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大震災後かなりたった今日(3月29日)の時点で、各ボランティア団体が、現地拠点の確保で困っているそうだ。やたらと参与や補佐官を欲しがる首相が、災害ボランティア担当の首相補佐官を任命し、さらにその後の3月16日に内閣官房長官直属の「震災ボランティア連携室」が設置されて、2週間前後も経過して、この有様だ。 ネット社会の時代、各ボランティア団体の活動の実態を知るには、補佐官も連携室もいらない。活動拠点は政府が率先して確保すべきなのだが、結局、少なくないボランティア団体は、自らの努力で活動拠点を確保している。そんな一方で、当の「災害ボランティア担当の首相補佐官」は、3月28日付けの自身の個人ブログで、極めて傍観者的な記事を書いている。 本当は、目立ちがり屋さんの補佐官なのだが、それもままならず、上記日付のブログには、こう結んでいる「引き続き、コツコツ、黒子に徹して仕事を積み重ねていく」。黒子を馬鹿にしてはいけない。黒子なくては歌舞伎や文楽は成り立たない。献身的なボランティアの皆さんの方に、本当に役に立つ「黒子」であって欲しいと思っているのは、私だけではないだろう。 このような無能な補佐官を任命した当の首相は、それに気付かないばかりか、原子力関係の参与や補佐官をさらに増やしている。これでは、ますます原子力安全・保安院や原子力安全委員会に対する、国民の信頼は失墜させることにもなる。 それだけ信用できない原子力安全・保安院や原子力安全委員会なら、政府としての原発事故に関する会見は、補佐官や参与がするか、首相自らが会見すればいい。それもしないで、原子力安全・保安院や原子力安全委員会に会見させ続けるのは、あらぬ「風評」を拡大させるだけだろう。 もっとも、すでに多くの国民は、そのことを見抜いて対応しているので、首相は反面教師として、今後もあがくだけあがけばいい。それだけ国民は賢くなるだろう。この国の復興は、一人の無能な首相に頼るのではなく、全ての国民が一つになって成し遂げよう!(このブログ記事は、3月29日に書き始め、本日時点で追加・改定を加えている。)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.31
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福島県の原発事故のより設定された屋内退避地域に、必要な物資が届かないことに典型的に見られるように、今回の大震災後の「風評」は深刻な被害をもたらせている。また、原発事故による水道水の問題に端を発した、市販飲料水やレトルト食品などの買占め騒ぎも、東日本だけでなく、西日本まで波及した。 このように、大災害時においては、いわゆる「風評」は、必ずと言っていいほど起きる。それだけではない、大災害などの非常時においては、災害被害の大きさに比例して、「風評」の大きさと深刻さは増すと考えるべきだ。それは、昨日のブログ記事と関連するが、情報の不正確さや曖昧さが、「風評」の発生土壌となって、より不安を増大させるからだ。 例えば、福島原発事故の屋内退避地域の設定にあたり、屋内退避での生活の仕方は伝えられても、屋内退避地域への物資搬送は、安全に行えることをあわせて情報発信しなかったから、あらぬ「風評」を生み、結果として必要な物資・人材が屋内退避地域に届かないと言う事態を招いたのだ。 ようするに、大災害時にはその被害の大きさに比例して「風評」が流布されることを見越して、情報の発信にあたっては、前もって正確な情報をよく吟味し、わかりやすくすることが重要なのだ。この点は、各方面からの指摘もあり、改善の兆しはあるものの、まだまだ不十分なのが現状だ。 次に、「風評」が起こってしまってからの対応も、極めてお粗末な例が少なくない。例えば、町中のコンビニから一部の飲料水・レトルト商品・乾電池などが、急速に無くなってから、ある特命大臣がお供をゾロゾロ連れてコンビニ視察をする。これは、「風評」をさらに増大させるばかりか、視察のために費やされる時間とエネルギーを考えれば、省エネ・節電という特命任務自体と矛盾することになる。 「風評」後に、政府や自治体が取るべき対策は、その「風評」の源である不安を根本的に取り除く努力を、ひたむきに続ける以外にはないのだ。なお、原発事故に関連した計画停電を、事故当事者であり信用が失墜している東京電力まかせにしたことも、「風評被害」と準じた混乱を国民にもたらせたことも留意すべきだろう。(このブログ記事は、3月17日に書き始め、本日時点で追加・改定を加えている。)(続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.30
