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【津島市宮川町の天王川公園で30日、工作を楽しみながら小学生と保護者らが交流する第37回「生かそうみんなの手を」(津島市学童保育連絡協議会主催)が開かれ、約1500人が参加した。(中略)不用品や安価な材料を利用する工作が多く、子どもたちはそれぞれ好きなコーナーに並び、保護者らの指導を受けながら工作に打ち込んでいた。一角には各学童保育クラブの活動を紹介する写真も展示された。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2011年10月29日) 「生かそうみんなの手を」と言う取り組みのテーマに大いに共感し、取り組みのさらなる発展を願い、津島市学童保育連絡協議会の皆さん方のご奮闘に、心からの敬意をここに表しておく。 こどもたちのあそびの様変わりの一つの特徴として、物を作るあそびや、自分で作った物であそぶ機会が激減し、さらにメンコ・ビー玉・お手玉・けん玉・おはじき・コマ回し・あやとりなどなども激減し、手や指を使うあそびの絶対量が減るだけでなく、手指の使い方の多様性が極端に少なくなっていることがある。 このブログでも、たびたび指摘してきたことだが、手を使うことによりヒトに進化し、ヒトはその手を使うことにより脳さえも進化させてきた。手が現在の人類を作ったと考えていい。その手を「生かそう」と言う津島市の学童保育での取り組みは、極めて大きな意義がある。 さらに、あそびに使う道具や物のほとんどが、巨大企業がこどもたちへの影響を十分考慮せず開発・製造・販売し、あらゆるメディアと莫大な宣伝費を使って煽り立て、こどもたちを誘惑し続ける。 そうしたこどもたちのあそび環境の資本主義的変質の中で、「不用品や安価な材料を利用する工作」は、大きなアンチテーゼとなるだろう。しかも、その材料となる素材は、昔に比べはるかに多様性をもっていおり、それを生かすことは、さらに素晴らしいものになるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.31
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【「プレイは完全無料」といいながら実際はお金を払わないとろくに遊べない、「しみ・くすみを予防」といっておいて効果がない、「通常よりも安い特別価格」をうたいながら実際には通常価格での販売実績がないなど、トラブルが多発している状況を受け、消費者庁がインターネット上の取引で想定される事例を中心として問題点と留意事項を公表しました。(中略)昨今、モバゲーやGREEといったソーシャルゲームが大流行。携帯電話でも遊べる手軽さ、そして「プレイ料金無料」ということから小中学生が遊んでいる姿も珍しくありません。しかし、有料アイテムをクリック一つで購入できてしまうため、子どもが勝手に購入してしまうというケースが続出。11歳の子どもが100万円分のアイテムを購入したという事例はニュースになりました。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/GIGAZINE:2011年10月29日) 「11歳の子どもが100万円分のアイテムを購入したという事例はニュースになりました。」のニュースが次のニュースだ。【携帯電話やパソコンでのインターネットゲームを利用した小中学生が、多額の料金を請求されるケースが増えている。 ネットで知り合った人に有料サービスの使用方法を教わり、親に無断でクレジットカードを使用し100万円の請求を受けた子供などもいる。(中略)兵庫県生活科学総合センターは全小中学生に注意喚起を求めるメールを配信、保護者らに対して子供にクレジットカードの番号を安易に入力させない事などを呼びかけているようだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日刊テラフォー:2011年10月25日) このように、こどもがとんでもない被害にあっている中で、消費者庁のとった対応、「インターネット上の取引で想定される事例を中心として問題点と留意事項を公表」は、何とも手ぬるいものとなっている。 抜本的に、こどもによるインターネット上の取引は全面禁止にして当然で、もし禁止されていたとしても、取引相手の年齢確認を義務付けし、違反者(サイト側)に対しては、厳罰で対処することで、最も弱い立場の消費者であるこどもたちを護ることができるのだ。 こどもたちをインターネットによる犯罪や被害から護る取り組みは、以前に比べれば進んできているとは思うが、上記記事のようなサイトは、ある意味、無料から課金への移行への仕組みを巧妙に構築することが、利益につながる理屈になっているので、こどもたちが被害にあいやすいのだ。 そのようなサイトそのものにも、私は疑問をもっているが、おとなが節度を持って遊ぶことはともかくとして、こどもたちへの対策は急務となっている。消費者庁が、断固とした対策をとることを切望する。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.30
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【子どもの視力低下は日本でも問題視されて久しい。2010年の学校保健統計調査によると、裸眼視力0.3以下の割合は、小学生で7.55%、中学生では22.25%にのぼる。直近の5年間で、それぞれ1.8ポイント、2.6ポイント悪化しており、歯止めがかからない状況だ。 米健康情報サイトHealthDayは24日、屋外で遊ぶだけで近視を減らせる、という研究結果を報じた。 近視の子どもは外で遊ぶ時間が4時間少ない 研究を行ったのは英ケンブリッジ大学のAnthony Khawaja教授ら。近視と屋外で過ごす時間との関連性について調べたところ、屋外活動の時間が週に1時間増すごとに、近視になるリスクは2%減少したという。 また、近視の子どもはそうでない子どもに比べ、屋外で過ごす時間が、平均して週あたり4時間少ないことがわかった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/IBTimes:2011年10月26日) 外であそばないと言うことは、近くの物だけに焦点を当てて日々を過ごすわけだから、記事の調査結果は当然のことかも知れない。また、日本の実情では、テレビやゲーム機の使用時間も長く、同一距離に焦点を当て続けるのだから、こどもの近視が増えても当然だろう。 さらに、ごく最近では、疑似立体視3Dゲームが普及し始め、本当の立体視に必要な、目の様々な機能さえ、大混乱に陥れる危惧さえ生まれている。 あまりにも疑似立体視に慣れてしまうと、とっさに目を調節して、飛び越える溝の幅の目測を誤ったり、近づく車のスピードを把握しそこねたりなど、思わぬ危険に遭遇する可能性も高くなる。 外であそぶことは、記事が指摘する「近視を減らせる」だけでなく、日常生活での危険を回避する能力を低下させない意味を持っている。そればかりか、このブログで以前に指摘したように、危険回避能力をも育むのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.29
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【エレベーター事故や食品による窒息など消費者事故の原因究明と再発防止に取り組むため、消費者庁は「消費者安全調査会(仮称)」を二〇一二年度中に庁内に設置する方針だ。これまで調査機関がなかった分野の事故でも原因究明に乗り出せ、大きな前進。ただ、省庁から独立した機関ではなく、消費者団体などには、公正で徹底した調査がされるか危惧もある。(中略)航空や鉄道、船舶は、国交省の外局の運輸安全委員会が権限を持ち、調査に乗り出す。火災は消防署、食中毒などは保健所と、既存の機関も原因調査に当たる。しかし、エレベーター事故のほか、プールで起きた事故、食品による窒息事故など、原因究明をする機関がない「すき間」の事故も多い。(中略)<すき間事故> 消費者庁が想定する事故例は次の通り。大規模食品被害▽健康食品中毒▽誤飲窒息▽パワーウインドー挟み込み▽簡易消火具破裂▽移動用介護リフト落下▽エア遊具事故▽遊具事故▽介護施設事故▽エステ皮膚障害】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2011年10月27日) 消費者庁が発足したのは2009年9月だから、丸2年が過ぎてやっとかとの思いは強いが、ともかくいわゆる「すき間事故」が減ることに大きく寄与してほしいものだ。 ただ、エア遊具や公園遊具での事故は、その原因が明らかになっているものも多いが、原因が明らかになっても事故は依然として続いている。だから、事故の原因究明と並行して、事故防止策の徹底が重要だ。 また、エア遊具や公園遊具での事故原因の多くは、管理・点検などの人為ミスによる事故だということを考慮すれば、事故原因を単に一個人・一組織だけの責任にせず、人為ミスが起き得る背景・条件をも究明する必要がある。 例えば、点検見落としを無くすための点検マニュアルも整備する必要があるし、そのマニュアルを生かすための人材育成も必要だ。さらに、自治体などの遊具設置者が、遊具管理・点検業務を民間に丸投げすることによる責任転嫁をさせない体制づくりも欠かせない。 そして、何よりも重要なのは、消費者庁が完全に消費者の立場に立った行政機関に一刻も早く生まれ変わる必要があるのだ。何故なら、消費者庁が本当に消費者の立場に立っていたなら、事故調査も事故防止対策も、2年もあれば十分に実施・実現可能だったからだ。 福島原発大人災と原子力安全委員会・原子力安全保安院との関係、さらには食品の放射能汚染と内閣府の食品安全委員会との関係のように、結局は、国民の立場に立たない行政機関は、何ら国民の利益にはならないのだ。 消費者庁も、同じ轍を踏み続ける限り、消費者は事故からは解放されないだろう。「すき間事故」の本質は、消費者庁そのものに、消費者を虚仮にしていた大きなすき間が開いていたことにある。このような消費者庁にさせておいた内閣の責任も、当然問われなければならないのは言うまでもない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.28
