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23年度から10年間の奈良市政の羅針盤それが、第4次総合計画(構想、計画)となるわけですが、奈良市議会の本会議で2月7日に否決と言うことになりました。総合計画は、一昨年夏に奈良市企画部が募集した市民会議に応募したメンバー52人が、ファシリテーターのもとでいくつかのテーマごとに分科会に分れ8回にわたる議論を行いまとめあげた「奈良市の将来像」がベースになっています。議論の過程は、こちらに資料などが掲げられています。その後、奈良市総合計画審議会での審議を経て市長に答申され、議会に提案されました。(総計審HPより) 議会では、「総合計画検討特別委員会」が設置されて計画案についての審議が行われたのですが、かなり丁寧な検討が行われたことで400点あまりの要修正部分が指摘され、一旦、取り下げとなりました。その後、修正を加えたものが総計審での審議とパブリックコメントにかけられ、再度、議会提案されていたものです。その結果、特別委員会では可決され、本会議でも賛成が上回るものと見られていたところが、公明党議員のうち特別委員会で賛成した2名をのぞく5名が「退席」という態度を取ったために、18対15の票差で「否決」(修正ではなく)という結果になったものです。(賛成は民主党、政友会、公明党、無所属など。反対は共産党、政翔会、無所属など) ☆これに対して、当初の「市民会議」の委員だったメンバーが中心になって「なんで否決なのか」を考える&議員に説明を求める集会が昨日27日、商工会議所4Fで開かれました。事前に全議員宛に当日の出欠、本会議で賛成したか反対したか、その理由、総合計画案に対する意見などを求めたそうですが、結局、否決側では共産党から2名が出席、賛成側では民主党3名、無所属3名(特別委員会委員長であった天野議員含む)が出席されました。公明党、政友会は会派として統一した回答、政翔会では一人が回答、無所属(否決)も一人が回答を寄せていました。☆どうやら直接の原因は、奈良市の「連絡所」の集約統合方針(市長は撤回)について、総合計画案の各論で「施策1-01-01 地域コミュニティの活性化」のところに「地域コミュニティ活動の拠点となる施設(地域ふれあい会館等)の見直しを行うとともに、既存施設の活用を図ります。」 とあるのに対して、「地域ふれあい会館等」のうちに連絡所は含まれるのか、含まれるのなら「撤回」とはちがうから反対、公明党もそのまま賛成しにくいということになったらしい。「連絡所」ってそんなに大事なものなのか、10年後の将来像と目の前の問題とごっちゃにしてるというよりも、市長がブログと自治会代表に直接とで撤回を表明したから議員の立場がなくなったということでの「市長いじめ」というのが本質ではないのか・・・・などなど「訳分らん」ことがいろいろとありますが、それなら「等」を外した修正すれば良かっただけじゃないかという声もある。 ☆ともあれ市民会議の元委員としては「わしらがいっしょうけんめい議論したのになんでそんなことで否決するんや」という疑問というか怒りみたいなものが出てくるわけですね。 特に回答を寄せた否決側の議員さんの「コンサルタントや市民参画から出てくる意見だけにとらわれずに、職員参加をもっと積極的に行って、ゼロから作るみんなの奈良市第4次総合計画を」とか、「市民の意見や要望を更に広範に取り入れ第4次総合計画を再度根本から見直すことを市長に求めたい」などの文言の裏側には、あきらかに今回の「公募の市民会議を通じた計画策定」に対する「敵意」のようなものすら感じられてしまうのですが、いかがなものでしょうか。
2011.02.28
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お水取りには間に合うでしょうか。「JR奈良駅自由通路は開通したけど」で、JR奈良駅の改札外に仮設のトイレしかない実情を紹介しましたが、ようやく、その問題が解決しそうです。 「エスカレーターの下あたりにトイレはできるらしいよ」といわれていましたが、ようやくその姿が見えるようになってきました。 せっかく新しくなったJRの奈良駅で、改札を出てしまったらまともなトイレがない(工事現場の仮設のようなのがありますが)。仕方なく、りそな銀行の入っている「JR奈良駅NKビル」の2F3Fのトイレを使うように案内することも多かったのです。旧駅舎の観光案内所でもシーズンオフの冬場は、肝心の観光案内よりも「トイレの案内」ばかりしていたようですし、これでようやくまともな駅前広場になりそうです。 もう、お水取りの本行入りも目の前、この週末も奈良の町はけっこうな人出でした。せっかく奈良に来てもらって、がっかりさせないようにしてほしいですね。
2011.02.26
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友楽東のマンション計画は「開発事業」です。地元の商業者からは、いろいろな不安視する声が上がっているにもかかわらず、行政の一部では「あれは、開発指導協議の対象ではない」とかいう呪文が流されているようです。 ちょっと、呪いを解いてみたいと思いますので、奈良市の開発指導要綱を点検してみましょう。 第2条この要綱において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるころによる。(1) 開発事業 次条第1項各号に掲げる行為をいう。(2) 開発行為 都市計画法(昭和43 年法律第100 号)第4条第12 項に規定するものをいう。(3) 開発者 開発事業を行う者をいう。(4) 開発区域 開発事業を行う土地の区域をいう。(5) 建築 建築基準法(昭和25 年法律第201 号)第2条第13 号に規定する建築をいう。(6) 共同住宅 建築基準法第2条第2号に規定する特殊建築物のうち、共同住宅、寄宿舎、宿その他これらに類する用途に供する建築物及びワンルームマンションをいう。(7) 中高層建築物 地上階数が3以上の建築物をいう。ここで、「開発者」「開発区域」というのは、「開発事業」を行うもの&行う区域ということも確認しましょう。 で、開発事業とは「次条第1項各号に掲げる行為をいう。」ですね。 第3条 この要綱は、市の区域内において行われる次の各号に掲げる行為に適用する。(1) 開発行為であつて、当該開発行為に係る土地の面積が都市計画法第5条第1項の規定により指定された都市計画区域内にあつては500 平方メートル以上、その他の区域にあっては1ヘクタール以上のもの(2) 都市計画法第5条第1項の規定により指定された都市計画区域内における中高層建築物の建築であつて、当該建築物が次のいずれかに該当するものア 床面積の合計が2,000 平方メートル以上のものイ 共同住宅で住宅戸数(事務所、店舗等(市長が容易に転用できないと認めるものを除く。)を併用する共同住宅にあつては、当該事務所、店舗等の専用面積を住宅部分の1戸当たりの平均専用面積で除して得た数を含む。次項第2号において同じ。)が20 戸以上のもの(3) その他市長が必要と認めるもの ここで要注意は、「開発行為であって」というのは、(1)にかかる限定であって、(2)にはかかっていないということです。 ちなみに「開発行為」の定義とされる都市計画法(昭和43 年法律第100 号)第4条第12 項では 都市計画法第4条12 この法律において「開発行為」とは、主として建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行なう土地の区画形質の変更をいう。「土地の区画形質の変更」って、なんでしょうねえ。検索してみると、こういうのが出てきました。 1)土地の「区画」の変更土地の区画を形成する公共施設(道路・水路など)を新設・廃止・移動することにより、土地の「区画」を変更すること。2)土地の「形」の変更土地の盛土・切土により、土地の形状を変更すること。3)土地の「質」の変更宅地以外の土地(農地・山林など)を、宅地にすること。ということで、今回のは「開発行為」にはあたらないですね。しかし、80戸のマンションは、規定の20戸の4倍ですし、敷地面積も2000平米以上は確実にありますから、「開発事業」であることは間違いありません。なので、奈良市の開発指導要綱の第4条以下で定める「事前協議」とか「地元説明」とかは、絶対に必要ですね。奈良市の職員の皆さん、ちゃんと頑張って下さいね。!(^^)!
