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もうこれ以上、手の病は要らないんだけど。40代でなった手根管症候群とバネ指テニス肘も同伴したりして。50代で手根管症候群継続中なのに、最近は左手中指のブシャール結節と合体進行中だった・・・しかし、数ヶ月前から右手親指に違和感が出てきた。親指を動かすと手首の方まで痛みが走る。コレは、この感覚は・・・20代になったことがある腱鞘炎じゃ~なかろうか当時はパソコンなんて無い時代だったからあえて深く追求することも、病院に行くこともなく、のん気な主婦をやってたらいつの間にやら治ってしまったのだけれど、夫の友人の奥様は手術までする重症になったと聞いていた親指の腱鞘炎。それに名前があったのを初めて知った ドケルバン病 手関節における代表的な伸筋腱炎親指を伸ばす伸筋腱(長母指外転筋腱と短母指伸筋腱)が手関節の親指側のトンネルで狭窄された状態症状は手首の痛みと腫れが主体で、 痛みは物を摘んだり、握ったりすると増強中年の女性に好発し、指を酷使する人によく認められる。中には、外傷やホルモン環境の変化で発生する場合、ガングリオンなどの腫瘍によって伸筋腱が圧迫されて起こる場合もある。(日本形成外科学会HPより抜粋)この数ヶ月の間で、右手親指がドケルバン病おまけに中指にバネ指現象まで現われてきた。私の手はこの先どうなってしまうのだろう?! ニワトコ【花言葉】私の苦しみを癒す人 これだけ手ばかり年がら年中患っているとその原因が何か、どうすれば良くなるか、なんてなんとな~く分かっている様な気がする。年齢的に関係していることもあるのかもしれないだろうが、ドケルバン病やバネ指なんての腱鞘炎は手や指に負担の掛かる、同じ作業を長時間続けてはいけない。以前の勤務先でケーキ数千個分の箱組みで右手が腫れあがる。 腫れは1~2日で治まったけれど、それ以降、右手に始まった違和感。 暫くすると右手中指が変な動きを始めた。カックンカックン第2関節を折り曲げて伸ばす時、 勝手に弾く様な動きになる・・・バネ指であった。何千個と出た商品にならないビニール包装された菓子、それを生ゴミとビニールゴミに分別する作業をした時だ。ビニール袋を指で引っ張り破り、中身を出すという単純作業で指が悲鳴をあげた・・・バネ指再来であった。 ビロードモウズイカ【花言葉】臨機応変な態度 で・・・今回運が悪かったのは勤め先で、機械作業でやっていたことが、手作業になってしまったことだ。10kg以上ある材料を手で持ち続け、一定量搾り出す作業を一日100kg~200kgはやらなければならない。それを勤務日5日間続けるのだ。機械代わりに手での撹拌、倉庫から材料を持って来るのも自分である。そんなのを半年以上、一年近くやっている・・・ 腱鞘炎にならないワケがない!! 痛くなったら手を酷使するのを止めれば良い話なのだ。かといって、生活の掛かっている仕事を休むわけに行かない。でもこんなこと続けてたら状態は悪化の一途をたどるしかない。そこで疑問が浮かぶ。腱鞘炎て労災にはならないのだろうか仕事中によく聞いてはいた労災という言葉だけれど、労働災害(労災)は仕事が原因でケガや病気にならないと労災にはならないのではないかってのが頭の隅っこにあった。きっと歳だからとか、慢性のものだろうとか言われて腱鞘炎なんて労災のうちに入らないなんて、長年思っていたし、あえて調べもしなかった。そもそも労災の何たるかもよく知らないで働いているなんざ、労働者として失格・・・というか損しているんだろうな労災保険(労働者災害補償保険)とは労働者が通勤時や業務上の理由によって、ケガを負ったり病気にかかったりした場合、その生活を補償する為の、事業主が加入する保険。