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小さな「注射器」が展示してあった。この小さな注射器でライ病治療薬?の「大風子油」(だいふうしゆ)を注射していたと言う。まじめに担当者は言う。ハンセン病を知らない僕らに、大上段から偉そうに疑わしい解説に、人間もっと謙虚であるべきと。その疑わしさから、展示されている品々を襟を正して見ることが出来ない。大風子油は油のドロドロした液体で、今風の細い注射針で注射できるはずがない。これをハンセン病療養所の中にある資料館で堂々と展示し説明するのだから。これをハンセン病元患者さんが見たら聞いたらどう思うだろうか。どれほど辛い治療だったのかを。本当にいい加減ですね。こんなことがあっては断じていけない。大風子油は、ぶっとい注射器でドロドロな油を筋肉注射され、その注射する苦痛を彼等から聴いているだけに、展示されている小さな注射器をどんな神経で考えで展示をしているのか不思議である。ハンセン病を正しく展示する態度は、どうでもいいと言う事か。そうとしか考えられない。
2017年10月31日
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つづき「郵便文書消毒箱」園内にある草津栗生郵便局において昭和48年頃から平成8年の「らい予防法」廃止まで使用されていたものです。網の下にホルマリンを入れて網の上に郵便物を入れて数時間かけて消毒したそうです。 と説明されている。昭和48年とは1948年で敗戦から3年後のこと。この頃から使われ始めたのか?それにしてはきれい過ぎる。消毒箱が実際に使われ出したのはいつ頃なのか?まったく説明されていない。ただ現物を展示してあるのみで、21年前まで使われていたんですかね?・・・平成8年の「らい予防法」廃止まで使用されていたもの、だそうです。平成8年と言うと1996年で21年前。つい最近まで、あの楽泉園の郵便局で本当に使われていたんですか?ホルマリンの臭いの付いた郵便物が届けられていたんですかね?「数時間かけて消毒したそうです」だなんて!他人事を言うなよ!あんたもリタイヤする前は何十年間もここ楽泉園に勤めていたんだろうに!数時間って何時間くらい?消毒していた「そうです」なんて無責任なことを言わずに、はっきりしろよ! まあ、全てがこんな調子ですもの、あれもこれもといい加減。これが資料館なんでしょうかね。ようするに、お上からの命令で仕方なくやっていることで、ハンセン病資料館が何が目的なのか、何を言いたいのかが「意味不明」なんです。ここに関係する人はボランティアじゃないんですよ。しっかり正当なお金をもらっている。
2017年10月30日
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草津療養所にあるハンセン病資料館を何年か前に見たことがあるが、形式的に展示している感が強く、何の期待もなかった。それが偶然に見る事になった。見てビックリ。模様替えをしていた。担当者の力量差は歴然というか、それともお上の方針が変わったのか。どちらにしても信頼は出来ない。しかし、とても興味を引いた、衝撃的だったのが約30センチ四方のボックス。底板は穴の開いている板で、その下に受け皿があり薬品を入れると言う。ここに何を入れるかと言うと、お金や郵便物を入れる郵便局で使われていたと言う。薬品とはホルマリンでライ菌を消毒するとのこと。こんな話はどこかの本で読んだことはあるが、実際にその現物を見ると、あまりの残酷さに衝撃をおぼえた。これ一つを見るだけでも充分な価値がある。ライ病はうつるわけでもないのに、法律で決められていたのだから。うつらないようにするための現物を見た。良くも悪くも情報とは怖いですね。
2017年10月30日
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草津は寒かったです。教会は湿気の多い最悪の立地条件の場所に建てられたので兎に角寒い。御聖堂を温めるとなるととんでもない時間と灯油が必要になる。わずか30分位の訪問だから暖房なしになる。兎に角寒い。膝まづいてのご聖体へのあいさつをすると膝のお皿からマヒしてくる。暖房マットみたいなのが欲しいなぁ、なんて思う。とくに夜明けの朝課はこたえる。那須のトラピストはこれ以上に寒さだろうと我慢をするが我慢できない。早くお勤めをさっさと済まそうと。祈祷文に心に適う箇所があると寒さをほんの少しだが忘れる瞬間を感じた。とどのつまりは雑念の多い凡人には集中心信仰心が足りないと言う事ですね。一瞬だが祈りに入り込むと寒さを忘れると言う事ですね。良い体験をしました。
