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映画「マイ・ブックショップ」を、6月5日に売布の「シネ・ピピア」で観た。チラシには以下のように書いてある。 「1959年、イギリス東部の海辺の小さな町。書店が一軒もなかったこの町に、周囲の反対にあいながらも読書の楽しみを広めたいという願いを胸に、今は亡き夫との夢だった書店を開店した一人の女性の物語。」 大分経ってから原作を捜して、神戸図書館で借り、読み終えたのが7月25日。読み終えた途端にもう一度読んでみたくなり読み返した。この歳になると、月に何冊読んだ、などということはどうでもよくなっており、いい本を丁寧に読むことを心掛けなければならないということを思わせてくれた一冊だった。 題名は『ブック・ショップ』。著者はペネロピ・フィッツジェラルド。ハーパーコリンズ・ジャパンから2019年の3月に発行されている。 映画と原作とではもちろん違うところも多い。特にラストは違う。乱暴なたとえをすると、映画は「ヴェニスの商人」、小説は「リア王」かもしれない。 以下は原作について語ることにする。 原作にも映画にも出てくるフレーズがある。 「フローレンスは要するに、”人間は絶滅させる者とさせられる者とに分かれている、いかなるときも前者の方が優勢だ”などというのは嘘だと思いこむことで、自分を欺いてきたのだ。」 フローレンスは、長年買い手がついていなかった「オールド・ハウス」(築500年)を手に入れ、改装して本屋を始めようとした。ところが、町の有力者であるガマート夫人が何を思ったのか、オールド・ハウスを地域の文化センターにしたい、ついては本屋なぞはどこでもできるからオールド・ハウスを諦めてくれと彼女に言い渡す。 フローレンスは以下のように描かれている。 「フローレンスは小柄で、か細くて、しなやかな外見をしている。前から見るとなんとなく影が薄く、後ろから見ても同じく影が薄い。ハードバラ(注 イギリス東部の小さな町)というのははるか彼方に人影が現われればそれが誰だかすぐわかるし、目についたものはすべて噂の的になるような町だが、そんな土地柄であっても、フローレンスが人々の話題にのぼることはめったにない。季節に合わせて着るものを変えることもあまりない。誰もが彼女の冬のコートがどんなものか知っている。長持ちすることだけを考えて仕立ててあるタイプだ。」 しかし、彼女が書店を開くという事は町の人たちを驚かせ、中には彼女の事を以下のように思う人も出てくる。以下、好きな文章なのですこし長く引用する。 「フローレンスはレイヴンの5mほど手前まで近づいたところで、レインコートを貸してくれと頼まれていることに気づいた。レイヴンはごわごわの服を重ね着しているため、脱ぐのが大変そうだ。 レイヴンは本当に必要でないかぎり、頼みごとをするような男ではない。彼は頭を下げてレインコートを受け取ると、フローレンスが寒さを避けようとしてサンザシの生垣の風下に立つあいだに、足音を忍ばせて野原を横切り、じっと彼を見つめる年老いた馬のそばまで行った。馬は鼻の穴を膨らませてレイヴンの動きを逐一追っていたが、彼の手に端綱が握られていないのを見て満足し、警戒を解いた様子だった。最後に、すなおに言うことを聞くかどうかを自分で決めるしかなくなったので、吐息とともに大きく身震いして、鼻先からしっぽまでを震わせた。やがて馬がうなだれたのを見て、レイヴンはレインコートの袖の片方を馬の首に巻きつけた。馬は最後の抵抗のつもりか顔を背け、柵の下に広がる濡れた地面に新しい草を探すふりをした。草はどこにも生えていなかったので、しぶしぶといった足どりでレイヴンを追って野原を進み、無関心な牛の群から離れてフローレンスのほうにやってきた。」 「その馬、どこが悪いの?」 「草を食うことは食うが、栄養にならんのだ。歯が弱ってきてな、そのせいさ。草をひきちぎるだけで、すりつぶすことができん」 「じゃ、なにかしてやれることは?」フローレンスはたちまち馬に同情した。 