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張り切って大阪実家行きの支度をしてたんですが、やばいことに、風邪っぽくなってきました。鼻が、喉が・・・。(^_^;) 途中、うろうろ寄り道しないで、早めに実家に着くようにしますネ。 自宅はぬくいけど、実家は一戸建ちなので、適度に寒いです。建て替え前の古い家の時ほどではないですが、十分、「うーーー、さぶっ!」感を味わえます。(^o^) んじゃ、洗濯物を干し終わったら、いってまいりまーす!
2003.01.31
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私は子供の頃から寒がりの暑がりでした。 12年前の独身時代、実家にいた頃の真冬は、室内でも息が白かったものです。すきま風には不自由してませんでした。朝、暖かい布団から出て寒いトイレに行った時なんか、身体ががたがたふるえたもんです。ぬくい所から出たから余計に寒さを感じてたってことです。 結婚してマンション住まい。全然寒くない。南向きの最上階は、夏の暑さには、ひたすら閉口。でも、冬は、快適です。外から帰ってきて鍵を開けて部屋に入ったら、むわ~っとするくらいです、真冬でも。 暖房は炬燵だけで十分! で、外に出たら、さぞかし寒いろうと思ったのですが、これが、あまり寒くない。 昔、感じたような、痛いほどの冷気を感じないんです。ちょっと寒いなーって思うのがせいぜい。 でも、今、寒いんですよね? おかしいなー。身体が寒さに強く暑さに弱くなってきてるんでしょうか? 耳やほっぺがちぎれそうに痛い寒さ、味わってみたい私です。 トシとるにつれ、寒がりになるものだと思ってたんですが、何か年々、暑がりに拍車がかかる一方で、難儀なことですわ。
2003.01.30
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今現在、巷で流行りまくってる歌だけじゃなく、私が幼かった頃から、程度はしれてましたが、外国語のフレーズを挿入するアレンジの歌はありました。英語、フランス語、イタリア後、ハングル語、中国語、いろいろありますよね。断然多いのは、英語でしょうから、英語の場合で話を進めます。 外来語や、よく使われるヨコモジ言葉が単発的に(単語、熟語程度)入るのは、この際、抜きにします、キリがないですから。また、和製でもまるまる英語歌詞の歌だってあるので、それは別です。 日本語の歌詞の途中に、文章を構成したある程度の長さの英語歌詞が入るような歌のことです。誰か訳してぇぇぇと叫びたくなる私。 確かにかっこいいです。うまく発音しながらすらすらと歌えたら気持ちいいだろうなーとは思います。昔から、先進的なかっこよさ、お洒落さを出すために導入されていたように感じてるんですが、こういうのって、外国(英語圏の国)の楽曲でもあるものなの? 外来語というジャンルは、特に固有名詞なら、どの国にもあると思います。だから、それは当然使われることはあるでしょう。しかし、たとえば、アメリカの流行歌が、歌詞の間に他国語フレーズを挿入するってアレンジテクニック、使うことあるんでしょうか? アイラブユーのかわりにフランス語のジュテームと表現することがあったとして、それって、日本語の中に英語やフランス語ををサラリと入れた場合に相当するかっこよさを、向こうの人も感じるものかしら?イタリア語の「アモーレ」をいきなり使ったとして、日本人が受ける印象のような情熱的な斬新さを感じるものなのでしょうか?そのあたり、想像がつかないんです。源を同じとするヨコモジ圏の言語だと、たぶん、日本人がヨコモジに感じてるほどの感慨はなくて、だから、あえて、歌詞に組み入れてある種の効果を狙うってこともないような?が、違う言語形態の言葉なら、やはり感慨があって、歌詞に利用することもあり・・・かしらん? 英語に疎くて、洋楽に無知な私は、随分昔から気になってることです。 英語、アメリカに限りませんが、それぞれの国のその言葉を使う人たちのさまざな背景(歴史、文化、思想、宗教などいろ色々な背景に裏付けられた感受性)を理解していない非力な私は、この種の疑問にまみれてしまいます。う゛ーん、ここまで書くと、コトが大きくなっちゃう?いや、あくまでも、素朴な疑問です。 ご存じの方、教えてくださいまし。
2003.01.28
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夫も、私につられて食べるようになったものといえば・・・。 ふっふっふ、「ソウルばたやん」さんに起因する「たまごボーロ」です。そもそも、かおんちゃんのホムペで、ばたやんさんとやりとりし始めた頃、ばたやんさんが「ろぼろ」のハンドルネームを面白がってくださって、「じゃ、私は、たまごぼーろとでも名乗りましょう」ってな意味のことを書かれたのが始まりでした。 「たまごぼーろ」が可笑しくて可笑しくて、ざんさん、腹筋を痛めて笑ったものです。 ほどなく、ドラッグストアーでカルシウム強化食品としての「たまごボーロ」に目を止め、買ってみました。小袋1袋は、まさにジャストサイズ。 かまずにゆっくり口の中で溶かすと、長く楽しめます。ほどよい甘さが血糖値を上げ空腹感をやわらげますので、小腹がすいた時にはお役立ち。低価格、低カロリーの割には満足感があり、何よりも昔懐かしい味に心惹かれました。最初に買った小袋がまだ半分以上残ってる段階で、また別のボーロを買ってみました。味比べです。う゛ーん、どっちも美味しい。 原材料は、馬鈴薯澱粉、砂糖、鶏卵、貝カルシウムまでは共通。 最初に買った健康食品的なボーロには、麦芽糖水飴、乳糖、調整粉乳、フラクトオリゴ糖、ビタミンD、膨張剤と書かれています。後に買ったお菓子としてのボーロには、共通のもののほかには小麦粉、脱脂粉乳が使われてるだけです。 健康食品ボーロには、なるほど、麦芽糖やオリゴ糖、ビタミンDまで添加されてるので、いかにも良さげですが、私は、お菓子ポーロのシンプルな素材が好ましく思えます。 何十年も食べることのなかった懐かしいお菓子を、今再び楽しめることができて、「小さな幸せ症候群」に罹患の日々です。「たまごぼーろ」さんこと「ソウルばたやん」さん、いいきっかけをありがとね。
2003.01.27
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不眠のケがある私。睡眠不足で眠い眠い。でも、昼寝ってなかなかできない。少しでもグッと眠ることができたら、スッキリするんだろうが。どんなに眠くても昼寝のできない体質ゆえ、学生時代、授業中に気持ちよさげに眠ってる友人たちのことを、心から羨むばかりだった。 でも、ほんの数分ならまどろむことがある。今のような寒い時期、あったか炬燵にゴロンと横になってテレビなんぞ見てると、いつしか夢の世界へ。 と、寝入りばなにチャイムの音。飛び起きて、インタフォンに出る。あれれ、シーン・・・。 テレビドラマの中のチャイム音だった。一人照れてしまう。夢の世界に入りかけた状態では、似たチャイムや電話の呼び出し音、間違いやすいぞ。心せねば・・・。 また、別の日。うたた寝状態で、チャイムが鳴った。どうせテレビだろうと、つけっぱなしのテレビ画面を見る。時代劇だ。 今度はホンモノだったか!
2003.01.26
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我が家では、夫婦でのクリスマスプレゼント交換は、結婚して9年目までは、お菓子でした。私は子供時代に買ってもらえなかったサンタさんの赤いブーツに入ったお菓子セットを希望してました。夫も、甘党だったので、お菓子ギッシリの紙袋ものをプレゼントしてました。いずれも、予算は1000円ほど。 ところが、人間、トシとともに変わってくるんです。夫は、凄い甘党だったのに、2年ほど前から、甘いものはほとんど食べなくなりました。私は元々、さほど甘いものは好きじゃなかったんですが、ますます、甘いお菓子離れしてきました。 2回前のクリスマスから、お菓子交換は廃止。2001年クリスマスは、夫には、100均商品10点、私には、1000円のお財布ということになりました。そのお財布、もちろん、今も大事に使ってます。で、2002年のクリスマス。ちょうど、1ヶ月前ですね。 相談して、好きな漫画2冊を交換しようと決めました。大判のコミックスは高いので、2冊なら1000円は超しますが、2000円以内に十分おさまります。 それを、今日、買いにいきました。1軒目の本屋さんで私は欲しい2冊を見つけたんですが、夫はこれといったものが見つからず、2軒目の本屋さんに流れました。そこには、私が欲しかった本2冊はなくて、夫が欲しかったのが見つかりました。 もう妥協です。私は、他に欲しいものがあったので、その2冊を選びました。 ちょうど1ヶ月遅れで、無事、クリスマスのプレゼント交換を終えることができました。 我が家は誕生日プレゼントもたいだい1ヶ月遅れです。その時期には雰囲気だけ楽しみ、時期をずらしてまた愉しむって、えへへ、倍のおトクでしょ?
