2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全18件 (18件中 1-18件目)
1
『草津カトリック教会献堂50周年記念ミサ・コンサート』 日時:8月15日(水)、1時から 納骨堂、御ミサ、コンサート、祝賀会 主催:草津カトリック教会献堂50周年記念会 岡 宏担当司祭 1時 納骨堂に集合 1時半 ミサ 2時半 コンサート 3時半 もちよりティーパーティー 宿泊:混雑が予想されますので早めの予約が必要です。高橋まで。 宿泊料はシーツ代金350円。 高橋は13日から現地入りします。 ミサ曲:典礼ミサの第2番。「主の祈り」はグレゴリオ(カトp.272)「危険手当」ハンセン病療養所の職員は危険手当が支給されていたという。ハンセン病に対する正しい知識がある当時にあって危険手当はどういうことなのだろうか。ほかの分野でも似たようなケースでほくそ笑む人がいるのだろう。東北大震災でも首をかしげたくなった。自衛官が国民のためにと胸を張ってテレビの前で発言していた。ムッ?給料をもらっているのなら命令で動いているだけではないのか?ボランティア活動をしているのとは違うのでは?おまけに特別手当かそれこそ危険手当かも出ているのでは?そんな詳しい明細は発表されているのだろうか。オリンピックは報道に比べると関心が薄いように感じる。開幕式典のあのグレーな派手さは今の世界の暗さを象徴しているようで悲しみを覚えた。報道されているようなメダル獲得は薄いように思える。あんのじょう柔道ではふたを開ければである。柔道が日本から世界に羽ばたきスポーツになった。相撲も。世界に日本文化を知らせるのは良いが、なにもスポーツ化してまですることに意味があるのだろうか。柔道も相撲も勝つためにはルールを変え、普及のために面白おかしくかっこよく・・・白の柔道着ではつまらぬと色を付け、帯に階級の色帯を、柔道人口が広がると言葉も考えも雑多。団体行動しかとれない日本人は棚上げされ世界の柔道の道にのっかざるをえなかった。そして原点に返り、日本の柔道と世界の柔道の二極化。遠回りの結果は講道館柔道が正統とかなんとかわけのわからぬ日本柔道がある。一本取るかとられるか。勝つか負けるか、礼に始まり礼に終わる、そんなわびさびが世界で通用するであろうという日本人の小さな考えに問題があったのでは。相撲は国技神技と土俵の上には女性は入れない。へんな意地を張って最後の抵抗をすれど、外人実力力士が引退後も角界に残り発言権を得るようになればどうなることやら。カラー派手な模様のパンツの上にこれまた派手なまわしをきりりとしめるお相撲さんが登場するだろう。からだにタトゥーのお相撲さんが主流になるだろう。最後の砦は「剣道」。どうか剣道をスポーツにはしないでほしい。
2012年07月30日
コメント(0)
『草津カトリック教会献堂50周年記念ミサ・コンサート』 日時:8月15日(水)、1時から 納骨堂、御ミサ、コンサート、祝賀会 主催:草津カトリック教会献堂50周年記念会 岡 宏担当司祭 1時 納骨堂に集合 1時半 ミサ 2時半 コンサート 3時半 もちよりティーパーティー 宿泊:混雑が予想されますので早めの予約が必要です。高橋まで。 宿泊料はシーツ代金350円。 高橋は13日から現地入りします。 ミサ曲:典礼ミサの第2番。「主の祈り」はグレゴリオ(カトp.272)深夜近所で火事があった。原因は今のところ不明で、突然の不幸に言葉がない。十数台?の消防車、ホースが水を得て道路に生き物のように動く。路上駐車か火事場見学かわからないが“○○の番号のお車を動かしてください”とのんびりしたものだ。僕も含め火事場見学が消化の妨げになっているのはあきらか。消防士も住民に配慮しながら?の消火活動はいかがなものか。素人考えでも、なぜあんな一方方向からの消火活動しかできないものかと野次馬がささやく。消防車は十数台も集まったろうか、あれがベストの消火活動なのだろうか。ふっと思った。日本の消防士への評価が高いとは言えないのが分かるような気がした。ふっと思った。彼らは特別手当?危険手当?が出るのだろうか。ふっと思った。危険手当という言葉を。いぜんハンセン病療養所では「危険手当」が職員に出ていたという。ハンセン病療養所で働くことが「危険」などと、どこから出た考えなのだろうか。これは日本の根底思考、日本人の怖い一面を表しているように思える。