「歯にやすりをかけてやればいい」レイヴンは答えた。ポケットから端綱をとりだし、レインコートをフローレンスに返した。フローレンスは風のほうに顔を向け、自分のレインコートをはおってボタンをかけた。レイヴンが年老いた馬をひきよせた。 「なあ、グリーンさん、こいつの舌をつかんでくれんかね。誰にでも頼めることじゃないが、あんたが臆病者でないことはわかっとる」 「どうしてわかるの?」 「あんたが本屋を開くと町で噂されているからな。つまり、無謀な挑戦をする勇気があるってことだ」 フローレンスはレイヴンが馬の歯にやすりをかけている間、必死で馬の舌をつ かむということをやってのけた。レイヴンはその代りに、知り合いの海洋少年団の子どもたちをオールドハウスに差し向けて、書棚を作る手助けをさせてくれる。 このように、彼女の書店を応援してくれる人たちもいる。 ブランディッシ氏もそうである。ほとんど外出もせずに屋敷にこもりきりの彼は、書店を始めた彼女に感謝の手紙を書き、貸本屋も始めたらどうかと提案する。 映画では、彼は彼女に対してお奨めの本はないかと訊ね、彼女はレイ・ブラッドベリの『華氏451度』を彼のもとに届ける。その次はやはりブラッドベリの『火星年代記』だった。 小説では、そのような下りはなく、彼女が彼に対してナボコフの『ロリータ』の評価を訊ね、彼が彼女をお茶に招待するという展開になる。この町では、誰も彼の屋敷に招かれたものはいない。ガマート夫人でさえ招かれたことはない。 彼は、以下のように言う。 「敢えて言わせてもらうと、正しいか正しくないかという観念に、私はあなたほど重きを置いていない。頼まれたとおり、『ロリータ』を読んでみた。いい作品だ。だから、あなたはハードバラの人々に売ろうとすべきだ。連中にあの本は理解できないだろうが、それで構わない。物事を理解すると、精神は怠惰になってしまう」 さらにこうも言う。 「自分で何かを決めるとき、わたしは充分に時間をかけてきた。だが、結論に到達するのに苦労したことは一度もない。わたしが人間のどういう点を尊敬しているかを言っておこう。人が神や動物と共有し、それゆえ、わざわざ美徳と呼ぶ必要もない美徳を、わたしはもっとも高く評価している。それは勇気だ。グリーンさん、あなたはその勇気をふんだんに持っている」 フローレンスは『ロリータ』を250部注文する。店を手伝ってくれているクリスティーンは、学校の成績はともかく、よく働き、気がついて彼女の「戦友」と言っていい働きをしてくれる。 しかし、もめごとは次から次へと起こり、というか、ガマート夫人によって引き起こされ、ついに、オールドハウスは、新しく制定された「法律」によって町によって買い上げられることになり、フローレンスは窮地に追い詰められる。 その様子を知ったブランディッシュ氏は、ガマート夫人に対して、フローレンスの書店に手を出すなと云い渡すが、夫人の屋敷を後にした直後に倒れて亡くなってしまう。彼がガマート夫人に何を言いに行ったかは正反対に捻じ曲げられてフローレンスに伝えられ、さらに周囲の人間たちの実に姑息な裏切りのために、オールド・ハウスに対する補償金の支払いは行われないということになる。フローレンスは店も本も失い、手元には本が二冊残っただけとなる。 「そういうわけで、1960年の冬、重い荷物の発送をすませたフローレンスは、サックスフォードとキングズグレイヴ経由フリントマーケット行きのバスに乗った。ウォーリーがバス停までスーツケースを持ってくれた。ふたたび潮がひきはじめていて、きらめく水に覆われた土地が道路の両側に果てしなく広がっていた。フリントマーケットで10時46分発のリヴァプール・ストリート駅行きの列車に乗った。列車がホームを出るとき、座席にすわったフローレンスはうなだれた。10年近く暮らした町は結局、書店を必要としていなかったのだ。」 この文章で『ブック・ショップ』は閉じられる。 結論はこの通り。恐らく読み始めた人が予測した通りだと思う。しかしそれで も私が奨めたいと思う根拠は一つしかない。