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明日から日本へ里帰り。愛犬ムゥくんとモモちんは、ドッグ・マインダーのマキシーン(仮名)のところへ行った。愛犬家のマキシーンは、ドッグケンネルと違って、犬たちを家の中で預かってくれるから、嬉しい。二匹とも、マキシーン用の首輪を見せると、大喜びで、田舎に住む彼女の家で、のびのび駆け回れる、自分たちのホリデーへの期待に、しっぽを振って跳ね回る。子犬のころから、私たちが日本に帰る間はずっとマキシーンに見てもらっていた。初めのころは、やはり預けるのが心配だったから、言葉の話せない犬たちのために、特別に首輪を用意した。この首輪をするときは必ずマキシーンのところに行くゾ、と、サインを決めたんだ。当時マキシーンは、まだ引退していなかったので、メルボルンに住んでいたから、事前に数回、週末に預けて、様子を見てみた。すると、そのうちマキシーン用首輪を取り出しただけで、はしゃいで飛び回るようになったのだ。マキシーンがいてくれるから、私たちは安心して日本へ帰ることができる。マキシーンとも、今では家族ぐるみの付き合いである。彼女が再婚したときは、結婚式にも呼んでもらった。NSW州との州境の方に引っ越してしまってからは、一年に数回しか会えないけれど、たまにマキシーン夫婦がメルボルンまで遊びに来てくれるときには犬話で盛り上がる。大好きなロリィちゃんの最期を看取ってくれたのも、彼女だった。二年前、犬たちをマキシーンに預け、日本に帰った翌日に、マキシーンから、日本の実家に電話がかかってきた。ロリィが、急死した、と。死因は、脳梗塞だった。大切な、大切なロリィを、私は腕の中で逝かせてあげることはできなかったけれど、それでもマキシーンがいてくれた。あの子の体を撫でていてくれた。ロリィちゃんのお骨は今、私たちの寝室にある。ロリィのことにかんしては、書きたいことがたくさんあるけれど、あり過ぎるから、今ここでは止めておく。うちの子たちは小型犬なので、見た目はパピー然としているけれど、マルチーズのモモちんは十六歳で、ビーションのムゥくんは十二歳、ほとんど老犬である。だから、何があってもおかしくはないわけで、日本へ帰るときには毎回、不安になる。それでも、ムムもモモも、ちゃあんと帰って来てくれた。今度も、必ず帰って来てくれるだろう。それまで、あなたたちもHappy Holidayをね!五週間、愛犬たちともお別れです。そうして五週間、このブログともお別れです。それでは、みなさま、お元気で。読んでくださって、ありがとう。またね!アコマク
2008.06.28
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オーストラリアも州によって違うのだが、ビクトリア州では、一月末か、学校によっては二月頭から新学年が始まる。四学期制をとるので、この金曜日が二学期最後。明日からターム・ブレイク、中休みが始まる。いつもなら休みにウカレて、上機嫌になるメェだけど、今朝は、暗かった。ターム2最後の今日、娘が教室で親友と過ごせる最後の日であるから。メェは、セーラにカードとプレゼントを用意していた。何かと思ったら、絵本だった。タイトルは「Dog and Cat」。メェと言う名の犬と、セーラという名の猫は、大親友で、二匹はいつも仲良く遊んでいるって、お話である。生まれたときから三匹の犬に囲まれ育ち、(そのうちの一匹は一昨年、脳梗塞で逝ってしまったけれど)、犬が大好きなメェ。自分を犬にたとえ、親友を猫にたとえて、二人の友情を表現したんだろう。親友を失う淋しさを、誰に言われたわけでもないのに、絵本という形で表した、娘の心が切なかった。お話の中では、別離になど一言も触れず、ハッピーに遊んでいるって形であるのが、より切なく、親心に迫った。メェは何も言わないけれど、六歳児の幼い心で、哀しんでいるんだろうな。その日、学校が終わってから、セーラ(仮名)が遊びに来た。セーラとメェは、ダディンが二人(とムゥ)のために買ってきた、フィンガーパン(コッペパン―あ、これって死語の世界ですか―ふう長いパンにカラフルなチョコのかかったアイシンののった菓子パン)をおやつに食べてから、セーラのママが迎えに来るまで、ずっと遊んでいた。邪魔するムゥを少し鬱陶しがりながらも、お絵かきをしたり、裏庭の芝生を犬になって駆け回ったり、キャビーハウスで、砂のマフィンをつくったり―。そのさまを私はホームムービーに収めた。それにしても、子どもの遊びって言うのは、見ていて楽しい。マフィンづくりは、ここのところ小学校で20世紀初頭の暮らしについて勉強しているせいか、貧しい夫婦の設定らしい。セーラが母親で、メェが父、ムゥが幼い息子である。メェは砂をバケツに入れて家に持って帰り、「母さん、小麦粉が手に入ったぞ」とかやっている。「あなた、これでマフィンを作るから、お隣に頼んで、ミルクを少し絞ってきてくれない?」とセーラ・マミィに促されれば、メェ・ダディが、架空の牛を想定しつつ、空中で乳しぼりなんぞを始めたりして、なんだか笑える。いつかこの映像を、大人になったメェが、懐かしく見る日が来るんだろうなぁ。夕方、メェはセーラの乗った車に、見えなくなるまで手を振っていた。マクアコ
2008.06.27
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近所のチベット仏教センターで、瞑想してきた。そこではチベット仏教の高僧が毎週、無料で瞑想に関して教えてくれるのだ。私の場合、子どもがいるから毎週ってわけにはいかないけれど、月に一、二回は参加するかな。他にも数人の僧侶が参加していて、大勢の人たち(日によっては百人くらい来ている)に囲まれてする瞑想は、素晴らしいから。何よりも、場の気が、限りなく平和で、美しいの。正確には夕べの話なんだけど。瞑想に関する僧侶の話を聞きながら、はた、と気付けば、前に座っている女性の周りに黄色い光が見えた。あれ?と、目を瞬かせても、確かに見える。おやおや?と、周囲を見やれば、他の方々の周りにも見えるじゃあないの!光線の加減かもしれないけれど、みんなとおっても、きれいなのだ。私は、自分のオーラは見えることがあって、最近じゃ家でヨガをやっているときなんかに見えることがある。ヨガの三角形のポーズをとるとき、天上へ上げた手先を見上げるんだけど、手先から腕の周りをふわぁっと、ピンクがかった紫の光が取り囲んでいるんだ。うわぁ、きれい。などとハッとしつつも、でもあくまでもヨガの最中なので、そのうち手先を見ない他のポスチャーにうつるのだけれども。20代のころは歯を磨いているときなんか、鏡に映った自分の周りに見えることがあって、そのころは黄色がかった緑色だった。ああ、そういえば、オーストラリアにうつって、気分的にダウンしていたときに見えたのは、蒼っぽい光だったな。でも、他人の周りに、こんなに見えたのは初めてで、ドキリとした。まあ、実際、単なる光線の加減かもしれないし。見えるからって、この方は今体調を崩しているとか、こういう性格だとか、何か情報が伝わるわけでもないし、べつだん、騒ぐほどのことでもないんだけれどもね。ちなみにチベット仏教では、そういう神秘体験にうつつをぬかすのは、精神修行の妨げになるので、よろしくないとされている。確かに、オーラが見えようが見えまいが、日常生活に徳がなかったら、あんま意味ないもんねぇ。というわけですが、それでも神秘的なことが好きなので、やっぱりブログに記しちゃいます。アコマク
2008.06.26
