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ヒルタ島の南端部。その先端の崖。で、これはその先端の先にあるダン島。左奥の水平線にも別の海食柱が見えていますね。スタック・レヴェニッシュ(Stac Levenish)です。さあ、そろそろ帰る時間です。船はスカイ島へと目指して帰路に就きます。さようなら、セント・キルダ。(続く)
2024.07.31
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午後3時半ごろ。再びライフジャケットを装着して、桟橋からゴムボートで船に乗り込みます。その桟橋からの風景。こちらはその桟橋。離れたところに浮かんでいるのが、目指す船です。やはり2回にわけて、乗り込みました。大型のクルーズ船も停泊していますね。大型のクルーズ船に乗って上陸する観光客もいれば、スカイ島からではなく、ハリス島やユーイグ島からセント・キルダに来る人もいます。スカイ島からは4時間ですが、ハリス島やユーイグ島からだと、2時間半くらいです。ただし、ハリス島やユーイグ島に行くのに、スカイ島から1時間半かかります。旅の日程に合わせて、どの港から出航するか決められるといいと思います。船に乗り換えて、出発。上陸に使ったゴムボートは船尾にくくりつけられています。スカイ島に帰る前に向かったのは、こちら。ヒルダ島に隣接するダン島です。(続く)
2024.07.30
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余りにも暑くて、ちょっとお休みしておりました。さて、セント・キルダ の滞在時間も残り少なくなってきましたが、ちょうどナショナルトラストの現地ガイドで働く人の中で、親戚がセント¥・キルダに暮らしていたという地元の女性がおりました。時間もまだあったので、ちょっと話を聞いてみました。彼女自身はセント・キルダの生まれではありませんが、彼女の祖父母が最後の住民としてこの島に残っていたそうです。ながらくセント・キルダとは無縁の生活をしていましたが、定年退職した後、ガイドを募集していることを知って応募したところ、採用されたのだといいます。ですから、博物館の資料写真を見ると、当時暮らしていた多くの人と面識があり、懐かしく思い出されたと話していました。また、彼女の旦那さんがマールボロ大学出身らしく、キャンパス内にあるマーリンの丘について話が盛り上がりました。コナチェアの山頂に雲がかかっていますね。それにしても本当によく晴れています。後はゆっくりと、ボートの出港時間を待つことにしました。(続く)
2024.07.29
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羊の王国には若い世代が育っています。王国ですから、誰か人間が管理して育てているわけではなく、羊は野生のまま育っています。そして、こちらには・・・左奥に大砲があるのが見えます。第一次世界大戦の際に、島がドイツの潜水艦に攻撃されたことから設置されたと書かれていました。ダン島のほうに砲身が向けられていますが、一度も軍事利用されたことはなかったそうです。第一次世界大戦後、よりよい暮らしを求めて若い男性のほとんどが島を去り、残った男性も4名が1926年にインフルエンザで亡くなるなど、島民は1928年には37人に激減します。そして、先に紹介したメアリー・キリーズさんが1930年に病死したことをきっかけにして、残された36人も1930年8月29日にスコットランド本島に避難することになったとのことです。村の全景。現在は、ミサイルレーダー基地を維持するために、軍事関係者が常駐している以外は、この島を寄贈されたナショナルトラストのガイドら自然保護関係者が春から秋にかけて暮らしているだけとなっています。(続く)
2024.07.27
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ヒルタ島の人間の居住区の風景。こうして並んだ一軒一軒にそれぞれの歴史が刻まれているわけですね。そのうち一軒が博物館に改装され、村の歴史を知る貴重な資料を展示しておりました。こちらは人間の居住区から見た羊の王国の風景。19世紀に観光と宗教で脚光を浴びるようになったセント・キルダは、第一次世界s大戦中にイギリス海軍の信号所が設置されました。上の写真は、現在の島で働く人たちの居住棟です。(続く)
2024.07.26