2003.01.25
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看護学校の近くに、名の通ったサンドイッチ専門店の本社があった。サンドイッチを作る現場と、事務、両方でバイトしたことがある。 27年前の冬休み。クリスマスを数日後にひかえ、どこもここもジングルベル一辺倒。 サンドイッチ会社での事務のバイトは、売り上げ伝票の整理が主な仕事だった。現在なら、すべて電算化されていて、レジを通ると同時に、集計されていくんであろうが、当時は、何が何個売れたかを手作業で集計していた。 ある日、バイト学生数人の前に、ドシンと金塊いや、金色の折り紙が置かれた。 一辺が50センチほどもある正方形の紙が20センチほど積まれていたのだ。 これで、鶴を折ってほしいと・・・。久しく鶴を折っていなかった私は、隣で早速折り始めたバイト仲間の手順を見て、ふむふむ、そうだったそうだったと思い出し、折り始めた。 あちこちにある直営のサンド専門喫茶店に飾るらしい。クリスマスの店内装飾に金色の折り鶴ねぇ。大きな鶴は、確かに綺麗だ。クリスマスらしいかどうかは疑問だが、金色の派手さで、雰囲気だけは何とか・・・と言ったところか? 一生懸命、鶴を折り続けた。紙が大きく分厚いので、だんだん、手が疲れてくる。丁寧に折っていったつもりだが、ラスト近くになると、ちと出来映えが・・・。かなり不細工な鶴が1羽、私の手から生産されてしまった。できあがった大きな大量の折り鶴の中に埋もれて、不細工さは見逃されてしまったようだ。まー、飾る時に、あまりにひどいようなら、除かれるだろうと、良心の呵責をお気楽に受け止めた。 短期バイト期間を終えて、クリスマスまっただ中、友人と大阪天王寺の「アベノ地下センター」(略して「あべちか」)をぶらぶらしていた時、直営店があったので「ここの本社でバイトしたんよ。」と友人に話した。彼女は、私の話を聞いて、サンドイッチを食べたくなったと言う。それで、その喫茶店で食事することになった。 そこで、遭遇したのは、あの不細工折り鶴だった。ここに回ってきたのかぁ。まさしく私が折ったものだ。四隅が少しずれたまま折ってしまったので、金色一色の外観のはずが、裏の白が細く表面に出てしまっている。折り返し部分の位置が低すぎたため太短い首になってしまった哀れな鶴は、天井からつり下げられて、ゆらゆらくるくる舞っていた。 金粉がはげるので、折りなおしができなかったのよぉぉぉん。 友人に告白して、二人で、ひたすら笑った。 いくらクリスマスシーズンで忙しいとはいえ、こんなひどい鶴、飾るなよなぁ。でも、生産者だからじっくり装飾物を見たけれど、普通のお客は、いちいち見ないだろうから、まー、いっかーー。(^o^) もちろん、あべちかでその店の前を通りかかるたびに、思い出し笑いをし続けたことは、言うまでもない。
2003.01.24
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高校2年時代の想い出をもう一つ書いちゃお。ちょうど、30年前の昔話。 私は、子供時代から毎年10月になるとひどい風邪にかかり、冬の間は、治ったかと思えばまた風邪をひき、高熱は出ないものの、身体のだるさや鼻や喉の症状で常に苦しめられていた。体力がない私は、学業についていくだけで、精一杯。余裕のかけらもない学生時代は、その後、看護学校・保健婦学校に進んでも同じだった。母は、未だに、10月になると、私を気遣う。現に、結婚式の前に、史上いや私上最高のきつい風邪にかかり、当日も鼻ずる花嫁だった。挙式を10月下旬に予定したのは、うかつだったと猛反省した。 高校2年、二学期の期末テスト開始。寒さが増してくる時期で、夜更かし勉強がたたって、風邪をとことんこじらせた。ついに、試験後半は欠席する羽目に!試験を欠席したのは、初めてのことで、落第するんじゃないかと、不安だった。 大阪府の公立高校共通の処遇だったかどうかはわからないが、こういう場合、前回の試験(この場合は2学期の中間テスト)の点数の80%だったことにしてもらえた。それが、赤点(私たちは欠点と表現したが)になってしまうと、追試ということになるんだろう。あーー、ついに、初めての赤点を経験するのだろうか? が、運のいいことに、高2の二学期中間テストは、高校時代最高のデキだったため、欠席した半分の試験は、どの課目も、余裕でクリアできた。 受けなかった試験の問題を、後でもらって解いてみたが、世界史も化学も、難しいッ!試験勉強は、体調不良だったとはいえ、普段の試験前と同じ程度に準備できていたはずなのに。 もしかして、試験をちゃんと受けていたら、赤点だったかも。実際、平均点は悪かったようだ。とにかく、中間テスト点数の80%レベルの点をとる可能性はゼロ。 う゛ーん、学校も甘いなー。問題の難しさを平均点で推し量って、欠席試験の予想得点を80%からさらに割り引くべきだ。何はともあれ、はからずもトクをしてしまった私であった。大勢の追試受験者には、申し訳なかった。 たった一度の試験欠席経験は、日頃の行い(?)に救われた形になった。この不戦勝経験があまりにもラッキーだったので、かえって、こんなラッキーはもう2度とない!との思いが強く、以後は、試験を欠席することがマジに怖くなった。高校2年の3学期以降は、病気欠席ゼロのまま卒業できた。試験勉強を頑張ると風邪をひくので、あまり頑張らず、成績(席次)は高2の二学期をピークになだらかに下がった。 うんうん。これでいい、無理は禁物だよ。
2003.01.23
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子供の頃は、当然、語彙数は少ない。だからこそ、ちょっと難しい言葉を知った時は、嬉しくて得意な気分になることがある。 35年ほど昔、まだ小学生だった頃、「冷静」という言葉を、「週刊少女フレンド」に連載されていた里中満智子先生の「絵里子」という漫画で初めて意識した。意味は、ストーリーの前後関係ですんなり飲み込めた。ストーリーはうろ覚えだが、絵里子の父親の妻(母親ではない)が、感情的になって激しい言葉を吐き、それを諫めようと、父親が「冷静になりなさい!」と言うシーンだった。昭和40年代初期の少女漫画に多かった、わけあり事情の大人たちの中で健気に生きる少女のお話だ。 それ以後、「冷静」という文字を見るたび、初めてこの言葉を知った時のことを、いちいち思い出してしまう。話し言葉としては、あまり使わないだろうか。あのシーンであれば「落ち着きなさい!」というのが普通だろう。「冷静」は、書き言葉には多いが、少女漫画でのこういった場面の会話としては少し硬いように思う。 高校2年の時、親友と呼べる友だちができた。もちろん、現在もつきあいは続いている。大学生の子供2人の母となっている彼女だが、今も、会えば高校時代の話で盛り上がる。彼女とは、当時「週刊マーガレット」で人気のあった「つる姫じゃ~!」で、共に笑い興じたものだ。 仲良くなり始めた頃、何げなく、「冷静」という言葉を初めて知った時のことを話題にした。「小学生の頃読んだ漫画で知ったんよ。」まで言った時、彼女は「あっ!」と声をたてた。彼女も漫画で知ったことを覚えてるという。そして、少しずつ話を突き合わせていった結果、まさしく、彼女も同じ漫画の同じシーンが「冷静」とのファーストコンタクトだったことが判明した。何たる偶然!よく、この話題を出したことよ! 当時は、今ほど少女漫画誌は多くなく、人気漫画家さんも里中先生を始め、目立つ人はほんの一握りだった。だから、当時の漫画好き少女たちは高い確率で同じ作品に夢中になっていた。何せ作品の絶対数が少ない。印象が薄められることがなく、一作品一作品へのインパクトは大きい。語彙数がどんどん増え多くの漢字の読み書きができるようになる小学校高学年の時期に、同じ言葉に目を留めたことは、さほど不思議ではないのかもしれない。まして、あまり話し言葉的でない違和感が、読者の目に留まりやすかったとも言える。 私と同じ世代であれば、「白血病」、「骨肉腫」、「脳腫瘍」などの病名は、薄幸の少女ものの漫画で初めて知った人が多いだろう。あーー、私もその漫画で知ったんよぉぉ!と盛り上がる可能性は高い。 とにかく、言葉への感受性が共通していることは、親しさが増す要因として大きいことを実感している。
2003.01.22