2017年10月29日
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草津のライ療養所の入所者さんは70人くらいになった。その中でキリスト教は、プロテスタントは知らない。聖公会の在籍者は20人か30人はいるのだろうか。カトリックはたった一人になった。聖務日課を毎日一人で祈っている米塚雉杜子さんと一緒している。二人して唱えている最中にフッと頭をよぎったのは林竹治郎の「朝の祈り」の絵だった。あの絵のような光景が世界中であるのだろうなぁと。ちなみに、その絵は総領息子だろうかを中心にちゃぶ台を囲んで一冊の聖書を置いて描かれ、母親の膝を枕に幼子が眠りこけている。眠りこけながら耳だけは聞いていたのだろうか。この眠りこけてる子供が後に、ハンセン病に一生を捧げた医師林文雄なんですよね。そんなレールが敷かれていたんですね。
2017年10月28日
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草津から帰りました。高速料金の高いこと。作った当時は国民への弁解か無料になると言ってたはずが、こんどは道路の補修は当たり前と修理代の為に無料になるどころか料金は高くなる一方。どうせ国民は忘れるおとなしい国民だからと高をくくっての事か。今度の選挙も似てるような気がする。高齢者や子供に優しくするために10%に値上げすると言っているが、5%から8%になった時も同じようなことを言っていたはず。国民も国民で、高齢者子供女性に必要な財源になるのだからと支持している感がある。久しぶりに新聞を見た。家にいるとパソコンで間に合っていると思っていたが、活字を読むのは必要なことですね。高速料金の高いこと。運送業は大変な苦労をしているのに政治家は目をつむる。選挙の時だけ良いことを言うのかな。ひねくれジジイの独り子と。
2017年10月27日
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これから5時から一時間のレッスンを終えて4泊5日の準備をして草津を訪問します。台風で無理しないようにと連絡がありましたが「雨が槍が降ろうが」と言った手前不安でしたが青空。のんびり仕事をしながらのドライブとしゃれ込んで11時には着くでしょう。それから草津の温泉にのんびりつかって温泉三昧してきます。きょうも目を酷使したので少し違和感がありますが休み休みの運転を心がけます。向こうでは、いろいろとおしゃべりしたり、最近は語り残したいと言う風潮もあるようで戦中戦後のハンセン病療養所の事を話してくれる人もいます。それに買い物が待ってますので。いまでもハンセン病者を見る目は変わっていませんね。一度植え付けられた知識は消せませんね。
2017年10月23日
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やっぱり。テレビはごもっともフィーバーで分かりやすく説明親切。評論家は大忙し。大フィーバーで煽り立てても無関心かも。やっぱり。政治を頼らずコツコツとタンス預金をし自分の事は自分でなす。国はあてには出来ませんので。若い投票権者はどうしたのだろうか。一番興味があります。
2017年10月23日
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作曲の為の作詞を考えています。が作詞の才のない悲しさ。それで無い頭で考え出したのが詩編。聖務日課は4週で詩編を全部朗読することになる。聖書の詩篇と比べると、柔らかな文体なのである意味で作詞にむいているようだ。いつだったか詩編全部を入力したことがあったので、いまそれが役に立つことになった。教会の祈りと口語訳詩編1955年版と比較してみると、どう言えばいいかここでは控えるが、作詞のノウハウが詰め込まれているような気がしています。しばらく詩編とのニラメッコの生活になるでしょうか。それにしてもパソコンは大事な存在ですね。 明日は新しい政治の決定的瞬間。台風の誘惑に負けず投票放棄者が多くなりませんように。
2017年10月21日
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切れるドライバー、切れる高齢者がにわかに話題になる。切れる女性議員さんのあの悲しい怒鳴り声に心が痛む。それも全く同じような怒鳴り声が我が家の近くで毎日の様の展開している。世の中、地球の底から怒りが沸き上がっているのだと思う。ソドムとゴモラが現実化しているのだろうか。 リタイヤして第二の人生を楽しみにしていたのに現実は年金だけでは生活できない。おまけに年金削減で働かないと生活できない。生活の不安は家での団らんを奪い取る。居心地の悪い家を抜け出し探し出したのが図書館。同じようなリタイヤ組で大盛況で同類のたまり場。これも全て投票権の放棄と政治の無関心の結果だと思う。大雨の投票、未成年の投票。傘をさして濡れても投票に生きましょう。白紙投票でもいいから参加しましょう。
