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新学期のスタートする9月も目前。(※1年生は9月11日から。2年生以上は18日から)すでに新学期準備商戦が始まっている。昨年、上の娘エミには結局、ウィッチ(W.i.t.c.h.)のキャラクターの入ったマゼンダ色のリュックサックを、同じキャラクターのペンケースと揃えて新調してやったので、今年もそれらを続けて使わせるつもりだが、下の娘ナナには、新調しないといけないかなあ~と思っているところである。ナナは、ハズルルック・スヌフ(準備クラス)に入る際に買ってやったパワーパフ・ガールズ(POWERPUFF GIRLS)のキャラクター・リュックを、姉のエミのと色違いということもあって、2年間を通じて気に入って使っていたが、いかんせんファスナーの留め具が先に壊れてしまい、学期の最後の方では、開け閉めに苦労していたのである。実は、前回夫は、娘たちへのお土産として、ピンクとシルバーグレーの配色になるハローキティのキャリーバッグを買って帰っていた。夫は、それを通学用カバンとして使わせるつもりだったらしい。確かにキャリーバッグの流行は、最近、通学カバンの世界にまで波及して、まだ身の丈の小さい低学年児童が、大きなキャリーバックを引きずりながら登校する風景を、ここ数年父兄の立場として懸念しつつ眺めていた。後ろ手にキャリーバッグの持ち手を引きながら、肩を落として歩く姿勢を続けるうち、背骨が湾曲するのではないか?と、心配なのである。セルヴィス(通学バス)からの昇り降り、階段の昇り降りにも、いちいち持ち手を伸ばしたり縮めたりせねばならず、不便この上ない。なにより、一般的なリュックサックに比べると、キャリー・タイプは一回り大きいことが多く、キャスターなどの余計なパーツが付いている分、重量も重くなる。子供への負担と弊害が大きいのではと思うのだ。その上、我が家から学校まで、わずか5分の道のりではあるが、いまだアスファルトの敷かれていない砂利道で、そこをゴロゴロとバッグを引きずって行くのは、かなりの難業にあたる。学校に着くまでに、バッグは砂埃で鼠色になること間違いなし。学校の前の道が、池ほどの大きな水溜りになる豪雨の日、暴風雨の日は言わずもがなである。いつもながら、私や娘たちの意見と希望を一切聞かないで、スプリズ(サプライズ)的に買い物をしてくる夫。私は、夫に面と向かって「こんなの使えない」とはさすがに言えなかったが、これはこれで旅行用か物入れ用にでも残しておいて、普通のリュックサックを使わせるしかないなあ~と即座に判断した。エミもエミで、少女趣味からとうに脱却して、アディダスやナイキ、コンバースなどのスポーツブランドに関心のあるこの頃、一目見て私にだけ聞こえるように「ベベッキ・ギビ・デーィルミ?(赤ちゃんみたいじゃない?)」と気に入らないことを素直に打ち明けた。こんなわけで、「最低2年は続けて使用すること」を条件にカバンを新調してやっている我が家では、今年ナナの通学カバンのみ新調することになりそうである。さてさて、今年の流行はどうか?店頭にはどんなカバンが並んでいるか?事前調査のつもりで、先週のうちに近所のミグロス内にあるトイザラスに出掛けてみた。こちら↓が、2006年度の通学カバンの主流らしい。まずは女子用。 上段は、左右とも今年の一番人気、ウィンクス・クラブ(Winx CLUB)。下段は、左が根強い人気を誇るバービー(Barbie)。右の白い仔馬ちゃんのキャラクターが、マイリトル・ポニー(my little Pony)、その左がウィッチ(W.i.t.c.h.)。しかし、今年も見事にピンク、ぴんく、pink!昨年のW.i.t.c.h.に使われていたような濃いマゼンタ色は姿を消し、シュガーピンクというのか甘いピンク色が主流。あとは赤みがかったピンクと紺色のデニム風。次に男子用は、こちら。 左上がスポンジ・ボブ。右上には昨年来のスパイダーマンと、忍者タートル。左下バットマン、右下スーパーマンと、映画のスーパーヒーロー達が勢揃い。気になる価格の方である。女子用の一番安いもので26YTL(約2000円)というタグを見つけ、ホッと安心したら、その脇にはパール風のアクセサリー&ハートのチャーム付きのシリーズがあって、なんと、99YTL(約8000円)というタグが!!最近は、女子用のリュックは年々と派手になっていて、このように可愛いチャーム付きだのお財布・ポーチ付きだのと女の子の心をくすぐる仕掛けがタップリ。せがまれて、ついついお財布を開けてしまう親御さんも多いことだろう。もはや毎年の口癖になってしまったが、実に頭の痛い季節である。いつも応援ありがとうございます。通学カバンも自由に選べるいい時代ですね。娘たちと一緒に、ああでもないこうでもないとショッピングできるのも、女親の楽しみのひとつかもしれません。あとは安ければ文句ないのですが。。。ポチッとクリックお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/30
真夏の焼け付く太陽と青い空の下ではためくトルコ国旗。歓喜と祝祭のためのものではなく、追悼と祈りのために掲げられたものである。街を行き交う人々の動きは、いつもと同じようでいて、どこかぎこちなく見える。抑制された声で会話しあう親子。地元の人間の目撃談に耳を傾ける通行人。爆発音の静まった後の、奇妙な沈黙と静寂。警察官の多さと、進入禁止のテープが、その場所を一目瞭然に示していた。復旧作業は急ピッチで進められていた。瓦礫や割れたガラス片は、夜を徹して行われた清掃作業によってほとんどその場から姿を消していたし、バイクなどの炎上した跡は何処にも見出せなかった。何台も横付けされたガラス業者のトラックと、取り付けを急ぐガラス職人たちの姿が、一刻も早い復旧への希望を表していた。ベレディイェ(区)は、いち早く新しい看板を掲げ、その下に大きなトルコ国旗を吊り下げた。歩道の上には、ある政党によって行われた抗議行動の名残である、赤いカーネーションが残されていた。****マルマリス、イスタンブール、そしてアンタルヤと続いた連続爆発事件により、再び観光業への大打撃が懸念されている。一部の海外メディアでは、トルコへの渡航自粛を勧める論調が幅を利かせているらしい。最近トルコ国内では、この手の事件に関するニュースそのものを小さく扱おうとうする報道自粛傾向がさらに強まった。テレビ・ニュースでは、トップの扱いではない。新聞は全国紙の1面にではなく、5面、6面あたりに小さく掲載するのみ。地方版および地元テレビ局にいたっては、完全無視。まるで事件そのものが発生しなかったかのような錯覚さえ覚える。トルコ国内および地元の観光業へのダメージ回避、観光客および住民のパニック回避、業界への遠慮、・・・などいろいろな理由が考えられるだろうが、詳細情報をまっ先に知る権利のある国民や地元民のもとに情報は届かず、国際通信社を経由していち早く海外に詳細情報が流れる構造は、決して望ましいものではない。海外では一層不安が掻き立てられ、当の国内では常習化して一層危機感が弱まっているように見えるのは、気のせいだろうか。いつも応援ありがとうございます。同様の事件が引き続き起こされないこと、他の都市へ引き継がれないことを祈ります。人気blogランキングへ
2006/08/29
ブドウの季節である。日本であれば、きっと梨が美味しくなる頃だろう。梨は夏バテし火照った身体を冷ます効果があると聞いたことがある。夏の終わりに口にする梨は、いかにも瑞々しく、喉越しが冷たくて実に美味しく感じる。が、トルコで梨といえば洋ナシ(アルムット)。洋ナシには洋ナシの美味しさがあるが、日本の梨の瑞々しさや喉越しは期待できない。トルコで夏の終わりに盛りを迎える果物といったら、イチジクとブドウであろうか。イチジクは、トルコ中何処にでも植わっており、たわわに実をつけているので、もっと値が下がってもいいと思うのだが、1キロ1.5~2YTLと、なかなか安くならない。子供の頃実家の屋根に上って、イチジクの実食べ放題であった私には、なぜかイチジクを買ってまで食べようという気になれなくて、年に1度、お義理のように買ってみる程度なのだ。なので、この時期パザールから買って帰る果物は、ブドウということが多い。それも、私が選ぶのは、種なし。トルコ人は、ブドウの皮も種も一緒に噛み砕き飲み込んでしまうのだが、私には皮は飲み込めても、種がダメザクロもサボテンの実も大の苦手なのは、種だらけだからである。トルコのブドウは全般に、日本で開発されているブドウのように皮がツルリとうまく剥けてくれない。口元に持ってきて、皮を押し、チュルッと口の中に実だけ滑り込ませるなんてことができない。いちいち皮を剥いてまで食べたいと思うほど、美味しいとは思えないので、房から指先で何個かまとめてもぎ取って、皮ごと口の中に放り込んで、ムシャムシャッと食べてしまえる種なしが、一番私の性格にあっているのである。トルコにお越しになったことのある方、トルコ在住の方にはお馴染みの、こちらがトルコの種なしブドウ(cekirdeksiz uzum)。日本の種なしブドウ(デラウェア)より粒が多少大きくて、マスカットよりは小さい。皮ごと口に含むと、なかなか食べ応えがあるのだ。日本の種なしよりは断然美味しく思えるのだが、時々ジューシーで薫り高い巨峰やピオーネを思い出しては、その落差に愕然とするパザールに来る果物屋をとっつかまえては、日本のブドウはこんなもんじゃないんだよ~!と講釈しては空しくなる私。それでも、皮ごと食べても美味しい種なしなんて、日本にはないんだから。そう思っていたら、なんと。日本にもあるんだと!皮ごと食べられる種なしブドウが。まだ日本でも珍しい希少品らしいが、1箱3.6kg(※間違えて5kgと書いたのを訂正しました)で12,000円もするとは!!(トルコなら、現在1キロ1YTL=約80円)ほほう・・・と見ていくと、スゴイ!さすが日本。あの、ピオーネより大粒でマスカット色の種なしブドウがあるとは!値段も1房2800円とすごいが、大きいものはピンポン玉くらい!だなんて。つくづく日本の品種改良の進化はすごいなあ~と関心せざるをえない。それに比べたら、トルコは年がら年中同じものばかり作ってるのだ。ともあれ、所詮高級品には手の出ない庶民の私たちは、トルコの種なしブドウで我慢するしかない。種なしだから、生で食べるだけでなく、フルーツサラダにもそのまま入れられるし、ケーキに入れて焼いても美味しい。レーズンよりフレッシュな甘みで、何より季節感タップリ。ジャムにしてもなかなかイケる。真夏にオーブンを使う焼き菓子はちょっと暑苦しいのだが、私のよく作るヨーグルトケーキに、先日種なしブドウをたっぷり載せてみたら、これもなかなか美味しく出来上がった。ところがこれ、ヨーグルト大好きのはずのトルコ人に出しても、あんまり喜んでもらえない。砂糖やカラメル、バタークリームでたっぷり甘くするのがケーキと思ってるトルコ人。甘さ控えめ、ほんのり酸味のあるケーキなんて、受け入れがたいのだろう。私は気に入ってるんだけど。。。****ところで。日本の梨を懐かしがっていたら、思いが通じたのか、パザールで発見!!じゃーん!!ナフシ(nahsi)。ちょっとなまっているが、正真正銘日本の梨である。 生産地は、トルコの「果物王国」ブルサ。品種としては赤系で、おそらく幸水あたりであろう。日本だったら売り物にもならない矮小さ。が、価格はなんとキロ3.5YTL(約280円)!トルコでは高級品の部類に入る。私はどうしようか迷った挙句、味見のつもりで500gほど買うことにした。たった5個で1.75YTL(約140円)。。。。ところが、買って帰った途端、冷やす間もなく娘たちの襲撃にあい、私の口にはほんの一口しか入らなかった。。。甘み、水分、風味とも、日本の幸水に比べると劣るが、間違いなく日本の梨である。そのうちリベンジしてやらねば。早速来週、もう一度買ってみようかなあ。。。。いつも応援ありがとうございます。梨にブドウに柿。秋は実りの季節ですね。たくさん食べて、夏の疲れを一掃しましょう!クリックもどうぞよろしく♪人気blogランキングへ
2006/08/27
