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「ならまち」のど真ん中だと思います。ならまち資料館や、庚申堂、どっとFMなどのある西新屋町のことです。 小塔院の向いあたりにあるこれは何?注連縄かかってるけど、看板はありません。 額には何も書かれてません。 ふーん、率川神社から長屋門を持ってきて使ってるのか。 中はたしかに神社のようです。 となりの芝新屋町、中新屋町に友人がいるので「あの西新屋にある神社みたいなのは、何?」と聞いてみましたがすぐに答えは返ってきませんでした。「たしかに、なんかあるけど、ガイドブックなんかにも載ってないわなあ。」そもそも、この日わざわざこのあたりへ来たのは、先の悲田院・陰陽町の写真を撮っている時に、奈良町の「今」と「昔」とを対照した少し前の新聞記事をもって現地確認に歩いている人に出会ったからでした。実際は「今」となっている記事の写真も、本当の今からみるとかなり前のことで、例えば鳴川の聖光寺の横の地蔵堂にしてもとなりの建物がすっかり変わっています。「奈良町物語館」の向いの塀の中にあった立派な「蔵」は写真にはあっても今はもうありません。そんなことを「確認」しようと西新屋まで歩いてきて、そうそう、そういえばこの「神社」は何だったんだろうと思ったのでした。で、もう一度中を覗いて、確かめてみてわかりました。「率川神社の長屋門を使っている」のではなくて、ここが「率川神社」なのでした。よく見ると灯籠の足には「率川社」と彫られています。ついつい「率川神社」といわれると本子守町の率川神社(大神神社摂社)のイメージがこびりついているので、「あちらから門だけ移設した」と思いこんでいたのでした。 例祭は9月1日だそうで、祭神は「コトシロヌシ」だそうです。あっちの率川神社ではなくて御霊神社さんが祭礼は執行されているとのこと。但し、山田熊夫先生の「奈良町風土記」によれば、「坊目拙解」で村井古道は「飛鳥神並神社」であるとして率川神社と称することに疑問を呈しているようです。門の「額」が何も書かれていないことについて、ご近所の話では「以前は行列のようなものを描いていたが、消えたのか亡くなったのか」といわれていました。ところで、景観形成建築物指定書の「背景」みたいに使われている「絵」は、いったい何なんでしょう。「祭」の文字や、仏さんらしき絵が見えるのですが。なぞです。
2011.05.22
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入江さん「古都の暮らし・人」の図録 奈良市写真美術館で、平成17年の1月から3月にかけて「古都の暮らし・人」という題で行われた昭和20~30年代の写真の展示会の際に発行されたもので、たぶん今も在庫があるでしょう。 展示会では東大寺の筒井さんなどが撮られた写真も出品され、「懐かしさ」に身悶えした方も多かったと思われます。図録には館所有の入江さんの写真だけが収められています。で、ほとんどの場所は「これ、あそこや」と判るのですが、記憶にないのが、この写真の「悲田院遊場」というところです。同じページには、陰陽町の市に寄贈された松矢邸もしくはその西側の写真、そして一つ前のページには、陰陽町の坂の登り口と、中街道からおしろい地蔵の十念寺へ下る道が写っています。これらのどの写真にも、小さな子供が写っていて、「悲田院遊場」ではおばあちゃんらしき人も見えています。でも「遊場」ってなんだったんでしょう。 ナゾのまま古い住宅地図を見ると、南城戸町の銭湯「稲妻温泉」ととなりの仏壇屋の裏あたりに「悲田院」の文字を見つけました。どうやら、永らく「ならまち郷土館・建設予定地」となっているところが、その悲田院のあったところらしい。そもそも「悲田院」をググッて見ると「貧窮者や孤児の救済施設」というのが出てきますが、奈良町の「悲田院」というのは、残念ながらよくわかりません。 上の写真は以前に撮ったものですが、先日、たまたま隣接地の建物の作業か何かで、柵が開いて車が入っていました。入ってみると、たしかにここが「悲田院」の跡でした。 あの写真のイメージよりもかなり広いですね。むこうの高くなっているところは、鳴川町になりますが、ここでふり返るとこんな建物がありました。「悲田院地蔵堂」と書いてあります。 そして、その前の写真にチラッと写っていますが、右手には、石がかためて置かれていますが、よくみると墓石とか石仏らしきものや、石塔の一部のようなものもあります。 