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子供と遊んでいたが、自分のカードがないとさっぱり面白くない。で、自分用にカードを買って、遊んだら結構面白い。レアカード情報をネットで検索したりして、すっかりはまりそうな予感。いかんなあ・・・・楽しいなあ・・・
2005.03.25
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文字通り立ち読み。2時間だとさすがに腰が痛くて痛くて・・・写真満載の北朝鮮の本を。なんともはや、目が離せなかった。つい1冊読みきってしまった・・・さらにエドモンド・デュラックやアーサー・ラッカムの載った妖精画の本を1500円で思わず購入。さらにさらに金色のガッシュ18巻をも追加読破!!!いやあ、帰りの電車はさすがにグッタリでした。絵の中の散歩”を読了。読み終えるのが惜しい気がする本だった。いい本に又出会えた。幸せだなあ。
2005.03.09
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最近まんだらけ名古屋店で、石森章太郎・竜神沼サンコミックスs43年刊、を購入。故藤子・F・不二雄が舌を巻いたという石ノ森の読書量や博識、そしてなによりマンガへの情熱が伝わってくる傑作だ。響鬼。鬼というと、個人的に印象深いのは、永井豪”手天童子”だが、華麗かつ生命力にあふれた永井作品に対し、石ノ森テイストでの鬼は、もう少し翳りを帯びたものとなったはずだ。だが、紙面から感じるある種の絶望とは違い、TVを通した石ノ森は、逆に解き放たれたような自由がある。レッドビッキーズ。キョーダイン。ちゅうかなぱいぱい。ロボコン。そのころの石森マンガは、正直コドモだった僕には、ちょっと大人向けかな、という思いがあった。読めるんだが、ものすごい思い入れはちょっともてない、という。だが、TVというフィルターを通して見えてくる石森ワールドは、コドモwelcomeの世界だった。響鬼。おやっさん役を立花、今日出てきた名前で本郷、なんてかんじなので、初代ライダーの世界とのつながりも構築しようということだろう。2人目のライダー(これはすでに”竜巻”なるバイク(というか変身前の機体)も出てきたし)も出て、これからの展開がなかなか楽しくなってきた。主人公の細川氏、ノンノボーイフレンド出身の芸能界10年目、岐阜出身、ということだが、最近TVに疎い僕は初めて知ったタレントだ。イメージとしては、俳優座や文学座出身という感じだった(演技うまい)ので、ちょっと意外。明日夢君もなかなか演技がうまい。というか彼の演技が本作のキイを握るわけでもあるし、下手な役者(子役?)はつれてこれないもんな。神戸みゆきも、この時間ロボコンでゲスト出演したときがなつかしいところだ。クウガの前だから久しぶり。ロビンちゃんもファムで出たし、手塚のオールスターシステムならぬ、石ノ森特撮オールスターシステムといったところか。特撮好きはこんなことが愉しめるんですよね。
2005.03.06
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池田晶子”フィジカル・パンチ”(文春文庫・570円)より。”黙って感じながら生きてゆくこと、その重みに耐え切れなくなったそのときにこそ、私たちは芸術というあれらの表現をもつに至るのではないでしょうか。その限り、哲学もまた芸術の一様式であるといえましょう”いま僕が感じていることにすごく近い考え方なので驚いた。池田晶子といえば、僕にとってはメーテルだな、と思っていたが、こうして孫引きしてみて字が”昌子”ではなく”晶子”であることに気がついた。朝日新聞3月6日付け”早川義夫さんのポケットから”より。もうひとつ同じところから引用。”芸術は色気でしょ””前衛的って、ちょっと田舎臭いですよね”瀬戸内寂聴・山田詠美”小説家の内緒話”(中公文庫・500円)より。このあたりも、僕が感じている本音の部分にかなり近いささやきだ。早川さんの慧眼、ただものではないものを感じる。
2005.03.06
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インフルエンザ、風邪が蔓延している。会社でも毎日2-3人がダウンしている。で、僕は花粉症でもあり、かつ外は寒い。そんなこんなで、マスクをした。使い捨てタイプのあごまで覆うやつだ。確かにあんまりかっこよくないが、やってるとなんだか安心する。この前、自転車にマスクをして乗ったら、非常に口の周りが暖かかった。というか暑かった。いや、冬はこれやな、というのが実感だった。で、英会話にいったが、彼いわく、アメリカではよっぽどのことがなとマスクなんてやらない、ということだった。どうもマスクをするのがcoolではないという感じだった。・・・・・・外国人のこの感覚は、多分彼らが電車の中で寝ない、というのとつながっている気がする。日本人の公共空間感覚と外国人のそれとは間違いなく違うと思う。