2012年07月29日
コメント(0)
『草津カトリック教会献堂50周年記念ミサ・コンサート』 日時:8月15日(水)、1時から 納骨堂、御ミサ、コンサート、祝賀会 主催:草津カトリック教会献堂50周年記念会 岡 宏担当司祭 1時 納骨堂に集合 1時半 ミサ 2時半 コンサート 3時半 もちよりティーパーティー 宿泊:混雑が予想されますので早めの予約が必要です。高橋まで。 宿泊料はシーツ代金350円。 高橋は13日から現地入りします。 ミサ曲:典礼ミサの第2番。「主の祈り」はグレゴリオ(カトp.272)30年来の楽友と話をした。音楽大学の再考。音楽大学と言うところは何をするとこなのだろうか。定年を迎え、50代、40代の音大講師教授らの現状を聞くにおよび、日本の音楽の質、実態はどんなものであるか鳥肌が立つ思いにかられる。歴史がないという言葉は日本にはあてはまらない。音大の乱立は教師陣の質を低下させ、どう見ても教師の技量資質と無縁な人がどんな経由かいつの間にか音大の教職にありついている。問題を起こさない限りはいつのまにか教授様である。習う方は悲劇である。僕らの時代は就職に奔走翻弄する記憶がない。いまは四大で何年学べるのだろうか。小学から高校までの音楽技術はどれほどのものであろうか。四大で短大でほんのわずかな初歩的専門技術を学んだだけで就職活動。こんな音大生が世に出て何をしようとするのか。結局は音楽の冠をかぶっての音楽公害を全国にまきちらすだけ。その根幹が音大の乱立と無能教師陣だとおもう。ネットで見せてもらった。えっあの人が教授助教授なぜ・・・こうして学んだ音楽学生が教会に鳴り物入りで入ってくる。音楽の初歩も知らない若い音楽書生が教会のオルガンを弾くようになる。怖い話である。
2012年07月27日
コメント(0)
『草津カトリック教会献堂50周年記念ミサ・コンサート』 日時:8月15日(水)1時から 主催:草津カトリック教会献堂50周年記念会 1時 納骨堂に集合 1時半 ミサ 2時半 コンサート 3時半 茶話会 宿泊:混雑が予想されますので早めの予約が必要です。高橋まで。 (宿泊料はシーツ代金350円のみ) 高橋は13日から現地入り。 ミサ曲:典礼ミサの第2番。「主の祈り」はグレゴリオ(カトp.272)ブログを見た楽友から久しぶりに電話をもらう。草津に参加したいとのこと。久しぶりに話ができることはうれしい限りです。14日の夜は15日の準備や音楽練習もあるのでそうそうゆっくりはできないと思うが、「ロザリオの祈り」だけは共に祈りたいと考えている。一時間弱みんなして心を共にできれば、とくに未信者の人には良い経験になればと願っている。音楽練習は「典礼ミサ曲2番」。通常文のキリエ、グロリア、サンクトゥス、アニュスデイの言葉と旋律を再認識したいと思っている。 どこの教会も「教会節」でそれぞれが適当に、ある意味変な伝統の歌い方を継承?している。いまいちど楽譜に忠実に見直したいもの。音楽に対する認識があまりにも希薄ということか、残念なことです。「主の祈り」はグレゴリオ聖歌で歌うことになるが、これもネウマ譜から離れた歌い方で覚えている気がするので、今一度見直したいと思う。パーテルノステルくらいラテン語で唱えられないと。本当は「クムユビロ」の通常文が聖母の被昇天にふさわしいのだが、薄ら覚え程度の歌い方では心もとないし御ミサに与かる信者さんに失礼な話になるので今回はボツにする。答唱詩編、聖書朗読、共同祈願などいつもの慣習かいい加減か、そんないつものやっつけではなく、前もって事前に準備をしたいものと思っている。
2012年07月26日
コメント(0)
