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自分に移る世界。不意にテレビをつけると、かなりの確率でタイミングよく見られる番組がある。それは、NHKの「プロフェッショナル」。好きな番組だから、タイミングが合うともいえるのだけど、そうはいっても、毎回見ているわけでもなくて、あまり興味のない内容のときは、案外見逃している。今夜もふとテレビをつけたら、その番組が始まるところだった。今回は、先日ミシェランの三ツ星を獲得した、若きフレンチシェフ。その彼が口にした言葉が、最近の私の中で、大きくこだまし、響いてくる言葉、「情熱」そう、彼はまさに、「プロフェッショナルとは、高いモチベーションを持ち、それを維持する、持続する情熱」だと言った。昔から、この「情熱」という言葉に、とても心動かされるものがあった。しかし少し前まで、それは、なかなか自分の中で確かなものにならず、つかみどころのないものだった。間違いなくあるのに、はっきりしない。明確な確信に繋がらない。そんなじれったい思いが、ほんの少し前まで、心の片隅でくすぶっていた。でも、今ならなんとか、わかる。私の中の「情熱」。この情熱に突き動かされて、今、私はしたい仕事をしている。ところで、このフレンチシェフの今までの機軸を辿る再現ドラマの中に、私にもかつて同じ経験があったのを思い出した。若きフレンチシェフは、20歳台半ばにして、単身パリへ修行に出た。お金もなく、あてもない、そんな状況の中、本場パリでの修行。それを迷わず選び、行動に移すのは、はやり「情熱」の賜物なのだろう。そして、この人だ!と思うシェフを見つけ、そのシェフの下で働き出す。あるとき、魚料理を任されるようになるが、作るたびに師匠であるシェフに捨てられてしまう。何故そうされるのかわからないまま、そんなことをするシェフに腹を立てながら、荒れていく自分がいた。それからしばらくして、彼がいつものように魚を焼こうとすると、シェフがやってきて、彼の目の前で焼いて見せた。その魚料理は、自分の作ったものとは桁違いに美味しそうで、事実、本当に美味しかった。それを見てからというもの、彼は、自分の中の考え方をいっさい捨てて、料理への向き合い方がまるっきり変わったという。実は、私にも似たような経験がある。20歳代前半、それまで地元の会社に勤めていた私が、転職して、都心にある会社のOLになったときのことだった。就職した先は、さほど大きな会社ではなかったので、OLといってもいろんなことを任された。所属していた部署は経理部なのだが、経理の仕事以外にも、営業事務もアシスタントも配送手配も、時には、受付や秘書の役目まで、仕事は山のようにあった。就職して数日後から、帰りはほとんど終電ギリギリの、残業、残業の毎日。当時、幾つか年上の先輩女性が、私の上司として業務指導してくれた。が、最初の数週間は、一緒に仕事をしながら教えてくれたのだが、その後は、ほとんどの仕事を私に任せて、彼女はのんびりと暇をつぶしていた。というか、私にはそう見えた。隣のデスクで、山積みの仕事を四苦八苦しながらこなしている、そんな私の横で、雑誌を眺めたり、営業マンと談笑したり。それでも、最初のうちは、仕事を覚えることに精一杯で、そんな先輩上司のことなど、気に留める余裕などなかった。そんな私も就職して2ヶ月を過ぎた頃、ある程度、仕事を覚えて、なんとかこなせるようになって来ていた。そうなってくると、今まで気に留める余裕のなかったものが、いろいろと目や耳に飛び込んでくる。私の横でのんびりしている先輩のことが、腹立たしく思うようになり、『どうして私ばかりに任せるの!』『なんで同じ社員なのに、こんなに仕事の量が違うんだろう。』『これじゃ、彼女がいたっていなくたって、ひとりでやってるのと変わらないじゃないか。』と、怒りにも似た愚痴を、心の中で呟いていた。あるとき、仕事にイレギュラーが発生した。すると通常の業務のほかに、更にまた仕事が増えて、多少なりとも仕事に慣れた私であっても、あまりの仕事の量に慌てふためいていた。せっせとこなしても、全然底が見えてこない、仕事の山。今までにないイレギュラーな仕事に、不安も見え隠れしていた。そんな最中、彼女が私のデスクにやってきた。「今、どれやってるの?」「どこら辺まで終わったの?」デスクの上から目を離さないまま、手短に答える私。忙しいのに!というエネルギー全開で。すると、上司の彼女はおもむろに、私の隣で山積みになった仕事をこなし始めた。仕事をこなす彼女を見て、私は愕然とした。彼女のこなす仕事の早さ、正確さ、丁寧さ、どれをとっても、私とは比較にはならないほど。彼女のおかげで、いつ終わるかわからないと思われた仕事も、なんとか期限までに収めることが出来た。私は、ショックだった。そして、情けなかった。彼女の半分も出来ていない自分が情けなかった。そして、そんな自分をわかっていなかったことが、恥ずかしかった。出来ていない私が、口には出さなくとも、彼女のことを批判した。そんな自分が恥ずかしくてたまらなかった。今思えば、彼女は遊んでいたわけでも、サボっていたわけでもなかったのだろう。私がこなした以上の仕事を、それ以上の能力でこなしていたからこその、余裕だったのだと、思う。帰り道、私は電車の中で泣いた。駅を降りてからも、ずっと泣き続けた。いつまでもいつまでも、涙が溢れてきた。それでも、人には見られまいと、下を向いて歩いていると、なおさら湧き上がる思いが胸に詰まって、泣けてきた。悔しかった。家に着くと、母が出迎えてくれた。泣きながら帰宅した私を、両親はとても心配した。それはそうだろう。連日、深夜の帰宅の上に、今夜は泣いて帰ってきたのだから。若い娘をそんな思いまでさせて、こんな遅くまで働かせることに、両親は心を痛めていたのだろう。母が、「辛かったら、辞めていいんだよ。」と言った。父こそ何も言わないが、きっと母には同じことを言っていたに違いない。真剣に、無理しなくていいと言ってくれた。そんな両親の気遣いがありがたかった。それと同時に、心配をかけてしまったことに、申し訳なさを感じた。辛くて泣いたわけじゃない。太刀打ちできないことが、悔しかったのだ。そんな自分が情けなかったのだ。何もわかっていなかった自分が、恥ずかしかったのだ。だから、泣けた。両親には、辛いわけではないのだと話して、「今のままでは辞めたくない。どうしても続けたい。」と説得した。先輩の彼女に追いつくまで、いえ、せめて彼女にもう少し近づくまで。一人前の口が利けるまで。それまではどうしても辞めたくなかった。次の日から、私の態度は一変した。黙々と仕事をこなし、一つ一つの仕事に対して、どうしたら能率が上がるかを自分なりに考え、先輩にアドバイスを自ら求めに行った。それから半年後、先輩の彼女は、結婚を機に退社していった。そして私は、今までの仕事の上に、さらに彼女の仕事も引き継いだ。すでに、これまでの仕事は難なくこなすようになっていた。だから、彼女の仕事を引き継ぐ余裕があった。結局、そんな風に仕事量を増やしていったので、残業時間はまったく減らなかったが、それでも、私は多くの実績と経験を手に入れたし、仕事のノウハウも、他の同僚より少しだけ多く身につけることが出来た。なにより、私の中で芽生えたもの、「情熱」それこそが、これからの私の人生の中で、仕事をするということの多くの意義と、それに注がれるエネルギーの熱さを感じるきっかけとなる、大切なものを手に入れた。そして、今ならわかる。今なりにではあるが。出来ないうちに見えるものと、出来るようになって見えるもの。同じものでも、自分に映る世界は違うのだということを。パリ旅行の思い出日記を少しずつ更新しています。ご覧になる場合は、タイトルをクリックして下さいね♪「パリの終着駅。」「古きよき情緒。」
February 5, 2008
雪模様。朝、庭に出てみたら、積もっていた雪はすっかり解けて、枯れた芝生があちこちから顔を出していた。ふと、隣の庭に目をやると、柵ごしに、小さな雪だるまが見えた。「わぁ、可愛い♪」思わずにっこりしてしまう。すると、あることに気がついた。お隣りのそのまたお隣りにも、気づけば、そのまたお隣りも、もしかして、と、振り返れば、反対側のお隣りも、またまたそのまたお隣りの庭にも、それぞれのお宅オリジナルの、ちいさな雪だるまが作られていた。我が家の庭を挟んで、ちいさな雪だるまが、一同に並んでいる。あまりに可愛くて、なんだか嬉しくなった。『私も作っておけばよかったな。。。』なんて、ちょっぴり思ってしまう。あっという間の雪模様だったけど、雪が置いていったプレゼント
February 4, 2008
私をスキーに連れてって。昨夜から随分冷え込むな~と思っていたら、霙(みぞれ)まじりの雨が降り出してきた。夜中に窓から外を覗いたら、霙は雪に変わっていた。そして、今朝目が覚めて、庭に出てみたら、なんと!庭の芝生や柵は真っ白。あたり一面、銀世界。こんなに降り積もったのは、東京はこの冬初めてかも。真っ白な庭を眺めながら、思わず、『きれいだなぁ。』と呟いた。ヒトッティーが起きてきたので、「雪、積もってるよ!」と、まるで子供みたいにはしゃいで言ったら、「あ~、明日が大変だ。」と、やれやれ。といった感じ。確かに。東京は雪が降っても、わぁ~い!とばかり喜んでいられないことも多い。でも、せっかく無邪気に喜んでたのに、こんなに早く現実に引き戻さなくても。。。苦笑通勤者の辛いところか。それにしても。独身時代は、毎年この季節になると、やれスキーだ、スノーボードだって、毎週のように出かけていたから、雪を見ると、まるで条件反射のように、喜んでいた。結婚して、ヒトッティーとも、スノーボードをしに行ったことがあったけど、それもかれこれ、いつのことだったか。。。もともと、ヒトッティー、大学の頃は、スキーのサークルに在籍していたくらいだから、ウィンタースポーツはお手の物、たぶん。そのせいか、テレビでスキー場の場面なんかを見ると、「たまには、スキーでも行こうか?」なんてことも、時々言うのだけど、それもほんのいっとき、そう思うだけのようで。すぐに、「温泉がいいな~♪」なんて言い出したりする。私も私で、すんなり「行こう!」なんて言う訳でもなく、つい、ウェアのこととか、板のこととかに思いを巡らしてしまう。まず昔のウェアじゃ、サイズ合わないだろうなぁ~。笑それに、スノーボードのウェアならまだしも、スキーウェアは、あまりにも流行後れだろう。買い換えないと。とか。板だって、スノーボードはレンタルルームに置きっぱなしだし、スキーの板は、実家に預けっぱなし。手入れも何も、この何年もしていない。更には、我が家の車にはキャリアがついていない。まあ、この歳でスキーに行くなら、ヒトッティーならきっと、車じゃなくて、板も荷物も宅急便で送って新幹線にしようって、きっと言うだろうな。そんなことを思っているうちに、ヒトッティーはすでに違うものに心が傾いている。温泉とか、南の島とか。スキーは?銀世界はどこへやら。。。笑そんなわけで、こんこんと雪の降るこんな日は、ヒトッティーと一緒に、温かいミルクティーでも飲みながら、おうちでまったり、窓から雪景色を眺めております。パリ旅行の思い出日記を少しずつ更新しています。ご覧になる場合は、タイトルをクリックして下さいね♪「たそがれどき。」「遠まわりの街並み。」
February 3, 2008
ソウルメイト。私は、絵葉書を集めるのが好きです。旅先やどこか美術館などに出かけたとき、あるいは展覧会や写真展など、事あるごとに、気に入った絵葉書を数枚、買って帰ります。先日のパリ旅行の際も、数枚の絵葉書を購入しました。私の場合、コレクターというわけではないので、絵葉書を集めるのが趣味なわけではありません。あくまで「はがき」として利用するために、購入します。かといって、旅先から誰かに、「今こんな所に来てるよ~♪」といった目的で、絵葉書を利用するつもりはなく、また、「先日、こんな美術展を見てきました。」という意味で、どなたかに送るわけでもなく。。。ではどうして、「絵葉書」が好きなのかというと、今、その時、その場所で、たった今感動したもの、たった今共感したものが、絵葉書の絵に見ることが出来るからです。そんな絵葉書を見つけると、ついつい購入してしまいます。そして、いづれ「はがき」として、どなたかに送ります。今、感動したものや共感したものを、その絵葉書に感じても、いづれ使うときには、既に過去のものとなってしまい、そのときの感動が旬に相手に伝わらないのでは、と、思われるかもしれませんが、私としては、その時に感じた私の感性を、相手に伝えたい、わかってもらいたいなど、そういった気持ちはあまりなく、はっきり言ってしまえば、そういうことはどうでもいいのです。その時に直感的に手に入れた絵葉書。その絵葉書が表わすものが、いづれ、どなたかにマッチするときが来ます。ピンとくるといった感じでしょうか。どうしてなのか、理由など見当たらないのですが、手紙を書く機会が訪れて、絵葉書を見ていると、『あっこれは、○○さんに送ろう♪』『このイラスト、○○ちゃんにピッタリ♪』などと、思ったりします。はっきり言って、何の脈絡もありません。どうしてこの絵葉書があの人なんだろう。。。と、思うこともしばしばです。そしてそんな閃きは、いつ訪れるかは、わかりません。でも私、きっとその絵葉書の表すもので、送る相手の人と、過去にも今生でも、なにかご縁があるのかもしれないと思っています。ある意味では、”ソウルメイトに送る「はがき」”に、なっているのかもしれません。絵葉書が結ぶご縁。絵葉書で繋がるソウルメイト。うふふ♪遊びゴコロ満載ティエラのちょっとした楽しみです。パリ旅行の思い出日記を少しずつ更新しています。ご覧になる場合は、タイトルをクリックして下さいね♪「プチホテル。」「So Cool!」