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【◇放課後「主に読書」2~3% 子どもたちが授業が終わってから一番何をして過ごしているかは、男女別、また小中高の別で大きく変わる。 小学生は、男子は(1)電子ゲームをする(2)友達と会って遊ぶ(3)習い事をする(4)テレビを見る--の順にそれぞれ15~21%と大差なく並び、女子は(1)勉強をする(2)テレビ(3)友達と遊ぶ(4)習い事--で、これも15~20%で、男女とも4項目合わせて約7割を占めている。 これが中学生となると「友達と遊ぶ」が男女とも1%に激減。習い事も男子は5%、女子は3%まで減り、代わって「部活動」が突出して増え、男女とも3分の1に達した。男子は「部活動」と「電子ゲーム」を合わせて49%、女子は「部活動」と「携帯電話を使う」で41%と、ほぼ半数を占める。 高校生では「部活動」とともに「携帯電話」が目立つようになる。女子は「携帯電話」の26%と「部活動」の24%がほぼ並び、合わせて5割。男子は「部活動」31%、「携帯電話」11%で、これに中学生まで多い「電子ゲーム」の9%を加えると5割に達する。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年10月27日) 上記引用記事は、毎日新聞が全国学校図書館協議会の協力で26日まとめた「第57回学校読書調査」についての一節だが、別の記事に詳しい結果が掲載されていたが、その中から一部だけを以下に引用する。【 ◆あなたは普段学校がある日、授業が終わってから一番何をして過ごしますか。 テレビを見る 17 18 15パソコンを使う 3 7 7携帯電話を使う 1 5 19電子ゲームをする 13 9 5音楽を聴いたり、楽器を演奏したりする 3 5 7家族と一緒に過ごす 6 3 2友達と会って遊ぶ 17 1 3読書をする 3 2 2部活動をする 2 34 27習い事をする 15 4 1勉強をする 17 9 8その他 3 2 4】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年10月27日) 上記引用部の各段の数字は比率(%)で、左から小学生、中学生、高校生となっている。これらの調査結果は、概ね予想の範囲ではあるが、気付いた点を思いつくままにつづっていく。 予想の範囲とは言え、小学生の放課後の活動の一番に勉強をあげている子が17%と多いのは、率直に驚かざるを得ない。その一方で、同じ割合で「友達と会って遊ぶ」となっているのは、二極分化を示しているのだろうか。 それにしても、「勉強」、その延長線上にある「学歴」が、大きく影を落としているのが、小中高の中でも小学生たちとなっているようだ。私のこどもの頃(1950年代)では、おそらく「友達と会って遊ぶ」が、他の活動を圧倒して一番となっていただろう。 そんな昔の小学生が異常と言うことではなく、やはり今の小学生の現状がおかしすぎるのだ。それを気付かない親たちが多いのも、すでに親の世代も、「勉強」が一番が、普通の世の中になっていたかも知れない。 なお、「テレビ」や「電子ゲーム」もあそびに入れれば、多くの小学生はよくあそんでいるのかも知れない。ただ、「テレビ」や「電子ゲーム」は主に一人であそぶので、こどもたちの一人あそびの増加を、この調査結果も裏付けていると言える。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.27
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【私は小学生の低学年のときに、牛乳瓶の紙でできた蓋を集めていた。というのも、当時私が通っていた小学校の男子のあいだでは、牛乳瓶の蓋をメンコ代わりにして遊ぶのが流行っていたのだ。どこから集めてきたのか、いろいろなメーカーの蓋をメンコとして使っていたが、その中でも絶大な人気を誇っていたのが白バラ牛乳の蓋だった。この蓋はいわゆる“レア蓋”で、白バラ牛乳の蓋を持っている奴が羨望の眼差しで見られていたのである。皆さんも、集めているものは違えど、何かを真剣にコレクションした経験はあるハズ。物を集めているときのドキドキ、ワクワクする胸の高鳴りは、何とも言えない喜びがある。今回は、そんな物を集める楽しさを実感できる、カードバトル型RPG『●●●●●●』を紹介しよう!】(【】内は記事から一部引用、●●●●●●には商品名が入る。Google ニュース/ファミ通.com:2011年10月12日) ゲームソフトメーカーは、この記事のように、こどものあそびをソフト化することをよくやる。それも一つの考え方かも知れないが、なんでもかんでもの風潮はいただけない。一人あそびが多くなった昨今、「カードバトル」は他の子とあそぶ点では、まだ少しましなあそびとなっている。 記事の「カードバトル型RPG」は、「カードバトル」さえも一人あそびに変質させてしまう。これでは、こどもたちをますます一人あそびに落とし込めはしないのだろうか。 さらに、こどもたちの「カードバトル」のあそび方の現状を見ると、このあそびは意外とこどもたちを、家の外へ出させているのだ。友達を家に呼んであそぶことを嫌う、最近の家庭事情がそうさせているのだろう。 気候がほど良い時期は公園などで、雨が降ればマンションのエントランスや団地の通路で、暑ければ公共施設の談話スペースで、と言ったように知恵を働かせてあそんでいる光景をよく見る。 もちろん、そのようなあそび方は外あそびではないが、こどもたちを家の外へ出すことでは、貢献しているあそびとなっている。外へ出れば、純粋な外あそびをしている友達とも会うこともあり、それがきっかけで外あそびに加わることもある。 「カードバトル型RPG」、メーカーとしては良い企画かも知れないが。こどもたちにとっては、良い結果を招かない恐れがある。なお、牛乳瓶の蓋とは違って、バーチャルなコレクションほど、空しいコレクションは無いことも付記しておく。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.26
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【次のコーナー「ザ・将棋崩し」は、将棋の駒を使った遊びとして昔から定番の将棋崩しをアレンジ。「歩兵」「金将」「王将」など、取った駒に応じて相手に罰ゲームというルールがプラスされた。ゲームはお互いに罰ゲームを受けながら和気あいあいと進むかと思いきや、劔が駒を動かしている最中に、鬼束が劔のヒジにアタックをしかけて失敗させることで、ゲームはほぼ全編にわたって鬼束のターン。劔の顔に洗濯ばさみをつけたり、顔に熱々おしぼりをかけたり、臭い袋に頭を突っ込ませたり、“デコピン”や“しっぺ”という名の平手打ちを放ったりと大盛り上がり。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/BARKS:2011年10月24日) 記事中の「将棋崩し」とは、将棋の駒を盤上に山のように積んで、その駒を指で押さえながら盤上を滑らせて、音をたてずに盤から落とせば成功となり、駒が取れるあそびだ。「山崩し」や「崩し将棋」などとも呼ばれている。今では、学童保育所などのこどもの施設や取り組みで、たまに見かけるだけの、廃れてしまったあそびの一つでもある。 さて、この「山崩し」のあそび方にはいろいろあった。まず、全部の駒を取り終わった段階で、それぞれの駒の種類ごとに決められた得点の合計を競い合うものが基本のあそび方だ。 全部の駒を取り終った後に、金将の駒をサイコロ代わりに振って、その出た目に見合った駒を相手からもらい、誰かの駒が無くなった時点で、前記のように得点を競い合うあそび方もあった。 ともかく、音をたてずに駒を滑らし落とすことに関して、こども同士のもめごとが、たびたび起きるあそびでもあった。音が鳴った鳴らないで、時には大もめするのだ。反対に、そうしたもめ事を起こさずにあそべると、きわめてフェアな関係が生まれる。 まさに、コミュニケーション能力を鍛えてくれるあそびの一つでもある。100円ショップで売っている駒と盤があれば十分楽しめるあそびでもあるので、家庭で学校などでも、あそんでほしいあそびの一つだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.25
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【体育の日に合わせて「体力」についての調査報告を文部科学省が発表した。その中に、中・高校生の頃に部活動でスポーツをしていた人は大人になってからも年齢以上の体力がある-とあった。これは運動の習慣化によるところが大きい。私もそうだが、汗をかく心地良さは子供の頃の肌感覚として残っている。 体力というのは運動能力だけではなく、持久力、抵抗力、気力も含めた人間としての総合的な力だと思う。以前、体力を考える会議でご一緒した漫画家の松本零士さんが「危険から自分の身を守る上で非常に大切なのが体力です」とおっしゃった言葉が印象的だった。(中略)私も子供の頃、田んぼや畑を駆け回り、里山では木のつるでターザンごっこをした。つるが切れて斜面を転がり落ちることもあったが、危険予知力が身に付いたと思う。だから、外遊びをあまりしなくなった子供たちがどのように身を守る力をつけていくのかと心配になる。 ただ、体力をつけるのは大人になってからでも遅くない。さまざまなスポーツイベントでお会いする元気な人たちの中には、「子育てが終わって50歳から運動を始めました」なんて人も多い。それどころか、ゲストランナーとして走る私を「63歳です」「72歳!」と年齢を誇らしげに宣言しながら抜いていく人も。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/文マガ:2011年10月21日) 記事は、スポーツジャーナリストの増田明美さんのコラムだが、こどもたちが外あそびを止めて、高齢者の皆さんがスポーツに励む。どうしてこんな逆さまの世の中になってしまったのだろうか。漫画家の松本零士さんの言葉、「危険から自分の身を守る上で非常に大切なのが体力です」、まさにその通りだ。 さらに、増田明美さんの、外あそびで「危険予知力が身に付いた」との指摘も同感だ。この二つの指摘は、こどもたちの外あそびの減少は、危険から身を守る基礎体力と危険予知力の両方、すなわち危機回避能力を育む機会の減少となることを意味する。 増田さんの指摘のように、「ただ、体力をつけるのは大人になってからでも遅くない。」が、こどもたちの「危機回避能力」が未熟では、おとなになってからでは取り返しのつかないと言う、憂うべき事態も起こり得る。 高齢者のスポーツを広げることも必要だが、それよりもこどもたちの外あそびを、一刻も早く昔の水準に復活させることが重要だ。もちろん、こどもたちにもスポーツを広げると言う選択肢もあるかとは思うが、外あそびは、費用も人材も専用の場所も必要とはしないばかりか、最もこどもたちが生き生きできる活動でもあるのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.24
