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すずばらを仕入れたそれぞれに分かれた枝の先端に、艶々とした赤い実をつける秋らしい枝もの枝には小さく鋭い棘が沢山ついているので、取り扱いには気をつけなければならない自分の部屋が殺風景なこともあって、3本ほど自宅用に購入した部屋には、長い花が活けられるように高さ1メートル程の花瓶があるので、そこに水を張り、すずばらを活けこむ活けるといっても、すずばら自体が複雑な枝振りで1本1本の表情はまったく異なり、動きがあるので、花瓶に挿すだけで様になる殺伐とした壁際にすずばらを活けた花瓶を置くと、どことなく寂びれた風情を漂わせる枝ぶりと相まって、絵になる華やかな花を活けると部屋も明るくなりいいが、日本の“ワビ・サビ”を感じさせる秋の花を飾るのも、部屋が落ち着いていいものである
2006年09月30日

今日で、あるドラマが最終回を迎えたそのドラマのタイトルは『美しい罠』人生はおとぎ話のように甘くはなく、愛や恋は砂糖菓子のように甘い夢に過ぎない信念に従い、資産家の莫大な財産を狙うヒロインとヒーローが、相手の欲望をくすぐり、心を弄び、悪の限りを尽くして危険なゲームを繰り広げる信念と愛を天秤に掛けた息詰まる戦いを通じて、心なくしては生きられない人の、決して美しくはない、それでいてどんな美しい花にも負けない愛の物語を目指します(番組サイトより抜粋)原案は、フランス・サスペンス界の女王、カトリーヌ・アルレーの世界的大ヒット作『わらの女』原作は読んだことはないが、幾度となく2時間サスペンスでドラマ化された作品である連続もののドラマは全くといっていいほど見ないのだが、ヒロインを演ずる櫻井淳子氏をはじめとする適材適所の配役の俳優陣とスピーディーな展開に引き込まれ、わざわざビデオ録画して欠かさず見るようになったはじめは『ドロドロしたドラマは嫌い』と言っていた母も、いつしか虜となり、昼の放送時間になると見ているらしい(母が連続ドラマを見るなんて渡る世間は鬼ばかり以来である)さすがに放送期間が3ヶ月もの長期間(ドラマの放送は65回)だと、物語の中盤で中弛みして、主人公の男女がつかず離れずの関係になると“お互い素直になりなよォ”と突っ込んでみたりと、ドップリ、マッタリと昼メロの世界に浸かっていた背徳の愛憎劇もクライマックスを迎えて、いよいよ最終回!あいにく今日は仕事であるドラマが始まる13時30分になると“始まった”と思い、時計の針が14時を差すと“どんなラストだったんだろう”と頭の中ではドラマのことばかり考えていたもう一種の中毒である仕事を追え遅めの帰宅をすると、母が人の顔を見るなり『いいドラマだったわ!』『最後泣いちゃったわ』と、一足先に最終回を見ていた母が、感想を矢継ぎ早に浴びせてきたやかましいわいっ!わしゃ、これからドラマ見るんじゃ、黙っとけ!と思いつつ、取るものとりあえずにドラマ最終回を見る30分間という時間枠で、どううまく収めるのか心配だったが、荒削りではあるものの予想を大きく裏切り、良い結末で終わって良かったラスト近く、お互い愛しているのに今まで素直になれなかった二人が、しがらみ・束縛、すべてのものからやっと開放され、愛を確かめ合い、川の中で抱き合うここで自分の涙腺が緩みだす…そして、主人公の女と男がどんなにも険しい茨の道を歩もうが暖かく見守ってきた女性の『人の心は醜いわ、でも美しい愛は残酷、でも愛は…やはり美しい』というセリフを聞いた途端、号泣このセリフに、今回のドラマで言いたかったことを凝縮しているように聞こえた美しいんだね、愛は…知らなかったよ愛は残酷なものだとばかり思っていたよどうやら、自分はまだ本当の愛を知らないようだ…なぜここまで、このドラマに強く惹かれたのかは自分ではわからないただ、ドラマのヒロインが口癖のように“人生は退屈な日常の繰り返しではない、毎日が楽しい企みのはず”というセリフを言っていたしかし、現実は、少なくとも自分は、毎日毎日が退屈とまでは言わないにしても、起きて・働いて・寝るの同じ繰り返しであるそんな日常生活をどうにかしたいう自分の奥底に眠る潜在意識が、決して自分が経験することのない非現実的でスリリングな展開のドラマに強く惹かれたのではないだろうかその狂おしくも激しい生き様に憧れていたのかもしれないこうしてドラマは終わった見終わった今、なんだか燃え尽きて、抜け殻のようになってしまった
2006年09月29日

今年ほど、彼岸花を意識した年はない自分のなかでは、彼岸花がちょっとしたマイブームになっていた関東近郊で、彼岸花の名所はないかと調べると、埼玉県日高市にある巾着田という場所が曼珠沙華の群生地だという休日の今日、早速曼珠沙華を見るために、群生地へと向かうネットで調べたら、曼珠沙華は今見頃を迎えているという逸る気持ちを抑えながら、電車に揺られること約2時間…ちょっとした小旅行である目的地の巾着田の最寄り駅である西武池袋腺の高麗駅で下車今冬、蝋梅を見に秩父を訪れたときに高麗駅を通り過ぎたのだが、その時は駅前は店舗も少なく、閑散としていたが、今シーズンは曼珠沙華を見に訪れる観光客目当てか、駅前には特産品や飲食物を扱うテントが設けられて賑わっていた自然と巾着田へ向かう人々の流れが出来ているので、後をついていく路地では、名産なのか?栗や曼珠沙華の球根、工芸品、花なす等が売られ、道々には彼岸花が咲いている歩くこと10数分で、川が見えてきた高麗川(こまがわ)である仮設橋を渡り、右側は深々とした緑に高麗川の緩やかな流れ、左側には見頃は若干過ぎたのか、ほとんどが色褪せた曼珠沙華を見ながら、大小の石が入り混じって歩きづらい河原を歩いていくしばらく河原を歩くと、200円を払い入場券を貰う入場券には日本一の曼珠沙華群生地と書かれていた日本一の群生地とはこれいかに?入場ゲートで券を渡し、いよいよ曼珠沙華の群生地へと足を踏み入れる巾着田曼珠沙華公園である日高市内を流れる高麗川の蛇行により長い年月を経てつくられた土地の形が、近くの日和田山から見ると巾着に似ていることから名づけられた“巾着田”には、菜の花・コスモスなどの花々が咲き、なかでも曼珠沙華群生地は100万本の花々が辺り一面を真紅に染めるという“赤い絨毯や!”これが一目見ての感想地面を覆いつくすほどに咲いている曼珠沙華は、赤い絨毯を敷き詰めているようであり、血の池地獄をも連想させるまるで、この世とは思えない世界が目の前には広がっていた遠めで見ると圧巻なのだが、入場する際に貰った案内図を見ると、自分が足を踏み入れた場所は早咲きの群生地だったので、曼珠沙華を一つ一つ見ると見頃は過ぎ、赤い色は色褪せていたそれにしても、結構な数の見物客である団体、家族、カップル、人々は思い思いに花や、曼珠沙華をバックに記念撮影をしている高麗川の流れに沿うようにして歩くと、もう一つの群生地があるこちらは遅咲きなので、早咲き群生地で見たものより曼珠沙華も赤々としていた緑とのコントラストが目に鮮やかに映る赤い花に混じって、数本の白い彼岸花を発見した白い彼岸花をこの目で見たのは初めてだったので、ちょっとした興奮を覚えるのであったしかし、こうも曼珠沙華の数が多いと、圧巻なことは確かなのだが、曼珠沙華が持つどこか妖しくも儚げない風情が感じられない群集の中に咲いているものよりも、かえって、ちょっと道の外れに咲いている曼珠沙華のほうが生き生きとしているように感じたそうは言っても、やはりこの赤く燃えるような群集は見応えがあるわざわざ遠路はるばる訪れた甲斐があった日頃の疲れが溜まっているのか、長いこと電車に揺られていたせいかは判らないが、曼珠沙華を見て回って疲れてしまったのだが、少し離れたところにはコスモスの群生地がある“コスモスの摘み採りの受付時間はまもなく終了”と放送が流れていたので、コスモスを収穫できたのだろうそういえば、高麗駅から巾着田へ向かう途中、新聞紙に巻いてコスモスを持っている何人もの人とすれ違った母はコスモスが好きなので持って帰ればさぞかし喜んだろうが、体力が気力についてこなかったので断念した思う存分曼珠沙華の光景を楽しみ、巾着田を後にして高麗駅に向かう途中、彼岸花の球根を扱っている店の前で足を止めた赤い彼岸花は勿論のこと、白・クリーム色・黄色・オレンジ・ピンクといった色とりどりの彼岸花の球根が売られている珍しいオレンジ色の球根を買おうと思ったのだが、見本として飾られていた切花の色があまりにも毒々しいオレンジ色だったのでやめ、散々店先で迷った挙句、白とピンクを掛け合わせた品種だという淡いピンクの球根を3つだけ購入(1球500円、3球1000円)したどんな花を咲かせてくれるか楽しみである
2006年09月28日
25日付けの讀賣新聞の社会面に、『時効の壁』という大きな見出しの記事があった刑事事件としても民事事件としても時効を過ぎた後に犯行を告白した男性に、損害賠償という償いを求めることが出来るか…今から28年前の1978年、男は勤めていた小学校の女性教諭を殺害し、遺体を自宅の床下に埋めて暮らし続けていたが、自宅が区画整理事業で取り壊されることになり、事件が発覚すると恐れて自首したという殺人罪の公訴時効(当時は15年)は過ぎており男は不起訴、『それなら民事で罪の償いを』と、遺族が男と雇用主に当たる区を相手に提訴に踏み切ったしかし、民事にも時効はある不法行為から20年が経つと賠償請求権が無くなる“除斥期間”という民法の規定があるいったいどのような判決が、明日下されるのか…翌日の社会面に判決の記事が載っていた『遺体隠し 賠償命令』東京地裁は、【遺族が故人を弔う機会を奪い、故人に対する敬愛・追慕の情を著しく侵害した】と述べ、殺人罪の時効後に犯行を自白した男に対して、330万円の賠償を命じた一方、殺害行為については、民法上の時効が経過しているとして賠償責任は認めず、遺族は区に対しても損害賠償を求めていたが、そちらも【危険が生じるとは認識できない】として請求を退けられたこの判決内容について某大学教授の話『除斥期間や時効の制度がある以上、20年以上前の殺人について賠償請求権が消えたと判断されるのはやむを得ない』とする一方で、『遺体を隠し続けたことを不法行為ととらえ、遺体発見時を除斥期間の始まりと判断し、請求を認容したことは、遺族や市民の感情に応えようとした判決と評価できる』(以上、讀賣新聞記事を抜粋)犯行を自供した男は、時効という法律に護られた遺族の方にしてみれば、なんとも言いようのない現実であろう憎き相手がわかっていながらも、誰も男を殺人罪として裁くことができないのである何の為の時効、何の為の法律なのだろうか…犯した罪を金額に換算することは容易ではないが、下された判決の金額は、28年という遺族の方の長く辛く過ごした日々を考えれば、あまりにも安いと思う今年6月に行われた法廷で、遺族の方は『殺害を隠し、権利行使を妨害してきた男が除斥期間の恩恵を受けることは著しく不公平、もしこれが認められれば、犯罪者の殺し得、隠し得、逃げ得を国が認めることになる』と最後の陳述を行った判決を聞く限りでは、遺族側の立場には立っていないように受け取ったそれもこれも『時効の壁』が立ちはだかっているのだろう一体、何の為、誰の為の時効なのだろうか…罪を犯した者に時効はあっても、被害者には時効は無いのだ今回の判決を受け、遺族側は控訴の方針を明らかにしているまだまだ遺族の方の闘いは続く…
2006年09月27日