エレベーター内のパネル上には、緊急用ブザーとして黄色いボタンがある。が、押してもピューピューピューという気の抜けたような音が出るだけで、日本のように警備会社に通報がいくわけではない。ブザーの音を聞きつけた住人が、中で閉じ込められている人がいることを察知するためのものに過ぎない。たまたまエレベ-ターに乗ろうとホールに出ている人が気づいてくれればいいのだが、いつやってくるか分からぬ住人を待ち続けるのも、あまり効率のいいものとは思えなかった。それにしても、携帯を持っててよかった!私はまず、自宅に電話し、エレベーターに閉じ込められたからしばらく帰って来れない。心配しないで待っていてほしいと伝えようと思ったが、諦めた。エミが部屋に閉じ込められている状況では、私の窮状を知ったナナが、たったひとりでパニックに陥る可能性のほうが高かった。そして、オズレムのお母さんアイギュル夫人の携帯にかけようと試みた。しかしエレベーター内は電波がうまく届かず、携帯には繋がらなかった。そこで、祈りつつアイギュル夫人の自宅の方へかけてみると、なんとか繋がった!簡潔に、エレベーターに閉じ込められたことと、カプジュが留守なので連絡を取って欲しいことを伝える。やがて5分ほどして、私の居場所を確かめるために、各階のエレベーターの外扉をコンコンとノックしながらアイギュル夫人とオズレムが近づいてきたのが分かった。扉越しに会話を交わした後で、アイギュル夫人はカプジュに連絡をとってくれたようだった。カプジュは町の中に出ていて、至急戻ってくるが20~30分ほどかかるだろうという。エレベーターの扉を手動で開けるための鍵は、カプジュしか持っていないのであった。私は、アイギュル夫人にナナとエミの様子を伺ってくれるようお願いした。エミが自室に閉じ込められて、ナナひとりだということ。今頃、私の帰りが遅いので、ふたりとも心配してるのではないかということを訴えた。アイギュル夫人とオズレムが階段を上がっていくと、しばらくあたりは静かになった。もともとエアコンのないエレベーター内は、換気扇も止まってしまい、天井の裏に置かれたラジオの音だけが空しく鳴り続けている。エレベーター内の電気は、どういう加減か、消えては点き、消えては点きを繰り返していた。私の吐く息と滲み出る汗で、鏡はうっすらと曇り始めている。酸素に不足はないが、室内はかなり蒸し暑かった。それにしても、いったいなんてことだ!エミだけでなく、私まで閉じ込められてしまうなんて!アッラハ・バナダ・ジェザー・ヴェルミッシュ。。。(神様は私にも罰を与えなさったらしい。。。)私が、いったいどんな悪いことをしたのだろう?私は、自分の起こしたハター(間違い)について振り返ってみた。今日のこの事件のことの起こりは、あくまでエミの傲慢な態度にあったと思う。しかし、私も強硬手段に出るのが早すぎた。相手は子供だし、もう少し辛抱して、相手の話に耳を傾けることから始めるべきだった。自分の話に耳を傾けさせることに一生懸命で、エミの話は聞こうともしていなかった。エミにはエミの言い分があったに違いない。あるいは、ただ落ち着かせるだけで十分だったかもしれないのに。キレて物事を途中で放棄し、その場から逃げ出すというエミの習慣的態度は、夫の血を濃厚に引き継いでいるように見えるのだが、娘たちに反抗的な態度に出られたとき、一刀両断に始末してしまおうとする私の態度からも、影響を受けていないわけがなかった。つまり、いくら言っても聞かないなら叩く。あるいはそれに代わる何らかのジェザー(罰)を与えようという態度。私の子供の時分は、子供が親に反抗的な態度に出たとき、容赦なく木に繋がれたり、押入れや倉庫に閉じ込められていたものである。その影響が、私にも跡を深く残していた。しかし今日のこの場合、おそらく私の態度は適切ではなかったのだろう。エミが自分で散歩を放棄して家に戻ったのは、私には不可抗力だった。しかし、肝心なのはその後。電気を消すという強硬手段が、エミの態度をエスカレートさせたのだ。あそこで、もう少し忍耐強く説得を続けるべきだったのではないか・・・?そんなことをぼんやり考えている間にも、スィテの住人が代わる代わるやってきては私に声を掛けていった。「イェンゲ(奥さん)、大丈夫ですか?」「空気は来てますか?」「イェンゲ。空気は来ますか?大丈夫ですか?」「大丈夫です。大丈夫ですけど・・・この時間に来てくれる鍵屋はいるかしら・・・?娘が部屋に閉じ込められてしまったもので・・・」私は扉の向こうの人物が誰かも分からないまま、弱々しく訊いていた。「いやあ・・・今カプジュが来ますから、カプジュに訊いて下さい」そう、そうだよね。カプジュが到着してから訊けばいいことなんだから。。。アイギュル夫人とオズレムが戻ってきて、誰も電話に出ないし、チャイムを鳴らしても誰も応答しないといった。きっと、疲れてナナは眠り込んでしまったのだろう。エミはもちろん電話の音やチャイムの音に気づいたとしても、出れるわけがなかった。心配してるだろうか。泣き叫んでたりしてないだろうか。閉じ込められてから、何十分経っただろう。携帯で時刻を確認すればいいのに、その時の私にはそれすら思いつかなかった。カプジュがようやく帰宅し、鍵を取り出している音が聞こえた。やがて、鍵を回す音。扉が開き、カプジュ、アイギュル夫人とオズレム、その他5~6人のコムシュ(隣人)たちの顔が見えた。エレベーターは、1階(トルコ式の0階/Z階)に着き、さらにそこから50~60cmほど下に沈んだ位置で停止してしまったらしい。私は、段差に足を掛けて登り1階のホールに立つと、カプジュとそこに顔をそろえていた全員に、お手数を掛けたお詫びとお礼の言葉を述べた。そして、すかさずカプジュにお願いするのを忘れなかった。エミが部屋の鍵を掛けた後、開かなくなってしまったこと。もしかしたら壊れてしまったかもしれないから、見に来て欲しいということ。もし壊れていた場合、この時間でもやってきてくれる鍵屋を知っているかということ。カプジュは、エレベーターのことを片付けた後で伺うと約束してくれ、ほっとする。アイギュル夫人もオズレムも、私が10階まで上がる際、心配して同行してくれた。自宅の鍵を開け、中に入る。テレビの音を除いては、人の泣き声など一切聞こえない。ナナは案の定、テレビも電灯も点いたままのオトゥルマ・オダスで眠り込んでいた。エミの部屋の前に立つ。鍵穴から覗くと、エミの動かない足が見えた。どうやらエミも眠っているようだった。アイギュル夫人に一度鍵を試してみてくれるように頼んだが、彼女も開けられなかった。もちろんオズレムも。10階まで何往復もしてくれた彼女たちに冷たい水を振る舞い、カプジュを待つ。ほどなくしてカプジュもやってきた。鍵屋に電話しようか?と訊く。いや、その前に一度見てくれないかとお願いし、試してもらうと、さすが男性。何度か回してみた後、カチッと音がして、見事に鍵が開いたのだった!壊れたわけではなく、強く締まりすぎていただけだったのである。これで、ようやく一件落着。カプジュにも、もちろんアイギュル夫人とオズレムにも再度お礼をいい、彼らは引き取っていった。私はナナをソファーに寝かせたまま、オトゥルマ・オダスの電気とテレビを消し、次に子供部屋の電気を消し、エミが途中で目覚めたときに怖がらないよう、ドアを大きく開け放したままにしておいた。時間は、9時半を回っていた。夕食の支度はもう必要なくなったので材料を冷蔵庫にしまい、と同時に、コンロをかけてなくてよかったと心底胸を撫で下ろした。その夜、私は、夢を見てうなされ、何度か声を上げていたエミの添い寝をすることにした。肩や背中をトントンし、腕を身体に軽く回してやるだけで、子供は安心して眠れるものである。エミは、私がエレベーターに閉じ込められたことを知らない。明日の朝、エミが目覚めたら、真っ先にこのことを面白おかしく話して聞かせよう。アッラハ・サナ・ジェザー・ヴェルディ(アッラーはあなたに罰を加えなさったけど)アマ、バナダ・ヴェルディ!(だけど、私にも罰を加えなさったのよ!)そこから、昨日の一件について、落ち着いて話し合えるような気がした。いつも応援ありがとうございます。神はどこまでもお見通し、と思える不思議な事件でした。娘との相克が、これでやめばいいのですが。。。子育ては難しい。年嵩が大きくなるほどそれを実感しています。人気blogランキングへ
2006/08/26
よそ様にお話しするのも恥ずかしい母娘の攻防戦。驚く顛末が待っています。まずは読んでやってくだされ。クッキーお散歩デビューの記事を書いているうち、気づいたら午後7時20分にもなる頃。おっといけない!当のクッキーの散歩を忘れるところだった。スィテの庭で遊んでいる娘たちを呼んで上がってこさせるより、私がクッキーを下に連れて行ってやり、そのまま3人で一緒に散歩に出掛けようと考えた。タスマ(リード)を着けてエレベーターで下に降りると、ちょうど娘たちが遊び道具を片付けてスィテの玄関に入ろうとしているところ。最初にやってきたエミは、クッキーを連れた私を見て途端に激昂。「タスマを私に頂戴!」といって無理やり私の手からタスマを引っ張ってとろうとする。「慌てないで。どうして怒鳴るの?」と質すと、「これが私の性格なんだから!仕方ないでしょ!」と大変な剣幕。きっと庭で友達同士遊んでいるうち、何か気に入らないことが起こったのだろう。私は触らぬ神にたたりなしと、タスマをエミに譲り、玄関口を通って、庭へと出た。そのまま散歩に行こうとしたところで、私はふとナナとエミとの間で昨日交わされた約束を思い出した。エミはナナより2つ年上で、犬のことについて少しは勉強してきたし、一応クッキーのご主人ということになっている。だから、エミは毎日自分がクッキーのタスマを握るんだと主張する。しかし、可愛がり方は幼いなりに、負けずにクッキーのことが大好きなナナが、それでは黙っちゃいない。じゃあ、朝はエミ、夕方はナナとか。朝はナナで夕方がエミとか。いろいろ協議した結果、1日交代でやろうということになったはずだった。少なくとも、私が知っているのはそこまでである。スィテの門をくぐろうとしたところで、私はエミの行く手を阻み、こういった。「ナナとの約束はどうなった?今日はナナの番じゃなかったっけ?ナナにタスマを渡しなさい」と。すると、先ほどから虫の居所の悪かったエミは、突然タスマを手放した。慌ててタスマを引き寄せた私は、さすがにカッときてエミを叱りつけた。「タスマを突然離したりしちゃダメでしょ!クッキーが道路に飛び出したらどうするの!?」エミも負けじと「どうせクッキーは私の犬じゃないよ。アンネとナナの犬でしょ!」と捨てゼリフを残し、スィテの玄関に向かって駆け戻っていく。「そうね。自分で散歩を放棄したいのなら、そうしなさい。あなたは家に戻ってていいわ」とエミの背後から聞こえるような大声で言うと、私はナナとふたりで散歩に出た。(家に帰ったら、お仕置きしてやるんだから!エベ・ゲルディーミズデ・ジェザー・ヴェレジェイム!)さて、散歩から戻り、いざ10階の我が家に着くと、鍵穴に鍵が入らない。エミが内側から自分の合鍵を差し込んで、他の鍵を受け付けないようにしたのだった。私は、いつのまにこんな小知恵が回るようになったのかと舌を巻きながら、チャイムを鳴らし続け、ノッカーを叩き続けた。しばらくドアの前での攻防戦が続いた後、ドアの傍までやってきたエミは、きわめて不機嫌な声で「ドアは開けないからね!アンネとナナは今日は外で泊まりなさい!」と怒鳴る。私もしばらくは説得を試みたが、私の血を見事に引き継いで頑固なエミは、まったく聞く耳を持とうとしない。そこで私は作戦を変えることにした。「じゃあ、分かった。私たちはクッキーと一緒に下に降りるわ」エレベーターの中で、私は苦々しい思いで、思わず呟いていた。アッラハ・ジェザー・ヴェレジェッキ!(アラーが罰を与えるだろうよ/神様のバチがあたるよ)1階まで降りた私たちは、しばらく外で暗くなるまで待った後、玄関脇にある配電盤のスイッチを全部下ろし、エミが一切の電気を使えないようにした。以前にも立て篭もり行為に出たエミに試したことのある、燻り出し作戦である。やがてエミは怒り泣きしながら階段を下りてきて、私たちの横をものすごい勢いですり抜けると、駐車場に停めてある鍵が閉まらなくなっている夫のポンコツワゴンの中に立て篭もった。このようにカッカきているエミは、どう説得を試みても聞き耳を持たない。私はしばらく放っておき、エミが十分に心細くなったところで、話をしに車のところへ行くつもりだった。クッキーの足を洗ってやり、エサや水のチェックをして部屋に落ち着かせた。ナナはオトゥルマ・オダス(居間)でテレビに齧りついている。周囲の物事をあるべきところへ落ち着かせた後で駐車場に降り、ポンコツワゴンの中で横になってすねているエミのところへ行った。エミは「今日はここで寝る」と言い張ったが、「誰かが車を開けて入ってきたらどうするの!」と家に戻るよう説得した。そして、夕方のあの態度のわけを問いただす。しかし、いつも通り特別な理由なんかないのだった。肩をすくめてプイッと横を向くだけのエミ。