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約半年振りの東京本社出張。僕が東京本社勤めしていた10年前は、丸の内にあったが、今は品川。いずれにしても、でかいビル街の中にある。12時前につくように、名古屋を出る。昼ご飯は東京だと高そうなので、乗る前におにぎりでも、と思うが、時間がなく、結局2個199円のおにぎりセットのみ買って、列車に乗り込んだ。4月から課長級(課長ではない)になって、なにが悲しいかというと、給料がぜんぜん変わらないこと。で、小遣いも当然付き3万円をキープ。しかし、飲み会等では平均3000円が平均5000円にUP,さらに気を使って2次会、3次会と行っていると、すぐに1万5000円から2万円が飛んで行く。これでは、BOOK OFFへ行って、105円の文庫や漫画を探す楽しみさえ、ままならない。1ヶ月に1-2体出ることもある、バンダイソフビを買う金を工面するのも必死である。子供とのコミュニケーションに、と始めた遊戯王カードを買うのも月に1回程度、さらに日々のガムやフリスクもなかなか買えない、と、金欠感覚100%で日々過ごさざるを得ない。けっこうストレスだ。従って、4月からまともにモノを買っていない。というか、買いにいけない。心のどこかに、まあ、日々仕事があって、働けるだけでもシアワセやないか、贅沢いうな、という気持ちもあったりして、この状態をどう愉しむのか、といのが目下のテーマである。残業用に皆がパンを買っているのもひたすら無視、就業中のコーヒーはもちろん家からインスタントを持参、フリスクやガムもひたすら自制(朝晩1ことか)、そんなことをやっていると、気持ちがちょっとマゾ感覚になって、こんなジブンがあわれなさけない、となんだかすこしオモロイ気分になってきた。もうちょっとだ。朝昼版、食事がとれて、運動もできて、なにが不足なのか、と自分をいましめつつ、ひたすらシアワセだなあ、と日がなつぶやいていると、意味なく気分が収まってくる。これやな。この気持ちをキープできれば、この状態がフツーとなり、それで、この状態を楽しめる境地になり、対策も自然に出てくる、と思われる。(・・・て、ヒトゴトのようだな?)すこし出てきた。ホンは図書館で借りる。BOOK OFFは新たな安いターゲットを見つける。東京出張から外れてきたが、このまま思いつくままに書かせていただく。まあ、結局僕は贅沢モンのわがまま人間なのである。いろんなモノが実は欲しい。でも情報を持っていると、実物を持っていなくともなんだか半分は満足、という状態になる。カタログをどんどんもらうことにした。オッサン向けファッション誌を借りてみた。カタログで昨日届いたのは、パネライ。イタリアの時計メーカだ。結構芸能人が”コレ次に買いたいんだよね”などとフランク・ミュラーを腕にはめつつ嘯いたりする、日本ではちょっといやらしい位置付けにいる時計だが、とにかくさすがイタリアンデザイン。44MMのデカ時計だが、文字盤のデザインはとにかくシンプル。SPECはあくまでHEAVY.ということで、カタログを見て、鑑賞するだけで、結構楽しい。値段も40万円以上なので、いつか買えたらいいなあ、と夢想するのはピッタリだ。カタログデザインは、ドイツのモンブランと似た感じで、型押しの紙を贅沢に使い、糸綴じという作りで、本のような感じ。前に自分でカタログを作っていた経験があるので、この紙質で、このつくりだと、1冊500円位はコストかかっとるんちゃうか、という感じだ。雑誌はBRIOを借りてみた。いやー、オッサン臭くていやらしい雑誌だ。結構気に入った。ファッション雑誌が好きで、高校卒業時はよく流行通信を買っていた。小物やライフスタイルなんか、フーンと思って読むのがけっこう楽しい。医者や編集長、会計士みたいな、独立しましたで、的なオッサンが、自分の持ち物を披露。で、なんだか面白いものを持っていると、これがくやしいんである。まあ、ワインだ、ゴルフだ、パーティだ、という世界はあんまり興味ないが、オモシロ小物はちょっとくやしい。あ、今日は町内コドモ界、もとい会で、7時半からソフトボールの審判やれといわれている。この僕がソフトでっせ!!高校時代ソフトボール投げ最低記録の男が!?と自分につっこみつつ、時間切れ、いってきます。
2005.07.17