訳者の山本やよい氏の文章を堪能してほしいということだ。以上の文章では紹介しきれなかったのだが、実にたくまざるユーモアが各所にちりばめられている。 小説を読む快感の一つは、展開の面白さに酔うことだと思う。しかしもう一つはいい文章そのものを味読するということではないか。喩は突飛かもしれないが、よくできた落語、たとえば「文七元結」などを古今亭志ん朝のような名人が演じるのを何度も聞くようなものではないか。次にどんなセリフが来るかもわかっている、結論も勿論わかっている。しかし何度聞いても新しい発見がある。これはそういう本だ。
2019.07.26
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『葬送』第一部読了。ドラクロワ、ショパン、ジョルジュ・サンドとその娘と夫の人間関係が実に生き生きと描かれている。読んでいて感情移入できる。サンドに対する筆致は厳しいものがある。作者のショパン、そしてドラクロワへの共感から来るものだろうか。もちろんそれは露骨なものではない。できるだけ中立を心がけようとしていても、「事実関係」の記載を通じておのずと登場人物への好悪は浮き彫りになっていく。 一部読了したところで、『ドラクロワ』坂崎坦 朝日選書 1986年1月 に取り掛かっている。とにかくものすごい多産な人であったようだ。65年の一生の中で9182点の作品を残している(油絵835点、水彩画及びパステル画1525点、デッサン6629点、グラビュール24点、石版109点、画帖60点)、他に膨大な日記、1636通以上の手紙。 かなり早い時期に、恋愛と美術とを秤にかけて、美術を選んだという坂崎氏の指摘。ちょっと余人の真似できるものではない。 ※グラビュール 日本では装飾彫刻に相当する、西洋式の彫り。洋彫り、装飾彫刻、洋彫り装飾等…と訳される。 銅板に線を彫ったり酸で腐食させたものに、インクを入れて印刷したものもグラビュールという。 様々な技法があるが、和彫りの技法は(フランスでは)グラビュールではなく、シズルールという。 一般的には彫刻刀(ビュラン、エショップ等)やダイヤモンドポイントで対象物(金属やガラス等)に彫りを施していくことをいう。 石(指輪に留めたりする)にグラビュール同様に彫りを施すことはフランス語ではグリプティックといい、グラビュールとは別の分野になる。wiki
2019.07.22
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『労働者階級の反乱』地べたから見た英国EU離脱 ブレイディみかこ 光文社新書 2017年10月 英国のEUからの離脱の原因について、日本では「移民に対する反感」が報じられ、私もそう思っていた。だが、この本を読んで考え方に少しばかり幅が出来てきた。 第Ⅲ部「英国労働者階級の百年 歴史の中に現在(いま)が見える」から読んだ方がいいと思う。 日本では「階級」という言葉、例えば「労働者階級」、「資本家階級」と言った言葉は日常生活ではほとんど使われず、見なくなっている。私が今使っている世界史Aと現代社会の教科書には、「労働者」、「資本家」という言葉は出てくるが、「階級」という言葉は出てこない。 著者は、「労働者階級」という言葉を使用しながら歴史を振り返り、資本-労働関係、という経済問題が、人種や民族問題にすり替えられた時、「労働者階級」は分断され、逆に、「労働者階級」という意識が強化された時に、「労働者階級」のための政策が実現している事実を列挙している。 1910年の労働党の躍進(28議席から40議席へ)、鎖工場で女性労働者たちがストライキを起こしたこと、「サフラジェット」と呼ばれる武闘派の女性参政権運動の闘士と警察との衝突。 「この時代の労働者たちの闘いと、女性たちの闘いとはリンクしていた。両者はすべての成人男女に参政権が与えられるべきだと主張し、財産の有無や性別によって自分たちが社会から除外されるのはおかしいと声を上げた(そして相手が聞かなければ暴れた)のである。 