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娘を小学校からピックする前に、ママ友とお茶をしていたら、メェと同じクラスに男の子のいるオージーおばあさんがやって来て、一緒にお茶を飲み始めた。私は昨日から首と肩の筋肉痛でヘタっていたので、マッサージの話をしていたら、おばあさんが、義理の息子が鍼師をしていると、連絡先を教えてくれた。その方の話から、彼女はご自身の身の上話を始めた。息子さんが去年、四十歳の若さで、心臓発作を起こして、突然他界されたそうだ。息子さんには三歳の息子さんと、八歳の娘さんがいて、上の子の方は父親の死を受け入れることができずに苦しんでいるという。奥さんは、子どもたちのために、ひたすら奮闘しているそうだ。子どもがいるから生きなければならない、がんばれる、と。彼女のご主人も、息子さんの死のショックがたたったのが、その数ヶ月後に心臓発作を起こし、手術で一命は取り留めたものの、その八日後に今度は脳卒中を起こして、言語機能と歩行に障害が出た。膝の手術をしたものの、車椅子を強いられ、もう歩くことができなくなってしまったそうだ。後二年で結婚五十周年を迎えるけれど、それまで一緒にいられるかどうか、わからない、と。「ごめんなさいね、こんな話を。でも誰かに話さずには、いられないんですよ」と、おばあさんは涙ぐんでいた。彼女の哀しみが、痛いくらいに胸を突いた。愛する人の、突然の死。人生は時にどうしようもないほど残酷だ。「あの子は生まれたとき、未熟児でね。ほんとにちっちゃなベイビーだったから、生きられないんじゃないかって、周りからは言われていたの。それがあそこまで生きたなんてね。息子はね、とても頑張ったんですよ」子どもを先に失うってことは、どれほど辛いことだろう。「そろそろ、行かなくっちゃね。私にも、ほら、孫が、まだ待っていてくれるから」促され、わたしたちはカフェを出た。今日は晴れ渡り、冬の空は、切ないほどに青かった。アコマク
2008.06.25
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二歳児を連れ買い物に出るのは、気の遠くなるものがある。バギーやカートなんて、隙あらば走り回ろうとする幼な子を、固定しておくものがなければ、なおさらに。気も遣うが、体力も使うのだ。もうすぐ日本へ一時帰国するので、お土産やらなんやらで、今日はスーパーのほかに、商店街を7軒も回らなくちゃならない。しかも三時半に娘のお迎えがあるので、二時間足らずで任務を全うしなくては。ムゥをカートに固定できるスーパーはよしとしても、ああ、どうやって、そんな短時間に任務遂行するって言うんだろう。ともかくもムゥ・バッグに、クラッカーやマシュマロ、究極の賄賂、チョコレイトまでもを詰め込んで、週に一度の買い出しに臨む。買い出し時間を確保するため、お昼寝の途中でやんわりと起こされたムゥは、いつも以上に不機嫌である。それでも、シドニーの韓国グロッセリーで纏め買いしてきた(メルボルンの日本食品店でも買えるけど、韓国店の方が安かったもので)「星食べよ」に誤魔化されて、なんとなぁく一緒についてくる。日本の両親にあげる写真を現像しなきゃならないので、写真屋で、パソコンにSDカードを入れて、でたらめにモニターを触ろうとする小さな手を振り払いつつ、写真を選ぶ。ああーっ、そんなとこ触ったら、オーダーが狂っちゃうじゃないのぉぉぉ!仕方ないので、コアラのマーチを与え、何とか操作を終了する。次は、本屋。究極である。姪っ子に贈る本を選ばなきゃならないのだが、ここでは「星」や「コアラ」レベルのスナックではとうてい、なびいてくれそうにもない。かといって、本を汚してしまうこと確実なチョコレイトを渡すわけにはいかないしなぁ。仕方なく、買う予定のまったくなかった、「Bob the Builder」の絵本を買い与えることになる。ちっ。ちなみにここの店主は友達で、ご夫婦ともフランス人である。フランス人が、英語の本屋を開くなんてユニークだと、以前その動機を聞いてみたことがあった。それは、フランスでも本屋をしていたからであった。フランス語の本も以前は置いていたそうだけど、まったく売れないので(そりゃそうかも、ここらじゃフランス移民は少ないからなぁ)、止めてしまったそうな。続いてカフェに寄り(わかってる、こんなことしている場合じゃあないってことは。でもこれだけはどうしてもデリートするわけにはいかないの)、ムゥにカップケーキ、私はカフェラッテで一息ついてから、親友のセーラにあげたいという、メェの書いた絵本を、印刷物のデザイン・ショップでカラーコピーしてから、デリーに寄って、お土産を買うためブティックに行ってから、薬屋に向かった。その間もムゥは、調子はずれな大声で歌い(が、たぶん傍からは、喚いているとしか思えないであろう)、ステップを踏み踏み踊って(が、たぶん暴れているとしか見えないハズだ)、そうして自由気ままに歩き回ろうとする。初めのうちこそ、なんとか押さえつけていたものの、次第に増えてゆくショッピング袋に両手もふさがって、そのうち、ほぼ野放し状態。せめても車に轢かれないように、とそれだけを思う。それでももう薬屋だ。ここまで来れば、しめたものである。店内に入るや、いつの間にやら視界から消えてしまったムゥの名をせめても呼びながら、目当ての品々をガシッと掴んで、レジへと急ぐ。―と、嘘でしょう、薬のパッケージが、破れているじゃあないのぉぉぉ!なのに店員のおばさんは涼しい顔で、「あ、この間、小さな女の子が破っちゃったのよぅ。ま、でも大丈夫よ。中味は破損していないからねっ」そう言われても内服薬なので、やはり気になるから替えてもいいかと尋ねれば、替えたかったら替えれば的にしらぁっと肩をすくめている。待たせちゃ悪いと急いで、貨物なみに重たい荷物はレジに置き、ムゥの手だけをつかんで売り場に戻れば、嘘っ、替えようにも、それしかないじゃないのぉぉぉ!「あ、やっぱりなかったのね。ないと思った。それが最後のやつ。でも大丈夫ですよぉ。小さな子が破っちゃっただけだから、わかるでしょ」と、相変わらずおばさんは素知らぬ顔で、箱がボロボロに破れた内服薬(しかも中は瓶ではなく、粉薬の包みである)を、袋に入れてしまった。その手つきと口調は、もしや、すべてを了解済みで、不良品をさばくため、わざとそれだけを棚に並べていたんじゃ…。と、訝りたくなるほどで。あからさまな「子連れが何言ってんの」然とした態度に、「自分の息子を思えば、こっちもとやかく言えた義理じゃあないかも」感にとらわれ始める。ひゅる~冷たい北風(あ、ここじゃ南極からの南風ですね)が、吹き抜ける。果たして、小さな子連れは、こういう状況も、涙をのまねばならないんだろうか?だけど―、内服液。それに―、ムカつくっ。かといって―、別の薬屋まで買いに行くのは…。私一人の足なら2、3分。ムゥを連れてだと、間違いなく往復15分はかかるだろう。結局、私は別の薬屋へ向かった。子連れだからと言って、破損した内服薬を家族に与えるわけにはいかないのだ。それから写真の現像を取りに行き、七軒どころか、のべ九軒も寄ることになってしまった。ようやっとスーパーに到着した時には、すでにタイムリミット十分前!カートに、そろそろ疲れ果てて今度はグズリ始めたムゥを突っ込み、トライアスロン走者なみに商品を掴み取りしては、店内を走り、最小限のリストをそろえ、レジを突破したのであった。ちなみに、その二時間で消費したスナック菓子は、星食べよ2袋、ミニ・コアラのマーチ2袋、ミニ・パックンチョ・イチゴ味2袋、ライスクラッカー・チーズ味と、そうしてスーパーのレジで支払う前に開けた(開けざるおえなかった)ジンジャーブレッドマンであった。それでもチョコを死守できたのが、せめてもの勝利ってところかな。アコマク