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当たった当たった当たりましたよぉぉぉ。 今朝、クール便が届きました。何だろう、クール便で届くようなもん、ここんとこ注文してないのに・・・と首ひねりしながら伝票の差出人欄を見ました。ん?知らんで、こんなとこ・・・と思うと同時に「ご当選」の文字が目に入りました。おぉ、懸賞に当たったのか、でも何の懸賞なのか見当がつきません。 ダンボール梱包を解いた時、すべての謎も解けました。お手紙が入ってました。「コープこうべ」が月2回発行している機関誌「きょうどう」のプレゼントに当選していたのです。「きょうどう」には、何度かお便りなどが紹介されてますが(こちら参照)、プレゼントも、だいぶ前に2度当たったことがあります。今回で3度目。 そういえば、応募したおぼろげな記憶が・・・。「鯛」です、タイ。タイ。1匹丸ごとのタイです。「宇和清海育ち活〆鯛」生1尾が送られてきたのです。ひゃー、えらい豪勢なもん当たったワと喜んだものの、難しい料理はしない主義、超簡単な料理のみでごまかしながら日々の食卓を維持している私にとって、「魚をおろす」なんて高度技術は、とてもじゃないですが、ムリムリムリっちぃ・・・です。困ったなー。うろこ取って、内臓除いて、筒切りにして焼き魚にするくらいなら何とかなるだろうか?と思ったものの、インターネットで「鯛のおろし方」を検索したところ、鯛のうろこは包丁では取りにくいと書かれてます。あかん、こら、あかんわ、道具ない・・・。。 あとさき考えんと、懸賞はがきを、とりあえずは書いてしまう我が愚かさを嘆きました。 いや、せっかくのラッキーを不幸なものにしては、ご先祖様に(?)申し訳ない!ここは、プロの力を借りようと思い立ちました。今日は、引きこもるつもりだったのですが、急遽、お出かけモードに切り替えです。 漁業組合では、持ち込み魚をおろすサービスはしないと取り決められてるそうですが(全国的にそうなのかは不明)、コープのお店なら「あんたとこの懸賞で当たったんやから何とかしてーな!」とムリ言いやすいと算段し、早速、ぎっしり入っていたジャラジャラの氷と鯛を元通り発泡スチロール箱に押し込んで、コープ店舗に自転車を走らせました。前かごに入れた箱は斜めになって、氷が前かごにこぼれるのも気にとめず、疾走。 あ、その前に、この戦利品を撮影しようとデジカメを取り出したんですが、おー、なんたるちあ!バッテリーが切れてました。1尾の姿のまま鯛の撮影もくろみは、あえなく撃沈。もちろん、バッテリー充電機をコンセントに差し込みました。 コープのインフォメーションでお願いしたところ、まず、女性職員さんがエライさんに内線電話で相談してくれました。どうやら、OKが出たようです。で、エライさんから鮮魚コーナーの腕きき職人さんに連絡を入れてもらう段取りがつきました。ほんと、気持ちよくお願いをきいてもらえて、大感謝です。タダでやってもらいました。お金を払いたいと思っても、たぶん、レジに項目はないでしょうから、コープさんも、徴収しようがないのかもしれません。 希望を聞かれたので、半分は刺身に、あと半分は切り身でとリクエストし、待つこと7~8分。忙しいお仕事の合間、横入りして、初老のベテランっぽい男性職人さんにおろしてもらえました。刺身には、大根や青ジソやわさびなども入れてくれてます。売り物と同じ形態です。あと、切り身1パックとアラの部分1パック。手渡してくれた鮮魚コーナーの女性職員さんは、親切にも、アラとゴボウの煮方を教えてくれました。調べる手間が省けて大助かりです。お店の人とお客との、昔の商店街風やりとりが、ここに実現したのです。こんなん初めてですぅぅ。 恩知らずにも、コープで何一つ買い物をせず、急いで帰宅。保冷剤つきとはいえ、傷みそうでこわいんですもの。そして、充電が完了し、お腹いっぱいになったバッテリーをデジカメに差し込み、早速、撮影しました。刺身は、持ち帰る時、斜めになって片側に寄ってしまいました。だから、お皿に移してます。大根がからんで、あまり綺麗に盛れなくてザンネン。刺身は、早速、今夜いただくことにし、切り身とアラは冷凍保存しました。幸い、今日の献立では、大根のぬか漬けを刺身に差し替えるだけで、昨日の日記で書かせてもらった「私の決めた献立ルール」はくずれません。大根なら、刺身にもついてるので、野菜7種類にも響きません。ラッキー。 我が家は清貧を楽しむのがモットー。だから、自慢じゃないですが、結婚して11年3ヶ月、一度も刺身を買って食卓に乗せたことがありません。ボリュームの割に値が張るので、いくら刺身特価ディであっても、半額見切り品になっていても、まだまだ、贅沢品。買いません、ええ、買いませんとも。 外食は、何を食べてもそこそこ高いので、そういう時にお刺身がついてるような定食を食べればいいですし、寿司ネタとしてなら回転寿司でたびたび食べているので、普段の食卓には縁がなくても、そう寂しくありません。 ってことで、今夜は、我が家初の「お刺身が食卓にのぼった日」でした。刺身のツマの野菜もすっかり残さずいただきました。もちろん、とーーーっても美味しかったです。夫ちゃまも、喜んでくれました。冷凍してある切り身は焼き魚としていただくつもりですが、料理本などで探して、いい利用法があれば、トライしてみまーーす。 今日は、立派な鯛と、善意の人たちのおかげで、小さな幸せどころか、かなり大きな幸せをゲットできました。お天道様に感謝・深謝・さんきゅぅ~~です。 では、我が家の「初刺身記念日」を祝って、ヘタな句を一句・・・ 鯛当たり 体当たりでの 頼み事 善意の笑顔に 感動記念日
2003.01.21
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先日、大阪の実家に行った時は、2泊3日の滞在だった。本当は、3泊して18日(土)に戻ってきたかった。滞在日数が多い方が、行きと帰りの日が開くので、3時間の旅が身体にこたえにくい。1泊だけで戻るなんてのは、日帰りの方がまだマシだと思うくらいキツイ。 金曜のうちに帰ることにしたのは、土曜日が「瓶」を出せる資源ゴミの日だったから。先月は出しそびれてしまい、年越し瓶は、たまりにたまっていた。本当なら第2月曜の13日のはずだが、この日は祝日だったのでその週の土曜日18日に変更になっていた。 はぁぁ、明日が瓶の日でなければ、ゆっくりできるのになー・・・と、瓶の日を恨みつつ、金曜のうちに3時間の帰路の旅をした。おかげで、くたびれ度がアップして、あげく、一昨日の日記にある転倒事件につながった。 ところで、私は献立作りに、いろんな条件・制限を設けている。肉や魚が入ったメインおかずとサブおかず2つ(または、サブ1つと汁物か漬け物)を基本に組み立てるのだが、もちろん、考慮すべきは栄養バランス。特に、野菜はたくさん食べたいので、一食に7種類前後の野菜が盛り込まれるように考える。メインおかずに人参を使うのに、サブにも人参を使うものだと、ダブリは1種にカウントするので、7種類到達の点で、何となくもったいない。野菜ダブリは禁忌ではないが、できれば避けたい。 次に味バランス。甘い味付け、たとえば、甘酢味の酢豚がメインなら、漬け物に、ぬか漬けはOKだが、甘みのある福神漬けや洋風ピクルスはNG。もちろん、塩辛い味付けのものばかりになるのもダメ。甘、辛、酸の揃い踏みが理想であるが、あまり厳密でもない。和洋中はごちゃまぜOK。 動物性のものは、肉類と魚類が一食に両方入るのはいいが、肉類がサブおかずにも入るのはダメ。何せ、もう若くない夫婦だから、油っこいものも控えめが望ましい。 あと、寒い時期に、冷たい或いは常温のおかずが3つのうち2つを占めるのはペケ・・・など、他にも細かい取り決めをしている。そうやって、1日30品目を目指す。 料理レシピをあれこれめくりながら、組み合わせに頭を悩ませる。実際、かなり悩む時がある。普通に決めていく分にはラクだが、急遽1品変更した時は(安かったので思わず見切り品を買って早めに食卓に乗せねばないない場合など)、他の2品がそのままでは、私のルールに反してしまう。すっかり、差し替えねばならない。すると、4人分量作って2回食べるようにしてるため、翌日以降にも影響が出てしまう。書いては消し、書いては消し。ケシゴムのカスにまみれつつ、あーでもない、こーでもないと、組み合わせにチエをしぼる。あーーー、私をこんなに悩める献立作りぃぃ! でも、これは、私が自分で決めたルール。あくまでも自分のこだわりだから、悩みつつも、楽しんでいる。うまく組み合わしなおせた時は、爽快感いっぱい。ゴマンエツ ゴマンエツ だけど、押しつけられたルールには、目一杯、不満で疎ましく感じる。ゴミの日は、市が勝手に決めたこと。祝日の場合の土曜日順延も、私が決めたことじゃない!プンプン ホント、行動が制限されてしまうんだからぁ・・・。あはは、ほとんど八つ当たりの様相。 と、市民として当然受け入れないといけないルールに、やたら、ブツクサ言ってしまうワガママな私である。ま、別に、従わないって言ってるワケじゃないんだから、ぶ~たれるくらいは、許してちょ。社会の片隅で、ひっそり生きている小市民は、こうして、ルールに縛られながらも、その中でささやかな自由をアレンジし、幸福感を見いだしている。なーーんて、大袈裟なもんでっかぁ?(爆)
2003.01.20
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近所の中華屋さんは、安くてボリュームたっぷり、味もまーまーイケルので、たまに夫と利用します。 一品物の値段プラス200円で「一品物の名前 定食」になるんですが、この定食が凄い。メインのその一品物もたっぷりの分量なんですが、そこに、てんこ盛りご飯とみそ汁(蕎麦や粕汁のこともある)、小さなオカズが2品とお漬け物(タクワンと葉野菜の即席漬けといった感じで2種類)がつきます。汁物の中身が、そりゃもうギッシリで、箸が立つかも・・・ってくらいの充実物。今の時期なら、ミカンが1個おまけされます。これで、プラス200円ってのは良心的ですぅぅ。 たとえば、餃子定食なら、一品メニューの餃子は300円なので500円なりぃぃ。肉ピーマンなら600円なので、定食だと800円。一番安い一品物は春巻きで、200円。定食だと400円ってことで、これは、かなり安いですよね。 で、私を悩ませている問題は?といえば・・・。定食の小さなオカズの一つが、いつもではないのですが「麻婆豆腐」なんです。もう一つの小さなオカズはキンピラであったり白和えであったり・・・。すると、もし、一品メニューから「麻婆豆腐」を選んで定食にした場合、小さなオカズの一つとだぶってしまいますよね。この場合だけは、小さなオカズの一つは別のものに差し替えられるでしょうか? 気になって気になって仕方ないのですが、家でもよく作って食べるような物は、あえて外食では注文しない、家では上手にできないとか、面倒でやりたくないようなものを外食で!という主義ですので、「麻婆豆腐定食」を食べてみる気にはなれないでいます。かといって、お店の人に尋ねるのも、何か抵抗があって・・・。もっと恥ずかしいこと平気で質問したりすることがあるのに、どうも、こういう種類のには、シャイになってしまうんですワ。 他のお客さんが麻婆定食にしてるのも、残念ながら目撃したことがないので、未だに謎のままです。 もう、謎は謎のままにしておこうという気になってきました。そう思った以上、うっかり、他のお客さんの麻婆定食を見てしまうことがないよう、今後、あの中華屋さんで食事する時には、よそ見しないで、黙々と食べようと決意する私です。
2003.01.19
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また、転びました。転んだことをネタにした日記は、3本目かしら? 「痛い真昼の夢」と、「おてもやーーん」に続く本日の転びっぷりは・・・といえば。 遅い朝食を夫に食べてもらってしばらく後、夫は一人で出かけました。車のタイヤを買いに行ったようです。帰りは夕方くらいになるので、お昼は適当に買い食いするとのこと。私は、朝食は食べないので、お昼は正午過ぎるとすぐにタップリいただきます。はぁぁ、お腹いっぱい・・・。 そしたら、思ったよりうんと早く、午後2時に夫が帰宅しました。顔を見るからに、ひもじそう。そう、買い食いはしてなかったんです。 じゃ、昼食用意するね・・・と言ったら、「スシロー」に行きたいとのたまう。もちろん、「回転寿司「スシロー」に行ってきました」の「スシロー」です。なるほど、今から行けば、ちょうど、すいてる頃で、待たずに食べられます。 が、私は、まだ満腹状態。明日にしようヨよ言ったのですが、「天気予報で明日は雨だから、みんな、よそに遊びに行けない。だから、どの時間帯でもスシローは満員だ。」と、今日の「スシロー」行きへの熱意は盛り上がったまま。帰りが夕方になるっちゅうから昼食をたっぷり食べたのに・・・とブツクサ文句言いつつも、「しゃーないなぁ」と、出かける支度をしました。 このお腹じゃ、ほとんど食べられないけど、ま、いいか・・・と、夫の車に乗り込み、いざ、出陣! スシローの駐車場にアキがないことを想定して、お隣のでっかいジャスコに車をとめ、スシローまでテクテク歩きました。 車道を渡って歩道に入ろうとした時、悲劇は起こったのです。とにかく、昨日の大阪からの帰宅旅でフラフラだった私は、今日もまだ頭痛がして身体が重く、まともに行動できないありさま。それで、見事に、何もない所で躓いて転びました。両掌と両膝から被害報告アリ! 右手首が痛いです。左掌は2カ所皮がめくれてます。両膝は打撲の痛みでしばらく動けず、なかなか起きあがれない状態でした。 夫はあっけにとられたのか、見てるだけです。なかなか膝の痛みが引かないので、夫に「ちょっと起こして」と頼み、腕を引っ張り上げて立たせてもらいました。掌の負傷を見た夫は「カットバン持ってる?」と尋ねます。「持ってないよ。でも、これくらいなら、大丈夫。毎度のことだから。」と答えました。 スシローの玄関入った所にある洗面所で、掌の傷を洗ってから、チラホラ空席のあるカウンターに陣取りました。夫は空腹だったので、今回も、たくさん食べました。私は、1かんだけ乗ってるもの、つまり、上等ものをねらい、何とか数皿は食べました。 デザートに「パンナコッタ」があるのを見て、美味しそうだなーと言っていたら、夫が半ぶんこを提案。半分なら食べられると喜び勇む私でした。おいしい、でも、甘すぎるぜ。 「パンタコッタ」って「なんてこった」に似てるなーって思う人、10人に7~8人はいると思わない?と私。夫は、あまり賛同してる様子ではなかったんですが、「クレマミちゃん(夫の昔からのハンドルネーム)も、ナンテコッタって言いたくなるでしょ?」と言うと、「うん」と肯定。なーーんだ、きっちり、夫ちゃまも思ってるんじゃない。ぎゃははは。 そして、帰り道、ジャスコまで歩きながら「帰ったら、膝の青あざ見て楽しもうね。」と言うと、これは、すぐさま賛同してくれました。 でも、膝の骨の真上じゃなく、下部のへこんだ所を直撃してたせいか、青あざは、さほど目立っていません。明日以降が楽しみです。 両膝が痛くて痛くて、炬燵に一旦座ると、立ち上がるのに、もがいてしまい時間がかかります。困ったものです。 でも、満腹状態でスシローに行くことになった不幸よりはマシだと思っている私です。
2003.01.18
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「今だから明かせる保健婦時代の出来事シリーズ」第八弾。「精神保健相談員」さんの話題が出たついでに、このネタを披露しちゃおう。 保健婦歴5年以上になると「精神保健相談員資格」を取得する研修を順番に受けることができた。同年代が多い職場だと、順番がなかなか回ってこないが、私は運良く、ちょうど5年目にこの2ヶ月にわたる長期研修に受講することができた。 職場を長く離れるので、留守中の担当地区の業務は、他の保健婦が代行してくれる。大勢の同僚たちに迷惑をかけての研修、しっかり学んでこなければ! 精神保健相談員は、精神障害者、アルコール依存症、シンナー中毒などを担当する専門職で、所属には専任者が1~2名配属されている。現在なら、被虐待児の問題が最も多い職務かもしれない。私のいた自治体では、保健婦は、資格は取得してもその業務につくことはない。あくまでも、教養の幅を広げることで業務に生かすというもの。で、本欄配属されている相談員さんは、医療・看護系出身ではなく、大学で心理学などをおさめた資格所有者がほとんどであった。 研修では、アルコール依存症専門の精神病院にも数日実習に行く。私が実習に行くことになった病院にいる専門医の講義が、研修の後半に予定されていた。つまり、実習が先でそのドクターの講義は後ということ。 そのドクターは、聞くところによるとアルコール依存症の専門医として名高いだけでなく、たいそうな男前だという。この研修受講者の間で、毎年話題になり、次年の研修受講者に、きっちりそのことが引き継がれていた。どんなドクターなんだろうか?と、興味津々で実習病院に行った。極寒の季節。大阪では珍しく雪が舞っていた。巷では松田聖子さんの「赤いスイトピー」が頻繁に流れていた。 この病院に評判のドクターがいるんだなー。他の受講者に先駆けて、私たちのグループが、そのご尊顔を拝見できるのか!と、ワクワクだった。 ついに見た!診察中の男前ドクターを目撃! なるほど、評判になるだけのことはある。今のジャニーズ系の美青年ではない。あくまでもシブイのだ。そう、あの故・田宮二郎氏タイプだ。長身で確かにかっこいい。ほぉ、なるほど、彼が噂の・・・。グループ員4名は揃って納得のあまり頷いた。 数日の実習を終えて講義受講に戻り数日後、彼は講師として姿を見せた。スライドを多用した講義は、とてもわかりやすくて、着実にデータを集めた学者としての講師を尊敬した。 無事、長期研修を終えて、私にも「精神保健相談員資格」が与えられた。所属に戻ると、総務課長が「履歴書を書き換えるように」と言った。ん、どうして?何と、資格欄に「精神保健相談員」と書き加えよ!というのだ。う゛ーん、そんな大袈裟なことするんかぁ・・・。ただ研修を受講しただけで試験に勝ち抜いてきたワケじゃないのにねぇ。その課長とは、「総務課長に叱られたよ。」の時の嫌われものの「あの総務課長」である。 松田聖子さんの「赤いスイトピー」を聞くたび、あの寒かった病院実習の記憶へとリンクされる。 と、そういうことは、20年以上経ってはいるが、鮮明に甦ってくる。しかし、肝心のそのドクターの名前も顔も、皆目、覚えていない。「かっこいいと感じたなー」という印象しか残っていないのだ。 何ちゅうーか、私、そのぉ~、男前って好きじゃないんよねぇ。(爆っ)
2003.01.17
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たまに、外出から戻ってコンタクトレンズをはずさないままキッチンに立つと、つい、要らんことをしてしまう。 たとえば、麺が茹であがりザルにお湯をあける作業にかかる前、メガネをはずそうと、無意識に顔に手が行ってしまう。 メガネが曇って、白いモヤでしばらく全く見えない状態になるより、0.02の視力でも、鍋の在処がわかる方がマシ。だから、いつも、メガネをはずすようにしている。相手は熱湯だから、油断禁物だよん。 で、手にメガネフレームが触れないことにアレッ?と思い「あ、そうか、コンタクトしてたんだ」と一人苦笑する。 しかし、逆は、ないなぁ。メガネをかけてる状態でコンタクトレンズしてると勘違いしたことは、どう思い出しても、一度もない。視野にフレームが入ってるからだろうか。 メガネ・コンタクト併用仲間の皆さんも、そうよね?