文化的・社会的・人種的な差だと思う。どちらがいい、というものではないが、特に彼らが日本に来たときは、違和感を抱くはずだ。電車での化粧、地べたへのすわり、これは無意識に既存の公共空間感覚をくずした上での作業で、旧来の感覚を持った層から、既存の感覚を脅かすものとして反発を受ける。ごく自然に。これは自分が守っている公共感覚を新しい世代が守ってくれないので、不快なのだ。自分が軽んじられているような気もするだろう。日本におけるこの対立と、同じ構図がこのマスクであったり、電車での居眠りだと思う。日本人で電車で寝るのはイカン、という人は少ないだろう。通勤時間等、条件は違うにしても、それは座るところがないから地べたに座っとけ、という感覚とまったく根っこはいっしょだ。通勤時間長いから、つかれるから寝とけ。座るところないから、つかれるから座っとけ。そういう意味では、自分が不快だから、という文脈で、車中化粧や座り込みを、批判する意見は、よんでいてもピンとこない。こうするのが当たり前なんだよ、と意見するのはいいが、なぜ当たり前なのか、それがあたりまえだと思っていないからやっていない人間に伝えたくても、伝わらないよね?なんというか、グチのレベルという気がする。夢と希望と、社会への決まった流れがある高校生活ならともかく、先行き不透明で、前の世代の作った社会に、基本的に絶望してたり、期待してなかったり。そんな人間に本気で意見したかったら、自尊心だったり、プライドだったり、自分が自分をどうみているのか、自分を大事に思っているのか、という生き方の問題で議論しないとダメなんじゃないか。そんなふうに思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・個人的には、同じ座り込むにしても、かっこいいへたれこみ方だってありうると思う。渋い雑誌などを無造作に読んでみたり・・すわってようが、立ってようがこれが自分流だぜ、みたいな雰囲気が出せたら最高だな、と思う。はは、ハードボイルドおたく、入ってました??まあでも、スーツではちょっとしんどいですね。やっぱカジュアルウェアでないと、スーツ姿でへたりこんでいたら、朝から酔っ払ったオッサン、てな感じになってしまうでしょうな。。。ぴったりだったりして。
2005.03.05
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”賀の祝い”なる言葉があるという。昔は40歳からはじめ、10年を節目に祝った長寿の祝いだという。源氏物語で、光源氏は面倒でこの祝いを辞退したそうだが、40歳の賀を”初老”といったという。(読売新聞”編集手帳”より。)芥川作家でもある臨済宗住職、玄侑宗久氏の新書、”禅的生活”を読んだ。(2003年12月10日発行、ちくま新書、720円)もちろんbook offにて250円で購入したものだ。知足、ということばがある。足るを知る、というと、今までは戦争時代や飢餓国のことを思えば、食事を残すのはけしからん、とかいった文脈で僕の周りで語られてきて、いやあ、そりゃあそうなんですけどね、別にそのことを軽んじたり、馬鹿にしてるわけじゃありませんよ、だけどちょっとそぐわないというか、反発を感じるというか、なんだかそう聞いても”そうだなあ、すまないことをしたなあ、ごめんなさい”とはなかなか素直にいえませんよ?それはあなたの考え方のある意味おしつけでしょ、といったことを感じてきた。いまは子供に対して逆にそんなことをいう立場になって、いや、そういってみると確かにある一定の効果があるわけなんだが、でもちょっとそれはなんだか心の深いところでカッチリとい説得力のある説明として理解できていず、なんだか魚の小骨のような感じで引っかかっていた。たとえば、食事の時は感謝せい、といわれたら、そりゃ感謝はしますよ、だけど感謝のタイミングとやりかたは、自分で選びたいわな、みたいな思いばかり出てきて、なんだか形だけやったふり、という感じだったことも思い出す。しかし、知足にしても、感謝にしても、自分が地に足をつけて生きる、精神安定のためのテクニックなのかもしれない、(それは本書では”方便”といういいかたで説明されているが)と最近思うようになってきた。足るを知る、というのは、知らないと贅沢だ、とか、今の人間はイカンとか、そういう部分ではなくて、知っていたら気持ちが楽で、今の自分や今時分のやっていることを自ら肯定的に見れる、精神安定のためのある意味薬的なテクニックではないか、と考えている。自分の今やっている仕事。望んでやっているのか、楽しいのか、ほかに自分の天職がもっとあるのではないか、とか、今の時代、生きるための現実との折り合いはつけなきゃね、という思いをいろいろ考えてきた。でも、どれも自分の”今”を積極的に100%認める考え方ではない。それが自分でもわかっているから、なんだか今の自分がいいのかな、という思いが、心のそこに0.1mg位あるわけで、それがいつのまにか、大きくなって、元気がなくなっていたりする自分がいる。