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Yahooでは若者がテレビを観ない理由を書いていた。これも一概に間違ってはいないのだが根本的なものが分かっていない。面白かったら観るのだ。テレビとは凄く単純なものであって、それを視聴率だったりスポンサー、テレビ局がせめぎ合ってつまらなくしている。簡単にいうと人は予定調和が嫌いなのだ。今のテレビ番組を観ていると、特にバラエティ番組はCMの後、面白いことが起きますよと言うVTRを流す。酷いときにはオチをそこで流してしまう。番組の番宣でも面白いところを抜粋するから、そこでその番組の内容を予測してしまって観ない人も多いだろう。今のバラエティ番組のほとんどは字幕で笑う場所を指摘していてこれも酷いときは秒数まで出している。日本人が洋画を観るときに字幕で追って理解して笑う。それは外国人から見るとタイミングがずれてると思うだろう。それと一緒で日本語で話してる放送なのに字幕が出るから笑うタイミングがおかしくなっている。これは笑いに完全に説明書がついているようなものである。だからまだその説明書がついていないドラマの方が数字を取る。しかしドラマもおかしくなっていてたまたま視聴率が取れたドラマが成功法となりそれを真似していくばかり。シナリオがつまらないものは数字が取れた俳優を使って補う。何故こうなってしまったのだろう?今のテレビを観てると理由が見えてくる。ドラマは特に堅い職業が土台になっている作品が多い。医者、弁護士、銀行員etc...要は高学歴の人達が作った世界なのだ。バラエティ番組でも芸人の中でも高学歴の人達が出て来ている。それでいて制作者が高学歴のせいなのかクイズ番組を作る。点数で競い合うのが面白いというのが染みついてる人達だ。だからクイズ番組であったり視聴率で競ったりしているのだ。数字=面白いこの公式が染みついてる人達が今のテレビ局を支えている。教科書通り、予定調和がなければいけない人達だ。前例がない限り動かない。これは今の日本の姿でもある。
2014.01.16
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最近の韓国や中国がやっていることは日本人としてというよりも人として腹立たしい。しかしそれがネット上ではたまに矛先が変わっている。例えば名前に「李」という文字が入ってるだけで在日と言ったり珍しい名前の人を見かけるとそれも在日だというような、人種差別に近いものが発生している。私自身も珍しい名字なだけで中国人だと叩かれたこともある。もちろん私は中国人でも朝鮮人でもない。それを証明出来る家系図も残っている。しかし名字だけでそうゆうふうに言われた。以前、働いてたところでも今みたいに国際情勢が悪化してないのにも関わらず在日は~という陰口を叩いていた人がいた。しかもそこには実際に在日の人もいてみんな知らなかったのだがその次の日からその人は出勤しなくなり、そのまま退社した。後々にその人の友達から話を聞くとその人は在日でありその陰口を叩かれたのが原因で辞めたらしい。インターネットは誰でも閲覧出来るものであり同じような気持ちになる人は少なくないと思う。だけどそうゆうのも気にせず感情を露わにした文章をよく見かけるようになった。それはもう小学校クラスのイジメと変わらないくらい幼稚な内容で全然関係ない話題でもすぐ中国、韓国の話を出してくる。ここまで民度が下がったのかと思うくらい稚拙である。それはネット上だけの出来事だと思いたいが、私はその職場で起きたことを実際見てきているので軽視は出来ない。このまま陰湿な状態が続くのは決して好ましくない。中国や韓国がやってることには腹立たしいことがこれからもあるだろう。しかしこれを期に私達は私達自身を見つめ直すことがベストなのではないだろうか?中国のマナーの悪さを見て私達はそんなことしない。大丈夫と思う前に自分のマナーを考えるチャンスが来たと思うべきなのでは?韓国がやってる告げ口外交と言われてるのを見てあんなことをやると信頼がなくなると自分自身も思うべきなのではないだろうか?今、中国や韓国がやってることに対して私達国民が対抗意識を持つのではなく、私達自身を見直すのが大事なのではないだろうか?歴史も一緒できちんと私達が勉強すれば何を言ってきてもすぐに論破出来ると思う。そのくらい私達は誇りを持って中国や韓国が何を言ってきても揺るがない気持ちを持つことが一番大事なのではないだろうか?アメリカがいるから大丈夫とか他のアジア各国は味方になってくれると思って安心するわけでなく、そのくらいやられても私達は誇れるものがあると自身を持ち、それに磨きをかけるチャンスだと思う。日本人同士、傷つけ合ってもしょうがないのでは?