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【販促マーケットの専門見本市「第44回インターナショナル プレミアム・インセンティブショー秋2011」(ビジネスガイド社主催)が、10月19日から3日間、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館2~4階で開催。(中略)ショウワグリムは、デザイン性のある折り紙を中心に、「オリジナルおりがみをつくってみませんか?」など子供から大人まで楽しめるアイテムとして提案した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/文マガ:2011年10月21日) 折り紙作家の末席にかろうじて名を連ねているものにとって、上記記事中の「オリジナルおりがみ」に目が留まったが、掲載画像を見ると、それは折り紙メーカーの商品だった。それはそれで、確かにメーカーのオリジナルには違いはないし、面白いものではあるが、それを買って作品をつくっても「オリジナル」とは言い難い。 また、記事掲載の商品は、折り紙(正方形の紙と言った方が正確だが)に、招き猫ならその展開図のようなものが印刷されており、印刷の折り線通りに折れば、立体作品ができるようになっているものだった。だから、折り紙と言うより、「紙折り工作」と呼んでもいいようなものだ。 本当に、自分だけのオリジナルな折り紙作品を作ろうと思えば、素人や初心者には難しいかも知れないが、ちょっと見方を変えれば、自分だけのオリジナルな作品をつくることは可能だ。 その一つの方法が、ユニット折り紙だ。もちろん、全てが完全にオリジナルな作品は易しくはないが、既存のユニット、例えば最もポピュラーで、ユニット折り紙の典型とも言える「薗部式ユニット」に、「折り」を少し加えるだけで、無数にその変形ユニットが作れる。 裏を出す、突起部分を作る、部分的に凹ますなど、さらに、それらのコラボを考えれば、それだけで無数にオリジナルユニットが生まれる。もちろん、それらの中にはすでに伝承的ユニットになったものや、既存のユニットと同じものがあるが、それに「折り」を加えるとオリジナリティを出せる。 考えれば、ユニット折り紙は、全く同じユニット、全く同じ枚数、全く同じ色数、全く同じ組み方であったとしても、その作品に使用する色の組み合わせが違えば、形状は同じ作品となるが、その選んだ色が立体となって生み出す変化は、オリジナルと言ってもいいほど、違ってくる。 さらに、鹿の子柄、格子柄、市松模様など、使用する紙の柄によっても大きく作品の印象は違ってくる。ようするに、紙の色・柄の選択にその人なりのオリジナリティが生まれるのだ。世界でたった一つだけの作品を作ってみませんか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.23
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【「パパもやってみて」。近所の公園で長女にせがまれ、鉄棒で前回りをやって見せた。娘を膝に載せ、ブランコにも乗った。秋田市公園課の担当者との雑談の中で、公園の遊具で子どもと遊び、久しぶりに童心に帰ったことを話すと、「あまりお勧めできない行為」との指摘を受けた。 「大人が使っても壊れることはないが、遊具には対象年齢がある」と担当者。子どもが遊具で大けがをする事故が相次いだことを受け、遊具メーカーなどでつくる日本公園施設業協会が2002年、対象年齢を掲示することを決定。同市でも、その後設置した遊具に「3~6歳」「3~12歳」などと記したシールを貼り付けている。 大人の使用を禁止してはいないものの、使い方によって危険な場合もあり、「対象年齢の骨格に合わせて設計されていることを理解してほしい」と同協会。(中略)一方で、高齢者向け遊具の設置が進んでいる。(中略)子ども向け遊具との違いはほとんどないが、大人の体重に耐えられるよう支柱が太くなっている。子どもが使用することも可能だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/秋田魁新報:2011年10月21日) 次に、別の対象年齢制限遊具とも言えるいわゆる「高齢者向け遊具」や「健康遊具」の問題がある。確かに、そうした遊具を必要とする現状もわからないわけではないが、既存の(こども向け)遊具を活用することも考慮すべきだろう。使用時間帯がずれれば問題は少ない。 反対に、「高齢者向け遊具」や「健康遊具」は、記事が言うように「子どもが使用することも可能」で、実際にもこどもたちが使っているのをよく見かける。しかし、そんな遊具の中には、落下する可能性のある地面がコンクリートのものあり危険な遊具もある。 考えれば、昔は全くと言っていいほど使用年齢や対象者が絞られた遊具は無く、最近よく見かける複合(大型)遊具も無かった。それでも、公園であそぶ子は今より多かったし、大きなケガも少なかった。 同じ遊具でも、こどもたちは年齢に応じて使用の仕方を変えてあそんでいた。例えば、ブランコでは、親に押してもらう、自分で座る、座りこぎ、立ちこぎ、など様々なあそび方を工夫しながらあそんでいた。 ブランコ・滑り台・ジャングルジムなど、どこにでもある遊具は、どこにでもあるから、こどもたちはその使用の仕方を熟知することができる。どこが危険か、どうすれば危険かも、自ずと理解しやすくなる。 年齢ごとの遊具や、珍しい遊具、複雑な構造の遊具、健康遊具など、小さな公園にも様々な遊具がひしめき合う。特に最近は大型化が進み、遊具の周りにフリースペースが少ないところもあり、それはそれで危険性が大きくなる。 そうした公園のあり方もあるとは思うが、やはり昔のような頑丈で素朴な遊具こそ不特定多数が訪れる公園には必要なのだ。幼児用遊具や複合遊具や高齢者用遊具を設置するより、対象者を限定しないユニバーサルな遊具こそ、住民皆が訪れる公園には望ましい。 それが無理でも、昔のような素朴な遊具だけでも十分だ、特別製の遊具にお金をかけるなら、事故が起きないように点検整備をきっちりやる方が大切だ。キッチリ点検していれば、おとなが遊具を使っても大丈夫だ。少なくとも昔の遊具はそうだった。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.22
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【「パパもやってみて」。近所の公園で長女にせがまれ、鉄棒で前回りをやって見せた。娘を膝に載せ、ブランコにも乗った。秋田市公園課の担当者との雑談の中で、公園の遊具で子どもと遊び、久しぶりに童心に帰ったことを話すと、「あまりお勧めできない行為」との指摘を受けた。 「大人が使っても壊れることはないが、遊具には対象年齢がある」と担当者。子どもが遊具で大けがをする事故が相次いだことを受け、遊具メーカーなどでつくる日本公園施設業協会が2002年、対象年齢を掲示することを決定。同市でも、その後設置した遊具に「3~6歳」「3~12歳」などと記したシールを貼り付けている。 大人の使用を禁止してはいないものの、使い方によって危険な場合もあり、「対象年齢の骨格に合わせて設計されていることを理解してほしい」と同協会。(中略)一方で、高齢者向け遊具の設置が進んでいる。(中略)子ども向け遊具との違いはほとんどないが、大人の体重に耐えられるよう支柱が太くなっている。子どもが使用することも可能だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/秋田魁新報:2011年10月21日) 一見すれば、なるほどと思える記事に見えるが、詳細に検討していくと、幾つかのおかしな点、それは私がそう思うだけかも知れないが、違和感や疑問を感じる点がある。 「長女にせがまれ、鉄棒で前回りをやって見」せることや、「娘を膝に載せ、ブランコにも乗」ることが、何故「あまりお勧めできない行為」なのだろうか。親子の触れ合いを考えれば、お奨めしなければならないことではないのだろうか。 そのおかしな対象年齢付の遊具が出始めたのは、記事に指摘するように、「子どもが遊具で大けがをする事故が相次いだ」頃からとの指摘があるが、ここに遊具メーカーなどの重大な思い違いがある。 確かに、遊具には使用想定年齢があり、それを無視した事故もあるが、立て続けに起きている遊具事故のほとんどは、何らかの遊具の不良個所が原因で起きていたのだ。言い換えれば、遊具の点検・整備の怠慢による人的要因で事故が起きているのだ。 遊具そのものは、記事が指摘しているように「大人が使っても壊れることはない」のが一般的で、それは昔からずっとそうだった。考えれば、公園には、年齢・性別・ハンディキャップの有る無しに関係なく、不特定多数が訪れ、その誰しもが遊具を使用する可能性があるのだ。 同じ年齢のこどもと言っても、時にはおとなより体重の重い子も遊具を使用する。昨今は、運動能力の個人差が大きい、などなど、そもそも遊具の使用対象年齢を設定するのは適切ではない。もし、対象年齢付遊具が必要だとしても、少なくともその強度はおとなまでを想定すべきだろう。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.21
