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何の理由もなく「アイフォン」に替えました。 いろいろと便利だそうで期待していますが、やっと電話が出来そうです。メールはこれからですが。できたら、ピアノの音が出るのと、メトロノーム、簡単な録音、それにカーナビは便利そう。ネットも見られるらしいが、僕の目では無理だが、これで充分。 アイフォン8プラスとかで普通より一回り大きいようで、僕には見やすい。
2018年04月30日
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4月29日「聖カタリナ(シエナ)乙女教会博士」(記念) 聖なる父よ、聖カタリナは、あなたの愛に燃えて御子の受難を黙想し、教会の奉仕に献身しました。聖人の祈りに支えられる私達が、キリストの死と復活に結ばれて、救いの喜びに生きる事が出来ますように。4月30日「聖ピオ五世教皇」(任意) 万物を治められる神よ、あなたは聖ピオ五世を選び、教会の中に信仰が正しく保たれ、典礼が相応しく行なわれるように導かれました。聖人の取り次ぎによって、私達が信仰と愛に生き、救いの神秘に与る事が出来ますように。 死者と病者と誕生のリストを毎日起床して見ています。亡くなられた方々には、近いうちにお会いできるのを楽しみに。病床にある方々には、いつも心に留めてますよと。誕生日の名前を見ると、あぁもう何歳になるんだ、何十歳になるんだ、そのぶん僕は老いたと。 日々、ハンセン病の特別病室の台本を見て、訂正して調べて、音楽を書いては消しての三昧です。 もうすこしで僕が結婚して50年です。お弟子さんらが食事会をセットしてくれるとのこと。嬉しいやら嬉しくないやら。僕はうちづらはとんでもなく悪い。こんな生業だと喜怒哀楽なんて言葉では表現できない。そんな人間とは絶対に付き合いたくないと僕自身が思うのですから。ワイフには感謝の一言です。
2018年04月30日
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今やっと、朗読と音楽「特別病室」の台本を脱稿。あとは音楽を付けるだけなので、音楽はほぼできているので清書するだけ。やはり楽器の決定だけは未解決、コンデススコアにするかフルスコアにするか迷うところです。自分で思う通りのフルスコアがベストでしょう。タイトルを「重監房」とするか「特別病室」とするか迷ったが「特別病室」とした。それにしても、人間ってものはどれだけ非人間的なのだろうか。これが原罪というものだと。あの管理者の何某に僕もあの環境では同じだったかもしれないと思うとそら恐ろしい。僕は、草津の療養所にある重監房跡地の冬の寒い夜中を知っている。あの環境で一日と僕なら正気ではいられない。人は何億円もかけて作られた重監房資料館を見学するが、人が見学すべきはあの冬の厳寒の重監房跡地である事を。重監房で亡くなられた霊魂を慰めたくこのあと、もうひとつの台本を来週から始める。それと並行してもう5年前からかあたためている「舌読」を急がねばと思っている。
2018年04月28日
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4月28日「聖ペトロ・シャネル司祭殉教者」(任意) [29] 救いの源である神よ、南太平洋の島々に信仰を伝えた聖ペトロ・シャネルに、あなたは殉教の光栄をお与えになりました。喜びのうちに主の死と復活を祝う私達も聖人に倣い、新しい命の喜びを伝える事が出来ますように。 今4月28日、復活節第4、詩篇配分第4週。 4月も終わり5月のゴールデンウイークに世間はウキウキ。一年の半分になろうとしている。いつの間にか。 きのうは韓国南北の友好機運に多くの人がテレビに釘付けだったかもしれない。僕もその一人。 南北が一つになれば、難民の受け入れを日本はノーとは言えないでしょう。世間を気にし、強いものにはへつらう国だから。 日本の国は、外国籍の定住者?の多い世界でも不思議な国。今以上に増えると、軒下を貸して母屋まで乗っ取られる状況になる事でしょう。げんに天下のNHKも企業も外国籍者が実権を握っているように思えるから。 南北問題を抱える隣国には、多額の支援が強要されるんでしょうね。 そのお金が隣国の貧しいい人々に平等に分け与えられると良いのだが、おそらくは特定の人ののどを潤し腹を満たし栄華の加担をするだけでしょう。
2018年04月28日