もう少し先へ入ってみると、左手に陰陽町の方へ上がれる階段が見えます。そしてその次の写真は、陰陽町の側から悲田院跡地を見た様子です。右手のベージュ色が銭湯の奥にあるアパートの建物。正面の建物の向うに、中街道沿いの駐車場から「音声館」へ抜ける道、その向うの高い瓦屋根は、徳融寺さんでしょうか。 この階段のそばにあるのは、ちょっと可愛い二軒続きの棟割り長屋です。悲田院側から見えていたのは、この建物の裏側なのですが、日本家屋なのに色瓦が似合いますね。別の角度からの写真には、高御門町西光院の墓地が写っています。 この先の角を曲がると、乾家の長い塀の先に陰陽町の坂の通りが見えてきます。 で、けっきょく「ならまち郷土館」というのはどうなっているのでしょう。全く動きがないまま、いわゆる「塩漬け土地」になっているようです。近隣で何か工事があったりしたら、資材置き場とかに使われたりしているようですが、何とももったいない。近鉄奈良駅にあった「なら奈良館」が閉鎖となり、あの精密な奈良町の模型(一軒一軒の建物を復元)の行き場が懸念されていたり、「ならまちセンター」の青田家模型(清水通の旧家です)が持て余されていたりと、「ならまち郷土館」の必要性も高まっているかも知れません。しかし、あの写真の「遊場」というのが気になります。なんらかの施設は設けるにしても、せっかく陰陽町とつながっていて、これだけの広場になっているのに、もっとあの写真のような「子どもたち」が主役の場にできないものか。「音声館」も近くにあるのに関連施設にできないのだろうか。もちろん、下手に児童公園にしても一定の開放性、常時看守が確保されないとあの「下三条町東街区公園」の二の舞になってしまいます。陰陽町では、鎮宅霊符神社の西隣の「松矢邸」が奈良市に寄贈されたことで、「からくり」に関連した施設として活用しようという動きも出ています。あの「霊符さん」の可愛い狛犬ももっと知られてほしいですね。 元興寺絡みの、いわゆる「ならまち」のエリアからは少し離れているものの、陰陽町の通りは「平城京四条大路」の名残りの通りです。だから、元興寺に「高御門」という門が作られ現在の高御門町となった。 先に紹介した「鎮宅霊符神社」なども含めて、中街道のこのあたりは奈良町の大きな核となる要素を持っているはずです。いわば「悪所」であった木辻遊郭跡や、北京終あたりに残る立派な町家、そして明治建築の京終駅など、奈良町エリアの南西部を総合的に掘り起こすことで、いわゆる「ならまち」をもっと幅の広いゆたかなエリアとして売り出していけるのではないかと思います。
2011.05.21
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かつての流通メインロード「中街道」の町家です。今回は「登録」のあるものを紹介します。 東城戸町の故井田(上村)康子先生宅です。先生は奈良女子大附属中高の教官のあと佐保短大でも高村光太郎や源氏物語などの研究・教育に精励されました。直接の血縁がなかったようで、生前からその資産を地域に寄贈されてきました。東城戸「大国社」の拝殿や東大寺二月堂北側の手水所、さらに佐保短大「井田康子賞」奨学基金などに名前が残っています。この自宅についても「自身の死後は奈良市に寄付する」ということで、文化庁の「登録有形文化財」のプレートが取り付けられていました。ところが、この写真を撮影した今年1月には、あったはずのプレートがみあたりません。先生の遺志があったとはいえ、何らかの処分がされるのではと危惧されていました。 しかし今日、前を通った時に撮影したのが下の写真です。プレートが復活しています。やれやれ。もう一つ、近くの松寿堂さんの前を通ると、こんなディスプレイがされていました。 「ならまちまちかど博物館」ということだそうです。ちょっと写真だと格子で見にくいのですが。次に、「ならまち大通り」を渡った先、南城戸町の二軒も紹介します。 「和ロウソク」の製造販売を行っていたという「細川家」の建物は県指定の文化財。 そして細川家の隠居部屋として作られたというのが、お隣の「森家」でこちらは奈良市指定文化財。 こちらの当主は、先の松寿堂さんとは先々代同士がご兄弟だそうです。美しく修復されたのをそのままにするのはもったいないと、このところ土曜日曜には公開して来客にお茶を出したりされています。入ってすぐの「みせの間」は、茶室風の造りで、網代天井がみごとです。ちなみにこのお向かいのアパートの一室には「五想庵」というデザイナーさんのプライベートギャラリー(こちらも土日にオープン)があったりして、新旧のデザインを楽しむことができます。