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そろばんを始めてから半月…しょうやんが私に自分の思いを告げた。「そろばん、すごく気に入ったさ。だから、もっともっとやりたくなったから、フリーコースに変えたいんだけど…」と。これまでの習い事(スイミングと体操)は、あまりの運動不足が気になり、親が始めさせたことだったが、そろばんは自分で言い出したことだった。最初は週に2回のコースで様子を見るつもりだったのだが、週に2回では物足りないらしい…。「そろばん楽しいんだ。それはいいことだね。だけど、フリーコースにしたら、しょうやんの習い事のない日は火曜日と日曜日だけになってしまうよ。土曜日も午後からそろばん教室やっているから、おじいちゃんとお出かけした後とかに教室に行けるかな…?」フリーにしたからって、土曜日に行かなくてはならないということではないのだが、やる気を確かめたい気持ちから、ちょっと意地悪だけれども聞いてみた。「…。うん、行けるさ」少し考えたすえに出した答えである。「そう、だったらお父さんに自分で今のことをもう一度話して見ようね。スポンサーにもちゃんと聞かないと」と私はしょうやんに言ったのだ。そして主人が帰宅すると、待ちかまえていたように「お帰り~!」と主人の後を追うように、タンスの部屋に行くしょうやん。私は洗い物をしながら、耳をダンボのように聞いていた。するとしょうやんの話し声が聞こえてきた。「お父さん、あのね、そろばんなんだけど、今週に2回行っているでしょ。」「うん、そうだな。」「…でね、もっと先生からたくさん教えてもらいたくなってね、フリーコースに変えたいと思うのだけど…」段々と声が小さくなって聞き取れないのだ。流しの蛇口をとめて聞き耳をたてるが、静かなのである。どうしたんだろう?2人の話し合いの行方を気にしながら、再び洗い物を再開すると、ションボリとした顔でしょうやんがリビングにやって来た。主人の食事の用意をしながら、しょうやんに尋ねてみた。「お父さん、何だって?」「うん…やっぱりやめた」とちょっと涙目のしょうやん。そこへ主人が入ってき、しょうやんを手招き、ダイニングテーブルの椅子に座らせて、しばらく黙り込むふたり。なんだなんだ、2人の間にどんな話し合いがされたのだろう…。ちょっとドキドキしながら様子を見守っていると「お父さんは、別に怒っているわけではないさ。ただ、しょうやんが本当にそろばんを頑張れるか聞いているいるのに対して、ちょっとお父さんが問いただすと、やっぱり今のままでいいというから、そんなに簡単に気持ちが変わる程度のことだったのか?自分の気持ちはどうなのか?」険しい表情で主人が口を開いた。「そろばんはやりたいけど…」完全に萎縮してしまっていて、言葉が出てこない様子だ。主人はしょうやんに対しすごく優しいのだが、それと同じくらい厳格でもあった。そのことを既にわきまえているしょうやんは、今回のことは父親の怒りに触れてしまったのだと思い込んでしまっているようだ。主人はしょうやんがそろばんの回数を増やしたいことに対して、純粋に続けられるのかを確認したかっただけなのだが…。主人は主人で自分がしょうやんを追い込めてしまっていることを自覚していて、次の言葉を探しているようだった。「しょうごの本当の気持ちを言えばいいんだぞ。自分が思ったことを、人が何かいったくらいで変えてしまうのは良くないぞ。子供のうちから自分の意志をきちんと言えるということは大切なことなのだから、ちゃんと話してみなさい。」主人は言葉を選びながら話しているのだろう。ところがしょうやん、意固地になってしまった?「うん、最初はもっともっと先生に教えてもらって、そろばんを上手に使えるようになりたいし、透明そろばんでスゴイ数を暗算できるようになりたいと思ったけれど、でも、しばらくは今のままでいい」と。主人も私も期待はずれの言葉に一瞬たじろいでしまう。初めて自分から楽しい物を見つけてきて、それを親に教えてくれたから、それを反対する理由はなかった。それなのに…このままでいいのだろうか。「そろばんやりたいんだろ。だったら、素直にそう言えばいいんだぞ。なのにどうしてあきらめるんだ?」主人は感情的に思いをぶつけた。主人はこの時、自分の幼少時代を思い出していたらしい。自分も父親の前では、萎縮してしまって、はっきりと物を言うことができなかったそうだ。父親は自分に対してとても厳しく接していたように感じていたが、父親にはそんなつもりはなかったのだ。今、まさしく、しょうやんは自分に対して萎縮している様子だ。もちろん自分は、しょうやんに対して厳しく接しているつもりは全くないのだから…。なんだかとても息苦しい空気が流れていて、私が言葉をかけようと思っていたら「だって…お金かかるから…」としょうやんは、素直な胸の内を語るのだった。この発言の責任は、私にあった。しょうやんがそろばんを始めるときも、コースを変えたいと言ったときも、お母さんはお金を出してあげられないから、まずはお父さんに聞いて見ようねと、ついつい言ってしまっていたのだ。なにかにつけて、スポンサーのお父さんに聞いてからねと言っていたので、そのことがきっと、今回のことにも繋がっていたのだと思う。主人は安心したように「お金のことなら心配いらないぞ。それくらいどうってことないさ。お父さんもゴルフをしなくなったから、ゴルフをしていると思えばぜんぜん安いものさ」主人はさらっというのだが…。元を正すとゴルフをやめた原因は私が病気になってしまったからだ。私が好きなことも出来ずに家に閉じこもっている状態で、自分だけ好きなゴルフに出掛けるのは気が引けたからなのだ。それに医療代だって掛かっているのだ…。ちょっと自己嫌悪に陥ってしまうのだが…とりあえず一件落着?ちょっとゴルフに関して気になるところであるが…これは、またの機会に。お金の心配がなくなったしょうやんは、その後、そろばんに対する熱い思いを口にするのであった。今日、さっそくそろばんの先生にコース変更を申し出ると、先生もしょうやんも喜んでいた。先生からもとても頑張っているので楽しみですとお言葉を頂戴し、気をよくする母であった。
2006年05月31日
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まもなくここ関東地方も梅雨に入るだろう。ジメジメして不快な季節であるが、自然の恵みの雨なのだから仕方がない。 去年この梅雨時から夏が終わるまでの間ずっと、つよいむくみと関節痛に悩まされて過ごしたのだが、どうやら今年も同じようにむくみと関節痛がやってきた。それでも、去年ほどの不安はない。一時辛抱すればまた楽になると思うから。
2006年05月31日
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昨日の夕ご飯に今年初の「ゴーヤーチャンプル」を作りました♪ポークランチョンミートと島豆腐がないのがちょと寂しいのですが、それでも♪♪♪とても元気が出てきてしまう、そんな一品です♪画像の色が実物とかなり違うのですがとりあえず嬉しいのでペッタン♪
2006年05月31日
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しょやんは、今月から「そろばん教室」に通い始めた。本人の希望でやりたいと言ったので、やる気満々だ。家からそろばん教室まで、歩いて15分くらい。週に2回、私がいつも連れて行って、おじいちゃんが迎えに行っている。そろばん教室までの15分間、しょうやんはずっとしゃべりどおしだ。昨日もそろばん教室までの15分デートをしたのだが、最初の前半は「何で女の人は、人と話をするときに笑って話すのか?」と疑問をぶつけてきた。「人と話すときは笑顔の方が、より親しみやすく、会話も弾むからかなぁ…」などと意見を交わしていたら「笑顔は顔のおしゃれなんじゃない!」と締めくくるしゃいやん。面白いことを言うなぁ♪ そしてそろばん教室までの半分くらいまで来たところで「お母さん、今日はとても良い日だよ」としょうやんが突然言い出した。なんだろう? しょうやんは唐突に話題を変えるのが得意なので検討もつかない。「給食で好きな物がでた?」「○奈ちゃんとたくさんお話ししたの?」などと適当に聞いてみると「なんでか!しょうやんは良い日だよって今の話をしてるさ。それはもう過去の話でしょ…」と呆れた顔をするのだ。3年生にもなるとなかなか手強いのである。私が答えられないでいると「今日はお通夜がないのさ。だから、とっても良い日なのさ♪」とニッコリ笑うのだ。見ると大きなセレモニー会場(葬儀屋さん)に、たいていいつもお通夜のご案内が(故人の名前と会場名など)が電光掲示板でテロップ形式で表示されているのだが、今日は葬儀屋さんの会社名と電話番号の案内だけで、場内もひっそり静まりかえっていた。いつも何気なく通っていて、私はあまり気にしたことがなかったのだが、しょうやんはいつも見ていたらしい。お友達と同じ名字の名前が出てくると、ドッキっとするらしい。「本当だね、今日は良い日だね♪」子供の好奇心や優しさに触れたようで、足取りがとたんに軽くなる花*花でした。
2006年05月30日
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私の仕事は、薬をせっせと飲むこと。発病当初は、それこそ神経質になるほど、薬を丁寧に扱っていた。月に1度大量の薬を持ちかえるのだが、たくさんの種類の薬を1回分ごとに仕分けする作業が、まるまる1時間かかってしまうのだ。最初はその仕事を主人がやってくれていたのが、手のリハビリにもなるし、自分で出来ることは自分でしなくてはならないと思い、3ヶ月目からは自分でハサミを片手に薬の仕分けをするようになった。 最初は物珍しさも手伝い、必死に仕分けをするのだが、もともと好きで飲んでいる薬ではないので、だんだんと忌々し作業となる。この薬を飲まなければ、副作用がないのに…なんでこんなことをしているのだろうと、涙を流しながらの作業と変わるのだ。これも副作用で、鬱状態に陥ってしまっていたのだろう。 そんな姿を見て、しょうやんは私に同情してくれたのだろう。手伝いをかって出てくれた。大丈夫だろうか?と不安だったが、しょうやんの好意に甘えることにした。しょうやんに分け方の説明をしながら一緒に作業をするのだが、朝、昼、夜と飲む薬の種類や数が違うのでパニックになってしまう。結局ひとりで1時間かかるところが、2時間も仕分け作業で時間を費やしてしまった。初回で大変な思いをしたので次回は手を出して来ないかと思ったのだが、こりもせずにやって来る。そして仕分けをしているうちにしょうやんは薬の名称を覚えてしまったのだ。ちなみに私は視覚(外観)と効能だけが一致していて、名前の知らない薬をいまでも服用しているというのに…。 最初は慎重に大事にされていた薬たちの扱いも、だんだんといい加減になってきた。ひと月分を一気に仕分けするのが億劫になり、1週間おきに仕分けをするようになるのだが、最後には、薬を大きな箱にドドーンとごちゃ混ぜに入れて、必要な時に必要なだけ取り出して飲むという、アバウトな飲み方に変わってしまった。次回の通院日にはすべて飲み干されなければならないはずの薬たちが、箱の中に、回を重ねる事に増えているのだ。すべて飲み忘れなのだろう。ただ、このやり方に変えてから薬を飲むときに感じていたストレスは半減され、食後、なかなか進まなかった薬をわりと早い段階で飲むようになった。やはりこのアバウトなやり方は私には向いている。薬は小さくて丸い形をしているので、ちょっとした弾みで何処かに転がり落ちてしまうのだ。すぐに拾える場所ならいいのだが、たいてい行方を見失ってしまう。そんな時、箱を覗けば控え選手が今か今かと出番を待っている。飲み忘れたときには存在感のなかった薬もこれで報われるのだ。ちょっと強引に正当化してしまおう。
2006年05月30日
