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塵芥(ちりあくた)の取り除きはもとより、何より顕著であるのは、生き物関連だった。納屋の掃除。燃えるゴミはそれなりに、問題は、金属や、埋め立てに回すもの。分類し、(ゴミ袋が色別になっている)クリーンセンターに出向いた。(自治体によっていろいろあると思いますのでうちの市の場合ね)(余談ではあるが、例えば蒲団。これを大型ごみに出そうとすると、大型ごみシール(@1100円)を貼って、家の前に決められた日に出しておくと持って行ってくれます。この蒲団をば、クリーンセンターに直持ち込みだと、クルマの重量を測ってまた出る時測って、その差10キロ単位で@90円、で済むのです。このことは、何度も我が家のリノベの時に学習していたのですが、指定ゴミ袋に分別して入れていくと、(まさか蒲団は入らないです。通常のゴミ類)全て無料。測る所を通過して指定された場所に置くだけ。ということなので、今回はこれを採用。)うまく行くと思ったんだけど、入り口で、(袋に入っているものをチェックする)これは、間違っているので、上のさばき場まで上がり、指示を受けて下さい。とのこと。段ボールもあったので、(捨てられるのであれば今回、90円払ってもいいか、、と思って)生ごみ体育館を抜け、さらに上まで、途中の段ボールのところで、段ボールをおろし、間違い、と指摘されたものをおろすべく、。今回のあたしの袋は、緑色と黄色。係の人が、一瞥して、これは違います。何が違うか分からない。第一、乾電池は金属です。そうですが?何か?埋め立て用のに入っている。分別表を見て入れられたのですか?ハイ見ましたが。(この黄色のは、数年前に分別したものがそのままになっており、ついでにと、持ってきたのである)もう一つは、いいですよ、缶だけですよね。はいそうです。缶と瓶は一緒でいいのです。そうですか。(瓶はなかった)とにかく間違っているので、ここでは受付できません。下の生ごみ体育館で教えてもらいながら分別してください。でも段ボールは捨てちゃった。=90円払わなくては・・。じゃあ、捨てないことにします。と言い、捨てた段ボールを回収し、山を下りて、出口で、捨てないことにしました。と言い、他の用を皆済ませて帰宅。ゴミを載せたまま。途中の段ボール回収!の看板がある小屋に段ボールを投棄。さてと、。雨の午後、新聞紙を広げて、、ゴミ袋をぶちまけて、分別表を傍に置き、ひたすら分別(ぶんべつ)。まさに、分別(ふんべつ)の人。今日は、またクリーンセンターに行く。黄色と、緑の袋に入れたあたしの再分別。この場合は、ふんべつか、ぶんべつか。。
2023年06月30日
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塵芥(ちりあくた)の取り除きはもとより、何より顕著であるのは、生き物関連だった。納屋の掃除。燃えるゴミはそれなりに、問題は、金属や、埋め立てに回すもの。分類し、(ゴミ袋が色別になっている)クリーンセンターに出向いた。(自治体によっていろいろあると思いますのでうちの市の場合ね)(余談ではあるが、例えば蒲団。これを大型ごみに出そうとすると、大型ごみシール(@1100円)を貼って、家の前に決められた日に出しておくと持って行ってくれます。この蒲団をば、クリーンセンターに直持ち込みだと、クルマの重量を測ってまた出る時測って、その差10キロ単位で@90円、で済むのです。このことは、何度も我が家のリノベの時に学習していたのですが、指定ゴミ袋に分別して入れていくと、(まさか蒲団は入らないです。通常のゴミ類)全て無料。測る所を通過して指定された場所に置くだけ。ということなので、今回はこれを採用。)うまく行くと思ったんだけど、入り口で、(袋に入っているものをチェックする)これは、間違っているので、上のさばき場まで上がり、指示を受けて下さい。とのこと。段ボールもあったので、(捨てられるのであれば今回、90円払ってもいいか、、と思って)生ごみ体育館を抜け、さらに上まで、途中の段ボールのところで、段ボールをおろし、間違い、と指摘されたものをおろすべく、。今回のあたしの袋は、緑色と黄色。係の人が、一瞥して、これは違います。何が違うか分からない。第一、乾電池は金属です。そうですが?何か?埋め立て用のに入っている。分別表を見て入れられたのですか?ハイ見ましたが。(この黄色のは、数年前に分別したものがそのままになっており、ついでにと、持ってきたのである)もう一つは、いいですよ、缶だけですよね。はいそうです。缶と瓶は一緒でいいのです。そうですか。(瓶はなかった)とにかく間違っているので、ここでは受付できません。下の生ごみ体育館で教えてもらいながら分別してください。でも段ボールは捨てちゃった。=90円払わなくては・・。じゃあ、捨てないことにします。と言い、捨てた段ボールを回収し、山を下りて、出口で、捨てないことにしました。と言い、他の用を皆済ませて帰宅。ゴミを載せたまま。途中の段ボール回収!の看板がある小屋に段ボールを投棄。さてと、。雨の午後、新聞紙を広げて、、ゴミ袋をぶちまけて、分別表を傍に置き、ひたすら分別(ぶんべつ)。まさに、分別(ふんべつ)の人。今日は、またクリーンセンターに行く。黄色と、緑の袋に入れたあたしの再分別。この場合は、ふんべつか、ぶんべつか。。
2023年06月30日
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居心地のいい場所へ 随筆集 あなたの暮らしを教えてください;3 [ 暮しの手帖編集部 ]何十人もの知っている名前の方々が、それぞれ1000字くらいづつの短文を寄せられていて、目まぐるしいが、まず、「ピアノ・レッスン」、というタイトルから読んで、そして、2・3、タイトルから選んで読んで、、と読み始めた。アジアを生きる (集英社新書) [ 姜 尚中 ]朝ナマとかに出演されていた時代から知っているので、声はよく覚えている。人生相談などの記事も読んでいる。ので、。大阪淀屋橋ツインタワービル闇事件 大和ハウスの真実 [ 秋山健太郎 ]これは、もう、途中で読まないことにした。だって、おっちゃんのグチを茶の間で聴いている妻、の感じになって来たので、。。お父さん、もう先に寝るわね。
2023年06月29日
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大阪淀屋橋ツインタワービル闇事件 大和ハウスの真実 [ 秋山健太郎 ]全部実名でご登場である。読み始める。
2023年06月28日
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冬の間の薪ストーブの灰を、根元に撒くほかは何もしないでいるのに、ちゃんと、咲いてくれるのは嬉しいが、広さが目立つように、庭が、、ゆっくり、変化してるなあ、。。毎年いまごろは、虫にやられて惨憺たるありさまになるのに、今年は沢山花がついた。切り花にすることもせず、眺めるだけである。伸び放題にしておく。洗濯も、量がぐんと減ったので洗濯のための、支えも要らないから、なんとかしないと、。犬もいないから、柵を撤去しないと、、しないと、、ばかりになっちゃっております。定期的な、雑草のお掃除だけは、マスト、でしばらくどうぞこのまま♬ときは流れる♪昨日は、納屋の掃除をしようと、張り切っていたが、不発に終わる。どうしても、ちゃんと弾けないから、次回レッスンの時に、先生に相談しよう。童神。出来ると思ってやり始めたけど、あきません。また、晴れる日が来るから♪だものね。。そうそう、ひばりメドレー、やろうと言ってくださってたっけ・・。ちょいとお待ちよ車屋さん♪恋の季節なのよ♪穏やかに~青いせせらぎを聞きながら♪
2023年06月28日
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存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く [ キャロライン・クリアド・ペレス ]早速引用→p61から、第2章 ジェンダー・ニュートラルな小便器?トイレの大行列 2017年4月、BBCのベテランジャーナリスト、サミーラ・アフマッドはトイレに行きたくなった。欧州で最大規模の文化施設であるロンドンのバービカン・センターで、ドキュメンタリー映画『私はあなたの二グロではない』を観ていて、休憩時間になったのだ。あのセンターに行ったことのある女性なら、これがどういう状況かわかるだろう。照明が明るくなった途端に、急いで席を立ってトイレに行かないと、あっというまにロビーまで続く長い行列ができてしまうのだ。 女性たちは、外出先でしょっちゅう並んでいる。イライラするし、せっかくの夜が台無しだ。友人と一緒に映画や舞台を観に来ても、休憩時間に乾杯しながら感想を語り合うでもなく、ただうんざりしながらトイレの列に並ぶだけ。順番待ちの女性たちと、互いにげんなりした顔で目くばせを交わすしかない。 だが、その晩はいつもとは違った。さらにひどかったのだーとんでもなく長い行列ができていた。バービカン・センターが女性のことなどこれっぽっちも考えていないのが、滑稽なほどあからさまになった。トイレの「男性」と「女性」のマークを「ジェンダー・ニュートラル小便器」と「ジェンダー・ニュートラル個室」に置き換え、どちらもジェンダー・ニュートラルなトイレに変更してしまったのだ。その結果、「ジェンダー・ニュートラル小便器」を利用しているのは男性だけで、「ジェンダー・ニュートラル個室」は男性も女性も利用していた。 