お彼岸の慌ただしさからようやく開放され、母と共にお墓参りへと出向いた彼岸から幾日も経っていないというのに、お墓に供えられたりんどうや鶏頭といった秋の花々は、枯れたり萎れたりしていてなんとも物悲しい光景であった彼岸花は別名“ハカ花”と呼ばれるように、墓地や寺への脇道などいたる所で赤い花を咲かせていたそんな彼岸花を見て、母が『自宅にも植えたい』と言ったお寺の方に尋ねると、『沢山咲いているのでいくらでもどうぞ』とのお言葉をいただいたので、遠慮なく頂戴することにしたご丁寧にシャベルまで貸していただいた綺麗に咲いている彼岸花を掘り起こすのは忍びない駐車場の脇に、車に轢かれたのか、なぎ倒されている彼岸花があったので、その辺りを掘り起こして頂戴することにしたいくらお好きなだけどうぞと言われても、そこは遠慮して10本程いただいたちなみに、彼岸花は簡単に引っこ抜けそうに思うが、茎は細くて脆く、意外と根は張っているので、手で抜こうとしても茎が折れてしまうくれぐれも道端に綺麗な彼岸花が咲いているからといって、抜かないように…見て楽しみましょう墓参りに行くとき通る道があるのだが、そこは梨街道と名づけたいほど、道の両端に20件ちかくの梨園農家が点在している毎回通るたびに、シャッターは閉められていて寂しい通りだったが、今は繁忙期のようだ果樹園を覗くと、既に梨の収穫の時期は終わっているようで、どこの梨園農家も梨を箱詰めする作業に追われている車の車窓から、農園の店先で売られている梨を見て、母が『梨を買って帰りたい』と言うので、一軒の農園に立ち寄った千葉・市川の梨は、幸水・豊水・新高の3品種が主で、今の時期の梨は新高(にいたか)だという新高は甘くておいしい梨の王様と呼ばれているそうで、大きくなるのが特徴だそう確かに売られている梨を見ると、普通スーパーや八百屋で目にする梨よりはるかに大きい値段は500円~2000円程度のマチマチで、大きくて形の良いものは高く、そうでないものは安いとは言うものの、味に変わりがある筈も無く、我が家で食べる分なので安いものを購入したふと見ると、袋詰めのキウイを発見したそういえば、道すがら、棚に茶色い実が生っている農園があった今思えば、あれはキウイだったのだろうまさか、千葉でキウイが生産されているとは思いもしなかった10個ちかく入った袋詰めの状態で、500円と安かったので(キウイがスーパー売りではいくらか知らないけれど…)、1つ購入したお彼岸、彼岸花、梨、秋を感じた1日であった…
2006年09月26日

黙すること、忍ぶこと、そして失うこと…女たちの闘いは、斬りつけ合うより凄まじい橋田壽賀子と石井ふく子による時代劇の名作明治座9月公演『女たちの忠臣蔵』を観劇幾度となく再演を重ねるこの舞台を一度は見ておきたかったのも確かだが、なにより豪華な出演陣に惹かれて今回の観劇を決心させた 日本橋浜町にある明治座に着くと、劇場脇には出演者の方の名前が染め抜かれた幟が風になびいていた否応無く、観劇ムードが高まる自分の席は、3階席の上手側観劇日の数日前に、やっと時間の都合がつきチケットを購入したのだが、殆ど席は埋まっていて、若干舞台が見づらい席しか残っていなかったのである公演のプログラムを購入して3階席に向かい、いざ自分の席に腰掛けると…手擦りが邪魔じゃん!!自分の席は階段のすぐ脇なのだが、階段が急なうえに足元の幅が狭いので、客席から下に落ちかねない(自分も客席に着くまでに恐怖を覚えた)その危険を回避する為に、手擦りがついているのだが、自分が腰掛けると、視野のど真ん中に手擦りが入るのである劇場側さん、もう少し配慮があってもいいんじゃないの?例えば、チケットを購入する際に、一言言うとか…これで、横の人と同じ観劇料じゃ損した気になるよとは言うものの、開演時間ギリギリに席に着いたので息つく暇もないまま舞台は開演…元禄十五年、赤穂の浪士たちは本懐を遂げたしかし、世に広まったその美談の陰には、男たちが生きることを心より願いながら死にゆく姿を見守るしかなかった、「女たちの忠臣蔵」が隠されていた…1幕が討ち入り前夜、2幕が討ち入り後を描いている討入りによって運命が刻々と変わろうとしていく姿を、夫婦、親子、姉弟、恋人…それぞれの男と女の生き様をテンポ良く描いていく女たちの忠臣蔵という題名だけに、それぞれの女優陣に見せ場が設けられている吉良上野介を討ち取った夫を一目見ようと抜け出して見つかり、なぶり者にされた果てに泥まみれになって壮絶な最期を遂げる娼婦を演じた熊谷真実氏どうしても愛する人に一目合いたくて、切腹するその当日、屋敷の塀越しに鼓を打ち合うことで思いを通わせ昇天させた藤田朋子氏愛する弟が切腹したことを知るや否や、半狂乱になって弟の名を叫び、自害の道を選んだ盲目の琴の指導者の涼風真世氏舞台に登場するだけで場を引き締める京マチ子氏母の情愛を滲ませた池内淳子氏この舞台に登場する女性たち(全員ではないが)の人名、境遇などは創作によるもので、史実ではないそうですが、何の違和感も感じず、作・橋田壽賀子氏、演出・石井ふく子氏という数々の名作を世に送り込んだお二方のコンビによる世界観にすっかり酔いしれるのでありましたもう後半なんか涙腺緩みっぱなしです特に、松村雄基氏と藤田朋子氏が、塀越しに鼓を鳴らすことで気持ちを通わすシーン実際にお二方は鼓を嗜まれるそうで、雪が降りしきる中での鼓は、ひときわ拍手が大きかったような…自分も涙腺がウルウルして、胸にあついものがこみ上げてきました久しぶりに良い芝居を見たな!という感じでした明治座9月特別公演『女たちの忠臣蔵』9月1日(金)~27日(水)出演/大石りく…池内淳子/大石内蔵助…宇津井健/瑤泉院阿くり…京マチ子【特別出演】/つね(瀬左衛門の姉)…涼風真世/りえ(十次郎の妻)…熊谷真実/磯貝十郎左衛門…松村雄基/大石瀬左衛門…植草克秀/間十次郎…橋爪淳/しの…藤田朋子/細川越中守綱利…江原真二郎/寺坂吉衛門…えなりかずき/平助…小島秀哉/大石主税…東新良和 ほか
2006年09月25日