2017年10月21日
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台風が来ているようで雨と寒さで体調を崩される方も多いと思います。そんな中でも沢山の方が集まりコーラスやピアノに来られます。体調を崩さないと良いのですが。どうぞ健康でありますように。 この大雨は与党に有利なのか。投票意欲が萎えてきた。自衛隊は胸を張り、軍備は増強され、自国防衛のミサイル開発、消費税が上がり高齢福祉教育には微々たる配分で国民は満足するだろう、なんて与野党政治家どうしで談合。政治屋のための政治が続くのだろうね。二十歳未満の有権者はどうなんだろうか。勝手にくれた投票権利だからいい迷惑と思う未成年有権者が多いと感じる。我々親世代が無関心なんだから。女性蔑視。女性政治家が出てこないと言うが、女性である前に政治家であるべき、それが出るんじゃないのかな。調子に乗っての発言だったり、好き嫌いの区分けをしたり・・・
2017年10月20日
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10月19日「聖ヨハネ・ブレブーフ、聖イザーク・ジョーグ司祭と同志殉教者」(任意)「救いの源である神よ、聖ヨハネ・ブレブーフと聖イザーク・ジョーグは、同志と共に北アメリカの宣教に尽くし殉教によって信仰の礎となりました。殉教者の血がキリスト信者の種となり、豊かな実りをもたらしますように。」10月19日「聖パウロ(十字架の)司祭」(任意)「父である神よ、十字架の神秘に生きた司祭聖パウロを記念して祈ります。聖人の模範に励まされ、私達も勇気をもって日々の十字架を負うことが出来ますように。」 台風が来ているようで雨と寒さで体調を崩される方も多いと思います。そんな中でも沢山の方が集まりコーラスやピアノに来られます。体調を崩さないと良いのですが。どうぞ健康でありますように。
2017年10月19日
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「教会の祈り」の入力をしています。作曲の作詞作りに必要な部分だけを入力しているのですが、今朝の入力には大失敗!日付けの勘違をして入力してしまった。泣き泣き消すことにしました。くやしい!でも一文字ひと文字の入力ですから、頭の中に入力したと考え直してます。それにしても悔しい! きょうは10月18日は「聖ルカ福音記者」の祝日です。
2017年10月18日
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10月17日「聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者」(記念)「全能永遠の神よ、殉教者の証によって、あなたは教会に新しい力を与えて下さいます。アンチオケの司教聖イグナチオの輝かしい殉教を記念する私達に、絶えざる勇気をお与え下さい」年間共通(又は祝日共通殉教者)読書祈願[44p]) きょうは一日をパソコンと睨めっこ。目の調子がいいので。あすは部屋の掃除をして断捨離をしようかと思いますが、いろいろと問題懸案があるのでどうなるか。明日のことは神様にお任せですか。アマゾンに本を昨日注文して今日入手。早いのは有難いが、厳重な梱包は嬉しいが段ボールを粗大ごみに出すのだから社会問題かも。複雑な気持ちになります。今日入手した二冊で楽しめます。すこしプロテスタントも知ろうと思っています。作品拝読しました。二三日中にはチェックして返送しましょうね。楽器図鑑は是非とも持っていた方がいいですよ。
2017年10月18日
