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2012.09.13
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カテゴリ: 明治~・詩歌俳人

『雲は天才である』石川啄木(角川文庫)

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる

 この歌は言わずと知れた啄木の第一歌集『一握の砂』の冒頭歌であります。
 例えば、ベートーヴェンの交響曲第5番という曲は、頭の中で考えてみると、何といってもとってもよくできた曲で、指揮者の金聖響さんなんかも、ベートーヴェンの交響曲の中でも、完成度でいえば断然一等賞、と述べられております。

 しかし、あまりにその作品が人口に膾炙されてしまうと(この第5番でいえばやはり冒頭のテーマ部ですかね)、何といいますか、フレーズだけが単独に頭の中に何度も漏れだしてくるようで、なんかデパートのバーゲンセール時の店内に流される音楽のような気がして(これはちょっと言い過ぎですかね)、まっとうに鑑賞してられないような所、ありませんかね。(バッハのトッカータとフーガの中にもそんなのが確かありましたね。)

 あんまり有名になりすぎると、本物であるはずのその作品の存在自体が「パスティーシュ」みたいになってくるんですね、きっと。素晴らしい作品とその作品を鑑賞する享受者の姿のパロディ、みたいに。

 冒頭の啄木の歌も、私は若い頃は、なんやねん、この歌は! と思っていました。(あいかわらず愚かしい私でございます。恐れ入ります。)
 しかし、この度、ちらちらと啄木の歌集を読んでいましたら、この感傷性はそう悪いものでもないな、と思いました。(えー、あまり、私、反省していませんかね。)
 でも、例えばこんな歌。

庭のそとを白き犬ゆけり。
  ふりむきて
  犬を飼はむと妻にはかれる。


 この歌は啄木の最晩年の歌です。既に啄木一家は次々と病気に臥せってゆき、貧しさの極みにいました。そんな悲惨さの中でふっと口から出た一言を、啄木は実に見事に掬い取っています。

 第一歌集冒頭の「東海」の歌から、晩年の「犬」の歌まで、啄木歌集は突き放して書けば、甘さの極みのように思います。しかしこの甘さは、人間が人間である限り、やはり逃れることのできない「生きた」感情でもあります。

 有名な「歌は私の悲しい玩具である」というフレーズからも読み取れますが、啄木はこのくらいの高レベルの歌を、おもちゃを造り出すごとく、息をするごとく、次々と紡ぎ出すことができました。
 いえ、「できた」という表現は正確ではなく、啄木の実感で言えば、「紡ぎ出すことしかできませんでした。」
 この表現は、言葉の矛盾でありましょうか。
 しかしそれは、啄木という文学者の、文学性の資質の矛盾でありました。

 この度私は、初めて啄木の遺した小説(の断片)を読みましたが、残念ながら今ひとつ感心しませんでした。
 その理由の第一は、何といっても収録されている4編の作品ことごとくが、未完であることであります。未完ゆえに充分な小説的な広がり(虚構空間)が造り出されていないことであります。

 というより、やはりこれらの作品は、何といっても「習作」でありましょう。
 作品集を出すときに習作しか残っていない作家が、個性的な文学的才能を示した啄木という文学者の現実であることは、やはり我々に痛々しさを感じさせないわけにはいきません。

 最初の作品『雲は天才である』は、明治39年、啄木20歳の時の作品であります。それから、啄木が亡くなるのが明治45年、26歳赤貧の中の死でありました。(第一歌集『一握の砂』上梓は明治43年、第二歌集『悲しき玩具』は遺稿歌集であります。)

 もちろん26歳までに優れた小説作品を書いた作家は決して少なくはないでしょうが、後10年啄木に命があれば、いわゆる「夭折」と呼ばれる天才作家になった可能性は大いに見えてきそうに思います。

 例えば芥川没年35歳、梶井基次郎31歳、中島敦33歳等々、これらの早世を惜しまれる作家ですら、啄木より長生きであります。
 逆に、26歳で亡くなっていたら、漱石などは日本文学史上に全く名前を遺していません。

 そう考えますと、啄木は明らかに「天才歌人」としての名前は永遠に残したのですから、もって瞑すべしと、考えるべきなのでしょうか。


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Last updated  2012.09.13 06:30:10
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Comments

シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21) 純文さんへ  あたたかいお返事ありがとう…
analog純文 @ Re[1]:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  シマクマ君さんへ。  おや、思わぬお方…
シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  いつも読ませていただいてます。あのせ…
analog純文 @ Re[3]:無理筋仮定を考えてみる(12/28)  七詩さんへ、重ねてのコメントありがと…
七詩 @ Re[2]:無理筋仮定を考えてみる(12/28) analog純文さんへ 私もときどき読書日記を…

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