近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2025.12
2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半男性 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年男性 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期作家
2014.09.14
XML
『沖で待つ』絲山秋子(文春文庫)

 さて、少々過去を振り返ることをお許しいただければ、本ブログで取り上げる作品につきまして、最初はタイトルからもわかるように、一応日本文学史の教科書に載っている小説作品、つまり一定の歴史的評価が定まった(かなり定まりつつある)作家や作品の中から、比較マイナーな作家なり作品を取り上げようと思ったわけであります。

 しかしまー、わたくしそもそもあまり節操のない人格でありまして、いつの間にか、これも入れよう、あれもなんとかパスだろうと、基準がだいぶずぶずぶになってきまして、例えば日本文学史の教科書ではほぼ触れられない歴史小説を入れたり、そして、結構新しい作家の作品なんかが入っていくに至りました。
 で、本作もまた最近のお方の、芥川賞受賞作品であります。

 言わずもがなのことではありますが、「芥川賞」というのも、出版社の宣伝活動の一環で、そもそもこの賞を考えた菊池寛という方は、かなりジャーナリスティックな方であると同時にコマーシャリズム的視点にたけた方であったということでありますね。

 なるほどそう考えれば、1年間に2回もの受賞回数、複数受賞者も考えると2名プラスアルファの新人を毎年送り出すこと(該当作なしの年も確かにありますが)に対し、ひょっとすると多すぎはしないかという疑問が氷解されるんですね。

 昔、石川淳が、あれは野坂昭如の『四畳半襖の下張』裁判の証人としての発言でしたが、こんなことを言っています。(尋ねているのは丸谷才一特別弁護人です。)

丸谷 これまで、文学賞を受賞なさったことはおありですか。
石川 昔、芥川賞というものをね、あれはだれでももらうものですから。
丸谷 私ももらいました。
石川 ……。


 ちょっとついでの話になるんですが、上記の文章(会話のやり取り)は『作家の証言』丸谷才一編・朝日選書から引用してきたんですが、最後の行の「石川 ……。」の「……。」部ってのは、いったい誰が書き足したんでしょうね。石川淳が「てんてんてんてん」と言っていない(たぶん)以上、誰かが書き足したんですよね。
 丸谷才一かしら。とにかくかなりユーモラスであります。

 ……えっと、本線の話に戻りますと、「芥川賞」は、文壇という小さな集団の中にいる人にとっては、まぁほとんど当然のように一度はいただく(もちろん二度はないですが)ものであるようですが、しかし例えば、同時発表される「直木賞」とどう違うのかというあたりになってくると、その場その場で結構いい加減な言われ方をしているような気がします。

 一般的に芥川賞と直木賞の違いは、端的な言い方で言いますと「純文学」と「大衆文学」の違いと総括されるようですが、両者の区分はすでに多くの文学者が言っているように、もはや無意味であるとされています。
 いまどきそんな違いをうんぬんするものは畢竟時代遅れだ、と。(「畢竟時代遅れだ」というのは、今思い出しました漱石『こころ』の中のフレーズであります。)

 んじゃあ、なぜ相も変わらず二つ受賞させるんでしょうかね。
 審査をしている人は、みんな畢竟時代遅れの人なんでしょうかね。
 それともこのダブルスタンダードについては、大人の都合でみんな見て見ぬふりでいいんでしょうかね。

 ……うーん、今回わたくしとしては珍しく明確な主張をしてしまいました。たいがいぼやっとしたことしか書けない、いえ、頭の中にまとまらない人間でありますのに。
 ちょっと、視点を変えますね。

 いつかも書いたかもしれませんが、確か評論家の斉藤美奈子が「純文学」とは「起承転結」の「起承転」で終わる小説であるということを述べていたのですが、私にとってはとても説得力のある説明でした。

 わたくし思うのですが、やはり「純文学」と「大衆文学」は違うでしょう、と。
 そして、「純文学」用の「芥川賞」とは、新しい「起承転」小説を見せてくれるものではないのか、と。

 さて、冒頭の小説集の総タイトルにもなっている『沖で待つ』という芥川賞受賞作でありますが、うーん、これがまた、私にはあまりよくわかりませんでした。
 いえ、難しいところなどほぼない作品であるのですが、安定した手練れた作品という感じもするのですが、そうであるほどに、私の(勝手な)定義(本当は斉藤美奈子の定義)であります「新しい『起承転』小説」の部分が、どうもわからずじまいでありました。

 もちろんそれは「私の(勝手な)定義」であります。
 しかしすべての読者が、それを持っているのであります。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014.09.14 13:01:12
コメント(2) | コメントを書く
[平成期・平成期作家] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:芥川賞を、少し考える(09/14)  
フランス組曲 さん
お久しぶりです。二年ほど前にこちらのブログを初めて拝見させていただき、読書する上で参考にさせていただいております。

芥川賞について現代の受賞作品は変わりつつあると思います。まだまだ読書初心者ですが、漱石先生から門弟の方々の本を中心に読んでいます。同時代の作家たちは、横の繋がりが拡く、身近な存在感に感じ、しかし深いところまで心に響く何かが沢山あるように感じます。時代を越えても読み継がれていくもの、人間の深い心の底を突いてくるもの、そのような作品であって欲しいと思ってしまいます。

現在は入手困難にある作品、芥川龍之介の時代の宇野浩二や広津和郎、久米正雄、松岡譲...。残念でしかたありません。 (2014.09.24 16:41:40)

Re[1]:芥川賞を、少し考える(09/14)  
 フランス組曲さん、お久しぶりです。お元気でしたか。私の方は、かなりふうふういいながらこうして細々と続けています。まー、続けることにひょっとしたら少しくらいは意味があるかな、という程度のものであります。よろしければまた、いつでもお立ち寄り下さい。
 それから、漱石山脈の作家についてですが、確かに現在は読みにくい状況ですね。図書館で過去の日本文学全集といったたぐいの本で探すか、後、じみーに古本屋に行っていたりすると、たまーに岩波文庫であったりしますね。がんばってください。では。 (2014.09.27 07:36:40)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Favorite Blog

映画の時間 ウー・… New! シマクマ君さん

『百まで生きる覚悟… ばあチャルさん

Comments

シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21) 純文さんへ  あたたかいお返事ありがとう…
analog純文 @ Re[1]:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  シマクマ君さんへ。  おや、思わぬお方…
シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  いつも読ませていただいてます。あのせ…
analog純文 @ Re[3]:無理筋仮定を考えてみる(12/28)  七詩さんへ、重ねてのコメントありがと…
七詩 @ Re[2]:無理筋仮定を考えてみる(12/28) analog純文さんへ 私もときどき読書日記を…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: