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三浦瑠麗氏の「山猫日記」(17/2/13)を見ていて、気になる箇所がある。「部分だけ取り上げて」という声もあるかもしれないので、全文にあたって頂きたいのだが(http://lullymiura.hatenadiary.jp/)、とりあえず強い違和感を感じた部分を下に抜き出してみた。 対話と圧力は、「融和と軍拡」に格上げし、双方の方向で踏み込むべきです。まずは、非道な国家の非道な指導者であることはいったん飲み込んで国交正常化交渉を進める。その上で、中国が抜け穴を提供することでほとんど効果をあげていない経済制裁には見切りをつけて、的を絞ってこちら側も軍拡を行い、かつ軍事的圧力の強化を行うべきです。 21世紀の国際的な勢力図を決定づける「宇宙戦」、「サイバー戦」の分野では、日米が腰を落ち着けて長期的な協力関係を構築する。日本の国防費と自衛隊の役割を段階的に拡大していく。優先して国内的な整理を行うべきは、敵基地攻撃能力の獲得と、非核三原則の見直しと思っています。核武装論自体は、時間をかけて、日本の民主主義が判断すべきテーマです。それとは別に、核を「持ち込ませず」については早期に見直し、NPT体制とも整合する形で核共有に向けて踏み出すべきだろうと思います。 私が氏と見解を異にするのは、(1)軍事的圧力の強化 (2)その具体化としての「敵基地攻撃能力」と「非核三原則のうちの「持ち込ませず」の見直しと核共有」、の部分である。 氏は、「中国が抜け穴を提供しているので経済制裁は有効ではない」という見方のようだが、北が、核兵器の性能を向上させ、飛距離を伸ばす方向に進むのを座視はしていないだろうと私は思う。そして、中国が「保護」していたとされる金正恩の北による殺害である。ここまでメンツを潰されて、依然として中国は「抜け穴」の立場を固守するのか?また、飛距離の向上はロシアにとっても他人事ではないだろう。 経済制裁は、今後重要性を増すと私は思っている。 次に、軍事力を拡大して北と対峙し、いずれは米と核を共有すべきであり、核武装も視野に入れるべきであるという所論についてだが、これは、北が核を「実際に使用するかもしれない」という前提に立っての論であると思う。 北は交渉のカードとして核を使っているわけで、実際に使う事はないと思う。他国の領内に対して発射し、甚大な被害が発生した場合、自国がどうなるかを予想しないほど馬鹿ではあるまい。相手にも理性とか判断能力(我々のそれとは若干異なるかもしれないが)があるとの前提に立つから交渉が成り立つわけである。 唯一の可能性は、体制が危機となり、脱出、亡命も不可能となった時に「死なばもろとも」的な形での発射だろう。 ただ、その場合、核を実際に発射するチームの中に、中・韓・露いずれかの国の工作員が潜伏していて、それも未然に防ぐ手立てをとっているのではないかと思う。半ば空想だが、現実にはあり得ると思う。いつ倒壊するかわからない国家に対して、倒壊した時の被害が最小限で済むように中枢部に工作員を送り込むのは蓋然性は高い。。 日本の軍拡や米との核の共有は、東アジアの緊張を高めるだけになりかねない。ましてや、米が現在進めているような核の小型化=実際に使える核、の開発は、核を共有することの危険性を高めることとなる。 拉致被害者の会は、「見返りを提示しての交渉を」という声明を出している。残された家族の高齢化など本当に切羽詰まった事情がその声明につながったと思うが、現実的ではないかと思う。 軍事力の格差が日本とは大人と子供ほども違う北朝鮮に対して、日本がこれ以上の軍拡を行うのは意味がない。「拉致被害者を帰さなかったら平壌が火の海になる」「核開発を止めなければ、空爆を行う。こちらは真剣だ」とでも言うのか?それは、北と同じことを言っていることになる。
2017.02.20
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1258年 - バグダードが陥落してバグダードの戦いが終結。アッバース朝が滅亡する。 破壊は徹底的に行われ、アッバース朝の故地にはイル・ハン国(フレグ・ウルス)が成立する。 ウィキペディアには以下の記述がある。 「1258年当時のイラクは現在のイラクとは違う。農業は都市の運河によって数千年守られ、バグダードは世界一輝かしい知の中心地だった。モンゴル軍によるバクダードの破壊はイスラム教に回復不可能な心理的な痛手を負わせた。既にイスラム教は保守的になっていたが、バグダードの略奪によって、イスラム教の知的な開花は消されてしまった。アリストテレスとペリクレスがいるアテネが核兵器によって消滅する様を想像してほしい。モンゴル軍がどれだけ残虐であったか理解できるだろう。モンゴル軍は灌漑運河を徹底的に破壊したため、イラクは過疎化し衰退してしまったのだ」。(Steven Dutch)] この地域の農業はカナートと呼ばれる地下水路を利用して行われている。これをモンゴル軍が「徹底的に破壊した」というのだが、これは本当だろうか? カナートを破壊するということはこの地域を無人の地とすることである。砂漠化するということである。 