2011.02.25
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毎日新聞奈良版でも近鉄線移設問題について同様の報道がありました。(22日付) tetsudaさんは奈良新聞(20日付)からでしたが、ネットで見ると読売も流しているようです。県のサイトでは「とりまとめ中」のままです。毎日の記事で特徴的なのは、「奈良市の幹部」の感想ですね。「6割が容認というのは意外な結果。西大寺駅周辺の開かずの踏切は長年の懸案事項で、移設ともリンクしている。将来的には移設が望ましい」おそらく、観光というよりも都市計画畑の方なのではないかと思います。西大寺の再開発は計画が立てられながら、大川市長のころに「撤退」に近いことになりましたから、近鉄線の移設で一挙にあの踏切も解決したいという思いは強いのでしょう。実際、南北と東西の4方向+検車区への出入りという複雑な西大寺駅の配線は、「開かずの踏切」だけではなしに近鉄電車自身にとっても遅延の大きな原因で、踏切問題とあわせて解決できるような方法が見つかればよいのですが。
2011.02.25
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別にどうということない田舎の景色ですが。この写真の場所が、リニア新幹線通過もしくはリニア奈良駅設置の予定地です。向うの白っぽい建物は、JR西日本の「奈良電車区」で、その向うはJR大和路線(関西線)の「平城山駅」になります。明らかにマスコミ向けの橋下大阪府知事一流の「ネタ作り」ですが、奈良と京都のリニア新幹線引っ張り合い、というよりも京都側による「我田引鉄」騒ぎに、関西広域連合の奈良県不参加問題とからめて「参戦」してきたというところ。奈良側では、ずっと前からリニアの奈良駅はこの鹿川沿いの谷間と言われてきました。まあ、もう少し西に進んで、近鉄の高の原駅に繋げてもいいでしょうが、奈良電車区&平城山駅の新設、京奈和道木津IC設置など、ここが交通の要所となるだろうという条件は整っていますね。ちなみに、谷間と向うの奈良電車区は奈良県内(奈良市奈良阪町など)ですが、右手の丘は京都府の木津川市(州見台として開発中)です。 で、そのネタに乗って、こういうことがYahoo!さんで行われています。けど、コメントを見ると現状の予定ルートがどうなっているのか、まるでわかっていない人が多いんだなあと。名古屋と大阪を結んで、直線に近く地質に問題が少ないルートということで「京都奈良府県境の奈良市付近」ということになってるんですけどね。たまたま奈良市が奈良県の一番北にあるから「奈良市付近」というだけでしょう。京都側は、どこへ引っ張ろうと思ってるんでしょうか。とにかく、JRや近鉄の「奈良駅」にリニアがやってくるのではないというのは確実。 まあ、一番良いのは近鉄高の原駅や高の原駅前団地、イオン高の原SCみたいに、京都府と奈良県と両方にまたがらせれば良いんじゃないですかねえ。で、北側の出口には「リニア京都駅」南側には「リニア奈良駅」と看板掛けとけばよろしい。なにしろ千葉にあっても「東京ディズニーランド」「新東京国際空港」(空港は「成田」に名前変わりましたが)なんだし、木津川市が「京都」をなのっても文句はないでしょうよ。(恭仁京もあったことだし)var pollId = 6505;var typeFlag = 1;
2011.02.24
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今、鶴福院町からふり返るとこんな感じになります。 おや、猿沢荘の向うに、なにか大きなビルでも出来たのか知らん。五重塔も近いのに、建築許可をどうやって取ったのか。まさか猿沢池の中に建てたわけじゃと思うところですが、その正体はこれ。 興福寺の境内で再建工事中の「中金堂」の覆い屋ですね。かなり先ですが、工事が終わるとここにもこういうのができるのでしょうか。>通称「キンキラキン」の薬師寺金堂&西塔 今日の本題は、実はちょっと別の話です。 「歴史の積み重ね」ということと「復元」「再建」「復興」ということを考えてみたいと思います。薬師寺には、この金堂の前にも裳階の付いた金堂があったのですが、もっと背の低い建物だったように思います。それが、今は興福寺の「仮金堂」になっているのだそうですね。現在再建中の中金堂の位置には、かつて「赤堂」と呼ばれた建物がありました。人の多い南円堂や五重塔の周りに比べてひっそりとしたところでしたが、薬師寺の金堂再建で余ってくるお堂を、元の講堂の位置で昭和50年から「仮金堂」として利用し、傷みの酷かった「赤堂」の方は中金堂再建のために取り壊したいう経緯のようです。(興福寺と薬師寺は、同じ法相宗です)興福寺さんには、東大寺の大仏殿、春日大社の本殿にあたるような「核」がありませんから、中金堂が再建されることで「お寺の中心」が定まるわけですね。一足先に「白鳳伽藍」を再建した薬師寺に続いて、興福寺も「伽藍の再興」が進むということで、中金堂の落成は2015年が予定されています。 お寺の再建・復興は結構なことですが、反面、消える物もないわけではない。よく言われるのは薬師寺の復興で、「西塔跡の礎石の水面に映る東塔の姿」というものは見られなくなったといわれますが、まあこれは仕方がない。私たちには印象深かった二つの「旧金堂」の姿は、もう見ることができません。「復興」「復元」というのは、ある意味では、その後に塗り重ねられた物を「剥ぎ取る」作業を伴うこともあるのですね。さて、平城宮跡の問題です。 「国営公園化」にあたっては、近鉄線の問題とともに「みやと通り」などの道路の移設も課題に挙げられています。費用の問題もあってか、近鉄線とちがって道路の問題は話題に上っていません。しかし、この「みやと通り」だって、やはり歴史的な経緯のある道でしょう。この道は、北へは「歌姫街道」、南へは「下津道」「中街道」へとつながり、平城宮が田圃の下に消えたあとも、奈良盆地と山城・京都方面を結ぶ重要な道だったはずです。とくに「歌姫越」「歌姫街道」という名称は、平城遷都以前からの「みち」として連綿と続いてきたものでしょう。とくに、第一次と第二次の「大極殿院」がこの道を挟むように位置していることから考えれば、平城京の朱雀門~朱雀大路のルートと別に、この道が生きていた可能性もあるかもしれません。近鉄線の問題について慎重に考えるべきと同様に、みやと通りについてもその歴史的な意味をもう少しきちんと調査してから考えても良いのではないかと思うのです。 「復古」によって破壊されたもの 奈良の寺社や文化財を考える時に「神仏分離」「廃仏毀釈」によって行われた破壊は決して見過ごしてはならないものです。