私はエミでもナナでもどちらでもいいから、散歩をさせるために下に連れて降りただけで、エミに散歩をさせないと言ったわけではない。しかし、ナナとの約束がある以上、それを守らないといけないということ。タスマを急に手放すのはとても危険だということ。クッキーの散歩をさせられなかったのは、誰のせいでもなく、いきなりキレて怒鳴り、散歩を放棄するようなエミ自身の態度が原因だということ。など、なるべく客観的にあのときの状況を振り返り話して聞かせた。そして一緒に家に戻りなさいと、手を引き、無理やり自宅に連れ帰った。エミは反省するそぶりもなく、家に入るなり子供部屋に閉じこもり、中から鍵までかけてしまい、中からワーワーと怒鳴っている。私は部屋の鍵は持っていたが、いずれにせよ何らかのジェザー(罰)を考えていたので、自分から閉じこもったのをこれ幸いと、外から「夕食はなし。明日の朝までそこでそうしていなさい」と言ってキッチンに行き、遅い夕食の支度を始めた。散歩の後、エミとのいざこざがあって、時計はもう8時半にもなろうとしていた。そのうち、子供部屋からエミの叫び声と、ドアをドンドン叩く音が聞こえはじめた。様子を伺う限りでは、トイレか何かの理由で、エミが外に出たくなったらしい。しかし、鍵がなぜか開かなくなったのだった。私は落ち着いた声でエミに声をかける。「どうしたの?外に出たくなったの?」エミは半べそをかいたような声を出す。「出たいけど、カギが開かなくなったのよ~!」「トイレなら開けてあげるけど、トイレなの?」エミは口籠もってわけを言わない。やっぱりトイレなんだろう。私は鍵を持ってきて鍵穴に差込み、回してみた。しかし、何度試みても、途中で引っかかってそれ以上回らないのだった。強く回しすぎたかなにかで、締め付けすぎてしまったのだろうか。私はドライバーを持ってきて金属性のドアノブの部分を外してみたが、無駄な場所を外したことがすぐに分かった。これはたぶん、専用の道具がないと開けられない。やーれやれ。自分で閉じこもったつもりが、閉じ込められてしまったか。しかしこれは、どうかすると厄介だぞ。すでに土曜の午後8時半過ぎ。カプジュがこの時間に駆けつけてくれる鍵屋を知っていればいいのだが・・・。イシテ・アッラハ・ジェザー・ヴェルミッシュ。。。(ほらね。アラーが罰を与えたんでしょうよ。。。)私はエミを必要以上に興奮させないよう、声をかけた。「カプジュ(住み込み管理人)を呼んでくるから、そのまま待っていなさい」エレベーターで1階に降り、さらに階段を降りて地下にあるカプジュの家のドアを叩いた。家はシーンとして、ドアの前に靴ひとつ置かれていなかった。カプジュは留守だった。確か携帯番号が1階のエレベーターの横に書かれてたっけ。私は携帯をとりに10階の家に戻り、エミとナナに帰ってくるまで待つようもう一度声をかけて、エレベーターに乗った。エレベーターは、いつも通りゆっくりと降下していった後、突然ズンと軽い衝撃があって止まってしまった。いったん電気が切れた後、すぐに電気は戻ったが、ドアは開きもしないし、どのボタンを押してもピタリと止まったまま動き出す気配もない。私はエレベーターの中に閉じ込められてしまったのだった。いつも応援ありがとうございます。まるで悪夢のような悲喜劇のような展開に自分でもビックリ。続きが気になる方、クリックもよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/26
憂鬱な顔で順番を待つクッキー@ヴェテリネールにて(怖がってカフェスから出て来ない)2度目の予防接種が終わり、ようやく外出の許されたクッキー。昨日はお散歩デビュー!の日であった。クッキーの毛色に合わせて購入したばかりのオレンジ色のタスマ(リード)を着けて、まずは家の中で慣らし。次にエレベーターで下まで降り、へっぴり腰で5段ほどの階段を下りた後、スィテの庭で好きなところへ行かせてみる。あっちこっち動き回り、嗅ぎ回るクッキー。車には何度も乗ったことがあるので、駐車場の景色や車、タイヤの臭いはもう馴染みだろうと思うが、草の匂いを嗅ぐのも、柔らかくて気持ちいい草の上を走り回るのも初体験。スキップするように跳び回っているクッキーを見ると、こちらまで嬉しくなってくる。短い予行練習が済んだところで、スィテの外へ。タスマの持ち方や散歩のさせ方については、事前にネットで勉強済みである。タスマを握るのは、上の娘エミ。怖がって外に出たがらない仔犬もあると読んでいたので、クッキーはどうかと危ぶんでいたが、何の心配もなかった。実に嬉しそうに、シッポを振り振り進んでいく。初めてのお散歩ということで、コースは短くし、スィテの周囲を一周させるだけで終わりにした。これから数日かけて少しずつコースを長くしていくことになる。トイレは、まだ外でするということが分からないので、できないようだが、他の犬のオシッコの臭いを嗅いだり、コースが長くなるにつれて、できるようになるのだろうか? (至急、これについても、勉強しとかないと。。。)まあ、気長に見守っていこうと思う。ところで、エミの同じスィテの遊び友達で2歳上のオズレムは、6ヶ月になる漆黒のラブラドール・レトリバー「ノーベル(ノーベル賞から名をとった)」を飼っているのだが、クッキーと一緒に散歩させたくて仕方ないらしい。オズレムと仲がよく、ノーベルの散歩にもしばしば付き合っているエミも、一緒に連れ出したいと懇願する。体格も大きく異なるし、初日とあって様子が分からず、昨日は断ったのだが、今日は時間を同じくして、近くまでなら同行しようと許可を出した。ヴェテリネール(獣医)ではもちろん出くわしたことはあるが、実生活の中で初めて出会うよその犬。しかも、体格は何倍も大きい。他の犬に対しどういう反応をするか、気になったこともあるし、視覚的にも嗅覚的にも少しずつ他の犬に慣れさせる必要もあって、小手試しと許可したのである。スィテの庭で待ち合わせ。ノーベルを認めたあとも、事態が飲み込めないクッキーは、まだシッポを楽しそうに振り続けていたが、ノーベルがクッキーに勢いよく近寄っていこうとしたので、クッキーも急に恐れをなし、一目散に元来た方向へ、階段を駆け上がってスィテの玄関口へと逃げていった。ははは(苦笑)。ちょっと可哀相だが、シッポを巻くという表現がピッタリのクッキーであった。それからは無理強いせず、同じ道をノーベルが先に行き、その50mほど後をクッキーについて行かせることにし、途中でノーベルを置き去りにして、私たちは先に引き上げてきた。お散歩デビューの記念写真をぜひ。と思ったのだが、動きがチョコマカと細かく活動的なので、なかなかピタリと撮れなかったのが残念。とりあえず、こちらがお散歩途中のクッキーの表情。今日で生後3ヶ月と5日になり、こうして見ると、いつのまにかお姉さん?らしい顔立ちになった気がしている。 ノーベルがいるので、不安げな表情のクッキーこれから1年365日。酷暑の日も暴風雨の日も(?)、クッキーの散歩という日課が待っているんだなあ。。。娘たちが一人でも連れ出せるようになるまで、アンネは頑張らないと。いつも応援ありがとうございます。クッキーもいよいよお散歩デビュー!これから何が待ち受けているのでしょう?今後も折を見て、クッキーの最新フォトをお届けする予定です。ご覧になりたい方はポチッとクキッと、お願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/26
慣れとは恐ろしいもので、この夏一番の酷暑も2日目になると、「今日は昨日よりマシじゃない?」なんて思えてくるようだ。確かに、朝は昨日より気温が低かったし、吹く風も昨日より涼しい。そんな気がしていたのだが。。。ひょっとして自分で自分を慰めていただけなのだろうか?トルコ大好きで、毎日のようにトルコのニュースに目を配ってらっしゃるアイシェさんが、昨日の記事に対して下さったコメントで、慌ててHurriyetのウェブページを覗いてみたら、本日のアンタルヤはなんと!50℃まで気温が上がっていたらしい。こちらをご覧あれ!(画像は、Hurriyetより借用)場所は、アンタルヤの中心街、ジュムフリイェット大通りに面したアンタルヤ県庁。その玄関口の上に、電光掲示板が設置してあり、現時点の気温、湿度がリアルタイムで表示されるようになっているのは、前々から私も気がついていた。バスで目の前を通り過ぎる際、必ず目をやる癖もついている。その電光掲示板が、本日午後0時39分には気温50℃・海水温30℃・湿度89%を指しているのが、写真にハッキリ写っているのだ。アンタルヤ湾の断崖の上に位置するアンタルヤのチャルシュ(商店街、繁華街)は、真夏は確かにひどく蒸し暑い。それも、異常に熱い。アスファルトに熱され、ビルとビルの間を吹き抜け、吹きつけてくる熱風は、さながら温風ファンヒーターの吹き出し口の前に立っているような錯覚を呼び起こすほど。竈の口を開けた時に吹き出る熱風のよう、といってもいいだろうか。これは、経験した人なら分かってもらえると思う。数年に1度、50℃を記録する日があるらしい。だから、50℃と聞いても、「そうか~!50℃まで行ったか」くらいで、あらためて驚いたわけではない。海風の通る私の住む地区では、もちろんそこまで上がっているわけではないと思う。来客の準備で、11時-12時の間にミグロスに買い物に出た時は、確かに焼けつくようにヒドい熱気ではあったが。(かくも、慣れとは恐ろしい。。。)ちなみに、不快指数を計算してくれるページがあり、本日この時刻の不快指数を計算してもらったら、このような結果だった。不快指数:118体感:「暑くてたまらない」暑くてたまらない?そんなの、当たり前だろうが!(語彙が貧困すぎやしないか!?)とケチをつけたくなった。ウィキペディアの「不快指数」の項によれば、体感は5ポイント刻みで、85以上は一緒くたに「暑くてたまらない」に分類されてしまっている。もともと米国で考案された指数だというし、このように100を越えるようなケースを想定していないのかもしれないが、もう少し丹念に分類してくれた方が、面白かったなあ。。。まあ、度を越した暑さの表現なんて、そうそう見つからないのだろうが。。。(猛暑とか、酷暑とか、その程度だもんね。。。)このところ毎日、私の口からも、「死にそーっ!」なんて陳腐な言葉しか出てきやしないのだし。※トルコを旅行中、特にエーゲ海岸~地中海岸~東南部を旅行されている方々。もしくは近々旅行予定の方々。日中の外出は、必要がない限り避けたほうが賢明です。ハードなスケジュールの場合は今一度見直され、天候と体調に合わせたゆったりしたスケジュールに変更された方がいいでしょう。ホテルも、もしエアコンなしの安いホテル、ペンションを予定されているなら、少し頑張って、エアコン付きのホテルを選んでください。エアコン付きの施設がまだまだ限られるトルコでは、エアコン付きのホテルの一室は、暑さからの貴重な避難所になるはずです。いつも応援ありがとうございます。記録的な暑さにみまわれているアンタルヤ。そのお陰で、ブログの更新だけは妙にはかどっております(苦笑)なにしろ、何処へも行けませんから(^^;)アンタルヤの今日の暑さにビックリした方、クリックもよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/21
