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湖水地方を訪れた翌日(8月28日)、ロンドンに向かう途中で立ち寄ったのが、オックスフォードの近くにある世界遺産、ブレナム宮殿です。美しい宮殿ですね。スペイン継承戦争の最中の1704年、ドイツのブリントハイム(英名でブレナム)の戦いで英公爵ジョン・チャーチルがフランス軍を破った功労をたたえて、チャーチル家に贈られた居城だそうです。その子孫で、後に英国首相になったウィンストン・チャーチルは1873年にここで生まれています。そのブレナム宮殿がバスの車窓から遠くに見えてきた時です。furafuranさんが宮殿そばの川に橋が架かっている景色を見て、「ここに来たことがある」と言って、目を潤ませます。いつものことながら、今生で私たちはここに来たことはありません。よほど懐かしかったのか、furafuranさんの涙は宮殿入り口の広場のところに来るとますますこぼれ始めます。前日から涙腺が緩み「泣き虫」になっている私も涙がこぼれて、2人で大泣き状態です。観光客がたくさんいる場所で、2人で大泣きしている光景を思い浮かべてください。傍から見ると、結構笑えるかもしれません。でも2人は真剣なんです。もっとも、目にごみが入ったぐらいにしか思わなかった人もいたかもしれませんね。涙を隠すようにして、私たちは宮殿の庭園を見て回りました。その間中、過去生ガイドの女性がいろいろ案内してくれます。薔薇園です。巨木のある道。庭園から見たブレナム宮殿。過去生ガイドの女性が教えてくれた場所から撮影した、私たちのお気に入りの風景。ちゃんと晴れるタイミングも教えてくれました。懐かしい、思い出の地であったブレナム宮殿を離れていくバスの車窓からは、虹を見ることもできました。ちょっと出来すぎのような気がしますが、本当に虹が出たんです。「もう一度、2人で見に来ようね」という過去生の約束が、時を超えて成就されたということだと理解しました。「過去生の約束」と書いてしまったからには、もう少し説明を加えておきましょう。これはひとつの夢物語として聞いていただいても一向に構わないのですが、100年以上前にイギリスにいた私たちの人生の最後は、必ずしも幸せなものではありませんでした。これは私のfurafuranさんが見た映像から、私たちが類推している過去生の物語です。私とfurafuranさんは当時も愛し合っていましたが、どうやら親の反対など障害も多くあって結婚はしていなかったようです。そんな中、7~8人の仲間と一緒に私たちはドーバー海峡を渡ってフランスへ行きます。一種の留学のようなものだったみたいです。ところがパリで私たちはある事件に巻き込まれて、私を含む多くがおそらく銃で撃たれて死んでしまいます。現場はパリのオペラ座か、それに近い劇場だと思われます。生き残ったのは、furafuranさんと、バースでもご紹介した、真ん中で髪を分けた金持ちでお洒落な男性の2人だけ。furafuranさんは悲嘆に暮れて、修道院に入って、その後若くして亡くなってしまいます。おそらくブレナム宮殿では、パリに留学する前に何かの晩餐会かなにかに招待されて、庭園を散策する機会があったのではないかと思います。当時のfurafuranさんと私はその庭園がとても気に入って、また2人で来ましょうねと約束した。だが私がパリで不慮の死を遂げたことで、その約束が果たされなかった。時が流れ、今生で2人は出会い、かつての約束の地であるブレナム宮殿の庭園を訪れることになった。そう考えると、今回私たちがなぜ涙を流してまで、湖水地方を訪ね、イギリスの庭園めぐりをすることになったのかがわかってきます。過去生で生じた不幸な出来事によって深く傷ついた私たちの過去生の魂を癒すために、二人で泣く必要があったのではないでしょうか。そうでなければ説明できない涙です。でも、もう何の憂いも心配もありません。過去生の約束は成就し、過去の悲しみは未来の光の中へと融けてゆきました。(続く)
2024.02.29
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もう一度昨日ご紹介した写真を掲載します。上の写真の風景が、furafuranさんが夢の中で見た19世紀の映像に似ているのだそうです。必ずしもこの場所とは限りませんが、furafuranさんの映像の記憶では、対岸の緑の芝生のようなところに自分がいて、周りの景色を見ていたとのことです。空はほとんどと言っていいぐらい、いつもどんより(さすがイギリスの空です)。その映像は彼女が三歳ごろから病気のときや遠足の前の日などの夢で見ており、これまでに二、三十回は見ているそうです。見ている自分も年とともに大きくなり、最近ではニッカーボッカーズをはいて帽子をかぶって釣りをしている男性も、その映像の中に登場するようになったと言っておりました。さて、ワーズワースが暮らしていた家ライダル・マウントに話を戻しましょう。ワーズワース自身がデザインしたという庭園です。ロマン派詩人ワーズワースと、私たちの過去生をめぐる旅とも関係があったようです。ワーズワースが1813年に家族とともにこの湖水地方に来てから、晩年に亡くなるまでの37年間を過ごしたという家「ライダル・マウント」にも、過去生ガイドの女性によると、私たちは来ていたそうです。前日ご紹介しましたが、furafuranさんにもウィンダミアからグラスミアにかけての湖のそばにいたという映像の記憶があります。ライダル・マウントも坂の上にあり、遠くにライダル湖を望めます。8月というのに、もう紅葉しているんですね。日本よりも一ヶ月以上早く秋が訪れる感じです。私たちが過去生でここを訪れたのは、どうやら1890年ごろか1910年ごろの間のように思われます。furafuranさんが細部まで克明に覚えている当時の服装からたどると、そうなります。前世をよりよく知るうえの必需品ともいえる『西洋コスチューム大全』(グラフィック社刊)の167ぺージと176ページのイラストを参考までに掲載しておきます。それが正しければ、ワーズワースが亡くなった後、私たちは観光かなにかでワーズワースの家を訪ねたことになります。庭には綺麗なピンクの薔薇も咲いておりました。この庭を2人で散策している間も、過去生の女性ガイドさんはいろいろ説明してくれます。「そちらの道を行っても、面白いものは何もないわ」とか「ここを降りていくと、素敵な景色が眺められるわ」とか、アドバイスしてくれます。なにしろ広~い庭園ですから、すごくありがたかったです。過去も今も私が好きだった場所の風景です。紫陽花の小道。このような景色を、昔も眺めていたのでしょうか。奥に見える建物がワーズワースが暮らした家です。景色のいい場所には、ベンチが設けられています。スズメが休んでいたので、撮影しました(笑)。再びウィンダミアの町に戻って、散策。今でも100年以上前と同じ風景が残っているんですよね。夕食を食べたレストランです。このレストランに入る前、眺望がよかったので写真を撮ろうとしたら、「食事をしてからでも撮影する時間は十分あるわ」と過去生ガイドの女性は言います。すでに夕方6時を回っていたし、空模様も心配だったのですが、ガイドさんがそうおっしゃるならきっとそうなのでしょう、と思って写真は撮りませんでした。そして一時間後、食事を終えてレストランを出ると、雨も降らず、明るい景色が広がっていました。そのとき撮影したのが、先ほどのレストランの写真と、次の写真です。本当に優秀なガイドさんです。時空を超えたガイドさんですから、1時間や2時間ぐらい先の天気を予想(予言?)することなど、それほど難しいことではないのでしょうね。そして最後に、2人の写真を、一緒に旅行した方に撮ってもらいました。(続く)
2024.02.28
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再び、ウィンダミア湖遊覧の話に戻ります。 イギリスでの過去生に思いを馳せているうちに、船は湖を南下して、目的地のレイクサイドに到着しました。ここからは蒸気機関車に乗って、ハバースウェイトへ向かいました。ウィンダミアで私たちが乗った蒸気機関車です。 このとき、ハバースウェイトの駅で陸橋から撮影していたのですが、急に風向きが変わり、煙まみれに。 慌てて陸橋を降りて、煙を避けながら撮った写真がこちらです。 この駅は、紫陽花の花が満開で、とても綺麗でした。 再びバスでボウネスへ戻ります。そして昼食を取ったのが、このお店。 「シップ・イン」というレストラン兼パブです。ガイドしてくれている(過去生ガイドの)女性によると、建物は違うようですが、100年以上前からここにはレストランがあって、ボウネスに来たときは必ず立寄ったのだそうです。私たちとその仲間は常連だったらしく、一般客が入る一階だけではなく、入り口から入るとすぐに二階(の個室?)へと上がって行く映像も見えたとfurafuranさんは言っておりました。 昼食後は、ボウネスから10キロほど北に離れたグラスミアに向かいました。 英国が生んだロマン主義の大詩人ワーズワース(1770~1850年)が最も愛した町で、彼が眠る場所でもあります。過去生ガイドの女性によると、私たちはこの町にも来ています。 このような町です。昔の家並みが残っていますね。 町の中をロゼイ川という小川が流れています。 洒落たカフェテリアが川沿いに建っていますね。「THE ROWAN TREE(ナナカマド)」と書かれています。この地方にはナナカマドが多く、たくさんの赤い実をつけていました。 この風景を見ている時です。小川の奥の方から聞いたこともないような甲高い動物の鳴き声が聞こえてきました。「キ」とか「ク」といった短い鳴き声です。何の鳴き声だろうと思っていると、furafuranさんが「聞いたことがある」と言います。そしてしばらく間をおいて、「あれはカラスよ」とガイドの女性が教えてくれたと言います。 「ええっ、あれがカラス!?」と私は思わず聞き返していました。あとで確認したら、鳴き声の主は本当にカラスでした。さすがにイギリスのカラスは、ちゃんと英語で鳴くわけですね(笑)。過去生ガイドの女性によると、私たちはグラスミアが大好きで、よく散策したようです。この遠くに見える屋敷の方角へ向かって馬車を走らせている光景も見えるとfurafuranさんは言っておりました。それは私が好きな景色でもあります。おそらく当時の私も好きだったはずです。微かにそのような映像が浮かびます。 この湖水地方の湖こそ、furafuranさんが子供のときから夢で何度も見ている湖なんですね。「やっと見つけた」と彼女は嬉しそうに話しておりました。 (続く)
