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新農水大臣がおっしゃるには来年から減産しないと、来年の6月あたりの端境期にコメがだぶついて価格の暴落が心配されるので、それよりは需給見通しに見合った生産量が望ましい、今年より減らすことになる、というようなことだそうで。長年農水畑にいて、需給のことには誰よりも詳しいのだと自負がおありなのかとお察しいたしますが、そういうことを繰り返して来たから昨年からの米騒動が起こったように思います。第一今備蓄米が底をついている時に減産?している余裕があるのでしょうか?そして今年の分の備蓄米は22万トンとかだそうで、今まで放出していた分の埋め合わせには充てないということもへんな話だと思います。それなら増産して100万トンでも備蓄するぞってどうしてならないのでしょうか?増産することを恐れまくっているのは価格の大暴落でも起きたら農家はやっていけないという心配があるからでしょうが、そんなに急に大増産できるとお考えなのでしょうか。農地だって急に増やすことはできないし、限りある土地資源を最大限生かしても大規模生産に向いている土地はそんなに多くないと思いますし、中山間地の多いことを考えても大幅な増産は無理でしょう。それに何と言ってもこの異常気象に合わせて品種改良するにはもっと時間がかかります。今年は心配したほどの不作ではなかったようですが、来年も不作にはならないという保証はありません。何年か増産を目指してどんな天候になろうとびくともしない生産量が確保できる見通しがたつまでにはある程度時間が必要です。その間にコストを下げる、諸外国に、いかに日本のコメが美味しいか宣伝する、試食していただく、ような方策を重ねるなど生産を減らさなくてもやっていけるように考えないのでしょうか。減産していいことはないように思います。地球はいつまでも食料を安定的に生産させてくれるかわからないと思うのですが。
2025年11月02日
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前回歩いたのは調べてみたら9年前でした。やはりちょっとしたケガで。今回は頑張って少し大股で歩いてみたけど前とあまり変わらなかったのが残念というか、いや、ひょっとして9年経って変わらないのは体力がそれほど落ちてないということであって、喜んだ方がいいことなのか?悩んでおります。歩くのは楽しいっちゃ楽しいのですが、しかし、いざ出かけようと思うまでに時間がかかります。しんどいな、やめとこうかな、という声とのたたかいもあり。でも今回は前と違って骨折していなくて腱が炎症?を起こしただけみたいなので、一か月くらいで何とかなりそうでよかったです。あと半月と少し。畑に行けるのは楽しいのですが、野菜はどうかというと、今年は少しさびしい。夏野菜がちょっと、というだけでなく、秋冬野菜も、相変わらず種を蒔いても芽が出なかったり、折角芽が出ても虫に食べられてしまったり。こんなことは今年初めてですが、虫をピンセットではさんでつまみ出して土の中に埋めたり。無茶苦茶虫がいました。そしておいもちゃんたち。サツマイモは1株あたり大きめのものは1~2本、去年の半分もない位。里芋に至っては葉っぱの背の高さが30~50センチ!にしかならなく、掘る気力もわいてこない状態です。でも、本当言うと、普段歩いていないので、天が少しは歩くように、と思召して♪いい機会をくださったと思っています。歩く幸せも思い出させてくれたし、有難いことだと感謝、感謝です。
2025年10月31日
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更新剪定というのをちゃんと?やったのはほとんど初めてと言っていいかも。ちゃんと、と言えるかどうかは別ですが。それで今のところできたのは2本だけですが、花が咲いているのでもう少しは収穫できそうと期待しています。今まではこの時期採れても、秋ナスと言えるかどうかはっきりしなかったのですが、今回ばかりは間違いなく秋ナスで、なんだか感激しております。白菜はやはり最初に蒔いた種は芽が出ず、今年こそはいくらか涼しくなってから蒔いたはずなのに、と多少期待していたので残念でした。今日もめげずにダメ元で3回目を蒔いてきましたが・・そうそう、芽が出て束の間喜んだのは、なんと大根を見間違えたのでした。目がくらみましたね(^^♪やけくそになっていろんな葉野菜の種をいっぺんに一ところに蒔きすぎました。今日また、さあやるか、と鎌とスコップをもって、コスモスとシソと朝顔がジャングルになっている一角に挑戦してみたら、びっくり。その下にイチゴのランナーが走っていて、宝物見つけた気分になりました。もう元のイチゴの親株は草に埋もれて影も形も見えなくなっていて、その存在を忘れていたようなものでした。あわててイチゴを植え替える場所づくりもしなくてはならず。でも今日の秋分の日は有難いことに気持ちの良い日で暑くなく、助かりました。今日は暑さではなく、仕事のきつさでもなく、ただただおなかがすいて、がんばれませんでした( ;∀;)
2025年09月23日
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暑い日が続いてなかなか種を蒔く気になれなかったところ、やっと雨が降る予報があり、しかも曇ってくれた10日に大根や小松菜、水菜等この秋初めての種まきができました。昨日五日ぶりに行くことができて芽が出ているところを確認でき、最近めったにないことと喜んだ次第です。でもよく見ると線が細くてちゃんと育つかどうか心もとない。この5日間、雨が降ったりやんだりして気温もそう高くなかったため、たまたま♪ここまで育っただけという気もしています。全く芽がでていなかった去年やおととしのことを思ったら、青い小さい芽がちょこちょこ並んでいるのを見ただけでうるうるしてしまって、そのあとのことはもうおまけでいいやと思いました。育たなかったら苗を買う手もありますし(^^♪大根はそうはいきませんが( ;∀;)そうそう、肝心の白菜の種を忘れて、その昨日初めて種を蒔いたところで!もう本当なら苗を買わねばいけない時期なのかも、と思いつつ、芽さえ出てくれれば(巻かなくても)菜の花が咲いてくれる期待も持てるというものです。夏の野菜が大方実を結ばなかったので、期待値がかなり下がり、これからもこの暑さが続くようでは期待するほうが無理どいう境地になっています。まあ、いくら悪くても、この夏の野菜ほどダメってことはないんじゃないか?というくらいの期待はしているところですが。それにしても、シソの根っこはどうしてこうも抜きにくいのでしょうか。あれほど躍起になってまだ小さいうちにひしこいて抜いたつもりが、いざ今頃になると、毎年のように抜くのに苦労することになっています。行くたびに一時間くらいはそれに体力と時間をとられてしまい、またやってしまったと後悔している馬鹿な私。それで汗びっしょりになって、種は蒔いてもその上に防虫ネットをかける気力が残っていません。来年こそはもうしゃかりきになってシソやコスモスの芽を抜かねばと固く(空しく?)決意しているところです。
2025年09月16日
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今年もまたシソやコスモスに畑を席捲されてしまい・・それに朝顔が何重にも折り重なってなかなか切り倒すのに難儀しました。といってまだ半分にも至らず。その上、根っこを掘る仕事が残っているのに、いいや次回で、と先送りしている始末です。このままだと秋冬野菜の準備が間に合わないというところですが、去年も暑すぎて種まきを遅らせたことがあり、まあのんびりやろう、という気になっています。そして根っこですが、シソの根っこは掘り返しますが、草の根っこは掘らないでそのまま放置しておくように、という話があり、逆に根っこは全部掘るように、という方もあり、でどっちつかずに中途半端にやっております。いや実はそうでなくても私中途半端なことが得意?なもので、そうなってしまうのですが。毎年、秋冬野菜の準備にはもう少し気を遣うのですが、今年はどうもいまいち、何とかなるでしょうと気楽に構えています。というのも、夏野菜が全然だめだったのでもう期待しないようにしようかなと。特にトマト、ミニトマト、ピーマンが全く。そしてインゲンも。実があまりつかなくて、しかもその実が大きくならない、なんてことは今までになかったことでした。インゲンはつるなしにしてみたのが失敗だったかも、ですが。支柱を立てるのを面倒くさがってごめんなさい、です。今は里芋が心配。葉っぱが大きくならず、しかも枯れかけています。水やりもしないで順調に育つわけがないと反省してます。一番の優等生だったのに、申し訳ない限り・・<水やりは3回は8Lずつがんばったのですが、自転車の運転が下手なのでこわくてやめました>そうそう、オクラについては驚くことがありました。今まではいくつか実を収穫した後、下の方の葉っぱからわき芽が出ていたのに、今年は一つも収穫しないうちにわき芽だけがどんどん出てきて、あれ実がつかないのかしら、と心配していたところ、それが今そのわき芽から茎が成長して結構実をつけてくれていて、ひとつの株から沢山収穫できていることです。私が知らなかっただけで、全部が同じじゃなく、オクラにも個性があるんだなあと発見できたように感じてひとりで感心してしまいました。栄養価の問題もあるのでしょうね、きっと。今思えばそっちが普通で今までが栄養が、つまり肥料が不足していたのだと思えて来ました。ここも反省!です。
2025年08月31日