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【2歳未満の乳幼児はテレビやビデオを視聴すべきではないとの指針を、米国小児科学会が示した。会話能力などの発達の遅れにつながる恐れがあるとしている。 乳幼児とテレビに関する指針は1999年に米国小児科学会が初めて発表した。同学会は18日、ボストンで開いた会議で、多数のスクリーン装置の導入やテレビ視聴が学習や思考、言語能力、情緒や行動に与えるマイナスの影響に関する過去10年間にわたる新たな研究結果を踏まえて再度この指針を示した。 医師らによると、乳幼児は遊びや人々との交流からより多くの事柄を学ぶ。また、子供が周囲にいる時に自分たちのテレビ番組を見ている親は注意が散漫になり、それが子供の発達の鍵となる遊びや活動を損なう場合がある。同学会によると、親は子供の寝室にテレビを設置するのは避け、自身のメディア利用が子供たちにマイナスの影響を及ぼす恐れがあることを認識すべきであると指摘している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ブルームバーグ:2011年10月19日) テレビやビデオの視聴のこどもたちに及ぼす好ましくない影響は、数十年も前から様々な指摘があるものの、今なお「米国小児科学会」から指針が出されるのは、その問題が未だ十分には改善されていないのだろう。 テレビやビデオの視聴が及ぼす悪影響として、視覚や学習に対する指摘は多かったが、「情緒や行動」あるいは、あそびや発達に良くない影響があるとの指摘は、これまでにも数多くは無い。 上記記事で、特に留意しなければならないことは、このブログでも機会あるごとに指摘してきたことだが、テレビやビデオの過度な視聴は、こどもたちの「遊び」に「マイナスの影響を及ぼす恐れがある」ということだ。 これは、記事が指摘する「乳幼児」だけの問題ではなく、こども全体に言えることで、特に小学生以上のこどもたちには、テレビやビデオの視聴だけでなく、テレビゲーム・携帯ゲーム機や、ゲーム使用ではない携帯電話機などの過度な使用も、こどもたちの成長・発達さらには日常生活から社会関係にいたるまで、少なくない悪影響が懸念される。 今、広く流通する製品・商品には、使用上の注意書きが、添えられるようになってきたが、テレビ・ビデオ・ゲーム機などには、視覚だけでなく、こどもたちの発達に悪影響が生じる恐れがあるとの注意書きも、そろそろ必要となってきたと言える。 こどもたちの健やかな成長・発達を願う企業は、率先して前記のような注意書きを、製品・商品に添えるようにしていただきたい。もちろん、それを待たずに、親たち自らの、こどもたちへの賢く優しい対応が、望まれるのは言うまでもない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.20
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【ドゥエック氏の最もよく知られた研究は、クローディア・ミューラーとともに、ニューヨーク市内の12の学校で行ったものだ。研究では、5年生400人あまりに、言語を用いない比較的やさしいパズルを課題として与えた。テスト終了後、研究者たちは生徒たちに点数を伝え、簡潔な言葉でほめた。半分の生徒には彼らの知性をほめた(「あなたは頭がいいんだね」)。残りの半分には彼らの努力をほめた(「一生懸命やったね」)。 ドゥエック氏は最初、このほめ方の違いが大きな違いを生み出すとは考えていなかった。しょせん言葉にすぎないからだ。しかし実験の結果、5年生に与えられたほめ言葉に劇的な影響力があることがわかった。 まずは、最初の生徒たちにまた別のテストを2種類与え、生徒たち自身にどちらか好きなほうを選ばせた。ひとつは最初のものより難しいパズルだが、やればとても勉強になると説明された。もうひとつは、最初のものと同様の簡単なテストだ。努力をほめられた子どもたちは、90%近くが、難しいほうのパズルを選択した。一方、賢さをほめられた子どもたちは、ほとんどが簡単なほうのテストを選んだ。ドゥエック氏によると、知性をほめられた子どもは、自分を賢く「見せる」ことに気持ちを向けるようになり、間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/WIRED.jp:2011年10月18日) 次に、「賢さ」をほめられることに見られる弱点より、「賢さ」を否定的に評価された場合、時によってこどもたちに深刻な問題を引き起こすことは、学校などの教育現場や家庭において、一般的にも広く知られている。 しかし、たとえ万が一、「賢さ」への強烈な否定的評価が下されても、「努力」を正当に評価することを忘れなければ、問題の程度は軽くなると考えていいし、第三者がその「努力」をほめてあげることでも、こどもたちは救われる。 もちろん、強烈な否定的評価だけでなく、返されたテスト結果(成績)が暗黙の内にこどもたちに与える緩やかな否定的評価でも、自信を無くしたり、勉強の意欲を無くしたりもする。その時、「努力」の評価が無ければ、その可能性は大きくなる。 そして、この「努力」への評価は、結果(テストなどの)だけを評価するのではなく、その「努力」の過程を評価するのが最も効果的なのだ。だから、同じ子が、毎年「全国学力テスト」を受けて、その結果が良くなっても、その「努力」の過程を的確にほめてあげる上では、日々の授業において最も効果がある。 ましてや、全国順位と言う相対的な結果にとらわれる知事や市長に、こどもたちの「努力」を評価できないのはあたり前だ。もちろん、親たちも日々の家庭での学習で、こどもたちの「努力」の過程をほめてあげるようにしてほしいものだ。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.19
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【ドゥエック氏の最もよく知られた研究は、クローディア・ミューラーとともに、ニューヨーク市内の12の学校で行ったものだ。研究では、5年生400人あまりに、言語を用いない比較的やさしいパズルを課題として与えた。テスト終了後、研究者たちは生徒たちに点数を伝え、簡潔な言葉でほめた。半分の生徒には彼らの知性をほめた(「あなたは頭がいいんだね」)。残りの半分には彼らの努力をほめた(「一生懸命やったね」)。 ドゥエック氏は最初、このほめ方の違いが大きな違いを生み出すとは考えていなかった。しょせん言葉にすぎないからだ。しかし実験の結果、5年生に与えられたほめ言葉に劇的な影響力があることがわかった。 まずは、最初の生徒たちにまた別のテストを2種類与え、生徒たち自身にどちらか好きなほうを選ばせた。ひとつは最初のものより難しいパズルだが、やればとても勉強になると説明された。もうひとつは、最初のものと同様の簡単なテストだ。努力をほめられた子どもたちは、90%近くが、難しいほうのパズルを選択した。一方、賢さをほめられた子どもたちは、ほとんどが簡単なほうのテストを選んだ。ドゥエック氏によると、知性をほめられた子どもは、自分を賢く「見せる」ことに気持ちを向けるようになり、間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/WIRED.jp:2011年10月18日) 「ほめて育てよ」という格言があるが、そのほめ方によっても違いが生じるということだが、この記事は、それだけでなく、教育や子育てに多くの示唆を与えてくれる記事でもある。 どこぞやのタレント弁護士知事さんは、この記事をしっかりとかみしめてほしいものだ。結果に異常に反応するほど、いわゆる「全国学力テスト」依存を、この記事は痛烈に批判している。 文部科学省が推し進め、多くの自治体が参加する「全国学力テスト」は、「賢さ」を点数付けはするが、「努力」は全く見えてこない。ある特定時期の一回のテスト(試験)は、それだけでは「努力」を評価することは難しい。 少なくとも、別の時期の同じ内容のテスト結果を比較する必要がある。それでも、現実の教育現場では、テストの結果だけでは「努力」を見極めるのは困難な場合が少なくない。 反対に、たった一回だけでも、こどもたちの問題を解く過程をつぶさに見ることにより、「努力」がありありと見えてくることもある。たとえ、その時の「努力」の結果がおもわしくなくとも、「努力」している過程を見て、それに対する正当な評価はできる。 限られた設問によると、限られた「賢さ」の評価くらいが関の山の「全国学力テスト」を妄信する知事(市長)に、教育を語る資格も無いが、そんな知事(市長)に教育の「基本」を変えさせるのは、こどもたちにとって最悪の選択となるだろう。(その2に続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.18
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【子どもたちの〈科学好き〉な心に応えようと、愛媛大教育学部の准教授隅田学さん(41)(科学才能教育学)が、幼稚園年長児から小学2年生までを対象に、米国の大学と共同開発したプログラムによる体験型の自然科学学習講座「キッズアカデミア」に昨年度から取り組み、教育関係者の関心を集めている。(中略)特徴は目で見て、音を聴いて、触って、と五感で学ぶこと。聴診器やストップウオッチなどの器具を豊富に用い、好奇心を刺激する。白衣に身を包み、その気にさせる工夫も凝らす。 昨年度の「ヒトの体」の講座では、2人一組で互いの鼓動を聴診器で確かめ、1分間の拍動を数え合った。「ドクドクって音がするよ」。教室中に声が上がるが、表情は真剣そのもの。(中略)そのほか、モルモットの心拍数を数えたり、本物のブタの心臓を触って形や大きさを知ったり。教科書を読むだけではない内容に夢中で取り組んでいた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2011年10月17日) 記事の「学習講座」が、「子どもたちの〈科学好き〉な心に応えよう」とする意図は理解もできるし、それなりの効果も期待できるかも知れないが、度が過ぎると結局は、こどもたちのあそびに使える時間が減る可能性は大きく、こうした講座には手放しでは賛同できない。 「講座」は「体験型の自然科学学習」と銘打っているが、記事にあるような例を見れば、それもあまりにも「人工的」な感じが否めない。体験型ではあったとしても、少なくとも自然の体験とはほど遠い。 草むらでバッタやカマキリを追いかけ、野原で積んだ草花であそび、砂場では砂の感触を味わい、小さな池で小魚やザリガニを釣る、このような本物の自然とほとんど触れ合わないで、いくら「体験型の自然科学学習」をしても、「子どもたちの〈科学好き〉な心」に応える、本当の取り組みにはならないだろう。 そうした、本物の自然体験をするためには、こどもたちにもっと自由になる時間、あそび時間が必要なのだ。あそび時間の減少が、低年齢に広がりつつある今日、特に「幼稚園年長児から小学2年生まで」のこどもたちこそ、もっと自然とあそぶことが必要とされているのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.17