事業主は「労災保険」に加入し保険料を納付するのは義務例え会社が労災保険に加入していなくても労働者は保険金の申請ができる。保険金の申請は、あくまでも労働者が自発的にするものなので、会社はしてくれない。で・・・腱鞘炎などで申請する労災で 「上肢障害の労災認定」 というのがあった。上肢障害とは・・・腕や手を過度に使用した為の、首から肩・腕・手・指にかけての炎症や関節や腱におきる異常上肢障害は作業中だけでなく、家事やスポーツの日常生活でも起こるので、原因が特定し難いのが大きな特徴なので上肢障害での労災認定は一定の要件が必要となる。上肢障害の労災と認定される3つの要件1.上肢等に負担のかかる作業を主とする業務に 相当期間(6ヶ月以上)従事した後に発症したものであること2.発症前に過重な業務に就労したこと(同種の労働者よりも10%多い仕事量の日が3ヶ月以上続いた場合等)3.過重な業務への就労と発症までの経過が、医学上妥当なものと認められること要件に該当する人は医者や労働基準監督署に相談してみる。思うに、各部所でどのような仕事をどういう風にしているか、上の役職の者がきちんと把握していないのではないか。私の場合、それまで機械でやっていたことを手作業でやらせるのだし人の身体に不具合が出てしまうのではないかとか考え及ばせない社員達もおかしい。(機械導入前は手作業で、手が壊れて辞めて行く人が多かったと聞く)社員に申告すればどうにかなると思うかもしれないが私みたいに無理してでもやってしまう人間は限界までやってしまう。損な性分で・・・痛いのも、辛いのも、我慢できちゃうからなぁ・・・小学2年の時、シジミ採りに川に行ってビール瓶のカケラをツチフマズでザックリ踏んで歩くのが困難なのに父親に「学校は休むな」と言われたから、我慢して歩いて行った。その日は月曜日で校庭で朝礼があった。ホントはイスに座っていたかったのに、皆校庭に行くのに廊下に並んでる。足の裏がズキズキして、出血して、上履きの中が大変なことになってるのに誰にも言えずに我慢している自分が可哀想になって、泣き出した私。先生が気づいて家に連絡して、母が職場から自転車で迎えに来た。我慢は美徳なんて言葉実行してるワケじゃないけど子供の頃から親に植え付けられたものはなかなか抜けない様だ。単に作る作業が大好きだから、最近自分の趣味が何ひとつできていないから、今の仕事が趣味になりつつあるから、できることなら労災なんてことにしないで、有給休暇ありったけ取って手を休業させたら、負担の軽減された場所に戻って来れるのが一番かなと、思ったのでとりあえず係長に 「このままだと労災になるかもしれません」 と直訴してみた。
2019年03月24日

山から町に引越しして残念なことがいくつかある、そのひとつがこの時季、帰宅途中に花見ができなくなったことだ。桜が咲く頃になると脇見運転が多くなって自制心をフルに発揮させなければ危なくてしょうがないものだった・・・の、だが・・・それは町に引越ししても変わらず他人の庭で見事に咲く河津桜の横を車のスピードを緩めつつゆっくり走る。帰宅途中に今のトコロ3軒、植えてあるのをみつける。たった1本の若い桜の木でもけっこう楽しみになるものだ。桜好きとしては、自分の家の庭に桜の木があるなんて幸せなことだと羨む。 勤め先の健康診断の帰りに、久しぶりに山に寄ってみる。お彼岸の今頃だったら小彼岸桜・啓翁桜・春めき桜が見られるかと期待する。 啓翁桜 posted by (C)くろすけcat逆光に逆らってフラッシュを当てた桜はやたら鮮明に写って細かいトコまでよ~く見えるけど、撮影した写真でもやっぱり自然光がオバサンの目には良い気がする 啓翁桜 posted by (C)くろすけcat行きつけの啓翁桜はほぼ満開。毎年初めに遇う桜は、店頭に並ぶこの啓翁桜なのだけれどどういうわけかココのと雰囲気が違うのはよそ行きに大事に育てられるからなのかな?