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『生きる歓び』保坂和志(新潮文庫) えー、この保坂和志の著作について、私は実はさほど読んでいるわけではありません。 数冊程度を読んでいるだけですが、以前本ブログでも報告しましたが、初めて読んだ時はかなりびっくりしました。 そのびっくりを私は、「作品内に日常の裂け目がない」という言い方で書きました。 およそ小説というものは、何らかの日常の裂け目を描き(例えばある朝目が覚めると自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫になっていたとか、温泉町で散歩をしていて川土手にいたイモリに石を投げて見事ストライクさせたとか、強弱大小限りなくあります)、そこに読者は考える引っかかりを見つけるというものでありましょう。 (いえ、小説家という天の邪鬼な人種は、どういった形でも定義付けをするとそこからすり抜けようとしますから、そう書いたとたんにそうじゃない作品が生まれる可能性は大いにありますが。) ところが、私が初めて読んだ保坂和志の小説には、「日常の裂け目」がまるでありませんでした。 それは見事なほどに何もなくて、そもそもそういった筋らしい筋のない小説に日本文学は伝統的に馴染んでおり、私もそれなりに読んでいたはずでしたが、いわば、そういった「私小説」とは「一線を画した」レベルで、本当に何も「裂け」ていない事に、私は、まー、びっくりしたわけですね。 その後、私なりにいろいろ考えまして、現時点の中間報告として、私はこのタイプの小説を「ご近所づきあい」小説と、勝手に考えております。 近所づきあいをリアリズムに考えればこんな感じになるんじゃないかということですが、今考えてみれば、かなり粗雑な理解のような気がします。 ただ一点、あの時考えていたのは、この手の小説は成立に一定の長さを要求するはずだ、ということでした。だって、徐々に馴染んでいくのがご近所づきあいですから。 というような「先入観」を持って、この度の冒頭の小説を読んだんですが、もちろん、ぱっと見ただけで分かる部分はあったんです。 文庫本の厚さですね。 薄いんですこれが。薄い中に二つの話が入っています。だから、とても短い。 その中のひとつは、ほとんど生まれたばかりの(かついろんな成長不全の予想される)捨て猫を拾う話なんですが、そこから二個所を抜き出してみますね。 全盲だということは、猫の触毛と聴覚と嗅覚をもってすればどうにでも埋め合わせがつくということは、二月三月に書いていた小説で私自身がずうっと考えていたことで、獣医のY先生も同じことを言ったからたぶん大丈夫というかあまり支障ないことだろうけれど、本によるとウィルス性の鼻風邪は嗅覚の機能をダメにしてしまう可能性があり、目の結膜炎もつまりはこの鼻風邪が原因によるものでこっちの方もこじらせると失明の可能性があるらしかったが、そのように体の部分として、目がダメ鼻がダメということ以上に、人が近づく足音とか物音に少しも反応しないというのは生きていくために必要なものが育っていないように見えた。 だいたい生きるというのはそんなにいいことなのだろうかと私は思った。それは無条件でいいと断定できるのだろうか。「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。世界にあるものを「善悪」という尺度で計ることは「人間的」な発想だという考え方があって、軽々しく何でも「善悪」で分けてしまうことは相当うさん臭くて、この世界にあるものやこの世界で起きることを、「世界」の側を主体に置くかぎり簡単にいいとも悪いともうれしいとも苦しいとも言えないと思うけれど、そうではなくて、「生命」を主体に置いて考えるなら計ることは可能で、「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。ミルクを飲んで赤身を食べて、段ボールの中を動き回りはじめた子猫を見て、それを実感した。 この二個所の間に10ページくらいの展開があるのですが、この話は早い話、捨て猫を拾ってきて、一つ目の気持ちから二つ目の気持ちに変わっていくという話であります。 えーっと、わたくしは、保坂和志の他の小説を読んだ時、「ご近所づきあい」小説と感じながら、それはそれとして、わりと好感を持ったんですね。最初は驚きましたが、その次にはこれはこれで「あり」なのかな、と。 でも今回のお話は、少し短すぎませんかね。 言っていること自体は、私の好みから言っても我が感覚に近しいものだし、表現は、その理屈っぽいところも含めて嫌いじゃないんですが、いくら何でも、こうストレートでは、いかがなものか、と。 これでは実も花も、葉っぱすら、ほとんどないじゃありませんか、と。 本来この「ストレート」を、二百ページくらいの描写で書くのが小説じゃないのか、と思うんですが、どうなんでしょう。 ただ、この筆者は、自らの方法論について、かなりかなり意識的・重層的で、それに加えてはっきり言うと、少し「厚かましい」感じのある方ですから、そんなことは先刻承知で、でもそう書いたのだ、と。 うーん、ますます、どうなんでしょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.29
