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このシリーズはもう終わったのだが、次のチームの「ナビィの恋」との関連について。 目取真氏は中江氏についてくそみそに言っているのだが、実はおそらくは無意識下で影響を受けているように思われる。「風音」では特に沖縄音楽ではなく、ロマ・ミュージックやクラシックを導入したことを強調しているのだが、それってとっくに「ナビィの恋」のでやっているのだが。もちろんロマ・ミュージック(ジプシーの音楽)とアイリッシュは違うのだが、調べてみると「ナビィの恋」のアシュレイ・マックアイザックの方が沖縄映画に用いるのにはるかに必然的で、高度だといえる。 まず任意の辺境ではなく、文化的に多くの共通点が指摘されている沖縄とゲール文化という必然性がある。しかもアシュレイ・マックアイザックはアイルランド人ではなく、カナダへの移民の子孫であり、出身地は人口2000人ほどの小さな離島である。よくこんなアーチストを見つけてきたものである。この選択に比べればタラフ・ドゥ・ ハイドゥークスはむしろ安易に思えるほどである。 もう一つ。「風音」で非常に重要な志保の破り捨てた紙ふぶきの映像であるが、今日「ナビィの恋」のナビィが書いた手紙から、ブーゲンビリアが舞うシーンと非常に似通っていることに気付いた。これはもちろん意識的なパクリではなく、無意識下の影響であると思われる。 しかし沖縄インテリの「ナビィの恋」への反発は病的といえるほどであり、イデオロギーというのは人間の目をここまでくもらせてしまうものなのか。「風音」も悪くはない映画であるが、エンターテーメントとして「ナビィの恋」に遠く及ばない。それは頭でっかちのインテリではなく、普通の沖縄の民衆が証明している。
Apr 29, 2014
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今回の沖縄市長選はいろいろ驚くことが多かった。ここ8年の沖縄市の衰退を考えれば、革新市政の限界は明らかで、しかも島袋候補は、コリンザをつぶした張本人である。まあ保守系の桑江候補の政策も夢みたいな大規模プロジェクトなのであるが、桑江氏が有利なのかなと思っていたら、島袋氏優勢。しかも主な争点は辺野古移設の是非だそうである。は?宜野湾市長選挙ならともかく、沖縄市をどうするか議論してるのに、なにそれ?しかしそれを強引に押し通してしまうのが、現在の沖縄の言論状況である。これでは子供達の学力テストで、国語が最下位を脱出できないのも無理ない。 実際に終わってみればわずかの差で桑江氏が当選した。なんでも小泉進次郎氏を投入すると1000票から2000票動くそうだが、この程度では最初の不利は逆転できないだろう。それ以上に大きかったのが20代である。20代は固定電話など持っていないから、世論調査には反映されない。その20代の実に7割が桑江氏に投票したということである。他の世代は差がついてもせいぜい6:4までで、7:3というのはすごいことである。ここで勝負が決まった。 若い世代は桑江氏の政策に期待したというよりも、むしろ新聞など沖縄メディアの作り出す、閉塞した言論状況に異をとなえたのではないだろうか。これは常に若い世代と接している私の感触である。今の若い世代は幸いにして新聞など見ないので、洗脳は不可能である。スマフォなどを通じて、本土の若者と全く同じ情報を入手し、沖縄の異様な言論状況に気付いている。音楽ばかり聞いているようだが、実はしっかり世界情勢をチェックし、沖縄の大人たちより広い世界を認識している。近代以前、琉球王国と同様の地位にあったチベットやウィグルがどんな目にあわされているか知っている。 「オール・沖縄」「沖縄の声」といった、全体主義的なマスコミ支配に対抗する若い世代が成長してきた。それがついに政治を動かす段階にいたった。民主主義というのは多様な意見の議論によってしか成り立たない。「米軍基地の問題と中国の覇権主義のどちらのリスクが大きいのか」「他府県他府県というが、本当はそれは何県なのか」等、どんどん議論すればいいのである。その意味で今回の「若者たちの反撃」の意味は大きい。
Apr 29, 2014
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うまくいったのでもう一本。最初はアキラにルリスズメダイと教わる場面。2枚目は精神的なショック。3枚目は東京にいたころ、義父が母親に暴力をふるっているのを耳をふさいで耐えている画面。
Apr 27, 2014
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東陽一反復される構図。今日はじめて動画キャプチャソフトをダウンロードしてみた。すごいじゃないか。しかし模擬演習は明日。it的にもうちょい成長する必要があるなあ。まあ学生は縦横無尽に使いこなしてくれることだろう。
Apr 27, 2014
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今日東監督の「サード」と「沖縄列島」を見た。これは明らかに順番が違い、当然ながら月曜の発表には反映できない。しかし両方とも面白かった。「サード」は一つ前の報告では娯楽映画と分類しているが、実際見てみると芸術的でもある。 「沖縄列島」のほうは、もしかすると復帰後沖縄の変化は、一つの社会が変化する速度において、人類史上特筆に値するほど早い変化かもしれないと思った。たった46年で社会がこんなに変わることがあるのか。佐藤優あたりは沖縄アイデンティティとか、沖縄民族意識とか意味不明のことを述べているし、那覇の翁長市長も沖縄方言の復権とかわけのわからない事をいっているが、常に沖縄の若い世代と接している私から言うと笑止千万である。 もはや沖縄のヤマト化は不可逆的な水準に達している。翁長市長なんか、若い世代に「ヒヌカンって知っていますか?」とか質問したら驚くだろうな。現在18歳のウチナーンチュの半分ぐらいはそもそも「ヒヌカン」なんか知らないよ。