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震災後5日たって(3月16日現在)も、「避難場所からの必要物資の連絡が届かない。」「原発事故の進展に関する情報が県や市町村に届かない。」と言うような状況が続いている。必要とする所や部署に、情報が届かないことは、東京電力のように情報元の意図的な情報操作は論外として、そもそも巨大地震後の情報収集・発信体制が、実質上整っていないことを物語っている。 政府は、「宮城県沖を震源とする地震緊急災害対策本部」(後に「東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部」に改める。)および、宮城県に「東北地方太平洋沖地震緊急災害現地対策本部」をつくったが、前記のような状況が長期間続いているのは、両対策本部の情報部門の機能が十分には発揮されていないからに他ならない。 情報の収集・発信の不十分さを、「未曾有」の広域災害に原因を求める意見もあるが、災害が多くの自治体に広がっているからこそ、情報体制が整っていなければならないのだ。それは、国の「対策本部」に情報を集中することであっても、決して首相が全情報を掌握することではない。もちろん、首相が現地に赴くことでもない。部下が信じられないから、自らが知りたがり見たがるのだ。 国・県・市町村・各現場(避難所・捜索救出現場など)の各機関で、収集した必要な情報を集約し、分析した後に、的確に必要な機関へ発信できるような体制が必要なのだ。特に、現場機関や壊滅した自治体には、上部機関から適切な人材と機材その他を、全ての所に配備する必要がある。 また、次から次へと入ってくる情報を的確に整理し、必要部署へ的確に伝達するような、情報統括能力をもった人材を、国から現場までの各機関に配置することが欠かせない。それは、必ずしも現場や各機関で収集した情報を、全ての機関に発信する必要はないからで、得た情報を速やかに分析・選別する能力が求められるのだ。 そうした人材が配置された情報体制を整備しないで、情報の遅さに首相や官房長官がどれほど怒っても、それは適切に指導できない自らの指導力不足を、世間に吐露するようなものだ。情報化社会にあって、これほど愚かな政権をもった国民の不幸を、嘆かずにはいられない。(このブログ記事は、3月16日に書き始め、本日時点で追加・改定を加えている。)(続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.29
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今回の大震災をめぐって、「未曾有」の言葉と同様に、「想定外」の言葉がとびかっている。ごく普通の人たちが「想定外」を使うならまだしも、地震・津波・防災に関わる専門家・科学者たち、そして災害や事故の防止に直接・間接に大きな責任を持つ、企業と政府関係者から、「想定外」が連発されるのは、極めて問題が大きい。 今回のような波高の津波は、すでに北海道南西沖地震(震度5・M7.8)での、奥尻島を襲った津波でも経験済みだし、スマトラ沖の大地震の経験でも、十分過ぎるほど想定し得る程度の津波だ。「北海道南西沖地震、津波、奥尻島、青苗、津波被害」のページには、今回の大震災と全く同じ惨状の画像が掲載されている。また、スマトラ沖の大地震においては、あの悲惨な状況を映した動画を、繰り返し見ていたではないか。 これら二つの惨禍から今回の大震災までの間、既存の「想定」を見直す機会と時間は十分にあった。それにも拘わらず、今も「想定外」を連発し続ける者たちは、自ら恥ずべきだろう。特に、今回の震災をより深刻にさせた原発事故、その当の責任者である東京電力(もちろん現場の方々ではない。)と、東京電力を厳格に監督・指導すべき「原子力安全・保安院」は、厳しく断罪されなければならないだろう。もちろん、「原子力安全・保安院」の問題は、現政権だけの責任ではなく、歴代の政権にも大きな責任がある。 予め小さめの「想定」をしていれば、事故が起きても「想定外」で済まされる、こんな馬鹿げたことがまかり通らないようにさせることも、防災や事故防止にとっては大事なことであり、今回の大震災とその後の大人災により、尊い生命と穏やかな生活を奪われた方々に、少しでも報いるための責務でもある。(このブログ記事は、3月16日に書き始め、本日時点で追加・改定を加えている。)(続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.28
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昨日のブログで触れた、国と一企業の「統合連絡本部」という「未曾有」の体制が、とられる原因となったのが、東京電力(以下、東電と略記)からの情報の遅さだ。例えば、2号機の爆発音が公表されたのは、約2時間後だったことに典型的に見られるように、東電からの情報が遅れている。これは、明らかに、東電側が、説明の仕方やタイミングを考慮してからの公表になっているからだ。もちろんそれは、企業防衛の観点から考慮された説明の仕方・タイミングとなっているのは言うまでもない。 そして、もう一つ大事な問題点として、まさに事態が進行している現場に、国民に向けて正確で迅速な情報提供にあたるべき任務・権限・能力をもった政府要員が配置されていないことがある。それは、事故後直ちに設置されるべき、オフサイトセンターの機能不全に象徴されている。(なお、17日付けの福島民報によると、「震災で被害を受け、機能のほとんどが失われた」と言うことだが、ここでの機能は人的体制を指す。)ようするに、オフサイトセンターで、政府(自治体)側のイニシアが貫徹されて、東電を指揮していれば、当然情報が遅れるわけは無いのだ。 さらに、「2号機の爆発音」についての東電からの発表において、作業員の退避を「移動」と、わざわざ言葉を置き換えて報告されていた。これは、戦時中の大本営が、退却を「転進」と言葉を変えて発表したのと、その意図は同じだ。この一企業による「大本営発表」を、そのまま繰り返す政府会見ほど、国民を馬鹿にしたものは無く、その結果として、国民に不信と不安を増幅させた、内閣とその長である首相の責任は重大だ。 