こうなると為政者のほうでは、下から突き上げてくる抵抗を何とかなだめて食い止めなければならない。1911年には、自由党政権が国民保険を施行し、肉体労働者と年収160ポンド未満の者に、疾病と失業の保険を提供。その対象には召使いたちも含まれていた。これにより、それまでは工場労働者らとの連帯感を感じることはなかった召使いたちに「自分たちも労働者なのだ」という自覚が生まれる」(P171) しかし、上流階級も反撃を行う。第一次世界大戦後に、政府に協力した見返りに安定した職と住宅が得られると思っていた労働者階級が政府に対する不満を爆発させると、彼等に「社会主義者」のレッテルをはり、「非国民」と決めつけるネガティブキャンペーンを行う。その結果、「自らの愛国心を示すために保守党に投票するものも出てきた」、という。P175。 二次大戦前の1926年に起きたことは多くの示唆を与えてくれる。24年の総選挙で保守党が政権を握り、チャーチルが財務相になった。彼は英ポンドを金本位制に戻し,輸出産業に大打撃を与えてしまう。石炭産業では大幅な賃下げが行われ、労働者たちは「自分たちの賃金を下げなくても炭鉱主たちの利益を下げればいいではないか」と考え、それに他の労働者たちも呼応してゼネストが敢行された。参加者は150万人から300万人と言われている。リベラルや左派は「労働者たちの分別の無い行動」と非難、ボールドウィン政権はストに参加した労働者に「非国民」のレッテルをはり、彼らの代わりに働く「秦に愛国的なボランティア」を募集した。これに応えて「中流階級や上流階級の若者たちだった。大学生や若い実業家が労働者の恰好をしてトラックを運転したり、臨時警官として働いた」(P183) さらに政府は警官隊を動員してスト破りを行わせた。労働者たちは、「英国の法は自分たちのような労働者を守るものではない」と気が付いた。また「労働者階級の人たちはこの時の経験により、自分たちの階級より上の人たちはその党派や思想が何であれ、いざとなれば「民主主義」の美名のもとに結束し、自分たちの抵抗を鎮圧するものなのだと学んだ」。 「これは「右」と「左」の闘いではなく、「上」と「下」の闘いなのだという事を彼らは悟った。自分たちのために闘うものは自分たちしかいないのだという事をゼネストの経験で肝に銘じたのだった」。P185 その次に、来るのが、「ゆりかごから墓場まで」で知られる『ベヴァリッジ報告書』に基づいて実施された行き届いた社会福祉政策である。 「1945年のピ―プルの革命が凄かったのは、それが単なる「庶民によるちゃぶ台返し」で終わらずに、「こんな国だったらいいのにな」というピープルの願いが乗り移ったかのような政治家たちが登場し、労働者のささやかな願いを次々に形にして行ったことである」P202 ベヴァンの住宅政策。 「通気性がよく、明るく、バスルームがあって断熱が施され、できる限り裁量の住宅」を労働者階級の人々のために建設しはじめた。 また、「一軒ずつの住宅だけではなく、図書館、博物館、体育館や学校など総合的な街のデザインを視野に入れた文化的なニュータウンプロジェクトが英国のあちこちで進められた」P203~4 しかし残念ながら、このような路線は労働党自身によっても引き継がれず、保守党のサッチャーのもとで「国民みんなでまずしくなりましょう」という「緊縮財政」の結果、格差は拡大した。生活保護受給者は「たかり屋」と蔑視され、保護費の不正受給が取り上げられ、「生活保護費で豊胸手術を受けたシングルマザー」などの記事が大々的に報じられた。キャメロン首相とオズボーン財務相は、福祉削減、公務員賃上げ凍結、付加価値税凍結を発表し、戦後最大と言われる緊縮財政が始まった。 この政権のもとで「国民投票」は行われた。「離脱派」が勝利したのは、政権への反発が一つの理由と著者は言う。「2016年のEU離脱投票ののち、私も離脱派の勝利の背景には緊縮財政があると書いた」(P273) そこへ、「移民」の問題が持ち込まれている。