パクス・ジャポニカ Vol.2

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2013/04/12
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テーマ: 城跡めぐり(1285)
JR横浜線の小机駅の東側には、まだまだ田園風景が広がっており、巨大な日産スタジアムがひときわよく目立ちます。

日産スタジアムを右側に見ながら、横浜線に沿って北へ向かうと、「小机城址市民の森」が見えてきました。

小机城遠景 (500x374).jpg
小机城遠景。

公園の入口は住宅地の中にあり、竹林の中に登城道が続いていました。
小机城搦め手腰曲輪 (500x375).jpg
公園の入口側斜面
越曲輪と土塁と思われる跡が見えますが、縄張りでは搦め手方向になります。
ところで4月14日(日)に小机城址まつりが行われ、パレードなどもあるようです。



竹林の斜面を登り切ったところにはいきなり空堀があり、その先には冠木門が復元されていました。
小机城本丸空堀 (500x375).jpg

小机城本丸空堀 (2) (500x375).jpg
本丸空堀


小机城本丸搦め手虎口 (500x375).jpg
ここが本丸入口となりますが、本来の縄張りで見ると、本丸大手ではなく搦め手になります。

冠木門を抜けると、目の前は本丸広場へとなっていました。
小机城本丸 (500x375).jpg

冠木門の反対側にも土橋があり、空堀を越えて二の丸へと通じています。
小机城本丸虎口 (500x375).jpg
こちらが本来の本丸大手口だと思われます。

本丸の周囲には空堀が巡らされ、土塁と共に見事に残っていました。
小机城本丸空堀 (3) (500x375).jpg
本丸と二の丸の間の空堀

小机城矢倉台 (500x375).jpg
本丸と二の丸の間の土塁(上部)
土塁の先端部は少し広くなっており、櫓台があったようです。

本丸の先にある広場が二の丸となるのですが、二の丸の位置については資料がなくて不明だそうです。
小机城二の丸 (500x375).jpg
二の丸跡

広場の北側にもさらに広場があり、ここも曲輪の跡と思われます
小机城二の丸腰曲輪 (500x375).jpg



小机城二の丸空堀 (500x375).jpg
まぎれもなく北条流の築城術だと思います。

二の丸からは本丸の周囲を回るようにして、根古谷と呼ばれる大手口へと回ってみました。

小机城二の丸空堀 (2) (500x375).jpg
右側の土塁は櫓台のものですが、この高さと傾斜が見事です。

大手側には腰曲輪がいくつか配されていたようで、曲輪の跡と思われる削平地がいくつかありました。
小机城根古谷腰曲輪 (500x375).jpg
竹林となっていますが、ここも腰曲輪だと思います。

小机城根古谷腰曲輪 (2) (500x375).jpg

小机城大手腰曲輪 (500x375).jpg



ひととおり回ってきたところで、本丸西側の「富士仙元」と名付けられた場所にも行ってみました。

富士仙元との間には第三京浜が通っており、いったん下に降りてガード下をくぐる格好となりました。
小机城富士仙元第三京浜 (500x375).jpg


下へ降りる階段付近には堀切があったようで、その跡が残っていました。
小机城富士仙元堀切 (500x375).jpg
堀切跡だと思います

小机城富士仙元堀切 (2) (500x375).jpg
第三京浜脇の空堀跡


富士仙元の由来は不明ですが、櫓台と思われる土塁の跡があり、富士仙元菩薩の碑が建っていました。
小机城富士仙元大菩薩 (500x375).jpg

小机城富士仙元本丸方向 (500x375).jpg
富士仙元から見た本丸方向
日産スタジアムの巨大な建物が間近に見えます。

現在の城山の西側には第三京浜、南側には横浜線が通っていますが、その向こう側にも城郭は続いていたものと思われます
小机城富士仙元矢倉台 (500x375).jpg
土塁の跡らしきものもうかがえますが、城山全体が城郭だったとするならば、小田原城にも匹敵するほどの規模だったと思われます。


小机城の築城年代は明らかになっていませんが、この辺りが開拓された12世紀以降の築城だといわれています。

関東の戦国時代の幕開けとも言える1478年の長尾景春が反乱を起こした時、長尾景春方の豊島泰経が 石神井城 より逃げ込み、小机城に立てこもりました。

その時は太田道灌が反乱軍を鎮圧しますが、太田道灌が小机城攻めの時に詠んだ歌が残っています。

「小机は まず手習いの初めにて いろはにほへと ちりぢりとなる」

歌道に精通し、歌道の功績を数々残した太田道灌ですが、この歌はどうでしょうか。


その後は小田原北条氏の支配下となり、北条氏第2代の北条氏綱が小机城を修復しました。

現在残る遺構は北条氏時代のものだと思われますが、北条氏特有の軍制である「衆」が置かれ、小机城には「小机衆」が配されていました。

しかしながら北条氏政の弟である北条氏堯が城主の時、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めで、他の関東の諸城と同じく、小机城も開城しています。





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最終更新日  2018/01/29 05:12:38 PM
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