もっとも、26日の官房長官の会見、【枝野幸男官房長官は26日午後の記者会見で、東京電力が福島第1原発3号機で被ばくした作業員に現場の放射線量を伝えていなかったことに関し「首相官邸に報告はない。正確、迅速に報告してくれないと適切な指示はできない」と不快感を示した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/琉球新報:2011年3月26日)をみれば、政府と東電の「統合連絡本部」があるにも拘わらず、このていたらくなので、今の政府に責任を果たせるだけの力量があるかどうかは疑わしい。 なお、オフサイトセンターの詳細は、以下URLの福島県での訓練の様子が掲載されている「参考資料」を見れば、今回の原発事故における、東電と政府の欺瞞が、より鮮明に理解できるだろう。当然ながら、今なお命をかけて献身的に奮闘されておられる、現場の東電やその関連会社の社員のみなさん方には責任は無い。また、そのご努力に報いるためにも、政府機関と東電当局の迅速な対応改善を望むものだ。http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g90427c07j.pdf(このブログ記事は、3月15日に書き始め、本日時点で追加・改定を加えている。)(続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.27
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。--------------- 今日(3月15日)、大震災対策の国全体の責任者たるべき首相が、極めて重大な事故ではあるが、原発事故だけに限定して、一企業である東京電力と国との「統合連絡本部」の本部長に就くと言う「未曾有」の出来事が起こった。 東北関東大震災および、その後の人災がまだまだ進行中ではあるが、今回の極めて甚大な災害に対して、「未曾有」という修飾語が多用されているが、そのことに極めて大きな違和感を覚える。 今回の東北関東大震災とそれに続く、様々な出来事、たとえば地震や津波の規模、原発事故などの個々の出来事は、ほぼ全て人類がすでに経験した出来事であるにも拘らず、「未曾有」の出来事として扱われている。それらの多くは、おそらく愚かな為政者・専門家・責任者たちによる、意識的な責任逃れとして利用されている。 すでに明らかになっているだけでも、極めて甚大な被害となっており、さらにその被害を大きくしつつある。こうした被害を、繰り返さないために、一凡人の私見ではあるが、思いつくままに綴ってみる。なお、この私見は東北関東大震災の被害が進行しつつある最中(3月15日)に書き始めたものが、万万が一にも、必要の無い混乱を招かないように、その掲載は本日に至った。素人の考えであるため、多くの見当違いがあるかとは思うが、この私見が専門家諸氏による、本格的な検証の、極めてささやかなキッカケになれば、と思っている。なお、掲載日(3月26日)時点で、少なからず追加・改定を加えている。 まず、今回の大震災が、決して「未曾有」の出来事ではないことを綴ってみる。そもそも、このたびの極めて甚大な被害をもたらせた、マグニチュード9.0の大地震も、決して未曾有ではなかった。【昭和35年のチリ地震(M9・5)、39年のアラスカ地震(M9・2)、平成16年のインドネシア・スマトラ沖地震(M9・1)に次いで、観測史上世界4番目の規模となる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2011年3月13日) この引用記事でも明らかなように、近くは6年前にも、より大きな地震が起きていたのだ。巨大地震が未曾有でもなければ、当然その地震が引き起こした津波の規模も波高も未曾有ではなかった。さらに、現時点では原発事故も未曾有のレベルには達していない。もちろん、そうさせてはならないだろう。 ただ、未曾有を冠するなら、今回の大震災は日本の戦後においては未曾有の天災であること、原発事故も、日本においては未曾有の人災であることは、残念ながら現時点でも間違いが無いこととなっている。 何が未曾有なのか、誰が未曾有を多用するのか、そのことを冷静に見極めることが、今後起こるかもしれない大地震・大津波が未曾有ではあっても、被害だけは未曾有にしない、ひとつの保障となるだろう。(続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.26
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.25
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.24
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.23
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.22
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.21
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.20
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.19