2024.02.27
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人目を憚らず、五分間くらい泣き続けたでしょうか。泣いている当の本人は、「もう、いい加減に泣き止んでくれ」と半ばあきれているのですが、私の脳の指令とは関係ない涙がどんどん流れていきます。一方、そんなことなどお構いなしに、その100年以上前の女性の話は続きます。 とにかく当時の「私」は「あの先には何があるんだろう」「この先には何があるんだろう」と、ズンズンと知らない道を進んで行ってしまうんだそうです(実はいまの私も同じです)。そしてあるときは、あの丘のところまで行ったのよ、とfurafuranさんを通じて教えてくれます。 その時撮影した丘の写真がこれです。 ちょっと曇っていますね。でも、船はぐんぐんと先へと進んでしまいますから、通り過ぎてしまう前に撮る必要があったのです。ところがその女性は、「まもなく日が当たるから焦らなくとも大丈夫」と言います。「えっ」と思いながらも、しばらく待っていると・・・ 確かに雲間から日が差し込み始めました。 そしてとうとう・・・ 丘全体に光が広がり・・・青空と丘を撮影することができました。本当に驚きました! 些細な事と思われるかもしれませんが、この「19世紀のイギリスの女性」は天気の変化を的確に読み取っているように思えたからです。 実は、この2009年のイギリス訪問以来、コロナ禍騒動が始まる直前の2019年までの11年間、私たちは毎年イギリスかアイルランドを訪れるようになったのですが、このイギリスの女性は訪問すれば必ず現れて、場所探しや天気予報、行動のタイミングについて助言をくれるようになりました。こんなに優秀なガイドさんは、ほかにいません。場所と時・タイミングを司る女神様です。 一番助かった思い出は、2011年5月13日に北アイルランドでおそらくもっとも有名なストーンサークルを調査にしに行ったときに起こりました。 ティローン州にある「Beaghmore Stone Circle(ベッフモア・ストーンサークル)」です。 何故有名かというと、多くのストーンサークルが並ぶ、ストーンサークルの見本市のような場所だからです。 見渡す限り石のリング(ストーンサークル)があるのですが、ちょうど上の写真を撮影した後、急に天候が悪化します。いつものガイドさんが「車の中に避難したほうがいい」と教えてくれるので、そのアドバイスに従って大雨になる前に車に退避しました。 その直後、ものすごい土砂降りに。 適切なアドバイスによって何とかずぶ濡れになるのは避けられましたが、これでは取材を諦めざるを得ない状況です。 ところが、私が取材継続を断念して「ああ、せっかく写真を撮れると思ったのに・・・」と言って次の場所へ移動しようとすると、ガイドさんが「一時間ぐらいで晴れるから、のんびり休んだら」と教えてくれます。 最初は「まさか、この雨が一時間で止むはずがない」と半信半疑でしたが、私もちょっと寝不足だったので、アドバイスを受け入れて車の中で昼寝と決め込みました。 50分ほどが経ったでしょうか。眠りから覚めると、ガイドさんの言うとおり、何と空が晴れ上がってきました。信じられないような激変です。さあ、撮影再開です。 同じ場所もほら、この通り。 青空が広がってきました。みるみる明るくなっていきます。色も鮮明になってきましたね。日差しの強い快晴状態。ここの遺跡には、三つのペアと一つの独立したサークルの計7つのストーンサークルが見つかっています。まさにリングだらけの状態。 車の中で待った甲斐がありました。 こんなに晴れてくれて、とてもありがたかったです。 これもイギリスで必ず現れるガイドさんお陰です。 (続く)
2024.02.26
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二人にとっては、初めての訪問地となる湖水地方のウィンダミア。これまでは私のfurafuranさんが不思議な体験をして、それを私が聞いたり、観察したり、もしくはただ傍観したりしていればよかったのですが、この日はそうは行きませんでした。そのきっかけをつくったのは、いつものようにfurafuranさんです。ウィンダミアにあるボウネスの町に入るや否や、「ここに来たことがある」と言い始めます。現在見ている町並みにダブって100年以上前の町の風景が見えてくると言うんですね。サイコメトリー的な能力ですね。しかも私も何度もこの町に来ていると言います。私にはその記憶がありません。これがそのボウネスの町です。ウィンダミア湖の遊覧観光ができる埠頭のある観光地で、18世紀からリゾート地として発展してきました。ここには、白鳥、ガチョウ、鴨など水鳥がたくさん集まって来ています。しばらく水辺で戯れる水鳥たちを観察した後、私たちもウィンダミア湖を遊覧します。上の写真の右手に見えるような船に乗り込みます。その間中も、furafuranさんは100年以上前のボウネスの町と現在の町の風景を二重に見続けており、昔はあの建物はなかった、昔はもっと上品で静かな町だった、あの最近できた建物は下品だ、などと言い続けています。例を挙げましょう。上の写真の右側の白い建物は、出港直前にボウネスにあるオールド・イングランド・ホテルを撮影したものです。furafuranさんによると、このホテルは100年以上前にもほぼ同じ形で存在していましたが、白い壁面はなく、それが気に入らない、となるようです。実はその「気に入らない」という感情は、furafuranさんがそう思っているのではなく、100年以上前に生きていた「furafuranさんの過去生の女性」がそう言っているんだそうです。つまり100年以上前のボウネスを知っている女性が、私たちをガイドツアーに連れ出してくれるわけです。船に乗ってからも、その女性は私たちをガイドしてくれました。船のどの辺りに乗ったほうがいいか、いろいろアドバイスしてくれます。私たちはそのアドバイスにしたがって、船の左側外デッキ後方に座りました。その女性によると、右側よりも左側の風景が面白いのだそうです。その左側には、のどかな丘陵の風景が広がっています。その女性によると、100年以上前の私は、子供のころから何度も(おそらく毎夏?)、このウィンダミアにあるボウネスを訪れていたのだそうです。どうやら別荘か何かがあったようです。furafuranさんも時々、この町には来ており、一緒に野山を散歩したそうです。当時の私はどんどん先に歩いていってしまって、ついて行くのが大変だったと笑います。それを聞いた私は、今も昔も変わらないなと苦笑しながら、「当時はご迷惑をおかけしました」とお詫びします。すると、その女性は「私も(歩くのが)好きだったから、なんでもないわ」とfurafuranさんを通じて答えるわけです。そして不思議なことは、船から丘陵の風景を見ていたときに起こりました。突然、私の目から涙がこぼれてきたんですね。同時に私がその場所やその女性が好きだったという思いが漠然と沸き起こります。私は自分に何が起こっているのかわからず、「一体どうしたことか」とfurafuranさんの目を見ます。その次の瞬間、私は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくってしまいました。長い人生、私だって人知れず泣いたことは何度もあります。でも、こんな風に人目をはばからず大泣きしたのは、小さいころ姉にいじめられて悔しくて泣き叫んだ以来です(笑)。それにしても、驚いたのはfurafuranさんや周りの人たちだったでしょう。今まで仲良く話し込んでいたカップルの片方がいきなり泣き出したわけですから、きっと別れ話を切り出されて私が泣いているに違いないと勘違いした人もいたのではないでしょうか。しかしながら、それ以上に驚いたのは、何で号泣しているかわからない私自身でした。頭ではまったく泣く理由が浮かばないんですね。つまり頭で考えて、悔しいとか、つらいとか、悲しいとか、うれしいとかを感じて泣いているのではないのです。脳からの指令ではなく、胸の奥底に眠っていた泉のようなところから涙がほとばしってくる感じです。それは止めることのできない、私の本体とも呼べる魂からの指令によって流れる涙でした・・・と、当時書いたものの、この体験を言葉で説明するのは、ほとんど不可能です。15年近く経った今でも難しいですが、あえて説明を試みてみましょう。一瞬、19世紀後半に生きた前世の私に触れたような感じがしたんです。その刹那、何とも言えない切ない感情のようなモノが一気に私の心に押し寄せてきました。私はあっけにとられると同時に、その未知の感情に圧倒されます。魂の琴線が、時空を超えて、響き合った瞬間です。すると、私の中にいる「過去の私」が、軽く嗚咽をしたかと思うと号泣し始めました。周りの人もfurafuranさんも驚いたと思いますが、実は一番驚いているのは私でした。多分19世紀の私の人生では、泣き足らないような出来事があったのでしょう。今の私の心を借りて、号泣している、そのように感じました。(続く)
2024.02.25
