全4件 (4件中 1-4件目)
1
気がつけばもう年の瀬。 「あらまぁ、いったい何をしてきたのだろう?」って、あっという間に1年が過ぎてしまったことに、いつもながら愕然とする。でも、改めて振り返ると、今年は刺激の多い年だった。 インド放浪という貴重な体験と、湘南へ引越してからの生活。これは物理的に、かつ精神的に大きく変化をもたらした今年の2大イベント。 ヨガと瞑想を通して見えてきた自身の変化は、インド・マイソールでのヨガ修行、Sun&Moonという非常にスピリチュアリティに重きをおくヨガスタジオ主催のTTC(Teacher Training Course =指導者養成コース)を受けたこと、毎日の朝練で培い大発展を遂げた集中力、クラニオ・セイクラルとの出会いと実践、ポーズだけでないヨガを教えるという経験、そして先週終えた陰ヨガのTTC体験などから、沢山の影響を受けてきた。 先々週にヨガで怪我をしてリハビリに突入。同時に陰ヨガという、これまで私が毎日実践しているアシュタンガヨガの対極にあるヨガのTTCがスタート。おかげでココロもカラダもリセットできて、新たな方向性がはっきり見えてきた。 会社は早々に冬休みに入っちゃったけど(TTCもあったので)、双方の希望をキチンと話し合った上で、来年1年間の契約更新も決定したので、年が明けたら、また頑張ります。 新たに出会った人達、貴重な時を共に過ごした人達、ほんの一瞬であっても深い繋がりを持てた人達、一緒にいることがあっても繋がりを切ってしまった人達、実際に会えなくても繋がっている人達、死別してしまったけど永遠に繋がっていられる人達・・・本当に沢山の出会いと別れがありました。それは、物理的に捉えるのか、魂レベルで捕らえるのか、で変わってくるけれど、でも根本では時空を超えて皆繋がっているんだ、という確信が強くなった年だった。 基本はハートの部分。ここがちゃんとシッカリしてれば、大抵のことは大丈夫。国籍も文化も関係ない。恐怖や保身のために線引きをする必要など、まったくない。ノー・ジャッジメント。Life can be so simple 私たちがそう望めば。 クリスマスにはローストチキンをメインとした、英国風クリスマスディナーを作るのがしきたり(!)なのだが、ここ2年はダンナさんと一緒にクリスマスを迎えてこなかったので、本当にこれは久々のイベントです。だって、私、いまやベジタリアン!でもね、変なこだわりは全然ないので、せっかく私達ニンゲン様のために犠牲となった鶏さんを供養する意味でも、ちゃんと食べましたよ。2年ぶりの肉(いや、昨年フィリピンでと殺されたばかりの豚を食べました)は、食べた途端に体の中で強力なエネルギーに変わるのが凄かった!食べてる最中からカラダがポカポカ暖かくなって、2日くらいは「いつもと違う元気さ」が体内に漲ってました。これが動物性たんぱく質なんだなー、って、改めてビックリした。 皇居周辺は子供のころからの遊び場だったのと、今でも神保町絡みでよく徘徊してるので、私の故郷みたいな場所だ。こないだ寄り道してたら、クリスマスも過ぎてたのに、なんかやたらとライトアップされててキレイだった。 でも休みのたびに、太陽がゆっくりと落ちてゆく海岸を、ぼーっと眺める贅沢にまさるものはない。ああ、ここが、私の第二の故郷なんだなぁ。 さきおとついに陰ヨガのTTCを終了。たくさんの発見、と気づきで、心身ともに大掃除がなされた気分。 おとついは年内最後のマイソールクラス・・・でスタジオが水漏れ水浸し!になるというアクシデントに見舞われ、会社の年内最終出勤を終え、ひと段落~。 昨日は普段は行かないレッドクラスに参加後、1年間お世話になったスタジオの大掃除。それから先生や生徒さん達と一緒に朝食。それから、お母さんとランチ。それから、ダンナさんとデート。 