自分の部屋には、1枚の絵が飾ってあるその絵との出会いは今から遡ること約6~7年前…仕事の休憩の合間を縫って訪れた、今は無き某デパートの催事場であるその日、催事場では絵の展示会を催していた足元は雪駄で、仕事着で小汚い身なりの自分は、どう考えても不釣合いな居場所であった別に絵を買いたい訳でもなく、ぶらぶらと眺めていると、ある絵と出会った黒い帽子をかぶって、微笑む男の子の絵であるしばし、その絵の前で立ちどまってしまった見れば見るほど、男の子の柔らかな微笑みに見とれてしまうどうしても欲しい!!しかし価格を見ると、自分の一ヶ月の給与に値する額である(うろ覚えだけど…)到底自分が買えるわけもなく、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れたが、一晩考えても絵の事が頭から離れず、どうしてもその絵が欲しくてたまらなかった翌日、再びデパートに足を運び、黒い帽子の男の子の絵の前に立つまるで、この陣地は自分のスペースかの如く幸いなことに、まだ売買の成立はなされていない今日も絵の中の男の子は微笑んでいた絵を眺めれば眺めるほど、不思議と惹きつけられ、この絵が欲しくて仕方がない自分にこんなに物欲があっただなんて…と思った程結局、その場で絵を購入することを決意現金一括払いしたのであった古吉弘(ふるよし・ひろし)氏の作品で、絵の題は『TOP HAT』今では、インターネットで何でも調べられる時代である『古吉弘』で検索したら、ご自身のホームページがある事を知った過去の作品のほかに、不定期ではあるがブログも更新されており、日々取り組んでおられる作品の製作過程を惜しげなく公開されているそのなかで、9月20日~9月26日の期間、横浜高島屋で古吉弘氏の個展が催されていることを知り、都合の空いた今日、仕事終わりにその個展に伺うことにした7階にある美術画廊がその会場であるデパートの中の画廊ということで、ちょっと気が引けたのだが、お世辞にも決して広くは無いそのスペースに数人のお客様がいらっしゃったので、自分もお邪魔させていただいた会場には、人物や花などの大小二十点近くの作品が展示され、中にはご自身のブログで製作過程を載せていた作品も展示されていて、興味深く拝見した自分のペースで、一つ一つじっくり、ゆっくり鑑賞させていただく自分は絵に詳しいわけではないのでおこがましい事は言えないのだが、作風は変わらずとも、絵の繊細さのグレードがあがっている気がしたと、同時に絵の価格も騰がっていた近年、数々の賞を取られ、市場での評価も上がりつつあるそうだから当然かもしれない実は、会場の中央に一人の男性が立っていることは初めから気づいていたベージュ系?のスーツに身を包んだその男性…古吉画伯だ!!想像していたより小柄な方で、醸し出されているやさしい人柄は、作者の作風に通ずるものを感じたでも、恥ずかしくて面と向かって見ることができないので、視野の中にぼんやりと入っているだけである気づけば、会場の中の客は自分ひとりだけになっていた画伯は、関係者の女性?と一緒である画伯とお近づきになれる千載一遇のチャンス!たしか、ブログにも“毎日会場に居ますので、お気軽にお声をお掛けください…”のような旨のことが書かれていたような…しかし、いざとなると、なんとお声を掛けたらいいのか思い浮かばない『先生のファンです』(女性ならまだしも、男の自分が言うのも…)『素敵な絵ですね』(お前、何者だよ…)結局、すぐそばにいる憧れの画伯を前に何も出来ない自分であった会場を後にするとき、古吉画伯は自分に対して軽く頭を下げてくださった自分、それだけで幸せです天にも昇る思いであった…古吉画伯、これからも素敵な作品を生み出してください
2006年09月24日

自分の髪の毛は細くて柔らかい、いわゆる猫っ毛である今まで、ありとあらゆる洗髪剤を使ってきたが、SALA(さらさら髪用)という商品でここ数年は落ち着いていて、大型ディスカウントショップで、シャンプーとリンスがセットになっているお買い得セットを購入している明け方前の入浴での出来事…シャンプーのボトルのポンプを押しても中身が出てこないまだ買い置きがあった筈と、脱衣場の棚を探るとボトルが2本あったしかし、2本ともリンスだった!Why?余程時間が無い時はリンスはしないが、極力するようにしているポンプを押す回数は、シャンプーよりリンスの方が多いそれなのに、知らず知らずのうちにボトル2本の差がついてしまうほど、シャンプーの消費の方が早かったとは…容量は同じはずだから、ポンプを押して出る量が違うのだろうか?それとも、誰かがシャンプーを拝借しているのだろうか?(各々愛用しているシャンプーあるし…)まったく謎であるとりあえずボトルキャップをはずし、容器を逆さにして手にとったあと2、3回は使えそうだ仕事帰りに、夜遅くまで開いているドラッグストアに寄った勿論、目的はシャンプーである早々と目的の愛用しているシャンプーを手に取り、レジに向かおうとした時であった後の棚に“SALA”の商品のセットものが陳列されていたリンスとのお買い得セットなら、これ以上リンスばかり増えても仕方ないと思ったが、どうやら違うらしいシャンプーとセットになっているのは、高保湿トリートメントなんでも、蒸しタオルのようなラッピング効果があるという値段を見ると、シャンプー単体の価格と同じであったそれなら、高保湿クリームを使おうが使うまいが、セットの方を購入した方がお買い得である手にしていたシャンプーを元の棚に戻し、レジに向かうのであった…
2006年09月23日

お彼岸の時期なので、お墓参り用の花が売れる菊が嫌いだからと、故人の好きだった花を買っていかれる方も増えてはきているが、やはりオーソドックスな白い大輪の菊が一番の売れ行きである毎日、沢山の菊を店頭に陳列していると、どうしても売れ残った菊が出てきてしまう新しく入荷した菊は固い蕾だが、日にちが経っている菊は満開に花開いているその差は素人目にも歴然で、花の開き具合で鮮度が判るといっても過言ではない食料品を買うとき消費者は、賞味期限をチェックして、できるだけ期限の長いものを買おうとするそれは花にも言えることで、少しでも長い間花を楽しめるように蕾の多いものをお客様は選ぶ消費者はずる賢い(いい意味で)同じ値段を出すのであれば、少しでも良いものを買いたいのである故に、白菊も開いたものは疎遠され、固い蕾のものから買っていかれてしまうごく稀に満開の菊を買っていかれる方がいるが、大抵その時は『咲いているからマケてよ』と値踏みしてくる客である安く買い叩いて買った花を供花する人の気持ちが自分はしれないそんなことまでしてお供えの花を買ってもらいたくない、と商売人らしからぬ思いを自分は抱くのであった個人で楽しむ場合や、プレゼントで買われる花であれば、長く楽しめる花を選ばれた方がいいかもしれないが、お墓参り用の花であれば固い蕾より、むしろ花開かせている菊の方がよいのではないだろうか花には見頃があるそれは満開の時であるお墓参り後、誰に見取られることなく花開かせ萎れ果てるよりも、お墓参りしているまさにその時に花が満開の状態がベストではないだろうか自分はそう思うちなみに自分は、大菊・小菊問わず、菊の花を触ると季節を問わずに手が荒れてしまうその理由は定かではないできることなら菊には触れたくないのだが、そうも言ってはいられず、今日も菊を売る…
2006年09月22日