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職人系の人はラジオ組が多いが、僕のように音を生業だとテレビ系になりますね。僕の場合はスピーカーを消音にして画面だけつけている。なんでそれまでして!と言われるかもしれないが、仕事部屋を簡易防音室にしているので世間の音が聞こえにくいから、作曲中にある時突然に恐怖感を感じる事があるんですね。そのテレビで「題名の音楽界」が流れていた。太鼓の革命児「圧巻太鼓の5人の演舞」と字幕を見た。袴をはき上半身は肌を見せた姿と、かもし出す雰囲気が芸術家か偉人奇人、悟りを開いた人のような雰囲気。この気高い次元はお前らには分からないだろうと、そんな雰囲気を感じさせた。ひとバチひとバチに心を込めているのか、タイトルにあった「演舞」がまさにそこにはあった。演舞であり演芸ではない。人に見せる太鼓を使った演舞だった。ひとバチに心を込めているのだろうが、それが音楽と何の関係があるのだろうかと真面目に考えてもみた。何十年か前になるだろうか、北海道の函館近くの山の上で小休止しているときに、下界の町からだろうか和太鼓が聞こえてきたのを思い出す。連打は長音となり、単打は聞こえる限界が短い。通信道具だった太鼓に息を吹き入れたのだろう和太鼓の世界。それはそれで良いのだろうが、もっと高みを目指すにはパフォーマンスの世界に達するのだろう。題名の音楽界で和太鼓を紹介する意味がどこにあったのだろうかと考えさせられた。
2017年10月16日
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草津でのこと。日の出前の夜課をすませ、5時45分に宿泊所を出て6時に教会の玄関を開くとサンダルがあった。そっとカーテンごしに覗くと雉杜子さんが一人して、あの寒い中で電気もつけずに祈っていた。とにかく寒いんです。迷惑をかけないようにそっと外でパイプをくゆらせながら待っていた。20分しても出てこないのでしびれを切らせて御聖堂に入った。82才でライの神経痛に悩む彼女には、この寒さはこたえるはず。祈りとはこう言うものなんでしょうね。寒いから止めました、眠いから止めました、そんなもんじゃないようです。聖櫃を前にして祈る後ろ姿を見て思い出しました。ご主人米塚尚司さんが書いた著書「変貌の讃歌」の中にある「幸田マリ子」を「朗読と音楽」にすべき台本を書き終えたばかりだったので、その最後のシーンを思い出した。 M-8『BGM』 私は毎朝神様に祈る時、私の命は明日で終わると考えています。明日がこの世の最後の日だとすると、今日という日がどんなに大切な日であるかが良く分かりますもの。ですから今日を精いっぱい悔いのないように生きるだけです。死を見つめて生きると、今日の命が本当に素晴らしく、喜びと感謝に満ちますもの・・・M-8「おわり」そう語る彼女の顔には、過去の忌わしい苦悩の痕跡はなく、希望にあふれた微笑みだけが美しくこぼれていたのでした。M-9『epilogue』人気のない御聖堂で、一人して「赤いランプ」と話す後ろ姿は、何か言いたげであった。=ENDE=
2017年10月15日
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家での祈りとちがい、誰一人としていない教会での祈り三昧は幸せの極み。赤いランプの灯る御聖堂で、夜明けから聖務日課を唱えられるのはここだけでしょう。至福の時です。3時間かけての草津訪問は、時間調整など色々な問題が山積するが、神様からの贈りものです。有難いことです。とにかく教会の中は寒い。足元から底冷えする。教会に行くには普段は車だが、健康のためと気まぐれから、宿泊所からロザリオを唱えながらの徒歩を試みたが、一番の恐怖はイノシシとの遭遇。夜明け時は一番危険な時間でもあるし。御聖堂を暖房しても30分は温まらない。この教会はいつも訪問者を待っているが、月に一度の御ミサに10人前後が集まるだけで、あとはぶらりと聖体訪問をする人がいるのかいないのか。御聖堂の独り占め。聖櫃を灯す赤いランプがこうこうと輝いているように感じました。 『聖母の御助けを求める祈り』 汚れなき聖母マリア、あなたは絶えざる御助けの聖母と呼ばれ、果てしなき信頼を起こさせて下さいます。願わくは、いつどこにおいても、私をお助け下さい。 特に誘惑を受けた時、罪を犯した時、困難に出合った時、人生のあらゆる惨めさの中にあって、とりわけ臨終の時、私をお助け下さい。慈しみ深い御母よ、あなたの忠実な御助けを、私は固く信じます。絶えずあなたの御許にはせより、その善き習わしに従わせて下さい。絶えず幼な子のような信頼をもって、あなたにお祈りを献げるお恵みをお与え下さい。 この祈りによって、あなたの絶えざる御助けと慈愛とをお与え下さい。アーメン。 『霊的賜物を求める祈り』 絶えざる御助けの聖母よ、人々はあなたに健康、財産、この世の成功を祈り求めます。 私はあなたのお恵に一致し、御心に適う霊的な賜物をお願い致します。聖母マリアよ、あなたがこの世で示された謙遜の徳と、辱めを愛する心を私にお与え下さい。 聖母マリアよ、あなたは創られた物の中で、慈愛に満ちたお方です。あなたの慈愛によって、私の欠点を正し、数々の徳をお与え下さい。・・・(ここで頂きたいお恵みを思う) 聖母マリアよ、あなたの優れたお権能によって、このお恵みを私達の為にお取り次ぎ下さい。 絶えざる御助けの聖母マリアよ、私の祈りを聞き入れて下さい。アーメン。