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「MARLOWES RESTAURANT」の入り口付近。歴史ある「マーローズ・レストラン」で食事をしている最中、furafuranさんが梁の少し下の、一緒に旅行(2009年の旅は団体旅行でした)していた女性の頭上に、見えるはずのないロウソクの列を見てしまいます。「見えるはずのない」というのは、物質的には存在していないのに、そこに映像を見てしまったからですね。十把一絡げに幻視とされてしまう傾向がありますが、サイコメトリーや霊視といった能力で見えてしまう場合も多いのではないかと思われます。私が小学生のときにジャンケンで相手が何を出すかという映像が見えてしまったのも、一種の霊視やサイコメトリーと言えなくはないですが、私はそれほどこの能力が強いわけではありません。秋山氏を見ていると、そう思います。秋山氏はオーブにアクセスして情報を映像化したり、会話したりすることができますからね。よく残留思念をキャッチして遊んでいるように思われます。その日は午前中のバスの中でも、16世紀のエリザベス朝時代のような古い服を着た女の人がその同じ女性のそばに立っているのをfurafuranさんが見ていますから、彼女の霊能アンテナはこの日絶好調でしたね。おそらく、その女性とレストランとエリザベス朝時代には、なにか他生の因縁があったのではないでしょうか。直接お話はしませんでしたが、ご本人もきっと何か感じるモノがあったはずです。 もうひとつ不思議なことは、当時ある種のベジタリアンでお肉を食べなかった私たちがレストランでソーセージを残したときから始まりました。furafuranさんが急に肩が重くなったと言い出したことです。お肉料理を残したことに不満を持つエネルギーがあったのでしょうか。そのfurafuranさんの肩の重さは、先にご紹介した俳優養成学校を経営していたデン・ギルクス(DENNE GILKES)女史についての説明(レストランの壁に写真付きで掲示されていました)を読むまで続いたそうですから、おそらくギルクス女史(1889-1972)が「マーローズ・レストランのもてなしが気に入らないのか」という不満を伝えたかったのかもしれません。furafuranさんと私は、ただお肉を食べないのだという旨をギルクス女史に心の中で伝え、「もてなし」に感謝して、レストランを後にしたのでした。 この日(8月26日)の午後は、ブロンテ三姉妹が暮らしでいたハワースを訪れました。『嵐が丘』『ジェーン・エア』などの作品で知られる、あのブロンテ姉妹ですね。ここでのハイライトは、なんと言ってもヒースの花が一面に咲いていたことでしょうか。バスの移動中に見たので残念ながら写真はありませんが、「嵐が丘」さながらの荒野のいたるところに赤紫色のヒースが咲き誇っておりました。そのヒースの丘の上にハワースの街があります。 ハワース教区教会(ハワース・パリッシュ・チャーチ)。ブロンテ三姉妹の父パトリック牧師が勤めていた 小さな教会です。塔以外は、当時の建物ではないそうです。スカーボロに埋葬されたアンを除いて、ブロンテ一家はここの教会の敷地に埋葬されています。ブロンテ牧師館博物館(Brontë Parsonage Museum)。ブロンテ姉妹として知られるシャーロット、エミリー、アンに敬意を表してブロンテ協会によって維持されている作家の家を保存した記念博物館です。ブロンテ一家が1820年から1861年まで住んでいました。翌27日は多くの湖が点在する、風光明媚な湖水地方へと向かいました。英国旅行が初めてというfurafuranさんはもちろん、私も訪れたことがない地方です。前日下り坂となって心配された天気ですが、何とか持ちこたえてくれたようです。 この湖水地方でも、不思議な出来事が起こります。私にとっては、かなり衝撃的な体験でした。(続く)
2024.02.24
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2009年のイギリスの旅を続けましょう。 その後、バースの市内観光、かわいらしい田舎町が点在するコッツウォルズ、その中でも「最も古い家並みが保存されている村」キャッスル・クームやバイブリーという村々を訪れましたが、何も不思議なことは起こりませんでした。 写真だけご紹介します。 バースの街中。バースの中心地からは少し北西に離れたところにあるロイヤル・クレッセント。 ずいぶん豪華な建物です。1767~74年に建てられた三日月(クレッセント)形の建物で、30世帯が暮らせる「高級長屋」だったようです。現在は金持ちの居住用のほか一部博物館やホテルになっていると書かれておりました。 キャッスル・クーム。次に不思議なことが起きたのは、翌8月26日、シェイクスピアの生まれた町として知られるストラットフォード・アポン・エイボンでのことでした。 まず、郊外にあるシェイクスピアの妻アン・ハザウェイが結婚前に家族と暮らしていた家を見学。 2人が結婚したのは1582年、シェイクスピアが18歳でアンが26歳のときだったそうです。8歳上の姉さん女房ですね。ハザウェイ家はとても大きな農家で、家はチューダー朝建築を代表する建物だったと書かれていました。庭には、クリーム色の薔薇が綺麗に咲いておりました。アン・ハザウェイの家は町の郊外にありましたが、シェイクスピアが生まれたという家はストラットフォード・アポン・エイボンの街中にあります。 かなり裕福な家の生まれだったようですね。ご覧のようにこの日は小雨が降っておりました。 ロイヤル・シェイクスピア・シアターのそばにあるバンクロフト・ガーデンには、シェイクスピアの像が建っておりました。次は悩めるハムレット。 ロダンの「考える人」のようですえ。エイボン川のほとりでは鴨さんたちが休んでおりました。お昼を食べたレストランもなかなか歴史を感じさせる建物でした。 このレストランの名前はマーローズ・レストラン(MARLOWES RESTAURANT)。MARLOWEと言えば、シェイクスピアと同時代を生きた大学出の秀才劇作家クリストファー・マーロー(カンタベリー出身)が思い浮かびますね。この建物の歴史を読むと、実際にクリストファー・マーローの父親と縁があったと書かれています。16世紀半ばからいろいろな使われ方をしてきて、18世紀になって初めて宿屋・酒場となりました。その後宿屋は、ローヤルシェイクスピア劇団とも関係が深くなり、部屋のいくつかは俳優養成学校として使われ。多くの俳優を排出したようです。 そのような歴史あるレストランだったからでしょうか。furafuranさんが幻視的な体験をします。(続く)
2024.02.23
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バースのローマ風呂遺跡の丸い泉で撮影した最後の5枚目の写真も紹介しておきましょう。こちらです。ここには一つも写っていないように見えますが、もうちょっとコントラストを強めると微かに見えてきます。それにしても、トルコ石やトパーズの宝石をちりばめたような泉ですね。これでもわかりずらいですが、オーブらしきものが、かすかに3、4個ほど写っているのが辛うじてわかります。でも、ほとんどコントラストを変えないと浮き上がってこないくらいのレベルです。三つだけご紹介しましょう。これは泉の左側にいた小さいけれど比較的はっきりしたオーブです。次は泉の右の下の方に写っていたオーブ。微かに丸い光の輪郭が写っています。もう一つはこれ。泉の右上に写っていたオーブ。このぐらい稀薄だと、物理的に気づくのは不可能に近いと思われます。これもオーブ出現の一つの傾向・パターンです。最初はチラホラと薄く、淡く現れて、やがて輝度が増して乱舞。そして次第に少なくなり、淡く薄くなって消えていきます。前にも話したことがありますが、今から10年以上前、神奈川県の葉山で地元の人たちがフラダンスの練習をしているときに、あるハワイアンの曲が流れた途端にオーブがぽつぽつと現れ、やがてその数が増えて乱舞。その曲の間中、まるでミラーボールのように多数のオーブが動き回っているビデオを練習参加者から見せてもらったことがあります。その時も、曲の真ん中あたりで無数のオーブが乱舞して、曲が終わりに近づくと数が減っていき、曲が終わるとパタッといなくなるという現象が捉えられていました。本当に面白い現象です。2012年7月に音楽家の瀬戸龍介さん宅で開かれた観測会でUFOが乱舞したときも、同じようなパターンで出現しておりました。出現している間は、まるで祭りか宴のような雰囲気となります。そしてやがて興奮も収まり、静かに去っていきます。これが典型的な超常現象の出方です。まるで二つの異なる世界が遭遇して、濃く重なって、やがてお互いが離れていくというような現象の起こり方をします。あとには、祭りや宴の後のような静けさだけが残ります。ところで、フラダンスのビデオでは、あんなにたくさんのオーブが乱舞しているのに、踊っている人たちや周りにいる人たちは、後でビデオを見るまで、まったくそれに気づいていませんでした。オーブはある意味、それほど繊細で気づきづらいものなのです。素粒子のように壁や人間を通り抜け、しかもかなり素早く動き回りますから、あると思って意識しないと全く気付かないんですね。(続く)
2024.02.22