明治の「廃仏毀釈」は、日本の文化に塗り重ねられた「仏教」を異国の物として剥ぎ取ろうとして行われた一種の「民族浄化」のようなものですが、そもそも古代から「神道」という明確なものがあったわけではないというのが通説のようですね。宗教というより「カミ信仰」という習俗のところに、体系化された仏教が取り入れられ「本地垂迹」「神仏習合」というそれこそ「民族の智慧」が生まれて連綿と続いてきた。これを無理矢理に西洋的な一神教と対抗しうる「神道」に純化するためにおこなわれたのが「廃仏毀釈」であったというのが真相ではないでしょうか。(もちろん幕府の支配装置と化してしまった当時の寺院の腐敗も問題ですが)石上の内山永久寺や、三輪の大御輪寺、平等寺などに比べれば、興福寺はまだましだったと言えるでしょう。(興福寺の場合は被害者ではなく、単に僧侶が寺を放棄して逃亡しただけという説も)シュリーマンの「トロイ発掘」は逆に破壊でもあったというのはご存じでしょうか。「イリアス」「オデッセイ」に記されたトロイの遺跡を発掘しようとした「ヘンリー・シュリーマン」は、ついにその遺跡を発見するのですが、その時代の層に達するまでの時代(トルコからローマ、ギリシャなど)の遺構・遺跡をすべて破壊してしまったといいます。平城遷都1300年の歴史にこだわるあまりに、それ以後(以前も)の歴史の積み重ねを無視したり、破壊したりするようなことが起きては困るというのが、「平城宮跡近鉄線問題」から感じる一つの危惧です。「国営公園化」などの平城京復興が平成の「廃仏毀釈」にならないように願いたいところです。
2011.02.22
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週末はけっこう賑やかな奈良の町でした。「なら瑠璃絵」のころよりも、このところの方が賑やかかも知れません。下の写真は、先日の「奈良銀行本店跡地」のあたりの三条通の様子です。 左から、外装工事中のNTTビル(リーガルシューズと貸衣装店が入居)、奈良銀行本店跡地、末廣ビル(宝石店など)、コインパーキングなど、手前にはかつて朝日新聞奈良支局のあった「旭水公園」があります。パーキングの奥に見えている煉瓦色の壁は旧奈良銀行の会議室などのあった建物です。コインパーキングはかつて「菊岡漢方」や骨董品店、奥には何軒かの借家もあった敷地で、県内のある有力な工業系の会社が所有しています。 菊岡漢方のならまちへの移転について、半可通のマスコミが「三条通の拡幅のために移転した」(そのためクラシックな外観の店が消えてしまった)などという虚報を流したことがありましたが、実際は、地主さんとのやり取りの結果敷地を返還したに過ぎません。さて、本日の本題は、この裏側です。 三条通の一本南側の通りは通称「細川の通り」と呼ばれますが「中央商店街」という名称もあります。写真で見えているのが、先ほどの「旧奈良銀行本店」の会議室などがあった建物。右がNTT、左の背の高いビルが末廣ビルです。手前は、造り酒屋さんの作業場でしたが今は使われていません。左のブロック塀と白いフェンスが「下三条町東街区公園」です。 なかなかよさげな公園に見えますが、実はこういうことになっています。 この公園の敷地は、もともと「中央市場」という小売市場のあった場所なのです。かつて「椿井市場」全盛のころ、中央市場も地域の生鮮食品などの供給の役目を果たしていました。中央市場の周辺だから「中央商店街」だったのですね。今もこの周辺には、魚屋さん、豆腐屋さん、八百屋さんなどが頑張っていますし、電気屋さんのあとには「ウガヤゲストハウス」ができていたりします。 で、この「市場跡」をマンションにしようという話が不動産業者から持ち上がったのですが、周辺から反対の声があがり、最終的に「市が買い取って公園にする」という形で「決着」しました。そして、かなり意欲的なデザインの公園が、かなりの費用を投じて作られました。しかし、現状はこのとおり。それは、ここともう一ヶ所西側にも公園の出入り口があるのですが、こういう形↓で、いうならば家並みに囲まれた「袋地」の公園になってしまったのです。 そのため「まわりの目が届かない」のをいいことに、不良少年のたまり場となり、施設を壊したり、はてには放火事件まで発生しました。周囲の民家としては「うちまで火を付けられたらこまる」ということになってしまい当時のデザインはすべてご破算、ただの芝生の広場だけになって、入り口にはふだん鍵が掛けられることになってしまいました。「公園に」というのは、たしかに耳障りの良いことばですが、その立地条件を間違えてしまうと、こういうことになる(土地の購入、整備は市の金です)わけですね。最初の費用について「公園整備」ということで国の補助金が使われているために、奈良市がこの土地をどうこうしようと思っても、勝手に変更することも出来ません。これを教訓にして、三条通の旭水公園では極力「通りから丸見えになる」ような構造が求められました。「公園」という設定が動かせないとして、この場所を活かす方法は「袋地」の解消しかないでしょう。そこで、三条通側の「旧奈良銀行本店跡地」や、となりの造り酒屋さんの敷地などと上手く繋げることで、「オープンで、人がいつも流れる場所」に変えるというのが一つの方法のように思えます。場合によっては、コインパーキングの土地や末廣ビルの裏の敷地などとも組み合わせた総合的なプランも考えられます。とにかく、いまでこそ「公園」は防犯上要注意というのが常識になっていますが、当時はそうではなかったのですね。行政の方も「値ぇさえ合うたら、土地は買いまっせ」というスタイルでしたし、「金儲けのためのマンション」よりも「みんなのための公園」という「大義名分」が通ってしまったのですね。
2011.02.20
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昨日の「日々ほぼ好日」ブログで平城宮跡近鉄線移設問題についての、アンケート結果が紹介されていました。このブログでも、「移設計画に反対」を表明していますが、結果には「当然だろうな」という思いでした。 詳細なデータが確認できていませんが、県内で平城宮跡での近鉄線の存在に対する肯定意見が否定意見に対してダブルスコア近いのはともかく、県外の意見でも、肯定と否定が拮抗(肯定の方が少し多いのでしょうか)しているようですね。そもそも、あの奈良県が一生懸命誘致して成果を収めた「鹿男あをによし」のドラマロケにしても、平城宮跡を近鉄電車が走っていなかったら多部ちゃんがシカに乗って「サンカク」をキャッチするシーンはなかったでしょう。あのドラマで、朱雀門のすぐそばを近鉄電車が走っているというのは、「全国区」になったのではないでしょうか。 