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それにしても、見事に晴れ渡りました。この辺りでこれほど晴れ渡るのは、本当に珍しいことです。上の写真の説明をすると、中央をくの字型に走っている構造物は、人間の居住区と羊の王国の境となる石壁です。そしてその石壁に平行して右にくの字型に並んでいるのが、人間の居住区の住居跡です。まだ1時間半くらい時間があったので、住居跡や村の博物館を見学することにしました。住居跡の一軒一軒には表札が立っております。「No.15」 「Anne Cillies(アン・キリーズ)」「+son John(息子ジョン)」「+grandson Norman(孫ノーマン)」番「From No.10(10番から)」「1930」と書かれています。「アン・キリーズが10番から引っ越してきた息子ジョンと孫のノーマンと共に1930年まで暮らしてい」という意味だということが後でわかります。その住居跡の日陰でのんびりしている現在の居住者。こちらはNo.11の住居跡。クリスティーン・マックイーンさんが1930年まで暮らしていたと書かれています。次はアン・キリーズさんの息子ジョンが引っ越す前に暮らしていた10番。1930年当時はだれも住んでいなかった。ジョンとメアリー(1930年に死去)・キリーズが息子ノーマンと暮らしていた。メアリーが亡くなった後、15番へ引っ越した。と書いてあります。家の一つ一つに歴史があるわけですね。セント・キルダには約2000年間にわたって人が住み続け、多いときは200人近くの人が暮らしていたとされていますが、1851 年以降は人口も100人を切り、1930年には4島(ヒルタ、ソアイ、ダン、ボアレイ)のうち唯一の有人島であったヒルタから住民全体が避難しました。どうしてそうなったかいついては、次回以降に説明します。(続く)
2024.07.24
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最高峰のコナチェアを右手にみながら、島の北西方向に進みます。上り坂なのでちょっとしんどいですが、その代わり見晴らしはよくなります。遠くにギャップが見えますね。最高峰のコナチェア。山裾まで来ると、見上げるような急峻な山であることがわかります。そこからの風景。遠くに村を見下ろします。人間の居住区は本当に小さいことがよくわかります。(続く)
2024.07.22
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村の教会です。この礼拝堂の隣の部屋は無人の売店になっていて、Tシャツやマグなどのお土産物を購入することができます。私たちは記念にポロシャツを購入しました。島のトイレも教会に隣接した場所にあります。教会がまさに村の中心というわけですね。再び外に出ます。かなり晴れ上がってきましたね。正面の山が最高峰のコナチェアです。こちらは風向計。風の強さと方角を測ることによって、上陸や着陸が可能かどうかを判断するのだそうです。島の西の方にも足を延ばします。青空が広がっていますね。左奥の山がオイスヴァルです。こちらはそのオイスヴァル(右)とコナチェア(左端)に挟まれたギャップ。遠くに見える窪みのところが、先に訪れたギャップです。(続く)
2024.07.21
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遅れましたが、これがヒルタ島の全景地図写真です。①The Village(村)のそばのJetty(船着き場)から上陸して、右上の②Th Gapに行って村に戻ってきたわけです。それで大体2時間。あとの2時間は村を探索することにしました。人間の居住区の建物の影で休む羊たち。そしてこちらは・・・私たちが乗ってきたボートを見張ってくれている羊。・・・ではなくて、ただ草を食べている羊ですね。親子の羊でした。(続く)
2024.07.20
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ここが人間の居住区と羊の居住区の境界です。手前が羊の王国。そしてこのゲートを通ると・・・人間の居住区に入ります。こちらが人間が住む家です。こちらが羊が暮らす家。・・・と、明確にわけられていた時代もあったのかもしれませんが、今では人間はほとんど住んでおらず、人間の居住区にも羊が暮らしています。境界は消え去ったことになりますね。(続く)
2024.07.18
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ギャップから見た風景です。ちょっと右へ回り込んだら、ボアレイ島だけでなく、海食柱もよく見えてきました。手前にスタック・リー、左奥にスタック・アン・アーミンが見えています。右手方向にはオイスヴァルの崖。米粒のような大きさですが、崖のそばを歩いている人がいますね。しばらく豪快な景色を楽しんだ後、再び今来た道を戻って、人間の居住区に戻ることにしました。今度はひたすら下りです。居住区が見えてきました。ここまでが、お昼の休憩時間を入れて上陸してから2時間弱くらいでしょうか。多分午後1時頃になっていたと思います。(続く)
2024.07.17