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『侏儒の言葉』芥川龍之介(岩波文庫) 岩波文庫の芥川龍之介の巻の解説文は、一貫して中村真一郎であります。さっき、他の芥川の岩波文庫を幾つか見てみたのですが、私の持っている数冊は総て中村真一郎の解説でした。 なぜなんでしょうねぇ。 文壇内の細かい人間関係や力関係など何も知りませんので、誰もが知ってそうな範囲の文学史的知識で類推しますと、これは、 「芥川龍之介---堀辰雄---中村真一郎」 というラインですか。 まー、緩慢な感じの師匠・弟子筋ですかね。 でもねぇ。よく考えてみるまでもなく、そしてもちろん中村真一郎は文芸評論家としても優れた実績を持っているとはいえ、小説家としての資質ということでいうならば、芥川のものとは、ほとんど「水と油」でしょうに。 芥川的な小説のあり方を是とするならば、中村真一郎的な小説のあり方は非になっちゃうような隔たりが、両者の間にはあるとわたくし愚考するんですが、どうでしょうか。 第一、作品の長さが全ーーーーー然、違うではありませんか。 さてそんな中村真一郎の、本書の解説文が、ヒジョーに「苛烈」であります。 何でそこまで書くかーと、思わず読んでいて怯んでしまうくらい強烈です。最後に少しだけ「お愛想」のように誉めていますが、ほぼ全編に亘って「切って棄てて」います。こんな感じ。 彼の小説の中の思想と、箴言集の中の思想とを比べてみるといい。それは思想の形においても鋭さにおいても、少しも優劣はないのである。ただ小説よりも、より短いアフォリズムの形の中に、より直接的な裸の姿で、彼の思想が定着されているだけの相違である。――すなわち、彼の思想は箴言的であったというわけだ。 (略) そして芥川の思想は、実に花火のように瞬間的な落想なのである。『侏儒の言葉』のどの一行でも任意に読んでみるがいい。すべて、社会の常識に対する、激しい笑いか憎しみかをこめた逆説である。すなわち、芥川の思想とは、要するに社会の因習と、その因習にとらえられた人間の愚かさに対する、衝動的な反発にほかならないのである。 由来、逆説的態度というものは、シニカルな人生観を作りだすものであり、そして、この否定のための否定の精神からは、問題の解決と、解決のための行動の原理とは生まれて来ない。 どうです。 これだけ全否定的に否定して、そのあとちょっとだけ「芥川龍之介は明治以後の数少ない名文家の一人である。」なんて誉められても(実際にこういう順で書かれています)、ここまで傷口に塩塗るようなまねをするかーと、思ってしまうでしょ。 うーん、なかなか、難しいものですなー。(何が?) さて私も、本書については、昔断片的に読んでいた記憶があります。 この度全編を読んでみて、あー覚えていると言うのもありましたし、そーか、このエピグラムは芥川のものだったのかと改めて知ったのもありました。 例えば、前者の例は、 神 あらゆる神の属性中、最も神のために同情するのは神には自殺のできないことである。 こんな箴言ですね。一方後者の例は、 忍従 忍従はロマンティックな卑屈である。 こんな感じ。しかし中村真一郎にそういわれてみれば、なるほどと納得した後、「で? だから、なんなの?」と呟いてしまえば、それで終わってしまうような所がありますね。 でも今回思ったのは、そんなシニカルなのばかりではなく、思わず口に出して呟いた言葉そのままというような感じの作品もあると言うことでした。例えばこんなの。 文章 文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。 ねっ。素直な優しい文章でしょ。 ともあれ、芥川はこの作品を最晩年、自殺する年まで五年間書き続けました。 後世、中村真一郎のように書かれる懼れがあるのではないかと感じるに足る知力を十分備えつつ、彼がこの形式の文章を書き続けたことに、彼の嗜好のナイーブな姿が垣間見えるようで、最近芥川ファンになった私としては、またひとつ彼の魅力を知ったような気がしました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.25
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『太郎坊』幸田露伴(岩波文庫) 今は昔、私が本ブログを始めだした頃、ってそれは僅か二年前に過ぎないではないかーっ、と、とにかくそんなまだ私が若輩故愚かだった頃、ってそれは今でも同じだろーっ、それどころか今の方が日々加齢のせいで脳細胞が毎日何万個と死んでいって、ますます見当識がうつろになりつつあるではないかーっ、と、……いやー、文というものは、なかなか進みませんなー。(って、それも自業自得だろーっ。) とにかくそんな頃わたくしは、本ブログで上司小剣の『鱧の皮』という短編集を取り上げて、こんな事を書きました。 テーマは、岩波文庫のチョイス・ポリシーについてでした。 あまたいる過去の小説家の中で、何故この作家が岩波文庫に選ばれたのか。 どなたか、私の冒頭の疑問にお答えいただける方はいらっしゃいませんかねー。 この場を借りまして謹んで広くお答えを戴きたいと、えー、よろしくお願いいたしますー。 ただ、現段階で私が考えられる、ちょっと「不安な」考えを一つ書いてみますね。 それは、実はこのレベルの作品が、日本文学史上にさほどないのではないか、という「不安」な推論であります。 ひょっとしたら、そうなんでしょうか。 いくら「貧弱」な日本文学史とはいえ、そして、この短編集の出来は決して悪くないとはいえ、この辺のレベルの作品なら、山のように、とは言い過ぎでも、他にも多くの作家を見つけることができると思うのですが、いかがでしょう。 