2008.06.24
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今日いつものように娘の小学校へお迎えに行ったら、いつになくメェの表情が暗かった。どうやら親友のセーラ(仮名)が今日は欠席したらしい。「風邪でもひいたのかな、はやっているしね」けれどメェはどんよりと、「もう新しい学校に、うつっちゃったのかなぁ。来学期からって、言ってたのにね」セーラのママが来学期からと言っていたから、それはないよ、と慰めつつ、今日は誰と遊んだのか、と探りを入れれば、クラスの女の子たちの名前を何人かあげたので、ほっとする。けれど帰り道、ふいにぽつりと、「ママ、メェはね、今日ずっとイマジナリー・フレンドと遊んでいたんだよ」ええーっ、想像上の友達(!?)と遊んでいたのぉぉぉ!?ずっとぉ!!…ってことは、もしかして…。「モーニングティーも、ランチもね、その子と食べたんだよ。メェはね、一人ぼっちのときは、いつもイマジナリー・フレンドと遊ぶから、全然さびしくないんだよ。彼女がいっつも隣にいてくれるから、一人ぼっちじゃないの」そ…うなのか。この子は、今日ずっと、一人でいたのか。モーニングティーのフルーツも、お弁当も一人で食べて、あの、プレップに通い始めたころにメェが言っていた、「気が遠くなるほど長い昼休み」も、ずうっと一人で遊んでいたのね。ちなみにビクトリア州の小学校では、給食も、清掃の時間もないので、極力、教室を汚さないようにって配慮からか、子どもたちはめいめいに校庭で、おやつやランチを食べる。一人でいることは、決して悪いことではないのだけれど、校庭で、ひとりぼっちでランチボックスを広げている、小さな娘の姿を想像するだに、ううぅっ、やはりウッときてしまうじゃあないの。淋しさを紛らわすため、架空の友達といる自分を想像するという娘の、心の豊かさを、喜ばしく思う反面、やはり―。けれどここでまた私が心配しては、それが娘に伝わって、より不安にさせてしまう。そもそも彼女はそれを思って、最初に私が尋ねたときに、友達とワイワイ食べた、などと嘘をついたんだろうし。ああ、ますます切ないゾ。私ってば、情けない親だなぁ…。けど、今週が終わって、来タームが始まったら、親友の消えた学校で、この子はどう対処していくんだろう。親としては、結局、見守るしかないんだよね。その日はせめても、いつもは夕飯が食べられなくなるので、フルーツくらいで済ませるおやつを奮発して、メェの大好きなジンジャー・ブレッド・マンを出した。ジンジャー・ブレッド・マンとは、その名のごとく、人間の形をした、生姜入りビスケットで、メェとムゥは、これが大好物なのだ。歓声をあげながら、ジンジャーブレッドマンにかぶりつく、メェの笑顔に、少しほっとする。そう、エイジド・ママは過保護なのだった。アコマク
2008.06.23
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今夜は、月一で開かれる、スピリチュアル・ママたちとの夕食会。精神世界に興味のあるママ友5人とダディ友一人が集まって、毎回、幹事が決めたテーマの話なんかをしつつ、わいわいとディナーを取るの。今回は、ディナーの前に、一人が家を提供してくれたので、霊気の資格を持つママが、みんなに霊気をしてくれることになっている。私が霊気をしてもらうのは、これで二度目かな。一度目は数週間前に、Mind Body Spirit Festivalに行ったときに、無料のお試しで。そのときは、掌を当ててもらった部分がすごぉく熱くなって、重くなってきた。それをやってくださった霊気おじさんに話したら、それは、私が彼の掌を通してエネルギーを吸収しているからだ、と。そのときは、終わってから、なんだか逆にちょっと肩が凝ってしまった。後から霊気ママに聞いた話では、霊気を受けた作用で、私の体にたまっていた悪いエネルギーが解放されたせいかも、ってことだったけど。でも今夜は、掌を当てられた部分が非常に冷たい。そのうち氷みたいにゾッとするほど冷たくなってきて、びっくりした。後でまた霊気ママに聞いた話じゃ、エネルギーが足りない場合は、宇宙エネルギーを入れるので、温かく感じられて、エネルギーがあり余っている場合は、その余分なエネルギーを取るので、逆に冷たく感じられることが多いってことだったんだけど。ちなみに、その翌日は妙に首と肩が凝り、火曜日は首を上げられなくなってしまったほどだった。むむむ…。これって、エネルギーの反乱だろうか?とりあえず水曜には持ち直したのだけれども、まだちょっと辛いかな。これって、霊気と関係あったのかちら???それともデカくなった二歳児ムゥの、相変わらず抱っこを強いられる、日常の弊害? 里の行?それはさておき、その後、私たちは、St.Kildaのベジタリアン・レストランへ行った。店はものすごく賑わっていて、話をするのにはちょっとうるさかったけど、料理も美味しくて、値段も手ごろ。窓から見渡せる夜の海は限りなく美しく、時折、夜空に流れるカモメの白さが、UFOふうでギクリとする。今夜のテーマは「夢」で、誰の話もとても興味深く、楽しくて、時間も忘れておしゃべりした。私は夢見が大好きで、夢に関してはいろいろ書きたいことがあるのだけれど、話が長くなるので、今回のところはこの辺で。結局、私たちは閉店まで粘り、後ろ髪を引かれつつ解散しました。だってママたちの朝は、明日も早いんだものねぇ。アコマク
2008.06.22
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娘を連れて、バレーを観に行った。いつもはグランマァが子守に来てくれて、ダディンと一緒に行くのだけれど、今夜はダディンと息子のムゥが留守番で。メェはムゥを残し、自分だけがお出かけ、しかも夜、外出するって事態に大得意で、興奮している。私も夫じゃなく娘とのデートにうきうき、心が弾んでしまう。ヤラ河沿いのジャパニーズ・レストランで夕食をとり、ビクトリア州劇場へ向かった。川面にはネオンのイルミネーションが揺れ、ライトアップされた木々が並ぶ通りに、メェはうっとり。観光用の馬車が通り過ぎると、歓声を上げていて、こっちまでなんだか嬉しくなってしまう。ダディンとじゃ、白馬が通り過ぎようが、観覧車のライトが美しかろうが、こうはカンドーしないものね。つーか、二人とも気づきもしないってやつだろう。 メェにとって、本格的バレーを見るのは今夜で二度目である。前回は「白鳥の湖」で、話も知っていたので、夢中で見入っていた。いつもは八時にはベッドへ行くのに、全部もつかと心配したけれど、眠い目をこすりつつ、それでも三幕の途中までがんばっていた。でも今回は、モダンバレーとまではいかなくても、短いやつの連作だから、ちょっとメェには退屈かもしれないな。舞台装置もほとんどないようなもんだろうし…。などと案じていたら、やはり。一幕目は興奮していたものの、二幕目からフェードダウン。退屈から、「あと何人踊れば終わるのぉ?」を連発し始める。やっぱり子どもはお伽話系じゃないとキツイよねぇ。それでもまた行きたいと言っていたけれど。それにしても、娘とデートは楽しい。これから大きくなっても、ママに付き合ってくれるといいんだけどなぁ。て、贅沢?アコマク
2008.06.21