同じウィキペディアには、バグダードを取り囲んだ軍の構成について以下のような記述がある。 攻撃部隊には大規模なキリスト教徒の派遣団がいた。主なキリスト教徒軍はグルジア人だったようで、彼らは破壊活動で活躍した。Alain Demurgerによると、アンティオキア公国からのフランク人部隊も参戦していた。Ata al-Mulk Juvayniは、1000人の中国人の銃の専門家[要出典]、アルメニア人、グルジア人、ペルシア人、およびトルコ人が包囲攻撃に参加していたと述べている。 このような構成の軍が、この地におけるカナートの重要性を認識していないはずがない。バグダードを陥落させ、人を大量虐殺し、財物を略奪して無人の野を作り出すこと自体が目的ではなく、いずれは占領地を統治することを考えねばならない。その場合に、カナートを破壊するか? モンゴル帝国の研究のレベルを一段階も二段階も引き上げたと言っていい杉山正明氏に『モンゴル帝国の興亡』(講談社現代新書)という二巻本がある。その中に以下の指摘がある。 モンゴルは、チンギスの征西以来、意図して人々の恐怖をあおる戦略をとっていた。フレグもまた、占領地の民衆を動員し、属下の勢力を押し立てて、自分たちは限りない無量・無類の大軍団であるかのように装った。しかも、いささかでも逆らえば、とてつもない殺戮と破壊を平然とやってのける人間離れした集団であるかのように、ことさら噂を流した。 五百年の都バグダードが陥落した際、80万もの住民が虐殺されたという有名な話も明らかにこの一環であった。P185~186。 モンゴル帝国の成立過程では、この「噂を流して相手を戦わずして降伏させる」という手段がとられている。彼らが流した「噂」はかなり割り引いて考えねばならないようだ。
2017.02.10
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シアトルの連邦地裁のトランプ大統領が出したイスラム圏7か国からの入国禁止大統領令に対する「仮制止命令」「大統領令は、雇用、教育、ビジネス、家族関係、旅行の自由の分野で州民に否定的な影響を与える。公立大学やその他の高等教育機関の活動や使命に損害を与え、州の活動、課税基盤、公的資金に損害を与え、州自体が有害な影響を受ける。連邦政府に対し、大統領令の執行を禁じ、制止する。この仮制止命令は全国を対象としており、すべての米国国境、通関港で大統領令の執行を禁じる。司法府および本法廷の任務は、他の部門の行動がわが国の法律、さらには憲法に合致するよう保証することに限られる。本法廷は現下の状況において、三権からなる政府において憲法上の役割を果たすために介入しなければならず、上記の仮制止命令は必要だと判断した」まさに、「三権分立」の見本、教科書のような「制止命令」。アメリカのデモクラシーは生きている。
2017.02.06
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1936年の今日(2月5日) - チャーリー・チャップリン(1889年4月16日 - 1977年12月25日)監督の映画『モダン・タイムス』がアメリカで公開。 前作は、1931年、トーキー時代にもかかわらずあえてサイレントで撮った『街の灯』。日本での公開は1934年1月13日。 浮浪者と貧しい花売り娘との誤解とすれ違い、そして最後に待っているハッピーエンドのこの映画では、チャップリンは音楽も担当、心の中にポッと灯がともるような映画となっている。 『モダン・タイムス』は、『街の灯』とはかなり趣を異にする。 現代文明を築き上げた「大量生産」「大量消費」「大量廃棄」のサイクル、そして「人間の生活を豊かにしてくれる科学技術万歳!」的思考が笑いという方法で批判される。 大量生産の現場でねじを締めるだけの仕事に従事する主人公は、仕事が終わっても身体の動きが元に戻らない。前から、ねじと同じ形をしたボタンを付けたドレスを着た女性が歩いてきたら思わずそのボタン(ねじ)を締めそうになる。 食事と歯磨きとを効率よくやることができる機械が発明される。そのぶん、労働時間が確保できるから。実験台は主人公。順調に動くかに見えた機械は暴走を初めて・・。 会場は爆笑に包まれる。・・・でも、、と、ふと考えてみれば、私はその笑われている主人公とどこが違うのか・・・と考え込まされてしまう。 工場に出勤する労働者のシーンは羊の群れが歩いていくシーンと入れ替えられる。 こういう映画を観ると、喜劇の持つ力を感じる。 さらに1938年から1939年にかけてストーリーを制作し、1939年9月、第二次世界大戦勃発後2週間後から撮影を開始し、1940年10月15日に公開されたのが『独裁者』である。チャップリンの自伝の中には、アメリカにかなりの「親・ナチ」がいたことが記されている。 それを実証しているのが、『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』草思社・菅原出 第一次大戦後、英仏は米に対して巨額の負債を返済しなければならなかった。英仏は、ドイツからの賠償金の取り立てによってそれを行おうとし、米はドイツに対して巨額の投資を行って、このサイクルを支えていた。 問題は、米が、ドイツのどのような産業、企業に投資したかなのだが、上記の本によれば、それは軍需産業であり、I・G・ファルベンのような重化学工業の企業であり、結局はドイツの再軍備を助けることとなり、のちにはヒトラーを援助することにもなっていく。
