ユーカリの木陰で里の行
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遅ればせながら、Happy Year 2016!今年もどうぞよろしくお願いします。そうそう、 “Someday Baby”のホームページを作りました。良かったらいらしてくださいませ。http://www.akomak.com/12月中旬から日本に一時帰国していました。楽しみにしていた日本滞在だったのですが、帰ってみれば―なんと母が交通事故に遭っていた!?父と温泉旅行に向かった先で、縁石に乗り上げて、電柱に激突してしまったんだそうで…。助手席側にいた母はエアバッグで肋骨を折って、左足にも大怪我。意識を失い気がつけば、旅先の病院に入院していたそう。父の方は、怪我はなかったものの、妹の話では暫くショック状態にあったとか。そりゃそうだよねぇ…。事故後の処理で現地に行ってくれた義弟の話では、セダンの車はボンネットが押し潰されてボロボロで、廃車。事故が起こったのは11月中旬だったそうだ。私が会ったときは退院から2週間近く経っていたからか、母はゆっくりとなら自分のことができるほど回復していたけれど、杖をつきながらよたよた歩く姿は不憫だった。。。それにしても、11月といえば自分も病み上がりで手いっぱいだったこともあって、実家の方がそんな大変なことになっていたなんて全く気づかなかった。。。思い返せば、基本的に週1回は電話をかけているのだけれど、そのころ電話をかけても誰も出なかったナ。買い物でも出ているのだろうと思っていたけれど…。その後電話で母に旅行はどうだったかと尋ねたときは、「まあ、良かったよ」とか答えていたっけ。心配かけるから知らせなかったって気持ちもわかるけど…。妹は、母が寝たきりになってしまうような事態は避けたいから少しずつ復帰を助けてほしいと言っていた。それまで夕食は近くに住む彼女が届けてくれていたそうなので、家事は私が引き継ぐことにした。ただ朝食は母が自分たちのぶんは自分で用意したいというので、リハビリを兼ねて任せることに。それと私が発った後のことを考えると、子どものころ祖母から「男児、台所に立つべからず」とか言われて育ったという父に、いかに母の家事を分担してもらうかも重要な課題だと言えた。なんとか私がいる間に習慣化してもらわなくては…。「お母さんもお父さんも年だし、いつ何があるかわからないから、一緒にいられる間は皆でとにかく仲良くやってゆこうね」と妹にしんみりと言われたとき、今更ながらに思わされた。後何年、こうして両親と一緒に実家に滞在できるのだろうか、と。ショックな幕開けの里帰りだったけど、例年同様慌ただしく、あっという間に日は経った。帰る前に立てていた私たちの予定はあくまでも変えないでほしいという母の気遣いもあって、旅行や遠出も楽しむことができた。予定通り3泊4日で奈良旅行にも出ることができたし、旧友たちとも会うことができた。とりわけ十年ぶりの女友達との再会は何より嬉しかった。子どもたちもポケモン・メガTokyoとかキャラショップ巡りや、藤子F不二雄ミュージアムに行ったり、『妖怪ウォッチ』を観たりと楽しんでいた。そうして、事故の話を聞いたときには思ってもみなかったことだけど、予定通り両親と温泉旅行に出られることになった!?のだった。去年から計画していた2泊3日の草津温泉旅行だったけど、事故の後、母はとうてい無理だと自分はキャンセルしていたのだった。足の怪我のせいでお風呂に入ってはいけないと言われていたし、雪道を想定し電車で行くことにしていたので、無理もないと思った。それが、回復して多少自信がついたのかもしれない。「もう一緒に旅行なんてできなくなってしまうだろうから、思い切ってやっぱり行ってみようと思って」、と。けれど実家から公共交通機関を使って草津温泉に行くには電車を2本乗り継いでからバスで湯畑まで行かなくてはならない。