2003.01.16
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私は、面倒見のいいタイプではない。非力すぎて、自分のこともなかなか一人前にはできないので、情けないことだが、人のお世話ができるウツワではない。面倒を見て貰う立場だな。が、妙にお節介なところもある。 日傘のことがその一つ。 20年ほど前のこの日は「20年ほど前」にとどまらず、年月日が特定できる。1983年6月28日、職場の精神保健相談員さんと一緒に本庁に出張した。暑かった。梅雨の切れ間で日差しが強く、彼女も私も日傘をさして歩いた。 私は、紫外線よけと涼を求めて日傘をさしているが、果たして、彼女は何のために?と思った。顔に日が当たっている。太陽の位置を傘の中心部にすえていれば、いつもカゲになる。が、彼女は、ずっと、同じ方向に日傘を向けて歩いているので日差しはまともに彼女に降り注いでいた。これが雨で、風が強くて横殴りなら、その雨に対抗する方向に傘を向けるはず。 もう、ガマンできない!15歳ほど年上のその精神保健相談員さんに思わず言ってしまった。「あのぉ、傘の向きをかえないと、日差しが当たりますよ。」と。 あああ、お節介だったなー。でも、私同様、そばかすのある彼女の美容が気になったのだ。 本庁近くの「シャネルズ」という喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ。本庁に行って、その喫茶店名を見るたび、頭の中に「ランナウェイ」のメロディが流れた。あの頃、シャネルズはどんどんヒットを飛ばしていた。シャネルズが「ラッツアンドスター」と名を変えても、あの喫茶店は、もちろん「シャネルズ」のままだった。 アイスコーヒーの氷、中央に穴があくので、私はストローをそのくぼみ1つ1つに入れて、コーヒーをあますところなく飲んだ。 彼女は笑った。そんなことする友だち、多いヨと。あははは、やられたーーー!ズズっと音が鳴るので、当時20代半ばの女性として、たしなみに欠けるという指摘なんだろう。さっきのおかえしかな?と思い、ニヤリとした。 最初の所属で3年目に転勤してきた彼女(昨日の日記に登場したA氏が転勤した後に来られた人)とは、保健婦生活12年の間では、最も仲良しの精神保健相談員さんだった。いつも、くだらないことをお喋りしては笑い興じた。実に自然体でピュアな女性だった。独身生活を謳歌している彼女を見て、私も、彼女のようなハイミスになるのが夢だった。 まんまとハイミスにはなれたが、予定外に35歳にして挫折してしまった。彼女は独身生活を、今も伸びやかに謳歌している。
2003.01.15
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今から24年前、就職してまだ何日も経たない頃、昼食に出かけた食堂で、上司の女性課長、同じ課の精神保健相談員のA氏、事務職のS嬢、計4人が同席する機会があった。 新米保健婦として緊張の日々を送っていたが、食いしん坊の私のことだから、所属保健所に近く、値段の割にボリュームがあってそこそこのお味のその食堂が気に入って、機嫌よく談笑しつつ頬張っていた。 課長は「AさんとSさん、近々結婚するんよ。」と教えてくれた。へぇぇ、それはそれはめでたい話だこと!私は当然「おめでとうございます」と二人に言った。 しかし、私は、完全に勘違いしたままお祝いの言葉を言っていたのだ。 しばらくすると、同じ課の事務職S嬢と親しく口をきくようになって、年齢も近いことだし、気楽なおしゃべりがはずむようになった。そこで「どんな方と結婚されるんですか?」と私は尋ねたのだ。その時、S嬢は「へ?」ってな顔になった。その怪訝そうな顔を見て、私は「ん?」ってな顔になった。 何をどう勘違いしたのか、私は、AさんはAさんのお相手と結婚される、そして、SさんもSさんのお相手と結婚される。そういう意味に解釈してたのだ。つまり、あの二人がカップルで結婚するという意味にとらず、たまたま似たような時期に、それぞれが結婚すると思いこんでいた。だから、二組も結婚の近い人がいて、春爛漫、豪華絢爛な職場じゃのぉ~と思っていた。 なーーんだ、Aさんが相手だったのか。ワッハッハッハ! ごめんなさい、Sさん、何もあなた達がカップルに見えないとか、お似合いじゃないとか、そういう意味で勘違いしたんではないんでっせ。あの時の課長の言い方が言い回しのニュアンスに、何となく、勘違いを誘発する要素が・・・。あはは、課長のせいにしてしまおう。 私の勘違いの方のパターンが正しい場合に、あのように課長が言ったのを聞いてカップルだと誤解したというのならともかく、私のような勘違いをする方がよっぽど珍しいだろうなぁと、今、思い出しても、ニタニタ笑ってしまう。----------------------------- 今日は、大阪実家移動の3時間の旅に出ます。 明日の日記は実家パソコンからね。(^o^)
2003.01.14
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この前の冬まで使っていた炬燵布団は、かなりくたびれたので、粗大ゴミに出すことになった。今使っているのは、昨年10月に新しく購入したもの。 粗大ゴミは、その重量に応じて「粗大ゴミシール券」を購入して貼り付けることになっている。月に1回の粗大ゴミディを待ちかまえて、10キロ用のシール券を用意し、グルグルロールケーキ状に巻いて紐でくくりスタンバイOK!炬燵布団およびその付属品あわせて8キロ弱だった。抱いて体重計に乗り、自分の体重を引き算したのだ。ほっ、10キロ用の1枚で大丈夫だ。 ゴミステーションに午前8時半までに出すのが決まりなので、その時刻ぴったりに、ウンショコラショと運び出した。空は、今にも泣き出しそうで、こりゃ、降るな・・・と思っていたら、ゴミステーションからマンション玄関に戻るまでのほんの20メートルほどの間に、ポツリポツリと落ちてきた。 8時半というのは、たぶん、ゴミ集めの車が最初のゴミステーションに着く時間だろう。だから、このあたりに、どのくらいの時間にやってきてくれるのか、わからない。生ゴミの時は、8時45分くらいだとわかっているが、その他の資源ゴミなどは、かなり遅いこともある。 小心者の私は、心配で心配でたまらなくなった。今日、持ってってくれないと、あの海苔巻き(さっきは、ロールケーキと言った?)を、室内で1ヶ月間待機させることになる。邪魔で仕方ない。 何が心配なのかというと、重量オーバーの危険だ。雨をはじくような粗大ゴミならよいが、布団はまともに水を吸い込む。まだ小降りだが、これから本格的に降り出しそうだ。気になって、5階の玄関扉から何度も覗く。まだ取りにきてないなー。また階下に降りて、ゴミを見に行く。うわわ、やはり、もう随分濡れている。もし、ゴミ回収車が回ってきた時に、雨水をたっぷり2キロ以上吸い込んで10キロをオーバーしてたら、引き取ってくれずに、ずぶぬれの布団がポツンと取り残されるかもしれない。 後日、実家の母にこのことを話すと、ゴミ回収の人も炬燵布団が10キロ以内か以上かくらい見当つくから、雨で重くなっててもちゃんと持ってってくれるがな、いちいち計らへんでぇ、アンタはほんま、子供やなーと笑われた。 でも、その時は、まさかとは思うが、もし、ハカリが積み込まれていて怪しいなと睨んだものは計測することになってるかもしれない、そう、郵便物と同じように。10キロ以上ということで取り残されたら、ぼとぼとの水のしたたる布団を、部屋に持ち帰らないといけなくなる。その危機感だけで、不安いっぱいだった。 そこで、思い出したのが、あの捨てられずに残していた壊れ傘。あれを、縛っている紐にひっかけてさしかけておけば、かなりマシだろう。 たぶん、傘はこの日に出せるゴミじゃないだろうから(※注)、ポツンと取り残されるのはあの傘だけのはず。傘なら、水滴を振って乾かせばいいし、また持ち帰るのに邪魔なほどでもない。(※注:地域によっては粗大ゴミの日に出すという掲示板メッセージをいただいてますが、この時点で、私は、大きいってほどじゃないので、粗大ゴミと思ってませんでした。) これはまさにグッドアイデアだった。壊れ傘でも、巻いた布団の直径より大きいので、しっかり雨を避けてくれた。これで安心。もう、階下を気にせずに家事の続きができると、大満足だった。傘をさしかけられたロール布団は、日本昔話の「笠地蔵」のようだった。 そして、夕方、傘を引き取りに階下に降りた。あれれ、ない、ないっ、「傘がない!」 何とまー、あれだけ捨て方に困っていた壊れ傘、持ってってくれたんだわ。ついでだから持ってってくれたのか、それとも、ほんとに粗大ゴミ扱いだったのかは、今もわからない。 「笠地蔵」は、恩返しに、あの傘も処分してくれたようだ。めでたしめでたし。
2003.01.13