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ダディンの従姉妹が別居した。正確には、先週の日曜日、夫の方が一方的に家を出ていったのだ。ミッド・エイジどころか、確か彼は五十歳近くで、人生を別の女性と生きることにしたのだった。ダディンの従姉は五週間前に突然、別居宣言をされたという。つい数か月前に、今年はヨーロッパ旅行に出ようとか、そろそろ新しい家に引っ越そうか、などと言っていた、その同じ口から。当然、ダディンの従姉はすごいショックを受けている。二人には、ティーンエイジャーの息子が二人いる。10代といっても、下の子はまだ十歳になったばかりだっていうのに、可哀想に、精神的ショックはどれほどだろう。突然、夫に去られる―。これって、間違いなく、私たちママたちの、共通的悪夢なんじゃなかろうか。オーストラリアの離婚率は高い。もう何年も前にラジオで、三分の一近く、と聞いた気がするけれど。私の周りにも再婚者はかなりいる。長女メェが生まれたときからの近所のマザーズグループのママ友なんて、半分は再婚ママで、だから上の兄弟姉妹は、当時でさえ二十歳近かったりした。ダディンと私も、時々喧嘩する。ムゥは寝つきの悪い子で、夜中に何度も起きたため、極度の睡眠不足から、あの子が二歳になる頃までは、喧嘩が絶えなかった。二週間に一度は、かなり派手な大喧嘩を。まあ、バイオレンスじゃなく、怒鳴り合いの言い争いなんだけど、メェが泣きながら、時には、やはり泣きじゃくる弟を連れて、バスルームなんかに隠れるようになってしまった。あるときメェは、朝っぱらから、また怒鳴り合いを始めた私たちに脅え、パントリー(食品庫)に隠れて出てこなかった。通学前だって言うのに。バカ親である。反省した私たちは、以来、喧嘩をすることはほとんどない。それでも娘は私たちが大好きで、よく家族の絵を描いていた。彼女がプレップで書いた、「My Family」というタイトルの絵を見たときには、目頭が熱くなったっけ。家の中で、ニコニコ笑うメェとムゥ、ダディンと私の姿が描かれていたから。ああ、この子にとっては、この家が「ホーム」なんだ。私たちが笑ってあげなければ、誰が笑顔で迎えてあげるんだろう。改めて、そう感じさせられたから。夫婦は、違う価値観を持ち生きてきた、生きている、人間同士だから、ぶつかり合うのは当然である。一緒に、子育てという大役を担い、格闘し、人生を共有しているから、ついつい相手の力を疑い、正当性を疑い、批判したくなってしまう。それでも、やはり別れたくはないと思う。この家庭を壊したくはないし、家族をばらばらになど決してしたくはない。子どもたちを失うなんて、考えられない。だけど時間が経ったら、状況も変わっていくのだろうか。生きていくって、やっぱり、大変だよね。ダディンの従姉家族に、笑顔が戻ることを、心から願って。アコマク
2008.06.20
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娘と同じ小学校に通う、日本人のママ友二人をランチに呼んだ。オーストラリアの小学校は6学年と、その前に1年間、Prep.と呼ばれる学年がある。プレップは、日本でいえば幼稚園の年長さんになるわけだけど、それでこっちの小学校は全部で7学年ってことになる。二人とも去年、娘のPrep時代からの友人である。そのうちの一人のお母さん、ゆっこ(仮名)に、先月、お香づくりを教えてもらった、そのお礼である。私はお香が好きで、毎朝自分の書斎に入ってまずすることといえばお香を焚くことなのだけど、自分で作れるなんて知らなかった。お香つくりなんて、風流な趣味をもつゆっこ(仮名)は、去年、駐在でいらしたときに日本から香つくり一式を持ってこられたのだそうだ。パウダー状の香を好みでブレンドして練り合わせ、円錐状に形を作り、乾かす。辺りには素敵な香りが漂い、練るときは、書道の墨を磨るがごとく、一種の精神統一、瞑想状態。そこはかとなく「和」の空気が漂い、癒し系の、ああ、やさしい静けさ。なのだろうけど、作ってる間も私たちのおしゃべりは止まず、できあがった私のお香は、恐ろしく、いびつになった。それでもブレンドの方は、ゆっこにしてもらったので、京都の古寺を思わせる、うつくしい香りである。今日は、そのお礼ってことで、侘寂の風情漂う和食でおもてなしを。できたらいいなとも思ったが、料理が苦手なのと、息子がこうるさいので、エビとコーンのグラタンをオープンに突っ込んで済ませた。二歳児ママってことで、大目に見てくれることを期待しつつ。そしたら、ゆっこがシュークリームを作ってきてくれたじゃないの!ひぇーっ、これじゃあ、お礼にならないじゃん。それにしても、こっちで暮らす日本人のママたちは料理が上手だ。和菓子はもちろん洋菓子も、日本の味的ケーキは手に入りにくいって事情があるから、なんでも驚くほど器用に作り上げてしまうんだ。そんな中、お茶を濁しまくっている身。次こそは何か気の利いたものでおもてなしをしたい。と思う、今日この頃。マクアコ
2008.06.19
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月に一回、小説仲間とおしゃべりワークショップをする。大学院の創作のコースで知り合った友達三、四人と原稿を手に集まって、近況報告がてら、わいわいやるの。今日はジャクリーン(とりあえず仮名)が、長編小説の分厚い原稿を持ってやってきた。彼女は執筆時間を増やすためとコネをづくりから、最近転職したのだけれど、転職時のどたばたと精神的ダメージから肝心の執筆ができなくなって、悶々としてるって話。というのも、先月、期待していたアメリカの出版代理店から「Rejection Letter」が届いたのだ。以来、原稿を手直ししようと思っても拒絶ショックが後を引き、手がつけられなくなってしまったらしい。うっ、rejection。その気持ちはよぉぉぉくわかる。原稿に愛着があればあるほど、ページ数が長くなればなるほど、尚更だよねぇ。アニー(やっぱり仮名)と私は、彼女の話にひたすら耳を傾けて、できうる限りの励ましとアドバイスを送った。ジャクリーンは、彼女お手製のミニ・キュシュを頬張りつつ、とっかかりの糸口が見えてきた、と言ってくれたけど…。ほんとうに、早く完成するといいね。そうして今度こそ受け入れられるといいよね。それにしても、二歳児もちの私が、こうして大人の集い(?)に参加できるのも、週一でグランマァ(義母)が子どもたちを見に来てくれるおかげである。嫁姑の火花が飛び散る日もあるけれど、やはりグランマアには、感謝の花束を捧げないとねぇ。アコマク
2008.06.18
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ダライラマ法皇のレクチャーから戻って、心が高揚していたせいか、妙にビビッドな夢をいくつか見た。最後に見た夢では、娘のメェが泣きじゃくっていた。私は助けようとするのだけれど、できることは大してなく、哀しい気持ちで、必至で慰めているって夢。目覚めるや思った。う、ヤな夢を見てしまったぜ…、と。その日いつものように娘を小学校へ迎えに行ったら(ちなみにメルボルンの小学校では、保護者が子供を送迎することになっている)、メェのベストフレンドのお母さんから、来学期から子どもを転校させることにした、と知らされたのだった。ガーン!彼女が、学校に不満を持っていて、転校を考えていることは数週間前に聞いていたのだけれど、まさかこんなに早く転校させるとは思わなかった。四学期制をとるビクトリア州では、後二週間で学期が終わる。メェが親友と過ごせるのももう二週間足らず…。いつも親友とべったりのメェ。そうでなくても学校があまり好きではないのに、親友の消えた学校生活にどう対応するんだろうか?わたしは、娘がこの状況を乗り切るのを助けるために、何をしてあげられるんだろう?大変なのは娘の方なのだから私が暗くなってはいかん!と頭ではわかっているのに、どんよりと家路に向かった。アコマク