Apr 26, 2014
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レジュメをまとめる。今年の方針「はじめに」を書きたい人が多いようなので、入れてみた。数字は0スタートではなく、1にした。目取真俊原作脚本、東陽一監督 映画「風音」をよむ。1、はじめに 文化の多様化に伴い、小説や詩だけではなく、新しい音楽や映画などに対する関心が高まってきた。その一方それらの対象を研究、批評する際の方法が確立しているとは言い難い。特に映画の場合、実質的に論じられるのがストーリー、「物語」だけという場合が多く、映像表現としての映画を取り上げる意味がほとんど無い場合もある。 今回とりあげる「風音」は、一つの脚本を母体として、長編小説と映画とが制作されるという非常に珍しいケースであり、故に言語的な表現と映像表現との差異を比較しやすいことが期待される。同時に目取真俊、東陽一というそれぞれ個性的なクリエーターの表現の特徴も見やすいと思われる。 そこで今回の考察内容は、(1)目取真俊のエンターテイメントに対する意識と作品。(2)東陽一による映像化、小説と映画との差異。を中心とする。2、書誌(1)短編小説「風音」初出、『沖縄タイムス』1985.12.26~1986.2.5。(2)短編小説「風音」初刊、大幅に加筆訂正。『水滴』文藝春秋社1997.9。 (現在単に「風音」もしくは原作というとこのバージョンを指すことが多い)(3)脚本「風音The Crying Wing」2003.6。に完成。(4)映画「風音The Crying Wing」 関係者向け完成試写会は2003.11.23。 一般向けの完成披露上映会(有料)は2004.03.03。(5)長編小説『風音The Crying Wing』リトルモア 2004年4月。3,時代背景(これは必要ならつける、なくてもいい)1983年「オキナワの少年」新城卓監督1989年「ウンタマギルー」高嶺剛監督1997年「秘祭」新城卓監督 目取真俊芥川賞受賞、『水滴』発刊。1999年「ナビィの恋」中江裕司監督 「豚の報い」崔洋一監督2000年 九州沖縄サミット2001年 小泉内閣発足、911テロTV「ちゅらさん」 目取真『群蝶の木』2002年 日韓ワールドカップ、日朝首脳会議 「ホテル・ハイビスカス」中江裕司監督2003年 イラク戦争TV「さとうきび畑の唄」TBS2004年アテネオリンピック沖国大にヘリ墜落><4東陽一監督について1934年生まれなので、2004年の段階で70歳だった。ドキュメンタリー作品『沖縄列島』(1969年)。で長編デビュー。『サード』(1978年)などの娯楽映画から、『絵の中のぼくの村』(1996年)のような芸術映画、近年ではエロ映画なども撮るなど、幅広い作品を制作している。第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞をはじめ多くの賞を受賞している。本当はもっとたくさん見ないといえないのであるが、比較的息の長いショットを好み、構図にかなりうるさいタイプだと思われる。
Apr 26, 2014
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今回の報告のテーマは、「風音」の映画性くらいで行こうと思っているので、「早春賦の本当の意味」の問題はやらない。しかしいつか考えるかもしれないので、現在わかっていること、考えられることをメモしていく。★少なくとも映画を見ただけでは「本当の意味」は特定できない。★仮に映画の中で長くなった手紙を解釈するなら、春は「恋」を暗示し、まだそれは十分語れる時期になっていない。真一はそれを胸に秘めたまま死んでいき、藤野には平和の中で幸せに生きてほしい。ぐらいではないだろうか。★小説おいても最初藤野は上記の見方、17歳の幼い自分に対して秘めた恋という解釈をしていた。★藤野は沖縄に来るようになってから、別の「本当の意味」を考え始める。(p196)ここはこの小説の中でも不自然なほど、説明的な表現になっているのだが、簡単に言えば「春」は自由な言論が可能な時代を指し、この歌が作詞された大逆事件二年後の、言いたいことがいえない状況を暗示している。また戦時下の言論状況も暗示している。ということである。★この解釈について目取真は完成試写会と同時期の、2004年3月2日『沖縄タイムス』「地を読む 時を見る」で補足説明をしている。「数年前、平和教育の実践をまとめた本を読んでいて、社会変革を目指す当時の人々が、弾圧下に生きる自らの思いを込めて「早春賦」を歌っていた、という文章を目にした。」と述べているが、残念ながら書名は明示されていない。また仮にこの説がしばしば言及されるものであったとすれば、有名な歌だけにネットで何らかの文章が落ちているものであるが、今のところ一切発見できていない。★仮に「本当の意味」というのが、「作詞者が意図的に秘めた意味」だとするなら、目取真説は全くあり得ない。作詞者、吉丸一昌は帝国大学を出て、東京音楽学校(今の芸大)の教授を務めた体制サイドの人物である。「早春賦」の二年後に書いた旧制「静岡中学校歌」の四番は以下の通り。四、 御國の柱 礎と なりし祖先(みおや)の 後継ぎて 大現神(おおあきつかみ) 天皇(すめらぎ)の 御稜威(みいつ)を四方(よも)に 輝かせ
Apr 24, 2014