この方法は、トイレのジェンダー・ニュートラルを実現するどころか、たんに男性が利用できるトイレを増やしただけだった。女性が小便器を使うのはほとんど無理だが、男性は当然ながら小便器も個室も使える。しかも「ジェンダー・ニュートラル小便器」の方には、サニタリー・ボックスもなかった。 「わざわざこの映画館(文字に点付き)に『私はあなたの二グロではない』を観に来て、差別について説明しなければならないという、この皮肉」とアフマッドはツイートし、これを解決するには「男性たちにはジェンダー・ニュートラル小便器を使ってもらうしかない。そうすればこんな行列、絶対に(文字に点付き)できるわけないんだから。わかってたくせに」。 おそろしく男性中心のバービカンの経営陣は、こんな自明の理すら見落としていたようだが、男性たちだって、以前からこの行列問題はとっくに承知していたはずだー行列は大きな化粧室にもおさまりきらず、廊下やロビーまで延々と続いているのだから。どんなに無関心な男性でも、気づかないはずがない。しかし、その理由を知っている人は、男女を問わずほとんどいないだろう。一般的には男性中心のデザインよりも(やはり)女性のせいにされることが多い。だがこの場合、問題はまさに男性中心のデザインにある。(中略) ところが、もし男女のトイレの個数が同じだったとしても、問題はまだ解決しない。女性のトイレでの所要時間は、男性の2.3倍にもなるからだ。高齢者や身体障碍者に関しては、トイレでの所要時間はさらに長くなるが、女性の場合は特に長い。また、女性は高齢者や障碍者に同伴するだけでなく、子連れの場合も多い。そして、出産適齢期の女性のうち、つねに20~25%は生理中であり、タンポンやナプキンを替える必要がある。 いずれにせよ、女性の方が男性よりもトイレへ行く回数が多い。妊娠すると、膀胱容量が著しく減少する。また、尿路感染症を起こすと頻繁にトイレに行く必要があるが、女性は男性の8倍も尿路感染症にかかりやすい。こうした解剖学的差異を前にしても、(実質ではなく)形式にこだわる平等主義者は、男女のトイレに同じ床面積を割り当てることが公正なのだと言い張るにちがいない。←ここまで引用以上。p63なかなかに、興味深い?。わが国のトイレ産業関連会社の方々はすでに、お読みくださっているだろうと、想像している。これは、2017年時点での、ロンドン(英国)のトイレ事情の一端である。評論の中身は、日本と事情的にあまり変わらない。ことに、、、驚く。117位だの、125位だの、、で落ち込んでいる皆さん、ご安心を。男性デフォルト社会の実情は、世界中であまり変わらんのだ。
2023年06月27日
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化石図鑑 (自然科学ハンドブック) [ デヴィッド・J・ウォード ]表紙のアンモナイトの写真を見て、ウチにあるのと似ているので同定したいと思い、借りてきたが、さてその、ウチのアンモナイトが、探しても無いのだ。笑っちゃう。図鑑、ではあるが、観飽きず、ページをめくる。ようやく、、恐竜の所まで来た。テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書) [ 廣末 登 ]これは読了と、。上野千鶴子がもっと文学を社会学する [ 上野千鶴子 ]読了。あとがきに、文学についての、ジャンルの言い訳を書いていらして、納得。(編集者との対話があったのだろう、と思った。せんせ、これも書いとかんとまずいんちゃいまっか?そうやねえ、、確かに、、とかね。)
2023年06月27日
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幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました幾時代かがありまして 冬は疾風(しっぷう)吹きました幾時代かがありまして 今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り 今夜此処での一と殷盛りサーカス小屋は高い梁(はり) そこに一つのブランコだ見えるともないブランコだ頭倒(あたまさか)さに手を垂れて 汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもとゆあーん ゆよーん ゆやゆよんそれの近くの白い灯(ひ)が 安値(やす)いリボンと息を吐(は)き観客様はみな鰯(いわし) 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)とゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇 夜は劫々と更けまする 落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
2023年06月26日
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日本童謡唱歌の会、というのがあって、こちらの街でも、年に一度、エントリーする合唱団はすべてこの、童謡唱歌でやっちゃう。コロナ禍で、開催は4年振りである。童謡唱歌まつり、という市民のイベント。歌う時、マスク外してヨシ。聴いている側は、全員マスク。なんだかなあ・・。日本100銘ホールのうちの一つ、市立田園交響ホール。向かって左。中が市役所別館向こうが本庁。丹波篠山市。せいぜい20秒ほどの短い時間ではあったが、ホールでの、ソロ歌唱!という、大役。大いに、緊張したし、また、晴れがましかった。当日ホールは満員御礼、といいたいところだけど、7分の入り。800席。駐車場はいつも、臨時に三の丸広場に設定される。ボイトレのレッスンの時、8小節だけなんですけど、オブリガート(メインの音楽を引き立たせるための旋律・カウンターメロディー、ともいう)の役で、。と説明して、ちょいと練習したことがあって、先生が、即座に、ぼちぼちさん、おいしい役ですね!と反応して下さり、。あくまで引き立て役なれど、その部分は、独唱?となるわけだから、、と妙に納得した。そうか、おいしいのか・・。(半年くらい前、この曲の練習の時、気軽に、、先生、このところは、楽譜通りにオブリガートを入れた方がいいと思うんですけど、、と進言し、即座に先生がじゃあ、やってみてください。♬やってみて、これで行きましょう。と、気が付けばあたし一人でそこのところを歌う事になった時、まさか、本番までそのままとは、思わなかったのだ。)以来、緊張感が増した。さて、本番で、、やりましたがな。B(音)で始まった刹那、4分の一音くらいピッチが当たらない!と感じてしかし出したものは元に戻らない。Dの時に、回復させようとしたが、。。あとで、映像を観て、ああ、やっぱり・・。と落ち込んだ。後の祭りである。かさんにだけ、低かった。というと、メールで、良かったよ。と言ってくれる。低いとは思わなかったよ。いや最近、自分の声を録音して聞く。ということ、(してこなかった事)もう、時間があまり残ってない(年齢のため)からと、真面目に録音しようと思っていて、こないだの、シャンソンの会のも、録音した。あられもない。と、落ち込んでいるのである。プロじゃあるまいし、、とも思う。だけど、そうじゃない。論点は。自分の問題である。11月(自主ライブ)はすぐそこだ。我がこととして、精進しなければならぬ。えいえいおう!
2023年06月26日
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4年生で、平行四辺形や台形、四角形を、手持ちの三角定規2枚セットを使い自由自在に描く。ってのが、苦手な子がいるとき、。という課題が、天から降りてきた。週に一度ではあるが、地元の小学校にボランティアで、プリント学習の見守りをお世話している。って、ヘンだね。でも、最近、、お願いします。という意味で、お世話になれますか?と聞かれたりするし。。彼らの文房具は、ピカピカで、、(ったくパンパンに膨らんだ筆箱は、豊かさの象徴だな・・。)65年前のあたしが小学生の時、小学校の前にあった、文房具屋さんを、思い出した。当時はまだ、剃刀も、(鉛筆削り用)も売っていた。一応は、もう、キレイな色のプラスティックの持ち手になっており、折りたたむことが出来た。それが、1個、5円だった。50円持っていたあたしは、10個買って、クラスで配ったことがあったっけ。。さて、図形。時間は下って、、あたしが高校の時の幾何の先生。デカルトの顔に似ていたその先生、やおら黒板に、、フリーハンドで横線を引き、これが、、線です。点Aと、点Bを結びます。最短距離で結びます。これを直線と言います。と、授業が始まり、、ははん、と思ったことがあって、、何も、定規を使わなくても、自分が定義すればそれでいいのだ、、と学んだのであるが。また、時代は下ってデザイナーとして、住宅のデザインをするときは、ずべて、フリーハンドで描くやり方は、この、デカルト先生のおかげである。さてさて、。と、セットの定規を使って、平行線の引き方を教える。点と点、最短距離、、公理まではしばらく、、三角定規と楽しく遊びましょうね。の気分だった。健康で、こうして、地域の子供たちとひと時を過ごすことが出来る。幸福である。脳内記憶映像もまた、幸福だった。
2023年06月25日