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心配していたサツマイモは10本のうち8本が枯れてしまい、悪いことをしました。新しくまた植えなおしてみましたがはて、どうなりますか。今度は水をこの前の倍、バケツに4杯やってみましたが、本当はそれでも足りないのかもしれません。共同の風呂おけの大事な水なので、すみません、と心の中でお詫びしながら、でもずうずうしく・・今年の夏はまた一段と暑いらしく、というか6月が暑かったらしく、いや7月もか?そして雨も降らないという状況で、いつもの夏と違って野菜全般に元気がないように見受けられます。ピーマンが特にひどく、いつもなら、収穫する度に十分大きなサイズのものが沢山採れていたのに、今年は一度も大きなサイズになったことがないうちに、もうそろそろ収穫期も終わろうとしています。苗9本のうち3本もう枯れてしまったし。ミニトマトに至っては赤くなるまでおいておけない、なんてのは初めてのこと。これは害虫のせいかも、だけど暑いせいもありそうです。きゅうりは苗を植えてすぐ4本のうち3本が枯れてしまい、1本のみ今まで10本実をつけてくれましたが、多分もう終わり。苗を6本植えたゴーヤは今やっと2本実がとれてあと10本以上は実がついていますが、なかなか大きくなりません。オクラは、実がついているはずのところにわき芽ばかり出てきて、肝心の実が全然つかないのが3本。それが葉っぱばかりやたら大きいのです。他の7本くらいは実がついたりわき芽が出たりどっちにしても収穫量は激減といったところ。いくらかましなのはナスだけと言いたいところですが、そのナスも今までの半分行けばいいほうかな。6本のうち2本枯れました。インゲンは今年はつるありでなくつるなしにしたら、花は咲くけど・・という感じで。やはり元気のいいのはシソばかり、今年はかなり大量に抜いたつもりがいつの間にか大量に跋扈していて、またまた抜いても抜いても、です。おかげでしそジュースだけは沢山作れます♫雨が程よく降って、気温も高すぎず、という野菜やお米にとっての当たり前の環境が、これからは当たり前ではなくなっていくのでしょうか?今年の暑さは異常なもので、来年からは正常になるなんてことはもう考えられません。どなたかが、もうこれは異常ではなくなってしまったと嘆いておられましたが、温暖化のスピードにはなんとかブレーキをかけたいものです。
2025年07月30日
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家庭菜園の先輩に伺いますと、水やりなんて種をまくときと苗を植えるときにしかしない、と大体の方が仰います。そうでないときにやると、根が横着をして自分で水を探しに頑張ることをやめてしまい、結果的に根が丈夫に育たないのだそうで。そうかと思うと、畑の表面を少し掘ってみて乾いているようだったらやる、という方もおられて、それが2~3センチ位ならやらなくて大丈夫だけど、10センチも掘って乾いていればやらなくては、とか。実は一昨日サツマイモの苗を植えてみたのですが、どうやら乾き傾向?で、多分沢山水をあげなくてはいけない場面だったのに、ちょっとためらってけちってしまいました。というのも、サツマイモの苗は何日か水につけて根がいくらか延びていたので安心していたのです。昨日朝早く確認したところ、10本のうちほとんどが枯れかかっていました。バケツ2杯じゃ足りなかったかと、それでも1杯しか追加せず、今日は行けなかったので明日の朝どうなっているのか心配です。水不足と思ったら、畝の間にバケツでバンバン撒くといい、みたいな話を聞いたので畝自体に撒くことを遠慮してしまったような・・苗を植えるときとそうでない時を混同したような気もしてどうも頭がおかしくなっている感じです。暑さのせいだ、と自分に言い聞かせて♪それにしても、この暑さと雨の少なさ、去年よりいっそう激しくなっている気がします。野菜も心配ですが、お米も心配。至急何らかの手を打たないと手遅れになると何度も耳にする話ですが、地球のことを考える為政者が増えないことにはどうにもならないのでしょうか?
2025年07月28日
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国は”専門家を集めて審議させる”のですと。”対応を審議する”?朝日新聞の7月12日の記事によるとこの対応は強制不妊訴訟の時と”違いが際立つ”とのこと。「判決翌日に当時の加藤鮎子こども政策担当相が原告らに謝罪。2週間後には当時の岸田文雄首相が原告らと面会し謝罪の言葉を伝えている」そして今回、生活保護費減額は違法だとする判決への対応については「審議する専門家会議を設置する」?何回もしつこく言いたかないけど。この対応の違いこそ、生活保護に対する底知れない偏見が見え隠れしているのではないかと思われてなりません。憲法第25条「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は今までもあまり守られて来なかった気がしますが、どんどん国によってないがしろにされていくのではないかと心配です。人間にとって何が一番大事かと私が思うのは、何度もここで言っていますが、人間として扱われる、人として生きることではないかということです。人として生まれたからには、人として大事にされる、そのためには誰もが人として生きられるような社会でなくてはならない、ということです。そのためには、すべて生まれてくる赤ちゃんは社会が大事に育てなくてはならない、誰のためでもない、その赤ちゃんのために。ということを考えたとき、何がそのための弊害になっているかといえば、ひとがちゃんと生きていけるような社会になっていない、儲けのための社会になっているからに他ならないとおもっています。みんな儲けの前に跪いている社会。それでいいのでしょうか?生活保護に対する批判的な言葉を耳にするたび、誰のせいでそんな生活を余儀なくされたのか、この社会で大儲けをするために四苦八苦?する人たちのしわ寄せが弱い立場の人たちにいっている、ように思えてなりません。その苦行を一手に引き受けてくださっている、ようにも思えます。人が人として大事にされる、人権が人にとってなにより大事だというと、国家が一番大事という方からはひんしゅくをかうわけですが、国家にとっては人より領土が大事だと最近つくづく思わされています。領土と資源の取り合いで人の命は二の次です。人の命が軽んじられる状況は見るに堪えません。同じ地球の仲間ではありませんか。どこの国の領土とか関係なく、資源は分け合えばいいだけのこと。どこの国であれ、人権を第一に考えることができれば争いは生まれないと思います。人が大事、人が一番です。どこの誰であろうと。
2025年07月13日
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畑で虫に刺されたのは珍しいことではないのですが、今日のは痛さがまるで違いました。以前こんな痛みを味わったなと思ったのはダニに噛まれたときで、その時はダニとは知らず。痛みが続くので仕方なく皮膚科にかかったら何とダニでまだ私の首の下の方でうごめいていたのでした。気持ち悪いのなんの。今回は足の脛のあたりで、痛みが半端ない。ダニとばかり思って一時間ばかり我慢して、というのは朝七時ころだったのでまだ皮膚科は開いてないし、折角来たのだから草もとらなくては、という思いでした。家に帰って刺された所を見たら小さな刺され後が二つあるだけで、どうもダニがいる気配がない。安心するやら、しかし、ではこの痛みはなんなのか?初期の痛みがダニの時より長く続いていました。刺された所以外も痛みがあったり血管も刺された左足だけ浮き出ていたり。よくよく考えてみたら、どうやら大きなアリがいたので、それではないかと思い当たりました。普通見かけるアリの十倍くらいはありそうな大きなアリ。そういえばアリにも刺されたことがあって、意外に痛かった記憶が。その時のアリはそこまで大きくはなく、痛みもそんなにしつこくなかったような記憶です。違うかもしれませんが、今はキンカンだけで痛みも治まって皮膚科に行かなくてすみました。それにしてもアリが簡単に入ってこれるような作業着ではいけませんね。長靴の入り口がぶかぶかなのも問題かも。そして薄手のものは蚊に刺されるのも防げないし、これからはますます暑くなって、畑にいられる時間もますます少なくなりそうです。でも、ひとつだけ、今年はシソの葉も心を鬼にして大分減らしました。がんばりました。
2025年06月30日
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海の向こうでは何やらきな臭い?パレードが・・なんて、昔三田明さんの大ファンだったものでつい。以前も書きましたが、小学校6年の夏休みに薪をしょって稼いだお金で、日活系で『風と樹と空と』と『ああ青春の胸の血は』を見てそのあと調子に乗って東映系映画館で『君たちがいて僕がいた』を見て大満足。そこで燃え尽きたのか?急に舟木ファンの熱がさめてしまったのは今も不思議です。小学校を卒業するころにはすっかり三田ファンに。彼と同じ誕生日とはショックですが、大事にならなければいいと願うばかりです。実は今日、備蓄米を買ってきました。イオン系のスーパーで、初めて見かけて、これはチャンスかもと。3500円以上もして、本当はコンビニで1Kか2Kを買いたかったのですが。カリフォルニア米とどちらにしようかと少し迷い、外米は備蓄米の後にしようと決めたのでした。2000円位の備蓄米を並んで買うのはいやだなと思っていたのと、ここいら辺では売ってなさそうなので、そちらのいわゆる小泉米は縁がないものと思っています。炊いて食べてみましたが、味音痴なのでよくわかりません。まあまあですかしら。今の状況が自民党農政の失敗からきているので、ちっとも小泉氏の手柄ではない、という報道も一部ではありますが、その通りだと思います。もっと農業が立ち行くような政策をとるべきだし、食料自給率も上げるべきだし、消費者の購買力も高めるべきだし、なんて思いますね。国民を飢えさせないことが国の仕事だと菅原文太さんの言葉にありました。それと戦争をしないこと、でしたね。
2025年06月14日
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午前中なのに汗が噴き出るという夏のような暑さ、でも風は心地よく、いかにも薫風や~と言いたくなるような時間もあり、暑さと心地よさが交互にやって来るような、まあまあの畑日和でした。といっても時間的にはあまり長くはできず、それでも菜の花だけはこまめに採るようにしています。いまの時期収穫できるのは菜の花とのらぼう菜くらいのもので。そういえばジャガイモ、あの次の日に植えることができたのですが、今年はいつもの年の半分ほどにとどまりました。新しく種芋を買って芽出ししてまた植えに行くという作業をやり損ねたという、なんともやる気のない話でした。やる気のない話の続き?です・・この3月で一か所の畑から追い出されてしまいまして、4月からまた一か所だけになったので今年こそは草ぼうぼうにならないようにしないといけないという話。追い出された理由がまさにそれだったようで、”あんた、来なさすぎ”と言われてしまいました。はいおっしゃる通りです。すみません・・ということで玉ねぎとエンドウ豆とを3月下旬までに何とか移植しました。そのエンドウ豆を今日初収穫したのですが、どうしたわけかゆでた後一部色が変わっておいしくないのがありました。こんなことは初めてで、引っ越ししたストレスかしら?と変なことを考えています。それにしても、貸してくださった方によりも、野菜や畑そのものに申し訳なかったなと思うずうずうしい私。これからは心を入れ替えて、は無理でも、少しでも行ける時を増やす努力を惜しまないよう頑張ります!