乗り継ぎの時間も入れれば4、5時間はかかってしまうだろう。正直、母に耐えられるのだろうか…?それでもせっかく本人行く気になっているのだからと皆で出発することに。娘が母の荷物を持ち、ゆっくりと現地に向かった。母は多少辛そうではあったけど、無事ホテルに辿り着くことができたのだった。草津温泉は暖冬のおり、雪はほとんどなかった。数年前にこの時期に来たときは一面真っ白い雪で覆われていた。西の河原公園など、雪景色から湯煙が上がり、幻想的に美しかった。奥の、白い山肌に面した雄大な露天風呂につかった贅沢なひと時を思い出す。雪がなくても、硫黄の匂い漂う濁り湯は格別だと言えたけど。などと思っていたら、2日目の朝、雪が降ってきた!さっそく雪のなか西の河原まで散歩して、あの贅沢な露天風呂に!ほろほろと舞い降りてくる雪を見上げ、今年も憧れの雪風呂を楽しむことができたのだった。母はさすがに西の河原公園まで足を伸ばすことはできなかったけど、湯畑をぶらぶらと皆で一緒に散歩した。足湯だけでも楽しんでもらいたいところだったけど、怪我は右の脛だったので無理な話だった。とはいえ硫黄泉の湯煙にホテルの料理と温泉気分は楽しめたそうだ。そうして帰る日の朝、もう雪は止んでいたけれど雪の残るホテルの露天風呂で朝風呂を楽しみ、朝食に行こうと両親の部屋へ迎えに行った。―と、いつもなら準備万端、身支度を整えているハズの母が床についたまま出てこない。なんと、あろうことか、転んで痛くて動けない!?というのだ。なんでも明け方トイレに行こうと目覚めると、幾何学模様の幻影が見えた。頭痛と目眩がしたにもかかわらず立ち上がり、転んでしまったのだという。父に助けてもらって床に戻ったものの腰が痛くて動けず。とても朝食になど行けないから私たちだけで行ってきてほしい、と。………呆然としてしまったものの、とにかく母の分は持ってきてあげることにして私たちだけで朝食に向かった。あの様子じゃあ、とても今日帰ることはできないだろう。かといって皆で滞在したのでは高くなってしまうから、子どもたちを連れて先に帰ろう、と思った。チェックアウトの時間が迫っていたので、ともかく部屋に戻り自分たちのパッキングを済ませてから両親の部屋に戻った。と、父が母の荷物を詰めているところだった。え、帰るの…?母はさっき朝食の牛乳を飲むために半身を起こすだけでも大変だったのに、どうやって家まで帰るというのだろう?この状態じゃあとても無理そうだから落ち着くまでここに泊まっていた方がいいんじゃないかと言ってみたけれど、父も母もどうしても今日帰るのだと言う。「でもそんなに痛くて帰れるの?」「だけど明日になったからって痛みが和らぐとは思えないから。2、3日待ったからってどうなるものでもないから」と、母。「そんなこと言ってもこの状態じゃあ…」「それにしてもねぇ、酷いんだよ。お父さんが私にバスに乗れっていうの。後ろの席で横になっていればいいからって。とても無理なのに」と母は喉を詰まらせ呟いた。「あの人は、自分がこういう痛みを経験したことがないからわからないんだよ」そのとき去年のあの痛みを思い出した。痛みのこと以外何一つ考えられなかった。痛みのあまり救急に駆け込むことさえ躊躇してしまったのだった。待合室で待つ自信も、車に乗る勇気も持てなかった。着替えていつものバッグをもつだけで30分近くもかかってしまった。なんとかシートベルトを着用し後部座席に転がったものの病院までの20分ほどの道のりが果てしなく遠かった。あんな痛みを母が今、経験しているのだとしたら…?「ね、じゃあ、とりあえずホテルの近くの病院に行かない? 診てもらって、強力な鎮痛剤でも処方してもらえば…」「この間みたいに旅先で入院なんてことにでもなったらどうするの。それだけは絶対に避けたい。