今回は「登録」されたものだけですが、その他にも、趣のある町家が中街道周辺にはたくさんあります。元興寺周辺のいわゆる「ならまち」だけではない奈良の町の面白さを感じていただければと思います。 追記)井田邸は、売却予定かと。 その後、井田邸の経緯について周辺から事情を聞きました。自宅については、生前、奈良市ではなくて「奈良まちづくりセンター」におまかせしますという話だったそうです。事情のわかった弁護士さんもついていたそうですが、最晩年は周囲とのコミュニケーションも困難となり、解任されて別の方が付いたらしく、「まちづくりセンター」もそれ以上関われなくなった。そして「通院等の駐車場に」ということで、奥の西側で接する敷地を買収して更地にした。(寺林からの東西の通りに面する) しかし、結局、現在転売を検討されているらしいと。一時、「登録有形文化財」の指定を解除するにはどうしたらいいのかという相談もでていたということです。ということで、プレートは戻ったものの、今後の動向は予断を許しません。 以前は、井田先生のいとこにあたる方たちが面倒を見られていたそうですが、現在どうなっているのか、そこまで突っ込んで訊いた方はないようです。裏の敷地がかなり広くありますので、できればそちらにマンションなどを建てるにしても、街道側は現状を維持もしくは整備してほしいものです。
2011.05.17
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1300年祭のあと三条通りの工事も再開。少し古い2月の写真ですが、下三条町付近は、拡幅がほぼ完了。 ただ街路の上の施設はまだこれからですね。シラカシの植樹が進んできていますが、今後、電柱の地下埋設や歩車道分離のためのボラードなどが予定されています。次の「絵」は完成予想の一つですが、今後いろいろと変更はあるかもしれません。 そして、この三条通りのキャラクターとして商店街が採用したのがこちらです。以前に写真を紹介した「シカの白ちゃん」がこんなイラストになりました。 1000点近い中から選ばれたポイントは、交通安全・青信号の「目」だそうです。そして手足の先は注意の黄色信号のイメージも。 一方、JR奈良駅近くの方は、同じ2月ごろはこんな感じでした。 左のもと「マクドナルド」ととなりの「島岡洋品店」さんは、現在建物が撤去されてこんな感じ。 島岡さん宅の奥には、ずいぶんと立派な木が植わっていたのですね。そしてとなりの建物には、「みむろ最中」白玉屋さんの仮店ができてます。 ただ、このあたりで一番の問題は、上の写真中央にみえる南都銀行やスーパーホテルの入っている「旧いろはビル」のことです。この建物は、旧24号線=県道奈良橿原線の拡幅予定地にもかかっています。三条通側のセットバックと、県道側のセットバックと両方をやらねばなりません。ようやく県の事業も動き出したそうで、やっとJR奈良駅と三条通りとの「見通し」がよくなりそうですが、さて、いつ頃になるのか。一説では、ビルが古いので丸ごと解体新築するのだという話もあります。
2011.05.17
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やっぱりこうなったら現地確認ということで、県文化会館の裏へやってきました。 これが現在のNHK奈良放送局(放送会館)ですが、「古くて小さい映画館」の跡地としては大きすぎるような気もしますね。ここが「鍋屋町27番地」です。鋳物工場ということで調べると、「山中鋳造所 鍋屋町22番地」というのが検索でかかり、電話番号も出ますが、地図には全く出てきません。(GoogleMapだと駐車場) 電話帳のデータだけがのこっているのでしょうか。「NHKのところにあった鋳物工場は、小学生の社会見学などもあった」という話ですから、それなりの広さもあったのでしょう。奈良町の昔話でおなじみの増尾正子さんもNHKのある場所は「大きな鉄工所だった」と書かれています。 さて「今のNHKのもう一本裏」ということになると、昭和40年代の奈良を知る人間にとってはピンと来る建物があります。それこそ「いつ壊れてもおかしくない」ような建物ですが、一癖ありそうなテナントや住人で記憶に残るのがこの「半田アパート」です。 そもそもアパートといいながら、南側に洗濯物を干すような設備もなさそう。中街道の旧錦市場と似たような臭いがします。あちらの方も、元は劇場だったという話もあります。 そもそも、この中途半端な敷地面積が「古い小さな劇場」ぽいような気がします。 