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2016年12月のベタニアの家チャリティーコンサートの一部で上演された「私の生きた恵みの分かち合い」のDVDを久しぶりに観た。ここ最近はプロの演劇舞台を見る機会に恵まれ、それらと比較して自分のやっている公演を比べてみて再確認できた。2016年の上演DVDを観て喜びを感じる。 この上演では、生楽器を当然使っているが、今後の公演を考えると、つまり金銭的問題を考えるとデジタル音楽も考慮しないといけないでしょう。朗読にかぶらせるBGMをデジタル音にして、プロローグ,インテルメッゾ,エピローグには一本のなま音を使うか、それと朗読中のBGMにデジタル音となま音をかぶせるのも面白いかもしれない。貧乏人の苦肉の策が、吉と出るか凶と出るか、試してみる価値はあるかもしれない。 DVDを見るには操作が厄介。CDの気楽さで、耳だけで聞くのは想像力が豊かになって良いのかも、そう思ってます。が、両方のダヴィングとなると色々と現実的ではないかも。 それにしても、ハンセン病とは実に厳しい病気ですね。このハンセン病への理解を持たなければ、これから未知数の不治の病のウイルスに対処できないと思う。そのためにも、人はハンセン病を知らないといけないと思います。
2018年04月25日
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4月25日 「聖マルコ福音記者」(祝日) 1306-1307 祝日共通 使徒 1248p 今日は「聖マルコ福音記者」の祝日。 「聖務日課」のページ指示248pは1248pの間違い。今使っている本は、古い出版本を捨てられずに使っているので、新本を見てみると訂正されていた。人が作るのだから仕方がないが、それでも結構ミスが多いものだ。 今日の聖マルコ福音記者は、「祝日共通」の「使徒」で、あっちに行ってこっちに飛んでと、目の不自由の人は難儀する一日です。 起床して「読書」では長い「テ・デウム」あり。個人的には好きだ。続けて「朝の祈り」これまたあっちに飛びこっちに行って。 虫眼鏡片手に四苦八苦して祈られる顔が眼に浮かぶ。僕がいればページ指示が出来るのだが。ある人は生活の知恵で“ページが複雑な日は、詩編配分の通り、神様はお許し下さりますもの”と笑い顔を見せていた。それでいいんですよね。 目や手の不自由な人と一緒に唱える信者さんが一人でも増えると良いですね。祈りとは何ぞや!共に祈ることを考える信者さんがいると良いですね。 僕は音楽の関係で「アンティフォナ」を使うことが多い。グレゴリオ聖歌がいつも身近にないと僕程度の力では音楽が作れないので。 今日もおかげ様で、音の飛躍と緩急に思い付きを得られた。 不思議なもので、毎日同じ物故者の名前を読み上げるのに、日にちよって目にとまり思い出すのが違う。霊魂の慰めになっていればいいのだが。
2018年04月25日
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きょうは、朗読と音楽「このままでは死ねない」の台本と音楽の一日です。 朗読に使う音楽はBGMからの脱皮、一つの音楽作品と意識しています。 僕も若い頃にBGMのアルバイトをずい分やりました。つまりゴーストライターですね。 BGMはミュージックカセット。つまり、旋律の引き出し(引き出し)から適当(良く言えばふさわしいの意味)に引っ張り出して指定場面の時間に合わせて音楽を書く技術。このことは複雑で非常に簡単な話で企業秘密でもあるので、ここではひかえましょう。音楽の持つ特性から来る音楽の本質の話しなので。 衛星放送の日本映画と洋画(洋画でもアメリカとヨーロッパではまた違うが)では、同じBGMでも違いが分かる。音楽を録音して後でゆっくり音楽だけを聴いてみると、日本映画と外国映画の違いが素人耳程度でも識別できる。 興味深いです。 簡単に言えることは、日本の映画やTV番組を音楽だけを聴くと、中身がない感じられない、つまりミュージックカセットから引っ張り出しただけのナガラ音楽ですね。
2018年04月24日
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4月24日「聖フィデリス(ジグマリンゲン)司祭殉教者」(任意) 全能の神よ、愛の火に燃えて宣教に尽くした聖フィデリスに、あなたは殉教の冠をお与えになりました。聖人の取り次ぎを求める私達が、信仰と愛に生きるものとなり、キリストの復活の力を知る事が出来ますように。
