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昔、富田林と言うとPL教団の8月の大花火に行ったことだ。その時は当然PL教団は宗教団体だしちょっとおっかなびっくりと言う感じだったが、高校野球の甲子園常連校のPL学園見ても分かるように不思議と批判的には思わない。ちなみにPL(パーフェクト・リバティー)は「完全なる自由」と言う意味だそうだ。と、やたらとマイナーな話題から「富田林」に入ってしまいましたが、それくらい銀タテにとっては「知らない町」と言う感じが強い。♪知らない~町を、訪ねて~見たい♪と言う歌があったが、そんな思いで訪れた「富田林」だった。富田林には駅前から程近いところに「じない町」と言う江戸時代からの中世都市がある。言うなれば古い町並み言うだけだが、この現代に、その当時の町並みを残すだけでも大変なことだ。どんなにモダンな家に立て替えたいと思っても、景観を損ねる建物は建てられない。ましてや、修理は出来ても真っ新に新築することは容易でないだろう。それでも、どこの家にも生活感があり、今もここに住んでいる事が分かる。大したものだ。僕ではなかなかこれに辛抱はできない。こうやって、一つの町に訪れると、僕はとことん自分の足で歩くことにしている。その理由は色々あるけれども、第1には、その町を良く知りたいからで、外目の観光然としたところも確かに見所があるが、それより、町の裏通りやら、洗濯物を干しているおばさんの姿やら、無造作に捨てられている生活ゴミやガラクタや、そんな俗っぽい人間らしいところにその町の顔があり、その独特の表情にグッと引き込まれてしまう。時折、未の知らぬ土地の人に話しかけて、その対応の良し悪しや暖かさ冷たさによって、印象が随分と変わってくる。この富田林の人たちは、大阪なのにどちらかと言うと東京的かなと感じる。二言三言は喋ってくれるが余所者には余り暖かくは無い印象を感じた。出来れば、こんなに懐かしい雰囲気の町には、話し好きの上品なおばあちゃんなんかが居て欲しい。これは、とても勝手な個人的な願望なんだが。富田林を河川に沿って数キロ下って行くと、日本の三大不動の一つ「滝谷不動尊」がある。歩きではダラダラ坂を随分登るので、歩き慣れの無い人にはバスがいいと思う。お不動ざまと言うぐらいだからご本尊は不動明王。仏教にはそれぞれ位があって、一番上位が大日如来とか阿弥陀如来などの「如来」、次が観世音菩薩、文殊菩薩などの「菩薩」、そして不動明王、金剛夜叉明王などの「明王」でお不動さんはここにあたる。ちなみにその下が「天」で毘沙門天とか帝釈天など。山門のすぐ前にあるそば屋が以外に美味い。ここでにしんそばを食った。のどかでいい一日だったが、結構寒い一日だった。●デジブックはこちら● 「富田林」 古のじない町と滝谷不動
2011.01.31
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去年の年末のことになるが、友人たちと京都の南・・・一般的には洛南と言うらしい。京都に限らず、平城京の奈良、平安京の京都などは東西南北の方位は実に重要らし。そう言うのに詳しい友達によると、その昔、都は怨霊が跋扈しており、その為四方に結界を張る必要があったとか・・・・と、蛇足の話はこの辺にしておこう。その洛南の伏見稲荷と醍醐寺、そして兵庫の有馬温泉と六甲山に行って来ました。時期遅れ、「旬」の話題では無いけど、紀行文を書く訳ではないし、その時の感慨と言うか、極めて個人的な独り言を語ろうと思います。私たちは、普段、パソコンやら携帯やらと文明の利器に埋もれながら、なぜか古いもの、懐かしい時代に憧れる。今はとても便利なようで、実は窮屈で暮らしにくい時代なのかも知れない。だから、やたらとややっこしくない(と思われている・・本当は苦労は一杯あったろうが)時代に憧れる。オールウエィズ3丁目の夕日や地下鉄に乗ってなどの映画が流行る。そして現代の複雑疲労からタイムワープする。