環境の違いは桜にも表れる? ダークチェリーのデニッシュと posted by (C)くろすけcat花見がてらに『花より団子』にあらず、花とアンティークのパン♪桜に乾杯・・・桜にかんぱ~ん 話は食に移るけど・・・久しぶりにHeart Bread ANTIQUE(ハートブレッドアンティーク)に寄ったのはクロッシューが食べたかったからだ。ヘタにへなへなぶよぶよした皮の安いシュークリームを食べるならそれを3回我慢してココのクロッシューを食したい。カルピス(株)バターを使用した香り高いクロワッサンの生地に、口あたりなめらかなカスタードをたっぷり入れたというクロッシュー男性拳骨サイズもあろうかという大き目のサックサク皮にこれでもかっ!!ってほどの濃度を感じられる馬鹿旨カスタードクリーム大胆にかぶりつき溢れ出るクリームに塗れるよりは外壁たるサクサク皮を崩しつつ、ちまちまクリームにつけながら時間をかけて味わいたいが為1個税込356円という私には贅沢なクロッシューに手を伸ばす。(もちろん、アパートに戻ってから食べた) クロッシュー posted by (C)くろすけcat クロッシュー posted by (C)くろすけcat 山の小さな公園に咲く春めき桜も相変わらず綿菓子状に満開 春めき posted by (C)くろすけcat 春めき posted by (C)くろすけcat 春めき posted by (C)くろすけcatブンブンぶんぶん桜の下に腰掛けていると無数の羽音はそこここから聞こえる。ヒヨドリはひと気があるから寄っては来ない。メジロは他をあたっているのかなぁ・・・春めきの蜜はどんな味がするのだろう? 春めき posted by (C)くろすけcatなんて思いつつココでも一句、じゃなく一個ピンク色に誘われてしまった・・・ほんのり桜のかほり。中身はホワイトチョコレート。パン菓子だね~ さくらのメロンパン posted by (C)くろすけcat
2019年03月20日

最近、多国籍になった我が職場。入社したての頃は日本人のみでパート、派遣社員も多かった。徐々に派遣社員も減って、去年の今頃は私の働く部所は日系ブラジル人が多かったがいつの間にやらネパール人やベトナム人の若者だらけとなった。途上国への技術移転を目的にできたという【技能実習制度】によるものらしい。企業や政府が、人不足を外国人で埋めたいのが本音だろうなんて言われていたりする。勤め先でタイムカードがカタカナ名前の外国人だらけになったのは そういう事情があってのことかと今更ながら知る。私の持ち場は週末なんて日本人のパートはたいがいお休みでワケの分からないベトナム語が飛び交う中、日本人私独りで仕事をしているので異国にいる気分を味わえる。(ココはドコ?私は孤独~)ちょっと前はベトナム人同士、ブラジル人同士で仕事中に会話をしているのを聞くと(『郷に入りては郷に従え』って言うでしょ、お国じゃなんて言うか知らんけど 日本に来たんだから日本語で話しなさいよぉ~)とか思いつつ、あまりにもおしゃべりが多いと(日本語で話さないのは聞かれちゃマズイ話だからでしょ?そうでしょ? そう思っちゃうからね!)なんて、イジケた嫌味を喉元にぶらさげつつ(日本の漢字で『女』を3個書くとね『姦しい』<かしましい>って読むんだよ~ホントだね~)皮肉の冗談言ったって分かるワケないじゃん。注意したくても仕事の話だったらと思うと何も言えないし、そのうち(口も手も同時並行で動いてちゃんと仕事できてるんだから、まあいいか)と、なった。私の働く部所は20代のベトナム女子ばかりで皆、背格好は同じ様で女子高生の延長みたいで何しろ元気で明るい。仕事は多少大雑把でもちゃんとこなすし、日本語はひらがな・カタカナ・漢字がミックスして難しいだろうに、どう把握するのか、ちゃんとモノになっているし、仕事覚えが早いので驚く。