2018年04月24日
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きょう一日の日曜日を久しぶりに我が家で過ごす。 家の外回りを見ると、やぐらを組むために何をどこまで撤去するのか皆目わからず考えるだけで何もしないで終った。専門家にやってもらうしかない、素人ではどうにもならないと言うことにした。 そのぶん、朗読と音楽の「特別病室・重監房」と「日本のアウシュビッツ」の二作品の台本と音楽を見た。 2013年に曲は出来上がっているのでじっくり見た。 4年前の作品とにらめっこしていると、管弦楽曲を捨てきれないのが良く分かり、網膜剥離で作品が書けないどん底だった時期、我ながら自分に同情した。小編成に徹する事が出来ず、いつかは管弦楽曲に出来るのではと、淡いかすかな希望を前提に書いているのが良く分かる。それだけに、音楽に厳しさがない。 この「厳しさ」は僕の性格から来ているのだろうが、恩師に言われたのを思い出す。 “君の作品には厳しさがない”と。 良く言えば?大衆向け。誰にでも理解されたいと。そんなことは音楽にはあり得ないのに。先生から指摘されてから、それから厳しさを第一義としてきたはずだが、甘さがあるんですね。4年ぶりに自分でも良く分かった。 きょうはそんな箇所に手を加えた。 全曲を人様に聞いていただく機会は全くないが、ごく一部断片だけでも「朗読と音楽」で使う算段が出来た。 良い一日を過ごす事が出来た。
2018年04月22日
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電気代には原発の代償金が平等に分担されていると言う。数年先には、その負担金が増えるのだと言う。原発は、油や石炭に比べ理想的だったはずが、そううまい事にはならない。我が家の屋根に太陽の恵みを貯え電気にする装置を取り付けることにした。原発反対の意思表示です。これで、本当か嘘か分からないが、電力会社の電気を使わないで済むようだ。きょうは、工事のためのやぐらを組むスペースを作るために物をどかさないと。一日じゃ終わらないけど、これを機に断捨離をします。
2018年04月22日
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最近、ひとり舞台と朗読を観る機会に恵まれている。恵まれていると言うより計らいですね。自分が作っているハンセン病の「朗読と音楽」の為でしょう。人様の舞台だから感想を述べるのは控えたいが、自分の作品の確認と方向性を確かめる事が出来たと思っています。 草津のハンセン病国立療養所栗生楽泉園にある重監房跡地を初めてみたのは15年になろうか。毎月一回訪問し、線香とタバコを供えて手を合わせ、少しはこの重監房で亡くなった人達の霊を考えることができる。この重監房を作品にできないかと、そう思いながら構想を練りだし、本格的に書き出したのは2010年だからもう7年になる。そろそろやっと完成かと思っていた矢先、重監房の収監者に食事を運んでいた最後の人が亡くなった。初演を見てもらいたかった。今年の夏には初演したいと考えている。
2018年04月21日
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4月21日「聖アンセルモ司教教会博士」(任意)全てを導かれる神よ、司教聖アンセルモは、あなたの英知の深みを求め、それを人々に伝える恵みを受けました。私達も信仰の光に照らされて真理を知り、心から味わう事が出来ますように。
2018年04月21日
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復活節金曜日朝起きて「死者と病者の祈り」そして「読書」と「朝の祈り」死者と病者の名前が増えた。やりきれない。テレビon。胸さわっていい? ダメ! 辞めてジエンド。真実は闇の中に。女性の権利はいつになるのだろうか。トラックも配送車も工事現場でも男と同等に働く姿は当たり前の世の中になっても、男の威厳か女性を低くみている。バカな話だ。この世の中は女性のまわりにぐるぐる回っているのが男なのに。女性を大切にすれば、男は平安な生活が送れるのに。 息子が関係させて頂いている水上勉の戯曲「釈迦内柩唄」の本をアマゾンでさっそく注文、次の日には手元に届いた。ななめ読みして、これから今一度読もうと思っている。戦中戦後の困窮の時。この舞台だけを見ても理解できない世代になっているような気がするが、この本を読むと、水上氏が何を言おうとしているかが分かるような気がしたし、目からウロコ、もあった。今も続く偏見差別意識が戦争当時にしっかり植え付けられ、戦後生まれの僕らにも植え付けられたと言うこと。本当に恐ろしい事です。朝鮮人中国人の強制労働は、日本人の心底にある恐ろしさが浮き彫りにされる。炭鉱で強制労働させられた朝鮮人中国人の環境を読むと、ハンセン病の重監房を思い出す。「オンボ」と言う言葉を知らない人が多いらしい。