お彼岸の忙しさに追われて、家と職場を往復する日々が続く仕事が追われば、できるだけ早く家に帰って休息したいと思うのだが、それではなんだか味気ないという事で、仕事終わりにちょっと寄り道宛てもなく車を走らせ、御茶ノ水あたりを散策する夜もだいぶ過ごしやすくなり、半袖では薄ら寒い本郷通りからちょっとそれた所に、興味深い坂を発見したその名も幽霊坂東京都23区内には、幽霊坂と呼ばれる坂が十数箇所あるという比較的交通量の多い本郷通りの脇にあるその幽霊坂は、片側が石垣が聳えてなんとも風情がある石垣沿いに、ゆるやかな坂を降りていくと、坂の角に標識が立っていたまるで幽霊を表したような、細く流れるように書かれた『幽霊坂』の文字がなんともおどろおどろしい標識の裏には、幽霊坂と呼ばれるようになった由来が記されているが、読んでもさっぱり判らなかった一つ言えることは、坂と幽霊は関係ないことそもそも、この坂は紅梅坂と呼ばれていたが、いつしかから幽霊坂と呼ばれるようになり、そのまま定着したらしい幽霊坂とは言うものの、坂にはビルが立ち並び、夜遅いというのに、ビルの明かりが煌々としていて坂道を照らしているので、とても陰気な感じはしないそれでも、坂の途中にある道を1本入れば、ビルに埋もれるようにして古い造りの家屋が2件、斜向かいに建っていて、当時の名残を感じさせた時は流れ、ビルが立ち並び、辺りの風景もだいぶ様変わりしたであろうその時代の流れをひっそりと見守り続ける幽霊坂…いつまでも不変なその坂こそ、幽霊のような存在なのかもしれない
2006年09月21日

敬老の日用で仕入れたミニ盆栽ご年配の方=盆栽という安直な考え方で仕入れたものの、さっぱりと売れずに売れ残ってしまったそもそも、敬老の日の花の需要自体の数が振るわなかったのだで、売れ残ったミニ盆栽を一つ買って帰ることにした姫黄梅(ひめおうばい)可愛らしい黄色い小さな花をつけるというただし、花期は5月頃と書かれているので、花を拝めるのは来年までお預け枝振りを楽しむ盆栽というと、どうしてもご年配の方の優雅な趣味と思ってしまうが、ミニ盆栽はあまり手間隙がかからず、何より一番の売りはコンパクトなサイズなので、どこにでも飾れるということミニ盆栽を1鉢置くだけで、和の空間を演出することができるちなみに、ミニ盆栽といっても枝は伸びるので、そのままにしていると見た目の形が崩れてきてしまうので、剪定をしなければならない新芽の元から1~2芽残して剪定するのだが、これが難しいまだまだ盆栽の良さ・楽しさが分からない歳ということか…
2006年09月20日

今時期の彼岸のシーズンは仕事が忙しく、配達の車輌も1台残らずフル稼働している朝、3人のスタッフが1台の車を取り囲んでああでもない、こうでもないと言っていた話を聞くと、エンジンがかからないというその車輌だけは他の車と違い、アクセルを踏み込まないとエンジンがかからない仕組みとなっているスタッフにその点の確認をすると、ちゃんとアクセルを踏んでキーを回したと言う昨日は何の異常もなく走行していたのに、どうしたのだろうか?とりあえず、動かない車輌にかまっていても埒が明かないので、なんとか配送ルートを遣り繰りして、事なきを得たその間、車いじりが好きなスタッフがエンジンルームを開けて素人ながらに調べていたようだが、バッテリーがあがっているわけでもなく、これといった損傷も見当たらず、原因が判らないとのことだったので、修理工場に連絡を入れて修理に来てもらうことにした自分はメカに弱いので、一切車輌を確認しなかったのだが…それが後々悔やむこととなる修理工場の方が見えて、故障車輌に乗り込むなり車のキーを回したブロロロロ…!!!!!いとも簡単に、エンジンがかかったではないか!そんなに簡単に直せる程度の故障だったのだろうか?自分が車を覗き込むと、運転席に座っていた修理工場の方が一言『アクセル踏んでキー回しました?』へぇ?思わず、間抜けな声を上げてしまった車輌はどこも異常は無く、ただアクセルを踏まないとエンジンがかからない仕組みの車輌なのに、アクセルを踏まないままキーをずっと回して、“エンジンがかからない”と騒いでいたのである“ちゃんとアクセル踏んでる?”と自分が確認したとき、何をいまさらみたいな顔をして返事をしたくせに、何しとんねんッ!!そんなスタッフが情けないやら、こんな事で呼びつけてしまった修理工場の方に申し訳ないやらで、ほんと何と言っていいやら…自分も運転席に乗って、試しにキーを回していたら、今回の初歩的なミスは気づいていた筈であるしかし、メカ音痴で車に関しても知識が皆無に近い自分にしてみれば、言われれば疑う余地は無いこれからは、仕事などその他あらゆる事で人任せにしても、自分でも確認しようと思ったのであった車が動かないと騒いだ張本人が花の配達から帰ってくると、アクセルを踏んだらエンジンがかかった旨を、若干皮肉を込めて話したすると開口一番で『本当ですか?』(こんな事嘘言ってもしゃあないやろ!)で、続いて出た言葉が…『そういえば、ブレーキを踏んでキー回していたかもしれません』自分『…………………』アホらしくて、返す言葉が見つからなかった
2006年09月19日

朝っぱらからスタッフの一人に、人の容姿を見るなり、『最近、丸くなりましたか?』と云われた!?!?!?実は、夜毎ランニングをしてはいるものの、一向に体重が減らないのである暴飲暴食をしているわけではない、むしろ食欲は無くてあまり口にしていないのだが…偏った栄養バランス、不規則な生活がいけないのだろうか一人に言われるならまだしも、取引業者の方からも、『太りました?』って開口一番云われるし、(そない失礼な事言うやなんて、営業として失格やで!)久しぶりにお会いしたご婦人のお客様からは、『ずいぶんとふくよかになられて…』と微笑の笑顔で云われてしまいましたあ゛ぁ~!!お客様まで、私めの顔を見てそのような事を申されますか柔らかくオブラートに包んだようなお言葉ですが、その言葉、しっかりと我が胸に突き刺さりました三者三様それぞれが、丸くなった・太った・ふくよかと表現の言葉は違えど、言っている事は同じである一日で三人もの人に、太ったかと訊ねられるとさすがに凹む今春からすると、だいぶ体重が増加しているので、お三方が言っている事には間違いないのだが、自分の自堕落な生活で太ったなら言い返す言葉もないが、持病の治療の薬の関係で体重が増加しているので、なんだか解せない話である減量に励んでいる最中に水を差されたようではあるが、ここで腐っては男が廃る!自分に浴びせられた言葉は励ましのエールだと思って、減量の糧にするのであった是が非でも『痩せました?』と言わせたいそれにしても、体重の変動は無いのに、なぜ今日に限って太った、太ったと言われたのだろうか?鏡を覗き込んで自分の顔をマジマジと見たいつもより顔が浮腫んでいるような気がした…それが理由かどうかはわからない【ふくよか】柔らかそうにふっくらとしているさま(辞書調べ)
2006年09月18日

我が家にはささやかではあるが、庭がある庭といっても、小洒落たガーデニングをしているわけでもなく、家庭菜園で野菜を育てていたり、無造作に花鉢や観葉植物があちらこちらに置いてあるだけなので何の統一感ない普段自分は庭に足を踏み入れることはないのだが、ガレージから車を出すときにちょっと立ち寄ってみた相変わらず雑然としている庭には、デュランタやマダガスカルジャスミンの花が咲き、ほとんど収穫を終えたトマトやキュウリの苗は、自分の背丈以上に伸びきっていたそのなかでも、勢いよく伸びている植物を発見した庭の隅に植えたその植物は、塀のサッシに巧みに蔓を絡ませ、横這いに伸びている何の植物か目で追うと…瓢箪(ひょうたん)であるいつの間に!?自分は瓢箪の苗は持って帰った覚えはないので、母が貰ったか、自分で買ってきたかで育てたのだろうそれにしても、実としてなっている瓢箪は始めてみた握り拳ほどの大きさに育った瓢箪を触ってみると、産毛のようなザラザラした感触で、思ったより意外とずっしりとしていて重たい“瓢箪から駒”ということわざがあるので振ってみたが、駒が出るどころか何の音もしなかったそれにしても、この瓢箪の括れ(くびれ)はいつできるのだろうか?小さいうちから瓢箪の形をしていて、大きく育っていくのだろうかそれとも、はじめは別の形をしていて、成長とともに括れが出来て瓢箪の形になっていくのだろうか謎であるこんなことであれば、成長過程を観察しておけばよかった…さて、我が家には今現在、3つの瓢箪が生っている瓢箪というよりは、裸電球がぶら下がっているように見えるが、母は毎日、庭に出て水遣りをしているので瓢箪が生っているのは判っている筈であるなのに収穫しないということは、使い道に困っているから、そのままにしているのだと思う容器やら、楽器に使われるそうだが、こんな小さな瓢箪では駄目であろう瓢箪は古くから精霊が宿る容器と云われ、魔除けやお守りとして珍重されたそうそのまま飾って、お守りにでもしたらいいんじゃないかな?【瓢箪から駒】意外な所から意外な物が出ること(辞書調べ)
2006年09月17日