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単純な僕は、古本のホンを読むと本屋を覗きたくなった。まんだらけへ行った。収穫物なし。というか、失望。せっかく一冊一冊そろえたパワーコミックス版銀河鉄道999全18巻が、揃いで約1700円也で売っていた。1冊100円以下やん・・・・。がっかりしている僕の横では、50万円のマンガ古本なら考えようか、などと店員と景気のいい話をするオッサンが・・・。自慢すんなよ!こちとら今月の小遣いもう5000円か3000円か、そのヘンしかないんやぞ!!まあ、こうしたヒネクレタコンコロモチも古本屋めぐりの醍醐味だ。(?)電車賃の節約も兼ねて、名古屋駅まで歩く。遠い。暑いからか、ミョーに疲れる。確かにさっきまんだらけの階段を上がるときのシンドサは、尋常じゃなかったぞ!?だからよけい歩いてリズムを掴まなければ・・・と思い必死で歩く。新刊書店のジュンク堂へ。ここの店は、三の宮でもよく通っていたので、なんとなく親近感がある。喜国氏の”本棚探偵の冒険”を探す。やっぱ、もうないようだ。文庫も出たしなあ・・・。植草甚一の本がたくさん出ている。ほしいなあ。月に1冊ずつ、買おうかなあ・・。1400円かあ・・。あずまひでおの話題の作品”失踪日記”を立ち読み。本当に失踪していたんだなあ。”気持ち的には漫画家”(苦笑)な僕としては、なんだかヒトゴトとは思えない。量産しつづけることの大変さ、を思った。あの画風で描くから、ソフトに読めちゃう部分があるが、実際は結構すごいことになってたんだろうなあ・・・来年は僕も天才バカボンのパパとおないどしだしなあ(あ、ちょっと飛躍しましたか?)しかし、コドモとしてバカボン見てた僕が、バカボンパパのトシかあ。文中での喜国氏のなんちゅうかほんちゅうかなきもちが、すこしわかった気がした。
2005.07.12
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久しぶりにチチエセを掲載する。描かれる風景は、僕にとっても思い出深いものだ。しみじみ味わう余裕は今はあまりないが、こうして肉親の文章を読むと、ジワリと脳裏にその情景が浮かんでくる。中学高校の5年間、通学時に毎日窓から見つづけた瀬戸内海の穏やかな海をバックに、その建物はたたずんでいた。今は舞子のあたりもすっかり開発され、昔の物悲しいような、ポツンとした風情は望むべくもないが、新しい景色の中にも、確かな存在感を示しているようだ。「夕映えの移情閣」 マリンピアからアジュール舞子の遊歩道を戻ってくると、茜色に染まる「夕映えの移情閣」がいつもとは違った風情でそこにあった。 時間があると、ふらりとやってくるこのあたりは、私たち夫婦お好みの散策と憩いの場所になっている。 私が始めて「移情閣」を知ったのは、舞子の先輩のお宅に遊びに行ったときだった。 散歩がてらに出かけた舞子の松林の中に、エキゾチックな三層八角形の楼閣があった。 海峡大橋そばの今の場所からすこし東にあって、昭和三十九、四十年の台風にやられる前の「松海荘」と一緒にあったころだった。 中に入ると、造りは西洋風でありながら中国風デザインの置物や調度品が一杯あり、そして「移情閣」と書かれた額や沢山の扁額が掲げられていたことが大変印象に残った。 明治から大正にかけ、日本には沢山の華僑が活躍していた。 三十一歳で日本にやってきた華僑の呉錦堂は、神戸を拠点に貿易で財を成し景勝の地、舞子に「松海荘」という別荘を作った。 千九百十五年(大正四年)、その隣にもう一つの建物を増築したのが「移情閣」だった。 西洋のデザインの中に、巧みな日本の職人技で中国の魂を織り込み、期待に応えた立派な建物となった。 困難を乗り越えて故郷から遠く離れた土地に根をおろし、そこに溶け込んで生きるという意味の「落地生根」という言葉を華僑の人達はよく口にするという。 呉錦堂は、明石海峡を一望するこの舞子の風景に、遠く離れた故郷を慕う情緒をたくして「移情閣」をつくり「落地生根」の生き様を形に表そうとしたのかもしれない。 中国革命の父、孫文夫妻が国賓として訪れたことを記念し、「移情閣」は「孫中山 記念館」という名前ももっている。 話は一寸横道にそれるが、神戸の私たちの周りには今でも沢山の華僑の人達が、実によく溶け込んで住んでいる。 