全14件 (14件中 1-14件目)
1
ママ友に誘われて、Yoga Expoってヨガのイベントに行ってきた。2003年にシドニーで開催されて以来、オーストラリアの各地で催されているそうだけど、メルボルンは今年初めての開催となるらしい。会場のMelbourne Showgroundには、様々なヨガのグループがブースを並べていて、二階ではヨガのセミナーが開かれていた。怠惰な私たちはヨガマットを持参してこなかったので、ヨガのお試しには参加しなかったけれど、皆楽しそうにエクササイズに興じていて、思わず飛び込んで、一緒にヨガしたくなってしまう。私も昔は近所のレクリエーションセンターでハタヨガを習っていたのだけれども、三年前に第二子を妊娠して以来、止めてしまった。今はもっぱら家で一人、DVDを見ながらするくらいのもので、それもたま~にって有様なんだから、これじゃあ、心も体も鈍くなるわけである。今日、私たちのお目当ては無料でやってもらえる、サイキック・リーディングだった。ワクワクとそのコーナーへ向かえば、タロットカードやクリスタルなんかが並んだデスクを人々が取り囲んでいる。友達の話ではインド式占星術は、すごく細かなチャートをつくってくれて興味深いというので、さっそく覗いてみる。ものの、やはり無料。インド式占星術のみならず、ほとんどが既に予約で埋まっていた。唯一、Tibetan Pulsing Healingというところが提供していた、瞳占いなるものだけ予約が入った。なんでも瞳を見て、リーディングするという。椅子に座ると、さっそく目の点検をするときに使うグラスのようなもので眼孔が覗かれる。リーディングをしてくれる女性は、グラスをのぞくたびにあなたはこういう人ですね、と話し始める。過去や未来を予見するというよりも、性格や嗜好判断みたいな感じだったかな。当たっているといえば言えなくもないけれど、普遍的で無難な線といえばそんな気もするし…どうなんだろう。ちなみに私は、人とコミュニケーションするのが好きだとか、食べ物が好きだとか(もちろん食べ過ぎないようにとの忠告も)、あまりドラマチックな人じゃないですねとか(どういう意味だ?)、好き嫌いがはっきりしてますねとか、日常生活でストレスを感じていますねとか、言われた。後、無料の霊気もしてもらった。その際、Gold Coins(1ドルや2ドル硬貨)の寄付が募られていたので、2ドル入れたら、なんでも寄付をしてくれた人には、一週間の期間限定お試しで霊気レベル1のアチューニングをしてくれるとのこと。よくわからないながら、とにかく一週間だけ霊気パワーが使えるってことなので、やってもらいました。やってもらっている間、目を閉じていても掌を翳されているんだろう辺りに静電気みたいなものが走るのは感じたのだけれども、それほどドラマチックな変化は感じなかったかな。終わった後、両掌と甲の真ん中、鳩尾の後ろの辺りから霊気の光が出ているので、自分も他者も手で触れるか翳すだけで癒すことができる、と言われた。ついでに一週間という期間が念を押され、期間を記した紙まで手渡されました。そういうイベントも楽しかったけど、ここの一押しはやはり食べ物であろう。ヨガと言うだけあって、インド料理系のスパイシーなものが多く、スパイシー・エスニック好きの私にはこたえられなかった。ベジタリアンメニューも多く、ココナッツ味が効いたデザートも、ハニーの甘さと香辛料の効いたチャイもたまらなく美味しかった。そのうえ安い!ランチとアフタヌーンティーと、二度食いしてしまいました。おおーっと、てぇことは、あの瞳孔占いは、やはり当たっていたのかなぁ。霊気のお試しの方は、これから一週間、様子を見てみます。アコマク
2008.08.31
コメント(0)
「今日ね、メェ、学校で泣いちゃったんだよ」と、娘が珍しく自分から学校でのことを呟いた。娘の親友が転校してから、彼女の小学校生活が気になっていた。「お昼休みのときにね、泣いちゃったの」メェは項垂れ、囁くように打ち明ける。昼休みってことは…遊んでいて友達と喧嘩でもしたんだろうか?まさか…実は誰かに苛められていた、なんてことは?動揺を悟られないよう極力自然に、何気なく尋ねた。「ふぅん。どうして?」「オリバーがね(仮名)、わたしのこと、いじめたの」オリバーとは、クラスで娘と仲のいい男の子だ。相手が朗らかなあの子であれば、深刻な問題ではないハズだ、と、緊張が一気に解れた。「そう、オリバーに。彼が何をしたの?」「オリバーがね、わたしのこと、いじわるだっていったの」けれど答える娘の方は、そのときのことを思い出したのか、目に涙まで浮かべている。「そう。どうして?」「わかんない」「わからないって。オリバーがそう言うからには、何か理由があるはずでしょう。彼が、メェのことを意地悪だって言う前は、何をしていたの?」メェは、考えるように潤んだ瞳を漂わせていたが、「オリバーがかけっこしようって、いった」「そう、駆けっこ。それで?」「ノーって、いった」「え?」「そしたら、You're meanって言われたの」「え? オリバーから駆けっこしようって言われて、メェは嫌だって言ったの? どうして嫌だったの?」「かけっこはしたくなかったから」「じゃあ、それを説明した?」「ううん。それなのにイジワルだって言われたの」と、嘘でしょ、今やメェの瞳からは大粒の涙が零れ落ちているじゃあない!信じられない、この子は、遊びに誘ってもらって、それをただ断わって、意地悪だと言われた、と涙しているんだ。軽い目眩を覚えつつ、娘と向き合う。