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.18
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.17
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.16
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.15
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このたびの、東北関東大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.14
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このたびの、東日本大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。なお、原発事故に対しましては、後日あらためて私見を述べさせていただきたく思っております。)
2011.03.13
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このたびの、東日本大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.12
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このたびの、東日本大震災で被災されたみなさま方に、心からのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の皆様方には、謹んで哀悼の意を捧げます。(しばらくは、通常ブログ記事の掲載を自粛させていただきます。)
2011.03.11
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【佐賀大文化教育学部付属小5年生の山口颯仁(はやと)君(11)が、数学検定(数検)2級=高校2年生レベル=に合格した。(中略)世の中で「理系離れ」と言われるが、「こんなに楽しいのになぜだろう」と不思議がり、「答えが一つであいまいじゃない数学はすっきりする」と言い切る。将来は国立大医学部に進み、内科医になって多くの人を助けたいという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年3月8日) 実は、私も算数(数学)が好きな小学生だった。成績は、記事の「はやと君」のように優秀ではなかったが、その後の中学・高校・大学での数学にも、嫌いになることなく付き合えた。 普通は算数が苦手だったり嫌いなこどもたちも少なくないのだが、はたして「はやと君」のようなこどもは、特別なこどもなのだろうか。私は、そうではないと思っているし、それは確信と言い換えてもいいくらいだ。こどもたちは、算数が嫌いになるのではなく、嫌いにさせられているのだ。 もちろん、その第一の責任は学校の教育にあるし、親をはじめとした保護者の責任も小さくはない。このブログでも幾度か指摘したが、「なぞなぞあそび」や「クイズ」は、ほとんどのこどもたちが、大好きなあそびのひとつとなっている。 もちろん、あそびと勉強の違いはあるが、その魅力の根源には、知らなかったことを知る喜びがあるのだ。だから、算数に限らず勉強することにより、新しいことを知ることは、本来こどもたちにとって楽しいはずなのだ。そして、このあそびと勉強の違いが、同じ「知ること」を好きと嫌いに分けているのだ。(続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.10
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【「小学校そばの「中村文房具店」という文具兼駄菓子屋で、皆でよくプラモデルやカード目当ての「仮面ライダー」スナックを買っていました。あ、酢イカって知っています? イカの酢漬けの串刺しで、1本10円だったかな。学校の体育館で月に1回だけ、学研の「科学と学習」誌が売り出されるのも楽しみでした。校門前には時どきヒヨコ売りのおじさんが来ていましたよ。 授業が終わると小川や防火用の池で釣りをしたり、オタマジャクシを捕まえたりね。アメリカザリガニは田んぼでも捕れるんです。もちろん草野球もしたし……塾には行きませんでした。本なんて全く読みません。暗くなるまで外で遊んで家ではテレビ。あの頃の、ごく普通の男の子だったんだと思います。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年3月2日) 昔、駄菓子屋さんが成り立っていたのは、昨日のブログ記事(その1)のように、こどものあそびのあり方に深く関係していたからだが、そのこどもたちのあそびのあり方の最も重要なポイントは、記事にあるような「暗くなるまで外で遊んで家ではテレビ」を可能にする、十分なあそび時間があったことだ。 十分なあそび時間は、メンコ・ビー玉・おはじきなど、極めて単純な玩具、それは安価でもあったが、そうした駄玩具を、こどもたち自らが工夫・考案することにより、様々なあそびを創りだせる時間的な余裕となる。 毎日有り続ける十分なあそび時間は、こどもたちを駄菓子屋さんにたむろさせる時間も確保し、こどもたちがお互いに、あそびやおもちゃなどの情報を交換し合うことも可能にする。