2017年10月14日
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僕の聖務日課は一人で唱えるが、草津では入所者さんと一緒です。米塚夫妻は何十年も毎日、聖務日課を日に4回続けてきたが、米塚尚司さんが7月9日に召されてからは雉杜子さんが一人して祈っている。目も不自由、手も不自由で聖務日課を一人して続けることは十字架の道行きの環境にもかかわらずです。 聖務日課のことを今は「教会の祈り」と言い、第二バチカン公会議後に信徒にもこの祈りが与えられた。が、残念なことに?、現代社会では「時課の祈り」は現実的ではないと、いつの間にか自然消滅的であるのが現実かもしれません。今回はワイフと三人して、林竹次郎の「朝の祈り」(1904)の絵のような時を過ごせました。感謝です。「教会の祈り」を用意していますので、訪問する信者さんはどうぞご一緒にお祈り下さい。一日5回の時課の祈りを唱えるのは現実的ではないでしょうが、せめて草津を訪問した時だけでも雉杜子さんとお祈り下さい。 時課の祈りの後に必ず祈られるのが、「感謝の祈り。死者のための祈り。聖母の御助けを求める祈り。霊的賜物を求める祈り。召命の祈り。絶えざる御助けの聖母に身を献げる祈り。朝の祈り。夕の祈り」。 『感謝の祈り』 絶えざる御助けの聖母よ、あなたの御取り次ぎにより、神より頂いた全てのお恵みを感謝致します。数々のお恵みの源である、信仰と洗礼の賜物を感謝致します。 あなたは絶えず私と共にいて下さいました。悪魔の罠、世間の腐敗から、私を幾度お守り下さった事でしょう。情欲に打ち勝つため幾度お助け下さった事でしょう。悲しい時、失望した時、あなたは私を慰め、また力づけ、過ちを犯した時にはお助け下さいました。これらのお恵みばかりでなく、健康、財産、その他あらゆる援助をお受け致しました。 慈しみ深い御母よ、絶えざる御助けの証をいつもお示し下さり有り難う御座います。言葉だけの感謝では足りません。 数々のお恵に報いるため、更に熱心に仕え、また努力し隣人にもあなたに忠実にお仕えするようにお勧め致します。 絶えざる御助けの聖母よ、私のささやかな感謝をお受け下さい。アーメン。 『死者のための祈り』 絶えざる御助けの聖母よ、この世を去って主の御許に召された、我が祖父母、両親、兄弟、親戚、恩人、友人の為にお祈り下さい。 主の御許に召された者の上に、主の憐れみが与えられますように、私達の臨終の時にも、主においてこの世を去ることが出来るよう、私を思い出し、私のためにお祈り下さい。アーメン。
2017年10月14日
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草津の療養所から帰りました。療養所内の至る所に掘った跡が点在している。食糧難なんですかね、イノシシがユリなどの根を物色、それとミミズを探して地面を掘り起こしているとのこと。点在どころではない、住居の近くまで来ている。昼間から見かけます。歩くときは熊よけ鈴のをリンリンと音を出して。ついに遭遇!ヤバイヤバイ!やばかった!昨夜11時10分、風呂場に行く途中、目の前4・5メートル先を1メートルくらいの動物が横切った。目の前で止まってこちらに少し歩き出した。心臓がバクバク。毛並みは短めで茶色だったのでカモシカ?かとも思ったが、どうも足が短いような気がした。きょう入手者さんに聞いてみると、やっぱりイノシシだった。“向かって来なくて良かった”なんて言われて驚いた。療養所の中での出来事でした。ケガをしないで良かった。食い物が自然には不足しているんですね。
2017年10月13日
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こんや草津に行きます。三泊四日。11日一時からミサです。御ミサに何人の人が集まるでしょうか。みなさん高齢者になっているので疎遠になって仕方がないけど。ライ病の療養所の中にある教会で元ライ者信者と食卓をともに与る人が増えると良いのですが、もうそんな望みは夢の中の夢。あきらめるべきでしょうね。
2017年10月09日