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昨日は「京急ファミリー鉄道フェスタ2006」が、京急久里浜駅近くの車両基地で行われた。そしてその会場に、私としょうやんがいた。すべて、私がまいた種…。 しょうやんは、大の電車好きで鉄道会社のHPを見るのが大好きだ。1ヶ月前も、いつものように一緒に「京急」のHPを見ていると、インフォメーションに「ファミリーフェスタ」の案内が載っているのを私が発見してしまった。そしてそのことをしょうやんに告げると、電車男の目は輝いて「行く行く、絶対に行く」と張り切っていたのだ。さらに詳しく内容を見てみると、ハガキを出して抽選で当選すると、立ち入り区域制限内の「主工場見学ツアー」、「洗車体験ツアー」に参加できると書いてあった。早速、しょうやんはハガキに車両の絵を描き、私が応募に際する必要事項等を書いて、各コース2枚ずつ、合計4枚書いて主催事務局に送付したのだ。当たればラッキー♪なんて思っていたら、本当に当選してしまった。「主工場見学ツアー(2名)」ご招待という当選ハガキが送られてきたのである。しょうやん大喜び!私も良かったね~と一緒に喜んでいた。その時は、私がまさか一緒に行くとは夢にも思っていなかったのだ…。主人かおじいちゃん(父)が連れて行ってくれると思っていたから。ところが、おじいちゃんははずせないゴルフ。主人の勤務表は休みになっていた。主人は当選してもしなくても、しょうやんをファミリーフェスタに連れて行くつもりでいた。私はお留守番♪ということになっていたから、お気楽にネットで電車の時間などを調べていた。「へぇー、あさ6時38分の電車に乗らないといけないんだぁ…。最短ルートでも2時間12分もかかるんだぁ。東京から名古屋に行けちゃうよ!なんて、他人事のように思っていた。そして天罰が当たってしまった。主人がどうしても会社に出なくてはならない非常事態が発生してしまって…私が行くことになってしまったのだ。 ファミリーフェスタに向かう早朝の電車は異様な雰囲気に包まれていた。しょうやんは先頭車両から運転席をのぞき込むように立っていたのだが、周りを中学生から中年男性までがしょうやんを取り囲むように運転席を見つめている。目的はみなひとつ。ファミリーフェスタに行くのだ。この日は、鉄道部品や、駅かんけいの消耗品?等の販売があり、マニアの人にはたまらないらしい。私は、寝たふり…というか寝ていた?会場に着くと、しょうやんのテンションは上がりっぱなし。もう誰も彼を停められない会場に記念撮影のコーナーがあって、写真を撮りまくっていたのだが、有料で電車の前で記念撮影というコーナーがあり、想い出になると思い申し込んだ。勿論、しょうやん独りで撮影のつもりでいた。それなのに、半ば強引に私も一緒に撮りましょう♪運転士の帽子を被されて、パチリ…やられてしまった。私は、薬の副作用でムーンフェイスなので、写真撮影は拒絶してきたのだ。それなのに…まさか、こんなところで、しかも、出来上がった写真はズラリと目の付くように並んでいて…仕上がり時間によりもかなり遅く撮りにいったので、ずっと飾られていたんだろうな…。誰も見やしないのだけど…。とてもブルーになってしまって、足早に写真を撤収して逃げたのだ。こんな場面は他にもあった。記念にお写真を撮りましょうと親切なスタッフがシャッターを切ってくれるのだ。工場見学は、1時間くらい。ガイドのスタッフに案内されて各部品やらボディーやらの詳しい説明を受けた。帰りは、しょうやんの好きな電車に乗る約束をしてしまったので、何度も何度も途中下車をしては電車を乗り換えた。家に到着したのは、7時を過ぎていた。くたくただった。ヘロヘロになってしまって、今日も午前中はグッタリ、まったり過ごした。来年も絶対に行く!と張り切るしょうやん。来年はお留守番だ!と切望する私。
2006年05月29日
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2006年05月29日
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今日は久しぶりに眼科検診に行った。約5ヶ月振りだ。神経内科の主治医から、特定疾患の更新の為のデータとして眼科を検診してくるように言われていたからだ。 プレドニンが減ってきているので、眼圧も少し下がってきたようだ。(18~20)ただ、白内障になりかかっているような、いないような…と微妙な言い方をしていたのが気になる。これはもうしばらく様子をみましょうと眼科医は言う。 今日は瞳孔を開く点眼薬をしたせいか、今もまだ目がチカチカと眩しい。この検査をするといつもこうだが、とても疲れる。 次の眼科検診は3ヶ月後。今回の検査でこれまで処方されてた眼圧を下げる点眼薬は処方されなくなった。
2006年05月29日
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昨日の夜、宿題をしていると、しょうやんはチラチラとこちらを見ては、何か言いたげな顔をしている。でもまだ宿題の途中なので知らんぷりを演じていると「ねぇねぇ♪いいこと教えてあげようか♪」とついに話しかけるしょうやん。集中力がなさすぎである。宿題をいつも長~い時間かけてやるのだ。宿題が早く終わったらボードゲームしてあげると言うと、猛ダッシュであっという間にやってしまうのに…。ニンジンをぶら下げないと走らない馬のようだ。「宿題が終わったら、聞いてあげるから、まずは最後まで集中してやりなさい」としかめっ面で言うのだが、「でも、絶対お母さんの好きな話題だよ♪」言いたくて言いたくて仕方が無い様子だ。それに私の好きな話題?何だ?何だ?今度は私が気になるのだ。1秒でも早く話したい息子、1秒でも早くききたい母親。でもここは大人らしく?ぐっと私が我慢して?何とか宿題を終わらせた。「この間さぁ、新しいクラスに変わって、お母さんが言ったでしょ♪好みのタイプの女の子いる?って♪ あの時はいなかったんだけどさ~」ここでもったいぶるしょうやん。さては好きな子でもできたかな!「好きな子できたんだぁ~♪」ニヤツク私。「誰だと思う♪」とニンマリ&照れ照れしょうやん。誰だと思うと聞かれても、クラス替えしたばかりで顔も名前も一致しないさ。だけど君はバレバレ男なのだ。最近、よ~く聞く女の子の名前があったなぁ…。「□ ○奈ちゃん♪」どうだという顔をしてしょうやんを見ると「何でわかる!! 会ったこともないくせに、何でか?」心底驚いた様子だ。「お母さんは何でもしっているのさ♪」と不適な笑みをすると「油断も隙もあったもんじゃない、恐ろしすぎだぞ!」とむくれている。そんな息子を無視するかのように「『□ ○奈ちゃん』って漢字でどう書くの?」すぐに問題を出す私。しょうやんは、ニコニコ顔で私の挑発にのり、何でも帳をとり出して鉛筆を持つ。宿題もこれくらい張り切ってやればすぐに終わるだろうに…。ところが最初の名字から躓いていた。あれ?あれ?どうだったっけ?うろたえている。私は出題するときに、連絡網で確認し、正解を知っていた。そしてヒントを与えることにした。「名字の一文字は□△空港の□だよ。読み方は違うけど。」というとすぐに正解の文字をなんでも帳に書くことができた。次は名前だ。最初の一文字は習ったばかりの字だったらしくすんなりと書くのだが、最後の「奈」の字が思い出せないのだ。「奈」の字は漢字辞典で調べてみようということで、漢字辞典でさっそく「な」のページを開くのだが「奈」という字が載っていないのである。他の2冊の辞書にも「奈」という字が出てこない。「奈」のつく熟語?固有名詞しか思い出せない。「神奈川」「奈良」「奈良漬け」。子供の国語辞典でようやく「奈良時代」という言葉から「奈」の字を見つけることが出来たのだが。「奈」の字は小学校で習う漢字だとずっと思っていただけに、「奈」の字が安易に見つからなかったことに驚いてしまった。しょうやんは、逆に「奈」が辞書に乗っていないことを喜んでいた。あまりに私が真剣に探すのでその姿が滑稽だったようだ。とりあえず、奈良時代の「奈」という漢字を何でも帳に書き写し、大好きな女の子の名前が完成して満足のしょうやん翌朝、まだ「奈」の字が辞書に載っていないことに違和感を感じた私は、再び辞書を開くのだ。すると…あった!のだ。「奈」の字が。それも意外なところに…。それは漢字辞典の1年で習う漢字の画数索引の次のページに、ひらがなのもとになったかん字とかたかなのもとになったかん字が記載されているところに。「奈」はカタカナの「ナ」の原型だったのだ。ひらがなやカタカナ1字だけでは意味を持たせることが出来ないから、辞書には載っていないのだ。と、納得したような、まだ納得いかないような、結局スッキリしていないのだが、とりあえず、「奈」を見つけることができたので、今日のところはこれで良しということにしよう。
2006年05月27日
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今日も主人は仕事、息子はおじいちゃんと浅草に出掛けた。最近の土曜日の午前中は独りで過ごすのがすっかり定番となってしまった。そこで今日は秘密の場所から、とあるものを引っ張りだしてきた。それは秘密の場所の中にある大きな茶封筒。へそくりだったら良いのだけれど…。 私は主治医から自分の病名を告げられてから、3ヶ月目に家族宛に「遺言状」を書いてしまった。主人宛に11枚、息子宛に8枚、自分の死を感じながらにしては、よくもこんなに書いたものだと我ながら呆れてしまう。確か、日中独りの時にコタツの中で、目に涙いっぱい溜めて書いた記憶がある。大きな茶封筒を開けて覗くと、入れたときのままの状態で潜んでいた。人気のない暗闇で1年以上置き去りにされていたので、手に取ると指先が冷んやりした。 まず主人宛に書いた遺言状を読み返していた。そこには主人に感謝でいっぱいの私、新しい恋をしましょうなどとはやし立てる、それはそれは物わかりの良い妻を演じている私がいた。読んでいても思わず赤面してしまうくらい、恥ずかしい文面だ。その時書いた思いと、1年ちょっと経った今、気持ちの変化は…というと、やはり同じだ。普段は、迷惑をかけてしまってゴメンなさいばかり口にしていて、ありがとうと言葉に出していなかったのが、この手紙の中ではたくさん「ありがとう」が素直に出ているからだ。人間、死を直面するとこうも素直になれるのかと感心してしまう。 そして愛する息子への遺言状。小学校1年生に宛てた文章らしく、ひらがながばかりの文だ。ただ、私らしいと思うのは、文頭から、遺言状を漢字でかいてルビを入れ、意味を辞書で調べるように書いてある。息子への遺言の中身…これも感謝の気持ちがたくさん詰まっていた。転勤ばかりで本当なら、寂しい思いをするところ、息子が傍にいてくれたことで寂しさなど感じることもなく、逆に元気をたくさん貰い、たくましくもなった。私の宝物だと伝えていた。今でもこの思いは変わらない。ただ、もう少しお兄ちゃん向けの文章に書き直してもいいのだろうが…。 遺言状を書き終え、秘密の場所にそれを封印すると、不思議と自分の中での気持ちの整理がつき始めていた。思い残すことはない、あとは自然にまかすだけ。残された時間を大切にしたいと思うようになっていた。そして、その思いが今の私を支えてくれているのだと思う。泣きたいときに泣いて、笑いたければおおいに笑い、痛いときには痛いと正直に言い、病気になる前よりもずっと自然体でいられるのだ。 今日、遺言状を引っ張り出してきたのには理由があった。封印後約1年ちょっとの歳月が流れ、私自信病気に対する意識が大きく変わり、また家族生活の環境も変わり、息子もずいぶん成長してくれた。その変化に応じて、遺言状の中身も変える必要があるのではないかと思ったのだ。でも、私が本当に残しておきたい気持はやはりここに書かれているものと同じだった。このまま、もとの秘密の場所へ戻しておこう。そしていつまでも封印されつづけることを願うだけ…。
2006年05月27日