それ故、駄菓子屋さんは、こどもたちのあそび文化の拠点でも会ったのだ。 このあそび時間、特に日々の放課後は、学校5日制や塾・習い事で極端に短くなってしまった。これでは、駄菓子屋さんがどれだけ努力しても、こどもたちのあそびの拠点にはなり得ず、当然そこでたむろするこどもたちも激減し、それに連れて駄菓子屋さんは、やがて一軒また一軒と姿を消していったのだ。 駄菓子屋さんの減少は、当然こどもたちのあそびにも跳ね返り、こどもたちのあそびも駄菓子屋さんとの相互依存型から、ゲーム機やトレカなどの玩具メーカー(主として大企業)などとの、一方的依存型へと急速に変化していったのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.09
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【「小学校そばの「中村文房具店」という文具兼駄菓子屋で、皆でよくプラモデルやカード目当ての「仮面ライダー」スナックを買っていました。あ、酢イカって知っています? イカの酢漬けの串刺しで、1本10円だったかな。学校の体育館で月に1回だけ、学研の「科学と学習」誌が売り出されるのも楽しみでした。校門前には時どきヒヨコ売りのおじさんが来ていましたよ。 授業が終わると小川や防火用の池で釣りをしたり、オタマジャクシを捕まえたりね。アメリカザリガニは田んぼでも捕れるんです。もちろん草野球もしたし……塾には行きませんでした。本なんて全く読みません。暗くなるまで外で遊んで家ではテレビ。あの頃の、ごく普通の男の子だったんだと思います。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年3月2日) 記事は、作家の磯崎憲一郎さんが語る、昭和40年代の千葉県我孫子市での様子だ。同じ光景が、私のこどもの頃の昭和30年代の大阪市にもあった。これらの光景と、今の町の様子、なかでも記事にある小学校近くの様子は、大きく変わってしまった。 記事にある「文具兼駄菓子屋」はもちろんのこと、駄菓子屋さんも文房具屋さんも姿を消してしまったのだ。駄菓子屋さんは早くから姿を消し始めたが、ほんの10数年前には、近所にも駄菓子や駄玩具を一緒に売っていた文房具屋さんが残っていたくらいに、文房具屋さんは健闘していた。しかし、100円ショップが急速に街中に増える頃から、急激に文房具屋さんも姿を消して行った。今のこどもたちは、文具をコンビニや100円ショップで買っているようだ。 学校の近くに文房具屋さんがあると、その日の授業に必要なものは、登校途中でも買えたので、便利がよかった。また、文房具屋さんの方も、登下校の途中に立ち寄ったこどもたちが、店の棚に並ぶ駄菓子や駄玩具を見て、放課後買ってもらえるというメリットもあった。また、駄菓子や駄玩具は、こどもたちのあそびと不可分な関係でもあったし、こどもたちのあそびのあり方が、駄菓子屋さんの決定的な存在要件ともなっていた。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.08
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【「地球コマ」という玩具を知っているだろうか? 地球コマとは、外からの力が加わらなければ、一定の向きで回転を続ける「ジャイロスコープの原理」を利用して、1分間に2500~3000回転するコマである。(中略)地球ゴマは、創業者・加藤朝次郎氏により大正10(1921)年に考案され、作り続けられて今年で90年を迎えるロングセラー商品である。昭和2(1927)年にはアメリカへ輸出され、ついで東南アジアやヨーロッパへも輸出され、世界的にその名が知られるところとなった。日本国内では昭和30~40年代にかけて最盛期となり、雑誌広告やテレビのCMにも流れ、全国へ反響が広がっていき爆発的な大ブームとなり、年間数十万個を製造していた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リアルライブ:2011年3月4日) 私が「地球コマ」に出会ったのは、記事にある最盛期の「昭和30~40年代」の頃だ。場所が何処だったのかは忘れてしまったが、祭りなどの露店で見かけたのだ。今でも、一般のコマに比べれば高価(ニーズが少ないのでかなり高めだ。)だが、当時(1950年代)も日々のお小遣いをかなり貯めこまないと買えなかった。親におねだりするにも、やはり高価で、結局実際に手に入れてあそんだのは、ずっと後のこととなった。 ともかく、露店のおじさんによって、「地球コマ」を使って「綱渡り」など曲芸もどきの技が繰り広げられるのを、時間を忘れて見続けてしまうほど、魅力的なコマだった。その魅力の源は、記事にあるように「ジャイロスコープの原理」だが、これはコマ全般に共通の原理で、実は「地球コマ」は、こどもでも簡単に長時間回し続けられるという特徴が、その魅力を実現させているのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.07
