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29日はワンコイン・コンサートの日。今日で22回目を数える。小さな街の片隅で小さなコンサートを。入場料500円玉硬貨で気楽に。近所の人たちが井戸端会議をするかのように集い情報交換の場になればとの発想。基本的には我が家のレッスン室が会場となる。30人でいっぱいで充分だと思っていたが、東北大震災の募金を考え公共施設を借りることにした。30人が倍になるわけでありがたいことです。今日は自治会館。何人の方がお出かけくださるか。東北大震災といっても広域で要望も千差万別だろうが、僕の関係する地域は物資の必要性、僕ら程度の金額では何もできなくなってきたと思う。むしろ精神的ケア―的な分野である音楽などが喜ばれるようだ。5月は気仙沼に訪問することになるが、片道500キロ・高速9千円、8時間かかるという。演奏家の手配をあしたから始めないと。最近は東北被災地の話しが話題とならなくなってきたように思える。お上の協力が薄い中一年が過ぎ、そろそろ心のケアーが必要になってくることでしょう。とくに子供たち、学童などに音楽などを。
2012年04月29日
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マスコミは政治と政治家の裁判、増税と電力と結局は期待したのが馬鹿だったのかと政治に無関心を示そうとしている。これで一番得するのは政治家と一部財界でシナリオ通りでほくそ笑んでいるのだろうか。こういう時だからこそ国民は政治に強い関心を示すべきだろう。我が家は娘と孫の帰国を迎える準備をそろそろ始めている。とにかく2年以上使わなかった物は捨てる。数年前に書籍を軽トラ2台分を処分したが、それでもまだ3分の2は残っている。貴重な書籍などをどうしたらよいものか決めかねている。掃除のついでに?防災準備も並行している。発電機・簡易トイレから小間物まで。我が家の住宅街は万が一の避難場所としてはあてにはできない。自治会組織が形式的なだけに何の役にも立たないし逆に混乱をきたすことでしょう。大は国レヴェル、小は自治体レヴェルとちらも何の役にも立たないから結局は自分の身は自分で守ると言うことでしょうか。ホームセンターを覗くと防災関連は盛況なようで品薄商品も見かける。老後を考えると貯蓄。銀行はノー利子だからタンス預金でお金が回らない社会。どんどん経済が冷えて行くだけ。関東で大震災が起こったならば、関西大震災とは全く違う復興になるのだろうか。我が家の住宅街はよそ者の集まり。とは言っても30年40年になるのだが隣近所との付き合いが少ない。それぞれ勝手気ままな行動になるだろう。関西人のようにお互い助けあうとは考えにくい。お隣が困っていても見て見ぬ振りを当然と感じるだろう。それと、とても不思議で、考えられないのが宗教施設の防災対策。大きな敷地を所有している宗教団体、学校幼稚園などでは万が一の防災の時は近隣住人に手を差しのべる計画は出来ているのだろうか。
2012年04月28日
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「霊的花束」が立て続けに贈られてきた。霊的花束を頂くことは想像もしていなかったことだけに病み上がりの身にとっては嬉しいかぎりです。人が人のために祈り時間を割くという行為。ここまでは美しい話だが、その証?、その証明書?なる何回あなたのために祈りましたと書いて本人にわたすわけです。ここのところがイヤラシク抵抗のあるところでした。こんかい我が身のこととして、それも3組の方々からと個人的に霊的花束を頂き、カードにロザリオの祈り何環、ミサ願い何回などと書かれているのみ見ると、病者のやわな心に希望みたいなものが湧いてくるのを感じる。「ロザリオの祈り」一環を唱えるにも30分はかかる。人のために30分を割くことは出来ることではない。まったく見知らぬ人、遠く北海道から、ホスピス患者から、病者から、ホームレス、シスターから。こんな話を知った。