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今日見直したら、はがれながらもはっきりeggoの文字(マヨネーズのブランド)がみえるショットがあった。しっかり作り込んでるんだな。映像を見る3★手紙最後に真一が書いた形見の手紙については、映像化の際かなり手がはいっている。時期。小説ではわかれてしばらくたってから、郵送で届く。 映画その場で渡され、「明日読んでくれ」といわれる。日付の変更を待つ少女の志保は非常に印象的なシーンとなった。長さ。小説では非常に短く以下の通り。「貴方が此の手紙を読む頃には、沖縄へ出撃している事と思います。お國の盾として己の務めを果たし、貴方と家族を護るつもりです」(p131)小説ではこの短い手紙の行間にどんな気持ちを込めたか、現在の藤野はかんがえているので、短さそのものに一定の意味はある。映画では達筆な文字で三枚の便せんが消費されている。(1:09:10から) 「実家の庭で桜の蕾が膨らみ始めました。 この前逢ったのは冬の最中、あれからもう四ヶ月になりますね。 この手紙は貴女にもらった萬年筆で書いてゐます。書きながら今日貴女に再会する事を思ひ胸の高鳴りを押さえることが出来ません。 近々、沖縄に出撃することが決まりました。 出撃を目前にした今は只、貴女と家族を護るために戦ひます、とのみ記しておきます。 谷の鶯、歌は思へど、春まだ浅く、そのときにあらず 今日貴女に再会しても、僕はやはり胸中に秘めた思ひを、言葉にして声にたてることは出来ないでせう。 貴女はどんなことがあっても生き延びて下さい。いつの日か平和な世が訪れたとき、幸福な家庭を築かれることを心から願ひます。昭和二十年三月一日藤野志保様 加納眞一」この長大化には映画的な理由がいくつかあると思う。三枚あると、それをめくることで、絵だけで手紙を読んでいる事がわかる。藤野はことあるごとにこの手紙を読んでおり、内容についての関心が高まる。少女時代、手紙を初めて読むシーンでは、文字に真一の声がかぶるというスタンダードな手紙の映像表現になっており、一分三十秒ほどかかっている。最初笑顔だった藤野の表情が徐々に泣き顔になるのにごく自然な演出が可能になった。最後に破り捨てるとき、便せん一枚では非常にしょぼい。やはり三枚ぐらい無いと、あの紙吹雪の説得力に欠ける。「早春賦の本当の意味」という謎かけに対し、小説では長々とした説明が入るのだが、映画ではこの手紙の中で暗示するしかない。ただし「早春賦の本当の意味」については手紙で暗示される、秘めたる恋心と、小説でかき込まれる検閲・言論統制の暗示とではかなり開きがある。エンターテイメントの問題かもしれない。
Apr 21, 2014
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「でいご村から」(大城貞俊作・幸喜良秀演出)を見てきた。うるま市民劇場満員札止め。セリフは方言で、私にはほとんどわからないのだが、セリフが分からないのにひきつけられる凄み。ゼミ生だった天願は一場で死んでしまうので、出番は少ないのであるが、物語は残された者たちの悲しみが主なので、実質主人公といってよい。もう出てこないと思っていたら、幽霊というか、恋人の幻想として踊る場面は鳥肌。舞台であんな演出もあるんだなー。
Apr 20, 2014
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同じ東監督の「私のグランパ」を見た。面白かったが、特に何も得られなかったwわずかに崩れたシンメトリーを好むかも、くらいかな。映像をみる2順不同に重要なショット、印象に残るショット、問題点のあるショット。後で整理する。★万年筆を拾いに行った時の特攻隊員の様子。59:29あたりから。初刊形態、『水滴』p89「蟹の動きがせわしくなった。と思う間もなく、群れは清吉の方に崩れ落ちてきて、目の前にもたげられた若者の顔があった。それは目も鼻も見分けることのできない黒い残骸だった」長編小説形態「若者の全身を覆い尽くしたカニとオオヤドカリがはさみを動かし、切り刻んだ肉を口に運んでいる。」映画ではヤドカリに覆われてはいるものの、まだ遺体に傷はなく、非常にきれいなままの顔である。目取真自身が相当グロテスクなイメージを抑えているが、東監督は大量のヤドカリにのみにグロテスクを担わせ、死体から生理的嫌悪が発生するのをおさえている。結果映画では、生きていた時と同じ死に顔と、頭がい骨の映像しかなく、中間的でよりグロテスクな映像はない。★万年筆のシーンから、現在の清吉のシーン59:50前後か? 小説では「加納・・・。今頃になって・・・」という清吉の独白があり、これは脚本にもあったと推定される。目取真は場面を付け加えたりはしているが、脚本にある場面のセリフにはほとんど手を付けていない。本来の脚本よりも寡黙な存在となる清吉。これはのちに丁寧な分析と考察が必要だと思う。★「コバルトスズメ」1:01:08あたり。海で遊ぶアキラのセリフ。これは小説にはなく、東が付け加えたものだと推定する。この場面小説では魚を見ているうちに純粋に身体的な理由でマサシは倒れてしまう。小説「コバルトスズメやチョウチョウウオ、小型のベラ」と多様な魚。しかし映画ではコバルトスズメだけにしたことにより、1:11:58あたりの東京時代の場面と完全にシンクロする。まさに映画ならでは表現になっていると思う。
Apr 20, 2014