2014.01.15
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都内で観に行くとなると予約して行ったほうがいいというくらい何処も混雑していた。何度も観に行ってる人も多いらしく、どのくらい面白いのかなと思って空席のある映画館を見つけ観に行きました。風立ちぬでも零戦を題材としてたが、今回の永遠の0も同じように零戦を題材にしていることは分かっていた。たまたま去年の11月に靖国を訪れたときに隣にある遊就館に立ち寄っていた。そこには実物の零戦が置いてあり、これが世界に名を轟かせたと思うとあまりにも小さくて驚いた。それをふまえて永遠の0を観たら考え深いものがあると思ってちょっと期待してたものの…残念ながら泣けなかった…ストーリーとしては悪くないと思うのだが流れがどうしても粗が目立っていて途中から感情移入出来なくなってしまった。CGは邦画としては上出来な方だろう。戦時中の演技なんかも悪くはなかったと思う。しかし現代と戦時中の映像の交差が酷い点があった。たぶん洋画のサスペンスでよく見る過去に起きた点と点が線になるという表現を使いたかったのだろうが、それがあまりにも下手すぎた。面白い点と点が揃ってるのにそれを繋げていく作業が昼ドラと思わせるくらいチープになっていた。そしてエンドロールまでの流れがどうしても受け付けなかった。これは人によるとは思うが私の心には全然刺さらなかった。題材が良いだけに勿体ない作りと思ってしまう。もっと良い方法はなかったのだろうか…しかしこの映画を観て心を打たれた人は一度で良いから遊就館に立ち寄って欲しいと切に願っている。そこには日本の過去があり現実がある。右とか左とか関係なく日本人として立ち寄ってほしい。
2014.01.14
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先日、やしきたかじんさんの訃報にちょっと思考回路が止まってしまった。私はこの人の音楽が好きだった。音楽以外でも番組で出ているときの振る舞いが好きだった。この人が癌で休養した時にもすぐに帰ってくると信じてた。そのくらいパワーのある人で人々を惹きつけるものを持っていた。関東に住んでる人にとっては分からないかもしれないがこの人に魅了された人は多かったはず。現首相、安倍さんが病気になって辞職した際も温泉に誘って労を労いもう一度と応援していた。その後、癌が発覚して休養に入ってしまったが三宅久之さんはたかじんさんが戻ってくるまで番組に出演すると言って政治評論家という職を引退したがその番組だけは出演すると約束していた。しかしその約束は果たされず三宅久之さんはいなくなってしまった…その数ヶ月後、その番組に復帰し三宅さんの奥さんに頭を下げた。三宅さんがいなくなったらその番組も終了すると言っていたたかじんさんだったが三宅さんの遺言がその番組を続けて欲しいということだった。今となってはその約束を守るために戻ってきたのではないだろうか。その後、また休養に入ってしまったが誰もが戻ってくると思ってたはずだ。私もその中の一人だった…先日からこの人の思い出話や武勇伝が色んなところで見かけるがこの人こそ人のために生きてた人ではないだろうか?「武士道とは死ぬこととみつけたり」この片鱗をリアルタイムで見せてくれた一人だった。たかじんさんの歌はずっと私の心に残り続けます。訃報を聞いてからずっと実感が沸かなかった。でもこの映像は今、天国で同じ事をやってるんだろうなと思い涙が止まらない。合掌。。
2014.01.09
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年も明けてこれからまた経済の動向と景気の情報がニュースで多く流れるようになるだろう。消費税8%が迫っている。賛否両論は別にして消費税を気にする人達はどれだけいるのだろう?毎回、消費税が上がるとき簡単に実感は沸かない。ジワジワと財布の紐を締め、余計なものを買わなくなってから景気が落ちてきたと気づく。だから消費税反対に声を挙げる力もない。いつの間にか浸透するものであり、声を挙げても届かないというのが現実だろう。今はアベノミクスで景気が上向きになるという庶民には実感のない情報をマスコミが報道し、いつか私達の元にという期待を持たせている。本当に景気は上がるのだろうか?そもそも不景気になったのは何故なのか?バブルが崩壊してから明確に説明出来る人は何人いるのだろう?正月が終わっていつも感じることは日本は本当に休んでいるのだろうか?という疑問だ。昔は正月になると何処に行ってもお店はやってなく三が日はおせちで過ごすというのが当たり前で街に出て行ってもお店なんてやってなかった。今年は二日に初詣に行ったのだが、所々では人がいっぱいで行列になってるところをいくつか見つけた。特に渋谷はほとんど平日と変わらない状態だった。休まずに働くと人はどうなるのか?ノルマをこなすだけで余裕がなくなってくる。たとえ一日だけ休みを貰ったとしても体を休めるだけで精神が休めるということにはならない。家族がある人は特に家族サービスで休めないだろう。今の不景気はまさにこの状態なのではないだろうか?日本自身が休めなくなってきて誰も心に余裕を持てないのでは?買い物に行く時間がなければ消費も伸びるはずがない。今の日本に必要なものはお金の使い方ではなく時間の使い方ではないだろうか?
2014.01.07
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明けましておめでとうございます。新年早々、謎めいたことが起きるフジテレビ。大晦日の番組は2%という凄い視聴率を叩きだした。そんなフジテレビの看板?が全くもって理解出来ない。ネットでも話題になってるがまともなテレビ局とは思えない。このフジテレビが育てたと言っても過言ではないナインティナイン。何年も前にここでも書いたのだがナイナイはただのパロディであり0から笑いを作る芸人とは別の土俵だ。このパロディが最近は度を超していて痛々しい。元々、とんねるずを崇拝していたナイナイだから人のネタや芸を面白くパクればパロディとして成立すると思っているのだろう。しかしとんねるずと違うところは元々ネタをやってきてテレビの枠から飛び出すような行動をしてきた。それが芸かどうかは賛否両論はあるかもしれないが初期のとんねるずは明らかに新しいことに挑戦していた。しかし冠番組を持つようになり保守的な内容が多くなってきた。その中でパロディが主体となり、本人達もそれだけでは無理と感じスタッフの物まねまでやって試行錯誤していた。それが世間に受け入れられてたかは別で今現状の形に至る。それを観ていた上でナイナイはそのままそのスタイルをパクったと言えよう。言葉は悪いが、今ナイナイがやってることでありそれを擁護しているのが今のフジテレビである。ナイナイ発信の笑いはどれだけあるのだろうか?ほとんどがパロディだったり企画だけで持っているようなものでそれをナイナイが面白いという評価はおかしい。しかし各テレビ局はナイナイを使うことをやめない。要はフジテレビが作り上げた知名度を利用して企画に対して忠実に再現するナイナイが使いやすいのだろう。年末年始の番組は何故つまらないのか?ここから紐を解いていけばよく分かる。
2014.01.04
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