そして、逆にその時代に立って今の自分を振り返る。ずっと未来の僕を。有馬温泉に来ると何故か懐かしい。誰もが持っている古いものへの懐古かも知れないが、僕は少しそれとは違うと感じている。温泉街にありがちな遊興施設や歓楽街は無い。それどころか、浴衣姿でそぞろ歩く雰囲気でもない。それは有馬にしかない独特な佇まいでもある。それこそ、昔は文人・歌人が有馬をこよなく愛したように、僕もこの有馬温泉がとても好きだ。昔ながらの金泉・銀泉につかり、何の変わりも無いように見えて、どこかが不思議と新しい。街中には若者の姿が目立つ。格好の関西の観光スポットでもあるし、京阪神からもそう遠くない。デートコースにも落ち着いていて、さっきも書いたように良くある温泉街のように艶っぽく無くサラリとしてていい。ただ、こんな日本の代表的な風景の中にも中国語とハングルが飛び交っているには驚かされる。できる事なら、目には見えないけれど、このゆかしい情緒を理解して思い出にして帰ってもらいたいと心から思った。僕らは不思議と高いところに登りたがる。まさに「おのぼりさん」な訳で、眼下に眺望が開け見晴らしがいいことに爽快になる。これは鳥になれないし空も飛べない人間の悲哀が生み出すのだろうか。人間は欲張りだから、生理的・肉体的に可能でないことでも何とか手に入れたいと飛行機や飛行船を生み出したに違いない。飛行機だけでなく乗り物の発展は人の行動半径を飛躍的に広げたろう。それに引き換え、ゆっくりと時の過ぎる中を歩いて、目に見える花や水や風の声を聞けなくなって来ている気がする。生きていることを時間の経過に置き換えてしまったら、後何年何ヶ月と何時間でお陀仏だって考えてしまうだろう。時には立ち止まって、スチール写真のように時間を止めてみれば、その時を刻むこと、生きていることを、人はそんなに無駄遣いはしないだろう。ゆっくりと過ぎ行く時間の中で、-6度の六甲山は僕にそんなことを考えさせた。山には神霊が宿ると言うけれど、眼下の六甲アイランドに来光が注いでいるように僕には見えた。同じ関西に住む銀タテでも、京都や奈良は少し趣が違っています。それは、同じ関西圏にあっても全国区の知名度と悠久の歴史を湛えているからで、ここに来ると日本のルーツを感じてしまう。よく邪馬台国伝説の論争に九州説の双璧として畿内説(奈良県?)が挙げられるけれど、奈良・京都はまさにそれらの神話的な伝説が紛れも無い真実として存在した最初の(平安京はその後だが)都だった。特に、平城京が京に遷都したした謂れは怨霊の跋扈だったと言われている。そう言えば京都は魔界から都を守る結界は張られていると言う。南の朱雀、いわゆる南の結界の位置に朱麗の鳥居を配した伏見稲荷が鎮座するのも無理もない。だから、普段そこかしこで目にする「お稲荷さん」よりは数段怖い。何やら奇奇怪怪とした妖気が漂っている気がする。それにおキツネさんの顔もことごとく怖い。奈良も京都・洛南もそうなのだが、今観光地となって反映しているところと比べると閑散としたところが多い。しかし、その建造物や遺跡や遺構はその昔、栄華を誇った片鱗が色濃く伺える。時代は、その当時の繁栄地を風化させ、また新たな中心地を別のところに作っていく。長く歴史を超えて今も反映し続けることなんて大概じゃ無い。人だって同じだ。何時までも若いわけではなく、やがては次の世代にバトンタッチしなければならない。おのぼりさんは、初めて京都タワーに昇った。それこそ数え切れないくらい京都に来ているのに。京の都が放つ夜の灯りが綺麗だった。東京や大阪とは違う光の海。千数百年前、平安京の都にこの京都タワーがあったら、一体どんな光景が眼に映っただろう。それを知るのは、既に塵と化した当時の鳥たちしかいないのだ。◆●■デジブックを見てください! (クリック) ■●◆ 「有馬・六甲」古き湯と-6℃の六甲山 「京都・洛南」伏見稲荷と醍醐寺とおのぼりさん
2011.01.23