いずれ「きたまち」に詳しい方が決着させて下さることでしょう。追記)意外と早く結論がでました。 どうも正解は、このあたりらしいです。 NHKのすぐ東の通りで、県庁の西側から北へきたところ。手前が半田アパートのある交差点になります。(道が狭いので、なかなか写真が撮りにくいです)中央にあるのが産経新聞の奈良支局、駐車場、小さく見える瓦屋根の民家、そしてちょっと洒落たマンションと続きます。「電気館」があったのは、この家並みの一部だったようですが、その名残となるような建物の痕跡は見あたりません。実は「電気館」は、もともと芝居小屋だったようで、そのとなりに銭湯があり、白塗りの「女形」さんが男湯に入ってきて男の子がビックリしたという話が伝わっているそうです。木辻方面でも、もと劇場や映画館と思われるところがいくつかありますが、今回はこのぐらいにしておきます。ともかく、奈良の街の中に近年閉鎖となった三ヶ所(友楽の東西、観光会館地下)以外にも、多くの映画館があったということは記憶に残しておきたいところです。テレビやビデオの時代について行けなかったといえばそれまでですが、今は逆にテレビがネットでの画像・動画配信の時代について行けなくなっている状況が生まれてきているのではないでしょうか。
2011.05.12
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奈良の町に映画館がなくなってしまいました。友楽の二つの建物や、東向の「観光会館地下劇場」などが最後でした。 そこで、その三ヶ所以外で、かつて映画館のあったところを集めてみました。 まずはここ。「友楽座」があったところは、奈良銀行本店(の右半分)になりました。 そして「セントラル劇場」(洋画と東宝系?)があったのは今の「奈良市場」の敷地。たしか「潜水艦イ57降伏せず」は、オヤジに連れられてここでみたような気がする。 ここは花芝町の「プラザ花芝」ですが、ここに「南都日活」がありました。 サンルート奈良は、もとは「尾花座」もしくは「尾花劇場」でした。たしか「松竹」系だったと思いますが、晩年は「ブレイジングサドル」などちょっとマイナーな洋画で楽しませてもらいました。 南市町の駐車場になっているところは「中央映劇」の場所。戦争物やアクション系の洋画がかかっていたような。 で、その向いにあったのが「スターミュージック」 でした。ヌードショーの小屋ですが映画の上映もしていたはず。河瀬監督の映画「火垂」にも主人公の仕事場として登場しましたが、今は建替えられておしゃれなカフェになっています。(意外と狭かったのですね) 私の記憶にはっきり残っているのは、これらだけですが、たしか木辻だか綿町だかにも映画館はあったはず。キャバレーになったのか市場になったのかわかりませんが、当時のあのあたりはそういう歓楽街的要素が残っていたのではと思います。かつては銭湯の脱衣所は、さながら映画館の宣伝場で、市内各所のさまざまな映画館で上映されるポスターが掲示されていました。今から思えば子供にはかなり刺激の強いものもありましたが、別にうるさくとがめる人もなかったように思います。時代の流れとはいえ、やはり一ヶ所ぐらいは映画館があっても良いのではと思います。
2011.05.10
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菊岡漢方の看板の写真です。 こちらは表にかかげられているもので「鹿」の絵 で、こちらが調剤室に掛けられている「兎」の絵のものです。 どちらも、ずいぶんと細かく陀羅尼助の効能について描かれていますね。蔵馬のおじさんこと大久保先生の話だと、この菊岡さんの看板からあと、あちこちのお店で蔵馬工房の看板が使われるようになったとか。たしかに、実用に耐えるものですね。
2011.05.10