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映像を見る1おおむねのシークエンス割り。本当は正確に作るべきなんだけど。自分用。00:00バス内部、プロローグ。01:30オープニングクレジット。歩く親子。03:45到着から釣り場、マサシが釣り上げるまで。 11:57泣き御頭が鳴り出してから、瓶を置き、賭けが行われるまで。18:22藤野一回目の訪問。真一の写真を見るまで。21:48マサシの夕食。22:32御頭とビンとカニ、約30秒23:01清吉の漁。23:43藤野朝の食事。25:08マサシ初登校。一瞬挿入される感じ。25:19藤野御頭へ。27:42下校、いじめ、アキラがアメを投げ捨てるまで。30:25共同販売所噂話。31:15和江のところにプレゼント攻め。33:27耳切おじい、マサシが捕まるまで。36:38久秋からの電話。37:28藤野2回目の訪問。万年筆確認まで。長いショット有。40:05耳切おじい後半。44:20マサシとアキラ帰宅、米軍ヘリ。45:00ヘリの音でつながれる。マカト清吉を訪問。46:48藤野、いくつかの回想。本当はきるべきなんだろうなあ。49:13清吉、御頭のところへ。49:53 1フィート運動の戦争フィルム。50:11少年時代の回想(6秒)50:17現在の清吉(7秒)50:24真一の埋葬から万年筆を拾いに行くまで。59:40再び現在の清吉。「何を恐れている」まで。49:13秒からここまで一つのシークエンスと見ることもできる。00:40マサシとアキラ海へ。コバルトスズメのみ。倒れるマサシ。01:45藤野疎外される。子供挨拶。御頭へ。03:13清吉とアキラ出漁。04:06手紙を読む藤野。(手紙の分量)少女時代の声が被る。04:43真一と最後にあった日。手紙は手渡し。10:44現在へ。11:22うなされるマサシ。コバルトスズメの記憶。久秋から電話。14:46マサシが治って子供たちの相談。16:03御頭のところで清吉と藤野が出会う。万年筆を返すタイミング?17:23レイプ、しばらくお待ちくださいカニ、殺人。清吉が来るまで。23:56和江を送った後、遺体と遺留品処理。27:23夜、御頭が見下ろす中、死体にたかるヤドカリ。28:14マサシの出発を聞きテラピアを取りに行くアキラ。マサシの出発まで。33:12藤野最後の献花。瓶をどけたため御頭が泣く。34:44和江らの無事を祈るマカト35:04清吉に別れを告げる藤野36:22清吉万年筆とナイフを埋める。38:03便箋を破る藤野。紙ふぶきの飛翔。耳切おじい?41:26子供たち、一瞬御頭の下に立つ清吉。42:56エンドロール
Apr 19, 2014
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私はこの作品を最初リビングのでかいテレビで見ていた。そこに5歳の三男がいた。まあじき飽きるだろうと思ってほっておいたら、登場人物は子供だし、いろんな生き物がでてくるし、いつまでも見ている。死体の残虐さが懸念されたが、それほどでもなかった。そこにいきなりレイプシーンである。これは慌てて消すだろう。このシーンだけでファミリーで見ることを不可能にしている。 問題はそういうマイナスをおかしてまで、久秋のモチーフはこの作品に必要だったのか。確かに一見すると聖なる遺骨としての泣き御頭と、俗なる遺骨としての久秋の遺体、ラスト近くの万年筆とナイフのように構造的な処理がされているが、全然ダメである。久秋ごときが60年もこの村に鎮座する御頭と釣り合うはずがないのである。大体久秋は殺さなければどうにもならないような恐ろしい存在ではない。 2001年、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律、いわゆるDV法が施行されている。この作品の作品内現在は2003年だから、丁度世間的にもタイムリーな話題である。まず警察に相談すべきなのである。またこの作品では、村を代表する美人という設定で、次々村のおっさんがお土産を持ってやってくる。電話で集めればいいのである。何のために故郷に帰ってきたのか。久秋程度なら数人で取り囲めば逃げ出すだろうし、死なない程度で袋叩きでもよかった。このような表現は藤野に対する悪しき排他主義と対になる、心強い共同体の守りということになり、構造的にも十分釣り合ったと思われる。この場合マサシ親子は出ていかないことになるが、村を去る藤野と残るマサシで、これまたバランスが取れる。 しかしその一方その後の長編「虹の鳥」、「眼の奥の森」を前提としていうと、小説家目取真俊にとって「強大な暴力に対する弱者の反撃」「戦後、平和な社会に潜む暴力」という極めて重要なモチーフが、この映画作成と同時期に固まりつつあったことがわかる。また私が指摘した程度のことは目取真は重々承知であり、「虹の鳥」では警察も手を出せないような、強大な悪役を生み出している。 小説の話はそろそろ終わりにする。この映画作成において、目取真は小説家としてのこだわりからエンターテーメントに徹しきれなかった部分があることは否定できない。それゆえ長編小説「風音」は未成熟で、未完成な要素を含んでおり、全体的な完成度という点では短編「風音」のほうがすぐれていると思われる。ただし短編小説から長編小説への移行という観点から見ると、失敗した部分もふくめ重要である。(この項、終わり)
Apr 19, 2014