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4枚目の写真には、このように判別できる5つのオーブが写っていたわけです。さて、ここで面白いと思ったのは、furafuranさんがおそらく19世紀後半、仲間5人でこのバースのローマ風呂の遺跡を訪れたと話していたことです。5つのオーブと奇しくも数が一致しますね。思い出されるのは、前年(2008年5月)の位山登山の際、霊峰の守り人の都竹昭雄氏が光岩のところで写ったオーブについてお筆先をしたら、「(位山でご神事をしていた過去生において光岩で祈ったときの布施の)エネルギー」という回答を得たことです。私はこの回答を都竹さんから聞くまで、オーブが過去生の自分のエネルギーであった可能性があるなどと言う考えは想像をしたこともありませんでした。もしこのお筆先の回答が本当だとしたら、あくまでも可能性の話ですが、19世紀後半にfurafuranさんや私を含む5人がローマ風呂の遺跡で残した残留思念のようなものが、21世紀前半にfurafuranさんと私が約百数十年ぶりに同じ遺跡を訪れたことによって、時間を超えた共鳴現象を起こして出現、カメラに収められたのかもしれません。秋山氏はよく、霊界因子とも呼べるオーブにアクセスすると、オーブの情報が視覚化したり、対話したりできるようになるのだと話しています。そう考えると、furafuranさんがなぜ、この場所に来たときに、今まで知るはずもなかった「ほかの3人」を克明に描写することができたかも理解できますね。彼女がその場所に浮遊していた3人の情報が詰まった霊界因子にアクセスしたから当時の3人の姿を思い浮かべることができた、と。furafuranさんはこの時、「その時の仲間はおそらくみな、いつか『薔薇を愛でる会』(私が主催するオフ会)に来ることになると思います」とも言っていました。それを聞いた時私は、furafuranさんが言っていた「金髪の長い髪を後ろにひとつで結び、すみれ色の瞳をした華奢な感じの男性」に心当たりがありました。何となく晴美鳥さんを思い浮かべたんですね。「皮のケースが付いた蛇腹のカメラと三脚を駆使して、写真を撮っていた」という部分でも、晴美鳥さんがぴったり当てはまると感じました。あくまでも私の印象ですけどね。私が先日、閃いた言葉とも符合します。「未来の自分と共鳴させることにより、未来を知ることができる」「未来」を「過去」に置き換えると、次のようになります。「過去の自分と共鳴させることにより、過去(生)を知ることができる」これこそ、この旅の大きなテーマの一つだったことが、この後の体験で痛感させられます。(続く)
2024.02.21
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それでは、4枚目に写った5つのオーブを見てゆきましょう。4枚目の写真はこちらです。パッと見ただけでも、泉の上に三つのオーブが浮遊しているのがわかりますね。一番大きな左の泉の縁にいるオーブがこちら。しっかりした形が浮き出ています。右下には、大きさはそれよりも小さいですが、比較的はっきりしたオーブが見受けられます。上の写真のオーブの左斜め下には、さらに小さいですが、判別可能なオーブがいます。それがこちら。四つ目は、小さいですが一番輝度があるオーブ。写真右上の泉の縁で光っています。最後は一番わかりずらいと思いますが、上の4番目オーブと2番目に紹介したオーブの中間あたりに薄っすらと現れています。さらに薄いオーブもちらほら写っているようですが、判別が難しいので割愛いたします。(続く)
2024.02.20
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昨日の最後の写真を見て、一体どこにオーブが写っているのかと訝った人も多かったと思います。 実はそうなんです。オーブはそれほどひっそりと気づかれないように存在しています。 スキューバ・ダイビングで、擬態している海中生物を見つけるのが難しいのと同じです。しかし、経験を重ねて慣れると見分けることができるようになるんですね。つまり、こういう場所にはこういう生物が隠れていると意識することによって、見つけることができるようになるわけです。 オーブも見方さえ覚えてしまえば、肉眼でも見えるようになります。 まさかと思われるかもしれませんが、意識すれば見えるのです。 そういう私も、初めて肉眼でオーブを見たときはびっくりしました。 いつか詳しくお話ししますが、とある劇場で直径1~2メートルはあろうかという巨大オーブが浮遊していることに休憩時間中に気づきました。スポットライトなどの光源があるわけではなく、ただうっすらと、ほぼ透明な淡い光の玉として、幕間に降りていた幕の上の方を行ったり来たりしていました。幕にスポットライトが当たっているのであれば、幕の表面を光が行ったり来たりするはずですが、これは全く違います。幕の手前の宙空を天井の方へ昇ったり下降したり、左右上下自由自在に動いておりました。 その時思ったことは、「なぜこんなにも大きなオーブが浮遊しているのに、ほかの観客は驚いて騒ぎ出さないのだろうか」という疑問でした。 その答えは簡単です。見た経験がないし、そんなものがいるはずがないと思い込んでいるから、気づかないだけなのです。隣にいたfurafuranさんも同じものを見ていますから、目の錯覚ではありません。 劇場内撮影禁止だったので写真はありませんが、もし撮影していたら間違いなく写っていたはずです。 それでは、ローマ風呂の遺跡で写ったオーブの写真を詳しくみてゆきましょう。 同じ場所で5枚写真を撮ったのですが、そのうち4枚にオーブが写っておりました。 昨日紹介したのは、最初の一枚です。よく見ると、左やや下方にうっすらとした透明な光りが見えます(右下の青い光は、光源を持つ人工的な光です。水面に映った太陽の反射光だと思われます)。いつものように、コントラストを強めながら写真を拡大してみましょう。こちらです。これでようやくわかりますね。泉の手前の空間に浮遊していたオーブです。写真でもこれだけわかりずらいわけですから、肉眼ではほとんど気づかないレベルだと思われます。次の一枚。この二牧目の写真には、オーブらしきものは写っておりませんでした。その理由は、ご覧のように水面に雲から顔を出した太陽の光が差し込んでいるからだと思われます。太陽の光のほうが、オーブたちが放つ光よりもはるかに強いので、溶け込んで見えなくなってしまうわけです。青魚が海中の青さに溶け込んで見えなくなるのと同じ理屈ですね。そして、太陽が雲に隠れて光が弱まると、再び見えるようになります。こちらが三枚目の写真です。これはよくわかりますね。右上に出ています。拡大すると・・・複雑な構造を持ったオーブであることがよくわかります。3枚目には、ほかに少なくとも二つのオーブが写り込んでいたので、それをご紹介しておきましょう。これは小さいですが、かなり実体化していますね。こちらは、大きさはまあまあるのですが、稀薄な状態で写り込んだオーブです。目視することは、ほとんどできないのではないかと思います。そして、四枚目の写真には何と5つのオーブがはっきりと写り込んでいました。(続く)
2024.02.19
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ローマン・バスは紀元前一世紀にローマ人によって建てられた公共大浴場。当時バースの町は古代の一大保養地として知られていました。そして、こちらがそのローマ風呂跡です。右上に写っている広場には、近年になって観光用に彫られたローマ人の彫像とバース大修道院が見えています。手前にある彫像、大修道院、ローマ風呂を一枚の写真に収めます。と、すっかり観光気分に浸っていたのですが、再びfurafuranさんに異変が起こります。ローマン・バス(ローマ風呂)の遺跡を階上の窓から見ているときでした。彼女が「ここに来たことがある」と言い出します。私がひょいっと窓から外を覗いた光景が、100年以上前とみられる当時の私とダブって見えたというんですね。当時も同じ仕草で窓から同じ遺跡をひょいっと覗いていたというんです。窓はこのような窓です。覗いていた遺跡はこちらです。後で調べたら、確かにこのローマ風呂のあるバースという町は、18世紀ごろから上流階級の保養地として栄えていたそうですから、100年くらい前にイギリスで暮らしていたのなら、バースの町に観光に来た可能性はあります。さらにfurafuranさんはこんなことを言います。「ここにはみんなで来ている」と。furafuranさんが見た「みんな」とは、こんな方々です。金髪の長い髪を後ろにひとつで結び、すみれ色の瞳をした華奢な感じの男性。この男性はあまり口数は多くなかったのですが、思慮深く面白い方だったといいます。そして当時としては最新の、皮のケースが付いた蛇腹のカメラと三脚を駆使して、写真を撮っていたそうです。このほかに、当時の最先端流行スタイルに身を包んだ男性と女性がいました。その男性はとても裕福な家の出身らしく、前髪を真ん中でわけていて、髪はウェーブがかかり、肩までたれていたようです。男性の中では一番都会的でおしゃれだったと言います。furafuranさんが見た映像が正しいとすると、どうやら私たちを含め男性3人、女性2人の最低でも計5人の仲間で、19世紀後半ごろ、この貴族の保養地であるバースに遊びに来ていたことになります。このローマ大浴場の遺跡は、アルプス以北では最も保存状態のよいローマ遺跡とされているそうです。これは施設内部の水路。確かに今でも使えるぐらい、非常に保存状態がよいみたいですね。中世の間は大浴場の大部分は埋もれていましたが、19世紀末の発見によって再び脚光を浴びるようになったとガイドブックに書かれています。過去生の私たち一行は、そのようなときにこの遺跡を訪れたのでしょうか。さらに不思議なことが続きました。大浴場の遺跡を見ているときに、furafuranさんが「足が重くなった」と言い始めます。どうしたのかと聞くと、どうやら大昔(ローマ帝国時代?)の兵士の想念をキャッチしたようで、その兵士は膝から下を痛めており、この温泉でのんびりしたいと思っている感じだったと言います(これはその場所や物に残っている残留思念を読み取るサイコメトリーという能力ですね)。なるほど、この保養地はローマ帝国時代から多くの人が集まる一大保養地でしたから、戦争などで傷ついた兵士が傷を治すために訪れたこともあったのでしょう。そしてfurafuranさんが見つけた、この遺跡で一番澄んだ心地のする場所がこちらです。大浴場で最も神聖な場所とも考えられている冷泉風呂です。癒しの力をもつミネルバ神(ギリシャ神話のアテナと同一視される知恵と工芸、戦いの女神)を祭ったとみられる泉で、一般の人間が入ることは禁じられていたとの見方もあるようです。左下あたりにオーブらしきものも写っていますね。次回はこのオーブをじっくりと見て行きましょう。(続く)