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上野千鶴子がもっと文学を社会学する [ 上野千鶴子 ]引用ここから→P218性の自由市場へ「始あるものには必ず終がある」と柳田は言う。「その次に来るものは果して何であろうか。これが答えなければならぬ実際の社会問題であるからである」(柳田2017:339)。 近代のはじめに、旧習が音を立てて変化していくさまに柳田は立ち会った。しかし寝宿習俗は、変わるべくして変わった。いまわたしたちは、近代の終わり、近代があたりまえと見なしたものが過去に属するようになる変化に立ち会っている。柳田は失われていくものを憂慮したが、過去は美化されるものだけのものとは限らない。柳田は、近代が「封建的」と唾棄した「見合い」が、実は近代の産物そのものであることを教えて、目からウロコの思いを味わわせてくれるが、その後「恋愛」の名で行われている配偶者選択が、結果において「見合い」と変わらないという実態は、結婚とは「階層帰属」をめぐる合理的選択ゲームであるという、みもふたもない現実をつきつける。しかも「結婚は、男のおカネと女の美貌の交換である」と喝破した小倉千加子(小倉2003.2007)の定義ですら、今では古くさく感じられる。 かつて女性差別の強い時代には、女子力を磨いて高階層の男をつかまえる「シンデレラ婚」が、女にとっては合理的選択であった。『美人論』(井上1991.2017)の著者、井上章一によれば、明治末から大正にかけて、花柳界の女性をモデルにした「柳腰の女」が美人のスタンダードとなっていく。つまり労働には向かない、奢侈(しゃし)な消費財としての女である。アメリカではそういう妻を「トロフィー・ワイフ」と呼ぶ。だが、美貌で一発逆転をねらうシンデレラ戦略は、もはや過去のものになりつつある。女性にも選択肢が増え、人的資本としての投資とその効果が期待されるようになると、高経済階層の男性は、配偶者選択の基準に、女性の美貌よりも稼得力を重視するようになる。すでにヨーロッパで先行していたこの配偶者選択の変化は、ようやく日本でも目につくようになってきた。中国では野心的な女性経営者や成功願望の強い若い女性の美容整形ブームだという。その気になれば、美貌ぐらいカネで買える。学歴も経済力と高い相関がある。「頭のからっぽな美女」のステレオタイプの代わりに、美貌も学歴も成功も経済力も……すべてが相関する高い「地位の一貫性」がネオリベ社会で生まれているかもしれないのだ。そして経済力と結婚確率とが相関する事もまた、知られている。結婚が「性の自由市場」のもとでの弱肉強食のゲームになったとき、柳田ならそれをみてどんな感慨をもらすだろうか。←引用ここまで。P219フィールドワークの成果は文学作品とは言えないだろうが、本書中、春画の研究について、そして、夜這いの研究について、かなり深い考察が進んできて、、そこへ、柳田国男の登場である。202ページくらいから。引用したいところは、他にも多くあったが、こちらの目力の限界もあり、。。上野さんは、やはり、タダモノではなかった・・。あたしは、かねてより、セクシュアリティー研究の文化貢献は、日本語における、性器の名称たちが市民権を得ることだ、と思っているので、でも、そんなこと夢のまた夢か、、とも思っていたが、彼女は真面目であった。ひたすら、フェミニストであった。良かった。
2023年06月24日
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同じ姓だらけの、こちらの地区。だから、名の方で呼び合っておられる。たろうさん、はなこさん、よしたかさん、としあきさん、てるみさん、みちよさん、あさこさん、じゅんこさん、・・などなどなど。(全て仮名)今では、もう、すっかりこの、名前呼びで馴染んでしまった。ウチの近くには、古墳が沢山あり、一時期はその研究発掘に市の教育委員会が熱心だったこともあって、かなり大昔のこの辺りの様子が分かっている。これって、須恵器じゃないの?轆轤だよねえ。。へー、よしむね(仮名)さんちの裏山?あそこ?へー、。。とあらためて眺めた。日本六古窯の立杭焼(もしくは丹波立杭焼)は、ほぼ直南10キロのところにあって、今も多くの窯元がある。この3枚の写真は、公的施設だけど博物館ではない場所で、昔の掘り出し物?を地区の熱心な方々が集められて、然るべくまとめられ、展示されている。最初に見たのはもう10年以上前だが、いつも、何とかならんか、、の思いは変わらない。パースのディアナからメールが来て、返事をしようと、この写真を撮った。彼女は陶芸が好きで、かつ、熱心、かつ上手。ハニワの作品も写真だが、見せてもらっている。それで、思いついて、こんなのが、実際発掘されてます。と知らせようと思った。満員電車のように、展示されているが、、こういうのって、、博物館行きじゃないのか知らん。。。もうずいぶん以前だが、これらの発掘調査の論文を垣間見たことがあり、その中に、、須恵器の産地であった、との記述もあった。立杭のように継続して発展しなかったのは土(陶器用の土が枯れた)の問題とも書いてあったように思う。
2023年06月23日
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この日の、メーンエベント―、は、シャンソンのお稽古で2回目の歌い合い会。あたしは、「夢の中に君がいる♪」と、「ボン・ヴォアイヤージュ♪」に決めた。生ピアノ伴奏で、教室の生徒の皆さんの前に出て歌う。先生は横に立っていらして、ワンポイントコメントを出される。歌詞のお勉強して、皆で歌ってみて、(フランス語)と何度もするが、いざ、一人でマイクを通して歌うとなると、あやふやなところ、聞き取れないところ、ばかりになってしまい、畢竟、自宅で練習を余儀なくされる。しこしこ稽古するしかない。あ、お燈明当番だった。と、近くの神社に。シャンソンと同時進行で、今の自分のミッションは、「糸♪」と、「童神♪」のピアノ譜だ。なかなか、音符から離れられないで、指だけの稽古となるとピアノに向かわないので、音符読めるのは大いにインセンティブな事、と何かの記事で読んで、とにかく、鍵盤を触らんと、、と、オタマジャクシが読めるのだから、と言い訳して、、楽譜を前に置いている。楽譜を前にしても、曲の流れがなかなか覚えられない。ひたすら、慣れよう!と、ガシガシ弾く。一呼吸おいて、、フランス語。これも、紙があって、読みながらお手本と歌う。ふう!ちょいと、ネトフリ?そうだね、。。と観たのがボリウッド。原題は「チョップスティック」。(スがついていたかどうかは忘れました)タイトルは「DUO」。もうビックリした。アーティスト、という詐欺師の名前でご登場の俳優さん。業界ではかなりの大物みたいだ。その彼が、ヒロコのダンナにそっくりなんだ。ヒロコは、半世紀前の留学時代のクラスメート。ダンナになった人もクラスメート。時間的には、、息子さん?(の年齢)位かな?と思った。思考って、言語が要素になるでしょう?観終わっても、このそっくり衝撃が続き、俳優さんの名前も調べたくらい。というのが、、、ヒロコのダンナ、、としか、あたしは思い出せなかったので。。えーと、彼の名前はなんて言うのだっけ。。こういう場合、しばらくの思考の逡巡の後、あ、そうだった。と、水底からピンポン玉が浮かんでくるように出てくるはずが、、一向に出てきてくれない。当時のクラスメートの名前は、手繰り寄せることは出来るが、そのダンナ、だけが、あの、駅前の、顔抜き看板のように、丸く抜かれている。真っ白なんである。ヒトのダンナ、とはいえ、大切な友達である。なぜ、彼の名前だけが思い出せないのだろう。と思った。映画が、あまり似ているので、その衝撃だったか、あたしが、ピアノにのめりこみ過ぎか、フランス語に御熱だからか、、きっと、脳細胞が足りないのだろうとか、、これは、認知症の傾向があるのではないか、とかなぜに、特定のその人の名前だけが、記憶から失われてしまったか、、と、考え続けしばらくして、、そうだ、もう、思い出そうとする作業はこれくらいにしないと、、(電車の時間が迫っておった)試験勉強(本番)もしなくちゃ、、考えれば考えるほど、、焦ってしまうし、キモチワルイ。。あ行から行ってみようか、、とまで思ったのだから相当特定名称記憶喪失症状に縋りついておった。みなさん、あたしも一時はどうなることかと思ったのですが、、おかげさまで、、思い出したのです。彼の名前は、、「Bardev」でした。オツカレ、自分。そして、歌い合い会の日が始まった。
2023年06月22日
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テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書) [ 廣末 登 ]小学3年、と言えば10歳。だから、65年前に初めて、子供だけで亀の森神社の夜のお祭りに行き、そこで、屋台の連なりを見た。長じて、梶井基次郎の「檸檬」を読んだのが、高校生のとき。今の、LEDの灯に似た、目を射る光、があたしの、お祭り、の原風景である。読了。ウチの納屋には無理でもなんとかならんか、、と、あれこれ考えて、、昨日のティンパニー。たさんにメールした。教育委員会に繋いでみれば?ひょっとして、欲しいと言ってくれる学校があるかもね。と。速攻返事来て、楽器店―教育委員会―欲しい学校―ください!という流れになったとの事。良かった!山奥の小学校が、手を上げられたそうだ。引き取りに来てくださる手はずも整ったそうだ。本当に良かった。
2023年06月21日
