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【任天堂がゲームソフトの販売戦略見直しに動いた。購入したソフトで遊んだが、なかにはもっと楽しみたいという人もいるだろう。そんな声に応えるのが任天堂が始める新しいサービス。インターネットを通じてゲームの続きを配信するもので、従来の任天堂にはなかった販売手法だ。個性的なゲーム専用機と魅力あるソフトの組み合わせで市場を切り開いてきた業界のガリバーが、ネット時代にふさわしい戦略を模索し始めた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2011年12月31日) この記事には、今の時代の遊びの一つの特徴があらわれている。その特徴とは、「友達は無くとも遊べるが、金が無いと遊べない」と言うことで、記事にあるような、ゲーム機やゲームソフトの普及により急速に拡大されていった。 もちろん、遊び仲間がいない時でも遊べるのは大事な一つの利点でもある。しかし、それは裏を返せば、意識的に遊び仲間を見つける必要も手間も省くこととなり、そのことはともすれば、「一人あそび」に陥りやすい条件ともなる。 また、記事のような「課金型ゲーム」が増えると、ますますお金が無いと遊べなくなっていく恐れがある。今、「遊ぶ金」欲しさの犯罪が、低年齢層にまで拡大する傾向にあるが、それは「金が無いと遊べない」遊びが増えた一つの結果でもある。 このような今のあそびとは全く逆だったのが、高度経済成長期までの時代だった。お金が無くても、友達さえいればあそべる時代だったのだ。おとなはともかくとして、「友達は無くとも遊べるが、金が無いと遊べない」と「お金が無くても、友達さえいればあそべる」のどちらが、こどもたちにとって良いのかは明らかだろう。 無料ゲームを謳い文句にして「課金型ゲーム」に誘い込む企業が、プロ野球に参入することを批判した方がいるが、前記のことを考えると、それは極めて良識ある見解だと思う。「課金型ゲーム」の全てを否定するわけではないが、少なくともこどもたち(未成年も)を対象にするのだけは避けるべきだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.31
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【長崎県佐世保市島地町の「佐世保独楽こま本舗」で、来年の干支えと・辰たつにちなみ、龍をあしらったこま作りがピークを迎えている。 佐世保独楽は県指定の伝統的工芸品で、ラッキョウのような形が特徴。逆さまに投げても起きあがり、よく回ることから縁起物として親しまれている。(中略)直径2~13センチで1680~2万円。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2011年12月18日) 記事にある独楽(コマ)だけでなく、和凧や羽子板も、「伝統的工芸品」や縁起物として、もっぱらおとなたちが買い求めている。そんな「伝統的工芸品」のほとんどは、かつては地方地方のこどもたちがあそんでいたおもちゃだった。 そして、そんな「伝統的工芸品」の多くは、その価格も記事にあるように「伝統的工芸品」にふさわしい高価なものとなっている。だから、それでこどもたちがあそぶにはもったいなさ過ぎるし、実際あそぶ子は珍しいと言える。 それでも、そんな「伝統的工芸品」になったおもちゃで、再びこどもたちがあそぶ時代が、来る可能性があるのなら、記事のように細々とでも作り続けてほしいものだ。できれば、装飾品・縁起物としてしか使えないのではなく、直ぐにでもあそべるような形であり続けてほしい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.30
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(引用記事は再掲)【政府の東京電力福島第1原発事故調査・検証委員会が中間報告で厳しく指摘したのは、国、電力側などの原発に対する安全軽視の現状である。世界も震撼(しんかん)させた過酷事故は、想定も自然災害との複合事故への視点も、対策も講じなかったことが最大要因だとすれば、事故は明らかな「人災」だったといえる。(中略)中間報告は同時に、首相執務室や官邸地下の危機管理センター、保安院、原子力安全委員会の連携と危機管理が果たせず、「対処遅延の連鎖」が起きたと指摘。発表への官邸の過度な介入も明らかにしている。(中略)中間報告は地震による影響分析や炉型の根本的問題、風評被害や自治体の対応などに踏み込まず、十分とはいえない。原子力安全委員会の役割も厳しく検証するなど、来年夏の最終報告へ向けて深層部まで全容解明に努め、原発の安全確保に資する提言に結び付けるべきだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/福井新聞:2011年12月27日) 一昨日のブログで感想をつづった「原発事故調中間報告」について、もう一点だけ感想をつづる。それは、今回の福島原発事故は、大人災と言われるように、極めて人為的な要因で引き起こされた事故だが、引用記事も指摘しているように、「中間報告」は「地震による影響分析や炉型の根本的問題、風評被害や自治体の対応などに踏み込まず、十分とはいえない。」 これは、福島原発以外の全ての原発の安全性にも関わる重大な問題なので、ぜひ解明が望まれる。ただ、この中間報告を出した「福島第1原発事故調査・検証委員会」の委員長が「失敗学」で有名な畑村洋太郎氏で、しかも原発の専門家が一人もいないので、特に原発そのものに存在する事故原因の究明は難しいかも知れない。 このような中途半端とも言えるような、原因追及の現状では、停止中・稼働中・建設予定の原発の安全性の確認はあり得り得ないだろう。だから、停止中の原発の再稼働は許されないし、稼働中の原発の一刻も早い停止も必要となる。 そう考えると、この中間報告は、「人的要因さえ除けば原発は安全だ」と言う間違った方向へ、世論を誘導しかねないものだと言える。だから一刻も早く原発そのものにある事故原因、例えば津波によるのではなく、地震そのものによる原発の損傷が無かったのかなどの究明が望まれる。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.29
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【小中学生のボールを投げる能力が低下していることが、県教委の「児童生徒の体力・運動能力調査」で分かった。同委は「ボール投げは遊びの中で身に付く能力。親とのキャッチボールや、友達同士のボール遊びができる環境が少なくなったことの影響ではないか」とみている。(中略)県教委は「昔はこま回しとか紙鉄砲など、手首の力や握力を必要とする遊びが盛んだった。遊びながらできる運動の促進に力を入れたい」と対策を挙げている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2011年12月28日) 「最近の子どもは遠投が苦手?」は、上記にある栃木県におけるこどもたちの記事の見出しだ。記事は、そうなった原因として、「親とのキャッチボールや、友達同士のボール遊びができる環境が少なくなった」としているが、はたしてそれだけが原因だろうか。 何故なら、昔でも「親とのキャッチボール」は多かったわけではないし、「友達同士のボール遊び」は確かに多かったと言っても、その場所は広い場所ばかりではなかった。狭い場所でもできるボールあそびが主だった。また、記事が指摘しているように「こま回しとか紙鉄砲など、手首の力や握力を必要とする遊び」は、屋内でもできる。 要は、このブログでも度々指摘しているように、日々のあそび時間が、個々のこどもたちだけに保障されるのだけでなく、地域内のこどもたちが一緒にあそべるように、ほとんど全てのこどもたちのあそび時間が共通して保障されなければ、遠投力は育っては来ないのだ。 ドッジボールや草野球などのボールあそびは、最低でも数名のこどもたちが同じ時間帯に揃わなくてはあそべない。手首のスナップが必要なメンコあそびや「釘さし」なども相手が必要で、一人でもあそべる「こま回し」でも、大勢であそべばもっと面白い。 このように、昔のような「手首の力や握力を必要とする遊び」の多くは、地域内の多くのこどもたちに共通のあそび時間が、できれば毎日確保されることが、大事な条件となっているあそびなのだ。 もちろん、このことは、遠投能力だけでなく運動能力全般(体力)を培うための多くのあそびにも言えることで、そんなあそびが成立するためにはあそび場だけでなく、こどもたち共通のあそび時間が必要なのだ。 だから、栃木県の教育委員会だけでなく、全ての自治体の教育委員会、そして文部科学省は、こどもたち共通のあそび時間を十分に確保するするように、抜本的な教育の改革をしなければならないのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.28