昨日の日曜パザールで、私は ある野菜を狙っていた。もし見つかったら、コーンや芝エビと一緒に掻き揚げにしたり、冷や汁にしたり、色々楽しもうと思っていたのである。しかし、今週は影も形もなく、ひょっとして場所を間違えているかなあ~と、先週見たあたりを何度も行ったり来たりした。が、結局見つからなかった。ケシケ、先週買っておけば!しかし、その時は、その得体の知れない雑草のような植物が、日本でも真夏によく食べていたその野菜と同一のものだとは、全く気付かなかったのである。ふと目に留まったその野菜。初めて見るような、至るところで見る雑草のような。ざらっとした細い葉は、明るい緑色をしていて、小さな黄色い花もついている。高さ30~40cmほどの束になったそれを手に取り、鼻を近づけて臭いを嗅いでみるが、臭いは全くない。「これ、どうやって食べるの?」と農家のオバチャンに訊くと、オバチャンは脇にあったバーミヤ(オクラ)を指差して説明を始めた。「バーミヤみたいに、イェメッキ(おかず)にして食べると美味しいんだよ。バーミヤみたいに粘りが出てね」「へえ。。。」私は気乗りがしないまま、写真だけ撮り、名前を訊いた。「ムルギーヤ」「えっ?ムル。。?」「ムルギーヤ」「ムルギーヤ?ムルギーヤ、ムルギーヤ。。。」自宅に帰ったら辞書で調べるために、私は忘れまいと頭の中で繰り返した。しかし家に着いたときには、案の定すっかり忘れてしまっており、かろうじて最初の3文字M、U、L=ムルの音だけが、手掛かりとして私の耳に残っていた。私は写真をセラップにも見せて、「ムル」で始まる名前なんだけど、知らないかと訊いてみた。しかし、セラップも知らないという。そして、そのまま昨日まで、その野菜のことはすっかり忘れ去ってしまっていた。昨日、パザールに出掛ける段になって、あの先週見た野菜のことが記憶に蘇ってきた。今週もあったら、試しに買ってみようかな。オクラみたいに粘りがあるなんて、どんな感じになるんだろう?つらつらと、そんなことを考えるうち、突然閃いた。ああ!あれは!もしや!?私はインターネットですぐに調べてみた。葉の大きさに違いがあるものの、葉に入った溝状の縞といい、ざらっとした感じといいよく似ている。そして鍵は、小さな黄色い花だった。それは、こちら。(画像は、先週の日曜パザールで撮影)この写真を見ただけで、すぐに分かった方はいらっしゃるかな?日本で普通売られているものは、緑の色が濃く、葉の形ももう少し膨らんでいる。私は、1週間も気付かなかった。この野菜とは。。。 そう、モロヘイヤ!!である。モロヘイヤはエジプト原産ともいわれ、栄養価に富む、別名「王様の野菜」。私の中でも、モロヘイヤ・スープはじめエジプトを代表する野菜という位置づけであった。モロヘイヤという名は、アラビア語のムルキーヤ(mulukhiyya)という名称がなまったものらしく、エジプトあたりからそのまま種が輸入されたと思われるトルコでは、いまだ市民権を得ていないため、アラビア語の名称そのままで呼ばれているのだろう。私には、ムルキーヤが「ムルギーヤ」に聞こえてしまったというわけである。それにしても、トルコでモロヘイヤが見つかるとはなあ~。手に入らないとなると、急に食べたくなるんだから、困ったものだ。嗚呼!ケシケ、ケシケ。先週買っておけばよかった!いつも応援ありがとうございます。モロヘイヤも、いまや日本にすっかり定着しましたね。今頃、皆さんは、あのヌルヌル・ネバネバで食欲増進?しっかり食べて、夏を乗り切ってくださいね!人気blogランキングへ
2006/08/21
私の持つ「体感温度計」によれば、今日は間違いなく今年一番の「酷暑日」であった。(40℃を越える日は、本当はなんと言うんだろうか?)今年は、「過去4年で最も暑い夏」なのだそうだから、さしずめ、「過去4年で最も暑い1日」ということになるだろう。(インシャッラー!明日以降、さらに暑くなったりしませんよう。。。)私がトルコに移住してからは、2002年の夏に、アンタルヤで最高気温45℃、湿度90%を記録した日があったのだが、その夏は日本に帰国してインターネットのニュースで知ったので、私が過去5年間に経験した中でも、今日が最も暑い日のうちに数えられると思う。今日、トップページに表示されている、アンタルヤの日中の気温をご覧になった方はいらっしゃっただろうか?午前10時にはすでに39℃まで上昇し、日中の気温は、40-42℃を維持。午後6時を廻って、ようやく39℃にまで下がったのだが、いずれも測候所の気温であって、市内および海岸近くの気温を反映しているわけではないことを思えば、実際我が家の周辺では45℃前後まで上がっていたのは間違いない。しかし、この猛暑はなにも、アンタルヤだけに限ったことじゃあなかった。天気予報を見る限り、トルコ全土が燃えるように暑かったはずである。まずは、こちらをご覧あれ。トルコ時間、午前8時の予報(画像はいずれも、www.wunderground.com/global/TU.htmlより借用)トルコ時間、午後2時の予報こんな風に、真っ赤っ赤だったのである。エーゲ海~地中海、東地中海~シリア国境は、軒並み40℃前後まで上がったようだ。暑かった!とにかく暑かった!!(「暑」と書くより「熱」と書く方が相応しいが)どこに逃げようと、熱気・熱風はどこにでも侵入し、どこまでも追いかけてくる。こんな日は、窓を閉め切っていた方がかえって涼しく感じられるくらいだ。エアコンのある部屋に籠もって、特別な用事がない限り、出歩かないのが一番。戸外の猛暑のせいで、エアコンの効きが悪いのは別にしても。とはいえ、今日は近所で開かれる日曜パザールの日。ちょっと狙っているものがあるのと、切らしている野菜や果物の補充のために、仕方なく午後5時を廻ってから出掛けた。ショルダーバッグの肩紐にまで熱が籠もっているため、背中が熱い。じりじりと肌を焼く太陽と息詰まるような熱気に、着くまでにぐったりとしてしまう。しかし、ぐったりしているのは私だけではなく、肝心の野菜もであった。サラダ用に欠かせないマルル(ロメインレタス)なんか、小さくて先端が茶色く変色したものが1個1YTL。日本で一般的な丸いレタスなんか、これまた小さくて萎びているのに1個2.5YTL!である。青物屋に文句を言うと、「暑過ぎるからね~。仕方ないのさ」という。「じゃあ、いらない。トマトとキュウリでも食べるわ」と捨てゼリフを残し、ぐるっとパザール内を巡回したのだが、めぼしいものはほとんど見つからず、果物だけ何種類か買い込んで帰ってきた。行って帰ってわずか3~40分ほどなのに、40℃を越す熱気の中の外出の影響は、自宅に戻ってからも簡単には消えなかった。近所のミグロスで買い物もあるのだが、こちらは陽が完全に落ちてから出掛けることにした。本当に、暑い1日である。 皆さんは今日1日、どうやって過ごされましたか?いつも応援ありがとうございます。本当に暑い1日でした。お蔭さまで、私の方は体調万全です。皆さまも、暑い折柄、どうぞ体調にお気をつけください。人気blogランキングへ
2006/08/20
スイカにメロン。来客用に、朝食用にと、安価な上に大人数をまかなえて、なにかと大活躍するトルコの真夏の味覚。我が家でもなるべく常備するよう心掛けているのだが、8月も半ばに入り、とっくに飽きてしまったのも事実である。前回の夫の滞在中、9kgの大玉スイカを気前よく買ってしまったが、夫が日本へ発つと丸々半分が残ってしまい、娘たちにしても私にしても、いまや見るのも億劫という有様。結局、外側から腐りだし、義妹にでも見つからないうちにと、こっそりゴミ箱に捨てたりして。。。。(これは内緒!)しかも。かくもスイカやメロンを頻繁に購入すると、もれなくついてくるのは、大量の皮(kabuk/カブック)!スイカの皮(karpuz kabugu/カルプズ・カブウ)!に、メロンの皮(kavun kabugu/カヴ゙ン・カブウ)!いざぎよく捨ててゴミ箱をパンパンに膨らませたって構わないのだが、根が貧乏性で、ものを容易に捨てられない私。この皮をなんとかできないものか?と考えたとき、私の頭には即座にあるものが浮かんだ。私が陰で「貧乏人のジャム」と呼んでいるスイカの皮のジャム(karpuz kabugu receli)がそれである。トルコ全土で広く作られているかどうか知らないが、野菜と果物の宝庫、地中海沿岸地方では、青イチジクのジャムや乾燥イチジクのジャム、橙の皮のジャムなどと同様、農家や田舎の家庭で昔から作られてきたジャムのひとつになると思う。とはいえ、私がスイカの皮のジャムを実際にいただいたことがあるのは、ただ一度きり。しかも、ジャムというより「水飴漬け」という方が近い強烈な甘さに辟易して、一口食べたあと、コムシュ(隣人)か誰かに差し上げてしまったため、形、味など、ほとんど覚えていない。いくつかのレシピに共通するのは、石灰水(生石灰?消石灰?)にいったん漬けて型崩れしないようにすることと、スイカの皮そのものの香りや色がさえないために、着色剤で赤い色をつけたり、カランフィル(丁子、クローブ)で香り付けをしたりすること。しかし、石灰や着色剤、丁子などは、手に入れるのが面倒な上に、そういうもの自体、私は好きじゃない。そこで、私風のスイカの皮のジャムを、なるべく手を加えない自然なかたちで作ってみよう、ということになった。まずは、試作1回目。レシピでは、砂糖はスイカの皮の重さの1.5~2倍!!(こりゃあ~、甘いはずだ!)私は、普通の果物のジャムの場合、砂糖は果物の重量の40%を基準にしているので、とりあえず40%でいってみる。皮は、一番外側の硬い部分だけ剥ぎ、内側の薄い緑色の部分を使う。皮には、薄っすら赤い実の部分が残っていたが、削り取らないでそのまま使ってみることにした。切り方は、いくつかのレシピによれば、カボチャのように大きめの角切りにするのが普通のようだが、私は細く4~5mmくらいに刻んでみた。そして、着色料を使わない代わりに、朝食時に食べて残ったスイカの実を絞ってジュースにし、加えてみることにした。薄っすらピンク色になればいいなあ~と思って。そして、出来上がったのがこちら。写真では、シロップがトロッとして結構美味しそうに見えるのだが、実は、皮の内側に残った赤い実の部分が、まるで血のように真っ赤で、ちょっと気味悪い。酸味のない素材なので、甘みはかなり強く感じられる。しかし、以前食べたスイカの皮のジャムなんて、こんなものじゃなかったし、トルコなんだからこの程度の甘み全然大丈夫と思えば、夫も娘たちも一口食べて「甘すぎ」とのたまった。試作1回目から2日ほど後、朝食に出した残りの皮で、2度目の試作に挑戦。前回「甘すぎ」の評価をもらったので、今回は砂糖は30%に抑え、型崩れしないよう厚めに刻み、シロップを少なめにカラッと仕上げようと、ジュースは加えなかった。で、出来上がったのがこちら。甘みはちょうどいい感じだが、食感がこう・・・なんというか「瓜の奈良漬」に近くなってきた。同じウリ科なんだから、当たり前なんだが。スイカの皮はもともと味がないものだし、私としては、どう頑張ってもこの程度と思っていたのだが、先日エダ一家とセラップ一家が泊まっていった際、朝食に出したら、セラップの長女エスマは一口食べて「イ~レ~ンチ!(気持ち悪い、ヤな味)」とほざきやがった私の作る塩分控えめの食事や糖分控えめのジャムやケーキを大抵は気に入ってくれるセラップまでもが、「スイカの味がしない。どうしてこうなるの?」と驚いている。私はさすがに内心「ムッ」となったが、他にどんな工夫ができようか。やはり、石灰水に漬けたり、丁子を加えたりしないといけないのだろうか?こんなことがあってから、3度目の試作には当分乗り切れなさそうな私である。先日も、イスメットがパザールで買ったスイカの皮が厚みがあって、いかにも「ジャム向き」で、いったん取り置いていたのだが、翌日になっても気力が湧かず、結局捨ててしまった。そのうち、気を取り直したら、「決定版。スイカの皮ジャム」を発表できるかもしれない。それまで、気長にお待ちください。****さてさて、一方のメロンの皮はどうなった?甘く熟れたメロンの皮は、ほとんど使える部分は残ってないものだが、これまたセラップたちが滞在している際、朝食用に切ったメロンの皮が相当厚く、即座に何かに使えないものかと取り置いた。その時、頭に浮かんだのは、パザールで見かけたこちら。ケレッキ(kelek)。未熟な赤ちゃんメロンで、トゥルシュ(ピクルス)用である。青くて硬い赤ちゃんメロンがトゥルシュになるのなら、同様に青くて硬いメロンの皮だって、トゥルシュになるんじゃなかろうか??セラップに「ケレッキのトゥルシュってどう?美味しいの?」と訊くと、「私は食べたことないけど、美味しいらしいわ」という。それなら、とにかく一度試してみよう。セラップのアドバイスで、1.5~2cmくらいと厚めの短冊切りにし、瓶いっぱいに詰めて上からウズム・スィルケスィ(ブドウ酢)を注いだ。セラップが、硬い方がいいから、リモン・トゥズ(レモンなどから抽出した酸を結晶化したもの)を1個ずつ入れなさいとアドバイス。トゥルシュは普通、何日か室内やバルコンに出しておいて自然発酵を待つようだが、外気温があまりに高く、メロンは腐りやすいかもしれないので、室温で放置せずすぐに冷蔵庫に入れた。そして、3日経ったのがこちら。本邦初(たぶん)!メロンの皮のピクルス(kavun kabugu tursusu)。今のところ、時々取り出して味見をしてはいるのだが、酸っぱいだけで、これという特徴がない。リモン・トゥズを入れたせいか、硬いままだし。。。はっきり言えば、美味しくない。やはり、発想が失敗だったのだろうか?ハチミツや香辛料などをうまく加えたら、メロンのほのかな香りは生きてくるような気はするのだが。。。今頃になって、他に調理法、利用法がないか、ネットで調べてみている。すると、メロンの皮は、紫外線でできたシミに効果がある、というではないか!それは、まさに私にうってつけ!メラニン色素の多い私の肌には、アンタルヤ移住以来、次々にシミが出来て、困っていたのだから。そうと知っていれば、トゥルシュになんか挑戦しなかったのに。。。メロンの皮は他にも、料理を煮る時に一緒に入れると、早く煮えるのだそうだ。私は試してみる気はないが、どなたか試してご覧になった方、ご報告よろしくお願いいたします。そうそう。シミの方は早速実験してみるつもり。こちらは、そのうち経過報告をアップできるかも?乞うご期待!いつも応援ありがとうございます。けったいなことしてるなあ~と、感心された方も、貧乏な性格を気の毒に思われた方も、よろしければ、ご一緒にクリックお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/19