2008.06.17
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シドニー最後の今日は、もう発つだけである。それでも子どもと一緒だと何もかも信じられないくらい時間がかかってしまう。フライトは一時だったので、時間はたっぷりあったはずなのにひぃひぃゼェゼェ空港へ向かう。それでもフライトのチェックインを済ませ、荷物を預けて、セキュリティを潜り抜ければ、ほっ。とりあえずは一安心ってところ。子どもたちは飛行機で、はしゃいでいるし、空港のフードコートでランチを取りながらも楽しそうだ。ああ、ときおり視界を、チベット僧や尼僧の姿が過ってゆく。この臙脂色の袈裟を目にすると、妙にほっとしちゃうな。5日間のセミナーを終え、ダライラマ法皇の魅力について考えてみた。何に引きつけるのだろう?シンプルで力強く、温かい、英知に満ちたメッセージもさることながら、おちゃめなユーモア。そうして驚くほどの、謙虚さや。質疑応答のとき、中国との関係について質問した方がいた。チベット問題解決のため、自分たちに何かできることはないか、と。法皇は、聞いてくれたことに感謝と礼を述べた後、昼休みに地元の中国コミュニティの新聞記者が取材に来てくれたことを、自らを指さし「Demon悪魔」と会ってくれたのだ、とジョークをまじえ、嬉しそうに報告していた。問題解決には時間がかかると言っていたけれど、具体的には何一つ、会場にいる私たちには要求しなかった。中国を批判するようなことも、いっさい言わなかった。ダライラマ法皇は、自分の国が大変だというのに、他国の人間を助けるため、こうして仏教の講義に来てくれているのだ。外国からの助けが要るのはまさにチベットの方だろうに。それを思えば、これからも自分にできることは、ささいなことでしかなくても、できる限りしていきたいと思う。そうして、せっかくの教えやイニシエーションも、日々の生活の中で使っていかなければ、なんの意味もない。心して、感謝の心を忘れず暮らしていこう、と改めて思うのだった。アコマク
2008.06.16
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四日間の講義も終り、今日はDalai Lama in Australia 2008ツアーの最終日。最終日は、Chenrezing(Avalokiteshvara)のInitiationである。ダライラマ法王から千手観音のイニシエーションを受けられるのだ!うわぁい!と浮足立ちたいところだけれど、夫婦二人で参加している。ゆえに、参加できるのはどちらか一人ってことになるわけで、もう片方はあいかわらず里の行にいそしまなければならないわけで…。むむむ…。どうしよう、オディンに譲るべきか…。―と思っていたら、オディンの方が譲ってくれた。しかもセミナー前日に。「僕が二日目と四日目に行くから、君は一日目と三日目、イニシエーションに出ていいよ」と、彼は言ってくれたのだ。オ…ディンってば…。なんていい人なの! 優しい人なの!―と、このときばかりはほろりと感動してしまいました。まあ、本人、それほど興味がなかっただけなのかもしれないが。それにしてもこの恩を胸に、私は今後彼のことを「オージー・ダディ」で略して「オディン」なんて呼ぶことを止めにします。これからはちゃあんと「ダディン」と記しますわっ。―というわけで、わたしがイニシエーションを受けることになったのでした。「イニシエーション」とは、法皇のお話から簡単にいえば、「神仏をイメージすることの許可」である。その際、神仏からイニシエーションを授けるグルーへの壊れなき繋がりが重要になる。タントラ行とは「神仏の側に立って(神仏の視点から)日々仏の法を実践する」ことだといえるかもしれない。千手観音のイニシエーションを受けるってことは、千手観音になったつもりで日々を暮らすって修行なのだと私は勝手に理解している。ほぉら、食事中にムゥがシチューの皿にご飯をぶっこみ、ジュースをかけ、挙句に嫌いな人参を床に放り投げるのを阻止すべく、がしっとその小さな手を握ったとき、メェからシチューのお代りをせがまれ、おしっこしたいから外に出せと愛犬ムムから吠えられ、こっちも腹減った、早く肉くれ、と愛犬モモからキュンキュンされたときなんかに、キレそうになるでしょう。「わたしの手は二本しかないのよ! キィーッ」って。そういうとき、はたと千手観音像を思い出し、「わたしは千手観音、わたしは千手観音」と自らに自己暗示をかけるがごとく千手観音のマントラを唱える。すると次第に、二手ながら心は千手、さっきより優しく応じられるってことなんです。そうすれば、ほぉらね、「キーッ!!」もいつしか、タントラ行。―と、いうわけで(今回このフレーズが多くて失礼します)、ダライラマ法王から言われたように、前夜から肉類は一切食べず、うどんもカツオだしが入っているのでは、と断念し、マフィンやら果物食いに徹して、ネガティヴな行為や言動をさけ、イニシエーションに臨んだ。当日はいつもより一時間早く始まるうえ、その一時間前から法皇や僧侶たちが祈祷の準備を始めるというので、気合いを入れて四時起きして会場に向かう。モーテルの狭い部屋で子どもを起こしてしまうとかわいそうなので、アラームを使わずに起きなければならないから、寝る前に、体内時計のアラームをきっかり四時にセットして守護霊やらハイヤーセルフ、超意識なんて、ともかく睡眠中にパワーのありそうなものに起こしてくれるよう頼んでから眠りについた。そしたら、四時きっかりに起きられて、ほっ。日常でも、子どもと一緒に寝ているためアラームの使えないわたしは、目覚し時計かわりに、体内時計を使う。デジタルではなくアナログの時計をイメージして、まず現在の時間を視覚化し、次に起きたい時間を視覚化し、起きるように意識するのだ。たいていはこれで起きられる。みなさんも一度、試してみてください。ちなみになんでもそうですが、慣れれば慣れるほどできるようになりますよ。そうして無事、イニシエーションを受けることができました。うわぁい。合掌。ちなみに左隣の爆睡おじさんは、いつも以上に熱心に長々と、何やらチベット語で読経し、瞑想して、その後も壇上のチベット僧たちとともに大張りきりで祈祷を捧げていたけれど、始まるや、五分と経たずに鼾が聞こえてきた。なんでも彼は、チベット仏教とチベット医学を学びに、ダラムサラに20年間住んだそう。今はシドニーでチベット医療の医者をしており、メルボルンの仏教センターや自然療法センターなんかにもときどき講義に来るという。請われてノートを数枚上げたのだが、「来世で返すよ」と、笑っていた。おちゃめなおじさんである。そういえば、私は初日、バッグをベンチに忘れ、慌てて取りに戻ったら、隣に座っていた女性がすまなそうに、「ごめんね、隣の彼が連れだと思って声をかけなかったの」。と、言われた彼はにこにこと、「連れじゃないんだよ、今世では」。ここ以外で交わされたら、たぶん大しておかしくもなんともない輪廻転生ジョークで、みんなけっこう盛り上がっていたっけ。午後はまた「Stage of Meditation」の講義で、そうして、ダライラマ法王との5日間は終わった。法皇は来年もきっとオーストラリアに来ると約束し、去っていた。拍手で見送り、隣の爆睡おじさんと来年また会おうね、と握手をかわし、隣人たちに挨拶して、わたしも会場を後にした。なんだか妙に淋しかった。けどモーテルの一室ではムゥとメェ、そうしてダディンが待っている。三人の笑顔を思い、駅からの家路(モーテル路?)を急いだ。ちなみにわたしは過去ダライラマ法王から二回、イニシエーションを受けています。2002年に慈愛の女神「White Tara」を、2007年には仏陀の叡智「Manjushri」を。ですが、慈愛も叡智もこの程度なわけで・・・。やはり、日々心して生きなければ、意味がないってことですね。合掌。アコマク