2024.02.18
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その日はその後、イギリスの海の玄関口ドーバーや、昔の家並みが残るライの町を見学しました。そこでは何も不思議なことは起こりませんでした。ただ私にとっては、30年近く前の留学中に冬休みや春休みを使って、そこからフェリーでヨーロッパに渡った港町ドーバーや、夏休み中に立ち寄った微かな記憶が起こるライの町がとても懐かしく感じられました。過ぎ去りし青春の思い出です。翌8月25日午前の英国の空。龍雲が出ていますね。でもさすがは英国。龍と言ってもドラゴンのような形の雲に見えます。こちらはさしずめ鳳凰雲でしょうか。英国流に言えばフェニックス(不死鳥)の雲。ちょっと羽根が短めですね。この日は途中にわか雨も降りましたが、まずまずの天気。私たちはローマ時代の温泉の町バースへと向かいました。バースの町には、ケント大学在学中にテニスの試合で訪れたことがあります。当時の私は、大学テニス部の六人のレギュラー選手の一人で、英国大学テニス選手権の勝てばベスト16とその日はその後、イギリスの海の玄関口ドーバーや、昔の家並みが残るライの町を見学しました。そこでは何も不思議なことは起こりませんでした。ただ私にとっては、30年近く前の留学中に冬休みや春休みを使って、そこからフェリーでヨーロッパに渡った港町ドーバーや、夏休み中に立ち寄った微かな記憶が起こるライの町がとても懐かしく感じられました。過ぎ去りし青春の思い出です。翌8月25日午前の英国の空。龍雲が出ていますね。でもさすがは英国。龍と言ってもドラゴンのような形の雲に見えます。こちらはさしずめ鳳凰雲でしょうか。英国流に言えばフェニックス(不死鳥)の雲。ちょっと羽根が短めですね。この日は途中にわか雨も降りましたが、まずまずの天気。私たちはローマ時代の温泉の町バースへと向かいました。バースの町には、ケント大学在学中にテニスのアウェーの試合で訪れたことがあります。当時の私は、大学テニス部の六人のレギュラー選手の一人で、英国大学テニス選手権の勝てばベスト16とある試合でバース大学と戦ったのでした。私たちのチームは国際色豊かで、私はウェールズ出身のイアンと、アメリカ人の留学生デービッドがロンドン出身のグラハムと、ポーランド出身のマシューがイングランド人のポールとそれぞれダブルスを組んでいました。ダブルスだけの試合で、双方3ペアによる総当り方式。私はイアンとダブルスを組んで相手のナンバー3を破ればいいという役割でした。そして試合結果は、私たちのペアが1勝2敗、他の2ペアが2勝1敗の合計5勝4敗でケント大学の勝ちとなりました。私たちは続くダラム大学との試合にも5勝4敗で勝利。全英大学クラブ選手権のベスト8に進んだのですが、準々決勝でロンドン大学に破れ、そのシーズンを終わりました。そのバースの写真です。写真の建物は史上初の統一イングランド王となったエドガー王が993年に戴冠式を行った教会であるバース・アビー(バース大修道院)。そのバース大修道院に隣接しているのが、紀元前1世紀にローマ人によって建てられた大浴場ローマン・バスです。この場所でも不思議な現象が起こりました。(続く)
2024.02.17
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カンタベリー大聖堂を訪問したその日一番の不思議な出来事は次のようなものでした。私が聖堂内の聖トマスの聖所を写真撮影した直後(カメラの記録によると2分後)、furafuranさんが近くの柱と柱の間に、青とピンクの光が閃光のように走ったというんですね。私がそちらのほうを見たときには、もうそのような光は見えませんでした。だれかがカメラのフラッシュを焚いたのかもしれないと思って、柱の反対側も見ましたが、そのあたりにはだれも人はいませんでした。何だったのだろうといぶかりつつも見学を続けていると、今度は彼女が、鹿が描かれた壁画が気になるので写真を撮ってほしいと突然私に言います。言われたとおりに写真を撮って確認すると、何と鹿の頭のそばにオーブらしきものが写っています。こちらの写真ですね。私はフラッシュの反射だと思われるのが嫌だったので、間髪を入れずに同じ条件で同じ壁画を撮影しました。それがこちら。同じ条件なのに、上の写真には写っていません。最初の一枚には、写るはずがない光が写っていたわけです。では、その写っていたオーブを拡大してみましょう。このオーブとみられる光には構造があることがわかりますね。中核にある明るい丸い光体を包むように、より薄い光がシールドのように覆っているのが見えます。オーブのオーラでしょうか。また、カメラのフラッシュの反射と違って光は拡散されておらず、感覚的には鈍くその中空にとどまっている感じを受けます。つまり反射でなく、自らが光源となって輝いている可能性が高いことがわかるんですね。furafuranさんが鹿の絵のところに何か居るのを感じ取って、私に撮影させたことも注目すべき点です。今から思うと、furafuranさんが見た「青とピンクの光の閃光」は、オーブを写させるために、私たちを誘導する光だったのではないでしょうか。昨日取れた正体不明の物質化した光もよく見ると、青とピンク色に見えますから、偶然ではなかったようです。オーブは、明らかに意図的に鹿の絵を撮影させています。で、その鹿の頭の部分をよく見ると、角と角の間に妖精のような生き物が描かれていることに気づきますね。秋山氏によると、これは森の女神のような存在で、鹿はその女神の使いであるといいます。女神をみて驚いている人間と、その視線の先の女神との間にオーブが写り込むことによって、自分(オーブ)が神霊界と物質界をつなぐ案内役であることを暗に示しているのではないか、とのことでした。鹿の壁画にオーブとみられる光が写る前までは、furafuranさんの肩は何かにずっしりと上から押されているように重かったのだそうです。ところがあの写真を撮った後は、重さが消えて、すっきりしたのだと彼女は言います。自分の存在に気づいてくれたので、この日の目的を達したオーブはとりあえず離れていったのだと解釈できます。(続く)
2024.02.16
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イギリスに着いてから、おそらくfurafuranさんは今まで以上に感覚が研ぎ澄まされてきたのだと思われます。いくつかの特別な能力が開花したんですね。その一つが、このデジャヴュ(既視体験)と見られる現象が発生すると、実際にその時(過去生)の情景が映画の映像を巻き戻すように動画で見えてしまうという能力です。今回は、おそらく19世紀のイギリスで大聖堂の大回廊を見た時の映像がフラッシュバックして見えたわけですね。大回廊を見た後、私たちは地下聖堂へと降りていきました。そして大聖堂が所蔵する宝石類や銀食器などが陳列されている場所に来たときのことです。再びfurafuranさんに不思議なことが起こります。その陳列されている銀食器をずいぶん昔に磨いていた十代の少年の感情が飛び込んできてしまったというですね。それはとても悲しい感情で、どこかに帰りたい、ここは私のいる場所じゃないと、その少年は思っていたと彼女は言います。これはいわゆるサイコメトリーという能力ですね。物体に触れたり、見たりするだけで、その物体に霊的に付着した関連情報を読み取ることができる能力です。秋山氏もしょっちゅうこの能力を使っています。furafuranさんによると、ほかにも様々な悲しみなどの感情が展示品に付着しているようでした。この大聖堂には、公になっていない物語がいろいろあったのでしょうね。地下聖堂を離れて裏庭に出ると、こんなところもありました。そこは墓地のような場所で、近くには上のような綺麗な黄色い薔薇が咲いておりました。再び大聖堂の内部に戻ります。そこでこの日最初の不思議な写真を撮ることになります。聖歌隊席へと続く入り口を写したものですが、オーブのような靄がかかっているように見えます。過去と現在が交錯する入り口だったりして。そして次の撮ったのがこちら。聖トマスの聖所の方向を写した写真です。左下のほうの柱のそばにオーブらしきものが写っていることがわかるでしょうか。コントラストを強くして、拡大してみましょう。間違いなく、霊的な誰かが来ていますね。もう一つ、何かわかりませんが、通路の真ん中に立っている人の足下に光る物体が写っていたので、それも拡大してみます。まるで宝石のように光っていますが、判定不能です。かなり物質化したものだと思われます。足下を照らすライトかとも思ったのですが、同じ場所を直前に撮った写真をみても、そこには何もありません。不思議です。結構、怪しげな雰囲気になってきましたね。そしてこの後、この日一番の不思議なことが起こります。(続く)
2024.02.15