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今年の初詣で買ったお守り。家族お揃いで買ったお守り。ひとつは主人が持っているらしい…。息子も私も使うのが勿体なくて、そのまま袋の中に入れたまま。お守りの意味がないけれど、時々出しては「ニンマリ」するのである。
2006年05月26日
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私は何かにに集中してしまうとき、呼吸をするのを忘れてしまう。そして息苦しさを感じて、慌てて呼吸をするということが、これまでの日常で結構あった。 だからだろうか、脳に酸素が行き渡っていないような「モヤッと感」というものを感じることがある。そう言うときは、ゆっくりと「深呼吸」をしてみる。すると次第に、スッキリとしてくる。 また、この病気(PN)になってから、時々胸が苦しいときがある。検査の結果は異常ないのだが、胸から背中がギューッと挟まれるような痛みを感じることがある。最初にこの症状を感じたときは、もう駄目かと思った。痛みが治まるまで40分。それが、最初は10日に1回くらいの割合で襲って来た。そして回数を重ねるうちに、胸の痛みが起こる時は、その前に必ず耳か喉の奥がキュンと痛くなるという前兆があることに気付いた。この前兆は足が攣るときの前兆に少し似ている。そして更に発見したのが、この前兆を感じた時に深呼吸をすると胸の痛みもさほど強くなく、またあっという間に痛みが和らぐのだった。 そして1日数回、深呼吸をするようになってから、胸の痛みが襲ってくる割合がぐっと減って、今は前回いつだった?というくらい改善されているのだ。狭心症改善の薬を飲んでいるのも原因かもしれないが、深呼吸の力を感じずにはいられない。 人は呼吸をしなくては生きていけないし、また当たり前のように呼吸をして生活をしている。私も無意識のうちに呼吸をしているのだが、意識しながらの深呼吸を忘れていた。だから、私の身体、脳や心臓、あらゆる臓器が酸素を要求していたのだろう。 今も、ここで深呼吸をして…身体全身が喜びを感じているようだ。
2006年05月26日
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今日は朝から晴天で、とても爽やかな1日が始まると思っていた久しぶりに、息子、しょうやんの学校へ行く日なのだ先日学校から戴いたお便りで、今日はPTAによる除草作業のボランティア活動が行われるということで、体調も良いので出席しようとでかけたのだ。最後に学校に行ったのは、しょうやんが小学校1年の2学期の授業参観以来。PTAの活動に参加するのも、これが2回目(前回はベルマークの集計)。それも1年の1学期のことだ。3年生になってすぐに、授業参観と保護者会があったのだが、肝心のしょうやんが「中耳炎」にかかり欠席したのだ。本当は、この日の授業参観と保護者会に出席するつもりでいたので、内心ガッカリしていた。逆にしょうやんは、ホッとしていたようだ。というのも、母親が1年の時に病気に掛かりそれが難病であるということが、クラス中に知れ渡ることになり、本人も母親が病気だから学校行事には来れないと言っていたようだった。なので、私がひょこひょこと学校に行くのはちょっと…待ってという心境だったに違いない。ところが、そんな態度のしょうやんを見た主人は、お母さんが学校に行きたいと思うようになったのは、それだけ病気が良くなっている証拠なんだから、喜んであげないといけないと諭すのだ。そして、しょうやんも分かってくれたようだ。ただ、根回しのいいしょうやん。学校の友達にお母さんの病気はだいぶ良くなったんだぁと言ってまわった様だ。そんなこんなで、やっと、学校へ行くことになった私。集合場所は体育館の入り口だった。集合時間よりも少し早めに着いてしまった。体育館の中では全校集会が行われていた。PTAの役員のお母さんが受付の準備をされていた。私は早めに受け付けを済ませると、促されるように体育館の中に案内された。全校集会の様子をご覧下さいとの計らいがあったのだ。私は、促されるまま体育館の中に入ると、ちょうど今月の歌の練習をしているところだった。体育館の舞台を正面にコの字形に学年ごとに並んでいるようだ。すぐに児童の3/1くらいの視線が私のところに、ほんの一瞬だけ集まった。こんなに大勢いる中から、しょうやんを見つけるのは無理だろうなぁなんて思いながら、ふと入り口近くの行列に目をやると、居たのだ。すぐそこに。小声で呼んだらきっと気付くだろう。というか、既に気付かれている?その列の1人だけ、固まったように真っ直ぐ壇上の方を向いている。他の子供達は、私以外の保護者が体育館に入って来るたびに、こちらの方に顔を向けるのに、ただ1人ずっと前を向いているのだ。私は、心の中で「お~い、こっち向け♪」と熱い視線を送るのだった。が、結局一度も振り返らないしょうやん。そして、本来の目的である除草作業が開始された。子供の学年別に作業する場所が分担されていて、私は3年生の分担場所へと行くのだったが…孤独であった。これまで、すっかり学校という場所に足を踏み入れていないこと、小学校入学目前まで沖縄にいて知人も少ないこと等…で、知っている人がいないのである。この前の保護者会に出ていたら少しは違っていたのかもしれないけれど、それでもしっかりとグループが出来ている中に、突然入り込むことは出来そうになかった。したがって、私の草むしり作業は実にはかどってしまったのは言うまでもない。楽しそうな笑い声が飛び交う中、大粒の汗を流しながら黙々と草をむしる姿、思い出すとなんだか虚しさだけが残ってしまう…。でも本来の目的は「ボランティア」 見返りをもとめるものではないのだ!ということにしておこう。そして手元にまた1通のお知らせ。図書ボランティア募集のご案内。読み聞かせボランティアと図書室での本の整理、修復ボランティアを募る内容。本の整理、修復ならお手伝いしようかと思っていたのだが…締め切りは明日まで。今日の体験であらためて思ったこと…。「お父さん、あなたは偉い!」私の代わりに学校行事によくぞ参加してくださいました!今日はとことんお召し上がり下さいませ♪今日は給料日。なにかつまみでもかってこようかな
2006年05月25日
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私は毎日3種類の胃薬を食後に服用している。それも1年半以上。ステロイドの量が多い時には、胃の調子がいつも悪かった。それも3パターンあって、胃もたれの日、膨満感の日、消化不良の日。いずれも辛いものである。 胃もたれの日は、やはり脂っこいものをたくさん食べてしまったり、食後すぐに乗り物に乗ったりすると起こりやすい。 膨満感の日は、何も食べなくても一日中満腹感を感じ、胃が圧迫されるような苦しさが伴う。また、なぜかこの日は、ちょっと汚い話しになるが、泡状の唾液が多量に分泌されて、とても不快である。 消化不良の日は、これもちょっと汚い話しになってしまうが、ゲップがたくさんでるのだが、その出ている内容は、おそらく2,3回前に食べたもののガスのようだ。また、胃酸と共に胃液が逆流して、食道あたりで留まり、チクチクと痛んだりする。胃の中に消化されていない食べ物が行き場をなくしているような感じだ。 またステロイドには食欲促進効果があるらしい。それは、わたしも実感するところで、あまりお腹が空いていなくても食べ始めると入ってしまう。(入退院直後はまったくなかった症状)また、食べ始めると急激に満腹感に至ってしまう。腹8分目でやめようと思うのだが、その境界線を自分で感知することが出来ない。仕方なく、あらかじめ食べる分量だけを決めてから食べる。大皿で料理を出すことが多いので、ついつい食べてしまうのだ…。 せっかくステロイドの量が減ってきて、すこし脂肪も落ちてきたので、ここはグッと我慢。食べ過ぎ注意警報発令中。
2006年05月25日
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この太鼓は、沖縄の伝統舞踊「エイサー」で使われる打楽器のひとつで「パーランク」と言います。しょうやんは、幼稚園の時、初めて「エイサー」に触れ、親である私も、その姿に偉く感動してしまい…その感動をお家でも!!と買ってしまった浅はかな私。エイサーは、広い場所で、大勢で、踊るからこそ、迫力満点でカッコイイ。小さな部屋で、それも1人で太鼓を打つ姿は、ちょっと寂しい。だけど、沖縄の想い出には、やっぱり最高のひと品。私が退院したばかりの頃、ふさぎ込んで布団の中で過ごしている私を励まそうと、CDラジカセを枕元に持ってきて、作詞・作曲 日出克さんの「ミルクムナリ」(美ら海よ~沖縄ベスト・ソング・コレクションより)の曲を、大音量でかけ始めた。さらに「パーランク」をたたきながら、踊っているのだ。そして絶妙な掛け声で「イヤーサッサァー! ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…ハイヤ、ハッ…イヤーサッサァー!」きっとご近所さん、驚いたことでしょう…。私は、少しボリュームを落とすように言うと、渋々音量を下げ、それでも、元気良く、「パーランク」をたたきながらくり返しくり返しつづける しょうやん。リピート機能を教えてあげたのが、こんなところで役立つとは…音楽をお聴かせできないのが非常に残念なのですが…。しょうやんの私を励まそうという思いが太鼓の響きとなりしっかりと私の心に届き、この「パーランク」も私の宝物です。その後の「パーランク」の使い方?ご想像にお任せします♪
2006年05月24日
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私の病気の進行具合は、血液検査などでは分からない。ただ、この病気はちょっとやっかいで、色々な合併症を引き起こしやすい。そのため早期発見の為にも、定期的な血液検査は欠かせない。 私の病気の状態を知るには、筋電図が使われる。が、これも年に1,2回。後は通院の際の問診を頼りに主治医が判断されるのだ。 最初はこのスタイルがとても不安でならなかった。痛みが強くなったり、症状が悪化したら連絡してくださいと、主治医に言われていたが、入院する前から、すでに痛みに慣れてしまっていて、どの程度の痛みや痺れで連絡して良いのか、分からないのである。少しいつもより痛みが強く感じるが、最高に痛かった時と比べるとどうなんだろう?その辺の感覚が鈍くなっていた。そして迷っている間に、症状が悪化しているのかもしれないと言う不安がついてまわった。血圧や血糖値のように、数字で表れてくれるとどんなに気が楽かといつも思う。私の言葉ひとつで、薬の量が左右されてしまうと思うと、複雑である。自分の判断が適切でなかったら、大変なことになるというプレッシャーが常にあった。 今でもそうだ。着々と快方に向かっている最中でも、痛みが強い日には、自分に問いかける。大丈夫かい?って。
2006年05月24日
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学校から帰ってきたしょうやん。 いきなり洋服の袖口を見せて、「見て見て、これなんだ?」見ると、黄緑色のような、黄土色のような、小さなシミが付いていた。「絵の具?」 今日は図工が5.6時間目にあったはずだ。だが、いつも絵の具を洋服につけても報告したためしがない。「ブゥブゥー、残念♪ 青虫の糞さ!」「青虫? えっ? モンシロチョウのタマゴ? えっ?」昼間、図鑑で青虫を見たばかりだ。それもモンシロチョウのタマゴのために…。なのに何で?何で?何でいきなり青虫?落ち着け!落ち着け!青虫は、きゃべつの葉っぱによく見かけ、春キャベツももう終わっていて…そうだよね、もう青虫に成長してるよね…。「ねえ、ねえ、モンシロチョウのタマゴを育てるって言っていたよね」「ああ…タマゴ? タマゴじゃなくて青虫だって!だから、タマゴはもういらないさ!」あっさりしたもんだ。昼間の私は何だったの?