2018年04月20日
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「眞の謙遜を求むる祈」(祈祷集,318-325p)人に名誉を受けたき望みより、主よ我を救い給え。人に訪ねられたき望みより、主よ我を救い給え。人に尊敬せられたき望みより、主よ我を救い給え。人に褒められたき望みより、主よ我を救い給え。人に勝りて優遇せられたき望みより、主よ我を救い給え。人に己が意見を聴かれられたき望みより、主よ我を救い給え。人に蔑にせらるゝを恐るゝ心より、主よ我を救い給え。祈願 天主たる御父,主は卑しく貧しき者を憐れみ、謙遜なる者を嘉し給うにより、願わくは我等をして御旨に適い、忠実に御身に仕うるを得ん為に我が口我が目に於いて、己を無き者にするの心を授け給え。アーメン。 人に影響を与えるような人に多く見られますね。僕の知るところでもいますもの。 偉くなると錯覚するんでしょうね。 知事さんの裏の顔、最高官僚に上りつめた裏の顔、議員さんの横柄な言動から先生と言われる人まで。 僕には何もないけど年が増えるだけ偉そうにしているかも。気を付けないと。
2018年04月19日
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県知事がキャリア官僚が突然辞任すると言うが、辞めればよいと言うものじゃないだろうに。恥ずかしくないのだろうか。 一流大学出て医者と弁護士となり原発をうたいバク転もできるスポーツマン、そんな立派なお人がネットでナンパしてお金を払って、いったいどうなってるんでしょうか。介護制度も厳しくなると言う。国の司はやりたい放題。糸の切れた凧のように日本丸は漂い続けるのだろうか。
2018年04月18日
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全生園の入所者さんが亡くなった。 高齢と後遺症とで病苦は当然だが一応はお元気なので、この入所者さんのことはまだ大丈夫だろうと後回しになっていた。 亡くなった事を知らなかった。 先日、自宅に伺い手を合わせてきた。 入所者さんの奥さんの話しでは、僕を園内で見かけたが来ないなァー。話しておきたいことがあるのに・・・。 大切な人を亡くした。 草津にある重監房。この重監房の収監者に食事を届けていた人だった。祈りつつ
2018年04月18日
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4月17日『復活節火曜日』 「読書」 唱句(ロマ6:9)「死者のうちから立ち上がられたキリストは、もう死ぬ事はない アレルヤ。死はもう、キリストを支配しない アレルヤ。」 きょうは久しぶりに一日フリー。ありがたいことです。 先日は東京のカテドラルに菅原先生の墓参、今日しか空いていないので両親の眠る八王子までこれから行ってきます。片道二時間、天気も良くないので思い切って高速道路を奮発しましょうか。 母が亡くなったのは1988年だから30年になるんですね。恩師が突然、復活徹夜祭の4月2日に召され、そのあと一段落した19日に母が安心するかのように召された。 お腹がパンパンで、「イエス様の十字架の道行きに比べればなんてことはない」「神様のお与えの苦しみは絶えられるだけ」と、先生の葬儀が一段落するまで頑張ってくれた。僕は母の心配よりも恩師の葬儀で大変だった。母の葬儀は昔風にこだわった。自分の葬儀も今風にだけはしたくないと願っている。
2018年04月17日