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(その2からの続き、引用記事は再掲)【滑り台やブランコなど、遊具がない公園内で子どもが想像力を働かせ、縄や段ボールなどの材料や道具を使い、遊びを考えて工夫して取り組む同イベントは広島市こども未来局・中央公園冒険遊び場「もとまち自遊ひろば」の会(TEL 082-504-2813)が主催。対象は小学生以下の子ども。7月末から休日を中心に定期的にイベントを開いている。 遊び場に対するニーズを確認するため、昨年7月から半年間は試験的にイベントを実施したが、同年11月末には2日間で約300人の子どもが利用。「潜在的な需要を感じた」と担当者。予算組みをして、常設化に向けて取り組みを始めた。(中略)利用者の目標数は100人。リピーターも多く、回数を重ねる度に利用者数は増えるが、サポーターとしてフォローするスタッフの配置人数の問題もある。目指すのは、小学生が自由にフラッと遊びに来て帰れる環境。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/広島経済新聞:2011年10月14日) 次に、本当に何も無い場所でのあそびの重要性と、そのあそびを成立させるための条件に付いて考察していく。実は、昔のあそびには、場所以外に何も無いところでのあそびは、数限りなくあったのだ。こどもたちは逞しい想像力(創造力)により、無から有(遊)を生み出していたのだ。 もちろん、無から遊を生み出すには、ここでも時間が決定的な条件となる。さらにそこに、あそび仲間と言う集団が確保されて、こども三人寄れば文殊の知恵となり、こどもたちの想像はあそびの創造を実現する。 最後に、前記のようなこどもたちの素晴らしい創造活動を実現する上で、「冒険遊び場」や学童保育・保育など、こどもたちにあそびに関わる、全ての取り組み・施設・団体・組織などでの、おとなの関わり方について私見を進める。 結論から言うと、逆説的だが、こどもたちのあそびへの関わりを、どうすれば断ち切れるのかを、一つ一つのあそびにおいて熟慮して、あそびに関わることが大切なのだ。 こどもたちがすでに、じぶんたちだけであそんでいるようなあそびでも、いつまでも関わり続けている場合は当然良くはないが、まだこどもたち自身だけであそべるようになっていないにも拘らず、そのあそびの指導・援助を放棄するのも問題がある。 以上、あそびを昔のように、こどもたちがその手に取り戻す日が来ることと、そのためにも「冒険遊び場」のさらなる発展・進化を願って、「あそびはこどもの仕事やで!」をここに記して、私見のまとめとする。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.16
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【滑り台やブランコなど、遊具がない公園内で子どもが想像力を働かせ、縄や段ボールなどの材料や道具を使い、遊びを考えて工夫して取り組む同イベントは広島市こども未来局・中央公園冒険遊び場「もとまち自遊ひろば」の会(TEL 082-504-2813)が主催。対象は小学生以下の子ども。7月末から休日を中心に定期的にイベントを開いている。 遊び場に対するニーズを確認するため、昨年7月から半年間は試験的にイベントを実施したが、同年11月末には2日間で約300人の子どもが利用。「潜在的な需要を感じた」と担当者。予算組みをして、常設化に向けて取り組みを始めた。(中略)利用者の目標数は100人。リピーターも多く、回数を重ねる度に利用者数は増えるが、サポーターとしてフォローするスタッフの配置人数の問題もある。目指すのは、小学生が自由にフラッと遊びに来て帰れる環境。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/広島経済新聞:2011年10月14日) こどもたちのあそび時間を質・量ともに充実させると言う課題を踏まえた上で、こどもたちが再び昔のような活気ある日々のあそびを取り戻すために、現在取り組まれている「冒険遊び場」の内容についての私見を述べていく。 まず、記事の取り組みもそうだが、「冒険遊び場」の中には、そのコンセプトとして「遊具がない」と謳ってはいるが、その一方で「縄や段ボールなどの材料や道具」は、おとなが用意しているケースが少なく無いのだ。 もちろん、おとなの皆さん方のそうした事前の用意(準備)は、時と場合によっては、必要で重要でもあるが、おとなたちのその「用意」は、既存の遊具と何ら変わらない要素を持っているのだ。 遊具は遊具なりに、事前のおとなによる「材料や道具」の準備は準備なりに、こどもたちのあそびは、基本的にそれらに規制されているのだ。こどもたちのあそびは、遊具と「材料や道具」が可能にする範囲に留まるのだ。 このことは、決して遊具と「材料や道具」を否定するものではなく、こどもたちのあそびにおいては、遊具や材料・道具は時と場合により、極めて重要なアイテムとなることは言うまでもない。 ようするに、過度に「遊具の無い」を強調する必要はないのだ。さらに、公園の遊具を使って、その遊具の基本的なあそび方以外にも、こどもたちは「想像力を働かせ」、極めて多彩に新しいあそびを今でも生み出していることも忘れてはいけないだろう。 そして、そのようなケースは、「フォローするスタッフ」などのおとなが誰一人いないところでも、こどもたちだけの力で成立しているのだ。そして、その成立を保障しているのは、集団的に確保された十分なあそび時間なのだ。(その3に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.15
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【滑り台やブランコなど、遊具がない公園内で子どもが想像力を働かせ、縄や段ボールなどの材料や道具を使い、遊びを考えて工夫して取り組む同イベントは広島市こども未来局・中央公園冒険遊び場「もとまち自遊ひろば」の会(TEL 082-504-2813)が主催。対象は小学生以下の子ども。7月末から休日を中心に定期的にイベントを開いている。 遊び場に対するニーズを確認するため、昨年7月から半年間は試験的にイベントを実施したが、同年11月末には2日間で約300人の子どもが利用。「潜在的な需要を感じた」と担当者。予算組みをして、常設化に向けて取り組みを始めた。(中略)利用者の目標数は100人。リピーターも多く、回数を重ねる度に利用者数は増えるが、サポーターとしてフォローするスタッフの配置人数の問題もある。目指すのは、小学生が自由にフラッと遊びに来て帰れる環境。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/広島経済新聞:2011年10月14日) 記事は、一般的に「冒険遊び場」「プレーパーク」と呼ばれている取り組みで、全国各地で着実に増えつつある。また、最近では上記記事のように、行政が関与した取り組みも見られるようになった。これらの取り組みに敬意を表しつつも、今後の発展を考えて、いくつかの課題を私見として提起したい。 まず、考えなければならないのは、「冒険遊び場」が増えてきているにも拘らず依然として、こどもたちの「一人あそび」の増加と、「外あそび」「集団あそび」の減少傾向は収まってはいないのだ。 その主要な原因は、記事にもある「小学生が自由にフラッと遊びに来て帰れる環境」が、整っていないことにある。そして、その環境改善で、もっとも決定的なことは、こどもたちのあそび時間確保にあるのだ。 あそび時間の確保と言っても、総量としてのあそび時間もさることながら、コマ切れではない継続したあそび時間が、日常的に確保されていなければならない。 さらに、こどもたち個人個人に、上記のようなあそび時間が確保されるだけでなく、ある一定の地域内に、そうしたあそび時間を持ったこどもたちが、集団で継続的に存在し続けることが重要なのだ。 そのためには、行政は行政として、親や地域の人たちはそれぞれの立場で、上記のような、量と質がともに豊かなあそび時間を確保する取り組みを進めることが大切だ。そうすれば、「冒険遊び場」の取り組みも、さらにいっそう大きな成果を上げるだろう。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.14
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【日本クラフトフーズは、主力ブランド「クロレッツ」の液体ミント入りリキッドガム、「クロレッツアイス」シリーズをリニューアルし、「クロレッツアイス -298c」と「クロレッツアイス -693c」を11月7日から、全国のスーパーマーケット、コンビニエンスストア、ドラッグストア、駅売店等で発売する。(中略)キリッとした冷涼感が特徴の「クロレッツアイス -298c」と、より刺激が強い「クロレッツアイス -693c」。それぞれ「2・9・8」が「冷たさ(ツメタサ)・究極(キューキョク)・半端ない(ハンパナイ)」、「6・9・3」が「むちゃ(ムチャ)・くちゃ(クチャ)・寒い(サムイ)」という言葉遊びになっている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/マイライフ手帳@ニュース:2011年10月13日) ネットニュースから長文を引用したのは、ガムのことについて綴るのではない。実は、引用部後半にある「言葉遊び」についてだ。そのことに入る前に、簡単な問題を出しておく。「1・9・3」「3・5・3」「10・5・3」は、それぞれ何と読む。 正解は、前から「一休さん」「西郷さん」「東郷さん」だ。ところで、これらは単なる「言葉遊び」ではなかったのだ。昔、大阪で流行ってた外あそびの中に登場するのだ。 それは、私のこどもの頃(1950年代)によくあそんだ「エビ跳び」と呼んでいたあそびに出てくるのだ。このあそび、鬼にあたる子が、馬跳びの馬になり、その馬を一人の親と何人かの子が、親の出す課題をこなしながら跳んでいくあそびだ。 その親の出す課題に、「1・9・3」「3・5・3」「10・5・3」が出てくる。要領は、みんな同じで、「3・5・3(西郷さん)」を例に説明すると、親が馬を跳び越してから、まず3歩だけ進む、次の順番の子は、同じように跳び越して3歩進むのだが、親よりも遠くへ進まなければならないのだ。さらに、次の子はその前の子より遠くへ進む。跳ぶ順番が遅くなると不利になるのだ。 ここまででも、脱落して鬼候補になる子が出るのだが、それだけでは終わらない。それぞれが進んだ位置から、今度は馬に向かって5歩進んで、馬を跳び越すのだ。うまく跳び越すことができれば、さらに3歩進むが、これも前の子よりも遠くへ進まなければならないと言うルールだ。 このように、この「エビ跳び」では、幅跳びや三段跳びなどの下地となり得るあそびとしては、面白いあそびだ。この体育会系的なあそびに、「言葉遊び」が登場していたのだ。 その昔大阪で大流行りだったこの「エビ跳び」、残念ながらほぼ完全に途絶えてしまってから、20年は経っているだろう。このあそび、広い空き地などは必要とせず、路地などでも十分にあそべるだけに、もったいないの一言だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.13
