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夕食です。タイのかまに少しだけ塩を振って慎重に焼きました。5枚で450円でしたから、いい買い物だったと思っています。あとは定番の味噌汁。鶏と大根の煮つけ。
2017.07.04
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某月某日、某所で開催されました絵の展覧会に行ってきました。ある会の作品展です。古い友人の息子さんが出展されるという事で、行ってきました。 会の偉い方たちも多数お見えのようで、盛会でした。 私は何度か書いたことがあるのですが、「絵を描く」という点については全く才能といったものがないと思っています。半年間療養していた時に、色鉛筆とスケッチブックを買い込んで、「いざ」と出かけたまではよかったのですが、座り込んで大山を見て描きはじめ、10分ほどしてスケッチブックを見て、少し長めの溜息をついて家(故郷の)に帰り、スケッチブックも色鉛筆も机の引き出しの中にしまいっぱなしで今日に至っております。 若冲とかフェルメールの展覧会には人並みに行ったりしてきました。倉敷の大原美術館、神戸の市立美術館にも数回行っています。 私の絵を見る基準は、「部屋に飾っておいて毎日見たいかどうか」につきます。今私の部屋には、幼い時からずっと観てきた「晩鐘」が架かっており、居間には、友人の作品がかかっています。夕日に照らされた田園の風景です。 その基準で作品展を観たのですが、まず驚いたのが、女性像の多さです。年齢は若い女性が多く、初老の女性の絵は一点のみでした。ファンタジー系の作品が多く、まず食傷しました。 ですから、知人の息子さんの風景画の前にたどり着いた時は、本当に心の底からほっとしたのです。ただ、作品の数も多く、まだまだ歳も若いためでしょうか、上下に配置されている絵画の上の部分に置いてあります。そのために照明のため絵の表面がテカテカしており、鑑賞を害う「効果」になっていました。通り過ぎて、少し離れた角度から見ると、てかりも消え、落ち着いた作品として観ることができました。林の中を流れる川、上部に少しだけ空がのぞいているとても落ち着いた作品です。 その後も、ずっと見て回りましたが、心に残る作品は数点しかなく、出口に差し掛かったら、再び取って返して、その絵を見て、心を穏やかにしました。眼を洗わせていただいたというところでしょうか。 以下は、思いつくままの雑感です。 スーパーリアリズムの作品がありました。近くの方たちが、「あっ、血管まで描いてあるわ」と嘆声を挙げておられるのが耳に入ってきました。「写真みたいやなぁ」という声も聞こえました。 ただ、思うのですが、「写真みたい」な絵を目指すのであれば、写真を撮ればいいのではないかと思います。「ここまで描こうと思ったらすごいテクニックと苦労があるんだよ」という声があるのもわかるのですが、結果としての絵に関しては、要した時間も、テクニックも私は関係ないと思っています。「写真みたいな絵」は、「写真」には敵わないからです。ダリの「パンかご」を見た時もそう思いました。 私は、女性の絵が多すぎる事に対して違和感を持ったのですが、その根本にあるのは、現実に街を歩き、おしゃべりをし、喫茶店でイチゴパフェを食べている、あるいは真剣な面持ちでテストに取り組んでいる女生徒の美しさを凌駕している作品が一点もないことです。かろうじて、初老の女性を描いた作品から、とても暖かいものを感じ取ることができました。 何のために絵を描くのか?絵心の全くない私の独断を披露させてもらえば、それは、「現実を越えるもの」を描くことに尽きるように思います。歳のせいとばかりは言えないと思うのですが、足立美術館で一度しか見たことのない横山大観の「那智の滝」は、そのような作品の一つではないかと思います。あと、フェルメールの「デルフトの風景」。女性を描いた作品としては、上村松園の「序の舞」。他にもあるのですが、煩雑になるのでこれぐらいに。
2017.07.03
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