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恩師が良く話していたことに「友人がいなくなった」と。 その時は分からなかったが、今にして思えば良く分かる。 僕に残された時間を大切にしたいと、貴重な時間であると感じるようになってきた。 人様に目を向ける時間を少しづつ少なくしないと。時間がないのだから。 目を悪くして五線紙に書けなくなってから、新しい様式の模索中だが、いまだ自分のものにはしていないだけに焦りを感じる。 このまま終わるような、気の弱い気持ちにも正直なります。 管弦楽曲に全てを注いできたのを小編成楽曲に変えると言うことは並大抵の努力ではできない。 そんな中で「朗読と音楽」も一つの手段になるが、このテーマの一人が亡くなった。奥さんは健在だが、とは言っても90になる。早く取材を終えないと。
2018年04月16日
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さくじつ、演奏会の二時間前に予定通りに、初めての築地本願寺に到着。浄土宗西本願寺は圧巻。多くは外国人、ちょうど工事中とかで騒々しかったが勉強になった。 築地は人ひと人で、色々な外国語が飛び交う。事前に調査づみで寿司屋さんに直行。僕はランチタイムの千円の海鮮丼を注文。9人の婦人連は3千円のおまかせ。新鮮でイクラはプチプチしていた。 会場は150席ほどで、満席。 脚本ストーリーの感想は言える力はないので控える。 舞台効果は良かった。効果音は控えめで、印象的なのはカラスの鳴き声が終演後も耳に残り良かった。欲を言えば、役者の声とカラスの鳴き声の対比・会話があると良かったと、素人的に感じ残念だった。BGMも生のチェロ演奏も要所にはまり的確で同感。 BGMはパソコン音楽のようで、これが逆に生演奏の録音でないことが効果的で、それも撥弦楽器を使ったことに「目からウロコ」で共感。チェロも効果的で音楽的にも良かったと思う、腹の底から響いてくるチェロの音と役者の発声が共鳴していたこと。それもチェロと言う楽器を選んだのは見る目がある。チェロのビブラートの使い方と無に近い仏教的に聞こえる淡々とした旋律が絶妙だったと、我が子ながら「とびがたかを生む」の感あり。 俳優も訓練された声が良かった。舞台俳優とは、テレビや映画の小手先で演じる俳優とは本質的に違うと再認識できた。 僕がやっている「朗読と音楽」の方向性を確認できた。 参考になった事は、電子音の音楽と生音楽の融合。これは今後の僕に大きな希望と言うか、試作しても良いような気がしたこと。なぜなら、僕の悩みの種は、演奏家を集めることが経済的に難しいのと、演奏家の気質と言うか音楽への究明心の欠如した演奏家への失望から。 大きな収穫を僕的に得た一日でした。 これは神様が与えてくれた僕へのメッセージだと受け止めている。
2018年04月14日
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「釈迦内柩唄」(シャカナイヒツギウタ)水上勉作4月13日~15日(2時,6時半) 築地本願寺ホール いよいよ初日。初演を見に行ってきます。チェロが一本とかで、どんな使い方をするのか興味があります。想像は出来るのですが。 これを機に、水上勉の作品を読んでみようかと早速アマゾン。雪も解けたから無言館に行ってみたいと思ってます。
2018年04月12日
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朗読のCDを聞いた。 朗読に音楽をつけるのを頼まれ、サンプルでCDをいただいた。世間で知られる詩人で、朗読者もこれまたよく知られる四人の女優さん。 僕は「朗読と音楽」をシリーズで書いているので興味津々、まずは朗読の声を聞いた。そして音楽の扱い方を。 朗読の定義なんぞ知らない素人だから、素人の主観で聞いた。同じ作家の作品を四人で分担、おそらく個別に録音をしたのだろう気配を感じた。同一作品を四人で朗読するのなら個別ではなく、一連の流れで録音すると朗読者の技量と変化が顕著に表れるから面白いCDが作れのだろうに、現在の録音制作システムだとそうはいかないのだろう。 朗読の裏で音楽が流れる。簡便的な創作音楽で、風にそよぐ木々程度の扱いを感じる。喫茶店で流れる音楽のよう。 音楽をこんな扱い方をされると音楽がかわいそう。 音楽については論外。無難で主張も無く、ただただ流れるだけで朗読者の粗(アラ)を補充するでもなく、かえって粗を深くする音楽効果となったように感じた。 そういう意味で、音楽の扱い方の大切さを感じたところです。 そして考えた末に、音楽を書くのをお断りした。朗読と音楽の対位法か、BGMか、世俗詩の朗読に抵抗感があるので。 でも、いい勉強をしました。
2018年04月12日
