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退院。これはもちろん治ったということではなく、当面病院でやることがなくなったため。 しかし体調も悪くなく、本当に自分が深刻な病気になっているのか、信じられないほどである。 来週から職場復帰。無理しない程度にがんばりたい。
Oct 31, 2014
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1日に何回も体温、血圧その他計測しているのだが、数値だけ見るとまったく健康状態である。 抗がん剤点滴は既に終了。放射線治療もまもなく終了で、当初予定通り月末には一回退院の予定。 もちろん症状が治まっただけで何も解決はしていない。本当の戦いはこれから。
Oct 24, 2014
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当初の予定通り、気管支内部にできた腫瘍は、抗がん剤と放射線とにより順調に減衰していると思われ、様々な数値や実感としてはまるで直っているかのようである。本当にここで止めることができたらどんなにいいのか。 こういったブログだと小康状態を利用して、死生観や人生観を再検討したりするものだが、今の私にはそのつもりはない。これからしばらくは単純にこの状態が続くと思われるし、その間また書き込みが無いがどうしたんだろうと思われるのも思いの他のプレッシャーなので、以下なるべく週に一回、今日たまたま金曜なので、以下金曜の夜に簡単な定時報告をしたいと思う。まだ生きているのか、とか気になる方は、週末だけちらっとチャックしてみて下さい。 また体調が良くなると妙に暇なので、他のことを書くかもしれません。
Oct 16, 2014
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多くの人々に心配していただいていますが、単に精神的なものだけではなく、実質的不安にさらしてしまっている在学生の皆さんにお詫びします。人生の大切な時期に指導教員がこのていたらくで申し訳ない。一方私の書き方が分かりづらく、あらぬ誤解などもあるので、近々予定を含め、補足説明します。1,体調自体は、ほとんど健康体。 途中熱の出たことを書きましたが、あれ以降具体的な症状は恢復し、現在は非常に元気です。当初予定通り11月には退院できると思われます。現在みえている腫瘍はほぼ消えるとみられています。2,卒論はどんなにだめな状態でもいいので、早めに送って下さい。 体調良好、ベット固定という暇な状況の内、一人でも二人でも卒論の現状を見たいのです。誰一人送ってくれないって・・・・。そしてこれが年末一気に来ると、体に負担がかかります。現時点でそれほどの完成度がないのは分かっています。一人でも二人でもメール送信して下さい。書きかけの卒論は、今の私に対する最大の応援かも。3,3年指導については、冬休みの2コマ×2日とか、2月とか、変則的になるかもしれませんし、私以外の指導になる可能性もないわけではありません。しかしいかなる事になっても皆さんの不利にすることは、学科としてあり得ません。
Oct 13, 2014
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抗がん剤1サイクル目は難なく終わり、放射線も重粒子とかの最先端ではないが、強度変調放射線治療はからだにやさしく順調に進んだ。これならそれほど苦労せずに寛解も可能かもしれないと思った。 しかし10月8日突然異変が起こった。抗がん剤を点滴し始めたとたん制御できないほどの震え。人生の中でも中学まで記憶を遡らせるほどの滅多に経験しない悪寒である。すぐ40度超の熱がでた様である。投与は中止。一旦精密な検査が行われた。実は今日に至るもこの発熱の原因自体は分かっていない。私は「身体」からのメッセージなのか、あるいは逆にがん細胞からの警告だったかも、などと思っている(頭大丈夫です^^)。 検査の結果転移は気管支だけはなく、肋骨もにもあったことが発見された。この骨に転移しているということはきわめて重大である。なぜならこれはがん細胞が血管を経由したことをしめし、ステージ4、いわゆる「末期がん」を示すからである。今や体中をがん細胞は我が物顔にめぐっている。いつどこで再発するのか分からない。これが「余命1年」の意味である。 もちろん1年後死んでいるかもしれないが、現時点で余命1年はやや極端であるように思う。まず現在みえている転移は非常に小さい胸骨のものもふくめ、現在の治療で消すことができそうである。問題はその後再発がきわめて濃厚ながん細胞に対して、どのような予防措置がとれるのか、そこにかかっているように思われる。わずかな湿潤だけのステージ2のあと手術で寛解、一年後いきなりステージ4、これってどうなっているのだろうか。この状況はお医者さん、お願いしますじゃあ、行けないような気がする。NX細胞やメラトニン、一方漢方など視野に入れ、最善を尽くしていきたい。
Oct 11, 2014
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大変ご無沙汰いたしております。またご迷惑ご心配おかけしているみなさんには申し訳ありません。 3日前「余命一年」の診断をうけ、突然のこと故衝撃的でしたが、大分落ち着いたので記録を残そうと思います。 書きたいことは山のようにあるのですが、本日はなるべくストイックに事実だけを確認したいと思います。 2013年3月に食道がんが確認され、2回の化学療法の後、6月10日に切除手術。これは成功し、このときに切除した細かなリンパ節に一切の癌は確認されなかった。一般にこの状況を医学界では「寛解」とよぶ。これは世間一般が考えるようになおる(完全に元の通りになる)のではないが、「病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態」のことである。たしかに私はそこまではいった。 その後食道が狭くなったことや、消化力の低下など後遺症に悩みながらも、徐々に仕事ができるようになり、月一回の定期検診にいったが好調であった。6月に手術後1年となり、定期検診まで3ヶ月明けることになった。ところがこの3ヶ月に異変が起こっていた。実は今思えば8月下旬あたりからのどの様子がちょっとおかしかったのである。本当に「ほんのちょっと」・・・人間というのはほんとに愚かなものである。一度癌を患っているのである。たしかに一年間出ていないが出ても少しも不思議ではない、というか相当に怪しいのである。しかし危機の記憶が風化した私は「まあ9月に行くんだから」 9月6日の再検診でそこに何かがあるのは確認された。しかし場所が気管支内部なので、別の専門医による再検査が必要だということなる。 9月11日気管支内視鏡による再検査。主治医の所見では残念ながら再発が濃厚しかし病理を確認する必要がある。 9月26日再発が確認され、即日入院の指示が出る。自覚症状からは既に一月以上がたっていた。 しかしながら転移は局所的であり、放射線照射の当てやすい場所なので再度の寛解も期待できるという事であった。(つづく)
Oct 10, 2014
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