『草津カトリック教会献堂50周年記念ミサ・コンサート』 日時:8月15日(水)、1時から 納骨堂、御ミサ、コンサート、祝賀会 主催:草津カトリック教会献堂50周年記念会 岡 宏担当司祭 1時 納骨堂に集合 1時半 ミサ 2時半 コンサート 3時半 もちよりティーパーティー 宿泊:混雑が予想されますので早めの予約が必要です。高橋まで。 宿泊料はシーツ代金350円。 草津温泉で有名な・・から直接温泉がひかれてます。 ただしご利用は夜8時から朝6時迄です。 ミサ曲:典礼ミサの第2番。「主の祈り」はグレゴリオ(カトp.272)50年前の園内放送で“カトリックの信者っさんはいませんか?”と。名乗りを上げたのは三名。ここ栗生楽泉園にはカトリック教会がないので聖公会のミサに与っていたという。お三方は復生病院出身だった。司祭が来園するようになり信者も増えた。どのような信仰生活だったのか今では知る術がない。いま教会で求められるのは信仰生活。うわべだけのパフォーマンス的でステータスな中にあっていま一番求められるのは信仰生活だと思う。第二バチカン公会議を境にあらゆるものが変わりあらゆるものがゆるくなり、親しみ分かりやすい入りやすい親しみやすい・・・そんな環境になったような気がする。妻帯司祭が誕生し、そのうち夫帯シスターや妻帯ブラザーが現実化するのは時代の流れなのだろうか。ひざまずいたり座ったり立ったり、一時間前から飲食をせず、告解をしがいつのままにかなくなり、手のひらで聖体を拝受し・・・。音楽は親しみやすい、つまり威厳も荘厳さもなくただ簡単なコード進行によるフォーク調の、ときにはミサの伴奏にギターやあらゆる楽器で伴奏され、アメリカソウルミュージックを教会に持ち込み新しいことはいいことだと。刷新さっしん、刷新さまのお通りじゃと、反対する者もなく好き勝手な刷新がまかり通っている。キリストの受難。大きな木の十字架とそれに貼り付けされたキリスト役の信者さんがキリストの受難を再現する。いま一番必要とするのはハンセン病療養所内にあった教会での信仰生活に触れること。もう信者さんがいなくなった。
2012年07月24日
コメント(1)
22日の発表会の写真を見ている。友人に頼んで撮ってもらった。一日がかり。快く引き受けてくれた。そうそうそんな人はいないだろう。“言ってくれれば手伝いに行ったのに”という言葉を耳にタコができるほど聞いているなか、こういう友情に感謝です。芸術の人なだけにアングルも配慮されている。素人でこれほどのシャッターチャンスは芸術を志しているからで、おなじ素人でもこうは写せないだろう。センスの問題かな。ほんの一握りなのだろうがこのような婦人たちがいるのは救いだ。彼女らは音楽だけではなく色々な分野にも挑戦していること。それを能あるタカのようにけっして人前に出さない。字を書く人はいないか?誰々さんがいる。お花は?アレンジの先生がいる。さまざまな才能を持ってなおかつ音楽を奏する。母娘連弾。じつに和やかでうらやましい光景だった。舞台下からご主人が照れながら花束を持ってきた。こっそり最後列で見ているご主人がいる。さまざまな夫婦が存在する。ともに定年までの道のりは夫婦共有の財産。草津ライ切支丹遺物の写真パネルと説明文が完成した。カメラ専門店に行ったが担当者がいなく明日再度行くことになる。草津温泉はライに効くと昔から言われただろうし、ザビエル渡来から関東にも群馬の山奥にも宣教したであろう。真実であれば歴史的出来事であろう。8月15日、聖母被昇天の日、敗戦記念日でもある。この日に草津カトリック教会は献堂50周年を迎える。ここでどれほどの患者さんが洗礼を授かり、感謝のうちに帰天していったことか。どのような葬儀ミサがなされたのか、どんな雰囲気であったのか強く興味を抱く。が、もうその語り部も資料もない。カトリックはどうしてこのようなライ信者の信仰証言を残さなかったのだろうか。憶測はやめにしよう。だが強い疑問が残る。イエズスはライ者と共に食事をし教えたであろう。そのイエズスの教えを長い伝統のうちに忘れ去られたのであろうか。僕の恩師P.アヌイ師はライ者信者の口元で終油の秘跡を授けたという。いまとちがいそのひと昔前はハンセン病患者の最後は人によっては大変だったと聞く。おなじ患者でもその死を迎える病者の放つ臭い耐えられないという。そんななかアヌイ師は死をまじかにした病者とともに過ごしたという。そんな宣教師がつい最近まで日本にはいた。いや、いまもいるであろう。背広を着て田植えをする姿は滑稽。イエズスの御言葉の能書きをたれる人がいるが黙して語らずでしょうか。“言ってくれればよかったのに”なぜかこの言葉に罪を感じる。