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まずは、カンタベリー大聖堂の中をご案内いたしましょう。内部はこんなところです。天井もゴシック建築だけあって豪華(ゴチャゴチャ?)ですね。ステンドグラスも綺麗です。このような大聖堂の中を、私はfurafuranさんと一緒に歩いて見学しておりました。身廊(教会堂の入り口から祭壇にかけての中央部分)を通って、トーマス・ベケットが殉教した(暗殺された)という場所を見た後、2人で何気に外の大回廊を見たときです。急にfurafuranさんがその景色を見たことがあると言い出します。私は以前、この場所を訪れていますが、furafuranさんは初めてのはずです。でも彼女は、この柱と柱の間のこの場所から同じ風景を2人で見たというんですね。時は19世紀後半から20世紀初めにかけての時代。テレパシー実験の副産物として、私たちには当時のイギリスにいたという、かすかな「前世の記憶」があります。私はほとんど断片的にしか見ていないのですが、当時のfurafuranさんとみられる女性が古めかしい(19世紀?の)洋服を着てピアノを弾いている場面(私にしては珍しく、彼女の顔もはっきりと見ているんですね)と、その家の階段の上の壁にかけられた彼女の父親とみられる肖像画、それに2人で自転車に乗って外出し、原っぱのような場所でじゃれ合っている場面です。頭陀袋にテニスラケットを入れて、自転車で原っぱを超えてテニスコートに向かう光景も、この時代のことです。furafuranさんはもっとたくさんの映像を見ています。時代や場所ははっきりしませんが、映像の中の服装や雰囲気から19世紀後半から20世紀初頭のイギリスではないかと推察しています。本当にそのような前世があったのか、イギリスを2人で旅すれば、もっと詳しいことがわかると思ったんですね。さて、furafuranさんが見たことがあるという光景の説明に戻りましょう。そのとき彼女が見た映像というのは、当時の彼女が見ている光景をいまの彼女がそのまま見ているという感覚だそうです。近くに当時の私がいて、同じ場所から2人で覗いていたという感じがあり、実際にそのときの映像が現在見ている映像とダブります。いまは変わってしまっていても、昔はそこに何があったかがわかるという場面もあるようです。furafuranさんは自分の姿もわかっていて、当時彼女は、エンジ紫色のツイードのジャケットに、首の上のほうまで高さのあるフリルの付いた白いブラウス(楕円形で縁飾りが付いたサファイアブルーのブローチ付き)、ジャケットより少し濃い目の色のロングスカート、そして小さい帽子も被っていて、やはりエンジ色だったそうです。にわかには信じられない話かもしれませんが、そのようなデジャヴュ(既視体験)のような映像が実際に見えてしまうことがあるわけですね。私はfurafuranさんが言うとおりに、昔2人で見ていたという柱と柱の間から、大回廊とその建物を撮影しました。それが次の写真です。(続く)
2024.02.14
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今日も朝から忙しかったので、写真ブログです。今日ご紹介する写真は、昨日(12日)に撮影した三日月です。中央付近に出ている白い点がお月様ですね。日没直後に西の空に姿を現わしました。拡大すると・・・月が欠けて暗くなっている部分が、うっすらと見えていますね。これは地球照といって、地球(の雲や氷冠や海)で反射した太陽光が、月面を照らすことによって生じる現象です。レオナルド・ダ・ヴィンチが発見したことから「ダ・ヴィンチの輝き」とも呼ばれているとか。更に拡大。かすかに模様も見えていますね。明日15日は、三日月のすぐ上に木星を見ることができるとのことです。明日は再びオカルト人生のブログに戻ります。
2024.02.13
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2009年8月23日の夕方、ロンドンのヒースロー空港に到着。furafuranさんにとっては初めて、私にとってはケント大学留学以来、実に28年ぶり3度目となるイギリス訪問となりました。28年ぶりと言っても、経済部の財研(旧大蔵省記者クラブ)担当だった1994年にIMF・世銀総会の取材でスペインのマドリッドを訪れたときに、行きか帰りに経由地としてヒースロー空港に立ち寄ったことはありましたが、訪問にはカウントされませんね。それでも空港の売店で聞いたイギリス英語は、とても懐かしく感じたのを覚えています。翌24日の最初の訪問地は、私が留学時代を過ごしたカンタベリーでした。カンタベリーの街中はこんなところです。大聖堂のある観光地として栄えていますが、まだ昔の町並みが少し残っていますね。28年前にスコーンとお茶をいただいた、水路のそばのお店も残っていました。それにしても混んでいますね。28年前はこんなには混んでおりませんでした。これもカンタベリー大聖堂が世界遺産に登録されたためでしょうか。カンタベリーには元々、ローマカトリックがイングランドの布教活動の中心として大司教座を6世紀ごろから置いていました。ところが、やがてイングランド国王と大司教は対立するようになり、12世紀には国王ヘンリー2世の部下が、当時の大司教トーマス・ベケットを暗殺するという事件が起こります。暗殺事件の後、人々はベケットを殉教者として崇め、国王の評判は地に落ちます。窮地に追い込まれたヘンリー2世は裸足に粗末な服装をして街中を歩き、懺悔せざるを得なかったそうです。当時はまだローマ教皇の力が強かったんですね。それでも16世紀になって英国国教会が設立されローマカトリックと決別すると、カンタベリー大聖堂は、今度は英国国教会の総本山となったのでした。カンタベリー大聖堂への入り口となっているクライスト・チャーチ・ゲートです。そしてこれが、その大聖堂。空に向かって聳え立っていますね。丘の上にある大学のキャンパスから、毎日遠くに見ていた大聖堂です。その英国最初の訪問地であるカンタベリー大聖堂の中で、早くも不思議な出来事が起こりました。(続く)
2024.02.12
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易でいうと表面を美しく飾る「火(離)」の性質を四つのうち三つ持つ私にとって、火の対極にあるオカルト的な掘り下げる性質を持つ「水(坎)」は、ちょっと厄介で苦手な卦でもあります。しかし、封印が解かれたからには、そう言ってもいられません。バランスを取るためには、対極にあるオカルトの要素を自分の中に取り込む必要もありました。そこで、2009年は自分のオカルト的能力や前世を深く掘り下げることにしたんですね。よくやったのは、オーラを見る実験です。秋山氏にやり方を聞いて、無地の壁や空を背景にして自分の手のオーラを見る練習をたくさんやりました。確かに手の周りに一回り大きなグローブのような輪郭が現れます。これがオーラかどうかわかりませんが、時々色がついたり大きくなったりするので、もしかしたらオーラなのかもしれません。そのとき使ったテクニックが、小学生のときに成功したジャンケンするときに、まるで漫画の吹き出しのように相手の頭のすぐ上に現れる映像を見た時の「心の状態」にすることです。簡単に説明すると、欲望的なことは何も考えずに(つまり我欲を排除して)ボーっと、物質への焦点を少しずらして見る方法です。この練習をたくさんやったことによって、後にオーブが肉眼でも見ることができるようになりました。オーブなら、まず見たのと同じように写真に写りますから、錯覚ではないという確認も取れるわけです。後述しますが、その能力はその年の暮れに開花しました。もう一つ力を入れたのは、自分の前世を調べる旅に出ることでした。最初に選んだのは、19世紀のイギリスの前世。同年8月、一緒にテレパシー実験をしたfurafuranさんと一緒に、私たちの前世を訪ねるイギリスの旅に出発しました。(続く)
2024.02.11
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7月21日に起きた大山での「未知との遭遇」は、非常によくできた寓話のようでした。着目すべきは、この約一か月前の6月24日に爬虫類・恐竜から進化した宇宙人のペルと、熊や鹿、犬など哺乳類から進化した宇宙人ゲルのとの間の「宇宙的和解」があったとされ、さらにその一か月前の5月24~25日に位山と天柱石での「ご神事」があったことです。お寺や神社でUFO遭遇とは、神霊界と宇宙界の和合にふさわしい象徴的事象といえるのではないでしょうか。しかも、大山で初めて野生の鹿と遭遇し、犬が知らせるように大山寺の屋根の上に出ているUFOの写真撮影を手伝ってくれています。犬も鹿もゲルの象徴としての現れです。そして二つのオーブを撮影した石彫がカエルだとしたら、カエルは爬虫類ではありませんがペルはよく河童にたとえられることから、両生類もペルの象徴として捉えることが可能です。子供のころのなぞなぞで、こんなのがありました。太朗君が病院に行きました。途中、牛がモーと鳴き、チョウチョがひらひら飛んでいました。さて、太郎君は何の病気だったのでしょう。答えは、「モー」と「チョウ」なので盲腸。病床で櫛(苦と死)を落とす夢を見たから、重病の母親が助かったという話もありますからね。私たちはよくカエルが鳴くから「帰る」わけです。ゲルとペルの「和解」と「ご神事」はこうして完結するわけですね。こうした語呂合わせや駄洒落のような話は、シンクロニシティという現象に深くかかわっていることを後になって知ることになります。実は、私たちの周りで起きる現象は、シンクロニシティがもたらす兆しやシンボルで満ちています。そこから意味を汲み取れるかどうかが、この不思議な世界のカギなのです。で、大山の後、八月にびく石で妖精の写真を撮り、10月に龍神雲の乱舞を夕暮れの中で観測、さらに8月~12月までの4か月間のテレパシー実験によって、前世を深く思い出すというオカルト的事象が連続して発生したことになります。このように連鎖するのがシンクロニシティということもできます。2008年は、その年50歳になった私の人生の一大転換点となりました。それは執筆活動にも大きな影響を与えたことがすぐにわかります。2000年から2007年までの8年間に私が執筆した本は4冊にすぎませんでしたが、その後2008年から2023年の16年間に32冊本を出しました。オカルト的能力の封印が解かれていなかったら、著作はもっと少なかったのは明々白々の事実です。そもそも1年に0・5冊だった著作が、一年に2冊と4倍になったのは、尋常ではありません。その尋常ではない人生、すなわち怒涛のオカルト人生は、まさに2008年に始まったわけです。それでは、2009年以降のオカルト人生を詳しくみてゆきましょう。(続く)