2025年04月19日
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実はもうメークインの方は2月中に植えてしまっていて、キタアカリがまだ植えそびれています。というのは、お天気的に今日は植えられるぞという日には用事があり、畑に行きたい時には風や雨や雪だったり。この2,3日は風が10メーター以上も吹き荒れてとても無理で、今日は雪の後で冬のような寒さが舞い戻り、こんな寒いんでは種芋が風邪をひきはしないかと恐れ・・というのは少し冗談ですが、そんなこんなで10日以上遅れているというわけであります。雪の後では畑も湿っていて乾燥好きのお芋さんにはいやな環境ではないか、とかいうのもあります。ホントはそんなに焦る必要はないのですが、なにしろ今年はもう1か月以上も芽出しをしている状態にあり、伸びた芽が自転車で運ぶうちにとれてしまうのもいやだし、と違う心配も出てきて。今年初めてそんなことで悩んでいます。と言いながら、去年はもっと遅くに植えていたし(2回目以降は)、全然まだまだ余裕ではあります。芽が運ぶ途中でとれてしまって植えても芽が出ないようだったら、また種芋をどこかで手に入れればいいわけだし。いざとなったら家にあるもので何とかしようと楽天的に考えればいいことだよね。と自分に言い聞かせるためにここに書いています!(^^)!♪来年への覚書でもあります。あまり最近の天候は次年度の参考にならなかったりしますが。風の強いのにも困ったもんです。あ、それと寒暖差の激しいのにも・・
2025年03月09日
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いつの間にか今年もあとわずか、と思っていたら、そういえばちょうど20年たったな、と思い出したところです。ブログというものの存在を知った日から。今では気が付くとボーっとしていたりして。何かまとまらないと書いてはいけないということもないのに、ね。そこで今日の感想。地球の上に生きて住んでいるんだな~と。畑の野菜たちは種を蒔かれたらそこで生きていくしかないわけで、私のところに来た種や苗たちは運が悪いと思っているかも、と今年は去年にもまして‘ごめんなさい‘という感じです。私がもっと面倒見がよければまだしも、だったのですが、春や秋は短すぎ、そして夏は暑過ぎました。地球が人間に優しくない、どころか生き物にとって優しくないという感じがします。温暖化と言いますが、本当にそうか、そうでないという意見もあります。一つの地球のことなのに、いまの状況すら正反対の評価では・・解決策を見いだすのは難しいものでしょうか。世界中のこどもたちが、こんな地球に住みたいというような未来を展望できるならーそういった知恵を寄せ合えれば、とまた夢みたいなことを考えています。
2024年12月19日
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全く同じことをしてしまいました。一昨日雨が降ったのに、今日また里芋ほりをば・・そしたらやはり泥がてんこ盛りの芋ばかり。この泥を落とすのがなかなか大変で、やはり少し乾いてからでないと粘り強く?くっついていて離れないみたいです。わかってたはずじゃなかったのかい?と自分に文句を言いたい程です。が、今日掘ったのは前とは違う畑なので、少しはましかも、と半分は期待し、半分はこれをどかさないと、葉物野菜を育てる場所がない、ということもあり、選択の余地はなかったと、これはもう一人の自分の言い訳です。今年は何でもやることが遅くなっていて、行けるタイミングで雨が降ったりとかが例年より多く、気持ちばかり焦っているようです。今更焦ってみても事態はいい方に変わらないというのに。冬野菜の栽培はもうかなり遅れていて、来年こそはと思うことにしました。いや、ほとんど毎年そんな感じでございまして♪それでも、リビングにかなりのスペースをとって並んでいる里芋を眺めて悦に入っているのだからいい気なもんです。今年のお芋さんは追肥も水やりも何にもしていないのに、私の背丈程かそれ以上に勝手に大きくなってくれて、有難い限りでした。サツマイモと違って葉っぱが大きいとお芋さんも大きいというのは本当のことのようです。知らなかったことをまた一つ教えられました。それもまた楽しみの一つですね(^^♪
2024年11月04日
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白菜の芽がやっとちゃんと出たのは10月11日に蒔いたミニ白菜の種でした。出たばかりなので巻くところまでいかないかもしれません。でも芽が出ただけですごく嬉しかったです。キャー素敵!と言いそうでした。これも来年の何らかの参考になるかわからないところですが、経験を積むしかないのかな?ミニ白菜だから芽が出たのかもしれないし。サツマイモは全体的に、大きいのは去年よりずっと少なく中くらいのが多かったので、心配したほど不作ではなくほっとしました。去年がとれすぎたのであってそれまでと比べるといい方ではないかと思います。あまり大きいと扱いにくいと言う話もありますよね♪そして里芋ですが、雨が今年は多かったので、さすがに去年より大きくて数も多い感じです。ところが、雨が多いのが最近まで続いて、掘った日の前々日まで雨降り。水分の多い芋は掘ってすぐ土を落とさないとカビがはえてしまうと最近聞いて、焦りまくりました。それまで知らなかったのは、ここまで湿っぽい芋はなかったというか、芋ほり時期に雨がこんなに降ったことはなかったからではないかという気がします。なのでこれまではとりあえず干せばいいや、としか考えず、畑で干し、家で広げて干し、で間に合っていました。それが今年は畑でも土が落ちない、家でも土がついたまま、で2日もたってからそのことに気づき慌てて土を落としたところです。その日のうちにやればいいものを、明日やればいいや、と気楽に考えていたら用事ができて2日たち・・こんなことばかりやってます。少しかび臭くなったかしらと煮てみたら気にならなかったので多分大丈夫でしょう。いや、日ごろ笑って免疫力を高めているから大丈夫と信じることにします。ということで、白菜は今年も巻いてくれるのは少しで、後は菜の花になるのを期待することになりそうです。もう一つ、大根はまだ蒔ける種があるということなので、こちらもこれからが頑張り時、と思うことにします。
2024年11月03日
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全くと言っていいほど出ていない・・11日、18日、23日と3回蒔いて3回目のがやっと2~3か所といったところかな?やはり暑すぎたのですね。23日の時一緒になった方は「もう少し涼しくなってからにするよ」とのことでした。100円ショップのダイソーでもう白菜の種を売っていなかったので、今日はついホームセンターで苗をちょこっと買ってしまい、後悔。ホームセンターなら種はあるはずだし、大枚はたくなら苗より種に使うべきでした。でもそれでまた芽がでなかったらということもあるしね、と言い聞かせてます。去年が去年だったのであまりがっかりはしていないのが救いですが、今年がっかりなのはなんと、サツマイモです。試し掘りを何株かしてみたところ、片手でつかめるくらいの大きさがあればいい方という・・トホホ。でもこれは去年が良すぎたということで、期待するのは図々しいことでした。過去には一列何にもないということもありましたので。本当にどこでどう間違えたのか、いつもと同じことをしているつもりが、と言いかけて、それが違うのだと気が付きました。今までの、いつまでにこれを蒔かねば、とかいう思い込みはもう当てはまらないのかもしれません。夏野菜の出来具合でいえば、まるで理由がわからないのにミニトマトは全然ダメでナスは今までで一番良かったり。何が違ったのかがよくわからず、不思議です。でもまた、いつもと同じことをするしか考えられないかも。サツマイモなんて去年と今年の何が違うのかさっぱり?です。白菜の蒔く時期位は改善できるかも、ですが。。
2024年09月26日
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つい去年のことを思い出し、いつ蒔いたらいいのか考えてしまいます。去年は3回蒔いて、ちゃんと育ったと言えるのは前の年までの4分の1くらいだったかな?やっと今日、今年初めての種を暑い中蒔いてしまい、すでにちょっと後悔気味です。種が暑い!と悲鳴をあげているような気がしてしまって、もうちょっと遅く蒔いた方がよかったかも、とか、いや、もっと早起きすべきだったのに、とか。5時に起きる予定が寝坊してしまい、種を蒔けたのは.7時過ぎ。それなら今日はやめて別の日にすればいいようなものですが、例年9月の第一週には蒔いていたので焦っていたのです。もう今までの経験は当てにならないと思って、今年は今年、と思えば焦ることはなかったな~と反省もしたり、落ち着きません。大根は毎年3回以上は蒔いているのでいつでもいいや、と心配はしていないのですが、それなのに今日蒔いてしまってこちらもごめんなさいかも。去年は大根も不作でどなたにも差し上げられなかったのでした。白菜なら蒔き時が限られているので不作でも仕方ない面はあるのですが、大根は何度も蒔けるはずなのに大きくならなくて、今年もあまり期待できないかもしれませんね。今年葉っぱが大きくてびっくりなのは里芋です。去年はどこの畑も小さい葉っぱが目立っていたのに、今年はどこの畑も里芋が立派で。私の背丈ほどもあるのも珍しくありません。雨が今年はそれだけ降ったということのようです。芋の大きさに比例するかどうかはわかりません。うちの里芋は葉っぱは小さかったけどその割にはお芋さんは大き目でした。白菜の芽、また出なかったら何回も蒔きなおそうと思います。猛暑がここまで続いていると、お野菜の方もびっくりで、まごまごしているかもしれません。こちらも蒔き時を学習しなくちゃね。
2024年09月11日