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【政府の東京電力福島第1原発事故調査・検証委員会が中間報告で厳しく指摘したのは、国、電力側などの原発に対する安全軽視の現状である。世界も震撼(しんかん)させた過酷事故は、想定も自然災害との複合事故への視点も、対策も講じなかったことが最大要因だとすれば、事故は明らかな「人災」だったといえる。(中略)中間報告は同時に、首相執務室や官邸地下の危機管理センター、保安院、原子力安全委員会の連携と危機管理が果たせず、「対処遅延の連鎖」が起きたと指摘。発表への官邸の過度な介入も明らかにしている。(中略)中間報告は地震による影響分析や炉型の根本的問題、風評被害や自治体の対応などに踏み込まず、十分とはいえない。原子力安全委員会の役割も厳しく検証するなど、来年夏の最終報告へ向けて深層部まで全容解明に努め、原発の安全確保に資する提言に結び付けるべきだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/福井新聞:2011年12月27日) 日本(世界)で最も原発が密集する福井県の新聞社だけあって、記事は、「原発事故調査・検証委員会」の「中間報告」に対して厳しいものとなっている。特に、今回の事故を「人災」と断じている点は、国民の多くが共感できるものだ。 さらに、この人災は、単に「過酷事故」そのものが起きた時点でけでなく、記事も指摘しているとおり、その後の政府・東電の対応によっても、その事故(被害)が拡大された点で、少なくとも二重の人災となる。 それは、現場での政府側の指揮官でもある「原子力安全・保安院」の「検査官」が事故直後にとった、次の許されない行動が如実に物語っている。 【報告書によると、東電の事故対応を指導監督する立場の検査官は3月12日早朝、4人全員が現場を立ち去り、約5キロ離れた対策拠点のオフサイトセンターに戻っていた。放射線量の上昇により、屋外の防災車の搭載電話が使えなくなったのが理由とするが、中間報告は「東電の回線など他の手段で状況報告は可能だった」とみている。 13日朝には、海江田経済産業相から炉心への注水状況を監視するよう指示を受け、検査官4人が原発に入った。だが、対策本部のある免震重要棟の一室に閉じこもり、東電社員から資料を受け取るだけだった。14日午前11時過ぎには、3号機が水素爆発を起こしたため、身の危険を感じ、同日午後5時頃、上司の明確な了解がないまま同センターに引き揚げた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2011年12月27日) 今回の福島原発大人災は、政府と東電により、引き起こされた上に、さらに被害が拡大されたのだ。いや、正確には、未だ被害が拡大され続けており、野田首相が宣言した「収束」とは、ほど遠い状況だ。加害者が被害者を無視して「収束」と宣言する、この世界的な恥さらしの内閣が野田内閣の正体なのだ。 この人災を本当に収束させるには、この内閣を打倒することも、選択肢に含めなければならないし、もちろんその内閣に代わる政権は、これまでに原発推進をしてきた歴代政権の与党や、その流れをくむ新しい政党でもないことは言うまでもない。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.27
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【「現代人は眠りを軽んじている」。そう警鐘を鳴らすのは、金沢大で睡眠と覚醒の仕組みを研究する桜井武教授。取材で「睡眠中に脳はため込んだ情報を整理し、記憶する。眠りは、脳のメンテナンスに必須の機能なんです」と強調していた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2011年12月12日) 昨日のブログで、今のこどもたちの就寝時間の遅さを取り上げたが、それはとりもなおさず、こどもたちの睡眠不足を意味する。となると、上記記事にあるように、いまのこどもたちの「記憶」や「脳のメンテナンス」への危惧も生まれる。 このブログでは、今のこどもたちのあそびの様変わりが、学力の低下さえ招いていると指摘してきたが、あそびが夜にシフトすることによる睡眠不足で、「記憶」や「脳のメンテナンス」が十分でないことも、学力低下の一因であると考えてもいい。 このことは見方を変えれば、せっかくあそび時間を削ってまで、塾や習い事に通っても、睡眠不足では、その効果も十分には期待できないこととなる。これは、塾や家庭学習などの「勉強時間」が増加しているにも拘らず、学力の向上が思わしくない現状とも符合する。 だから、引用記事の冒頭部分の一節を借りれば、「現代のおとなたちは、こどもたちの眠りを軽んじている」と言える。こどもたちの健やかな成長と、豊かな学力を願うなら、こどもたちの昼間のあそび時間と睡眠時間の両方を確保することが大切なのではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.26
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【「家政婦のミタ」の勢いはお茶の間を超え、全国で社会現象になっている。小学校では、“ミタごっこ”が流行。授業中に「承知しました」「それは業務命令ですか?」などとミタの口癖をまね、先生を苦笑させている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2011年12月24日) 日本のテレビドラマでは今世紀最高の視聴率とも言われる「家政婦のミタ」、当然こどもたちも例外ではなかったと言うことか。確かに、こどもたちは人気テレビ番組に影響され、それがあそびや言葉遣い(これもあそびと見なせるが)にあらわれることは、ごく普通のことだ。 しかし、上記記事は、よく考えれば、如何にこどもたちの就寝時刻が遅くなっているかを物語る記事ともなる。夜10時から始まる「家政婦のミタ」を、かなり継続的に見ないと、「承知しました」「それは業務命令ですか?」は、あそびには使用されない。また、クラス内のこどもたちの多くがそれを知っていないと、「承知しました」は、あそびの言葉としては通用しない。 要するに、多くのこどもたちが習慣的に夜遅くまでテレビを視聴していないと、小学校での記事のような出来事は成立しないのだ。こどもの頃は、夜9時にはすでに床に就いていた私にとっては、異常とも思える、今時のこどもたちの嘆かわしい状況だ。 昨日のブログでは、こどもたちの「テレビ離れ」について論じたが、テレビ離れが進んでも、まだ日本のこどもたちのテレビ視聴時間は、最も長い国の一つとなっている調査結果もあるそうだ。 身体を十分に動かし使うあそびが減り、身体がほとんど疲れていないので、塾や習い事などであそび足りなさを、夜にとり戻しているのだろう。身体を十分に使えば、夜10時に目が冴えていることはほぼ無い。何が、こんなこどもたちにしてまったのか?。おとなは何と答えればいいのだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.25
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【厚生労働省が2011年12月22日に発表した全国家庭調査結果(2009年調査)によると、テレビ・DVDを「ほとんど見ない」と回答した18歳未満の子どもの割合が6・6%となり、2004年に行われた前回調査の2・6%に比べて、2倍以上に増加したことが分かった。 インターネットの普及や娯楽の多様化で、子どもがテレビを見なくなったと言われれる。インターネットの世帯普及率は2007年から9割を超え、携帯電話も同年の時点で6~12歳で3割、13~19歳では8割以上が所有している(総務省調べ)。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ニコニコニュース:2011年12月23日) こどもたちのテレビ視聴が減ったからと言って、外あそびが増えたわけではないことは、このブログでも紹介したように多くの指摘がある。だから、記事にもあるようなインターネットや携帯ゲーム機(携帯電話)によるゲームが、テレビやテレビゲームにとって代わったのだろう。 同じ映像媒体とは言え、テレビとパソコンモニター・携帯ゲーム機(携帯電話)の画面とは違いがある。それは、目と場面の距離が大きく違うのだ。要するに、テレビ離れは、こどもたちがより近い距離を長時間見つめ続けることを意味するのだ。 さらに、最近では3D仕様のゲーム機が加わり、動物が視力を獲得して以来、延々と続けてきた「見る」という活動、いわば自然な形での目の使い方とは違った使い方を日常的にすると言う、きわめて由々しき事態に、こどもたちは陥っているのだ。 このことを、ゲーム機やゲームソフトなどを製造・販売している企業は、真摯に受け止め、こどもたちの「見る」環境が、これ以上におかしくならないように努力すべきではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.24