2024.02.10
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大山で「未知との遭遇」をしていることに気づいたのは、このブログを書くために2008年に撮影した写真の整理をしているときでした。石(カエル?)の彫刻の上のところにうっすらとした小さなオーブが二つ写り込んでいるのを発見したんですね。 早速、拡大してコントラストを調整すると、浮き出てきました、謎のオーブが。 すごいでしょ。雨粒とか埃では、このように構造がある光の玉は撮れません。明らかに霊的、あるいは異次元的な物体が写っています。 2012年になって、このような写真が宇宙機(UFO)を撮影した時にも撮れることが判明しますが、この時もしこの光の玉に気づいていても、宇宙機だとは想像もしなかったでしょうね。 当時はそのような貴重な光体が写っているとは露知らず、下山を急ぎました。当時の日没はだいたい午後6時55分ごろでしたから、もう午後6時半を過ぎていたのではないかと思われます。 かなり暗くなってきておりました。 山麓にある大山寺まで下山したら、面白いことに、境内で茶黒の犬が出迎えてくれます。 子供のころ家で飼っていたジャックがこれに似た模様でした。ただし、出迎えてくれたといっても、やたらと吠えて、私の気を引こうとするんですね。 何か伝えたいことがあるのかと思って近づくと、吠えながら逃げます。遠ざかると吠えながら近づきます。仕方無しに追い立てられるように階段を下り始めたのですが、振り返ると茶黒犬君は階段の上まで「お見送り」をしてくれていました。そのときの光景が面白かったので写真にパチリ。大山寺の「狛犬君」のポーズ写真です。ところが後で不思議なことに気付きました。大山寺本堂の上に満月のような光の玉が写っていたんですね。 コントラストを強めて、拡大してみましょう。 構造を持った球体状の物体であることがわかりますね。 太陽はすでに沈んでいますから、太陽ではありません。照明装置ではなかったことも確認しています。月の可能性もありましたが、この日は満月ではありませんでしたし、望遠で撮ったのならともかく、当時の私のカメラではこのように大きくは写りません。そもそも、この日は霧が濃くて、仮に満月だったとしても、このように丸くはっきりとは写るはずがないですね。 当時の私は、先ほどの二つのオーブには気づきませんでしたが、目ざとくこの本堂の屋根の上の光体には気づきました。 早速、秋山氏に鑑定してもらったら、20センチくらいの偵察用のUFOで間違いないとのことでした。 神代文字が刻まれた石のところに現れた大小二つのオーブは物質化化する前のUFOであるとすると、屋根の上の光体は実体化した後のUFOである可能性が高いことが、2012年のUFO観測会で明らかになります。 (続く)
2024.02.09
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書き忘れましたが、宇宙的な和解があったとされる2008年6月24日から一か月ほどが過ぎた7月21日、私自身も「未知との遭遇」を体験しておりました。この日の午後、なぜか急に大山登山を思い立ち、珍しく午後1時過ぎくらいに家を出て、大山山頂を目指しました。 小田急線秦野駅からバスに乗れば、50分ほどで大山中腹のヤビツ峠まで行くことができます。峠に到着した時、時計はすでに午後3時40分を指していました。 そこから大山山頂(標高1251メートル)まで登ること約1時間。霧に包まれた山頂には、大山阿夫利神社の奥社がありました。山頂でエネルギー補充のため一休みします。登り切ったので、後は下るだけ。 午後5時に山頂を出発。今度は見晴台経由で大山阿夫利神社下社を目指しました。 午後5時45分ごろ見晴らし台に到着。さらに下社に向かう途中、日没が迫る中、二重滝のそばで、大山では初めて野生のシカ二頭と出会います。こちらがその時の写真です。 メスのニホンジカですね。その「鹿との遭遇」から10分ほど後の午後6時ごろ、ようやく下社に着きました。 大山阿夫利神社には、その4年前にも訪れており、この時が確か二回目でした。大山は雨降り山、天降り山とも言いますが、竹内文書にも紹介されている由緒ある聖山です。 4年前はこの山の石に刻まれたという神代文字を探しにきました。 実はこの神社のお札にも10文字ほどの神代文字が記されています。 宮司さんに聞いたら、宮司さんでさえわからないぐらい古い時代から伝わる文字だそうです。しかも誰もその文字の読み方が分からないとか。 ただ言い伝えられたところによると、お札の文字は祝詞に出てくる「ひふみ・・・」と書かれているということです。 宮司でさえ読めない古代文字が伝わる神社というのも凄い話です。 その神代文字が刻まれているという石は、下社から女坂を少し降りた場所にあります。 これがその石です。 登山者が勝手に触れることができるようになっているので、かなり磨耗している感じになっていました。刻まれた文字もはっきりしません。ところが、よく見ると、この写真には決定的な「未知との遭遇」の瞬間が写っていたんですね。しかも、ごく最近になるまで、そのことに私自身が気づいておりませんでした。(続く)
2024.02.08
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東京と札幌を結んだfurafuranさんとのテレパシー実験は結局、その年の8月31日から12月31日まで4か月間、旅行に行ったり急用が合ったりした日は除き、雪の日も雨の日も、ほぼ毎日行われました。メモを見たら、合計で106回も行われていたことがわかりました。テレパシーの可能性を確信できただけでなく、自分たちの前世の映像が確認できたことが非常に大きかったです。非常に有意義な実験でした。その実験の最中だった10月11日に、神代植物公園で二度目のオフ会「秋の薔薇を愛でる会」を開催したのですが、空に面白い現象が現れました。今回も、羽根ラインの前世などに関係するとみられる方々に声をかけたところ、ひめのさんや喜楽さん、晴美鳥さんやfurafuranさんを含め、全国から十数人の方々が駆けつけてくれました。その日の天候は、雨を降らせる龍神系の人も集まったせいか、雨が降ったり晴れたりの大忙し。午前中は雨が降り続きどうなるかと思いましたが、お昼ごろには雨が上がり、会が本格的に始まるころには青空が広がり、とうとう日傘が必要なほどの強烈な美しい日の光が薔薇園に降り注ぐほどとなりました。面白い現象が起きたのは、午後5時20分ころでした。神代植物公園は普段、午後5時には閉まってしまいますが、バラフェスタの間だけは夜19時半まで開園しています。そのため同公園の薔薇園で夕焼けの写真を撮ることは滅多にないチャンス。ちょうど月が出ていたので、夕焼け空を背景にして月と薔薇の写真を撮っているときでした。ふと見上げると、龍神のような長い雲が幾筋も、夕焼け空に出現していたんですね。その驚きの光景が次の写真です。いやはや、もうびっくりの光景。今まで見たことがないような竜雲たち。全国から龍神が大集合したかのようでした。最後に、この竜雲の群れが空に現れる直前(午後5時9分)に撮影した、月と薔薇の写真もご紹介しましょう。右上に月。遠くに夕日の照り返しに染まる入道雲。そして手前にバラを撮影しています。この時はまだ竜雲には気が付きませんでした。それが10分の間に、あのような状態になったわけです。いったいどこから飛んできたんでしょうね。(続く)
2024.02.07
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昨日のブログで「(オーブは)意識の力で目視することもできる」と書きましたが、今朝の朝日新聞の「天声人語」でそれに似たような現象について書いてありましたので、ご紹介しておきましょう。「雪にも匂いがある」と書かれた、ある年賀状に触発されて、天声人語の筆者が試しに自分でも雪の匂いをかいだところ「意識するまで存在さえ気づかない」匂いが雪にあることを知って驚いたというようなことが書かれていました。実は、オーブもこの「雪のにおい」と同じで、意識で感覚を目覚めさせて探知しないと気づきません。別に特別な感覚など必要ないのです。だれでも気づくことができます。必要なのは意識。それも「無念無想の半ば確信的な意識」を持つだけで、おそらくだれでも、オーブを見ることができるようになります。そのやり方についても追々語っていきましょう。さて、私がテレパシー実験中、あるいは実験の前後に見た前世の続きです。実験の副産物として、19世紀のイギリス・ロンドン郊外、古代ギリシャかアトランティス、バイキング時代の北欧・スコットランドと三つの前世を断続的に見るようになりました。実はそういった前世映像の奥深くに、バロック音楽の通奏低音的に流れていたのが、羽根ラインに関係するとみられる前世の断片的な映像でした。それは通常、草原が続く丘の上の風景から始まります。草原の丘といっても、近くには海があり、断崖絶壁の海岸線が続いています。緑の草原にはマントを羽織った白い服の女性がいます。その女性は、岬の高台のようなところに立っているときもあります。多くの場合、籠のようなモノを持っています。同じ草原かどうかわかりませんが、その草原には鹿の群れがいたようです。近くに森があるのかもしれません。微かな印象としては、その女性をその地に残したまま、私は旅立たなければならなかったようです。このほかの前世としては、港に停泊中の大きな白い帆船に向かって、シンドバッドのようなアラビア(ペルシャ)風の白っぽい服装をした男性(冒険家?)の姿を後ろから見たことがあります。後姿を見ているにもかかわらず、それが自分であると感じているところが不思議でした。アラビアで船乗りだったこともあるのかもしれません。(続く)
2024.02.06