今日は長谷のマイソールでサクッとリハビリヨガをしてから、さーて大掃除!である。大きな窓の外は、キレイな青空が広がっていて気持ちいい! 明日の大晦日は、奥武蔵の山中にある竹寺というところで、年内最後のアシュタンガヨガをやります。これは1泊2日の企画なのだけど、私は日帰りで参加。1年間の感謝の気持ちをこめて、ちょっぴり厳かな気持ちで、楽しんできたいと思ってます。 そんなこんなで、あら、やっぱりヨガづくしの1年でしたね~(笑) でれでは、みなさま、良いお年をお迎えください。 Om, Shanti, shanti, shanti
2007.12.30
コメント(0)
なんか最近、知人友人から 「こないだアナタの夢を見て・・・」 と言われることが立て続けにあった。 そして、その大半において 「あんまりヨロシクナイ状態の私」 が彼等・彼女等の夢の中にいたらしい。 たとえば、突然ぶっ倒れて昏睡している私、とか。 たとえば、すぐ隣にいるのに顔が見えない私、とか。 たとえば、ただそこでジッと静かにたたずんで見守っている私、とか。 たとえば、山の上の崖っぷちからポーンとジャンプして消えていく私、とか。 そういった夢を見たよ、と伝えてくれる彼等・彼女等は口を揃えて 「なんか判んないけど、気をつけてね~」と励ましてくれる。 しかし、私は一体なにをどのように気をつければ良いのでしょうか? というか、なんか私自身も、普通に道を歩いてて 「ああ、世界が遠いなあ」 なんてヘンテコな違和感に弄ばれる今日この頃。 ひょっとして死期が迫ってる? とか、物騒な滅相もないイラぬこと考えちゃったりして・・・。 でも、別に「今・lここ」で私の今生が終結を迎えちゃったとしても それはそれでオッケーだけどなー ってのが正直なところ。 むしろ私の人生は その瞬間を待ちわびる「死への憧憬」が ずーっとあったような気さえする。 すみません、縁起でもないですね。
2007.12.20
コメント(2)
さて今やどこの本屋に行っても目に付く、岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」から、私が何を得たか?というと・・・ *デブは、デブであるためにとてつもない努力をし続けている=必要以上に食べ続けている努力だ *フツーに身体の声を聞き、自然な食欲のリズム~空腹や満腹に忠実であれば、人間の身体はデブになるようにはできていない という、この2点につきる。 ごくごくフツーの当たり前のことだけど、これまで私はまったく理解してなかった事実なので、なにをいまさらイスラエルだけど、人生の大半を棒に振った「デブである」という根の深い問題解決の突破口なるかー?とちょっとコーフンしてきた。 つまり私的に解釈すると・・・ 食べることに対して頭や感情による「満足」「不満足」が拠り所になっているので、感覚が鈍化し肉体的な「空腹」や「満腹」が感じ取れない。だから、沢山食べて胃腸が満腹であっても、感情的「飢餓感」にコントロールされてしまい、満腹なことに気づかない・・・つまり、身体の声が聞こえていない状態。口寂しいから、とか、残すのがもったいないから、とか、帳尻が合わないから、とか、今食べておかないと・・・、とかいう理由による食事もしかり。マインドで食べているっていう、それだけのこと。 うーん、そうですね。これ、私です。 まずは、自分がどれだけ食べているのかを、正直に記録してみれば、この事実は否が応でも証明されるとのこと。「食べてないのに太ってる~」と文句たれてるおバカちゃんは、これで大発見をするらしい。どれどれ・・・私もちょっと記録をつけてみた、あら~、ギョッギョッギョーである。本当だ、デブであるということは、必要以上に食べているのだ~! 