一人信者さんの女性がガンで亡くなり葬儀音楽をお手伝いしただけの関係なのだが、遺された未信者のご主人が亡き奥さんの代わりにと「霊的花束」に参加し、主梼文、信望愛徳唱、ロザリオ、病者の祈りなどを教わり、熱心に唱えてくれたと聞く。いまは司祭のもとに通っているとのこと。ちなみに俗にいう「一人信者」(ひとりしんじゃ)とは多くは奥さんが信者さんで、御主人の理解がない中で教会通い信仰生活をしている信者さんのこと。ホームレスの方々がミサ願いをお願いしたと聞く。ミサ願いと言ってもただじゃぁーない。ない金を工面したのだろう、ありがたい話です。炊き出しのシスターにミサ願いを相談依頼した光景が浮かんでくる。こちらは暇にまかせてお付き合いをしているだけなのに。人と人とのつながりを実感しています。※草津のハンセン病療養所にあった重監房をテーマにした朗読劇。ギター曲にしようとやっと決まりデッサンを始めてます。1年前から構想は練っているので今一度デッサンすれば完成するでしょう。現実なことを考えると、つまりギタリストがなかなかいないのでピアノでも弾けることを念頭にしなければと思っています。草津も春を迎えたが、戦中、あの厳寒の中に何の理由にもならない問答無用で特別病棟という名ばかりの重監房に入れられ、電気もなく暖房もなく不自由な食事のなかで凍死した人たちを思うにつけ、人間の心底にある恐ろしい心を想起しなければならないでしょう。そんなことをギターで表現したいと思っています。※東北で亡くなられた方々、1万9千人だと言う。その霊魂のために「紐ロザリオ」を編み始めている。400本。未信者さんが一緒に編み出してくれたことは大きな光です。残念なことは信者さんに反応がないこと。
2012年04月25日
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ここのところ長電話が続いている様子。何を話していることやら。“孫にピアノを教えてもらえるか?”とのこと。ハァー?意味が分かりません。娘が孫を連れて日本に里帰りするとのこと。僕の右目のことを心配しているようで、こんな放射の汚染国にわざわざ来なくても・・・。僕は我が子にピアノの手ほどきをする機会に恵まれなかった。いまなら子供に音楽を教えてあげることができる。娘と孫3人の居場所の準備。大掃除が6月まで続く。※東北被災地:5月末に東北被災地を訪問決まる。 今月22日、テント・卓上コンロを持って行った。※来月のワンコインコンサートはピアノに決まる。
2012年04月24日
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久しぶりに五日市カトリック霊園に墓参りに行ってきた。途中、横田基地まえのコストコ付近は大渋滞。そのあとはスムーズだが久しぶりの町並みは一転していた。不景気のせいだろうか軒並み店は閉じ新しい店に変わっていた。五日市霊園は桜が散り桜のじゅうたんが綺麗だった。タンポポが顔をだし、見慣れないタンポポを見つけた。そう「日本タンポポ」だった。居合わせた管理人職員さんに聞いてみると、この辺には今も日本タンポポがあるとのこと。昨日は母の命日。24年になるからなんと年のたつのが早いことか。もう24年になる。親子だけにしか分からない年月と絆である。我が子や我が孫には分からない親子の絆が。母の眠る墓に父もあとから眠った。父は月に一度かかさず電車を乗り継いで母の墓参りに行っていた。きょうは僕一人だったのでのんびりと時間が持てた。やっと今になって気が付いたことがある。父はきっと「俺も早くここに眠りたいよ」と母に話しかけていたのではないだろうかと、父母の眠る墓前で感じた。何処からか飛んできたのだろう日本タンポポを我が家に持参した。1988年。恩師が急死し、急なことで大変な時を過ごしたが、その間、我が母も召される寸前だった。腹水で苦しむ中「先生の葬儀を無事に終わるまでは死ねない」と頑張ってくれ、先生の葬儀が終わり一段落した2週間後に母も召された。厳かな、昔風の葬儀が楽友らの善意で行われた。レクィエム、そしてディエスイレイの続唱「怒りの日」、インパラ楽園歌、パーテルノストラなどラテン語聖歌で歌ってくれた。そんな母と同じ歳になった。凡人が分際をわきまえて頑張ったつもり。交響楽も何曲か書いたし、弦楽四重奏、三重奏、それにモテトは数えきれないほど書いた。オペラも音楽劇も恩師の指導のもとに書いただけに自信作?もある。今日の心境は、いまさら、今になって言うことではないが、人目に触れることなく、聞かれることもなく自らの手で焼失すること。残してはいけない作品だと思う。凡人程度ではあるが作曲の才を授かったキリスト者として神を賛美する作風に専心できたことを感謝している。さすがに右目の疲労は厳しい一日だった。