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「傘がない」と言っても、井上陽水氏の歌とは関係ない。関係ないついでに、初っぱなから脱線。学生時代、ラジオ番組をよく聴いていた。日曜日の昼下がりに「電リク(電話リクエスト)」の番組があり、「話し中」攻撃をかいくぐって、よくリクエストの電話をかけていた。そして、初めてリクエストに応じられ「大阪市**区のろぼろ(実際は旧姓本名)さんからのリクエスト、井上陽水 傘がない」と放送してもらえたのは27年前である。 傘がないのよぉぉ。いえ、傘なら、雨傘、日傘、晴雨両用傘、ステッキ型、折り畳み、超軽量タイプなど、いっぱい所持している。でも、壊れた傘を捨てようとした時に「傘」の項目がなかったのよぉぉん。 ゴミの分別と指定日は、わかりやすく表にまとめられたものがあり、それで大抵は事足りるが、時々、はて、これはどの日に出せばいいのだろう?と自信のない物もある。そんな時には、市が各戸配布してくれた「ゴミの分別ガイドブック」という冊子で、五十音順に並んだ品目を探す。 「か行」の「か」を探す。ん?「傘」ってないのぉ?あ、そうか、素材が違うから、雨傘と日傘で分かれてるんだろう・・・・と思い、今度は「あ行」の「雨傘」を探す。むむむ、ない。「雨具」はある。ビニール・ゴム製で「可燃ごみ(生ごみと一緒)」となっている。「は行」で「日傘」も探してみたが、やはりないっ!「は行」を見ていたら「ピーチパラソル」というのが目についた。これは、でかいから、粗大ごみでシール券を購入して貼って出さねばならない。 そこで、まさかはとは思ったが「パラソル」で探してみた。あるわけないな。「アンブレラ」だってあるわけない。普通は、わざわざ英語(外来語)で言うほどのモノじゃないんだから。 そのまま捨てるんじゃなく、ビニールと金属の骨とに分解して、ビニールは可燃ごみに、金属部分は、資源ごみ(金属)の日に出せ、つまり、それくらいは自分で判断せよということなんだろうか? しかし、この冊子には、わかりきったような品目も載せてあって、分解してそれぞれの日に出すようなものは、丁寧な注釈がついている。なのに、傘のようにありふれた、絶対どこの家にもあるような物がどうして記載されてないのか、不思議で不思議で、首をひねりっぱなしの私。 骨が折れたものなら、生協の駐車場に毎月第4水曜、移動献血カーのごとくやってくる修理屋さんに、200円でなおしてもらう。縫い目がほどけた程度なら、私のつたない針仕事でもなおせる。が、とことん汚れ、破れ、骨もズタボロになった20年来の傘は、他に傘がないわけじゃなし、邪魔になるので捨てたいのよぉぉぉ。 ま、そのうち市役所で尋ねてみよう。「傘がない」ことに気づいて1年以上、ズタボロ傘は、ずっと、傘入れにつっこまれたままであった。 ※後編の「傘がない」に続く※
2003.01.12
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100件目の時は、何だかとても感激で、思わず「日記100回記念 ~しりとリレー句~」なんて特別企画(というほどのモンじゃない!(^_^;))を組んだのですが、あはは、200件目は何もなしです。 昨日の日記で話題にした「女殺し屋 花笠お竜」ですが、今日、検索かけて調べてみました。やはり、記憶通りでした。そして、リアルタイムで見ていなかったことがハッキリしました。というのは、土曜日のゴールデンタイム、昭和40年代、絶大な人気を誇った「キーハンター」の裏番組だったからです。私は、小学6年生の頃「キーハンター」がまだカラー放送になる前から見始め、最終回まで、1回も欠かさず見たのですから、「花笠お竜」を見ていたはずがありません。 キーハンターメンバーの一人、啓子さん役の「野際陽子」女史は、当時、すでに三十路を超えられてましたが、子供心には「凛として美しくかっこいい女性」の代表が彼女でした。でも、あの「非常のライセンス」という主題歌の歌声だけは、裏声がひゅるひゅるしてて、ちょっとイヤでした。(^o^) あれから年月が流れ、今や、姑役として名高い女優さんになられましたね。でも、私のイメージは、未だに、かっこいい啓子さんです。 あ、その「キーハンター」ですが、カラー放送になるのが人気番組の割に遅く、すでに、ほとんどの番組が切り替わってから、やっとカラーになった記憶があります。新聞のテレビ欄に「カラー」とわざわざ記されてたあの時代です。当時を覚えてらっしゃる方にとっては懐かしい一時代ですよね。「サザエさん」のエンディングでは、わざわざ「カラーでお送りしてます」とか言ってたように思います。 で、「キーハンター」は幾度となく再放送されましたが、私の知る限り、カラー放送第1話目からばかりで、モノクロ時代のが流れたことがないように思います。もう一度見たいと思ってるお話がモノクロ時代にあっただけに、とても残念です。忠臣蔵のパロディーだったんですが、実によくできたストーリーでした。もしかして、フィルムが保管されてないとか? というわけで、テレビっ子時代の想い出に浸っているここ数日のろぼろです。
2003.01.11
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小枝のようにスリムでキュートなモデルさん「ツィギー」が来日するやいなや日本国中にミニスカート旋風が巻き起こった頃、時代劇の世界でも、女性が着物を短く膝上にしてミニスカ着物にするのが「ほんの一時期だけ」流行った。昭和40年代の前半だったと思う。 中学生の頃見ていたあの番組は、今となってはリアルタイムだったのか再放送だったのかの記憶は曖昧。 でも、そういう時代劇を2本、覚えている。 山城新吾夫人(もしかして元夫人?いや、復縁したんだっけ?)で、昭和30年代の邦画時代劇全盛期に可憐なお姫様女優として名高かった「花園ひろみ様」が主演していた番組があった。(昭和30年代はいくら私でも子供すぎて、こういうことを知ったのは後からではあるが。)「流れ星おりん」だったか「おらん」だったか、チャンバラの強い女性が主人公の時代劇。ここでは、助演の若かりし「大信田礼子様」が、このミニスカ着物で登場した。派手なアクションは、同じくレギュラー出演していた「プレイガール」を彷彿とさせた。あの頃の大信田礼子様は、ほんと、素敵だったなー。ウットリ それと、「久保菜穂子様」主演の「女殺し屋 花笠お竜」という番組。凄腕の女賞金稼ぎがお尋ね者の賞金首を追って荒稼ぎの旅ガラス。目の治療を急がないと失明してしまう母親のために、剣の腕をダークに利用してお金を貯めていたという設定だった。三味線に刀が仕込んであって、悪者相手に「糸が3度鳴ったら斬るよ」と言いつつ、1本2本3本とビンビン音をたてて切っていき、仕込みの刀を引き抜き、ばったばったと。これが痛快でこのシーンが楽しみだった。気っ風のいい「おりゅう姉さん」に憧れたものだ。 この番組では、主演の菜穂子様自身が、番組の前半あたりまではミニスカ着物だった。途中からは、普通の長い着物になったが、やはり、助演の女優さんがミニスカ着物だった。助演の女優さんはカルーセル麻紀様で、とても、似合っていた。あの番組で、私は、カルーセル様のファンになった。 でも、今から思うと、すっごくヘン!洋装ならロングでもミニでもデザイン次第で自然だけど、やっぱり、大人の女性の着物姿、裾をはしょってる以外で短いのはヘンである。 あーーー、もう一度、すご腕ハンターの女性が活躍するこの手のB級時代劇を見たいなー。花園ひろみ様主演の方はほとんど覚えていないが、久保菜穂子様主演の方は、割とクッキリ記憶に残っている。エンディングテーマは「都はるみ」様が歌っていて、歌詞も覚えている。演歌は好きではないが、番組の雰囲気に合っていて、結構気に入っていた。 あの頃は、ほんと「何でもあり!」だったなー。再放送、古すぎて、地上波では無理かしら?実家にあるケーブルテレビの時代劇専門チャンネルで、チェックしてみよう。
2003.01.10
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昨日、新PCのVAIOちゃんに、最初っからくっつてたいろんなソフトを開けて見てました。こんなんイランワってのは、デスクトップから即削除しつつ、「Giga Pocket」っちゅうの開けてみたら、何とまー、アンテナつないでるワケやないのに、綺麗にTVが映りますやん。 先々代のPCは、NECの「キャンビー」ってので、Win3.1でした。それ以前はウインドウズマシンではなかったため、ウィンドウズでいろんなことができるのが嬉しくて、夫に頼んでアンテナつないでもろて、TVも映るようにしてました。 けど、映りが悪ぅて、結局、ほとんど見ることなし。アンテナつないだ線だけがウニャウニャ邪魔やっただけでした。 今回のXPって、何もつないでないのに、何でちゃんとTVが映るんよぉぉ?と、機械の知識ゼロの私は、疑問に思います。まー、小型のTVかて、室内アンテナ伸ばさんでも、一応は映るから、そういうもんなんやろか・・・と、相変わらず、深くは考えない私。 でもって、これで録画までできることも驚き。ちょい実験してみたら、ほんまほんま、大容量のハードディスクのおかげで、結構長い時間のも録画可能なんやなーと、ひたすら感心ですわ。 局によっては、映りの悪いのもあるけど、ちょい見たい時には便利ですぅ。これまでは、パソコン画面を正面にして、首を90度横に向けんとTV画面が見れないから、ながら族は諦めてたんですが、「表示」を「コンパクト」に設定すれば、小さい画面を常に出しながらインタネもできるんですよねぇ。 ということで、今も、TVを見ながら(実際は、ほとんど見ず、聞きながらですが)日記を書いてます。 これで、ちょっとは「世捨て人」状態から「世間」に帰ってこれるでしょうか?でも、再放送ドラマばっかり選局してたら、やっぱり、世の中で何が起こってるかはわからんままかもしれません。たまには、ワイドショーも見よーーっと。