February 2, 2008
旅のおみやげ。荷解きもほぼ終わり、さて、今回の旅の戦利品?笑、パリで購入したものを並べてみました。ほとんどが、友人へのお土産物ばかり。というとなんだか、まるで田舎のおばちゃんみたいに、「気のいいティエラ」と思われるかもしれませんが、いえいえ、そうではありません!もともと、買ってきた物が少なかったんです。お菓子とキャンディ。紅茶とコーヒーとジャム。お化粧品いくつかと、キャンドルとサボン(せっけん)。絵葉書が数枚。ヒトッティーにせがまれて買った時計。これが一番高い!笑それと、アロマオイル(精油)数本。細かいものが多いので、結構な数があるようでも、並べてみると、こんなもんかと思ってしまう程度です。現在、ユーロ高で円の価値が低いので、何に付け、あまり安くは感じられなかったのですが、それでも、全部合わせても、以前のパリ旅行のときとは、比べ物にならないほどの、お財布に優しい金額です。そういえば、今年から、成田の税関では、必ず申告書を提出するようになりました。昨年までは、限度額を超えた場合のみ、申告すればよかったのですが、今年からは帰国者全員、申告書を提出するようです。私の場合、申告の必要な、酒もタバコも香水も、そしてブランド物などの高額商品も、ついでにコピー商品も、笑そういったものは購入していないし、買ったものを記入欄に全部書いたとしても、金額的に10万円に届くかどうか、といったところだったので、毛皮をまとい、キラキラジャラジャラと身に着けた私から、小額品を事細かく書いた申告書を差し出されて、受け取った税関の職員に、ちょっとビックリされながらも、「金額は、、、問題ないですね。」と、スーツケースを空ける必要もなく、すんなりパスでした♪まあ、ジャムとか石けんとか、絵葉書なんか、調べても仕方ないですもんね。笑夜、ヒトッティーと一緒に、パリで購入した、「FAUCHON」のお菓子とコーヒーで、ティータイム。お菓子もコーヒーも、パッケージがなんとも「FAUCHON」らしく、鮮やかで可愛いです↑のインスタントコーヒー。インスタントとは思えないほど、本格的な味わいで、かなりイケます♪パリ旅行の思い出日記を少しずつ更新しています。ご覧になる場合は、タイトルをクリックして下さいね♪「通勤する人々。」「シベリアの空から。」
February 1, 2008
Bonsoir(ボンソワール)♪昨夜、パリから帰ってきました。目的だったヒトッティーの仕事に関しても、収穫があったようですし、彼の仕事に同行した私なりにも、大いに得るものがあったりして、とても有意義な出張でした。また、夫婦でパリを散策したり、沢山の方々に出会ったりと、旅としてもこれまた素晴らしいものになりました。今日は、大量の洗濯に、一週間ぶりの掃除、メールや留守電のメッセージに返信したりと、夕方までバタバタと過ごし、夜は久々に料理をして、和食の家庭料理で和んで、ホッとひと息。お土産話は、後日ゆっくりとアップしていきますので、しばらくお待ち下さいね♪
January 31, 2008
申し訳ありませんが、現在多忙のため、のちほど更新します。
January 30, 2008
申し訳ありませんが、現在多忙のため、のちほど更新します。
January 29, 2008
申し訳ありませんが、現在多忙のため、のちほど更新します。
January 28, 2008
衣擦れの音。パリに着いた当日、現地の人を介して、思いつきで予約してしまったディナーショーがふたつ。そのひとつが、ムーランルージュ。ずっと観たいと思っていたショーのひとつだ。実は、ヒトッティー、以前仲間内でパリを訪れた際に、一度このディナーショーに申し込んだことがあるそうだ。ところが、ショーの当日になって、どうも乗り気がしないと言って、土壇場でキャンセルしてしまった。もともとヒトッティーには、そういう天の邪鬼なところがあるので、私としては大して気になることもないが、今回はドタキャンは、どうぞ勘弁。笑私はというと、母と一緒にパリを訪れた際、コーディネートしてくれた代理店をしている知り合いに、シャンゼリゼ通りにある、ヨーロッパ最大といわれるキャバレー「LIDO(リド)」の、スペクタクルショーを勧められて、そちらを観たことがあったのだが、ムーランルージュは初めて。「LIDO」のディナーショーも、迫力があってとても面白かったのだけど、実はムーランルージュも当時から気になっていて、少し前にニコール・キッドマン主演の映画にもなって、それを観てからますます、『機会があったら是非行ってみたい!』と思ったのだ。ちなみに、こちらでLIDOのショーの雰囲気を垣間見ることが出来ます。↓EARTH NAVI(地球案内)~パリ「LIDO」~そんなわけで、このディナーショー、ヒトッティーはTry Again、私はずっと観たかったショーを見ることが出来て、超ラッキー♪日中、オルセー美術館まで出かけていったのだが、今夜のショーへ出かけるために、早めにホテルへ戻ってきた。もちろん、着替えのために。ヨーロッパは往々にしてそうなのだろうが、ご多分に洩れず、というよりも、特にパリでは、夜のディナーや観劇の時は、基本的に正装をしなくてはならない。とはいっても、最近では、そんなにかしこまった格好をする必要はないが、それでも男性は、ジーンズやスウェット素材のパンツは不可で、まちがいなくジャケット着用を求められる。ジャケットといっても、毛皮などが付いていないものであれば、わりとどんな形のものでもいいみたいだが。その点、女性は、どんな格好でも許される。私が感じるに、女性の服装に関しては、どんな格好も、それがファッション、それがオシャレなのだろうと、こちらの人は受け取ってくれるようで、男性に対しては、逆に身だしなみという観点なのかも。男性のほうが、断然ドレスコードは厳しい。着替えを済ませ、待ち合わせの場所から、車でムーランルージュに向かう。ムーランルージュのあるモンマルトルは、サクレ・クール寺院やモンマルトルの丘などで、有名なところ。長い間、芸術家の街として、多くの芸術家が生まれた街だけど、、最近では、あまり治安のよろしくない場所のひとつで、パリで唯一の歓楽街でもあり、アダルトショップが立ち並ぶ風俗街でもある。夜の街へと遊びに繰り出した人たちで、ごった返している通りの真ん中に、ムーランルージュの明るく輝くネオンがあった。歓楽街のシンボルにでもなっているかのような、堂々たる風車。でも、そんなムーランルージュの看板風車が、歓楽街とは少々似つかわず、妙に可愛い。表の通りまで長い行列の出来た入り口の脇から、滑り込むように中に入った。ムーランルージュ。画家のロートレックが通いつめた、古き良き、キャバレー。館内は撮影禁止で、クロークにカメラは預けてしまったので、食事やショーの内容は、写真に収めることができなかったのが少々残念。館内は、なんというか、昔のパリ、パリの下町の趣きが残っていて、ちょっとタイムスリップしたような気分。約1時間30分~2時間くらいのディナータイムの後、約2時間のショーが始まる。長い夜の始まりだ。食事も、イベントのお飾りみたいに、とってつけたようなものではなく、それなりにちゃんとフルコースで、シャンパンやワインもふんだんに振舞われて、美味しくいただくことができた。更に、出てきた食事のメニューに驚いた。実は、夕方前、ホテルへ戻る道すがら、ヒトッティーと一緒に、せっかくのパリだから、この度で食べたいものは?なんて話をしていたのだ。二人が共通して食べたいと思ったものは、鴨肉。子牛肉。新鮮なシーフード。クロワッサン。チーズ。生牡蠣。そしてエスカルゴ。すでに、生牡蠣も鴨肉も、そして新鮮な伊勢えびも堪能したし、朝食では、美味しいクロワッサンもチーズも、何度か味わったので、さて、今夜の食事は何が出てくるのかな、なんて思っていたら、なんと、「エスカルゴ」。これには、ヒトッティーも私も、お互い顔を見合わせて笑ってしまった。ガーリックの効いた美味しいエスカルゴに、魚料理のメインディっシュ、そして隣に居合わせた、お酒好きの初老のご夫婦との、楽しい会話に花が咲いて、シャンパンを酌み交わし、大いに盛り上がり、ショーが始まるまでの時間も、あっという間に過ぎていった。館内が暗くなって、さあ、ショーの始まり始まり。私たちの座った席は、相撲で言えば、砂被りのような席。踊り子さんたちが、舞台の袖に下がる通り道の、目の前の席。こちらでは、これが良い席なんだとか。「LIDO」に比べると随分窮屈な席なのだけど、これがまた情緒がある。歌あり、ダンスあり、あの有名なフレンチカンカンありで、一瞬にして、ショーに引き込まれた。途中でベテラン芸人による、大道芸なども披露されて、長時間のショーであっても、退屈しない。それでも、ヒトッティーは、先ほどのシャンパンが回ってきたのか、途中で、コクリコクリと居眠りしはじめた。もともと、酒は好きでも、強くないヒトッティーは、飲めば眠くなる性質(たち)なので、私はそのまま放っておいたのだけど、隣の老夫婦のご主人は、せっかくのショーが勿体無いと気を使ってくれたのか、時折、ヒトッティーの肩をつついてくれる。その度、ほんの一瞬目を覚ますのだけど、また再び、コクリコクリ。一つの演目が終わるたびに、豪華絢爛な衣装を纏ったダンサーたちが、流れるように舞台袖に下がっていく。そのダンサーたちの、ダンスもさることながら、容姿の美しいことといったら!世界中の応募の中から、厳正な審査を通り抜けて、晴れてこの舞台に立っている、一流のダンサーたち。そんなダンサーたちの衣装の羽が、舟を漕いでいるヒトッティーの頭の上を、シャラリシャラリと次々に掠めていく。軽快な足音と衣擦れの音。こちらまで聴こえてくる、そんなダンサーと観客の距離感。それでも、ヒトッティーはお構いなしで、気持ちよさそうに居眠りをしていた。きっと、夢の中でも美しいダンサーが現れていたのかも。笑クライマックスフィナーレまであと30分ほどになったとき、ヒトッティーの目が覚めた。ヒトッティー、すっかり眠気も飛んで、最後は一緒にショーを楽しんだ。ショーが終わって、表に出る頃には夜も随分深まって、通りは、いっそう人で溢れていた。先ほどのショーでの、感動や興奮の冷め遣らぬ私たちとは裏腹に、後ろから、黒人の大きな男性が付いてくる。といっても、彼はボディガード。それを知ったヒトッティーは、彼に気軽に声をかける。「オヤジギャグ」的なトークだったが、やはり「笑い」は万国共通だね。ボディガードの彼も、ヒトッティーに笑いでツッコミを入れていた。彼は、少し離れたところに停めてある迎えの車に、私たちが安全に乗り込むまで付いていてくれた。こういうあたりは、やはり歓楽街、そして風俗街。夜も更けてくれば、物騒にもなる街。一瞬にして、街の現実に引き戻された。ホテルに帰るなり、二人して着替えもそこそこに、ベッドに倒れこんだ。思っていた以上に、興奮し、疲れてしまったらしい。お酒もだいぶ飲んだことだし。さっきまで観ていたショーを思い出しながら、半分夢心地の中で、口々に「よかったよね~♪」と言いながら、いつの間にか眠りに付いた。
January 27, 2008