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随分高い所まで登ってきました。もう人間の居住区も見えませんね。登って行くと、左手には最高峰のコナチェアが見えます。山頂はちょっと霧の中です。そして、右手にはオイスヴァル。その二つの峰に挟まれたギャップに到着。やはり縁には怖くて近づけません。その崖の向こうには・・・船で訪れたボアレイ島が見えていました。(続く)
2024.07.16
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羊の王国をさらに登って、ここまで到着しました。30分は登ったと思いますが、見晴らしがよくなってきました。そこで水分補給も兼ねて、ここで持参したお昼をとることにします。。座りやすい岩を見つけて、そこに腰掛けます。そこからの風景はこちら。眼下に見える、石壁の囲いは、まるで幾何学模様のようでした。 ハートマークにもみますね。ここで、すでに崖の上まで言ってきたという、別の船の二人組に出会います。上は、ここよりもはるかに見晴らしがよいようです。ただし崖の際まではいかない方がいいと、言っていました。その二人は、私たちが登って来た道を降りてゆきます。その時の写真。このとき取ったお昼は確か、スムージーかなにかとフルーツバー、ビスケットくらいだったと思います。紅茶も作ってペットボトルに入れておりました。正午を30分すぎたころだったでしょうか。上を目指して出発します。(続く)
2024.07.15
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羊の居住区をさらに上へと進みます。羊の王国にお邪魔している感じです。人間の居住区を見下ろすと・・・下々の人間が暮らす村がはるか下の方に見えますね。「羊の王宮跡」に到着。開けた場所にありますね。正面が、コナチェアとオイスヴァルに挟まれたギャップ(裂け目)という場所です。その場所を目指します。まだまだ遠くの方にあります。振り向くと・・・台地の奥まで来ていたので、人間の居住区が見えなくなっておりました。湾とダン島が辛うじて見えています。(続く)
2024.07.14
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気配を感じたのか、写真を撮っていたらこちらを向いてくれました。コアラ顔の羊君。この石垣は、人の居住区と羊の居住区をわけているようです。もちろん、手前が羊の居住区。左奥がダン島。ここまで登ると、ヒルタ島との間に隙間があることがわかりますね。上の写真では、右側が羊の居住区です。羊の居住区の写真がこちら。羊小屋。雨風をしのぐ避難小屋みたいなものですね。(続く)
2024.07.13
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ヒルタ島を歩くと、すぐに遭遇するのが羊たちです。非常に古い種類の羊で、新石器時代のソアイ種の生き残りなのだそうです。その中で私の目を引いたのは、上の写真の左下の岩で休んでいる子羊君。一見すると、コアラのように見えます。拡大すると・・・i 色も佇まいも、まるでコアラです。遠い昔にはかなり近い種同士だったのかもしれませんね。羊小屋もあります。みな、のんびりと草を食んでおりました。私は見分けられませんでしたが、鉄器時代のボーレー種の生き残りも混在しているようです。(続く)
2024.07.12
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セント・キルダ最大の島、ヒルタ島に上陸したのは、たぶん午前11時すぎくらいです。を島に暮らす学芸員から簡単な説明を受けた後、自由行動となりました。滞在時間は約4時間。もらった地図を参考にして、探索します。どうやらこの昔の集落跡をすり抜けてゆくと、見晴らしの良い場所に行くことが出来そうですひたすら登って、開けた場所で簡単なお昼を取ることにしました。(続く)
2024.07.11
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オイスヴァルを西に回り込むと港が見えてきます。左の裾の先にあるのがボートの発着場です。オイスヴァルの左奥には、コナチェアがそびえています。ネズミ対策上、船から直接上陸することは禁じられていますから、ゴムボートに乗り換えてヒルタ島に上陸します。第一陣はこちら。ガイドを除く乗客は全部12人ですから、二回にわけて上陸するわけです。同様にして、第二陣としてゴムボートに乗り込んで、無事に上陸。陸からの湾の風景です。左端に見えるのが、ヒルタ島に隣接するダン島です。こちらがヒルタ島の風景。正面奥に見えるのが、最高峰(標高430メートル)のコナチェアです。(続く)
2024.07.10