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【四国の最南端、足摺岬で南十字を仰ぐ」なんと南国らしい素晴らしい光景であろう。今から数千年の昔には「南十字」は日本の空に高く輝き、日本人にとっておなじみの星座だった。ところがその後、南十字は次第に南に下り、ついに水平線下に消えたとしている。いや日本では見えないというのが正しい。そのヒントはコマにある。(中略)コマを地球に例えてもらいたい。コマの金属の軸が地球の地軸で、北極に向いて廻っている。そして丸いコマの輪郭を赤道に例えればよい。 廻し始めのコマは勢いがあり、心棒は静止している。高速で回転し、微動だにしない。このままであれば、コマは「慣性の法則」に従い、いつまでも廻り続けるはずである。しかし床との摩擦による抵抗や引力の影響で段々と回転が遅くなり、次第に心棒はかぶりを振りはじめる。そして、床にごろごろと転ぶ。すなわち地球は、転びかけのコマのようにゆっくりと回転してかぶりを振っている。しかし、そのかぶりは極めてゆっくりとしており、何万年という長い周期で1回転する。今はコマたる地球の極軸の方向に北極星があるが、しかし次第にずれていって、極軸の方向にはいなくなるのである。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年12月13日) 記事は、まだまだ「地軸の傾き」についての説明が続くのだが、この説明を理解する上で、コマの回る様子を生き生きと思い浮かべることができることが欠かせない。だから、コマでほとんどあそばなくなった今のこどもたちには上記の説明は難しいかも知れない。 今、「理科離れ」や「理科が苦手」が、日本教育の一つの課題となっているが、こどもたちから「ゆとり」を奪ってまで遂行された初等教育、「ゆとり」を取り戻すと言う仮面を被り引き続きこどもたちから「ゆとり」を奪った「ゆとり教育」、その反動でさらに一層「ゆとり」が削られた現行教育、と言う一連の教育行政の「成果?」が招いた結果でもある。 こどもたちからコマ回しをはじめとした昔のようなあそびを十分に楽しむ「ゆとり」を奪ってまで、これでもか!これでもか!と、こどもたちを勉強に闇雲に駆り立てたその結果、理科を一つの典型とした学力低下が招かれたと言えるのだ。 こどもたちを理科好きにし、理科の学力を本当に向上させるには、生きた理科教材とも言えるようなあそび、それは昔のあそびには数限りなく存在していたが、そんなあそびを、昔のように十分にあそべる、真の「こどものゆとり」を取り戻すことで可能になるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.23
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【英ロンドンの老舗玩具店ハムリーズがクリスマスを前に、「男の子」と「女の子」の分類を廃止した。これに先立ちブロガーの女性が、玩具売り場をブルーとピンクに塗り分けて男女を区別するのは性差別に当たると主張して批判キャンペーンを展開していた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/CNN Japan:2011年12月22日) 「玩具売り場をブルーとピンクに塗り分けて男女を区別するのは性差別」にあたるかどうかは意見が分かれるところだ。同様に、こどもたちのあそびにおける「性差」の是非も難しい問題だ。 男女と言う性が存在し、その性差にともなう、身体的・精神的な違いが、あそびに何らかの違いを生み出すことは、十分に想定できる。同じあそびをしていても、男女それなりの違いがみられる場合もある。 もちろん、そうした性によるあそびやあそび方の違いは、単に先天的な性別の違いだけに依拠したものでもなく、多くの場合、時代・国・地域・宗教など、後天的で社会的な環境の違いにより形作られる場合や度合いは少なくない。 このブログの考え方でもあるが、もしあそびがこどもたちがおとなになるための、ある種の学習と考えれば、おとな社会における男女の適切な(差別の無い)役割分担が必要なら、当然ながら自然な(強制の無い)形でのあそびにおける「性差」は望ましいのかも知れない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.22
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【熊本市で、「ケロロ軍曹」を使った塗り絵コンテストの募集が開始された。 これは、子供から大人まで幅広い人気をもつ、カエルを模した宇宙人「ケロロ」が地球侵略を目論むというギャグアニメ「ケロロ軍曹」を使った政令市のPRで、発行元の角川書店を通じ、作者である吉崎観音さんの了解を得て実現したもの。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/サーチナニュース:2011年11月25日) 塗り絵は、別のネット配信のニュースによると、こどもを落ち着かせるにも役立つそうだ。また、脳の活性化?のための「おとなの塗り絵」もあるくらいに、幼児から高齢者までが遊んでいる。 ところで、塗り絵には大きく分けて、三つに分けられる。人気キャラクターや特定の動植物などの、塗る対象の絵を塗り手が熟知しているもの、ごく普通の人物・物・風景など、知ってはいるが塗る対象が一般的なもの、そして、初めて見る物や抽象的な模様など、事前の知識がほとんどないもの、に別けられる。 この分類は、塗る色の自由度が、上に記した順に大きくなる。記事で言えば、人気キャラクターである「ケロロ軍曹」は、ケロロ軍曹らしい色で塗る必要があるし、また動物のトラなら、黄色と黒で塗る必要がある。一方、どこの誰だか特定されない女の子は、肌や髪はともかく服装は、自由な色に塗れる。もちろん、抽象的な模様は、完全に自由な色で塗ってもいい。 当然、配色のセンスを磨こうと思えば、塗る色の自由度が高い「抽象的な模様」がいいのだが、それはおとなに対して言えるのであって、こどもたちは直ぐには抽象的な模様が面白いとは思わない。自由度が中くらいの、一般的な人物などが適当だ。 今、こどもたちがあそぶ塗り絵の対象を見たとき、以上に記した自由度の低いキャラクターものが圧倒的だ。もちろん、塗り絵自体に興味を持つ入り口として、それはそれで重要だと思うが、そればかりではなく、時には自由度の高い塗り絵であそぶのもいいのではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.21
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【鹿児島市伊敷台福祉館で18日、子どもたちが地域のお年寄りや社会福祉協議会の人たちから、正月の遊びを教わるイベントがあった。(中略)たこ作りでは、透明のビニールに思い思いの絵や言葉を描いて組んだ竹に貼り付けた。完成したたこをさっそく近くの公園に持っていき、みんなであげた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年12月20日) この記事には、凧揚げをするこどもたちの画像が付いていたのだが、その風景は昔の凧揚げとは趣が違っていた。凧の材質や形が変わっていることもそうだが、それよりもこどもたちの様子が違うのだ。 大空に舞う凧を見つめながら凧糸を操る、これが昔の光景だ。それに反して、上記記事の画像には、凧に背を向けて走るこどもたちが写っていた。どちらも、こどもたちが楽しそうにしている点では同じだが、やはり今の光景は違和感がある。 たまたま風が無かったのかも知れないが、最近見かける凧揚げの光景は、やはり走りながら凧を揚げている(?)ケースが多い。凧は、糸目の位置や凧の張り(反り)を調整すれば、風が弱くても揚げることもできる。 考えれば、そうなる理由も考えられなくはない。今では、こどもたちが凧を揚げる機会は、記事のようなイベントくらいで、そんなイベントでは、簡単に作れる凧が採用される。そうした凧は、風が弱いと揚がらないし、風が強いと壊れてしまうものが多い。 しかも、凧揚げに適した広い場所の少ない都市部では、糸を長くすると電線などに引っかかってしまう。糸そのものも短目にしなければならないとなれば、こどもたちが走らないと凧が舞わないのもしかたがない。 走りながら凧を引っ張るこどもたちも、それはそれでこどもらしく、目を細めながら見る光景としては良いのだが、やはり凧は風を楽しむあそびだと思う。そのためには、大空高く舞う凧揚げが可能な広い場所と、良く揚がる昔のような凧がじっくり作れる時間をこどもたちには必要だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.20