2008.06.15
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講義四日目はオディンが参加して、私は子どもたちを連れて電車とフェリーを乗り継ぎ、遊園地にでも行こうと思っていたのだけれど、急遽ダライラマ法皇のパブリックトークに行けることになったので、それまでぶらぶらとモーテル周辺を徘徊した。なにしろいったんCityに出たら、往復で2、3時間は覚悟しなければならないんだから。そんなことになったら4時15分の開演に間に合わない。その前に、ムゥが雄叫びを上げ、会場を駆け回ったりしないよう、お昼寝もさせておきたいところだし。去年、ダライラマ法皇のツアーが発表されたときには今回はPublic Talkの類も行わず、仏教の講義だけになると言われていた。でもいつのまにかパブリックトークが企画されていた。それをわたしは初日に知ったのだけど、チケットはインターネット販売だけで、しかも5時15分からということで、ムゥ連れでは無理だと諦めていた。そしたら昨日、突然、時間が一時間早くなり、チケットも会場で販売されるとアナウンスされたのだ。この際、子どもたちとみんなで参加したい。オディンはムゥ連れで参加なんて恐ろしすぎると脅えたけれど、ただちにわたしは友達ファミリーのぶんと七枚チケットを買ってしまった。メルボルンからシドニーへ遊びに来ていた友達も講演に来たがっていたので。トーマスのリュックに子どもがぐずったときに使う賄賂用のジャンク菓子をめいっぱい詰め込んで、メェとムゥの手を引き二階建て電車に乗った。二人とも、行先はさておき、電車の二階席に大喜びだ。ああ、子どもって、なんて純粋単純で、ありがたいんだろう。電車の中で一緒に行くことになっていた友達ファミリーと偶然、合流した。友達ファミリーも三歳の息子を連れている。講義に参加していたオディンと、例のコーヒーショップの前で落ち合った。ムゥはちゃぁんとお昼寝も済ませたので元気モリモリである。子連れであることにちょっと気後れと後ろめたさを感じていたものの、思った通り、講義と違って、小さな子たちの姿も目立つ。同類の多さに、ほっ。ほぼ時間通り、公演は始まって、ほぼ予想通り、二分とおかずにムゥが騒ぎだした。仕方ないので、私はムゥを抱え、早くも撤退。ダライラマ法皇公聴参加者の、たぶん最短記録に挑戦できるかもしれない、などと思いつつ、会場を出ようとしたら、意外にもムゥが大反撃。どうしてもここにいたいと言い張った。結局、壁際で、警官やセキュリティスタッフ、ボランティア・スタッフなんかに混じって立ち聞きした。ムゥには、モーテル近くの韓国グロッセリーで買った、「おっとと」を与え。食べている間はおとなしくしていてくれるので、嬉しい。おかげで立ち見の私からは法王のお姿がよぉく見えた。私同様、里の行に励む親たちが目の前を横切ってゆく。ものすごい速さで足元を、赤ちゃんがハイハイで突っ切ってゆく。あ、追いかける太めのダディは息を切らしているゾ。ときおりムゥの「おっとっと」につられた幼児がやってきて、ムゥは、それでもしぶしぶ分け与えていた。目下のところ二歳児の息子もこうして「シェア」することを学んでいるのだ。ちっちゃくても、がんばっているんだなぁ。ふと警備のスタッフやボランティアスタッフの多さに気付いた。ボランティアのスタッフなんて、彼ら自身チケットを買っているはずなのに、なんて偉いんだろう。思えば、このためにみんながんばってくれているんだなぁ、と、しみじみしてしまう。体をこわしていた友人は、その夜、幸運にもヒーリング・ラマから(そんな僧侶がいるとは知らなんだ)祈祷を受けることができて、すごく喜んでいた。私たちも嬉しく家路に着いた。マクアコ
2008.06.14
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ダライラマ法皇のレクチャー三日目。今日はオディンが子守りをし、私は会場へ向かう。前回のコーヒー闘争から学び、今回ラッテの魅惑を断ち切ったので、入場もスムーズだ。三十分前に入り、ゆったりと瞑想してから教えに臨む。テーマは「Stage of Meditation」。法皇によれば「瞑想」とは「意識の変容」である。わたしたちの意識をある状態に習慣化させることだ。ではどのように変えればいいのか。ここでも「Dharma―仏法」が重要になる。チベット仏教で、瞑想は二種類ある。意識を呼吸とか一つのことに集中させて、心の平安を得、無我の境地に達しようとする「Calm-abiding Meditation」(「Single-pointed Meditation」ともよばれる)と、その目明瞭な意識の状態をつかって様々な角度から一つのテーマを分析する、「Analytical Meditation」、分析的瞑想。分析的瞑想で、その「教え」事態も徹底的に分析し、理解する。「教え」だからというだけで盲目的に受け入れるなど「英知」とはいえない。たぶんこれが「宗教」というより「哲学」、「心理学」だと言われるゆえんだろうな。法皇のレクチャーを通訳してくれるのは若く溌剌としたチベット僧で、彼の英語は素晴らしいけれど、英文に何時間も耳を傾けていると、居眠り防止用にノートを取っているにもかかわらず、あらら、ふっと眠気に襲われてしまう。ほぉら、隣のおじさんも眠っている。この方は一見するとふつーのオージーおじさんであるが、どうやらチベット語ができるらしく、チベット語で書かれた、ものすごぉく古めかしい教本を持ってくる。この教本を広げ、毎回講義の前に瞑想をする。茶色く紙の変色した教法には、同様に時の経過でぼろぼろになったセピア色の、チベット僧侶の顔写真が二枚、挟まれていて、そうして数珠を手に、おもむろに何やらチベット語で祈りを捧げるのだ。もしかすると、仏教では「Motivation 動機」が重要だとされているので、祈りではなく、動機をづけの瞑想をしているのかもしれないな。と、かように非常に意欲的にもかかわらず、毎回ダライラマ法皇が語り始めてから十五分と経たずに爆睡する。今も私の耳元におじさんの鼾がかかって、ちょっと鬱陶しい。そういえば、このおじさんに限らず、法皇の教えを聞きながら居眠りしてしまう方は多い。友人の友達はダライラマ法皇のチケットを買うために車を売ってしまったんだそうだ。そこまで入れ込んで張り切って参加したにもかかわらず気の毒に、一週間全て爆睡してしまったとか。その話を聞いたときは爆笑したものだけど、笑えない。過去の経験から、私はうとうと派、オディンは爆睡派であることが判明しているから。ああ、眠い。瞼がくっつきそう。そうして閉じたとたんに白日夢を見る。さっきはダライラマ法皇の講義について、ここにいる人たちと、夢の中で談笑していた。ハッとして目覚め、また眠気に引きづり落とされ、今度は、トラムに乗ろうと雨の中を突っ走っている。「オーラの泉」の江原さんが、「霊の夢はカラーだ」と言っていたけれど、間違いなくフルカラーである。それも百年プリント(おおっと、失敬、このデジタルな時代にこの形容。年がバレちゃいますよね)なみに、色鮮やかに。いったい私の意識はアストラル・トラベルでもしているっていうのだろうか。話を理解するためには、私のエゴが邪魔だと霊界のどっかか、潜在意識の端っこへ飛ばされてしまうのかな?ランチブレイクに小さな仏像を買った。私的にはチベット仏教のきらきらした金(メッキ)の仏像より、地味ぃぃぃな、禅的、木彫りのそれの方が好きなのだけど、今度いつ京都へ行けるかわからない。そしたら銅の(銅メッキかな)、質素な仏像を見つけたから。うっきゃ~、仏像を買うなんて初めてだ!買うまではちょっと悩んだけど、ゲットしてしまったら、自分の小さな書斎にちょこんと坐す仏様を想い、ああ、妙に心が和んだ。ふふふ。アコマク