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ミナ・スタックとヒルタ島の間の狭い海峡を通り過ぎた後の写真。ちょっと離れただけで、海食柱とヒルタ島は一体化して見えます。上を見上げると・・・そこもやはりヒルタ島の絶壁。セント・キルダ全体の最高峰(標高430メートル)であるコナチェア(Conachair)の崖です。イギリスで最も高い海食崖だそうです。この岸壁に沿ってヒルタ島の南に進みます。l右端に見える半島のように見える部分はミナ・スタックです。完全に島と一体化していますね。やがて島の南東にあるオイスヴァル(Oieval)という峰(標高290メートル)が見えてきます。この峰を回り込むと、ヒルタ島に上陸できる湾が見えてきます。(続く)
2024.07.09
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目の前に出現した海食柱ミナ・スタック。船はこの柱にどんどん近づいていきます。上陸を拒むような岸壁です。見上げると・・・垂直の崖がそびえたっています。その崖を通り過ぎると・・・遠くにボアレイ島がみえています。間近で見る海食柱の絶景でした。で、ボートがどのようなルートを通ったかがわかるのが、こちらの写真。中央がミナ・スタック。そのミナ・スタックの左にある狭い海路をすりぬけて来ました。結構、スリルがありました。海が静かだからできた芸当で、私たちはとてもラッキーでした。(続く)
2024.07.08
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セント・キルダの最も大きい島ヒルタの岸壁です。崖の下にはいくつかの洞窟があり、やはりアシカたちの住処になっているようでした。波間のところどころにアシカが顔をだしておりました。崖の下には洞窟が見えますね。振り返ると・・・いちばん奥にソアイ島が見えています。そして進行方向を見ると・・・別のスタック(海食柱)が見えてきました。中央の島です。右の崖がヒルタ島。ちなみに奥に見えるのが、10分ほど前まで見学していたボアレイ島とふたつのスタック(海食柱)です。目の前にヒルタ島のスタックが見えてきました。大きいですね。ミナ・スタック(Mina Stac)です。(続く)
2024.07.06
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海食柱の集合写真。スタック・リー(中央)、スタック・アン・アーミン(左)。奥には右からソアイ島、ヒルタ島、ダン島が見えています。ここから、ボアレイ島に沿って南西に進路をとり、ヒルタ島に向かいます。スタック・アン・アーミン(左)とボアレイ島の岸壁(右)が見えます。.途中、ボアレイ島のアシカの洞窟を見学。奥にアシカが寝ているのが見えました。ほどなく、ヒルタ島の北西沖にそびえるソアイ島に到着。相変わらず、頂上は霧の中です。そしてこちらがヒルタ島。セント・キルダで一番大きな島です。(続く)
2024.07.05
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南から見たスタック・アン・アーミン。ナイフのように切り立った崖の島という感じですね。その次に向かったのは、スタック・リー。お結びのような形の島です。その奥がヒルタ島。左の島がボアレイ島。船が揺れるので、水面が傾いています。空を見上げると・・・そこには無数の海鳥が舞っています。スタック・リーとボアレイ島の間に、ヒルタ島に隣接するダン島が見えています。スタック・リーのそばに到着。高さ172メートルの海食柱です。まるでタケノコの皮のようにユニークな構造をもっているように見えます。(続く)
2024.07.04
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梅雨の晴れ間に散歩。紫陽花と田んぼがきれいでした。多分明日から再びスコットランドの旅ログを再開します。
2024.07.03
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セント・キルダの島々の形を紹介しましょう。ボアレイ島を北から見た形。そのボアレイの北端の目と鼻の先にあるスタック・アン・アーミン。高さ196メートルの海食柱です。このような針のような島にも、コロニーがあります。昨日紹介したウミガラスのコロニーですね。そして、ボアレイ島のすぐ西にあるもう一つの海食柱がこちら。スタック・リー。その奥がヒルタ島です。そのヒルタ島の北西(上の写真でいうと右端の彼方)にあるのが、霧に包まれることが多いソアイ島。写真中央。左の島はヒルタ島の北西端部分。この日も、ソアイ島の頂上は霧に覆われておりました。(続く)
2024.07.01
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