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29インチ ヤマハ ペダルティンパニ TP-3329 ※単品販売となります。たさんの納屋にあるティンパニー。↑かどうかは分からないけれど、。そもそも、大きな打楽器、くらいにしか覚えていない。このようなのが、2個、10年前から置いてある。昨夜、電話があって、(この太鼓の件では時々話していた)関係各方面に尋ねてはいるが貰い手が無い。ついては、お宅も納屋があるようだし、音楽室に変貌しつつあるようだし、置かないか?という内容である。たさんちの納屋は、ウチとは違い現代的(てか、、今の農家さんの納屋)で、ウチより4倍以上広いのにである。だって、今はもう無いが、息子さんの趣味である、ボート、、(と言っても10人乗りのでっかいやつ)を収容していた位だもの。天井も高いし・・。息子さんの都合で、舞鶴の係留地に数年後には移動したが・・。このようなクルーザーを持っている方、あたしにはご縁が無く、へー、とかはーとか言ってただけだ。結局長話の結果、地元の老舗楽器店を紹介する。ウチは、音楽室と言ってもピアノと電子オルガン、にマイク、楽譜立て、、などがあって、お稽古しているだけだし、クラシックじゃないし、。不思議なことに、、たさんはヴァイオリンをしていて、地元のオケでも活躍されているのに、この、地元楽器店とは縁が無いらしいので、、あたし的には、なんでかなー、という感慨しかない。ま、人それぞれだし。たさんからは、孫のヴァイオリンを今、お借りしている。沢山お持ちなので。それと、ヴァイオリンの場合(他の楽器もそうかも)日常的に弾いてないと劣化する恐れがあるので、こちらの事情と合致したからかもだ。あたし、、厚かまし過ぎるか?と、チラと思った。何度か、お返ししようか、と申し出たが、弾いてもらえているので(貸したまま)いいよ。との返事。いやあ、やはり定期的にお礼などするべきか??正直、そんなことなら、もう、スッキリする方がこちらも気が楽だし・・。負い目があるということはよく分かり、折につけ、こちらが動ける場合は動いて差し上げている、、。。ががが・・。などと、逡巡した。お中元、という方法もある、何か、考えようっと。(ヴァイオリンの方)演奏曲中、何回しか音が出なくても、このティンパニー、オーケストラには、無くてはならぬ楽器である。さりとて、いろんな事情で、とにかく今たさんちの納屋に鎮座ましますティンパニー2個。行き場がない、ってのも悲劇だなあ。楽器屋さんとのお話がうまく行くといいなあ。。
2023年06月20日
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名古屋城が、現在老朽化激しく建て替えようとの計画があるようで、設計図もまだ、創建当時のものがバッチリ残っているとかで、はじめに建てた時と同じものを木造で、再建しようとの動きがあり、先日、公聴会が市内で行われたとの事。その会の中で、バリアフリーに関しての意見が白熱をおびて、、ニュースになった。それで、あたしも、この名古屋城が古くなり、建て替えの時期なのか?と思った次第。(付随するニュースも沢山出ているので、ご興味あられる方は、随時ご参照願います。)この図面が残っている=当時は木造である=木がある=作ろうと思えば作れる=ということなんだろうが、、技術者としての熱意とか情はわかるけど、建てた時代は、江戸時代初め、1609年である。こちら、篠山城も同じ時期だ。1604年かくらい。築城400年を記念して、木造?で再建されている。ただし、こちらは、平屋。しかも、大書院のみで、あとの建物は図面を拡大しただけのお庭。((庭に、ポイントを作り、こちらが、、お部屋ねー、、こちらが、、台所ねー、、みたいな)潤沢な予算があった時期なので大書院は復元された。そしてそれは、時々時代劇の映画に登場している。))見た目は、二条城に似ている。一方、名古屋城は堂々たる5層。天守閣もある高い建物だ。この一番上まで、身体に障害がある人達、エレベーターで昇れるか、という問題だ。完全再建(建設当初の図面)では、それは無理。こないだ、大阪の滴水美術館で、江戸時代の茶室が再現されたのを拝見したが、秀吉の金まみれのお茶室を、脳内変換できるくらいだった。(見た目には金はどこにも使ってないけど、さぞやこれは、、途方もないお金がかけられていると、、直感した)それで、あたしは、、当時の平均寿命を調べてみた。建てられた当時の日本人の平均寿命は、30歳を少し出るかくらいの年齢で皆、亡くなっている。400年経過して、今日本人の平均寿命は80歳を少し超えているのだ。図面を描いた人、まさか、現在のありさまを考えて買い手はいない、じゃなくて、描いてはいない。ま、体格もそうだし、したがって、モデュールだって小さめ?になるはず。図面そのまま再建、には他にもいろいろ障害があるだろうし、ましてや、公(おおやけ)。当事者のみなさまは、もうすでにそういう事々はご理解されているはずである。市長が、世間の耳目を集めたいと思われたか、予算の問題で手順を急がれたか、ピカピカの木造名古屋城のイメージを、ある一定の近未来の日付付きの写真で想像して逆算して、公聴会は2023年初夏、に設定されたのでは?と勘ぐっている。今現在の一部コンクリート造のお城だって、捨てたもんじゃない。少しこれを修正して、補修して、キレイにしてあげるのだって、一つの案じゃないのだろうか。歩けば床が抜けそう、、とかは無いのだから。。。こないだ、香住に応挙の絵画展が、大乗寺であった。観に行ったが、このお寺は築後270年。あたしたちが行った日、入り口に、、2階部分は床が抜ける心配があり、急遽見学中止になりました。とかで、2階には上がれなかった。絶え間ざるお手入れが必要なんである。IT技術も発達していることだし、あたしがここで言うまでも無いだろうが、木造再建は無理そう。。(アーキテクトは、建てたいと思うだろうね。)ユニバーサルが、デフォルトであってほしいよね。
2023年06月19日
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サクランボの大きさ。色も似ていますね。ミニトマトを湯むきします。(切り込み入れておく。(ちょとめんどいけどこれするとあと楽))サッと沸騰した湯にくぐらせるだけです。皮剥いて、砂糖を振りかけます。多めに。そして、冷蔵庫へ。おやつの代わり。あまーーーい。上沼恵美子チャンネルで、やってました。彼女の紹介するものは概ね、当たりです。ビールのおつまみ4種、のところでしてましたので、おつまみ?なのかな?
2023年06月18日
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今朝の朝日の記事から引用→ 人間は年齢に関係なく、何かをやるのに遅いということはない。時間はかかりますが。 こうなりたい、ああなりたいと思うとき、人間はものすごく強い。でも3カ月経つと、気持ちが薄れてくる。そんなときは、やるんだという意識をもって、やり続けるしかない。 そうした思いが信念に変わる瞬間がある。僕は経験上、それを知っています。←引用ここまで。郷ひろみさんの発言(インタビュー内)。郷ひろみさん、ありがとう!
2023年06月18日
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苦しいとき脳に効く動物行動学 ヒトが振り込め詐欺にひっかかるのは本能か? [ 小林朋道 ]まさか、、と思ったけど一応読んでみましょうと。読了。本能かどうか。↓この、小林先生とは思わず。。先生、ヒキガエルが目移りしてダンゴムシを食べられません! 鳥取環境大学の森の人間動物行動学 [ 小林朋道 ]このシリーズ、愛読しているが、すでに読了。こないだの、「科学夜話」にしても、書かれている先生の大学の場所が、鳥取だの、高知だの、辺境だ。一定の男の妬み嫉み、あるのではないか?と想像している。大変面白い視点だとか、率直だとか、光る才能だとか、、頭脳明晰だとか、、と、出世本流と傍流、そして本人の感覚の鋭さ、等等々、、、そうだ、琉球大にも、北海道にも、面白い方おられる。超インフレ時代の「お金の守り方」 円安ドル高はここまで進む (PHPビジネス新書) [ 藤巻 健史 ]お金教信者のはしくれであるあたし。(「おかねきょう」という宗教じゃないでしょうか?と、こないだのえねちけーの日曜日の放送である僧侶が講演しておられ、聴いていて本当にそう思った。というのが、、お話の内容は・・皆さん、自分の預金通帳の数字、つまり残高が、減ると、悲しいですよね。増えると、ウレシイですね。その数字の増減によって、悲しくなったり、嬉しくなったりします。お家の猫は、そうは思わないでしょう。日本国民の80%は、「お金教」の信者だと、私は思います。そんな意味の放送があり・・)ケチる貴方 [ 石田 夏穂 ]これは読了。日本エッセイ小史 人はなぜエッセイを書くのか【電子書籍】[ 酒井順子 ]酒井順子さんと名前を見て、負け犬(の遠吠え)を思い出し、お元気なのか?と手に取る。コムシ・コムサ。存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く [ キャロライン・クリアド・ペレス ]そしてこれは、お買い上げ決定。この、膨大な思考のお遊びが、図書館に行き、新刊コーナーを一巡りするだけで得られるのだ。感謝。
2023年06月17日
