であることは間違いありません。この炎症が何処でどの状態で起こっているか、そんな事が判らない状態で毎日毎日、声を使っている、、なんてあり得ません。。で、今年はかなりの初期症状のうちから活動を停止しましたので、症状があまり重くはならずに済んでいるようです。また、体が充分動くうち、、自分で自分の看病が出来るうちに休み、食料の買い出しなんかもしておきました。ニラ、ニンニク、モヤシ、春菊、ネギ、牛肉、レモン果汁、みかん、スープ、卵、、、蜂蜜はデポがある、あさりわかめスープもある、、(おお、焼酎も、、!)で、結構、普段は出来なかった勉強が少し出来たりしています。が、諸連絡で留まっているものもあったりします。。昨年は体が動くうちに動ききってしまおうとしたら、突然、高熱を出し、エレベータの無い6階で兵糧攻め状態に陥りました。朦朧とする意識の中で休む仕事の調整を電話とメールで行い、支払いの振込の手伝いもメールでお願いし、、、そんな中、昨年ドアのノブにかけられた差し入れは、天使のプレゼントの様に思えました。。今年は兵糧攻めは回避出来ましたし、デスクワークの余力も残っています。。。(連絡ミスが一件起こってしまいました!!申し訳ないです。)でも、、、先ずは引かないのが一番!!!それには『オフに向けたラストスパート』という状態の分析と見直しはした方が良いでしょう。仕事や生活のリズムの見直しも必要です。また、明らかに引き金ともいえるきっかけをもたらすものが常に掃除機の排気やゴミパックの粉塵であること。。マスクなどの予防をしてもあまり効果が無いようです。排気とゴミ捨て、、、う~ん、、ダイソン、、買おうかな?あらゆる意味で今年は転機にしたいですね。。ご迷惑をおかけしてしまった皆さん、、本当に本当にすみませんでした。お見舞い下さったみなさんありがとうございました。
January 15, 2010
コメント(4)
全6件 (6件中 1-6件目)
1
![]()