平城宮跡を、京都御所とか皇居あたりと同じようにイメージしている方にとっては、「電車が横断するなんてとんでもない」のかもしれませんが、皇居にしたって江戸城外堀を利用してJRの中央線が走っているわけですし、そもそも平城宮跡はひとたびは「蒼田に帰した」場所で、それを幕末から明治以来のさまざまな努力によって現状があるのですから、「見苦しい」とか「ふさわしくない」とかいまさら言われてもという思いもありますね。 1300年祭の期間中、地方から来られた参観者は、あの踏切で電車を待たされて忌々しい思いをしたのでしょうが、そもそも、これだけ頻繁に大量の電車が行き来する「都市」の中にあるのだという認識は持たずに来た方も多かったのではないでしょうか。(首都圏や近畿圏以外では、これだけの鉄道輸送量は想像外かも知れません)tetsudaさんのコメントでは、「ならまち」の元興寺境内の問題も指摘されていました。実際、あのあたりの美しい町家で、家の中に元興寺の建築物の礎石があるところも多いわけで、それが「歴史」の積み重ねというものでしょう。 1300年祭の「理念」のなかに、平城遷都1300年を機に、日本の歴史・文化が連綿と続いたことを“祝い、感謝する”とともに、日本のはじまり 奈良”を素材に、過去・現在・未来の日本を“考える”とあります。この「連綿と続いたこと」という表現が、私は気に入っているのですが、1300年前の特定の一時期の「顕彰」ではなしに、今日にまで至る歴史の連なりの価値を発信するのが1300年祭の目的ではなかったかと思います。その意味で、「大仏さんの都」奈良へむけて、困難を克服して電車の線路を引き、人々に奈良の歴史文化を知らしめる大きな働きをしてきた大阪電気軌道>近鉄奈良線も、その「連綿」の一端を担ってきたものではないかと思うのです。県外とくに関西以外からみると「近鉄電車」の奈良の町における「重み」は理解しにくいのかもしれませんが、現在の36万都市を維持し、さまざまな歴史文化を支え続けていく上では不可欠の存在でしょう。もし西大寺で線路が途切れてしまっていたら、今の奈良市中心市街地は、確実にひどい衰退を来していたに違いありません。 余談ですが、平城宮跡で近鉄電車が気になってしようがない人は、奈良公園に来たら鹿のフンが気になってしようがないんだろうなあと勝手に思っています。
2011.02.20
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さて、このビルはどこでしょう。 ちょっと見かけない感じのビルですが、昭和50年に建設の小山ビルです。セットバックで、張り出していた2階までの部分を切り落とし、本体も化粧直しがされました。1Fのファサードも、なかなか個性的にデザインされていますね。「小山」さんといえば、旅館や飯場の貸し布団からはじまって病院の基準寝具、そして今では介護用品なども扱う市内の有力企業の一つですが、その「お屋敷」がもともとここ、三条通2丁目にあったのだそうです。JRよりの三条通りはもともと旅館だったところも多く、奈良の町としては間口が広いのですが、このお屋敷は向いの松田ビルの前身とともに、存在感のあるものだったようです。創設時は、1F左に東急観光、右手に若草書店が入っていました。今は空いている右手の店舗も、テナントが決まったようです。 ダイエーなき後、貴重な食品関係のお店がJAアンテナショップです。 この場所は、三条通に面していますが、下三条町でも三条町(三条通2丁目)でもなくて、3軒ほどだけが横の通りと同じ「今辻子町」に属しているところです。 もともと、奈良の農協が「宇治茶の陰に隠れている大和茶をブランドとして売り出したい」 として設立した「大和茶販売株式会社」のアンテナショップですが、近年はさまざまな食品を扱っていて、なかなか人気のお店です。写真ではまだ時間が早くてひっそりしていますが、農家の持ち寄る野菜や、県内特産のお菓子類なども扱っています。仏さまの「お花」などもあります。セットバックで改装した時から、なんとか活用したいと言われていた2階のスペースですが、昨年末から、スイーツのショップがオープンしているようです。 「奈良うまいもの広場」として、大和茶や珈琲を飲みながら、ひとやすみするスペースもできていますが、もうちょっと、通りのお客さんを2階に上げるための工夫が必要かもしれません。
2011.02.18
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三条通でも少し西へ目を向けてみます。やすらぎの道・観光センターから西、JR奈良駅までの区間は、三条通ショッピングモールのエリアです。東の「シネマデプト友楽」跡地とならんで、こちらでは「りそな銀行」関連の二つの跡地が注目されています。 ホテルフジタ奈良の向い、NTTビルのとなりにあるのが奈良銀行本店のあった場所。昨年の「まちなか1300年祭」ではヨーロッパ広場として賑わいましたが、いまはひっそりと更地のままです。奈良銀行は、官選最後の奈良県知事(その後公選でも4年間就任)だった野村万作氏が創業(1953年)した「三栄相互銀行」が普通銀行に転換して生まれた地方銀行。「三栄」とは、銀行・預金者・融資先の三者を示すものと言う。当初は、戦前に存在した「不動貯金銀行」に範を取って「日本不動相互銀行」という名称で申請されたとも言われる。ちなみに不動貯金銀行は戦時合併で「日本貯蓄銀行」となり、協和銀行>あさひ銀行>りそな銀行と変転し奈良銀行を吸収したというのも何かの因縁か。さて、旧奈良銀行本店敷地については、もう一つ知る人ぞ知る事実があります。それはこの敷地の西半分は、もともと「友楽座」という谷井興業の映画館だったということ。アラカンこと嵐寛寿郎の演ずる「明治天皇」ものの映画(軍艦の進む海に白いタコ坊主のような大砲の水柱が印象的)などがかかっていたような記憶があります。二つを一つにしたために、奈良銀行本店の敷地はちょっとややこしい形になっていたようです。(左奥に見える民家は、野村家の住居だったのでしょうか)奈良銀行は設立以来「大和銀行」と関係が深く、「大和」と「あさひ」の合併で「りそな」グループの一員となり、合併でこの場所は一時「りそな銀行新奈良営業部」となりました。 一方、協和銀行奈良支店から「協和埼玉銀行」>「あさひ銀行」>「りそな銀行」の奈良支店へ、そして最終的に旧奈良銀行本店と統合して「りそな銀行新奈良営業部」となったのが上の写真の右側の建物。向いの「第一勧業銀行奈良支店」>みずほ銀行奈良支店とともに、この場所は「都市銀行が二つ向き合う場所」でした。 第一勧銀奈良支店は、石造りの円柱が正面に並ぶ立派な建物でしたが、建替えでなんとなく安っぽくなってしまったような気がします。向うにNTT(旧電電公社)が見えますが、観光センターはもとは奈良郵便局、ホテルフジタは奈良警察署ということで、このあたりは官庁や銀行のオフィス街でした。 