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【脳科学に基づいた「五感であそぶ知育科学シリーズ」の第1弾として、香りを嗅いでカードをあわせ、嗅覚を刺激し、脳の活性を促すはじめての知育玩具(中略)日常生活の中で教育や訓練を受ける機会がほとんどない嗅覚を体験遊びの中で刺激することで、脳の活性を促すことを目的とした市場にない新しいコンセプトの知育玩具シリーズです。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/@Press (プレスリリース):2011年10月3日) 引用記事は、「もう、うんざり!」とも言える「知育玩具」のプレスリリースだが、このような「玩具」をこどもたちに与えないと、知育ができない時代になってしまったのかと、あらためて今の時代の可笑しさを痛感するしだいだ。 この「玩具」のコンセプトである、「日常生活の中で教育や訓練を受ける機会がほとんどない嗅覚を体験遊びの中で刺激することで、脳の活性を促す」ことが、全く正しいとしても、このコンセプトには違和感がある。 確かに、嗅覚は「日常生活の中で教育や訓練を受ける機会がほとんどない」とも言えるが、それは制度的な「教育や訓練」であって、日常生活の中でも嗅覚能力を自然に育む機会はある。少なくとも、昔のこどもたちの生活にはあった。 わざわざ特別の「玩具」「を使って体験遊び」をしなくても、こどもたちのあそびには、嗅覚を育んでくれるあそびが、山ほどあったのだ。「玩具」の作り物の「匂いや香」を「体験」すると言う可笑しさに、気付くべきだ。 バッタを追いかける草原の匂い、レンゲの首飾りをつくった時のあの香、時には虫たちの嫌な臭いなど、これらを体験するのが、嗅覚を使った匂いや香りの、正真正銘の体験となる。このように、嗅覚を育む点でも、外あそびは優れているのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.12
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【原発事故で広がった放射性物質を取り除く除染について、環境省は、年間の被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域で行うというこれまでの方針を見直し、1ミリシーベルト以上の地域に対象を広げる新たな方針案をまとめました。費用についても国が負担するとしていますが、除染で出た土の保管や処理などについては具体案は示されませんでした。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/NHK:2011年10月11日) 上記記事を一見しただけでも、政府が決定した「計画的避難区域」の指定解除の欺瞞性が明らかだが、その「計画的避難区域」解除が実質的に功を奏するには、「除染」の問題があるが、その「除染」についての、素朴な疑問をつづっていく。その前に、もう一つの記事を以下に引用しておく。 【環境省は10日、東京電力福島第一原子力発電所事故で放射性物質に汚染された土壌や廃棄物の処分についての基本方針案を公表した。 警戒区域と計画的避難区域での除染については、特に被曝ひばく線量が高い地域を除いて「2014年3月末までに除染し、除去した土壌を仮置き場に搬入することを目指す」とした。焼却灰や汚泥については、これ以外の区域でも放射性セシウムが1キロ・グラムあたり8000ベクレル超の場合は国の責任で処分することを省令案に明記しており、福島県以外の東北地方や首都圏も含まれる。来月上旬にも閣議決定される。 警戒区域と計画的避難区域のみは、14年3月末の期限を設けた上で「年間20ミリ・シーベルト以下の被曝線量を目指す」(環境省幹部)としている。だが一方、両地域で除染活動もできないくらい高い線量の場所は、「モデル事業を実施しながら効果的な手法を確立する」としており、具体的な線量や処分の期限を明示していない。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2011年10月11日) 「除染」に対する素朴な疑問だが、そもそも「除染」の対象は、主として身体・衣服・容器・床・壁などの物や、せいぜい大きくて建物などの構造物を想定していた。少なくとも、地理的に大きく広がった場所は、想定外だった可能性がある。 それは、福島原発大人災後に政府が行ってきた?対策の経過や、現時点での上記記事のような対応を見ても明らかだ。局所的な除染と、地理的に広がった場所の「除染」とは、同じ概念を当てはめることからして、疑問が大きいのだ。 また、化学物質の除染と放射性物質の除染を、同一には扱えないことは言うまでもないとは思うが、多くの化学物質のように最終的に解毒・無害化できる除染と違って、基本的に自然崩壊を待たなければならない放射性物質の「除染」は、大きな困難が伴うことを付記しておく。 放射性物質の「除染」の本質は、放射性物質の移動と隔離なのだ。例えば、福島県内各地で進められている「除染」により、はぎ取られた汚染土壌は、「仮置き場」に集められている。「除染」した場所の放射線量は下がるが、「仮置き場」やその周辺は放射線量は高くなる。 「除染」が進むにしたがって、「仮置き場」の個所数が増えなければ、「仮置き場」周辺の線量は高くなる一方で、「仮置き場」の個所数が増えれば、地域内の高放射線量の個所が増えることとなる。「仮置き場」と言えども、何らかの放射線防護の対策がセットになっていなければ、「除染」の効果は一時的・限定的にならざるを得ないのだ。 政府が提示した今回の「方針案」が、計画的避難区域での「除染」で出された汚染土壌の「仮置き場」への搬入期限ですら「2014年3月末まで」、さらに「中間貯蔵施設」や「最終処分場」にいたっては、その計画の片りんさえ見えてこないような有様では、それは方針や計画とは無縁の、「絵空事」だと断ぜざるを得ない。 各自治体のあちこちに、「仮置き場」が増え過ぎれば、「中間貯蔵施設」や「最終処分場」の確保にも支障が生じる。国民は、のらりくらりの「どじょう」は必要としていない。「最終処分場」までの、詳細かつ具体的な計画を、一刻も早く策定・実施することを、「どじょう首相」に国民は要求しているのだ。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.11
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【新生活を始めたイギリス南東部に位置する街ケントは「イギリスの庭」と言われるだけあり、私にとってはピーターラビットの世界そのもの。なだらかに広がる緑の丘や自然と調和した田園風景が広がっている。今まで住んでいた大都市での生活から今回カントリーサイド(イギリスの田舎)に移り、変わったのは生活スタイルだけではない。家での子どもの遊び方が一変した。(中略)今までは公園や広場にある「用意された」遊具を利用することがイコール遊ぶことだったのが、カントリーサイドでは、何もないスペースのなかで工夫して、自分たちで遊びそのものを作るようになった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年10月8日) こどものあそびの一つの本質の現れである、「何も無いところからあそびを造る」と言うこどもたちの活動は、こどもたちの日々の生活の中で、多様性と日常性を兼ねそなえて、ほんの少し昔まで連綿と受け継がれてきた。 しかし、資本主義的な経済活動、しかもその行き過ぎた「発展?」の中で、この大事なあそびの本質は軽視・無視され、おとなたち(企業)による、「遊び」や「オモチャ」の提供過剰が進む中で、こどもたちは「何も無いところからあそびを造る」能力を、十分に育めなくなってきたのだ。 人類の未来を託されているとも言えるこどもたち、そんなこどもたちにとって、この「何も無いところからあそびを造る」能力の不十分さは、人類には大きな損失となると考えていいだろう。 そして、この「何も無いところからあそびを造る」能力を育むには、おとなによる「遊び」・「オモチャ」の提供過剰を止めるだけでなく、こどもたちにあそぶための、時間・空間(場所)・仲間、すなわち「あそびの三間(さんま)」も、十分に確保されていなければならないのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.10