私はタクシーを使ってでも家まで帰りたいの」だけどタクシーを使ったからといって、どうやって何時間も座席に座っていることができるのだろうか???「お前は余計な口出しはしなくてもいいから」と、はなから帰るつもりだった父はチェックアウトをしてくるとさっさとロビーに降りてしまった。仕方ないのでホテルの車椅子を借りてきて母と一緒にロビーに降りた。フロントで地元のタクシー会社に電話をかけてもらい、実家まで送ってもらうことは可能か、そうしておおよその料金を聞いてもらった。8万円くらい!?と、予想していたことではあったけどやはり高かった…。さすがに家までタクシーで帰りたいと言った母も費用を考えて躊躇してしまったようだった。だけど背に腹はかえられないのだ。ちょうど日本滞在用に多めに引き出してきた現金もある。皆でタクシーに乗り込むのは無理だから子どもたちと私は電車で帰ればいいし。一方、タクシーはあくまでも長野原草津口駅までのバスの代わりで後は電車で帰るつもりだった父は猛反対。8万どころか高速代で結局10万近くかかるだろうし、それより皆で助け合って電車で帰る方法を思案するべきだ、と主張した。だけどあくまでも痛いのは母なのだ。そうして痛みは外からでは正確にはわからない。周りはある程度助けることはできても、代わってあげることもシェアすることもできない。父の言うように皆で助け合ったからと言って、母は車椅子もなしにどうやって移動するというのだろう?山道を揺られた後に電車を2本乗り継ぎ、タクシーに乗り換え―ホテルのロビーで口論になってしまった。難聴のせいでもともと地声の大きい父は自分の言葉に耳を貸さない私に憤慨し、ますます声を荒げていた。母はもちろん父と私もどこかショック状態にあったのかもしれない。私たちが家に着いたときには母は既にベッドに横たわっていた。道中ずっとシートベルトもつけずにタクシーの後部座席に横になっていたそうだ。危ないからと運転手さんに言われ、高速には乗れなかったと言う。母は布団にくるまり、寒い寒いと呟いていた。痛いではなく、寒いと訴える彼女を前にふっと思った。タクシーで帰ってきたことに罪悪感を抱いているのだろうか、と。もしかして、私が母側に立ちすぎてしまったことで引っ込みがつかなくなってしまったのかも…?電車でも帰ろうと思えば帰れたのだろうか?帰りの比較的空いていた電車を思い出した。痛みの度合い同様、心の内も外からではわからない。せめてもの親孝行にと出していたタクシー代を母が頑として返してきたとき、ますます心が沈んだ。余計な出費をさせてしまったのかもしれないナ。父にも嫌な思いをさせてしまった。こうして楽しみにしていた両親との旅行は苦い思い出に終わってしまった。「一緒にいられる間は皆で仲良くやってゆこうね」と言っていた妹の言葉が暗~く思い出された。母は事故で負った肋骨の骨折と足の怪我にくわえこの旅行でさらに腰を痛め、医者から2週間の安静を言い渡されてしまった。それでも怪我の功名とでもいうのだろうか、一つだけ良かったことは、出発前の一週間私の予定が詰まっていたので、だいぶ父が家事をやるようになってくれたことだろう。私が発った後もこれが習慣になってくれればと思う。日本を発つ朝は一部の電車や高速バスも不通になってしまったほどの大雪だった。まだ夜も明けきらないなか、母は私たちを見送ろうとよたよたと玄関先に出てきた。その目からほろりと涙が零れ落ちた。父は、みぞれのなか、濡れるからいいというのに、いつまでも通りに一人ぽつんと突っ立って私たちを見送ってくれた。その姿が忘れられない。後何年、後何回、両親の暮らす実家に滞在できるのだろうか?今度こそ毎瞬毎瞬を愛しみ、妹の言うように、一緒にいられる間はとにかく皆で仲良くやってゆきたい、と思う。
2016.01.23
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