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8月15日 終戦(敗戦)記念日 戦後77年目 (昨年のブログの改変)
77年前の大きな犠牲を払ったあの過ちを再び繰り返してはならないと、
あらためて自分の心に刻み込みたいです。
私は、幼すぎて戦争については、ほぼ何も知らない世代ですが、
身近には戦争孤児を見ながら子供時代を過ごした世代です。
吉永小百合さん。思いを込めて毎年「原爆の詩」を読み続けています。
その吉永さんが 「戦争反対を言えない空気」に危機感を表明しています。
毎年続けてきた吉永さんの心の想いは、同世代のこの時代を生きてきた私の想いにも
重なるものがあります。 ますます吉永さんを好きになるとともに、尊敬の念を感じます。
「戦争が廊下の奥に立ってゐた」 渡辺白線
終戦記念日と言われていますが、終戦ではなく敗戦です。
誤った判断と行動により、かけがいのない多くの命と財産が失なわれたのです。
日本は終戦の日を玉音放送が行われた8月15日にしていますが、
アメリカ・イギリス、ソ連・中国の終戦の日は
日本が降伏文書に調印した9月2(3)日です。
日本は8月15日にすることで、敗戦でなく終戦のイメージにしたかったのでしょうか。
戦争は敗けたから終わりとはならない。収容所にいたり外地に取り残された人々。
沖縄は返還後のいまも基地が残る。朝鮮半島は混乱しその後朝鮮戦争となり休戦状態。
補償の問題も未解決。加害の視点の欠落。今日を終戦記念日と呼ぶには疑問が残ります。
1945年8月15日。今から77年前、日本はポツダム宣言を受け入れ、
終戦(敗戦)に至った日です。戦没者は実に 310 万人を越えています。
また近隣アジア諸国の多くの方々へ与えた責任の重大さも忘れてはならいです。
愛するものを失った悲しみは77年間、1日たりとも消えることのないものです。
再び同じ過ちを起こさないことを強く誓いたい。
津波など自然災害は避けることができませんが、
戦争は人間の英知で避けることができるのですから。
生き物の中で、これだけ同じ仲間を殺戮する生物を人間以外知りません。
私には人間は一番質の悪い生き物だとしか思えません。
父は平壌(ピョンヤン)に出征しましたが、軍隊内で上官にぶん殴られた話しを聞きました。
戦争の話はそれだけです。他にも口に出来ないようなことがあったのでしょう。
家に帰ったとき、そのときの激励文がありました。


義父 (
当時附属小勤務、39歳)が残していた原稿です。
地震もそうですが体験したのと、しないのでは大きな違いがあります。
少しでもそのときの気持が共有できたらと思いました。
「 昭和20年8月15日正午、玉音放送がありました。臨時ニュースで、陛下の
重大放送があるというのです。夏休み中ですから勿論子供たちはおりませんでし
た。私どもは雨天体操場に集まり聯隊本部(仙台空襲で焼きだされ第4聯隊本部
が附属に引き越して来ていた)の人々と共にラジオに耳を傾けました。
終戦の大詔でした。左片腕のない陸軍大佐〔この連隊本部の最高官の方でした。〕
玉音放送が終わると、大佐は「申し訳ありませんでした。」と、私どもの方を見て
頭を下げられました。私どもは職員室に集まりました。沈黙が続きました。
私は、机の上に泣き伏しました。斜め向かいにおった鎌田君も泣き伏しました。
一時に張りがぬけました。「金甌無欠」の絶対不敗を信じていた日本の国が、
戦いに敗れたのです。午後になって幾機かの飛行機が飛んできました。
轟音凄まじく低空飛行です。バラ蒔いたチラシには「われわれは決して負けた
のではない、降伏したのではない。国民よ、団結して戦え。」といったような
ものでした。」
今日は24節気の「寒露」 2025年10月08日