2012年07月23日
コメント(0)
「55才からのおけいこ」音楽発表会をきのう終えた。10時から4時まで。多くの人の協力があった。こうしてみると、人生、人の輪だということ。60代と30代の親子連弾、じつにほほえましい光景だった。こんな環境が芸術のパトロンになりえるのだろう。我が家からワイフと孫の連弾、60代と小1の孫。きょうは草津カトリック教会に展示する草津キリシタンの写真パネルの件で動く。
2012年07月23日
コメント(0)
あした小さな町の音楽ホールで音楽発表会をする。「55才からのおけいこ」をタイトルにワイフが初めて10年になる。10年前に55才からの、年配者の、シルバーの、高齢者がピアノを習うと誰が想像しただろうか。10人が10人口をそろえて言ったではないか。せせら笑ったではないか。生徒が少なくなってとんでもないことを、バカみたいな話、続かないと・・・。これが日本の音楽教育の原点だった。誤った。ピアノは子供に教える、小さなときから、三つ子の魂と3才から5才からと。ところが教えるピアノ教師にどれほどの資格があったのだろうか。無資格である。法科を出て法律を論じるようなもの。法科を出てみなが法律家になるのだろうか。ところが音大は全員がピアノ教師になる。それもピアノ教師としての教育を受けていないのだ。ピアノ科を卒業してもろくにピアノを弾けず、ピアノ演奏家としてのイロハのごく初級程度を2年間3年間いい加減に習っただけ。音楽の入り口をうろうろしただけ。ましては人に、それも子供にピアノを教えるなどとんでもない話である。これは教師の資格も持たない「詐欺」である。そんなピアノ教師にその何十年か前に猫も杓子も的に子供は教わった。とうぜん音楽が嫌いになり、塾通いも重なって音楽を好きになる前にピアノから遠のいた。その子供たちが今は母親になった。高いピアノを購入し、子供にピアノを習わせ、ものにもならず、エリーゼのためにもろくに弾けずに終わり、娘は嫁に行き、残されたのは物が置かれるピアノ。売るにも売ることもできず、たとえ売ってもかえってお金を出さないと引き取ってくれない。「55才からのおけいこ」はそんな中から生まれた。ノーマライゼーションの一環としての音楽である。あした50人からの高夫人らが舞台に上がる。腐っても鯛。音楽中ホールでコンサートピアノで音が鳴り響く。この一年間精進してきた。子供では表現できない音楽表現には驚きと羨望がある。ピアノがなければただの中年高年夫人。世間話に明け暮れ、話題の芸能人のスキャンダルに花を咲かせる毎日。が、彼女らはベートーヴェンを感じ、日本のポピュラー音楽から韓国テーマソング、それらををもって自己主張する。なんという素晴らしい人生か。僕はいつもいつも言う。この今の環境をご主人や家族に感謝しなさいと。そして健康に感謝しなさいと。どれ一つが欠けてもピアノは弾けないのだから。明日の発表会は初めてで最後のピアニストの自分が舞台で5分か10分かのピアニストのまねごと、自分を表現できるへたくそなピアニストでいられるのだからと。この大きな出来事にはかならず足を引っ張る悪魔がサタンがいる。成功を嫌う悪魔が。心身に気を付け穏やかの日々を過ごして当日を迎えるようにと。これを「悪魔のささやき」と言う。最高齢は80ン才。5分か10分、コンサートホールは彼女だけの世界になる。なんと素晴らしい人生であろうか。僕は音楽を仕事とし、音楽が生活ではない。これは仕事だから。音楽の素晴らしさを彼女らから教わった。友人が手伝いに来てくれる。みんな本当に忙しい中を。裏方、写真とり、使い走りなどなど、そんな彼らの助けがあってこその発表会である。
2012年07月21日
コメント(0)