2006年05月23日
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「お母さん、うちにモンシロショウのタマゴある?」夕食かに玉を食べながら学校で、先生に言われたことを思い出したらしい。「家にある人は学校で育てたいので、持ってきて下さいって先生が言ってたさ!」「へぇー、そうなんだ。でも残念ながら我が家にモンシロチョウはないよ」そんなもの、ないに決まっている。と言うよりも、モンシロチョウのタマゴ?どんなだったっけ?タマゴから孵った青虫なら知っているけど、それだって怪しい。青虫だとつかまえてきて、実際ビックリすような蛾が誕生してしまうに違いない。もしかすると、近所の公園、ひょっとすると我が家のベランダの園芸部に、モンシロチョウのタマゴがあるかも知れない…。でも、へたにわけの分からないタマゴを持たせて、妙な昆虫が大量に発生でもしてしまったら、それこそ大騒ぎになるだろう。そして、一生我が家で語り尽くされるのだ…。「お母さんがさぁ、モンシロチョウと変な虫のタマゴを間違えてさぁ、学校で大変なことになってしまったさ!!!」と。触らぬ神に祟りなし…だ。「な~んだ、残念だなぁ…」ガッカリのしょうやん。君のその顔、私の急所なんだよ…。そして今日、子供部屋で図鑑を出して、モンシロチョウのタマゴとやらを調べ、我が家の園芸部へ!捜索開始からすぐに、ハイビスカスのまだ出始めて間もない半開きの、やわらかい、みずみずしい葉の中に、極めの細かいクモの巣にからみつくようにして無数のタマゴらしき物体が見受けられ、もっとよ~く観察を…タマゴのようでな、そうでないような…何か他の植物の種にも見える…やはり、そっとして置くに限る!モンシロチョウのタマゴの話題は触れずにおこう。もし、また言ってきたら、しょうやん、自分で探せばいい♪
2006年05月23日
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ステロイド剤の副作用で、精神症状にも異変が起こることがある。比較的起こりやすい症状は、鬱症状。感情的、悲観的になりやすい…。 これまでの日記でそれは既に察することが容易だと思う。病気を受け入れるようになってからは、感情的、悲観的な鬱状態に陥ることはなくなったのだが、今年の冬、幻覚?幻聴?と思ってしまう妙な体験を何度も…。 その不思議な場面に遭遇するのは、決まって、ちょっと動悸がするので横になろうと、身近なソファーや和室に少し横になり、ウトウトし始めた頃だ。突然、キッチンの蛇口から大量の水が流れる音がするのである。そして食器がぶつかる音、誰かが洗い物をしている様子だ。そして洗い物をしながら、人が話しかけてくる。主人だったり、母親だったり、兄だったり…。毎回違うのだが、誰かが部屋に入って洗い物仕事をしながら話しかけてくるのだ。私は横になりながら、一瞬目を開くのだが、身内の人間であることが分かると安心して目を閉じ、話に耳を傾ける…。水の音と声が重なり、だんだんと相手の話が聞こえなくなり、「ハッ」として身を起こす。するとそこには人の気配はないのだ。最初は夢かと思うのだが、何度も何度も同様なことを体験するとちょっと不気味である。これは、ひょっとして、副作用の幻覚幻聴?半分寝ている状態だから、やはり夢なのかもしれない。ただ不思議なことにこの夢か?幻覚幻聴?の後は、動悸をしていたことをなどすっかり忘れて、体調は回復していた。不気味さを残して…。
2006年05月23日
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わたしは月に何度か朝寝(2度寝)をする。 主人と子供をそれぞれ送り出し、洗濯してちょっとだけ、布団にもぐり込む。 たいてい部屋が散らかっている頃に、朝寝(2度寝)する。 散らかり具合はご想像にお任せます。 ほんの1、2時間(長いかしら?)の朝寝(2度寝)が、丁度いい。 スッキリした気分で、お掃除♪ 今日もしっかり、朝寝(2度寝)してしまいました。 気分爽快 ……。 こんなことを言っているから専業主婦のイメージが悪いのかな
2006年05月22日
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この病気になって、ちょっと困ってしまうことがある。それは全身の震え…。 投薬による副作用なのか、困ってしまうほどブルブルと震えるのだ。意識していればそんなに揺れを感じないのだが、油断すると、特に手足がブルブル震えてしまう。薬の量が多いときは、さらに顎のが震え、まるでカスタネットを打つように「カチャカチャ」騒々しかったが、顎の方はどうやら落ち着いてくれてひとまず安心だ。 とくに震えが強く感じるのは、手に思い切り力を入れたときか、手が遊んでいるとき。揚げ物を油から引き上げようとするときに思わず力が入って「ブルブル…」。それから病院の血液検査の時がまた困ってしまうのだ。とりあえず痺れの少ない、しかも、力をいれても震えない左手を出すのだが血管が出にくいのだ。叩いて叩かれて、さすられても出てこないので、結局痺れの強い右手になる。当然採血をするので親指を閉まってぎゅーっと力を入れるのだが、それと同時に指先から震えが始まり、腕全体が「ブルブル、ガクガク」してしまい、看護士さんを困らせる。ただ、この道プロ?という上手な人が担当の時は、なんのためらいもなくひと突きで、痺れのない左手で事なき負えるのだ。が、たいていは右手からの採血が多い。 また、震えにより我が家では震度2弱程度の地震がたびたび起こるのだ。食卓に座っているときに、油断してリラックスしてしまうと、ダイニングテーブルが「ガタガタガタ…」と揺れるのだ。同時に家族の視線は頭上の照明を見上げる。照明が揺れていれば地震は本物、震源地は何処かとテレビのニュース速報を気にするところだ。がそうでない場合は、震源地は聞くまでもなく「私」なのだ。揺らしている本人には自覚がないため、いちいち照明を確認するのだ。ただ7割以上は…私だ。 あとデジカメや携帯で写真を撮るときも、この震えが邪魔である。ぶれてしまって、なかなか上手に撮れないのだ。デジカメや携帯が普及して本当に良かったと思う。撮ったその場で気に入らなければ削除できるから。 今では握力もかなり戻り、震えも極端に力を入れなければ、それほど気にならなくなってきた。写真のブレも少なくなってきた。だんだん良くなっていると実感。 散歩にカメラ、これが最近私の定番となった。
2006年05月22日
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今日は、しょうやんと公園に行ってきました。車に自転車とサッカーボールを積んで♪しょうやんにとっては、久しぶりの自転車しょうやんは自転車が大好きな男の子だったですが、今はちょっと…。それは、去年の秋に、ちょっとした交通事故に遭ってしまったからなのです。うちの近所は坂道がとても多いのですが、子供達は坂道もなんのその!自転車で友達と近所の公園巡りなどに出掛けています。しょうやんもそのうの1人だったのですが…。いつものように、下りの坂道を気持ちよさそうに走っていたとき、前方から車がやって来て、それを交わそうとして、ガードレールに接触してしまったのです。自家用車に直接接触はしなかったものの、ドライバーさん(女性)は、どうぜんビックリして、慌てて車から降りて息子の様子を見に来てくださいました。息子は、転んだ時に、左手とおでこにかすり傷を負っただけで大事には至りませんでした。ただ、一緒に遊んでいたお友達が、ドライバーさんに「頭をゴーンと打ったみたいだ」とその時に目撃した様子を知らせた為、ちょっとした騒ぎになってしまいました。ドライバーさんは、念のため警察を呼んで事故の報告をしたいと息子に言うのですが、息子は大丈夫だからと、半ば強引に家に逃げ帰って来たのでした。息子にとって、当時、警察は市民の安全を守る人ではなく、警察=牢屋というイメージが強く、警察が来たら自分は逮捕されるのだと思ってしまったようです。 ところが、運悪く、車のドライバーさんは同じマンションの住人で、息子がマンションに入っていくところをしっかりと見届けて、管理人さんを通じて我が家の所在を知ることになってしまって…。 そんな事があったなど知らない主人と私。息子がオートロックの解除を求めて、インターフォンを鳴らし、あら?随分と早いお帰りだねなんて言って息子の到着を待っていました。家に戻って来た息子はいつもと様子が違い、今にも泣き出しそうな顔をしているので、「どうしたの?」って言いかけたその時、管理人室からのインターフォン(音が通常の音と違うためすぐに管理人さんからだと分かるのです)が鳴って、息子は大声をあげて私の胸の中に飛んできたのです。 管理人さんは、息子が車と接触して頭を強く打たれたみたいで、車のドライバーさんが今警察をこちらに呼ばれましたので、下に降りてきてくださいと。ビックリして、息子に状況を聞こうと問いただすのですが、恐怖と興奮で話せる様子ではありませんでした。傷の手当てもあるのでとりあえず、主人が先に下に降りて対応することになりました。 傷を洗って、消毒をして、バンドエイドを傷口にあてて、あたまを慎重に見たのですが、たんこぶひとつ見つからないので、気持ちがわるくないか?頭は痛くないか?と何度もたずねるのですが、どこも痛くないの一点張りでした。しばらくすると、主人の携帯から電話が掛かってきて、警察がたくさん来ていて、今から現場検証を始めるから、しょうやんに自転車でもう一度事故現場に来るようにとのこと。怯えるしょうやんに「大丈夫だから」と言って、私が自転車を押して、現場へと向かったのです。 すると、そこには驚くべき光景が…。大きなワンボックス車両の警察の車1台、警察のバイクが3台、警官4.5人、婦警2人。チョークを持って、アスファルトに印を書いていたり、距離をはかる車輪のついた計測器?のようなものをもって道の状況などを調べている人、残りの警官はドライバーと目撃者(しょうやんの友達)とそして主人と話をしていて、婦警の2人がしょうやんの到着をじっと待っている様子だった。 しょうやんはひるむように立ち止まるのですが、すぐに全員の視線がしょうやんに集まって、もう逃げるどころではなく、ただただ緊張して、震えているような状態でした。すると、婦警さんが優しく息子に話しかけるのです。「僕、大丈夫?怪我しなかった?痛いところはない?」と。息子は相手が婦警さんだということで、少し安心した様子で「大丈夫です、痛いところはありません」と答えました。そしてさらに緊張をほぐすかのように事故とは関係のない話し、学校の話などを始め、息子が落ち着く頃を見計らって、本題に入っていったのです。横で見ていた私も感心するほど、話術が巧みでした。 現場検証は20分くらい行われました。相手の車の外傷の有無(無し)、しょやんの自転車の外傷の有無(有り)、車と自転車がすれ違った場所と転倒した場所の距離、斜面の傾斜、しょうやんの傷を覆った場所とでどのように転倒したかを想定する作業などを細かく書類に書き込んでいた。しょうやんはこうして、警察のファイルデーターに残されてしまったのです。 あとは、ひたすらドライバーさんに誤るのですが、ドライバーさんはそんなことよりも早く病院で頭を調べてあげて下さいとのことで、とりあえず病院へ。検査の結果異常なし。翌日、菓子折をもってお詫びに伺い、病院での診察結果を伝えると、ホッとしてくださり一件落着。 それから…半年以上。息子はいまだに自転車に乗るのを嫌うのです。無理に乗らなくてもいいのですが、いちんと安全に乗れば、立派な乗り物。家から離れた車の来ない公園に、こうしてやってきました。 さいしょは、上半身カチコチに固まって不自然だったのが、すぐに事故前の姿に戻り、楽しそうに自転車を漕いでいました。結局2時間以上、しょうやんは自転車を乗り回し、私はデジカメで写真をとったり、ベンチに座って本を読んだり…。公園は家族連れや、お友達連れで賑わう中、私としょうやんは単独行動。でも、これが我が家のスタイルなんだろうな…。
2006年05月21日
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沖縄のおやつがたくさんやって来たこれはみんな、試食品♪ちんすこう、紅芋たると、バナナタルト、紅芋パイ♪明日から、これでおやつが困らない
2006年05月21日
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いつもステロイドについての憎悪ばかりなので、たまにはステロイドの良いところを。(私の場合) ステロイドを飲み始めて、花粉症の症状がでなくなった。例年はくしゃみ、鼻水、涙目、口の周りのかゆみ等…大変な思いをして過ごすところが、全くそれらの症状が見られない。そう言えば、花粉症やアレルギーの治療薬としてステロイドを使われるからだろう。 これは気のせいかも知れないが、身体の痒みを感じなくなった?特に冬場の乾燥する季節は、以前は体中が痒くなっていたのが、まったく感じない。神経が鈍ってしまったのか?微妙なところだが、これも快適になった。 そして、明らかに症状の緩和が見られている…これは認めざる負えない。 以上3点、ステロイドの素敵なところでした。
2006年05月21日
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魔法使いサリーちゃん、と言ってもしらない世代の方が多いかな?朝、寝ぼけ眼でリビングをウロウロしていると、「凄いぞ!サリーちゃんのパパみたいだぞ!!」ニヤつく主人。とっさに自分の足をみてしまった私。私のリアクションでしばし沈黙…。サリーちゃんといえば、足なのだ。サリーちゃんの足といえば、寸胴のちょっと太めがチャームポイント。学生の頃、足首の見分けがつかないような足のことを、友達同士で「サリーちゃんの足」と冗談半分で言っていたのだ。「サリーちゃん」=「足」がすっかりと浸透してしまっているのだ。まさか、「サリーちゃんのパパ」が出てくるとは思わなかった。「サリーちゃん」のパパとは、サリーちゃんのお父さんで(当たり前?)、とてもユニークなヘアースタイルをしているのだ。喩えて言うと、デビルマン?デビルマンが分からなければ…トップと両サイドの髪の毛が真横に立っているような感じかなぁ。主人の視線が、私の足でなく、顔を見ていっているので、はっと我に返り、急いで洗面台の鏡に向かうとそこにはまぎれもなく、サリーちゃんのパパが…。