「それなのに、じゃないでしょ、メェ。それだから、イジワルだって言われたんだよ」キョトンとする娘に、諭す。「オリバーはせっかく誘ったのに、ノーって言われて、悲しかったんだよ。今日は駆けっこはしたくないから、他の遊びしようって言えば、オリバーだってそんなこと言わなかったんだよ」やっと事の次第を理解したらしき娘に、今度は立場を逆にして考えさせた。信じられない、この子は…、六歳にもなって、何を言っているんだろうか!?呆れつつ、しかしハタと気がついた。もしかして、私も、実は娘と同じことをやっているんじゃなかろうか?誰かから傷つけられると、その時のことが、頭から離れられなくなるものである。相手から言われた酷い言葉なんかが、脳裏をよぎり、数日経った後でさえ、シャワーを浴びているときなんかにふっと蘇ってきては、また腹が立ったりして。そういうときはたいてい相手に対して腹を立てる「べき」理由となる記憶ばかりが次々と浮かんでしまって、憤怒の思考がぐるぐると廻ってゆく。そういうとき、どうして相手がそういう態度に出たのかとか、それまでの経過なんかに関しては、かなり忘れ去られている。相手がそういう態度に出るには、たいてい何か理由があるはずで、実際その不和の種は一月前、半年、もしくは数年前にまかれていたのかもしれず、その芽を私は怒りや悲しみなんてネガティヴな感情で、ますます鍛錬に育て上げてしまったのかもしれないのだ。けれど相手を傷つけていたのかもしれない、自分のとった言動はきれいさっぱり忘れて、相手から「された」酷いことだけを執拗に覚えていたりして。うっ…いったん止まった娘の涙が、いつのまにかまた溢れていた。どうやらオリバーの気持ちが、やっとわかったらしい。「もうやらなければいいんだよ、メェ。これから断るときは、きちんとその理由を説明しようね」と娘のまだまだ小さな背を撫でながら付け足した。「そうしてお友達から意地悪された、と感じたときは必ず、自分もその子に意地悪なことをしなかったか、考えてみようねぇ」、と。娘にというよりも自分に向けて。子どもの振り見て我が振り直せ―やはり、子どもから学ばされることは多いもんだ。アコマク
2008.08.29
コメント(0)
二歳の息子が、このところ悲鳴をあげながら、お昼寝から目覚めるようになった。どうしたの? と尋ねれば、恐~い夢を見たらしい。自分もつい最近、悪夢に魘された身。たかが子どもの悪夢などと軽視するわけにはいかない。そのうえムゥは、私が来てからも泣き叫び、落ち着くまでゆうに三分間はかかるほどなんだから。ちなみにこのカップヌードル待ち時間の定番は、アナログ時計の秒針を前にして計ってもらえば、意外に長いことに驚かれるかもしれないが、二歳児の悲鳴が鼓膜をつんざくとき、その長さたるや永久地獄なみのときとなる。落ち着いてから、どんな夢を見たのかと、問うてゆけば、ムゥのたどたどしい表現から浮かび上がってくるそれは、毎回、怖いくらいに同じテーマなのである。ムゥとメェ、ダディンと私、と家族四人で二階にいる。そこに、突然、侵入者が現れる。侵入者は、「えいごのひと」で(息子の世界観は、日本人とオーストラリア人から成り立っているらしいのだが、ヨーロッパ系の人は皆、英語の人、と表現されている)、「いじわるな」、「おとこのひと」だ。その「いじわるな」人が私たちを相手に「けんかをはじめる」。ダディン、マミィ、メェと次々いなくなって、最後にムゥ一人が、残される―そうして「イジワルなエイゴのヒト」が、あわやムゥに襲いかかるところで―どうやら目覚めるらしい。そうね…、典型的悪夢である。けれどあまりに何度も息子がその夢を見るので、しかも毎回、毎回、テーマも登場人物もセッティングも、ストーリィ展開も同じなので、私も真剣、気になってきた。要は、家に誰かが侵入してきて、家族全員が殺られちゃうって…ひぇーっ!!! そんな止めてよ、不吉だぁ、不吉過ぎるよぉぉぉ~ムゥったら、どうしてそんな夢を見るんだろうか?彼の日常で、そんなドラマチックな恐怖をあおるような、いったいどんな事件があったというんだろう?引き金は何? テレビ? 本? でもうちじゃあ、英語圏のオーストラリアにあって、子どもたちに少しでも日本語力をつけてもらいたい、とこっちのテレビなんてほとんど見せてないのにな~。ムゥの見るものといえば、トーマスとか、お母さんと一緒とか、子供向けの、のほほ~んとしたものばかりなのにな~友達に相談したら、息子の深層心理に潜む不安や恐怖を暴き、癒すべく、幼児対象の心理学者に連れていくように、とアドバイスされた。別の友人は、ネガティヴなスピリットの攻撃かもしれないから、ホワイトセージで家を清め、盛り塩をするようにと勧めた。ダディンに相談したら、鼻で笑われた。とりあえず、私は「意地悪な人は絶対に来ない」と強く請け合う一方で、とりあえず夜のセキュリティロックは厳重にしている。それにしても、あれほど魘されているくせに、その夢を、夜は絶対に見ないっていうのはどうしたわけだろう?などと訝りつつ、今日はこれから、「安らかに眠れるよ~」的暗示をかけてから、ムゥを昼寝に送り出すことにしよう。アコマク
2008.08.28
コメント(0)