勿論彼ら自身の努力のほうが大きいのだろうが、もう一つの重要なカギは「食」、つまり中華料理がおおきな役割を果たしているのではないかと思う。 中華料理ほどインターナショナルなものはなく、世界どこでも必ず店が見つかる。 私も、元町界隈の路地の奥にある華僑たちのちょっとした店を探訪するのが大好きだ。 先日、舞子の浜を一緒に散歩したあの先輩の突然の訃報に接した。 祭壇の遺影の前には、大好きだったチューハイとともに一枚のスケッチが飾ってあった。 そこには、大橋が無かった頃の海峡の広がりを前にした、茜色に染まる「夕映えの移情閣」が、彼の見事なタッチで描かれていた。 呉錦堂が夢見た故郷への思いを知る由も無かったと思うが、それでもそのスケッチは、一人の神戸を愛した老華僑の「切なる心情」を十分すぎるほど私に伝えてくれた。
2005.07.11
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ネットで”古本探偵の冒険”を検索。2001年の出版だが、本自体にいろいろなギミックがあり、今初版オビ月報だと、定価2500円が4500円程度するようだ。このあたりの値上がりも、作者が狙ったところだと思う。ホン作り含めての創作作業・・・楽しそうだなあ・・・・。
2005.07.10
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久方ぶりに図書館へ行った。何事をするにも波がある僕の場合、みうらじゅんセンセイの”マイブーム”という感覚はいまだにしっくりくる。前は図書館へ行って、美術書とかを借りまくっていた。その前は、”このミス”で上位のミステリーを和洋問わず借りまくっていた。その後、すこしBOOK OFF熱で、図書館への足が遠のいていた。今日は次男の本を返しにいったわけだが、児童書の近隣にあった本関係のエリアにて思わず並んでいた3冊をGET(というか、手に入れたわけではないのだが)。古本関係の本だ。喜国雅彦”本棚探偵の冒険””本棚探偵の回想”。鹿島茂”それでも古書を買いました”。どちらからも”濃いーーい”オーラが出ていて、これがBOOK OFFだったらつい”禁断のハードカバー本購入”になっているところだ。漫画家で文章がうまいといえば、今はがきデカの山上たつひこ氏などが浮かんでくる。喜国氏は文章というか、古本文章で浮かんでくる名前だ。読んでみるが、やはりギャグを描くヒトの文章は、文章でもオモシロイ。というか、止まらない。喜国氏の漫画はけっこう好きだったが、やはりギャグを愛するココロと、ものをコレクションする粘着性のコンコロモチは、根っこでつながっている。微細なムズガユサや、しょーもない違いを大切にし、発見し、喜ぶ心というか。そんなところで。あと多分、自分のうまい下手は置いておいて、絵をかくヒトは基本的にナカマだ、という感覚がある。もちろんある程度描く絵の内容も関係するが、絵を描く、とうことは、この社会を感じている感覚?も似ているだろう、楽しいコト、生きがいを感じるトコロがどこか共通しているだろうなあ、という感覚。←いや、じゃあオマエなんか今描いてんのか?といわれると、 厳しいんですが・・・まあ、自分のことはおいておいて(?)、とにかくこーいった古本関係の本を読んで楽しいのは、作者が一様に、トコトン一喜一憂しているところだ。で、それが世間サマからみたら、ちゃんちゃらおかしいというか、エートシしたオッサンがあほか!?といわれちゃうことやってんだよなーオレ・・みたいに妙に自覚しながらでもやめられない、というか、そのスタンスがどのヒトも、このヒトもすごく共通なのである。・・・で、自分を肯定するのに役立つんだなあ、これが・・・。いやー、こんなメチャクチャな人がいるなら、自分はまだフツウやん・・。うれしいような、くやしいような。で、いつか、ヒトが驚くようなマニアになったるでー・・・と心のどこかが燃えだしてしまうところ。・・・・・それがひとつの生きるパワー??イキガイ?みたいになってきたりするんであるのよね。(ああ、今日はちょっとうなされ気味かも)
2005.07.09
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