河岸の風景。オルセー美術館。今日は日曜日ということもあって、観光客だけでなく、パリの多くの人々が訪れていた。館内に入る前に、かなり厳重なボディチェックと、エックス線による荷物検査がある。それは、空港の出国審査さながらで、その厳重さにちょっとばかり驚いたのだけど、あとで館内を歩いてみて、納得した。どれだけの保険がかかっているのかさえ、想像もつかないような名画が、どれもこれも、鑑賞する側のギリギリの位置に飾ってある。それも、ガラス越しであるわけでも、ケースに収まっているわけでもなく、ほんの少し手を伸ばせば、触れてしまうくらいの距離に展示してあるのだから、あのくらいの検査は、当然なのだと思った。入ってみて、建物内部の形や雰囲気が、今まで私の知っている美術館とは全く違っていて、なんというか、美術館らしくない美術館の雰囲気に、新鮮さと、軽い空気を感じた。それなのに、どこかで見たことがあるような、なんとも懐かしい感じもして。。。そう思ったら、実は、このオルセー美術館。その昔、パリ万国博覧会の開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設された「駅舎」で、ホテルも兼ね備えていたのだそうだ。建物の内部はその名残りで、どうりで大きな時計が見える。そう思うだけで、なんだか、ノスタルジックな気分になってくる。その昔。。。パリの終着駅、オルセー。うふふ。素敵ヒトッティーは、建物の造りから、絵画の配置、絵画を彩る壁紙の色まで、写真に収めるのに、走り回っていた。趣味と実益を兼ねて。笑こんなところでも、仕事モードがちらほら。そんな彼を尻目に、私はのんびり絵画を鑑賞。モネ、ルノアール、ゴッホ、ミレー、ロダン、ゴーガン、ロートレック。。。時々、ベンチに座って、物思いにふけったり、絵画を背景に、人間ウォッチングをしたり。それにしても、私なんかは、鑑賞するといっても、サラッと流して観るくらいで、時折「おっ!」と思う絵の前では、立ち止まり、少しだけじっくり見るといった、結構あっさりしたものだけど、こちらの人は、一枚一枚の絵を、穴が開くんじゃないかと思うほど覗き込んで、じぃっと見つめるように鑑賞している。なんだか、「絵画を鑑賞する」そんな姿にも、それぞれのお国柄や生活習慣、感性の違いを感じてしまう。途中で喉が渇いたので、最上階にあるカフェでひと休み。お昼どきのせいもあって、カフェはかなり込み合っていた。運よく席が取れた私たちの斜め前に、老夫婦がひとつの丸椅子に、二人でちょこんと腰掛けている姿が、なんともほのぼのしていて、可愛らしい。とはいえ、私はというと、ひとつ空いた席の隣で、仕方ないという思いと裏腹に、なんだか申し訳ないような気持ちで、コーヒーを買いに行ったヒトッティーを待っていた。休憩の後、今度は上階から、もうしばらく鑑賞を続けて行くと、下から見ていた時計の中に、パリの街並みを発見!さて。。。まだまだ観るところは沢山あったのだけど、大まかに観たい絵は観たので、早めにオルセーを後にした。帰りは、来た時とは違う橋を渡って、まるで後ろ髪を惹かれるみたいに、後ろのオルセーを振り返りながら、ゆっくりと帰っていった。橋から見える、河岸の建物。これだけで絵になってしまうのだから、さすが、パリ。橋の真ん中辺りにベンチがあったので、ヒトッティーと二人、並んで座って、川風にあたる。ヒトッティーは、今さっき撮ってきたばかりの写真を、披露したくてウズウズしていたようで、座った途端、デジカメの画面を私に押し付けてきた。うんうん、よく撮れてるね。「さすがヒトッティー。カメラマンになっちゃう?」悪戯っぽく言うと、まんざらでもない顔で、「ふふん。」と鼻を鳴らすヒトッティー。調子に乗って、「一眼レフが欲しいなぁ。」なんて言い出した。あははは。そんなこと言ってても、東京に帰ったら、きっと忘れてしまうのだろうけど。橋は、向こう岸へ近づくほどに低くなって、通りをくぐるような格好で、チェイルリー公園へ。今日もチェイルリー公園をのんびり散歩して、まだ日も高いので、そのままシャンゼリゼ通りまで。寒いのと、パリの空気に馴染んだこともあって、どちらともなく、手を繋いで歩いた。シャンゼリゼ通り。凱旋門まではかなりあるので、途中まで行って、引き返すことに。エリゼ宮を横目に、ピエールカルダン劇場の横をすり抜け、アメリカ大使館の前を通って、ホテルクリヨンの脇道を歩いていく。ホテルクリヨンは、以前、母をエスコートして、本格的フランス料理を食べに行ったところだ。ホテルの中は、まるでお城かと思うばかりの、重厚で豪華な造り。まだ日暮れまでは時間があったが、今夜は楽しみにしていたディナーショー。そんなわけで、裏道を通って、早めにホテルに戻った。
January 27, 2008
パリの日曜日。今回の最大の目的だった展示会視察。それも昨日のうちに見納めることが出来たので、今日からは、プライベートタイム。スムーズな展開、思った以上に時間が取れて、順調!を通り越して、ラッキーだなぁと思う。午前中、ホテルで朝食を取った後、のんびりと美術館へ出かけた。今回、赴いたのは、オルセー美術館。ルーブル美術館も心惹かれるものがあったのだけど、ヒトッティーも私も、お互い別々ではあるけど、ルーブル美術館には何度か赴いたことがある。それに、ルーブル美術館は、あまりに広すぎて、一日では到底見終わることは出来ない。その点、オルセーのほうは、ルーブルに比べたら規模も小さめだし、それに何より二人とも、何故か今までオルセーには行ったことがなかった。そんなわけで、今回は、二人してワクワクしながら、オルセー美術館で鑑賞することに。ホテルから美術館までは、ゆっくり散歩がてら歩いて行っても、一時間くらいで行ける。オペラ大通りに出ると、すぐそこにオペラ座(ガルニエ)が見える。オペラ・ガルニエ。以前、私がパリを訪れたときは、オペラ座内側が一部改装中だった。そして、当時はオペラの上演はなく、もっぱらバレエの発表会などに使われていたが、現在は、ガルニエでもオペラの上演があるらしい。その頃、母とオペラを観に行ったときは、バスティーユにある、新オペラ座での上演だった。演目は、今やよく知られている「トゥーランドット」。近代的で広く、清潔なオペラ・バスティーユは、それはそれで良かったのだけど、やはり「オペラ座の怪人」に出てくるような、オペラ座のイメージはほとんどない。ガルニエでオペラ上演があると母が知ったら、どんなに口惜しがるだろう。古くて、たぶんそう広くはないガルニエだが、それを踏まえても、やはり魅力的なオペラ座だと私も思う。私もいつか、またパリに訪れた時は、是非、ガルニエでのオペラ鑑賞をしてみたいなぁ。オペラ座からキャプシーヌ大通りへ進み、Scribe(スクリーブ)ホテルの前を通って、マドレーヌ寺院へ。本当は、オペラ大通りを横切って、バンドーム広場を通り過ぎ、チェイルリー公園を横切るように、オランジェリー美術館の脇を歩いていけば、オルセーまで行くのも、もっと近道なのだろうけど。。。だいぶ遠回りだとはわかっていたが、何故か、今回の旅では、ヒトッティーも私も、好んで、よくこのルートを歩いた。今日は日曜日なので、ほとんどのお店はお休み。あちこちでシャッターが降りた、静かな街並み。通りを歩く人たちもまばらで、名所を訪れる観光客や、散歩やデートを楽しむパリの人たちを、ちらほら見かけるくらい。時折、クローズしている店のショーウィンドウに、立ち止まるヒトッティー。そんなときは大概、時計屋かサングラス屋さん。ヒトッティーは、サングラスには特に目がない。「いいな♪」と思うサングラスに出会うと、もう少しでガラスに頭がくっついてしまいそうなほど、食い入るように見つめるヒトッティー。でも、今日はお店、お休みだから。笑マドレーヌ寺院を背にまっすぐ進むと、そこはコンコルド広場。広場を渡ると、セーヌ川にかかる橋がある。その向こうには、ブルボン宮(下院)が見える。橋の上からエッフェル塔が見えた。いかにも「パリの冬」といった空模様。セーヌ川から冷たい風が吹いてきて、唯一何も覆われていない顔を撫でていく。思わず手袋をした手で、顔を触ってしまう。手袋越しにも、頬が冷たくなっているのがわかる。それでも、ここまで歩いてきた体は、ホカホカと暖かい。そして、うっすら射し込む晴れ間のように、ココロもホワホワあたたかい。乾いた風が通り過ぎる、のどかなパリの日曜日。橋を渡って、セーヌ川の川岸を歩いていく。まるでパリジェンヌのような気分で。笑しばらく行くと、右手に目的地が見えてきた。
January 27, 2008
シルエット。展示会の帰り道。郊外線(RER)でパリ市内まで戻ってきた。途中、CHATELET(シャトレ)という駅で降りて、そこから散策しながら帰ることに。駅を降りてみると、そこは、フォーラム・デ・アールという、ショッピングモールに直結していて、いろんな人、特に、若い人たちが沢山行き交っていた。もともとは、市場だった跡地らしいが、現在の雰囲気は、例えるなら、東京の渋谷とか新宿とか、そんな繁華街に迷い込んだ感じ。それは、今まで見たことのないパリの光景。それとは打って変わって、フォーラム・デ・アールのすぐ近くには、ポンピドーセンターという、ガラス張りの近未来的な建物の文化センターがある。なんだか、いろんなものが混在していて、ちょっと不思議。近くに市街地図のボードがあったので、それで、現在地を確認。横切って行けば、ホテルまではわりと近くなのがわかったが、せっかくなので、少し遠回りをして、ルーブル美術館のほうへ歩き出した。途中、傾きかけた太陽の光を、うっすらと浴びた美しい教会に目が留まった。サン・テュスターシュ教会しばらく歩いていくと、ルーブル美術館が見えてきた。表側に回って、ゆっくり眺めてみる。何度かこの美術館を訪れているが、夫婦で並んで眺めるのは初めて。なんとなく、感慨深い。ルーブル美術館を背にして歩いていると、ヒトッティーが、「あれ?凱旋門?」不思議そうにそう言った。目の前に見えるのは、確かに凱旋門に良く似た建造物。「違うよ。」そう言いながら、思わず笑ってしまった。ヒトッティーが間違えたのは、凱旋門ではなくて、カルーゼル凱旋門。実際の凱旋門は、ずっと先のシャンゼリゼ通りのはずれだ。実は、私も以前にパリを散策していて、この場所に来たとき、思わず凱旋門だと勘違いしてしまい、一瞬、どこにいるのか、方向感覚が狂って、わからなくなってしまったことがある。そんな状態で少々彷徨った後、しばらくして、アレは凱旋門じゃないってことを理解した。あの時と同じ間違いを、ヒトッティーもしてる。。。そう思ったら、可笑しくなった。カルーゼル凱旋門をくぐり、そのまま進む。チェイルリー公園をゆっくり歩いていく。夕日も随分傾いてきて、左手に見えるエッフェル塔のシルエットが、美しい。公園の中ほどまで来ると、そこには大きな噴水があって、小さな子供が走り回っていたりして、親子連れが沢山いた。親子連れだけではない。噴水の周りにあるベンチには、多くの恋人たちが、愛を囁きあいながら、抱き合ったり、キスしたりこういう光景は、さすがジュテームの街、パリ。周りの目など、気にもならないのだろう。熱い抱擁も、長いキスも、通り過ぎる私たちさえ、恥ずかしいどころか、見ていて微笑ましい。そのすぐ側で、小さな子供たちが、ニコニコと駆け出して遊んでいたり、パパとはしゃいでいたりする。なんとも、ステキな光景だ。公園を出ると、そこはコンコルド広場。黄昏時の、燃えるような夕日を受けて、浮き彫りになったエッフェル塔が、とても情熱的だった。さてと。お腹もそろそろ空いてきたってことで、二人の意見はピッタリ一致。早速、食事をしようと、パリに着いた日に目星をつけていた、魚介料理のレストラン、LE GRAND CAFE CAPUCINES(ル グラン カフェ カプシーヌ)へ。予約なしではあったが、ディナーにはちょっとだけ早めの時間だったので、すんなり席に通された。そして、生牡蠣と、それから、伊勢エビと鴨肉の料理を注文。伊勢エビ。下世話な話だけど、100グラム22ユーロもするのに、丸々太った一匹丸ごとだから、500グラム近くあったみたい。ってことは、100ユーロほど。日本円に換算すると、約17000円!!!わぉっ!それでもヒトッティーは、「伊勢エビが食べたかったんだからいいんだよ。」って。なんと、太っ腹♪ありがた~く、おいし~くいただきました
January 26, 2008
パリ郊外にて。Paris Nord Villepinte(パリノール見本市会場)こちらで行われている、Maison&Objet(メゾン エ オブジェ)2008。ヨーロッパではかなり大きな展示会。今回の旅での、私たちの最大の目的は、この展示会を視察することだ。会場までは、ポルト・マイヨからシャトルバスが運行されていたが、ホテルから少々離れていたため、違う手段で会場に向かうことにした。会場までは、地下鉄を利用しても行くことが出来る。RERの郊外線で、シャルル・ドゴール空港駅の一つ手前、Parc des Expositions(パルク・デ・ゼクスポジション)駅。こちらで降りれば、会場はすぐそこだ。ただ、現地の日本人ガイドに話を聞いたところ、郊外線は、いわゆるダウンタウンのような所の路線でもあって、少々危ない駅を通るらしい。タクシーで行っても、30~35ユーロほどだという事だったので、往路はタクシーを利用することにした。会場についてみると、そこは、幕張メッセやビックサイトを、とぉ~っても大きくしたような、巨大な展示会場。ホールが7つもあって、それぞれのインテリアカテゴリーに分かれて、所狭しと展示されている。各国各地から訪れた人々は、ほとんどがバイヤーやデザイナーで、入場のためのパスポートを手に入れるために、長蛇の列が出来ていた。アンケート用紙に会社名を記入し、細かいアンケートにチェックを入れて、やっとチケット売り場の列に並ぶことが出来た。長い列に並びながら、横の人、後ろの人、斜め前の人など、あちこちの人を観察してみる。どの人も、自信に溢れていて、どの人も、個性的で、多くの人が、ハイクラスで、ハイセンスなファッションスタイルをしている。それも、男女を問わず。それこそ、目の保養になるほど、だ。ある意味、巷で言う、成功者たちなのかもしれない。やっと順番が来てチケットを購入。ひとりにつき70ユーロ近く。かなりいい値段。でも、これで希望通りの商品が手に入り、希望どおりの商談が出来れば、チケット代など安いもの、なのかもしれない。一応、全部のホールを見て回る予定ではいたが、まずは、いちばん気になるホールから。なんといっても、広いのだから。まるで路地裏を歩いているみたいに、くねくねと蛇行しながら、通路を進んでいく。気になるブースは立ち止まり、中に入って見学をし、時にはオーナーやスタッフと話をしたり、パンフレットを貰って眺めたり。。。時折、日本の「和」の製品を扱うブースに出会うことがあった。