2003.01.09
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実家には、昔からいただきものや粗品やらで入手した小ぶりのぬいぐるみがたくさんあった。 TVの上や棚に適当に並べてあった。 実家を建てかえることになった時、膨大な量のコミックスをいよいよ手ばなす決心がつき、当時のパソコン通信仲間に声をかけて、どんどん引き取ってもらった。 そのまま古本屋さんに売ってもよかったが、値打ちをわかってもらえないで、単なる古い汚い本として二束三文で買いたたかれるのは耐えられず、わずかばかりのお金に代えるよりは本当に欲っしてる人に貰っていただきたかった。絶版もの、初版もの、それなりの目利きの人が見たら、のどから手モノのコミックスが揃っていた。約8000冊の中には、ほんとにお値打ちものもあった。(かつての漫画マニアだった頃のことは、「怪奇「カニ人間」になった日」を参照) そこで、再々、実家に出向いては、送料のみ負担していただく着払いの宅配便でどんどん発送した。 コミックスの大きさはまちまちなので、どう梱包してもデコボコができる。その隙間埋めに、何気なく、ぬいぐるみを使った。 どんどんぬいぐるみは減っていった。大事にしているもの以外は、惜しげなく隙間埋めに使った。 これが、思いもよらず、好評だったのだ。 コミックスの貰い手の中には、小さなお子さんのいる人が多かった。子供が喜んで、一緒に寝ている・・・とのお礼のメールが届く。 怪獣のぬいぐるみが気に入った幼児は、わざわざ画用紙に怪獣の絵を描いて、モルおばちゃん(モル=ろぼろ)に・・・と手紙をつけて送ってくれた。怪獣には「ガオー」と命名されていた。 我が家にいた時には無名のまま、気にとめられることのなかったぬいぐるみが、こんなに大事にされてるのかと思うと感激だった。 ある人には不要品だがある人は欲しいもの・・・。物々交換という人類最初の商業がいかに有効かが感じ取れた。そう考えるとフリーマーケットというのは、実に理想的だ。 我が家にいた時には見向きもされなかった物が、まるで宝物のように扱われている。ぬいぐるみも、本望だろう。 ぬいぐるみには未練はなかったが、手ばなしたコミックスの中には未練たっぷり物が多く、今、また、せっせと買いあさっている。モッタイナイナー。 さて、本腰いれて、「パタリロ!」を買い直すぞぉぉぉ。
2003.01.08
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我が夫のクレマミ菌ちゃまが風邪に倒れたのは、つい昨日のこと。いや、一昨日の夜から、調子は悪そうでしたが。 昨日は、初出勤の日なのに早速休暇をとって、ひたすら寝込んではりました。昨日の朝は37.5度の発熱、高熱よりこれくらいの時の方が苦しいんですよね。昼には38度を突破。夕方には、38.5度。 夫は、私と違って、すぐ医者に頼ったりせず、薬もいっさい飲まず、ひたすら、暖めて寝るだけで風邪を治す主義です。今回も、高熱を心配した私が受診を勧めても首をふるばかりでした。 寝袋を二重にしてひたすら蓑虫蓑虫。 さすがにこれだけ熱があれば食欲はありません。少しは水分をとった方がいいよと言っても、ひたすら眠るだけの夫。 うどんも湯豆腐も、小鳥の餌程度しか食べずに大半を残すので、ああ、ほんとにツライんだと・・・。あの大食漢の夫がこれだけしか食べないなんて、凄いことです。 そして、一夜明けての今日。午前の時点で、熱は37度代に下がってました。今日もお仕事はお休みをとりました。ちゃんと朝食を少量ながら食べ、昼食どきには空腹を訴えます。昼食は、普段の食欲復帰の兆しが・・・。 で、夕方に熱を計ると、ん?36度切ってる?計り方が悪いのでは?と計り直してもらいました。結果は36.6度。う゛ーん、平熱じゃ。 夕飯は、完全普通食をおかわりしました。 何て回復の早い人なんでしょう?私なら、今の夫の元気さに戻るには、ゆうに1ヶ月はかかりますよ。そりゃ、まだ咳はあるし、完全にいい状態ではないにせよ、ほとんど死んでたのは、つい昨日のことでっせ。 はぁぁ、我が夫ながら、その体力には脱帽しました。あああ、私も夫の体力の1/10でもあればなー。とはいえ、私はこの冬、一度も風邪にかかってません。神経質なまでに予防し、体力のないことを自覚するあまり、無理をせず、自分をいたわりまくっての結果。自由気ままに行動しての健康保持じゃなく、窮屈に行動を制限してのことですから、やはり、情けないことには違いないですね。 明日は夫も出勤できるでしょう。ほんま、心配しただけ損したような気分です。何はともあれ、めでたしめでたし。
2003.01.07
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私は毎年、年賀状にハムスター家族を紹介している。ゴールデンハムスターの1匹として、5代目ガン子も当然その名を連ねていた。元旦に届くはずの私の年賀状が嘘にならないように、ガン子は頑張ってくれた。 5代目ガン子は、元旦になってすぐお星様になった。年末、もう、時間の問題だったガン子。果たして年を越せるかどうか?末期の呼吸になったガン子を、ただ見てるだけで、なすすべもない飼い主たち。 「超能力が備わったハムスター」でおなじみのミルクティー色((C)ムムさんの毛色表現)のガン子は、少し病弱だった。なのに、超能力なんか使うもんだから、命を縮めてしまったのかもしれない。 まだ、若いガン子は、毛並みも美しく、亡骸は、まるで眠っているようで、綺麗なままだった。 夫は元日早々、勤務先の大学の裏山まで出向いて埋葬を済ませてくれた。 おっとりした優しい性格のガン子、本当に愛らしかったなー。生まれ変わったら、またペットショップで見つけてあげるから、それまで、お星様として煌めいててネ。-------------------------------------------------- お正月早々なので、報告日記を今日まで延期させていただいてました。
2003.01.06
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カスピ海ヨーグルトがブームになって、だいぶ月日が経ってますよね?これまでにも、菌種をあげるよ・・・と友人たちに言われてたものの、友人たちはすべて実家を拠点として遊んでもらってる大阪の住人。そこで貰っても、兵庫県の片隅まで持ち運べないのでは?と気になって、せっかくの申し出を断ってました。 ところが、ところが、夫ちゃまの実家で、カスピちゃんは棲息していたのです。1月4日、お年始に伺った時、いただいて帰ることができました。 夫の車には、アウトドア用の冷蔵庫が積み込まれてます。別に冷蔵して運搬する必要はないけど、密封してはいけないとのことで、テッシュをかぶせて輪ゴムでとめてあるだけのコップは冷蔵庫内だと転倒の心配はありません。 ということで、やっと今になって、カスピー仲間になれました。早速、牛乳200ccに大さじ1のヨーグルトで作ってます。冬場は室内で2~3日ということだから、明後日には食べることができそうです。 前に友人宅(ハムスターのぴーこの里親で、犬のあげはの飼い主)で食べさせてもらった時、クリーミィーでとても美味しかったので、うひひひ、楽しみで~す。
2003.01.05
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今日は、私の実家を午前中に発って、夫の実家に移動。そこで、数時間、楽しく過ごし、2日ぶりの我が家へリターンした。 マンションのドアをあけリビングに入って点灯。うぎゃーー、ハムスターちゃんのお家(ケージ)が1個、床に転がってる! 散らばるエサやウンチや巣材。中を確認するが、住人はいない。あーん、どこに行ったの? 行方不明ハムちゃんは、ゴールデンハムスターの「ター坊」と判明した。リビングは締め切っていたので、よその部屋には行ってないと思うものの、リビング扉の下にはかすかな空隙があるので、ゴールデンにしては少し小柄なター坊ならくぐり抜けるかもしれない。まー、戸外に行ってしまってる心配はないから、そのうちお腹がすけば戻ってくるだろうと思ったものの、気になって気になって、どうも落ち着かない。 ター坊が見つかったのは、私たちが帰宅して3時間ほど経ってからだった。 夫の部屋にいた。やはり、あの空隙をくぐり抜けて探検に行っていたのだ。少し元気がない。寒かったんだろう。お腹もすいていたに違いない。 ハムスターマンション内(「夫婦(めおと)漫才は無理か?」)にいる限りは、暖房設備が行き届いているが、比較的暖かなマンションルームとはいえ、やはり真冬のこの季節。おぉ、かわいそうに。 でも、自分で暴れてケージごと転落したんだから、自業自得だよね・・・と私が言った時、夫が「ミワちゃんが突き飛ばしたんだ。」と言った。そうか、ター坊のケージの真後ろのケージにいるミワちゃんの仕業だったのね。きょうだい喧嘩かいな?ミワはなまじ器量がいいのでチヤホヤ甘やかされたせいか(甘やかしたのは人間たち)、どうも、ジコチュウなところがある。 やはり、ハムちゃんたちを置いて、二人とも留守にするのは心配だ。エサなら、2泊3日程度は大丈夫なんだが、何が起こるかわからない。ヤレヤレ