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休日の「ならまち」でときに見られる光景です。中新屋町の「はり新」をすぎてしばらくの左側、休日にこんなお店が出ていることがあります。「鞍馬」じゃなくて「蔵馬工房」さん。京都が本拠地の「蔵馬のおっちゃん」が、とっても楽しい板絵を注文に応じて描いたり、輪切りの木ぎれに描いたアクセサリーを販売したりしています。右手のふり返って「なにか」とうそぶく太い猫は「小沢さん」のイメージか。となりの「ちょいと仕事に出掛けてます」というのはドロボウ猫。左手の方では「節電節水中」と洗濯板でお洗濯のニャンコがいる。「おっちゃん」こと大久保先生曰く、タヌキもネコも同じように描いてるんやけど、なんでかネコばっかり売れる。信楽のタヌキはみな買うてるのになんでやろ。中新屋の通りにはもと「桶辰」という風呂桶などの職人のお店があって、閉店後ちょっと味のある板切れが供給されたという条件があったのかどうか、この近辺のお店には大久保先生が板切れに描いた作品というか看板がずいぶんとみられます。以下「蔵馬工房の看板」オンパレードでよろしく。(看板普及のきっかけとなった菊岡漢方の看板は別の機会に) さて、他所の店の看板をタダで映すだけでは申し訳がないですね。ワタシが買い求めたのも出しておかないと。なぜか同じネコのバリエーションが二つなのですが、どうもこの太さが、自分のお腹を見透かされているみたいで、つい買い求めてしまうのです。 とにかく、この蔵馬工房さんがきっかけとなって、奈良町の看板に、木の板に書いたものがが当たり前になったような気がするのですが、ちがいますかね。
2011.05.08
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三条通の二つの物件に動きが出ています。 上三条町の「旧りそな銀行新奈良営業部」の建物が、解体作業にかかっているようです。もとの「協和銀行奈良支店」でしたが、協和埼玉銀行>あさひ銀行を経て、りそな銀行奈良支店となり、奈良銀行(旧三栄相互銀行)との合併によって「りそな銀行新奈良営業部」となりましたが、JR奈良駅前への移転により空きビルとなっていました。下が、営業中の「りそな新奈良営業部」時代の写真です。 りそな銀行関係では、三条通にもう一件、旧奈良銀行の本店の敷地もあります。 こちらは、あらかたの建物は解体済みですが、会議室など一部が残っています。(民家のようなのはオーナーだった野村家の建物なのでしょうか?) こちらの写真は少し前のものですが、現在、地質調査のためのボーリング装置が持ち込まれています。 どちらも、この春までりそな銀行の所有のままでしたが、2月ごろまでに入札が行われ3月末までには売却の手続きが済んだようです。やはり国の公的資金が入っているのを返却する資金の一部にということだったのでしょうか。 売却先ですが、旧協和の方については、奥で隣接する「浄教寺」さんが購入したようです。街路事業が進行するなかで、お寺の駐車場などとして使っている敷地を市に売却することになって、その代替として使用するために購入されたようです。もちろん駐車場だけでなしに信徒会館のような建物も設置されるのではないかと思われます。(一時は、三条通に面して墓地ができるのではと心配もされました。)一方、旧奈良銀行本店敷地の方は、最終的にダイワハウス関係の会社が購入したようです。マンションということになる可能性が高そうですが、地質調査が終わらないと具体的な計画は出てこないと思われます。こちらも友楽あと同様に、商店街の大事なポイントとなる場所ですから、その利用計画如何によっては、地元からの意見がいろいろとあがることは必至と思われます。
2011.05.07
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平城京天平祭は、5日が最終でした。久々の平城宮跡ステージにまんとくんたちが出ると聞いて、行ってきました。 「おーい、まんとくん」手を振ってくれてます。 「しぎとらくん」「せんとくん」(その陰に蓮花ちゃん)「古代ちゃん」「ネッピー」「まんとくん」、そして右端は群馬県の「ぐんまちゃん」です。 中学2年生のアイドル「万葉シャオニャン」と一緒に踊ります。 午後の部を前に、グリーティングからお帰りのゆるキャラたち。「ぐんまちゃん」は関東の風評被害を跳ね返すために奈良にやってきました。 この日は「ならB級グルメ決定戦」も行われました。 天気も良くて、前半のころと比べると大にぎわいでした。 ちなみにB級グルメ決定戦は、シャモ肉入りの「焼きそうめん」が優勝したそうですが、写真のような行列でしたので私は参戦は遠慮しておきました。
2011.05.05