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存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く [ キャロライン・クリアド・ペレス ]引用ここから→(訳者あとがきより)著者が繰り返し述べているとおり、多くの男女差別は悪意によるものではなく、認識の欠如によって生じている。だが、「悪意はないが、気づかなかった。思い至らなかった」では、いつまでたっても問題は解決しない。それに自分が差別を感じていないからと言って、差別が存在しないことにはならない。それどころか差別に対する認識の欠如は、差別の助長につながってしまう。これはあらゆる差別について言えることだろう。だからこそ、まずは実際に差別が存在することを認識し、それによってどのような問題が生じ、誰がどのような被害を受けているかを知り、解決や改善に向けて行動を起こすことが重要だ、と著者は説く。引用ここまで。p360 太字は引用者。もう読んでしまいました。とは言えない。あまりに膨大なデータの集積なので、そしてそれらが逐一、目を見張るものであるため、飛ばし読みして、全貌を知ろうと思った。これは、、タイムリーにお買い上げ!となる予定。なんせ、来年度までは、市の女性委員会のメンバーとして、何らかの成果を出さねばならぬ身。今日のタイトルは、、実はこの本の続編を執筆中であるとのこと。訳者さんも言っておられるように一読者であるあたしも、、興味津々。本書中パラパラと飛ばし読み、、と書いたが、中でも考えさせられたところがあって、それは、、双曲平面を実際に、編み物で作ってしまった女性数学者がいて、その模型(編み物)は、今では学会の標準モデルとなっているそうなんだが、なんと、彼女の発想は、問題提起にたったの2時間かかっただけで、(あたしもよく分かる、だって編み物をするから)それまでは、この双曲平面は理論上の産物であり、100年以上も男性数学者たちが物理的に表現しようとしてきたが、成功した者はいなかった、のである。(これはカーデガンの身頃にあたる部分なので、平面だが、編み物は増し目や減らし目で自由にオリジナルの面、を作ることが出来る。)でも、あたしは思った。少なくともデンマークでは、大学の男性教授でも、普通に編み物をしており、半世紀前までの時点では、立派な男の趣味の一つであったのだし、。。とはちらとは思ったけど。いやいや、こういうマスキュリン発想はやはり、男性の考え方がデフォルトであるという現状の証左なのかもしれないと思い直し、。。今日は、市の男女共同参画センターにいる男性職員に推薦図書としてこの本のさわりのコピーを届けようと思っている。
2023年06月16日
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世界の表象もまた、世界そのものと同様に、男の手になるものである。男は自分たちの視点から世界を描き、それを絶対的な真実と混同してしまうのだ。 --シモーヌ・ド・ボーヴォワールーー存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く [ キャロライン・クリアド・ペレス ]本書見開きにこの格言。そして、はじめに、が次のページ。以下引用。p7~はじめに 人類史の大部分はデータが著しく欠落している。「男性=狩猟者説」からしてそうだが、歴史の記録を見ても、人類の発展において女性が果たした役割については、文化的にも生物学的にもほとんど言及されていない。いっぽう、男性の生態は人類の生態を代表するものとして扱われてきた。それなのに、もう半分の人類の生態はほとんど無視されたままだ。 こうした無視はあらゆる場所で横行し、私たちの文化全体にはびこっている。映画、ニュース、文学、科学、都市計画、経済学はもちろんのこと、私たちが過去や現在について語り、未来を思い描くストーリーまで。そうしたストーリーはどれも歪曲され、女性という”不在の存在”が男性の陰に隠れている。これが、データにおけるジェンダー・ギャップ[男女の違いにより生じる格差]だ。 データにおけるジェンダー・ギャップは、無視だけの問題ではすまない。こうした無視や格差は、影響をもたらすからだ。その影響は、女性たちの日常生活に表れる。なかにはささいな問題もあるだろうー例えば、男性にとっての適温に設定されたオフィスの冷房で震えあがったり、男性の身長を基準につくられた棚の上段に手が届かなかったり。そういうのはムカつく、明らかに不公平だ。だが、命に関わる問題ではない。 しかし、自動車事故に遭った際、安全装置が女性の体格を考慮していなかったとか、心臓発作の兆候があるにもかかわらず、「非定型的」な症例とみなされて診断が下されないとか、そうなると話は別だ。男性のデータを中心に構築された世界で生きていくのは、女性たちにとって命取りになりかねない。 データにおけるジェンダー・ギャップについて最も重要なことは、それが悪意によるものでなく、意図的ですらないことだ。むしろ正反対で、これまで何千年もまかりとおってきた考え方の産物にすぎず、一種の思考停止とも言える。それも二重の思考停止だー何でも当然のごとく男性を基準に想定し、女性のことはいっさい考慮しない。なぜなら一般的に、「人間」という言葉は男性を指しているからだ。 これはなにも目新しい考察ではない。シモーヌ・ド・ボーヴォワールによるつぎの一節は、1949年の著作、『第二の性』によって有名になった。 「人間とは男のことであり、女は男を基準にして規定され、区別されるが、女は男の基準にはならない。(中略)男は”主体”であり、”絶対者”であるーつまり女は”他者”なのだ」 女性はいまだに「他者」であり続けているが、周囲の状況は新たな居面を迎えている。その状況とは、ますますデータに依存し、ビッグデータにとらわれている世界のことだ。巨大なコンピューターを駆使し、膨大なアルゴリズムによる膨大な真実を求めている。しかし、女性の存在を無視しているせいでビッグデータが損なわれている場合、そこから得られるのはせいぜい半端な真実にすぎない。そしてそんなものは、女性にとっては真実でもなんでもない。コンピューター科学者たちが言うとおり、「ゴミを入れれば、ゴミが出てくる」(ガーベッジ・イン、ガーベッジ・アウト)のだ[ナンセンスなデータからは、ナンセンスな結果しか出てこないという意味]。 こうした新たな状況によって、データにおけるジェンダー・ギャップを縮める必要性は、さらに喫緊の課題となっている。人工知能(AI)が医師たちの診断を助けたり、履歴書をふるいにかけたり、有望な求職者と面接を行ったりすることは、すでに一般的になっている。しかしAIの訓練に使用される学習データは穴だらけであり、しかもアルゴリズムはライセンスで保護されたソフトウエアの場合が多いため、データの欠落が考慮されているのかどうか、確かめることすらできないのだ。だが入手可能な証拠を見るかぎり、考慮されているとは到底思えない。 数字もテクノロジーもアルゴリズムも、「存在しない女たち」(インビジブル・ウイメン)のストーリーを語るには不可欠だ。だが、それだけではストーリーの半分しか語れない。データとは情報の言い換えであり、情報には多くの情報源が存在する。統計が一種の情報なのはもちろんだが、人間の経験もまたしかり。だからこそ、すべての人にとって生きやすい世界をつくるには、女性たちも意思決定に参加する必要がある。すべての人に影響を及ぼす決定を下す人たちが、全員、白人の屈強な男性(しかもほとんどアメリカ人)だったらデータが偏るのは当然だろうー医学研究において、女性の体に関するデータを収集していないせいで、データの欠落が生じるのと同じことだ。これから示すとおり、女性の視点を欠くことは男性中心の考え方が「ジェンダー・ニュートラル」[男女の性差のいずれにも偏らない考え方 ]としてまかりとおるのを助長することになってしまう。ボーヴォワールが、男性は自分の意見を絶対的な真実と混同していると述べたのはまさにこのことを指している。ーー引用ここまで。p9このはじめに、、はあと数ページあって、そして、イントロダクションの章に入る。ボーヴォワール論考からざっと70年、ここまで来たのだ。(引用文中太字にした箇所は引用者による。)
2023年06月15日
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今年はムカデが多い。土間の面積が、我が家1階の半分以上であるため、住居が昆虫の天国であることも理由の一つ。昨日は、ゲジゲジ(通称)と遭遇した。なぜ、ヒトは、この多足類を不快と感じるのだろうか。おそらく、DNAに刷り込まれている感がないでもない。系統的には、正式には、ゲジ、と呼ぶのだが、それが、、、ゲジ目ゲジ科ゲジ属ゲジ、などと、、専門家さえ触れたくない存在的に強烈な分類のサマである。ただ、ムカデは殺すのにためらいはないが、ゲジ(正式名称)は、密かに消えて下されば、あたしは殺すところまでは行かない。だけど、昨日は、目立アイボリーのクッションフロアにお出ましであった。ごめんごめんごめん、あなたが、悪いわけじゃないのよ。と言いながら殺虫座をかけまくり、死んで頂いた。トングでつまんで、外の溝に捨てる。しばし、悪い、悪かった、、の気分とともに、彼あるいは彼女の冥福を祈る。そのご利益かなんか知らんが、ライブの会場が決まる。小学校の付属施設。相棒のかさんを連れて、見学に行った。以前から、かさんは、ぼちぼちんちの納屋がお気に入りだった。あたしもまんざらではない。先生もお勧めくださる。ふらと立ち寄る知己も、ピアノのある納屋を眺めまわし、ここでライブもできるよね。とか言うし、、実際、過去にライブ敢行!したこともある。さて、夫の守備範囲であったところの、納屋の作業場を片付けねば!のミッションでかさんはやって来た。昨日。念のため、、というか、あたしは、候補地としてこちらもいいんではないか?と思っていた場所を見てもらうために案内した。内部を見ることが出来た。(前回は鍵がかかっていたので入れなかった)入って3歩。こちらがいいね。とかさん。会話が響いて、心地よい。さすが、相棒。決めたね。ここに。我が家に取って返して、比較検討。やっぱ、あそこ、(出向いたところ)の方が響く。マイク無しでも可能。(なぜなら、われらは、ちゃんと声が出るので・・うひひ)明日は、そのボイトレの日。先生に報告すべし!と決まった。かさんは、あそこなら、私たちの合唱団もやってみたい。とご託宣である。賛成だ。百聞は一見にしかず。まことに・・。うまく運んでほしい。使用申し込みは明日だ。