ロザリオ。信心行の道具。何かをくりかえし念じたり祈ったりするとき世界中で使われる。アジアでは数珠にヨーロッパではロザリオに。最近は車のバックミラーにぶら下げてあるのを普段見かける。あぁ同じ心の人の車だと嬉しくなる。誰がどこでいつからあるのか念珠指輪もある。普通に考えるとロザリオの玉を鎖でつなぐが、鎖は使っているとけっこう不自由がある。その点、ヒモで作られたロザリオは便利。玉も形が不ぞろえで、玉と玉の感覚も不ぞろえで、自分だけが知る特徴に愛着を感じる。しょせんは道具に過ぎないから乱暴に扱ってもその役目を果たしてくれる。ロザリオの祈りは、とても優れた祈りだと勝手に思っている。いまの現象は二極化され違和感と悲しみを覚えるが、それもこれもみな御旨と甘受するしかない。主の祈りも、栄唱も、天使祝詞も、サレヴェも口語体になった?。人にやさしい、子供にもわかる・・・なんて言うがはたしてそうだろうか。文語体の旧人と口語体の新人は電車のレールのようなもの。東北で亡くなられた人たちに祈りたいものです。ロザリオの玉60個を60人の霊魂に。350回繰り返すと1万9千人の霊魂と話をしたことになるでしょうか。そんなことしかできないのだから。プロテスタントの信者さんがこのロザリオの変形バージョンを考え実行しているのは嬉しいこと。人のこころ思いは同じということでしょう。わが身辺は22日、10年を迎える音楽表会。NPOアバ音楽の森はつあんの「55才からのおけいこ」が始まって10年になります。60代は若者、70代でやっと、80代でやっと熟年、と表現力に磨きをかけている。簡単な曲を小学生が弾くのと年配者が弾くのとでは大変な表現力の違いを素人でもわかる。
2012年07月19日
コメント(0)
紐ロザリオを編んでます(?)。ロザリオの玉の部分をヒモで玉を作ります。市販ロザリオは石とかプラスチックの玉を鎖でつないでいるがヒモ一本でロザリオを作ります。その昔、僕がシスターに教わったのは14才だった。半世紀ぶりのことで思い出し失敗し思い出してやっと出来上がった。なんでこんなことを思いついたかというと、東北大震災の犠牲者の霊魂を慰めたかったから。ロザリオの玉は60個。東北の大震災で亡くなられた方々1万9千人の数だけ。350本のロザリオを一か月前に完成した。と言っても一人でやったわけではない。興味を示した未信者さん、信者さんシスターらが一人増え二人増えで32人で作った。ただ黙々と紐を編んでゆくが、そう楽な作業ではない。一種の信心業かもしれない。玉を作るには指先に力もいるし、爪もわれるし、指にタコらしきものができ、指がおかしくなる。はじめは演奏会などで募金集めにと考えたが、いざ作ってみると欲しい人がおおく、すぐになくなってしまった。問題が一つあった。ヘッド?の部分の木の十字架が入手できなかった。それで市販の十字架やメダイを使ったので高いものになった。思いついたのはいいことだが、気が付いてみると高い出費となってしまった。いちおう350本作ったのだからこれでやめようと思っていた。が、である。木の十字架がない木の十字架がないと人に話しているうち、関西の女性が探してくださった。知り合いの修道院やカトリックグッズ店でも無いということで、ある障碍者施設に特注で頼んでくれた。それが600個きょう届いた。うれしいことです。だが、こちらはうれしいことだが、人の話では1個百円かかったとのこと。結局は彼女が負担してくださった。なんだかいつものパターンで、動く人に負担をかける結果となってしまった。人はいつもいつも言う。なぁんだ、言ってくれたら協力したのに・・・こんな現実をさんざん見てきただけに、彼女のような人を見ると救われます。いま第二回目を始めたところです。350本のロザリオを作ろうと。友人のプロテスタント牧師さんがロザリオの変形?が欲しいと。カトリックの信心具がプロテスタントでも使い方次第では利用できることに気が付く牧師さんもいるのはうれしい限りです。久しぶりに主梼文のグレゴリオ聖歌を見る機会に恵まれた。以前には気が付かなかったことの発見。物事に終わりはないんですね。来月15日聖母被昇天で草津カトリック教会の献堂50周年記念がある。このとき「主の祈り」だけグレゴリオ聖歌で歌おうということになった。歌われなくなってどれくらいになるだろうか、歌えても教会節でそれぞれの教会独自の歌い方でしか歌えないのが現状で、これを機会に今一度見直そうという機運になっている。いいことです。現行の典礼ミサ曲しか知らない信者さんにはどう映るだろうか。第二バチカンいらいやっと本道に戻りつつある、そう思うのは僕だけではないだろう。Pater nosuterだけを取り上げても深いものがありますね。