これは、「労働者階級の分断」につながると著者は主張している。 およそローマ帝国の施策以来、「被支配者を分裂させること」は、支配者側の鉄の原則と言っていい。「もはや階級はなくなった」とか、「総中流社会」などはその典型ではないか。 日本でも、「世代間の対立」「公務員は得している」という嘘が公然と語られている。 もう一度、「階級」、そして「労働者階級」という言葉を真剣に考えてみてもいいと私は思っている。 最後に、著者が直接インタビューした「労働者階級の人たち」の言葉を紹介したい。 「俺は、英国人とか移民とかいうよりも、闘わない労働者が嫌いだ。黒人やバングラ系の移民とかはこの国に骨をうずめるつもりで来たから組合に入って英国人の労働者と一緒に闘った。でも、EUからの移民は出稼ぎできているだけだから組合に入らない」(P77) 「労働者の価値観ってあなたから見たらなんですか? 助け合うこと、困っている者や虐げられている者を見てほっとかないこと」 この本には直接関係はないが、保守党の党首が近々のうちに決まる。いまは、「合意無き離脱」も当然アリと言っているボリス・ジョンソンがなりそうだ。どうも私の肌に合わない。橋下を見ているようなのだ。
2019.07.15
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『原発大国とモナリザ』竹原あき子 緑風出版 2013年11月 なぜ「モナリザ」なのか? 著者は二つの例を挙げている。1959年から69年までフランス大統領の座にあったド・ゴールは、「アメリカの軍事的支配を嫌って、NATOから脱退し、エネルギーでも独自路線を走った。そのためにアメリカの大統領だったケネディに対して、核保有国としての暗黙の了解を得る軍事外交の切り札として「モナリザ」をつかった ジャクリーヌ・ケネディが愛していた「モナリザ」貸与を当時文化大臣であったアンドレ・マルローを通してジャクリーヌに提案し、夫に影響を与えたのだ。貸与は1962年12月から1963年3月まで。ド・ゴールは「モナリザ」が、アメリカで公開されている間に、「…フランスは独自の核戦力を持つ事をここに宣言する」と語り、アメリカ、ソ連、イギリスに次ぐ核保有国となり、国際的な発言力を増した」(P19) もう一つ。 「1973年のオイルショックはすべての先進工業国をエネルギー確保に走らせた。まさにその年に起こった田中角栄首相(当時)のウラニウム購入は忘れてはならない事件だ。田中首相は資源外交と称して英独仏をめぐった。フランスで会ったポンピドー大統領(当時)は濃縮ウラン購入を提案し、その見返りに「モナリザ」の貸し出しを約束した、という」(P18) 「「日米原子力協定」にもとづきアメリカに依存してきたウランをフランスから購入するという契約は、アメリカの核燃料独占供給体制の一角を崩すことになった・・・まもなくロッキード事件に遭遇した田中にとってアメリカの「核の傘」から出たのは彼にとってもあやうい選択だった。ただし、1972年12月には、フランスと日本の濃縮ウランに関するワーキンググループが既に設置されていた」(P18~9) さて、今後はどうなのか?「モナリザ」は再び切り札として使われるのか? 著者は以下のように予想している。 「その微笑みが消える気配はない。なぜならフランス、アレバ社が2012年に生産したウランの量は9,760トンだった。これはこれまでにない生産量だ。ロシアのカザフスタンに次ぎ世界で二位に相当する。福島以後、需要が減ったウラン。たまりにたまったウラン。価格が下がりつつあるウラン。そのストック分を世界中に売りさばかなければならないのだ。シェールガスあるいは水素エネルギーが原発エネルギー戦略を覆す前に、なにがなんでも中東とアジア諸国にババのカードを引かせなくてはならない」(P23) アレバ社は、核燃料棒を生産している。原発の建設がアレバ社なら、アレバ社の燃料棒を使い続けなければならない。燃料棒は1年の間に三分の一から四分の一入れ替えねばならない。