中でも面白かったのは、いぐさ。畳の原料となる、いぐさだ。いぐさを使った製品を展示して、いぐさのecoな部分を、わかりやすくアピールしていた。また他にも、染めの暖簾や、暖簾をアレンジしたタペストリーや屏風など、あるいは、織りを使ったものなど、面白い発想の商品に出会ったりした。しかし、多くは純和風というわけではなくて、そこはやはり、ヨーロッパ向け、フランス向けにアレンジされていたりして、そのアレンジが日本人の私にしてみると、「これは、どこの国のもの?」といった感じで、ちょっと可笑しかったり。日本人の私から見れば、それは、もうすでに「和もの」には思えないから。笑しかし、どんな異文化も異国の品物も、その国に入ってしまえば、その国の人々の使いやすいように、その国の人々の美的感覚で磨かれていくのだし、そうなれば、それは新たな文化となったり、新たな使い道を提供するものとなったりするわけだから、それはそれで、かえって発想が面白かったりして、それはそれで、いいのだと思う。それにしても、今回、とても意外なものをよく目にした。それは、「鉄瓶」。あの南部鉄で有名な「鉄瓶」だ。その鉄瓶を、赤や黄色、オレンジや緑、青といった、カラフルで色鮮やかな色で塗装した鉄瓶が、あちこちで展示されていた。それこそ、パリではこれが今年のトレンドなのか?、と、錯覚しまうほど。確かに日本の茶器などは、パリで人気があるらしいことを、以前にどこかで聞いたことがある。それを証明するかのように、茶器や急須なども多く展示されていた。そうだとすると、鉄瓶は「So Cool!」ということなのだろうか?だとしたら、なんとも、この発想が面白い。私としても、アーユルヴェーダに携わってきた過程で、鉄瓶がとても素晴らしいことは、よく知っている。が、それにしても、目のつけどころがなんとも、面白い。そんなわけで、見るに事欠かないブースが集まっているホールは、じっくり見ていると、軽く2時間ほど掛かってしまう。この調子で回っていると、7つのホールを全部回るのは、とても一日では無理だろう。ヒトッティーも私も、出来れば今日中に全部回り終えて、明日からプライベートとして行動したかった。でも、そこはやはり出張目的の旅。今日で回りきれなければ、明日もここへ足を運ぶしかない。そう思いながら、5つ目のホールを回り終えて、残すところあと2つとなった。が、残りのホールは、ヒトッティーの目的趣旨とは違うブースばかりで、結局、ほとんど素通りすることに。というわけで、夕方近くになって、今回の展示会視察は終了となった。私も、そして私以上にヒトッティーは、沢山のブースから、発想、アイデア、ヒントをもらい、多くの人たちとお話しすることが出来て、とても実り多い視察となった。さてさて、展示会を引き上げて帰っていく人たちが、まだそう多くない内に、そして夕方のラッシュの時間帯を避けるように、早々にパリ市内へ戻ることにした。帰りもタクシーで、と思ったのだが、タクシー乗り場は長い列が出来ていて、最後尾が見えないほどだった。あれじゃ、いつになったら乗れるかわからないぞ、と思った途端、暗黙の了解で、復路は郊外線で戻ることに。早めに会場を後にしたのが効を奏して、思ったより込み合わない電車に乗ることが出来た。隣の席では、どこの国の人なのだろうか、ヨーロッパなまりの英語が聴こえてくる。展示会を後にした二人のバイヤーが、今回の勝算などを語り合っていた。その横で、ヒトッティーと私は、しばし黙っていた。パリの郊外。夕暮れに染まる郊外の景色を眺めながら、のんびりと電車に揺られる。ステキな景色だった。しばらくすると、ガイドに教えられた、「ちょっと危ない駅」に着いた。この辺りまで来ると、車内は随分と込み合っていた。ドアが閉まりかけたとき、走りこんで、飛び乗ってきた男女二人。男性は幼児を乗せたバギーを抱えながら。女性は、赤ちゃんを抱きながら。体が滑り込んだ瞬間、扉が閉じた。それを見ている私のほうが、ちょっとビックリ、かなりヒヤヒヤ。ある意味、「ちょっと危ない駅」だった。笑扉近くの席に座っていた私たちは、もうすぐ降りるつもりだったのもあって、その男女に席を譲った。そして、ホテルまで散歩するつもりで、それから幾つかめの駅で降りた。
January 26, 2008
オペラ座界隈。日本時間より8時間ほど遅いパリの時間。約12時間の空の旅を経て、やっとパリに降り立ったというのに、到着時刻は、午後3時。毎度思うことだが、この時差、今日がもう一日やってきたような気分。スーツケースをピックアップして、すんなり入国を済ましたにも関わらず、シャルル・ドゴール空港からパリ市内までの道のりで、どうやら事故があったらしい。普段なら40分もあれば着くであろう道のりに、たっぷり3時間もかかってしまった。事故だけのせいではなかったのかもしれない。到着したのが週末だったというのも、混雑していた理由の一つだったのかも。結局、ホテルに着いたのは午後7時を回ったころ。今回滞在したのは、オペラ座に程近い、プチホテル。そういえば、かれこれ7~8年ほど前、母とパリを旅した際に、一度プチホテルに滞在しようとしたことがあった。当時、若い女性の中で、プチホテルが静かに注目されていた。それまではパリ旅行といえば、アメリカ資本の大型ホテルか、そうでなくても、そこそこ有名なホテルを利用していたのだが、初めてパリを旅する母に、昔ながらのパリの雰囲気を、少しでも味わってもらえれば、と、あえてプチホテルを選んだのだ。旅行代理店を営んでいる知人にお願いして、たしかあの時も、オペラ座の近くのプチホテルだった記憶がある。だが、あの時はすごかった。滞在する予定だったプチホテル。部屋に入ってみて驚いた。まず鍵。門番がジャラジャラ持っていそうな、いかにも「カギ」だという、あのカギ型の大きな鍵だ。これだけで、古めかしさが漂ってくる。シチュエーションとしては笑えるのだけど、それからがすごかった。部屋のドアは、扉の下の部分が10センチ以上切れていた。通常、ヨーロッパのホテルなら、多少なりともドアの下部分に隙間があるのは、よくあることだ。それは私も理解していた。しかし、10センチ以上も空いているとなると、下手すると、かがめば下から手が入ってくるほどだ。中にいる私たちの物音も、誰かが外の廊下を歩く足音も、更には、隣のそのまた隣の部屋の物音だって、まるで一緒に滞在しているかのように聴こえてくる。話し声も、それこそ、トイレやバスを使う音も。更には、トイレもバスタブも、水は出るし、流れるし、お湯だって短時間ならば出るのだから、それだけは幸いだったのだけど、トイレもバスタブも洗面台も、あちこちがひび割れていて、タイルの目地は真っ黒で、とても小奇麗とはいえないありさま。部屋は古めかしいトール型のライトがひとつ。終始、ほの暗い部屋の中。ベッドは、スプリングが飛び出てくるのでは、と、思わず飛び上がってしまうほど軋むし、カーテンは、半分ほどレールから外れて垂れ下がっているのを、無造作に共布のタッセルで縛ってあった。窓は、昔の擦りガラスで、フックのような鍵が付いていたが、曲がってしまっていて上手く噛み合わず、鍵は掛からないまま、少しだけ開いている状態だった。海外旅行は何度も経験済みな母だったが、ヨーロッパを訪れるのは、この時が初めてだったので、最初のうちは、「こういうものなのよね?」と納得しようとしていたが、だんだんと、「仕方、ないのよね?」「大丈夫だよね?」と、不安な言葉を発するようになった。それもそうだろう。ここまですごいと、さすがに母よりも若く、母よりも元気な私も驚いてしまって、言葉を失ってしまうほどだった。オペラ座近くの裏通りにあるホテルは、夜になると、車の走り去る爆音や、酔っ払いや若者の騒ぐ声が、閉じない窓からよく聴こえてきて、二人して眠れない夜を過ごした。朝になって、ヒトッティーに電話をした。東京は今頃深夜だろうと、申し訳なくも思ったのだが、このままでは、あまりにも母が忍びないし、せっかくの旅行の楽しさが半減してしまう。そんな思いに駆り立てられて、ヒトッティーに連絡を取った。今まで、旅行先から電話をしてくることなど、そう滅多にない私から、動揺した声で電話が掛かってきたのだ。ヒトッティーだって、察するものがあったのだろう。多くを語らなくとも、すぐに理解をしてくれた。深夜だというのに、早々に手配をしてくれ、その日の午後には、グレードの高いホテルにチェンジすることが出来た。結局、そのプチホテル。たった一泊だけの滞在となったのだが、今となっては貴重な体験だったと思う。しかし、今回の旅で、またもやプチホテルに滞在すると決まった時、実は、一抹の不安というか、過去のトラウマ的記憶が思い起こされて、到着するまで、どんなところなのかと、多少の不安と、怖いもの見たさの好奇心があった。がしかし、その期待はすっかり裏切られた形で、今回宿泊したプチホテルは、古き良き名残りは残っているものの、グループホテルもヨーロッパ中に沢山ある、近代的で綺麗なホテルだった。何より、立地が最高だった。ガルニエまでは、徒歩で5分ほど。反対方向へ向かえば、ルーブルまでも徒歩で簡単に行ける位置にある。マドレーヌ寺院も、コンコルド広場も、ラファイエットやプランタンも、わずかな時間で歩いて行けた。そして、ホテル周辺の路地には、日本食や韓国料理の店が沢山あって、店内を覗いてみると、どの店も満席で、多くの人で賑わっていた。パリでは日本食が流行っているとは聞いていたが、すし屋に定食屋、丼もの屋にうどん屋、ラーメン屋に焼肉屋。。。あっちを見てもこっちを見ても、そんな店ばかりの軒並みに、ガイドマップには載っていない、パリの別の顔を見た気分だった。滞在中、ラーメン屋、中華レストラン、焼肉屋、日本食レストランなどに入ってみたが、「なんちゃって和食」とか、「なんちゃってキムチ」とか、そんな感じなのかと思いきや、どれも意外とイケた。たぶん、オーナーがその国の人なのだろう。部屋に入り、一息入れたら、既に夜の9時近く。特にどこかのレストランに、予約を入れていたわけではないので、ヒトッティーと一緒に、レストランを探しながら、ホテル界隈をのんびりと散策。東京のほうが寒いと思っていたが、夜ともなると、さすがにこちらも寒い。寒さの質が違うようだ。コートの襟を立てるようにして歩く。道行く人たちも、温かそうなコートのボタンをしっかりと留めて、マフラーやストールを個性的に巻いていた。なんとも。そんな姿が、この街は、自然と馴染んでしまうのが、やっぱりステキなところなんだなぁ
January 25, 2008
直行便。機内にて。パリまでの直行便は、ロシアのシベリア上空を飛んでいく航路。雲の合間から時折見える下界の姿は、長い間、まるでクレーターのような青白い大荒野が続く。厳粛で壮大なその姿に、なにやら感じ入るものがあった。
January 25, 2008
満員電車。1月25日。お昼前の直行便でパリに向かうため、少しばかり朝早くに家を出た。最寄り駅から空港までは、1時間ほど。乗り換えなしで行けるので、その点はいつも助かっている。都会とは反対方向へ進む電車。いつもだったら混み合うこともなく、のんびりと空港へ到着するはずだった。ところが、乗ったと同時に車内が込み合っている。はじめは途中で空いてくるだろうと思っていた。しかし、多くの線が乗り入れている大きな駅に停まっても、一向に空いてくる気配がない。それどころか、徐々に混み方が増してくるようだった。私以上に、混んだ電車が嫌いなヒトッティーは、途端に機嫌が悪くなった。というよりむしろ、具合が悪くなっていった。いつまでも込み合っている、郊外行きの電車の中で、私はなんだか不思議な違和感を感じていた。大きな駅を通過しても、乗り込んでくる人はいても、周りの人々は一向に降りる気配がないし、そうこうしているうちに、もう主だった駅は通り過ぎて、そろそろ空港に着こうとしていた。よく考えてみれば、すぐにわかることなのだけど、ふと思い出したら、この電車の終点は空港だった。ということは、この満員の人々は、全部空港に行こうとしているのか。私たちのように、旅支度して大きな荷物を持った人々は、見回す限り、数人の外国人旅行客くらい。あとはどうみても、これから出勤という感じの、たぶん通勤客だ。ふと時計を見てみる。8時40分。そうか。私たちは空港で働く空港関係者たちと一緒に、成田に向かっているのか。。。それにしても、すごい人数だ。ちょうど通勤時間帯だということもあるだろうが、そうであったとしても、空港という一つの場所に、これだけの人たちが、一本の電車で向かい、この電車の前後、何本もの電車で、多くの人たちが空港に向かい、電車以外の手段でも、沢山の人たちが空港に通勤しているのだろう。そう思うと、普段何気なく利用している空港に、どれほど多くの人たちが関わっているのかと、改めて思った。こんなところにも、多くの交流がある。『どうも、いつもお世話になってます。。。』心の中でちょっと呟いてみる。それにしても、朝のラッシュは、いろんなエネルギーが飛び交っている。確かに朝は忙しい。急いでいるような、慌てている派動。いかにも仕事モードといった感じで、気を引き締めて、キリリとした派動。到着ギリギリまで寝て体力温存しつつ、着いたら切り替えようと、じっとしている派動。仕事の内容を反復しつつ、確認している、思考・記憶全開モードの派動。既に、今夜の予定へ思いを馳せている、フワフワの派動。身なりが気になって、ソワソワの派動。今日のファッションスタイル、ストールの巻き方が絶妙で、周りの視線が嬉しい、ご満悦な派動。いろんなエネルギーが飛び交って、それを感じて楽しんでいる私は、結構面白がっていたが、ヒトッティーは、飛び交うエネルギーが騒がしくて、どうやら飛行機に乗る前から、少々疲れてしまったようだ。笑