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銀タテは兵庫県に住んでいます。この兵庫とはどんな由来があるだろうと時々思う。源氏の世から「明石」や「須磨」の地名は使われており、土地柄としては長い悠久の歴史を持っている。実際、JRでは神戸駅の手前(西方)が兵庫駅だ。ちゃんと地名にある。ただ、この兵庫、由来によると、その昔須磨の関を守るためにこの地に武器庫「兵庫(つわものぐら)」が置かれたことに始まっているらしい。兵庫には実のところ余り降りたことがありません。随分昔の予備校時代に好きだった女の子を近くの神戸電鉄の駅まで送って、自分はこの兵庫駅に歩いてたどり着くこと数回。その程度の利用数でしかない。だから、兵庫ったって何も知らない。駅を降りて歩いてみると、神戸の一駅手前(西側)なのに、やたらと落ち着いた住宅街って感じだ。ここから港の方へ歩く。どこからとも無く汐の香りが漂う。実は、兵庫に行ったのは1月9日の土曜日で、近くに有名な「えべっさん」(十日戎)があるからと言う誘いにつられてやって来ました。何せ銀タテは祭好きであり、縁日が一杯出て人が一杯いるとつい嬉しくなってしまう性格だ。駅前から縁日の出店が並んでいる。この近くに柳原えびす神社ってのがあって、そこが結構繁盛しているとのこと。えべっさんやから繁盛してるのが一番。海に突き当たるところに神戸中央市場がある。今日はあいにく休みと言うことで、見学は・・・と係りのおじさんは渋ったが、雰囲気だけ写真を撮らせてもらいたいと関西人の図々しさで無理やり入ってしまう。実は銀タテ、仕事の関係で2度ほど来た事がある。普段は競が終わってからでも人が一杯で商談などで活況を呈しているが、さすがに今日はガランとして廃工場のようだった。海辺を歩いているとなぜかホッとする。それは僕が山人でないことの証しだ。海には不思議な引力があって、それは自分たちが、太古の昔、魚であったことへの回帰かも知れない。長い年月の果てに、僕はたまたま人間になった。そして岡に上がり衣類をまとい、普段は糧を得るために土地を耕す代わりにサラリーマンをやっている。まあ、社会の荒波を泳いでいる分には魚と大差は無いようにも思うが。柳原えびすはなるほどスゴイ盛況ぶりだった。僕は夢中でシャッターを切った。カメラを持てば多勢の群集の視線など敵ではない。この人群れの圧倒観を何とか写真に撮りたいと思ってやまない。結局、僕は人が撮りたい。その人々が生きている証しのようなものを映像にしたい。その大衆の中に自分を見つけたい。カメラを構えて自分が写るはずは無いが、自分もより多くのものの一つである事実を写しこみたい。写真で面白いのは、過去と未来、現実と空想、活況と閑居、雑然と均整、漠然と集中、日常と非凡など。その中にある相容れぬ対比が相乗に写りこんだもの、それが写真だと感じている。だから、写真はそのまま写るだけで、それ自体相当にエフェクトされているんだ。それが当たり前に見えてしまうのは、人の持つ論理的視力によるものだ。空っぽの感じ方で写真を撮る時、常識以上のスーパーフォトになるやも知れないのだ。夕暮れて、神戸モザイクで沢山の若いカップルに囲まれながらロマンチックな気分に浸った。と言っても、彼らを見ているだけか、「ちょっと写真お願いできますか」とカメラを渡されるぐらいのものだが、「あんな頃もあったよなあ」とちょいと思い出し笑いになったりする。イルミネーションと潮風の中で、随分と人恋しくなった。◎ここをクリック◎デジブック《Around Hyougo》
2011.01.16