子どもはときにドキッとするほど、スピリチュアルな発言をすることがある。たとえば娘は、三歳にもならないころから食べ過ぎに喘ぐ母親を諭していたものだった。「ああ、また太っちゃう」などと口走る私に、「ママ、そんなこと言っちゃダメだよ。太っちゃう、太っちゃうって言ってると、ほんと~に太っちゃうよ」幼児特有の舌ったらずに愛らしい声音で、ヘーゼル色の丸い目でこちらを見上げ、母親のゆく末を真剣に案じているかのような表情に、そのたび、ハッとさせられたものだった。自らの現実をつくっているのはあなた自身である、って哲学を、幼い娘から諭された気がして。その娘も小学校が始まってから、毎朝のように、学校に行きたくないと言うようになった。どうして?と尋ねれば、うちで弟と遊んだり、DVDを見ていたいから。即脚下の理由である。ゆえに諭したり、話題を変えてみたり、笑わせてみたり、おやつを奮発したり、励ましたり。あの手この手で、宥めすかしながら学校に送り出していたものだ。ところが今学期から親友が転校してしまうと、「学校に行きたくない」がもっと切羽詰まったものになってきた。で、結局、私は言ったのだった。「そんなに学校が嫌だ、嫌だって言っていたら、ほんとうに嫌なことばかり起こるよ。メェ、時々ママに言ってくれるでしょう。太る、太るって言っていると、ほんとうに太っちゃうよって」―と、娘は、以来、学校に行きたくないとは一切言わなくなった。きっと、心の中で、自分が学校に行きたくないって言っていたから、行きたくないようなことが起きたんだ、それで親友が転校してしまったのかな…などと反省したのに違いない。う…、ごめんね、メェ。もちろん、親友の転校は彼女のせいでは決してない。なのに、そう思わせる発言をしてしまったことには、やはり後ろめたさを感じている。だけど、言霊の力というのは絶対にあると思う。だからこそ営業でもカルト宗教でも心理セラピーでもアサーティヴ宣言が勧められるんじゃなかろうか。たとえば「自分は意欲的な人間である」と公言しつづけると、次第そのように行動し始めるように。毎朝起き抜けに「学校に行きたくない」などと言っていたら、たとえ最初はジョークで言っていても、そのうちほんとうに、ものすご~く行きたくなくなってくるだろう。そうして実際、学校に行っても「行きたくない理由」ばかりが目につくようになってくるだろう。けれど、「学校に行きたくない」って気持ちを単に抑圧してしまったのでは、結局、何の解決にもならないわけで。それがしだいに雪だるま式に膨れ上がって、あるとき切れて、ほんとうに不登校になってしまう―そんな事態は、なんとしても避けたいわけで。学校を終え、帰る娘は、以前より明らかに苛立っている。弟に八つ当たりしたり、がみがみ小言を言うことも(え、もしかして私のマネですか?)多くなった。せめても学校が終わってからは、のんびりと楽しく遊ばせてあげたいのだけれども、ホームワークの多さになかなかそうも言っていられない。ダディンと私はここのとこ、どうしよう?モードで、とりあえず娘の動向を見守っている。親が神経質になっては、子どもはより不安定になっちゃうだろうし。いやぁ…やはり子育ては大変、一筋縄じゃあいきませんねぇ。アコマク
2008.08.26
コメント(0)
超恐い、悪夢を見た。頭のおかしいSerial Killer殺人鬼に追いかけられるって夢。初めそいつの姿はよく見えなかったけど、大型バイクに乗っていて、わたしたちを追いかけてくる。わたしたちは、初めグループでいたんだけれど、逃げるうち、ちりぢりになってゆき―そいつは、ハーレーとかに乗っちゃうタイプのヘアリーにがっしりした、キモイ大男ふうで、ぼさぼさ金髪に、銀縁眼鏡をかけていた。その眼鏡の奥からおそろしく冷たく、凶悪そうな、小さな青い眼が、二つ―うっぎゃぁぁぁぁ~~~!!!けど思えば、典型的ホラー映画か、子どもがうなされる類の悪夢なんだけど…。それでも、何が恐かったかって、その間ず~っと耳元で男の声が延々同じフレーズを囁き続けていたんだ。ウェイキー、ウェイキー、ネルソンウェイキー、ウェイキー、ネルソンって、単調で、不気味な響き。ひぇ~っ!!!と、やっと夢の世界から無理やり起きたら、心臓バクバクで、胸の真ん中が、ほんとーに肉体的に痛かった。あたかもハートのチャクラが悪意のスピリットから攻撃を受けたかのように。で、すご~く眠かったけれども、また眠ってその夢の世界に引きずり戻されてしまいそうで、怖くてもう眠れませんでしたよ。いい年して、むむむ…まるでムゥかメェ、二歳児か六歳児の世界ですよねぇ。翌日、それにしても、なんだよ、ネルソンって(発音的にはウィルソンに近かったかな?)と考え、ハタと気づいた。それって、「エルム街の悪夢」かなんかで殺人鬼のフレディ(名前違いました?)が、口にしていたフレーズだったような気も…。―て、どうでもいいけど、あーっ、怖かったよ~それにしても、仏教では、死ぬ時の心の状態、同様、眠りに就く前の心の状態は非常に重要だと言われる。どんな気分で眠りに就くかが、その後の睡眠六時間なり八時間なりに影響するのだ、と。ゆえにベッドでホラー小説などを読みながら眠りに就くなどもってのほか。寝る前に三分間でもいいから瞑想をして、こころを健全な状態においてから、ゆったりと眠ることを勧められる。寝る前に本を読む習慣があった私に、その話はぴたりときた。というのも、たとえば、ナチスのアウシュビッツ収容所を生き残った精神医、フランクルの名著、「夜と霧」の途中で、寝た夜など、夢の中でまでその本の続きを読んでいたから。夢になんと活字が出てきて、私は現実に本を読むのと同様に夢の中で、恐ろしく残酷な収容所の日常を読んでいたのだ!もちろん、心臓バクバク、筋肉硬直で縮こまり、疲れなどとうてい取れようはずもない。考えてみれば、その夜も、数か月前にDVDで見たボスニア紛争の犠牲となった女性の愛と哀しみを描いた映画のことを(すみません、タイトル忘れちゃいました)考えていたのだった。そこから心は「ワイルド・スワン」に描かれていた、文化大革命時の暴力や、果てはイラクやアフガニスタンや、パキスン、現代のニュースで聞く惨事へととんでゆき―そうよ、リラックスからは程遠い心の状態で眠ったのだったっけ。むむむ…いかんなぁ…やはり、寝る前のリラックスは、いい夢見のために重要ですねぇ。と、心して、今夜は短くとも瞑想してから眠ることにします。どうぞみなさまも、良い夢を―アコマク