今回、冒頭の幸田露伴の短編集を読んで、私は上司小剣の時に書いたこの「不安」が、見事に的中していることに気が付きました。 つまり『鱧の皮』のレベルの作家は、実は少数なのだと言う確信に思い至ったということであります。 そして、上司より「上位」の超A級の作家になると、もっともっと少なくなります。 私がよく言っている、生涯にわたって優れた面白い小説を書き続けた作家は「漱石・谷崎・太宰」の三名に過ぎないと言う説は、自分で述べていた以上に、誇張された説でも何でもないということであります。 うーん、我ながら少し驚きましたねー。 そういう意味で言いますと、岩波文庫のチョイス・ポリシーは極めて適正なものであると言えることになります。 ところがさて、今回上記の本を読んで、私が本来考え始めたことは、その逆のケースでありました。 「逆のケース」というのはつまり、平均値を遙かに越えた偏差値70くらいの作家の作品でも、中には「なぜこんなものを」と思うような作品があるでしょうし、そしてそんな作品までも文庫化する必要はあるのかと、まぁ、そういうことですね。 ただしこの件については、岩波文庫はほとんどその「愚」を犯してはいません。 何といっても、「古典」重視の岩波文庫です。岩波文庫が「現代最先端」の作品として取り上げているのは、たぶんやっと第二次戦後派くらいまでではないでしょうか。 大江健三郎なんかでも、岩波文庫には入っていません。 ともあれ、冒頭の露伴の短編集にもう少し焦点を絞って、以下に述べていこうと思いますが、いくら文豪の作品とは言いながら、これはちょっと軽すぎる作品達ではないか、と。 この短編集には四つの作品が入っています。これです。 『太郎坊』『夜の雪』『不安』『付焼刃』 どの作品も、なんといいますか、一筆書きの略画の様な作品です。 もちろん仮にも露伴作でありますから、どの作品もそれなりに味のある「略画」のように読めます。『太郎坊』という短編はなかなか独特の雰囲気のある作品ですし、『付焼刃』は、基本は落語台本のようですが、台詞回しを中心にした主人公若夫婦の性格造形は、とても巧妙で面白かったりします。 しかし、あまりと言えばあまりに軽めの作品でありすぎませんかね。 こんな一連の作品までもが、はたして岩波文庫に取り上げるレベルなんでしょうか。 私は上記で触れた「超A級の作家」の中に幸田露伴を入れませんでしたが、それは私の不勉強なせいで、作家評価について自分の判断が出来るほど広範囲に露伴を読んでいないからであります。 ただ、私が読んだ範囲でいっても、露伴のすごさは分かります。 でも、でも、やはりここまで文庫に入れるかという気は、やはり、します。 まー、21世紀の現在、露伴を読むような読者は、ほぼ「マニア」に近くありましょうから、そんな人にとって、作品の出来不出来は、購入時の重要な作品選択要件にはならんのでありましょうか。 そういえば、私もそんな「マニア」の一員で、読み終えた後にはこのようにあれこれ言いますが、しかしそれは「マニア」ゆえの苦言という側面は、明らかにありますものね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.22
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『華岡青洲の妻』有吉佐和子(新潮文庫) 本書を読んでいまして、あまりテーマに関係ない話(全く関係ないことはないんですけれども)ながら、幾つか気になったことがありました。 そもそも優れた作品というのは、そういった枝葉の部分に入っても、その先に十分な広がり、いわゆる「懐の深さ」を持っているものですが、本書もそんな一冊なのかも知れません。 ひとつはこんな部分なんですがね。 本陣の娘という身分柄には微妙な意味合が含まれていることに、佐次兵衛は迂闊にもごく近頃になって気がついたのである。それはもとより藩主の宿を承る名誉ある家柄の生れであることも示していたが、同時に藩主の愛を享けたかもしれない女という不確かな推量も含まれていた。それは当時にあって決して不名誉なことではなかった。藩主は紀州至上のひとであり、しかも徳川将軍家の一族である。食事の給仕に出たのが目に止れば、娘を夜伽に侍らすのはむしろ光栄というものであった。だが反対にその事実がなかった場合は、お目に止りようもない娘ということになって、処女であることを誇るわけにはいかなかった。豪士妹尾佐次兵衛にして娘をこの逃れ難い噂の陥穽から救う力はなかった。光栄を得たところで側室になるわけでもなく、いわば行きずりの慰みになった事実は覆うべくもないし、どちらにしても加恵にはなんの得もないのだ。その結果が二十一歳という今まで縁遠く妹尾家の奥内で暮している。 どうですか。 「ふーん、そうなんだ。」という感じでしょ。 本陣の娘に、そんな存在論的アンビバレンツがあったなんては、ちっとも知りませんでした。 「本陣」といえば、有名な、あの金田一耕助が始めて登場した『本陣殺人事件』、もちろん横溝正史の名作推理小説ですが、あの舞台の本陣にも同様のアンビバレンツがあったのでしょうか。 だから、あんなに暗い話だったんでしょうか。(まさか、ね。でも本書も、それくらいに暗いといえば暗い話でありますが。) そんなことを考えたのがひとつ。 もう一つは、もっと本作とは関係のないことですが……。 