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10月8日年間第27主日、第3週。マタイ21:33-43「収穫を受け取る主の栄光のために働く」 あすから草津三泊四日、11日はミサです。1時半から。お時間やりくりしてお出かけください。僕がいるときは療養所内をご案内できます。もしかするとイノシシとご対面できるかもしれませんし、緑がきれいですよ。ただ遠いから。10月ですね。早いのか長いのか、やはりもう今年も終わりそう、が実感かもしれない。歳をとると時間の流れが速いのだろうか。きょうの前晩は詩編113、詩編116、新約フィリピ2:6-11の主の過ぎ越しだった。答唱に続く共同祈願の中で「永遠の命を望んで世を去った人々を、あなたの国に迎え、復活されたキリストの栄光に与らせて下さい」唱えられたが僕が好きな祈願。きょうは一日豊かな気がします。
2017年10月08日
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楽友の葬儀に与りました。教会ではなくメモリアルホールでごく身内だけ。音楽者がけっこういたがグレゴリオ聖歌のレクィエム、リベラメ、インパラディスムが歌えない。もしかすると初めての曲かも。音楽家と冠が付くのであれば死者ミサの有名どころくらい知らないと。おまけにネウマ譜だったので、ヒソヒソ話で読み方を検討中なり。いま一つ考えさせられたのは、自分の葬儀をどこでやるか?教会での葬儀が当たり前と考えていたが、彼と同じ、彼の気持ちが分かるような気がした。彼は自分が籍を置いている教会とは疎遠で、その原因はいつも書いている通り。それに、今風の聖歌でこの世の最後を歌われたくはない。彼からそんなことを聞いたことがあるのを思い出した。僕もそうしようかと。ミサから帰りの車中でワイフにも話をした。僕の葬儀はメモリアルホールでと。先のことは分からないが、いまの段階ではそう思っています。現行のミサ曲で歌われるなんぞと想像しただけでもゾッとしますもの。いつも多くの人に話をしても、これっぽっちも賛同を得ない些細なことで冷笑されっぱなしだが、ミサ曲の「アニュスデイ」で、「神のこ、ひつじ」と歌われる。これは「神の、こひつじ」じゃないの?と。旋律が「神のこ、ひつじ」と自然と歌われるのだから、これって作曲の初級程度の知識で分かることで、分かっていながら書いたのだろうか。平気でそう書いている。「神の子、羊」と「神の、小羊」とでは天地の差があるはず。そんなことに何の疑問も論議もなされない体質に強い抵抗を感じる。とても大事なことのはずだが。自分の葬儀に平気でこう歌われることだけはしてもらいたくないと。
2017年10月07日
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10月6日「聖ブルーノ司祭」(任意記念日)「万物を治められる神よ、聖ブルーノは、孤独のうちにあなたに仕えるよう召されました。聖人の祈りに支えられて、私達がいつもあなたを見失うことなく、変動する社会に生きることが出来ますように。」 聖ブルーノ司祭(1030年頃-1101年)司祭は、ドイツ・ケルンの貴族の家に生まれ、フランス・レンスの大学に学び、1055年に司教座聖堂参事会員、神学の教授を務める。1084年6人の同志と清貧、祈祷、労働、学問を基礎を始め、シャルトルーズ会(カルトゥジオ会)となる。 昨夜は強行軍だったので久しぶりに0時前に就寝。おかげで五時に起床したので今日一日は非健康的な一日になるのかも。きょうはアメリカボストンにいる孫マシューの誕生日。お菓子や何やらが届いたとのことでテレビ電話で顔を見た。声も変わって大人の声。高校生とのこと。日本流だと中学三年生。アイスホッケーとシュティングをやっていて、特にシュートは力があるとかで頑張っていると聞いた。いつもいつもアメリカは銃規制で問題になるだけに複雑な心境なり。アメリカは広いから一概には言えないのだろうけど、高校生になると銃所持の免許が取れるとのこと。誕生日を終えて銃所持の免許を必要にかられて娘も一緒に取得するとか。ノーベル文学賞を日系英国人が受賞のニュースを見た。うれしいですね。それにしても毎年日本では大騒ぎされる村上春樹さんはどうなったんだろうね、マスコミが騒いでいるだけなのかな、読んだことがないので無責任発言だけど。恥ずかしながらイシグロさんは受賞されて初めて知りました。世の中ひろいですね。
2017年10月06日