2008.08.22
コメント(0)
来年、三歳になる息子の幼稚園選びで、モンテッソーリ・スクールの説明会に行ってきた。この学校は、イタリアの女性教育家、モンテッソーリの提唱する教育法に基づいて運営されている。子どもの自発性を基本としながら、子ども同士の競争意識ではなく、協調と助け合い精神によって、自由に、いきいきと学ぶ姿勢を培ってゆくのだ。クラスも同じ年の子たちで構成されるのではなく、三学年にわたる子どもたちが同じ教室で一緒に学んでいる。現在、一年生の娘も、オーストラリアの公立小学校に入るまで、ここの幼児部、サイクル1で学んでいた。地元の公立幼稚園入学の抽選に落ちたがゆえの選択ではあったけど、極端に内気だったメェには合っていたと思う。なにしろ当時の彼女ときたら、自分と同じ年くらいの子が、店先に立っているだけで、中に入れないような子だったのだから。それがモンテッソリに通った二年間で、かなり自信をつけてくれたのだった。にもかかわらず、そこを辞めさせて公立の小学校にうつらせたのは、娘の自信が飛躍的に向上して内気さが消えたわけではなく、なんなんだろう、とにかく私は迷ったのだった。一つには、メルボルンのモンテッソーリ・スクールは小学校までで中高部がないので、子どもたちは多感な十代に、アットホームに小さな世界から、突如、競争激しい巨大マンモス校に放り込まれる、とか。学園の外国語学習が、モンテッソーリの地である、イタリア語だとか。別段イタリア語が云々というわけではなく、私としては娘に日本語を学んでもらいたかった、とか。子どもにとって、一日の大半を過ごす学校って言うのは、当たり前ながら、すごく重要な世界である。ほぼ絶対ともいえるくらいに。オーストラリアにあって、そこからぽっかりと日本と言う存在が抜け落ちてしまうのが、堪らなかったのだ。孫たちと言葉が通じず話ができないなんて事態にならないよう子どもに日本語だけは教えるように、と両親から頼まれていたって事情もあった。でもそれ以上に、子どもたちが、まったく自分と違う人間になってしまうことが、哀しかったのかもしれないな。今思えば、う~ん、親のエゴですね。そういえば、「Spanglish」だっけ?そんな映画がありましたよね。裕福なWASPファミリーで、メイドをしながら住み込みで子どもを育てる、メキシコ移民の母親と、娘の話。実際、当時を振り返れば、メェが幼稚園で習ってきた、と得意げに童謡を歌ってくれるときなんか、一緒に歌いだすダディンをよそに、歌詞を知らず合唱に加われない自分に、ふと淋しさを感じたり。「先生が言ってたんだけど、ママ、ジーザスはねぇ」などと娘が聖書の逸話を話してくれたときなんか、愛らしい声を聞きながら、キリスト教徒ではない身、腑に落ちない思いを抱いたり。していましたよねぇ。だけど、本当にそれで良かったのか?と、この日、説明会に全員そろって来てくれた、モンテッソーリの六年生を前に思った。全員と言っても、小さな学校なので十人ほどしかいなかったのだけれども、彼らはいきいきと、説明会に集まった親たちの質問に答えていた。少しシャイそうな男の子でさえ、二百人もの大人を前に、自分の経験や気持ちを、ユーモアをまじえ、明確に説明してくれたのだった。いきいきと育った子どもたち、そんな印象を受けた。私が考えていた以上に、オーストラリアの小学校は競争が激しくて、陰に陽に、子どもたちは、絶えず競争にさらされている。メェは、自分は背が低い、と思っている。五歳のバースデーパーティーの招待状を送った翌月、クラスメイトから六歳の誕生日祝いの招待状が届くっていう早生まれの娘だから、その月齢にすれば、平均身長よりも高い、にもかかわらず。自分の足はのろい、と思い込んでいる。その年なりで、決して遅いわけではないのだけれども。子どものころからそんなふうに自分の能力を見極めてしまうのは、親としては、やはり、堪らない。モンテッソーリの説明会の帰りにダディンにその話をしたら、もともとモンテッソーリ派の夫、ただちに転校案を持ち出した。え、いきなりそこまで飛ぶかっ!?驚きつつも、現地校での娘のおどおどした姿に、さっき見た、自信あふれる子どもたちの笑顔が重なって、混乱するわたし。とりわけ親友が転校してしまった後じゃあ、心配や不安は募るばかりなのだった。結局、本人の心に探りを入れた。学校は楽しい?モンテッソーリを覚えてる? 来年からムゥはそこに通い始めるけど、メェもそこの小学校に行きたい?セーラみたいに転校したい?可能な限り何気なく、リラックスした雰囲気のなか娘の心理を探ろうとするんだ。と、メェは一言。「ねえ、マミィ、そんなことよりケロロが見たいよぉ」そう…、ケロロね…キャッキャッと、「ケロロ軍曹」に大笑いする娘の朗らかな声に、だけれども、ああ、心が溶けてゆく―。結局のところ、親は子どもにベストであると本人が思い込めることを与え、子を守ろうとするけれど、つまるところは、子どもの柔軟さにはかなわないってこと。もう学校の話は止めて、私もメェとムゥに並んで、軍曹さんに笑ってました。アコマク
2008.08.21
コメント(0)