2012年04月22日
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気になりつつ音信不通の方から電話をもらう。こちらの近況報告よりも先方の近況報告に耳を傾ける。携帯電話は通話料が気になって貧乏性が顕著に表れる。そのむかし、ポケベルの前の時代、加入料金を30数万円払った携帯電話。通話料金もとんでもないほど高かったころの固定観念があって、いまの携帯電話も用件重視となる。固定電話のような長話が出来ないのが残念です。みなさんお元気で活動しているのを聞き、自分の状況と照らし合わせて嬉しくもあり複雑な思いになります。なぜか大きな地震が来そうで防災準備をと思っています。これを機に、家の中の整理をしようと思ってます。2・3年使ってもいず、忘れている物は捨てる。昨日は母の命日。1988年帰天。24年がたちました。八王子のカトリック霊園まで久しぶりに墓参りに行くことにします。車で2時間、車中で作曲のデッサンが出来ればと期待してます。ピアノトリオに着目。先日夢を見て、兄弟子のアドヴァイス。ピアノトリオは面白いかも、これならいけるかもと感謝です。兄弟子と言っても恩師とは客人だった方で有名人。彼ら三羽烏はあの世で音楽三昧なのでしょうね。
2012年04月21日
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いましらべたい楽譜を見た。「ムンクの叫び」状態でとても読める状態でないことに気が付く。オーケストラ譜は全然無理。弦楽四重奏もまだ難しい。
2012年04月19日
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聖ダミアン神父が1889年4月10日ハワイのモロカイ島で49才で帰天。
2012年04月15日
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復活おめでとうございます。術後、まぶしい毎日が続きます。しばらくはパソコンも見られないでしょう。右目全ハク、つまり網膜剥離が全部で失明寸前だったのが視力0.1に回復する可能性が出たことはありがたいことです。ただしシンフォニー曲の創作は断念せざるを得ないでしょうか。「紐ロザリオ」を一人してもくもく編んでいます。最近、紐ロザリオの必要性が続きます。なぜかと言うと、以前のように棺の中にロザリオを入れられなくなった昨今、金属ではなく麻ヒモで作られた紐ロザリオが喜ばれ(?)ます。それに、石などの感触ではなく、麻ヒモのコブが指先の感触が程よく、そのコブも不揃いで・・・。これを機会に「ロザリオの祈り」がたくさん唱えられるといいのですが。残念なことは、ロザリオの祈りそのものが新しくなって、新旧両派が一緒に唱えることが出来なくなったのは、いつのころか分離した歴史を感じます。共通語のラテン語で唱えることを提案したいものです。ロザリオは大粒8個、小粒53個あり、一連10個の五連からなる。この一連10粒をお一人とし、東日本大震災でお亡くなりになった方々の霊魂に捧げたく、紐ロザリオを祈りのうちに編みたいと始めました。問題はロザリオの先に付ける「木の十字架」の入手方法。「労働と祈り」と言う言葉をよく耳にします。動きと祈りの同時進行は可能なことではと最近感じています。まさにポリフォニーの真髄を労働と祈りから見出せるような気がしています。西洋音楽の中心はこの労働と祈りの両刀だと感じています。
2012年04月09日
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