この小説は、新潮文庫で言えば52ページ「第六章」に入って、京都に遊学していた華岡青洲が、両親兄弟そして新妻のいる和歌山の実家に帰ってきた瞬間から、「不条理的」(男の私にはそうとしかいいようのない様な)に姑・於継と嫁・加恵の関係が地獄のような憎悪関係に急変します。 それは全く血も凍る陰惨な精神戦でありますが、この精神戦を、男の私はとてもコワがりながら読んでいて、ふと、「あーそうか、『フィガロの結婚』もこんな話だったのか」と思ったんですね。 えー、これもまた、なんか唐突な話ですよねー。 これは『フィガロの結婚』の登場人物、スザンナとマルチェリーナの事であります。(マルチェリーナのお話ということは、これも少し枝葉話になりますが。) ストーリーの後半、この二人は本当に嫁と姑であることが分かるのですが、その事が分かる以前のフィガロをめぐる三角関係の時から(ということは冒頭から)、すでにモーツァルトは、二人のいがみ合いを嫁姑の確執として書いていたのではなかったかと、この度私は初めて気が付いたということであります。 これって、突拍子もない鑑賞なんでしょうか、それともみんな知ってる当たり前の理解なんでしょうか。 そんなことをあれこれ考えながら本書を読んだのですが、なかなかおもしろかったです。 さすがにベストセラー小説を次々に発表なさった方の作品だなと思いました。 ただ、クライマックスの嫁姑が青洲のために次々に全身麻酔の人体実験になっていくあたりから、特に姑・於継の心理分析に少し腑に落ちないものを感じることがありました。 心理のとらえ方が「いびつ」というより、ステレオタイプに見えるような感じであります。 それは作品を嫁姑問題という枠にあてはめすぎて、登場人物が生き生きと動けず、そして結果として心理分析に深みが欠けステレオタイプになるという、そんな感じがしました。 これは多分、筆者の読者サービスなのかなとも思います。 ベストセラー小説となるには必要な面白さの追求なのかなとも思います。 でも、そんなに読者を面白さで引っ張り回さないでも、十分に読ませる力はあるのにと言う気もしました。 いえ、ベストセラー小説とはそんな甘いものではない、という声が聞こえそうであります。 なるほど、そもそもベストセラー小説など、ほとんど読んだことのないわたくしの説くことでありますゆえ。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.18
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『山椒魚・遙拝隊長』井伏鱒二(岩波文庫) 上記短編集の読書報告の後半であります。 前半の最後に触れていたのは、井伏鱒二はそもそも地味ーな印象の小説家ではありますが、没年を真ん中に、前後二回ほど、文壇・出版界関係で、少し話題になったことがあったということでした。 その二回とは、この二つの件であります。 (1)1985年・『自選全集』の出版。 (2)2000年・猪瀬直樹著『ピカレスク』の出版。 で、(2)については、すでに以前の本ブログでも触れました。井伏鱒二「剽窃疑惑」ですね。 しかし考えてみれば、これはわりと大変な「事件」だと思うんですが、どうなんでしょう。 関係者の多くがまだ生きていたり、それに何といっても、中心の小説家がかつてノーベル文学賞候補であったりと「大物」過ぎるせいもあって(しかも「剽窃疑惑」の作品が、ノーベル文学賞候補作品として高く評価されている『黒い雨』ですから)、なかなかそう簡単には、一足飛びに解決しないもののようですね。 こういう「事件」って、多分作者死後百年くらい経たなければ「定説」は定まらないのかも知れませんね。 一体どうなってしまうのか、ちょっと知りたいですが、うーん、百年後ではねぇ。 というのがおおざっぱに(2)の内容です。 で、(1)はというと、これは1985年に出版された『自選全集』の収録作品を選ぶ過程において、なんと作者が六十年以上も前に書かれた作品を大きく書き換えたと言うことで、一気に話題になりました。 それも書き換えた作品は、井伏鱒二の代表作であると同時に、教科書などにも何度も収録され、すでに「昭和の古典」「国民の共有文化財産」といってもいい作品『山椒魚』だったんですねー。 『山椒魚』の作品最後の個所を、晩年の井伏は大きく抉るように削ってしまいました。 これには、驚きましたね。 そして削ることでどうなったかというと、すっごく「ニヒリスティック」な作品に、実も蓋もない、「救い」のないような物語になってしまったんですねー。 この「事件」が新聞に載った時の事を、私も覚えています。私も記事を読んで、思わず唸ってしまいました。 確かその新聞には、さらにいくつかの作品について、井伏が今後手を加える予定があるといった記事もあったと思います。 後日、作家の野坂昭如の書いた、ほとんど悲鳴を上げるような口調で反対していた記事も覚えています。 もはや国民の共有文化財産となっているような作品は、たとえ作者であっても、手を加えるべきではないと言う趣旨でした。 井伏の改変予定作の中には、確か名作『鯉』もあったように記憶します。 さてそんな井伏作品の初期の傑作選が、今回取り上げた短編小説集です。こんな九つの話が入っています。 『山椒魚』『鯉』『屋根の上のサワン』『休憩時間』『夜ふけと梅の花』『丹下氏邸』 『「槌ツァ」と「九郎治ツァン」はけんかして私は用語について煩悶すること』 『へんろう宿』『遙拝隊長』 今私は上記に「初期の傑作選」と書きましたが、全くその言葉の通りという気がします。 まさに珠玉のような短編小説が、散りばめられてあります。 