さらに出力の落ちた燃料棒は廃棄燃料となるが、その廃棄物からリサイクルして残ったウランとプルトニウムを取り出す技術もアレバは持っている。そしてウランとプルトニウムを取り出した残りをガラスで固めて放射能を含む残滓を発注元に返却する。 しかし、ヨーロッパ、とくに隣国のドイツは脱原発宣言を行い、一時はアレバと組んでいたドイツのシーメンスは、「原子力発電が利益にならない」と判断して再生可能エネルギー開発に舵を切っている。 2011年3月11日以降、私たちは日本のテレビが映しだす、「水素爆発以前の建屋」の映像を何日間も見せられ続けていた。みのもんたの番組に出演していた「専門家」は、「建屋というのは原発を雨風から守っているだけで、無くなっても大したことはないのです」と言っていたことを思い出す。 ところが、「フランスのテレビ局は異常と思わせるほど津波より福島の爆発現場を長時間にわたって報道し続けた。…東京にあるフランス大使館(東京都港区)の窓ガラスをすべてテープでシールドし外気が入らないようにしている」(P45)と報じている。 「日本の関東地域にまで放射能の危機が迫っていることがアレバにわかったのは、現場にいたフランスとドイツの職員からの報告に信憑性があったからだろう。いやヨーロッパは我々以上に事故の重大性を知っていたのだ。チェルノブイリの教訓が残っていたからだ、という。日本にいた日本人だけがそれを知らなかった」(P44) アレバも、再生可能エネルギー分野を拡大しつつある。P48からP54にかけてその概要が年を追って紹介されている。 フランスはドイツに学んで確実にエネルギー政策を転換しつつある。しかし、両国の間には違いもある。 「ドイツの再生可能エネルギーが成功したのは企業の競争力が維持できるように再生可能エネルギーへの投資のほとんどは消費者個人からの出費でまかなった。フランスでは庶民への負担を減らし、つまり再生可能エネルギーへの投資額を電力料金に上乗せせず、なお大規模なエネルギー消費をする大企業の電気料金は優遇しなかった」(P129) さて、この本は2013年発売という事もあって、現在のフランス状況は捉えられていない。 2018年のマクロン政権の選択を配信されている記事で見てみよう。 フランスのマクロン大統領は、国内発電量のうち約70%を占める原子力発電への依存度を50%まで下げるとしてきた目標について、「10年先送りし、2035年に達成する」と明らかにした。再生エネルギーの発電量が伸びていないためだという。27日のエネルギー政策の演説で語った。オランド前政権は「25年」を目標にしていた。 マクロン政権は国内に58基ある原発のうち、14基を順次閉鎖する方針。原発の閉鎖で「雇用がなくなる」との反発が強く、マクロン氏は「原発を諦めるわけではない」とも述べた。 マクロン政権にとっては、燃料税の引き上げに反対する抗議デモが連日続いていることから、マクロン氏が「コストが安い」と主張する原発を急には減らしにくい。一方でマクロン氏の支持層とされる環境意識の高い住民にも配慮し、「50%」の目標は維持せざるを得ないという板挟みの状態だ。(パリ=疋田多揚) 2018年11月29日 朝日 さらに詳しい内容は、https://www.jepic.or.jp/data/w04frnc.html 海外電力調査会に掲載されている。 この本の末尾には「日本のウラン産業」という項がある。P194以降には以下のような記述がある。 「2013年3月26日のロイター通信はこのカメコ社(世界第三位のウラン鉱山会社)の重役のコメントを発表しながら、不可解なことが日本で起こっているという。というのは、福島での事故後、カメコは日本の電力会社すべてに未使用のウラン燃料棒があればそれを買い戻しましょうとアプローチした。そのカメコの申し出に日本の電力企業は一社も応じなかったという。・・・なにがなんでも再稼働、それにしがみつく日本の電力会社の背後に何があるのかを問わねばならない」(p196) 「日経」に7月9日、以下のような記事が載った。