翌朝、娘たちの声で目が覚める。イスメットの声も。子供たちを海に連れて行こうと言っているのだった。水着とタオルを用意してやり、子供たちを送り出した後、朝食の支度。彼らが海から帰ってくる前に、セラップやエスマにはシャワーを使ってもらう。居残り組の大人4人が先に朝食をとり終わった頃、ちょうどチャイムが鳴ってイスメットと娘たちが帰ってきた。それに続き、アダナを前夜、夜行バスで出発したエダも到着。シャワーを浴びて出た娘たちとイスメットとエダに7人で一緒に朝食をとってもらう。そして。朝食を終えるか終えないかのうちに、潔癖症で掃除魔のエダの目が光った前回のウサギ事件で外して洗ったカバー以外は、昨年の夏以来娘たちの手によって汚され放題だったソファーのカバー。これを全部外して洗ってあげようというのだ。一度では洗濯機に入らないので、2度に分けて。その間に、ぬるま湯に洗剤を溶かし、外せないソファーの外枠や台座の汚れを擦り取る作業。ソファーは全部動かし、いつのまにか後ろや下に溜まってしまうゴミや埃の掃除と床のモップ拭き。壁一面を覆う棚の扉の拭き掃除。オトゥルマ・オダスが終わったところで、次は彼らが滞在中最も好んで座っているバルコンの洗い掃除。ここは、ウサギの他、ビニールプールもあるために、肝心のガーデンテーブルは隅の方で埃をかぶっていた。内装工事の点検のため自宅に戻ったセラップを除いても、エダの他にブルジュ、エスマという若い助っ人がいるので、私はキッチンの片付けに専念していた。ようやく手が空き、私は何をしようか?と訊くと、「新聞を全部まとめて、外に出して頂戴」という。私の悪い癖で、読みきれていない新聞をもう何か月分もキッチンに溜め込んでいたのを、エダが見逃すわけがなかった。しかしこれには、「今は時間がないから」と言い逃れ。そろそろ、クッキーの予防接種のためヴェテリネールに出掛けなければならなかったのである。私が出掛ける時、エダは「私が冷蔵庫の中もきれいにしておいてあげようか?古くなったもの、たくさんあるでしょう?全部捨ててあげる」とニヤッと笑った。そうなのだ。エダは、我が家の冷蔵庫の中に、賞味期限切れの食品やしなびて腐りかけた野菜が後生大事にしまわれているのをよく知っていた。私はこれにも、「後で私がやるから」と慌てて首を横に振った。エダがどこもかしこもきれいにしてあげようというのは、有難い反面、自分の日頃の怠慢、恥を晒すようなもの。また食事作りと洗濯だけで目一杯なのに、仕事は倍増、疲れが増幅するだけなのは、過去に何度も経験済み。エダは、自分がいる間に、隅から隅まできれいにしてあげようと躍起になるのだが、日頃ぐうたらな私には、かえって重荷だった。人数が増え、それでなくても家事量が2倍に増えているというのに、それ以上の家事をこなす気力が私には残っていないのだ。ヴェテリネールまで1時間半で往復し、4時に自宅に戻ると、1回目のソファーカバーの洗濯が終わって干してあり、2度目の洗濯機が廻っていた。それが終わると、通常の洗濯物。結局この日は、3度洗濯機を回した。前夜のトゥルルやピラフ、ジャジュックなどが結構残っていたので、他にサラダをたっぷり用意しただけで、遅い昼食とし、昼食後はセラップを迎えがてら、セラップの自宅近くで開かれる月曜パザールで買出しを行うことに。すでに我が家の冷蔵庫はカラッポで、夕食の支度にも困るほどだったのである。イスメットが、急に泊まることになった遠慮からか、至るところで気前よくお金を出し、さらにはバルブンヤ(ヒメジ)だといって行商人が売り歩いていたビニール袋入りの赤い魚を、中を確かめもせず2キロも購入。真夏に、身元の知れない行商人の売る魚など、間違っても買ったことのない私は、一瞬不安に狩られたが、イスメットは「目を見れば分かる。新鮮だよ」と言う。なにより魚はご馳走。あとはサラダでも用意すれば立派な夕食になるなあ~と、私も敢えて口を挟まなかった。ところが。。。。家に持ち帰ってみたら、ビニール袋の外からでも、なんだか臭う。いざ、お腹を開こうとすると、もう臭いがプンプン。出刃包丁の先を腹に当て切り込むと、とけた腸が流れ出してくるほどそれでも、身の方はまだ大丈夫そうだし、状態のいいものがいくつかあって、よく洗い、油で十分から揚げすればいけるのではないかと、鱗を打つ係りをしてくれているイスメットとふたり、ひたすら2キロ分の魚と格闘を続けた。しかし、ほとんど腹を開いたところで、食品の鮮度にも神経質なエダから、「全部捨てて」の指示が下る。子供たちが中毒でも起こすと大変だというのである。それももっとも。しかし、イスメットが20YTLも出してくれた魚がオジャンになり、同時に「お魚の夕食」も夢と消え、私はいつまでも後ろ髪引かれていたイスメットがゴミ袋に魚を詰め、通りにあるゴミ箱まで捨てに行くと同時に、私は急遽夕食の代案を考えねばならなくなり、困ってしまった冷凍庫にあるのは若干の挽肉と、鶏の腿肉。パザールから帰ってきたのが7時。魚と格闘しているうち、すでに時間は8時近くなっていた。解凍の時間を節約するため、凍った挽肉を直接フライパンに投入。結局、クイマル・マカルナ(挽肉入りのマカロニ)とサラダ、セラップのリクエストで前夜と同じジャジュックという、またも簡単な夕食と相成ってしまった食後は、同じくパザールで大量に購入したトウモロコシ。トルコのトウモロコシは、種類や土が違うからか、収穫の時期が遅いのか、日本の甘くて瑞々しいトウモロコシに比べると、恐ろしく硬い。実家で、母の育てたハニーバンタムのもぎ立て・茹で立ての味を知る私に言わせれば、ブタのエサ(失礼!)に思えるほど。なので私は、柔らかくて甘い出走りの頃にしか買わないのだが、イスメットは「美味しいよ~」と言って12本も買ってしまった。圧力鍋で茹でると、柔らかくて美味しいのだという。さて、我が家に圧力鍋はないので、普通の大鍋で茹でることにしたが、セラップのやり方を見て、オヤッと思った。トウモロコシがかぶるくらいの大量の水を注ぎ、水から入れて煮始めるのだ。そして、茹でること40分!これならどんなに硬くたって柔らかくなるはず。茹で上がったトウモロコシを味見してみると、なんだかトウモロコシという気がしない。なんだろう?と思ったら、「豆」によく似ていた。ヒヨコ豆でも食べているような味わいなのだ。トウモロコシが大好きだというエスマが早速かぶりつき、「チョック・ギュゼ~ル!!(すっごく美味しい!!)トウモロコシの味がしてる!」というのを聞いて、またもや目を丸くした私。そうか~、こういうトウモロコシしか知らないんだ。日本のトウモロコシを食べさせたら、どんな反応をするだろうと、興味が湧いた。歯ごたえのある豆やナッツ類の好きなトルコ人だから、意外に不評かもしれないが。こうして2晩目もなんとかこなし、その翌日。エミとナナのバドミントンのレッスンのある日。エレナたちが今日は発つので、一緒に海に行けるのも最後と、レッスンは休み、前日に続き子供たち全員イスメットとエダに海に連れて行ってもらった。朝食の支度の一方、1回目の洗濯機を回す。人数が多いので洗濯物の量が増えている上に、海から帰ってきた後のビーチタオルや水着、前日洗い残したソファー用の装飾用カバーまである。結局この日も、3度洗濯機を回すことになった。助かったのは、エダ自身があまりやる気を出さなかったこと。本気になったら家中のカーテンも外して洗おうと言い出していたことだろう。何ヶ月も洗っていないカーテンは薄っすらグレーに汚れていて、エダが見逃すわけはないと思ったが、時間も限られていて、目をつぶることにしたのだろう。前日同様、居残り組。海から帰ってきたイスメットとエダ。その後シャワーを終えて出てきた子供たちが順番に朝食をとり、片付けが一段落したところで、私には家中の掃除が待っていた。真夏とて、窓という窓が開け放してある上に、人数が増え、毎日掃除機+モップがけをしても、すぐにゴミだらけ、埃だらけになる我が家。前日、あれほどピカピカに掃除したオトゥルマ・オダスすら、歩くと細かいゴミと埃が足の裏にくっつき、キッチンに至っては、落としたパン屑から何から、足の裏にべったりと張り付くようで、気持ち悪くて仕方ない。そこで再び、家中の掃除機+モップがけ。これらを全部済ませていると、いつのまにか時計は1時を回っていた。セラップを自宅に送っていったイスメットが戻ったら、私たちは出発するから。セラップの娘たち3人もその時家まで送っていく。そうエダは言うのだが、イスメットは一向に戻ってくる気配もない。私は、昼食の支度をどうしようか迷っていた。3人分と10人分とでは、大きな違いがあったから。とりあえず、冷凍庫の鶏腿肉を取り出し、レンジでの解凍をはじめた。同時に、茹でて冷凍してあったクルファスリエ(白インゲン豆)を解凍し、ピヤズ(白インゲン豆のサラダ)を作ることに。さらに、冷めても美味しく食べられるズッキーニのトマト煮込みの準備も始めた。準備開始から約40分。ズッキーニとピヤズは完了したが、鶏肉はようやく完全に解凍できたところだった。そこへ、エダが顔を出した。「イスメットが来たから、私たち行くわね」私はちょっとホッとしながら、同時に、これだけ時間をかけて、いまだ食事が完成していないことに後ろめたさを感じていた。「あともう少し待ってくれれば、食事ができるんだけど・・・」するとエダは、「ううん。セラップのところでクスル(挽き割り小麦のサラダ)を作ってるっていうから、あちらで食べるわ」そう言われて、ようやく気が楽になった。車のところまで見送り、エダやブルジュ、エレナと両頬をくっつけて別れの挨拶を交わす。今度はいつ、やってくることやら。夫がいる間は遠慮して来ることはないだろうし、次回はセラップの家に滞在するはずだろうから、我が家に泊まることはもうないかもしれない。ご馳走らしいご馳走は何ひとつ用意できなかったし、もてなしらしいもてなしも何ひとつできなかった。。。私がしたことといったら、掃除と洗濯だけだったなあ。。。。車の後ろから手を振りながら、嵐のようにやって来て、再び去っていった義妹一家を、はじめて心落ち着かせて見送ることができた私であった。いつも応援ありがとうございます。掃除・洗濯ばかりの2日間に疲れました。怠け者め!とお叱りの方もあろうと思います。お疲れさま!と思ってくださる奇特なお方、よろしければ、クリックの方もお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/15