2006年05月20日
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私の左手の薬指には、マリッジリングをはめていた頃の面影がない。入院したときに、検査などで外すことが多く、主人に持ちかえてもらったのだ。そして退院して指輪をはめようと、薬指に入れるだが、指がむくんでしまって入らないのだ。指にはかすかに日焼けの跡か、指輪の食い込んだ跡か分からないが見えていたのに、すっかり無くなってしまっている。 時々、むくみを感じない時に、出してきてはめてみるのだが第2関節あたりで躊躇する。無理に押し込めば入りそうだ。けれど、末梢神経障害をもつ人間がすることではない。更に血液の循環を悪くするのはもってのほか…。渋々もとの場所に戻す。 主人は今でも外出するときはマリッジリングをはめている。私は羨ましげに、そのお揃いのリングを見つめるのである。 ある時、ショッピングセンターでよく見かけるワゴン販売のお店で、かわいらしいデザインリングが並んでいた。ついつい立ち寄って物色を始めると…マリッジリングによく似た指輪と遭遇。それも2つある。私は大きいサイズの方を先にはめてみた。ぐるぐるまわってしまう。そして小さい方をはめると…今度はきつくて入らない。他の派手目のデザインのものは、ジャストサイズがたくさんあるのに…。ガッカリして、急に物色する気分も何処かに行き、本来の目的の買い物に戻った。そして買い物がすべて終わると、やはりワゴン販売で見つけたリングが気になるのだ。値段は1000円。お財布の中をのぞき込む。1000円あれば、息子の○○が何個買える!! 100円シェークなら10杯分!! 100円ショップなら、10個!! 結局、買ってしまった。ぐるぐる大きく回ってしまう方を。お店の人に値札だけ外してもらい、その場で薬指に…。途端にからだに羽がはえたように、軽やかに歩いている自分がお店のウインドーに映っていた。あまり見たくない姿の私がそこにいたのだが、とても嬉しそうだ。 ただ、その指輪はやはり大きすぎた。何かの拍子ですぐに宙を飛ぶ勢いで外れてしまう。家事をしていてなんど捜索したか分からない。外出さきでは、指輪が落ちて床にあたった時の音ですぐに外れたことがわかるのだが、家の中ではなかなか気付かない。だんだんと面倒になって、本物のマリッジリングのとなりでスタンバイしていることが多くなった。 今日は久し振りにぐるぐる感を味わっている。ここの書き込みを打つたびに、リングは指の付け根から関節の間を行ったり来たりしている。
2006年05月20日
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今日も朝から雨。西の台風の影響でしょうか?新しいメンバーと登校するようになって3日目朝ご飯の支度をしている私に、息子はさりげなく、「なんか、友達さぁ、待ち合わせの場所までは、お母さんと一緒に来てるさ…」テレビのお天気お姉さんを見ながらつぶやく息子それ以上は何も言わないのだが、無言の圧力のようなものを感じる私…。「じゃあ、行こうか?」と一応面倒くさそうに聞いてみると「うん」と息子。面倒な人が、鼻歌歌いながら大急ぎで出掛ける身支度してる。「お母さん、本当は行きたいんでしょう!、どう!参った?」と嬉しそうな息子。バレバレである…。でも、君の行動もバレバレさ…。途中カタツムリなどを見つけながら、仲良く待ち合わせ場所に到着するとお友達のお母さま方が優しい眼差しで駆け寄って、「大変でしたね!」とひとりのお母さん。「ええ…。」(何? 息子のトラブルのこと??それとも病気のこと??)「子供から聞いてましたよ、辛かったでしょ」もうひとりのお母さん。「そうですね…」(やっぱり、病気? それとも息子のこと??)「でもうちの子、しょうやん(息子)と朝も一緒に行けるって喜んでるのよ。」と、さらに別のお母さん。「どうもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」実に歯切れのいい応答。一体何がどのように伝わっているのかしら?知りたいようで、知るのが怖い…。なかなか静かに外野観戦とはいかないようです♪
2006年05月19日
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ステロイド剤を服用すると、その副作用として眼圧が上がることがある。眼圧とは眼球内を満たしている眼内液の圧力を指す。大気圧よりも僅かに高く、この大気圧との差を眼圧の値として表す。単位はmmHg(ミリ水銀柱)。眼圧の異常による疾患に、緑内障がある。眼圧は、眼球壁の一部である角膜の圧力から測定する。眼圧測定は、非接触測定法として空気眼圧計で、または正確には圧平眼圧計(ゴールドマン眼圧計)により直接角膜に測定部を接触させて眼圧を計る。ヒトの角膜の圧力の正常値は、10 - 21 mmHgと定義され、これを診断上の正常眼圧としている…と書いている本人もよく分かっていない?簡単に言ってしまえば、ステロイドを飲んでいるので、緑内障には気を付けなさいよ!ということである。 この病気になってはじめて眼科を受診したのは、入院中、病院内の眼科外来だった。この時の眼圧の数値は21mmhgと平均値ギリギリのところだった。しばらく2ヶ月に1回くらいの検診で様子を見ましょうということになった。 そして退院後2回目となる検査で、22mmhgとのことで、眼圧を下げる点眼薬を処方された。薬品名はキサラタン点眼液というもので、若干副作用があると説明された。その副作用とは、直接身体に害はないのだが、点眼後、すぐに顔を洗い流すか、すばやくふき取らなければならないという。出来ればお風呂に入る直前がいいでしょうと。そうしないと目の回りに茶色~黒いシミのようなものが出来てしまうらしい。狸のような目の自分を想像し、目薬を差している時だけは、無精な私も丁寧に洗顔したものだ。 眼科を受診するのも慣れてきた頃、眼科の主治医から次のようなことを言われた。眼科の受診者が増えすぎて対応しきれなくなり、わたしのように検査だけの患者は、紹介状を書くので、近くの眼科に移ってほしいという。確かに眼科の混みようは異常で、待合室の椅子もギッシリと埋まり、座れずに立っている患者さんも少なくない。待ち時間も2.3時間は当たり前の状態だった。私も検査だけなら近くの眼科に行った方が楽だとその時は思って、紹介状を書いてもらうことにした。 紹介状をもって近くの眼科にいってみたのだが…。とても古い建物で、かなりご高齢の医師と看護士さん。設備もかなり年季がはいった品物。視力検査も、黒いしゃもじを目に当てて、3メートルくらい離れて、看護士さんのこれは?という質問に答える昔ながらの検査方法だ。医師は私が持参した紹介状を目に通し、しばらく沈黙…。そしてしばらくして、「結節性周囲動脈炎?」「特定疾患?」「ここで何をしろといってるのか?」「なんでうちによこしたのだろう」かなり大きな声での独り言がしばらく続き、看護士さんも私も苦笑い。要領を得ない医師に業を煮やし、私はついに出しゃばるのだ。眼圧検査を定期的に行うようにと言われて来たことと、今使っている点眼薬を説明した。それでも医師は納得がいかない様子で紹介状を見つめるのである。どうしたものか…。おそらく、医師も私も同じことを考えていたのかも知れない。もとの眼科に行った方がいいと。 ただどんな状況であっても医師は医師、患者は患者。医師はさっそく私の眼圧を測り始める。今回の数値はギリギリ21mmhgだった。点眼薬が効いているのだろうと言う。ただ、私の現在の症状で、こんなに強い薬を使う必要は無いといい、別の点眼薬、レスキュラを処方してくれた。薬が無くなった頃また来て下さいとのことだった。この眼科は院内処方のみ行っていて、私が特定疾患で登録している薬局で薬をもらうことができなかった。特定疾患の場合は登録してある薬局で薬を受け取る場合は、薬代は国が負担してくれるのだ。(ただし、この病気の治療の為の薬のみで、風邪や怪我など他の疾患によるものは負担されない) 何となく紹介されて行った眼科との相性の悪さを感じ、次の神経内科の受診日、以前の眼科に寄って相談してみる。以前のようにこちらでお願いできないか、もし無理なら他のところを紹介してくれないかと。 するとどちらも無理だという。私はすでに、ここの患者でなくなっているので、もしまたこちらで受診するには、今通っている眼科の医師からこちらへの紹介状を持っていないと受け付けられないという。また、患者でないので新たな紹介状も書けないと、あっさりと却下されてしまうのだ。どうしてこうも事務的な対応しかできないのかと、憤りを感じたが、この人もきっとどこかの医療事務関係の派遣会社から来た人に違いない…この人を責めても仕方ないと諦めた。今の眼科のあの先生に、どこか別の病院を紹介して下さいなんて言えるはずがない。あれこれ考えるだけで、ストレスになり、精神的にも良くないと割り切ることにした。 割り切って眼科に通うようになると、結構この眼科、面白いのである。待合室と診察室のドアは開けっ放しで中は丸見え。診察中の先生と外で待っている待合室の患者さんが、お気楽な話をしていたり、診察中の患者さんに向かって「あんたの白内障は、わたしの白内障よりも全然ましでいいなぁ」と。えっ?先生白内障?大丈夫??と驚いてしまう。そしてほとんどの患者さん(長年の付き合いがある様子)が、診察が終わると、「先生、お大事に!」って声をかけるのだ。逆でしょう?ふつうは、先生が「お大事に!」で患者が「ありがとうございました」というのに…。先生どこか悪いの??眼科は普段あまり通らない道にあるものの、歩いて10分くらいのところ。散歩がてらに出掛けるのにちょうどいい。眼科はひとりで行くことが多かったが、初めて主人がついてきたときに、やはり患者さんが「先生お大事に」という状況を見て、ここ大丈夫なのか?と真剣に思ったらしい。 それからひとつ感動したのは、初診の時は私の病気そのものが余り理解されていない様子だったが、2回目からは今の症状を聞いてカルテにもその様子をドイツ語?で書き留めて、3回目は、私の病気のことを調べてくれたのだろう、今でている症状と目の繋がり(神経がどのように伝わっているかなど)、眼圧とは何か教えてくれるのだ。またどこから引っ張り出してきたのかわからないが、学校の理科で人体模型のようなものを使って学習したことがあるが、まさにその目の模型を用意して、目に関する授業がいつの間にか始まっている。看護士さんは「ごめんね、大丈夫?」とアイコンタクトを私に送っているようだった。 眼科もそろそろ行かなくてはならない。先日の神経内科を受診したときに、眼圧の結果を教えて下さいと言われてしまった。そういえば、いつから行っていないのだろう?目薬もとっくきれてしまたのに…。
2006年05月19日
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今日も 昨日からの新メンバーとともに元気に登校した息子。昨日帰宅するなり彼の口から出た言葉は「このメンバーで帰ると凄く居心地がいいさ! 2年間なんだか損した気分さ!」これから、ずっと一緒に行く約束をしたらしい。そうと決まれば、息子の行動は早かった。これまで一緒に学校に行っていたお友達のうちに電話をして明日からしばらく一緒に行けなくなったからと告げていた。外野観戦!外野観戦!! まずは、話を聞こうじゃない!!なんでも昨日は学校で会っても口ひとつきかなかったらしい。下校も、ひとりで先に行ってしまったらしい。(途中、上級生と一緒に帰ったようだ) でも、きっと相手のお母さんは心配しているだろうな…と思っていたら案の定メールが朝早く届いた。内容はとうぜん、登下校の件だ。相手は一方的に誤ってくるのだが、そうではないとこれまでの経緯から現状を話したのだが…。上手く伝わっただろうか? 子供は以外と冷めているので、親も若干穏やか? なんだか外野が少しばかり騒がしくなってきました。とりあえず、お互い、ひとりにならないということもあり、しばらく様子を見ることになったが。これまでは、同じマンションだからという理由だけで登下校を共にしていたけれど、そろそろ色々な人間関係が出来てくる頃なのだろう。あと1時間もしないうちに、息子は帰ってくる。帰ってきたらすぐにスイミングだ。
2006年05月18日
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この病気で面白いのは、物を触れたときだ。 神経が通常の人の4/1で中身がすかすかになっていますと主治医に言われるが、痺れの痛みが強かった発症当初は、それがどういうことを意味するのかよく分からなかった。治療の効果で、痺れがだんだんと和らいでいくと、自分の神経の異常を感じるようになった。発症当時から3ヶ月くらいは、家の中では右手にだけ手袋をはめて生活をしていたので気付かなかったのだが、外出先から帰って来たとき、右手でドアを開けようとするが、握力が落ちていて、手袋をしたままの状態では滑ってしまって開けることができなかった。仕方なく手袋を外してドアノブに手が触れたとき、不思議な衝撃が走った。手のひらも指先も、しっかりドアノブに触れているのだが、冷たいと感じる部分と感じない部分があり、触っている指先には、温度が感じていないのに、指の第2関節だけ冷たさを感じたり、今では、指先と手のひらは冷たいと感じるのだが、第2関節が鈍いようだ。それでも徐々に冷たいという感覚を脳が命令しているのか、和紙に水を垂らしたときのように、だんだんと広がっていくように、冷たいという感覚も広がっていくのだ。 暑いものよりも、冷たいものの方が、神経の悪さを感じとることができる。夏場でも、スーパーの冷凍コーナーは大敵で、冷えると手の指先の血管がしぼむように痛くなる。 秋から冬へ季節が移る頃、テレビのリモコンを触れるとき、指先が冬支度をしなければならないことを教えてくれる。指先でものをふれたときに、血管が収縮するような感覚が出てくると冬の始まり。