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小説2上映会のあとのシンポジウムでは「万年筆の扱いをめぐって、何人もの人が納得できないと言って目取真氏に質問していた」そうである。シンポジウムに出た人の報告。http://www.mag2.com/events/goya_bk/0000110016/200406250840000000110016000.html これは初出形態および初刊形態では問題にならない。これら「原作」では村を訪れるのは隊で偶然知り合い、敗戦で生き残った友人である。仮に隊員名が特定できても、万年筆を渡すほどの相手ではない。 これに対していとこであり、かつお互い恋心を持っていた、いわば遺族と言っていいような藤野に変わったことで大きな争点となった。返すだろ、ふつう。ということである。 シンポジウムで聞かれるまでもなく、脚本完成後、目取真自身の苦悩が小説にははっきり表れている。このことについて清吉の内面をずいぶん描きこんでいるのだが、結局清吉自身もなぜ返さないのかわからない。「答はない。観たひとが感じたことがそれが答だ」目取真はそう答えている。これは一見正論ではあるが、かりに目取真がこの作品を「エンターテーメント」ととらえているなら、それでいいのだろうか。「映画はエンターテーメントですから、多くの人に見てもらわないといけないです」目取真俊「映画「風音」を巡って」『Wander』vol.36 ボーダーインク 2004年7月2日 ちょっとこれは意外な感じがした。というのは目取真の基本的な態度というのは「数少なくてもいいから、わかる人にだけ、わかってほしい」だと思うからだ。「おもしろかったよー」という一般客の口コミで観客動員が増えるのような映画にするためには(「ナビィーの恋」のような映画)、万年筆は返さなければ駄目である。もしくは返さない理由がはっきりしなくては駄目である。 観客は作品を見ながらいろいろと予測を立てている。この場合大半の客が、ラスト近くで万年筆がかえされ、60年にわたる藤野の思いがかなうと同時に、清吉の罪の意識は清算されると予想するはずである。そして予想通りに行くとすっきりするわけである。 もちろんエンターテーメントにはどんでん返しという、あえて観客の予想を裏切る展開というのもありうる。しかしその場合重要なのは「おお、そういうことだったのか!」という、驚きと納得である。この作品はいずれでもない。深いなぞとして観客の心の中に残る。もちろんこの世にはそんな映画もたくさんある。しかし一般的にそういう作品は「エンターテーメント」とは呼ばない。 もうひとつこの作品を「エンターテーメント」となるのを妨げているのが、和江と久秋の物語である。
Apr 19, 2014
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小説1 ここで長編小説形態についてまとめておく。なお今回のテーマは「映画「風音」を読む」なので、まだ不十分であるが、小説についての考察は今日で終わり。前に述べたとおり小説版は(1)映像だけでは見えにくい、心理描写の補足。(2)映画では描けなかった作中人物たちの過去。背景の増補。これに加えて映画ではほとんど表面化しない(3)一見美しく見える沖縄北部の環境破壊。がある。映画でわずかにそれがうかがえるのは、マサシの釣ったテラピアの入れ物を探す部分程度であるが、小説ではもっと大規模な環境破壊、復帰後の海洋博問題、赤土問題が相当書き込まれ、清吉の人生にも影を落としている。わずか100分の尺の映画の中にさらに環境破壊を入れるとテーマがバラバラになってしまう。それゆえ脚本では取り除かれ、わずかに残存しているのはビンの部分、それからイサムの持つカーボン製の釣竿である。これは「イサムの父は、村だけではなく地域一円でも大手に入る建設会社を経営している」(p25)ためであり、小説においてはあくまで海人(漁業)にこだわろうとする清吉とその孫であるアキラ、そして建設に活路みいだすイサムの父らという対立が明確に描かれている。映画でもアキラとイサムは対立しているようだが、さほど明確ではないと思われる。 ちなみにマサシの魚をいれたビンは小説では「エゴーのマヨネーズ瓶」(p.18)と特定されている。厳密には「EGGOサラダドレッシング」なのだが、これは本土はもちろんアメリカでも販売されていない謎のマヨネーズである。
Apr 19, 2014
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登場人物のメモ。名前すぐ忘れちゃうのでwまた以下の記述が若干わかりやすくなると思う。加納真一、特攻隊員・泣き御頭(細山田隆人)藤野、真一のいとこ。実質的には恋人。(加藤治子、加藤未央(少女時代))当間清吉、少年時代父と共に加納真一を弔った。遺品の万年筆を持っている。(上間宗男、公募で選ばれた素人、本当のウミンチュ)当間アキラ、清吉の孫、6年生。マサシを守る。(島袋朝也・公募)島崎和江、若いころ東京に出ていくが夫のDVのため故郷に逃げてきた。(つみきみほ)島崎マサシ、和江の息子。4年生。若干成長不良で体が弱い。(伊集朝也・公募)島崎久秋、DV夫。追いかけてきたが、返り討ちに会う。小説ではマサシと血縁関係がないが、映画ではその辺の事情は明示されないので、実父と思う人が多いと思われる。(光石研)金城マカト、和江の実母。(吉田妙子、沖縄では知る人ぞ知る女優、最近では映画版「琉神マブヤー」などにも出ている)石川、区長。藤野を親切に案内する。(北村三郎、沖縄芝居の重鎮。最近では若い俳優が沖縄方言ができないので指導する役割を果たしている。若いころの金城哲夫の友人のひとり)耳切おじー、旧日本兵として沖縄に来た。小説版でも正体不明。(治谷文夫、公募で選ばれ俳優としては素人だが、沖縄を代表する画家のひとり。http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/artists/painting/haruya_fumio/index.html)映画と小説は後半に行くほど、それぞれの特色を見せ始める。 基本的に小説における目取真は、内面描写と映画では描かれなかった過去のエピソードを増補するという方向に進む。例えば映画では一切出てこない和江の父親、金城和明と清吉との関係が書き込まれ、小説だけ読んだ場合は、アキラがマサシを必死に守るのは、和明を守り切れなかった清吉の償いをしているかのような読みが可能になる。 数多い内面描写のゆえ、清吉のあり方は小説では相当感情の揺れをもった人物になっている。 和江と久秋との夫婦関係もずいぶん書き込まれるが、はっきり言ってこの作品にこの不幸な夫婦のモチーフが必要だったかというと難しいと思われる。しかし小説家目取真俊にとっては「弱者の反撃」は非常に重要なモチーフだったと思われる。この問題については明日述べる。 一方、東監督の映像表現は、むしろ想像されるシナリオのセリフを減らし、沈黙の映像にしたのではないかと思われる。これも明日以降。