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忙しくて一日空きましたが、再び「実験で見るようになった前世の映像」の続きです。面白かったのは、映画「ハリー・ポッター」のホグワーツ魔法魔術学校の森の番人ハグリッドのように、髭を生やして太ったオッサンだった前世が私にはあることです。最初は唐草模様が出てきました。離れて見ると、唐草模様が施された木のベッドだったんですね(12月5日の実験)。例によって自分の姿は見えませんが、不思議なことに体つきはよくわかります。しばらく森の中にあると思われる家の中を見ていました。暖炉やダイニング、それに窓があったように思われます。で、その時の自分がバイキングだったことが何となくわかるわけです。おそらく北欧とか、アイルランドとか、私が1980年に初めて前世を感じたスコットランド北のオークニー諸島と深く関係があるように思いました。オークニー本島のユースホステルで出会った一人のアメリカ人と二人のドイツ人も「多生の縁がある人」たちだったのではないでしょうか。その島では、もう一人ニュージーランド人の「知り合い」もいました。そういえば、2019年に日本人観光客は誰も行かないようなオークニー諸島のラウゼイ島に渡ったときにも不思議な写真が撮れました。「ノウ・オブ・ヤルソ」と呼ばれる石室墓(チャンバード・ケアン)です。私の場合、中央に現れる光の玉はだいたいオーブ(霊界因子)です。ほかにハレーションを起こしていないし、それっぽいですね。秋山氏に尋ねると霊的なもの(オーブ)で間違いないとのことでした。もっとも、非常に説得力のある写真が撮れたのは、石室墓を出た後でした。こちらが石室墓の外観です。右側中央に、何か丸いボーっとした光体が写っているのがわかるでしょうか。拡大しましょう。フェンスの手前から二番目の支柱のところに一つ。奥のフェンスにも何か居そうな感じがします。この時は写っていることはわからなかったのですが、その後、右に何歩が移動して撮影したのが次の一枚です。違う角度から撮影しても、同じフェンスのところに今度は二つボーっとした光体が写っています。レンズのゴミや雨粒が写ったモノではないことがはっきりしますね。間違いなくフェンスのところに丸い光体が存在していたわけです。コントラスト強くして、拡大しましょう。明らかにオーブです。秋山氏によると、わざわざ我々二人を見送ってくれたとか。その時は全く気付きませんでしたが、こうしたオーブは写真に写るだけでなく、意識の力で目視することもできることが2009年12月に判明します。ただし、その話は、別の機会に。(続く)
2024.02.05
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furafuranさんの過去生の一つが、実際にインスブルックで長い髪を後ろに束ねた男性であったかどうかはともかく、少なくとも私はそう解釈したことがメモからわかります。 ずいぶん後になってから、それを確認しようと、そのような前世があったと思うか本人に聞いたことがあります。するとfurafuranさんは、「その話を聞いた瞬間に細身の男性の姿が見えたから、私かもしれない」と言います。furafuranさんはドイツに関係する過去生を二度ほど経験した記憶があるようです。 かくして、テレパシー実験を重ねるごとに、二人に関係するとみられる前世の動画がどんどん浮かび上がるようになってきました。 そして次のことが何となくわかってきたんですね。今世の二人と一番関係している前世は、19世紀後半のイギリス南部の人生でした。二人はいとこ同士(母親が姉妹)だったらしく、幼いころからよく一緒に遊んでいました。 私は当時、頭陀袋(ずだぶくろ)のような袋にテニスラケットを突っ込んで自転車をこいでテニスコートに出かけていたようです(今世と全く同じ! 道理で、野球もラグビーも辞めて、大学から老後のためにテニスを始めたわけです)。 当時のイギリスで、出窓のある家の居間でピアノを弾くfurafuranさんを11月8日の実験中に見たこともありました。私自身は自分の顔を見ることができませんでしたが、草地のようなところを自転車で駆け降りる光景をみたことがあります。後年はクラシックカー(もちろん当時の新型車)に乗って運転していた記憶も少しあります。比較的裕福な家庭に育ったようでした。おそらく秋山氏に会ったのも、この前世です。1年か2年後の2009年か2010年にfurafuranさんと私は、秋山氏の西新宿の事務所を一緒に訪ねたことがあります。その際、事務所のあるビルの一階の中華料理店で会食をしましたが、会話の途中で秋山氏に「強烈なフラッシュバック」が起こり、我々二人と19世紀のイギリスで会っていたことがわかったと言っていました。三人が三人とも19世紀で出会ったと感じているわけですから、まず間違いない前世だと思われます。 別の前世では、古代ギリシャ風の服装をした男女として生まれています。古代ギリシャ、もしくはアトランティスという印象があります。私は男性アスリートで(これも今世と同じ!)、トレーニングのためか、螺旋のような階段を駆け上り、furafuranさんは丘の上にある庭園から下るところですれ違った光景が浮かんだことがあります。階段のそばには噴水があり、丘の上からは海と街並みが見えました。 (続く)
2024.02.03
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テレパシー実験の最中に浮かび上がる動画のイメージはかなり、具体的でリアルです。たとえば、風が吹き渡る草原の動画のイメージが現れたりするようになりました。草原の色も、風になびく草も、風の音も実際に体感している気持ちになるくらいリアルなのです。10月1日には、塔を下から見上げる情景が浮かんだり、こっちに向かってくる帆船が見えたりしています。一か月以上毎日実験を続けたことによって、何かが変わった感じがしました。その日の実験では、ちょうどfurafuranさんが白い塔とヨットのイメージを送っていたそうですから、当たりと言えば当たりなのですが、おそらく白い塔もヨットも、私が見たモノとは違うイメージだったと何となくわかります。ヨットも帆船ですが、私が見た帆船はもっと大きな大航海用の船。つまり、あくまでもfurafuranさんが送ったイメージを私の中で翻訳する過程で、何かを思い出して見ているという感じになってきたんですね。その前触れ的な現象は、実はその12日前の9月19日に始まっていました。私は受信者だったのですが、実験の最中か後に、今まで見たこともない人の映像を見ています。そのことは送信者のfurafuranさんには一切知らせず、実験メモの後に線を引いて、次のように書いています。「ドイツのインスブルック。furafuranさんは男性だった。髪を長くして、後ろで結んでいる。ギリシャ、白壁に猫、坂」多分ふと映像が浮かんだので、とっさにメモをしたのだと思われます。後で読むと、おかしな点があります。たとえば、インスブルックはオーストリア・チロル州の州都であり、ドイツではありません。ただし、バイエルン王国やドイツに占領された歴史はありますから、その占領時代のことを言っている可能性はあります。「男性だった」とはfurafuranさんの前世のことを言っているのだと思われます。ギリシャは別の前世の話ですね。つまり、テレパシー実験の副産物として、あるいは当然の帰結として、段々と二人に関係する前世の映像が動画で出て来るようになったわけです。(続く)
2024.02.02
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テレパシー実験の送受信者は9月4日以降、毎日交替して実施しました。長くなるので全部はご紹介できませんが、その後の主な結果も記しておきましょう。的中したモノには◎、ほぼ的中したものには〇、外れたモノには×、不明には△がつけてあります。9月4日送り手(私):ピラミッド(×)、球(◎)、噴水(△)、水の流れ(〇)受け手(f):光(△)、丸いもの(◎)、動くもの(〇)9月5日送り手(f):青空(△)、ハクモクレン(〇)、クローバー(◎)、百日紅、宇宙船の発着基地(×)受け手(私):砂漠(△)、白いもの(〇)、クローバー(◎)、渦(×)、ハヤブサ(×)、ミカン(×)、龍(×)当たったり当たらなかったりの結果ですね。面白いのは、いつも一つくらいは的中したイメージがあったということです。ただし、ただの偶然かもしれません。そこで、より具体的に的中しているかどうかチェックするために、明確な形、色、音、触覚、香りなど五感に関係するものをなるべく送るように心がけることにしました。9月9日送り手(f):円錐形(◎)、山(◎)、芝に土を蒔く(△)、月と星(×)、歌手のエンヤ(△)、スキー(◎)、ケヤキ(△)、緑の葉(〇)、白いフワフワした甘いもの(△)、お米(〇)、ライト(△)受け手(私):富士山(◎)、島(〇)、カラス(×)、机(×)、スキー(◎)、緑(◎)、風の音(〇)、冷たいもの(△)、楕円形(〇)「お米」は「楕円形」に、「白いふわふわした甘いもの」がアイスクリームだとしたら、それは「冷たいもの」に翻訳して伝わっている可能性がありますね。最初の三週間は、うまく送受信できたと思われるイメージがある反面、全くトンチンカンなイメージも現れます。当たっていえば当たっているし、当たっていないといえば当たっていません。それでも、完ぺきではないにしても、何となくお互いの意識の流れのようなイメージを送受信できているという妙な感覚はありました。お互いの意識の流れが同調し始めているというような感覚です。しかし、この実験が劇的に変化する日がやがて訪れるんですね。最初に前兆的に起きたのは、単純な静止画のイメージではなくて、動画のイメージを見るようになったことです。(続く)
2024.02.01
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