(※前回の日記の続きが残っていますが、ご容赦を。こちらの日記をアップした後で、そちらも至急仕上げる予定です)嗚呼。やっぱり疲れたなあ。。。反動で、今も身体がだるくて仕方ない。****今日の午後、一番上の義妹エダ一家と、一番下の義妹セラップ一家が引き取っていった。エシキシェヒルに住むエダ一家。イスケンデルンからこの夏アンタルヤに引っ越してきたセラップを頼ってやってきたのだが、セラップの家の内装工事がまだ終わらないため、やむなく我が家に滞在することになったのである。彼らはセラップの家にいったん立ち寄った後、オリンポス~アランヤなどでターティル(休暇)を過ごしてから、エスキシェヒルに戻る予定だという。トルコではあくまで普通。しかし、私の大の苦手な、突然の来客。ことの初めは、日曜日、午後6時45分。前回の日記の続きを仕上げようとパソコンに向かっている時、セラップから電話がかかってきた。「イスメット(エダの夫)たちが来たんだけど、エレナ(エダとイスメットの次女)がそっちに遊びに行きたいというの。私たちも一緒に来ようと思うんだけど、大丈夫かしら?」私は冷や水を浴びたようにギョッとして、訊き返した。「イスメットたちが」セラップ「そう。イスメットにブルジュ(エダとイスメットの長女)、エレナの3人」私「・・・エダは?」セラップ「明日の朝、アダナから着くのよ」私「・・・そう。。。」セラップ「で、都合はどう?うちの工事が終わってたらよかったんだけど。彼らも、工事が終わってると思ってたらしくて。私にもスプリズ(サプライズ)だったのよ」私の頭の中は、当然パニックひとつは、あまりに突然すぎて、正直、迷惑以外の何ものでもなかったし、例によって家の中は荒れ放題だったから。日頃、来客もないし、来るとしてもすでに気心の知れたセラップと娘たちくらい。掃除・整頓の苦手な私は、この日はキッチンの床掃除をしただけで、他の部屋は手付かずのまま放ってしまっていた。日曜ということで、パザールの買い出しの後、ヨーグルトと黄桃のタルトを焼いてお茶にし、あとは日記の残りでも仕上げてから簡単な夕食の準備をしようと、のんびり構えていたのである。もうひとつは、夫が実の妹エダと仲違いをしており、家には2度と入れないと宣言していたから。2005年の正月にエスキシェヒルのエダの家を訪問した後、夫からはもちろん、向こうからも連絡ひとつなかったのである。それが先々週のこと。夫のもとへイスメットから久しぶりに連絡が入ったという。アンタルヤに遊びに来るとは特に言ってなかったらしいが、連絡してくるということ自体、きっと遊びに来たいんだろうと読めた。しかしセラップの家はいまだ完成せず、他に親戚もいない。どうするんだろうね~、と夫の顔を伺うと、夫は「ノーノー。泊めたりなんかしないよ。エダだって、うちになんか来るわけない!」と首を思い切り横に振っていたのである。私は、一瞬迷った後に、覚悟を決めた。他に、どう言えるだろう?私「もちろん、おいでよ。で、何時頃になるの?」セラップ「夕方よ、夕方」私「・・・・で、食事はしてから来るの?それともこっちで食べる?」セラップ「う~ん、様子次第ね。来てから、考えましょう。じゃあね」電話が切れた後、私のパニックは収まるどころかエスカレート。何から手をつけていいのか分からなくなった「夕方あ!?もう7時だよ!夕方でしょう?朝から電話してくるならともかく、どうして今頃!?なんてこった!!」私は、彼らが夕食を済ませてから10時頃に来ることを祈りつつ、とりあえず、彼らの寝泊りすることになるだろうオトゥルマ・オダス(居間)とサロンの掃除に大至急取りかかった。掃除機を出し、娘たちの散らかした小物だのゴミだのに悪態をつきながら、手当たり次第に片付けていく。終わったところからモップがけ。しかし、サロンの掃除機がけが終わり、モップにかかったところで、チャイムが鳴った。娘たちのどちらかが帰ってきたんだとばかり思えば、なんともうセラップたちが着いてしまったのであるわずか30分の猶予。。。悲壮な顔をして掃除にかかっている私を見て、どうやらセラップもビックリしたらしい。なんと声をかけようか、という顔付きで、私の頭の先から足の先まで眺めながらサロンに入ってきたセラップは、「イスメットたちは、友達のところに会いに行っちゃったわよ」と、少し安心することを言ってくれた。とりあえず、オトゥルマ・オダス、サロン、バーニョ(バスルーム)、トルコ式トイレまで掃除が終わると、一息するまもなく、夕食の支度。まあ、急な訪問だし、近い親戚なんだから、できるもので容赦してもらうしかない。パザールに行って来たばかりというのに、娘と家族3人分しか頭になかったから、冷蔵庫にある素材は限られていた。つくづく、朝から連絡があったなら、ミグロスに行ってお肉でも仕入れてきたのに、と思う結局、セラップの手を借りて、鶏肉入りのトゥルル(野菜たっぷりの煮物)と、ピラフとジャジュック(薄めたニンニク入りヨーグルトにキュウリのみじん切り、ディルやミントを加えたもの)という簡単な食事を用意。食事の支度が整ったところで、タイミングよくイスメットとブルジュも到着した。イスメットとブルジュにとっては、我が家訪問は初めてになる。これで大人は、イスメット、大学生のブルジュ、セラップ、9月から高校生になるエスマ、私と5人。子供は、上から5年生になるエレナ、4年生になるエミ、3年生になるスリア、2年生になるナナ、1年生になるギュライと5人の娘たちが勢揃い。食卓は、大人数で一度に座れないので、最初に子供たち。その後で大人と、2回に分けて用意することになった。食後には、たまたまパザールで買ってきていた種無しブドウ、黄桃、残っていたスモモを盛り合わせて出す。その後で、もちろんチャイ。子供たちを寝させ、クッキーとウサギの食事を用意し、サロンに布団の支度を整えた後、バルコンで語り明かすイスメットやセラップたちを尻目に、私にはキッチンでまだまだ仕事が残っていた。30分しか猶予が与えられなかったので、とても手の廻らなかった、普段から物だらけのカウンター上の片付けと、1週間も磨いていなかったコンロ周辺の掃除である。11時半にようやくそれらの仕事が終わると、汗だらけになった身体をシャワーでさっぱりとさせた後、夫にメールで「イスメットたち来る」の報告。その後、子供たちがお腹を冷やさないか見て回り、クッキーの相手をし、トイレの交換などをして、床に就いたのは1時を回る頃であった。(後編につづく)いつも応援ありがとうございます。こんなわけで、しばらく更新が滞ってしまっていました。続きも順次更新していきますので、また遊びにいらしてください。クリックの方も、よろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/15
(※夢に終わったターティル(休暇)たち・その2から続けてお読みください)チャーラルジャ村もまた、ゲイックバユル同様ヤズルック(夏用の家、別荘)用の小さなヴィッラが点在していた。中には石壁と鋳鉄製の門扉も美しい瀟洒なつくりのヴィッラもある。沿道に止まっている車は、もちろんトラックや耕運機ではなく、アンタルヤ・ナンバーをつけた普通の乗用車である。小さな村をあっというまに通り抜けると、ギョズレメジ(ギョズレメというトルコ風クレープを焼いて売る店)のおじさんが言ったとおり、アスファルが終わって石ころ道になり、その道は森の中へ続いていった。ここまでのあいだに「トレベンナ」を示す看板はひとつもなかった。次々現れる2差路のいったいどっちへ進むべきか。右か左か。登りか下りか。「どっちなの!?」夫が焦った声で訊く。「私だって、分かんないよ!」あてずっぽうに進路を取っていくものの、不安は募るばかり。「こんなことなら、村で誰かに案内役を頼めばよかった。。。」悔やんでも、後の祭りである。やがて道は急勾配になり、私の胸には暗い不安が押し寄せてきた。道を間違えている可能性の方が高いのに、この後切り返しもできない隘路になったら、いったいどうすればいいんだろう?「ねえ。もういいよ。今のうちに引き返そう」カーブのところで道がちょうど膨らみ、Uターンするのにちょうどいいポイントだった。夫は、ここまで無駄に車を走らせてしまった私を責めるでもなく、「じゃあ、戻るよ」といって来た道を元に戻り始めた。来るときは道を探すのに一生懸命で、眺めを楽しむどころではなかったが、ふと目をやると、右手遠くにはトレベンナのアクロポリスと思しきテーブル状の丘が見えていた。夫にお願いして車を止めてもらい、写真を撮った。トレベンナの右手にはスィヴリダー(尖山)が、しかし反対側から見るのと違って柔らかい輪郭を見せて聳えていた。トレベンナ遠望スィヴリダー遠望車を再出発させ、さきほどの湧き水のところまで戻ってきた。私たちの車を認めると、ギョズレメジのおじさんは、「おや」というような顔をして手を挙げた。私は車を降りると、まっすぐにおじさんのところに寄った。「途中で諦めたわ。道が分からなくって」そういうと、おじさんは驚くようなことを言うのだった。「ああ。それがな。あそこは実は立ち入り禁止区域なんだよ。ジャンダルマ(憲兵隊)の管轄でな。今までにも入ろうとして捕まった者が何人かおる」私はビックリしておじさんに文句を言った。「言ってくれればよかったのに!知ってたら最初から行かなかったわ」「すまん。すっかり忘れてたんだよ。あんたたちが行った後で思い出したんだ」いまだ本格的な発掘の始まっていないこの手の遺跡は、管理の目が届かないため盗掘されやすい。なので、ジャンダルマの管理下に置かれているということなのだろう。いずれにせよ、早いとこ引き返しておいて正解だった、ってことだ。私たちは、もう一度湧き水で足を冷やし、それから一路、もと来た坂道を下っていった。お肉をたらふく食べるつもりで、ギョズレメに手をつけなかった私は、お腹が急に空いてきた。目指すは、マンガル・レストラン(バーベキュー・レストラン)!目星は、来る途中でつけておいた。庭に子供用の遊具があって、遊具に目の届く場所で食事できるところ。クッキーのカフェスを横に置いても誰にも迷惑のかからない、チャルダック(あずまや)式のところ。レストランに到着した。時間はすでに3時を廻り、後で1組の家族が来たことを除けば、私たち以外に誰も客はいなかった。メニューはというと・・・超シンプルだった。クズ(ラム肉)しかないという。それにトマト、ピーマン、たまねぎを一緒に炭火で焼き、脇に添えてくれる。あとできるのはサラダくらい。私は、失敗したなあ~と思う。以前、行ったことのある他のマンガル・レストランでは、メゼ(前菜)は何種類もあったし、お肉もキョフテや鶏手羽など何種類も選べたのである。レストランの格が違うのだろうけれど・・・。自分で焼くか、どうするかと訊かれて、迷うことなく「焼いてもらう方」を選んだ。大抵のトルコ男性と違い、夫は「マンガルのできない男」。誘われてマンガルに出掛けたとしても、どっかり座ってオシャベリしながらビールばかり飲んでいるようなタイプなのである。私は、せっかくの外食なのに「焼きかた」になんか廻りたくはなかった。様子が分からないので1キロ頼んでみたが、骨付きなので食べられるところは少なく、家族4人ではさすがに少なかった。私と夫はビールとパンでお腹をようやく一杯に。久しぶりに思いっきり焼肉!と思ったのに、遠慮しながらのマンガルは妙にもの侘しかった。どこに行くにも、何をするにしても、最近の私たち一家は貧乏性がなかなか抜けないのであった。そんな中でクッキーだけは、自宅からタッパーに入れて持ってきた、鶏の胸肉と野菜をマカルナ(ショートパスタ)と一緒に煮た特別食を食べた後、木々の間を渡ってくる涼しい風に吹かれながら、カフェスの中ですやすやとよく眠っていた。それからまっすぐ自宅に戻ると、夫はビールが効いて即、昼寝。娘たちはスィテの庭に残って、暗くなるまで友だちと遊び疲れ、私も、普通のなんでもない日曜の午後に戻っていった。こうして、なんとなく不完全燃焼に終わってしまったけれど、わずか半日のささやかな休暇は、ちょっぴりのマジェラ(冒険)気分と、気分転換をもたらしてくれた。本格的な休暇と、本物のマジェラを体験できるのは、私たちにはまだまだ先のことになりそうである。いつも応援ありがとうございます。そのうち、オンボロワゴンを買い換えたら、ヤイラに再挑戦だもんね!焼肉だって、自宅でリベンジだーっ!(涙)私の願いが叶うよう、クリックでの応援もよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/11