2017.02.05
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レヴィ・ストロース『野生の思考』(みすず書房)を読んでいる。こんな一文に目を開かされた。 「土器・織布・農耕・動物の家畜化という、文明を作る重要な諸技術を人類がものにしたのは新石器時代である。今日ではもはや、これらの偉大な成果が偶然の発見の偶然の集積であると考えたり、ある種の自然現象を受動的に見ているだけでみつかったものだとする人はあるまい。 これらの技術はいずれも、何世紀にもわたる能動的かつ組織的な観察を必要とし、また大胆な仮説を立ててその検証を行い、倦むことなく実験を反復して、その結果捨てるべきものは捨て、取るべきものは取るという作業を続けてはじめて成り立つものである。 野生植物を栽培植物に、野獣を家畜に変え、元の動植物には全く存在しないか、またはごく僅かしか認められない特性を発達させて食用にしたり技術的に利用したり、不安定で、壊れたり粉になったり割れたりしやすい粘土から、堅くて水の漏れぬ土器を作ったり、土のないところや水のないところで栽培する技術、毒性を持った種子や根を食品に変える技術、逆にその毒性を狩猟や戦闘や儀式に利用する技術、多くの場合長い時間を要するこれらの複雑な技術を作り上げたりするために必要なのは、疑いの余地なく本当に科学的な精神態度であり、根強くて常に目覚めた好奇心であり、知る悦びのために知ろうとする知識欲である。なぜならば、観察と実験のなかで、実用に役立ちすぐ使える結果を生じうるものはごく一部に過ぎなかったのであるから」(p18~20) 『栽培植物と農耕の起源』中尾佐助 岩波新書 に記されている例を挙げれば、バナナを種なしにし、熟すと自然に脱落する穀物の種子を非脱落性に改良したのは誰であり、なぜそのようなことが可能だったのかという事になる。 それらを成し遂げた人たちとは、南アメリカ、太平洋諸島、あるいは北米大陸の原住民と言った、「文明人」からは「土人」と蔑視されていた(あるいは、いる)人たちと同じような生活を送っている我々のご先祖様であり、その人たちが形成している社会、そして抱いている思考は、我々のそれとは種類や様式が異なるものであって、「科学的な精神態度」が存在していることに疑問の余地はないとレヴィ・ストロースは主張している。 彼は、我々とは異なった社会で生活している人たちがどのようにして動植物、その他のものを分類しているかを、広範な例を挙げて説明し、さらに、「トーテム」、「カースト」に言及している。彼らの神話は何を現し、象徴しているのか。それは、彼らの生活形態とどのようにリンクしているのか。面白い。 いまのところ、第四章まで読んでいる。 これからの課題は、(1)本の整理(図書館に持ち込む) (2)読む本を絞る。 この二つ。あれこれ目移りがして、市の図書館に予約するのだけれど、大半はきちんと読めないまま。 また、テレビの方は、録画している番組をちゃんと見て、必要な場合はメモを取る、という事をやっているのだが、これも制限したほうがいいような形勢。消してまた録画できるDVD中心にしているので、DVDに落としたけれど見ないだろうなと思うのは消していっている。 時間と体力とを真剣に考えないといけない年になったという事であります。 まず、『野生の思考』を読み終えること。『OUR REVOLUTION』(サンダース氏の新著)を読むのは少し御預け。 現在、小論文指導している生徒の一人の志望先の過去問を見ると、英文と日本文を読んで答える問題が大半。で、彼は過去問を大半やってしまっているので、「Japan Times」と日本の新聞、あるいは書籍から問題を作って指導中。元・英文科志望(史学科に「転向」)だったとはいえ、40年以上きちんと読んでいない英文に向かうと、己の英語力が赤さびだらけである事を自覚。 良い頭の体操(ボケ防止)になっています。
2017.02.05
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勤務している学校の図書館に、本を持ち込んで引き取ってもらっています。「将来読もう」と思った本なのですが、これから先、おそらく読めないであろう本です。もちろんページが折ってあったり、線を引いたり書き込みがしてない本です。その代り、「これ」という本には線は引くわ書き込みはするわ・・となっていますから、ブック・オフなどには自動的に売れなくなります。今は『野生の証明』(レヴィ・ストロース) お棺の中に入れてもらって一緒に焼いてもらおうという算段です。 私にとって大切な本は、誰にとっても大切とは限りませんから。図書館に持ち込めば、誰かの目に触れる可能性はまだあります。
2017.02.03
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