2012年07月15日
コメント(0)
離党して新党結成をTVで見た。党首選はなぜか株主総会を見ているよう。党名も新党首にすでに一任され、なんだか長々しい党名。こんなんで一国を任せて良いものだろうか。今まで以上にこの先が不安になる。とにかく情報開示。これなくして判断材料はないのだから。個人情報を盾に自分たちの都合のいいように仕向ける。子供の現状は家庭よりも学校が一番知りうる。その教師や校長が身の安全のためにもみ消す。なんといっても親は子供を人質にしているわけで、そうそうはっきり発言もできない。これもよくない現象。大変な倍率で就職した教師職。そうそう手放せないだろう。人を教えるということ。人の命にをあづかる医者も、国民の幸せを導く政治家も、どこも師・家ではなく「屋」。食を得るための仕事に成り下がっている。新党結成し、その運営費はどこから得られるのか。そのうち甘い汁を吸わせるからという密談がなされているのだろう。それにしても国民がバカにされたもの。今度の選挙で白紙票が多数を占め、選挙態勢が成り立たなくなったらどうなるのだろうか。棄権ではなく白紙票で。
2012年07月13日
コメント(0)
忘れてはいけない記憶「ハンセン病患者への差別と偏見の歴史」聖ダミアン神父の記念日に捧ぐ(発行カトリック北26条教会)小冊子のご紹介します。ご希望の方はまた教会単位で配布できます。コメントご希望を書いてください。住所電話アドレスなど明記できないようですので、こちらのアドレスは機会を見て入力します。ダミアン神父は聖人となり、ハワイはモロカイ島への巡礼をという言葉をよく耳にします。が、わが国にも巡礼する場所を忘れてはいけないと思います。
2012年07月08日
コメント(0)
8月15日(水)草津カトリック教会は献堂50年をむかえます。聞くところによると一人の看護婦さんが「園内に信者さんがいますか?」と園内放送をし、それに答えて名乗り出たことから教会が始まったそうです。苦節信仰がここにはありました。多くの信者さんがこの教会で祈ったことでしょう。現在は3人の信者さんを残すのみ。キャンドルの炎のようにゆらいでいます。カトリック信者さんは大勢いるのに、なぜ訪れないのか不思議です。ともにひと時をご一緒くださる方にお知らせします。8月14・15・16日の2泊3日の予定で、御ミサは15日聖母の被昇天です。宿泊もできます。カトリック信者だけでなくプロテスタント、未信者さんもこれを機にご訪問ください。ここ草津のハンセン病国立療養所は見ておくべき、考えさせることがたくさん待っていると思います。当日の御ミサでグレゴリオ聖歌の「主の祈り」がうたわれます。平均年齢が83才84才ともいわれ入所者が日に日に召され、ハンセン病について知る機会と理解する機会がなくなりつつあります。このままでは歴史の点にすら記憶として残らないでしょう。ハンセン病元患者さんらの口は重いです。口を重くしたのは我々国民であり政治です。うつりもしない病気をその容姿から皇国から抹殺すべき法律を作った。ほんの10数年前までその法律は生きていたわけですから。突然訪問してもハンセン病を語る元患者さんはいないでしょう。いやうっとうしい、そっとしておいて欲しいと言うのが本心でしょう。同胞として、同じ人として、子供や孫に対して我々はハンセン病を語らなければならないと思います。聖書でイエズスがライ者と共に食事をしたとあります。この行為を頭では理解をしているが、実際の行為はイエズスとは相反する行為をしていたこと、していることを知らなければならないと思います。特に聖職者は率先してというか当たり前だと思いますが。現実は全く違いますね。