そして、これらの作品を順に読んでいくと、見事に、井伏鱒二の短編小説の熟練過程とか、テーマへの試行錯誤が見られるようで、これもとても興味深かったです。 最初の三作は、明らかにポエジーの魅力でしょう。 動物を取り上げた設定と融合して、哀愁の漂う詩情が全編から立ち上ってくるようです。 私は個人的に『鯉』が最も良いと思いました。ラストシーンの素晴らしさは、これらの作品の中でも頭ひとつ抜けています。 ただ、何時までも「詩情」の中にばかり浸ってはいられないと言うのが、「生きる」小説家の大変なところであります。 うぶなねんねじゃあるまいし、いつまで素朴の中でカマトトぶっているんだという声が、なにより作家の心の中から聞こえてきます。そして、生きる作家の苦悩がそこから始まります。 いくつかの苦悩や試みがありそれの最初の結実が、本短編集で言えば『へんろう宿』と『遙拝隊長』でしょう。 これは素晴らしい作品だと思います。諧謔と言語と庶民と叙情と、そして存在の悲しみが見事に結合して、間然とするところがありません。ポエジーが底光りしています。 しかし思うに、本当に「生きていく作家」というのは大変なものですね。 それはいわゆる「芸術家」の運命というものなんでしょうか。 猪瀬直樹の前掲の評論に、井伏が自らのキャリアを振り返って「身過ぎ世過ぎ」と言う言葉を用いたこと、前掲の『自選全集』から『黒い雨』を外そうとして、出版社から懇願されるように説得されたこと、そんなことが書かれてありました。 そんな晩年の井伏の姿に、私はふと、どこか背筋の寒くなるような、芸術家の運命というものを感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.15
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『山椒魚・遙拝隊長』井伏鱒二(岩波文庫) 今少し調べてみたら、井伏鱒二が亡くなったのは1993年(平成5年)なんですね。 もうそんな昔になるんですねー。 ちょっと感慨があったついでに、もう一人の作家の死亡年を調べてみたら、なんと同じ1993年だったので、少しびっくりしました。 同年に亡くなっていたんですねー。 「もう一人の作家」とは誰のことかと言えば、安部公房ですね。 そして私の連想が、なぜ井伏鱒二から安部公房に移ったかといえば、それは「ノーベル文学賞」がキーワードであります。 私の記憶の中では(「私の記憶」というのがまた、よく間違っているんですねー。我が事ながら、どーも信用がおけない。)、そのころ、どの程度近かったのかは知りませんが、日本の文学者の中で最もノーベル文学賞に近いと噂されていたのがこのお二方ではなかったかと、ぼんやり記憶するのであります。 でも、このお二人って、作風が全然違いますよね。 このお二人とノーベル文学賞の話を聞いた時、私もそう思いました。 しかしその疑問は、このお二人が亡くなって後、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した時(1994年です! 後一年、どちらかが長生きしていれば、ひょっとしたら日本人二人目のノーベル文学賞受賞者は変わっていたかも知れませんね。事実大江健三郎は、受賞後のコメントで、私の所に賞が回ってきたのは、安部公房が亡くなったからだという趣旨の発言をしていたと思います。)、氷解しました。 なるほど、「川端-井伏ライン」と「公房-大江ライン」というのが、その頃の外国から見て、わかりやすい日本文学理解なのかなと思ったわけですね。 えー、話を冒頭に戻します。 井伏鱒二亡くなり、すでに18年であります。 去年でしたか、私は、ある大学の社会人講座を聞きに行ったのですが、その時の講師の先生が、井伏鱒二とか川端康成とかが専門(昭和初年代がご専門ということですかね。)ということでした。 その先生が、こんな内容のことをおっしゃいました。 「井伏鱒二も既に亡くなって年月が経ち、文庫本もどんどん絶版になっていってます。井伏鱒二の研究なんかしていても、この先「需要」がなくなっちゃうんじゃないかと思えて、とても淋しいです。」と。 なるほどね、研究者というのも、なかなか大変なんだなと、その時私は思いました。 「需要」がなくなっちゃうと、きっと研究室に付く予算なんかが変わってくるんだろうな、と。 (しかし理系の研究なんて、もっと即物的に研究対象とマネーが直結していますものね。) 確かに、そもそもが「地味ー」な感じの井伏作品であります。 (例外事項が二つありますね。ひとつは、この後少し話題にする『黒い雨』です。井伏の代表作であると同時に、戦後昭和文学の代表作とされています。井伏鱒二をノーベル文学賞に近づけた勲一等はこの小説でありましょう。そしてもう一つの事柄は、井伏鱒二が太宰治の師匠筋に当たるってことで、これは「弟子の七光り」ですね。持つべきものは派手な弟子であります。) そんな井伏氏ですが、没年を真ん中に、前後二回ほど、文壇関係か出版界関係かな、多分少し話題になったことがありました。この二つの件ですね。 (1)1985年・『自選全集』の出版。 (2)2000年・猪瀬直樹著『ピカレスク』の出版。 実はわたくし、井伏作品については、本ブログで今まで三回取り上げています。 その中で上記「(2)」については、少し触れました。井伏の代表作のいくつかが(主に挙がっていた作品は、『山椒魚』『黒い雨』『厄よけ詩集』『ジョン万次郎漂流記』などであり、これは本当に、ほぼ井伏の代表作総てでありますねー。)、「剽窃」すれすれである(はっきり「盗作」と書く方もいるようです)という内容でありました。 しかし、本作品の発表によって一気に井伏鱒二の評価が落ちたかと言えば、どうもそうではないらしいことを、後日猪瀬直樹がまた書いています。 井伏の権威が、まだ文壇内に広く行き渡っているからだ、というようなことが書かれてありました。 (1)については、次回に。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.11