(※遡ること、6日日曜日の日記です)夫と、父親と過ごす最後の日曜日。2週間もあったのに、一緒に出掛けた先は、カレイチの地所かヴェテリネール(獣医)か海しかなかったなあ。そういえば、今回は外食も1度きりだった。せめて今日くらいは、昼食を外でとっても、罰はあたらないだろう。先日、ヒュリイェット紙金曜版の第1面に掲載されていた、「海の幸トップ10」つまり海鮮料理の美味しいレストラン上位10店をまとめた記事の写真を見て、しばらく食べてなかったイカが無性に食べたくなった。炭焼きでもフライでもいい、食べた~い!このトップ10に唯一アンタルヤからランクインした「UGURCAN BALIK」は、いつも車で前を通りながら気にかかっていたレストラン。いいなあ~、魚料理食べたいなあ。。。。あのレストラン、まだ行ったことないし。いや、でも私たちには高嶺の花だしなあ。。。(タメ息)そこで、次に思い出したのが、チャクルラル(Cakirlar)の沿道に並ぶマンガル・レストラン(バーベキュー・レストラン)。最近、自宅では野菜中心のヘルシーな料理ばかり作っているので、久しぶりに思いっきりお肉が、それも自宅ではなかなかできない炭焼きで食べたくなってきた。マンガル・レストランの広い庭なら、足元にクッキーのカフェスを置くこともできるだろうから、ヴェテルネールに連れていった後、自宅でひとり留守番させずとも、一緒に連れて行ける。そこまで考えたところで、ついでにチャクルラルから山を登って行った先にあるゲイックバユル(Geyikbayiri)あたりまで涼をとりに出掛けるアイデアが浮かんだ。さらにゲイックバユルから上に登れば、毎年夏に大規模なヤイラ・シェンリイ(高原祭り)の開催される、地元アンタルヤのヤイラ(高原)として有名なフェスリカン・ヤイラス(Feslikan Yaylasi)に至る。果たして夫のオンボロワゴンでどこまで辿りつけるか分からないが、マジェラ(冒険)気分を味わうのが好きな私は、早速夫に「ヤイヤに行こう!ヤイラに!」と宣言した。あらためてルートと距離を地図で確認し始めた私の目に、ゲイックバユルのすぐ南にハラベ(遺跡)を示すシンボルが描かれているのが留まった。トレベンナ(Trebenna)とある。どこかで名前を見かけたことはあったが、こんなところにあったのか。早速資料を引っくり返し、概要を調べてみる。行き方は、ゲイックバユルを通り抜け、さらに南1kmにあるチャーラルジャ村(Caglarca Koyu)の中を通り抜けて辿り着けるとある。チャーラルジャから先は、地図ではっきりと道が描かれていないので、そこまで車で行けるものかどうか分からないが、ゲイックバユルまでは以前、友人の車で行ったことがあったから、とりあえず現地に着いてから訊いてみることにした。クッキーの通院も今日が最終日。日曜日なので、診療時間は11時から1時までの間のみ。私たちは11時前に自宅を出発し、繁華街にあるヴェテリネールでクッキーの診療を済ませると、まっすぐチャクルラル方面に向かって車を走らせた。まだお腹も空いていなかったので、昼食は帰路にとることにし、チャクルラル道を通り抜け、ゲイックバユル方面に折れる。沿道にはウチワサボテンの群落。農家の人が道端で黄色く色付いたサボテンの実を売っている。前方には名前の通り尖ったかたちの山、スィヴリダー(Sivridag)が聳えている。日曜パザールで賑わう3差路を右に折れ、どんどん山道をあがっていく。夫のオンボロワゴンは、この程度の坂道でも、かなり辛そうである。これまでにも散々酷使してきたので、そろそろ寿命が尽きようとしているのを、ここ数ヶ月私たちは感じていた。やがて娘たちの「煙が出てきたよ~!」という叫び声で、車を脇に止めざるをえなくなった。煙は、以前にも同様のことがあったが、外気温の高さのためにいっこうに冷却されないエンジン(空冷式なので)の熱によって、漏れた油が熱されたために起こったものだった。小休憩の後、車の状態にいっそう気を配りながら、ゆっくり坂道を登っていく。やがて、前方にゲイックバユルの有名な断崖絶壁の岩々が見え、以前にも訪れたことのある清水の湧く空き地に到着した。周囲を緑の山々に囲まれ、遠くにはアンタルヤ平野をはるかに望むゲイックバユルは、ヤズルック(夏の家、別荘)の集まるアンタルヤ市民の避暑地となっている。最近では、定年退職したアンタルヤ市民が、暑くてごみごみとした市内を脱出し、自分の庭で野菜や果物を育てながらゆったりと生活したいと、ゲイックバユルに家を構えるケースも多い。ちなみにゲイックバユルは、世界大会すら開かれるロッククライミングのメッカとしても知られている。ゲイックバユルから、遠くアンタルヤ平野を望む(画像はwww.elbertltd.com/より借用)ゲイックバユルはロッククライミングのメッカ(画像は4点ともwww.goryonline.com/より借用) 岩の割れ目から湧き出してくる清水を飲料水として持ち帰るため、地元の人が車で乗り付けポリタンクを提げて次から次へとやってくる。訪問客をあてこんで、湧水の周りではギョズレメジ(ギョズレメ=トルコ風クレープを焼いて食べさせる店)が店を構えている。私はそんな店のひとつで、チャーラルジャ村と、トレベンナへの道を訊いた。このまままっすぐ進み、分かれ道で左に入ればチャーラルジャ村。あとは村の中を通るので、聞いてくれという。距離にして7~8kmくらいだろうといいながら、谷の向こうを指差す。まるで船の舳先のようなかたちで張り出した峰の先端近くに、テーブル状の台地が見えた。遠目にも、人工的に作り上げられた町の残骸であることが分かった。フェスリカン・ヤイラス右は、ヤズ・シェンリイ(夏祭り)のメインイベントのひとつ、オイルレスリング大会(画像はwww.ukclimbing.comおよびwww.antalyagazetem.comより借用) 一方、フェスリカン・ヤイラスは、そこからまだ17kmも先だという。しかも、フェスリカン・ヤイラスは、標高2000mを越す高原である。ここまで来るのにも息切れしながらようやくといった風情のオンボロワゴンに、これから先1000mもの標高差を乗り越えさせることは到底不可能に思えた。ヤイラはとうに諦めた私たちは、小腹が空いた時のためにギョズレメを何枚か焼いてもらい、まっすぐチャーラルジャ村へ向かった。途中、左手に開けた斜面には、ヤズルックとして建てられた3階建てくらいのヴィッラが多く点在していた。「売りヴィッラ」の看板も多い。やがて道路右手に、先ほどと同じような清水の湧く岩場が登場した。車を止め、岩や石原の隙間から湧き出る清水に足を浸してみると、さっきの湧き水より、一段と冷たい。夫と娘たちは、空いたペットボトルに湧き水を詰めている。清水の湧き出る岩場 私はここでも、ギョズレメを焼く店を出しているおじさんに、トレベンナについて尋ねてみた。すぐ先で左に入るとチャーラルジャ村。中を通り抜けて、大体15分くらいで着くんじゃないか、という。私が、こんな古い車でも行けるか尋ねると、道はアスファルトじゃないが、全然大丈夫だよ、と太鼓判を押す。それなら、やっぱり行くっきゃない!私たちは車に乗り込み、目と鼻の先に迫ったチャーラルジャ村目指して出発した。(その3につづく)いつも応援ありがとうございます。わずか半日の休暇。またしても裏切られるのでしょうか?続きが気になる方、クリックもよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/11
アンタルヤの自宅に2週間滞在した夫が、今日早朝、イスタンブール、そして日本へ向けて発った。「今回帰ってきたら、2泊3日くらいでどこかへ遊びに行こう。あなたの好きなところでいいから、プランを立てておいて」夫のいつも通りの言い回し。私は、またダメだろうなあ~と思いながらも、いそいそと候補地を選んでいた。行きたい場所は星の数ほどある。しかし毎度毎度、最後には夫の用事が押せ押せになって、完全に私たちに空けてもらえるのは1日かせいぜい2日というのが現実である。なので、アンタルヤから1泊2日程度で行って帰れる、実現可能範囲内で絞るしかなかった。そこで今回私の考えたのは、アドラサン(Adrasan)+アリカンダ(Arykanda)という組み合わせ。アンタルヤの南75km、クムルジャ半島の南端にあり、オリンポスの南7kmに位置するアドラサンは、いまだマス・トゥーリズムに陵辱されていない静かなリゾート地である。2kmに及ぶ弓なりを描く砂浜沿いに、部屋数も10~20程度の家族経営の小さなホテルが20軒ほどあるきり。アドラサン湾の眺望(画像はwww.onotel.comより借用)海もプールも両方好きな娘たちのために、プール付きで砂浜になるべく近いホテルに2泊ほどし、そのうち1日は、私の趣味である遺跡めぐりにあてる。互いに30kmほど離れたアリカンダとリミラ(Limyra)を一度に見て廻り、時間が許せば、クムルジャの北4kmに位置し、アクデニズ大学によって現在発掘中のローディアポリス(Rhodiapolis)も見学したい。こうして、娘たちの希望も私の希望も両方叶えるようなかたちで、プランをつくろうとしていたのだが・・・。アリカンダの劇場(画像はwww.tgeyacht.com/より借用)リミラのリキア式石棺(画像はwww.shoretechnology.com/より借用) ローディアポリス(画像はwww.oeaw.ac.at/klasia/rhodia/より借用)ある晩、夕食時。何を思いついたのか、夫がこんな提案をしてきた。「ひょっとして、エルカン(夫の義弟)と一緒に日本に来る?エミレーツのキャンペーンが安いからさあ。子供も安くなるなら、行けるんじゃないかと思って」日本の大学院で研究員になれるかもしれないという話があり、エルカンはこの8日にエミレーツ航空を利用して日本に発つことになっていた。当然、子供たちは大喜びである。日本に行ったら、おばあちゃん家で、あれも食べたいこれも食べたい。従兄弟のタケシ君たちと遊びたいと、目を輝かせて。私にしても、行ける可能性が出てきた途端、急に日本が懐かしくなってきた。実家の広々とした畳の上でゴロンと横になって、蝉の鳴き声を聞きながらうたた寝。母親の声で起こされて、スイカやカキ氷を食べるひと時。冷奴やトコロテン、もずくの喉越し。鰻や秋刀魚や豚肉を焼く香ばしい匂い。きっと遠い目をしていたことだろうと思う。そのとき私の脳裏には、日本の情景が次から次へと浮かんで、一瞬にしてもクッキーのことを忘れてしまうほどであった。ところがその夜遅く、ふと思い出した。ナナのパスポートが切れていることを。今からアンカラの日本大使館に行っても、再発行までに1週間はかかるだろう。本人か親戚など代理人が受け取れるだけで、郵送はしていないそうだから、再度取りにいくことを考えても、絶対間に合わない!ショック。。。翌朝、夫にそのことを告げると、夫は、トルコのパスポートなら一両日で取れるから大丈夫じゃない?という。私は半信半疑ながら、また少し希望の光を見た気がした。しかし、夫が旅行代理店に確認すると、エミレーツ航空のキャンペーンには子供料金というのはなく、大人と同じ料金になるという。それを聞いて、夫はさっさと諦めてしまったのである。ケシケ、そんなアイデア、思いつきで言わないでくれたらよかったのに!わずか半日。つかの間の夢を見た私たちであった。ところで。実は、夫は今回、カレイチで建設の終わった建物のイスカン(定住許可、使用許可のようなもの)を取るために帰国したようなものだったが、例によって、名だたるトルコのビューロクラシー(官僚主義)のため、日一日と手続きが増えてイスカン取得が先送りされていた。連日、このために駆けずり回っている夫の時間の空くのを、私たちは家でじっと待っているしかなかった。そうこうするうち今度は夫自身が、用事のためイスタンブールやアダナへの出張日程を入れてしまったのである。それでも最初は、アンタルヤ滞在の最後の週末となるこの週末を使って、希望通りアドラサンへの小旅行へ出かけようと言ってくれていたのだが、悪条件が重なって、土曜日にしか帰ってこれなくなってしまった。月曜の朝には、夫はイスタンブールを経由して日本へと発つのだから、当然、旅行はイプタル(キャンセル)となった。「9月。9月には絶対行こう!」夫は、代案として「9月説」を持ち出してきた。例年夫は、学校の始業に合わせて必ず帰国してくる。昨年もそのおかげで、夏休み最後の日々を利用して、フェティエ&オリュデニズへの小旅行が実現したのだが、今年も本当に信用していいんだろうか?「でも、夏休みが終わる前に、アンカラにも行っておかなくちゃ。パスポートはいつ何時必要になるか分からないんだから」私は解決すべきことは、先に解決しておかないと、と自分自身を現実に引き戻した。アンカラとアドラサンの両方は無理だ。すると諦めるのはアドラサンということになる。こうして、アドラサンとアリカンダの夢も、あえなく2週間で立ち消えた。「アンカラ」と聞けば、娘たちはもっと喜ぶものと思っていた。かねてから、アヌット・カビル(アタトュルク廟)に行きたいと訴えていたからである。ところが、予想に反してあまり嬉しくない表情。「アンカラにプールはある?どこか泳げるところはあるの?」とエミが訊く。そうか。1週間に1~2回は海に通い、父親にアクアランドにも連れて行ってもらったのだが、まだまだ「プールが足りなかった」らしい。「じゃあ、行きか帰りに、アフィヨンで温泉プールに入ればいいじゃない?」すかさず私が提案する。温泉好き、プール好きの娘たちは、もちろん小躍りして喜んでいる。「エキメッキ(アフィヨン・エキメイ=アフィヨン独特の大きな田舎パン)もあるし、カイマク(クロテッド・クリーム)もある。お~お!」と喜んだのはエミ。子供ながら、よく知っている。「じゃあ。。。アフィヨンを出たあと、フリーグ・ヴァディスィ(フリギアの谷=フリギア人の手になる岩を彫ったモニュメントが多数点在する一帯)に行きましょうよ。前から行ってみたかったのよ」と、しっかり私もリクエスト。ルート作りは私に一任されているから、日数さえ足りればこっちのものだ。「フリギアの谷」に点在するモニュメントの一部(画像はwww.aduybim.gov.tr/およびwww.frigvadisi.org/より借用) 今年の学校始業日は、9月18日。制服や学用品の調達などに数日を割かなければならないし、夫の仕事上の用事も多い。最低2週間は滞在してくれるといいのだが。。。。いずれにしても、まだあと1ヶ月先の話。例によって期待などほとんどできないのに、夢だけはたっぷり描くことになりそうだ。いつも応援ありがとうございます。私と一緒に、日本帰国の夢を見られた方、ささやかなバカンスの夢を見られた方、クリックもよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/07