そこで、方便としての知足があるんではないか。今こうして、パソコンを打っている私。これがしたくて今までやってきたんだ、これをやるための私なんだ。・・・ちょっと大げさで、わざとらしいのはわかっているんですが、こう考えてみると、すこし今の自分が肯定できる気がしてくるのである。これが、テクニックとしての方便だと理解した。禅者は長生きの人が多いという。今、この年になりたかったんだ、ずっとそう思ってきたんだ最高だなあ!!!!そう思って生きている人間が長生きしないはずがない、と玄侑師は言う。・・・・そのとおり、だよなあ。。明日40歳を迎えて、なんだか初老なんてことばを見つけて、もうあかんわ、なんていう気持ち大だったんだが、そんな気持ちになっても、それとも能天気にいやあ、この年になりたかったのよ!!なんていってても、年はおんなじようにとるよね。なら、後者がいいじゃん。昔と比べて、筋力は落ちたかもしれないけど、体がシンプルに整理されたような気もしている。腰は痛いが、だったらよけいに腹筋・背筋をきっちりきたえて、もっと年をとったときの貯金にすればいい。自分の体は自分でつくりあげなくては。体と、そして考え方、生き方、みたいなところも。・・・・・そんなことを考えている、3月5日39歳最後の日である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2005.03.05
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今日は会社で健康度チェック。もともと高血圧気味だが、今日は人生で多分最低の血圧が出てちょっとご機嫌。125(上)75(下)、脈拍54(少ない?)。体脂肪率15.6%にup。2004年9月に。13.3%だったので、冬の間に急上昇。最近妙に空腹なんだよな。体重は68.55kgだったかな。2キロくらい落としたいところだ。ちょっと腰が痛いし・・・。まんが道6巻を読む。
2005.03.03
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洲之内徹”絵の中の散歩”新潮文庫 を読んでいる。もともと白洲正子関係から小林秀雄が”もう洲之内しか読まない”とか云ったという(正確な記憶ではないが)部分を読んで、どんな人なのか、と興味を持っていたが、なかなかその著作に出会えなかった。日曜日にBOOK OFFで出会って購入した。奇麗な、本だった。350円と、通常100円(いや、今は105円か)野郎である私には、若干高く感じられる値だが、今までのBOOK OFF通いでもめったに出会わなかったこともあり、購入した。読み始めて、いきなり衝撃を受けた。単なる絵画紹介の本かとおもって軽い気持ちで読み始めたが、洲之内氏の三男がバイクで事故って亡くなったことが書いてある。なんとも思いきれない想いが伝わる。座椅子に座って読んでいると、目の前には子供部屋に座ってドラえもんを読みまくっている長男と次男が見える。この子達がそうなったら・・・僕が大学生の時、仙台でバイクに乗っていた。神戸に帰省し、又帰るときに、妙に両親が心配して、見送ってくれたことを思い出した。心配だったんだなあ。その心配をなんとか隠して、隠しきれず、見送ってくれたんだなあ。子供を持って、初めて分かる、とはこのことか。単純な僕は、バイクはやめとけ、と云いたくなった。まだ次男は小学校1年だが。読み進めて、その魅力にはまっていくのを感じる。とにかく正直だ。子供のことが一番始めに書いてあったこともあり、バーのママ(文中ではマダム)と倉敷で逢引した、などということが書いてあると、こんなこと書いて家族は大丈夫か、などと心配になってくる。隠したいことを敢えて書いた、というより、なんとなく自然でありながら、且つ自分の書くことへの責任感、みたいなものが勝っているから、本当のことを書くんだ、といったような凄みがある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー家内がインフルエンザだ。土曜から調子が悪く、日曜は戻ったが昨日は又39度の熱がでた。内の子供は二人とも食事の時間がすこぶるかかる。放っておくと、2-3時間かかってしまう。なので朝は怒鳴りまくって、8時の集団登校集合に必死で送り出している。今日は家内がダウンで、僕の怒鳴り。迫力なし。結局8時7分に家を出た。長男がマスクを忘れたので届けようと追いかけたが、既に出発した集団に追いつこうと、2人で駆けていく後ろ姿が遠くに見えただけで、あきらめざるを得なかった。二人で並んで駆けて行く後姿が妙に目に焼きついた。こんなこと云っていると、又家内から何を悠長なことを言って、と怒られるだろう。兎に角間に合うように行かせるのが、僕の役目なのに、と。僕もそう思う。でもなあ、性分なんすよね・・・・・。しかし、長男カゼひいたらやばいなあ・・・・
2005.03.01
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