概要を説明すると、「原発の安全費が、想定の三倍を超えた」という。関電では、2850億円から1兆250億円、九電では、2000億から9千数百億円に。「17年度の電源構成に占める原子力の比率は3,1%だった。政府のエネルギー基本計画では30年時点でこの比率を20~22%としている」。すでに「海外では太陽光や風力の発電コストが10円を割り込む事例が増え、一部の地域では原発の競争力が揺らいでいる」。 原発は巨大な利権のかたまりである。その利権の前には住民の命も安全も物の数ではない。その利権のかたまりの上に乗っかっているのが、自公政権である。この事はもっともっと知られていい事ではないかと思う。
2019.07.10
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ある方から刺激を受けて、原発と再生可能エネルギーについて学んでみようかなと思った。どうもこういう刺激をいただかないと学ばないというのは生来の怠惰な性格からか。ま、学ばないよりいいだろう。 図書館から、以下の本を借りだした。 『2040年のエネルギー覇権 ガラパゴス化する日本』平沼光 日経出版 2018年1月。『ロラン島のエコチャレンジ』ニールセン北村朋子 野草社 2012年5月 『脱原発からその先へ ドイツの市民エネルギー革命』今泉みね子 岩波書店 2013年3月 『ドイツの挑戦 エネルギー大転換の日独比較』吉田文和 日本評論社 2015年12月 『原発大国とモナリザ フランスのエネルギー戦略』竹原あき子 緑風出版 2013年11月。 まず読んでみたのが、『2040年のエネルギー覇権 ガラパゴス化する日本』。 一読してはっきりするのは以下の部分に記してあることだ。 「原子力発電は。事故リスクやビジネスとしての競争力低下、そして放射性廃棄物処理という難しい問題を抱えている。かつての「原子力ルネッサンス」といわれた時期の勢いはなくなり、世界は原子力発電の扱いに悩む時代に入ったと言えるだろう」(P36) 再稼働をしようと言うときに、どこの自治体が引き受けるのか?また、その「自治体」の範囲はどこまでなのか?町か、県か、周辺の県には発言権はないのか? フクシマの事故は、日本人が想像する以上に海外では深刻に受け止められている。そして、再生可能エネルギーへの転換を国家戦略として進めている。トランプがパリ協定からの離脱を宣言して以降のアメリカでは、自治体、州単位での再生可能エネルギーへの転換の取り組みが進められている。P168以降にその実態が報告されているのだが、アメリカの名だたる企業(アップルからグーグル、スタバ等々)が出しているニュースリリースの題名が傑作。「トランプは気にするな。企業はイノベーションとビジネス機会を推進していく」。笑える。 この本を読んでいくうえでの一つのキーワードが、「限界費用」という言葉。P48で以下のように説明してある。 「限界費用とは生産量の増加分1単位当たりの総費用の増加分。・・発電で考える場合、発電量を1単位(1キロワット時)増加させるのに要する増加費用ということになる。火力発電で考えると、発電量を増加させるため火力を焚き増すのに追加する石炭、石油、天然ガスなどが主な限界費用となる。・・・再生エネルギーの場合、発電に必要な風や太陽光、地熱などはいくら使ってもタダであり、限界費用はゼロとなるわけだ」(P48) そして、著者が指摘しているのは、再生可能エネルギーを巡るめざましい技術革新である。 ここまで書いていくと、「日本のガラパゴス化」の内容は推察できる。 かつて世界を席巻していた太陽光発電産業は失速し、風力発電も依然として停滞している。 著者は、政府の方針の不統一さを紹介している。片方で、再生可能エネルギーの比率を2030年には22~24%とし、環境省が2015年に発表した報告書では2030年の再生可能エネルギーの比率を30~35%としている。 「2030年に再生可能エネルギー比率22~24%という日本の目標は先進各国と比べると消極的である。