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【とんてん館寺子屋教室「えと凧(たこ)づくり」が23日、室蘭市陣屋町の市民俗資料館で開かれた。市民6人が来年のえと「たつ」にちなんだ凧作りに真剣な表情で取り組んでいた。(中略)手作りしたのは和紙に竹ひごを組み、張り糸を付ける讃岐地方に伝わるゴンボイカ凧。デザインは力強い「龍」の文字にした。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/室蘭民報:2011年11月23日) 昨日は、「竹トンボ」を題材にしたが、竹を使った手作りあそびにおいて、「竹ひご」も重要な役割を果たした。その「竹ひご」だが、今のこどもたちには「竹ひご」の言葉さえ、未知のものかも知れないほど、「竹ひご」は身近なものではなくなった。 そんな「竹ひご」が、こどものあそびの日常に深く入り込んでいた時代があった。団塊の世代の私がこどもの頃(1950年代)を一つの最盛期として、その後だんだんと、「竹ひご」は影をうすめていった。 その「竹ひご」がこどもたちの重要なあそびのアイテムだったのは、記事のように、冬のこの時期に凧の重要な材料だったからでもあった。もちろん、当時でも手作り凧よりも、駄菓子屋さんで売っていた凧が中心だったが、凧が破れたり・傷んだりした時は、補修などはこどもたち自身でやった。 時には、凧の骨組みである「竹ひご」を新たに買って「骨接ぎ」をすることもあった。その「竹ひご」も、駄菓子屋さんに置いていたのだ。だから、自分自身で凧を手作りする際も、材料の入手では困らなかった。 また、当時のこどもたちの人気のあそびだった、ゴム動力のプロペラ飛行機などの、重要な材料も「竹ひご」だったので、駄菓子屋さんには冬だけでなく、年中「竹ひご」は売られていた。 さらに、駄菓子屋さんには、プロペラ飛行機のキット(手作りセット)だけでなく、その材料として数ミリ角の細木、「竹ひご」を接合するアルミ製の「ヒューム管」、動力の生ゴムひもなどとともに、小刀、「肥後の守」(折り畳みナイフ)、サンドペーパーなど、手作り用の工具なども売られていた。 このように、昔は身近にある駄菓子屋さんを通して、こどもたちは、手作りあそびの材料や工具などが簡単に手に入る環境に恵まれていたのだ。また、学校傍の文具屋さんにも同様の材料・工具が売られており、学校での工作を含めて、手作りの工作・細工が、やり易い環境だったのだ。 今は、その駄菓子屋さんや文具屋さんが、町から急速に姿を消している。材料が手に入り難くなったのか、それともこどもたちが手作りに興味を無くしたのか、はたまた手作りするほどのタップリな暇な時間が無くなったのか、手作りあそびは、たまにあるイベントと化してしまった。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.19
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【児童に昔ながらの遊びを楽しんでほしいとこのほど、矢部在住の糸井武雄さんが市立淵野辺小学校(渡部強校長)に手作りの竹とんぼ千個をプレゼントした。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/タウンニュース:2011年12月15日) こどもたちに「手作りの竹とんぼ千個をプレゼント」、糸井武雄さんには本当に頭が下がる思いだ。今、こどもたちが竹トンボを手作りしようと思っても、少なくとも都市部では簡単にはいかない。 材料の竹そのものが、そう簡単には手に入らない。私の住む大阪市でも、竹屋さんは各区に一軒あるかどうかもあやしい。竹製品は売っていても、竹竿のような半製品や、材料としての竹を入手するのは極めて難しくなっている。さらに、材料の竹が手に入っても、ノコギリや錐・小刀などの道具がある家庭も多くはない。 だから、こどもたちが竹トンボを作る機会は、学校・幼稚園・学童保育所などでの工作か、昔のあそびイベントなどくらいで、へたをすれば、長い人生で、竹トンボを作る機会は、たった一・二度くらいが関の山だろう。 竹屋さんがまだ生活圏にあった頃にこどもだった、団塊の世代の私でさえも、こどもの時代は、竹トンボは数度しかつくったことがなかった。それは、まだ竹トンボ(竹製)が駄菓子屋さんで買える時代だったからかも知れない。お小遣いで買えるくらいの低価格でも、竹トンボを作る仕事が成り立っていた、良き時代の話だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.18
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【このかるたを監修したのは小児科専門医・医学博士(中略)脳の成長のために、脳の様々な役割や分担を住所の番地に例えて分類した「脳番地」を刺激するトレーニングを提唱している。 体を動かす時は「運動系脳番地」を、考える時は「思考系脳番地」を、話す時は「伝達系脳番地」を使うので、つまりこのかるたは遊びながら「見て」「触って」「動かす」ことで様々な脳番地を刺激する「育脳ゲーム」とも言えるのだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/PRONWEB Watch:2011年12月16日) 記事は、あるカルタの新発売を伝える記事だが、「小児科専門医・医学博士」が監修したそうだが、わざわざこのような「かるた」を使用しなくとも、他のカルタでも、カルタあそびでない他のあそびでも、「様々な脳番地を刺激する」ことができる。 さらに、記事の「医学博士」の論理通りなら、同じ材質・機能・あそび方のあそびをするよりも、様々に材質・機能・あそび方を変えてあそぶ方が、もっと効果的に「脳番地を刺激する」ことができる。 だから、3000円以上もする上記の「かるた」を買わなくとも、100円ショップで売っている安物の「カルタ」で十分だ。カルタに限らず、100円のトランプでもいい。「スピード競争」などは、効果的に「脳番地を刺激」してくれて、しかも最高に面白い。 記事のような、学者や専門家を持ち出しての商品売り込みが蔓延しているが、特に「育脳」「脳トレ」「知育」などは、ごく普通のあそびでも十分に可能であることに留意して、こどもたちへ玩具を与えることも大切だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.17
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【政府の原子力災害対策本部(本部長・野田佳彦首相)は16日、東京電力福島第1原子力発電所の事故収束に向けた工程表のステップ2の完了を決定した。首相は「原子炉は冷温停止状態に達し、不測の事態が発生した場合にも敷地境界における被曝(ひばく)線量が十分低い状態を維持できる」と宣言。「安定状態を達成し、事故そのものが収束に至ったと判断される」と表明した。(中略)首相は「住民ができる限り早く帰還し、生活を再建できるよう政府一丸となって取り組む」と強調した。政府は半径20キロメートル圏で原則立ち入り禁止の警戒区域の解除を検討する。しかし、福島県双葉郡の原発付近の自治体の一部では長期間、居住困難な地域も残る見通しだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2011年12月16日) 「事故そのものが収束に至った」、これこそ世界に向けた日本の今最大の恥さらし以外の何物でもない。東日本大震災と、それにより引き起こされた福島原発大人災への対応に関して、前首相が無能・無策のオンパレードなら、それを引き継いだ現首相は、国民をだまし続けると言う、愚弄・欺瞞のオンパレードとなる。 放射能漏れも無く、核燃料も原子炉内に無傷で存在するような、正常に稼働していた原発に使用する用語である「冷温停止」を、今なお大気や海水などに放射能が漏れ続け、核燃料も原子炉外に露出しているような致命的な状態にある、事故原発に使用すること自体が、第一の欺瞞だ。 さらに、「不測の事態が発生した場合にも」と言い切っていることにも、この原発大人災が「想定外?」による人災だったことを、全く反省せず、「不測」を極めて低く見積もり、「被曝(ひばく)線量が十分低い状態を維持できる」と、十分には低くない現状を「十分低い」と偽って宣言する。これも、「冷温停止状態」の認定以上に、虚偽に満ちたものとなっている。 この欺瞞と虚偽による誤った結論では、「事故そのものが収束に至った」ことも全く信用におけないことは明白だ。たとえ新たな放射能漏れが無かったと仮定しても、すでにまき散らされた放射性物質は、これからも放射線を出し続けるのだ。そのために、極めて長期間にわたって人が住めなくなる広大な土地が残されているのに、何をもって事故の「収束」と言うのだろうか。 このような国による大欺瞞を許している限り、事故収束の実現はますます遠のいていく。本当に事故の収束を実現するためには、まずこうした欺瞞に満ちた国民愚弄内閣を打倒することから始めなければならないだろう。それが、主権者としての国民の責務なのだと私は思う。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.16