只、日本語会話になると難しいものもあるらしい。「ちゅな」「ちゃまご」当初この単語入りで質問された時、「ナンのこっちゃい?!」だった。「た」行の発音が難しく「ちゃちゅちょ」になるのかとも思ったが、聞くところに寄れば、ベトナム語には「つ」と発音する言葉がないらしく苦労するらしい。(中学生の頃、英語の発音練習を思い出す)そんな彼女達は何故か日本人のオバサン達を『オネエサン』と呼ぶ。当初、『オネエサン』と呼ばれることにあまり良い印象が無かった私は先輩パートOさんに愚痴った。「ダメですよね、ちゃんと名前で呼んで貰うようにしなきゃ。 社員はそういう指示しないんでしょうか? 『オネエサン』て言われたらオバサンみんな振り向いちゃうじゃないですか」なんて言ってはいたものの、面倒くさがりな私は日本名を書いた靴しか履いてないしローマ字名前の入った名札なんて付けるのも億劫。「まぁ、いっか~」で、『オネエサン』にもいつの間にか慣れてしまった。 ベトナム国花 蓮ベトナム人の国民性として4Kというのがあるらしい「器用」・・・繊細な作業の不良品率が非常に低く、 流れ作業でも一人当たりのコストパフォーマンスが高い「向学心旺盛」・・・信仰する儒教が強く作用し、教育熱心な人が多く 教育されることが習慣化している「近視眼的」・・・遠くの利益よりも目先の利益を優先「カカア天下」・・・基本的に女性が主導権 ( 戦争で男手が徴兵されていく中、ベトナムの生活を守っていたのは 女性だった。その過去があるからかベトナム女性は気が強く、 男性は家庭優先という傾向があるらしい)日頃、ベトナム女子と一緒に仕事をしていると思うのはベトナム女子は働き者だ。最近、彼女達の素直な明るさにはコチラが元気を貰える。ベトナム男子はあまり接触がないのだけれど、見ている限りでは、日清カップヌードル<トムヤムクン>ばかり食べて通路や作業所内で他人に聞こえるように歌を歌っていて、女子ほど積極性を感じなく大人しい。が、大荷物を運んでいると手伝ってくれたりするのもベトナム男子で。ベトナム男子は優しいというのは本当かもしれない。 ハス【花言葉】清らかな心 今月も今月とて、我が職場の外国人労働者は増えていく。パート・アルバイトの採用掲示板に採用された十数人の名前が貼り出される。やはりカタカナ名前ばかり・・・グエンと名乗るベトナム人だけでも5人。日本人なんて2人しかいない・・・たぶん直ぐ辞めちゃうのかもな。
2019年03月12日

私は小学生の頃から自分の名前が平仮名なのが嫌だった。(正しくは平仮名まじりというべきか)同学年に同じ名前だけれど漢字名前の子が二人いてそれがちょっと羨ましいと思う時があった。母が何故か時折、私の名前の平仮名を漢字に変えて書く時があって(母は私の名前を漢字名前にしたかったのだろうか?)なんて思ったりもした。小学校高学年から書道塾に行っていたのだけれど、自分の名前が書き難くてしょうがなかった。高校生になって習字の先生に漢字二文字の雅号を頂いた時は嬉しかったものだ。父親に何故この名前なのか聞いたことがある。「曾祖母ちゃんの名前から一文字、祖母ちゃんから一文字貰った。(明治以前の女性名は平仮名二文字名前がけっこう多い=とら・いち・まつ・かねetc) あとは子供だから『子』 漢字にすると難しいだろうから、平仮名にした」わりと安直だった。自分の母親から名前を貰って、子供につけるなんて(・・・父はマザコンだったのだろうか?)曾祖母ちゃんにまで名前を貰うなんて(・・・名前考えるのに悩み過ぎて、面倒くさくなったから ご先祖から名前を貰ったと言えば文句無いだろうとかね)案外安易に名前付けされるものだと思ってもみる。(関係ないだろうけど、小さい頃からず~っとお祖母ちゃん子だった)挙句、結婚したら苗字の画数が多い、多い。