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【妹と弟の面倒を見るのが日課で、かくれんぼや鬼ごっこのような「お金がかからない」遊びを繰り返した。同級生たちが夢中になっていた携帯型ゲーム機も遊戯王カードも母にせがんだことはなかった。そのために遊びの仲間に入れず、小学生の頃から友だちは少なかった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年3月3日) 外あそびはこどもたちにとって大切なあそびなのだが、だからと言って、ゲーム機やカードゲームであそばなかったら、記事のように「遊びの仲間」に入れてもらえない。あそびの大切さはわかるが、進学のためには勉強に遅れては困る。 このようなジレンマに陥っている親たちも多いのではないだろうか。たとえ、親がジレンマに陥っていなくても、記事のように、それらのジレンマの陰で、困っていたり悲しんでいるこどもたちも少なくない。では、このジレンマから逃れる方法はあるのだろうか。 それを考える上で、上記のジレンマが生まれる背景を考えてみる。その背景は、有る意味単純で、大多数のこどもたちがゲーム機やカードゲームにどっぷりになっており、大多数のこどもたちが、勉強・勉強で追いまくられているからだ。もちろん、こどもたちにそうさせているのは、まずは親たちであり、玩具メーカーであり、教育産業なのだ。 「お金がかからない遊び」は良いことなのに、記事のようにそのことで悩むこどもたちがいる。屋外で思い切り身体を使ってあそびたい小学生は、そのあそび仲間を見つけることが難しい。外であそぶ機会を奪っておいて、体力・運動能力の低下が社会の話題となる。 先日も、3Dゲーム機の新発売に、こどものため?に販売店で並ぶ親がいた。長期間の習慣的な擬似立体視が、及ぼす影響が未解明だと言うにも拘わらず、この有様だ。もちろん、そうした異常なまでの購買欲をかき立てる企業があるからだ。 企業が、その製品に投下する資本が大きければ大きいほど、その製品の消費者をより多く求める。そのためには、当然あらゆるメディアがフル活用され、その結果、多くの消費者は洗脳されたかのように行動するときも少なくない。 分別があり自制心も備わっているおとなでさえ、そのような状況に陥りやすいのに、こどもたちが魅力的な(そう見える)ゲーム機やゲームカードに、心を動かされないわけはない。しかも、ズタズタで短い日々のあそび時間には、そうしたあそびはもってこいと、きているのだから、どうしようもない。 今のこどもたちのあそびが生み出すジレンマを解消するには、玩具メーカーや教育産業が、自らを反省するにこしたことはないが、そうした兆しも見られない。だから、結局は親たちの大多数が、こどものあそびを見直し、こどもたちを勉強・学習で追い立てないようにすることが望まれるのだ。 こどもたちに十分なあそび時間が保障されれば、必ずゲーム機などに頼らず、「お金がかからない遊び」を仲間たちと満喫するようになるだろう。当然、身体を使った外あそびも増え、体力・運動能力の回復も可能となる。そこには、もはやジレンマは影を潜めているだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.06
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【東京都文京区の遊園地「東京ドームシティアトラクションズ」で1月に起きたコースター転落死事故を受け、同種の遊具を持つ全国約200カ所の施設の約8割が、運行管理の見直しなど事故防止策を実施したことが2日、国土交通省の調査でわかった。同省は遊具ごとの詳細な運営状況も調べるなど、安全管理の実態把握を進めて再発防止につなげる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2011年3月2日) 当然と言えば当然のことだが、これにより楽しいはずの遊園地で悲しい事故が、無くなることを願いたいが、はたして国土交通省の思惑通りに「再発防止につなげる」ことが実現されるかどうかは、決して小さくはない疑問が残る。 それは、多くの大阪府民に親しまれたエキスポランドを、廃園に追いやった、あの痛ましい死亡事故後も、各地の遊園地では度々重大事故が起きていたからだ。その全ての事故から、所管省として国土交通省が、本気になって「遊具ごとの詳細な運営状況も調べるなど、安全管理の実態把握を進めて」いれば、今回の事故は無かっただろう。 考えれば、自動車・鉄道・航空機などには、厳しい安全基準の制定と、それを遵守させる法的整備がなされているが、それらの乗り物と同様に、人間を乗せて運行する遊園地の遊具などについても、そのような法的整備が必要なのだが、それが一向に進展していないのだ。 特に、ジェットコースターなどの高速走行する乗り物については、少なくともエキスポランド事故後、直ちに法的整備がなされるべきだったのだ。それを、所管官庁として国土交通省は、法的整備をしないもまま放置していた。いつまでも、事故が起きるたびに「詳細な運営状況も調べるなど、安全管理の実態把握を進め」ることを繰り返すだけで、お茶をにごすのだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.05