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「何もないから遊びを作る」の見出しに魅かれたのが、次の記事だ。【新生活を始めたイギリス南東部に位置する街ケントは「イギリスの庭」と言われるだけあり、私にとってはピーターラビットの世界そのもの。なだらかに広がる緑の丘や自然と調和した田園風景が広がっている。今まで住んでいた大都市での生活から今回カントリーサイド(イギリスの田舎)に移り、変わったのは生活スタイルだけではない。家での子どもの遊び方が一変した。(中略)今までは公園や広場にある「用意された」遊具を利用することがイコール遊ぶことだったのが、カントリーサイドでは、何もないスペースのなかで工夫して、自分たちで遊びそのものを作るようになった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年10月8日) この記事の「何もないから遊びを作る」と言う一節は、あそびやおもちゃの本質のある部分を、教えてくれる一節となっている。 考えれば、生命史上初めてあそんだ生物から現在の人類に至るまで、あそびは未成熟な個体、すなわち子(こども)の特権でもあり、成長・発達にとって重要な活動でもあった。 そして、そのあそびは、ほとんどがこどもたち自身によって造りだされてきたのだ。当然、あそびに用いる道具としてのおもちゃもそうだ。おそらく、成熟した個体の親(おとな)が、あそびやおもちやを教え与えるようになったのは、あそびの発生よりずっと後の時代だろう。 「何も無いところからあそびを造る」のは、多くの生物の一つの重要な本質であり、その本質はこどもが主に担ってきたのだ。だからこそ、記事のように「何もないから遊びを作る」のは、全く不思議なことではない。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.09
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【徹底的な体育嫌いになった理由の一つに、先生の存在があった。「逆上がりぐらい、なんで、できんかねえ」。あきれた口ぶりは、いまも覚えている。なぜできないのか、知りたいのはこっちだ。(中略)体育嫌いは、たとえば鉄棒など見るのもイヤ、と近づかないので、ひょんなきっかけも見つからない。 無理強いの特訓は、かえって体育嫌いを助長するだけ。子供が進んで何度もトライしたくなるような楽しい雰囲気に、と先生がたには訴えた。体を鍛える「体育」ではなく、遊びの要素を加えた「スポーツ」の面白さを、小学生には伝えてほしい、と。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年10月6日) 私のこどもの頃(1950年代)も、記事の先生と似たような方もおられた。しかし、それでもほとんどの子にとって、少なくとも小学生の間は、「体育」の時間は、好きな授業の一つとなっていた。 それは、先生方の努力もあったとは思うが、それだけではない。今のこどもたちとは違う、重要な背景があったのだ。それは、小学校入学までに、身体を使ったあそびが豊かだったのだ。学校での体育の授業をこなせる、体力や運動能力が、就学前にある程度、身についていたのだ。 もし、記事のライターのように、小学生の時期に、体育が嫌いな子が多いとすれば、この点にも、今のこどもたちのあそびの問題が浮き彫りになる。小学校入学までの時期の、身体を使ったあそびの貧弱さは、大いに体育嫌いな子をつくる要因となるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.08
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【徹底的な体育嫌いになった理由の一つに、先生の存在があった。「逆上がりぐらい、なんで、できんかねえ」。あきれた口ぶりは、いまも覚えている。なぜできないのか、知りたいのはこっちだ。(中略)体育嫌いは、たとえば鉄棒など見るのもイヤ、と近づかないので、ひょんなきっかけも見つからない。 無理強いの特訓は、かえって体育嫌いを助長するだけ。子供が進んで何度もトライしたくなるような楽しい雰囲気に、と先生がたには訴えた。体を鍛える「体育」ではなく、遊びの要素を加えた「スポーツ」の面白さを、小学生には伝えてほしい、と。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年10月6日) 幸い、私は「体育嫌い」にはならなかった方だが、この記事で注目したのは、「無理強いの特訓は、かえって体育嫌いを助長するだけ。」と言う一節だ。 特に、こどもたちへの「無理強いの特訓」は禁物だ。それは、記事が言う、遊びの要素を加えた「スポーツ」はもちろんのこと、「遊び」ですら嫌いにさせかねないのだ。もっとも、このような「無理強いの遊び」は、私はあそびと考えてはいないが。 スポーツやあそびは、本来は自由意志に基づいて参加するもので、だからこそ、長続きもし、その面白さも実感できるのだ。それに反して、体育の授業には、その自由参加が認められず、授業への参加は基本的に義務的だ。 だから、記事ないあるな先生のような場合は例外としても、体育を教える先生方には、こどもたちを「体育好き」にするには、義務的参加と言う、クリアしなければならない難しい条件が横たわっているのだ。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.07
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以下のような、ランキング記事が配信されていた。【小学生や中学生のころ、自分がどんなことが好きだったか覚えていますか? 当時のアルバムを見ると、今の自分とは全く違うことに興味を持っていたりしますよね。そこで今回は子どものころやっていたけど、今はやっていないことを20代女性664名に聞きました。(中略) Q.子どものころ(小中学生)やっていたけど、今はやっていないことを教えてください(複数回答) 1位 交換日記 55.3% 2位 なわとび 34.0% 3位 お絵かき・塗り絵 32.7% 4位 ブランコやすべり台など遊具で遊ぶ 30.1% 5位 一輪車 27.4%】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/COBS ONLINE (ブログ):2011年10月5日) ちなみに、男性の結果は以下の通りだ。【 1位 カードゲーム 31.6% 2位 ドッジボール 18.9% 3位 なわとび 15.1% 4位 塾 14.4% 5位 ブランコやすべり台など遊具で遊ぶ 14.0% 5位 かくれんぼ 14.0%】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/COBS ONLINE (ブログ):2011年10月5日) 男女で共通しているのは、「なわとび」と「ブランコやすべり台など遊具で遊ぶ」だ。ただ、この「なわとび」は、あそびと言うより、体育の授業で行う、回数や技を競い合う検定のようなものとなっている。 このランキングを素直にとれば、20代の若者がこどもの頃には、男女ともに、まだ身体を使ったあそびを、それなりにしていたのかも知れない。ただ、男の子(当時)で「カードゲーム」が他を引き離しての1位なので、やはり外あそびの少なさは、すでに始まっていたとも考えられる。 さて、女の子で身体を動かすあそびとして「一輪車」があるが、男の子には、少なくとも5位以内に入っていないことが興味深い。そう言えば、一輪車あそびが全盛の頃、一輪車であそんでいるのは近所でも女の子が多かった。このあたりの事情を考えてみるのも、あそびの性差を考える一つのヒントになるだろう。 また、男の子に「塾」が入って、女の子に無いのも、塾に通う割合にも性差があると思われるが、これはおそらく、将来を考えての、学力・勉強に対する、親たちの男の子への期待の高さの反映と考えていいだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.06
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【教育玩具の輸入・開発・販売を行うボーネルンドは10月4日、「子どもの遊びと成長に関する母親の意識調査」の結果を発表した。 同調査は、9月上旬に0~6歳の子どもを末子に持つ全国の母親1,000名を対象に、インターネットで実施。(中略)子どもの成長にとって重要だと思う項目については、1位「思いやり」(60.9%)、2位「コミュニケーション力」(54.0%)、3位「話す力・聞く力」(33.4%)の順となった。(中略)勉強や遊びが子どもの成長にどのくらい役に立つかを尋ねたところ、勉強が役に立つと考える項目は1位「学力」(93.9%)、2位「話す力・聞く力」(86.1%)、3位「自信」(85.0%)となった。遊びが役に立つと考える項目は、1位に「体力・運動能力」「好奇心」(97.9%)が並び、次いで「コミュニケーション力」(97.0%)、「創造力」(96.7%)となった。「学力」以外のすべての項目で、遊ぶことが「役に立つ」という回答が87%を超えており、多くの母親が子どもの成長に遊びは欠かせないと認識していることが伺える。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/防災グッズマガジン:2011年10月3日) 確かに、記事の調査結果を一見すると、「多くの母親が子どもの成長に遊びは欠かせないと認識していることが伺える。」かも知れないが。現実には、こどもたちのあそびは、外あそび(身体を使ったあそび)や集団あそびが減り、屋内での一人あそびが増加する傾向が続いている。 このギャップは、どこからくるのだろうか。その一つの理由は、この調査の対象者のほとんどが、就学前のこどもを末子に持つ母親となっていることだ。 上に兄弟児がいたとしても、少子化を考慮すれば、調査対象は比較的幼いこどもを持つ母親と考えられるが、こどもたちが小学校の高学年にもなってくると、俄然あそびより勉強の方が、母親の関心のまととなる。 それは、小学校の中・高学年くらいから、塾に通わせる家庭が増えたり、塾の回数が増えたりする傾向が示している。「あそび重視」と言うタテマエが、「勉強重視」の本音にとって代わられるのだ。 さらに、あそびに対して、「体力・運動能力」や「コミュニケーション力」などを期待しておりながら、ゲーム機やパソコンを買い与えて、結局はこどもたちに、屋内で身体をほとんど使わない一人あそびを、させてしまているケースが少なくないのだ。 親たちが徹頭徹尾、あそびを大切に思っているのなら、今のこどもたちのあそびの憂うべき現状は無かっただろう。もちろん、親たちだけの責任ではなく、文部科学省も含めたおとなたちが、「あそび重視」のタテマエをあっさり捨てて、結果として「勉強偏重」を推し進めてきたことにも責任があるのだ。 さらに、少なくない玩具産業や教育産業が、「こどものため」と言う仮面を被って、その利潤追求のために、結局は、こどもたちの健やかな成長・発達を、ないがしろにしてきた責任は重大だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.05