昨日彼岸花見る為に訪れた葛西臨海公園と葛西海浜公園を結ぶ葛西渚橋を渡ると、人工の砂浜に出ることができる人工の渚で、通称“西なぎさ”と呼ばれている遊泳禁止ではあるが、波打ち際で水遊びは可能なので、夏は賑わうそうだ風がとても強い海沿いだからだろうか?吹きすさぶ風を一身に受けながら橋を渡ると、目の前には果てしない青い空に東京湾の海の景色が広がった寄り添うようにして砂浜に腰を下ろして、肩を並べているカップル達…すでに夏は終わろうとしているというのに、その光景は夏を象徴しているかのようだった勇む気落ちを抑えつつ、早く波打ち際に行きたかったが、まさか砂浜を歩くとは思わずブーツを履いきたので、踏み出す一歩一歩が砂浜に埋もれて歩きづらい砂浜を歩く感覚を楽しみつつ、少し歩いてあまり人のいないところの砂浜に腰を屈めた小さくはあるが、繰り返し波が打ち寄せてくる生きて生れた悲しみを 一つ二つ砂に書いても寄せては返す波に消え 海はわたしを洗います(姫神・アルバム『風の伝説』より “砂山・十三夜”)好きなアーティストの詩の一部分である自分は何を砂に書いて、海に洗い流してもらおうかつらい事、悲しい事、やるせない事、不安な事…書くことが多くて、書いているうちに波に消されてしまいそうだ暫しの間、寄せては返すを繰り返す波と、砂浜をジッと見つめていた波打っている大海原を見ていると、まるで呼吸でもしているかのような鼓動が感じられ、いかなる自分でも受け止めてくれるような大きな包容力と安堵感を感じるのであったいつまで見ていても飽きない光景である遥か地平線上の空は青々として白い雲が浮かんでいるが、太陽が出ている方角は、空模様はどんよりとしていて、あつい雲に覆われていたそれでも、時々太陽は顔を覗かせて、光が反射して、金色色に海を照らし輝かせていた割と強い風が吹いていたが、それがまた心地よい気分にさせてくれるここには、ゆったりとした時間が流れている日々時間に追われている生活、日常の苦悩や葛藤の事…この大海原を前にしたら、自分の思い悩んでいる事なんて本当に小さなことだと思うこの時ばかりは自分の肩の荷に圧し掛かるさまざまな物から開放された気がした疲れたら、またここを訪れよう【渚(なぎさ)】海・湖などの、波が打ち寄せるところ(辞書調べ)
2006年09月16日

12日付けの讀賣新聞の地域版に、葛西臨海公園で彼岸花約200本が咲いているという記事を見つけた葛西臨海公園とは、文字通り海の近くにある公園で、広大な敷地には巨大な観覧車や水族館にホテル、野鳥を監察できる場所や人工に作られたなぎさ等、自然に溢れた施設が数多くある今日は仕事が休みなので、葛西臨海公園に出かけてみた200本という数が多いのか少ないのかは判らないが、群集で咲いている彼岸花を見たことがないので、一目見たかったからである彼岸花秋の彼岸の頃になると咲くことから呼ばれるようになったという別名は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)“天上の花”という意味で、おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天から降ってくるという仏教の経典によるもの自分は彼岸花が好きではないもともとが黄色や赤といった主張の強い色の花を自分は好まないのだが、彼岸花を見ると、赤い花といい、独特の花の咲き方がどことなく毒々しさを感じるからだ彼岸花は別名死人花とも呼ばれる根には有毒成分が含まれていて食すると死に至ったり(山村美紗氏の小説でも彼岸花の毒を使った小説がある)、墓の近くに咲くことからそう呼ばれるそうだどことなく陰を感じさせる由来や別名も、好まない理由に一役買っているのだろう平日の午後だというのに、公園はカップルや家族連れ、学生(遠足?)等でわりと賑わっていたカルガモが泳ぐ池や大観覧車にはろくに目もくれずに通り過ぎ、お目当ての彼岸花を探すと言っても、何しろ広大な敷地面積である新聞記事に載った彼岸花がどこに咲いているかわからないとりあえず、宛てもなく公園内を散策していると彼岸花を発見!が、おおよそ記事に載っていた200本には程遠い、十数本の彼岸花が所々に咲いているだけであったそれでも彼岸花には違いないデジカメで撮影しようと、急な芝生の斜面を下りて、茂みをかき分けて近づく草木の緑に囲まれたなかに咲く、彼岸花の鮮やかな赤が目を惹く風に揺られる彼岸花の光景はなんとも幽玄であるゆっくり鑑賞したいのだが、そうもいかない草むらの中なので、とにかく蚊が多いからである花を撮影している僅かな時間でも何箇所か手の甲や腕を刺されたそれにしても、彼岸花をこうも間近で見たのは始めてかもしれない案外、彼岸花って可愛らしい花の形をしているんだねなんだか新しい一面を見たような気がした結局、公園を一周歩き回ったが、記事に載っていた彼岸花の群生を探し出すことはできなかったどこか人目のつかない所で、ひっそりと咲いているのだろうか?公園の駐車場に停めていたマイカーを発進させ、料金所渋滞で待っている途中、何気なく芝生に目を向けたときである!!!!!ゆるやかな傾斜になっている芝生に、湾曲した横1列となって彼岸花が咲いていたそれは、まさしく新聞記事で見た写真と同じ光景であった全体的に横広がりに間延びした感じで咲いているので、正直言って記事に載るような光景では無いと思ってしまった彼岸花の花言葉は“悲しき思い出”どこまでもミステリアスな花である
2006年09月15日

大抵、自分が一番乗りに出勤する暗闇に包まれた職場に明かりを灯し、いつもの光景が目の前に広がると、今日も一日の仕事が始まるんだなと実感するしかし、今日はいつも感じるものと何かが違ういつもと変わらぬ筈なのに、どこか違和感を感じるのだが、それが何なのかは判らないまだ思考回路がフル回転していないからだろうか…しばらくすると頭が起きてきたのか、身体が感じる違和感の理由がわかった匂いであるカルメラ焼きのような、磯辺焼きのような、なんとも香ばしいような匂いがするのである誰かが昨日、何かを食べてその匂いが残っているのだろうか?いや違う!この匂いはだいぶ経った残り香ではなく、あたかもすぐ身近に感じるような温かみが残っているしかし辺りを見渡しても食べ物は置いていないし、匂いの元はわからない何か腑に落ちなかったが、匂いのことが気になりつつ仕事をして、小1時間が過ぎた頃…たまたまコーヒーメーカーの近くを通ると、物凄い匂いが鼻を突いたその匂いは香ばしいを通り越して焦げ臭かった朝から気になっていた匂いである!コーヒーメーカーを見ると、電源は入りっぱなしで、空のガラスの容器が熱し続けられていた自分の頭の中では昨日の回想シーンが流れていた今まではアイスコーヒーを淹れていたのだが、昨日は日中涼しかったので、ホットのコーヒーを淹れていたっけそして飲み残しのコーヒーがそのまま一昼夜もの間、ヒーターにかけっぱなしの状態にあった為に、煮詰まって焦げてしまったのであるコーヒーって焦げるんだね始めて知った…って感心している場合では無い職場の防火管理者の自分としては、あってはならない出来事である幸い大事にはならなかったが、一歩間違えれば惨事は免れない自分はコーヒーを一切飲まないので、まったく気にも留めなかった自分も自分だが、コーヒーを淹れた人たちはきちんと管理してもらいたいものだ熱を持ったガラスの容器が自然に冷めるのを待ってから洗ったが、地底から湧き上がったマグマのようなドス黒い焦げを落とすのは容易なことではなく、何より焦げ臭い匂いが取れずに今も残っているコーヒーは香りを楽しむものなのにねまぁ、コーヒー嫌いな自分には関係ないけど…
2006年09月14日
今朝起きたら、すこし肌寒かったエアコンの冷房でも入っているのかな?と思ったが違った朝の身支度をしながらニュースの天気予報を見ていると、朝の気温が20℃を下回ったのは約3ヶ月振りだというどおりで涼しく感じるわけであるいよいよ秋の到来だろうか暑いのが大の苦手な自分にとっては、涼しい朝を迎えるようになる事はとても喜ばしいことなのだが、一つ困った事もあるそれは目覚めである暑い時期は寝苦しいので、目覚めはよくないものの目が覚めたらすぐに起きられるしかし、涼しい季節を迎えると、目覚めてもなかなか布団の中から抜け出すことができず、すぐには起きられないのだそして、朝起きるとまず浴室に行って湯船に浸かるのだが、暑い時期はそんなに長い間湯船に浸からずに済んでも、寒い時期になってくると、身体が暖まらず、なかなか湯船から出ることができないので入浴時間も自然と長くなってしまう故に、暑い時期に比べて寒い時期は朝の支度時間が長くかかるので、若干早く目覚まし時計をかけるようにしているん!?解決策として、これからの時期は起きる時間の直前に暖房を入れればいいのか?それだと確かにすぐに起きられるが、自分は暖房が好きではない自分の部屋では、冬でも暖房を入れないぐらいだ第一、起きるのが辛いとはいえ、あのひんやりとした朝の空気が好きなのである暑さ寒さも彼岸までもうじきお彼岸の時期を迎える昔の人はうまいことを云ったものである
2006年09月13日