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4月11日「聖スタニスラオ司教殉教者」 全能の神よ、聖スタニスラオは信仰の為に戦い、迫害する者の剣に倒れました。聖人の模範に強められて、私達も、死に至るまで信仰を力強く証しする事が出来ますように。 先日のミサで、オルガン弾きが急きょの休みとかで代理弾きをさせられた。 嫌なことをやらざるを得ないと言うことは、本当に辛い苦痛なことです。 オルガンを弾くことに集中は出来ない。楽譜を見ると何故こうなの。オルガンを弾きながら他の事を考えてしまう。だから、とうぜんうまくは弾けるはずがない。 弾きながら、なんで音がこう進んでしまうの?拍子と音符の記譜法がこれでいいの?この旋律は音符ありきで歌詞(聖句)を無理やりはめ込んだのかな?なんてことを考えながら弾くのだから、歌う人達にはいい迷惑なこと。 拍子の決定にも決まりがある。音符の書き方にも決まりがある。それらを度外視した楽譜は、ピアノを習う小学生でも分かる話しなのに。 神を賛美する音楽がこれで良いのだろうか。 だんだん教会が遠のくのを感じます。
2018年04月11日
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復活祭の聖福音、ヨハネによる福音書(21:1-9) 主と飲食を共にしていたお弟子にして、イエズスの言葉を理解していなかった、とある。一人ではなく二人して現実を見てもである。 二千年を経た我々はなおさらではないだろうか。 「信仰の目で見る」 「信仰の目で見る」という言葉は、恩師から強く学んだことでもある。 商業作品は別だが、宗教音楽の創作行為は「信仰の心で書く」と。 創作中に流れ出る音楽は、湧き水のごとく。そのほとんどは悪魔のささやき。その真贋?の見極めが「創作の業」で創作者が初めに身に付けることです。
2018年04月10日
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「釈迦内柩唄」水上勉作 築地本願寺ホールで4月13日~15日迄毎日2回公演で息子が出ます。 チェロ一本とかで詳細は全く分からないけど、たぶん録音済みのBGMと生チェロの音楽なのだと思います。 僕的には、楽器一本の舞台は面白いと思うが、どのような使い方をするのかを見てきます。 13日2時の初演を聞きに行きます。 少しでも参考になればと期待してます。
2018年04月10日
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草津の療養所での「復活祭」は三日後の4月4日でした。 とても大切な話を書こうと思い書き出してボツにしました。話が筒抜けなので。 興味のある方はメールにて。 そろそろイノシシが出没かな。 2日の夜に草津に向かう予定が、大きな問題があって結局深夜0時に家を出た。3日の3時に到着。荷物を出して駐車場に車を停めて、少し歩いたところで動物のような鳴き声?うなり声が聞こえた?気がしたので携帯電灯を向けるとイタ!中っくらいのイノシシが一頭。動物は点滅の電灯を嫌がると聞いていたので、これが大正解なり?。人間ってとっさには判断が難しいですね、固まってしまって。逃げ場がなかったし、車までは距離があるしで。
2018年04月07日
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2018年の復活主日が終わりました。 今年の聖週間は長く考えるところ大で、いつもとは違う年を迎える事が出来ました。 みなさんは如何ですか? いつものように忙しくしていると思います。 僕の今年は、いつものように忙しくせずにノンビリと「隠居」の二文字を重く感じ寂しさだけが残ります。 でも隠居とは有り難い環境で、隠居だからこそ「やり残し」のできるいいチャンスかもしれません。 持ち物の整理処分としての断捨離だけではなく、「やり残し」こそが一番大切なことかもしれません。そのためには時間を大切にしなければ。そんな心境です。 教会の聖週間と復活ミサとその周囲のことは、水の流れとして受け止めることに心がけようと思っています。おおきな川の流れに逆らってもどうにもなりませんし、心身ともに消耗するだけですので。 すこし大人になった気分です。 こんや草津に向かいます。帰宅は金曜日の朝になります。 草津教会では三日おくれの「復活の主日」です。アレルヤ!きょうは、1988年4月2日は徹夜祭で、恩師菅原先生が帰天された日でもあります。草津から帰宅して先生の思い出をブログで書きたいと思ってます。