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『硝子戸の中』夏目漱石(岩波文庫) 私の友人の中に、漱石作品の中では『硝子戸の中』が一番好きだという人がいます。 たまたま何かの話をしていた時に触れた程度だったので、それ以上の進展もなかった話題なんですが、よく考えてみれば、かなりヘンな「好み」ですよね。 だってこれって、例えばベートーヴェンの全作品中私の最も好きなのは「エリーゼのために」だっていうのと、あんまり変わらないと思いませんか。 ……うーん、「エリーゼのために」は、少し言い過ぎかも知れませんね。 うん。このあたりでどうでしょう。 「ベートーヴェンの全作品中、私の最も好きなのはオペラ『フィデーリオ』だ。」 この例え、いいですね。 そう、こんな感じじゃないでしょうかね。 しかし、今回取り上げようとしている『硝子戸の中』とか『思い出す事など』なんかは、一部の読み手には、漱石作品中かなり重要な作品だと評価されているんですね。 なぜかと言うに、ここから漱石の「則天去私」が読める、と。 「則天去私」の境地そのものでなくても、それを目指し、精神的活動としては日々刻苦勉励に励んでいた漱石の姿が描かれている、と。 事実この随想のある章には、倫理的価値観に基づいて自らの行動を断罪し、その苦悩を語る漱石の姿が描かれていたりしています。 そこはさらに、こんな風に書かれます。 もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前にひざまずいて、私に亳髪の疑いをさしはさむ余地もないほどの明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹な正直者に変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私はばかで人にだまされるか、あるいは疑い深くて人を容れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に満ちている。もしそれが生涯続くとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。 今、上記の文章を写していてまず思ったことなんですが、この作品は朝日新聞に連載されていたんですが、現代ならちょっと書けないだろうという、何というか、正直さで書いていると感じました。 仮にも漱石といえば、この時代の大知識人であり、ベストセラー作家でもあった人ですね。現代の文筆家なら、これだけ無防備な文章は、ちょっと公に発表できないんじゃないでしょうか。どうでしょう。 しかし、一方で私はふとこんな事も思ったんですね。 「これは、まるでブログの文章のようでもある。」 なるほど、そう考えれば、上記に「天下の朝日新聞」と言うことを書きはしましたが、この時代に朝日新聞が「メディア」として持っていた立ち位置は、特に質的なものとしては、現在で言えば「ブログ」に近いんじゃないかと。 ともあれ、漱石晩年の二大随筆は、実に読者を魅了する誠実な文体で描かれています。 しかし、その中に書かれているものは、以前より既に多くの指摘があるように、極めて「死」の臭いのするものであります。 それは、ほとんど全話題においてそうであり、ここにある人は「悟り」に近い漱石を見、ある人は「生命力」の枯渇しかかった漱石を見ているわけです。 実際、とても多くの身の回りの人々の死が描かれているのですが、それはたぶん、この明治から大正という時代において、本当に人々の回りには死が満ちあふれていたということでありましょう。 漱石の小説に描かれたものとしては『彼岸過迄』中の愛児・雛子の死が代表的でしょうが、人生のすぐ横に死が静かに蓋を開けているという状況は、きっと万人の日々の生活の相でもあったのだと思います。 ただ、死が回りに満ちあふれていることと、それに敏感に反応して作品中に掬い取ると言うこととは明らかに別物で、ここにもこの時期の漱石が、生よりもすでに死に馴染もうとしている様子が見て取れます。 この随筆の連載時、漱石の年齢は四十八歳、小説作品としては『こころ』を書いた直後であります。 この後すぐに『道草』を書き、そして絶筆『明暗』へ。 いまだ五十歳に満たずとはいえ、既に肉体を多くの病によって損なわれ、しかし「生」の意味をあくまで問い続けていた作家の残りの人生は、後二十ヶ月ほどでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.08