2006年05月18日
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これ、全部泡盛です。沖縄で初めて口にしたお酒。時々、主人がロックで飲んでいますが、なかなか減らないのです。時々、こっそり豚の角煮を作るときに拝借してますが…。 今日主人は会社の組合の懇親会?という名目で、豪華な和風懐石を食べるらしいのです。もちろんお酒も夕食に手抜きできるのは嬉しいけれど、羨ましいく思い、ちょこっと飲んでしまおうか?泡盛を と思うのですが、私はドクターストップで禁酒中(アル中ではありません、念のため)やはりここは、さんぴん茶でしょう。
2006年05月17日
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ステロイド剤は、女性の敵である。「○○君のお母さん」と呼ばれるようになって、人様から見るととっくに「オバサン」の域に達しているのだろうが、本人はまだまだ…頑張りたいと思うのだ。お化粧したり、カラーリングしたり、流行の服を着てみたり。おしゃれをするだけで、出かけるのが楽しかったりする。 ところが、ステロイド剤を服用し始めた途端、わたしの女心を奪う事件が次から次へと現れるのだ。まずは、この闘病記録でもたびたびお目見えする「ムーンフェース」だ。冗談じゃないというくらいまん丸く膨れあがって、洗面所で顔を洗うたびに、顔の面積が広がっているのだ。前は手のひらに貯まった水を鼻の辺りを中心にして「バシャ」とかければ顔中に水が行き渡っていたのが、コンパスで円を描くように鼻を軸としてそのまわりを「バシャバシャ」しなくてはならないのだ。私の洗面が終わる頃は、洗面台付近やその床はビショビショ。そしてむくんで腫れ上がった顔には表情が乏しい。あまり見たくない鏡に向かって最高の笑みをするのだが、苦笑いにしか見えない。またお約束どおりニキビも、おでこ、こめかみ、顎の下を中心に出来た。皮肉なことに顔が大きくなるとともに、ニキビの場所(跡)も移動するのだ。ニキビだらけの大きな顔に、化粧する意欲は無く、なんといっても不経済だ。ファンデーションなんてすぐに使い切ってしまうだろう。 そしてつぎに、女心を奪ったものは、何と言っても「多毛症」だ。ステロイド剤を服用することによってホルモンバランスに影響を起こすようで、多毛症になることがあるそうだ。私もステロイド剤を服用して、手足のむだ毛が増えてきたなぁという印象はあった。でもむだ毛処理なら今までだってしてきていたのでどうっていうことはなかったのだが、ある日息子とお風呂に入った時だ。「お母さん、大変だよ!お母さんの背中…猫みたいさ!!!」息子はたいそう驚いた様子だった。私は一瞬なんのことか分からなかったし、顔が丸く大きくなると、今まで普通に見えていた脇の下や、背中が脂肪で邪魔をするのだ。それでも、浴室の鏡を使って、なんとなくだが見てみると、息子がいうように毛深くなっているのだ。でもいくら何でも猫は大げさだと思うものの、すっかりブルーになってしまうのだ。ただ、これはいくらでも隠すことができるし、処理もできるので許そう。 あとは、上半身がやたらと太るのだ。首まわりや肩、そして二の腕。これも副作用で仕方がないのだが、ハイネックの後ろがファスナーになっている服を着ると、ファスナーが締まらないのだ。そして今まで来ていたカットソーなども肩から腕あたりが「パンパン」状態で、無理して着ている感がある。お気に入りだった洋服がぜんぜん似合わなくなってしまったのだ。不思議とウエストだけはホンノ少しだけ細くなったのだが。ただこれには理由が…。あまりに上半身だけ太っていくことで、食べる事への罪悪感のようなものを持ってしまったからだ。本当の原因は食事の食べ過ぎではないのだが、それでも自然と食の量を気にしていた。 そして外出をするのが嫌で嫌でならなかった。何を着ても似合わないし、化粧も出来ず、いつも怪しいマスク姿…。ますます脂肪が蓄積するのであった。 *ステロイドの量が減るとともに、私の場合は投薬開始1年くらいから、少しずつ顔がしぼんできたようです。といってもまだまだ丸いのだと思います。丸顔に見慣れてしまったから、またお化粧して、洋服のコーディネートを考え、外出するのが楽しくなってきました。人間中身が勝負とはいうものの、女という物は外見をどうしても気にしてしまうのです。
2006年05月17日
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相変わらず、通学路で友達とうまくいかない息子 本当にお互いに意地の張り合いだったのが、今日は少し変化が…。 今まで友達のいいなりになっていたのが、自分の主張を通し続け、 朝は一緒に行っているらしいが、帰りは同じクラスの女の子と帰っている様子だ。 今日は学年別の集団下校の日で、従順な息子?は、先生の指示に従い 同じ方面の子供達がいる列へ加わろうとするが 「○○~!!早く来いよ!!」 「今日はみんなでいっしょに帰る日だよ!」 「そんなのいいから、早く来い!!!」 「だから、今日は集団下校さ!!」 「いいから来いよ!!!!」 「だから…!!!」 お互いに感情的になってきて、 「もう学校には一緒に行かないからな!」と叫んで走って行ってしまった友達。 結局、息子は先生の言いつけどおり、集団下校をして帰ってきて、 わりと近所の同級生(けんか別れをしてしまった子と同じクラス)と、 翌朝、一緒に学校へ行く約束をしたらしい…。 売り言葉に買い言葉。 子供の喧嘩に親は口出すな!!と心の中で言い聞かせる私。 子供同士の喧嘩に親は出るな!!と私は心の中で言い聞かせる。 とりあえず、友達に明日の朝は早く行くからと電話を入れさせた。 そばで様子を見ていたのだが、「あっ、そう!」と言われたらしい。 しばらく、外野席で観戦しましょう。 とは言え、息子の約束した時間、いつもより10分早い。 たかが10分、されど10分である。 これも子供の勉強、勉強、 親も見守る時期に入ってきたのだろう…我慢、我慢。
2006年05月16日
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今日は初めて高機能エディタなるものを使って書き込みを…一昨日はここに写真を6枚はりたかった結局、時間ばかりが経過して、やり方がわからなかった色の変え方、文字の色、大きさなるほど、こうして変更するのか3日早く、この技を使えたらよかった…ブログはじめて1ヶ月。頑張った!頑張った!
2006年05月16日
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私の闘病生活が我が家の中で定着してきた頃、某テレビ局で実話をモデルにしたドラマ、「1リットル」の涙が始まった。実在する少女の日記をもとに作製されたもので、既に映画や、書物でも知られているのだが。 ドラマの内容は、15才の少女が突然、原因不明の難病「脊髄小脳変性症」とい病気と闘いながら家族や人の優しさを、時に冷酷さ、ハンディーを持つということはどういうことなのか、そして生きるつづけることの喜びのようなことを教えてくれるものだった。 脊髄小脳変性症とは小脳が萎縮し、神経細胞が破壊されることによって身体を動かす機能が次第に失われていくという難病だった。 ドラマを見るきっかけとなったのは、「神経内科「難病」という話題に触れてことからだ。私も主人も、私の病気で初めて「神経内科」という分野の存在を知るが、私は心の中では自分の通う「神経内科」とテレビの画面を通して見る「神経内科」を比べて見たかったのかもしれない。歯科医院や内科医院などは、医師との疎通がうまくいかなかったり、力量が気に入らなければ気軽に病院を変えられるのだが、特定疾患を認定してもらうと医療機関も、薬を受け取る薬局も、あらかじめ指定しなくてはならない。 そのドラマは全部で11週あり、1話も欠かすことなく家族揃って見た。ドラマの最中は、我が家では珍しく口を利くものもなく、ドラマのエンディングにはみな、目頭が熱くなていた。いつもなら、5分もだまっていられない息子も、このドラマは真剣に見ていて、息子なりに何かを思っていたようだ。そんな息子は今もなお、1リットルの涙の文庫本を時々見ている。つい先日、クラスメイトが足にヒビが入ってしまって、松葉杖と車いすを持って登校してきたという。その時、友達の何人かは面白がってそれらで遊んでいたから、注意したと言っていた。「本当にこれを使わなくてはならない人の気持ち、分からないだろ!」と。 私たち家族は、家族それぞれの気持ち、心遣いを画面を通して見る思いがしてならなかった。 病気になってしまった主人公の心の叫び、悲しみ、喜びは、病名は違っても、私の思いに重なるところが多い。まるで私の心の中を代弁してくれているようだ。そして、病気になってしまった少女を見守る家族の思いも、主人や息子の気持ちを代弁してくれているのかもしれない。本人も大変だけど、まわりの家族の心労は測りきれない。やはり家族には感謝しなくてはならない。ちょっと良くなるとすっかり、そのことを忘れてしまいがちだ。 最初は、この「1リットルの涙」を見ることをためらっていた。完治した症例のない病気をテーマにとりあげているので、内容は恐らく重たいものなのだろう。病名は違うのに、悲劇を自分に重ねてしまうに違いないと思うのである。見てみて実際そうであったが…。ただ、難病に対しての医師団の取り組み方や、世間の認知度のようなものが知りたいという思いが強く、画面を食い入るように見た。 特定疾患の更新手続きが迫ってきた。2回目の更新だ。私の病気以外にも数多くの特定疾患とされる病気が存在している。いま、こうして書き込みをしている間にも、意欲的な医師が研究室のドアの外まで聞こえるような大きな声で「見つけたぞ~!!」と特効薬を作りだしている様子を頭に描いています…。
2006年05月16日
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昨日、息子と一緒に粘土遊びをしました。息子の作品は、母の日というところで紹介しましたので、私の作品もひとつ。よく玄関先に、「Wellcome!」という可愛らしいボードを提げているお宅があるので、私もそれをイメージしてつくったのですが、我が家の玄関には全く似合わずに行く場所がなくなってしまいました…。ということで、あまりに可愛そうなので、ここに飾ってしまいました
2006年05月15日
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治療がはじまって、2ヶ月目くらいから、突然右腕の関節の痛みを感じた。しばらく動かすと、痛みは消えるのだが、腕を休めて再び動かそうとすると痛むのだ。何だろうなぁ…こんどの外来で聞いてみようと思うのだが、次の外来までに、私の関節という関節すべてが痛くなってしまった。歩くときは、アキレス腱、膝の関節が痛み、肩はまるで40肩のように上に上がらなくなってしまう。着替えに要する時間がおそろしく掛かるようになり、冬場は本当に辛い思いをした。指も動かないわけではないのだが、曲げたり伸ばしたりするときに痛みが伴うのだった。外来の日、待ってましたと、先生にすがる目をして「私、40肩になってしまったみたいです」と唐突に切り出してしまうのだが…、聡明な主治医は、私がこうなることを知っていたように「それは、病気の症状から来ています。」とあっさり言われてしまう。40肩ではないのか!そうだよね!とホッとしていいのか、尚更悪いのか分からず終い。様子を見るほかないようだ。 元気な頃、お昼前に某テレビ局でやっている天気予報で、よく紫外線情報や、洗濯物指数、花粉飛散予報などの他に、関節痛予報のようなものやっている。最初は変なことやっているなぁ…なんて思っていたが、関節痛を煩うようになってから、しっかりこの番組の視聴者になってしまっている。 今も朝晩は関節が痛む。特に肩と肘。これも長い付き合いになるのだろう…。そして、やがて本当の40肩がやってきても、きっとそうとは気付かないのだろう。
2006年05月15日
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先日、主人の実家の庭先に咲く花を花束にしてくれた息子。そんな息子が、私に贈ったプレゼントとは…。http://bisuka-shikura.hp.infoseek.co.jp/A5_1.htm↑ここでの画像が上手く表示できなくて、けっきょく別のところで作ってペッタン もっと、勉強しなきゃ最初は、プレゼントにするつもりは無かったと思いますが、今日は母の日だと気付いたのでしょう。「これは、母の日のプレゼントだよ」と言ってのけたのです。
2006年05月14日
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2006年5月14日旦那さま紹介バトン (8) ゆみくそまん様から回ってきたバトンです!1旦那さんの1番のチャームポイントは? *まるであまおう(イチゴ)を顔の真ん中にボンとくっつけたような大きな鼻♪ 2旦那さんに似ている芸能人は誰? *プロゴルファー宮里兄妹の長男の聖志兄にぃ♪ もしくは、2時間ドラマの帝王 船越栄一郎さん♪ クマ型です♪3ご主人との馴れ初めは?(知り合ったきっかけなど) *私が派遣社員として派遣先出会う♪ 通勤経路が途中まで同じで、社内恋愛ならぬ、 車内恋愛? 4これだけはやめて欲しいダンナ様の行動、くせ等。 *トイレの準備? 大きい方をするときに、タンスの部屋に籠もり、直前まで犬のような姿で 本を読み、慌ててトイレに駆け込む。 子供が真似してます!! (ここのチクリ、主人に読まれませんように…ドキドキ)5旦那さんから貰った初めてのプレゼントは? *指輪(今ではあらゆるところのむくみから?サイズが合わない (>_