2018年04月02日
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『復活の主日』 「読書」 読書 「出エジプト記」(14:15-15:1) 「エゼキエルの預言」(36:16-18) 「ローマへの手紙」(6:3-11) 「マタイによる福音」(28:1-10) 賛美の賛歌(テ・デウム) 全ての者の主、神よ、あなたを称えて歌う。永遠の父よ、世界はあなたを崇め尊ぶ。神の使い、力ある者、ケルビムもセラフィムも絶える事なく高らかに賛美の歌を上げる。聖なる主、聖なる主、全てを治める神、あなたの栄光は天地を覆う。共に声を合わせ、あなたを褒め歌う。救いを告げた預言者の群れ、気高い使徒と殉教者。世界に広がる教会もあなたを称える。偉大な父、真の独り子、証の力・精霊を。栄光に輝く王、勝利のキリストよ、永久にあなたは父の独り子。全ての人の救いの為に、乙女から生まれ、死に打ち勝ち、信じる者に神の国を開かれた。父の右に座し、全てを裁く為に、栄光のうちに再び来られる。尊い血に贖われた私達を支えて下さい。諸聖人と共に永遠の命を喜ぶ事が出来るように。 神よ、あなたの民を救い、従う者を祝福し、いつまでも高め、導いて下さい。日ごとに感謝を捧げ、世々にあなたの名を褒め称える。私達を今日も、罪からお守り下さい。神よ、豊かな憐れみを私達に。あなたに寄り頼む私達に。あなたにかけた私の希望は永久に揺るがない。 ~~~~~~~ 「朝の祈り」 神の言葉 神はこのイエズスを三日目に復活させ、全ての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私達に現わして下さった。イエズスが死者のうちから復活された後、私達はイエズスと食事を共にした。このイエズスが、生きている者と死んだ者との裁き主として神によって定められた方である事を、人々に宣べ伝えその証しを立てるように、私達は神から命じられているのである。預言者も皆、この方を信じる者は誰でも、その名によって罪の赦しが受けられる、と証ししている。 福音の歌(ザカリヤの歌) 神を褒め称えよ、イスラエルの神を。神は民を訪れて贖い、私達の為に力強い救い主を、僕ダビデの家に立てられた。神は昔、預言者によって語られたように、私達に逆らう者、恨みを抱く者の手から、私達を救い、祖先を憐れみ、尊い契約を心に留められた。神は先祖アブラハムに約束された通り、逆らう者から私達を救われた。生涯を清く正しく平和に送り、神に仕える事が出来るように。 幼な子よ、お前も神の預言者と呼ばれ、主の前を歩み、その道を整え、罪の赦しによる救いをその民に知らせる。全ては神の憐れみの心による。神の深い憐れみにより、夜明けの太陽は私達に臨み、闇と死の陰にある人を照らし、私達の歩みを平和に導く。 結びの祈願 全能の神よ、あなたは今日御独り子によって死を打ち砕き、永遠の命の門を開いて下さいました。主イエズスの復活を記念し、この神秘に与る私達を、あなたの霊によって新たにし、永遠の命に復活させて下さい。私達の主イエズス・キリストによって。アーメン。 ~~~~~~~ おめでとうございます。 きょうは人並みに夜明け前に起きて暁課から神妙に勤行。人は一人では何もできない事を感じる、今年の聖週間でした。 イエスが裁判の席に座り、なじられ、少し前には、道に着ている物を敷いてまるで王様待遇だったのに。先生様と言っていた、舌も乾かないのに「あいつ・お前」となじり、主の愛されたお弟子さんにして「あの人は知らない」と、「あの人」と言ってのけた。 これが二千年経っての僕らの姿なんです。 墓に入り遺体のないのを自分の目で見て「復活」についてを思い出した。それも現場に「二人で立ち会った」からこそ「復活の確認」が出来たと言う事です。 これが一人だったら半信半疑で、どうせ人に言っても信じてもらえないのだからと沈黙、事実のもみ消しをしたでしょう。主の愛する弟子にしても。 「二人三人いる所には私がいる」が実現した。 一人ではないと言うこと。これが「分かち合い」なんですね。あるシスターが言っていたことにやっと気がついたお恥ずかしい告白です。 おめでとうございます。 きょうは長い一日です。
2018年04月01日
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