で、結局のところ奈良銀行も協和銀行もみんなまとめて「りそな銀行新奈良営業部」は、JR奈良駅前のビル1F、2Fに移転してしまいました。三条通には「りそな銀行」絡みのまとまった遊休地が二ヶ所発生したことになります。銀行サイドでは、これは第三者に入札・売却して国からの資金の返還の一助としたい意向のようですが、これもまとまった敷地だけに、はたしてどのような事業者が落札するのか、その結果によっては、三条通やJR・近鉄周辺の中心市街地のあり方に大きく影響しそうです。 こちらのビル(JR奈良駅NKビル)は、JR西日本不動産開発(正しくは「JR」はカタカナ)が建てたもので、奈良市中心市街地での「りそな銀行」(旧協和、奈良銀)の唯一の店舗が入っています。駅のコンコースとはペデストリアンデッキでつながり、スーパーホテルや医療モールなども入っています。協和銀行の奈良での歴史も古く、地元の奈良銀行の預金者ももちろん多かったわけですが、大安寺支店も統合された現在では、奈良市中心市街地近辺で「りそな銀行のATM」は、ここと近鉄奈良駅ビルだけになってしまいました。(西大寺、学園前、新大宮にはあります) 前項で、わざわざ「りそな銀行のATM」と書いたのは、りそなグループの近畿大阪銀行(三条通2丁目の松田ビル)のATMでも、りそな銀行の通帳やカードがそのまま使えるからなのですが、実は、この支店の営業は今週いっぱい(2月18日まで)で、来週には富雄支店へと統合されてしまいます。ということで、三条通のJR奈良駅から猿沢池までの間に残る銀行店舗は、南都銀行(本店営業部とJR奈良駅前支店)と、三井住友銀行(小西通り角)、みずほ銀行(前述)の三行・四店舗となります。かつては、この通りに都銀(かつては12行が2グループに分れていました)、地銀、第二地銀(もとの相互銀行)のすべてが店舗を持ち、「どのキャッシュカードでも使える」といわれたこともありますが、隔世の感があります。最後に、かつて存在した銀行支店の跡地を少しご紹介しておきます。 こちらは、中京銀行のあったところ。三条通2丁目で隣はもと「都ホテル」の都パーキングですが、こちらも現状はコインパーキングです。中京銀行は、現在内侍原町のやすらぎの道沿道に店舗があります。 そして、ここはもう憶えている方も少ないかと思いますが、第三(相互)銀行があったところ。現在、第三銀行はJRの線路のさらに西の方で、三条通に面したところに店舗があります。イオン系の婦人服・洋品店の「ブルーグラス」が入居していましたが現在は空き店舗です。近く、三条通の拡幅セットバック工事に伴う仮店舗として使われるようです。1300年祭の「秋フェア」開催中は休止状態だった三条通の街路事業・セットバック工事も、年明け以降ピッチが上がってきているようです。現在、街路事業関連のセットバックで、1件が解体完了、2件で解体進行中、他に2ヶ所で準備中のようです。
2011.02.17
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今日の昼間の状況です。 西館では、都市計画道路予定敷地内にあったモスバーガーの喫煙室張り出しが、解体完了したようです。西館は、解体して更地にするのに一年ぐらいかかるとか。こちらはその後の予定は未定のようです。(転売の可能性もあるのか) 一方の東館では、現場の囲いとゲートが出来て、いよいよ解体工事の準備完了でしょうか。その後の地元むけ情報では、マンションの予定戸数は80戸、駐車場は40台分なのだそうです。秋頃までに解体を終えて、建築の方にかかる予定らしい。 「住宅専用マンション」について、周辺で聞かれた意見をランダムに上げてみます。 ・商業地域として、やはり住宅だけのマンションは困る。店が閉まって「空き店舗」になるのと同じこと。・学校(椿井小学校など)にとっても住民が増えるのはありがたい。人が住んでこそ。・安っぽい商業施設(チェーンの居酒屋など)が出来るくらいなら、まだ高級感のあるマンションが良いかもしれない。 ・住宅にしても、問題は駐車場ではないか。三条通り側に駐車場が面したりするのは困る。車の出入りは裏の餅飯殿駐車場や奈良市場などに抜けられないのか。 ・商業地域で、イベントの舞台でもある三条通りの現状を、十分に理解した上で住んでもらえるのかどうか。後でもめるのは困る。 ・それなりの価格のマンションだろうから、住民の質も一定レベル以上になるのでは。ただそうすると、小さい子供を育てるような家族は入らない可能性も。・奈良でのマンションに、近鉄系じゃなくて京阪系の会社が出てきた理由はなぜなんだろうか。 ・商業施設(店舗)とまで言わないが、例えば現在の南都銀行本店の東向側にあるような展示施設など、通りに向けた「顔」が必要ではないか。・80戸というまとまった数になると「自治会」なども別になる可能性がある。地域とちゃんと協力してもらえるのか心配。ざっと拾ってみてこんな感じでしょうか。奈良市の開発指導要項によれば、上記のような規模の建物だとすると、「開発指導」の協議が行われることになりそうです。大切な「奈良のまちの資源」で、「奈良のまちへの投資」なのですから、ぜひとも「地域の納得のいく結果」になるような事業を期待したいところです。
2011.02.15
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おやおや、アレは誰? 三条通の中ほど、今西の奈良漬屋さんに立ち寄っていると、お向かいの一心堂さんに変わった「人影」が見えました。あれは、葛城市のマスコット「蓮花ちゃん」ですね。当麻寺の「当麻曼陀羅」で有名な「中将姫」をモデルにしたといいます。でも、中将姫さんはもともと奈良町の生まれなんですよね。「誕生寺」というのは、天平時代に藤原豊成卿の屋敷があったという場所で、豊成卿と紫の前の間に中将姫が生まれたところだそうです。今朝は、朝からまんとくんにバレンタインのプレゼントを届けた蓮花ちゃん、せんとくんに会う前に、筆を買いに寄ったと言うことらしい。
2011.02.14
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奈良では「春はお水取りのあと」と言いますが昨日の「大雪」のあと、若草山は綿帽子の景色です。 三月のお水取りを前に、毎年恒例が、姉妹都市の物産展です。「お水取り」の水を送ってくれる福井県小浜市、「采女さん」の出身地の福島県郡山市、どちらも奈良にはない産品がさまざまにあって、物産フェアは人気の行事です。今年の物産展には、小浜の「さばトラななちゃん」、郡山の「がくとくん」がやってきました。そこで、奈良からも「まんとくん」がお出迎えして、みんなでワイワイと。以下、奈良市の仲川市長や、両市の「ミス」の方も交えての様子です。 あのドラマ「ちりとてちん」以来、もともと姉妹都市の小浜市をグッと身近に感じていたところですが、2008年10月にニャンと実在のネコをモデルにした「さばトラななちゃん」が登場したと聞いて、いつかはまんとくんとの共演があるかと思っていたところでした。ななちゃん、小浜の「焼き鯖」をポケットに入れてしっかり「キャラ立ち」してますね。町のもめ事は、あの焼き鯖食べさせて仲裁してるのか知らん。