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【3.11の巨大地震は子供たちの心に大きな傷をもたらし、その痛みは発災から6ヶ月以上が経過した今も癒されることなく続いている。同時に、子供にとって、もっとも重要な「学びと成長の場」である「遊び」の環境も激変し、そのなかでの子供の心のケアが急務となっている。(中略)そんななか、公益財団法人日本レクリエーション協会は、震災後の子供たちの遊びを再考するシンポジウム「『子どもが変わる、子どもを変える』~あそび活用研究フォーラム~」を開催する。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/防災グッズマガジン:2011年10月3日) あそびが、こどもたちにとって、【もっとも重要な「学びと成長の場」である】との指摘には、大いに賛同する。この「シンポジウム」が、震災後のあそびだけでなく、今のこどもたちにとっての、あそびの大切さを再考する、一つの大きなきっかけとなることを願っている。 こどもたちのあそびの大切さに関わって、次の記事も重要な示唆を与えてくれる。【現在、戸倉小学校の子どもたちは、隣市の廃校を仮校舎に学校生活を送っているが、麻生川校長は「震災から半年が過ぎ、(学校現場での)子どもたちに関する懸念は随分減ってきました」と言う。また、「スクールカウンセラーの先生にも来ていただいていますし、子どもたちが元気すぎて、最近では怪我をしないか、そちらの方が心配です」と付け加えた。(中略)津波が押し寄せたとき、同校では91人が先生方の指示で逃げたが、保護者やソロバン塾の先生など大人が近くにいたものの14人は自分たちで逃げたのだそうだ。(中略)危険から身を守れるようになるためには「失敗を恐れたらダメ」「危ないことは危ないことって自分でわかるようにならないといけない」。「鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたりという中で、そういうことの大切さを知らないとダメなんじゃないかとすごく思ったんです」。そして「全国の子どもたちに言いたいことは遊べということ。集団で昔みたいな遊びをしてほしいと思います」と語った。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年10月3日) 長文の引用となったが、大事なのは後半の、「全国の子どもたちに言いたいことは遊べということ。集団で昔みたいな遊びをしてほしいと思います」の指摘だ。 こどもたちの危機察知能力をはじめとした危機回避能力を培うには、あそべと言うことだ。そして、そのあそびは、けっして今のこどもたちによく見る「遊び」ではなくて、昔のあそびなのだ。 そのあそびについては、このブログでも度々紹介していることだが、集団が最も望ましいが、誰か仲間とあそぶことが重要なのだ。他のこどもたちとのあそびは、他のこどもたちの、危険回避能力などの、様々な能力を吸収する場となる。 さらに、集団は、単に個々の能力を高め合うだけでなく、その結果として集団そのものの質を変え、集団の持つ教育力が高まる。だから、その集団の構成員であるこどもたちは、その能力を加速度的に高めていくのだ。 こどもたちのあそびを再考する上で、上記の点をおさえながら、昔のこどもたちのあそびから、あそびの素晴らしさや大切さを、学び取ることが重要だ。 さらに、大切なのは、素晴らしい昔のあそびを、こどもたちから奪っていった「もの」が何であったのかを探り出し、今の状況に調和する形で、昔のあそびそのものを、実際のこどもたちの日々に取り戻すことだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.04
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最近、スーパーマーケットでも、放射性物質検査済みのラベルの貼った商品を見かけるようになった。また、自治体のHPなどでも、食品の放射性物質検査結果報告も掲載されるようになった。 それでも、私を含めた国民の多くは、不安がぬぐいきれない。それを、一言で「風評被害」として片付けるのも、誤りだろう。何故なら、元を正せば、原発人災直後の、政府対応のまずさに全てが起因しているのだ。 原発人災の責任企業である東京電力の言いなりの、政府の事故対応が延々と続き、今なお一向に改善されない。そんな政府が、急きょ決定した「暫定基準」では、その信用性そのものが、最初から歪んでしまっていたのだ。 さらに、人災後7ヶ月にもなろうとしているのに、食品の安全基準が、未だに「暫定基準」となっている。こう長くなれば、「暫定」の言葉に、「非常時」と言うニュアンスさえ強くなってくる。だから、「暫定基準」が非常事態の時の恒常的な基準と思い込み、「暫定基準」がクリアされていても、一向に不安が拭い去れないのだ。 さて、そんな食品の放射能検査に、「ND(不検出)」や「検出されず」という言葉が、頻繁に出てくる。本来は安全の指標となるこの言葉も、残念ながら国民の不安を、完全には拭い去れないのだ。 そもそも、検査機器の性能により、「ND」となる数値が違ってくるのだ。100ベクレル以下で「ND」となる機器と、1ベクレル以下で「ND」となる機器では、「ND」の意味することが全く違ってくるのだ。「暫定基準」を決めた際に、同時に検査機器の性能基準も決めるべきだったのだ。 それでも、「ND」表記があればまだましで、ただ単に「暫定基準をクリアしています。」だけでは、「499ベクレルかも知れない。」と言う不安の声を、責めることはできない。 これらの、不安を解消するには、検査機器の性能基準を決め、「暫定基準」を正式基準にし、検査後の表記に、消費者が選択しやすいように、検査数値をそのまま表記するのが難しいなら、せめて「ND」と「基準クリア」の二段階表記を義務付ける(推奨する)ことから始めるべきだろう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.03
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【最近、公園の砂場で遊んでいる子供を見ると心配してしまう。放射能の問題もあるし、大人の立場からすると気が気じゃない。だけど、無邪気に砂と戯れることができないのは可哀想だ。自分の子供時代は、思いっきり“団子遊び”をしていただけに……。そんな時代にうってつけの、非常に不思議な商品が開発された模様。(中略)“抗菌力を備えた砂”。この砂には、摩訶不思議な性質がある。空気に触れると、砂が自分で除菌していくというのだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/エキサイト: ニュース:2011年10月2日) 記事の「砂」は室内砂場用として利用できるそうだが、「抗菌室内砂場」、「木材チップ砂場」、「プラスティックボール砂場」など、わけのわからない砂場?が、最近増えつつある。これは、近年盛んになってきた抗菌ブームの、一つの帰結でもある。 このように、こどもたちの身の回りの物や場所の抗菌化が進んでいるのとは裏腹に、こどもたちの細菌に対する抵抗力・免疫力が低下していると言われているのも事実だ。 適度に雑菌と接触してはじめて、その菌に対する免疫力が獲得される。おそらく、その雑菌との免疫力の獲得の習熟は、より新しい菌への免疫獲得能力を鍛えてくれるだろう。 だからこそ、記事のライターは、「子供時代は、思いっきり“団子遊び”をして」いても、おとなに成長できているのだ。また、公園の砂場に、犬猫防止柵が無かった時代のこどもたちも、思い切り砂場あそびをしていても、健やかに育ってこれた。 だから、柵のある砂場なら、毎日のようにあそんでも、過度に心配することは無いのだ。こどもたちの命を脅かす、細菌による感染症は、人と人を介してか、あるいは食品を通じての感染事例の方が、圧倒的に多い。 抗菌室内砂場は、せめて放射能汚染などのように、特別の理由がある場合に活用するのが、こどもたちにとって、人間らしい生活をつくり、多様な免疫力を培うだろう。過ぎたるは及ばざるがごとし、これは砂場にも当てはまる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.02
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【英国の田舎町生まれのロバートさんは自身の子どものころのように、子どもたちには自然の中で遊んでほしいと願う。「日本では川で死亡事故があると、学校は『川に近づかないように』と言う。子どもたちは、自然は敵だ、川はモンスターだと思ってしまう」。危険を察知する能力を、子どもたちは遊びの中で自然に覚えるものだと思う。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/カナロコ(神奈川新聞):2011年9月30日) 私の印象としては、近年、池や川などでのあそびにおける、こどもたちの水死事故が多いように感じている。少なくとも、私のこどもの頃(1950年代)と比べれば確かなことだ。おとなになるまで、同じ校区内のこどもは、そうした事故は記憶に無い。 もちろん、当時のこどもたちが、池や川であそんでいなかったわけではない。おそらく、今のこどもたちより断然多くあそんでいただろう。それは、引用記事にあるように、「危険を察知する能力を、子どもたちは遊びの中で自然に覚え」たからと言えなくもない。 その反対に、今のこどもたちは、川や池などであそぶ機会が極めて少なくなり、その結果として、痛ましい水死事故が起きているのかも知れない。経験不足にもかかわらず、いきなり自分の能力では危険回避に不十分な場所で、あそんでしまった結果としての事故だと考えられる。 川や池などでのあそびにおける「危険を察知する能力」は、単にあそび場の川や池の水深・流速・地形などの把握だけでなく、自分の身体的能力との関係で、それらの自然条件を的確に判断できるかの能力だ。 その能力を育むには、やはり川や池などでのあそびの経験が重要で、浅い小川などの、比較的安全な水辺からあそびはじめることができれば、より確かのものとなるだろう。また、「鬼ごっこ」「どうま(馬跳び)」などの、身体各部を使ったあそびに習熟するのも大切だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.10.01
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