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【東京メトロ日比谷線入谷駅(台東区下谷)周辺で12月23日、街歩きイベント「入谷ウォークラリー したまち・いりぐち・いりやあるき」が開催される。(中略)メンコの達人である「メンコマスター」の指導を受けながらのメンコ体験や、「シャボステ」と呼ばれるシャボン玉スタンドでのシャボン玉遊びもできる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/上野経済新聞:2011年12月14日) 昨日は、「ビー玉あそび」の衰退について触れたが、そのビー玉から、やや遅れて衰退した「メンコあそび」の一つの実態を示すのが、上記記事だ。「メンコ体験」のイベント、メンコはすでに「あそぶ」ものから「体験」するものになってしまったのだ。 ビー玉あそびに比べて、メンコあそびの衰退が遅くなったのは、メンコは屋内でもあそべたり、メンコの絵柄に人気キャラクターが多かったことで、コレクション的要素も加わってからだ。 実は、メンコの衰退は、皮肉なことに、その人気キャラクター絵柄が一因となって招いたと言えるのだ。人気キャラクターは、当然著作権との関係で、版権が高額となり、その結果としてメンコの単価が高騰し、メンコは投げたり飛ばしたりして勝負するには高価すぎるのだ。 だから、メンコはあそぶより、コレクションに偏るようになるが、この間いわゆる対戦型カードゲームの出現で、ついにメンコは激減していった。この「ゲームカード」は、レアカードと言うコレクション的要素も加味されて、急速に広がっていった。もちろん、屋内であそべることも「ゲームカード」が広がる要素だ。 かくて、泥メンコから始まり、紙メンコの普及で、こどもたちに爆発的に流行するようになった、100年をはるかに超す長い歴史を持つメンコあそびは、「メンコ体験」イベントに象徴されるように、今やその終末期に到達したのだ。 ただ、不死鳥のように蘇る時も、可能性としては残されている。それは、メンコあそびが盛んだった頃と同じくらいの、あそび時間がこどもたちに戻って来ることで可能となる。そんな時は、はたして何時やって来るのだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.15
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【希望がしおれた花を起こしながら言った。私が花の中をのぞくと、七色に光った物体が入っていた。それはビー玉だった。よく見ると不思議な事に、愛が映っているのだ。 「これで、愛さんに思いを伝えることができます。あなたが愛さんに伝えたい事を念じてください。心が通じ合いますよ」 そう言われ、謝ろうとした。でも、机に向かって泣いている愛を見ると、何だか私まで泣けてきて、何も伝えられない。私はしばらく泣き続けていたが、やっぱり愛は大切な親友だから、絶対仲直りしたいという思いがわいてきた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年12月10日) 記事は、「創作童話コンクール」で優秀賞をとられた「紀の川市立安楽川小6年・榊由衣さん」の作品「にじ色のビー玉」の一節だ。彼女がどんなあそび方をしていたのかはわからないが、きっとビー玉であそんだ経験から生まれた作品だろう。 上記記事の少し前に、次のような記事もネット配信されていた。【旭川市の写真家辰己智子さん(35)が、ビー玉に映した風景や人物を撮影する珍しい「ビー玉写真」に取り組んでいる。(中略)撮影手法は独特だ。直径約5センチのガラス玉を左手に持ち、玉に映る街並みや人を写真に収める。玉に浮かぶ被写体は、光の反射で上下逆さまになり、ガラス玉の中に閉じこめられたように映る。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北海道新聞:2011年12月8日) さて、両記事に共通しているのは、年齢の差はあるが、ビー玉を見ているのはどちらも女性なのだ。私がこどもの頃(1950年代)は、ビー玉と言えば、男の子のあそびだった。もちろん、女の子の中にもビー玉であそぶ子はいたが、それは珍しいケースだった。 それは、ビー玉は土の地面の上で、時には膝や手を地面に着けながらあそんだので、手やズボンが土で汚れることと、ビー玉を本当に取り合う勝負だったからかも知れない。ともかく、ビー玉あそびは、男の子中心のあそびだった。 一時流行し、最近になって再び復活した、キャラクター付ビー玉発射機を使ってあそぶか、ピタゴラスィッチ的玩具で転がしてあそぶなど、今ではおとなしいビー玉あそびが多い。また、単なるコレクション、それもめったに鑑賞しないと言う「遊び?」に留まっている。 今、ビー玉を覗いて見る子は、どれくらいいるかはわからないが、小さなビー玉を通して、逆さまに映った景色を眺めたり、目に触れるほど近付けて、そのガラスの中に閉じ込められた気泡がつくる、月面にあるようなクレーターを発見する子は、はたして何人くらいいるのだろうか・・・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.14
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【いろいろなことのあった2011年も残りわずか。近づいた新しい年の干支の「辰」にちなんだ展示「たつ年の龍」が20日から歴博で始まるよ。龍を描くとかモチーフにした品々が展示されるんだって。(中略)「とくにその年の干支に関係なく、龍は好まれたようだよ。天に昇るという意味でおめでたかったからだろうね。龍を絵にした凧もあったけど、代表的なのは龍の字をデザインしたものだね。字凧といって18世紀末ごろに流行したんだ。幕末には勇壮な武者絵の凧も出てくるんだけれど、手軽に作れる字凧が廃れることはなかったんだ。天に昇る龍のように、来年の日本の景気もぐんと上向くといいね」】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/テレビ朝日:2011年12月11日) 記事には「手軽に作れる字凧が廃れることはなかった」とあるが、もはやそれは今では通用しない。昔は、年の暮れから年初めにかけて、必ずと言っていいほど見かけていた、龍の字が描かれた「字凧」は、今やショーウィンドウなどのディスプレイでしかお目にかからない。 大空に舞う凧が変わってしまったのだ。「字凧」・「奴凧」や、地方色豊かな伝統的な凧をふくめ、竹と紙と糸で作られた「和凧」は、「和凧」と断らなければならないほど、ゲイラカイトやスポーツカイトなどの「洋凧」が主流となってしまった。 それでも、凧が青空をバックにたくさん舞っていればまだましで、それすら都市部では、めったにお目にかからない光景と成り果てた。さらに、年末・年始と言う季節感さえ無くなってしまった。それだけ、こどもたちのあそびから凧揚げが廃れてしまったのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.13