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稲穂のおこぼれ頂戴も少なくなってきたのだろうか、最近、小鳥たちが様子をうかがいに来だした。そろそろ小鳥のエサを用意してあげないと。 聖務日課の「答唱」の入力がジエンドに近くなってきた。そのあとは「共同祈願」を入力しようと思っている。今年いっぱいでなんとか入力を終えたい。ほんのわずかだが、僕が必要とする詩の言葉を探すための作業なんです。作詞の才能が全然ないので、これと感じる言葉を羅列して詩を作るんです。 それにしてもラテン語の「聖務日課」を眺めていると、隅々まで完成していますね。一長一短ではできない膨大な作業ですもの。音楽もそれぞれ独自の旋律が完成されている。長い歴史を感じます。それにつけ日本はどうかと言うと、あわててのヤッツケ仕事の暫定だろうに、そのまま暫定作業が決定になっているように感じる。第二バチカン公会議後のことだからまだ52年しかたっていないのだから、これからじっくり取り組んでくれることをいち信徒として願ってます。でも52年経っているのに、そんな動きを感じられない。やればやるほど、一番肝心な「祈祷文」の行方が見えてこない。個人的にはすっごいストレスが山積してます。
2017年10月05日
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10月4日「アッシジの聖フランシスコ修道者」の記念日「天地の造り主である神よ、アシジの聖フランシスコは、貧しさとへりくだりの生涯を通してキリストの姿に似るものとなりました。私達も聖人の跡を歩んで御子に従い、喜びの中にあなたを称えることが出来ますように。」 聖務日課の中の朝課と晩課だけだが「答唱」をラテン語と日本語を照らし合わせながらやっと入力を終えました。目が悪いので、それなりにしんどい作業だが、作詞のためには必要なことなので。さあ、これから幾つ詞が作れるかこれからのことで作業。
2017年10月04日
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値上げ値上げ。消費税が10%は当然。期待の都知事が出現したと思いきや、やるのやめるのと訳の分からぬ選挙。当選したいがためか、主義主張のためか分からない選挙。与党経験のある政党が居ぬき持参金付きで身売りするのか、政治とはこんなものと言えばそれまでだが、何のための政治家なのか分からない。与党経験政党に入れた一票はどうなるのだろうか。一票を投じた投票者の責任は。政治家ではなく政治屋ですかね。他人事じゃすまされない。
2017年10月03日
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TVでカラオケとピアノの名演奏を見てビックリした。テレビも商売だからあれもこれもと、ある頭をさらにひねり出して番組を作るのだろう。ピアノの演奏を10音ミスタッチで終わり。いかにミスを少なくするか。歌も画面で音符ではなくて横棒で音程を表し、さまざまな分野の歌手が、あげくは音大を出たオペラ歌手もエントリーしてる。世間で知られる審査員みたいなバイオリニストやピアニストが偉そうに解説していた。ピアノ演奏が10音以下のミスで最高の演奏であると拍手喝采。そしてこれがピアノ演奏だと折り紙付きとなるのだろう。メカニックとテクニックは違うし、メカニックはプロであれば当然の技術で、いかにテクニックを披露するかが演奏家だと思うのですが。なんだか、変な世の中ですね。恩師の言葉を思い出します“何の希望もありません”と。
2017年10月02日
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10月1日年間第26主日(マタイ21:28-32)「二人の息子のたとえ」ある教会と言うが無難だろう。さぁどんな話が聴けるか興味と期待をしていたが、どうなんだろうか。引き出しから慌てて引き出してきたのだろうか。人を疑うのは自分が惨めになるが疑いたくもなる。説教が終わると、おまけに10分間も外国語を聞かされる。聖福音朗読があり説教と続き、沈黙の後に信仰宣言と続くミサ・ドラマが続くはずが、外国語を10分も聞かされると冷めてしまう。外国人が大勢、おそらく半分以上が外国人なのだから、外国人に優しい教会のお手本なのだろう。分かりやすく、親切で、おもてなし。これでいいのだろうか。聖体拝領の後に退席した。外でパイプをくわえながら心を落ち着かせるが、中ではギター伴奏でジャンガジャンガと外国の旋律が流れていた。久しぶりの友人とも会話せずに車中の人となった。車中で電話が鳴る。気分が悪いのでもう帰路についている、今度会いましょうと失礼した。教会に行って気分が悪くなるの繰り返しは、どうしたものか・・・。きょうの聖書朗読の第一は日本語、第二は英語だった。オリンピックの準備のためにも外国人への「おもてなし」教会のつもりなのだろうが。
2017年10月01日
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