朝5時:起床 7時半~9時半:ヨガ練習 10時:通勤途中でキャラメルフラペチーノ(夏場)・キャラメルマキアート(冬場) 11時:朝食がわりの間食@オフィス マフィンとかドーナッツとかシュガートーストとかの甘食系×2個 ブルーベリーヨーグルト りんご・なし・柿・みかん・バナナのいずれか(季節による) 14時:手作りランチ@オフィス 玄米のおにぎり×1個(ただしかなりデカイ) 蒸し野菜(カリフラワー・ブロッコリー・ごぼう・かぶ・人参とかが多い)&ゴマ系ドレッシング りんご・なし・柿・みかん・バナナのいずれか(季節による) インスタントの無添加お吸い物 15時~18時の間:間食@オフィス チョコレートとかクッキーとか甘いおやつ ナッツは常にポリポリ食べてる ドライフルーツ(マンゴ・イチジク・プルーンなどがお気に入りの模様) 豆乳カプチーノとか、メープルミルクティとか、ココアとか たまにはアイスクリームも食している 差し入れのお菓子が多い職場なので、回ってくれば全て残さずいただく 19時~21時:帰路 夕食は食べないから、という言い訳の元、あんまり空腹にならないようキヨスクでお菓子を買って食べながら帰る(ドライマンゴとかベルギーワッフルとかショートブレッドとか輸入系お菓子が多い・・・なんで新宿駅構内に「成城石井」とかあるのだー?) 2日間記録をつけただけで、嫌になりました。1日平気で3000kcalくらい摂取してます。その殆んどは間食です。自分の認識では、ランチしか食べてないと思ってましたが、オフィスに居る間ずっと食べ続けていました。特にナッツは、肉も魚も卵も食べないから貴重なたんぱく質源として、沢山食べており、これはものすごいカロリーです。 なんで、私はデブなんだろう?の答えが出ました=太る分だけ不必要に食べてるからです! それも、本当に胃腸が空腹だから食べているのではなく、マインドや感情で食べているのです! 「私、あんまり食べてないのに、なんでデブなんだろう」なんて、もう金輪際言えませんね(笑) ヨギの胃袋は「1/2食物・1/4水・1/4空気」と言うじゃないですか?それが、私の場合、胃のキャパ+50%増量でもまだ飢餓感を感じてる、っていう・・・。 食べる=何のために?心を満たすために?なんで? 私は今、本当に空腹なのかな? まだ口をもぐもぐさせているけど、本当はとっくに満腹なのではないかな? この「食べたい」っていう欲求は、どこから来ているのだろう? 瞑想などで、自分の感覚には敏感になっていたと思ってたけど、こと食欲に関しては無法地帯もいいところ。正直、「空腹」「満腹」をカラダで感じられない。だって、それはいつもマインドからの声だったから。誤魔化すように、いつも緊張しているマニピュラチャクラのあたりを麻痺させるために、モノを詰め込んできたみたいだ。 マイクロダイエットとか、他の安易なダイエットは、やめとこう。まずは自分の自然な「空腹・満腹」を感じるようになろう。何か問題があるのなら、そこにちゃんと立ち向かおう。そこからスタートだ。食べる、という行為を義務や代償行為にしないように、きちんと味わって、マインドフルになってみよう。一口一口が、どれだけの深みを持って、自分のカラダという宇宙で、どのように代謝され廻って還ってゆくのか。これまで気づきもしなかったことだけど、ちゃんと見つめてみよう。そんな、静かな決意が生まれてきた。 1ヶ月2ヶ月で痩せようとか、体型をどうこうしようとか、それは無意味になってきた。今の自分のカラダは、今の自分そのものを現しているにすぎない。根っこの腐った植木の、花の部分だけ美しく着色しようとしても、それは一時的な嘘っぱちでしかない。 なんらかの理由があり私はずっとデブであった(今もだけど)。最近になってヨガを始めて、体型が邪魔になってきた。だから今回のような形でその要因を振り返ることができた。きっと先は長いけど軌道修正の一歩が踏み出せたのかな?って、ちょっとだけいい気分であります。