January 25, 2008
旅の前夜。明日から、フランスへ出かけてきます。パリで展示会があって、仕事として、ヒトッティーに同行するというのが、本来の目的なので、遊びの旅というわけではありませんし、一週間程度の短い旅です。それでも、旅の後半で、少しだけプライベートな時間も取れそうです。ヒトッティーと一緒に、パリの地を踏むのは初めてなので、街並みを散策するのが、今から楽しみです♪帰国するまで、ブログの更新はありませんが、帰ってきましたら、お土産代わりに、いろいろ体験談などをお伝えできたらと思います。どうやら、今年はパリよりも日本、それも私の住んでいる東京のほうが寒いようで、少しだけ、寒さから逃避行する気分です。ここのところ、日本は雪が降ったり、突風が吹いたりと、寒さが増していますが、皆様、どうぞ暖かくして、楽しい月末をお過ごし下さい♪それでは、行ってきます
January 24, 2008
気になるもの。最近、気になっていたアサイージュース。別に私がヒーラーだから。というわけではないが、やっぱりそこは派動。気になるものは、手に入る。思いがけないところから、その情報がヒトッティーに伝わり、ヒトッティー自体は、アサイーベリーのことなど、全くというほど知らなかったのだが、ご縁があって、手に入ることになった。アサイーベリー。ご存知の方も多いかと思うが、最近、静かに話題になっているものだ。アマゾンに自生していて、パワーの源として、現地に住む人だけが長い間知りえたフルーツ。このアサイー、見た目は紫色のブルーベリーやカシスのようだが、実はヤシの一種で、少々独特で濃厚な味わいがある。ポリフェノールや必須脂肪酸、アミノ酸、食物繊維、鉄分など、栄養素が豊富で、スーパーフルーツとも呼ばれているらしい。最近では、世界中のトップアスリートなども注目していると、聞いたことがある。そんなわけで、その噂は、私にも入ってきていて、少し前から気になっていたのだ。で、早速試飲してみる。アサイーベリーの濃縮ジュース。アサイー自体が貴重品らしく、それなりの値段がするらしいが、飲んでみると、なかなか美味しい。どんなに栄養素が高くても、美味しくないとやっぱり、ね。まあ、心身ともに健康なら、ある程度のものは、それなりに美味しく感じるだろうと思うのだが。というわけで、今後しばらくの間は、このアサイージュースが食卓に上る予定。今から結果を気にするのは、本末転倒というものだろうが、また何か面白い発見や体験があったら、お知らせします♪アサイージュース。興味があるかたは、お試しあれ♪
January 23, 2008
旅支度。そろそろ旅の支度をしようかと、スーツケースを開いて、あれこれ詰め込んでいく。数年前までは、旅行に出るとなると、いくら女性の荷物は多いと言っても、まるで民族大移動さながらに、すごい荷物の量だった。現地で調達できるものも、他のもので代用できるものもあるのに、わかっていても、どうしてもそのような発想転換が出来ずに、今思えば、全て持っていかないと、何故か心配だったのだと思う。これって、なんだか、今までの人生の歩み方にさえも似ている気がして、今となっては笑えるのだけど。でも、今は、そういうことはない。「無くてもいいっか。」と思うものは持って行かないし、下手したら、もうすぐ必要なくなりそうなものや、使い古して処分してもいいものを、あえて持って行って、現地で使い切って処分してくることもある。そういうわけで、最近では、旅に出るときに持っていく化粧品や洗面道具は、おおかたサンプルで貰ったものや、残り少ない化粧品がほとんどだ。それでも、ちょっと前までは、そんなサンプルや化粧品が、山のように溜まっていって、どれだけ使っても、まるで伸びたラーメンみたいに、なかなか減らず、湧いてくるのではと、思ってしまうほどだった。それが、今回旅支度を始めてみると、なんと、そういった化粧品類がものの見事に無くなった。そういえば、最近は逗子に出かけることも多かったし、余分なものは買わないし、タダだからといって、大して使いそうも無いものは貰っていない。そう考えると、この結果にも頷けるのだけど、それでもやっぱり嬉しかった。物が減ったり、無くなったりして、それが嬉しいというのは、物資の少ない国からは考えられないような、なんだかおかしな話だが、それだけ、私の周りでは物が余っていたのだろう。それも、無くてもいいもの、要らないものが。ストックされていたものが、こうやって消費されて無くなるのは、また新たなものを手に入れることができると言うこと。それも、自分の選択で。新旧交代。手放して、手に入れる。この旅が、それに一役買ってる気がする。少しだけ、これからの旅に思いを馳せてみた。。。
January 22, 2008
大笑い。夜、リビングでテレビを見ていたら、ヒトッティーが帰ってきた。支度しておいた食事に、手を伸ばすヒトッティーの傍らで、またテレビに目を向ける私。若手の芸人さんやタレントさんが、芸というには程遠いものの、自分の馬鹿さ加減を売りにして笑いを誘う。それ自体、くだらないと言えばくだらないのかもしれないが、それでも、笑えるツボがあって、大笑いをした。ふと、この手の番組は、あまり好きじゃないヒトッティーのことを思い出して、リモコンでチャンネルを変えようと振り返った。すると。ヒトッティーも笑ってる。「くだらねぇ~♪」「バカでぇ~♪」と言いながら、大笑いしてる。そんな姿を見て、なんだかいいな♪と思った。嬉しくなった。どんなことでも、笑えるって楽しい。くだらなくても、馬鹿馬鹿しくても、幼稚でも、極まった芸でなくても、笑えるということは、楽しい。「笑い」は、幸せになる特効薬。病気だって治ることもある。夫婦二人で、「くだらねぇ~♪」を連発しながら、大声で笑った。
January 21, 2008
下町限定?午後からヒトッティーと一緒に散歩に出かけた。手袋に帽子、温かい格好をして、歩きやすい服装で。私たちにはお馴染みの、川沿いの遊歩道コース。このコース、しばらく歩いていないうちに、周りの景色が変わっている。空き地になっていたところが、公園になろうと工事中だった。大きな公園。ここはきっと、親子の良い憩いの場になるだろう。バギーを押しながら、子供と散歩する母親の姿が目に浮かぶ。まるで未来の私を見ているかのよう。今のところ、予定もないのに。笑ちょっとだけ想像しただけなのに、なんだか、とてもhappyな気分になった。きっと、のどかでステキな公園になるだろう。遊歩道を過ぎて、年始に初詣に行かなかった天祖神社まで、足を伸ばした。二人で、昨年のサポートの応援にお礼をいい、今年の抱負を伝える。きっと見守ってくれるだろう。そう信じている。神社を出て、しばらく歩いているうちに、ヒトッティーがお腹が空いたと言い出した。そこで、目に留まったコンビニで、肉まんを買うことに。しかしその店のショーケースには、肉まんは一個しかなかった。そこで「肉まん大好き」なヒトッティーに、譲ることにして、私は、他の中華まんを眺めていると、そこに初めてみるものがあった。なんと、「月島もんじゃまん」。もんじゃと中華まん?!意外な感じもしたが、でも、ちょっと想像してみると、案外イケるかも。。。で、私はもんじゃまんに。行儀はよろしくないが、二人並んで歩きながら食べた。せっかく譲った肉まんだったが、ヒトッティーは、ちょっと納得していない。決して不味かったというわけではないのだろうが、どうやら彼は本当のところ、中華街で売っている、お気に入りの店の肉まんが食べたかったらしい。でも、それをこの地元で望むのは無理というもの。それは、彼も重々承知していた。なので、とりあえずコンビニの肉まんでしのいだ、という感じなのだろう。さて、私の食べたもんじゃまん。う~ん。不味くはない。というか、どちらかといえば、好きな味。でも、これ、もんじゃを知らない人、あまりもんじゃを食べ慣れていない人には、何を食べているのか、いったい何の味なのか、いまいちわからないかもしれない。下町育ちで、子供の頃からもんじゃに慣れ親しんでいる、そんな人間だからこそ、わかる味なのかも。ってことは、このもんじゃまんは、下町限定だったりして。笑このもんじゃまん、下町の人間だったら、ちょっと面白がるかもしれない。まあ、あくまで私が勝手にそう思っているだけなんだけど。というわけで、皆さんの地元でもんじゃまんが売っていたら、試してみてはいかがでしょう?笑案外、限定じゃなくて全国版だったら、ちょっと笑えるかも
January 20, 2008
躍動する。まるで、昔の自分を見ているかのような、そんな生き方をなさっていたクライアントさんが、またひとつ、いえいえ、ひとつどころではなく、多くのものを手放し、解放された。その後、クライアントさんと一緒に、光の体験。体の細胞ひとつひとつが、震えるような躍動。クライアントさんの、歓喜と感動の声がサロンに響き渡る。ワンダフルでステキなひととき
January 19, 2008
生命。朝、庭に出てみると、この冬、唯一咲いている鉢植えのいくつかが、しんなりしていた。実家の母から預かったシクラメンも、クッタりして元気がなくなっている。これはまずい!この一週間ほど、なにかと忙しくて、仕事でも私用でも日中外出することが多く、鉢植えたちに水をあげていなかった。この時期は昼と夜の温度差が激しいので、日中の暖かい時間帯でないと、水をあげることができない。夕方あたりに水遣りしてしまうと、下手したら、土が凍って根腐れしてしまうこともある。それを考えると、鉢植えたちの存在に、夜には気づいても、その時水遣りするわけにもいかず、朝になると忙しさに忘れてしまっていた。とまあ、言い訳はあるとしても、なんとも可哀想なことをしてしまった。急いで、鉢植えの一つ一つに丁寧に水を遣る。あげながら、「ごめんね。」「元気になってね。」と、まるでひとりひとりに声をかけるように、話しかけた。そして、数時間おきに、鉢植えの様子を伺いに庭に出てみる。くったりと頭をもたげた花は、持ち上がっては行かない。その都度、申し訳なさのような気持ちが湧いてくる。しかし、植物の生命は逞しいものだ。夜になった頃には、どの鉢植えも元気になっていた。よかった。やっぱり生き生きしている姿が、いちばんステキ。そして私が見たいのも、生き生きしている姿なんだと、改めて気がついた。生命。植物に限らず、生き生きとした「いのち」というものは、逞しくて、美しい。そして、もういちど美しい姿を見せてくれて、ありがとう
January 18, 2008
足を運ぶ。今日は仕事で久々の長距離出張。以前は、東海方面や関西方面など、時折出張することもあったのだけど、ここしばらくは、考えあって、サロンでのセッションを重視してきたので、出張することはなかった。でも、サロンには本当に様々なところから、クライアントさんがいらして下さる。確かに、いらっしゃるお客様をお迎えするに当たって、予約の数時間前から、サロンの掃除をし、浄化をし、波動調整をして、1時間のセッションのために、何時間もの時間を費やしている。ある意味、それ自体が、私の仕事だとも思っている。でも、おいでくださるクライアントさんも、たった1~2時間のセッションのために、何時間も、あるいは泊りがけで東京に来て、サロンに足を運んでくださる。そこまでしていらしてくださること、これって、すごいことだな~と、本当に頭が下がる思いで、心から感謝の気持ちが湧いてくる。で、少し前から思っていたこと。私に出来ることで、もしもご要望があるのなら、こちらから足を運んでみようかと。そんなわけで、今回は、群馬県に行ってきた。長い時間、電車に揺られての移動は、私にとっては苦痛ではない。本を読んだり、流れていく景色が移り行くのを見て過ごすのは、とても新鮮で、癒される。そして、これだけの時間をかけて、皆さん、サロンまでいらしてくださっているのだと、私自身が、改めて体で感じることが出来たことが、何よりの収穫だった。到着してからも、素晴らしい交流、有意義な時間を過ごすことが出来た。いつもサロンにいらしてくださるかただた、久々にお会いするかたがた、沢山のかたにお会いした。そして、現地でお世話になった、オーガナイズしてくださったかたたち。帰り際には、沢山のお土産をいただいた。それはそれは、まるで田舎に遊びに行ったときのように。笑あちらのかたは、来訪者に、なんとも律儀で義理堅いなぁ。これでもかと、もてなしてくれる。お土産をもらったから言うわけじゃないが、「荷物になるけど。」と言って、用意していた沢山のお土産を手渡してくれる、そんな素朴で温かい人たちに触れ合うことが、とっても嬉しい一日だった。郷土の名産物を沢山いただいた、その中の一つ。とっても美味しいバームクーヘンでした♪
January 17, 2008