…欧州ではすでに20%から30%の再生可能エネルギー比率は達成されている」(P190) そして政府のこの消極的な姿勢にならうかのように、日本の再生可能エネルギー分野での凋落が目立っている。 日本の課題について著者は以下のように指摘している。 「再生可能エネルギー固定買取(FIT)制度導入以来、日本においても再生可能エネルギーの導入拡大が観られている一方で、その導入の約9割が太陽光発電という偏った状況になっていることや、FIT制度による国民負担の増加などが課題となっている。こういう課題は・・・欧州各国でも生じており、その対策が進められている。・・太陽光発電に偏った導入を是正する必要があり、・・・現状諸外国とくらべて高い日本の再生可能エネルギーコストそのものを低下させる必要がある。例えば、2014年における日本の太陽光パネル価格19,39万円/kW に対して、ドイツ、スペインは12,32万円/kW。太陽光発電の工事費は、日本12,88万円/kWに対してドイツ、スペインは3,41万円/kWとなっている」(P206) 著者は、送電部門の整備、スマートグリッド(次世代送電網)、AIとビッグデータの活用等の施策を提案している。 利権のかたまりとなっている「原子力村」の解体、」、電力会社の利益優先主義などに消費者が気づかないとこの事態は変わらない。 著者は、「ガラパゴスでも進化の努力はなされている」という何とも皮肉な事を書いている。P239。 まず事実を基盤とした透明性の高い議論を、という著者の提言は読むべき価値があると思った。
2019.07.08
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先日、「山椒大夫」の読書会の後の恒例の食事会の際の「雑談」で、万葉集といえば、「上は天皇からしもは一般庶民までの歌を集めた歌集」という紹介のされ方が一般的だけれど、どうもそうとは言えないようだという声が上がりました。 ワタクシは全く考えてもいなかったことなので、しばらく話に耳を傾けていると、一般庶民、たとえば依然として竪穴住居に住んでいたような人たちにそんなことが出来たのか?という声も。確かに、憶良の詠んだ「貧窮問答歌」に歌われているような人たちに歌を詠む余裕があったとは到底思えません。憶良のように庶民の生活を深く観察して彼らに代わって歌を詠んだという例もあり、旅人自身にも、「彼らの気持ちになった詠った」歌もあるわけです。 そうなってくると、「東歌」を実際に詠んだ人たちはホントに「庶民」だったのか?という疑問も当然わいてこようというものです。 ずっと万葉集を研究してきた知人に疑問をぶつけてみると、実証派らしく「わからない」という答えが返ってきました。また、「万葉集自体が悪いのではなくて、それを利用した側に問題がある」とも言っていました。 実際に明治になって子規を中心として万葉集評価の声が高まった時に、彼らのアタマにあったのは、ヨーロッパの「文豪」に比して日本には世界に誇れる文学がない、これを何とかしないとという焦りの中で万葉集に白羽の矢が立ったという経緯もあったようです。 万葉集は日本人の「心のふるさと」とされ、その中の天皇を讃える歌は戦前・戦中に前面に追い出され、「海ゆかば」のように、荘重なメロディーがつけられたこともありました。 「天皇から庶民まで」というキャッチコピーは、容易に「日本は一家」という概念に結びつき、戦後は、「万葉のふるさとを訪ねる旅」も企画され、「日本人の心のふるさと」とも言われるようになっています。 「令和」騒ぎの中で万葉集は再び、「美しい日本」というベールをまとわされています。 「万葉集はいかに利用されてきたか」という事を明らかにすることは、万葉集を心から味わううえで大切な作業のように思っています。 私の疑問に応えてくれそうな本を予約することが出来ました。読後、紹介したいと思います。
2019.07.04
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