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『安土往還記』辻邦生(新潮文庫) まだ一度も読んだことのない作家で、読めばきっと凄いんだろうなと思う人は、こんなブログをごそごそと書いているせいで、近代日本文学史に限っては、何となく少なくなってきたような気がします。(いえ、それは間違いで、本当はまだまだいっぱいいらっしゃるのだという気も、一方では少ししているんですが。) それはもちろん近代日本文学に限ってのことで、世界文学に広げれば、そんな作家は星の数ほどいるんだろうなという認識はあります。 まーしかし、いちおー、近代日本文学で少し頑張ってみるかと決めてしまった手前、それは「死児の齢を数える」って、この慣用句は使い方がだいぶおかしいですよね。 さてそんな私にとって、少なくなった(?)「読めばきっと凄いんだろーな作家」の一人が、この辻邦生氏でありました。 この度初めて読みまして、えらいもんですねー、やはり思っていた通りでありました。 というのも、別に私の直感力が優れているとかいうことではなくて(当たり前だ)、要するに「以前よりかねがねお噂をお聞きいたしておりまして」状態であったからですね。 それともう一つ挙げれば、文学史上の位置づけが、ほぼ「一匹狼」状態であるということも、私の「カン」の発動理由ではあります。 こういう文学史上の一匹狼作家というのは、やはり結構凄いんですね。 なぜかと言うに、そもそも文学史なんかを書こうと思うような方は、まー、それをすっきり整理したいと思ってなさるのに違いないんですね。 その整理の「視点」が極めて独自のもので、そしてとても「整理能力」の優れたものならば申し分ないと言うことで、きっとお考えなんですよね。 で、文学史上の作家と作品をグルーピングしていって、てきぱきときちんと戸棚にしまっていきます。 ところがここに、どーにもどこに入れていいのか迷うやっかいな作家や作品が残ったりするんですね、これが。 いっそ、なかったことにして棄てちゃえとも思うんですが、「文学史家的良心」がそれも許さず、仕方なく整理しきれない作家として「一匹狼」が残る、という寸法であります。 だからそんな作家や作品は、独創性と質の高さにおいて看過できないものであると、そういう論理であります。(うーん、我ながら実に優れた論理展開ですね。) というわけで、私はこの度、凄く面白い小説を読みました。 何が凄いかと言えば、この小説が、織田信長をモデルとし彼の「仕事」、それは評価されるものもされないものも含めて、その「意味」と「動機」を分析していくというテーマ、そしてそのテーマをしっかりと支えていく丁寧かつ的確な表現力、つまりは「本格小説」としての凄さ、ということでありましょうか。 例えば信長の行動原則を、筆者はこのように書きます。 (文中では信長は、「大殿」と呼ばれ「シニョーレ」とルビがされています。語り手はポルトガル人であります。) とすれば、大殿が聖域を焼却して僧俗男女を一人残らず殺害したことも、北方軍団を壊滅させその総帥の首を冷然と見つめることも、ただ一つの原則――すなわち反対勢力を無に至らしめ、力の対立を完全に解消すること――を、数学的な明晰さによって押し進めたにすぎない。大殿にとっては、この原則に純粋に忠実であることが――歯を食いしばってもこの原則をつらぬきとおすことが――それだけが、彼の人間的な意味でもあり、精神の尊厳をまもる所以でもあったのだ。 信長をこのような人物と設定して歴史を書き直すわけですね。そしてその試みは、かなり説得力のあるものと、私には映りました。 ただ、このような行動原則を持つ者が、圧倒的な孤独によって精神を蝕まれないわけにはいきません。 作品終盤に宣教師のヴァリニャーニという人物が現れ、信長の内面との類似を語る人物として描かれますが、作品としては、このあたりから少し求心力に欠けていくような気がいたしました。信長の孤独の説明としては、やや観念的ではなかったか、と。 つまり、終盤に描かれる信長像は、それほどまでに日々孤独の業火に焼かれようとしている姿であり、その絶対的な孤独感は、本能寺で殺されることが、ひょっとすれば彼にとって救いではなかったかと思ってしまうくらいであります。 もちろんこれは、一読者としての私の思いつきにすぎないのですが、そんな風に思うほど出口のない孤独感が描かれていることについて、二十世紀に生きていた筆者にどんな人間認識があったのか。 それはさて、さらに別の作品を手にとってからのこととなりましょうけれど……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.04
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『乳と卵』川上未映子(文春文庫) えー、今回は、ばりばりの現役の若手作家の小説を読んでみました。 本ブログの作品選択の基準は、高校国語教科書副読本の『近代日本文学史』中に触れられている作家の作品、ってことを一応考えてはいるのですが、もうすでにいろいろと逸脱していますー。 かつて取り上げた国枝史郎なんて、多分そんな本には載っていないでしょうし、山田風太郎もきっと載ってないです。それどころか、司馬遼太郎すら載っていない副読本があったりします。 かと思えば、こんな作家まで挙げるかー、とつい思ってしまう方もあったりします。(まぁ、別に、いいんですがー。) 失礼ながら、わたくし同様、作家の選択基準は結構「テキトー」という気がします。 さて一方、ごく新しい作家についても、教科書は取り上げてくれません。 でもこれは、当たり前といえば当たり前ですね。 生徒達が学ぶに足りる(記憶することを科されてしまう)作家に相応しいかどうかということは、厳密に精査されねばなりません。 そのためには、本当のところ、本人が亡くなって最低二十年くらいは経たなければ、客観的な評価はできない気がしますが、しかしまー、そんな原則論ばかり言っていたら、生徒達が好むような生きのいい文学の紹介ができなくなるという、うーん、二律背反、ですなー。 