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【世界の教育用ブロックやロボット等の教材を使い、子どもの知的好奇心や探究心を刺激する(中略)遊びと学びの融合で、子どもの「創造力」と「問題解決力」を育む人気の教室だ。(中略)(年中~小3)は、科学者や数学者が実際に行っている研究方法や思考方法(理数脳)を身につけるコース。自分の手を使って創作・実験したり、五感を駆使して観察したりデータを分析したりしながら、考える力を育てる学習法だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/タウンニュース:2011年3月3日) こどもたちは望んではいないのに、どうしておとなはあそびに「学び」を付加しようとするのだろうか。「知育あそび」、「知育玩具」、そして、記事の「遊びと学びの融合」だ。そして、これらの「学び」が意図的に付加された「あそび」は、その多くが企業による営利活動となっている。 もちろん、そのような「あそび」の全てを否定するつもりもないし、適度な活用は有意義でもある。しかし、その「あそび」が多用されてしまうと、こどもたちが失うものも大きい。それは、これらの「あそび」は、その圧倒的大部分が、こどもがたった一人でもあそべることに起因している。 一人でもあそべるだけでなく、多人数でも同時にあそべるものならまだましで、残念ながら企業にとっては、一人であそんでもらった方が、都合がいい。多人数でしかあそべないと、販路が狭くなる。だから、こうした「あそび」は、集団あそびや仲間あそびと、一線を隔するようになるのは仕方がない。 記事にある「年中~小3」の時期は、このブログで「あそび期」と定義している時期とほぼ重なるが、この時期こそ、最も仲間や集団とのあそびが大切な時期なのだ。このブログでも度々指摘しているが、「小1プロブレム」や「学級崩壊」の背景としての、コミュニケーション能力不足は、この時期の仲間や集団とのあそびの少なさが大きく影響していると思われるからだ。 この様に、「年中~小3」の時期に、「知育あそび」や「遊びと学びの融合」などを、こどもたちに提供するには、慎重な対応が必要となる。そんな「あそび」がほとんどなかった昔、あそびまくったこども時代を過ごした後に、ノーベル賞を受賞された益川敏英さんの例を考えると、無理に「遊びと学びの融合」を持ち出す必要もないだろう。それが、こどもたちのためになると、私は思うのだが・・・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.04
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【葵区の私立竜南保育園(太田嶋信之園長、園児数157人)。市内の保育所104施設(公立46、私立58)で数少ない、すでに芝生化した保育所の一つだが、園児らが連日遊ぶ芝生は消耗が激しく、保護者らが維持管理に腐心している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年3月1日) まずは、芝生が消耗するほど、外あそびに一所懸命な園児たちに大きな拍手を贈る。こどもたちの「外あそび」の推進を目的の一つにした、園庭・校庭の芝生化、その外あそびが増えれば増えるほど、芝生が痛む。当然と言えば当然の話だが、思わぬところで矛盾が顔を出したようだ。 芝生の消耗に十分に対応できる財源と人材があれば、園庭・校庭の芝生化は、たいへん結構なことだ(全面芝生化は賛同できないが)。ただ、忘れてはいけないのは、園庭・校庭が芝生化されていなかった昔は、こどもたちが最も外あそびをしていた時代なのだ。考えればおかしな話だ。 路地や生活道路を含めた、あらゆる道がコンクリートやアスファルト、時には敷石で舗装され、土の見える地面が極めて少なくなった昭和の後半でも、外あそび好きのこどもたちは、硬い道路でもあそんでいた。当然、それよりは優しい土の園庭・校庭では、思い切りあそびまわっていた。 こどもたちの外あそびを推進するのが目的の、園庭・校庭の芝生化は、当面のきっかけくらいに位置づけて、こどもたちが再び昔のように旺盛な外あそびを展開できる根本的な条件を、一刻も早くつくりだすことが重要だ。フレーフレー!竜南保育園のこどもたち!「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.03
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【体力や運動能力を研究する日本体育測定評価学会が二十七日、金沢市のしいのき迎賓館で開かれた。文部科学省が幼児期の適切な運動量を定めた指針の策定に乗り出すなど、子どもの体力低下が指摘される中、日本陸連強化コーチで金沢星稜大の大森重宜教授は「子どもたちの歩く機会が圧倒的に減っている」と警鐘を鳴らした。(中略)大会長を務めた金沢大の出村慎一教授は「生活習慣病に結びつく運動不足を避けるため、子どもに外遊びの楽しさを伝えることが必要。保護者、保育現場が責任を自覚し、体を動かす機会を増やしてほしい」と呼び掛けた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2011年2月28日) 【陸上競技のトラックには小学生から高校生までの子供たち。指導者は大学生ら。山梨学院の陸上競技場(甲府市)を拠点とする「未来の森アスリートクラブ」の理念は「一貫指導」だ。(中略)同クラブでは、小学生は「運動の勘をつかむ時期。競技志向ではなく、楽しさが一番」と剣持さん。じゃんけんで負けた方が勝った方を追いかけるような遊びの要素を入れながら、運動神経を鍛える。(中略)「自分で考え、行動できる人間になってほしい」として、ウオーミングアップを始めるタイミングは、各自が考えて決める。複数の練習方法を示し、選ばせることもある。