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このGWの県による交通対策は主に二つ。1)パークアンドバスライド(北=奈良坂、西=中町、南=天理白川の三ヶ所の郊外駐車場)と、2)奈良公園~平城宮跡の周遊バス&奈良公園ぐるっとバスの運行ですね。このところ、県では奈良公園の交通対策について説明会を開催しているのですが、なぜか奈良市の中心からはいささか外れた会場での夜間開催ということで、出席する機会がありませんでした。(若草山・大仏殿周辺と、高畑・飛鳥地区が直接の影響はわかるのですが、なぜ中部公民館ではなくて100年会館なのでしょう。)それと、ぐるっとバス運行期間に合わせて「木簡型一日フリー乗車券」も400円で販売しているのですが、この通用範囲がなかなかのお値打ちです。市内200円均一区間のみならず、浄瑠璃寺、西の京、秋篠寺までって、ちょっとサービスしすぎの気もしますが、奈良市内へ来た以上クルマを使わせないぞ!という断固たる姿勢は感じられます。ということで、その大きな武器として今回使われているのが、県庁そのもの。これまでも屋上の整備・開放などを行ってきましたが、今回は県庁を奈良公園エリアのバスターミナルとして活用しています。 平城宮跡への周遊バス(200円)がこちら 県庁舎の前庭がシャトルバスのターミナルに そして奈良公園ぐるっとバスの案内です。 県庁舎玄関には、バスを待つ客のためにイスとテーブルのセットが何組か置かれています。さらに、守衛さんが「屋上からの展望」もお勧めしてくれます。まさに県庁舎丸ごと「観光拠点」にしようという意気込みが感じられます。実際に「ぐるっとバス」乗ってみました。ちょうど、東行き(県庁東>大仏前)は渋滞中でしたので、乗ろうとすると「いま渋滞して時間がかかりますがよろしいですか」という確認がかかりました。 出てすぐの県庁東交差点、京都方面は「左折可」で流れていきます。 大仏前交差点、二つの写真の間でまるまる10分かかってます。 今回のバスの停留所は、通常の奈良交通路線バスと重なるところもありますが、独自の名前が付けられています。(奈良交通の場合、近くにある他の停留所との区別で、かなりややこしい名前だが、今回の停留所名は単刀直入で判りやすい。) ・奈良公園前(県庁前) 通常は「県庁前」 ・国立博物館 〃「氷室神社・国立博物館」(外回り) ・東大寺(往き) 〃「東大寺大仏殿」(東行き) ・手向山八幡宮・二月堂前 若草山麓の道路の北西端です。 ・若草山麓 春日大社からの階段上がったところ。 ・春日大社 「春日大社本殿」春日大社の駐車場 ・東大寺(復り) 「大仏殿春日大社前」(外回り) ・浮見堂 鷺池の南西端の三叉路 こんな感じで、ぐるっとバス用の標識が立っていて、ほとんどの場所には、アンケートなどを持ったスタッフが配置されて乗客に説明したりしています。ルートのうち、手向山~若草山麓~水谷橋の間の土産物店街では歩行者との接触防止のために、スタッフがバスの前を歩いて「露払い」をします。また浮見堂停留所からしばらくの間の公園道路でも「露払い」が行われていましたし、天理街道への合流(信号無し)ではガードマンが誘導していました。 車内の電光表示も、独自の停留所名「春日大社」になっています。見た感じ乗車が多かったのは、「若草山麓」「春日大社」「東大寺」でしょうか。「博物館前」では渋滞中でしたから乗客はありませんでした。「浮見堂」も終点近いこともあって乗車はなかったようです。 乗ってくる人の半分ぐらいは、首から「木簡型一日フリー乗車券」を提げていました。(結構大きいので運転手さんも確認しやすそうです) 私自身、よそへ行ってあちこち見たい時は、やはりバスや路面電車など「フリー乗車券」を使うことが多いですね。小銭の出し入れで余所者が地元客の邪魔をすることもないし、「お得」ですし。今回の「奈良公園ぐるっとバス」の課題はこんな感じでしょうか。 1)なんといっても、県庁東~大仏前の渋滞が問題。いっそ逆回りで県庁東右折>浮見堂>大仏前>若草山のルートを先にする方法も。2)フリー乗車券、5000枚限定というアナウンスは必要ないのでは。便利だしもっと気楽に買ってもらえるようにしたほうがいい。(県の補助金予算の関係があるとすれば、西の京、浄瑠璃寺は「オプション」扱いとか) 3)今回、平日の5/2、5/6も「県庁前ターミナル」が稼働しているが、秋のシーズンなどにどうするか。県への賓客などがあれば、玄関で迎えることが必要になる。4)県の事業としてやっているので、多くの「人手」を使っているが、採算性の点で問題だろう。スリムな形で、継続的な運行ができるための工夫が必要。「先走り」はどうしても必要なのかどうか。 5)運行の定時性確保に、短い区間での運用は効果的だが、公園と奈良町とを結びつけるようなルートも必要ではないか。また、一方通行でもよいが「通し」の循環も可能にすればどうだろう。(浮見堂から乗って、県庁を過ぎて東大寺など) 平城宮跡周遊は、5/8までですが、奈良公園バスの方は5月中の土日の運行が続きます。(フリー乗車券も同じ)せっかくの意欲的な取り組みですので、良い成果が出てほしいものです。