Apr 18, 2014
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その他未入手文献山上徹二郎「映画『風音』製作ノート」『けーし風』43号。プロデューサー山上徹二郎自身の文献。これは宜野湾市図書館にあるので明日コピー。高口智史「目取真俊・沖縄戦から照射される〈現在〉--「風音」から「水滴」へ」『社会文学』31号日本社会文学会 2010 年これは沖縄大学にある。ただタイトルからいって初出形態から「水滴」へとすすむ初期目取真の分析だと思われるので、慌てる必要はないような気がする。東 陽一,蔦井 孝洋「映画「風音」の製作」『映画テレビ技術』日本映画テレビ技術協会 2004-07東監督の言葉はだいぶ集まったが、蔦井カメラマンのことばが出てくるのは初めて見た。雑誌も専門誌なので、テクニカルな議論が期待されるが、残念ながら県内図書館にはない。ちょっと間に合わない感じ。ここが沖縄のつらいところ、資料収集はお早めに。目取真俊「風音」脚本そのものwちょっとこれほしくなってきたな。実はこれを持っている人は特定できていて、しかも知り合いなのだが、目上の人なので、丁寧に書簡でお願いする必要がある。一週間はきびしいな。
Apr 18, 2014
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ガルシア・マルケスがなくなった。かつて目取真はいつかは「100年の孤独」のような作品を書きたいといっている。また映画「風音」の配給会社「シグロ」はスペイン語で100の意味で、「100年の孤独」にちなんだものである。 さて冒頭30分ほどはほぼシーンの順序まで一致している映画と小説であるが、映画30分、小説62ページから大きく差異を見せる。 村の男達が和江の気を引くために、魚や作物などをもってくるシーン。この後シーンの順序が変化し、また映画では描かれない要素が大きくなる。映画→すぐに「耳切おじい」のシーン、マサシが捕まるまで。→久秋(夫)からの電話(約40秒の1ショット)。→藤野が清吉を訪れるシーン。「耳切おじい」後半。米軍ヘリ。→マカトが清吉を訪ねるシーン。小説→久秋からの電話。和江が沖縄を出てからの物語。マサシは久秋の子ではないこと。当初やさしかった久秋の不可解な変化など。→藤野が清吉を訪れるシーン。極めて重要な場面であるがあっさり描かれている→「耳切おじい」のシーン。→マカトが清吉を訪ねるシーン。映画小説ともほぼ半分。
Apr 18, 2014
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DVDが延滞になっちゃうので、那覇に行った。それだけじゃ口惜しいので、県立図書館に行った。本当は脚本版を期待してい行ったのだが無かった。当時のパンフレットは所蔵されていた。ところがこれは大城立裕文庫のため、白い手袋をして読まなくてはならない。大城さんの手書きノートとかならともかく、こういうやつは柔軟に対応していいのではないか。おそらく唯一の学術論文も入手した。村上陽子「喪失、空白、記憶-目取真俊「風音」をめぐって」『琉球アジア社会文化研究』第10号、琉球大学大学院、2007年11月。村上氏は同姓同名の有名人が結構多いが、当然ながら村上春樹の奥さんではなく、後に東大の博士課程に進み、へりパッドに反対している方だと思われる。 それから2004年前後の新聞を閲覧していたが、そういや検索システムがあったな、と手続きしてみた。昔と違い使い勝手がよくなってる!しかも有料だが、記事印刷もできる。そういや大学にもあっただろこれ、と思い、大学に戻った。 大学図書館のも県立図書館のと同じだった。要するに新聞社と同じ法人契約をしているのである。で、印刷しようと思い説明をよむと、「受付で紙をもらって下さい」。でコストは?何?ただだと?コピーだって10円取られるのにどうしてただなんだろう。まあいいと思い受付に行ったら、日本文化の卒業生たちが働いていた。紙をもらおうとすると「いいですけど、先生方は研究室のパソコンで印刷できますよ」「!」なんというit音痴・・・・・しかし学生たちの中にもしらない人もいるだろう。「風音」の次の「ナビィの恋」なんか200以上かかるよ。
Apr 17, 2014