中学生時代に、教師から何か読書するようにと言われて、近くの書店に足を向けた読書など趣味ではなかったので、何を読みたいか漠然としないなか書店をウロウロとするそして推理小説がいいかな?、どうせなら事件が沢山起きる小説の方が読み飽きないだろうと思う(今にして思えば、物騒な少年である)何冊か手に取ったりして見て回って、ある1冊の新書に目が留まった日本各地にある小京都で、同じ苗字の男性が次々と謎の死を遂げる…これだ!と思い、早速購入するそれが、山村美紗著の『小京都連続殺人事件』ミステリーの女王と謳われた作者との出会いである読みやすい小説と物語の展開が気に入り、それから山村美紗氏の推理小説をむさぼるように読み始めることとなる程なくして、山村美紗氏原作の2時間ドラマがテレビで放映されたそのドラマの主演を務めたのは、今や朝の情報番組『はなまるマーケット』の明るく溌剌とした司会で有名な岡江久美子氏このドラマをきっかけで、女優・岡江久美子氏のファンになる時は流れて…某ホテルの花屋に就職してのこと花屋では、市場から購入した花を巻き包んだりと、新聞紙をよく使うある時に床に水を溢してしまい、とりあえず新聞紙で水分を吸わせようと床に新聞を広げたときだったある一箇所の記事に目が留まるそれは新春公演の芝居の宣伝記事だった芝居には全く興味の無い自分だったが、ふと目をやると芸者姿に扮した岡江久美子氏が写っているではないか!憧れの女優さんを目の当たりにするチャンスなどそうは無いことである早速、チケットを購入して芝居見物…憧れの岡江久美子氏を見ての第一印象は『小柄だなぁ~』残念ながら、そのぐらいしか今となっては思い出せないでも、演技はとても上手かったと記憶しているような…女優さんだから当然かこの芝居『祇園の姉妹』を見たのがきっかけで、役者さんが生で演じる舞台の魅力に取りつかれて、ご婦人方に紛れるようにして芝居見物をするようになり、さらには芝居好きが興じて、自分も舞台の仕事に携わりたいと裏方まで務めてしまったあいにく体調を崩してしまったので裏方は辞めたが、今でも自分が観にいきたい芝居があると劇場に足を向ける1冊の推理小説との出会いが、こうも自分の視野・世界観を広げてくれたのである人でも、物でも、出会いや発見、興味が自分への未知なる部分を引き出してくれるちょっとしたきっかけで、人生は変わるのであるそう考えると、一つ一つの事が無駄にできない気がする自分の何かに繋がっているかもしれないから…
2006年09月12日
勤続日数・労働日数などの所定の条件を満たしていれば、正社員、パート・アルバイトに関わらず有給休暇をとることができる暗黙の了解なのか、働いているときは有給休暇を取らず、辞める時にすべて消化するのが今までの慣例であったが、これからは有給休暇を利用しようということになった今月は彼岸の時期を除けば比較的余裕があるということで、社員も有給休暇をとるように言われたのだが、そうはいかない現場を仕切る立場の自分としては、そう易々は休めない公休といわれる通常の休みでさえ確保できていない状態なのに、有給休暇なんてありえない話であるそこで一つ疑問が…自分は、平均して週1のペースで毎月休みをとっている仕事が多忙のときは、休みが3回だけという月もあった他の社員と比べると自分は明らかに休みが少ない今までは公休を削って出勤してきて、今月は余裕があるからと有給休暇…なんか矛盾していない?今まで公休返上して働いてきた自分はどうなるの?返上した公休を返せぇぇぇ!と思った訳であるこんな事思う自分ってケチなのかなぁ…我が社は年俸制なので、給与は月割りの額をいただいている自分は朝から晩まで働いているが、管理職の為に残業代は一切つかないつまり、休んだ者勝ちなのである周りの人間は自分に対して『仕事好きなんだね』と口々に言うが、誰も好き好んでプライベートの時間を割いてまで仕事をしたい訳ではないのだ現場を任されている以上、止むを得ない選択なのである今ままでの現状の勤務形態が当たり前になっていたので特には感じなかったが、今回の有給休暇の件で、ちょっと休みのあり方について不満が噴出した今月も、バイトが急に休んだり、急遽仕事が舞い込んだりして公休を2日も返上しているので、有給休暇どころか、公休すら危うい状態だ有給休暇なんて夢のような話である自分の有給残日数30日減りもしなければ増えもしない
2006年09月11日

お得意様に、依頼された花束を届けると、先方は「悪いけど、ちょっと付き合ってくれないか」と言ったなんでも、これからお見舞いに花束を持って行こうと思っていたら、車の調子が悪いから乗せて行ってほしいというはぁ?タクシーでもご利用なさったら?と内心思いつつも、お得意様だし、聞くところによると車で10分足らずの距離に目指すその家はあるというので、承諾することにしたしかし困った自分のことを知っている人は、自分の運転の荒さをしっているので(スピードの出しすぎ、車間距離を空けない、ブレーキを踏むのが遅い等々)何も言わないが、自分の運転する車に目上の人を乗せることなど滅多にないそれでも、後部座席に座っていただくなら少しは気も楽だが、あいにく配達用の車なので助手席に乗っていただくしかない緊張するぅぅぅ!車の運転でこんなに緊張するだなんて、自動車教習所以来かもしれない大げさではあるが、同乗者は運転手に命を預けるわけだから、任務は重大であるスピードは法定速度そこそこ、車間距離は十分に開けるいつもなら片手でハンドルを握っているのだが、今日ばかりは両手でしっかりと握る我ながらガチガチの運転であるそれでも、相手方が話しかけてくる話題を返す余裕はある話し好きなのか、気を使っていただいているのか、他愛も無い世間話ではあるが、沈黙よりは少しは気が紛れるそうこうしているうちに無事に到着すると、花束を渡したらすぐ戻ってくるから「待ってて」と一言完璧にタクシー代わりやんッ!しかしそうは言うものの、さすがにそのまま置いて出る訳にもいかず、(ホンマ、お人よしやねぇ)再び送り届けることに無事に戻ってくると、タクシー運転手になったつもりで、『1860円になります』と、そんな冗談がいえる訳もなく、そのまま失礼したのでした初乗運賃(2kmまで)…660円加算運賃(274mごとに)…80円(某タクシー会社を参考に今回の金額を算出)
2006年09月10日
1年366日すべての日には、それぞれ誕生花というものがある今日9月9日の誕生花はリコリス彼岸花の仲間の植物であるリコリスの花言葉は追想そのほかにも、ウラキク(花言葉は追憶)、ハマシオン(花言葉は御機嫌よう)、ヘクソカズラ(花言葉は人嫌い)などが9月9日の誕生花として挙げられている以前、誕生花の本を読んだ時、その本にはウラキクが誕生花として紹介されていて、花言葉が追憶だけに、思い出を大事に生きる人と記されていた悲しいことにどんどん記憶は消えていっているが、それでも印象深い出来事や思い出は脳裏に焼きつけられている過去にしがみついたり、縛りつけられたりしているわけではないが、それらの思い出を大事にして、糧にして、今を生活していると言っても過言ではないそう、自分は“思い出を大事に生きる人”なのだ今日この日の誕生花をなぜ紹介したかと言うと、実は今日は自分の誕生日なのであるさすがに誕生日を迎えて嬉しい歳でもなくなったので、今日が誕生日と言っても、いつもと変わりなく朝から晩まで仕事をして一日を過ごしたここで誕生日にまつわる話を一つ幼少の頃の写真は殆どなくて数えても10枚も無いが、誕生日の時のスナップ写真が1枚だけあるケーキを前に、大泣きしている自分の姿を捉えた写真なぜ泣いているかというと…自分は苺が大好きな子供だったので、いちごのケーキを食べたかったのだが、昔はその季節に苺がなく、かわりに瑞々しい丸々としたマスカットがケーキの上にのっていた為、ご機嫌斜めで大泣きしたという訳…今でこそケーキといえば、1年を通して苺がデコレーションとして使われているから、時代を感じさせる1枚の写真である【追想】過去を思い出してしのぶこと【追憶】過ぎ去ったことに思いをはせること(辞書調べ)
2006年09月09日