二歳の息子と通う、日本人のプレイグループで、夏祭りをした。夏祭りと言っても、ここ、メルボルンは冬。朝晩凍えて、昼間も空はどぉ~んよりで、とてもじゃあないけど、かき氷やヨーヨー掬いなんて風情じゃないの。それでも子どもたちはセーターの上に浴衣や甚平を羽織って、ママと子どもたちで一緒に作った手作りのお神輿を担いで、大はしゃぎ。ママたち持ち寄りランチの、焼きそばやらお好み焼きやら、温か~いおしるこなんかが(寒地ではやはりこれですね)振る舞われて、ポップコーンや輪投げ、風船の出店なんかも並んで、みんな、楽しそう。ムゥは、先週の風邪が治ったとはいってもまだまだ寒いと、ダッフルコートの上から浴衣を着せたので、雪だるまみたいに着ぶくれしていた。それでも他の子たちをならって、ぎくしゃくと商品めがけて輪を投げたり、風船で遊んだり、ポップコーンを頬張る姿が、とてつもなぁぁぁく、かわいかったデス。←親バカ。なのに、私は、輪投げに使う景品のかき集めやら、持っていく料理のことで頭がいっぱいで、うっかりホームムービーもデジカメも忘れてしまった。無念…。そういえば、幼い子を持つお母さんで、いつなんどきもビデオやデジカメを持ち歩いている方を時折見かけますが、あれは非常に有益ですね。日常の何気ない仕草が、奇跡のように愛らしいこの時期。その一瞬を、可能な限り永久保存しておきたいもの。―と、空の思想からは程遠い、サムサリックな私でした。アコマク
2008.08.18
コメント(4)
日本に帰ったとき近所の本屋で見つけた、デイビッド・ミチー氏の「気づきの旅」を読んだ。帯には、オーストラリア・パース在住のベストセラー作家による自伝的・実践的チベット仏教入門書、と書かれている。久しぶりにすご~くいい本を読んだなって、感動。その日は、彼(つーか、仏教)の言う、行動の前の動機づけ、しかも利他主義によるそれを捧げながら半日を生活してみた。仏教では動機づけが重要とされる。私たちが日常で習慣的に何となくしている事々に明確な動機付けをするんだ。まだ娘が幼稚園に通いだす前、時たまメェを連れて電車に乗って、二人で小さな旅に出た。二歳の娘は電車が大好きで、電車を見るたびに歓声を上げ喜んだから。それは私の胸をも温かくさせてくれる、たとえば電車に乗るなんていう、それまで何つーことなかった行為がキラキラと輝きだす、冒険でもあったから。なのに、気がつけば、「ほら、急いで、メェ。電車に乗り遅れちゃうでしょう」などと二歳児の娘を急かしている自分に気がついた。当時は今よりもっと仕事で忙しかったせいもあるけれど、私は、喜びであるはずの貴重で限られた娘との遊びの時間にまで、なんと「効率性」を求めていた!のである。それからの私は娘と駅に向かうたび、「私は娘と楽しい時間を過ごすために今日半日を使おうとしている。電車に間に合うということは、全く重要ではない」そう自分に言って聞かせなくてはならなかった。焦りとか不安とか、そういう染み付いてしまった習慣的な思考のせいで、何かをするとき、肝心の本来の目的を忘れてしまうってことが日々、多々ある。そういうメェとたまのお出かけとかイベント的なことはもちろん、小学校に迎えに行くとか、息子の歯を磨いてあげるとか、そんな日常的なささいなことでも、いちいちその動機、目的を明確にしてゆくんだ。私がやるのは、つーか、やってもせいぜいそこまでだけど、ミチー氏の本に感化されたこの日は、それをもっと仏教的に推し進め、より利他的な視点に立てるよう動機付けをして、祈りをささげた。たとえば、ムゥのおしめを替えめるときも心の中で宣言する。ムゥと、ひいては世界中の子どもたちが、快適な環境ですくすくと育てるように、私はおしめを替える。私のこの行為によって、自分と、生きとし生けるものが速やかに悟りを開けますように、と。もちろん、ミチー氏の言うように、私がムゥのウンチを拭いたからといって、アフリカの子供のお尻が快適になるわけでもないし、人類が幸福になるわけでもない。それでも確かに、私の心理にはかなりのプラスになったのだ。実際、その日はすばらしく充実した気持ちで、一日を終えることができたのだから。これを毎日毎日、なにか行動するごとにやり続ければ、十年後、いや一年後でさえ、わたしはかなり他者のニーズや幸せを気にかけることができるような人になっているんじゃなかろーか。けれど翌日、ムゥの風邪がひどくなり、熱が三十九度台にまで上がり、胃が痛いと転がりまわる事態にいたっては、気がつけば、ほぅら、また。私はこうして闇雲に走り回っているじゃあないの。まあね、それでも、持続こそ力なり。気づくたびに、実践していくしかないですね。アコマク
2008.08.13
コメント(0)
先週、母が入院した。七年にわたる自宅での祖母の介護疲れが原因だと思う。今夜は近所のチベット仏教センターで、毎月定期的に行われるPuja(なんて訳せばいいんだろう、法要かな?)があるので、私も参加して母の回復を祈ってこようと思っていた。あらかじめ母の祈祷とも尼僧に頼んでいた。だけど月曜日は、ママ業が週で一番忙しい日。午前中から息子と一緒に日本語のプレイグループに参加した後に、ほぼ直行で、今度は娘を水泳教室へ連れていかなくちゃならない。帰ったらただちに夕食を食べさせ、お風呂に入れ、メェの宿題を見てやっていると、あっと言う間に就寝時間になってしまう。Pujaは六時からだったので、夕食の用意をしながら、今夜は無理かなぁ…などと思っていたら、ムゥがやって来て、にこにこと言ってくれた。「ママ、今日はPujaに行くんでしょう。