旧姓の三倍の画数なものだから、頭でっかちでバランス悪い。益々書き難くなってしまった自分の名前を書くのがど~も嫌い。離婚して元の姓になればまだいいか・・・父親が生きててこんな話をしたら「じゃぁ、母ちゃんが書いた漢字で書けばいいじゃねえか」なんて言われそうだ。半世紀以上付き合った名前に今でも文句言ってる自分。 長男がぼやいた。「オレの人生なかなか思う様に前に進めないのってさ 『亀』なんて名前、付けられそうになったからかなぁ」「縁起がいいし、親戚の誰も使ってないから良いとでも思ったのかなぁ~ でも、『亀』じゃなかったんだからいいじゃない」 ● ● ● ● ● ● ● ● ● 夫の家では生まれてくる子供の名前に決まりごとがあって親が子供に付ける名前の選択肢があまりにも少なかった。男子は11画の一字名前というのがいつの時代からかの決まり事。だから家の名を継いだ舅兄弟三人、夫もその従兄弟達全員11画一字名前。同じ家系で、同じ漢字名前で読みが違う男子がいたりする。命名に決め事があるなら、名前を付けるのに悩む範囲が狭くて良い様にも思える。何しろ子供の名前を考えるのは親にすれば、喜ばしい悩みでもこれから我が子に生涯寄り添う文字になるのだから、考え様によっては産みの苦しみ程になるやもしれないのが我が子の名前。しかし、夫と私には自分の子供に名前をつける権利は勿論、選ぶ権利さえ無かった。我が家には決まり事以上に絶対的権力をもったご先祖大事で神頼みが大好きな姑の存在があったからだ。その姑が11画の一字名前から選択したのはなんと 亀 「『鶴は千年亀は万年』、めでたい名前よ~ 『ひさし』って読むの。なかなかこんな良い名前無いわよ」さすがに、夫も私も頭の上がらない姑にもの申した。このまま『亀』なんて名前にされたら、あだ名はまんま『カメ』決定だしイジメの種になる恐れもあるし、名が体を表したりしたら尚更困る。因みに当初お腹の出かたが女の子だからと早合点した姑。女の子でも11画の一字名前にしようと考えもし生まれたのが男の子でなく、女の子だったら 梅 『うめ』であった。お婆ちゃんみたいな名前だから、せめて『子』を付けて欲しいと内心。挙句、男女の分かる頃になるまで待てば良いのに京都の高島屋に行って、お宮参りの着物まで買い込んだ。「女の子だったら名前とピッタリね♪」くらいの思いつきで買ったとしか思えない。お宮参りの着物は白地に大きな紅と橙色の梅が美しく描かれたものだったが結局、二人目も男の子だったので使われる事無く最終的に親戚に渡ったか質屋行き。結局、男でも女でも名前においては夫と私に与えられなかった決定権、で、最終的に決めたのは・・・ 鶴 岡 八 幡 宮 姑の大好きな神だった。「氏神様に名前を決めて頂く」ことにしたのだけれど『亀』は見事に却下された。夫と私が胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● で、長男に名付けられた名前は~残念ながら明かせないのだけれど、これがまた今長男自らが進んでやっている事、これまでにやっていたことそのものを表す名前だった。もしかして、名前に導かれているのではないかとも考えた。はたして鶴岡八幡宮の神は、そこまで見越して長男に漢字一字でコレだけ深い意味のある名前を選んでくれたのか詳しい事は分からない。おかげで長男の人生計画は予定より出遅れている様にも思えるのだけれど、着実に力を蓄えつつ、近い未来にに己の夢を現実に変えてくれると信じて疑わない母である。長男は言う。「もし俺の人生が亀だったとしても俺は最強の亀になるから! そう、ガメラみたいになって 優秀なウサギに先を越されても追い抜いてやるよ」
2019年03月01日
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