2007.12.05
コメント(0)
先日ダイエットしてやるー!と衝動的に書いた日記に対して、「なに言ってんだい、痩せたきゃ喰うな!」と一喝されるかと思いましたが、反対に沢山の方からいろんなアドバイスを頂きました、ありがとうございます。で、自称「間違いだらけのダイエッター」人生を歩んできた私ですが、今回のダイエットに関わる皆様のアドバイスをベースに、様々な考察の結果を総括すると、ひとつの大切なメッセージに出会いました。 自然であれ。 要は、究極、それだけなんですね~。私これまで、ヨガだー、瞑想だー、スピリチュアルな冒険だー、生命の息吹だー、本来の覚醒した存在だー、と言葉だけが空回りするウルサイ奴でしたが、肝心な根本的なところで「わかってない」というか、ヨガ的ナチュラル志向や、あるがままの本来の自分へ帰ることを、ちっとも体現してなかったということが、よーく判りました。 私はなんでデブなんだろう? というのが、14歳からの素朴な疑問だった。デブである原因がわかってないから、そこをクリアせずに、ムチャで効果だけが出るダイエットを繰り返し、結果的に摂食障害になったおバカちゃんだった。また、究極のAタイプ人間として、「努力をすれば結果は出る、目標は達成するためにあるもの」という生き方をずっとしてきたので、ダイエットというのは「すっごく単純な、自己達成感を容易に味わえるゲーム」として楽しんできたのかもしれない。 食べたいのを我慢する。辛いけど、我慢する。我慢している自分が高尚な存在に感じられる。結果体重がみるみる落ちてゆく。身体はボロボロでも心がハイテンションになってくる。私、スゴイ!これだけ我慢して犠牲を払ったからこそ、こんなに痩せることができた!私、スゴイ!・・・そんなエゴゲームは長続きせず、ある日気がつくと、堰を切ったようにドカ喰いの衝動に「完敗」するときが来る、ゲームエンド!そして、以前よりも体重が増し、心と身体が怠惰に膨張し鈍磨し大事なものを誤魔化してゆく。いいのいいの、またダイエットすればスグ痩せるんだから、と言い訳をしながら、咽喉に胃腸に食物を詰め込み詰め込み、イッパイになったら吐き出して更に詰め込んで・・・それはあたかも自ら窒息状態を作り出してはココロの空虚さを満たしている、愚かで醜く哀しい肉塊であったのだなー。 体重なんて、IN(=食べるもの)とOUT(=消費する活動)の算数じゃん?と、ジムで「走る・泳ぐ・筋トレ」のワークアウトにガムシャラに余念がなかった時期が10年くらい続いたので、「これだけ消費しているから、これだけ食べてもOK]とドカ喰い癖がついた、というのもある。ま、なんにつけても、やりすぎる傾向が昔からあったでことですね。 いつも、なにかしら「無理してる」状態が当たり前のものとして日々の大前提にあるなんて、なにかがおかしい!と、なんで気付かなかっただろう? 3年前の精神的破綻の解決策として、マクロビとヨガや太極拳を始めたのをキッカケに、煙草とお酒を断ち、ベジタリアン(ほぼビーガン)となった。別に無理している意識は全然なかった。アシュタンガヨガの朝練を毎日の日課にしてからは、一日1食の生活となった。別に無理している意識は全然なかった。反対に、意識的に「食べることに関して無理はすまい」と、甘いものはかなり積極的に食するようになり、ああ、私は自分にやさしい、身体の声をちゃんと聞いて、あるがままの自分を受け入れている、ナチュラルでヘルシなヨギーさんなのだわ、と悦に入っていた大馬鹿野郎である。 「ワタシ、目玉のあるものは食べないのー」とか、「玉葱やにんにくはエネルギーレベルを低くするから避けてるのー」とか、「朝練があるから、前夜の夕食は食べないのー」とか、「やっぱり浄化の意味でも、定期的に断食1週間くらいは当たり前ー」とか、思いっきり「アタマで食欲をコントロールしている不自然さ」に気付いていなかったのだー。