2008.06.13
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ダライラマ法皇の講義二日目はオディンが行くことになっているので、私は息子のムゥと娘のメェを連れて、シドニー観光。シドニーは、メルボルンと違って、観光スポットがダーリン・ハーバーの周囲に集まっているので、比較的楽である。とりわけ二歳児と六歳児を連れ、公共交通機関を使って回ろうって身には、ひたすらありがたい限りである。わたしたちが泊まったLidcombというところは、シドニーオリンピックで整備された街らしい。以前は小さな町だったそうだが、今は韓国人やアジア系移民で賑わっている。アジア系のレストランやグロッセリーが多いのも限りなく嬉しいところ。この駅からオリンピックパーク駅へ繋がっているので法皇のセミナーに参加するには便利だけど、シティ観光をするには40分ほど電車に揺られなければならないってかなり不便なロケーションではある。それでもムゥとメェを連れてフェリー乗り場のある駅へと向かう。二人は二階建ての電車に大喜びで、二階に座って、スナック菓子を取り出して、ピクニック気分ではしゃいでいた。フェリーには、もちろん大興奮で、二階の一番前の席に座って、船長ごっこをしてはしゃいでいた。水族館前で降り、メェの所望した水族館へ向かう。チケットを買ってからランチへ。ちなみに入場料が意外に高かったのでビックリした。アシカやサメにご挨拶する前に腹ごしらえしようとランチを取ったところ、ムゥが観光用路上ミニ・トレインを発見してしまう。「トーマス! トーマス!」と大騒ぎで、隙あらば電車めがけて突進をかける。ランチどころじゃない。とてもこのまま水族館へなんて行ってくれそうもなかったけれど、妙に高かった入場料を思い出し(記憶では、ムゥはタダだったけどメェと私で$60、約六千円を超えたような)、亀やイルカに挨拶してきたら必ずトーマスに乗るからと説得し、とりあえず水族館に入る。メェはサメに、ムゥはアザラシに、大喜びしてくれたけど、私はいつものごとく駆け回るムゥを追い掛け、背負い、ムゥばっかりとスネるメェの機嫌を取り、ああ、疲れた…。そうして、ようやっと暗ぁぁい海底世界から明るい地に出た安堵感もつかの間、ムゥがトーマス乗り場めがけてかけ出し(忘れてくれなかったのね、涙)、疲れ果てた私は行き先もろくにわからぬまま乗車してしまう。どこに連れていかれるのだろう、帰りはどうしよう、と半ば麻痺した頭でぼんやりと案じつつ、ぐるぐると半時間ほど美しいシドニー湾をミニチュア・トレインに揺られていた。それにしても、シドニーの海の辺りって、ほんとかわいいのね。ムゥはあんなにはしゃいでいたにもかかわらず、途中で寝てしまい、私はムゥを背負い、疲れた(それは私だ!)と、グスるメェを引きずって、フェリー乗り場を目指し、とぼとぼとモーテル路を戻ったのであった。ちなみに来る時とは違う路線に飛び乗ってしまったためとラッシュに当たってしまったせいで、来る時は40分ほどだったのに一時間半近くもかかってしまった。それで激しく遅くなり、モーテルの鍵は私が持っていたのでオディンはLidcomb駅で一時間四十分も待ったという。ベンチもなく、彼は気の毒に、ぼんやりと放心して改札口に立っていた。合掌。こうして今日も私たち夫婦の里の行は続くのであった。アコマク
2008.06.12
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そうして迎えたレクチャー初日。六歳児の娘メェと二歳児の息子ムゥをオディンに押し付け(失言です、託し)、張り切って会場となるオリンピックパークへ向かう。電車の中からすでに、あの臙脂色の袈裟を着たチベット僧侶の姿が目立つ。ダライラマ法皇との一日を目指し張り切って進む一団の後に続き、私も会場へ。余裕を持って三十分早く出たので、心も足取りも軽い感じ。今日一日をスピリチュアルに生きるべく、ゆったりと前進する。と、そのとき前方にカフェスタンドを発見。ラッテを手に会場に入り、ゆったりできたら、どれほど素敵だろうって思いがふいに脳裏をよぎる。モーテルのインスタントコーヒーを飲んできたのでより良いスタートを切るために、ここで一杯欲しいところである。見遣れば、列もそう長くはない。しかも後35分もあるではないか。と、列に並んだのがいけなかった。前列には十人ちょっとしかいないのに、なぜだか全然前に進まない。しかも向こうではちょっとしたデモ隊がアンチ・ダライラマを叫んでいる。「Dalai Lama, Go Away! Dalai Lama, Go Away!」ネガティヴな波動が、ああ、押し寄せてくる。政治的問題からか今年は例年以上にセキュリティが厳しく、見遣れば、門のところにも長ぁぁぁい列ができている。シビアなチェックがされている。それに始まる前にトイレにも行っときたいし。…。既に時刻は十分前を切り、諦めようかと思ったとき私の番が来た。ラッテを頼み、テイクアゥエイ用に蓋をしようとしたら、でも、なぜなの、蓋がないじゃあないの!焦って熱いラッテをあたふたと持ち歩いたら早速、手に零れ、あまりの暑さに落としてしまった。…。結局、サムサリックなコーヒーの魅惑にうつつを抜かし、わざわざシドニーくんだりまで来たにもかかわらず、遅れそうになっている自分の愚かさを呪いつつ、三分前に会場入り。ラッテか、ラマか―。今回のリトリート、既に初日の朝っぱらから自分の業を見せつけられた感じである。おおっと、香ばしい温かさに執着してる場合じゃないゾ。会場は、既に人と熱気に包まれていた。ステージには美しいタガが掛けられ、花が活けられ、三、四十人の僧侶が蓮華座を組んでいる。会場の下にも大勢の僧侶たち。後で知った話では280人ほどの僧侶が参加していたそう。こんなに大勢の袈裟に囲まれていれば、自ずと仏門気分も盛り上がってくる。ああ、なんて美しいんだろう。ダライラマ法皇の登場で、一気に会場のボルテージも上がる。法皇は早朝六時にシドニー空港に着き、ほとんど眠っていないので睡眠不足で頭がぼけていると笑っていたものの、とても溌剌とエナジェチックに、疲れているようには微塵も見えない。けれど「心の明瞭さには睡眠が必要」と聞き、ハッとした。そうか、法皇でさえ寝不足は大敵なのか。思えばムゥ誕生以来、いいや、思い返せば第一子メェの誕生以来、ここ六年半、満足に眠った記憶がない。慢性的睡眠不足が続いている。六時間以上寝た試しなどないし、そのうえムゥが夜中にしょっちゅう起きるためその質たるや最悪である。ダディンなど、たぶん四時間以上寝たことなどここ二年間で、のべ二週間もないに違いない。そう考えれば、私たちの記憶力が夫婦そろって末期的に衰えてきたのもあながち老化のサインだけとはいえないな。もっと、寝よう。今回の講義は『STAGE OF MEDITATION』。9世紀に書かれた教本を教えてくれることになっていた。事前にオーガナイザーから言われたように、その虎の巻となるダライラマ法皇の本も読んできたから、たぶん前回よりはマシなはずである。少なくとも、爆睡してしまわないように、ペンとノートも用意したしな。でもここでその講義を要約してもあんま意味ない気がするし、私にそんな度量もないので、省きます。ちなみに興味のある方は『THE DALAI LAMA STAGE OF MEDITATION』って英語本が出ているので読んでください。その日、一番心に残ったのは、睡眠の話と、大変な時こそInner Peace-心の平安が必要だって話かな。困難にある時こそ祈りなさい。そうしてその後、心に浮かぶ想念やメッセージに注意しなさい。と、ダライラマ法皇はおっしゃった。祈りから希望が生まれるから、と。アコマク