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【11日夕方、群馬県桐生市の市営住宅で、5歳の男の子が転落して死亡し、警察は友達と遊んでいる途中に6階の踊り場から転落したものとみて詳しい状況を調べています。(中略)警察によりますと、嘉人くんは、当時、この市営住宅に来て姉や友だち数人と遊んでいたということで、階段の6階の踊り場の高さ1メートル50センチほどの手すりに、嘉人くんの靴の跡が残されていたということです。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/NHK:2011年12月12日) まずは、嘉人ちゃんのご冥福をお祈りするとともに、ご家族のみなさん方に謹んで哀悼の意をここに記しておく。日本において、高層住宅がが一般化して数十年は確実に経過し、超高層住宅も急速に増えつつあるが、誤って転落し、こどもたちの尊い命が奪われる事故は後を絶たない。 記事の事故について配信されていたニュース映像を見ると、「踊り場の高さ1メートル50センチほどの手すり」の前には、長椅子状の構造物があり、そこにのると幼児でも比較的簡単に、手すりに登れるようになっていた。おとなにとって、上記のような「長椅子状の構造物」は必要かも知れないが、転落の恐れのある場所に設置するのは、設計上の問題があるだろう。 このように、高層住宅が都市部ではごく普通の住環境になっている今日、こどもたちが転落をして命を落とさないような、構造・デザインを義務付けする、法的整備が必要になっているのではないだろうか。 こどもたちのあそび場の中で、住まいからすぐの場所の占める比重は低くない。昔なら、家の前の路地は、もっともポピュラーなあそび場だった。特に、年齢の低いこどもたちほど、住まいからあそび場までの距離は近くなる。 だから、住まいのごく近くの、通路や踊り場などで、こどもたちはあそぶのだ。高層階に住むこどもたちは、危険性の低い低層階へ行くよりも、直ぐ行ける場所であそぶのだ。たとえ禁止されていてもそれは同じだ。 高層住宅の設計・建築にあたっては、こどものあそびの特性を十分に考慮することが、急務となっている。消費者庁は、様々な事故データを収集しているそうだが、そのデータに基づいて、事故防止の法的整備をしないでは、こどもたちの命は守られないのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.12
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【「日本から男の子を育てる場所が消えていく」の著者喜多由浩氏は、10年間ボーイスカウトの指導者をしていた。ボーイスカウトが担っていた、男の子を強くたくましく育てていた環境は時代とともに減少している。(中略)遊びに行くのにもアポを取り、家の中で大人しく遊ぶ現代の男の子達。くたくたになるまで毎日冒険をしていた昔と違い、体を使って遊ぶ機会も減っていることに著者は危惧している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/子育て支援ニュース:2011年12月7日) 確かに、喜多由浩氏が指摘するように、「男の子を強くたくましく育てていた環境は時代とともに減少している。」のは、間違いがない事実だ。そして、その大きな原因が、上記記事の表題の一部となっている「アポなしじゃ遊べない」ことにある。 今のこどもたちが「アポなしじゃ遊べない」ことについては、このブログでも何度も指摘してきたが、そんな状態が、私が学童保育の指導員を始めた頃(1970年代末)から、すでに40年以上も続いているのだ。一言で言えば、こどもたちの放課後や休日は、おとなのために個々バラバラ状態にされてしまったのだ。 そして、幾つかの自治体で、こどもたちの教育における「競争力?」をつけようと、「学校選択制」によって、そのバラバラ度合いがさらに一層広がり、その深刻さも増大する恐れもでてきている。 もちろん、このようなあそびの変化による悪影響は、男の子に限ったことではなく、女の子もその悪影響にさらされるのは言うまでもない。「アポなしじゃ遊べない」、こんなバカげた状況が一刻も早く克服されるためにも、上記書籍の著者を含めた学者や専門家をはじめとして、多くの方々のご奮闘を期待する。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.11
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【空間図形の学びに注目すると、かつて子供たちは積み木、綾(あや)取り、知恵の輪、プラモデルなどの立体的な遊びをよく行った。ところが現在は、テレビゲームのような平面的な遊びが中心となっている。(中略)昨年の全国学力・学習状況調査で、中学3年生約44万人が受験した「数学」には、立方体と断ってその見取り図も載せてある問題があった。立方体の上側の面の正方形の対角線と、右側の面の正方形の対角線の長さを比較させるもので、図の上にはどちらの対角線も引いてある。(中略)正答率はたったの58・2%であった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2011年12月10日) 記事は「空間図形」と「あそび」の関係について言及したものだが、それにしても「立方体」の面の対角線問題の正答率のひどさは、あまりにも衝撃的だ。昨日のブログでも指摘したが、塾へ行く小学生が昔に比べてはるかに多くなった今の、中学3年生の現実がこれなのだ。 記事は、桜美林大学の芳沢光雄教授の指摘だが、まさに、へたな塾より「(昔の)あそび」の方が、少なくとも「空間図形」の認識力では勝っていると考えて良さそうだ。 記事には「空間図形」と「立体的な遊び」との関連を指摘しているが、立体視が可能な3Dゲーム機を使った遊びも、「空間図形」認識においては「積み木、綾(あや)取り、知恵の輪、プラモデル」に全く及ばないだろう。 また、昔のあそびにおいて、直接手で触ったり、登ったり、飛び降りたりすることで、「立体認識」は、五感を通じたリアルものとなり、こどもたちの「空間図形」に対する理解を深める。 さらに、昔のあそびには、「空間図形」認識はともかく、その土台となる「平面図形」認識を育むあそびも、数えきれないほどあった。地面に釘を投げ刺す「釘刺し」や、おはじきを使った「陣取り」なども、優れた「平面図形」認識の場となる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.10
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【精神科医の明橋大二氏と、マーケティングリサーチを行うメディアインタラクティブは12月8日、共同で「子どもの遊びに関する実態調査」の結果を公開した。(中略)平日に塾や習い事を何もしていない子どもは、18.4%で約80%の小学生が、何らかの塾や習い事をしていることがわかった。 「去年と現在を比べ、遊ぶ時間は増えましたか。減りましたか」と尋ねた設問では、「遊ぶ時間が減った」という子どもが43.4%、「変わらない」が43.2%、「増えた」は13.4%となっている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年12月9日) 今のこどもたちの「あそび」の問題を、このブログで取り上げてきたが、記事の調査結果を見ると、団塊の世代のこどもの頃(1950年代)と比べて、極めて悲惨な実態にあることを痛感させられる。 記事に掲載の、上記引用以外の調査結果の具体的な数値を、幾つか以下に引用するが、その数値の異常さを、ぜひ感じとっていただきたい。【 普段の遊ぶ時間(平日):「60分以上120分未満」(35.6%)、「30分以上60分未満」(17.0%)、「ほとんどない」(5.6%) 普段、どのように遊んでいる(平日):「1対1(2人)で遊んでいる」(49.2%)、「1人で遊んでいる」(32.0%) 普段、誰と遊んでいる(平日):「兄弟や姉妹以外の異年齢の子ども同士」(25.7%) 】(【】内は記事から一部引用して整理、Google ニュース/リセマム:2011年12月9日) 「約80%の小学生が、何らかの塾や習い事をしている」とか、平日のあそび時間が「ほとんどない」と言う小学生がいたりする。しかも、こんな異常なことが、ごく普通の日常のことになってしまっているのだ。もちろん、そんな異常な「日常」は、こどもたちが望んだわけではない。 このブログで度々指摘してきたが、この調査結果を受けて、あらためて強調しておきたい。こんな悲惨なあそびの実態をつくってまで、おとなたちが推し進めた、塾や習い事に対する過剰依存は、そのおとなの意図に反して、学力だけでなく体力まで低下させてきたのだ。 もし、おとなたちがこどもたちに、本当に学力・体力をつけたいと意図するなら、こどもたちのあそびこそ重視しなければならない。そして、そのためには、まずこどもたちのあそび時間を団塊の世代がこどもだった頃の水準に戻すことから始める必要がある。 もちろん、その他にもあそび場の問題や、あそび仲間の問題もあるが、それらはこどもたちが十分にあそび続けることができれば、自ずと解決されていく。こどもたちのあそび自体が、あそび場とあそび仲間を、見つけたりつくり出していく。これが、あそびの優れた側面でもあるのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.09