赤いご飯。数ヶ月前に、いつも白米に混ぜて使っていた古代米が、底をついてしまった。で、しばらくは古代米は抜きに、雑穀と発芽玄米を混ぜて使っている。最初はそれでもよかった。今までとは味も食感も変わるので、ちょっとした変化を楽しんでいたから。古代米がほとんど入っていないので、炊き上がったご飯は赤くならず、心なしか、うっすら黄色い程度だ。古代米のもっちりとした食感の代わりに、お米の立った感じが味わえる。そして、古代米がないことで、玄米の甘い香りが際立って、それはそれで、食欲をそそる。そんなわけで、しばらくはこれでよかった。でも。。。ふと、古代米のあのもっちりとしたご飯が食べたくなった。あの赤飯のような、赤いご飯が恋しくなった。思い出すと、懐かしさまで湧いてくる。そんなわけで、やっぱり古代米を購入することに。以前は、箱根に出向いた際に、その土地の地物の古代米を購入した。とても美味しい古代米だったのだけど、しばらく箱根に行く予定もないので、今回は、違うところで。いろいろ調べてそして直感で決めた。それは、秋田の白神山地。そう、世界遺産にもなっている、白神山地のふもとで栽培された古代米だ。そちらの農家から直送してもらった古代米が、本日届いた。白神の古代米。う~ん、楽しみです♪我が家では、一度に3日分のご飯を炊いて、小分けに冷凍しているので、今度の炊き上げは、2日後の予定。次回が待ち遠しい。。。うふっ
January 16, 2008
タイミング。この数年間、一つの引き出しを、有効に、そして密度濃く、使い、親しんできた。でも。このタイミングだからこそ、私の中の敢えて閉じていた引き出しを、開いていこうと思う。今まで暖めてきたものと、ずっとしまっておいたもの。そして、これから新しく手に入れるもの。全てを開けて、全てを使う。今ある限りの、全部を。そして、それは、多くのものと繋がって、どんどん深く大きく広がっていく。今までのものはより深く、これからのものは、新鮮に。そして、未来が今になる頃は、新鮮だったものが深くなり、また新たに何かが見つかるだろう。なんと楽しみな「未来」♪なんと楽しい「今」
January 16, 2008
飲みすぎ注意。昨年末から年始にかけて、何かとお酒を飲む機会が多々あった。普段から、時々ヒトッティーの晩酌に付き合うことがあるが、それでも昔に比べれば、酒を飲む機会も量もずいぶんと少なくなってきたこの頃。若い頃は、時に一晩で、人数分の一升瓶を空けてしまうこともあったし、居酒屋やショットバーで、飲み代だけで数万円にものぼることもあったり。しかし、それだけ飲んでもそれなりには酔うのだが、酩酊するほど酔っ払うことは少なかった。私自身、酒豪だったわけではないと思うが、ストレスや仕事の付き合いで飲む量も増え、それなのに、どんなに飲んでも我を忘れるほど酔えないことが多く、何より、美味しいから飲むわけではない酒の席が多かった。それが今では、少しの量でも気持ちよく酔えるし、飲んでいても、楽しい。沢山飲みたいと思うこともそうなくなってきたが、量よりも質がよくなったようで、それが、実は嬉しかったりする。がしかし、昨夜は違った。気の知れた友人たちとの新年会。楽しい宴だったのは間違いない。ただし、すごい量の酒を飲んだ。まるで男子学生のサークル並みに、注文するのは次の次のおかわり分まで、まとめて2~3杯ずつ。集まったメンバーの誰もがそうだった。みんな、『今夜は飲むぞ~!』という気合十分で集まっていたので、飲むし、食べるしで、すごい勢い。女性には結構なボリュームだと聞いていた食事も、ペロリとたいらげ、テーブルには、集まったメンバーの倍以上のグラスが、一体誰のグラスなのかわからなくなるほど置かれていた。レストランのスタッフも、ひっきりなしに注文を取りに来ては、その都度、両手いっぱいにグラスを下げていく。ロングカクテルは口当たりも良く、まるでジュースを飲んでいるかのように、すいすいと喉を通っていく。こんな集まりは、久々だった。集まった全員が歳も近い主婦同士だったから、いつもはこんなに羽目をはずすメンバーではない。それが、今日は無礼講ということで、飲んで騒いで、大いに盛り上がった。ここまでくると、どれだけ酔っ払ったのかと思いそうなものだが、昔と違って、それなりに年を重ねてきた大人としては、その点に抜かりはない。宴が始まる前にメンバー全員、しっかりドリンク剤を飲んでいた。そのおかげなのか、はたまた飲んだカクテルが薄かったのか、結局、お開きになって店を後にする頃になっても、誰しもがあまり酔った感はなく、口調も足取りもしっかりとしたシラフだった。そして、今日になっても、特に二日酔いということもなく、本日の仕事にも何の差障りも出ずに、すこぶる快調な朝を迎えた私。昨夜飲んだドリンク剤、最近CMなどで御馴染みの、「ウ○ンの力」。もしかして、効果あり。かもしれませんところで、このドリンク剤がきっかけで、久々に私は、「食わず嫌い」ならぬ「飲まず嫌い」を、ひとつ減らすことができた。実は私、昔からこの手のドリンク剤が苦手なのだ。いわゆる滋養強壮剤というヤツが。特に点滴などによくある成分の味や匂いがする、アリナ○ンとかリポ○タンとか、更にはオロ○ミンCですら、どうも好きになれない。というか、かなり苦手。そんなわけで、昔からこの手のドリンク剤は、ほとんど口にすることがなかった。で、実は今回も飲む前にかなり躊躇った。別に飲まなくても、酔いつぶれる気はしていなかったし、無理して飲むくらいなら、頼らなくてもいいんじゃないかとまで思っていた。でも、友人たちがこぞって購入しているのを見ていて、『まあ、ものはためし、だし。』と、気持ちを切り替えて、ある意味、勢いで飲んでみた。すると。。。思ったよりも不味くない。というよりもむしろ、ドリンク剤にしては美味しい。なんというか、外国のスーパーに売っているジュースのような味だ。日本ではあまり馴染みのないジュースだが、だからといって、日本人が飲んで飲めないわけでもない、といった感じの、異国のジュース味。「ふぅ~ん。」あまりの意外さに、飲みながら思わず呟いてしまったくらいだ。私自身、ドリンク剤を苦手だと感じたのは、もうはるか昔の数十年前のこと。それから今に至るまで、ドリンク剤だって、どんどん進化していても当然の話。だけども、「苦手」「嫌い」と、信じ込んでしまった思いは、いつまでも私の中で居座り、それがまるで化石のように固くなっていき、結局は、周りの変化を無視していたのかも。そんなわけで、「ものはためし」という何気ない気持ちと、紹介してくれた友人たちのおかげで、ドリンク剤に対しての苦手意識が、ちょっぴり薄らいだみたい。まあそうはいっても、ドリンク剤のお世話にならないで済むなら、それに越したことはないのだけど。笑いろんな意味で、乱飲、ご注意♪大きい声じゃ言えないけど、ヒトッティーは「ウ○ンの力」を「ウ○コの力」と呼んでいます。
January 15, 2008
祝福。友人たちとの新年会があって、横浜まで出向いた。目的地へ行く電車の中、ふと、読みかけの本から視線を逸らせて、周りを見回すと、いつになく華やいだ車内。あでやかな着物姿の若い女性がそこここに。『そうだ。今日は成人の日だったっけ。』通過駅の多くは、成人式が終わって、これから都会へ繰り出して行こうという若者で、いっぱいだった。それにしても、華やかな振袖に毛皮のストール。毛色の清楚な白が着物に映えて、若々しさを強調している。こうも華やかな着物姿の女性が多いと、街も華やいで見えるものですナ。。。そんな中でも、殊更目を引くのは、立ち姿、そして、座っている姿の美しい女性。着物は、立ち居振る舞いが、ほんとに顕著に現れるものだ。そういう女性にお目にかかると、こちらまで微笑ましく眺めてしまう。とはいえ、そんなことに目が行くようになった私は、少々オバサン化しているのかも。。。苦笑そう思ったら、ちょっと可笑しかった。ともあれ。親にとっては、わが子がいちばん、恋人にしてみれば、彼女がサイコー、他人の私にしてみれば、着物の豪華さや見てくれよりも、立ち居振る舞いの美しい女性に軍配をあげる。だけど。。。ホントはそんなのはどうでもいいことで、宇宙はみんなを祝福している成人、おめでとう♪ステキな大人の人生を楽しまれますように。。。新年会の会場となったカフェで貰った、オリジナルテディベア。可愛いでしょ♪うふっ
January 14, 2008
わからない世界。夜遅く、DVD鑑賞をした。「プレステージ」と「消えた天使」2本立て続けに観たのだから、終わった頃には、もう夜中だった。「プレステージ」、これはなかなか面白かったが、「消えた天使」は、なんとも言いようがない感じ。なんというか、面白いとか面白くないとか、そういうことではなくて、どんなにチャネってみても、登場する変質者の気持ちがわからない。その世界をどうにかして覗き見ようとしても、私には、やっぱりわからない。一緒に鑑賞していたヒトッティーに言ったら、「わからなくていいんじゃない?」「わかったら、まずいでしょ。」あははは。そうだよね。わからなくても、いいこともある。わかってしまったら、私自身がヤバイかもしれない。笑
January 13, 2008
シンプル!ヨーロッパへ出張中だったヒトッティーが、夕方も過ぎた頃になって帰ってきた。あちらで過ごした数日間、強行軍でスケジュールをこなし、更には狭い機内での長い移動時間、その上時差もあって、だいぶお疲れのようではあったが、それでも、声は明るく、目を輝かせて帰ってきたヒトッティー。心ばかりの手料理で、彼の帰宅を迎えた。軽く晩酌をして、料理に手を伸ばし始めた頃、やっと気持ちも落ち着いたようで、ほっとした様子が伺えた。私自身、基本的に彼の仕事のことは、あまり聞いたりしないのだけど、社交辞令といおうか、話の流れ程度に、「で、どうだった?」と軽く言葉を投げかけた。そんな問いかけに、ヒトッティーが答えたひと言は、「世界は、思っていた以上に狭くて、シンプル!」なるほど。もうこれ以上に聞くことはない。十分な答えだ。ヒトッティーの仕事も、予定していた商談も、彼が考えていた以上に、大きな成果を挙げて、大きな可能性を見つけて、帰ってきたのだろう。彼のシンプルなひと言から、多くのことが伝わってくる。そして、彼の想像していた世界以上に、現実の世界は、行動してみればどんどん進み、形になっていくということを、身をもって感じたのだろう。すごい体験をしてきたのだね。実りの多い、異国への旅をしてきたのだね。よかったね。これからだね。もっと、ひろがるね。なんだか、私までワクワクしてきた。ワクワクの伝染。。。
January 12, 2008
餅のかけら。暦の上では、今日は鏡開き。というわけで、本日のセッション後、鏡餅のお飾りを片付けた。でもヒトッティーは出張中で、只今日本にいないので、鏡割りは今日はやめた。せっかく鏡割りをしても、雑煮だって、揚げ餅だって、きな粉餅もあべかわも、一人で食べるには、ちと量が多すぎる。そして、なによりつまらない。なので、ヒトッティーが帰ってからの、昔の鏡開きの日に、改めて鏡割りをすることにした。昔の鏡開きの日というのは、旧暦の1月20日になる。江戸時代初期までは、この日が鏡開きの日として、採用されていたようだ。でも、徳川3代将軍の家光が亡くなったのが、旧暦の20日だったので、関東では20日を避けて、今の1月11日となったのだそうだ。でも、我が家にはそんなことは関係ないので、我が家の都合に合わせて、というか、私の都合に合わせて、今年は20日が鏡開き。ということで、それまで餅はお預け。なんだか。鏡割りをした後の、餅のかけらを揚げた、母の揚げ餅を思い出す。何の変哲もない菓子なのに、あの揚げ餅が、どういうわけか、とっても美味しかったなぁ。。。そんなわけで。やっぱり、20日は揚げ餅にしようかな
January 11, 2008
加速する。昨年から引き続き、サロンにいらっしゃるクライアントさん。今年になってから、既に何人かお会いして、その度に感じずにはいられないこと。すごいことに、どのクライアントさんも、目で見てわかるくらいの変化をなさっている。あるいは、変化の度合いが加速されている感じ。この変化。。。こちらのほうが少々ビックリしてしまうくらい。みなさん、知ってか知らずか、いえいえ、顕在意識で気づいていないようでも、実は深いところで、この時代、このタイミング、この流れを感じ取っているんだね。そして、みんな繋がっていて、みんな感化しあっている。これって、すごいことだよねぇ。素晴らしいことだよねぇ。。。
January 11, 2008
ただ、想う。心配するわけでもなく。寂しがっているわけでもなく。不安になっているわけでもなく。ただ、ただ。どうしているかな。楽しんでいるかな。そろそろ連絡があるかも。でも、なくてもいいな。楽しんでいるだろうから。そんなことを思いながら、米を研いでいたら、電話が鳴った。「そっちは変わりない?」うふふ♪繋がると思ってたよ
January 10, 2008