ともあれ、今回はそんな、生きのいい作家の小説であります。 しかし、普段、夏目漱石とか尾崎紅葉とか幸田露伴とかの小説を読みつつ、こういった現代の女性作家の本をたまに手に取ると、当たり前ながら、すっごい「落差」がありますよねー。 この「落差」は真面目に言うならば、少し気を付けねばいけません。 放っておくと、感性が「動脈硬化」を起こしそうになっている自分に気付くことがあります。 もう少し具体的に言えば、過去の名作と比較して「出来が悪い」と断罪しかねないということですね。これは、「危険」であります。 今回の作品も、しばらく読み進めていたところで、ふっと「しかし考えてみれば、やはり宮本百合子は天才だよなー」と呟いてしまって、我ながらびっくりしました。 私は何ということなく、本作を宮本百合子の17歳の時のデビュー作『貧しき人々の群』と比べていたんですね。 しかしそれはないですよねー。そんな比べ方をされてしまうと、その比較に堪えきれる作品などほとんど無くなってしまいます。 ただ、私がなぜいきなり宮本百合子を出してきたかというと、それは作品に描かれる世界の広がりということをなんとなく考えていたからなんですね。 もちろん人間群像を描く作品が広くて、自らの内面に深く錘を降ろしていく作品が狭いと、一律に述べるつもりはありませんが、それでも何といいますか、うーん、やはり、作品の「柄」とでもいうものが昔に比べますと、……というふうに「昔はよかった」になっちゃうのが危険なんですよねー。(いかん、いかん。) さて私は、今回取り上げた小説を、とても面白く読みました。場面によっては、本当にぎゃははと声を挙げて笑いながら面白く読みました。そう読めるように、作者がうまく書いてくれているからです。 で読み終わって、おもしろかったーと思って、さてちょっと分析的に内容を思い返すと、こんな話なんですね。 女性の肉体の生理・精神を病む子供・母子家庭・関西弁 うーん、このまとめ方は、ちと問題がありますかね。 「母子家庭」がここに入っているのはちょっといかんだろうと言う気がします。 じゃ、関西弁は? いや、これは、いいかも知れないな、と。 しかしこうして四つを眺めていますと、見事に煮詰まってきますなー。 なんだか見えてくるでしょ。そして、とっても面白そうでしょ。 その通りなんですね。とっても面白いんですね。声を挙げて笑ってもいい話なんですね。 事実、クラスマックスのシーンの「卵」の扱いなんか、あざといほどに実に巧みであります。 しかし関西人がこんな話を書くと、なんでこんな風になっちゃうんでしょうかね。 西鶴との類似を挙げるには少し「誉めすぎ」としても、織田作とか、そして、私がこの度大いに思ったのは、ちょっとイヤミかも知れませんが、 「女町田康」 あ、やっぱり言い過ぎですか。 ファンの方なんかがお読みになるとイヤがるかな。 しかしねー、このオーバードライブする文体といい、その中の言葉のひとつひとつが実に微妙にナーヴァスにチョイスされていることといい、まさに町田康に匹敵するような素晴らしさだと私は思うんですがねー。 最後に、やや本筋と離れたシーンですが、ひとつ紹介したいと思います。 「わたし」と「わたし」の友人の二人の女性が話し合っているところです。友人の一人が「胸大きくしたい」と言って、もう一人の女性に「フェミニズム的」に手厳しく批判されているところであります。 本筋から離れたところでもこれくらい、抜群のリズム感で書かれている作品でありますから。 (略)何云ってんのよまったく、化粧と豊胸はそもそもがまったく違うでしょうが、だいたい女の胸に強制的にあてがわれた歴史的過去における社会的役割ってもんを考えてみたことあるわけ? あなたのその胸を大きくしたいってんならまずあなたの胸が包括してる諸問題について考えるってことから始めなさいよって云ってんの、それに化粧はもともと魔よけで始まったもんなのよ、人間が魔物を恐れてこれを鎮めるために考えられた知恵なのよこれは人間の共同体としての、儀式なのよ。文化なの。大昔には男だって化粧やってるんだしだいたいあんたはそもそもわたしの云ってる問題点がまったく理解できてないわ、話にならない、と顎で刺すように云えば、は、じゃああんたのその生活諸々だけ男根の影響を受けずに全部魔よけの延長でやってるってこういうわけ、性別の関係しない文化であんたの行動だけは純粋な人間としての知恵ですってそういうわけかよ、なんじゃそら、大体女がなんだっつの。女なんかただの女だっつの。女であるあたしははっきりそう云わせてもらうっつの。まずあんたのそのわたしに対する今の発言をまず家に帰ってちくいち疑えっつの。それがあんたの信条でしょうが、は、阿呆らし、阿呆らしすぎて阿呆らしやの鐘が鳴って鳴りまくって鳴りまくりすぎてごんゆうて落ちてきよるわおまえのド頭に、とか云って、なぜかこのように最後は大阪弁となってしまうこのような別段の取り留めも面白みもなく古臭い会話の記憶だけがどういうわけかここにあるのやから、やはりこれはわたしがかつてじっさいに見聞きしたことであったのかどうか、さてしかしこれがさっぱり思い出せない。 どうです? 女町田康、って。だめですかね? よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.01
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