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【“こどものための哲学” という研究がコロンビア大学教授マシュー・リップマンによって1960年代に初めて発表された。子供が元々持っている“考える力”を話しあう事で高め、その後の認知力と学習力、そして生きる知恵へと繋げていくというもの。(中略)たくさん考え、たくさん話し合っていくうちに湧いてくる“言葉たち”。そして授業を通して、お互いの言葉に刺激を受け、他人の話に耳を傾けること、そして意見は違っても、自分たちの力で考える力を身につけてゆく子供達。授業が進むに連れ、彼らに驚くべき変化が現れる……。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/AV Watch:2011年12月10日) こどもたちの学力の問題を考える上で、記事にある「“考える力”を話しあう事で高め、その後の認知力と学習力、そして生きる知恵へと繋げていく」の一節は、参考になる指摘だ。私なりに言い換えれば、「考える力」を高めるには、集団も重要な働きをすると言うこととなる。 記事には、その集団の力を授業に応用した例があるが、実はこどもたちが授業よりもっと自主的に、もっと積極的に「話し合う」シチュエーションがある。それは、いわゆる「チーム対戦型の集団あそび」だ。 「ドロケイ(ケイドロ、どろじゅん、探偵ごっこ)」や「陣取り鬼ごっこ」などのチーム対戦型の集団あそびは、作戦会議が付きもので、そこでの「話し合い」は、時として大きく盛り上がる。もちろん、あそびの種類が変われば、「話し合い」の内容は変化する。 さらに、この「チーム対戦型の集団あそび」は、そのチームさえも適時メンバーが入れ替わるので、さらに様々な個性・考えを持ったこどもたちとの「話し合い」が実現する。このように、「チーム対戦型の集団あそび」は、こどもたちが自主的に話し合う内容も多彩なものになり、考える対象も幅が広がるのだ。 今、こどもたちの「一人あそび」が増え、昔のような「チーム対戦型の集団あそび」が急速に減ってきているが、そのことと、学力その中でも応用問題を解く「考える力」の低下との関連も、真剣に考えてみる必要がありそうだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.08
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【湊川短期大学(兵庫県三田市)に短期留学している韓国・驪州(ヨ・ジュ)大1年の33人の学生が5日、三田ユネスコ協会(島村敏夫会長)の会員らの指導で、折り紙や、あやとりなど日本の昔の遊びを楽しんだ。(中略)学生らは見よう見まねであやとりや、折り紙でのかぶとづくりなどに挑戦した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年12月6日) 「昔の遊び通して、日本文化を学ぶ」のは、韓国の学生だけでなく、日本の学生たちも「昔の遊び通して、日本文化を学ぶ」必要があると言っても過言ではない状態に、日本のこどもたちのあそびの現状は様変わりしている。 日本のいわゆる「昔ながらのあそび」の中でも比較的ポピュラーなあそび、例えば記事のあそびも、「あやとり」ができない、「かぶと」が折れないと言う日本の学生は少なくないだろう。ましてや、「コマ回し」「お手玉あそび」など、より技術の要するあそびなどは、出来る学生はさらに少なくなる。 海外留学する高校生や大学生が、日本の文化を現地で教えるために、わざわざ「折り紙」を習ったり覚えたりすると言う、冗談のような話も少なくない。だから、日本のこども文化である、「昔ながらのあそび」の伝承は、実態としてその担い手が、こどもからお年寄りに代わってしまっている。「あーあ"!」と大きなため息がでる、そんな今日この頃だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.07
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塾や習い事、さらには学校週5日制などが、こどもたちの放課後を短くしたことにより、十分なあそび時間とあそび仲間が奪われ、あのすばらしい昔のあそびの多くが、廃れてしまったり、風前のともし火状態にある。 そんな中で、この度知事から市長へと鞍替えしたお方が、「学校選択制」の導入を進めるそうだが、これによりこどもたちのあそびは、さらにめちゃくちゃに壊されてしまう危険性が大だ。 昔のこどもたちは、地域の中であそびを通じて、縦と横ともに絆を強め、そのことにより健やかに、そして逞しく育った。それを時間的に保障してきたのが日々の放課後だ。居住地から遠く離れた学校へ通うことにより、「学校選択制」はその放課後の時間をさらに短くする。 また、昔に比べ厳しくなった今でも、同じ学校に通っていれば、学校生活で培った絆が、放課後のあそび仲間を見つけやすくする。しかし、「学校選択制」により、それは根底から崩され、あそび仲間を見つけることも、より一層困難なものにするだろう。 かの新市長は、知事になる前に盛んに「子どもが笑う」を連発していた。そのことを完全に忘れてしまったのか、こどもたちを大いに泣かせる「学校選択制」を導入しようとしている。日本の未来を担うこどもたちから、豊かな放課後と、強い絆で結ばれたあそび仲間を、奪わせないめには、「学校選択制」は、けっして許されるものではないのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.06
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【仲間と遊ぶことの楽しさを体験する「ドリームキッズアドベンチャー」(宮城子ども会育成会連合会など主催)が4日、仙台市青葉区の宮城広瀬体育館で開かれた。 青葉区宮城総合支所管内の子供会メンバーや東日本大震災で津波被害のあった仙台市沿岸部の児童ら計約400人が参加し、5人一組になってさまざまなゲームに挑戦した。 障害物競走のような「ジャングルアドベンチャー」では、グループで大縄跳びや雑巾がけをしてゴールまでの時間を競い合った。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/河北新報:2011年12月5日) 「仲間と遊ぶことの楽しさを体験する」イベントは、今のこどもたちの「一人あそび」増加の一つの反映で、同じ「一人あそび」増加を憂えるひとりとして、「ドリームキッズアドベンチャー」を取り組まれた皆さん方に、敬意を表して、「仲間とのあそび」についての私見をつづる。 一般的に「仲間とのあそび」と言っても、その形態は様々で、その人数によって、二人あそびから集団あそびまでに分けられ、その仲間同士の結び付きの度合いにより、仲間が個々別々にあそぶあそび(仮に「集合あそび」としておく)から、仲間同士が有機的に結びついた集団あそびまでに分けられる。 記事の例で言えば、「ジャングルアドベンチャー」などは、集団あそびより「集合あそび」に近い。同様に、こどもイベントなどで、集まったこどもたちをチーム分けして対戦する「風船割り」のような遊びも「集合あそび」に近い。 その反対に、昔はどこの地域でも盛んだった「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」は、典型的な「集団あそび」となる。そして、本当に「仲間とのあそび」の楽しさをこどもたちに伝えたり、こどもの成長・発達における「仲間とのあそび」の効用を重視するのであれば、「集団あそび」に勝るものはない。この「集団あそび」こそが、今のこどもたちにとって、もっとも求められるあそびなのだ。 記事のような、「集合あそび」的な取り組みは、集団あそびの入り口にはなっても、それだけではこどもたちの集団あそびは広がらないし、地域にも根付かないだろう。記事のようなイベントを取り組んでおられる方には、以上の点を考慮していただき、そのための取り組みをお願いしたい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.05