おばあちゃんのこと、お祈りするんでしょう」、と。たぶん今朝、プレイグループに行く途中に仏教センターの傍を通ったとき、「ママは今日、おばあちゃんのことをお祈りしたいから、ここに来ようと思っているんだよ」と話したことを覚えていたのかもしれないけれど、二歳の息子の唐突な言葉は、ま、いっか、子どもたちを置いていくのは可哀想だから、子どもたちが寝た後にでも、家で一人でお祈りすることにしよう―などと思い掛けた心を、さぁっと吹き飛ばしてくれた。もしかして…これはシンクロニシティかも、行けってことかもしれないゾ、と。聞いたら、ダディンが子どもたちを見ると請け負ってくれたので、子どもたちに夕食を食べさせ、 さあ、後は任せた!でどたばたと支度をして家を出た。 尼僧を入れて七人ほどの小さなPujaだったけど、ゴンパ(瞑想の場を意味する広間)で瞑想をして、祈祷に加わることができた。母はもちろん、今は施設にいる祖母や、二人が家から出てしまったので、家に一人残されている父のことも祈った。家に帰って、子どもたちにPujaでもらった菓子袋をあげ、(これはPujaで参加者が神仏に捧げたお供物をお返しでまたもらえるってもので、うちの子たちは「Puja Bag」と呼んで、もてはやしている)、一息つきにベランダへ出たら、夜空に、ものすごぉぉぉく明るく目映い、閃光が流れたではないか!何っ!?ほんとうに初め、それが何かはわからなかった。とにかくまばゆい光で。だけど赤いライトや点滅なんかもないから飛行機ではないだろう。途中で消えちゃったし。けど星にしては、他の星々に比べてあまりに明る過ぎる!むむむ…。だけど、やっぱり、あれは…流れ星だったんだろうか?あ、だったら、願いを…などと一瞬にして視界を滑り落ちていった光の先へ願をかけた挙句、やっと思った。そうだ、きっと流れ星だったんだ。母への祈りが天に届いたって、サインだったのかもしれない、と。その夜は、息子と病院にいる母を訪ね、それから母も一緒に三人で、今度は施設に祖母を訪ねるって夢を見て、ハッと深夜に目覚めた。横ではムゥが寝ぼけて笑っていた。夢の中で体外離脱でもしていたような感覚の夢だった。時々思うことがある。私たちがかけるほとんどの願いや祈りは、実は少しも天へは通じていないんじゃないか、と。私に向かって何か頼むメェの声が小さ過ぎて聞こえないように、私たちの念が小さ過ぎて、届かないんじゃないのか、と。今度こそ、祈りが天へ届いていると嬉しいのだけれどもな。アコマク
2008.08.11
コメント(0)
White Taraのイニシエーションを受けた。今回は子どもたちをダディンに預け、一人、近所のチベット仏教センターで。チベット仏教のイニシエーションというのは、以前にも書いたと思うが、神性を授かり、仏教修行をするためのタントラ儀式である。そこで友達と会ったので、そのまま家に寄ってもらって一緒にランチをとった。彼女は、シドニーでダライラマ法皇の講義に行ったとき、ヒーラー僧から祈祷を受けた友達である。以来、健康がとても落ち着いていると聞き、喜んだ。ほっ。彼らにも四歳になる子どもがいるので、うちの子たちと三人で、トーマスやら車を手に、楽しげに遊んでいた。穏やかな午後ーに、なるはずが、ダディンと私は些細なことから口論を始めてしまったのだった。日常に詰まりまくる互いへの鬱憤がプツプツと噴き出し、友達夫婦は、マズイ、始めちゃったよ、この二人、どうしよう…と私たちの顔色を窺いつつ、し~ん…、気まずくなる。ムゥと友達の子がおもちゃの取り合いを始め、その仲裁に入れたときには、いかにもホッとしたらしい。当然である。子どもの喧嘩ならかわいいもんだけど、夫婦のそれなんて…。まったく、何のためのイニシエーションだろう。自分がその数時間前に、穏やかな平安と英知のみなぎる仏教センターにいた人間だなんて、とても信じられない。反省しつつ、翌朝の瞑想で、White Taraの練習をしようとしたら、なんとマントラを発音でなかった!私ってば、White Taraのイニシエーションは、昨日のも含めすでに四回も受けているはずなのに!受けっぱなしで、実は瞑想にさえ取り入れていなかったって情けない事実を、改めて認識させられたわけだ。なんでもそうだけど、実践しなければ、全く何の意味ももたいない。ああ、ほんと~に、もっと心して生きなくちゃな。ごめんね、みんな…。と、大反省の一日でした。アコマク
2008.08.10
コメント(0)
土曜の夕方からスピママ(スピリチュアルなことに興味のあるママ友)四人と集まった。月に一度のスピリチュアルなおしゃべりを楽しむ夕食会で、いつもは誰かの家に集まって瞑想とかのワークショップをしてからレストランに行くのだけれど、その日は幹事の提案で持ち寄りだった。まず、音に意識の焦点を合わせる瞑想をしてから、ワイワイとディナーを囲んだ。幹事の選んだその月のテーマは「カルマ」だったのだけれども、その話はあまり出ず、皆ここ一カ月、自分に起こった、ちょっとスピリチュアルな体験談なんかを報告し合っていた。その後リビングにうつって、話している間に、一人がサイキック・リーディングのワークショップをしてみよう、と言いだした。みんなで一人の人に意識を集中し、その人に関して浮かんだビジョンや言葉、感覚を後で伝えあうというもの。輪になって、時計回りに一人づつやってみた。私は目を閉じて、いつもの癖で呼吸に意識を集中したとたんEmptiness―瞑想モードに入ってしまい、瞼の裏は真っ暗、何も浮かんでこなくて、まずいゾって感じ。けど、驚いたことに、みんなは次々と鮮やかなイメージが浮かんできたらしい。