連日、動物ばなしが続き恐縮である。が、今日はどうか聞いてやってくだされ。クッキーが我が家にやってきて、一番美味しい思いをしたのは、実はウサギかもしれない。。。バルコンとバルコンに通じる小さい方の子供部屋をクッキーに明け渡すと同時に、それまでこの小部屋で飼っていた我が家のもう1羽?の家族、ウサギが実は居場所を失ってしまった。どこかへ移す、といっても、ウサギのチシ(オシッコ)はとても臭う。おまけに、専用のカフェス(檻)でなくカゴ状の衣装ケースを代用しているために、ウサギの撒き散らすカカ(ウンチ)がカフェスの周辺にまで撒き散って、ポロポロと粒状で拾いやすいとはいえ、毎日の掃除がそれなりに大変なのである。ちなみに皆さんは、ご存知だろうか?ウサギが大変な大食らいなことを。毎日2食、ウサギの体と同じくらいの嵩のエサを、ムシャムシャムシャムシャ・・・休みもせず食べ続け食べ尽くして、それでもまだ足りないかのように、人の足音が聞こえればたちまちカフェスの端に寄ってくるし、お腹をすかせるとエサ・ハンティングのために、カフェスの外に出よう出ようとする。上記の簡易カフェスの上には板が載せてあり、その上に重石もしてあるというのに、外に出たいばかりにジャンプ&頭突きを繰り返し、できた隙間からカフェスの外に逃げ出し、子供たちの撒き散らした粘土くずを口に入れようとしていたこともあった。私はこの大食らいの家族のために、調理の際に出るトマト、キュウリ、人参の皮やパセリの茎、マルル(長レタス)の汚い外葉部分など忘れずに取っておいてやるのはもちろん、毎週パザールの青物屋でゴミ箱行きのマルルなどの外葉を袋一杯もらって帰るのだが、3日もすれば尽き、次のパザールがやってくるまでは、自分たちのサラダ用のマルルやパセリなどを泣く泣く供出するはめになっているのである。それだけ大食らいだから、当然のように排泄量もすごいのだ(涙)。というわけで、サロンやオトゥルマ・オダス(居間)、ムトゥファク(キッチン)は論外だった。結局、すでにハムスター部屋となっている大きい方の子供部屋に同居させることになったのだった。しかし、毎日カフェスを掃除しているのにも関わらず、ウサギのチシの臭いは部屋に籠もる一方。今まで小部屋に住まわせていた時は、バルコンの扉が常に開いていたから、臭いがそれほど気にならなかったのだ。ある晩、クッキーが2段ベッドの下段にまで上がってきて眠れないと訴えるナナを、大きい子供部屋にあるソファーベッドで寝るよう勧めたのだが、ウサギのチシの臭いがきつくてとても眠れないという。といっても、ウサギを他に移す場所があるだろうか?選択の余地はなかった。その晩のうちに、ウサギは風通し抜群の表側のバルコンに移すことにしたのだった。ちなみにトルコでは、夏のバルコンは立派な接客スペースのひとつである。毎日水洗いして、オープンなオトゥルマ・オダスのような使われ方をすることが多いのだが、普段来客のほとんどない我が家では完全に子供の水遊び用のスペースになっていたので、条件的には問題がなかった。こうしてウサギのカフェスは、常時日陰になっているバルコンの片隅に置かれることになった。しかし、バルコンに引越ししてからここ数日も、ウサギがカフェスから出てバルコンを徘徊していたり、開け放した扉からオトゥルマ・オダスにまで入り込んでいるのを発見して、慌ててカフェスに戻すようなことが続いた。今から思えば、板が決して動かないよう、もっと厳重に処置しておけばよかったのだが・・・・。昨夜もまた。クッキーと遊んでやった後、小部屋を出ると、廊下の真ん中にしゃがんでいるウサギと目が合った。慌ててカフェスに戻し、蓋をして、もうひとつ重石を載せた。一夜明けた今朝7時前、ナナの大声で目が覚めた。「ウサギがキッチンにいるよ~!!」ええっ、また逃げたの!?早速キッチンに駆けつけると、エミとナナによる捕り物の真っ最中だった。私は、キッチンの入り口脇に置かれてあったビニール袋に異変が起こっているのに気付いた。そこには、昨日の木曜パザールで買って帰ったものの、冷蔵庫が満杯で、一夜くらいと外に出しっ放しにしてあった野菜が入っていたのである。トマトにキュウリ、ズッキーニと茄子。見れば、トマトとキュウリのうちのいくつかが、見事にウサギに齧られていたのである。1本のキュウリは大部分が食われ、2本目にも齧った跡が残る。3個のトマトもそれぞれ半分ほどが食われてしまっていた。娘たちに代わってウサギをとっ捕まえてカフェスに戻し、もうひとつ重石を載せ、夜間は2度とバルコンの扉を開け放しておくまいと心に誓った。オトゥルマ・オダスに戻り、ふっとソファーの方に目をやった私は、思わず叫び声を上げていた。うわーーーあああああああああああーっあああああああーーーーーーーーーーっうわああああああーーーーーーーーーっエミとナナが何事だろうと駆けつけたが、私はかまわず叫び続けていた。エミが私の驚愕の表情と叫び声に喜んで、カラカラと笑い続ける。エミの笑い転げるさまを横目にしながらも、私の開いた口はそれからしばらく塞がらなかったのである。なんと。生成り色のソファーの上じゅうに、ウサギの奴は大量のカカ(ウンチ)をばら撒いていたのである。さらにご丁寧にも、背もたれの近く2箇所には、大量のチシ(オシッコ)の跡。チシは、クッションの間から下に伝わって、台座の方まで濡らしてしまっていた。よりによって、よりによって!なぜにソファーの上に!!床の上ならまだしも、わざわざソファーの上に登ってしやがるとは!人間様の座る場所を、トイレにしてしまうとは!何たる無作法者よ!!あああーーー!許せーん!「もうこうなったら、皮をはいで、焼いて煮て、食ってやるぞ!」などと悪態をつきながら、私はコロコロと乾いた黒い粒状のカカをホウキとチリトリで集めて捨てた。チシで濡れたソファーのクッション部分は、カバーのみはがしてバスルームに持って行き、バスタブの中に水を張って浸けた。カバーの外せない台座部分には、スプレー式の洗剤をかけ、上から雑巾でこすってみた。臭いやシミがどこまで取れるか分からないが・・・・。今頃になって、昔話や映画やアニメで、ウサギが決していい動物として描かれない理由が分かってきた。つい最近の映画では、『ウォレスとグローミット』という作品があったっけ。その中でウサギは、市民が丹精込めて育てている野菜畑の野菜たちを次々食い尽くしてしまう困った厄介者だった。こうして育ててみると、あらためてよく理解できる。かようにウサギは大食らいで、あくなき食欲を満たすために、ひたすら人間の手から逃げまどう動物なのである。唯一、トイレの作法に関しては、映画でも知り得ない事実であったが・・・。トホホ。お食事中の皆様は、ここからはご遠慮ください。ソファーの上に残る、ウサギのまぎれもなき痕跡と、無残に食い散らされたトマトとキュウリ。 こいつが犯人。我が家の大食らいウサギ。いつも応援ありがとうございます。ウサギの生態に驚かれた方、私の素っ頓狂な叫び声を想像して大笑いされた方、よろしければクリックもお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/04
10日前に我が家にやってきたコッカー・スパニエルの仔犬クッキー。すぐに嘔吐と下痢(血液混じり)の症状が始まったため、それから6日間、ヴェテリネール(獣医)に毎日通い、点滴まで受けて、ようやく4日前に「もう大丈夫」と通院を免れたはずだった。エサも、ドクトルに勧められた病犬食(?)である鶏の胸肉入り白飯を中心に、その中に市販のドッグフードを少しずつ混ぜるようにしてリハビリに努めていたつもりである。ウンチも少しずつ形を成し、もう1日2日もすれば完治。そう思っていた。ところが、一昨日の夜から、再び下痢が再発した。翌朝には、前回同様、血液の混じった粘液状の下痢便をするに至り、今やすっかり馴染みとなったヴェテリネールの元へ駆けつけることになった。今度の下痢の原因は、発熱。それで、あっと思った。あの寒さでお腹を壊し、風邪を引いたのだろうかと。クッキーには、山側に面した裏側のバルコンとバルコンに続く小さい子供部屋をあてがっている。トイレの必要性のため、ドアは常に開け放してあったが、一昨夜は、山側から吹いてくる夜風が冷たくて、同じ部屋で休んだエミも、翌朝起きてくると寒くて凍えそうだったと訴えたのだった。いくら毛皮を着ている犬とはいえ、身体も小さいし、体温調整がうまくできないに違いなかった。クッキーには専用のベッドも用意してあって、そこで丸まって寝れば温かいだろうと思ったのだが、甘かった。エミにしても、じきに喉が痛い、痛くてものが飲み込めないと訴えてきたほどである。クッキーもエミも、あの夜すっかり身体を冷やしてしまったらしかった。クッキーは、ペニシリンや下痢止めなど3本の注射を打たれ、自宅に戻った。薬の効果で、下痢はぱったりと止まり、夕方以降は食欲も出て、夜、今朝と少量ながら食事も出来るようになった。今日は、確認のためヴェテリネールに連れていったが、念のためともう2本注射を打たれることになった。私とクッキーがヴェテリネールから戻ってまもなく、エミの方も、喉が痛い、耳が痛いと訴えながらバドミントンのレッスンから帰ってきた。額を触ると、少し熱がある。明日、様態が悪化するようなら、エミは近くのサールック・オジャウ(保健所)に連れて行き、クッキーの方も最終確認でヴェテリネールに連れて行かねばならない。気配りが足らなかったばかりに、ふたりの「娘」を病気にさせてしまうとは。トホホなアンネ(母)である。こちらは、注射のお陰で元気になったクッキー。ちょっと恥ずかしい、クッキーのあられもないポーズ。カメラ目線と上目遣いにもご注目。 いつも応援ありがとうございます。レンズの前で妙にリラックスしているクッキーに驚くアンネです。ひょっとして、タレント犬の素質あり?親バカだなあ~と思われた方、クリックもよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/03
毎年、同じネタを取り上げて恐縮だが、8月の風物詩としてお許しあれ。地元の日曜パザールに、先週から登場しだしたのがこちら、サボテンの実。初物ウチワサボテンの実ウチワサボテンの実。トルコ語で、Hint inciri(インド・イチジク)、Frenk inciri(西ヨーロッパ・イチジク)、kaktus inciri(サボテン・イチジク)などと呼ばれる。熟すにつれ、色はピンクオレンジに変わるので、こちらはまだまだ熟していない様子。ウチワサボテンに実がなり始める頃の様子はこちら。5月末に、アスペンドスにある古代の水道橋脇で撮ったものである。 盛夏の果物といえば、まずスイカやメロンが頭に浮かぶが、ふんだんに穫れるここトルコでは、夏の間じゅう何ヶ月間も市場を占拠し、8月にもなるとかえって見飽きて、存在に気付かず前を通り過ぎてしまうほど。(ホント)値段も安く、トルコではスイカやメロンを朝食のテーブルに載せてしまうのも一般的。我が家の冷蔵庫にも、いつもどちらかが常備されている。いつでもどこでも手に入るスイカやメロンと違って、こちらウチワサボテンの実は流通量が断然少ないので、パザールや街中で見かけると、なんだか嬉しくなってしまう。8月に入らないと出回らないだけに、見ると、ああ。真夏なんだなあ~と思う。ちなみに昨年は、8月23日付けの日記で、街中で見かけたリヤカーを引いたサボテンの実売りをご紹介した。あと、半月~1ヶ月待てば、これくらいのピンクオレンジ色にまで色付いてくることだろう。 昨年、10年振りくらいにチャレンジしてみようかと書いたみたいだが、やっぱり手が出ず、結局果たせずじまいだった。毎年のようにサボテンの実を紹介しているのだから、今年こそは、覚悟して試してみるとするかなあ。。。いつも応援ありがとうございます。サボテンの実、美味しそうに見えるかな。味見してみたくなった方、クリックもよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/08/01
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