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【1ホンダは8日、二足歩行ロボット「アシモ」を4年ぶりに改良して発表した。安定した姿勢で足を動かせるようになり、片足ジャンプの「ケンケン」や両足ジャンプを披露。判断能力も上がり、歩いて向かって来る人の進路を予想して、よけることができる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年11月7日) 二足歩行ロボット「アシモ」が「ケンケン」ができるようになったと言うことだが、それに比べてこどもたちのあそびからは、「ケンケン」が少なくなってきている。「かかしケンパ」などが、保育所や幼稚園などで、ごくたまに見かける程度で、近所の路地や公園では、「ケンケン」を使ったあそびは、ほとんど見かけなくなっている。 まさか、全く「ケンケン」ができない子はいないと思うが、真っ直ぐに進むのではなく、方向を変えながら曲がりくねったコースを「ケンケン」で進むことができない子は少なくない。 まだ、こどもたちの外あそびが、今ほど少なくは無かった1990年代に、私が勤めていた学童保育所のこどもたちですら、はじめは上手く「ケンケン」で曲がれなかった。それから20年ほど経過して外あそびがグンと減った今では、もっと「ケンケン」は不器用になっているだろう。 その今のこどもたちの「ケンケン」能力を試すあそびとして、「へびケンケン」を紹介する。曲がりくねったコースを、マス目の線を踏まずに進むあそびだが、このあそびは単に方向転換するだけでなく、ねらった位置に正確に着地する難しさが加わる。 団塊の世代のものにとって、この程度のことは小学校の低学年で十分にできていた。さて、今のこどもたちはどうだろうか。学童保育所・学校、そしてこどもイベントなどで試してみてはどうだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.04
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【11月の18日から20日に行われた全日本マイクロマウス大会2011の様子を見て下さい。あっと言う間に迷路を突破してゴールにたどりつくロボット。動画のロボットの記録は3.921秒ですって! ロボットは迷路全体を上からみることはできません、また迷路が公開になった後新たにプログラムを追加することも禁止されています。が、事前にテストランを行うことができ、そこでロボットは迷路全体の仕組みを自分で学習することができます。 ルービックキューブと人間はなかなかの戦いを繰り広げていますが、迷路はロボットの圧勝ですね。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ギズモード・ジャパン:2011年11月29日) 上記記事のようなルールなら、決して「迷路はロボットの圧勝」とは言えない。もちろん、人間がロボット(マイクロマウス)と同じ速さで動ければの話だが。正しい道筋を発見するのは、人間も捨てたものではない。 さて、こどもたちを含めて人を魅了する迷路には、幾つかの楽しみ方がある。まず、迷路を解く楽しみがあるが、その「解く」にもいろんな楽しみ方がある。早くゴールにたどり着ける道筋を見つける楽しみと、いくつかある道筋で最短のものを見つける楽しみだ。さらに、パズル誌などにあるように、解いた道筋が描く絵を楽しむものもある。 次に、迷路を作る楽しみがある。これは、自分で解くためではなく、他の人に迷路を解かせる楽しみで、その迷路をつくる過程を楽しんだり、相手が苦労して解く過程を見て楽しんだりもする。 以上のような楽しみ方は、もっぱら紙や画面などに描かれた迷路での楽しみ方となるが、実は巨大迷路やひまわり畑の迷路など、実物の迷路には、解いて脱出するより、時には自分自身が迷うことを楽しむと言うケースが、しばしば起きる。 もちろん、迷路から脱出できることが保証されているから、「迷い」を楽しめるのであって、脱出路が無かったり、見つけるのに途方もない時間がかかる場合は、やはり「迷い」は苦痛となる。 この解く楽しみとは相反する「迷う楽しみ」は、実物迷路だけでなく、ひょっとすれば迷路一般に、程度の差はあっても、備わっているのかも知れない。適度な迷いは、脳への心地良い刺激と考えれば面白い。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.03
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【折り紙は子どもが遊ぶ為に使うもの。なんて言う定説は一気に覆される。大人に折り紙を使わせたらもはや趣味や時間つぶしという枠組みでは語りきれない、とんでもないクオリティの芸術となるようだ。東大にある折り紙サークルでの作品が、ハンパ無く素晴らしく人間業ではないなどとTwitterなどを中心にわだいになっております。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/秒刊SUNDAY:2011年11月28日) 「折り紙は子どもが遊ぶ為に使うもの。なんて言う定説」は、記事のような状況とは別の意味でも覆っている。それは、日常的に「折り紙」を楽しんでいるこどもたちは、おとなに比べて少なくなっているのだ。 記事の東大のような折り紙サークルから、地域や団体の折り紙クラブなどを含めて、多くの大人たちが趣味や脳トレの一環として折り紙を日常的に楽しんでいる。 その一方で、こどもたちの日常のあそびからは、折り紙は年々姿を消してつつある。「兜(かぶと)」や「やっこさん」の折り方を知らないこどもたちは多くいる。また、あそびとして折ると言うより、授業や行事・イベントなどで、作品やプレゼントを作る方が多いのが実態だ。 さらに、正方形の色紙(いろがみ)を使った折り紙より、もっと廃れてしまった折り紙がある。それは、チラシやノートの切れ端を使った折り紙だ。長方形の紙で折ることすら珍しがるこどもたちもいる。紙飛行機でさえ、正方形の色紙で折るこどもたちも多い。 おとなが折り紙をこよなく楽しみ、こどもたちは折り紙を伝統文化として学ぶ、そう言っても可笑しくないくらいに、折り紙を普通のあそびとしてあそぶこどもたちは少なくなってしまった。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.02
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【「“身近な文具で子どもが楽しめる玩具を”と、企画チームの中でアイデアを出し合った結果、定規を使った対戦ゲームという発想に行き着きました」(中略)2つの定規を向き合わせて通信すると、目盛りに沿って配置されたLEDライトが点灯し、対戦がスタート。操作ボタンをタイミング良く押すことで、対戦相手のLEDライトを消していき、先に相手のライトをすべて消した方が勝ちとなる。 また、商品化にあたり、玩具としてはもちろん、文具としてもきちんと使えるようなデザインにこだわったという。 「筆箱に入れて持ち運びしやすいよう、定規の大きさ、薄さは、普通の定規のサイズと極力変わらない形にしています。また、開発段階ではキャラクターイラストを定規に印刷する予定だったのですが、『学校や塾などでも違和感無く使える形にしたい』と、あえてシンプルなデザインに変更しました」】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日経トレンディネット:2011年12月1日) 「身近な文具で子どもが楽しめる玩具を」とのコンセプトは、一つの考え方かも知れないが、はたして1000円もする定規が文具として相応しいかどうかは疑問もある。「文具としてもきちんと使える」「学校や塾などでも違和感無く使える」などの「こだわり?」も、本末転倒的こだわりではないだろうか。 そもそも、文具に上記のような工夫を凝らさずとも、昔からこどもたちは、ごく普通の文具を様々なあそびに活用してきた。例えば、短い鉛筆を使った人形やサイコロ、ノック式ボールペンで消しゴム弾き、下敷きをこすって静電気あそびなど数多くある。 先生や保護者の皆さん方が首を傾げるような、文具を使ったあそびも、こどもたち自身が工夫すれば、まだましと言うものだが、メーカーなどが工夫すれば、「文具を使ったあそび」は、遊び以外に何の意味もない。 文具に全く別の付加価値を付けることにより、こどもたちから工夫する価値を奪ってしまいかねない、そんな高価な「文具もどき玩具」、このような馬鹿げた商品の開発は、もう終わりにしたらどうだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.12.01
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