2011.02.12
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昨日のつづき(友楽東館)です。 マンション計画が立てられている「シネマデプト友楽イースト」の跡地ですが、このあたりは「角振新屋町」と呼ばれています。(中街道の西側「シネマデプト友楽ウェスト」の方は「角振町」なんですね。ややこしいですが。)敷地の奥の方は、一部、東隣の「橋本町」にかかっているそうです。隣のパチンコ店「カイナラ」さんから東は、橋本町になります。 なぜこんなことを書くかというと、誰が見ても「奈良の目抜きの商店街」に間違いない三条通りのうち、やすらぎの道(中部公民館・観光センター)から西(JRまで)は「三条通ショッピングモール」という法人の商店街、猿沢池に近い橋本町は「三条通り橋本商親会」という任意団体の商店街ですが、やすらぎの道からこの友楽東館まで(上三条町、角振町)は「商店街」を名乗る組織がないのです。ただ、JRから猿沢池までの三条通の6ヶ町を通して、街路灯や街頭装飾などを管理している「三条通むつみ会」という団体は存在しています。(三条通地区計画に関連する地権者などの三条通まちづくり協議会というのもある) ともあれ、実態としてこのあたりは「商店街」であることは間違いないですね。少子高齢化の時代、まとまって生活人口が増えるマンション計画は大変ありがたい話、ただ商業施設がつらなる「商店街」である三条通りの中に、異質な「住宅専用建築」が登場したらどういう影響が出てくるのかが懸念されることではあります。 ★東京でこんなことがあったらしい★ 東京世田谷区の三軒茶屋、通称「三茶」は、東急田園都市線、国道246号、路面電車の東急世田谷線などが通るまちです。(サザエさんの美術館も近いのかな)駅のまわりにいくつかの商店街やスーパーなどもあり、玉川通りの北側200mほどを並行する「太子堂中央街」というのもそういう商店街の一つで「世田谷のアメ横」ともよばれていたそうです。(リンクページの下から5コマ目あたり) その商店街の「茶沢通り」(三軒茶屋と下北沢を結ぶ通り?)から入ってすぐのところに昭和26年創業の魚屋があって近年は毎週日曜日の「まぐろ解体ショー」が名物になっていた。テレビ番組の取材もあったようで、商店街の集客の目玉だったという。ところが、ある日突然その店が消えてしまった。(世田谷区の商店街役員)少し前に、その店の向いにマンション(賃貸)が建って、そこへやってきた住民が魚屋に対して「うるさい」と苦情を言うようになっていたという。そりゃ集客の目玉だからワイワイとうるさかったんでしょうけど、そういう場所にあとからやって来てるんですけどね。実際に強硬な苦情は一部の住民だけだったらしいですが、どうやら「路上でのまぐろ解体は食品衛生法違反だ」として保健所に訴えたらしい。で、お店自体は国道(玉川通り)の向う側の別の商店街の中にある食品店の中に移ったらしいのですが、商店街としては「目玉が消えてしまった」ということに。(お店のHPは、もとの店のときの写真がそのままのようです) 商業者同士なら「まあお互いさま」で済むようなことでも、「住民」となってくると話が通じなくなって来るということでしょうか。(もちろん食品衛生法は守らなければいけませんが) まちBBS三軒茶屋スレッドには、その経緯を語る書き込みが残っています。(レス番37あたりから)http://www4.machi.to/bbs/read.cgi/tokyo/1267369813/1-81 ★それは極端な例だとは思うのですが★やはり、寝起きしている住民と、商売をしている人間とでは、利害の異なる部分が結構あるのではないかと思います。特に「日曜日はゆっくり休みたい」と思っていると、「にぎわい」の部分はすなわち「うるさい」ということになりかねません。現在の三条通は、日曜祝日の「自動車通行止(11:00~19:00)」が行われていますが、これも「住民」の立場からはどうでしょう。これまで、友楽のモータープールも営業していましたが「営業」というのと「住民の足」というのとでは性格が違ってきます。マンションは戸数に合わせた駐車場を確保するようですが、敷地から車が出入りできる道路は現状では三条通しかありません。さまざまな祭礼やイベントはどうでしょう。「おん祭り」では、およそ一時間にわたって行列が道をふさぐ「お渡り式」や路上での露店営業などに苦情が出たりしないでしょうか。今でも一部に反対意見のある「バサラ祭り」はどうでしょうか。先日、ホテルに泊まった観光客から「商店街の放送がうるさい」という投書があったそうですが、観光客なら「そんなところに泊まらなくてもいいのに」で済む話が、住民=市民権・選挙権をもつ相手では、話が違ってきます。工場の騒音問題など「もともとこうだったから」「あとから来て言われても」ということが通じない例はあちこちにあります。あとあと、無用のトラブルが起こらないような対策を予め検討しておくことが必要でしょう。(「住居専用」で分譲というのは、どうしても動かせないのでしょうか。確実な投資回収の方法としてそれが合理的なんだろうということは、わからないことはないのですが、本当の「まちづくり」の観点からしてどうなんだろうと思われます。)
2011.02.11
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友楽東館はやはり住居専用マンションの計画が立てられているようです。長谷川工務店さんが、京阪電鉄系のデベロッパーと組んで50~60戸ほどが入居するマンションを建てる計画とのこと。もちろん、必要な駐車場も敷地内に確保されるようです。確かに、奈良の「まちなか」に住むというのは大変魅力的です。駅も近く商業施設も一通り揃った場所ですから、マンションは確実に売れるのではないでしょうか。(周辺からは、1Fなどに商業施設を入れてほしいという声がでていますが、住居のみという計画らしい)ただ、奈良の三条通のこの場所が、どういう性格の所なのかということは、開発する側にも入居する方にもしっかりと認識していただきたいところです。その意味で、この一年間ほどのこの場所での写真を、取上げてみました。 2009年12月15日の「春日若宮おん祭り・大宿所詣」のようす。 2010年5月のまちなか1300年祭では、向かいの南都銀行駐車場のステージとともに、下三条の「ヨーロッパ広場」猿沢池の「平城広場」をつなぐ「シルクロード広場」として「マルシェ」の会場となりました。 秋のシーズン、2010年10月16日には「あるくん奈良・まちなかバル」のインフォメーションセンターとして、奈良のまちなかの飲食店めぐりの人々の案内場所に。そして一年が経って、ふたたび「大宿所詣で」の行列がやってきました。 本当を言えば、12月17日の「春日若宮おん祭り」お渡り式の本番の写真がほしいところなのですが、その当日にのんびり写真を撮っているような立場ではないので、残念ながら手元に写真がありません。それとこのあたりは露天商の屋台が並んでいますので、お渡り式の撮影ポイントとしてはあまり使われていませんね。「マンション」で気になるところなど、以前の記事で少し触れています。 次の記事で、東京でのある事件も紹介しながら少し突っ込んでみたいと思います。