2006年05月14日
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私の病気の治療法は、今のところステロイド剤を服用すること。その為、通院は月に1回。 病気成り立ての頃は、薬に対する副作用の不安で、副作用とされているすべての症例が、自分に起こってしまっているのではないかと被害妄想的になっていた。胃の調子が悪い=胃潰瘍、疲れ目で目が霞む=緑内障、尿が遠くなる(気のせい)=腎不全=人工透析、歯磨きをしていて歯垢が取れる=骨粗鬆症、胸が痛むような気がする=狭心症…挙げればきりがない。本人にしてみればかなり深刻だった。毎日毎日新たな病気になってしまうのだから。ただそれらの症状は長くは続かず、次の症状を自覚すると、その前の症状は忘れてしまうと言ういい加減なものだったが…。 そんな病人ごっこを真剣にしていた私にとって、どうして通院は1回だけなのか、心の中では不満でならなかった。病人にとっての1ヶ月は長い。本当の病気の症状の変化も1ヶ月間でかなり波があり、良いときと悪いときの差も激しかった。きまって明日病院だ!という日に限って、ベストな症状なのだ。ベストな時に悪い日の症状を説明しても、あまり説得力がない。一昨日まであんなに胃の調子が悪かったのに、通院の日の朝はスッキリしているのだ。1ヶ月のうちに、私は色々と大変なんだ、何から話そうかと、頭の中で整理し始めるうちに、診察が終わり、薬の量の確認と、次回の外来の予約に話が移り、お大事に…と促されるように診察室を出ると、待ちくたびれた他の患者さんが、次は自分だろうという顔をして診察室のドアを見つめて待っているのだ。診察前は意気揚々とあのドアを開けたのだが、ため息ばかりこぼれてしまう。 診察が終わると、主人が「どうだった?」と。「また1錠、薬減ったよ」とまずは大事な報告からする。「で、先生なんだって?」とこれまたいつも同じ質問。「ん?何だっけ?」と曖昧な返事をする。「心配なこととかちゃんと聞いてきたけ?」返ってくる返事を知っているのだが、あえて聞いてくる。「聞きたいことはたくさんあったけど、とりあえずひとつかなぁ…症状だけ伝えてきたさ」といつものように答える。 私の主治医は、私の主観的な意見を述べるなら、実に無駄が無く、常に自分のペースを持って医師としての仕事をされている。私にだけ?事務的なミスをよくするのだが、これはご愛敬。同姓(女医)なのでアイコンタクトで通じる部分が多いような気がする。そして感心してしまうのが、対応がいつも同じことだ。ドアを開けて入ってくる時にまず私の目を見て微笑んで挨拶をし、診察室の椅子に座って再び目が合うまで間、ずっと私の動作の一部始終を観察するように見つめ「どうですか?」と尋ねるのだ。 主治医が私に投げかける質問の「どうですか?」とは、痺れや痛み具合、そして現在痺れている箇所、症状の進退状態の確認をするための言葉であった。この質問は、私の薬の量を見極めるための、大事な質問だ。前回の診察時に比べて、同じか悪くなっていないなら、主人は安心してカルテをつける。私が少し良くなった様だと話すときは、表情を輝かせて、やはりカルテをつける。カルテをつけている間に、看護士が血圧を測り、その間は私もおとなしく主治医の動向を観察するのだ。余裕があるときは、その他の気になる症状を言い、やはりそれをカルテに書き留める。医師は薬の量を減らすかどうか、慎重に考え、私は「どうか減りますように…」と心の中で願うのだ。そして、「神の声」を聞いて安心してしまい、すっかり自分の聞きたい事を言いそびれてしまうのが常だった。 退院後の経過は、痺れの場所が少しずつ変わるものの、痛みに対して慣れが出てきてしまい、ちょっと我慢すれば、痛みが和らぐことも実体験の積み重ねから会得した。そして、月日が経過すると共に、私の病癖も抜けて、本来の症状の他の悩みは消え去っていた。 今月から、通院の周期が少し延びた。これまでは28日置き(1月、2月は風邪感染対策のため通院なし、薬を大量にもらって冬ごもり?)だったのが、35日周期に変わった。主治医が次は5週間後になりますと聞かされて、病気も良くなってきて通院もさらに少なくなるんだなぁと単純に喜んだ。そんな様子をしっかりと悟られてしまったらしく、すぐに付け足しの言葉をもらうのだ。「ここからが、慎重に取り組まなくてはなりません。これからは減らす期間の間隔も遅く、減らす量も1回5mg単位だったのが、1mg単位で減らしていきます。」と。 来月から、通院期間が少しだけ空くことになりましたが、当初のように、慌てふためくこともなく、気長につき合う覚悟もいつの間にやら出来ていて、これから先もずっと主治医とつき合っていくのも良いかなぁって思っています。また、主治医が女医さんだと、病院に行くというのに、いつもよりメイクに少し気合いが入ってしまいます。血色を良くして少しでも薬を減らそうという思い(私の病気にメイクは関係ないはず?)とやはり美しい女性を見ると張り合ってしまうのかなぁ(*^^)v私の顔はまん丸なのに…。 今月から夫の付き添い為しに通院しています。もっと前からひとりで行けると言っていたのですが、信用を得ずにいました。病院は待ち時間が長いので待たせてしまうと思うだけで、プレッシャーを感じていました。(..;) 人の好意を素直に受け止められない悪妻ですが、さらにのんびり気長に行きましょう♪
2006年05月14日
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夜、息子がやっと寝たぁ~♪と、リビングのソファーに腰を下ろすと、上空が何やら騒がしいのです。「ブゥーン、ブゥーン」「カチャカチャ、パサパサ、カーンカーーン」それは聞き覚えのある、歓迎しがたい音。夏の夜の公園の電灯あたりでよく耳にする音なのです。背中に虫ずが走るように腰を上げ、一目散にリビングから去り、虫取りの網を無言で主人に渡すと、主人はまたか…という顔をしました。我が家には、何故だか虫のお客様が多く、とくに蛾、蜂、バッタ類。主人は蛾は苦手なので、蛾の時は私が虫取り網で応戦して、外に逃がすのですが、それ以外は一応主人が応戦してくれます。今回は、どう見ても蛾ではなくて、甲虫?緑???とにかく私の専門外だったのです。主人は虫の姿を発見すると「カメムシだよ」といいました。「カメムシ???」聞いたことあるけど、見たことないなぁと、頭の中では緑亀がノロノロあるいているのです。そう思うと、逃げ腰だった私も、すっかり強気になって、ちょっかいを出し始めたら「カメムシ触るとクサいぞ!」と主人の横やりが入りました。えっ?臭いってどんな臭いなんだろう!銀杏がつぶれたときの臭いかなぁ…と不謹慎にもカメムシの臭いというものを嗅いでみたくなるのですが、主人の応戦ぶりを見て、諦めることにしました。カメムシはスッポリと網の中に納まり、夜も遅いし、新たなお客さんが来ても困るので、網を玄関の外に置いておきました。翌朝、まだ、網の中にじっとしていて、そのままにして置いたら、いつの間にか姿が見えなくなっていて、自力で脱出成功したんだぁ!と喜んでいました。そして今朝、玄関がやけに臭うのです。私はすぐに、カメムシだ!と思い、辺りを見回すのですが、私の視界にはカメムシなど見あたらなく、視界に飛び込んできたのはトイレにやって来た息子の寝ぼけた姿。玄関にいる私の姿を見て、息子は思い出すかのように「上履き洗うついでに靴も洗ってよ!犬のう○ち踏んでしまったさ!」とカメムシの臭いはどこだ!と張り切って捜索していたら、やっぱりいつものように落ちが用意されているのです。息子のスニーカーをつまみ上げて、やっぱりこの臭いだと確信し、ガッカリ。カメムシの臭い、嗅いだことありますか?
2006年05月13日
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私は病気になってから、たくさんの励ましのメッセージを戴いた。その中でも心に強く残っている言葉が3つある。**ひとつ目は、退院したばかりの頃に主人からの手紙************* もっと自分中心に、自分の都合の良いように物事を考えなさい。 1ヶ月半も入院していたのだから、体力だって落ちるさ。 それに入院している方がベストなんて誰も思っていないよ。 なんくるなるさ!************************************************************ふたつ目は、息子が私にあてた手紙************************** 息子の大好きな歌 「太陽のえくぼ・山下達郎作詞/作曲」の歌詞 ひとりぼっちで 目覚めた時には やさしいkissで 抱きしめてくれる 明日を夢みて 目覚めた時には 虹のエールで 包んでくれる 小さなめざまし 耳元で背伸びして 光を呼んでいる LET THE MORNINNG COME LET THE MORNINNG COME 太陽のえくぼ 新しい朝が来る オレンジの笑顔 幸せの音がする 誰よりも美しく 輝いておくれ 僕に とめどない 微笑で LET IT SHINE LET IT SHINE ON ME**************************************************************3つ目は、息子の学校のPTAだよりの中に書いてあった言葉。**** 《すべてがあなたにちょうどいい》 お釈迦様の言葉 今のあなたに今の夫がちょうどいい 今のあなたに今の妻がちょうどいい 今のあなたに今の子供がちょうどいい 兄弟も上司も部下も友人もちょうどいい 死ぬ日もあなたにちょうどいい すべてがあなたにちょうどいい ****************************************************
2006年05月13日
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私の「かんから三線」歴は、もうすぐ11ヶ月になる。去年の6月、突然「沖縄に行こう!!」ということになった。私は動揺した。勿論、行きたくないわけではない。ただ、病気になって以来、電車ひとつ乗ったことがなかったのだ。沖縄に行くには、羽田空港に行かなくてはいけない。我が家から電車で2時間半。さらに沖縄まで…大丈夫なのだろうか。不安でならなかった。不安な気持ちと、今、このチャンスに行っておかないと、もういけないかも知れない…私が迷っている間に、予定が着々と立てられ、背中を押されるままに、旅だったのだ。空港までは、車で行き、そのまま空港のパーキングに車を停めた。今までの我が家ではあり得ない、とても贅沢なことだった。主人が出来る限り人混みを避けるためにとった、私への気遣いだった。飛行機の離陸と同時に私の不安も、流れる風に吹き飛ばされるかのように軽くなっていた。そして、すっかりこの旅を楽しんでいるのだ。ホテルは、我が家の行きつけの小禄駅近くのビジネスホテル。ここは、ファミリールームもたくさんあり、とても安いのだ。滞在期間は3泊4日。子供を1日家の都合だと言って休ませたのだ。沖縄滞在中は、1日だけレンタカーを借りて、「むら咲きむら」という、沖縄の伝統工芸の体験や、琉球王国の町並みを楽しめる観光スポットに行くことになった。あとは、まったりと過ごした。我が家は沖縄で2年も暮らしていて、一度も沖縄工芸の体験をしたことがなかった。強いて言えば、息子が幼稚園でユニークなシーサーの焼き物を作ったくらいだ。我が家の士気は高まり、それぞれ何をしたいか現地で考えた。息子はシーサーの絵付け(色塗り)とサンゴと貝殻とビーズを組み合わせての風鈴作りをすることにした。せっかくだからと、私も息子につきあって、シーサーの色塗りをした。私の筆先は、ブルブルと震えていたが、結構上手く塗れたと思う。息子もとても独創的な色遣いで、親バカ2人は盛り上がるのだった。主人は、「かんから三線」(写真)を作った。短時間で作ったわりには、とても良くできている。弦を鳴らすと、ちゃんと音階がなるのである。かなり感動してしまった。そして、私にプレゼントしてくれたのだ。実はこの旅行もかんから三線も、わたしの誕生日プレゼントだったようだ。病気になってから良いことは何もないと悲観的な態度で過ごしていた私には、贅沢すぎるプレゼント…。感謝の気持ちで一杯だ。かんから三線に出会ってから、一層沖縄の音楽に惹かれ、独学で練習を始めた。いつか、竹富島で聞いた三線の音色を思い浮かべながら…。そして家族を思いながら…。そんな私の三線生活が始まったのだが、ある事に気が付いたのだ。関東の寒い冬に、イメージ的にマッチしないのだ。今夜も熱帯夜だなぁ…と感じながら、食後に弾くのが一番。しかも、冬の指先は冷えてしまって、弦を押さえる指も、弾く指も、思うように運ばないというオマケまでついてしまう。冬場はどうしても観賞用になって、冬眠状態の日が多かった…。そして今、私の心の中で冬眠していた「かんから三線」が目を覚まし、頭の中では沖縄独特の音階を奏でるのだ。
2006年05月12日