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お隣の方にアリさんのことを相談しても、放っておいたら?と軽く一蹴されてしまい、途方に暮れておりました。でもこのままでは畑いっぱいに広がってしまいかねない、と一大決心。私にとって一番抵抗感の少ない、石灰を撒くという方法でやってみました。抵抗感が少ないというのは、毒性が強いものではなさそうだし、お菓子についてくる乾燥剤が沢山余っていたのでちょうどいいという程度のものなのですが。そうでなくても今までこの石灰は関係なくちょくちょく撒いていましたので、これがアリに効くならば、と。気のせいか、少~し減ってきたように感じるのは欲目?でしょうか。まだ一回しか撒いてないのでもう少し様子をみないと、ですが。それにしても石灰がそんな力を持ってるなんて知らなかったです。今までは袋を開けるのが面倒で少しずつしか撒けなかったところ、今回はそんなことを気にしている場合じゃなくバンバン開けて、バンバン撒いて。”ごめんねアリさん”、とは思うんですけどね・・ところでサツマイモの苗ですが、一度目は7本とってすでに植え、二度目は5本とって来て今芽出し中、三度目はまだ伸びてなく、畝に植えた苗の伸びたところから10本とって来て明日か明後日植える予定にしています。手間がかかりますが、芽出しはこれやはり、楽しみですね。
2024年06月27日
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前から大きなアリの巣があるのは知っていましたが・・今年孫や孫の友達やらが来てジャガイモ掘りのお手伝いをしてくれた時、初めて、多分みんなしてアリに刺され、その巣の広がり具合にびっくりしたのです。二畝位に広がっていました!私がさされるだけならまだしも、折角珍しく来てくれた子供たちまで刺されてしまったのは悲しかったし、しかも結構痛かった!のです。放っておこうと思っていたのですが、これは何とかしなくては、と調べてみたらいろいろ手段はあり、どうしたものか、迷っています。殺生はしたくないですものね。でも単なる忌避剤ではお隣の方に迷惑をかけそうだし・・と、そのお隣の方たちに相談するのが一番ですね。はい、そうでした。それはそうとサツマイモの芽出しのための芋が一つはダメでしたが、もう一つは実は生きていまして、芽が出るのが遅かっただけでした。今ようやく何本か20ンチ近くの長さになり、そろそろ植えられるかな、と思っています。昨年は7月はじめまで植えていたのがちゃんと収穫できたので、今年ももう少しあと何回が植え続けられるかなと、”ほのかな”希望が湧いてきました。ほのかというのは、天候によっては昨年のようなわけにはいかないことは大いにありえますので。今年の夏はどうなってしまうのか、今からこの暑さでは先が心配だという声が沢山聞かれます。
2024年06月19日
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よく行くホームセンターで、サツマイモの苗あります?と聞きましたら、けんもほろろに「あら、とっくに完売しましたよ」って鼻先で笑われました。焦りまくって夜も眠れず、というほどではなかったですが、何しろ昨年は今までにない位、唯一豊作だったサツマイモ。花と野菜の苗を扱っている店には昨年この時期サツマイモがなかったので、この店になければ諦めるか、と最後の望み!の別のホームセンターに行ったところ、何とまだ沢山ありました。ほっとしました。焦ってしまったのは、自分で苗を作ろうと収穫した芋を大事にとっておいて、畑に寒くないように埋めておいたのが大失敗で。失敗の原因はどうも深く埋めすぎたからのようでした。今までは二回ほど成功していたのですが、でも植えられるまで伸びる時間が結構かかり、それはそれで大変。今年はいくらか楽をさせてもらえそうです。そして、相変わらず草の方が元気な畑・・今年こそは、とコスモスとヨモギの大群と格闘しています。行くたびにまだこんなに!と心を鬼にして引っこ抜くのはもう段々慣れてきてしまいました。シソはなぜかそんなに多くなく、不思議なところです。ひょっとしたら、こんなところにはいられない、と逃げ出し始めたかしら?実はミントを放っておくと大変なことになると聞いて、親の仇のように見つけ次第抜いていたら、なんと絶えてしまった実績が・・
2024年05月26日
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今年はいつもの年と格別に違った、と野菜さんたちの多くは感じているのではないか?という気が今更ですがしています。夏までは何も考えていませんでした。ただ異常に暑かったという位のことで、それと雨があまり降らず水不足気味だったということくらいで、野菜にとってそれがどれだけ大変なことなのか、気にもしていなかったわけでして。サツマイモは私にとって大豊作だったと前回書きましたが、それ以外は実は夏野菜ほとんどが例年の半分くらい?のものでした。でもまあ、それでもそこまでの違いがあるとも気づかなかった。これは変だと思ったのは九月の種まきからで、白菜、大根に始まって芽が出ない、出ても育たない、というのが十月になっても続き、この暑さでは種が順調に育つ状況ではないのか、と種まきもお天道様と相談。したつもりで、わざと例年より遅く蒔いたり。こんなことは初めてでした。特に大根は軒並み小さく、これは種を蒔く時期を逃してしまったせいかな?と。何度も蒔きなおしたのでいつだったら良かったのか全く見当がつきません。これから大きくなってくれるといいなと期待はしています。そうそう、ヤーコンについては全く何もしないで今まで何年も豊作だったのが、今年はどれもみんな細いものばかり。これも不思議です。何を言いたいかというと、この異常な天候がこれからもずっと続くのかどうか?ということ。今年だけではないような。もはや地球温暖化ではなく、地球沸騰化といわれましたが、その一環なのかもと実感しつつ、何もできていないことに、何かしなければという思いだけがつのっています。今日でブログ始めて丸19年になり、思いを新たになんて考えましたが、考えはまとまりません。ここに何か記すことですら碌にできていないなあと反省ばかりです。
2023年12月19日
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申し訳ない、侮っていました。植物は強いんですね。大きくなりそうもないと思っていた白菜の芽の中にはちゃんと育っていたものもあり、風前の灯火かと思っていたものでも枯れずに残っているものもあり♪ちゃんと巻いてくれるかは別としてとりあえず白菜っぽい外観になってくれて(人''▽`)ありがとう、という気持ちになりました。大根もやはり育ちそうもないと思っていたのが結構大きくなり始めていて。もう大満足です。もちろん、暑さが戻ってきて勘違いした可能性があり、これから急速に冬がやってくると育つ間もないということもありそうですが、もう今の時点で充分満足して、後は少しでも育てば全部儲けものという感じがして喜んでいます。多分全部育っても例年の半分くらいにしがならないと思いますが(^^♪何しろ、苗が売り切れていて買えなかった時の落胆が大きかったのです。そして、勘違いといえばベランダの山椒の木が、一旦は葉っぱを全部落としていたのに、今は勢いよく新しい葉っぱを青々と?させていて、心配になります。罪な天気というか、若々しい木の芽がかわいそうです。
2023年11月07日
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今年の夏は本当に暑くて雨が降らなくて。9月の初めに蒔いた種は白菜も大根も半分以上は芽が出ず、中旬は畑に来られず、下旬に蒔いた種はちょっと遅い位?か、少しは芽がでてもあまり育っていないようです。でもでも、サツマイモだけは、なんといつもの三倍くらいと言ったら言い過ぎかもですが、植えた苗は例年の6~7割くらいなのにも拘わらず、収穫できました。多分今年の天候はサツマイモには優しかったのでしょう。しかし、実は大きいサイズより中くらいなサイズの方が使いやすいのだそうで、その点では中くらいなのが少なくて、大きいのと小さいのばかりで。なんて文句言ったら罰が当たりますね。とにかく、大きいサイズのが採れたのは初めてで感激しました。なので、この冬の野菜は白菜や大根が期待できなくてもルンルンでいられそうです。そして里芋です。今年の暑さや水不足でかなりつらい夏を過ごしたのではないかと。葉っぱがいつもの半分以下の大きさで、とてもいつも通りの収穫は望めません。でも一つ、枯れた葉っぱの株を掘ってみたところ、何にもないかと思いきや、小さい子芋ちゃんがついてて逆に期待してしまいました。これなら生きてる葉っぱの株はもう少しマシかも♪なんて。来年の夏もこんなに暑くて雨が降らないようでは、里芋ちゃんに悪いかな、と思っています。
2023年10月26日
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いや、大根も怪しい・・というのも種をまいたのに芽が出ていないか、出ていても頼りない、というのが多すぎて。あのやる気あるのって聞かれて以来10i日もたってから行ってたのではそれも仕方ないか、とコロナのせいにして慰めてたりします。というのも、コロナ陽性になったら10日間は家にいるように、と言われて家にいましたので。ほんとは次の日に熱を出したので厳密にいうと9日しかたってないのに外出していることになりますが、そこはまあおいといて"(-""-)"ところが、別の方ですが、今年の白菜は種まいたのはどうもだめになりそうで、苗を買うしかないか、と仰る方がいて、あの私も実は、とすご~く安心しました。うれしい☆お仲間がいてくれて♪でも大根の方は苗を買ってくるというわけには行かない。これから種をまいても大きくならないかもしれません。それもこの暑さのせいでということにして、たとえ種が大きな実を結ばなくても、心安らかにこの秋を迎えたいと思っています。少し大げさ。まだまだこれから蒔ける野菜がいっぱいあるから、と自分で自分を励まして。小松菜や水菜やチンゲン菜に春菊、ホウレン草などわんさか。そうそう小かぶもそれに玉ねぎやニンニクも忘れないようにしないと、いや、忘れそうです。でも、あ忘れちゃったと笑って済ませる準備ができちゃっているのも困ったものものですな。