中でも一人は、3Dの映画を見るようにリアルに鮮明に、ズームアップして、どんどん場面が展開していったらしい。一人に対して5分程度のリーディングだったけど、興味深いことに、数人が同じイメージを見ていたり、メッセージやビジョンの展開がシンクロしていた。私もビジョンは見えなかったのだけど、体に感覚として感じた。一人の友達に集中したときは、ハートのチャクラが強く疼き出した。別の友達のときは腰が痛くなった。面白いことに、止めたとたん痛みもすぅ~と引いてしまうのだ。ちなみにハートの疼きには、本人は首を傾げていたけれど、別の友達も心臓に痛みを感じたと言っていた。そうして腰の痛みの方は、本人が、中学まで体操選手で、腰を痛めて止めたのだが、今も寒かったり疲れると痛み出すのだと、教えてくれた。その直後、十歳になる幹事の娘さんが、悪夢を見たと泣きじゃくりながら起きだして、会はお開きになった。もしや私たちがヘンな気を呼んでしまったのでは…と恐れつつ、解散した時には深夜一時近かった。帰りの独りドライブがちょっと怖かった。アコマク
2008.08.09
コメント(0)
二歳の息子が、たまぁぁに妙なことを言うことがある。昨日も買い物の帰り、息子と二人でカフェでお茶をしていたら、唐突にヘンなことを言った。「ママ、あの人、暗くなってる」最初私は子どもの戯言だろうと気にしなかったのだけれど、その後から入ってきた親子が私たちのテーブルの傍らを通り過ぎるときにムゥはまた言った。「この人たちは暗くなってないから、大丈夫だね」、と。ふと気になって、「暗くなっている」とはどういうことなのか聞いてみると、気分が暗い、明るいってことじゃなく、どうやらその人の周囲が彼には真っ暗に見えるらしい。もしかして、この子ってば、オーラのことでも言っているのかしら?私も気になって、どの人が暗くなっているのかと尋ねてみた。たとえば私たちの後ろには八十歳を超えているだろう、おばあさんが座っている。けれどムゥは首を振り、カウンターの横を指さした。「あの人、暗くなってる。大丈夫じゃない」と眉間に皺寄せ、哀しげな顔までして首を振る。ムゥが指したその人は、若い女性だったのだが、松葉杖をついていた。そうして振り向いた顔は、私も一瞬びっくりしたくらい青ざめていた。幼い子供たちには大人に見えないものが見えるというけれど、ムゥの目にはいったい何が見えていたんだろう?ほんとに、オーラみたいな、生命エネルギーが見えたんだろうか?死を間近に控えた人のオーラは真っ暗になると何かで読んだけど、息子の目には彼女の周りが暗くなっているのが見えて、普通の人と違う様子に、幼いなりに心配したんだろうか?だけどやはり二歳児。問い詰めると訳わかんなくなってゆくのが常であるから、私はもうそれ以上は尋ねなかった。それにしても、一度、子どもの目を通して世界を見てみたいなぁ。アコマク
2008.08.08
コメント(0)
三年前の今日、ダディンのお父さんが亡くなった。心臓発作だった。突然死。義父は何年も前に心臓バイパスの手術を受け、心臓に二本バイパスを入れていたのだけれども、その後は発作を起こすこともなく安定していた。だから誰も予期していなかった。だけど、私は、彼は、どこかで自分の死を知っていたんじゃないかと思う。亡くなった一週間前が、義父の誕生日だった。義父はとにかく家族の絆を大切にする人だったから、家族の何かの記念日には全員が集まるということを何より重要に思っていた。当時私はダディンの家族に感情的確執を持っていて、ことあるごとに召集がかかるファミリーイベントを可能な限り避けようとしていた。実際、その年は義母のバースデーパーティーまで初めてボイコットしたのだった。義父は無口な人で、超電話嫌いで、電話がかかってきても無視を決め込んで出ないほどだったから、自分から誰かに電話をかけるなんて、ほぼあり得ないことだった。なのに、その義父がバースデーパーティーの数日前、私に電話をかけてきたのだ。日曜の、自分のバースデーパーティーは、自分にとってとても重要なので、どうしても私とメェにも来て欲しい、と。当然、私は行った。彼の子どもたち四人と、その家族が全員、義父母の家に集まった。そうしてその一週間後に、義父は亡くなったのだった。義父が亡くなった夜のことは今でもはっきりと覚えている。私は三歳の娘を寝かしつけようとしていた。いつものように娘の隣に添い寝をして、絵本を読み聞かせていた。メェは哺乳瓶をだらだらと飲みながら瞼を閉じ、そろそろ眠くなりかけていた。と、突然、彼女がマントラを唱え始めたのだった。OM MANI PADME HUM、と。何度か近所のチベット仏教センターに瞑想をしに行ったとき娘も連れて行ったことがあるから、そのマントラは聞いたことがあるはずだけども、メェがマントラを唱えるなんてことは、それまでなかったことだ。訝りつつなんとなく時計を見たら、8時半近くだった。それから間もなく玄関のドアベルが鳴り、誰か女性の声がした。バタバタと物音がして、ドアが閉まるのを聞いた。やっと娘を寝かしつけ、寝室から出たら、ダティンの姿がなかった。車もなくなっていた。留守ロクには女性の悲鳴が、Oh my God! Oh my God! Darling, Darling!そうしてプツンと切れた。ただ事でないのはわかったけれども、だけど悲鳴では、電話の主が誰なのかはわからなかった。混乱しつつも、娘は寝ているし、車はダディンが乗っていってしまったし、とりあえず、私は自分の一番落ち着く場所、書斎に向かった。