「右手のなすこと左手に知らすな」とハンセン者とともにある数少ない人もいます。何の欲もなく、ただただ訪問し、談笑しお茶をし、買い物の手伝いをし、ただそれだけなのですが、現実はそれができない。僕の知る限りでは、施設を集団で訪れうわべだけのあたり障りのない話を聞いて、帰りぎわにまた来ますと言って帰る。来たためしがない。それでいてハンセン病施設を訪問したとかハンセン病のうんちくをたれる。これが信仰を持つ人たちなのだろうか、とつねづね思うところです。草津は遠い近くにあれば、と言うお方には秋津の全生園を訪れてください。ここ全生園にはプロテスタント教会と聖公会もありますよ。きょうは初金。
2012年07月06日
コメント(0)
学生さんと会った。技術と知識は僕らの学生時代とは比べられないほど進化している。情報過多のいちご。前からそうだが情報の渦の中で溺れかけている、というか空気を吸うためにアップアップしているだけのこと。生きるためにあつちこっちの情報をつなげるだけ、継ぎ足す処理能力にたけているとしか言いようがない。それは生きるための術で芸術とは何ら関係がない。音大という怪物は何の根拠か分からぬが指導者としての資質に欠ける指導者が、指導者として生きべく指導法を編み出す。オリンピック女子体操などに顕著な例を見いだせる。軽業見栄えから小さく小回りの利く体系が、まるでペット犬の品種改良のように。不必要な高等技術?をこれでもかこれでもかと教える。女子体操は低年齢化し女性の魅力より幼児体型で軽業師となる。音楽も同じ。創作という根本的イデーはなくなり、コピー・ペースト技術となるのである。音楽は偉大な、神秘的で想像もつかない力を音楽そのものに存在する。その音楽の力があればこそコピーペースト音楽でもまずはそこそこに人の支持を受ける。これは世界的な状況でふさわしからぬ指導者の存在が大きな原因であろう。音大はその価値と役目を失い、新しい総合大学への模索を考え出した。世の中、音楽を必要としないからだ。万人演奏家で批評家で特に専門的技量を必要としない、そんなスタンスだから。音楽の行方。糸の切れた凧。風に乗って舞い上がり急激に落下の運命。人間社会の行き先と同じである。世の中どうなるのか音楽のたいじんらが考えればよいことで、僕はただただ不器用に書くだけ、書いては捨て、書いては捨ての創作行為。それが歴史でしょう。楽友も書いては捨て、誰も評価をしてくれない創作行為をただただ続けて往った。誰にも評価されず、評価されようとも思っていなかったし、そんなことは眼中になく、ただただ書き続けた。残されたのは何か?作品だけが残る。そうではなく遺族は書籍と一緒にゴミ焼却してしまった。あの素晴らしい弦楽合奏は、バイオリンソナータは、十字架上のイエズスは・・・歴史は無数の無名な創作家の創作土台の上に、ほんのわずかな創作家が代表として記憶されるに過ぎないのではる、そう思います。今年の夏の講習会では、この点を深く掘り起こしたいと思ってます。
2012年07月05日
コメント(0)
“この国には何の希望もありません”よく耳にした恩師の言葉。昔の政治家は体を張っての政治家だったと。間接的に人を何人も殺し、血みどろのまさに体を張っての司だと。サインをして平気でホゴニする。人気をあたりさわりなく無事に過ごせばバトンタッチの持ち回り役職。死ぬときは祭壇仏壇に勲章や賞状がずらり。あの世に持っていけないのに、じつに人間のあわれさの代表格。サラリーマン社長とどこが違うのか、同じだと思う。ある人から恩師の作品を演奏したいと言ってきた。結構なことで嬉しい限り。オリジナル楽譜を見てもらい、いかがですか?短歌和歌や詩を見て、見ての感想は誰でもあるだろうに。見たらわかるだろうに、演奏する理由があるだろうに。器用に見せかけの軽業はできてもエスプリがないとね。演奏するなどとは10年早いよ、それ以上の何物でもない。「早くて50年、それ以上かかるでしょう」と恩師は話していたが、見せかけの音楽では50年ではどうしようもないかもしれない。
2012年07月04日
コメント(0)