贅沢三昧。急に思い立った。「お風呂に入ろう♪」って。。。いやいや、当たり前ですが。笑でも、思い立ったのは、夕方。食事の支度もせずに、風呂掃除をして、バスタブにお湯を張って、ゆ~っくりお風呂に入る。こんなことが出来るのも、つかの間のひとり暮らしだからこそ。主婦を忘れて、自分だけの時間を楽しむ。浴槽に、木酢液と塩、それから、あれもこれもと入浴剤を適当に入れてみる。小さな外付けのジェットバスのスイッチを入れたら、モクモクと浴槽が泡立ってきた。あれれれ。どうやら、入浴剤の中にバブルバスが混ざっていたみたい。ただの入浴剤だとばかりに、知らずにいろいろ入れちゃったけど、一体どれがバブルバスだったのか、今となってはわからない。一瞬、『化学反応か?』とも思ったけど、それはさすがにないだろう。ともあれ、ちょっとしたサプライズなお風呂に、なんだか、ちょっと嬉しくなった。の~んびり、なぁ~んにも考えずに、泡のお風呂に身を浸す。。。泡はどんどん増えて大きくなって、とうとう顔の半分くらいが隠れてしまった。視界が半分白く消えて、余計なものが、見えない。聴こえない。頭の中を空っぽにしたかったので、ちょうどタイミングよく、喧騒を忘れることが出来た。浴室の中で、ジェットバスのモーター音だけが、定期的な音を立てている。しばらく経つ頃には、その音さえも、とうとう気にならなくなった。泡はある程度まで増えたところで、今度は少しずつ小さく消えていった。今まで隠れていた部分が、少しずつ見え始めてきたところで、体はホカホカ、汗がじんわり滲んで、頭もスッキリ。そろそろ上がるタイミングが来たようだ。体の外からも中からも、デトックス。さあて、お次は髪やお顔のスペシャルケア。完全にセルフエステ状態。笑水分補給をしながらも、トータル2時間のコース。長風呂好きな私の欲求が満たされる。「あぁ、生き返るぅ~♪」思わず呟いてしまう。今、思い返してみると、変なことを言っているなと思う。「生き返る」って。。。私は死んでいたのか?死にかけていたのか?笑なんて、そんなことはどうでもいいとして。自分だけの、自分のための、贅沢な時間。至福のひととき。それも、バブルがはじけるまでの、ね。笑
January 10, 2008
シクラメンの香り。実家の母が、第2弾の鉢植えを持って来た。実家のマンションのメンテナンス工事、前回とは違う位置を工事するらしく、またもや、鉢植えの移動を余儀なくされた様子。で、鉢植えたち、我が家の庭に緊急避難。一時的に預かることになっている。でも、母の口調だと、このまま我が家に寄付してくれるような口ぶり。私としては、それはそれで嬉しいけど、ガーデニングをするものとしては、手塩にかけて育てた花々は、やっぱり自分で愛でて楽しみたいもの。だから。たぶん、返すことになるでしょう。笑でも、しばらくの間、色彩の少ないこの季節に、庭に出る度、草花の彩を楽しむことが出来そうです。今回、非難してきた鉢植えは、5鉢ほど。シクラメンやら、金の成る木やら、ちょっと名前のわからないものやら。。。笑そういえば、前回母が持ってきた鉢植えのつぼみが、いくつか花開いてきた。まだまだつぼみがいっぱいだけど、ポツポツと咲き始めたその花は、とてもエレガントできれい。ちょっとスマートな優雅さです。お庭が一気に明るく、華やかになりました
January 9, 2008
安心の素。今朝、ヒトッティーが、ヨーロッパ出張に出かけていった。出かける前に、私からヒトッティーへお餞別。それは、ゴマせんべいと塩せんべい。そして柿の種。それから極めつけに、紫蘇のおにぎりと生姜の味噌漬け。もちろん梅干しと煎茶のパックも。ヒトッティーと同行する人、2人分のお餞別。それを見たヒトッティー、大感激。あはは、ああ、アナタもやっぱり日本人なのねぇ。笑私自身、海外旅行に行くときは、必ずといっていいほど、柿の種と梅干しと煎茶を持っていく。しょっちゅう海外旅行をしていた若い頃、あるとき、往路の飛行機が今までにないほど揺れた。エアースポットに入ってしまったようで、ロデオさながらの上下に動く大きな揺れと、かかってくるGによって、私は相当参ってしまった。ちょうど食事が始まった頃だったのだけど、私の席は後ろのほうだったため、食事は、すでに前列の乗客は食べ終わる頃の、ほとんど最後のほうで運ばれてきた。しかしその機内食はというと、すごい上下の揺れでほとんどがこぼれてしまい、食べるどころか、見るも無残となってしまったのだが、そんなことがなくても、私自身が揺れとGで気持ち悪くて、とても食べることは出来なかった。こぼれて残骸となった機内食は片付けられて、しばらく経っても気持ち悪さが治らない。うつろな状態が続いていたそんな時、隣にいた友人が、持参した柿の種を勧めてくれた。「落ち着くよ。」勧められるままに、一口食べてみたところ、ふっと気持ち悪さがやわらいだ。醤油の味がほっとする。このまま、到着するまで続くのかと思った気持ち悪さも、おかげでだいぶ薄らいで、ずいぶん楽に過ごすことが出来た。あの時、『やっぱり私は日本人なのだ』と思ったものだ。私としては、旅するときは、「郷に入っては郷に従え」というように、その土地の食べ物を楽しむことにしているので、異国に行ってまでも、日本食を食しようとは思っていない。むしろ、その国の、その土地の料理を堪能するほうが好きだし、今までずっとそうして来た。それは、機内食であっても同じ事で、どの国の航空会社かによって、出される食事も違ってくるから、美味しいかどうかは別として、それもそれで楽しみにしているのだ。そんな私でも、具合が悪いときなど、いざというときは、やっぱり「日本の味」なのかなぁと思う。外国の料理の匂いは鼻についても、日本の醤油の匂いは、落ち着いたりする。そう思うと、醤油の匂いも味も、もうすっかり、DNAに組み込まれているのかもしれない。そんなわけで、醤油味の柿の種やごませんべいは、リストからはずせない。更には、お腹の調子が悪いとき、風邪を引きかけたとき、二日酔いのとき、ホッとひと息つきたいときなど、異国の地では、梅干しと煎茶が役立ってくれるので、これも必ず持って行く。別に使わなければ、それはそれでいいのだ。実際はそのほうがいいのだろうし。私にとって、旅に際しての「日本の味」は、「味の素」ならぬ、旅の「安心の素」。そんな安心の素を、最近のヒトッティーも高く評価しているようで。ヒトッティーも、食には好奇心旺盛で、海外に行けば、そちらの料理を堪能し、すばやく順応する性分だ。だから、初めのころは、一緒に旅行しても、私が持参した日本の味に見向きもしなかった。が、ここ数年は、ほっとする味に助けられることも多いみたいで、持って行かなかった時は、後で「しまった!」と思うことも時折あるようだ。そんなわけで、私が用意した日本の味は、旅支度もギリギリまでままならない、忙しい彼にとっては、サプライズな嬉しい餞別となったようだ。まあ、彼にとってみれば、柿の種も塩せんべいも、機内での、酒のつまみになりかねないのだけど。笑にぎりめしは、酒で酔って寝過ごして、機内食を食べ損ねたときや、機内食が口に合わなかったときにでも、食べてもらえればいいかな、と。まあ、何はともあれ、楽しい旅を♪おっと!もとい、充実した出張を♪いかんいかん。遊びじゃなくて仕事だったんだっけ、ヒトッティー。苦笑
January 8, 2008
七草の日。今日からお仕事再開です。まずは、サロンの掃除から。気持ちも新たに、お掃除お掃除。そして、サロンのあちこちで、一緒に手伝ってくれている石たちも、数が多いので、小分けにしながら浄化していきます。ところで、今日は1月7日。七草の日。すでに七草は用意しておいたので、今夜は七草粥です。昨夜のヒトッティーの状態から見て、今日はもしかしたら二日酔いかな?と思ったら、やはり、会社にいる間中、あまり体調がよくなかったようで。そんなヒトッティーにも、七草粥は優しい食事となったようです。実はヒトッティー、明日からヨーロッパへ出張なのです。だから、出来れば今夜のうちに、体もお腹も休めておきたいところ。そんなわけで、今夜の食事は、たんぱく質は抜きにしました。お肉やお魚は抜きで、お粥と野菜ときのこだけ。唯一のたんぱく質は、おかゆに入れた溶き卵。正月中は、美味しい魚に高価なお肉を、ホント沢山食べたことだし、ここらで、お腹も少しリセットしてあげないと、ね。「七草の日」は、体のリセットにはいいチャンスみたい
January 7, 2008
顔合わせ。本来は明日が仕事始めのヒトッティーと私。が、訳あって、ヒトッティーは今日から出社。ヒトッティーの会社は、今日が仕事始めで、新年の顔合わせ会。そんなヒトッティー。夜も更けてきたさきほど、帰宅した。新年会のため、遅くなるとは聞いていた。が、帰ってきたヒトッティーの様子がおかしい。消え入りそうな小さな声で「ただいま。」とひと言。あらら。この声の様子だと、だいぶ飲んできたな。飲んだはいいけど、飲まれちゃった?私の感は、バッチリ的中。さすが、妻の感! 笑スーツを着替えるのもそこそこに、トイレに駆け込むヒトッティー。少し時間を置いて、お水を持って、トイレに向かった。しばらくの間、背中をさすったあと、こういうときは、そっとしておいて欲しいだろうと思い、お水の入ったグラスを横に置いて、その場を去った。トイレから出てきたヒトッティー。まるで幽霊のように、青ざめた顔でボーっとしている。自分の部屋のベッドまでたどり着けず、ソファに倒れこんだ。この分じゃ、今夜の彼の寝床はここだな。そう踏んだ私は、着替えを手伝い、枕を整え、寒そうにしているヒトッティーに、毛布をかけた。というわけで、今この日記を書いている後ろで、彼は倒れこんで寝ています。笑それにしても。新年早々、ご苦労様です。どんな仕事であっても、仕事のお付き合いというのは、わかっていても大変ですな。こんな状態の彼を見て言うのもなんだけど、なんだか彼の、今年の仕事に対する意気込みが感じられます。。。明日にはお酒抜けるといいね。
January 6, 2008
筆まめな日。昨夜のうちに逗子のアパートを出て、東京に戻ってきた。しかし、自宅へは帰らず、都内のレストランで食事をして、その後、カラオケをしに行き、某ホテルに宿泊。ほんと、気の向くままの小旅行だ。やりたいことを、思いつくままにやっている、といった感じ。そんな風にしていても、タイミングよく営業していたり、空室があったりするから、なんともスムーズで無理がない。だからなのか、「突然」といった感覚があまりない。これって、なんともラッキーなこと♪こんな日も、時には楽しいね。今日になって、午前中、ホテルをチェックアウトした後は、特に寄り道もせず、まっすぐ自宅へ帰ってきた。まっすぐ帰ってきてはみたものの、特にやることがあるとか、予定があるとかそういうことはなく。。。とはいえ、すっかり癒され、正月気分も続く中、さすがに洗濯や家事をする気にはなれない。理不尽ではあるのだけど、なんだか、ちょっとばかり手持ち無沙汰な気分になり、エントランスまで、ポストの中を覗きに行った。思った以上に、既に結構な枚数の年賀状が届いていた。元旦に届いた年賀状も加えると、ヒトッティーにも私にも、すでに40枚近い年賀状が届いている。ヒトッティーの場合は、会社宛のものも加えれば、相当の年賀状が届いていることだろう。私の場合でもメールの数を加えれば、結構な数となる。私もヒトッティーも、この数年、年賀状を出してはいない。にもかかわらず、こうして送ってくださるのは、なんともありがたいことだ。昨年までは、送ってくださった方に、返信することも少ないまま、正月を過ごしてきた。ということは、今年送ってくださった皆さんは、返信を期待せずに、送ってくださった方ばかりということになる。そう思うと、更にありがたさは増してきて、今年はどうしても返事を書きたくなった。逗子に滞在している間に、元旦に届いた分は返信の賀状を出したので、留守中に届いた年賀状のお返事を、これから書くことにした。お年玉付きの年賀状を、一枚も購入していない我が家なので、代わりにお気に入りの中から、ポストカードを選び、それでお返事を書く。おひとりおひとりの賀状を読み返しながら、なんだか嬉しくて、ひとり口元がほころんだ状態で、筆を走らせる。たぶん届くのは、お正月を過ぎてから。それでも、一年の初めの、抱負新たな、新鮮な気持ちを送りたい。皆さん、今年も繋がってくださって、ありがとうございます
January 5, 2008
水平線。昼食のあと、ヒトッティーはお昼寝。私は、読みかけの本に没頭。昼寝から目が覚めたヒトッティーと一緒に、アパートの大家さんのところへ、年始のご挨拶に伺った。といっても、賃借者ではない私は、後ろで待っていただけなのだが。その後、駅のほうまで買い物へ。帰ってきて、また読書にふけっていたら、部屋の中がだんだん暗くなってきた。ふと、窓のほうに視線をやると、ちょうど夕日が水平線に沈んでいく最中。 あれよあれよという間に、赤々と輝く太陽は沈んでいく。ほんの、ものの数分、あっという間の出来事に、なんだか、儚ささえ感じてしまう。でも、自然の出来事や物事というのは、そんなものなのかもしれない。生き通しの魂から見たら、そして、宇宙全体から見たら、どんなことであれ、あっという間の出来事。一瞬の、ほんの瞬間の出来事。だからこそ、それを見ることができたこと、見逃さずにいられたこと、そこに立ち合せてもらえたこと、どんなことでさえ、全部が全部、タイミングで、全部が全部、繋がっていて、全部が全部、ありがたい。一期一会の美しい夕焼け。このタイミングに、ここにいること。。。ありがとう
January 4, 2008