昼食を買いにコンビニに行ったら、懐かしいチョコを見つけた不二家のLOOKチョコレート(ア・ラ・モード)販売されたのが昭和37年だというから、もう40年近く愛されているロングセラー商品であるどこか昭和のテイストを感じさせるポップでキッチュなそのパッケージに惹かれて久しぶりに購入してみたストロベリー・バナナ・メロン・パインアップルの4つの味のフルーツクリームが、それぞれチョコに入っている一粒口に運ぶと、それぞれのフルーツの甘く豊かな香りが口に広がる昔食べた時と変わらない味である古いものはどんどん廃れていくこのご時世、良いものはいつまでも生き残っていくんだなぁ…と、チョコを1粒口に含みながら思った自分が一番好きな味はメロン実物のメロンとチョコレートの組み合わせは?と思うが、不思議とこのチョコはメロンと味が融合しているのであるところが、昭和37年の販売当初は、ストロベリー・バナナ・パインアップル・ナッツの4つの味で、メロンは含まれていなかったそうだ実は、そのコンビニにはもう一つ自分の興味をそそるチョコレートが売られていたその商品とは、LOOKチョコレート(ナッツクリーム ア・ラ・モード)こちらも箱のデザインセンスがとても良い自分は食にこだわりがないので、食品を見て回ることが殆どないので、フルーツ以外のLOOKチョコレートは始めてみたので、興味本位でこのチョコも購入したアーモンド・マカダミア・カシューナッツ・ヘーゼルナッツの4つのナッツのクリームの美味しさとチョコの融合した味が楽しめるといういざ、それぞれのチョコを口に運んでみたが、正直言って違いがわからなかったパッケージにナッツの種類が書いてあるのだが、どれもこれも似たり寄ったりの味である目を瞑って食べたら、どれがどれだか当てられない…もしかして、この感想は自分だけかもしれないそもそも、カシューナッツとヘーゼルナッツの本来の味が判らない自分だからである味覚オンチの自分にとっては、4つのナッツのクリームの美味しさは残念ながらわからなかったLOOKチョコレートは、やはり王道のフルーツバージョンにかぎる【アラモード】洋菓子などに、アイス・生クリーム、果物を添えたもの(辞書調べ)
2006年09月08日
早いもので、祖父が他界して半年ちかくが経とうとしていた今まで避けてきたのか、あえて触れなかったのかは知らないが、今まで表立っては相続に関しては一切話し合いされていなかったが、第三者立会いのもとで場が設けられた遺産相続人は、母(先妻の子)、祖母(後妻)、義弟(後妻の子)の三人祖父は遺言状を残さなかったので、法定相続分では、妻である祖母が2分の1、残る2分の1を祖父の実子である母と義弟が分ければ話は済みそうなのだが、そうは問屋が卸さない誰がどの財産を貰うか話し合うのが遺産分割協議で、相続人全員の同意を得られなければならない相続人のうち、一人でも反対者がいれば駄目なのである金に汚く1円でも多く獲ろうとする後妻と義弟、財産を当てにしているのではなく先妻の子としてのプライドがある母、その話し合いは幾度と無く堂々巡りで埒が明かず、結局話し合いは決裂した『親子の縁を切る』『おまえには“びた一文”財産は渡さない』と義弟は罵り、その場を去っていったと言う結局、話し合いでは折り合いがつかないので調停で争うようになると思う母は知人に紹介された弁護士に相談し、今後について話し合っているという弁護費用は、すべて込みで65万円也弁護士の方にお世話になることなどないので、この金額が妥当なのかどうかは判断しかねるが、そんな費用をかけるぐらいなら、なぜ相続人同士の話し合いで折り合いがつかないのかと、つくづく思った人間って、金銭が絡むと醜くて滑稽である遺産相続問題は、始まったばかりである先妻の子vs後妻と後妻の子最後に笑うのは…【びた一文】ほんのわずかな金銭びた(鐚)の漢字は、“金+悪”で作られた国字で、価値の低い粗悪な銭貨を意味するそんな粗悪な銭貨も出せないというのが由来(由来サイト参照)
2006年09月07日

ある特定の人やグループ別によって電話が掛かってくると、携帯電話の着信メロディーが変えられるあまり携帯電話に執着心が無いので、そんな機能は使いこなしていないが、ある数人だけは掛かってきたら誰だか判るように着信メロディーを変えているそれは、仕事の上得意様である電話が鳴ると、表示板を見ないかぎり相手が誰だかわからないが、ある特定のメロディーが鳴れば、相手は上得意様と判るので、前もって心落ち着けてから電話に応対することができるのだもっぱら、電話が掛かって掛かってくるときは殆どがクレームなので、幸いなことに滅多にそのメロディーを聞くことはないちなみに、何の着信メロディーかというと…テレビや映画、舞台でお馴染みの時代劇必殺仕事人の“殺しのテーマ”である仕事人たちが依頼人の無念を晴らす為、悪者を殺めるときにBGMとして流れる曲であるいかにも、仕事してます!という感じのメロディーが気に入って使っているそして今日、あのメロディーが鳴った♪チャララ~仕事人の殺しのテーマが静かに鳴り響く…何事?ちょっと、仕事人に成敗される悪者の気分である携帯電話に手を伸ばすと、電話は上得意様の一人からで、何かあったか?と頭を思い巡らせながら、恐る恐る応対するなんてことはない、仕事の確認の電話だった心臓に悪すぎる…ん!?着信メロディーのチョイスが悪いのか!?いやいや、この曲、結構のお気に入りであるこのスリル感がたまらないのだこうもお似合いの着メロは、そうは無い突然ですが…これ誰!?わかった人は凄い!これは、必殺仕事人で村上弘明氏が演じた、花屋の政(あまり似てない…)武器は季節の花々の枝で、その枝で相手を刺して仕留める華やかな仕事人ブログの話の内容とは関係ない画像だが、“必殺仕事人”と“花屋”つながりということで…
2006年09月06日

知人であるタカラジェンヌの方から、1通の封書が届いていた白い封筒の中身の文面は、開封せずとも大よその検討は自分にはついていたそれは、退団の挨拶状である宝塚を退団することが決まると、お世話になった方やファンの方々に退団する旨を知らせる挨拶状を送る今まで何人かの方に退団の挨拶状をいただいたが、慣習となっているのか、皆白い封筒に入って手元に届いたしかし、今回は俄かに信じられなかったそれは、つい10日程前に“次の公演観に来てくださいね”という葉書を貰ったばかりで、いつもと変わらぬその文面には、退団を匂わすことなど一句たりとも書かれていなかったからだ封書を開けると、やはり中身は退団の挨拶状であった次の公演で宝塚を退団する旨が書かれていたまた一人、自分が知っている人が宝塚を去る…寂しい限りだ自分が宝塚を観始めてから数年経つが、応援している方が退団していくにつれて比例するかのように宝塚から足が遠のき、今では自分が知っている人は殆ど在団していないので、宝塚の舞台を最後に観たのは、2年ちかく前に彼女が出演していた舞台である10月いっぱい、北は東北から関東、近畿を巡演する全国公演が彼女の宝塚最後の舞台となるそうと知っていれば、あいにくタイミングが合わずに観劇出来なかった今夏の東京公演を無理してでも観に行けばよかった、と後悔した宝塚では男役10年という言葉がある10年立って、やっと一人前の男役が務められるという意味である彼女は初舞台から今年で9年目、いったいどんなラストステージを見せてくれるのだろうか通常の公演(宝塚大劇場・東京宝塚劇場)では出演者が多いので、出番が少なかった彼女だが、全国公演ともなると、出演者は少ないので、いつになく出番は多いだろうぜひとも最後の雄姿を見届けたい果たして、全国公演を観に行くことができるだろうか…
2006年09月05日