サインはお互いの合意でなされるのが人としての常識だと誰もが思う。お互いに納得してサインをした。後になってサインを平気でほごにする。男子たる者、正念場でサインをしたのなら、約束をしたのならほごにするような男子はいるまい。世間では、口約束でも口に出したらもう飲み込むことはかなうまい。ましてサインまでして撤回するなんじゃー世間では通るまい。通るのは世界広しといえどもただひとつ、司の社会だけだろう。いけしゃーしゃーとサインは無効とのたまう。小学生の教育上あまり聞かせたくない話である。公約した男子がいざとなるとほごにする。世間は高速料金が無料になると大喜びし、一票の重み、一票入れたことを期待したが、下の乾かぬ間に公約違反をする。こんどは他の仲間が公約違反だと怒りだし、怒りの挙げた手を下げるわけにもいかず、寝っころがってあれが欲しいこれが欲しいと駄々をこねる幼子のように、自分のことは棚に上げて怒り出す。親分になれないから面白くない。面白くない、面白くない、あぁぁ~俺も70。このままだと天下は取れないと駄々をこねる。人の公約違反は絶対に許せない。我は天下人になれる器、あんなやつが天下人になってなんで俺に回ってこない。なんでなんだ、なんでなんだ・・・こんなはずではなかった、若くして超エリートの俺が、いざとなったら腰が引けて、へなへなとなり(本当はアリンコの心臓なのかな?)、今度は最後の勝負、天下取りの最後の勝負。怖い顔をしないでヘツラ顔で、言葉や女性向けにやんわりやんわり・・・国民はバカだから、こんどこそ最後の勝負!丁とでるか半とでるか!小さなお店のお家騒動なら面白いが、国家もにたりよったり。情けない国家であんすなぁ・・・
2012年07月04日
コメント(0)
お互いに納得してサインをした。後になってサインを平気でほごにする。男子たる者、正念場でサインをしたのなら、約束をしたのならほごにするような男子はいるまい。世間では、口約束でも口に出したらもう飲み込むことはかなうまい。ましてサインまでして撤回するなんじゃー世間では通るまい。通るのは世界広しといえどもただひとつ、司の社会だけだろう。いけしゃーしゃーとサインは無効とのたまう。小学生の教育上あまり聞かせたくない話である。公約した男子がいざとなるとほごにする。世間は高速料金が無料になると大喜びし、一票の重み、一票入れたことを期待したが、下の乾かぬ間に公約違反をする。こんどは他の仲間が公約違反だと怒りだし、怒りの挙げた手を下げるわけにもいかず、寝っころがってあれが欲しいこれが欲しいと駄々をこねる幼子のように、自分のことは棚に上げて怒り出す。親分になれないから面白くない。面白くない、面白くない、あぁぁ~俺も70。このままだと天下は取れないと駄々をこねる。人の公約違反は絶対に許せない。我は天下人になれる器、あんなやつが天下人になってなんで俺に回ってこない。なんでなんだ、なんでなんだ・・・こんなはずではなかった、若くして超エリートの俺が、いざとなったら腰が引けて、へなへなとなり(本当はアリンコの心臓なのかな?)、今度は最後の勝負、天下取りの最後の勝負。怖い顔をしないでヘツラ顔で、言葉や女性向けにやんわりやんわり・・・国民はバカだから、こんどこそ最後の勝負!丁とでるか半とでるか!小さなお店のお家騒動なら面白いが、国家もにたりよったり。情けない国家であんすなぁ・・・
2012年07月03日
コメント(0)
のどもとも過ぎぬ間にきょうから節電開始!「祭り好き、のど元過ぎれば」の国民が問われる正念場。これからの2か月の節電をどれほどお互いに節電協力できるか。これから暑くなる時期をどう我慢創意工夫できるか。エアコンは家に一台。各部屋一台の時代は去ったことを確認できるか。この夏を節電し乗り切らなければ「一部の人たち」の思うつぼ。原発再稼働が胸を張って国民のため?と始まるのですから。おおい原発再稼働。いつのまにかこうなるんだよね。一部の心ある人たちはデモに参加したしてます。きのう日曜日の夕方の上り高速は行楽の車?で大渋滞。足元に火がついていることに気が付かなければ。
2012年07月02日
コメント(1)
全18件 (18件中 1-18件目)
1

![]()
![]()