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火・水は授業準備が立て込むのであまり時間が取れなかった。今日は長編形態の小説を読み始めたのだが、冒頭から三つの「風音」、すなわち脚本、映画、小説の関係が極めて特異でかつ貴重だということが分かった。 小説の映画化はよくあることだし、映画の小説化もあるが、脚本を挟んだ3者がこの作品ほど近いことは珍しいと思われる。というのは基本的に脚本と映画は若干の違い程度しかないのが普通である。これに対して小説は極端な場合は筋立てまで異なるものから、かなり近いものまで様々である。しかしこの作品の場合は同じ目取真という作家がつい最近書いた脚本をもとに小説化する、ということなのでまだ冒頭部のみだが、映画と小説はほとんどそっくり。特にセリフはきわめてわずかな違いしかない。 昨日紹介したインタビューで目取真は撮影には同行せず、その間小説を書いていたと述べている。読んだ感じでは脚本はそれとして、また一から書いているという感じはせず、目取真はおそらく脚本をデスクの上に置き、時折それを確認しながら執筆したと思われる。丁度東陽一監督が、メガホンと脚本を一緒に持っているのと同じように。 初刊形態の「風音」と映画「風音」との距離が、通常の小説と映画との関係だとするなら、長編形態の「風音」と映画「風音」は脚本「風音」という同じ母親から生まれた異父兄弟のようなものである。それでありながら違うジャンルであるというところが重要である。一つの脚本をもとに、ほぼ同時に映画と小説とが制作されていたのである。 これほど近いがゆえに、その差異は映画と小説というジャンルの違い、また目取真と東という表現者の差異を浮き彫りにしているはずである。また鑑賞者の資質をも浮き彫りにするかもしれない。 例えば私は小説の読者としては一応プロということになっている。だから今年また新しく九州芸術祭の小説部門の沖縄審査のオファーが来た。この賞は目取真俊を芥川賞に送った賞なので、もう二つ返事でOKである。あのう、おいらでいいんでしょうか・・・ これに対して映画批評の分野では私は素人である。だから私のところに映画批評のオファーは来ない。AKBの秋元氏が面白いことを言っている。自分のところにこんな人が来た。「秋元さん、あなたが書く程度の詞は僕にも書けます」これに対して秋元氏は「そうでしょうね。しかし、君のところには注文は来ません」非常に興味深いエピソードである。 実際今回映画の分析にチャレンジして、またこの能力はライフワークの一つである金城哲夫の表現分析のために必要な能力である。ところが小説の序盤を読んだだけで意気消沈してしまった。 第一シークエンスの、4シーンに釣りの場面がある。ここで重要なのは一人だけリール・カーボンの釣竿を持っているイサムである。小説版を読むとイサムはこの少年たちの中で突出して裕福な家庭の子供である。それゆえリール・カーボンの釣竿は豊かさの象徴なのである。しかし一回目の鑑賞では私はこの釣竿の重要性は意識できなかった。改めて映像を見直すとほかの子供たちは竹竿を置いたまま歩き出すのに対し、イサムは非常に大事そうに竿を持って移動している。私は映画観賞者としてこのリールの重要性を意識できなかった。なぜかというとうちの息子たちがこの程度の竿とリールを持っているからである。東監督の表現でもこれを意識してみると、リールカーボンは相当強調されている。この程度の読みじゃだめだなあ。
Apr 15, 2014
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目取真俊「映画「風音」を巡って」『Wander』vol.36 ボーダーインク 2004年7月2日2004年4月那覇特別上映会直後のインタビュー。かなり興味深い内容である。・目取真俊、東陽一だけでなく、この組み合わせを選んだプロデューサー山上徹二郎の重要性。山上は本編制作の映画制作配給、シグロの代表取り締まりでもある。すこしネットで調べただけで、護憲、反原発、従軍慰安婦の強制連行はあった、という明確にそっちサイドの人物である。・「赤瓦にシーサー」通俗的な沖縄は撮らない。・「癒しの空間」にはしたくない。★やはり中江映画や「ちゅらさん」に対する意識はそれなりにあったのだろう。・子供たちについては微妙な言い回し。既に沖縄の子供たちにはあんな自然との同化は無いということなのか?途中から複雑な家庭を持った子供は多いというふうに話がづれていく。ここは「この映画は既に失われてしまった沖縄」なのか、という点で重要だと思う。赤瓦はいけなくて、自然と共生する子供はいいのか?・小説を書く予定だったので、撮影現場は見なかった。映像の力は強いから。・目取真が子供の頃の思い出話が多い。・かつて沖縄では後世(ぐそう)とこの世はもっと近かったという話。・「蝶」というモチーフの話。・沖縄音楽をあまりつかっていないのが特徴。ジプシーバンドを選んだのは山上プロデューサー。cfこの選曲に対しては 「ソウルフラワーユニオン」中川敬の厳しい批判がある。http://www.breast.co.jp/cgi-bin/soulflower/nakagawa/cinema/cineji.pl?phase=view&id=155_fuon・なぜ万年筆を藤野志保にかえさないのかという理由について、「映画を見た人それぞれが考える」といいつつ、かなり踏み込んだ解説をしている。またこの部分は小説では詳細に説明しているということだ。・メッセージ性については抑制的だ。・ヤマトと沖縄という二項対立ではない。★この辺についてはわりと同意できる。というか目取真は作品制作者としては常に抑制的であり、それゆえ政治的発言に比べはるかに強く心を揺さぶる。
Apr 13, 2014
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時間軸などに関する簡単なメモWikiは単純に東京中心の日程を書いているだけ。まだ見ることのできる公式ホームページなどから、日程を再構成した。20044月、那覇で特別上映会 『沖縄タイムス』に「風音対談」が掲載される。6月12日 那覇桜坂で先行ロードショー6月22日 東京試写会(中野)7月31日 東京で初日。Wikiはこれを公開日としている。関連年表、映画・ドラマ・重要事項1983年「オキナワの少年」新城卓監督1989年「ウンタマギルー」高嶺剛監督1997年「秘祭」新城卓監督 目取真俊芥川賞受賞、『水滴』発刊。1999年「ナビィの恋」中江裕司監督「豚の報い」崔洋一監督2000年 九州沖縄サミット2001年 小泉内閣発足、911テロTV「ちゅらさん」 目取真『群蝶の木』2002年 日韓ワールドカップ、日朝首脳会議「ホテル・ハイビスカス」中江裕司監督2003年 イラク戦争TV「さとうきび畑の唄」音楽メモ「ナビィの恋」アシュレイ・マックアイザック→アイリッシュ「風音」タラフ・ドゥ・ハイドゥークス→ジプシー似たようなもんじゃないのかなあ。