2023年06月14日
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ケチる貴方 [ 石田 夏穂 ]存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く [ キャロライン・クリアド・ペレス ]存在しない・・の方をリクエストし、入手して、図書館で、、またぞろ、厚い本だなあ、と眺め、、何か、薄い本は、、と探して、、ケチ、という単語に眼が行く。おお、いいじゃん。帯書評に、町田康さんの名前。おおいいじゃん。自己肯定と自己否定の相矛盾する狭間の中で生きる人の心を描いて大成功している。とあった。図書館で読んだこの文章、今朝こうしてコピーしてみると、大成功、とある。あたしは、成功、と読んで、持ち帰っている。成功と大成功、書評におけるこの言葉の違いはあたしの、本を手に取った瞬間(持ち帰り)と、そして、読み始めて読んでいる時間、つまり中身を知ってからの印象と合致する。→つまり、おもろい!のである。お若いのに、、と思って略歴を見たら、彼女は理系だ。いつも、知ったおなまえの作家さんに手が伸びてばかりなので、今回は、町田さんに助けられた。以後、この著者の本は、必ず、読ませていただく事にした。サンキュ。
2023年06月13日
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朝早くからいつもどこへ?と、こないだの町内会クリーン作戦のときに、尋ねられた。季節ごと数回、町内全員で周りのお掃除の日だった。市内120か所以上のそれぞれの自治会地区で同じようなことが行われている。日曜に多い。田舎暮らし15年ともなれば、買い物行く道に、軽トラや、わらわら集まる人々や、草刈り機、などが参集していると地区名が浮かび上がって、ああ、今日なのね。と分かる。スイミングに行ってます。と答える。ああ、あそこにね。犬がいないので、(ああチャーリーね)散歩に行くのが難儀でね。(そうよね、、寂しくなったね)おかげさんで、運動不足が解消されてます。(それはよかったね)同じ受けごたえをするのだ。そう言いつつ、すでに2年半が過ぎた。全くに近い状態で泳げなかったあたしは70代に入ってからの水泳だ。なんとか、歩かずに泳ぐ。それにしても、こんなに素晴らしい環境で(ガラス張りのでっかい建物、温水プール、サウナ付き)9時からとは言え、通う方は10人ほど。本当にもったいないし、有難い。などと、思っていると。今年の夏は、市内の小学校数校が、自前のプールの改修の予算云々について問題が生じ、いよいよ、このプールを水泳授業に使用してはどうかという事になったらしく、話はトントン拍子に進んで、子供たちが朝から団体でやって来ることになった。ほとんど貸し切りマイ・プール、状態から一気に喧噪満載スイミングスクールになっちゃった。コース別に振り分けはあるが、小柄(子供なので)な彼らは、2つのコースを3つに仕切りで分けて、泳げない子と泳げる子とにクラスを作り、それぞれコーチがついて、教えているようだ。泳げない子たちは、イモ洗い状態。泳げる子たちはあたしたち大人の隣のコースで。当のプールに習い事として通っている子も中にいるので普通に泳いでいる。この普通、ってのが老人たちより速く泳ぐのである。ぐんと。。80歳時点で、ヒトの筋肉量は50%だという。10歳時点で、体重は大人の半分ほどだろう。(以上ザックリ)4倍の運動能力があるわけだから、当たり前なんだけど、横を水しぶきあげてスーッと泳がれると、目が自然にその子の後を追い、ただただ、へー!となるしかない。人それぞれだろうが、老人クラスの中には、子供たちに気が取られて目が離せないで、楽しんでいるのか、悲しんでいるのか分からなくなっている方も居る。子供クラスが始まってからは大人クラスの参加者は若干減っているようだ。あたしは、粛々と日々の健康対策をこなすのみ。筋肉量、現状維持がミッションだもの。月ぎめの授業料がもったいない。スイミングは今や、必須の運動の一つとなっている。日常の中に組み込まれてこうして過ごせることに感謝である。所謂、ウインウインだから(小学校の水泳授業を最寄りのスイミングスクールでする)このシステムは、広がっていくだろう。この数年のマイプール状態は、夏の時期は諦めないといけないだろう。夏休みまでの辛抱である。
2023年06月12日
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先週は、トライやるウイークだった。知らなかったが、知っていたが、兵庫県独自、らしい。↓<「トライやる・ウィーク」とは、学校・家庭・地域が連携し、「心の教育」の充実、「生きる力」の育成を目指し、平成10年度から実施されている、兵庫県独自の取組みです。 市内の公立中学校・特別支援学校中学部の2年生・義務教育学校の8年生が、福祉体験、職場体験、地域文化体験など様々な体験活動に取り組みます。>まだ、田舎暮らしをする前、店をしていた頃、たまたま、この企画を、任される立場にいて地元の中学生を沢山引き受けた。受け入れの方、出来たばかりのショッピングセンター(つまり商店会)。それで、彼らに、入店者、退店者、各出入り口からの人の動き、時間別に。(確か出入り口が9個ほどあったので)そのデータを手分けして取ってもらう、そして、それを、表にして、センター内の各商店主に発表する。という取り組みをしてもらった。まだ、スタートしたばかりのことで、混乱はあったが(例えば、、自転車通学が認められていない地区の子供が、自転車で来てもいいか?とか)参加する際に、お揃いのTシャツ着用、それには、「CAT'S HANDS 」と印刷した。記念品として持ち帰っていただくつもり。結構、素直にそして、自主的に彼ら彼女らはいそいそと、取り組んだ、、と思う。学校から、外に出て、近くの商店街に通うのは、良い経験であったと思う。とにかく、事故もなく無事に5日間が過ぎたのは何よりだった。データは、まさに、生きたデータで、各店舗の経営者にも役立ったと思う。いささか、ワンマンショーになったきらいはある。あたしはその商店会の会長だったので。子供たちへの説明、指導はお手の物であったが、大人たち、つまり商店会のメンバーには、理解を得るのが難儀であったと記憶する。最終日には、生徒たちと反省会をした。感想文も書いていただいた。一人、とっても大人びた少年がいて、始めから終わりまで静かな印象の生徒だったが、発言があって、驚く。「僕は、、今まで学校で受けていたどの授業よりも、楽しかったし、勉強になりました。」と言ってくれた。四半世紀前である。彼はもう、40代に差し掛かる年齢だ。元気でいるか♪(と遠い目)ウキウキしておったあたし。だけど、次年度から、教育委員会からの依頼が止んだ。やり過ぎたのだ。(他の事情があってかもしれないので、単なる思い込みかも。でもあたしはそう思った)この話を書くのは初めてである。もう時効だよね。。なぜ思い出したか。今年度から、地元の小学校に週一、数時間出向いている。児童数は少ないが、楽しく過ごせている。あたし一人じゃなくて、教諭の方が一人とで、2人態勢。伺って3回目か4回目に、その教諭の方が(理科の先生だが)、「ぼちぼちさんに、感謝です。」と。え?と聞くと、、、上から目線で、怒ってばかりしていましたが、あなたの子供たちへの態度を見せていただき、本当に、勉強になります。と、、。まったく、本当に、期待していなかった言葉を晴れがましくも、頂戴した。人は誰でも、褒めてもらうと嬉しいものだ。キラ、キラ、と、こんな経験(てか記憶)は、心にコロン、と落ちて、暗い全容(心の世界って、暗くない??)光り続け、かつての、光っていたものと光りあってその周りを明るくし、静かに少し、周りが明るくなる。ええ感じ。梅雨の夜明けに、思い出話。
2023年06月11日
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紹介の文庫版ではなく、ハードカバーのを読んでいる。以下の対談は、1992年くらい。文中紹介の対談は、1965年時点。いわずもがな、今は、2023年。男流文学論 (ちくま文庫) [ 上野千鶴子(社会学) ]引用ここから→p236上野 面白かったのは、伊藤整と江藤淳、安岡章太郎、三人の座談会、「文学の家庭と現実の家庭」。すごくホンネが出てて面白かった。その中で、彼らの目にアメリカの家庭がどのように映っているかがわかる。三人とも、あんなふうによそよそしい他人同士がもたせなきゃいけない家庭というのはかなわんもんやなあ、という感慨において驚くべき共感をしています。富岡 夫婦と言うのは他人だと思ってないのね。日本って。上野 江藤淳と伊藤整と安岡章太郎、この三人の意見が一致している点で、これはすごく典型的な座談会だと思いました。一九六五年当時の日本の知識人男性の家庭観がよく出ています。これを読んで、ほんとに気持が落ち込みました。いまからわずか二十数年前ですよ。これほど野蛮だったのかと思いましたね。富岡 そうですよ。二十年で。上野 野蛮ですね。文明ちゅうもんがあらへん。 このなかでは伊藤整が最年長で、彼がすごく古いことを言ってます。<女房を自分の内に同化するような形にしてしまって、自分は家族の代表者として単独人であるという立場で書くのが多いのじゃないか。……女房の哀しみに対して、われわれは他人としてこれを扱うのではなくて、自分の痛みとして扱うのじゃないかしら。