2023年09月25日
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今日久しぶりにあった畑友に言われちゃいました。もう草しか見当たらないような私の畑を見ればそう言いたくなるのもわかります。しかし、それにしても、この暑さ。なぜか今年は身に沁みます。シソについて言えば、いつもの年より確かに抜き方が甘かったとはいえ、こんなに大きくなるとは。これも10年目にして初めて知ったことかしら?シソを抜くだけでエネルギーがなくなりました。でもお隣の方も今年は暑くて来るのも大変、と嘆いておられたそうで、そこは少し安心しました。私だけじゃないぞ。。とか言ってる場合じゃないですよね。来年も同じような暑さが続くのか?ひょっとしたらもう猛暑の夏しか来ないなんてことになるのではないか?と恐れます。今年のやる気のなさは暑すぎて出られない、というのもありますが、こんなに暑くては蒔いた種がお日様にじりじり焼かれてしまうのではないかとおそれたのもあります。そうかといって遅くに蒔いたのではすぐ寒くなって育たない、ということにもなりそうだし。かくなる上は苗を買うしかない、と今年は覚悟しているところです(実はあきらめきれず白菜の種蒔きはしてはきました)。苗なら今からでも間に合うでしょう。と安心しています。出費は増えますが。これが痛い・・やる気のある方なら日光を遮る算段をしてもっと早くに蒔くことができたのでしょうが、と自分のやる気のなさを反省・・してないな~。もうしょうがないなということで納得しています。
2023年09月14日
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よく言われる、雨が降らない日が何日か続いた後に収穫しましょう、ということの意味ですが、今まで運よくそんな状況ばかりだったのかな?と認識することになりました。この日は畑に行けるぞ、という日に雨が降ったり他の用事があったりして、やっと行けたのが雨の続いた翌日。よく乾かさないと、と肝に銘じたつもりでも畑そのものがジメジメしていたり天気もカラッとしてなかったり、もちろんその後家に持ち帰ってちゃんと乾かそうと何日か広げてはみましたが、乾いたような色にはなかなかなりません。ようやく、あ、そういうことだったのか、と気がついた次第です。もう掘るには遅いかなと焦って掘ったのがいけなかったかもしれません。その後はよく晴れて、二日後に掘った芋はよく乾いて、畑にいるうちにきれいな乾いた色になっていました。掘るタイミングとしてはいつもとそんなに変わらないと思ったのですが、昨年はまだ葉が枯れていないうちに掘ることができ、焦らずにすんでいたのでした。今年はもうほとんど枯れていない葉がないほどで、早く収穫期が来てしまったということでしょうか。3回に分けて7から10日位ずつ間をあけて植えたのにもかかわらず!今年は雨の降り方が私と気が合わなかったのね・・・ということでまた来年、今回学んだことを生かしていきたいと思いました。それと、もう一つ。これは関係ないのかもしれないのですが、マルチをすると、中にアリさんが巣を作り安いのか?と思ったこと。マルチをしていないところもアリさんはいるのですが、マルチの下はもうそれはすごい数で、卵の塊の多さには辟易しました。そして多分初めて?アリに刺されました。噛まれたというべきかな。マルチの方は確かに土寄せとかはしなくていいくらいだし大きさもあるかもしれないけど、このアリの多さが関係あるのであれば、次はどうしようと考えてしまいます。
2023年06月19日
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今年初めて芽出しなるものに挑戦しました。3週間きっちり。行きたいときに畑に行けず、ちょっと芽が出過ぎたかとヤキモキしました。というのも毎日といっていいほど風が強くて、これ以上伸びたら自転車でガタガタ揺られていく間に芽がぽきっと折れてしまうのではないかと。大げさに心配したことです。今日は風は穏やかです、という天気予報を信じて、いざマルチを張ろうとしたらとんでもない風。疲れました。この頃、風の穏やかな日は本当に数えるほどになってしまったなーと嘆いています。でも去年の同じころの日記を読み返してみたら全く同じことが書かれていて、今日も風が強くて畑はさぼりとか。ここ何年かの傾向なのか、あるいはもうこれからはずっとこんな風なのか、観念したほうがよいのかもしれません。今年初めてといえば、マルチ栽培というのも初めてかも。その方法だと芋自体には土をかけずにマルチをして芽が出たときにマルチに穴をあけて後はほったらかしでよい、というのですが、どうなることやら。姉が、いつもより多めに作って、と珍しく要望を寄せてくれたのでいつもより頑張らないといけないのですが、どうも私のやることはいつも何か抜けていて、マルチだけでは不安で他の方法で次回はやろうと思います。マルチが風のおかげでちゃんと張れなかったという言い訳も用意して。あ、実は芋に土をかけないのはちょっと勇気が必要で、薄くかけてしまいましたが。そして大先輩のお隣の方がいつも会うたびといっていいほど野菜を下さるのですが、これが素晴しい。なんと丁寧に作っておられるんだろうと今頃気が付いているのほほんな私です。昨日も、頂いたホウレン草がほとんど洗わないでいい位、すぐ茹でられる位に揃えられているのに後で気が付いて、泣きそうになりました。ただ頂いてありがたがっているだけで、その優しさ、きめ細やかさに気が付いていなかった・・到底追い付きませんが、せめてちゃんと野菜と向き合わなくては、と大いに反省しています。
2023年02月28日
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というのがあるのをつい、4,5日前に知りました。安倍さんの実績?といったらまちがいかー悪い方のーがこれでもかと歌われてます。曰く「内政外交成果なし、税金二回も引き上げて、どアホのミクスでは、金持ち豊かになっただけ。庶民にいいことなにもなし。数字や文書は書き換えて、モリカケ桜は全部黒、ただの詐欺師に国葬ありえない」等々そんなふうな言葉が・・うまくまとまってるな〜と感心しました。言われていることはどれももっともで、そうそう、と強く頷けることばかり。が肝心のことがそこにないようにも思った次第です。国葬の何がいけないかといって、人の命を差別しているから、というのがあります。誰を国葬にして誰をそうしないのか、の区別がどうやったら判断できるのか?誰も明確には示せないと思います。そこには区別でなく、どうしても差別が入り込む隙間が生まれてしまうと思うのです。誰か客観的に判断できる人がいようとは思えません。国葬なんて絶対民主主義とは相容れない、民主主義国家である限り、国葬は「ありえない」と思います。{本当は天皇も差別されないほうがいいのですが、この方は憲法が差別を認めているというか定めていますので}55年前の中学の先生が「国葬」で話をしたい、と仰ったのはこのことを言いたかったのかもしれないな、と思ったりしました。
2022年09月13日
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と思うことは今何を思うのか?理想の「美しい国」はどんな国だったのか?国としてはー私は国家だから(?)ー韓国に対して少しも謝っていないのだから、日本の国の信者の女性たちがどんなにお金を巻き上げられようと知ったこっちゃない、国として税金を使って韓国に貢いでいるわけじゃない。国さえ厚顔に振る舞っていれば、少し位自国の国民が踏みにじられても仕方ない、大事なのは「国民」ではなく、「国」だ。私が権力を握っている間は統一教会に日本の国を乗っ取られるはずはない。そんなことより、私が権力を握り続けることの方が日本の国にとって大事なことであり、それが美しい国作りのために必要なことなのだ。そのためにはどんな手を使っても私の子飼いの議員を増やさなくちゃ。統一教会に利用されているんじゃない、利用しているのだ。尊敬するお祖父さんが開いてくれた道だと信じて。って?違うなら違うと言ってくれ。どうして韓国に日本からの献金が求められているのか、それが統一教会の原理になっているのか知らないはずはない、と思って、そんな安倍さんがなんで統一教会なんかにエールを送っているのか不思議だったのですが、いや、それだからこそ、”国としては断固謝るものか”と、硬い決意をしておられたのかしら?とふと思ったことでした。
2022年08月19日