歴史を感じさせる風景を見に行こうと思い、横浜へと出かけるしばらく訪れないうちに、みなとみらいの地域は高層ビルや様々な商業施設が立ち並び、街は進化を遂げていた街の変貌振りに少々戸惑いながら車を走らせる到着したのは横浜赤レンガ倉庫前々から一度訪れてみたいと思っていた場所で、今日念願が叶った横浜赤レンガ倉庫は『ハマの赤レンガ』と呼ばれ、明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物である関東大震災での大規模な修復工事以来は、小規模な補修工事のみ繰り返されてきたが、倉庫としての役目を終えた赤レンガ倉庫を、市民が憩い・賑わう空間としての活用計画がまとまり、屋根瓦の改修、鉄骨による補強等の改修工事を実施し、2002年に生まれ変わったという(赤レンガのホームページより)“小奇麗だな”というのが、赤レンガ倉庫を見ての第一印象赤レンガ倉庫自体改修工事を受けたが、周囲の環境も緑地公園のように整備されているので、一見歴史的建造物というよりは、港の近くに立つレトロ風な建物としか印象がなかった自分は荒廃したイメージを持っていたので、ちょっと拍子抜けした2つある赤レンガ倉庫は、それぞれ文化施設と商業施設とに用途が分けられていて、文化施設にはホールや自由な用途として使える空間スペースが設けられ、商業施設には横浜ならではの商品を扱っている店舗が入っている平日だというのに、家族やカップルで思った以上にそれなりに賑わっているしかし、自分が思うに、倉庫の中を施設として有効活用するのはいいが、カフェテラスは果たして必要だったのだろうか?倉庫としての美しい外観を損なっていると思うのだが…これでは、ただの観光スポットの一つにしかすぎず、あえて歴史的建造物をわざわざ予算を割いてまで補修して残す意味があったか疑問であるそんな考えの持ち主の自分は古い人間なのだろうか?現に、赤レンガ倉庫のすぐ近くには、昔の赤レンガ建造物の遺跡(花壇として有効活用)があるのだが、殆どの人は目もくれていない要は、ここを訪れる多くのカップル、観光客は赤レンガ倉庫としての価値は二の次なのである事業コンセプトである『港の賑わいと文化を創造する空間』、横浜らしい文化…これが、現代社会における歴史と現在の共存方法なのだろうか関東大震災後や、平成に入って大幅な改修工事がされたということだが、この赤レンガは当時のものなのだろうか?倉庫といえば無骨な感じがするが、煉瓦のせいか暖かみを受け、積み重ねられた煉瓦ひとつひとつに歴史を感じるのであった本当に味のある建造物である時は流れ、港も周りの景色も変わってしまったが、横浜レンガ倉庫は歴史的シンボルとして、これからもその姿を変えることなくこの地に佇み続けることだろう
2006年09月04日

ジョギングを再開してから一週間ちょっと日に日に暑さも和らぎ、時折吹く夜風が冷たくて気持ちよく感じられるようになったはじめは身体を慣らす程度に走っていたのだが、昨日は気分が良かったので、いつもより長い時間ジョギングをしたのが間違いのようだった朝起きたら、太股、ふくらはぎと下半身を中心に激しい筋肉痛になっていたその痛みは、人並みには歩けないほどで、何より屈む姿勢が一番辛いこんなに酷い筋肉痛は久しぶりであるそれだけ、身体が鈍っていた証拠だろうかあいにく湿布等の買置きが無かったので、そのまま職場へ自分のあまりにもぎこちない歩き方に、他のスタッフは当然気を使う誰もが『どうしたんですかぁ?』と理由を知りたがったが、ジョギングのし過ぎ…とは言えず、適当に言葉を濁した【筋肉痛が起こる理由】最も大きな原因は、筋肉組織の部分的な損傷や炎症と言われている激しい運動をすると、筋繊維やその結合組織が損傷し、その損傷を修復する為に、カリウム、ヒスタミンなどの痛みを出す物質が神経を刺激したり、炎症を起こして痛みを感じる(某サイト抜粋)要は、傷ついた筋を修復している最中とのことのようだ結局一日中筋肉痛が治まる気配がなく、仕事終わりにドラッグストアへ閉店間際に駆け込んだので、ゆっくりと商品を吟味している時間がなかったが、効き目がありそうな物を手にした筋肉疲労・筋肉痛に、アイスラブゲルいかにも効き目がありそうなネーミングであるアメフトの選手がパッケージにデザインされていて、スポーツ後の筋肉・関節の疲れ痛みをすっきりリフレッシュ!って、ジョギングごときで激しい筋肉痛になってしまう自分が使うのは恥ずかしいような気がしなくもないこの商品は、見た目からして涼しげな綺麗な水色をしたゲル状になっていて、患部をよくマッサージしながらすり込むはじめは塗ることに対して抵抗があったが、肌に塗った後はベタつくこともなく、程なくしてアイシング(局所冷却)効果があらわれて気持ち良いたしかに、筋肉痛に効きそうである筋肉痛が完治するまでは、暫しジョギングはお休みということで…
2006年09月03日
基本的に占いには興味がない占いで自分が左右されるのが嫌だからであるだから、自分の身近に潜む雑誌やテレビの占いは、気にはなるが見ないようにしている自分がラッキーなのか、アンラッキーなのか知らないでおけば一喜一憂することがないからだ自分の朝の出勤は早いテレビでは映画や通販番組が放送されているので、まず今日の運勢を見ることはないところが今日はいつもより出勤が遅かったので、時計代わりに朝のニュース番組を見ていると、今日の運勢が始まった朝の支度に追われて、わざわざチャンネルを替えるのも煩わしいのでそのままにしておいたそんな時に限って、自分の運勢は悪かった…清清しい朝が一転、一気に奈落の底に突き落とされたこれで、今日一日の気分はブルーで決定であるやはり、占いなんてみるものではないたかが占い、されど占い、今日の運勢がよくないと聞かされれば、誰でも心中穏やかでは無いかと言って、厄逃れのラッキーアイテムを身につけるほどまでではないさて一体、今日はどんな災厄が待ち受けているのだろうか…よくない運勢とは言うものの、特にこれといった出来事はなかったそして迎えた、昼過ぎのこと自分が席を外していた時に、その出来事は起きた!店内にいたお客様の手荷物が、置いてあったバケツに当たってしまい水が床にこぼれてしまった慌ててスタッフがモップを取りにその場を離れた時に、スッテンコロリン!男の子が足を滑らせて、床に頭を打ってしまったのである平謝りするスタッフは、お子さんが頭を打ったようなので、念のために病院行きを勧めたのだが、母親は大したことなさそうだし、『これから用事があるので、あとで病院に行きます』と言って、その親子連れは店を後にしたそうな奥さん、息子さん心配じゃないんですか!?事後報告を受けて、人事ながら心配してしまった本当にお子さんは大丈夫なのか、それとも息子が可愛くないのか…とりあえず氏名と連絡先だけは聞いておいたので、帰宅する時間を見計らってお詫びの電話を入れた聞くところによると、病院で検査したが、特に異常は見受けられなかったとのこと一安心である今回の件は、お子さんを転倒させたこちら側に非があるので、当然治療費等は負担しなくてはいけない今後の色々な話は、電話では失礼なので後日お宅に伺わせていただくことにした花に関してのクレーム処理はそこそこ手馴れたものだが、こういった類のクレームはそう頻繁にあることではないので、とても神経を使うそんな事後処理に追われた自分は、今日の運勢どおり、やはりアンラッキーな1日であったのかもしれないいや、一番のアンラッキーなのは、床に転倒した子供であろうもしかして、自分と同じ星座だったりして…【当たるも八卦、当たらぬも八卦】占いは、当たる場合もあれば、当たらない場合もあるということ(辞書調べ)今日は悪い運勢だと念頭にあったので、すべてがマイナス思考に頭が働いたもし、今日の運勢が良かったのであれば、今回の転倒事故の件が何事も無くて良かった…と思っただろう要は自分の気持ちの持ち方次第で、ハッピーにもアンラッキーにも捉えることができるのだ病は気からという言葉があるが、占いは気からである
2006年09月02日

若かりし頃、自分は煙草を吸っていた(勿論、20歳を過ぎてから)似合いもしないのに、外国製の長い煙草の煙をくゆらせていた煙草を吸う行為を、ファッションの一部として考えていたのかもしれないしかし、勤めていた職場が禁煙だったことから、自分はあっさりと煙草を辞めてしまった一日に何箱も空けるというヘビースモーカーではなかったので、禁煙もさほど苦ではなかった煙草を辞めてから、また吸おうと思ったことは一度もない今では他人が吸っている煙草の煙に嫌悪感を覚えるほど禁煙推進派の一人であるその当時使っていたZIPPOのライター黒光りする漆塗り仕上げで、草花に鹿や鳥といった動物の模様がこと細かく施されている、日本の伝統の技が光る一品である芸術品とも言うべき匠の技が駆使されている為か、値段はそこそこ高かったと思うZIPPOのライターは、蓋を開けるとき独特の小気味いい音がするのだが、このライターは何故か良い音がしないどことなく濁っている音がするのだ久しぶりに蓋を開けてみたが、やはり音は以前と同じ、濁った音であった煙草を吸っていた時は肌身離さずこのライターを持っていたが、吸わなくなって役目を終えてからは、漆塗りのライターはここ数年火を灯すことなく飾り棚に陳列されている
2006年09月01日
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