だから女房は決して他人じゃなくて、自分の中に同時に存在もする。……女房はわれわれにとっていわゆる西洋のワイフではない。> それに対して江藤はちゃんとこう言っています。<いま伊藤さんがおっしゃった、自分の中に女房をとりこんでそれをかわいがるということは、逆にいうと自分しかかわいがらないということでしょう。>すると伊藤が<まさにそうなんです。そこがどうも正体がはっきりしないし、うまく言えない。>―正体がはっきりしているじゃないですか(笑)。 同じく伊藤整が、こう言ってる。<ぼくらは気に入った女ができると、>ー「ぼくら」って安直にいうなよなーー<おれはこの人格を降伏して彼女に求愛していいか、それは屈辱的なことじゃないかと先ず考える。……まず恋愛からはじまるのでなくて、われわれは人格の降伏という意識を経ないでは恋愛は出来ない。>富岡 そう、そう。言ってたね。上野 ところが、<その上でこんどは一緒になると、向こうの失敗はみな自分の傷なんだ。> いいかげんにしてくれ。なんという野蛮な女性観。女を自分とは別の人格とは思ってないんです。こんなことが近過去にあったとは思いたくない。小倉 いまは違うんですか?富岡 いまも変わらないですよ。小倉 同じですよね。富岡 あなたは幸いにして、野蛮人じゃない人とつきあっているかもしれないけど。上野 ええ。野蛮人を避けて通っておりますから。富岡 基本的には変わってないですよ。小説の読み方をはじめとして、ほかもだいたいそうでしょう。だから主婦たちがみんな、あなたのとこに群がっていくんじゃないの。とにかくひとりになりゃいいのよ。みんな。そういうおっさんたちを捨てて。小倉 ようしませんねんって。上野 日本の男が、妻という他人を生涯ついに理解しなくても、なおかつ孤独になれない、なりたくないのと同じように、妻の側も同じなんです。富岡 そうか。なんだろう、これ。農耕民族とかそんな簡単なことじゃないわね。 ーー引用ここまで。p239
2023年06月10日
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あたしの脳、と言う意味なんだけど、最近、脳科学系の本で、もともと、脳は、即物的に反応するものだという説を読んだことがあって、で、今日のタイトル。ただ、みーはー、は、ミーちゃんはーちゃん、(美代さんとか花さん(若い女子の呼び名))と呼ぶことにより、というのと、蜜豆の、み、林長次郎(長谷川和夫(昔のアイドル))の、は、をとって、みーはー、とする説とかあり、あたしは、me,her,かもとかすぐ思ったけどこれは違うようで、。以上、おまけのコメント。最近、感動したネトフリのドラマ。「サンクチュアリ」。何に感動したか、。久しぶりに日本のドラマに。「相撲」に。「四股」に。そうか、。四股か。と、土間で、やってみたりした。主役の俳優さん、一ノ瀬ワタル、と言う方もこのドラマで初めて見た。ミーハーに、ファンになった。
2023年06月09日
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自主ライブをしよう!と決めて、考え続けている。一番の懸案は、納屋の片付けである。おそらく、、捨てるものの方が多いだろうが、捨てないものも確かにある。仕分け、分別が急務。こないだ、あさんが訪ねて下さり、打ち明ける。自分ちでする、って、最高やんか。ありがとう。でもでも、、、と、しり込みしている。(同時に、ピアノの前で歌う自分も想像している。。何着ようか?ってね。)その、あさんとの、玄関前打ち合わせ!をまたぞろ、相棒のかさんに伝えて、、第1回の打ち合わせ。サンドイッチ作った。この時までは、12月に、と考えていたが、かさんは、寒いで。と言う。(暑いやら寒いやら、、から始まる楽しい打ち合わせ!)コート着て観てもらうってのは?あたしは、心底、オプちゃん。かさんとは、ユニット組んで以来、ステージに出向いて、歌う。ってのが基本であり、自分から発信するのは今回が初めてだ。ま、一度くらいは、、経験してみてもいいか。と言う心境。出し物より、それまでの準備や下ごしらえの方が、断然多い。いやいや、まだこれとて、(自宅会場)未決。。他の場所も多く、候補に挙がっている。感謝である。(歌う場所がある事)今は、キーボードとピアノはあって、お客さんの座る場所があって、だけなので、ドラムスの場所さえ、確保できてない。これから、この場所を作るために、納屋の工具類の片付けである。先日、シャンソンに行ったとき、ふと上見ると、、湿り気の多いオブジェが・・。この木は、今年のお正月に横のショウウインドーに、使っていた物じゃなかったかしら??などと、眺めておった。しかし、、空間と言うものはやはり余裕がないとあきまへんなあ・・。いい感じ。示唆がいろいろある。故郷の北摂連峰をみはるかすビルの上に登ったら、、黄色の飾りに気が付いた。前からあったっけ??認識が遅れた。再来週は、シャンソンの2回目の歌い合い会。さてと、。何を歌おうかな???
2023年06月08日
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子供たちが、週に一度、英語を学びにやって来るのだが、今の課題は、英文レターを書こう。というのだ。宛先は、数年前には、、実はサンマリノ大使館であったが、コロナ禍ですっかり影を潜め、オーストラリアの、こないだ来日して出会った、ディアナに出すことになっている。何を書こう、と打ち合わせをして、少しづつ手紙らしきものにして行こうとしている。3人の小学5年生だ。前回のレッスンで、、ひょんなことから、彼らが、歌を歌い出した。ラップのような、早口の、それでも一応は歌。ところが、そのメロディー、3人でキッチリ合い、歌詞も(日本語ながら、外国語のように思えるくらい早口)ちゃんと、覚えている。(ちなみに最後まで3人が脱落せず、歌い切る!)あたしは、思わず、、こんなに沢山覚えられるのに、英語の単語は、すぐわすれちゃんちゃこやね。と言って笑った。ケロ?として、3人。で、質問攻めにして、分かったことが、、、「アイドル」という歌で、推し?のなんとかというアニメの主題歌で、テレビで放映中。3人の内の一人は、夜中に放映なので、予約をして、翌朝、観ます。などと。。さらに驚く事に、上手い!!のだ。マイクという、道具を持たせて、歌わせれば、聴けまっせ、、のレベルだ。とあたしだけだが、思った。更にさらに驚く事に、今朝のニュースでその「アイドル」、= YOASOBIの「アイドル」が、2023年6月10日付の米ビルボード・グローバル・チャート“Global Excl. U.S.”で首位を獲得した。この楽曲は6週間前にTOP10入りを果たし、5月26日に英語版がリリースされたことで6位から1位に急上昇、YOASOBIにとって同チャート初のNo. 1ヒットとなった。=とある。もう、へーとしか、。。あなたの過去など知りたくないの♪から幾星霜・・。リズムは早くなり、更に言葉も早くなり、えらいこってす。
2023年06月07日
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貴様いつまで女子でいるつもりだ問題 (幻冬舎文庫) [ ジェーン・スー ]主婦である私がマルクスの「資本論」を読ん[本/雑誌] / チョンアウン/著 生田美保/訳男流文学論 (ちくま文庫) [ 上野千鶴子(社会学) ]上記2冊は、置いといて。(若い著者なので)まず、男流・・から。ところが、ところが、、中毒になった。3人の女性が、おしゃべり形式。3人とも、お会いしたことは無いが、他の著書も読んだりしている。で、お互いに、ときどき、あんた、(二人称)とか、関西弁も登場するものだから、臨場感あふれまくりで、この3人が、言いまくりなので、ケッサク以上。作家別になっており、昨夜からは三島由紀夫。彼にとっての、「結婚」とは何だったのか、についてのおしゃべりが、延々と続いている。1992年初版発行、だから、30(!)年前である。鬼籍になった俎上の方も多いわけで。この1992年の時点で、それより以前の事を(三島以外にも)今の世の中なら、、という言葉を発する時、は1990年代では、と脳内変換しないといけない。で、先月の梨園の事件。とあたしは、時間旅行をするわけなんだ。しばらく、この旅を続ける予定。村上春樹にしても、引用しないが、留飲を下げている。
2023年06月06日
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朝から町内会の一斉掃除と草刈大作戦。8時からだったが、小一時間もうつむいてひたすら草引きすると、気温の上昇と日当たりがすこぶる良い場所では、汗が噴き出る。配られたお茶のボトルで、小休止。またぞろ草引きと、、皆さんと励む。台風の余波で、方々が水浸しになり大変であった。こちらは、普通の梅雨の雨だった。でも、草木はまた、健康的に成長して緑だらけである。日本屈指のメンバーが、、とチラシにある。あさんのおススメである。(てか、あさんがプロデュース)インスツルメンツオンリーのジャズは、久しぶり。夕刻より開始。こちらで、継続して音楽を趣味として過ごしているし、モダンジャズの方面に偏っているので、お見かけしたお顔ばかり。スタッフ、観客含め、参集された方々のうち、3割は、日常的ご挨拶を激しくする。5割が、ちゃんと会釈が出来る。知らない方はほんの少し。15年間の成果だ。なんせかれこれ、、30年もジャズの周りをうろついているけど、さて、日本屈指、というものがどんなのか、(昨日の日記にメンバー紹介しています)正直、判定は出来ないが、手練れが揃って、やすやすと音楽を作り上げている、、ってことがヒシヒシと実感できる。素晴らしかった。多田誠司さんが司会だった。本番直前の30分ほどの合わせだけでやっちゃう。初対面のプレーヤー2名様、。だけど、掛け合いも抜群だった。好みで言えば、ピアノが特に良かった。自分が取り組んでいるからかも。彼のペダルの踏み方ばかり気になった。曲タイトルを紹介して、演奏されるが、どの曲もタイトルに恥じない演奏で、(アンコールもあってこれは、曲名無しで、サニーサイド・・だった。)うち2曲は、オリジナル、それも、誰それを悼む。という曲だった。だから、、心にしみ込んだ。良かった。ウルっと来る。一過性であり、再現もできないのだ。反芻だけ。それも、どこでするの?ってくらいの密かな、かすかな、記憶だけ。帰宅し、寝て、起きて、栄養ドリンク飲んだからとか、風邪薬を飲んだからとか、ニンニクを食べたからとか、身体にその効き目を実感できるような感じはどこにも見つからないが、余韻とともに、なんとなく、、体の内側に、青空が広がる。青空が広がっているのは、外なんだけどね。。