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国会議員あるいは地方議員の方々の中でも反共的な方には近づいていた、なんてことを旧統一教会のお方がさも正しいことのように仰る(それはいかにも誰からも反論が来ないだろうという見通しの元での言葉かにきこえます。共産党員とか他の一部の方たち以外には)。のを聞いて、なんで共産党とか共産主義とかは日本でこうも良くないものとして扱われるのか?叩いてもいいもののように扱われるのか?不思議に思いました。戦争中、戦争反対などと言おうものならアカとか非国民とか言われて忌み嫌われていた、ことの名残であるはずもなく?・・共産主義といえば、「人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という言葉を思い出すのですが、これこそが人類のあるべき姿、理想だと思えます。実際にはそんな話は夢物語という捉え方が一般的で、相手にされてない、というのが現状でしょう。そこでそこに少しでも近づくために何ができるか?ということを模索するわけですが。答えは見つかりません。資本主義では強い立場に立つ人、弱い立場に置かれてしまう人、はそれぞれ新たに作られ続ける、ようになってしまっている、と思います。その体制をみんなが助けあう体制に変えていくにはどうしたらいいのか?共に生きる、共に助け合う、共に分かち合う、というように、共に、という言葉が人類には必要であると考える私にはその言葉が入っている共産、共産主義等を忌み嫌うのはなんでなのか、残念に思ったりします。もちろん、昔のソ連や今の中国の共産党を拒否したいという気持ちは私も同感です。日本の共産党については昔の子供の頃は貧乏人の味方と思って期待していましたが、今は少し疑問に思うところもあります。今も貧乏人の味方であるとは思いますが。ただ、日本社会の中で、自民党の人は大きな顔で会社の中で選挙運動しても誰も文句言わないのに、共産党の人はそれはできない、ことになっているのはどうなのか?別に今すぐ体制が変わることを求めていないのに?そんなに怖がることなのかしら。
2022年08月12日
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それは中3の時でした。その日の5時間目は英語の授業。私達は事前に英語の先生から話があるので帰らないで残っていてくれ、と頼まれていたのでしたが。みんなは、密かに黙って帰ろうぜ、のような暗黙の了解のようなものがあり、いつしかそんな思いが形成されていたのですね、残って先生の話を聞こうという声は一つも聞かれませんでした。そして給食の後、すぐ帰れる準備を誰彼と言わず始めたので、帰るつもりがなかったかもしれない人まですっかりその気になっていたと思います。掃除が終わった途端、一斉に、しかしひっそりと、足早に下校。それこそ忍者にでもなったみたいで、気分爽快、やったぜ、とその日はなんだか愉快でした。が、次の英語の授業の時、もう先生は国葬の話は全くしませんでした。ただ、一部の生徒がみつかり、先生がなにか質問しても答えもなく帰られてしまったと、残念そうにお話された以外は。話を聞きたくなかったかといえば、それほどの拒否感があったわけではなく、ただ単に、折角のサボれる機会を無駄にしたくなかったというか、早く帰りたかっただけのようなことでした。今にして思えば、その時先生が何をお話したかったのか、聞いておけば良かったな〜とその時の自分が残念です。積極的に、誰がなんと言おうと私は帰るぞ、と思っていたのは間違いない、のです。が、雰囲気を壊したくない、という思いもどこかにあって、誰かが強く、話を聞こうよ、といってくれていたら、などと他力本願なことを考えてみたり・・もう他界されてしまい、お話を伺う機会は失われてしまいました。あのときの先生に、ごめんなさい、という思いはずっと残ると思います。
2022年07月16日
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姉;嫌な奴心肺停止状態これで自民党に応援票入らないといいけど私;同感、やな予感。これまでも同じようなとき圧勝したことがあったね、今度もそうだと情けない姉;助からなそうだよ私;助からなかったら英雄になってしまいそう。自分のしたことの歴史的な意味を知ってから、なんて期待できないか姉;悪いことをしてきたことは自分にかえるので仕方ないよ。私;悪いことをしたという自覚がないままで終わっては。このまま持ち上げられて行くと、悪いことを考えている人たちに利用されそう姉;だめだったね私;なんだかこういう亡くなり方って人物が大物だったかのようだねメールのやり取りをしている間に亡くなってしまった。残念でならない。生きていてほしかった。こんな暴力を憎みます。確かに大物ではあったのでしょう。大物政治家ではあった、ことは間違いないでしょうが、どんなに立派な政治を行ってくれたか?自分の取り巻きには厚遇を弱者には目もくれず、ではなかったかしら?一言では言えませんが。ご冥福を祈ります。
2022年07月08日
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選挙の宣伝文句なのでしょうか。子どもに投資を、という言葉がいろんな候補者から聞かれます。その言葉が出てくるたびにわが連れ合いは、なんだか変、と必ずといっていいほどつぶやいています。資本主義だから投資という言葉になるのも自然なのかも、ですが子どもを投資の対象といったら、やはり変だし。子どもを国家のために生み育ててくれ、という言葉も次に出てきそうです。無論、心からそう思っている候補者もいるでしょうし、そうでなく、子ども自身のためにその未来を、可能性を最大限追求できるよう、支える力を国家が発揮できるよう、力を注ぎたいと思っている候補者もいることと思いますが。人間が人間らしく生きるということはどういうことか、なんて難しく考えるとわかりにくいですが、少なくとも、国家のために生きるということとはだいぶ隔たりがあると思います。何が悲しくてそんな狭い考えに閉じ込められなくてはいけないのか?国のためでなく、その子ども個人のために、その成長を社会が支える、という意味でなら、投資でなく、別の言葉を使ってほしいな、と思ったりします。
2022年07月07日
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『無言館』という本を連れ合いが借りてきて、読んだらと渡され、いつもあまり本を読まない私ですが、つい引き込まれていました。立場は違いますが、今のウクライナに派遣されているロシア兵と重なるものを感じて。。。兵隊といえど、本当に戦いたい人はいないんじゃないか、なぜ兵隊さんになってしまったのか?いや、兵隊さんになるのはいいとして、なぜ、この戦争が自分にとって正しいのか、考える自由はないのか?命令されたら拒否する権利がないのが兵隊さんなんだけど。。でもロシア兵の中には自傷行為をしてまでも戦闘に加わることを拒否する勇気ある方たちもおられるとか。士気が全く違うという話をベトナム戦争のときに聞いたことがありました。ベトコンの方たちと、遠いアメリカからやってきて、なんのために戦っているのかわからなくなっている兵隊さんたちと。その話と今回のウクライナ兵とロシア兵の士気の違いがやはり重なります。士気の上がらない戦いを無理してやらなくてもいいように、”戦場から逃げることをバックアップするようなシステム”ができないものだろうか?と夢みたいなことを考えてしまいます。本来、人は戦いたくないものだと思うから。士気が上がらないということはそれだけで人間らしいことだと思うから。家に帰れば皆よき家庭人であり、そして皆よきその後の人生の展望がある普通の人間である、という共通項をもつ人々。誰もその死を望んでいない。
2022年03月23日
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この世界に、たった一人の人を止められないなんてことがあるのかしら。不思議。ま、一人だけの問題じゃないのでしょう。確かに両国の過去には複雑な歴史はあるのでしょうが、とにかく今行われている殺戮を今すぐ止めて!と思うのが普通の感覚だと思います。止めたあと、なんぼでも話し合えばいいのに。素人のたわごとでしかなくてもつい、なにか言いたくなっています。民族なんかどうでもいい、宗教の違いなんかどうでもいい、とすぐ思ってしまうのはものを知らないから、かもしれません。偉大な国を取り戻したいのだという理屈がそもそも理解不能です。ついこの間まで米国でも前大統領が偉大なアメリカをと何度も繰り返し叫んでいたような気がします。日本でいえば、万世一系の天皇が続いている神の国で、こんな民族は地球上どこにもない、と有難がっている人たちも同類に思えます。自分たちの帰属する国の立派さ?を自らのアイデンティティと勘違いしているのか、わけがわかりません。国というよりも、そこに住んでいる人たちはどうでもよくて、ただただ、そこの領土が手に入ればいい、みたいなことではないでしょうか。人が大事なら、人の命が粗末に扱われざるをえない戦争などという手段は使えないはず。戦争犯罪人を裁く法廷があれば。。多くの人の命が失われる前に国際社会にそんな機能があれば、誰も戦争を起こそうというダイソレタことは考えられないというようにならないかな。頭がおかしくなって、支離滅裂になってきたかも。軍隊は国を守るためにあるのでしょうが、自分の頭で考えて今回は戦わないという判断をしてもいいというようになるとしたら、きっと自己否定になるのでしょうね。
2022年03月07日
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以前、すべての赤ちゃんが幸せに生まれてほしいと書きましたが、その時は’中絶反対の叫び’に対して一言言いたいという気持ちが強く、そこに重点が置かれてしまった、となんだか反省したくなりました。50年先、100年先に生まれて来る赤ちゃんがみんな幸せに育ってほしい、と思うとしたらそこに無理はない、という気がします。その頃の世代にまで争いの火種を残さないようにできれば不可能ではない♪♫と。少し前までそんな考えでいました。でも、100年先にできるとするなら、何も100年待たないでも、今から、この先に生まれて来る子どもたちのためにできることは何かないものか?考えることの方が大事ですよね。いや、何もしないでいたら何年たってもそこに近づくことすら覚束ないわけでして。それにしても、そのために何をしたらいいのか、さっぱり考えが及びません。何かできることはあるはずだ、ともがいているだけの現状が情けない限りです。関係は直接はありませんが。今度こども庁ができるかと思ったら、できるのはこども家庭庁だそうで。はじめはなんでわざわざ名前を変えるのか、位にしか思わず、認識が甘かったようです。どうも子育ては家庭の責任ということを強調したい方々が、社会の責任を軽くするために画策したものとしか思えません。子育ては’社会全体’で、’親も子も社会で守ろう’、という社会を目指さなければ、こどもを守ることはできないし、そのためにも誰もが喜んで子育てできるような社会環境、なかんずく労働環境がなければいけないと思います。教育費の負担も親にばかり求めるのでなく、社会が大部分を負担するとか。そうそう、これから生まれるこどもたちばかりでなく、今まさに育っているこどもたちだって、みんな幸せに育ってほしいと思います。し、こどもたちにはその権利があるはずだし、そのために大人は踏ん張らなくてはいけない、と思うのです。