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人には嬉しかったり、悲しかったり、楽しかったり、悔しかったり…と色んな感情を持っているが、闘病中に私が最も感じた感情とは…、「妬み」であった。 今は以前よりはその感情の出番が少なくなってきたが、闘病生活が始まってからしばらくは、ずっと人を羨む気持ちで一杯だった。易感染症と言われ、人混みや子供の学校等にしばらく行かないように医師から言われていたが、どの程度の注意をすれば良いのか、最初は全く検討もつかないため、外出するときはとても神経質になってしまい、それだけでストレスを感じていた。その為、ほとんど家の中で過ごすようになる。私は自分を籠の中で飼われている鳥のようだと思っていた。 テレビなどで、ニートと呼ばれる若者が増えていると耳にすると、私は仕事をしたくても出来ないんだよと心の中で叫ぶ。 子供の授業参観や学校行事、いつも楽しみにしていたのに、学校は一番感染しやすいところで、NGをだされてしまう。そうすると、他のお母さん方が羨ましくなる。また、私の代わりに出席してくれる主人にさえ、嫉妬の感情が芽生える。また子供のスイミングスクールのギャラリー席ぐらいならと子供のレッスンを見に行ったことが数回あるのだが、ある時、咳き込む親子が私の近くにいたので、マスクをしっかりしてガードしたのだが、その日にすぐに高熱を出して風邪が治るのに3週間ほどかかってしまった。この時点でスイミングスクールの見学もNGを出されてしまった。 どんどん、どんどん、私の居場所がなくなり、このまま、このちっぽけな部屋で一生が終わってしまうのだろうか?と思うと、ますます僻みっぽくなってしまうのだ。 テレビをつけると、私と同世代に近い元アイドル達が、仕事に復帰して私にはそれがとても輝いて見える。病気でなかったら、懐かしいなぁとか、変わらないなぁとか、暖かい眼差しで見ることができるだろうに、心が病んでいるときは、とても目障りに感じてしまう。人間が出来ていないとつくづく思う。 私の妬む心には、きりがなかった。外で子供といっしょに走り回るお母さんを見ては羨み、家族旅行にでかける知人、スキー、海水浴…今の私には出来ないことだらけだ。 私はとりわけ、自分と同世代の母親を妬みのターゲットにしていたようだ。その母親ばかりを見ていて、近くにいる子供のことはあまり意識していなかったのだろう。楽しそうな母親のそばにいる子供は同じように楽しそうだ。そして、我が息子の事を思い「はっ」とするのだ。私が我慢してきたと思っていたことは、我が息子や主人にも、私以上の我慢をさせていたのだ。自分の心の狭さを恥じた。病気になってからは、いつの間にか自分中心に物事を考えていたのだと反省してしまう。 このことに気付い私は、自分から進んで外出するよう心がけ、それが心地よいものになった。すると、身体も心もどんどん健康になっていくのだ。病は気からというが本当だ。 今では、嘘のように毎日、チョロチョロと出かけています。あんなに神経質だったのが嘘のよう。あまりの無防備さに家族から叱られる有り様です。
2006年05月12日
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今日はとても嬉しいことがありました 私はブログの中でも少し触れさせて戴いておりますが、病気をきっかけに、自分のHPを封印してしまいました。以前のようなテンションを持ってコミュニケーションを続けることが出来なかったのです。そして、これまでパソコンを通じて仲良くさせていただいた人達に、何も告げずその場から逃げてしまったのです。 病気が回復に向かうと、げんきんなもので、またパソコンで人との交流をしたいと思うようになりました。ただ、自ら居場所を失った場所に戻る勇気がなく、このブログを新たな居場所することにしました。 ただ、心のどこかで誰か覚え私の事を覚えていてくれたら…なんて思い、ブログを起こすと同時に、以前自分の使っていたHPの掲示板に足を踏み入れたのです。 HPの掲示板は2005年1月まではたくさんの書き込みを戴いていたのですが、2006年の1月に1件あっただけでした。それでも、うれしくて、最後の1件の返信を書き込んで、今日、再び掲示板に行ってみました。 すると、今年の5月2日に新規で書き込みが入っていたのです 以前親しくさせて戴いた方からでした。私が返信を送った人ではないのですが、これまでも時々掲示板に訪れてくださったようで、私の返信を見て、書き込みしてくださったのです。 そのメッセージを見た時から、胸が熱くなったり、心に羽が生えたようにウキウキしたり 人と交わることの喜びをかみしめる花*花でした。
2006年05月11日
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おととい、私がよく遊びにいかせてもらっている「Shima1228」さんのブログの記事でサーティーワンのアイスの話題がありました。「Shima1228」さんは、その日、アイスをたくさん食べましたというブログに対しての返事が、私も食べましたよというやりとりをさせて戴いたのですが…。Shimaさんのブログにも書き込みしたのですが、その日、いつも出かける大型スーパーで買い物をしていると、なんだか入り口からサーティーワンの店舗が入っている場所まで行列ができているのです。何だろうってねって息子と目を合わせると、館内放送が入り、「今日はユニセフの募金をしてくださったお客様には、無料でサーティーワンアイスのレギュラーサイズ、お好きなものをサービスさせて戴いております。どうぞ、募金をお願いします。」のような内容の案内が聞こえてきて、早速息子とその列に加わったのです。並んでいる間、息子と「こういうときは、いくら募金したらいいのかな」と話し合っていて、前の人の様子なども伺うのですが、のぞき込むわけにもいかず、結局100円にしようと話がまとまったのです。そして、100円でアイスをゲットできた達成感?でなんだかとてもウキウキしてしまいました。息子も「良いことをした後のアイスは美味しいなぁ」と感想をもらしていたのです。そして翌日。やはり息子のクラスメートの何人かは、同じように募金をしてアイスを食べたという話しになって、何を食べただの、いくら募金したなどと話が弾んだようなのです。そして家でその様子を話してくれるのですが、「お母さん、昨日のアイス、友達も食べたんだって、しかも5円だって!」と。「…。まあ、メインは募金、募金…」と答えるのだが、心境複雑な母でありました。
2006年05月11日
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私が付けていた日記の余白には、まんまるの自画像がよく描かれていた。顔中ニキビでいっぱいの…。 ステロイド剤を毎日飲んでいると、本当に驚くほど顔が丸くなっていく。主治医からも顔がムーンフェイスになりますと聞かされていたのだが、その時は、ちょっとふっくらするのかな?なんて気楽に受け止めていたのだが、主治医の「ムーンフェイス」という言葉の意味をすぐに知ることになった。毎日毎日、まるで雪だるまを作るように大きくなるのである。それは驚異的なものである。 鏡の前で、笑ってみせる。がその姿は「怖い」のである。色々な表情をしてみるのだがどれも不自然で、悲しい顔だけが、とてもよく似合って見えた。 顔じゅうもニキビができはじめ、まぶたもむくみで腫れ上がり、鏡を見ると全く別人のようだ。実際に近所の人とすれ違っても、私とは気付かれなかったのだ。また、私もこんな姿を人に見られるのが嫌で、いつもマスクして、頭には帽子をかぶり、うつむき加減で歩いたものだ。そして、こちらの意志とは関係なく突然、スーパーなどの窓ガラスに自分の姿が映りだされているのを見てしまうと、愕然としてしまうのだ。これまで見慣れていた自分の顔はいったい何処にいってしまったのだろう。 そんな私と一緒に出かけてくれる息子は、いつも私の手を「ギュッ」と握りしめていてくれた。恥ずかしかったら、手を離しても良いんだよって思いながらも、嬉しかったりもする。 私はまたしても、ステロイド剤を恨んだ。飲むのを辞めれば、元の顔にもどれるのだ。 顔が大きくなる以前は、接客業をしていたこともあり、人と話すときは必ず相手の顔を見てはなすのだったが、顔がまるくなってしまうと、相手の目を見るのが怖くなってきた。相手は多分、私の顔を見て、顔の大きな人だなぁという程度で、すぐに脳裏から消えてしまうと分かっていても、自分の顔を見られるのが苦痛だったのだ。焦点が定まらず、きっと不審者に近いものがあったかもしれない。 また、ムーンフェイスとニキビは私のひきこもりの原因となった。主人の実家から「気分転換になるから遊びにいらっしゃい」と何度と無く誘われるのだが、「はい、そのうちに伺います」というばかりで、実際に足を運ぶことができたのは、去年の夏のことである。買い物等の外出は、知り合いに会う目的ではないので、出かけるようになったものの、子供の保護者会や親戚付き合いなど、以前の私を知る人のもとに出向くことをとても苦痛に感じていた。 顔が大きくなると、顔が重たくなるのだ。顔に万有引力を感じたのは始めてのことである。 それでも、時々外出したい場所があった。息子のスイミングスクールのギャラリー席だ。何度かマスクをしてギャラリー席で息子のレッスンの様子を見ているのだが、子供は正直である。私の顔の大きさは尋常ではなかったのであろう。どの子も、何気なくギャラリー席を見るのだが、必ず私のところで数秒とまり、凝視するのだ。最初は私の方から目をそらし、うつむいたりしていたのだ。 私自信がこのムーンフェイスはどうにもならないと受け止められるまで、少なくとも半年以上はかかった。見慣れてきたこともあるのだろうが、諦めたのだ。そしてあらためて自分を見て驚いた。髪の毛はボサボサでだらしない姿、これでは駄目だと思った。洗面台に立って散髪用のハサミを取り出し、まだ完全復活とは言えない右手でカットをした。本当は美容院で切りたかったのだが、ムーンフェイスを認めても、まだ、美容院のあの大きな鏡の前で、タオルに包まれアップにされる姿をさらす勇気がなかった。 あきらめがつくと、私の引き籠もりの季節も終わり、自ら外に外出するようになった。スイミングスクールで私をみる子供は、私と目が合うと、私の方から「ニヤリ」と笑って返す。多分怖いのだろ。慌てて目をそらして背を向けるのであった。 私のムーンフェイスとニキビは、主治医のおっしゃるとおり、ステロイドの量を反比例するようで、薬の量が減り始めると大きくなった時の速度よりも、ゆるやかではありますが、確実に小さくなっています。今まだ、ちょっとふっくらかな?と思う程度でまでに戻ってきました。げんきんなもので、こうなると、またおしゃれなどしたくなってしまう今日この頃です。
2006年05月11日
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息子と散歩に出かけたら、突然息子が叫ぶのです。「お母さん、あそこの道、まるで日本地図みたいだよ」と目の前の道を指さすのです。わたしは、息子の指さす方を見て、そう言われればそんな気がして「本当だね」と。すると得意げな顔をして「どうスゴイ」と大はしゃぎ私もつられて大はしゃぎ!親バカです!
2006年05月10日
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ある日の朝、目覚める息子の様子がおかしい。私も主人もすぐに「熱だ!」と直感した。息子は熱が出ると、普段の二重まぶたが、三重まぶたへと変わるのだ。熱を測ると38℃を越えていた。私はすぐに、マスクをする。息子には大変申し訳ないのだが、風邪をもらうわけにはいかなかった。そして主人は、仕事を休み、息子のかかりつけの小児科へ連れて行った。「風邪」である。 主人は小児科の先生に、同居している母親(私)が罹っている病気の事を話すと、息子の風邪が治るまで、可能な限り隔離するようにとのことだった。 2人は病院から帰宅するのだが、主人は両手にポカリスウェットやバナナやヨーグルトを抱えていた。息子は熱を出すと途端に食欲をなくすからだ。息子は、寒気がするのだろう、小刻みに震えているようだった。 主人はまず、手洗いうがいをして、息子にも同じようにさせると、朝から布団がひきっぱなしだった和室へ向かった。そして川の字に敷かれていた布団のうち、私の布団を一式、三つ折りにすると、ヒョイと抱えてタンスの部屋(タンスと本棚がおいてあるが、更衣室のような存在の部屋)に持っていってしまった。私も息子も運び出された布団を目で追い、見えなくなるとお互いに無言で見つめ合う。病気に対してすべて否定的であった私は、どうして私ばかり寂しい思いをしなくてはならないのだろうと思っていた。息子の風邪だって永遠に続くわけがないのに、すぐに元の場所に戻れるという発想が出来ないのである。 タンスの部屋には、コタツも運び込まれ、食事もひとりで取ることになった。タンスの部屋には古いテレビが置いてある。引越を重ねるたびに、画像がどんどん悪くなり、でも完全に映らないわけではないので捨てられずにいた。試しにつけると、そこからは音声だけが聞こえてきて、時々画像が映るのだが、まるで黄色いセロファンを貼り付けたよう。そしてテレビの不具合がまるで自分のように思え、悲しくなるである。この頃は、なんでも自分の病気に置き換えては、悲しんでいた。薬の副作用だったのか、よく分からないが…。 息子は熱が下がると、隔離を余儀なくされた私の様子をよく覗きに来ては、父親に怒られていた。それでもちょくちょく、マスクをして(マスクは顎あたりを隠しているので役立っていない)やって来るのだ。心配が半分、楽しんでいるのが半分。でも、息子のおかげで寂しさも半減できたのだ。息子の風邪は以外と長引き2週間私は別居生活。が、このことが良い教訓となり、息子は手洗いうがいを良くするようになったので、私の病気もちょっとは役立っているみたいです。
2006年05月10日
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今日は月に1度の通院日。 朝9時に家を出て、帰宅は13時。 先生の顔を見ると、なぜだかホットする。 今日は血液検査も尿検査もなく、いつもより早かった。 経過も順調で、薬も少しだけ減りました。
2006年05月09日
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