気ままな朝。目が覚めてから、趣くままに読書をしたり、音楽を聴いたりしていると、ヒトッティーが、食事前に散歩に行こうと誘ってくれた。待ってましたとばかり、さっと着替えて、浜辺まで。浜辺は目の前。歩いていっても、1分とかからない。今日もとてもいいお天気。海がよく見渡せる。小さなトンネルをくぐると、そこに広がっているのは、空と海。浜辺の端から端まで、ヒトッティーと並んで歩いた。波打ち際を歩いていると、海風が、潮の香りを運んでくる。お天気もいいので、入り江の近くや沖のほうでは、ウィンドサーフフィンを楽しんでいる人が多い。浜辺では、インストラクターが、初めての人に乗り方を教えていたり。しばらく歩いていくと、今度は親子で凧揚げをしていた。確かにここならば、風もあるし、電線も気にせずに済む。今年はどういうわけか、凧揚げをよく見かける。なんともほのぼのした光景で、嬉しい。浜辺のはずれのほうまで行くと、海岸の入り口に、石原裕次郎の記念碑が立っていた。私の時代ではないが、映画は観たことがある。「太陽族」今、太陽の下で、海風を感じる私たちは、すっかり「太陽族」だな
January 4, 2008
夫婦の正月。夕方に自宅を出発したので、逗子に着いたのは、夜だった。昨年の12月は何かと忙しくて、こちらに訪れることがなかったから、ちょっと久しぶり。1ヶ月以上経っている。部屋に入ってすぐに気づいた。コタツだ!前回訪れた時までは、コタツではなくテーブルと椅子だったので、部屋の雰囲気が全然違って見えた。まさに「日本の冬バージョン」。その上、我が家にはコタツがなく、またコタツに合う和室もないので、よそ様の御宅へ行く機会でもないと、味わえないコタツ。そんなこともあって、このバージョンが余計嬉しかった。部屋を暖めて、荷解きをすると、ちょうど夕飯の時間帯。自宅から持参した食材で、簡単に料理を作った。滞在しているアパートは、小奇麗ではあるが、自宅のように何でも揃っているわけではない。キッチンも、それなりに使いやすいものの、広いわけではない。増して、私はヒトッティー以上に、何がどこにあるのかってことを知らない。そんなわけで、ヒトッティーと共同で、ストックしてある食材と、置いてある調理器具を上手く工夫・利用して、簡単な酒のあてを作った。盛り付け係はヒトッティー。グラスや箸や酒を用意するのもヒトッティー。私はちゃっちゃと酒の肴を作っていく。ふと、こんな風に二人で料理をするのは、初めてかもしれない。。。と思った。自宅にいれば、基本的にヒトッティーは、旦那様。意外に亭主関白だったりする。もちろん、頼めば、やれることはやってくれるが、基本的に、主婦の仕事に手を出してくることはない。そんなヒトッティーでも、ここにくれば、率先してやる。というより、やらなければ、事が進まない。この部屋に関しては、ヒトッティーのほうが詳しいし、ある意味、私はお客様だから。そんなわけで、初めての共同作業。それも料理に関しては。なんだか新婚さんみたいなこと言ってるけど、実際は、すでに結婚して10年近く経った夫婦のこと。そんな夫婦でも、初めてのことって多かったりする。というわけで、今夜の食事作りは、実に新鮮な気分だった。料理も大方終わり、〆のお雑煮の準備を終わらせたところで、早速、作った肴を前に、日本酒で乾杯。コタツに入って、ヒトッティーの好きな「古代ローマ」番組を見たり、DVDで映画鑑賞をしたり、のんびり気ままに、遅くまで二人で晩酌を続けた。なんだか、やっと夫婦の正月が訪れたような、静かにメデタイ、正月気分
January 3, 2008
のんびり。これから、逗子に遊びに行ってきます♪逗子で一泊、気が向いたら、違うところでも一泊してくる予定です。いいお天気だったら、正月早々の、海の写真を撮ってきたいと思います。帰ってきたら、ブログにも掲載する予定ですので、お土産として、皆さんに、ちょっぴりお裾分け♪お楽しみに♪
January 3, 2008
歩こう。ちょっとした思い付きで、今日伺うことになっていた、私の実家への年始のご挨拶は、歩いていくことにした。もともと車で15分くらいのところにある、実家。歩いていっても、1時間ほどで行ける。年末からかけて、食べまくりの毎日、飲んだくれの日々を過ごしている、私たち夫婦。更には、テレビの正月番組にも飽きていたし、ここのところ、体も動かしていなかったので、動かしたくてうずうずしていた私たちにとっては、グッドタイミングなチャンス。さっそく身軽な格好に着替えて、ウォーキング。といっても、ほとんどお散歩。笑まずは、自宅のある氏神様へ、日ごろのお礼と新年のご挨拶へ伺った。地元の小さな神社なので人出は少なく、静まった境内は、ピンと張ったような、澄んだ空気が気持ちいい。私たちが初詣に行ったときは、年配の女性が、お孫さんだと思われる小さな女の子と、のんびり日向ぼっこをしていた。詣でが済んだところで、実家へ向かう。いいお天気で、風はちょっと強かったけど、お日様の陽射しが気持ちいい。途中、大きな橋を渡っていると、子供たちが凧揚げをしていた。凧揚げを見かけるのは、久しぶりだ。『わぁ、凧揚げ、懐かしいな~♪』思わず写メに収めようと取り出したものの、橋の上からはかなり距離が。その上、凧は風になびいて、あっちこっちと動き回るので、結局写メは断念。代わりに大きな川のゆっくりと流れる姿をパチリ。のんびり一時間余りのお散歩の末、実家に到着。いい感じでお腹も空いてきて、美味しくお雑煮をご馳走になった。その後、両親とテレビを見て過ごし、夕飯の鍋料理までご馳走になって、夜もふけてきた頃、またのんびり夜のお散歩をしながら、帰ってきた。昼と夜では、同じコースも違う顔をしていて、夜のお散歩も、なかなか新鮮♪昼間よりも寒くなってきたので、途中から、お互い言葉にするわけでもなく、ヒトッティーと手を繋いで歩いた。いつも目にしている町なのに、雑踏を忘れた静かな町並み。今年初のお散歩、よかったです
January 2, 2008
年始のご挨拶。元旦。夕方から、ヒトッティーの実家へ年始のご挨拶に伺った。ヒトッティーのリクエストで、すき焼きを用意してくれていた。我が家ではなかなか買うことのない、いいお肉を頼んでおいてくれたので、普段は野菜中心の食生活をしている私たち夫婦も、この日は、しっかりお肉を堪能♪う~ん、やっぱりいい肉は、美味い!肉から出る甘みで、すき焼きが一層美味しくなる。食事も済んだ頃、家族に誕生日を迎える人がいたので、手土産で持っていったケーキを食べながら、久々に集まる家族で、団欒のひととき。その後、義母と嫁たちは、オシャレや買い物などなど、オンナの話題で盛り上がり、男たちは、それぞれに酒を飲んだり、テレビでスポーツ観戦をしたり、ヒトッティーは、甥っ子たちとゲームで熱くなっていた。ゲームで勝った戦利金とともに、甥っ子たちにお年玉をあげる私たち。そして私たちにお年玉をくれる義両親。家族3世代が一同に集まる、正月のひととき。いい時間です
January 1, 2008
あけおめ♪あけましておめでとうございます2008年の幕開けです。といいながら、つい2008を2007とタイピングしちゃいそうになる、ティエラです昨夜から実家で年越しを迎えました。飲んで食べて、みんなで盛り上がって、毎年の事ながら、楽しい年越しでした♪年越し蕎麦を食べはじめたのは、23時40分ごろから。年を越すほんの直前に食べ終わり、急ぎその場で10分ほど「光の祈り」をしました。今までワイのワイのと騒いでいた私が、急に静かになり、声を出してもせいぜい相槌を打つ程度。そんな私の状態に、すかさずヒトッティーが気づいて、どうしたの?と声をかけてきました。小声で、「お祈りしてるの。」というと、彼は皆まで言うなといわんばかりに、軽く頷いて、急遽ヒトッティーも祈りに参加。ヒトッティーは一体何を祈ったのでしょう。後で聞いたら、何も考えず、何も思っていなかったそうです。ただ空っぽの頭の上に、「全部が上手くいくビジョンがただ観えていただけ。」だったそうです。うふふ♪こういうのもステキで楽しいね当の私はというと、始めた直後から、ふわっと柔らかくて、ほんわか温かいエネルギーが、はじめは足元から広がって、しだいに全身が包まれていきました。そんな温かさに包まれた途端、私のすぐそばで、というか、すぐそばなのに、広がるように奥行きがあって、どこまでかわからないようなその空間が、しばらくの間、淡く光っていました。しばらくぼーっとそれを感じていると、とってもいい気分になってきました。そんな状態の中、感じ続けていると、ふと、意味もなく、「大丈夫。」という、声?思い?そんな感覚がありました。祈りは10分程度でしたけれど、終わった後もずっと、温かくて、なんだかとっても優しい気持ちになれました。宗教的でなく、神にすがったりするわけでもなく、自分ではどうにもならないことを、手放したり、天に委ねたり、そんな「人事を尽くして天命を待つ」的な、そんな祈りって、いいな♪と思います。2008年の幕開けに、ステキなイベントに参加できて、よかった。終わった後は、またまた宴会に参入。あんなに食べたのに、あんなに飲んだのに、あんなに騒いだのに、またもや盛り上がってしまいました。笑いやぁ~、お祭りのような正月の再来です。こんなお祭り騒ぎのお正月、結構、いえいえ、かなり好きですさてさて。昔と変わらぬお付き合いをしてくださっている皆様、共に磨きあい、共に変化を楽しんでくださる皆様、一緒に遊んでくださる皆様、そして、これから出会う皆様、本年もどうぞよろしくお願い致します。皆様の人生において、輝きを放つ素晴らしい一年となりますように。ティエラ2008年 元旦
January 1, 2008
今年の締めくくり。2007年ももうすぐ終わり。あと数時間後には、年越し&年明けを迎えるにあたって。。。今年も怒涛のごとく大きな波がやってきました。大きく変化することも、沢山の展開もありました。出会いと別れ、手に入れたもの、手放したもの、そんな中で、確実に進んでいるという実感。夫婦、親子、友人。。。様々な人との交流を、心から味わい、楽しむ喜び。エキサイティングでサプライズ、そして、計画的で着実な、本当に素晴らしい年となりました。今、心から全ての存在へ感謝しています。皆さん、今年一年、楽しく味わい深い交流を、ありがとうございました。心からの愛と感謝を込めて、どうぞ皆様の来年が、いえいえ、ずっと続く未来、そして今が、キラキラと輝く素晴らしいものとなりますように。。。よいお年をお迎え下さいティエラP.S.さてさて、これから実家へ出かけてきます。家族や友人と共に、賑やかな年越しです。でも、カウントダウンが近くなった頃、私を含めた全ての人たちが、万事いちばんいい方向へ向かえるようにと、少しだけお祈りしたいと思います。宇宙と、あるいは、みんなと繋がるといってもいいかもしれません。これは、ステキな先輩ヒーラーのhijiringさんの提案です。参加をご希望されるかたは、こちらをどうぞ♪hijiringさんの日記「年越しの祈り♪」
December 31, 2007
今年最後の。。。お掃除も、お正月の飾りつけも、おおかた終わったところで、もう夕方になっていた。夜は、寿司を出前してもらって、味噌汁と簡単な惣菜を作って、ヒトッティーと熱燗で晩酌。今までは、慌しさが師走を感じさせてくれたが、こうして、やることを終えた安堵感や、夫婦でゆっくりする時間を持てるようになって、また違う意味で、年の瀬を感じることが出来る。夕食が終わって、しばらくした頃。ヒトッティーが、「背中さすって。」と言ってきた。これは、マッサージして。という意味。もっというと、ヒーリングして。ということ。で、今年最後のヒーリングをした。そっと触れているだけの、ハートのヒーリング。それだけで、彼の体のコリは消えていった。「ヒーリングが変わったね。」と、ヒトッティー。エネルギーが以前にも増して柔らかく、そして温かくハートに響いてくると言う。ヒトッティー、さすがわが夫。彼もまたヒーラーで、そしてかなりのサイキッカーだったことを、改めて思い出した。ヒーリングをさせてもらっている私も、ハートが温かくなっていく。ハートから繋がって全身が温かく、大きく広がっていく。今年最後のヒーリングは、夫にさせてもらう。そして、夫もまたヒーラー。だから、私もしてもらう。どちらも癒して、どちらも癒されて。年の瀬に、夫婦で今年最後のヒーリング。ふんわりと、幸せが広がります。。。
December 30, 2007
仕事納め。今日でヒトッティーも、2007年の仕事納め。私は、一日早く仕事納めとなっていたので、夕食のとき、改めて二人でお疲れ様の乾杯をした。お互いに、今年を静かに振り返り、お互いに、精一杯やってきたことを労った。私のほうに向き直り、ヒトッティー、まじめな顔して、「今年も無事、仕事納めとなりました。これも、ティエラの応援のおかげです。ありがとう。」と、あらたまったことを言う。夫婦の間でも、大切な場面では、ちゃんと労い、感謝の言葉をくれる夫。ありがたいことです。続いて私も、彼に感謝の気持ちを告げた。毎年、この時期になると、いい年だったと思うけど、2007年、今年はまた更にいい年でした。幸せな生活、幸せな人生を送っています。ありがとう
December 29, 2007
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