2021年12月25日
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またブログを始めた記念日が来てこの日(12月19日)には何か書こうと思ったりするのですが、その元気が出てこない、しかし書かねばならぬ、と変な気負いがあったりもして。それでも無理やりこうしてパソコンに向かっているのは、やはり楽しいからなのですね。誰かとお話して楽しいと思う、趣味の卓球や太極拳でもお話できるから楽しいということがあります。里山のボランティアやファミサポでの楽しさはまた別の要素が加わって、ひょっとしたら余計に楽しい部分があるかもしれません。団地での古紙集めの作業も身体的には辛いけどこれが結構楽しい。そうそう、畑作業を忘れてました。このところ寒かったり風が強かったり、雨が降ったり、であまりきちんと畑と向き合っていないなーと反省しています。行き帰りがなければ♪楽しいことだけなのでして。そんな贅沢なことを言ってられることが、今の社会の中で許されるのかしら?と心配になります。もちろんいつまでもできるわけではないですし。年をとったら好きなものを食べて楽しいと思うことをして生きて行くのがいい、みたいなことを最近耳にしますが、すべての人がそうできれば、とつい思ったのでした。問題が一つ一つなくなっていくような、そういう楽しいことができればどんなにいいかと思います。
2021年12月20日
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人の名を呼ぶとき、「様」とか「さん」、「君」あるいはもっと色々ありますが、中でも「さん」が一番尊敬を込めた呼称だと聞いたことがあります。小学校6年間担任だった恩師の言葉、それも多分たった一度だけ仰ったような記憶です。その時は意味がよくわかりませんでした。今一人の女性が「様」から「さん」づけで呼ばれるように変化した現実があってー本人は何も変わっていないのにーやっと腑に落ちた気がしています。呼称が変わることに違和感がある、という言葉も耳にしました。私も「佳子さまが眞子さんをハグ」という表現の仕方がどうにも不自然に思えてなりません。人と人を別け隔てる壁の存在をわざわざそういう形で表現しなくてはいけない、のですね。そこに理不尽な壁があるから仕方ないと言ってしまえばそれまでのことですが。やはり人と人との壁はいらない、というのが一番!人を人として尊敬するということなんだ、と改めて思ったことでした。「様」の呼称をやめることが天皇制をゆるやかにやめていく第一歩になったりしないかな?なんて。人として生まれたのに人との間に壁を置かれた人生を生きろ、なんて他の誰かに強いる権利は誰にもないと思います。
2021年10月27日
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天皇制への議論はまだ進んでいないようですが、始まると天皇は男系男子に限る、ということで、遥か昔のその血筋を引っ張り出して来よう、という動きが活発になるのではないかという話があります。私思いますに、男系とか血筋とか、どうもあまり科学的でない言葉のような気がして、すっきりしません。一人の人には二人の親があり、その親は倍の四人になり、ということを何回も繰り返し遡っていけば、何代も遡らないうちに何億人となって人口の何倍にもなるわけで、つまり殆どの人が親戚同士と言ってもいいくらいのものだと思われます。何代も遡れば、のはなしですが、それほど血筋といったものはどうでもいいもののように思うのです。そんなものをなんのためにありがたがるのか?わけがわかりません。ずうっと男系で続いてきたというのは虚構だという話もあります。よしんば虚構でないとしても、だからどうだというのか?人に焦点をあててみればみ〜んな親から子へと代々血は繋がっているわけで、万世一系でない人はいないのでは?家に焦点をあてるからおかしなことになる。のだと思います。そこで天皇家です。もともと矛盾を抱えています。天皇家といえども、人権は守られなければならない、という意見と天皇家にはそもそも人権はない、という意見があります。天皇制を守りたいという方はそれを担ってくれる方々の人権を守らなければならない、のではないでしょうか?犠牲をただ一方的に押し付けるわけには行きません。担い手がもし現れてもおいそれと引き受けられないことが考えられます。そうなるとジレンマに陥ります。天皇制を守るためには人権を制限しなければならない、守ることは不可能だということになりそうな。。来年の参院選の後本格的に議論がなされるのではという報道を見て、つい。
2021年10月02日
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秋篠宮家の教育方針が間違っていたとかいう指摘をどこかで聞いたことがあるように思うのですが、その間違い方は、あまりにも自由に育て過ぎたのではないか?というところにあったとか。公人のくせに私人であるかのような、’公よりも私を優先するような子どもに育ててしまった’との指摘のようです。でも人間であれば、自由に生きたいと思うのは当然のこと。普通の人になりたい、と思うのも無理はありません。その当然のことが許されないのが天皇制である、ということもできます。やはり最近、天皇制そのものを問題にすべきではないか?という議論が大っぴら?に出てきたのはいいことではないか?と思います。昔からあったとは思うのですが、あまり大っぴらではなかったような。でもそこまで大っぴらとも言えないかもしれませんね。男系男子とか女系ではどうのとか、聞くのも疎ましい言葉がはびこるのは嫌なものですが、議論しなければどうにもなりません。そうこう言ってるうちにどんどん継承者がいなくなって自然に眠っていってくれればなあ、とバカなことを考えています。大昔の血筋を引っ張り出して来ることだけは御免被りたい。
2021年09月28日
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どうして先進国の為政者たちは嫌がる人々にワクチンを強制的に打たせたがるのかしら。デモをしてまでもワクチンを拒否したいという方たちもいて、それは相当な固い意志の現れであって、無理やり打たれたくない、という気持ちを踏みにじるのはよくない、と思ってしまいます。打たない自由があるという言葉もわからないではありません。それよりも臨時医療施設を機動的に作るなどして、医療が受けられなくて亡くなる、というような事例を無くしていく体制を整える方に力を尽くして欲しいものです。その方が早く感染拡大を防げる、かもしれません。検査、隔離体制がちゃんと整っていない日本ではそんなことも言えそうな気がしています。ウイルスはどんどん変化していますし、ブレークスルー感染もあり、ワクチン絶対ではないと思うから。無理やりワクチンを打ちまくって先進国だけたとえ収まったとしても、このウイルスの猛威は途上国で収まらない限りまた世界中を席巻するだろうと言われています。いやな人に無理やり打つのでなく、どんどん途上国にその分を回しましょう!と思います。
2021年09月19日
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この言葉を最近知って、親でもある我が身を振り返って、子どもにこう言われたらなんにも言えないなあとしみじみ。せめて教育にお金がかからなかったら、教育だけでなく、医療も儲けの対象にならないような社会であれば、どこそこに生まれていればなあ、などと考えなくてすむのに、と思います。”子どもは社会で育てよう”、とかけ声だけは度々聞かれますが、自民党でさえ選挙のときのスローガンに掲げていたこともあるように記憶してますが、教育や医療を儲けの対象にしている限り子どもを社会で育てることにならないように思います。無論、育児の社会化ということではそれだけでは全然足りないですが、せめてそういう政治を目指してほしいものです。「親ガチャ」という言葉は死語になるでしょう。自分の責任を棚上げしています。
2021年09月16日
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人と人との接触を減らすのに、「もう緊急事態宣言では言うことを聞いてくれないからもう少しキツめの対策を」、という声を聞きます。その前にやることがあるのではないか?とずっと疑問が。なぜ、野戦病院的なものをという話がチラチラ聞かれながら、大きな声にならないのか?と思うのです。菅首相が2日に重症化の恐れのない新規陽性者は原則自宅療養と言い出した時、何で宿泊療養をすっ飛ばしていきなり自宅療養になってしまうのか、と憤りを感じました。今、自宅療養の方にも医療が行き届くようにと、出来そうにないことを普通に仰ってますが、そんな効率の悪い医療提供体制ってありますか?一軒一軒歩いて回るより、体育館のような広いところにお集まりいただけるのであれば、その方が余程双方にとって効率もよく、点滴なども行うことができ、安心安全につながるではないかしら。しかも、自宅療養では家庭内感染がとても心配です。気をつけても気をつけても今のデルタ株は防ぎ切れません。一人暮らしの方は突然の重症化に素早く対応できないおそれがあります。野戦病院どうしてあちこちにできないのでしょうか?素人ながら不思議でなりません。素人だからか?