あー、もー、バカバカバカバカー>< これだけヨガ的に適切である生活をしておきながら、どうも違和感がずーっとあって、それが最近の毎朝のヨガ練習中に沸々と湧き出してきた。無論、それは私にとって見たくないものだから蓋をし続けて、でもどんどん中から洩れてきて、蓋を押し付けて押し付けて、ああもう限界!とばかりに噴出した。 ちょっとなにこれ、私のこの身体?ポーズがとれないのは、こんなに余分な肉が体中についてるからじゃん?ヨガ的に適切である生活をしておきながら、なんで私はデブなんだ?・・・と、練習中にスタジオの中を見回して「ぎゃー!」と叫びたい衝動にかられた。それは、まるで、シマウマの群れの中に一匹だけ象が紛れ込んで、その象がシマウマと同じ姿勢をとろうともんどりうっている光景だったからだ。 アシュタンガを始めたばかりの頃、マリーチアーサナDができないのが単純に不思議で、先生に「なんででしょうねー?」と聞いたら、「うんと痩せればできるよ」と言われて傷ついた覚えがある。 以前同じスタジオで練習していた生徒さんに、「アナタを初めて見たときに、アシュタンガをやるには太りすぎなのでビックリした」とハッキリと面と向かって言われ、憤慨した覚えがある。 今通っているスタジオでは、事あるごとに先生から「ゆみこさんは体型的に難しいから、すごい努力しなきゃなんない」という指摘がシツコイくらいあって、都度ココロの中で癇癪と起こしているのも事実だ。 つまり、それだけ過敏になってしまうということは、そこに問題がある、ということで、もうこれまでみたいに、そこに蓋をしておくことはできないのだなー、というのがここ最近のアレコレ。 うーむ。 真っ先に思ったのは、マイクロダイエットで10kg痩せよう!だった。以前にも数回やって、あっと言う間に15kgくらい痩せた経験がある。(ただし、その後モノスゴイリバウンド・・・!)身体にもココロにも悪いのは判っているけど、とりあえず10kg減してスタートラインを人並みにしてから、生活習慣を正しく整えればよいのではなかろうか?と安楽的な思考にとりつかれた。が、これはかなりお高い!のでちょっと躊躇。 次に浮上してきたのが、ヨガの浄化方法のひとつである「ファスティング=断食」だ。何も食べずに自家製レモネードだけで過ごす。これも、以前7日間くらいやって、すごく気持ちよかったので、お!これだ!と膝をポーン。しかし、ヨガの先生から、ダイエット目的での断食はぜーっっったい止めてくださーい!と嘆願されて却下。 食生活を改善するったって、もう既に「玄米と野菜と豆とフルーツとナッツ、しかも殆んどローフード状態」なので、油ヌキったってもともと調理しないし、量を減らすったって1日1食だし・・・要は食うなってコト?と途方に暮れた。 では運動量を増やすのは如何なものか?と、アシュタンガヨガの朝練以外になにか運動を始めようかとも思ったが、いかんせん時間が捻出できない。昔みたいにジムに通って、泳いだり走ったりガシガシウェイトトレーニングできたらイイナーと思いつつも、今の生活環境を変えない限りちょっとそれはムリー! おー、まったくもってファックだぜー、とヤサグレてしまい、ついつい先日の日記を書き込んだ次第。皆様の有難いアドバイスは全て、「がんばってね、でも無茶で安易なダイエットはダメよ:)」って言ってくれてて、その気持だけで、もうジーン(泣)。 そして、この迷える子羊ちゃん(=私)が、「おおおおー!」と、感動に打ち震え、目からウロコがボロボロ落ちたのが、なんと、何を隠そうこの本 「いつまでもデブと思うなよ」岡田斗司夫 ・・・制限文字数超えたので、続く・・・
2007.12.05
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


![]()