2008.06.11
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帰ってきました、シドニーから。厳密には今日は18日なんだけど、シドニーでのことをちょっと書きたいので戻って日記つけちゃいます。6月10日のシドニーの空は霧に覆われ、飛行機は遅れまくった。私たちの飛行機も一時半発の予定が一時間半近く遅れて、モーテルに着いたときには5時過ぎていた。思い返せば、ダライ・ラマ法皇が、今年もまたオーストラリアに来ると聞いて喜んだものの、今回のセミナーはシドニーだけで、後はキャンベラに一日寄るだけと聞き、今回は無理だ、縁がないってことね、と諦めていた。けれど先月、知人が遊びに来て、ダライラマ法皇のセミナーに行くべきだと突然力説し始めた。唐突に彼女からそんなことを言われたことに戸惑いつつもそのときは「無理な理由」を並べたのだけれど、翌日Dalai Lama in Australiaのオーガナイザーから案内メールが届いた。去年参加した時、案内を希望したからそれで届いたわけだけど、三通目の案内で、そのタイミングにちょっとビビった。それで翌日瞑想したとき、もし行く必要があるということならサインをくださいと上に頼んだところ、それから5日つづけてチベット僧や尼僧を見た!ほんと、たまたまなんだけど、別段僧院に住んでるわけじゃないので毎日チベットの僧侶と擦れ違うなんて、わたしの人生において初めてのことで、これはシンクロニシティかな、と。でも行くとなったら、子どもたちは置いていけないし、家族四人となったらもちろんお金もかかるし、上の子は小学校を休ませなきゃならないし…。で、とうぜん、オディンは反対したけれど、結局こうして一緒にシドニーの空を眺めているわけだ。シドニー空港から入ったフリーウェイで、そうして空を見上げれば、すぐ上を妙にどでかい鳥が横切っていく。何かと思えば、ペリカンだった。タクシーの運転手も珍しいと騒いでいたけれど、子どもたちは大喜び。夕日に暮れかけた空にペリカンは妙に美しかった。そうか、ペリカン。何かを運んでいるのね。私もこの滞在で何かを運んで帰れたら嬉しいのだけどもな。と、とりあえずやって来ました。シドニーです。マクあこ
2008.06.10
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ダライ・ラマ法皇が、明日からシドニーで4日間セミナーをする。今回のテーマは「Stage of Meditation」。瞑想に関して教えを伝授してくれることになっている。瞑想も、仏教も、法皇も大好きな私は当然、行ってきます。今日から観光を兼ねて一週間ほど。観光を兼ねてっていうのは、六歳児と二歳児の子連れだから。オディンと子どもを交代で押し付けあって(?)、講義も一日交替で受けるもので。それでどれほど実になるかは疑問だけれど。とりあえず、そうして今日も里の行、です。ダライ・ラマ法皇を私が好きになった切掛けは本でした。「The Art of Happiness」。邦訳も出ていて、「幸福の技法」だったと思う。法皇の教えを受けたアメリカの精神科医が、彼の教えについて書いた本なんだけど、精神科医によって書かれているので、言葉も仏教用語ではなく私たちに身近な言葉で、すごく良かった。すごくいい本よ。興味があったら読んでください。当時、私は東京からメルボルンに移住して二年目、生活にも慣れてちょっと余裕がでてきたぶん心がダウンしちゃって、ともすれば鬱ウツしがちだったから、この地球上にこんな人物が存在していると思うだけですごぉくあったかい気持ちになれたの。一日でいいから一緒に行動して、彼を観察して学びたいと思ったり、ね。以来、ファンです。年に一回くらい夢も見ちゃいます。世紀が明けてダライラマ法皇がオーストラリアに来るのも3回目になる。オディンと私が彼を見るのも3回目。最初の2002年は生後5か月の娘メメを抱っこ紐にくくりつけて、夫と二人、講義に参加しました。二回目の去年2007年は、一歳の息子ムゥを抱っこして、参加。ああ、やはり里の行ですね。今回はメルボルンには来ずシドニーだけなので行かないつもりだったけど、間際になって怒涛のごとく一週間シンクロニシティがあって結局、無理していくことにしました。さぁて、今回の教えを基に、ちょっとはもっと優しく懐の深い人間になれるかな?とりあえず、行ってきますね。それでは、皆さま。一週間後に。アコマク
2008.06.09
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Mind Body Spirit Festivalこのブログでは、メルボルンでの生活や、子育て、ちょっとスピリチュアルな話や創作のことなんかについてつらつらとつづっていこうと思っています。7日の今日は、メルボルンで年に一度開催されるスピリチュアルなお祭り(?)Mind Body Spirit Festivalの話から。このフェスティバルのことはずっと話には聞いていたのだけれど、今回行くのは初めて。子どもたちをダディンに預け、ママ友四人で朝っぱらから張り切って行ってきました。会場のExhibition Centreには、石や本、DVD、東洋の偶像や何やら怪しげなグッズを売る店や、指圧、キネジオロジー、霊気、瞑想などの体験コーナーなんかが所狭しと並んでいた。かなりの賑わい。私はさっそくオーラが映るというオーラ写真とオーラ・リーディングをやってみた。オーラを写せる写真を撮って、それをもとにリーディングするというもの。できた写真には、自分の周りに黄色い光、左端に緑、右端に赤ってオーラ(?)がうつって、ちょっと意外。というのも、実はここ一カ月、ヨガの三角形のポーズのとき自分のオーラが見えることがあって、それが藤色とピンク系だったから。その写真をもとにオーラ・リーディングのおじさんが、黄色は知性の色だとかハッピーな性格だとか、緑は愛と癒しの色だからとか、大雑把な性格分析をしてくれた。おじさんに、自分に見えたオーラの色とこの写真のが違うのはどうしてだろうと尋ねたら、オーラはその時々の気分や状況によって変わるから、色が違ってくるのは当然だとの答え。たとえばこの後ランチに行く途中に犬に噛まれてからもう一度オーラ写真を撮ったら今度は真っ赤になっているはずだと請け負ってくれた。でもだったら、そんな刻々と変化する色を基に性格判断をしても、あんま意味ないかもな…。ちなみに$40(約4,000円)でした。ところでこのオーラ写真の一群は、先週は日本の静岡で開催されたフェスティバルに参加していたのだそう。日本はいいところだ、美しい国だ、と褒めてくれていたけれど。その後はPsychic Readingをやってもらって(過去世の話なんかも出てました)、ラピスラズリとアメジストのかわいいネックレスや、香オイルなんかを買って帰ってきました。ワクワク癒しの一日でした。akomak
2008.06.07
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