2021年08月14日
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コロナの重症患者かその恐れのある患者しか入院の対象にしないという「新たな方策」?というのが出され、唖然呆然・・冗談でしょう。新規感染者は入院か宿泊療養か自宅療養かと形だけでも、これまではたとえ有名無実でも三択の道があったのに、なぜ急に入院か自宅療養かの二択になってしまうのか?さっぱりわかりません。入院が無理なら宿泊療養を充実させればまだしも、とおもうのですが。今だって自宅待機させられている方々への手当は充分だと言えないと思います。これからさらに感染者が増えればますます手が回らなくなるのは火を見るより明らかでは?宿泊療養のための施設を大急ぎで作るのが一番医療に繫げる近道のように思えてなりません。そこでなら点滴の治療も可能と思います。重傷者を増やさない手立てをろくに考えもしないで、人の命をなんだと思っているのか。許しがたい施策しか思いつかないならさっさとやめていただきたい。
2021年08月04日
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天皇の言葉としてはいかにも「五輪開催に懸念がある」とは「言い過ぎではないか」?という意見があるとかないとか。その懸念は公的には宮内庁長官の個人的な意見とされています。その意見を言うならもっと前に言わなくちゃ、という話もあります。しかしもっと前に言っていたらそれこそ開催そのものに影響を与えてしまうかもしれない、それはまずいので、それでもう開催が後戻りできなくなってから、頃を見計らって、満を持して?やっと「口にできた」。しかも本人が言えないので長官の「拝察」という形で。どこの国の大統領でも首相でもこんなに国民に寄り添おうとしている方は他におられない、といっていいくらいの方が、どうしたら多くの国民の声を代弁できるか苦悩に苦悩を重ねられてその上で最上の方法を考えられた結果がこうなったのでは?というようなお話をどこかのテレビの番組で聞いて、その話にえらく共感してしまいました。なんだか天皇がお気の毒なようで、つい目頭が熱くなった次第です。これも上から目線で失礼な話でした。他人事ではなく自分の問題でしたね。そういえば今の為政者は五輪に何があろうと他人事のように感じているとしか思えません。
2021年06月27日
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私はいつも反応が遅くて「何を今更」なことを毎度言ってる感じですが、聖火ランナーの辞退の理由が「この世界の状況を見たときに開催を手放しで喜べない」とのことで、素晴らしい!と思いました。なんでといって、この世界の、と仰ってるところが、素敵ではありませんか。日本政府の’命と健康を守る’体制が行き届いていないというところではなく。いや、それも入っているかもしれませんが、問題はそこにだけあるのではない、と私には聞こえました。色々あげればきりがないほど、「この世界の状況」は五輪の開催を喜べない理由がたくさんあるように思います。日本の選手が圧倒的に有利だということだけとってみても、フェアじゃないですし。結果よければすべてよし、ということなのか、それが狙いなのか?とも思えます。日本選手が活躍すればそれが良い結果であり、たとえ素晴らしい他の国の方たちが本来の力を発揮できなくても知ったことではない、のでしょうか。それで立派な五輪?
2021年06月13日
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また古い話になりまして。菅さんが小池さんより先に緊急事態宣言解除の2週間延長を言い出したら、小池さんの顔を潰して、出鼻をくじいて、機先を制したかに伝えられました。この場合小池氏が言おうが言うまいが、まず2週間延長は避けられないだろうというのが大方の見方だったように思っていました。どちらが先だろうが関係ないでしょうと。別に先に言った方の手柄というわけでもあるまいに。ところが、このことが大きく取り上げられて、なんだか菅氏がいいことをしたような報道がされたように思います。小池氏が変な小細工?をして4都県をまとめようとしたのは非難されるべきことですが、だからといって、そこがまとまらないうちに政府の方で先手を打とうとしたことがそんなに褒められたことでもないような。何が言いたいかと言って、ちっとも先手じゃない!遅い!遅すぎる!てなもんです。現に飲食店の皆さんの中には、判断が遅すぎると困っている方もお見受け致しました。ギリギリにならないと判断ができない、しかも小池さんに先手を取られないように、と慌てて決めたことがなんで褒められた話になるのかさっぱりわかりません。変異株がこれだけ出始めて、感染者数の下げ止まりも言われてて、これで解除できるわけないじゃん、と素人でも思うのでは?首相だけが7日で解除したくないと強く思っていただけのことではないかしら。しかし大方のメディアがそんな、よくやったみたいな報道の仕方なので、なんだか菅さんたまにはやるじゃん、となったように感じました。今週、なんで菅さんの支持率が上がったのか不思議だったのですが、メディアの報道の仕方にも問題があるのではないか?とふと思ったのでした。いつものように今頃ですが。もっと早く判断できなかったのか、という疑問がかき消されてしまったと感じ、残念に思います。本質が吹っ飛んで些末なことに目を奪われる?なんて。
2021年03月10日
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ドキドキものですね。お子さんを預かるには結構覚悟がいりました。お役に立ちたいけど感染してもさせてもまずい。その方は半年もの間ずうっと土曜日お休みされていたので、今度は他の方にそのお休みの順番が回って行ったのではないか?とのことでした。迷いはあったのですが、迷っていても仕方ない、とりあえず最善を尽くすしかない、と決めたはいいのですが、実はやはり少々不安、、他の方に相談したところ、とにかく感染予防を徹底的に行う、それしかない、とのことでした。なるほど、、ですね。エッセンシャルワーカーではないですが、わずかでもそうした方たちのためになにかできれば、と思ったことでした。こんなときは畑の作業はありがたいです。畑の真ん中で思い切り深呼吸すると、ものすごくスカッとします。今日など珍しく、大根なぞを友達から所望されて?ますます幸せ気分を味わわせて頂きました。
2020年12月19日
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何年か前、「産む・産まないは女性の権利」という言葉が叫ばれて、その時もそれはそうなんだけど・・という思いがありました。それでいいのか?と。それが問題になる事態であれば、どっちを選んだにしても、それは進んで選んでいるのか、それとも選ばされてるいるのか本当にはわからない・・というのも、中絶を選ぶ前に、「妊娠すること」それ自体を選べているのかどうか、が問題だと思うから。今回の米大統領選挙でも、女性の中絶の権利は守られなければならない、という言葉が聞かれています。確かにその権利がなくてはならないとは思いますが、それはうれしい権利なのか?何度も言いたいですが、そもそも、心も身体も傷つくことが分かりきっている中絶なんて、進んでやりたいものではなく、追い詰められて、仕方なしに選ばざるを得ないもの、なのでは?女性にとって、「中絶の権利」より「妊娠しない権利」の方が余程意味があると私は思います。単に「犯罪に巻き込まれない権利」=法律にわざわざ書き込まれない=というような消極的なものでなく、新しい法律がほしいくらいに思います。
2020年10月13日
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12年前の大統領選挙でもつい書いていました。「中絶反対」という言葉に、どうしても反発を感じてしまいます。誰も好きで中絶したい人はいないこれが私の信念というか、心からの叫びでありまして。赤ちゃんが幸せに生まれてくるためには、最低限その母親が幸せに出産できる環境がなければなりません。むろん、父親も、かな?しかし、父親は?中絶反対という言葉に父親に対する非難は感じられません。誰からも責められず、自分のしたことの重大さもわからぬまま、その後の人生を何事もなかったかに生きていく?かもしれない―これも大きな問題ですが―そして、人の命が大事だ、中絶は人殺しだと言ってる同じ人が、黒人が理不尽な形で殺されても「黒人の命も大事だ」と言ってるようにはお見受けできません。すべての生まれる前の命には優しいのに、すべての生まれた後の命は大事ではないのでしょうか。矛盾していると思います。中絶反対を言う前に「望まない妊娠をしない、させない」ということを、是非ともそれ以上の声で声高に叫んでほしいものです。それは男性に対しても、女性に対しても、お互いを大切にするように、お互いの人生を大切にするように、という言葉に他ならないと思います。それが現実のものとなれば、だれも傷つけることなく、傷つくことなく、中絶反対を叫ぶ必要もなくなるのではありませんか?
2020年10月09日
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