2011.05.04
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大阪市立美術館です。 6月5日まで開催の歌川国芳展に行ってきました。 ツイッターで「4時間近くいた」 なんていうのを見て、うそやろ、そんなアホなことないやろと思い、とはいえやはり早めにと思って入場が午後2時頃でした。で、すみませんnakaさん疑ってごめんなさい、マジで4時間かかりますね。実際には、「あと30分で閉館です」といわれた時点で「残りまだ60点ほどありますので」という状況。3時間ではとても足りませんでした。もうシーツひろげて閉店状態のミュージアムショップで、ひったくるように図録を買い求め、「あ、双六見てない」と駆け戻り、息弾ませて表に出てきました。少し公園で休憩をと思うまもなく「閉園します」というアナウンスで、新世界へ向かいました。いやー、しかし面白かった。 「絵画」でもなくて、「イラスト」のような「アニメ」のような、ウィットに富んでいて、いうなら「紙に描かれた上質の落語」みたいなもんでしょうか。とにかく「絵を見る」だけじゃなしに、武者の名前とか、詞書きもできるだけ読みたいと思うので、ついつい時間がかかる。それに、どこかにパロディが隠れているのではと油断できない思いで見ているので、ヒマがかかりますねえ。(二ヶ所ほど途中で休憩する場所がありましたけど)今回は「前期」ということで5月8日まで、10日から後期なんだそうですが全出展作品421点で、通しの展示はわずかに20点あまり。つまり、200点の展示を二回やるようなもんです。まあ、版画なのでサイズがそんなに大きくない(だから余計に数が増えて時間がかかる)わけですが、その分、図録のボリュームも半端じゃないです。わが家にある分でいうと、奈良博の「神仏習合」、京博の「河鍋暁斎」「大絵巻展」などに匹敵しますね。ホントは、猫モノのクリアファイルなんかも買いたかったんだけど時間切れでした。 さて、もう一度行って「後期」を見るかどうか、ちょっと考えてみよう。
2011.05.02
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今年は「平城京天平祭」4/29~5/5になりました。これまで「平城遷都祭」(ならせんとさい)として、毎年この時期に行われていたものですが、平城遷都1300年祭がおわったことで、名前が変わりました。 もともと平城遷都祭は、奈良市の「ならまつり」として朱雀門周辺で行われてきたもので、一昨年は建築中の大極殿に近いエリアで行われ、昨年は1300年祭平城宮跡会場での行事の一部として組み込んで行われました。昨年の「東市西市」は朱雀門前広場が会場でした。 ステージは、大極殿前の一ヶ所です。佐伯門側から東市西市の会場を見ると桜の花越しに大極殿が見えます。 大和のうまいものの店が並ぶ「東市西市」 東市西市ものづくり体験では、凧や瓦、竹細工などのコーナーが(作った凧を揚げて楽しむ姿もありました) 会場内では遊歩道の柵が整備されてきています。 エントランス広場の建物はなくなっていますが、久々にシャトルバスの姿が見られました。今回の交通システムは、イベントが5日で終了後も5月8日まで以下のように続けられます。1) 奈良県庁~近鉄奈良~JR奈良(西口)~平城宮跡の直通シャトルバス(200円)を、9:00~18:00の間、20分間隔で運行。2) 奈良阪、中町との間でパークアンドバスライドのシャトルバス(無料)を運行。天理(白川池)へは帰りのみシャトルバスを運行。(駐車料は500円) 3) 平城宮跡の駐車場は、期間中身障者など専用として、一般車は駐車できない。今回、公園・駅と平城宮跡との直通有料バスというのは、初めてかと思いますが、けっこう乗っている方が多くほぼ満員状態での運行だったようです。歴史館&遣唐使船が23日から再開したこともあって、観光のポイントとしての平城宮跡が定着していくのではないかと思われます。 ただ、東市西市の屋台の売り上げは思うようには上がっていないようです。昨年のように、最初から「何かお金を使おう」というお客様はそう多くないようです。
2011.05.01
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