2023年06月05日
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33期、とあるので、単純に33年か、あるいは、16.5年か、。おそらく後者ではないだろうか。平田オリザ氏の講座、授業は2回目。毎週木曜の午後、ラジ関(ラジオ関西)で番組を持っておられるので、声は知っていたが、実物を見るのは初めて。エネルギッシュな方だ。難解な言葉はなかったけど、いささか早口なので、聴衆の年齢からすると聞こえにくい方も中にはおいでであったように思う。お話のテーマは「わかりあえないことから =コミュニケーションデザインについて考える=」講義は大変面白かった。勝手に?申し込んでくださったそさんに感謝。ランチご一緒した。機会があれば、ワークショップに参加したいものだ。・・と、こんな風になんでも好奇心旺盛に気持ちが動くから、困ったもんである。100人限定、というので、聴衆は100名ほど。この、丹波の森大学は、今年のテーマは、デザイン、だそうで、。お話を聞いて、あたしはホンマ、デザイナーとして生きてきたのだと、思う。先日読んだ、放歌罪、の本の中にも、、寮歌の章を読んで、音楽教育のすごさ、についてなるほど、と思ったし、同じように、美術、音楽、そして、演劇、などの、従来日本文化の中では、所謂カネにならん、分野の教育が、いや、教育を本気で文科省さん、取り組まないとあきまへんで、、の感を強くする。あたしより、一世代以上、お若い平田氏には、もう少しこの調子でお忙しくしていただきたいものだと思った。もう一度、いつの日か(と言っても遠い将来でない)関連のワークショップの情報があるといいなあ。アンテナをもう一本、頭に建てておかなくてわ!「糸」♪の練習がはかどる。はかどると言っても、大したことない。左手、右手、声、の3つを統合して行く。易しい弾き方にしてあるので、原曲より一音高いので、声が、一部裏声になってしまうことが悩み。ま、引き続き頑張りますわ。今日はお天気が回復し、朝から、公民館のお掃除と草引き。そして夜は、、久しぶりの、、ジャズナイト。多田誠二(sax)岩佐康彦(pf)斎藤洋平(Dr)石橋啓一(bass) なんでも、日本屈指のメンバーだそうだ。(知っている人は知っている、のレベル)音楽的に信頼できる人(サックスの名人、さるカフェの料理人・女性)あさんの、おススメ、それも、強くおススメ!されて、夜だけど、行くことにした。感謝。
2023年06月04日
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ここでは、一人の若い女性の庭師さんが、脇の植え込みの低い低木、あれ?の剪定をしておられた。ハサミのチョッキンチョッキンの音が響いておった。こんな風に、、狭い部屋で、シャンソン、なるものを単語ごとに発音して、2個、3個、繋げてまた発音して、、一つの文章にして、そして、ゆっくり歌い、そして、先生と一緒に歌い、カラオケで歌い、、して、歌が出来上がってゆく。と、そこへあたしのスマホに1本の電話がかかる。音量は普通だが、場所が場所だけに目立つ。すぐ消そうと思うが、それが、、うまく行かない。慌てて室外へ。そさんからだった。土曜日の確認です。と、。。平田オリザさんの講演に申し込んだ、あなたの分も。と、先日言ってこられて、お付き合いします。と返事をしたのだった。(あちゃー、土曜は、六甲に行こうと、勇気凛々だったが・・)この教室に一緒にいる、先生の研究会の発表でんがな。帰宅してすぐ、先生に、メール。メールしながら、己が身体を午前中一つ講演聞いて、そして午後、六甲に、、と思い浮かべるが、無理。ザンネン。あたしは、過去に、お芝居の入り口に立って、都合5年か6年、あるアングラ劇団に参加していた。これはこれで、素晴らしい経験で、やはり、もう少し若ければ、、との思い深く。歌をメインに据えようと思った。当時。メイン、などと、よう言えるわ。(止めないで続けている。という事だけだ。情けない。落ち込む。だけど、また浮く。)だから、演劇に関しては、少しは興味があるので。。調べてみると、平田先生の講演は、参加者限定で、早いうちにそさんが申し込んでくださり、今回、参加の栄誉に浴する。がしかし、内容については、不明。整っているとは、到底言えないが、枯れ山水じゃないなあ、。これでは・・。図書館のカウンターにいる時、電話がかかる。これまた、音を止めらんない。馴染みの受付の方に、娘から電話だったの。雨の具合はどうか、大丈夫かと、。「お優しいのですね」いえなに、、生存確認なんですけど、。。時間があるときに、またドコモに行かないとだな・・。手元の、音量をゼロにしても、ダメなんだ。この理屈がまだ分かっとらんのである。
2023年06月03日
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歌う民衆と放歌高吟の近代 放歌民衆から唱歌・軍歌を歌う国民へ [ 永嶺重敏 ]読了。放歌罪?放火、でなくて?と、著者は後書きに書いておられた。やはり、同じ感想を持たれたのだ。それが、単に、どれどれと本を読む側と、こんなに緻密な論文を書く側に分かれるのだ。そういう意味では、感慨深い。放歌罪の成り行きを述べたのち、軍歌、寮歌、の章になり、ここで、デカンショ節、が登場。あたしは、三高が起源と思っていたが、一高(東大)だったとのこと。しかも、明治の鳳鳴塾(丹波篠山市)と関係があり、、一高の水泳部の合宿所にたまたま、鳳鳴塾の生徒も投宿しており、そこで、デカンショ節が歌われて、一高の生徒が面白がって、教えてもらったそうだ。(ザックリのイキサツなので、詳しくは本書参照願います)デカンショ、はもともとは、デッコンショ、と言ったとか。こういう、音に対しての、歌に対してのリテラシー、、と申しますか、それが、当時の高校生にあったという事は、、その、唱歌教育の功績と言える。(明治20年代ごろからの学校教育で、西洋の音楽が取り入れられている。)当時はやり出した寮歌の多くは、学生自身の作詞作曲によるものが多い。自分たちで、作れるほどに音楽教育が浸透していたという事。(それ以前には、誰もできなかったこと)自治の精神もあってのことで、大学内の寮では、放歌罪は適用されなかったとも、書いてあった。時代は下って、さて昨日は、ボイトレの日だった。弾き語りも課題もあって、かなり焦った。結局、「糸」をやってみることにした。ちゃんと出来るまで遊んでもらう。梨園のことにしても、ボッチの事でも、首相公邸問題にしてもそうだが、つくづく、日本列島は、閉じられた空間であるとの感を強くする。閉じられたままでは、成り立ちゆかないことももうすでに、明らかになりつつあるが・・。
2023年06月02日
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歌う民衆と放歌高吟の近代 放歌民衆から唱歌・軍歌を歌う国民へ [ 永嶺重敏 ]文明開化(明治維新)とともに、さまざまな法律が作られたが、その内の一つ、放火、ちゃう、放歌罪、というのが出来ました。に関しての大論文。明治前後に来日した外国人の記述によれば、日本人は、「歌う国民」なんだそうだ。歌の中身は、もちろん、現代の音楽ではなく、基本邦楽。(音階が違う)邦楽と言っても、都都逸や新内だけでなく、馬子唄などの労働歌、それと、詩吟など多岐にわたるが、。そもそも放歌・放尿、というのが、新しい明治の時代に相応しくないというわけで、都市部での巡査(警官)による取り締まりが行われたのが始まり。主として、路上がその舞台となるが、湯屋(公衆浴場)におけるそれは、しばらく、そのままにしておかれる。当時の湯屋の湯桶(お湯につかるところ)は、身体を洗うところとは別に、(石榴口・ざくろぐち)天井から大きな垂れ壁があり、入浴するときには、人々はその垂れ壁をくぐって風呂に入ったという事である。したがいまして、浴槽は真っ暗で、声を出すには格好の?環境であったとか。。声を出す方は気持ちが良い。歌に酔い、湯に酔い、高じて、時間を忘れて、のぼせてしまい、亡くなる方も出た、とか、。。あの富士山の大きな絵がある浴場とは随分、様子が違うのだ。現代の日本の人々の音楽事情とは全く異なるが、この時点から、半世紀も経ずして、西洋化の大変革が起こるわけだな、。。昨日は、梅田にシャンソン。生徒は、先生の先導で、こんまい教室で、シャンソンを歌う。他の教室での違う種類の音楽もしているのが、かすかに聞こえるほど。ちょうど、ビルの屋上の庭園のよう。一方田舎は、伸び放題。
2023年06月01日
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