パソコンを立ち上げ、小説にかかった。こういうときは自分の現実ではなく、自分のキャラクターたちが創り上げる世界に逃げ込んでしまうに限る。ふと、背後のドアに誰かが立った気配がした。ドアが軋んだ。振り返るとき、書棚に飾った家族の写真に目が行った。ダディンとメェと、わたし。ふいに人生は儚い、今、家族と呼んでいる人たちと過ごせる時間も限りあり、今大切にしなければ、あっという間に終わってしまうって、強烈な感覚に襲われた。そのとき、義父が亡くなったのだと悟ったのだった。義父がそこにいるような気がしていたから。その、部屋に誰かがいる、見られているという感覚は暫く続いていた。真夜中近くダディンが戻って来て、義父の死を知らされた。義父は、夕食を電子レンジに入れ、バスルームに行き、そのまま戻ってこなかったという。義父母は二人でTVを見ていたのだか、三十分近く経っても戻ってこないことに気づき不審に思った義母が、バスルームで倒れている彼を見つけたのだった。医療関係者たちの話では、強烈な心臓発作で、即死だったそうだ。苦しまずに逝った、というのが、残された者たちのせめてもの救いとなった。私たちは娘を起こし、義父母の家に向かった。着いたときには、遠方に住む義妹の家族以外、全員が集まっていた。義父はベッドに横たわり、安らかに、ほんとうに眠っているみたいだった。彼のスピリットの存在をはっきりと感じた。私は彼に謝り、想いを伝え、そして彼の最後の誕生日にああして電話をかけてくれたことに心から感謝を捧げた。あの日、行かなければ、きっと私は生涯、後悔したことだろう。それから葬式とお別れのパーティーが終わるまで、私は彼の存在をはっきりと感じていた。もちろん、そう感じていたのは私だけではなかった。あれから三年の月日が流れ、私たちは、義父を偲んで義母が裏庭に建てた天使の石像の蝋燭に、義父を想って、火を灯した。その夜ディナーを終えても、暗い庭の隅、ユーカリの木の下で、蝋燭の炎は燃えつづけていた。アコマク
2008.08.07
コメント(0)
そうして、また、帰って来ました。メルボルン。日本に里帰りしては、またここに戻ってくる、こういう生活をかれこれ十二年、続けていることになる。でも、仏教で言うところのEmptiness、空。状況は刻々と変わっている。以前は、日本に帰るってことは、パーティーじみた楽しさがあった。実家は北関東にあるけれど、滞在の半分は東京で過ごした。友達や仕事関係の人たちに会って、食べ歩きにショッピングに、飲みに踊りに行ったり、六本木や、以前住んでいた恵比寿の辺りをうろうろしていた。それが、長女が生まれ、長男が生まれ―。本を読んでも機内映画を見ても退屈だった空の旅が、へろへろに疲労困憊する、一刻も早く終わってほしい、長~い半日、密度の濃い里の行を強要される場となった。飛行機に乗るたび、なぜか長女はゲロを吐き、長男は泣きまくるか、喚きまくるか、走り回る。今回も、メェはさっそく機内で大ゲロを吐き、隣に座ってゲロまみれになった私はもちろん、周囲をもあわてさせた。けど本人は夜フライトで眠かったらしく、ゲロまみれで寝ていた。すやすや眠り姫よろしく眠る娘からゲロを拭い、トイレまで半ば引きずり込み、そこでシャワーよろしく体を拭き、エアアテンダントからもらったパジャマに着替えさせ―。それでも驚いたことに娘はまだ半分眠っていた。翌朝、目が覚めるや彼女はゲロの残り香に驚愕していたけれど。今回は、興奮と疲労からハイテンションで、ほとんど暴力的に騒ぎまくる二歳児ムゥの方は、ダディンが見てくれたから助かったけど。それにしても、息子が少しでも眠ってくれるよう、直行じゃなくとも、夜フライトにまたできたことは幸いだった。でもって、すべての席にスクリーンがあるというのは有難いことです。と、話が機内に入ってしまったが、子どもが生まれてから、私たちは日本での滞在のほとんどを東京ではなく、実家で過ごすようになった。昔の友達と過ごすより、家族と過ごす時間の方が俄然、増えた。メェがまだ私のお腹の中にいたとき、倒れた祖母が、寝たきりになった。そうして認知症が進み、そのうち自分の名前も忘れてしまった。両親、とりわけ母は、祖母の介護に追われるようになって。老々介護。祖母を施設に預けては、と勧める声を退け、母は頑張った。祖母が、認知症を患う前、家で死にたいと言っていたから、と。母は、もう少し、もう少し、と頑張り続け、去年、首が痛みのあまり、曲がったまま上がらなくなってしまった。いつも俯いたままなので、脳へ酸素や血液の循環が悪くなるから脳卒中や脳梗塞が心配だと、言われていたのに、それでも母は頑張った。今回、祖母は施設にいた。認知症の老人たちが集まるフロアで生活している。実家の愛犬は、糖尿病の末期で死にかけていた。父の鬱も、なんだかひどくなっていた。時間は流れ、状況も変わってゆく。祖母を預け、病院にかかる時間的、精神的余裕ができた母は、ベッドが空く今週から入院することになった。これからいろいろと検査を受けるらしい。嬉しいことに、両親の近くには妹夫婦が住んでいてくれる。だけど、今度帰るときは、どうなっているんだろう。見る間に大きくなってゆく姪っ子たちは、実家と妹ファミリーとの間に広がる向日葵畑みたいだけれど、老いてゆくってことはやはり太陽の輝きってわけにはいかない。…。ああ、それにしても日本は暑かった。でもって、メルボルンは凍えるなぁ。アコマク
2008.08.05
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1

![]()
![]()