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兵庫県の中東部に柏原町がある。現在は氷上6町が合併してできた丹波市に入っている。少し前、ある人の故郷と聞いて訪ねてみることにしました。我がエリシオンで走ること1時間半、町の中心部を抜けて八幡神社の鳥居の近くの無料駐車場に車を休ませる。一見して分かるとおり、大きな町じゃないが、どこと無く懐かしい土地の香が流れてくる。この地は確かに人をホッとさせる空気感が存在する。やたら「旅の読本」のような書き出しになってしまったけれど、ここは元々城下町で、そのせいか銀タテのところも同じ城下町なもので、同じような町の風情が気持ちを随分和ませるのかもしれない。町全体は銀タテの地元の中学校区よりまだ狭いのではないかとも思ってしまうが、コンパクトなまとまりは雑然と広いより随分とマシな気がする。この日は殊のほか寒い日だった。と、銀タテは感じているけれど、歩いてみるとそこかしこに根雪が残っていて、この辺りでは当たり前の天候・気温なのかも知れない。今日は車なので、デジカメのPENTAX K10Dと一緒にゼンザブロニカSQ-Aを持ってきた。6×6版は味があって好みだが、たった12枚撮るだけなのに重いし扱いにくい(今回は三脚でなく一脚で撮影、フィルムはフジのプロビア)写真の方は残念ながら現像に時間がかかるのでまた後日に。写真のスライドショー「デジブック」を作ってみたので、良かったら見てください。デジブック「柏原」 ↑少し写真を加えて編集しました。
2011.01.15
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------------------------------------------------------------------------------自宅の窓から初日の出を見た。空が次第に焼け始め薄いピンクからオレンジ色に、そして紅色に変わっていく。やがて眩い輝きが強い光を放った。太古の昔だったら、この太陽に神を感じても無理はない。昨日と今日でビックリするほど何かが変わった訳ではない。たった24時間が過ぎただけ。2010年が終わって2011年がやって来た。実は「やって来た・・」と僕らが思っているだけで、時の歩みは驚くほど正確な刻みを続けていて、ただその一区切りを、1秒、1分、1時間、1日、そして1年と読んで人は勝手に都合よく自分たちの節目にしている。じゃ、お正月など止めておいた方がいいなどと言うつもりは無い。第一、お正月に市民権がないと正月休みが存在しなくなる。サラリーマンにとっては大変困る。もっとも、お正月も働くサービス業の方々もいるのでそう勝手なことも言えない。それに、「今年からは・・・」と事始の冠頭詞としてもお正月は存在意義がある。銀タテは、31日からしか休みにならない。しかも1月4日が仕事始めで正月休みはたった4日しか無い。昔は12月31日の夜中まで仕事をしていた。同種の会社は全て同じだ。だから31日休みなだけマシになった。今年は年末の仕事がとても忙しかったから、正月の休みは心と体にとても有難い。ただ、お正月の恒例が大半飲み会同然になってしまうのが残念に思う時もあるが・・・年始参りも、人々の時(年)の区切りと思えば仕方ない。------------------------------------------------------------------------------この地では一番の射楯兵主神社(いだてひょうずじんじゃ)に初詣。多分この名前は地元の者でも余り知らない。でも、通称の播磨国総社はみんな知っている今年のお正月は殊のほか寒い。午前0時を待って、40分掛けて歩いて参拝に出かけたが、厚着をした背中に深深と冷気が染み入った。考えてみると、去年の春はなかなか暖かくならず、夏は夏で記録的な猛暑になった。きっとこの冬も異常な現象が(普段より寒い程度なら良いが)起こらなければ良いと思うが・・・。不安や残念なことは意外に多いもの。喜怒哀楽と言うけれど、喜楽なことは案外少なくて苦労が多い。仕事や母のこと、将来や子供のこと、健康やお金や環境や・・・心配事は耐えない。今年になったから突然リセットして、それらが全部無くなるならお正月効果は絶大なんだが、ただ時計の針が一瞬、去年から今年へ跨ぐだけだから。あけまして、おめでとう 御座います。今年も宜しくお願いします。
2011.01.02
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