2011.02.10
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「いんぎょまち」と呼ばれるところがあります。中街道の「ならまち大通り(杉ヶ町高畑線)」を南へ渡って、しばらくゆるい下り坂の先に四つ角があります。左手(東側)には、狭くて少し急な上り坂があります。この坂の道沿いが「いんぎょまち」、正しくは「陰陽町(いんようちょう)」という町です。聞きようによっては「金魚町」と聞こえてしまったりしますが。陰陽町は、「陰陽師が住んでいたところ」と一時話題になりましたが、別に魔物と戦う人たちがいたのではなくて、暦を作る人たちの町でした。この陰陽町の町家で、市が取得したものがあると聞きましたが、この建物でしょうか。大きい建物ではありませんが、奈良の町家らしい格子の家ですね。 その隣にあるのが「れいふさん」こと鎮宅霊符神社です。「鎮宅霊符」というのは、陰陽道の災厄除けの護符のことだそうですが、この神社はその陰陽道の天帝「北極星」=「天御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)を祭神とする神社とされています。仏教では妙見菩薩なのだそうですが、詳しいことは他所でお調べ下さい。 で、なによりも奈良町の霊符さんといえば、このかわいい狛犬たちです。阿形も吽形もどっちもニンマリと笑ってますよね。 この陰陽町の坂を上ると高御門町に出ます。書道美術館や奈良市史料保存館、「あしびの郷」などのある町ですが、安井の散髪屋さんから下る角も、なかなか急な下り坂です。
2011.02.07
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ちょっとめずらしい角度からの南円堂さんです。南円堂に上がる階段の途中から三重塔の方へ進んで、右上を見上げたところですね。今は竹垣で囲われていますが、かつてはこの崖は子どもたちの遊び場で、木の蔓にぶら下がってターザンごっこをする姿が見られたものです。このように興福寺境内、特に南円堂さん周辺というのは子供にもお年寄りにも大変親しみ深いエリアでした。かつては、今の猿沢池・采女神社前から上がる階段の他に、三条通りから南円堂周辺に上がる通路が二つあって、誰もが気軽に三重塔やこの崖下にやってきていたのです。 まずは現在「興福寺会館」となっている旧NHK奈良放送局への三条通・札の辻側からの通路でもあったルートです。現在の高札場から手力雄神社の前を通り旧NHKの門前に通じています。 もう一つ、元林院町の絵屋橋から北へ三条通に突き当たり階段を上がって、三重塔に通じる通路。靴屋さんやみやげ物屋さんの間を抜けて興福寺の境内に通じていました。興福寺側から見ると、路地のつづきが階段になっているのがわかります。 この二つのルートは、いまは柵が閉鎖されていて、通り抜けることができません。いくらオープンな興福寺境内とはいえ、あまりにイケイケでは、文化財の保安上の問題があるということなのでしょう。東の方の大湯屋や心字池あたりは、もっと広く鉄の柵で囲ってしまっていますね。それは仕方のない話なのでしょうが、これはちょっとどうでしょうか。 南円堂の向かって右側、「びんずる」さんと一言観音堂との間も、柵がされています。右手の灯籠の後ろに見えている「板戸」は、もとの「絵馬堂」ですが、近づくことが出来ません。鉄柵のフェンスはあくまでも仮設のようなものですが、ずいぶんと長いことこの状態です。で、この向う側(西金堂跡側)から見ると、なんとこんな感じで放置されています。何らかの工事が行われているわけでもないのに、いつまでこんな状態で置いておくのでしょう。かつて、この南円堂の周囲は小学校の授業の「写生」が盛んに行われていました。南円堂を見上げたり西金堂跡に腰を下ろしたりしながら、子どもが筆を動かしたりしていたものです。どうしても必要があって立ち入りを制限するのなら、こんな汚い柵を放置するのでなしに、もう少し「国宝寺院」らしい「みだしなみ」に気を遣ってほしいものです。
2011.02.06
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「墨」は、古梅園だけではありませんよね。 これは奈良県商工観光館「きてみてならshop」の奈良墨のコーナーです。 なぜこの写真をのせているかというと、「奈良墨」の販売のためにはそのケースが必要だからです。ここの墨は、中級以上の品物だと思われますので「木箱入り」も多いのですが、奈良の墨の多くは、墨のサイズに合わせて作られた小さな紙箱に入れられていました。町の中には、「紙器」=紙箱といっても段ボール箱なんかではなくて、そういう小物を作る事業所も古くからあちこちにありました。 芯になる厚手の紙を機械で切断し、折り目を入れ、それに手仕事で、外側の化粧紙のノリ貼りをして箱の形にしていく。箱の「蓋」と「身」との微妙なサイズの違いや、この程度の大きさだとホチキスは使わないので、化粧紙でも力の掛かる角の部分が切れたりしないようにとか、小さいからこその注意点も多いと思います。小さい中に、化粧紙の模様やラベルのデザインなど、けっこういろんな要素が盛り込まれていて、墨の本体とともに、箱もまた「奈良の伝統工芸」と言えなくもないでしょう。「箱屋」さんは、墨の箱と同時に和菓子の箱なども扱っているところが多かったと思います。 奈良墨は墨だけでなしに、小さな紙箱造りの仕事も伝えてきています。街道沿いの「墨」関連を探ってみます。 まずは↑ですが、椿井市場の古梅園と反対側のお隣さんです。「三笠墨汁」の名前が見えますが、ラッカーやニスなど塗料関係の商品が多かったかと思います。今は、半ばしもたや状態でしょうか。 