2003.01.04
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実家には、一応ちゃんと映るテレビが3台ある。 1階の、母のテリトリーのリビングと寝室にそれぞれ1台と、2階の里帰り娘(ろぼろのことだよん)用の部屋に1台。 母は、ここ数年で目が悪くなってきたため、ラジオ一辺倒になった。だから、年払いしてたNHK受信料も途中からの分を返してもらった。電話1本で事情を話せばOKだった。もちろん、その後は、NHK受信料を払っていない。 そして、2階の私のテレビ。これが、かなりの年代もので、1982年製造と書かれている。当時としては、かなりいい物だった。ナショナル製で、あの頃人気絶頂だった沢田研二氏がCMしていたのを覚えている。テレビにリモコンがついた初期のものだ。 これが、ちっとも壊れない。1階の新しいテレビよりキレイに映る。 私は、だいたい月に2回、2~3泊実家滞在する。以前は、ケーブルテレビで、懐かしい時代劇や、「キーハンター」や「Gメン75」や「プレイガール」をよく見ていた。 が、考えてみたら、ここ半年ほどは、この2階の私の部屋では、テレビを一度もつけていない。自宅でもほとんどテレビを見ない私だが、それでも、たまにはつけているし、夫が帰宅すれば、テレビはつけっぱなしになる。 折角、一部のCS放送も見れる環境にあり、老兵とはいえども立派なテレビなのに、見向きもされていない、不憫よのぉ・・・。 しかし、むくわれる日が来た! 今日、夫が久々に私の実家にやってきた。昨日、別々の目的地に向かった私たちが、実家で合流したのだ。もう、ほとんど無意識にテレビのスイッチをオンにする人間がやってきたのだ。 おぉぉぉ、懐かしい。テレビ画面の中が動いている。(当たり前) 相変わらず、老テレビは、けなげに美しい鮮明な映りを誇示している。よかったね、たまには見てもらわないと、かわいそうだよね・・・と、しみじみ思った。 明日の朝も、夫は起きると一番にスイッチオンして、実家を発つ直前まで老兵は活躍し続けるであろう。 しかし、明日の昼前、私たちが帰ってしまった後は、再び、1階の母のテレビも含め、3台のテレビは沈黙の海に沈む。それでも、ケーブルテレビの料金は、母の口座からせっせと落とされていく。勿体ないぞ。 来週の終わり頃、また、私は実家入りする予定だが、たぶん、その時も、老兵の眠りを覚ますことはないであろう。 とってもかわいそうな、実家のテレビの物語・・・。-------------------------------------------------------- つーことで、明日は、夫の実家を経由して、兵庫県民に戻りますっ。 明日の日記は、自宅パソコンから書かせていただきまーーす.
2003.01.03
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45周年だそうです。大阪で一番はじめにできた地下街で、当時は「なんば地下センター」の名称で人気を博し、その後の地下街発展への足がかりになったってなこと、何かで読んだことあります。オッシャレーーってのにはほど遠い、まさに、やぼったい感じの地下街ですが、実家への帰途に通過するので、よく立ち寄ります。あまり広くないので、歩き疲れることがないのも気に入ってます。 今日も今日とて、実家への旅。空き腹をかかえてこの地点に到達しました。そうだ、久々に「会津屋」のたこ焼きを昼食がわりにしよう!うっかり、実家近所の参拝者数自慢神社でたこ焼きなんぞ買い食いしてて、青のりついた口でほおばってるとこ、TVニュースで流れたら大恥かくわ・・・と、思ったわけではないのですが、とにかく、ここの「ソースをつけず、そのまま食べる、冷めても美味しいたこ焼き」を、むしょうに食べたくなったんです。 マンガ「美味しんぼ」でもとりあげられ、マスコミには再々紹介されている元祖たこ焼き(?)とのふれこみの「会津屋」さんは、本店も私の実家からそう遠くない所ですが、この「なんなんタウン」店は足場がいいので、学生時代から、たまーーに、フラフラと立ち寄ります。出汁にしっかり味がついてて、やや塩辛い味だから、冷めてもイケルってのは事実。外はカリッ中はフワリの基本通り焼き加減はたいしたもの。やや小ぶりです。好みでソースをつけてもいいのですが、私は、何もつけないのが好きなんですよねぇ。 と、たこ焼きの講釈をしてる場合ではありませんでした。 たこ焼きを食べたり、母への土産を買ったりして、「なんなん」のお店で1700円ほど使いました。 ちょうど、45周年記念の企画があって、買い物・飲食500円ごとに1回ひけるくじの引き替え券が3枚、私の手に握られる結果となったのです。今どき、500円で引けるくじも珍しい?たいがいは3000円で1回抽選とか、もっと高い買い物してやっと1回抽選ってことが多いですものね。 どうせ、残念賞でティッシュ1個とかだろうけど、まー、折角だから・・・と、抽選会場まで足を運びました。ふむふむ、今日2日と3日だけのイベントのようです。 ちゃちな厚紙でできた箱に手をつっこみ、3枚三角くじを取り出し抽選会場の人に手渡しました。その時点では、きちんと引き替え券を読んでなかったので、何が当たるのか知らないままでした。チョコボールとか黒飴の箱が並んでるので、当たりが出たらあれが貰えるんだろうな・・・と思いつつ、三角くじを開ける人の手元を見ていました。 すると「おめでとうございます」と男前のお兄さんが笑顔で言うてくれてます。へ?チョコボール1箱にしては、えらい大層に祝ってくれてはるわ・・・と、まだ思ってました。でも、手渡されたのは、封筒でした。3枚もくれました。何やろなー? 怪訝そうな顔で封筒をウエストポーチにしまっていると、お兄さんは、チョコボールも1個「どうぞ」と言うてくれたんです。何かわからんけど、いただけるものなら、ほな遠慮のぉ・・・と、今度はリュックにしまいました。 帰り道の店頭で掲示されてた説明ポスターを、やっと、きちんと読んでみました。ありゃりゃ、「500円分の買い物・飲食券」が当たると書かれてます。飴やチョコボールは残念賞だったようです。 すると、あれは・・・。ウエストポーチからさっきもらった封筒を取り出して開封してみました。おぉぉ、500円券だ! 3枚とも当たってたんです。1700円の買い物をして、1500円分戻ってきたことになります。たぶん、3枚が3枚とも当たりだったことを祝って、チョコボールもおまけしてくれたんでしょう。男前のお兄さん、ありがとう! だって、500円で1回ひけるくじで、チョコボール1個でも貰い過ぎだと思うくらいだから、まさか、そんなに太っ腹な企画だったとは思いもよらぬこと・・・。 2月末日までが有効期限です。余裕余裕。今度、大阪に来る時に使うことにします。 お年玉を貰えるトシをはるか昔に越えた今、このお年玉プレゼントをゲットできて、とてもHAPPYなろぼろです。これからも「なんなんタウン」で買い物させてもらいますよーーん。ちょっと古くさい感じだけど、やっぱり20年以上なじんだ「なんなんタウン」、大好きです。---------------------------------------------------- 証拠写真です。
2003.01.02
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いつも、「おちゃらけ大好き!」に遊びに来てくださる皆さま、本年もどうぞよろしくお願いします。ペコリ 毎年毎年、元旦は普段より「おさんどん」に追われます。誰かさんが、すぐに、ひもじがるものですから。 え、さっき食べたところなのに、もうひもじいの?と、驚きつつも、せっせとエサ、いや食事作りに励みます。 おまけに、明日から再び私は大阪実家へ、夫は、別の遊び場へと移動ですから、冷蔵庫一掃作戦に熱が入るってもんです。でも、まー、今回は2日間だけの留守なので、野菜たちも、持ちこたえてくれることでしょう。 上げ膳据え膳の旅行先でお正月を迎えるってのに、やっぱり、憧れてしまいます。とはいえ、お年始客が山ほど来られてその接待に追われている主婦に比べたら、のんびりしたものですから、贅沢を言っちゃー、バチがあたりますかね。 届いた年賀状で、また今年も嬉しい知らせが舞い込みました。古くからのNET友達の結婚です。早速、メールでおめでとうを伝えました。こういうのがあるから、やっぱり、年賀状って大好き! さーーーて、明日は、実家近所の神社の喧噪を、うんと楽しんでまいりまーーす!ものすごい人出で、ニュースには毎年必ず映るんですよ。何か買い食いしちゃおーーっと。 では、明日2日の日記は、実家パソコンから書かせていただきます。
2003.01.01
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