Apr 13, 2014
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本日初鑑賞、初回メモ(ネタバレ注意、先入観なしに見たい人は飛ばしてください)・最近珍しいスタンダードサイズ(昔のテレビのアスペクト比)。 東監督は「私のグランパ」(2003)や「酔いがさめたら、うちに帰ろう」(2010)ではビスタサイズ(普通の横長のサイズ)を使っているので、多分意識した可能性が高い。 ちなみに復帰前の1969年に取った「沖縄列島」はスタンダードサイズ。・スタンダードサイズのため視野が限られ、フレームが強く意識される感じ。・フレームアウト(停止したカメラから、人が出ていく)やフレームインが多用される。・カメラの移動はハンドカメラなど使わずに、短い距離でもカメラレールを使ってる感じがしたが、これはメイキングビデオで確認できる。・のぞきのようなカメラワーク有。・誰でも気づくことだが、小動物、虫、魚などが極端に多用されている。・美しい自然/おぞましい人間という目取真の繰り返されてきた表現は映像として見事に再現されている。★初刊形態との大きな違い。違いはたくさんあるが、大きくは二点。・死んだ特攻隊員を探して島をおとずれるのが、友人から恋人に変わった。(こっちは切なさアップで成功だったような気がする)・DVというかストーカーというか、新しい現代のモチーフが加わった。(こっちは失敗だったような気がするなあ。ネット上の評判も良くない)・戦時中は非常にあっけない感じがした。・同時に米軍も、宣伝では強調されているが、本編ではそれほどでもない。・レイプシーン、殺人シーンがなければ家族で鑑賞できるできる作品になったじゃないかな。3男と見ていたので一回消したぜ。
Apr 12, 2014
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まず基本情報。一応wikiに項目がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E9%9F%B3_(%E6%98%A0%E7%94%BB)だがしょぼい。最初目取真俊「風音」と表記しようと思ったが、監督は東陽一なので、映画というジャンルからいうと東陽一「風音」ということになろう。この点は重要な問題となるかも。書誌。「風音」は異様にバリアントの多い作品であるが、目取真俊『風音The Crying Wing』リトルモア 2004年4月。(資料は初出の時から詳しく書いておくと後が楽)のあとがきに詳しい説明がある。1,「風音」(初出形態)『沖縄タイムス』 1985年12月26日~1986年2月5日。(連載回数とかは現時点では不明)2,「風音」(初刊形態)『水滴』 文芸春秋社 1997年9月。(大幅に加筆訂正。現在単に「風音」というとこのバージョンを指すことが多い)3,「風音The Crying Wing」(脚本形態)2003年6月に完成。今も残存しているかは不明。4,「風音The Crying Wing」(映画形態)2003年7月~9月。最初の試写会は2003年11月。今回の直接的な研究対象である。5,「風音The Crying Wing」(長編小説形態)、『風音The Crying Wing』リトルモア 2004年4月。(映画をもとに執筆しているが、映画とは独立したまた別の作品である)現在目取真の短編小説集などが発刊されているがどのバージョンが収録されているかは、現時点ではわからない。
Apr 11, 2014
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今年学生が出してきた課題のうち、実は見たことないのが映画の「風音」だったので、これにした。しかし序盤から苦戦。というのは昨日近所のツタヤに行ったら、DVDが無いのである。ゲオもなし。ネット上の無料動画も無し。実は現在沖縄県民、特に若い世代の沖縄への関心が急速に薄れており、かつてはレンタルショップにかなりの規模で置かれていた郷土・沖縄コーナーがどんどん縮小している。今日になって比較的DVDなんかもたくさんおいてある沖縄市の図書館に行ったのだが、無かった。だが後述する二冊を借りたので無駄ではなかった。そのあとここに無ければアウトの県内最大・ツタヤ那覇店に行ったら、やっとあった。しかしここですら二本・・・私が借りたのであと一本しかない。久々に行ったのだが、レンタルショップの駐車場なのに、駐車チケットってなんだよ。というわけで重大なお知らせ。★この作品は現在激しくマイナーになっており、各自見てくるというのは困難なので4月21日は上映会にします。図書館のAVホールつかえればいいんだが・・・・
Apr 11, 2014
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のどの通りとダンピング症候群が一進一退で、やるべき事はぎりぎり出来ているのだが、なかなかネットとかまで力を避けない。しかし新学期恒例の「2週間でレジュメをまとめる実例」の時期になった。これはやらなければいけないことなのでがんばります。
Apr 11, 2014
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