東城戸町の「松寿堂」 商工観光館でもその製品が並んでいましたが、古梅園から南へ200mほどにある「松寿堂」です。昔からの美しい町家のスタイルで、玄関を入ったところの「店の間」には、美しい墨の製品が並べられています。近年、テレビでも紹介されたりするようになりました。次のこちらは墨屋さんではなくて、ある書道の先生のご実家です。 中街道をさらに南へ行った東木辻町ですが、以前は「書道教室」に子どもたちがたくさん通っていました。書道と言うより「お習字」に必須なのが、添削のための「朱」ですが、その朱墨も実は奈良が最大の産地なんだそうです。 ということで、今日の最後はこちら、朱墨専門の「木下照僊堂」さんです。 中街道とは一本東側に当る「瓦堂町」ですが、朱墨の他に、糊(海苔ではなくて洗濯や接着のノリ)の発売元でもあるようです。追記です) 最初の、店頭での墨製品の写真ですが、上の写真の中央2列が「松寿堂」さんの製品、左2列が「古梅園」さんの製品です。また、下の写真で右から3列目の下二つの枠に入っている小さい赤文字の包みが、「木下照僊堂」さんの朱墨です。墨そのものはご覧になることは多いでしょうけど、朱墨は珍しいのではと思います。
2011.02.05
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中街道の「ハイライト」は「古梅園」でしょう。奈良でもっとも古い「墨屋」さん。「炭屋」さんではなくて文字を書く「墨」のほう。椿井小学校のお向かいにある「古梅園」は、奈良でというより日本で「業」としての墨の製造販売を行う店としては最古だと言われています。小学校の授業でも「松井道珍」という名前を教えられました。 奈良の墨についてはこちらを参照下さい。 奈良の伝統工芸「墨」 こうやって写真を撮ってみると、あらためて間口の広い大きな家だなと思います。地図上で図ってみると30mほどでしょうか。ところが、奥行きがまたすごい。隣にある「椿井市場」の長さ分がそっくりこの古梅園の奥行きで、およそ100mほどもあります。京都や江戸にも支店を持って墨を供給していたといいますから、その工場と考えれば無理はありません。 菜種油の火を灯して、蓋を乗せ煤を採るところからはじまって、ニカワを溶かして香料などと一緒に混ぜて練り込み、木型に嵌めて形にする。じっくり乾燥させて、磨いたり彩色したりして木箱や紙箱に収めて製品になるまで、ずいぶんたくさんの工程と時間がかかるといいます。(一口に書いてしまいましたが) 真ん中の写真中央に、工場の奥まで通じるトロッコの線路が見えています。100m近くもあれば、そりゃこういう施設も必要ですね。少し前の朝ドラで出てきた「川越」の「甘玉堂」にもトロッコがありましたが、あっちはそんなに奥行きあったんだろうか。 追記)古梅園の奥行きを写真で示すのは大変なことです。通りが狭くて、端まで見通す写真は難しいのですが、良い写真がありました。入江さんの写真集「古都の暮らし・人」のfig.20「率川神社付近 昭和30年ごろ」というのが、古梅園の西北角から、ずうっと先の椿井小学校前までいくつも続く古梅園の建物がきっちり写っています。今は、率川神社との間が「やすらぎの道」で隔てられていますが、たしかに「付近」には違いないでしょう。
2011.02.04
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昨日、奈良県プレミアム商品券第2弾発行でした。昨年10月1日からの第1弾に続いて、予定通り2月1日から第2弾発行。前回は12月10日まで通用でしたが、今度は3月10日まで。 で、商品券はこんなデザインです。 昨秋の商品券では、やたらのさばっていた「せんとくん」がまったく姿を消してます。公式HPは、あいかわらずせんとくんですが、商品券の券面にも、取扱店の店頭ポスターにも姿はない。昨秋のときの商品券の画像が、公式HPからは消えているので、奈良の方のブログをご覧下さい。なら散策日記【鹿と亀と猫と犬の日々】鹿鳴人のつぶやき商品券デザインでは、せんとくんが消えたほかに、「切り取り線」の位置が変わっていますね。取扱店控えの券片が、前回は左側だったのが今回は右側に。これは、店頭で冊子から切り取る時に間違って「控え」と「商品券本体」とを切り離してしまう事故を防止するためのようです。2月1日、2日でほとんどの発売場所では売り切れになっていますが、イトーヨーカドーでは、2月6日の日曜まで毎日その日の予定分を販売、ジョーシン電機各店では、2月5日・6日の土日にそれぞれ予定分を発売することになっています。商店街では、餅飯殿、東向が整理券方式で、小西通りは直接販売でそれぞれ予定数を2月1日中に売り切ったそうです。このタイプの商品券、はっきり言って中小零細のお店にとってはメリットはないんじゃないかな。11500円のうち、1000円は県が、500円は取扱店が負担と言うことで、たとえば商品券で1万円分を受け取ると、南都銀行を通じて換金された時に、振り込まれるのは110/115の9565円からさらに振込料が引かれて入金されます。一昨年、奈良市の商振会が発行した商品券の場合は、プレミア10%でしたが、必ずしも再使用を禁止していなかったので、受け取った商品券も場合によっては他所のお店に持っていって「消費」することが出来ました。しかし、奈良県発行の分はなぜか「使用一回限り」にこだわっているので、受け取ると「損をした」ことになってしまうのですね。(クレジットカードも、普通5%の手数料を取られるが、振込料はカード会社持ち)電気店などは、自分のところで商品券を売って「さあ、お得ですよ使って下さい」とその場で使わせれば、お客さんの10万円が、即、11万5千円(手数料引いても11万円)に化けるわけで売り上げアップにつながるのですが、小さな店でふだん来ているお客さんが、現金代わりに商品券持ってこられても、受け取る側にメリットはないんですよね。むしろ、逆に「お客さんが商品券を買いに行ってお金使ってしまったから、うちで使うお金は残ってない。」という問題すら出てくる。やはり、せめて「再流通可能」にして、「地域通貨」的な効用を求めるなどしないと、これだけ大きな店舗負担率では取扱い店舗は広がらないのではないかと思われます。「なぜせんとくんが消えたのか」 想像するに、ライセンシーオフィス(近鉄百貨店が委託を受けて運営)が、年末で新規の取扱いについては店じまいしたからなんでしょうね。なにしろ「公的」な使用についても、うるさいことをいう「せんとくん」でしたし。それとも、着ぐるみは「県庁に就職」させたけれど、2011年以後のイラストデザインの扱いについて例の先生と話が付いてなかったとか。
2011.02.02
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