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年2月28日) 次に、後者の記事の「自分で考え、行動できる」を考察してみる。記事は、こどもたちの人間形成にとって、スポーツをする際、「各自が考えて決める」・「選ばせる」ことが、「自分で考え、行動できる人間」につながるとしている。さらに、その前段で「小学生」は「競技志向ではなく、楽しさが一番」としている。 そのようなこどもスポーツの取り組み方には大いに賛同するし、こうしたスポーツこそ、もっともっと普及して欲しいとも思う。しかし、よく考えて欲しいのは、あそびこそ、こどもたちが「自分で考え、行動できる」活動で、しかも「楽しさ」では、最高の部類に属する活動だということだ。 だから、そんな素晴らしいあそびの時間を、こどもたちにスポーツが大切だからと言って、奪いすぎないようにしていただきたい。もっと極論すれば、小学校での体育の時間こそ、記事のような方法論のスポーツ実践の時間であってほしい。昔より短くなった放課後を、思う存分あそび時間に振り向けらるためにだ。そうすれば、こどもたちはあそびの中で素晴らしい人間形成を実現していくだろう。 そのあそびの多くの時間を、身体を使った集団あそびに確保できれば、これ以上のことはない。昔ながらの身体を使った集団あそびの多くは、ほとんど道具を必要としない、経済的にも優れた活動なのだ。なぜ、少なくないおとなたちは、こんな素晴らしいあそびを、こどもたちから奪ってしまったのか。つくづく残念に思う。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.02
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【体力や運動能力を研究する日本体育測定評価学会が二十七日、金沢市のしいのき迎賓館で開かれた。文部科学省が幼児期の適切な運動量を定めた指針の策定に乗り出すなど、子どもの体力低下が指摘される中、日本陸連強化コーチで金沢星稜大の大森重宜教授は「子どもたちの歩く機会が圧倒的に減っている」と警鐘を鳴らした。(中略)大会長を務めた金沢大の出村慎一教授は「生活習慣病に結びつく運動不足を避けるため、子どもに外遊びの楽しさを伝えることが必要。保護者、保育現場が責任を自覚し、体を動かす機会を増やしてほしい」と呼び掛けた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2011年2月28日) 【陸上競技のトラックには小学生から高校生までの子供たち。指導者は大学生ら。山梨学院の陸上競技場(甲府市)を拠点とする「未来の森アスリートクラブ」の理念は「一貫指導」だ。(中略)同クラブでは、小学生は「運動の勘をつかむ時期。競技志向ではなく、楽しさが一番」と剣持さん。じゃんけんで負けた方が勝った方を追いかけるような遊びの要素を入れながら、運動神経を鍛える。(中略)「自分で考え、行動できる人間になってほしい」として、ウオーミングアップを始めるタイミングは、各自が考えて決める。複数の練習方法を示し、選ばせることもある。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年2月28日) 両記事に共通した「こどもたちの体力向上」のキーワードは「遊び」だ。前者には、「子どもに外遊びの楽しさを伝える」、後者には「遊びの要素を入れながら」とある。両者の取り組みに敬意を表しつつ、このブログのテーマに沿った一凡人の「つぶやき」をつづる。 「肥満児」という言葉が社会に満ち満ちていた時代でさえ、こどもたちは今よりも歩いていたし、外あそびもまだ多かった。それが、多くのこどもたちが何らかのスポーツを習うようになった今、こどもの「生活習慣病」が話題になるくらいに、こどもたちは歩くこととあそぶことを止めてしまった。そのように記事は語っている。 次に、両記事にあそびの誤解とも受け取られかねない一節もある。なお、両記事とも短い記事なので、発言者の意図とは違うかも知れないが、その場合はご容赦を願うこととして、私見を進める。まず、前者の記事に見られる「子どもに外遊びの楽しさを伝える」の一節だ。 確かに、こどもたちは外あそびの楽しさを知ってはいないかも知れない。しかし、こどもたちが外あそびの楽しさを知ったからと言って、必ずしも昔のように外あそびを十分にやるかと言えば、そうではない。もちろん、外あそびの場が増えたからと言っても、単純には外あそびは増えない。 こどもたちが昔のように外あそびが、出来るために肝心なのは、外あそびができる、日々の十分なあそび時間、それも友達の個々のスケジュールで細々に寸断されず継続した、且つ多数のこどもたちが同一時間帯に展開できる、そんなあそび時間なのだ。 直ぐに時間切れになる「外あそび」はつまらない。一人でする「外あそび」も面白くない。「また明日!」と翌日もあそべない外あそびの楽しさは切ないものだ。誰が、こどもたちの放課後を短くした。誰が、こどもたちの放課後を細切れにした。 その「誰」がしっかり反省して、こどもたちに昔のようなあそび時間を取り戻さない限り、こどもたちに「外遊びの楽しさ」が伝わったとしても、外あそびは昔のような姿には戻らず、いつまでも「外遊びの楽しさ」を伝え続けなければならないだろう。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.03.01
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